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三千里は大げさだが昨日隣町まで20キロほどめふんだけを買いに行ってきた。去年は今時期より遅く、もう雪が路面に着くんじゃないかという頃に行って買いだめしたので余裕だと思ったのが間違いであった。行ってみたら陰も形もなく、諦め切れない母は店の方に連絡先を告げてもし入荷したら電話くれるように頼んでいた。めふんはここで前にも書いたと思うんだが鮭の血合い(腎臓)で、これをかなりきつい塩漬けにする。塩を利かせないと溶けやすいのと生臭くて食べにくい。去年買ったのはやや塩が甘かったので一度塩をし直してざるに取り、水分を抜いて仕舞い直した。こうすると塩辛いが食べ切るまで持つ。500gの大きなタッパー入りを2つ買ったのだが春になるまでに食べきってしまい、もう一つ買えばよかったと嘆いていたので張り切って買いにいったのに。これさえあれば何とかご飯が食べられるらしいし血合いなのですっかり肉を食べなくなった母にもいいだろうと思っていたけれどねえ。近所のもう一店の方が著名でお客さんも多かったし、ここには僅かながらあったのだが残念ながら塩のみの味付けではない。塩以外のものが入っていると飽きるのと馴染みがないので却下。さあて今年、めふんは買えるのでしょうか。
2011.10.31
昨日はご案内を戴いた自民党関係のセミナーに出かけてきた。今年に入ってずっと*そうなのだが調整や呼びかけもあるだろうけれど地方議員の集会、国会議員の講演、そして自民党支部の会合に参加するとその人数に驚かされる。*といっても春先の統一選挙関係と今月に入って活発化した集会のみですが昨日も事前に用意した椅子が足らず、せっせとホテル関係者が椅子を出していたが結局そっと後ろを振り向くと立ち見が出る盛況ぶりであった。ちょっと早く着いたので恒例の喫煙所(入り口奥)の方に向かうと昨年・春先に知り合いになった方々ともご挨拶ができ、お話を伺いたいと思っていた方ともコンタクトの手段ができた。楽しみと言っては語弊があるがこうした大きい催しの開催前の時間というのは非常に有意義で、それまで別々バラバラに面識のあった方々といちどきにお目にかかれる機会でもある。会場は余りの盛況ぶりに事前に「行こうね」と言っていた方とは帰りになるまで会えず、その代わりといっては何だが顔を見知った方に手を引かれて前の方の席に座らせて戴けたお陰でJNSC会員の方に声をかけてもらい結局3人でお茶ができた。昨日に限らないが今年この目で見た熱気をどう効率よく会場の外に運んでゆけるか、これからの課題でもあると感じた。その為には人選が大事なのとある程度「これまで行ったことも見たこともない人達にも見聞きしてもらう催し」も必要なんじゃないかと。著名で「来てもらいたい」議員に講演をしてもらい広く参加を募るとかね。
2011.10.30
これを打ったら速攻寝て、起きたらちょっと出かけますです。場所と催し的にスーツ着用なのと雰囲気的にあんまり辛気くさいのもアレかなということで今年正月に東京で着用したスーツにしますた。ババくさいのに妙に派手という完璧PTA会長モードでございますw楽しみですなあ。それにしてもこちらはもう冬の足音が聞こえてきて、昨日の買い物風景もすっかり漬物支度や材料、住宅街も冬囲いが進んでおります。被災地の多くも札幌とはさほど変わらない気候だと思うのですが一体どうなっているのだろう。
2011.10.29
どころか裁量の器をさらけ出した最悪手だわな。日銀、国債買い増し5兆円 追加緩和を決定菅内閣の時の介入も5兆円弱の半端なもので口の悪い私なんぞは投機筋との出来レースじゃないかと疑ったほどの意味不明な額であった。今回の積み増しも5兆円。つまり一度に5兆円幅でしか動かす気がない動かせないってのを内外に示しただけのポーカーで言えば日本だけ手の内全部透明カードでゲームしているようなもんでして。おまけに準備金を積み増しましたといっても現状の国内経済もそして国際経済金融為替全部金高が問題なのではなく流通、ブツが滞っているのが大問題なのに積んだだけを厳かに発表しても「で?」と言われるのがオチ。せめてここで5兆円の枠を取り払って桁一つ増やしておけば幾許かの時間稼ぎにはなったかもしれんけどこんなもん何の意味もない…どころか枠はバラすわ積み増しだけの腰砕けなら知らんぷりしてた方がよほど効き目あったわ。そ、場合によっては何も言わずじいっとしてた方がいい事もあるんですわ。特に相対評価とはいえ為替で一人勝ちになってしまった世界の債権国は時としてだんまりこいた方がいい場合も多い。世界の債権国といえばこれらはドル建てだと思うんだが(塩漬け利用の一環として)、これを活かす方法考えたほうがいいと思うんだよなあ。円高の原因は相対評価もさることながら円の発行高のみに目がいって流通を見ていないことにもあるわけで、これらを多少無理筋でも国内国外で円を流す方策取れないものかね。自国通貨刷って発行する分にはどこにも誰にも文句言われる筋合いはない上に最低でも海外債権の分くらいは刷ってもどうということはないよね的な姿勢を見せる方が同じブラフにしてもなんぼかマシだと思うわけですよ。
2011.10.28
震災前、それも遥か前にここで原発に対するスタンスというか考え方はすでに書いたので割愛するが、震災があったとてその考え方は変わるわけではない。冬になれば電気なくば修飾ではなく生命の危険がある場所に住みその恩恵を最大限に受け、リスクだけは原発所在地に押し付けている自分が言えることは限られているし、代替技術の発見や確立もできないのだから。ただ「推進派」と呼ばれるのは抵抗があるというより心外だ。推進派というのは反対派が頭の中で思い通りにならない人間を指し創り上げた仮想敵だと思っている。長いスパンでの脱原発は望んでいるものの、しかしそれには安定供給という高いハードルがついて回るのだから実現するには世代を超えた年月がかかるくらいは判ってもいる。できもしない主張を声高に叫ぶほどガキじゃねえという意味で。だが「反原発」を標榜する人達の主張はともかく主張の表現がどんどん下劣な方向に行っているのを見ていると心情として彼らに対して眉を顰めてはいる。大阪での葬列デモのまとめこれを取り上げる事によって謂れのない差別を受ける方々が増えるのだけは避けたいと思いつつも余りに酷いので彼らの主張の表現の一端として書いておく。一体これはどこの誰のための「葬列」なのか。葬儀の予報と彼らは標榜しているようだが、そもそもデモは自分達の主張を広く知ってもらう為のものだと思うのだが、では彼らは誰かが死ぬことを主張しているのか。葬儀の予報とは一体何か。私の知る限りこれまで死ななかった人間はいないし死なない人間もいないはずなんだが、これらを予報することに一体何の意味があるのか。そして死を主張するデモの意図は何か。最早一体何を求めて自分達の主張をデモしたいのか本質見誤ってこじれさせているだけではないのかね。手段と目的をこれほど見失った人間が一定数いるという現実のほうがよほど恐ろしいわ。
