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2-2同点。アイラブジーコすごいぜぇぇぇ。僕は1-0の負けで1-2で1点取れたらすごいぞ思いながら応援してましたが立て続けに高原君の2得点。 スッゲーーー!!!ビツクラコキマシタ ホントに日本はレベルアップしてますね。あのドイツっすよ。イタリアとかブラジルとかはっきりいって雲の上の存在ですからね。 今朝試合の後どこぞの番組で「2点を守りきれないのはジーコの采配が悪い!!」ってばかなっ!!!2とったまま逃げ切れるような甘い相手ではないっす。 取られた事より取ったことの評価と取り方の評価をしてあげなさいっッ!!! おまけに「途中交代の人選がまずい」はっ??? あの場面ならしろーとでも守りに入るというのが普通の使い方だって少し考えればわかるじゃナイッ!!そこをあえて大黒を入れたってことは何かジーコが考えているととるべきでしょう。 少なくとも貴方よりはすごい人ですから(テレビでしゃべってた人) なにはともあれここで眼の色変えて勝ちを取りに行くよりも本番直前の何がしかの収穫を得られたのはすばらしい出来だったのではないでしょうか。 1.細かくまわせば世界トップレベルのサッカーを崩すことが出来る。2.プレスから高い確率でフィニッシュに持っていける連携の精度。3.セットプレーでのポジショニングの確認。 などなど 僕なんかが見ててもイカッタナァァと思える内容でしたね。あと2週間ほどですがかなーーーーり期待が持てるのではないでしょうか。何度もいいますが今大会##日本旋風がおこりますから##
2006年05月31日
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************************************************-天地の道理- 場面は家康が隠居して大御所になった後、安南国の王に送るための太刀飾りの拵えを本阿弥光悦に督促した時のやり取りです。************************************************「ものの考え方に、二通りあることを、家康はつい最近になって気がついたぞ。と、申すのはほかでもない。家康が日本国の行く末を案じて、庶民の望む太平を、揺るがぬように築いてゆけばゆくほど、我が家も安定してゆくのだ」家康が妙なことを言い出したので、光悦は、全身でそれを受け取ろうとして身をのり出していた。「いや、ただ、家の繁盛も国の繁盛も、帰するところは一つ.....などと身勝手を並べる気で申すのではない。もっとそこ深い感動じゃ。わしは、もう秀忠に男の子は出来ぬものかとあきらめかけていた。ところが、竹千代が生まれてくると、続いてまた国松が生まれてきた.....つまりこれは人知の計算を超えたことじゃ。少々面映(おもはゆ)いがのう、わしは、よい年をして、五郎太以下続けざまに三人の子が誕生して来たおりに、ちょっと世間に済まぬ気がした。まさかに、わしの倅(せがれ)として生まれてきたものどもに、二万石や三万石の捨扶持(すてぶち)ですますわけにはゆくまい。とすれば、あのオヤジめ、自分の倅ばかり取り立ておって.....そう申す者が現れても言い訳のならぬ気持ちであった。わが子かわいさに、家康ほどのものが私をしてのけた.....そうなっては、道春先生(林羅山)の聖人道に傷がつこうが.....」「しかし、それは.....」「まあ待たっしゃい。実はそれで年甲斐もなく思い悩んだものじゃ。ところがつい近頃になっての、これは大きな誤りだったと気がついた.....人のこの世に生まれてくるのは、わが子といわず、他人の子といわず、みなこれ人知を超えた神仏の授けものであり、授けられものだと気がついたのだ」光悦は、ニコリとしてうなずいた。欲しいといって子供が授かるものであったら、老後の秀吉の、あのあせりはないはずだった。いや、大陸出兵も、関ヶ原の役もなく、歴史は全く変わってたに違いない。家康ほどの人が、そんなことに近ごろ初めて気づいたのがおかしいほどだった。「それで、上様は、どうお考えを変えましたので」「光悦よ。人間の心の成長には、三つの大きな段階があるようじゃぞ」「三つ.....だけでござりましょうか」「いや、こまかくすれば無数であろうがの、まず最初に人間は我がために働くものじゃ」「御意(ぎょい)のとおり、たいていの人間は一生それであくせくとして終わりましょう」「ところが、次にはどうして私心(ししん)を去ろうかと苦心する。私心、私欲の生き方のあさましさが、気にかかってならない時代が続くものじゃ」「仰せのとおりに存じまする」「口先では天下のため、家臣のためと言いながら、実はわが身の欲ばかり.....そう思うと、わが胸の神仏に顔向けもならぬ気持ちになっての。ところが、そのころを過ぎると、もう一つ大きなことが分かってくるのじゃ。よいかの、この身の道理をのぶれば天地にみち、天地の道理を縮めていけばこの身の一身のうちにかくれる。つまり磨き上げた私心はそのまま天地の道理なのじゃ」そう言うと家康は、言葉を気ってジーッと光悦を見つめていった。光悦は、全神経を耳に集め、それからそれを咀嚼(そしゃく)しようとして息をこらした。「もう一度仰せ聞け下されませ上様、この身の道理をのぶれば天地にみち.....」家康は、きびしく視線を光悦に据えたまま、もう一度同じ事を繰り返した。「この身の道理をのぶれば天地にみち、天地の道理を縮むれば、その道理は、わが一身のうちにかくれるのじゃ」「と、いたしますると、人と天地とは、これ一体....というご感慨でござりまするか」「そうじゃ。両親の意志や願いだけで生まれて来た人の子ではない。この両親の営みに、天地の大きなご意志が加わって生まれてくるのじゃ。ゆえに人の子は人の子であってまた天地の子なのだぞ光悦.....」「なるほど.....そこまでお考えなさると、私心はこれ天地の心、公心もまたこれ天地の心、二つの間に差別はない.....と相なりまするが」「わしはの、子供のおりに、駿府の臨済(りんざい)寺で、雪斎(せっさい)和尚によくそのことを聞かされてあったのじゃ。一粒の米の中にも宇宙はそのまま宿っているものぞと.....それを途中で忘れてしもうての、私心は悉皆(しっかい)去らねば偉人にはなれぬものじゃと思い違えた.....」光悦は、家康の言葉をそのままわが身の上へおき替えて、ちょっと頬が赤くなった。今の光悦の修養は、ちょうどそのあたりにあるらしい。絶えず何かに腹を立ててはおのれをいじめてゆくのである。(どうやら家康は、その先の境地について語ろうとしているらしい)「光悦よ。磨きぬかれた私心はそのまま宇宙の心になり得るのだ。わしはの、それからぐっと楽になった。というて、油断しておのれを甘やかすというのではない。わが子といえども、真剣に育てていって、器量のある家来をこれに付してゆき、要所要所を預けてあれば立派に役に立ち得るのだ。いや、わが子、他人の子と区別する要はみじんもない。もともとこれはみな天下の子供なのだ.....」光悦は、はじめてポンと膝を叩いた。わかるとすぐにそうするのが光悦の癖であったが、このときにはもう光悦の思案はつねに次の世界にのびている。「相わかってござりまする。上様はもう誰にお気がねもなさらずに、ここが日本国の要(かなめ)と思うところへはどしどし堅固な城をお築きなさる.....」そこまで言って、光悦は、ゲラゲラ笑った。妙におかしさがこみあげて、無礼だとはわかりながらも、すぐには止まらぬ笑いであった。「おかしいか光悦」「は.....はい。上様ほどのお方が、それほど世間に気がねをなされておわしたのかと考えると。ハハ.....」「意地の悪い奴じゃの。わしを笑いものにいたすとは」「上様、それで、忠輝さまも、五郎太さまも、大きな城に入れてやる.....それで、お父上であらせられる上様にとってもご満足、日本国将来のためにもなる.....私心は公心、公心は私心.....そう仰せられておわすのでござりましょう」家康は、これもちょっと頬をそめた。「その代わり、わしの心を磨いてゆく、磨きの手はゆるめぬつもりじゃ」光悦は、笑ったあとで、今度は胸をしめつけられてシュンとなった。(思うことでできないことはないはずなのに.....)最後まで戦う相手を自分の中に求めている。真っ正直に、子供のように.....「上様、光悦も上様のお話で少しばかり眼が開きかけたような気がいたしまする。わが子、他人の子の区別などはありようがない。ただ精一杯に磨いていって分に応じて活(い)かさねばならぬ.....しみじみとそれに気がつきました」「光悦よ」家康は、再びきびしい眼になって、「ただそれだけでは少し足りぬぞよ」「は.....?」「そうであろうが。わが子、人の子に区別はない.....と、見られるのはそれは公平な天のお眼じゃ」「なるほど」「人間がみな一様に、点の眼を持てる.....などと考えるは増上慢(ぞうじょうまん)。それゆえ、天がなにゆえに、その子を両親に預けたか.....よいか、それも父一人ではなく、母一人ではなく、父と母とに子を預けたか.....このあたりに無限の味わいが潜(ひそ)んでいる。よいかの。両親というは決して子供を憎まぬもの.....そうした形に造っておいて、これに託された.....それゆえ、わが子は、人の子よりも愛してよい」「は.....」こんどは光悦は、思わずわが耳に手を当てなおした。さっきの言葉とは正反対にひびいたからである。「妙な顔をするな光悦、わしが申したのは、わが子だとて遠慮はいらぬ、天から預けられたものゆえ心おきなく愛すがよい。ただし、それを愛すあまりにかたよってはならぬと申しておるのだ。天の眼からすればわが子も他人の子もこれ等しく同じ愛子(まなご)なのだ。このあたりにものの表裏と悟りがあろう。人はもと一体なり、愚かなもの、小心な者なりともあなどる事なかれ.....となろうかの」「は.....」「大樹の枝は四方にかたよりなく茂るものじゃ。いや、かたよりなく茂る者だけが大樹になり得るのじゃ。というてもよい。いや、もっとつづめて申せば、諸人を甲乙なく愛する、これが実は、天の定めた誠の道じゃ.....」家康はそういうと、再び笑顔になって、「これはまたまた家康の悪い癖がでおったぞ。わが身の話ばかりで、こなたの話を聞こうとせぬ。諸人に物を言わせ、能(よ)きことを聞き、これをとって用うるが、実は本当の知恵者なのだ。そのほかにかくべつ知恵者などいるものではない。さ、何ぞ珍しい世間話を聞かせてくれぬか」「恐れ入りました」光悦は、ホッと大きくため息して、改めて家康を仰ぎなおした。************************************************参考 山岡荘八・徳川家康21巻/巨樹の思案より*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋にに一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ山岡荘八的お部屋へ戻る
2006年05月30日
