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柏餅、皆さん召し上がっているでしょうか。柏餅の香、好む声が多くありました。とはいえ、葉は食べませんね。器ですから。葉を食べる挑戦をされたとのコメント、ちょっと驚きました。桜餅の葉でさえ、しぶしぶ食べる私ですから。連休の関係で、コメントが遅れましてすみません。ご訪問も滞ってしまいました。皆さん、連休はいかがおすごしでしょうか。晴天にも恵まれています。素敵な休日になりますように。【日記】 葉に 願いをこめて -柏餅-
2009.04.30
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柏餅は、なぜ葉に包まれているのでしょう。桜餅に続き、今日は柏餅の話です。旧暦5月に新芽が出るかしわ(柏)。柏は新芽が出るまで、古い葉は落ちません。そこに人々は、家の連続の願いを込めました。また神社で打つかしわで(柏手)。これは、柏が神の宿る神聖な木であることからきています。家の存続、神への畏敬から、拍で餅が包まれました。そして、柏には食器の役割もあります。柏を神事で食器に使うことは良くあることです。塩で味付けされ、食べることが前提の桜餅に対して、食器としての柏餅の葉が食べられることはありません。柏餅の葉に、願いをこめて。あの柏餅の白さは、人々の願いの純粋さに思えるのです。
2009.04.28
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皆さんからの情報をまとめてみましょう。鳥居は聖域の境。異界への出入り口。不浄なものを落とす場所。たしかに鳥居を通ると、気持ちが変わりますね。鳥居の中央は神の通り道で、人は端を通るのが作法というのは存じませんでした。また上に鳥の付いた木が発掘されていることも初耳で、また調べてみます。鳥居は地震に強く、屋根をつけたものは更に耐久性を上げているのでしょう。神に守られて強いということも、あえて否定はしません。鳥居と地蔵は進行の基本かもしれません。名前に鳥居さんがあるのも、何かの関連がありそうですね。今回は私の日記の情報が少なく、皆さんに助けて頂きました。情報を入手する場としての日記も、時には良いかもしれませんね。それでは連休中の稼働日。皆さん、お休みに向けてお仕事の整理を。【日記】 ながく あり続けるもの -鳥居-
2009.04.27
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単純な形をした鳥居。鳥居の起源はよく分かりませんが、やはり門の形に意味があるのかもしれません。アッサム地方には、鳥居と同じ形の門が村の入り口にあります。しかし鳥の止まり木とする説や、各国の名誉記念のための門とする説もあります。起源はともかく、鳥居が聖域を区切る門として立てられているのはたしかです。鳥居の形もよく見ると様々です。特に一番上の横木、つまり笠木は様々な形をしています。角木を使っていたり、丸太を使ったり、屋根がついたり。材質も木に限らず変化しています。街中では、壁などに鳥居が描かれていることがあります。立小便禁止で鳥居を描くことはありますが、これは神罰を意識させるため。その他にも、何のためか分からない鳥居を見かけることもあり、しばしば悩む私です。魔除けの意味があるのかもしれません。日本中、あるいは世界中に似た形で見られる鳥居。これからも消えることはないでしょう。単純なものほど、長く存在する。鳥居を見ていると、しっかりした基本の強さを実感するのです。
2009.04.26
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嫉妬。怖い思い込み。トルストイ自身の独断的な性格も、状況をさらに悪化させたのでしょう。たしかに死を選ぶのは行き過ぎです。コメントにもありました、処世術が必要なのでしょう。互いに見つめ合うより、同じ目線で同じ方向を見つめあうことが大切。なるほど素敵なコメントだと思いました。嫉妬を意識することもない、ごくあたりまえの関係になれば素敵です。昨日は帰宅が遅くなり、ご訪問できませんでした。歓迎会の時期で。すみません。本日は、少なくともコメントくださっていた楽天ブログのかたには、ご訪問いたしますので、よろしくお願いします。【日記1】 哀しい こころのまよい -トルストイ-【日記2】 愛に狂うあまり -すずめの子殺し-
2009.04.25
