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今これを打っている横では珍しくTVを点けていて「朝生」をやり始めたところだ。ちゃぶ台返しをするわけではないけれど、今回の朝生のお題そのものについて「おかしくね」と思ったので脊髄反射で打ち始めたと。今回の大震災の被害の大きいのはまず津波。根こそぎ人も建物もそして陸地までも持って行かれた。未だ見つからない方々も多く、まだまだ何も進んでいない事に苛立ちつつも昨晩私はTwitterに「四十九日が終わった。ひとまず明日へ、未来へと」書いた。何故ならこれらの復旧復興は政治でできる。というか政治(行政)なしでは立ちゆかない。それなのに政府が無能で力点の勘所を間違えているから進まないだけ。何故か。それを朝生のお題で感づいたのね。つまり原発事故、事故そのものの原因は地震と津波、天災であった。そして事故が起こったわけだがこれの復旧復興は政治(行政)ではできないよ。専門家だけが何とかできる。だから事故について論ずるのはともかくあれをどうするこれをどうするを政治家が何人集まっても解決できないってば。できるのは国際機関、協力諸外国との交渉折衝通訳くらいなもんで、これを政治家含めて外部の人間がいくらわぁわぁきゃあきゃあ言っても解決はできない。ましてや事故が起こったからここを先途と「原発反対わぁわぁ」喚いても今事故ってる原発が収まるわけじゃあるまいて。そんなに詳しいならTV局でしたり顔してないで現場行け。無駄だ無駄、こんな事に電気と電波使うのは。翻って最初に書いた被災地域への注力、これは日本国と政府みんなできちんと割り振りして手際さえ整えれば力技(金と尽力と技術と根性)でできる。つまり菅政権はできもしない判りもしない、仮に判っていたところで手も出ない事に無駄なパワーを使っていたということだ。今やっている朝生も同じで、いくらTV局で原発についていいだの駄目だの言っても主張してもどうにかできる人間がこの番組にいるじゃあないべ。政府がやるべきはまず復旧復興、そして責任の所在を明らかにする事、原発はできる奴にやらせろ。とまあ言っただけならどこぞの総理と同じくなるので。高速道路は東北地方のみ無料、他の地域は土日祝日だけ1000円。これでいいべ。子ども手当は児童手当に戻す。当然国籍は親子共に日本国籍者。生活保護は日本国籍のみ、外国籍の困窮者は国籍国に送還、送還者は10年間+日本円で400万円以上積まねば再入国禁止。再入国後も生活保護は一切認めない。危急時だからこそこれらの大きな舵を切れるのだよ。今もまだ朝生ではTV局の中で時間を費やして原発について討論しているが時間の無駄だ。だって識者と言ってもだ、彼らが現場行ってなにか作業できるわけじゃあないもの。世界中から助っ人来ているんだから委ねて後は現場の専門作業者に任せるしかないよ。
2011.04.30
私はここで阪神大震災の時の村山内閣の初動の遅さを再々書いてきた。今でも彼とその政権を許しがたいと思ってもいる。だが今回の大震災は確かにそれを上回る規模と被害ではあるものの、阪神大震災の教訓は政治、行政に関わるものなら誰も忘れていないであろうに村山政権以下の対応とそして動き…ともいえないレベルだ。少し長いが気仙沼選出小野寺五典議員のニコニコ動画お題はセンセーショナルだが被災地での実態がよく判る。もはや人災 予想以上の無能っぷりを晒す民主党政府そしてもう一つこちらも長いし政府答弁を聞いていると怒りを禁じえず頭が沸騰するが小野寺議員の国会質問4.26 衆議院予算委員会 小野寺議員そしてここで政府、特に菅はとんでもない虚偽というか空疎な根拠なしの答弁をしていた。これに関する記事がこれ仮設住宅めど立たず…国交相が首相発言打ち消すこの記事は消される可能性があるのと短いので全文転載転載↓大畠国土交通相は28日の閣議後の記者会見で、すべての仮設住宅が完成する時期について「めどがついてれば私の方から申し上げている」と述べ、現段階では見通しが立っていないことを強調した。 菅首相は26日の衆院予算委員会で「遅くともお盆のころまでに希望者全員に入って頂けるようにしたい」と8月中旬までの入居を目標とする考えを表明していた。被災自治体からはこれまでに計約7万2000戸の仮設住宅の建設要請が来ている。転載↑私はこの小野寺議員を身近で見たことがある。今年の1月、自民党党大会前夜のウエルカムパーティの席であった。1000名以上出席のパーティだったので立席だが開催当初は大きく地域分けされていた。北海道東北は選出議員が少ないせいか入り口から入って右側の方に纏めて札があったのが2テーブル分。あっという間に人で埋まり、年配の方々が多かったので遠慮してテーブルの傍にはつかず、一番人で膨れ上がった乾杯の直前にようやく空いているテーブルの隙間に佇んだ。私は酒が一滴もダメなので乾杯は振りだけしようと手近のグラスをひょいと取ったらすかさず向こうの方からビール瓶が伸びてきて注いで下さったので頭を下げるとその方が小野寺議員だった。無論こちらは存じ上げているがあちらは私をご存知ない。