2011.10.27
本質というほど偉そうな事を言えるようなもんじゃあねえですが、ネットセキュリティというものに興味を持ったのはほぼ10年前。それから3年ほど熱中し、スキルはちっとも上がらないが考えることはしてはきた。当時も今も考えついた事はあまり変わらず、つまりはPC含むH/Wはただの箱であり使う人間によって便利な箱・ツールになるしはたまたBOTと化して世界に害悪バラ撒く箱にもなりうる。便利で楽しい箱になるかウイルス中継サーバーになるかは使う人間によるということですわ。PCウイルス感染:衆院ネットサーバーと議員3人業者の警告放置、危機管理に甘さ 衆院サーバー不正アクセス今のところの報道からだと衆議院自体のサーバーではなく貸与したPCの一部で感染ということなのでどう考えても貸与されたPC端末を使った人間が何か踏んだ。踏んだか開いたかは判らんが大問題なのは管理業者が警告していたにも拘らず衆議院側が放置していた事だ。判らないから自前で管理できずに外注させているんだからそのプロの言うことくらい聞けってな。無論一番悪いのはこのようなウイルス(というよりキーロガーとトロイの合わせ技だろうけど)を作った人間だが今時何もない前提でいる自体がおかしい訳で、踏んだか開いた奴も間抜けなら管理業者から警告受けてて放置していた側も頭どうかしているわ。一体何の権限で警告を無視出来るのかね。もし無視出来るとしたら管理業者と同等のスキルがあっての話で、それができないから委託しているんだろうに。決裁権限を最悪の方向に使っている。無能な奴に限っておのれの権限を勘違いするんだが、自分でなんともできないのなら判っている専門家に委ねるのが正当な決裁権限の行使であって判りもせずに握り潰すのはただの越権だ。まだこんなのが決裁権限握っているとは情けないわ。判らないのなら判っている人間に委ねるのが本来の管理者、責任者、決裁権限者なんだ。今回握り潰した人間は二度と使うなよ。国際的に恥ずかしいわ。
2011.10.26
昨日、午後から佐藤正久参議のお話目当てに出かけた。道議のセミナーゲストという情報をご本人のサイトから得て行ったのだが。普通この手のセミナーは主催側関係者の挨拶が所要時間の半分以上を占めてしまい肝心の講演が始まるまでにうんざりするのが常でそれも仕方がないと諦めていた。しかし昨日はいい意味でその予想は裏切られ、主催の道議の挨拶はそこそこあったものの(当たり前)後援会関係の方々の挨拶が登壇下壇含めて全員1分以内という非常に垢抜けたものであった。もうこれだけで気持ちの持ちようが違う。そしてお目当ての佐藤参議の話を60分目一杯伺って帰ってきた。実は先週日曜も佐藤参議がゲストの催しに出かけている。その時は細切れだった話を纏めて堪能した。そしてここからがお題の「1度」。季節と出かける先を考えてウールのスーツを着ていった。念の為スカーフを持ち、足元はパンプスだがタイツ。これで往きとそして会場では過不足がなかった。そして会場を出たのが16時前。会場で汗をかいたわけではないのに帰り道は体感だと気温は3度ほど低くなっていたと感じましてな。慌ててスカーフをスーツの中で巻き、帰ってきたのだが。家についてちょっとしてから気温の推移を眺めてみると実は到着と帰りの気温差はたった1度だった。歳を取り感覚は鈍くなっているはずなのに気温低下にのみ敏感ってのは老齢化ですわの。涙を拭う方々がおいでだったとてもいいお話だった講演とその後のおのれの加齢の実感が綯い交ぜになった一日でしたな。
2011.10.25
トルコといえばエルトゥールル号と1999トルコ地震、そしてイランイラク戦争における在留邦人救出と近代だけでも非常に縁が深い。上に揚げたリンクの話をネット経由で知った方も多いと思う。嫌われ誹られるよりは好かれる方が嬉しいのは人情で、遠くにあるからこその友誼とは思いながら事実としてトルコは日本人を助けてくれている。そのトルコで大地震がまた起こった。トルコ東部で地震、500~1000人死亡か他の記事にあるが震源地はトルコ最東部、イランやイラクとの国境に近い。中東の熱い地域との境目ということはつまり空路の救助も入り口が限られるということになる。大地震の時は陸路での救助は極めて困難なのは日本人なら誰でも判っているので多くは述べないが、とにかく国際救助するにも非常に条件は厳しい。更にあえて言えばこの地域はイラクと「公然とした共闘」でクルド人掃討の本拠でもあると見られてもいる。つまりそう簡単に国際救援部隊(大規模災害の際の派遣は通常各国共に軍隊)を入れるのかという懸念すらある。しかしもしトルコが受け入れるのならやはりここは日本が手を挙げねばならないと思っている。ただ、現民主党政権はタイの洪水とそして無腰で行かせるつもりの南スーダン自衛隊派遣で判ったように全く国際貢献の本質を判ってないのを心配してもいるのだが。今のEUの事情からして真っ先に駆けつけるのはNATOであろうけれど、それに関して小さな驚きもあった。それはトルコの時間が「東欧時間」になったいた。かねてからEU加盟を望んでいたのは知っているけれど国内時間まで合わせるとは。それともう一つ。ここ数年私が愛用している石鹸はトルコのものだ。混ざったアレルギーが酷くなり、藁にもすがる気持ちで使い始めた「オリプレ」というオリーブ石鹸がある。お試し用なのか携帯用なのか小さいサイズがあったのでそれでまず試してみたのだが今はこの石鹸で頭も顔も身体も洗っている。一番敏感な季節でも多少アレルギー反応を起こしていてもこれでなんともない。使うには少々コツも要るのだが慣れればなんともない。他にもオリーブ石鹸はあるのだがささやかすぎるほんのおしるし程度ながら私はオリプレを使い続けている。大都市ならLOFT、ハンズにあるし通販でも数ヶ所扱っている。もし石鹸をお探しなら使ってみてくだされ。
2011.10.24
【タイ洪水】浸水バンコク 陸軍4万人投入も対処できず 避難所に迫る水日本でも現在進行形だが今はタイも国民が自ら選択した政権の無策に直面している。事の起こりは天災だが、日本でもタイでもそれぞれこれまで一度もなかった災害ではなし予測は難しいが対処の経験も積み重ねもあるはずなのに。タイの現首相が現地を見て泣いたと伝えられているんだが、泣いてる暇があったら何ができるかできないかまずそこから切り分けて出来ない事は出来る国に委ねるのも方法の一つだ。無能というのはどうしたらいいか判らないのともう一つ、事象の切り分けができない。切り分けができないからどうしていいのか判らないともいえるがここで鶏たまごを論じてもしょうがない。現在只今水が押し寄せ溢れてしまっているのなら徹底的に避難するのが策なのだが生憎日本のように平野部から車で精々30分で小高い山に到達できるわけではない。だからとりあえずは水の来そうな場所に幅の余裕を持たせて前もって重機で土を寄せる。膨れてしまった川幅を更に広げ外側に盛ってそこを水路とするしかない。水を流さねば洪水は終わらず、洪水が終わらねば土地の所有だの権利だの言っても意味がないわけで、この部分(国土保全)に国家非常事態を適用させてばよいのだ。見ていると重機が足りないようで当然オペレータも不足してであろうからこれは国際的支援してもらう。下流域の海に近い土地は冠水していなくとも一旦舗装なり引っ剥がして掘ってしまう。つまり大きな水路を海に向かって作ってしまう他ない。日本の現政権はコンクリートから人へと言い放って政権を取ったがその大きな間違いを国民が理解するには大きすぎる犠牲を払わねばならなかった。タイも似たようなもので国民への直接給付で政権を取ったはいいが結果として国土を引っくり返さねばならないほどの災害に直面しても対処法しか取れずにいる。土のうを積んでも水は引かない上に人海戦術は効率が悪すぎる。やはりね、コンクリートは人を活かすのよ。普段は意識せず見ることもない地下の排水設備、よく考えられて万が一の時は水路となる道路計画、堤防、そして港湾の構築もね。