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ロシアの作家、レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ。「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」などが有名です。しかし、彼と16歳年下の妻ソフィアとの不和は有名です。貧しい人に物品を与えてしまうトルストイと、人並みの家庭を守りたいソフィア。生活観の違いが、ふたりの口論のもとでした。トルストイの作品の出版を助ける女性に、チェルトコフがいました。そのチェルトコフとトルストイの関係を、ソフィアは疑い始めます。疑惑と嫉妬に半狂乱になるソフィア。あまりの監視に耐えられなくなり、トルストイは家出します。そして悲劇は起こります。捨てられたと感じたソフィアは、失望のあまり池に身を投じます。ソフィアの死に、呆然とするトルストイ。あてもなく電車でさまよい、アスターポボ駅で肺炎による高熱で倒れます。懸命の手当てにも関わらず、家出から9日後、彼は亡くなりました。嫉妬。すべてをうしなう、あまりに哀しいこころのまよい。悔やみきれない、いまも想う、取り戻せないあやまち。
2009.04.23
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情報は次々と更新されますね。ネットで情報は入手しやすくなりましたが、信憑性の確認などはより難しくなっています。情報に振り回されないようにしたいですね。たしかにヒラメの様な祖先でした。名前の「凧」の文字には気がついていませんでしたが。古代に行きたいという声もありましたが、古代の海は何がいるか怖いですね。* **さて、今日は少し前に頂いたプレゼントのご紹介。CATMOONさんから、猫のあっくんの誕生日祝いとして、プレゼントを頂きました。チロルチョコは、あっくん(アルジェントくん)です。DECOチョコでは、オリジナルのデザインも可能なのですね。ありがとうございました。***古代からの時間の流れは、悠久の時の流れにも感じます。しかしそれも、わずかな時。宇宙の、ビッグバンの、一瞬の爆発。宇宙が爆発し、飛散するまでの一瞬の時間。私たちの一生は、さらにその刹那にすぎません。その短い時の流れの中で、皆さんとの思い出を刻むことができ、とても嬉しく思います。これからも、みなさん、よろしくお願いします。【日記】 情報の更新を -人類の祖先-
2009.04.22
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次々と判明する事実があります。以前、カンブリア紀の生物の話を書きました。その時、ピカイアという生物が、人類の祖先と書きました。たしかにそう考えられた時期もありましたが、今では否定されていますので訂正します。かつてはカンブリア紀の生物の情報は、カナダのバージェス頁岩からしか得られませんでした。しかし今日では、中国の澄江(チェンジャン)から多くの新発見がされています。そしてカンブリア紀に、ミロクンミンギアやハイコウチクスという、魚類に似た脊椎動物がいたことが判明しました。ピカイアは正確には、脊椎動物ではありません。体の中心に脊索という、柔らかい棒状の組織があります。今日のナメクジウオなどの祖先になります。ミロクンミンギアなどは、脊椎を持ち、人類などの脊椎動物の祖先に当たることが分かりました。そのため、今日では、ピカイアが脊椎動物の祖先とは言われなくなりました。情報は常に進歩します。私も情報の更新が遅れていました。常に情報の更新は怠れませんね。下記の本は、カンブリア紀の生物が丁寧にイラスト付きで解説されていますので、ご興味のあるかたにはお勧めします。【参考】 宇佐見義之,「カンブリア爆発の謎」,技術評論社,223P【川崎悟司さんのH.P.】 ミロクンミンギア【過去の日記】 カンブリア紀の生物 ―古世界の住人―
2009.04.21
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昆虫の習性も意味があります。ご質問の「ムシケラ」は、「ムシ」+「ケラ」ではないそうです。大言海に、「蒸気(ムシケ)ラの義でラは添えた語」とあるとのこと。雪の上を歩く虫。なぜか昆虫にも、祖先から受け継がれた習性があります。半年何も食べないのは辛いでしょうが、それも習性。ご指摘のとおり、冬眠なども受け継いだ習性ですね。まさに「生命のバトン」です。ムシの行動には意味があり、ヒトは無意味と思われる争いもします。生物としては、長すぎる寿命を持て余しているのかもしれません。生物本来の生き方から、ヒトが外れてしまっているのはたしかでしょう。昆虫の短い一生のありかた。そこから学ぶことは、少なくはありません。【日記】 迷い続ける ―セッケイカワゲラ―