立席円卓テーブルにびっしりと人が立ち、そうなると私のようなちびはその隙間から腕だけが出ていたと思う。どう見ても場違いで空気感も違う選挙区の人間でもないオバハンにあの人の隙間から動きを見ていた事自体にまず驚いた。乾杯の音頭の時は議員はそれぞれの地域のテーブルについているので、私も北海道選出議員が一体支持者にどういう話をするのだろうかという点に興味があった。運良く傍で出席者に取り囲まれていたのが町村議員。機嫌よく有力支持者であろう爺様達に囲まれていた。その円卓の向かい側に小野寺議員は立っておいでだったのだが、よく聞くと小野寺議員は外交などについて当たり障りのない範囲内ではあるが町村議員に色々聞いている。額に汗を滲ませて。なんというかこの会話そのものの中身よりもその小野寺議員の額の汗と必死で食いついて何でも聞こう、この機会を逃すかという気迫に気圧された。同じ自民党議員といっても町村議員と小野寺議員では共通点は外交畑というだけで、経歴も何もかも違うからこうした機会でなくては聞けない、そして何らかの糧を得、また次に繋げようという渾身の気迫がそこにはあった。党大会の前夜のこの場面は1泊2日の東京行きの中で一番鮮明に脳裏に残っている。翌日の大会寸前にJ-NSCへの感謝状を受け取ったのはくじ引きで当たった私だったのだがこの時よりも。今も向こう様は私のことなぞご存じなく、それは当然なのだがこの記憶と印象が強く残っていたところに今回の惨劇であった。震災直後からTwitterで小野寺議員がぽつりぽつりと呟くのがほぼ唯一の気仙沼現地からの情報でもあったのだが、1週間も10日も風呂に入れず1つのおにぎりを3人で分けている実態をいち早く知ったのもTwitterによる。伝聞情報ではない一次ソースとして信頼に足ると判断できたのも、発信が議員だからというだけではない、自分がこの目で見たこの人だからという意味でね。
2011.04.29
ドル81円後半、日本の格付け見通し引き下げの影響は限定的何でこの状況でドル売り円高なのかと思われる方も多いかもしれないし、今後の企業増産と輸出を考えると芳しくないなと暗澹としてしまいがちだが。むしろこれこそが「素直な市場原理」というやつで、この円高の本質はドル売りユーロには手を出しにくいので結果的に同じ低金利なら円だわなということ。この記事の2ページ目にあるように政府が国債発行に傾いていても尚国内消化できる余地がある上に先ほど書いた企業増産分をも国内吸収できる余地があるとみられている。現状東日本の生産地(工業食糧共に)の多くが生産を止めざるを得ない状況ではあるものの、復活の兆しは確実に見えているし何より市場がそれを固く信じている。本来であれば普通の政府ならとっくに復興需要が来ているのだが、今はむしろ産業ごとの奮闘や結束や工夫によって政府の無能を超えて生産を戻しつつある。復興以前に被災地救援やインフラ整備もぐずぐずしている政府発注の前に自腹覚悟で各企業団体が頑張った。これらの事実は日本のマスコミメディアでは報道されないが、事実として道路復旧の速さ、鉄道網の復旧、港湾の暫定復活、そして電話通信を見れば明らかでもある。自分達が「何屋」であるのか本質を理解している人達が黙々と自分の仕事をこなした結果でもあるのだが。そうなんですわ。企業でも小さな店でもおのれらの仕事は何かを知っている人間が本来の仕事ができる。ルネサスという一般的には知られない企業がある。ここは自動車産業などの半導体を作っているところで、その他にも「組込み系」といわれる分野でも著名だ。私もよちよちと組み込みの基礎の基礎を齧っている時に知った。ここの復旧には自動車産業全体が関わった。中越地震の時もそうだったのだが、こうして産業全体がバックアップすることによって普段はライバルで凌ぎを削っていても結果として産業全体の生産を上げる方向に行くのだという結束ができるのが「自分が何屋だと判っている人達」なんだよな。生産し売上を作り経済に寄与するのは組合でも評論家でもないこうした人達。その生産するのにはどうすりゃいいのかを本質で理解できているからこそ産業全体で一つの企業(とは限らないが)を応援し効率よく復活させられる。自分達自身の為ではあるがしかしそれだけじゃあないやね。何としても道路は繋がねばと余震の続く中頑張り続けた道路工事の方々とそれらの資材を調達し届けた人達もそうだ。こういう方々がいる限り、つまり日本が必ず復活すると市場が判断しているというのが事実とそしてその結果の市場判断ってこと。被災された方々の個々の人生の険しさとそしてこれからを考えると本当に能天気でいられるわけではないのだが、しかし日本はまた元に戻りますよ。必ず。
2011.04.28