2011.10.23
自宅に引っ込んで以来、買い物の荷物持ちとして母と出かける機会が増えた。増えたというより殆ど一緒に行くのが当たり前のようになっている。荷物持ち自体は私しか持てないのだから何の違和感も文句もないのだが。しかしちょっと本来の必需品を外れてあちこち見て歩くのまで付き合わされるのはいささかつらい。性格の違いや興味を持つ対象の違いが大きすぎて結局私にとっては行かなきゃよかった後悔ばかりが募り挙句一回ごとは小さくても不満が溜まってしまう。どちらかというと私は買い物や見て歩きの際、よほど興味のないジャンル以外は極力何でも見る。見ることで全く別の感想や感慨などを得ることもあるし雑貨などでは別の使い方を考えたり。なのでどうしても時間がかかる。一人で歩くのに慣れているのもある。仕事をしている時は呑気そうでもやはり時間の制約でそうはゆかなかった事も多かったのだが今や無職で時間はある。買う方はそうそう自儘にならないが見て歩く時間を得た今は隅々まで思う存分眺めたい。いつも私に合わせてくれとは言わないがせめてその場所に私を置いてゆくなりなんなりしてもらいたいけれど、それを言うととんでもない不機嫌になるのでじっと堪えていた。結局今回それが噴き出して何か言うわけではないが黙って出かけて思う存分見て歩きを繰り返している。母の用事の時だけ連れ回されそこで自分の見たいものも満足に見られない一年であった。ようやく外歩きもできる季節になったことだししばらくはこの気楽な一人歩きを続けたいと思っている。
2011.10.22
カダフィ氏の死亡状況は情報錯綜、拘束時「何が起きている」-見出しはロイタージャパンのもの出身地域で発見されたと聞いてフセインを思い出したのは私だけではあるまい。匿ってもらえるよすががあるのか心情として人は出身地に足が向くのかその両方だと思うのだが。アフリカでは比較的裕福(といっても日本でいうと岐阜県一つくらいだそうな)なこの国に革命が起きたのは私が小学校の頃だった。確か当時も「圧政である王政からの脱却」であるかのような論調もあった。同じ論調は当時「圧政であった江戸時代」と日本史を語るのが流行しそれが主流になっていたのと重なる。但しカダフィ政権下のリビアが社会主義人民共和国の名の下に裕福な北朝鮮国家と言える体制であったのは事実で、内政の雰囲気は西側国家である日本にはよく伝わってはいないものの、実行した国家テロと北朝鮮との政治的同調を見る限り到底友好国になり得ない国家ではあった。敵の味方は敵だからね。これで欧(米)は地中海に面するアフリカ国家をもう一つ手にしたも同然だと思っているのかもしれないけれどエジプトに続いてまた一つ「実験的イスラーム民主主義」が一体どうなるのかと案じてもいる。イスラームと民主主義が相容れるのかは私にとってかなり懐疑的でもあるから。イスラームが悪いとかいいではなくその教義が精神的なもののみならず生活様式、いや政治まで包括してしまう性質によりイスラーム指導者と政治的主権のせめぎ合いやイスラーム内での宗派の違いを超えて国家政治が成立するのか、そして地理的環境から国内での主導権争いがいつまた内戦を呼び込むかと。実はフセイン後からは中東とアフリカは二次植民地戦争時代に入っているも同然で、アフリカに関してはずっと欧の縄張りであったけれどそこに支那が経済的に刺さり込んでいたのが2001年後の実態でもあた。しかし今回のリビア第二革命で欧(米)がそれらを奪還しつつあるのか、もしくはアフリカ連合を支那が後ろから支え抜くのかの瀬戸際にあると思う。エジプトとリビアと来れば次は歴史的には欧(仏)と縁の深いアルジェリアだが現在ここは実質支那の影響下にある。リビアと題しておいてアルジェリアに言及するのもなんだが私はアルジェリアを欧米がどう扱うか、それには欧米の経済危機がどう転ぶかによるのだがいずれにせよ今後数年の間目は離せない。無論日本は負ける方についてはならない。壊れるバスに乗ってはならないのよ。
2011.10.21
昨日買い物の荷物持ちの帰り、小さな山の下を歩いていましたらガサゴソと音がしましてな。思わず身構えました。母を後ろにして目を凝らすともう一度ガサゴソ。んっ?小さなエゾリスでした。その辺りはクルミの木やコクワ(サルナシ、キーウィの原種のようなもの)が生えていましてエゾリスも餌を探して下りてきてしまったんでしょう。普通エゾリスはエゾシマリスより大きいのですがそれはかなり小さくシマリスくらいの大きさでした。やれやれと重い荷物を持ち直しついでにこれまた小さな川のほとりで一休み。小春日和は本当は11月なのですが北海道では10月小春ともいいます。昨日今日はまさにその10月小春でして冬支度の指令も次々と発令されました。車庫前のでこぼこを直してから庭の奥のほうにある敷石を車庫前に敷き直し→これは来週くらい山盛りあるのでもう使わないであろう分の冬囲い用の竹を母友人に譲るのに車に乗せてみる→乗ったら詳しい住所入手次第運ぶ一階窓の内側に透明なフィルムを貼るというか密封する→大体の材料はありますが作業は11月夏場は車を車庫前(敷地内)に置いていますが冬は乗らないので車庫内に入れますがシャッターのところにシートを垂らす→12月屋根の落ち葉点検→12月その他漬物漬けたいとか隣町の店でしか売ってない海産加工品を買いに行きたいとか諸々聞かされておりました。灯油は先日満タンにし、車庫の片付けが終わったのでここ2階の不要なものもある程度下ろせます。帰ってきてから二度目の冬ですわ。
2011.10.20