2009.04.20
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春、そして高山では夏。雪上を歩く昆虫、セッケイカワゲラがいます。12月ごろ、雌雄のペアのセッケイカワゲラが、川に沿って歩きます。冷たい雪の上をひたすらに。2月末ごろには、雄は死んでしまい、それでも雌だけは、まだ歩きます。3月半ばには、雌は沢に下りてきて、水中に卵を産みます。卵を産むために、彼女らは歩きます。水中の卵が流されても良い様に、少しでも上流に産卵します。そのために、セッケイカワゲラは、上流に向かって、雪上をひたすらに歩きます。幼虫の育ち方も不思議。4月には幼虫は孵化しますが、その後、何も食べません。そして11月、ようやく落ちて腐り始めた木の葉を食べ始めます。なぜ、6ヶ月以上、何も食べないのでしょうか。幼虫も、夏は外敵が多く危険です。また葉より、発酵した落ち葉が栄養に富んでいます。夏は何も食べず、敵に見つかりにくい小さな姿のまま。そして秋の栄養のある落ち葉を食べて、急速に大きくなります。セッケイカワゲラが雪の上を歩くのも、幼虫が何も食べないのも理由があります。昆虫の行動には、理由があります。寿命の短い昆虫は、無駄に雪の上を歩きはしません。雪の上を歩くことを定められた、彼ら彼女らの一生。一心不乱に歩く時、雪の冷たさも気になりません。むしろヒトは迷い続け、雪の冷たさに躊躇します。わたしたちは、カワゲラほどの信念も、持ち合わせてはいないのです。【ウィキペディア】 セッケイカワゲラ【参考】 日高敏隆,「帰ってきたファーブル」,人文書院,1993年,194P
2009.04.19
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「ハラノムシ」大変に遅くなりましたが、コメントのお返事です。数日、遠方にいたために、日記更新などができませんでした。ムシにまつわる慣用句を、皆さんも思いだされたようです。皆さん、体内にムシがいることに反対するより、むしろ納得されているご様子。わたしもそのひとりです。面白いお話はたくさんありましたが、特に1件、ご紹介します。レオ0503さんから、九州国立博物館の針聞書の展示のご紹介がありました。展示は明日までですが、驚いたのはミュージアムショップ。針聞書に登場するムシが、フィギュアやピンバッチで販売されています。さらには、針聞書Tシャツまで。欲しい・・・。【九州国立博物館】 収蔵品ギャラリー『針聞書』【ミュージアムショップ】 針聞書フィギュア【日記1】 体内に宿るムシ ―ハラノムシ―「桜餅」桜餅の葉のアンケートへのご協力、皆さんありがとうございました。まだ続けていたのかと指摘されそうですが、公開アンケートは続いていました。結局、葉を食べる人が多数派です。納得されるかた、意外と思われるかた、様々ですね。アウトローを目指すかたが誕生したのも、喜ばしいことです。ぜひ、その道を極めてください。葉を上手くはがせないから食べるという、不器用な私はアウトローにもなりきれないですね。今日もとてもよい天気でした。皆様、素敵な休日をおすごしください。【日記2】 桜餅の楽しみ方 -桜餅の葉を食べますか 2-
2009.04.18
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コメントの御返事の日ですが、都合により1件日記を追加します。コメントの御返事は明日以降となりますので、よろしくお願いします。インターネット公開アンケートの結果が出ました。そうです。まだ続いていました。昨日、回答数が108と、ちょうど煩悩の数になりましたので集計します。「ネットアンケート(回答数108)」○食べる: 61名(56%)○食べない: 41名(38%)○そのほか: 6名 ( 6%)また先回集計のブログからの回答は下記のとおりでした。「ブログ回答(回答数43)」○食べる: 32名(内楽天外8名)(74%)○食べない: 9名(内楽天外1名)(21%)○そのほか: 2名(内楽天外1名)(5%)これらをすべて集計します。「総計(回答数151)」○食べる: 93名(62%)○食べない: 50名(33%)○そのほか: 8名 (5%)結果的に、桜餅の葉を食べる人が、食べない人の約2倍となりました。「食べる人」が多数派でした。もし桜餅を召し上がることがありましたら、思い出してください。そして、あえて葉をはがして桜餅を召し上がり、「私ってアウトロー」と思ってみるのもよいものです。【日記】 香りとともに -桜餅-
2009.04.16