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最悪でした。結果的には4-2で快勝。カッタカライインデスケドネ... じんさん的にはとてもフラストレーションが((((((バイブレーション))))))でエスカレーションな モウワケガワカンナイッス内容でした。 1点も取ってないっす。 これではジーコも認めてくれません。オイオイはああぁぁぁぁぁぁ。 まぁ。結果的にはチームが勝ったし。ゲーム内容的にはアシストで貢献したし。よしとしましょうか。 でも、やっぱり得点して何ぼのじんさんですから次ぎはどっどどどっ貪欲に点を取りに行くぜぇぇぇぇ かわたさんまた呼んでね。セイセイセイ
2006年05月29日
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なんだかすっきりしないお天気っすね。子供の学校は運動会やってます。学校のすぐそばに自宅があるので朝から父兄がゾロゾロ出かけてました。うちの腕白2人もはりきって学校行きましたョ。見に行ってやりたいんでけどなぁぁぁ...今月決算で、月末だからムリ。まぁ、嫁さんが行ってくれるし帰ってから子供の写真見るのが楽しみだゾ。 そーいゃ今晩はナイターで試合だ。また明日自慢話できるといいなぁ。
2006年05月28日
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**************************************************竜泉寺へ着くまで秀吉はまだ長久手の味方の敗戦を知らなかった。家康の出発が、予想以上に早かったということで、この戦の前途へ危惧は感じだしていたが、しかし負けるなどとは思っていなかった。もともと彼の辞書に敗れなどという文字はない。「茂助!末安!」竜泉寺にあって命令一下を待っていた堀尾の陣幕に近づくと、「今日の戦は、利を失うやも知れぬぞ。急げや.....」悪童のように怒鳴りたてながら馬を降りて、はじめてそこで味方の敗戦を知らされたのであった。「すると勝入は岩崎城などを攻めていたのか」「はい。そのうえで、首実験をやっておったと申します」「はイあ!」と、秀吉は、肺腑(はいふ)から絞るような奇声まじりの吐息をもらした。何もかも計算ずくめで、これから一挙に家康勢を混乱させるつもりの作戦が、味方の救援という、別の意味の出兵となってしまった。「あのお人好しがッ!」秀吉は吐き出すように言って膝を叩いた。「あれほど言ってあったのに、まだ岩崎城など.....」勝入がぐんぐん進んでいさえすれば、家康もそれを追って、十分決戦は伸ばせたのだ.....そう思うと、肝の底から腹が立った。が、すぐ次の瞬間には、そうした感情にこだわることは、百害あって一利のないことを悟った。「その勝入を出してやったのはこの秀吉じゃ。よし、勝入を救いながら叩け家康を.....徹底みじんに叩きつぶせ」さらりと心の方向を転換し、それに向かってすぐに全力を打ち込めるのが秀吉だった。その意味では秀吉の気分転換は、さながら名人の剣の変化によく似ている。ここで秀吉はまず、堀尾、一柳、木村の三隊を長久手へ急行させ、これを池田勢救援にあたらせておいて、みずからは家康攻撃勢として出発した。その総勢三万八千。敗戦を、そのまま勝利にみちびかなければ止(や)まない、秀吉の性格と気性であった。「何はともあれ、家康の旗本を引き包め。包んだ上で一人も余すな。敵はもう戦い疲れているが、見方は新手(あらて)なのじゃ」そのころ.....家康の留守を預かっている小牧山の本陣では、石川数正と酒井忠次、それにもう勝本多忠勝の三人が、口を尖(とが)らして激論の最中だった。「では、それがしの意見には従われぬと言われるのか」「従わぬとは言わぬ。が、考え落ちがあるというのじゃ」猛り立っている本多平八郎忠勝に、石川伯耆守数正は、苦りきった表情で相対していた。酒井忠次は、ときどき舌打ちしながら、等分に二人を睨みまわしている。いずれも兜だけは着けていなかったが、厳重な武装をしていて、何か言うたびに床机がきしんだ。「なに、おれの考えに、考え落ちがあると。こいつは聞き捨てならぬ。どこが足りぬ。さあ言え数正!」石川数正は、年長者らしい落ち着きで、「みな殿のお考えのうちにあったことじゃ。平八どのはそれを思わぬのか」と、切り返した。「殿が、池田勢を追って行ったと気がつけば、筑前がさらにそれを追ってゆく.....それくらいのことを考慮に入れぬ殿ではない。うかつに犬山城などを攻めてみサッしゃい、収拾できぬことになろう」「ええッ、歯痒いッ!」忠勝はもう一度歯をかみ鳴らして舌打ちした。彼の考えでは、秀吉があたふたと楽田を出発していったゆえ、その留守に数正、忠次、忠勝の三人で、手薄になっている犬山城を一挙に手に入れようというのであった。そうすれば中入りする気で出て行った敵が見事中入りされる結果になる。今をおいてその機会はない。すぐに攻めようと言い出したのに対し、石川数正は、頑強に反対しているのだ。数正の言い分は、そのような危険を冒して、もし敵に囲まれ、小牧山へ引きあげ得ぬようなことになったら何とするのか?家康は、われらに、ここを厳しく守れとは命じて出て行ったが、隙があれば犬山城を攻めよとは言わなかった。万一家康勢が、池田勢を破って引きあげて来たときに、小牧山が敵の手に落ちているようなことがあっては、たとえ犬山城を手に入れても、それは決して利益にはならぬ。むしろ、一時的にせよ混乱を引き起こし、悪くすると、清洲まで後退を余儀なくさせられよう。そうなっては城攻めの巧みな秀吉に、犬山、清洲で各個に囲まれる恐れがあるというのだった。「おれが言うのは、犬山城へそのまま居残れというのではない。誰かが一人残って後の二人はここへ引っ返す.....小牧と犬山の二つを手に入れる策なのだ。それをなぜ、犬山と小牧を引きかえにするように言葉を曲げて反対するのか」「反対する。今は二兎(にと)を追う時ではない。ここでじっと殿の次ぎの指図を待つ時じゃ」「石川どの!」「何度言われても、小牧の留守を預けられた数正、賛成はいたしかねる」「貴殿、陣中へとかくの噂があるをご存知か」「何の噂じゃ。知らぬ。また知ろうともせぬ」「知ろうともせぬはずじゃ。貴殿が筑前のもとへたびたび密使を出している。ことによると石川数正、秀吉に通じているのではあるまいか.....と、言う風評をご存じなかろう」「なに.....わしが、秀吉に通じておると!」「おう、それゆえ犬山城を攻めるなと申す.....そうした噂が飛んでも、おれは知らぬといったのだ」「だまれ。だまれ平八.....」二人が少しも譲らないので、酒井忠次がたまりかねて割って入った。「敵に通ずるの通じないのと、穏(おだ)やかでないことを言うな」「風評だと言ったのだ。風評はおれの責任ではない。他人の口に戸が立てられるか」まだ言い募(つの)ろうとする忠勝をおさえて、「では数正は、どうあっても、犬山攻めはせぬというのだな」「されば、勝ってさして利にならず、負ければそれこそ一大事じゃ」それを聞くと、忠次は大きくうなずいて、「よし、わしもやめた。平八。おぬしも止めよ」と荒々しく立ち上がった。**************************************************参考 山岡荘八・徳川家康第十巻/乱戦・鹿と瓢よりつづく山岡荘八的お部屋へ入る*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2006年05月27日
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**************************************************勝入は、決して立会いをなおざりにはしなかった。勝三郎の昔から誇りを持って生きとおして来た武将が、全力を尽くさぬまま死ぬことなどは思いもよらない。それでは相手にも済まぬと思った。「手心は加えぬぞ」「おう!」ふたたび二人の太刀は陽と影の斑(まだら)の中でからみあった。誰もこの格闘に介入して来る者のないのが不思議であった。いや、それほどすでに乱戦になっていて、進む者も退く者も、この場の近くを絶えず右往左往しながら、自分のことしか見えなくなっていたのだともいえる。「やっ!」と、伝八郎が、隙を見つけて体ごと勝入にぶつかった。その刹那(せつな)、勝入は、再び全身の千切れるような骨折の痛みを覚えて転倒しながら、「あっぱれ!」と、相手を誉めた。それが最後であった。伝八郎は飛鳥のように踊りかかって、上体へ馬乗りになったまま首をあげた。しかし、それを手にして突っ立ってから、一瞬放心したようにその場へ立ち尽くした。ふみにじられた草の上へ、おびただしく血がしぶき、それを見る眼に、光がまぶしい。耳はワーンと鳴っていたし、全身は、半ばしびれて知覚を失っているようだった。「勝った!」自分だけではない。味方はどこでも.....(おれは敵にほめられた.....おれはあっぱれなことをしたのだ.....)今度はあわてて、勝入の手から、篠の雪の名刀をもぎ取り、それから死体の鞘(さや)をとってそれを納めた。ふいに首のない死体が笑い出したような気がした。いや、笑ったのではなくて泣いたのだ.....(見たか伝八郎、これが武将の最後の姿なのじゃ.....)永井伝八郎直勝は、はげしく首を振って、狂ったように獲物を高くかざしていった。「三河大浜の住人、永井伝八郎直勝、敵の大将、池田入道勝入の首討ち取ったり!」間近に答える者はなく、散らばった死体がいっせいに拍手したような気がした。(これでよいのじゃ!勝ったのじゃ!手柄したのじゃ!)そのまま伝八郎は、後からやってくる家康の馬印めがけて、いっさんに走り出した。あたりはふいに静かになり、どこからともなく蝿が飛んで来て、むざんに肉をひろげて陽をうけた、勝入の首の切りあとにとまった。「わーっ」とまた右手の藪を踏みしだいて、池田勢が逃げていった。このころには、すでに紀伊守元助も討ち死にしていた。ただ父と兄の死を知らぬ二男の三左衛門輝政だけが、まだ夢中で頽勢(たいせい)を挽回しようとしてあばれ狂っていたが、勝敗はもはや決定的といってよかった。ボォーと法螺が鳴りだした。家康勢が、勝利を確認して、兵をまとめだしたのかもしれない。死体の蝿が、あらわな陽の下でしだいに数をましだした.....秀吉が、家康の池田勢追撃を知ったのは同じ九日の五つ半(午前九時)近かった。それまで秀吉は、楽田にあって、しきりに小牧周辺の徳川勢に小競り合いを試みさせていた。むろん陽動で、味方の三河進入を家康に悟らせまいとしているのである。「.....家康が、今日の昼まで気づかなんだら、面白いことになるが.....」起き出すと秀吉はめずらしく運動のためと称して馬を曳かせ、陣屋の周囲を二めぐりほどして戻ってきた。彼の考えでは、味方の中入りももはや今日は知れずにいまい。知れれば必ず家康は動き出す。動き出したときがわが腕の見せ所だと思っていた。家康は、本国の危急を知らされて動転(どうてん)している。それに追い討ちをかけてやるのだから、(これは賤ヶ岳の二の舞じゃ)いかに野戦の巧妙な家康も、立ち止まって戦う機会が見出せなければ、佐久間玄蕃同様の苦境に追い込まれて、収拾できない崩れ方をしてゆこう。