気がついたら国名、そして国の境界線が変わっているのはソ連崩壊後の東欧とそしてアフリカ諸国でして。地理的な考え方そのものは学生時代習ったそのまま使えるけれど、頭の中の地図はかなり切り替えないと使い物にならない。国内でさえ市町村合併があるしね。んで。つい先日日本の都道府県GDPを世界の国々(と地域、州など)と比較し国旗で日本地図を表した方がおいでになった。それを見ると東京都のみならず都道府県全部どこかしらの国家相当なGDPがあるのがよく判る。我が北海道はナイジェリア。遠くて疎いアフリカ諸国でもナイジェリアは聞いたことがある。奴隷海岸があり原油が採れて甚だしい宗教内戦がある程度の朧げな記憶だが。また、地図帳を広げてみると川があり緑もある。普通に考えるとアフリカでは比較的人口を賄いやすい国家に思えるし、実際日本よりも人口が多い。(面積は3倍弱しかしご多分に漏れず中間搾取、いや上流搾取によって富の分配がかなりいびつでその結果経済の困窮、失業が多い。本来であれば冬は雪に閉ざされ農業生産が激減する北海道とは比べものにならないポテンシャルを持つはずが同じ民主主義ながら現状を中々脱却できずにいる。問題の根源は多様で、教育であろうしまた宗教問題に端を発する治安も経済成長の足かせになってもいようし、社会的上層にいる者達の倫理観も勿論ある。それに比べて我が北海道はとあんまり意味のない得意顔でナイジェリアを取り上げたわけではなく、むしろ北海道は日本の中では伸びしろのある国土環境にありながら一体何がどうなっているんだと首を傾げつつこれを打っているわけでして。比べれば何事もきりがなく、比べただけでは何一つ進みはしないけれど、この先食糧自給が200%な自体はめでたいとしてではそれ含めた北海道そのものの未来がどうあれば本来のポテンシャルを活かせるようになるのかとね。
2011.10.19
タイ供給停滞、世界の生産に波及 洪水被害不幸な災害を論っているわけではなく、昨日のTPP及び世界経済の先行きがどう考えても日本も辿った間違った道=デフレ傾向-に陥るのを防ぐにはどうすりゃいいのかというお話でして。無論タイは現政権はともかく友好国ではあるのでこれを殊更取り上げて「タイより日本」を言うつもりもない。だがやはり自国産業の大事な一翼を外国に委ねる事のリスク、反日国なら相手政府が敵だがもう一つ自然災害には勝てない。3月の震災も大きな被害を受けたがそれでも国内ではあるので民間企業がダメ政府に代わって必死の努力で切り抜けた場合も多い。国内であることのメリットはやはりこうしたエマージェンシーにもある。タイの水害は国際レベルで何とかしなければならない問題ではあるのだが、といってタイの日本企業が日本国内でやれること全てをタイでも同じように実行できるかというとそれは難しい。TPPどころではないよ。国内にバックアップ機能を持たねば何かあった時の滞り方の桁が違う。冗長化をなるべくなくしてきた日本企業だが、しかしこれからはそうはゆかないんんじゃないのかな。冗長という言葉自体が一般的にはあまり良い響きはない*けれど、エマージェンシーバックアップとでも言い換えて今ひとつ考えなおしてみる機会かもしれない。*本来は立派な言葉なんだが備えあれば憂いなしという先人の遺した言葉もあることだし、ここで国内での雇用や産業創出が生まれれば結果的に国家財政もよくなり法人の負担も減る。何よりも若い人の希望が生まれると思うんだよね。
2011.10.18
と言ってもススキノではなくオフィス街を昨夜とことこ歩いていた。かなり急なお知らせだったのとボケ爺の様子がちょっとおかしかったので行こうかゆくまいか迷っていたけれど短時間だしということで夕方からのトークライブに行っていました。場所が街なかではあるけれど交通機関の真ん中にあるのである程度余裕を見ていたはずが、近くの電器屋さんに立ち寄って気がついたら時間が迫っておりました。飛び込んで受付を済ませそこから90分。お目当ての方の水準の高さともうお一方の参考資料DVDの怪しさ*の物凄い対比に一人悶えつつでございました。*つべ(Youtube)で散々見た有名な動画まんまのDVD上映会というかなりシュールな光景だったんですが参加者の年齢層が高く、またモバイル持ち込みが皆無だったのでおそらく誰も気づいていないんで。懇親会のお知らせも共にあったので、最初はそちらの会場に足を向けていたんですね。ですが右か左かそれとも道庁内を突き抜けるかで一瞬迷った後、結局足が向いたのは帰る方向でした。日曜の夜ですから道すがら殆ど人とすれ違いません。ぽつりぽつりと人と行き交う程度でして、その分どこか呑気に散歩気分でした。でも久しぶりですなあ、その辺りを夜歩いたのは。着く頃には星が瞬いていたんですがその星空に雷光が二度三度光った辺りで家につきました。でも行ってよかったです、いろんな意味で。
2011.10.17
これまでここではTPPについて3度明確にお題にした。TPPTPP2TPP3いずれも拙いけれど今もその考えはほぼ変わっていず、もう一つ言うのなら交渉自体にも現時点では賛成できない。第一の理由は民主党政権であること。国家安全保障問題であるのに日米で完全に合意していた普天間基地の問題をひっくり返し、その後始末すら2年経ってできていないような政府与党に交渉すら委ねる気にはなれない。そもそも交渉というのは自分の側のスタンスをはっきり決めて定義し、そこから相手を見るものであって、こちらがどうするのかできるのかすらままならない状態でいきなりテーブルをひっくり返すような連中が交渉のテーブルにつくなどという馬鹿な話はない。それとこれは違うといっても一体何を信用するのかというと口先ではなく行動と履歴なのはどんな場合でも同じ。あんな真似を現在進行形でやらかし続けているような者に交渉は無理。第二には日本の中長期のメリットの算定基準が不明確。短期的には安い労働力でウハウハと思っている経団連もいるのだが、しかしその後20年30年で社会保障問題が出てくる。そもそも安い労働力というのは収税も期待できない上に現時点での外国人に対する甘すぎ高すぎる社会保障(生活保護にしても年金にしても)がのしかかってくる先は一体どこかというと国になる。この国がという概念が理解できていないどこかの書き込みをみて呆然としたんだが国=税金だ。例えばこの問題に関しては外国籍の人間への生活保護を一切支給せず母国に送還するという例外なし条項がなければならないのだがその辺りをどう考えているのだろうかね。第三は矮小化されているTPPに関してそもそも不満と不安がある。マスコミは農業一色で報道しようとしているのだがどう考えても例外なしの貿易自由化の意味を矮小化単純化させようとしているとしか思えない。農業としても問題がありすぎる。無論ここで何度か書いているように現状の農協、北海道で言えばホクレンや各種農業寄生団体に問題があるのは当たり前で、国内の金含めた流通がそもそも滞っている状況で外からのみどんどこ受け入れだけすれば食糧問題は一気に悪化する。日本だけのことを考えていると思われるかもしれないが自国の事を一番先に考えて何が悪い。スタンスもなしに交渉し始めようとか国家安全保障問題を矮小化するとかほんの僅か一世代先も見ていないような連中にTPPの旗を振る資格はないぞ。交渉のテーブルに付く最低条件は憲法改正、外国籍への生活保護の例外なき廃止、そして農業に限らず国内でしか通用しない寄生団体の廃止、これらが実行できて日本のスタンスを決定しなければ容認できない。
2011.10.16