よくないなあと昨日しみじみ思った。再々ここに書いている紫外線アレルギーなのだが、それを緩和する薬を飲んでいる。といっても薬にも過敏で市販薬の今となっては古いタイプのものが合っているのでそれを数年春先から夏が終わるまで服用している。この薬についてはここで触れたこともある。錠剤で小さい(80錠)のと大きいの(220錠)があるのだが、例年通販で大きいのを3つ買えば大体間に合っていた。それはこの薬は眠気を催すので店があったために一日一回寝る前にしか飲めなかったせいもある。そして今年は晴れて無職になり、きちんと一日3回規定通り服用できるなあと楽しみにしていた。これを服用するようになってから確かにボコボコブツブツになるのが緩和されているし、なにより暑くなってから熱があまりでなくなったのでね。例年は4月になってから注文するのだが今年はブツブツの出るのがいつもより1月以上も早かった。そこで早めに頼んだのが先月9日なのだが、これまでないほど早く症状が出たのでこの薬で間に合うのかと危惧もし考えた末に大きいのを1つだけにした。そして届いたのが3月12日。そう、震災の前に倉庫を出て運良く北海道に渡っていたらしい。これを服用し続けちゃんと例年のとおり注文しようとしたら欠品になってしまっていた。探し歩こうとしても出られるのは夕方から。電話で問い合わせるというのも気が引けてどうしようかと迷っていた。だがもう薬は残り少ない。昨夕、近所にあるドラッグストアに行ってみた。正直言うと私はチェーンドラッグストアにあまり馴染みがない。私の使えるものがあまりないのと、色んな商品の匂いがきつい店が多く敬遠している。時には店員さんまでえらいきつい匂いがするので店頭から逃げることすらある。化学香料のきついのも息が苦しくなるので。だがこの店は入ってみて気づいたが酷い匂いはしなかった。薬で切羽詰まってもいるので小物をちょっと買い、カウンターで常用薬について聞いてみた。そうしたら奥から薬剤師の方が出てこられて「今は小さいのしか在庫はないけれど、小さいのがあるという事はメーカー在庫があれば大きいのも取り寄せはできます」と。やれやれよかった。というかさほど高いものでもなく、また薬の買いだめもしないので大した量でもないのにこの薬について親切にしてくださったのが嬉しかった。何故にこの薬がそんなに欠品になるのか不思議でたまらなかったのだが、一部で悪用…というか目的外使用されているらしい。なので薬の名前は書けないのだが、悪用の陰でこれしか服用できず外を探し歩くのも難儀な人間もいるのだ。だから電話だけでは在庫があるかどうか聞くのも躊躇っていたというのもある。ここ1週間ほど困っていた事が一応解決し、そして自分のドラッグストアに対するある種の偏見のようなものも払拭できたというお話でした。
2011.04.27
所謂「反原発派」というのは確かに存在する。彼らの言い分も三分はともかく一分はあるなと思うこともある。ただ彼らの根底にあるのが核への恐怖なのかはたまた政治運動なのかはっきりしない所-ぶっちゃけていえばむしろ政治運動、反政府運動に利用されすぎちゃった-が多く、また主張の根拠が原理はほぼ同じながら爆弾と核燃料をごちゃごちゃにしてしまっているのが信憑性を欠く大きな要因になっていると思うのだ。原爆を軽んじているわけではないけれど投下から数年の間に緑は戻り爆心地のすぐ傍でも人は生き続け広島に至っては100万都市になっている。だからいいというのではないよ、でも事実としてそういうことだよねと。そして主にTwitterなどで不思議だったのは反「反原発派」だと自動的に推進派とされてしまうところでして。少なくとも私は反反原発派ではあるが推進した覚えはないな。諸手を上げて賛成などと思った事もない。つまり仏議会の「左翼」が先に出来上がりそれに対抗する勢力が「右翼」と呼ばれ始めた如く何故か「推進派」と呼ばわる方々は「反原発派」に多い。推進派がいる事前提での仮想敵を作り上げそれらに対抗する為の呼称かなと思ったりもするのだが、そのやり方は40年ほど古いと思うんだよねえ。というかゆっくり落ち着いて辺りを見回して欲しいと思ってさえいる。極めて個人的な事情しか判らないのでそれ前提にすっ飛ばすが、あのオイルショックを契機に、そして公害問題も加わって日本は省エネとそして原発への道を本格的に歩き始めた。そのオイルショック当時はWW2の記憶がまだ生々しく、油で負けたといっていい戦争を思い出した大人も多かったのだろう。私は中学生だったが運良く親が慌てふためかない種類の人間だったので身近なパニックは見ていないのだがTVでも連日「ものがなくなる」と煽ってはいたな。同時期に当地にも地下鉄が通り、多少前後するが鉄道が電化になり送電線の鉄塔がどんどん立ち始めた。それくらいから停電は劇的に少なくなった。こうなると電気は水や空気と同じく生きて行く上で必要不可欠なもので、ちょうどその頃ストーブも灯油になり電気必須になったんだよね。当地ではストーブがないと比喩ではなく死ぬ。そうしたものに電気が必須になった過程をまざまざと見てきた。そして札幌は100万都市になり莫大な電気需要を賄うために泊村に原発ができた。おそらく当時泊村では原発の電気は必要なかったと思うよ。札幌や札幌周辺の為に泊村に原発を作ったんだ。だからこれも個人的な感想、いや感情になるけれど私は泊村には借りがあるとずっと思っている。人によっては金出しているからというかもしれないが金の問題だけじゃあないだろと。なので店をやっている時などは「どこか静かな温泉ないかなあ」と聞かれれば盃温泉を勧めたりしていた。私もとことこと行ったこともある。泊村は交付金不要の自治体だがだからそれでいいじゃんと思ったことは一度もない。札幌に住み地下鉄に乗り電車を使い明るい街なかを歩けるという事は泊村の方々の頬を札束で叩き続けているという自覚は持っているよ。少なからず負い目を感じていますよ。できるのなら原発と同じ効率、安定が得られるのであれば代替発電方式ができないものかと心から願っているけれど、現実はそうではないということだ。そしてこの日記も電気なくば書けないというのも現実だよね。