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変わった本をご紹介。「戦国時代のハラノムシ」という本を読んでいました。これは、1568年の鍼師、茨木二介という人物が書いた「針聞書」を引用して書かれた本。戦国時代、病気は体内に住む虫によって、引き起こされると考えていました。その数は63匹。この本では、そのすべての虫を掲載しています。当時の奇妙な虫の絵は、下記の本の表紙にも見ることができます。もしこの絵の虫が体内にいたら・・・。そう思いながら見る虫の絵は、とても奇妙で面白い。本には虫の生息域(体内の)、特徴、病状、治療法が書かれています。多くの虫は、鍼、灸、漢方薬で駆除されますが、治療法のない虫も。詳しくは書けませんが、一例だけ紹介します。「大酒のむし」生息域: 腹部と推定される特徴: キンチャク型で、砕くと正体は赤土状の砂利。内部に多くの虫が寄生病状: 取り付かれると大酒飲みに。その人が死んだ後も、体内にいすわる治療法: なし治療法なし・・・。そういうことなのですね。
2009.04.15
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この日記は、昨夜書いています。アメンボは羽が生えていますので、水溜りにも飛んでくることができます。しかし洗剤のような環境汚染には耐えられません。ほんのわずかな洗剤が、アメンボの命を奪います。私もアメンボは、アメンボウと呼びます。しかし正しくは、アメンボですね。*今日は飲みすぎています。奈良に来て以来、日本酒派に切り替えていた私。しかし今日は、久しぶりに洋酒を飲みました。なつかしく、とてもよい酔い方で、つい飲みすぎています。お酒を飲む人にしか分からない、この崩れてゆく幸せ。アルコールという形で、非日常を見る。そのあたりまえでない感覚は、私を未知の世界に導いてくれる気がするのです。【日記2】 あたりまえではなくなる絶望 ―アメンボ―
2009.04.14
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池の水面を滑る、アメンボをながめていました。温もりを取り戻し始めた水面。その水面に浮かぶ、アメンボ。アメンボが浮かぶのは、足の裏の無数の毛と分泌する油のおかげ。足の裏に空気を蓄え、水の表面張力とバランスを保ち浮かびます。浮かぶ秘密は表面張力。もしこの池の水に、わずかな洗剤が流れ込んだとしたら。洗剤の界面活性剤は、微量でも水の表面張力を下げてしまいます。表面張力の低下が意味するのは、アメンボの水没。洗剤混じりの水では、アメンボは沈みます。もがけども、もがけども。水に浮かぶのがあたりまえのアメンボ。そのあたりまえが、あたりまえでなくなるとすると。あたりまえに慣れたものに訪れるのは、理解し得ない絶望。あたりまえを、当然のことと思い込む。水に浮かぶアメンボに、ふと私自身を見た気がしました。
2009.04.13
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「ディズニー兄弟」成功者の陰には、裏方,腹心ありですね。主役になるときも、支えてくれた人に感謝しなくてはなりませんね。兄のロイが気の毒にも思えますが、本人は納得の人生でしょう。カリブの海賊は、ウォルトが生前に手がけた最後のアトラクションとの情報もいただきました。テーマパークでは、彼らのことも思い出してください。皆さんも多くのディズニーグッズを愛用されているご様子。ディズニーキャラクターは、今でも世界中の人々に愛されています。そして、きっとこれからも。【日記1】 夢を追うもの 支えるもの -ディズニー兄弟-「サン=テグジュペリ」アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupery)。私は昔にテクジュペリと覚えましたが、最近ではテグジュペリと濁音になるようです。たくさんのコメントからは、みなさんが如何に彼の作品を愛されているかを知りました。どのコメントも思うところがありますが、下記にご紹介のあった関連日記をリンクします。アメリカにいらっしゃるLimeGreenさんの日記で、星の王子さまの初版本が掲載されています。【関連】 LimeGreenさん戦争は、だれもを傷つけてしまいます。すべてを、うしなってしまいます。あたりまえが、あたりまえであるのは、とてもしあわせなことです。コメントが遅れて、すみませんでした。つい桜に魅かれて外出していました。桜も散り、かわってゆく季節。しかし、かわらずに、皆さん、これからもよろしくお願いします。【日記2】 なにもまもれない まもれるはずがない
2009.04.11