(決戦は今日だぞ!)陣屋へ戻って食事をしながら、秀吉はかたわらの石田三成を見やって、「今日の昼には、勝入も三河へ入っていようでな」と、ひとり言のように言った。「むろん入っていましょうが、家康はまだ知らずにおりましょうか」「知っていて動かずにおれるものか。わしとて、大阪が攻められていると聞かされたら、こうして湯漬けを啜(すす)ってはおれぬわい」笑いながら、膳を下げさせ、それから、また幽古を呼んで、あちこちへの手紙を書かせにかかった。と、そこへ二重堀の日根野備中のもとから、家康が、すでに小牧山を降っている旨(むね)の知らせを受けたのだ。「なに、家康がおらぬと!?」そう言ったときには、秀吉は席を蹴るようにして起っていた。口述を受けて、筆を走らせていた幽古が、「それでは、この書面は、いったん中止にいたしまして.....」そこまで言ったときには、姿は仮屋の中にはなかった。今日は初めから秀吉も出陣する気でいたのだ。おそらく手紙の口述を終えたのち、竜泉寺へ向けて出発するつもりだったのに違いない。秀吉自身が、出発したあとの配置は決まっていた。約六万の兵を、いぜん厳重に小牧山の周囲に残して、秀吉は、堀尾善晴、一柳末安、木村隼人らと共に、その自慢の旗本衆をひっさげて、もう一度賤ヶ岳七本槍の功名を夢想していたのに違いない。それが少しばかり狂いが生じてきた。(戦場では一刻の狂いが、勝敗どころを変える大事になる.....)秀吉は陣屋を出ると、「行くぞオー」と、叫んだだけで馬に乗った。自慢の馬印も、槍も、旗も、秀吉の姿が、疾風をまいて駆け出してから動き始めた。信長の田楽狭間におもむくときの出陣がこれであったが、はじめはただ秀吉一騎.....例の唐風な、馬藺(ばりん)の後立ての兜に、赤地錦の派手な陣羽織姿で、後も見ずに竜泉寺をめざして駆けつづける。そんなときの秀吉は、全く何も考えない若者のようでさえあった。**************************************************参考 山岡荘八・徳川家康第十巻/乱戦・鹿と瓢よりつづく山岡荘八的お部屋へ戻る*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2006年05月26日
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前に作ったのが、ガンプラ作り始めたばかりのころの作なのでもう一個買って作り直しました。今回初めて、プチ改造してみました。改造といっても大した事してないですが、定番の"アンテナを細く削る"をして、MG Z.Ver.2.0を参考に細かいモールトを削り込んでみました。デカールとシールは、Ver.1.0やVer.2.0の残ったものを使いました。*************************************************MSZ-006 'ZETA GUNDAM'A.E.U.G PROTOTYPE TRANSFORMABLE ATTACK USE MOBILE SUITMSZ-006「Ζ(ゼータ)ガンダム」は、TVシリーズ「機動戦士Ζガンダム」に登場する攻撃型可変試作MSである。ジオン独立戦争、いわゆる一年戦争から7年。連邦軍は、旧ジオン公国軍の残党狩りを標榜し権勢を拡大する組織"ティターンズ"に牛耳られていた。その横暴と戦うため、反地球連邦を掲げる"エゥーゴ"が組織され、その支持者は地球連邦軍内外にも浸透していた。そしてU.C.0087年3月。ガンダムMk-2の強奪事件を契機に両者の抗争は一気に表面化する。エゥーゴはティターンズと戦うために高性能MSを開発する"Ζプロジェクト"を発動していた。ひょんなことからMk-2とともにエゥーゴに身を寄せることになった少年"カミーユ・ビダン"は、その資質からMk-2、さらに自らが開発にかかわったΖガンダムのパイロットとなり、幾多の戦いに直面していくことになる。やがて、木星から帰還したジュピトリスのパプテマス・シロッコやジオン公国軍残党である小惑星アクシズのハマーン・カーンらが介入。それぞれの思惑が複雑に絡み合い、情勢はさらに混迷。一年戦争に匹敵する規模の戦争状況"グリプス戦役"へと発展していく.....ハイパー・メガ・ランチャーハンド・グレネードウェイブライダー形態ウェイブライダーWR(ウェイブライダー)とは、大気圏突入の際に発生する極超音速領域での衝撃波(ショックウェイブ)を利用して揚力を得るタイプの機体のことで、それらは機体下面に発生する圧縮波に「波乗り(ウェイブライト)」することで大気圏突入を可能とする。さらにΖガンダムは大気圏内での「飛行」も可能で、WR形態時には高速移動が可能であるのみならず、さらにもう一機のMSを積載するほどの威力をも発揮する。ちなみに、この時期は各陣営においてTMSが運用されていたため、まったく別タイプの飛行形態などのことを便宜上「WR形態」と呼ぶ場合もある。他にも見てみる
2006年05月26日
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子供が小学校から帰宅してから長男、長女の3人で(嫁さん仕事)僕の実家に連れて行きました。 母の日のプレゼントを未だに渡していなかったので遅ればせながら渡してきました。 うちの母さんだいの植物好きなので花を上げると喜びます。 子供が学校に言っている間に倉敷のイーオン内花屋さんで”遅ればせながら母さんへの母の日おまかせコース”で作ってもらいました。 こんな感じどうでしょう?こんなのは? って僕にはさっぱりっす。もう完全お任せしますって言ったらきれいなの作ってくれました。 おかげで母さん喜んでましたよ。 自分が親になって見るとまた改めて親のありがたみが分かってくるような今日この頃のじんさんでした
2006年05月25日
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こんな日本代表ならW杯で優勝確実だ! 決定力の有る柳 ケガしない久保 当たりに強い中村 完調した小野 試合勘の有る中田 ソープに行かない稲本 頭の良いサントス ポプラを栽培する加地さん 調子に乗らない中澤 オサレじゃない宮本 常に神が降りてる川口サブ 出たらすぐに点を取る大黒 カードを貰わない大久保 積極的な松井 運動量の有る福西 物怖じしない遠藤 存在感の有る小笠原 即答するサザビー 怒鳴り散らす土肥 御祓いした中タコ 呼吸の合う駒の 逃げない茂庭加地さん頑張れ!どんなっすか?
2006年05月24日
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**************************************************森勢の総崩れから、家康の旗下の圧力が、いちどに池田勢へかかって来たのだ。(ついに来たかっ!)戦いなれた勝入は一瞬にしてそれを看破(かんぱ)した。目の前で息を引き取った侍を小物たちがあわてて後ろの藪畳(やぶだたみ)にかつぎこんでゆく間、勝入は、自分を追い越して敵に向かってゆく、味方の士卒の足並みを見守っていた。みな一様に爪先立って、上半身ばかりが、のめるようにフワフワと前へ出ている。狼狽した時のあせった兵の姿態で、これでは半刻と体力が持つものではなかった。そのはずだと勝入は思う。勝入ほどの者が、愕然(がくぜん)とした思いでいるのだ。勝ちに誇って一息入れていた軍兵が、狼狽するのも無理はない。こうした姿勢で進む兵は、相手が意外に弱く、すぐ味方に背を向けてくれると持ち直すが、さもないときには、力尽きてへたり込むか、やけになって滅するかが落ちであった。今ごろは、そのあがり気味の兵の先頭に立って負け嫌いの紀伊守元助は、狂気のように槍を振るっているであろうし、若年の輝政はそれ以上にあがっていることだろう。そう思ったとき、また右前方で、ワーッと遭遇戦(そうぐうせん)の喊声(かんせい)にぶつかり合った。ダダダーンと、今度は銃声はすぐ間近だ。「危ないッ!」と、くつわを取っていた小者が、勝入の馬をいきなり道から草むらの中に引き込んだ。敵の先鋒が、行く手の丘の下から姿をあらわして来たからだった。「たわけめッ」と、勝入は叱りつけた。叱りつけて手綱を取ると、しかし、勝入は、敵の正面へ馬を返さず、そのまま草むらを森の中へ進んでいった。その馬を取り巻くようにして三十余人の若侍が道をそれた。「殿を、殿を頼むぞ!」そう言ったのは岩崎の城攻めを進言した片桐半右衛門らしい。そのままこれも前のめりに敵に向かっていった。森の中は眼のくらむような陽と若葉の影の交錯であった。勝入は何と思ったか馬を停めて顔をしかめながらその場へ降り立った。あわてて小者が、床机(しょうぎ)を持って走ったが、それより先に、草の上へ胡座(こざ)していった。「済まぬ!筑前どの.....孫七郎どのを殺してしもうたわ.....」みんなは目くばせして、勝入の周囲を離れて見張りについた。婿の森武蔵守の戦死を聞いて、気落ちをしたのだと近侍は思った。「その代わり、わが子も婿も、そして、われらも後を追おう.....許されよ」戦おうにも足の痛みが激しくて、騎乗に耐えなかったのだ。むろん徒歩(かち)戦など思いもよらない。とすれば、勝入の最後はおのずから決まってゆく.....「やあ、寄せたぞ敵が.....」「うぬッ、来いッ」今度は勝入のすぐ脇で声がして、一人の武者が脱兎(だつと)のように警護の輪を破って、勝入に走りよった。「池田信輝入道勝入どのと覚えたり、見参!」勝入の眼が、ちらりと相手の上に移ったとき、その武者は、前かがみにすべるような姿勢で、目の前まで進んでいた。(よい姿勢だ!勝つ姿勢だ!)そう思いながら勝入は、「何者じゃ。名乗れッ」声だけは方図もない大声で叱咤(しった)した。「家康が旗本、永井伝八郎直勝(でんぱちろうなおかつ)!」「うむ、天晴れな若者、来るかッ.....」はじき返すようにそう答えたが、膝も立てず、差し料も抜かなかった。おそらく相手の眼には、勝入の姿が不動の巨岩にも見えたことであろう。槍をつけたままじりりっと横にまわりながら、額の汗をたたくようにして籠手(こて)ではらった。「おのれっ、殿に何とするぞ!」追いすがってきた勝入の家臣が、わきからいきなり躍りかかった。相手はそれをパッと伏せてかわしておいて、そのまま槍を次に近づくもう一人ののど輪をめがけて投げつけた。「ウーム」と、一人は突き立った槍をつかんでのけぞり、先に斬りつけた家臣が、再び伝八郎に斬りかかった。伝八郎直勝は、また眼にも止まらぬ速さで、太刀を抜きながらかわしていった。かすかに音はしたが白刃は触れ合わず、つぎに二人で構えあった時には、伝八郎の左手の人差し指からタラタラと血が流れていた。いや、指はすでになくなっているのかも知れない。白刃を触れ合わなかったのは、天晴れだと勝入は思った。(こやつめ、まだ人を斬る気で、太刀の刃こぼれを防いでいる).....「やあっ!」と伝八郎がふんこんで、今度は斜めに勝入の家臣をなぐりつけた。「ウーム」と、断末魔の呻(うめ)きが低く尾をひいて、次には白刃はまっすぐ勝入に向けられていた。これだけの荒い行動のあとで、相手の息はみだれていない。玉のような汗を噴かせても、唇もぴたりと据わってみじんも揺らいでいなかった。「ほう.....」と、勝入は太刀を抜いた。笹の雪と名づけた勝入が自慢の愛刀だった。「永井伝八郎直勝と申したの」「いかにも!」「勝入ほどの者によくぞ眼の保養をさせた。このまま自害しては情にもとろう。こなたの意気に免じて、太刀を抜いたぞ」「みしるし頂戴(ちょうだい)!ご免!」「待てッ!」「な、な、なんと、おくられたか」「たわけめ、先ほどより見てあれば、こなたは太刀を粗末にせぬ男じゃ。この勝入の首級をあげたのち、この笹の雪、共に持参して差し料といたせ」「これはかたじけないこと.....」「それに、折りあって万一手蔓(てづる)もあらば、この勝入、筑前どのに済まぬと申して討たれていったと言いのこせ。それだけじゃ。来いッ」「ご免!」絵のような美しい光と緑の斑(まだら)の中で、こんども白刃は音を立てずに、はげしく虚空で左右に流れた.....**************************************************参考 山岡荘八・徳川家康第十巻/乱戦よりつづく山岡荘八的お部屋へ戻る*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2006年05月23日