2011.04.26
昨日は夕方からちょっと出かけた。どうしても入用のものが近所になかったので交通機関を使った…といっても街なかに行く気にはなれなかったので所謂郊外のターミナル駅近辺。買う物は決まっているのでその前にちょっと足を伸ばして古本屋に寄り一冊だけ文庫本を買い、次に目的のものを買い、そしてスーパーでうろうろして小物と食料品を仕入れて帰ってきた。その間2時間ほどだがなんとはなしに気が晴れた。思ったよりも暖かったのだが予報も予想も外れ、帰りにやや強い雨に当たったせいか散々ぱらくしゃみしていたけれど風邪がぶり返すことはなかった。スーパーも閑散としていて割引のシールだらけになっている。決して高くはないのにそれでも売れないようで、売れないから仕入れを控え、それが品数と種類の少なさに響きまた売れなくなるという悪循環なのだろうと思った。以前はあったもの、それも私が好んでそればかり買っていた物が欠品していてそれが一つや二つではなかった。震災の影響もあるだろうから一概には言えないのだが。14貫入った生寿司が598円で売っていたのにはたまげたが、生憎食べたくないので買っては来なかったけれど最早「安いからただ嬉しい」という状況ではない。
2011.04.25
せっかく無職になり予算はともかく時間だけはたっぷりとあるのでさてどこかに出かけようかとしているのだが。世間の皆様には格好の花の季節を迎え、近場の手軽でひとりで行けるツアーは外ばかりになっている。桜、芝桜、山の花とどこれもこれも心が浮き立つような誘い文句でおまけに昨今の道内観光事情かえらい安い。ついうっかりどうしようかなとパンフレットを眺めたりサイトを比べたりしてその度にはっとして苦笑いするのだが。行けるのは水族館か街なかの建物地下街くらいなんですわね。先日の風邪っぴきの原因になった小雨曇天のたった20分ほどの間でも両手中指の関節のあたりが赤くぼこぼこになっているのだから。ということでとりあえずは水族館に行くのを夏までの目標にしよう。花ならもう少しするとうちの庭にヤシオツツジ、ムラサキツツジ、そして借景の辛夷などが咲く。
2011.04.24
無論私はこれまでと今回、東電が無謬とは思ってはいない。しかし東電が全部悪くてそれゆえに今回の事態に至ったとは思ってもいない。まず忘れてはならないのは事故の主な初原因は地震と津波、それも主に津波が事態の始まりであるということだ。原発事故賠償 許されぬ政府の責任逃れもう一つ事実として忘れてはならないのは何度も言われているがこれは東電、東京電力の発電所ということもね。事故は最初不幸な形、想定のキャパを超える状況で始まった。しかし先日書いたように本当の「想定外」だったかというとそこは言い切れない。訓練でも今回の8割程度は想定されていた。天災に加えて東電の準備不足もあったし政府の初動も誤っていたというのが私の見方。当初の天災事故の規模もレベルも大きく高い場合、ベストを尽くしても抑えきれないのは確かだが、しかしそれに輪をかけたのが東電と政府であったという意味でね。もう一つ東電は民間会社であって行政面での権限判断はない。国際社会への救助要請もできないし国際機関への直接報告もできず住民への避難勧告も独自にはできない。報告義務はあるが決裁はできないのだ。つまり政府は東電を支える立場でもある。この「支える」というのは別に肩入れするという意味ではなく東電の及ばないところを補完し住民への説明、国際社会、国際機関との折衝、そして法に則った仕事を粛々と行うことだ。今回避難地域がようやく策定されたが、当初の曖昧な区分は政府としての責任を負わずに済ませようとしているのかと疑われても仕方がないぞ。東電は電力会社であって電気を作り送るのが仕事だ。先ほど民間会社とは書いたが無論インフラ産業なのでその責任は重く、また他の会社を選択するのは事実上不可能な地域独占企業。だからこそこのような重大事故には政府と二人三脚が必須になる。今回、東電だけを責めて溜飲を下げているのは何かが足りない人だと思っている。もう一度言うが東電は無謬ではないけれど東電だけが原因ではないと思うぞ。
2011.04.23