G20開幕、欧州債務危機中心に議論上のヘッドラインの中のロイター円高は日本経済に大きなリスク、G20で懸念表明=安住財務相そのような物言いでは到底G20というより市場を納得させられず、警告にもなりゃしないぞ安住。民主党が自分達で思っているより日本政府の動向、発言、傾向は世界で把握されている。それは別に民主党に注目というよりは日本に注目しているから。特に実績、市場で言うなら介入のタイミング、規模それに至る言動、そして介入の実行幅はすでに鼻で笑われる事が何度も続いていると思うぞ。財政出動を絶対にしない、できない政府、中央銀行なのはとっくに見透かされているのも大きい。震災直後にこれら財政担当者の発言が全くなかったのが今になって響いているともいう。大きな災害にすぐ必要なのは人手だが、しかし同時に「金は用意しておくから」という後ろ支えがあってこその話であって、震災直後に非常事態宣言も出せず国際市場への手当根回しもできずただぼけーっとしていた政府与党の人間が今また政府と与党の要職に摩り替わっているだけだからね。非常に不謹慎なので言葉は選ばねばならないが、しかしあの時日本が桁違いの札を刷り「用意」しても世界のどこもそれは当然だと捉えたと思う。実際必要なものでもあるし、それらはほぼ内需に回るわけでもあり何よりも事態がそれを必要としていた。金が単なる紙幣、紙ではなく幾許かの安心、心の支えの一助となれるという意味で。そうした心理的な要素すら考慮できず、持てるもの、行使できる最大限の事すら判らず結果無為のまま時間を過ごした連中が「自分達も困っているんですぅ」と言った所で誰も聞く耳は持たない。一生懸命やりましたと口でいくら言っても人が見るのは口ではなく一体何をしたかその為に何を準備したかということだ。要らん事言わずに黙って欧米のやり口を見ていた方が無難だぞ。これが自民党であれば日本の経験を話す事もできたんだがそうした経緯を学ばずに政権を取った上に、批判体質だけ後生大事に与党となった今もそれだけは持ち続けてしまっている民主党は一体いつになったらまともな政党になるんだろうな。
2011.10.15
3次補正審議する臨時国会20日召集で合意殆どの記事が「民主党と自民党の合意~」とあたかも自民党に国会開催の権利と義務と責任があるかのような書き方をしているけれど、国会開催は当然ながら多数党=与党、政府がその責を負い開催を決める。最近以前にも増してTVを見なくなっている*のだがどうもマスコミとそれを信じる方々は自民党に今回の国会秋休みの原因があるかのように思い込んでいるようだが中学校の公民やり直せ。*店ではTVをつけっぱなしだったので今回の臨時国会は三次補正なのだが、実は前の短い国会でも質疑の中で二次補正の執行不達が明らかにされている。あれだけ自己宣伝しておいた割には中途半端な金額の二次補正なのに執行の用意もできていないとは何事だ。民主党が野党だった頃からここに書いてきたけれど、やはり彼らは口先だけで「どう実行するか」がすっぽり抜けている。Twitterで自民党国会議員に「民主党はノウハウ(Know How)がなくノーハウ(No How)」だとしょうもないTwをしてしまったが、笑い話にしてはならないと思いながらどうしてこんなものを日本国民は選択したのか正直今でも判らない。判らないのならせめて判る人間に聞く、勝手な振る舞いはしないというのが社会人の第一歩なはずで、それは30年前も今も変わらないと思うのだが。困った事に20年以上国会議員をしていても国会の何たるか、立法府の存在意義、行政府の役割と責任について判らないのばかりが寄り集まった与党政府なわけだ。震災から7ヶ月を過ぎ、被災地にも冬が間近い。一体いつになったら「ちゃんとした日本の政治」に戻れるのかね。
2011.10.14
ここは高台なので山の紅葉とほぼ変わらないか庭の陽あたり、樹によっては山より早く紅葉が来る。先週くらいから色づいてきたのは紅サラサドウダンとヤシオツツジ。この2本がくっきりと赤くなった今週に入り、窓から見える低い山々の紅葉が本格化してきた。もう少しすると門の内側両脇にあるもみじが紅葉を始め、その次には玄関右側にある大きなドウダンツツジ2本も赤くなってくる。もみじの近くにはオンコ(イチイ)があるので色の対比も綺麗だ。去年10月末に引っ越して早一年になろうとしている。紅葉がほぼ終わった頃に来たのと環境の激変とその他雑事に追われたせいか景色の移り変わり、庭の紅葉の順序などは全く目に入らなかった。モニタからちょっと目線をずらすだけ、窓の下をひょいと覗くだけで紅葉が眺められるとはねえ。過酷な冬の前に綺麗な景色を見せてくれるのも自然の恵みですよね。
2011.10.13
タジキスタン監督「日本はウズベクや北朝鮮と比較にならないほど強い」昨日のタジキスタン戦についての記事だが、別に見出しの発言についてホルホル喜んでいるわけではない。昨日の試合中、特に後半ではTL(TwitterのTime Line)でも「もうそろそろ手加減しても」「可哀想」などという意見も見られた。しかしこの試合はタジキスタンの選手達の素晴らしいクリーンな試合運びがこの試合の最大のフェアプレイであった。また私はザック監督が最後まで一線級の選手同士の交代をし、選手たちも最後まで走り抜きゴールに貪欲であったこと、それ自体が日本にとってのフェアプレイであったと思っている。試合というのはこうした双方のフェアであろうとする意思を持ったものであればそれこそ結果はどうあれ今後にまた繋がるものだとね。Twitterには書いたがラフプレイが当たり前な国を一生懸命お金かけて招くよりもタジキスタンのような国を招いて沢山対外試合をした方がよほどいい。タジキスタンの戦いぶりを見ていて、40年以上前の日本のサッカーを思いだしたのは私だけではあるまい。いい試合だった。
2011.10.12
お題の「」の中は打ち忘れたわけではない。時代の風:「正しい独裁者」の死=東京大教授・坂村健この寄稿記事を読み返しながら「正しい」の概念やトルコという存在と中東の現状、そしてニュースを横目で見ていると米の「正しくない」国内金融財政政策と支那への「正しい」議会決議*、そして支那の包囲網に怯える焦燥感、これらがいちどきに頭にぽこぽこと芽生えてしまっている。*ニュースの伝え方順序自体に意図は感じるが国際金融為替に関しては方向性として正解を引き出せるのに何故に国内向けとなるとこんなにアホなんじゃろ-あたかも国内問題をギリシャ化させようとしているかのようだはてこれはどうしたものかとおのれの頭の中なのに湧いたぽこぽこを扱いかねている。もう一つ欧米とローカルカレンシー発行国間のきしみの表面化、先進国の緩やかな生産自国回帰によって一番割を食うのはやはり支那で間違いないのだが、いつぞや日本も食らった包囲網に支那が耐えうるか、本当の意味での歴史の評価に耐えうる対抗策を(支那が)取りうるかなどがね。ここで日本の現状は改めてくどくど書くまでもないけれど、無論現政府は「正しくない」以前の「判らない」レベルなので、却って意図を持たない市場経済的自然体に蚕食はされているが培ったものが余りにも大きく根が張っているおかげで、蚕がどんなに貪欲に葉を食べても樹の大きさの桁が違う故にさほどの自覚も持てずにいる。実は余りに規模、レベルが巨大になると目先の「正しい」はあまり意味を持たなくなる事も多いのが歴史の事実でもある。「正しい」を勝ち負けに置き換えてもいいし現場の正義としてもいいし、はたまた「良かれと思って」でもいいんだが。しかしそれでも、それを判っていて尚それぞれおのおのの「正しい」を希求していく社会はほんの僅かでも根は太らせているのだが、しかし反面その希求が自らではなく他に向けばあっという間に太った根は腐り始める。巨大な歴史の歯車がごとりと音を立てるその時に今立ち会っているのは間違いないけれど、その歯車は一体どっちを向いて転がったやら。