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「長い間、彼でないことを願い続けた。彼だと知っていれば、けっして撃たなかったのに。」昨年、ドイツ軍操縦士ホルスト・リッパートは、そう語りました。陽の光に、海はまぶしく輝いて。その海に、何が眠っているかも教えずに。「肝心なことは、何も目に見えない。」だから彼は、目に見えない友情を大切にしました。「どうしてもなぐさめなくてはならない人だから」その本のはしがきにある、ひとりのユダヤ人の名前。その本は、戦争で苦しむ友人に宛てられました。地中海に眠る偵察機。2003年、それは彼のものと確認されました。彼の名は、サン・テクジュペリ。1944年7月31日、帰ってこなかった彼の偵察機。ユダヤ人の友に宛てて書かれた、「星の王子様」。冒頭の嘆きは、彼を撃墜してしまった、彼の愛読者の声。行方不明の彼を、敵国のドイツ軍さえ探しました。それほど世界中で愛された、彼とその童話。「行かなくてもよい理由はいくらでもある。でも、ぼくは行くよ。」友人のため、戦場に向かった彼。彼が守りたかったのは、目にみえないもの。みえないもののため、みえるものがうしなわれる。ほんとうに守りたいもの。ほんとうに守るべきもの。それは、みえるもの、それとも、みえないもの。その問いは、あまりに無力です。あの狂乱の、争いをまえにしては。
2009.04.10
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今回は日記への御返事の日でした。しかし間違って、通常の日記を書いてしまいました。そこで明日の日記は、通常の日記。コメントの御返事は、その翌日となりますので、ご了承ください。うっかりしました。すみません。
2009.04.09
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夢を追う弟ウォルト、それを支える兄ロイ。アニメーションに夢を追ったウォルト・ディズニー。しかしその才能は、決してひとりでは開花することはあり得ませんでした。その夢の実現には、経営、金銭などで、莫大な苦難を強いられたから。そのすべての苦難を引き受けたのが、兄ロイ・ディズニーでした。資金調達、支援者との契約、マーケティング、人事、著作権保護など、膨大な会社経営の厄介事を、ロイは裏方に徹して支えました。そのおかげで、ウォルトは純粋に夢に向かうことができました。アニメーションばかりではなく、ウォルトには大きな夢がありました。裕福ではなかった子供の頃。新聞配達、アルバイト、家事に追われ、家族団らんの余裕はありませんでした。家族で楽しめる、思い出の場所を作ること。それが究極の夢でした。この夢をかなえるため、ロイは資金調達に奔走し、ついにフロリダにディズニー・ワールドの開設を計画します。しかしこのとき、ウォルトは癌に侵されていました。5年後の1971年の開園を、ウォルトが見ることはありませんでした。ロイはウォルトの死を悼み、テーマパークの名称を「ウォルト・ディズニー・ワールド」に変更します。「夢を見ることができるなら、それはいつかは実現します。 わすれないでほしい。 何もかも一匹のねずみから始まったということを。」しかし、わすれてはなりません。あなたの夢をかなえるために、それを支える誰かがいたことを。歴史をつくるのはひとりの天才ではなく、陰で支えた多くの人。
2009.04.08
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さくらはかわらず、人はかわります。ほとんどのみなさんが、さくらを見たり、ブログに書かれたりしていました。お花見を楽しまれたかたもみえました。やはり春のさくらは、無視はできません。さくらに託した人々の願い。願いもむなしく、戦場に散った人々も少なくありません。自然もさくらも変わりませんが、人は時代で変わります。さくらに生を見るも、死を見るも、それは人次第。さくら、邪悪なものを清めてください。だれもが、争いや憎しみ合うことのないように。いつまでも、さくらを愛でることができますように。今こうして、思いつくままの記事を、読んで頂けるだけでも私は幸せでしょう。みなさん、いまのこのときを、たいせつに。【日記】 舞うはなびらに 願いを託し - 花見 -
2009.04.07