震災対策法案も準備できない菅政権の無能についてこれに関してだが、更に菅政権は法案提出を4月28日にし、GWを丸々休むつもりでいるらしい。確かに例年ならば多少の外遊は理解もできる。しかし昨年、あの口蹄疫の惨禍の中キューバにのこのこ出かけていた赤松といい、同時期に地元でパーティ開いていた山田もふざけていたが今回の震災はそれにまさるとも劣らない状況だ。諸外国にこれを伝えれば事前の約束であっても取り消してなんら不思議はなく理解されるだろう。阪神大震災の時の村山の初動の酷さは今も伝えられているが、それよりも酷い現政権のクズっぷりには言葉もない。ネット越しの知人の知り合いの親御さんがせっかくこの地震と津波から命ながらえたのに亡くなられたと聞いた。この話だけではない。ここに以前書いたふじ丸には医療人員も乗っていて一ヶ月早く接岸の許可が出ていれば北海道なり東京なりに運んで助かったかもしれない方々が大勢いる。天災を人災にする民主党とはこの事だ。今は亡き司馬遼太郎氏がノモンハンの事は書けないと仰っておいでだったが今にしてその気持ちが理解できたような気がする。
2011.04.23
そもそもは昨日のドタバタから始まる。元々は私が停留所一つちょっと離れた所に用事があった。天候が私向きの曇天雨模様なのでそれくらいなら大丈夫だろうと。さてそろそろと思った頃合いに下(1階、両親がいる)から呼ばれた。なんじゃいなと行ってみたらどうやら爺が銀行に行くと言い出しそれならと婆が付き合いついでにお前も行くんだろうから一緒にと。その時点では車で行くと言っていたはずで、そのつもりで家で着ていたものにジャケット引っ掛けて出てみたらいつの間にか歩いて行くと。まあいいかと先に行かせて外に出ると小雨が降ってきた。私はいいが爺婆が濡れると厄介なので傘を取りに戻り追いついて歩き出した。途中で降ってきたので爺に傘を渡し、私だと7分の道のりを爺婆で10分ちょい。銀行の用事を終えたのを見定めてそこからちょっと離れた所に用事を足しにゆくので先に戻ってもらった。どうせ途中のスーパーで追いつくし。その間歩いているのに妙に寒かったのね。で、小雨と薄日のコンボでもあった。帰ってきて1時間もしないうちになんか寒いなこの寒さは寒気かと。ご飯支度の時間になると更に調子が悪くなり「ダメだ寝る」と下に言って18時過ぎかな、布団に潜り込んだのは。起きてみたら日付が変わる直前。だが何とはなしの調子悪さはずいぶんよくなっている。食欲はないままだがその割合にはすっきりとした。一旦暖かくなってからの寒気なのと外気に触れない生活に切り替わったせいかびっくりするほど簡単に風邪気になってしもうた。明日じゃない今日はもう一つ用事があるので用心しつつちゃんと着て行こうっと。
2011.04.22
この原子力総合訓練というのは余程のことがない限り毎年行われる。先日国会質疑で呆れたという内容の日記を書いたのだが、ごちゃごちゃここで抜かすより見ていただきたい動画が2本ある。いずれも原子力防災訓練。特に最初の動画はまるで今回の福島原発事故を予想していたかのような内容で、オフサイトセンターがこけたことを除けばほぼこの通り踏襲していれば間に合う内容であった。いずれもニコニコ動画、要アカウント。平成20年度原子力防災訓練(麻生内閣)そしてもう一本。2010年原子力総合防災訓練(菅内閣)先日の国会で菅がよく覚えていないといったのはこの2010年10月の訓練の話で、想定内容は平成20年(2009年)の方が今回の事故に酷似している。つまりこの訓練をそっくり思い出しマニュアルをこなしてゆけば、最低限でもこの訓練内容マニュアルを官僚に持ってこさせれば今より幾許かはマシであったろう。無論訓練には総理大臣が事態すら定かじゃないのにほいほいと原発上空を飛び回るなどという浅はかで浮ついたものはなく、現地に行くのは副大臣で官邸本部に閣僚が居並ぶということになっている。ほんとにね、この動画2本見れば菅のやらかしたこと、そしてやらなかったことが明確に判る。
2011.04.21
先月だったか近所の小さな店で海明けの毛蟹*なのに安すぎるとTwitterに書いたのは。*海明けの毛蟹というのはオホーツクの流氷が去った後の一番二番の船で取るので、身がぎっちり入り肉も締まっておいしいので普通はそこら辺の店には並ばない、並んでも高価で買えないこの時は小さいけれど身の詰まったのが3匹1000円もしなかった。いくら小さいといっても海明けの蟹がこんな値段で出たのは見たことがない。美味しかったけれど爺婆3人で3匹は多すぎた…は余計だがうまいうまいと食べながら母ちゃんと「ありがたいけどおかしいやね」と言い合っていた。食べたいけど買えないねえというのがこの時期の決まり文句で、毛蟹は必需品じゃあないので相応の値段になってから買うのが例年だった。しかし今年はそれ以降も買って買えない値段じゃあない。一匹1000円も出せばそこそこのが買える。この店では同時に活北寄を5つ、これが380円だった。剥き身だが生きていてしかも大きい。私の手のひらに一杯になる剥き身だった。んで。同じく先月、近所のスーパー(前述とは違いちょっと値段が高め)に行った時にも気がついた。鰹のタタキ、エビ、マグロが安い。安いなどというものではなく上の3種を3人分間に合うだけ買っても1000円以下。ここで「わあ安いやったあ」とただ嬉しがれればいいのだが毛蟹や北寄のことを思い出し暗澹とした。