2011.10.12
これを打っている今現在、北海道自民党の選挙区支部長は半分しか決まっていない。前回総選挙で惨敗した北海道だけに事実上次の衆院候補になる人を選ぶのは大変なのはよく判るし公募もしているようだが。自民党北海道第一選挙区公募のお知らせ-PDFこれまで投票してきた選挙で支持政党でも首を捻りながら名前を書かざるを得なかった事のほうが多い。そして無謬は求めないが納得できる候補者が何故いないのだろうと不思議に思うのは自分の選挙区だけではないのはネットの時代になってよく判ってもきた。「忘れて」太陽光200万戸公約、知事が撤回【神奈川】 黒岩知事、「太陽光200万戸」の公約を撤回 「あのメッセージは役割を終えた。忘れてほしい」いくらTVに出ていたといっても何でこんな嘘つきを選択したんだ神奈川県民と思ったら二番目のリンク先を読めば判るんだがまさに罰ゲームのような選択の末だったと。神奈川をバカにしているわけではない。有権者に選択の余地が無い候補者しかいなかった。こういう選択を迫られるとどうしても知名度のある候補者への投票行動になるのはこれは確かにやむを得ない。この現象は国政選挙や知事選のような大型選挙だけではなく各級選挙でも見られる。もう一度言うが無謬は求めてはいない。しかし「なんだこれは、誰を選べばいいんだ」と選挙の度に色々調べまわってもつくづく嫌になる選択の余地すらないに等しい現状は打開してほしいよなあ。ここまで酷いと支持政党で選ぶしかないと腹を決めていざ投票用紙に向かっても鉛筆の芯が中々動き出さない選挙の方が多かった。全国どこも似たりよったりとは思うものの、もそっとなんとかなりませんかね。投票に向かう、投票する理由よりも忌避する理由の方が遥かに多くまた自分にとっても納得できる現状は選挙でさえ罰ゲームに思えて仕方がない。自分で言うのも何だがこれまでやむを得ない事由一回を除いて積極的棄権を一度もしたことがない私でさえそう思うんだから。ただ、これで民主党含む「出来もしないことをぶちあげてとにかく当選すりゃいい」候補者が少しでも減ってくれるきっかけになれば。余談だが広大な北海道でさえ第一条件である気象条件を除いても*太陽光で全ての電力を賄うのは事実上不可能だ。*この時点で前提も何もあったもんじゃないが無茶振りしても北海道で無理なものが他の都道府県で可能なわけがない。国家経済を家計になぞらえて論ずるバカがTVで喚きそれに頷き同調する間抜けが多いと同じく、家庭の電力しか頭にない矮小化と単純化のミックスと言っていい論理、それも真っ赤な嘘を掲げても当選してしまうってのは教育上もよろしくない。
2011.10.11
数時間後に母の友人たち来訪を予定している。この予定は早くから決まり、前もってもてなしの予定も聞かされてはいた。だがこれは母の性格というか持って生まれたものなのだがとにかく計画がアバウト。おまけに当日、その時になってそれまで言っていた事とかけ離れた指示を始める。前回春の時は母が来訪日付を勘違いしえらい目に遭ったのだが、その予定を私に告げる際にそれまでの日付曜日と違うので指摘したら逆切れした結果「やっぱり」となり、それを全く認めようともしなかった。年寄りなので勘違いもあるし物忘れもあるのは判るんだが発覚した際の逆切れがこのところ目立って酷くなり、1週間前にも何かのやり取りで私が更に一歩踏み込んで提案したらあさっての方向に怒り始めたのでそれから下に行ったり何かこちらからアプローチするのは最小限にしている。店をやっていた頃からそういう傾向はあり、加齢によるものというより性格なのである程度は呑み込めるものの、そうはいってもいくら親子でも口に出さねば人の心の中や変遷まで判るわけがない。それくらい察しろというのならそれまでの指示なり希望は口に出して遺漏なく伝えていなければ結局伝わらないのだ。以前は店での接触が主だったから、その場合母は店主で相当理不尽な事でもやらねばならないと思ってきたけれど今は違うのだということをいい加減理解してもらわねば私はエスパーではないし、いつまでも母の察しろに応じられるわけではない。今回の来訪予定も何もかも全て私が母の意向通りやるのが先に組み込まれているようなのだが、具体的には昼食の献立の数品だけしかこれまで受けていず、変更の指示もないのでそれはこれから一気に作るけれど。前は仕事でありお客さんに迷惑はかけられないと思って多少の理不尽も何とか呑み込んで結果としてはやってきたけれど、今は一方的でアバウトな指示は通用しないとそろそろ判ってもらわねば今後お互いしんどくなる。という事で混ぜご飯の具と揚げ物、それとサラダ作りに行ってきます。へそ曲げてぐしゃぐしゃ言われたら戻ってきますw
2011.10.10
昨日の予告の通り私入れて4人で昼から夜まで2食+お茶で11時間ほど喋り倒してまいりました。途中は歩きで大人の社会見学と称して札幌でも中々ディープなある意味札幌離れした場所などにお連れして遠足風味。自分では元々さほど話好きではないと思っていたんですが、店をやめて以来この一年あまり人と話す機会がなかったんだなあと改めて感じましたね。ある程度志向の同じ方向の方々だったので余計に楽しくまた色々言えて楽しかったわけです。4人いて全員一滴も飲まずに23時過ぎまで過ごしましたが全く呑めない私にお付き合いさせたようで少々心苦しかった。ですが今度はせっかくネットを使っている同士Skypeなどでも話そうねと言いながらそれぞれ帰路につきました。全員無事帰宅したのを確認してあちこちネット徘徊していたらもうこんな時間。明日(10日)は母の友人がおいでになるので起きたらボロ隠しやら掃除やらが待っております。
2011.10.09
本当なら10月になったら少し外歩きもできるので円山と藻岩山登って円山動物園に行ってと楽しみにしていた。しかし羆が出ているので断念した。別に命が惜しいわけではないのだが多くの方々が警戒に当っている中で物見遊山でもないし、万が一襲われた場合、私は勝手に出かけたのでいいが捜索にでもなったら大変なご迷惑をかける。山も動物園も逃げないしね。ということで街歩きかそれとも岩内か新十津川などの近郊日帰りに出かけようかなあと思っていたのだが、思わぬ事にお誘いがあり明日じゃない今日、私を入れて女性ばかり4人で街歩き。私の担当?は「大人の社会見学」ということで昼間でもちょっと女性一人では歩きにくい場所や、いわくつき(オカルトではない)な場所とその背景のようなものをご説明がてら引率。数年前も当時大学生を連れて歩いた事があり、その時は割愛した場所*も今回時間が許せば行くことにした。*たちんぼ街とでもいうかなんつーかさてどうなりますか。