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でした。僕がグラウンドに着いたときすでに始まっていて0対1で負けてました。 よっしゃぁぁぁぁっ!!私の仕事の見せ所ではないかぁぁぁぁっ!!!って「じんさーん。今1点取られて負けとんで、バシバシとってねー」 まかしときぃーーっ!!!! 30分の3本ゲーム 参加したのは2本目から。 まずは1点目ゴール前浮き球じんさんドフリー。 オーバーヘッドしよっかな?とは思ったものの横を見るとスペースに1人走っています。 出さなきゃ石が飛んできそう....涙パス出しました。号泣 でもちゃんと入れてくれたから1対1の同点。 2点目はこれまた向かってペナ外左すみ、浮きだまをじんさん胸で処理 振り向いて打ちたいけどマーカー3人ムリッス。 で一人ゴール前ヘいい感じのダッシュ。後ろ向いたままヒールでスルーパスがドンピシャッ!!!! これで2対1の2アシスト。 しかーーーし アシストではものたんないじんさん。 ぼちぼち入れたい。ソレガトップノシメイッス 1点取り返されて2対2。 ほらほらきたよきたよきたよ僕の見せ場が。 センターあたりから左ペナ外へスルーパス。 じんさんダッシュ。 ペナ外からきき足とは反対の左足でオモイッキリ れいんぼーしゅーと ゴール右すみ。あれはカーンでも取れませんからッ## みせたかったっす。 あらためて自分に惚れ直しました。(  ̄ー) オートーコダッターラー♪ ヒトツニーカーケルー♪ 結局3対2で勝利を納めさせていただきました。>< おもいっきり自慢ばなしで ごめんねぇぇぇぇーーーっ
2006年05月22日
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嫁さんに大切にしてたMY GUITAR撃破されちゃいました。号泣 最近は毎日弾いていて昨日晩「さぁ。メシの前にひいとこかぁぁ」と握り締めると音が変。ヘッドの付け根を見るとバッキンバッキンおれてるじゃ~な~い♪涙混 俺のレスポールがぁあぁあぁあっ!!! 嫁曰「そういや、掃除機かけてるときたおれたわ。わざとじゃないけぇ」 なんじゃそらッ# 大事にしてたのにぃぃぃぃ子供に壊されないように最近までしまっててもう壊されないだろうと出したらこれですかぁぁぁぁソリャァナイゼセニョールゥゥゥ 喧嘩したところでGUITARは僕のところへ帰ってきません。 ふうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。己と戦っている我慢のため息です。 がんばって稼いで新しいのを買おう。 いつになるやら。 今欲しいGUITARはコレッすゼマティス レプリカで15万くらいかな?本物は300万で布袋さん所有。カックィィィィィ><いつか手に入れるぞぉぉぉ まってろよぉぉぉ
2006年05月21日
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アスファルトに咲く花の香り革ジャンのポケットに詰め込んで暗闇にカラスと消えてゆくLONELY★WILD
2006年05月21日
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世の中は我をなんとも言わば言え我が成す事は我のみぞ知る
2006年05月21日
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いま昨日の訪問者をいろいろ見てたんですがエロエロ系ですっげぇぇインパクトのフレーズをめっけたので書いてみます。 まずぷろひーる写真がボインボインぼいんボインボインな、ねーちゃんで大学生と速攻SEX、マジッスカ!?セフレ探しの旅。イッテミタイィィィ まぁぁぁぁぁいろんなとこがありますがよく考えますよねぇぇぇぇ 「#おおぉぉぉっっ!!!!#」じんさん って思っちゃいますところがサガっすね。>< 笑けたので書いてみました。
2006年05月20日
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ちょうど3年ほどになります。忘れもしない平成15年5月31日父親が若いうちにやめていたので(タバコ)僕も30までにやめようと思っててちょうど3年前にやめちゃいました お客様でタバコをやめられた人とよく話すのですが はっきりいって タバコやめるほうが体によくないっす(ある意味)そりゃあそりゃあ体に負担かかりました。(*´Д`)=3コレデイイノカァァ・・・ 中途半端にしちゃイカンと一念発起ぴたっとやめました。 最初の3日間ほどはつねに目が回っているような ラリッた状態\|*≧Д≦|>パラリラ♪\|*≧Д≦|>パラリラ♪ (シンナー吸った上体のこと。ちなみに吸ったことないですよ。笑) 仕事中少し手が空くと気づいたらタバコを吸う場所(お店にいるので吸う場所決まってますから)にすわって口の前に指を二本( ゚Д゚)y !?コーユーカンジ? 無意識です。ワレヲナクシテイマス 1週間ほどすると禁断症状もなくなってきて普通に生活できるようになりタバコは吸いたいけどここまでやったんだからっていう気持ちが自分を支えるようになってやめることが出来ました。 たばこやめようかなぁぁぁと中途半端に思っているあなたッ(#◎Д)σアアッ いらないことは考えず心にゆとりを持って すっきり吸いましょう。|Д`)y━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛~~~~゚゚゚゚ テンモウカイカイソニシテモラサズゥゥゥ~~ 死ぬときゃ階段から落ちたって死んじゃいますから。 (僕は長生きしたいから止めました....小胆者っす....) ちなみにタバコは20歳から。15ジャネェゾッ!!! チャンチャン♪
2006年05月19日
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またまた作ってしまいました....ぼちぼち、作りたいものがなくなってきちゃいました....バンダイさん。次を早く開発してくださいな~~~♪******************************************RX-110 GABTHLEY E.F.S.F. PROTOTYPE TRANSFORMABLE MOBILE SUITガブスレイは、TVシリーズ「機動戦士Ζガンダム」および劇場版「機動戦士Ζガンダム2-恋人たち-」に登場する可変MSである。U.C.0087年9月。最大規模のジオン残党であるアクシズが地球圏に向かっていた。共闘の道を探るべく、エゥーゴはアーガマにアクシズとの接触を命じる。その途上、アーガマ隊を追うティターンズのアレキサンドリア艦隊が攻撃を仕掛けてきた。「いタッ、よくも逃げずに!!」ヤザン率いるMS部隊がアーガマと僚艦のラーディッシュに襲いかかる。迎撃のため、カミーユのΖガンダムをはじめとするすべてのMSが出撃。その隙を突いて、隕石に身を潜めていたジェリドとマウアーのガブスレイがアーガマ隊を奇襲。「終わりだな、アーガマ!!」そこにアーガマの危機を察知したΖガンダムが駆けつける。ジェリドは快哉を叫んだ。「やっぱりツキは俺のほうに傾いたな!」「まだだっ」激しく切り結ぶΖとガブスレイ。互いのビームが交錯し、その衝撃をもろに食らったジェリドのガブスレイは一瞬フリーズしてしまう。「しまった!!」カミーユのΖが容赦なくジェリドのガブスレイを撃つ。「ぬぅあああっ!!」と、そのビームの前にマウアーのガブスレイが立ちはだかる。「自分の体を盾にするのか!?」「お、おい、マウアー!?」「守って見せると言ったろ?ジェリド・・・」マウアーのガブスレイは閃光と共に四散した。「マウアーッ!!」絶叫をあげ、ジェリドはΖに突進する。「何でお前はいつもォォーッ!!!」その猛然たる気迫はカミーユを圧倒する。フェダーイン・ビームライフルスーパーガンダムのロング・ビームライフルに匹敵する威力を持つ。「フェダーイン」はアラビア語で"戦士、闘士"といった意味を持つ。MA形態時には腰部の専用ラッチにマウントされる。後部のエミッターからビーム刃を生成し、銃剣としても使用できる。ビーム・サーベル標準的な威力を持つビーム・サーベル。袖部分のアーマー内に2本ずつ、計4本収納されている。肩部メガ粒子砲広範囲の標的を狙撃可能なほか、突撃時の正面突破にも有効に機能する。また、近接戦闘時に組み付いた敵機に対してのゼロ距離射撃も可能。ガンプラルームへ入ってみる?
2006年05月18日
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ここのところ日記かいてませんでした。サボっとりました。笑ちゅうかネタ切れっす今までもたいしたねたじゃなかったっす。きょはなにかこっかな~~♪ とうとうワールドカップ近いですねぇ・・・テレビ見ててもサッカーの話題が多いです。いいことだ!!! どんどんやっとくれ。 ちなみに日程は日本時間で6/12(月) 対オーストラリア戦 22時キックオフケチョンケチョンッス6/18(日) 対クロアチア戦 22時キックオフボコボコッス6/23(金) 対ブラジル戦 早朝4時キックオフヤレヤレデス 現地にはいけません。 が 気持ちはすでに戦闘モードハイッちょりますっ!!!(なぜか山口弁) サッカーって何故こんなにおもろいんでしょう...思い起こせば”キャプテン翼”に影響うけてサッカーが好きになってはじめたのは中学から。高校、社会人ともう長いことやってるなぁぁ...ジジイになってもやってやる!!!! がんばれジーコジャパン!!!!!!心は一つだ!!!!!!