そして昨日。用事のついでに以前住んでいた近くの大型スーパーに行った。昼をまたいだのでなにか食べるかそれとも買ってすぐ食べられるものにしようかと母と話していた。そこで出くわしたのが14貫で698円の生寿司。イカ、タコ、イクラ、ツブ、マグロ、エビなどが入ってね。無論鮮度もよく実においしかったのだがここでも親子して「ちょっと安すぎないか」と。2人でお腹いっぱいになりありがたいとは思ったもののこれでは経済は回るまい。まだ荒れることの多い春の海に出て漁をしている漁業者の方々に一体いくら入るのか。いや漁業者だけじゃあない。鮮魚や所謂必需品じゃない種類のものまで安くなってしまえばそれは外の種類の食品にも波及しやすい。自粛ムードは気持ちとしては判るけれどしかしこのままでは復旧復興に向けた全体のパワーも落ちてしまう。先月は色々あったので買い物も満足にせずにいたのだが、今月から来月は少し買い物や外出しないとなあ。うーん。
2011.04.20
「菅」という人災が東北つぶす!責任転嫁の“乱立会議”機能せず昨日の参院委員会はNHK中継されたのだが平日昼間でもあり見た方は少ないと思う。その中で記事にある政府対応の遅さ鈍さ、そして責任逃れとしか思えない会議、本部、チームの乱立も指摘されていた。例えば義援金の配分。赤十字に口を突っ込もうとしたニュアンスを政府首脳が口走ったニュースには私も驚いたが、そもそもそれ以前に政府自体が「どうしていいか判らない」「最終責任を誰も取ろうとしない」ので決まるわけがない。震災直後から物流、インフラの復旧、手当に関しても民間が動きその為の許可を得ようとしても中々動かなかった。ふじ丸の件も一ヶ月遅れた。そしてもう一つ、これまでの政府対応のレスポンスの悪さ、責任所在不明の理由がこれ。自民党の髭のたいちょが調べて作った東日本大震災対策組織図髭のたいちょは自民党佐藤正久参議。昨日の国会参院はこれについても指摘していたが、その前に菅に一体いくつ、どんな会議本部チームがあるのか全部聞いたほうがよかったんじゃないかと感じた。大体においてこの質疑の中でも平成22年10月に原発事故を想定した内閣府の訓練があったのだが、この内容を問われて覚えていないという菅の答弁に口を開けたんだがね。確かに天災自体は誰のせいでもないけれど、しかし天災にどう対処するか二次災害三次災害を防ぎそれによる犠牲者をなるべく少なくするのは政府の仕事で、その中でも救援活動に当たる人員の犠牲というのは本来あってはならない。結局無能は二次災害三次災害を招きせっかく助かった命を凍死餓死させてしまっている。会議や本部を数作るのは単なる思いつきとそして責任逃れの為でしかなく、これらを統括し責任を取るつもりもない政権がまだ居座っていることこそが一番の災難だ。追記要約だが昨日の質疑首相しどろもどろ・開き直り…初動遅れ追及され
2011.04.19
クウェート、原油500万バレルを日本に供与へマスコミが報じない台湾からの百数十億円規模の寄付もそうだが、このクウェートの原油供与もすごい。今はまだ原油価格は高騰気味で、おまけに日本が復興絡みで需要期を外れて大量の原油を輸入しなければならないのは目に見えている。つまりいい商売になるのが判りきっている。日本の場合買ったものには必ず金を払ってきた-当たり前だと私も思うが世界は必ずしもそうではない-のでこの供与される分の原油をキープしておくよというだけで、確保だけでも大きなアドバンテージになる。しかしクウェートは今回自国の大きな産物で日本にはない原油をこうして無償供与してくれた。固定価格で売ってくれるだけでも、量を事前確保してくれるだけでもありがたいのに。何故クウェートがこのような申し出をしてくれたのか考えてみるとそこにはやはり日本が長く培った外交、弱腰八方美人と言われながら紡いできたものがある。もとより国家間に友情などという甘いものは存在しないことくらいは判っている。しかし目の前に大きな大きな利益があると判っていながら、そしてもっと少ない出費で効果的なやり方もあろうにクウェートが無償供与を申し出てくれたことに甘いと言われようが「友情」という単語を使った。そしてもう一つ「日本に良くしておけばいいことがある」とここまで各国を駆り立てたのはやはり先人のお陰だということも。これも日本の財産だよね。
2011.04.19