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奈良県の神野山での花見は、ツツジを見る会だという。この地域の花見は初夏、見る花はツツジ。花見も山に登って、開かれます。特殊に思えますが、他にもよくある例。山登りの目的は、地元の若者たちの恋の芽生えにあるという。昔の合コンの役割が、山での花見にはありました。一方で、京都の今宮神社の花見は違います。今宮神社のやすらい祭りは、花に悪疫の精霊を封じ込める呪術的儀礼。花には、悪霊を封じ込める力があります。花に託した様々な願い。咲くと、まもなく散る桜。桜が散るのは、願いの重さに耐えかねて。風に散るはなびらが、またひとつ。あのはなびらに託した、あなたの願い。やさしい春の光に包まれて、あなたの願いがかないますように。
2009.04.06
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いつの間にか、23万ヒットになっていました。みなさん、いつもありがとうございます。 こちらの春は、綺麗です。各所で桜が満開。ソメイヨシノは寿命60年ですが、山桜などは長寿命ですね。長寿の桜は、ソメイヨシノ以外のはず。ブログを書くことが、何かを残すことになればよいですが。はかなく消え去るものでしょうけど。それでは、今からご挨拶に。これからもよろしくお願いします。【日記】 支えます 死は生を -木-
2009.04.05
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桜を見ると、生と死について思わずにはいられません。生長する木の内側では、細胞が次々死んで木部を作ります。木の内側は、死んだ細胞の集まり。内側には、多くの死んだ細胞の、厚い細胞壁が残されます。また死ぬ細胞は、最期にプレゼントを残します。最期のプレゼント、高分子リグニン。リグニンは微生物に分解されにくく、木を腐りにくくします。木が生きるために必要なリグニンは、死にゆく細胞しか作れません。死んだ細胞の抜け殻は、水の通り道となり、最期に残されたリグニンは、木を強く、腐りにくくします。木は死んだ細胞で、支えられています。死は消え去ることではなく、次の生を支えること。桜を見ながら、思います。わたしたちは残せるでしょうか。残された大切な人への、大事な何かを。
2009.04.04
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「九字を切る」というコメントを頂きました。九字護身法は、映画などでも出てきます。「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」の九字を、手印を結びながら唱える呪法。魔除けになります。九字の石畳は、縦横に線を切る、簡易の九字の形になります。清水寺でも、阿弥陀堂にあるそうです。この九字を考えると、魔除けが心の迷いを除くというコメントも納得できます。唐辛子、靴の中で温熱効果。少年伝令隊が靴の中に入れて凍傷を防いだというコメントは、とても悲しい歴史です。唐辛子で、戦争も防ぐことができればよいのですが。ペペロンチーノは、イタリアではお茶漬け感覚ですか。鷹の爪に関しては、まったくコメントがなく、少し寂しいkopanda06でした。アニメ「秘密結社 鷹の爪」のことを書きましたが。いえ、無理に理解されなくてもかまいません。この気持ちは・・・。今週末は桜も見ごろでしょうか。今週も後半に向けて、みなさん、がんばられますように。
2009.04.02
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清水寺の阿弥陀堂の敷石は、魔除けだという。敷石には、格子状の溝があります。これは魔除けでいえば、九本の溝が交差する模様“九字”。実際には、溝が九本ないものも多くありますが。何気ない魔除けは、なかなか気がつかないものです。魔除けといえば、唐辛子。これは、韓国、中国、イタリアなど、多くの国で魔除けだという。辛さが悪霊をはらい、赤が魔を避け、福を招きます。唐辛子と呼べば、魔除けにもなるでしょう。しかし“ペペロンチーノ”と呼ぶと、途端に魔除けの力を失いそうだから不思議です。美味しく食べられそうでは、悪霊も逃げはしないから。“鷹の爪”と呼んでもよい。ただ最近では、鷹の爪と聞くと、手首を揺らしながら世界征服をしたくなります。無理に理解されなくてもかまいません。この気持ちは。清水寺の石畳を、いつか確かめたい。そして先人の、安らかな願いを感じたい。魔除けの石畳に囲まれて。【日記】 悪霊退散 -魔よけとしての窯印-【参考】 岡田保造,魔除け百科 世界編,丸善株式会社,2008年,112P*昨日は楽天外のブログのご訪問に時間がかかり、楽天ブログのご訪問が途中までになってしまいました。すみませんでした。
2009.04.01
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