2006年05月17日
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**************************************************勝入が六坊山をはせ下って、長久手に出たときには、戦線はもはや、いずれが敵か、いずれが味方か、見通しがたい混乱の中に突き入っていた。それがいっそう彼から百戦錬磨の、身についた不敵さを奪っていたのだが、途中で出会う幾組かの敗走兵は、みなその所属を異にしていた.....まっ先に出あった足軽風の男に、「誰(た)が手の者ぞ!」と、訊(たず)ねるとその男は、「三好勢にて候(そうろう)」叫びざま、韋駄天走りに路傍の薮にかくれていった。次に出遭った、まだ若い雑兵(ぞうひょう)は、「何とて戦場を捨てて退く。引っ返せ。卑怯者め」馬上から叱咤すると、憎悪にみちた目をむけて、「われらは堀勢、遁れるのではない。進むのだわい」悪罵を投げて眼にも止まらぬ素早さで三河の方へ駆け去った。むろんこれも味方の配色に、戦場離脱を企てている半狂乱の悪罵であった。三度目に出会った壮年の雑兵は、全身に手傷をうけて槍にすがっていた。「誰が手の者ぞ!」勝入がたずねるのに、ヨロリと槍をつけて来た。もう視力があがっているらしい。「敵か、そちは.....」相手は、それに応えず、「大久保七郎右衛門が家臣、磯部(いそべ).....」名まで言い得ず、そのまま赤土の上へ倒れた。大久保七郎右衛門といえば、家康幕下(ばっか)の忠世がことに違いない。その家臣がこのあたりに来ているのでは、婿(むこ)の森武蔵守は、どうなっているのであろうか.....?(筑前に済まぬ)勝入が岩崎城などにこだわらず、そのまま三河を目指していたらもう味方は、誰もこのあたりにはいなかったであろうのに.....あたりの地形は徳川勢の得意な野戦に最適のものと見てとれたし、堀勢までが敗走兵を出しているのでは、秀次ばかりか、秀政も武蔵守も、苦戦しているのに違いない。銃声はしきりに前後で聞こえ出した。勝入自身がしだいに戦場のまっただ中に出て来ている証拠であった。ピュッと弾丸が耳元をかすめて左手の松の幹に打ちあたった。空は晴れている。そして、その空のあちこちからワーッ、ワーッと鬨の声が降って来るように聞こえるのは、勝入自身の狼狽を語るものと、自分ではっきりわかるのが、いらだたしい。そのはずだった。そのころにはすでに、戦況は、はじめの一勝一敗の均衡(きんこう)を完全に失ってしまっていたのだ。秀次勢を破った余勢をかって、堀勢に襲いかかった大須賀、榊原の二隊が、檜ヶ根で敗れて混乱しかけているところへ、家康の命によって、出撃してきた十九歳の井伊直政が、剛兵三千をひっさげ、六百挺の鉄砲の筒先をそろえて、堀勢に立ち向かってきたのである。そうなると堀勢は浮き足立ち、逆に、榊原勢と大須賀勢は、態勢挽回(たいせいばんかい)、三河者の名誉を賭けて、悪鬼のようにあばれだした.....なんといってもこの戦場での重荷は、三好秀次だった。彼が戦に不馴れだというばかりではなく、実子のない秀吉にひどく愛されている肉親の甥だということだけで、みんなの頭脳に計り知れない負担をかけていた。もし、秀吉に計算おちがあったとしたら、この点だったであろう。勝入ははじめからそのことにこだわりすぎていたし、堀秀政もまた白山林を気づかって動作を掣肘(せいちゅう)されている。彼がもし、さっさと秀次を見捨てて、森長可とともに、池田勢と合体していたら、十分徳川勢と対抗し得たに違いない。ところが、堀勢が森勢と合体したときは、堀勢が敵の猛攻を支えきれずに追われだしての合体であった。流れる水圧は支えがたい。森勢はそのために、かえって、その場へとどまる力を半減される結果になるのは当然だった。こうしてすべては家康の思う壺へと戦況は進展していった。井伊直正はまっ先に立って堀勢を追いながら森武蔵守に襲いかかり、榊原康政と大須賀康高がこれに続いた。森武蔵守が歯ぎしりして、これを迎え討ったのは言うまでもない。と、そのときになって、六坊山を降りてくる池田勢と、森武蔵守勢の中間へ、家康は旗下を引っさげて、とどめを刺しに冨士ヶ根山を下って来たのである。勝入の耳に、銃声も鬨の声も、四方八方から聞こえだしたのはこのためだった。第四の敗走兵が四人、彼の馬の前で、力尽きて倒れたときには、もう、勝入の周囲には嫡子の紀伊守元助も、次男の三左衛門輝政もいなかった。全神経を火のような逆上にかり立てる肉迫戦が、すでに彼らの皮膚にまで迫っている証拠であった。「誰が手の者ぞ!気を確かに持て」と、ここでも、勝入は、自分自身を叱るようにたずねていった。四人は主従らしかった。さして身分のある者ではない。が、主らしい二十二、三の若者は、槍傷らしく、右脇腹をしっかりと押さえて、「森勢にござりまする.....」と、虚空を見据えた。「森勢も崩れ立ったか!?傷は浅いぞ、頭を下げるなッ」しかし、その若者はそれなりガクリと首を垂れ、援けようとすがっていた五十近い小者の方があわてて、若者の体をゆすぶりながら答えた。「武蔵守さま討ち死になされてござりまする」「なに!?武蔵守が討ち死にしたと.....」「はい。敵を食いとめようとなされて、馬上で指揮中、鉄砲に眉間(みけん)を割られ.....そのまま声もなくご落馬.....」「声もなく、死.....死.....死んでいったか」「その首級、たしか、大久保七郎右衛門の家来、本多八蔵と申す者に掻き取られてござりまする」勝入は一瞬目の前が真っ暗になっていった。全身で敗戦を知ると同時に、ズキン!と足の傷が痛んだ。と、そのときに、すぐ眼の前で、ワーッと小高い丘が鳴った。**************************************************参考 山岡荘八・徳川家康第十巻/乱戦よりつづく山岡荘八的お部屋へ入ってみる*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2006年05月16日
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**************************************************「なにッ、負けたときは退くのが戦の定法だと.....」場所が場所だけに、気の立ちすぎている渡辺半蔵が、眼をむいて本多正信に食ってかかった。「貴殿はいったい、いつ戦の法を学ばれた。どこの戦で、どのような経験をしたというのだッ」と、高木主水はあとを引き取って、「いかに佐渡どの、こなた、座敷の上で算盤(そろばん)持つ姿は見かけたが、戦場で命を的の働きはしたことがござるまい。戦はのう、体を張っての駆け引きじゃ。畳の上の算用や鷹狩りとは違うのじゃぞ。差し出口はお控えなされッ」「じゃと申して」「じゃも蝮(まむし)もない。われらはこなたに話しかけているのではござらぬ。殿!」家康はいぜん微笑を唇辺にうかべて黙っている。「ご不精(ぶしょう)なさらずと、早々にお掛かりなされ。さもなくば敵は途中で引っ返し、破りがたい備えに戻って行きましょうぞ」火を噴くような眼をして家康に詰め寄った。「わかった」家康はしばらくして、はじめて、大きくうなずいた。いかにも考えぬいた結果と見せて、その実、初めからそのつもりだったのだ。「馬を曳け!前進しようぞ」「はッ」これですべては決定した。小者頭の久右衛門が、くつわを取って馬を据えると、家康は肥(ふと)った体で、ゆらりとそれにまたがり、「万千代!」と、声高に叫んだ。今は凛々しく赤母衣(あかほろ)つけた十九歳の若武者井伊兵部少輔直政は、「はッ」と、はじけるような気負った声で、馬の前へ方膝つく。「掛かるぞ。待ったであろう、いけッ」「かしこまって!」高木主水と渡辺半蔵とは、内藤四郎左衛門と本多正信をぐっと鋭く一瞥(いちべつ)し、肩をいからせて家康の先に立った。家康はそのまま色ヶ根山を下って、矢作へ出で、さらに香流川をわたって長久手の冨士ヶ根山をめざしてゆく.....そのころ.....池田勝入は六坊山にあって、首実検を終わるところであった。戦半(なか)ばの首実検ゆえ、ただあらためて首長に記すだけでもよかったのに、いちいち古式にのっとる検(しら)べ方で、さらに盃ごとまであったのだから、知らぬものの眼には、勝ち誇った勝入が得意満面の姿と見えたに違いない。が勝入は首級をしらべながら何度右足のくるぶしを踏んでみたか知れなかった。駕(かご)乗り物の用意はない。とすれば、でき得る限り負傷をかくして、陣頭を馬で進んでゆきたかった。(馬を撃たれ、足を踏み砕くとは.....)しかし、戦には勝っているのだ。不運の芽と思うては鹿島の神に相済まぬぞ.....そう思ったとき、「申し上げます!」近侍の一人が転がるように幕の入り口へ膝をついた。勝入はびくりと上体を動かして、「何じゃ、あわてくさって。いましばらくじゃ首実検」しかし近侍は勝入の発言を無視して、言葉をつづけた。「白山林にありました三好勢、敵の追撃にあって壊乱いたした由にござりまする」「なに!?」勝入もおどろいたが、かたわらにあった伊木清兵衛忠次も、片桐半右衛門も、サッといちどに頬を硬ばらせた。「総大将、孫七郎秀次さまの小姓頭、田中吉政どの、見に数創を負われて、直々注進、これへお通し申しましょうや否や」「通せ!」叩きつけるように言って、ウームと勝入は唇を噛んだ。今度は足の痛みどころではなかった。心の芯の芯までえぐり抜かれたような衝撃だった。(筑前に済まぬ!秀次を討たせては.....)そこへ幽鬼のような表情で田中吉政が、勝入の近侍にたすけられて入って来た。「吉政!」「は.....はッ」「傷は浅いぞ。たわけめ、眼を開けッ」「はッ」「秀次どのは、孫七郎どのは.....何としたぞ。生死は.....生死は.....」急(せ)ぎ込んでたずねられて吉政は、じっと宙へ視線をそらした。「早く、救援.....」「生死はッ」「相変わらず.....少しも早く.....」「家康自身か、敵は.....」そこまで聞いて勝入は舌打ちした。吉政の疲れすぎているのが分かり、聞きただしている自分に腹が立ったのだ。「吉政に手当てをして取らせ。それから.....」勝入はあわてて視線をおよがせながら、次男の三左衛門輝政の上に眼をつけると、「三左、紀伊守に申して来いッ」「はッ、兄上に.....」「困った!筑前どのに義理が立たぬ。いや、義理ではない、武士の一分が相い立たぬ」「父上!」「万一孫七郎どのに.....いや、木下利直、利匡がついているゆえ万々さようなことはあるまいが、もし万一のことあらば、こなたたちも生きて戻るなと.....そう伝えよ!」三左衛門輝政は、ふと父の混乱を哀れむ顔になったが、思い直したように、「かしこまってござりまする」すーっと立って出ていった。それを合図に一座の者は総立ちになってゆく。「馬を曳け!行く先は白山林じゃ」「はい」「何をうろたえるておるぞ。急げッ」陽はすでに頭上に近く、時々それを雲が蔽った。心に狼狽がなかったら、若葉のそよぐ、爽やかな風のささやきに眠気をもよおすような、静かな晩春の昼近く.....勝入は足の痛みを忘れて、(筑前に相い済まぬ!)同じことを胸いっぱい渦巻かせ、引き立てられるように六坊山をはせ下った。ダダダーンとまた新しく、はげしい銃声が長久手の山野を揺すった。**************************************************参考 山岡荘八・徳川家康第十巻/乱戦よりつづく山岡荘八的お部屋へ入ってみる*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2006年05月15日