4月2週目は統一地方選挙の現場を眺めて過ごした。流石に皆様追い込みにかかっている時に文字通り「眺めた」わけではないけれど所詮は素人の猫の手、おのれがなにかやったなどと思い込むのは自信過剰どころか思い上がりというもので、つまりは見学であった。一心不乱に手を動かしていても眼と耳が空いてるので何かしらの状況は見聞きする。そして見たこと聞いたことに対して考えたりすることも多々あった。無論「あれっ」ということもあったのだがそれを私があれこれ考えても意味がないのでそれは見ただけということにする。ちょっとの間考え込んでしまいどなたかに伺おうかと一瞬思ったがこのクソ忙しいのに差し迫った用件でもない単なる私の好奇心で人様の時間とそしてHPを使うのは遠慮した。私がいくらバカでも今聞いていいのかどうかは判るしその内表に出てくりゃ判ること。ただひとつ言えるのはこのど素人の猫の手に関係者の皆様大変ご丁寧にしてくださった。そりゃあ猫の手も一票は持ってはいるがこれまで半年以上途切れ途切れながら縁を繋いでいたとはいえ接遇に手を抜かれても私が自民党に肩入れするのが分かりきっているのに。自分の意志で肩入れすると決めたから。ベストではない、無謬でもないがベターであるという積極的とは言いかねる動機だがこれでも生まれて初めて自分の意志で団体加入をした。今回の統一地方選は小さな単位の事務所その他も垣間見た。ただの通りすがり同然なのだがそれでも自分の目で見るというのは何がしかをもたらしてはくれた。やっぱりね、自分の目で見て自分の耳で聞かないと判らない事ってあるよね。
2011.04.18
「最後の一人まで捜す」陸自、交代なく1カ月涙の出るような話とそして健気な新設旅団の話だが。しかし私はこの状況をただ見過ごしている防衛省に抗議したい。WW2、いや日清戦争、いやもっと前から軍隊の美談は受け継がれ確かにその心根、愛国心そして犠牲精神は軍隊がどうのという次元を超えて人の胸を打つ。それらが多少脚色された時代もあったのだが、一旦組織としてなくなってしまった旧日本軍の功罪がこの美談でもあると私は思うのだ。美談になるには一人、一隊、一軍の犠牲的な行為を伴いまたその犠牲が大きければ大きいほど後世に残りまた伝えられる。「死んでもラッパを離しませんでした」「まだ沈まずや鎮遠は」などの逸話は21世紀になって尚美談として生きている。しかし軍隊が機能的にかつ効率的に、即ち軍隊としてのまっとうな使命を果たすには本来美談はあってはならない。伝説的な美談が残る軍というのはそれだけ軍隊としてではなく軍人の献身的犠牲が多いということを意味する。軍人個々の美談という名の犠牲の上に立つ軍隊というのは最早あってはならない。だから私はあえて言う。これは防衛省の責任だ。そして最高司令官である菅総理の責任だ。どこの世界に交代要員もなく発出する軍がおる。交代要員のあてもないのに持てる航空戦力の9割を出し残る分に交代がないとは何事だ。如何に菅総理が最高司令官といえども軍としての機能を喪失する派遣命令は出してはならず、それを止め兵站を整えるのが防衛省だろうに。野営を一ヶ月続けさせ交代要員も出せないような命令は出すな。もう二度と軍人個々の犠牲の上に立つ戦いをさせてはならない。
2011.04.17
父の認知症は医者の診断はあるのだが、知らない人には判りにくく、また買い物や銀行への行き来、そして身の周りのトイレ食事風呂はおぼつかないながらできているので極めて軽度といえる。ただ、認知症になる前からの性格はそう変わらないようで、時折まるで理不尽な事で暴力を振るっていた時のままにも戻る。引越し直後はまだ仕方がないとは思った。荷物をまだ入れている最中に私を2発殴ったやつね。認知症にとって環境が変わるというのはそれなりの負荷でもあろうし、これまで一人で住んでいた家に2人増えたんだから当然といえばそうだろう。その後は軽いいさかい、言えば引っ込むくらいの収まっていたのだが。昨夜遅く、この2階の廊下でゴソゴソと音がした。ああ、また母が荷物探しに来てるのかと思ったのだが、なにやらブツブツ聞こえる。父だった。そもそも階段の照明はあるかないかくらいにしている。点けてようやく判るようにしてあるのは何事かあった時に父を驚かさない為でもあった。一人が長かったせいか夜私が階段を昇り降りしただけでものすごい怯えるのを垣間見たので余程じゃないと23時以降は下には降りない。2階には小さな台所とトイレもあるので夜中の風呂さえ我慢すればこれで案外困らなかった。ところが昨夜のゴソゴソはやや23時になろうかという時間。引越し直後以来夜に来たことがないのでびっくり。そこで何にブツブツ言っているのか聞いてみると隣室(この部屋の続き部屋)に荷物が山積みになっているのをどうも私と母の留守中に見たらしい。元々あちこち弄繰り回したり部屋のものを勝手に探る傾向はあったんだが。この荷物は大物家具を上にあげてしまい、それを下ろさないと収納が不可能。おまけに今この部屋に入れようとしていた家具を母が下に欲しいと言い出して更に片付かなくなった。荷物が山積みなのは確かに言われても仕方がないがそれには理由があって、なんとか宥めたと思ったんだがそこで余計なことを言うのはボケる前から変わってない。「俺の家にゴミを置いとくな」と。いやお前の家じゃねえし。ここ細かい理由は省くがそういうこと。まあまあと階段の踊場までゆっくり下りるのを見守っていたら急に振り返って拳固で私の頬を…かすったのと手を出したはいいがよろけたので押さえたらいきなり手首を掴まれまた拳固作ったのでやむを得ず私の左手で父の左手をクロスで抑えながら胸倉掴んだ。次にもう一発来そうな右手の拳固を空いている右手で握り返して下に下ろした。つまりばってんこで抑えてる状態。ってか広くもない踊り場であぶねえ。暴力を振るうのかと言われたので「おいっ」と。私を殴ろうとしてもがくので危ないというんだが口汚く罵る罵る。そこに母が気づいて来たんだが例のごとく「こいつが暴力を」はー。親殴れるくらいなら認知症になる前最後に殴られたときに殴ってるわい。どうも前回から半年経って抑えこまれたのすっかりを忘れたようで、おまけにいない隙に部屋に入り込み、今夜も誰もいないと思い込んだらしいんだよね。何故かは判らんが。かなり厳しく上には上がらないように言ったし大体あの足では階段危ないって。私だって早く上の2部屋全部使いたい。だが母ちゃんが人を当てにして勝手に大掛かりな家具移動を思いつくのにも呆れてしまいどうでもよくなってもいる。