2011.10.08
ヒグマ出没情報ここ数日、全国放送で羆出没が報道されている。勿論羆は今年になっていきなり北海道に湧いたわけではなく元からいる。札幌も例外ではない。しかしそれはあくまでもある程度山の中に入りこんだ時に注意するもので、今回のように地下鉄から5分ほどの場所、幹線道路が走っているようなところに羆がいたというのは聞いたことがない。東京で言うなら宮ヶ丘というのは松濤、南23条西15丁目は南青山の南側のような感じと思ってくだされば。こういう問題が起きると「羆のいた場所に~」という原理原則論も出てくるわけだがそうはいっても札幌は190万都市で、一度人の匂いに慣れてしまった羆はまた必ず人里に降りてくるので駆除しなければならなくなる。札幌のみならず千歳の住宅街にも羆は出没し、昨日一頭が射殺されたが胃も腸も空っぽだったと聞いて暗澹とした。よほど山に食べ物がないとみえる。羆は冬眠するから春先ならともかく山に雪が降る今頃まで空腹なのはまずありえない話で、羆にとって快適とはいえない人間や車やその他諸々の匂い、音がするところまで降りてきてしまうほど切羽詰まってもいる。お題に「考」とつけたのは羆対策を少し考えた。札幌だと市街地に面している山から2つ山奥の辺りにどんぐりやくるみやその他野生で実の成る木を植えてそこを緩衝地帯、緩衝樹林帯としてはどうかと。広葉樹なら上手に植えれば自ら広葉樹林を形成できる。その実のなる間、樹木が育つまでの間はその場所にどんぐりやくるみなどを撒きそこには餌があると教えておく。書くのは簡単だが実はご多分に漏れず森林の権利関係はかなり複雑で、北海道の場合加えて国立公園国定公園、そして札幌には天然記念物の天然林もある。これを実施するには国と道と市町村が連絡し、実を撒くについては自衛隊などの協力もいる。しかし一度やればかなりの効果が長い年月に渡って期待できる。言うは易し行うは難しな案でもあるのだが、考えてみれば一部分を開拓前の姿に戻す事でもある。羆は森に人は里にをお互い守るためにはほんの少し人間が手助けし、羆にはそこにとどまってもらう。今のままでは人里に降りた羆は射殺せねばならず、人も羆も不幸なままだ。これこそが行政一丸となって人とそして羆のためにやれることだと思うのだが。
2011.10.07
民主・大久保政調副会長:人民元など新興国通貨でも運用を-外貨準備よくもまあ恥ずかしげもなくこんなことを滔々と人前で語れるなこのバカ議員は。支那、韓国といえばある意味札付き、韓国に至っては1997年にIMFのお世話になり今回お代わりしそうな勢い。支那は国情からして一体どういう神経があれば国債その他買えるのかと口ひねり上げてやりたいわ。円建てで金借りたい国が山ほどあり、それを粛々と実行するだけでかなり効果的な円高対策になるとここで書いた記憶もあるが、どこの世界に国民が積み上げた国金で紙くず買っていい法はないぞ。持ちうるもの(円)で運用するのが今は一番だろうがよ。というか事実上市場に日本の外貨準備は放り出せない現実はあるわけで、やったら最後1000年先まで世界のキングストン弁抜いたと言われるぞ。むしろ今は円で恩を売りドル転させることによる間接的市場介入が一番利口な立ち回りだ。相手国が恩を感じるかどうかは別の問題だがドル転については日本は関与しないわけで、民主政権になってからただ金をバラ撒いた(あたしゃ官製インサイダーを疑ってもいる)半間な介入ごっこよりよほど筋がいい。何が悲しくて破綻一歩手前の国やら借りた金返すわけがない国の紙くずを買わねばならんのだ。マスコミは決して言わないが今でも日本は200兆円以上の金を世界中で貸している。この割合を20%増やすだけでおのずと円高対策になる。元手は印刷代だけ。何度も言うが今は金本位制じゃあなく言ってみれば中央銀行と政府の簿上のやり取りで通貨発行されている。どういうことかというと「常に帳簿上は赤字」。その担保は日本の場合整備されたインフラや国富、米との安全保障条約だったりするんだが、それらは数値換算できないので帳簿上は赤字になる。やろうと思えばできると思うんだが帳簿そのものの仕組みが有産の考え方なので画期的な算出方法を考えださねばならないだろうなあ。とにかくあれだ、民主党は人前で話をしていいレベルの人間出せや。誰だこんなの選んだの。
2011.10.06
現場力で中国から「仕事奪回」 PC国内生産回帰へといっても出回っているPCの一部なのだが、しかしこれはこの先への新しい動きに繋がると私は確信している。この記事で挙げられている理由は中々上品な書き方をしているのだが、支那の国内事情が非常にリスキーになっているのが大きい。支那でのコストはトータルで見ると決して安くはなくなってきている。中共政府がいきなり年金部分を引き上げたり、地方政府が勝手に工場を査収したり労働者がロックアウトしたり、はたまたNECがやられたように工場丸ごとコピーされ、検印まで同じものを使われては培った信用はガタ落ち。何よりも出来上がった製品(PC)は僅かな手抜きで動かなくなる事が多いのだが、この「僅かな」には内部配線が一箇所ささっていない事から理由は様々。パーツからPCを組み上げるのは決して難しくはない工程だが、それでも刺さるべきところに刺さっていないと動かないし、刺さり方がいい加減だとテストはすり抜けて消費者に届く頃にすっぽ抜けて動かない→クレームもありうる。イメージで売っても動くか動かないかで評価が決まる。自作erの私はこの先メーカー品を買うことがあるかどうかは判らないけれど、しかし人様に聞かれた時に明確な理由でこれら日本製を勧める事もできる。またこうした取り組みをしたら売れたとなれば追随するメーカーも出てくる。日本製であることは重要なプラスポイント、購入動機であるということを作っている側が理解し始めたのは大きいよね。
2011.10.05