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**************************************************まず白山林の秀次勢を引っ掻き回して、これを混乱に陥(おとしい)れた大須賀勢と榊原勢は、あとを水野勢に託して、すぐに堀秀政の軍勢に襲いかかった。大須賀康高と榊原康政とは、池田勝入と森武蔵守のように、やはり舅と婿の間柄であった。康高の娘が康政の妻で、両家の間はしごく親しい。それだけに士卒も顔見知りが多く、最初の戦でもいずれ劣らぬ働きぶりだったので今度も、第一陣は康高がうけたまわり、左手へ敵の注意をひきつけたところで、康政は右手を衝き、一挙にこれも混乱させる打ち合わせであった。ところが敵の姿に接すると、両将の間の取り決めはまったく無視されてしまった。「戦場の狂気」が顔見知りの両家の士卒を激しい競争意識にかり立ててしまったのだ。「大須賀の家中に負けるなッ」「そうじゃ。親類の兵におくれて、なんで殿に顔向けがなるものか」「勝てばよいのじゃ。榊原の韋駄天走りを見せてやれ」時をおいて突き入るはずの榊原勢と大須賀勢とが、香流川に近づくころには先を争う混成部隊になっていた。戦になれた堀秀政が、何でこれを見逃そう。彼は陣頭にあって斬って出ようとする部下をきびしく押さえて満を持していた。「まだ出るなッ。引き寄せるだけ引き寄せよ。よいか、そして、一度に騎馬武者を狙って鉄砲を浴びせるのだ。騎馬首ひとつ、百石じゃぞ。忘れるなッ」そうした構えを知らず、はやり立った大須賀勢と榊原勢とは、喊声(かんせい)をあげて堀勢の射程距離に入っていった。ダダーンと、堀勢の二列目あたりで銃声がわき上がった。すでに双方の先頭は、十四、五間の近さとなり、目をひきつらせ、歯を食いしばって衝突しようと身構えた寸前だった。「あっ!」「おう!」狙い撃たれて、まっ先の騎馬武者が、槍をそろえた徒歩兵の中へもんどり打って落ちてゆく.....ダダーン。ダダーン。これは、功をあせってはやりきった寄せ手の出足をみごとにくじいた。中には血気に任せて足のとまらぬ者もあったが、一人の騎馬武者が落馬するたびに、その周囲の家人や小者が、わが主人に走り寄るので、見る間に、雪崩(なだれ)はせき止められた。そして逆に、満を持していた堀勢が、槍先をそろえて寄せ手の中へ突きこんだ。そこここで、激しい戦闘が展開された。怒号と、名乗りと、逃げる者と追う者と、討たれる者と討つ者と.....そして、わずか二、三分の間に、形勢は逆転して、見る間に、あたりの大地は空隙(くうげき)を作ってゆく。「遠く追うな。引っ返せ」秀政が号令したころには、この檜ヶ根の合戦では、家康の先手は完全に敗れていた。白山林で勝って、ここで敗れて、両軍の形成は文字通り逆睹(ぎゃくと)しがたいこんとんとした乱戦になりつつあった。六坊山で首実験している勝入や、権道寺山まで出張って来ている家康はまだこの事は知らずにいよう.....いったん権道寺山に陣を進めた家康は、朝日があたりを照らしだすと、すぐまた陣を色ヶ根山に移動した。この色ヶ根山は白山林の東南にあたり、ここに陣取ると、堀秀政と池田勝入の両隊を中断できると思ったからであった。この両隊に一つになられては野戦の妙は発揮しがたい。どこまでも両隊を引き離しておいて、各個撃破を遂行したい家康だった。「申し上げまする。白山林の味方は、ついに三好勢を潰走させてござりまする」取り次いで来たのは、武よりも算用に長(た)けているため、本陣の雑用主管を命じられている本多佐渡守正信だった。家康は笑いもせずに、じっと晴れわたってゆく空を仰いだままで、「当然のことよ」と、無愛想に言った。平素もそうであったが戦場にあっては特に無愛想な家康だった。戦場心理は知りすぎるほどに知っているのだから、功に誇らせまいとしての心遣いなのに違いない。「あとの情報を早くいたせ。堀勢はまだ蹴散らせぬのか」「もはや注進のあるころかと.....では手前は外にて」正信はあたふたと駆け去った。と、間もなくまた引っ返して来て、「との!凶報にござりまする」「凶報.....戦場には勝っても負けても凶報はあるものじゃ。誰が討ち死にしてのけたぞ」「偵察におもむきました戦奉行の内藤四郎左衛門正成と高木主水清秀、血相を変えて、駆け戻ってござりまする」「通せ、これへ」「はッ、ご両所、御前へ急がれよ」その声の終わらぬうちに、内藤正成と高木清秀、それに、今度の戦では監視役を命じられている足軽大将の渡辺半蔵守綱の三人が、あたふたと入ってきた。「殿!わがお先手衆、檜ヶ根の堀勢に敗軍、これへ引き上げてまいりまする」「なに、これへ敗走して来ると.....!?」「はい。されば、敵は勝ちにおごって、およそ半数以上が、味方を追いかけておりまする。それゆえ今が絶好のとき、手薄な敵の本陣へただちに旗本全員にて襲いかからば勝利必定かと存じまする」三人二様の報告と進言に、家康はニヤニヤと笑いだした。勝てば沈黙、負くれば笑う.....むろん家康とて心の動揺はまぬかれなかったであろうが、そのままわが感情を部下に読ませることはなかった。「申し上げます」と、本多正信が顔色変えて双方の間に割って入った。「それがしは内藤どのに同意いたしまする。渡辺、高木のご両所は、何とてそのような途方もないことを申し上ぐるのじゃ。負けたときには退くのが戦、無理は大怪我のもとでござるぞッ」**************************************************参考 山岡荘八・徳川家康第十巻/乱戦よりつづく山岡荘八的お部屋へ入ってみる*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2006年05月14日
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今日は日本代表戦があるではないですか!?今思い出しました。全国的に雨だから現地も雨かな?日本人は細かくダイレでまわすサッカーだからこの雨はいまいちかなぁ....相手のスコットランド。イギリス系だからフィジカルなサッカーするのかな?よく知りません。 まぁこの間はブサイクなゲームをしていたから今日は何かしらいいものが見れるような気がします。応援しちゃうよぉぉ~~。今晩は何もないから~~。 ジーコ監督ぅぅ俺を呼んでケレ~~!!
2006年05月13日
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**************************************************一度恐怖を覚えると、歯痒いほどに全身が震えてゆく。ワーッ、ワーッと、人声だけは耳に入るが、それが、どの方角から近づくのか、どの方角へ動いているのか皆目(かいもく)見当はつかなかった。そうなると、気負った下知(げじ)の声も出ず、叔父の荒小姓、加藤虎之助清正が、戦いのはじめには相手の顔も見えねば人数も分からぬもの、ただ遮二無二相手にぶつかるだけだと語っていたのが思い出された。が、その遮二無二ぶつかる相手が、いったいどこにいるのかそれすら分からない。「推参(すいさん)ッ!」と。一人の味方が、秀次を守護していた輪の中から脱兎(だつと)のように前方めざして駆け出していった。そのことで、(敵は近い!)と、本能的に思い、いきなりすらりと刀を抜くと、「太刀を.....太刀を納められませ。今、馬を.....」行く手へ立ちはだかって籠手(こて)を叩いたのは田中吉政だった。「おん大将と雑兵とは違いまする。太刀を納めて、早く馬へ!」そのころになって、はじめて秀次は、あたりが見え出した。しらしらと夜は明けはなれているのに、それまでの彼の眼は、眼の機能を失って映ずるものの識別が出来なかったのだ。前方十二、三間の木立の間で、「三好孫七郎の御内、白井備後!」こう名乗った秀次の旗本に、敵の一騎が乗りかけるようにして突きかかって来るのが目に入った。(あ、さっき、ここから駆け出して行ったのは備後であったか.....)ちらりとそれを思ったとき、敵は槍を頭上にかざすような構えで、「水野惣兵衛が家中、米沢梅干助!」猛々しく吠え立ててパッと備後とぶつかり合った。とたんに、「ウーム」と断末魔のうめきをあげて、一人が馬から落ちてゆき、狂奔した馬はそのまま、右手へ矢のように逸走していった。(備後が討たれた。これは容易ならぬ戦になったぞ!)「孫七郎君!いざ馬へ!」再び急きたてられて、秀次は、小姓頭の田中吉政から手綱を受け取り、夢中で馬に乗っていた。馬に乗ると不思議に恐怖はなくなった。「吉政!」「はいッ」「敵は.....敵は、誰ぞッ」「徳川の旗本衆にござりまする」「苦戦と見える。早く!早く、堀秀政と池田勝入に急を告げよ」「かしこまってござりまする。君にはひとまず.....」この場を退けと言ったのであろうが、その言葉に重なって、もうひとつの怒号が秀次の聴覚を占めていった。「孫七朗どのを討たすな。退れッ。急いで退れッ」その声が木下利直の声と分かったとき、すでに一人が、秀次のくつわに飛びついて、林の中を駆け出していた。「遁ぐるなッ。馬を止めよ。引っ返せ!卑怯者めがッ!」秀次は鞍壺(くらつぼ)を揺すってわめきながら、自分が何を言い、何をしようとしているのか、少しも分かっていなかった。ダダダーンと、また銃声が足もとでとどろいた。一度火蓋(ひぶた)が切られると、どの一部隊がどこでどのような戦をしているのか、味方同士にも分かるはずはなかった。白山林攻めの水野宗兵衛忠重の部隊では、眼を血走らせ進みながらいま、忠重がその子の藤十郎勝成を口汚く叱りつけていた。「藤十郎、そのざまは何事じゃ。もはやここは三好勢がまっ只中ぞ」夜が明けて気がつくと、倅の藤十郎勝成は由緒(ゆいしょ)あるいぬめの兜を背負ったままで進んでいる。父の忠重は、若い勝成が、狼狽して兜をかぶるのを忘れていると思ったのだ。「なに、そのざまとは.....?」「兜じゃ、そのわ方兜を何のために持っているぞ。かかるとき、着くべきに、何として着けざる。たわけ物め。着けぬ兜ならば、そのいぬめ、糞桶(くそおけ)にでもしてしまえ!」戦のときの言葉には、節度も飾りもなかった。愛情も憎悪も怒りも同じ悪口になる。「なに、糞桶に.....!?」「そうじゃ。戦場に来て、兜を忘れるようなうつけが、ものの役に立つと思うか」藤十郎は歯ぎしりして忠重をふり返った。「父上!」「文句があるかッ」「目玉をどこにつけてござる。この藤十郎勝成は、昨日より目を患うているゆえわざと兜は着けぬのじゃ。それを見落とされるようでは、父上の目もあがったわ。ご免!」「待てッ!先駆けは法度じゃぞ。まてッ」「待たぬ!目のあがった父など当てにしていて、遅れをとってなるものか。この藤十郎、兜を糞桶にする男かどうか、一番首をあげたうえで改めて見参つかまつる。ご免ッ!」そう叫ぶと、そのまま馬を煽って、矢のように本陣へ突きすすんだ。一方.....岩崎の北方、金萩原に休息していた堀秀政は、池田勝入から、岩崎城を攻め取るという知らせを受け取ると間もなく、白山林の方向に銃声を聞いたので、とっさに事態を悟っていった。「誰ぞある。すぐに斥侯(ものみ)を!」戦になれている秀政は、ただちに陣を、檜ヶ根方面に移動しながら、全軍に思い切った下知を下した。「.....東軍が追随してきて、白山林の味方に仕掛けて来たのに違いない。陣地を香流川の手前に移し、そこで敵の来るのを待て。一歩も退くことはならぬぞ。その代わり、馬上の敵一人を射落としたものには百石ずつの加増を取らす。競えやものども」堀秀政の立場は、戦に馴れぬ秀次を巧みに援(たす)け、時に脱線したがる池田勝入の短を補うところにあった。それだけに、彼はあらゆる場合について慎重に思案を重ねていたのである。部隊は無事に香流川の手前へ移せた。と、そこへ、最初の斥侯が、途中で出会った秀次の小姓頭、田中吉政を伴って、白山林の敗色を告げてきた。「なに、味方に不利と言われるか。よし、その旨ただちに、森どのへ!」こうして、急は森長可のもとへ告げられ、さらに池田勝入のもとへも飛んで長久手一帯は爽味(そうまい)な朝の日の中で、見る間にはげしい血闘場に変わっていった。**************************************************参考 山岡荘八・徳川家康第十巻/乱戦よりつづく山岡荘八的お部屋へ戻る*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2006年05月13日
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あたんないですね。 天気予報見て、木曜日晩、雨っぽいから火曜日の晩行っておこう....とか日曜日の晩も降りそうだから金曜の晩行っておこう....とか判断してるから、ここのところ予報がぜんぜん当たっていないので2日おきに球蹴りしている状態です。バリバリッスヨン 出来ないよりはよっぽど嬉スィ~のですが最近は筋肉痛にならなくなりました。はっきり言ってやりすぎっす。 一週間くらい間を空けて休んだ方がイイナァとは思っていますが、サイキンカラダガキツイやめられないとまらない♪ダゼ!!運動を続けるというのはいいことだ!! ッと開き直っているじんさんですが体壊さない程度にしとかないといけませんねぇ....筋肉痛はなくってもあっちこっちが悲鳴あげています。ヒェ~~~~~ッテ 皆さんは何か 続けていることはありますか?あるんなら#断じて#続けていきましょ~ね~~ブログモッスヨン♪ 私はチカラだ!強い強いチカラの結晶だ!あらゆるもの全てに打ち勝つ!強い!強い!チカラの結晶だ!なかむらてんぷう さて、は、何個出て来たでしょう?junkieでした。
2006年05月12日
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其の壱-モビルスーツ形態-其の弐頭部のアンテナ、カメラカバーが閉じる。其の参頭部は本体内部に下がって両腕が縮む。さらに胸部パーツが上がり、両足はさらに展開し足先端は閉じる。足すね部分は逆関節で曲がり、太ももの後方へと移動する。其の四脚部は背部パーツに重なり、シールドが腕とともに移動する。胴体は閉じる。両腕はサイドカバーごと、90度移動して前に回りこみ、足の移動で出来たスペースにはまる。其の五シールドがセンターへ移動しながら前進し、正位置に来る。ロングテール・スタビライザーはスイングし、背部のフライングアーマーは、両側から回り込んで、ボディを保護する形になる。其の六シールドと機体は、この段階ではまだ密着していないが、フライングアーマーはサイド位置で180度回転。スタビライザーはフルダウンの状態となる。フェアリングは関節のジョイント部にあって、足の変形によって出てくる。其の七シールドが機体とロックしてフライングアーマーを固定。腰のサイドアーマーが180度回転し前方を向く。ノズルが出てウェイブライダー完成。 ガンプラルームへ入って見る?
2006年05月11日
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ここんとこ書いてなかったのですが、"小牧の戦"と来たら"長久手の戦"となるんですが文章長くて、ずーっと辟易してました。一念発起。ε=ε=ε=ヾ(´▽`*)ノ☆ガンバッテカクゼヨォォ☆ヾ(*´▽`)ノ=з=з=з書くことにします。好きなんで。へへへ**************************************************家康は、小幡城にあって、八日の夜半に斥候(ものみ)を出して敵情をさぐらせた。そのころはまだ細い雨が止んでは降り、降っては止んでいた。地上はかすかに道が光って見える程度で、具足のままでのぞく城の窓からは、若葉の匂いが汗ばんで感じられた。斥候を命じられたのは本多豊後守広孝で、広孝は二十余人の部下に七、八人の村人を交え、それを四班に分けて矢田川の川筋を仔細(しさい)にさぐらせた。そして、それらの報告を取りまとめて小幡城に引き返してきたのは丑満(うしみつ)どきであった。家康はその広孝の口から、池田勝入と森武蔵守が夜を徹して三河を目指していることを聞くと、「岩崎城をそのままにして行くらしいの」誰にともなくつぶやいて吐息をした。「して堀秀政の軍勢は、池田勢に続いているのか」「いいや、少し遅れておりますが、あるいは秀政、われらの進出を感づいているかもしれませぬ」「ふーむ。それで三好秀次は?」「これは川を渡って猪子石(いのこいし)の白山林まで来て、ここに宿陣いたしておりまする」「そうか。それはよい!」家康は、緊張しきって控えている旗本を見返って、「では、出掛けようか」と、はじめて笑った。最後尾の秀次勢の位置がハッキリすれば、すぐに行動に移ることになっていたのだ。先手の将は大須賀康高、続いて榊原康政、岡部長盛、水野忠重父子の順で、ここでも丹羽氏次ぐが道案内役であった。目指す猪子石は、小幡の南方約二十七、八丁。そこまで隠密に進出して、夜の明けるのを待ち、一挙に白山林の秀次勢へ襲い掛かるつもりであった。秀次勢八千が、どのような構えでこれを迎えるか。堀秀政や、池田勝入が、この奇襲を知って、どのような反撃に出てくるか?それらに対してはすべて臨機応変、得意な野戦で各個撃破を展開してゆくよりほかにない。城を出ると、家康は信雄とともに、大森、印場とすぎて矢田川を渡り、直接猪子石の白山林に立ち向かう先手の諸隊と分かれて、本地村南方、権道寺(ごんどうじ)山にのぼっていった。ここに本陣を置いて、まず夜明けを待とうというのであった。夜が明けると堀秀政勢の位置がハッキリする。それを確かめてから、次の行動を起こす気なのだ。権道寺山に登りついたころははや空が白みかけていた。池田勝入が、岩崎城を攻めようか?それとも捨て置いて進撃しようかと考えているころであった。「夜が明けたらの、何よりも先に堀勢の位置を確かめ、これにはこれで、別に攻撃をかけねばならぬ。内藤四郎左と、高木主水(もんど)は、その用意を」家康が命じているときに、ワーッとどこかで鬨(とき)の声があがった。「はて、白山林であろうか。それとも街道筋であろうか」(街道筋ならば、勝入が城攻めに違いないが.....)家康は耳を澄ましてまばたきもしなかった。おそらく池田勢が岩崎の城攻めを決心したころに違いない。十九歳の三好孫七郎秀次は、白山林の幔幕のうちで、うとうとまどろんでいた。戦の経験はさしてない。が、叔父秀吉からも、父武蔵からも絶えずきびしく武将の道は説かれている。それだけに秀次もまたここで池田兄弟や、森長可と武勇を競う気であったが、しかし、周囲は彼を労(いた)わりすぎるきらいがあった。それに総帥として最後尾にあるというのが、彼にはいささか物足りなかった。敵は常に前方にあると思い込んでいるせいであろう。「.....このあたりから張り切ることはない。しばらく休んで明朝しっかり腹ごしらえして行くことじゃ」秀次は、十分先の苦労に備えるつもりで、付き人の木下利直や利匡(としただ)と計ってここに兵をとどめたのだった。利直や利匡、それに小姓頭の田中吉政などは、秀次を労わる気があるので、自分たちだけ先に陣中を廻って、炊飯の用意にかからせていた。「一刻を争う進軍だぞ。やがておん大将から命が下ろうほどに、今のうちに朝の炊(かし)ぎすましておけ」そう言われて、兵はそれぞれ林の中でその用意にかかっていた。むろん秀次とて、自分では眠る気はなかった。兵を休ませて明日に備える名称のつもりであった。それがうとうとと夢路に入っているとき、ワーッと時ならぬ奇襲の声を聞いたのである。「吉政!今の声は.....」跳ね起きざま、秀次は槍を取って幔幕の外へ走り出た。まだ夜は明けきっていなかったが、そこここに焚き火と、度を失った人の姿が眼に入った。「何事じゃ。いさかいか。軍規をみだると許さぬぞ」と、そのとき、ころがるように彼の足もとへ駆け寄ってきたのは木下利匡だった。「孫七郎君、敵でござりまする」「な.....な.....なんと!?」「徳川勢の朝駆けにござりまする。日ごろのご鍛錬をいかすは今。落ち着きなされて.....」そう言った利匡の方が、秀次の眼にもおかしいほどに狼狽している。「あわてるな!」と、秀次は叱りつけた。「つねづね申しつけてあること、一人もあまさず討ち取って、叔父上の名を辱しめるなッ」言葉で言えば簡単だった。秀次はいきなり槍を取って、行く手も見定めずに駆け出そうとする。白糸おどしの具足に同じ白の袖無し羽織をつけた姿で徒歩(かち)なのだ。利匡は飛びつくようにして抱きとめた。「なりませぬ。おん大将でござりまするぞ孫七郎君は」「おう、大将ゆえまっ先に出て行くのじゃ」「なりませぬ。そのお姿ではすぐに鉄砲の.....」そこまで言ったときに、ドドドーッと、二、三十挺の銃声が左手にとどろいた。「あ.....」怖さを知らぬのも、戦になれぬ若さから。この銃声で、無理に地べたへ押し倒されると、はじめて秀次はゾーッと全身に悪寒(おかん)が走った。本能的に生命の危険を感じとったのだ。**************************************************参考 山岡荘八・徳川家康第十巻/乱戦よりつづく山岡荘八的お部屋へ戻る*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2006年05月10日
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フリーページが、だいぶたまってきてごちゃごちゃとしていたから、トップページにまとめて、見たい項目だけにジャンプできるようにしました。左ッ側のごちゃごちゃが無くなっただけでもすっきりしました。また、興味のある方は日記以外も除いて覗いてくださいね。