新十津川の農協 母村・奈良県十津川村に新米1・2トンこの見出しでも使われている「母村」は日本語(漢字)でなら見ただけで意味が通じるが、実は変換するには手間のかかる単語で、それはつまり一般の常用としてはあまり使われていないと思う。北海道は全道ほぼ開拓から始まったのだが、その多くは道外各地からそれぞれおのおの家族単位、単身などで入ってきているので故郷、母体という意味を込めた「母村」という言葉を保ち続けている自治体は新十津川町だけといっていい。字単位でなら地名は残らずとも「○○団体」のような地名が残り、また自治体の歴史に残っていることも多いのだが。奈良県十津川村からいかにして新十津川町に来ることになったのかの概略は新十津川開拓史1から始まる淡々とした記述に残っているけれど、明治の頃、それも今の季節に北海道に渡るというその事実とそれほど切羽詰まっていたのかと改めてその過酷な開拓とそれを乗り越えてきた凄味を感じている。今も十津川村の村章、そして新十津川町の町章は同じ菱に十文字だ。私が最初に十津川(郷)という名前を知ったのは太平記だった。当時はまだ小学校の高学年だったと思うのだが地図も好きだったので探して「こういうところがあったのか」とため息をつき、そしてその名前はその10年後くらいに道内国鉄を乗り潰していた時に不意に思い出す事になる。当時すでに札沼線(現学園都市線)はその名前と裏腹に新十津川止まりになっていて、汽車の本数も少なく時間つぶしをしようにも飲食店などもなかった。結局当時町にあった公的施設で少し休ませて戴いたのだがその時に改めて町の広報などをみて頭に残っていた「十津川郷」がスパークしたという顛末だった。私の曽祖父も小さな団体を引き連れて本州(広島県)から北海道の田舎に入っていて、当時子供だった祖父から開拓の初期の頃の話を切れ切れに聞いていたのもあると思う。現在新十津川町はそのできうる限りの助力を母村に注いでいる。奈良県十津川村台風12号災害義援金のご案内ここで政府の対応の遅さ、そして激甚災害指定の遅さ、災害対策本部が一体何をやっているのかという怒りを書き並べるのはふさわしくないのかもしれないのだが、しかし人口7800人の町が人口4000人の村を必死で助けようとするのを黙って眺めている気にはとてもなれない。今月末あたりに新十津川に行ってこようかと思っている。
2011.10.04
朝霞宿舎の建設凍結へ 首相が視察し最終判断断っておくが私は所謂官僚叩き、公務員叩きに加担する気はないし個々の事例は個々で処理すればいいことで何もかも全部ひっくるめて言い返さない組織を抽象的な仮想敵と見做すような幼稚で単純な考えには賛成できない。そんな事で快哉を叫び一時のすっきり爽快感を得るほど精神まで貧しくはない。こういうのは文化大革命の知識層叩き、ポル・ポトの大虐殺と根底は変わらず、結果として国家を痩せさせるだけということに気づかないただのバカだ。さてこの朝霞の最初の「仕分け」は民主党自身が遵法なのかそうでないのかすら明らかにしないまま恣意的に行ったものであって、それを凍結するというのなら明確な理由を仕分けした人間込みで公表するのが当たり前だろう。私はこの朝霞の問題に限らず仕分け→再開→(再凍結)の一連の民主党の行動の理由はそんな難しいものではなくただ単に業界への脅し、権力誇示、そして示威行為に過ぎないと思ってもいる。口先でなんと言い訳しようとも結果として止める→止めるの止めるを繰り返しているのは一つや二つじゃなく、また再開する場合は仕分けの大々的な宣伝とうって変わってひっそりこっそりやっているのがその理由だ。本来それなりの正当な理由があって止めたのであれば再開するにもそれなりの理由、それも止める時の理由を覆すだけのものを用意しなければならず、それがないままずるずるにしている自体最初の仕分けの正当性を自ら否定していることになりゃせんか。まして八ッ場ダムもそうなのだが中止にする場合の影響が大きすぎる。資材を手当てし人間も配置しそれらは請負者の一時負担になっているわけで、政治家や官庁の人が穴掘るわけじゃあないんだから民間への迷惑、そして一時的にせよ地元に落ちる経済的効果まで加味すれば納税にも当然影響するんだからそれくらい判らずにやっているとは到底思えないからこりゃわざとだと。決めたこと全部やらねばならないってことも当然ないんだが止めるには止めるなりの代替措置は必要で、じゃあどうするのがないから示威行為だよねと言われるんだよ。中身は空っぽ、威張りたいからまたは業界からの献金が欲しいから止めたりやったりを繰り返しているんだろと言われて当然だろ。この迷走の間に一体幾ら国家は損しているんだよ。それを計算して数値化できてこそ公平な決定ってもんじゃないかね。
2011.10.03
今時大きな声では言いにくい喫煙者な私でして、ここでも他でも不愉快に感じる方も多かろうとあんまり触れずにいるのですが。タバコ吸うにはマッチ、ライターなどが要る。以前はもっぱらライターを使っていて愛用していたのが銀のZIPPO。ですが銀なのでケースが壊れて何度か修理しながら使っていたものの別の原因もあり使わなくなっておりました。原因というのが指。長年酷使したせいか利き手の右のみならず両手の親指の関節がほぼ使い物にならなくなっています。特に横に動かすのが酷く負担になり、仕事を辞めて1年近くになりますが良くなる気配はない。前のように痛かろうがなんだろうが使わねばならない状況ではないですが、今日のようにちょっと冷えるとじっとしていても鈍痛があります。なのでここ3年ほどは予備含めてZIPPOを止め使い捨てライターを使うようになっていました。この使い捨てライター(100円ライター)の悼ましい火災事故が起こったのが数年前。その前からも子供がいたずらする火災が相次いでおりました。そこでライターの構造が変わりかなり力を入れないと着火しないように変わってきたのが今年の春くらいから。ここに来てからは前とは違ってどこにでも売っているわけではないのでタバコをカートンで買う事が増えました。大体カートン買いすると使い捨てライターを一個おまけで戴ける事が多い。で、これを使うのでこの構造変化には実感を持っています。ですがこの新しい規格のライター、着火が中々しんどい。これまでは片手で軽々とつけていたものがそうはゆかなくなりました。おまけに前述した親指が痛い痛い。嫌煙家の方々の「止めりゃいいじゃん」というひんやりした視線は充分痛いほど感じておりますですが。こうなるとまた使い捨てじゃないライターを使ったほうがいいのかなと最近考えておりますです。やれやれ
2011.10.02
予報予想されていたが、実のところ昨夜は寝る頃激しい雨にはなってはいたけれど座っていてどうしようもなく寒いというほどではなかった。寝付く前、寝具の中でもごもごしていても寒いとは思わなかった。だが起きてびっくり。昨夜ほどではないけれど空の明るさの割には雨は続いていて、これまではそういう朝はさほど冷えて感じなかったのに起きぬけから寒い寒い。先月半ばくらいに1度か2度起きてすぐ顔を洗うのに長袖を着た事があったがそれ以来かなあ。予想では今日はほぼこのまま、予想最高気温は12度というから一度ストーブ焚いて部屋を暖めておいた方がよさそうではある。今時期はまだちょっと焚いてある程度になったら消すくらいでさほど寒くはない。これを打っている横では詳しい天気予報をやっているが11月半ば相当の気圧配置らしい。毎年必ず間違いなく冬は来るが、その寸前の11月が一番堪えるんだがそれと同じと聞けば寒さが増す気もする。この天候は月曜一杯まで続く。こうして来る冬に身体を慣らしていくんですよね。
2011.10.01
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