2006年05月09日
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昨日は、お仕事のあと”蹴鞠団”さんのナイターゲームに参加させていただきました。”蹴鞠団”のみなさん。いつも仲間に入れていただいて アリガトウゴザイます。タノシュウゴザイマス。 僕と同年代の人ばっかですごい大人な人たちばかり。 はっきり言っていい人たちばかりです。 いままでいろ~~~んなチームでさすらってきた僕ですがだいたいどこのチームも最初はつっけんどんで練習参加はさせてくれる(頭数確保のため)のですがなかなかチームの輪の中にはいれません。ホントイゴコチワリイッスちょっと技術が高いだけの人なんかはたいした技術でもないのに天下でもとったような言い方する人が多いです。マコトニ 大体僕の経験上新しく練習参加させていただいて溶け込めるようになるには2年は通い続けないとナカナカ相手にしてくれません。(僕の人間性にも問題がアルカナ?) しかし”蹴鞠団”さん。大人です。ウマが合うからかな?社会人としてしっかりした人が多いです。平均年齢が高いとも言います。ボクヲフクメテ。フフフ 具体的な話はないけど、参加1ヶ月ほどで一緒にやってて楽しい(お互いのサッカーが理解しやすい)です。ナカナカこんなチームはありません。 現在僕が参加しているチームで技術的にはいちばん劣っていますが(でも、みなさんいいもの持ってます) いごこちかなりイイです。セイセイセイ きのうは何もお仕事できませんでしたが....僕の中では”メインのチーム”でやってイコウカナという心がふつふつとわいています。っていうか、すでにメインです。笑 平日休みで現役・リーグ参加できない私ですがこれからは少しでも”蹴鞠団”さんに恩返ししたいと思っています。 お仕事しますよ~~~ッ!!! ちなみに現在、週に4つの練習に各個で参加してます。
2006年05月08日
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今日は朝からずーっとそれで格闘していました。最近、わたしのお気に入りのお部屋”あみゆいパパさん”とこからダウンロードさせていただいたものでいろいろいじって遊んでマシタ。 おもろいっすよぉぉ。うまく使ったらアニメーションっぽくもできそう。ヨッシャァァでも、容量の計算がちとメンドイですが...朝から2時間でここまで出来るようになりましたよ。エヘンエヘン。よかったら使ってみてくださいな。 あみゆいパパさん、ありがとうございましたぁぁぁ。オカゲサマデカタデカゼガナッチョリマスゥゥ 日本の未来は明るいぜよっ!!言ってみただけです。
2006年05月07日
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テレビでやっていたのですが”娘がお父さんにヤンキーを連れてきたら?”ってドッキリっぽい感じでやってた番組を見てたのですが娘がお父さんに始めて彼氏を家に連れてくるという想定で何人かのお父さんの反応を検証するって内容。そのヤンキーってのがすっごいオモロイヤツでした。もろ、チーマー系のガングロ・でっけぇピアスの兄ちゃんが「てか、娘さん俺にください」とか「マジでぇ、お父さんとならサプライズできそうだし~」とか「コイツ(お父さんの娘)のためなら命かけられるし~」とか「ブクロで40人位の頭はってて~」とかなどなど。 仕事はしてないは貧乏ゆすりはするわお茶の催促するわお父さんのことをオヤジ呼ばわりするわタメ語トークするわもう最高に面白い少年でした。(自称25歳)嫁さんと2人で見てて大笑いモンでした。で嫁さんがお約束で「あんなの愛ちゃんが連れてきたらどうする?」と、ぼく「即座に締め出すッ!!!#」そしてゆっくり娘の言い分を聞いてあげます。 ってそのときにならないと分かりませんけどね。やっぱり初対面の大人たい大人の礼儀ってありますから その礼儀も知らんような人間に「付き合ってみないとその人となりは分からない」ってことはありえませんから。 私は接客業なのでそれこそいろ~~~~~~~~んな方をたくさん対応してきました。(一般ピープルからヤクザ屋さん、善人から犯罪者までいろいろ)総じて人間というのはまずは礼儀からです。きおつけましょうね。
2006年05月06日
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<賢者の嘆き>バベルの塔に 悪魔がいる静かな顔を 被って夢にはぐれた 迷い子の群れ奴隷の様に 従えて凍えると 森を燃やし憎しみは 河を汚す<考古学者の予言>テレビを伝い 悪魔が来るソファーの隅に 居座り暗いニュースで 麻痺した夜に愛を盗んで 去ってゆく父親は 過去を閉ざし若者は明日を殺す<タイムマシンの懺悔>自滅回路 作動した惑星あざ笑う 声が響く<悪魔の囁き>Where’s my sugar? <天使の警告>悪魔の大好物は甘く柔らかいハート 襲われて今日も増える 狂った天使<詩人の告白>鏡の中に 悪魔がいる俺とよく似た 顔をして神に祈りを 捧げた朝に絨毯の蟻 踏みつぶす傾いた 窓の外は押し寄せる 砂漠の波<滅びた楽園の歌>今も此処にいる 精霊の嘆く声 かき消して<悪魔の囁き>Where’s my sugar? ************************** 布袋さんG2より
2006年05月06日
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なんだか最近毎週製作しています....興味のない方はそ~り~。************************************************NRX-044 ASSHIMAR E.F.F PROTOTYPE TRANSFORMABLE MOBILE SUIT"アッシマー"は、大気圏内において単機で飛行能力を持つ初めての機体として開発されたTMA(可変・モビルアーマー)である。この機体の開発はNT(ニュータイプ)研究所のひとつ"オークランド研究所"で進められており、上半身を円盤状に変形させることで空力特性を変えてリフティングボディとし、脚部を変形させた強力な推進装置によって戦闘機に匹敵する機動性を獲得している。各可動箇所にはマグネットコーティングが施されており、変形に要する時間は僅か0.5秒である。この機能によって、高高度進出から落下、降下中にMS形態で白兵戦を繰り広げ、再びMA形態となって離脱するといった戦術を展開することが可能となった。ド・ダイなどのS.F.S(サブフライトシステム)の補助を必要とせず、これだけ立体的な戦闘が単機で可能な機動兵器は、文字通り空前絶後であったといえる。独自の形状もあって対弾性も高く、生産性も優れていたことから後に少数量産され、航空戦力の代替やMSの増備も兼ねて連邦地上軍の各基地に配備された。グリプス抗争時には試作機がエゥーゴ部隊の追撃戦に投入され、戦争後期にはダカール攻防戦などに投入されているほか、その高高度進出能力を活かし、遭難した民間シャトルの救助活動(「プロスペロー号撃墜事件」と呼ばれる)に動員された機体もあった。頭部ユニットアッシマーの頭部には、MSとして必要なモノアイをはじめとする各種装備に加え、高速飛行時の航空管制用レーダーやセンサーが実装されている。アンテナはマルチプルロッド/ブレードアンテナとしての機能のほか、差圧センサーとしての機能も持っている。バックパック両形態時にそれぞれ有効なスラスターパックとして機能する。MS時の背部メインスラスターに相当する2基のバーニアは、双方で26,000kgの推力を持つが、MA形態時には使用されない。脚部ユニットアッシマー脚部の大腿部先端は、熱核ジェット用のインテークであり、MS形態時は基本的にシャッターで閉塞されている。ただし、上半身がMA形態のままでも脚部展開は可能であり、歩行や下腿部側面のスラスターを使ってホバリングも可能である。ビームライフルアッシマー専用に開発されたもので、最大で2.6Mwの出力を持つ。航空機的な運用とMSとしての運用の双方に対応した出力調製が可能であり、形状も空力特性に配慮されたものである。変形システム基本的には既存の技術のみで作られているが、複数のディスクを組み合わせたようなドラム上の基礎フレーム構造は独自に開発されたものであり、アッシマーの変形の要とも言える技術であった。トップページへ戻る
2006年05月05日
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昨日はお休みを取ったのですが子供たちとはお買い物(ガンプラ)にいっただけでどこにも行きませんいけませんでした。 いつも倉敷のイーオンまで買いに行くのですがGWだからでしょう倉敷チボリ公園行きの車でめちゃめちゃ渋滞でした。どこいってもこんな感じでこんでんでしょうね。 常人がお休みの日に久しぶりにお休みを頂くと人が多くてヤになります。 帰りにビデオ(やっぱりガンダム)を借りてきてずーっと見せてました。 さすがに夕方ごろになると飽きたらしく僕も休養十分なので近所で例のごとく、サッカーしました。 いつもと変わらない休日でした。チャンチャン♪
2006年05月04日
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四十九年一睡夢 一期栄華一杯酒 てるとら入道
2006年05月03日
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今の時期世間様では”ごーるでんうぃーく”なるものを満喫する時期らしいです。わたしゃ小売業なので関係ございません。 今年は旅行者が多いとかなんぞのニュースでやっましたが実際、お客様に聞いても海外旅行に行く方は多いようですね。イイナァ ということで今年は落ち着いた連休になりそうですね。はぁぁぁぁ.... さっき、ちゃちゃさんとこにも書き込んできたんですが自分が連休取れないのはもう慣れているのでなんともないのですが(逆に、ふいに連休取ると休日の過ごし方がわかんない)子供が大きくなってきたのでどっか連れて行ってあげたいなぁ。 自分が小さいころはこどもの日にはよく近所の”砂川公園”ってとこに家族でバーベキューに出かけたなぁ... ふーむ今年の夏休みは無理やりお店休んでどっかつれていってやろっかなぁ...
2006年05月02日
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とうとう近づいてきました....6月がもう来月っす。 あれから4年早いもんだ。僕らサッカーjunkieにはたまらないイベント ワールドカップ じゃ~まに~~♪ 残念ながら私はジーコ監督には呼ばれてはいないですが心は一つです。応援するぞぉぉっ 日本人に生まれてヨカッタヽ(≧Д≦)ノヌーン 優勝するといいなぁ...
2006年05月01日
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