2011.04.17
とお題には書いたが融雪したばかりで畑や庭の土が乾ききっているわけではない。埃が酷いのだ。札幌ではスタッドレスタイヤなので冬季路面がツルツルになる。車道は無論、歩道もそうで一時転倒による骨折が余りにも多く道路の所々に「砂箱」を置いた。これは通りすがりの人が持って行っていいしその場で中に入っている小粒の礫を撒いてもいい。今「礫」と書いたのは砂箱に入っているとはいったものの袋に入っているのは小さな礫。この方が滑りにくくまた入手しやすいということなのだろう。以前は塩カリを撒いていたが原価とそして車も路面も傷むのか現在はほぼ「礫」になっている。礫は大体長辺5mm短辺3mmくらいのもので尖っている。これが春先になり雪が融けると主に歩道と車道の端の路面に残る。そして今の時期、峠越えなどをしない車は夏タイヤに換える。スタッドレスタイヤは柔らかいので礫を跳ね飛ばす事は少ないが、比べると夏タイヤはやや硬くタイヤの縁でこの礫を跳ねるのだ。車の勢いなどにもよるが以前住んでいた場所には幹線道路と一般道路の交差点とそれに坂がついた場所があり、そこでは私の足の付根ほどの高さに飛んだ。そう、小さい子供だと目の高さに。なので当時はその交差点の縁を車の少ない時間帯に竹箒で掃いたりもしたんだが今はどうなのだろうと気にしていた。しかしやはり町内会でも学校PTAでもそこに気がついてはいない。この礫の跳ねだけではなく道路清掃をしない為に今埃が酷いし前ここにも書いたように札幌の中心部、来た人がすぐ目に付く大通公園駅前通りも汚い。この辺りならば竹箒で掃くのも厭わないがせめて中心部くらいは道路清掃かけないと。経費を減らすというのは目の前の金額が減ったばんざーいというものであっていいはずがない。行政となれば尚更でこのままこの埃を何年も続ければ呼吸器の弱い人や乳幼児はたまったものではない。先週続けざまに街に出た日々があったけれど帰るたびに顔を触ると明らかに「ざらざら」という感じで細かな埃がつき目の縁に黒いものがつく。ほんの1時間2時間だけでこれなんだから半日一日外にいる人はどうなっているのかと。昔は馬糞風といい、目を病む人が多かった。今21世紀になって尚明治の頃のような事を繰り返すのかね、札幌市長は。外なんか歩かないから判らないのかね。
2011.04.16
よもやここで通称「ヒュンダイ」ゲンダイのリンクを貼る日が来るとは思わなんだが。菅はパクリの常習犯 谷垣の代名詞「絆」も盗用私は震災後ここに大きな「絆」とついたバナーを貼っている。無論自民党サイトから借用したもので、借用自体は自民党報道局長にTwitter上ではあるが断りはいれてある。妙なところに頑固な私のことだからなんでもかんでも貼り付けるわけではない。Twitterのアイコン用に「推奨」されているバッヂもこれは合わないなと思えば貼らないくらいだ。このバナーを見かけた瞬間、これはいい、是非とも貼りたいと思って貼っている。少なくとも民主党が外国紙に「絆」広告を出すよりは遥か前なのは間違いない。いい言葉だから真似ようというのを咎めているのではなく、何故そこで無断だったのだと。ただ、ここで留意しなければならないのは。ゲンダイが菅を貶めるのはゲンダイが小沢被告の機関誌だからという理由に他ならず、つまりはそういうことだ。だから問題は挙国体制以前の挙党態勢、政府与党内の一致も図れずに何が大連立だと。原口や川内などの小沢被告派が頻りに政府に対して不満を表明しているが、このような大災害のさなかにお前ら与党の人間が何をやっているのかと。まずこの民主党内の意見、及び今後の態勢スタンスを統一させてないと野党も協力のしようがなかろ。民主党が以前野党だった時分もよく「誰に話せば話が通るのか」というのを聞いたが騙しでもインチキでも政権与党となった以上責任を持ってせめて与党内の意見、今後の展望を一本化させてもらわないと。*小沢「被告」という呼称については被公訴権というのは憲法で明文保障されている大事な国民の権利であるからして正しく呼ぼうとしております小沢被告は大層法律に詳しいとお聞きしたのでこのように呼ぶのは喜ばれると思いますしね。
2011.04.15
津波対策法案上のリンクは2010年6月の宮城県選出小野寺五典議員の活動報告。つまり前国会ということになる。この法案は民主党の反対多数で成立しなかった。そしてこの事を小野寺議員はTVなどで現在のところ言ったりはしていない。理由は普通の人間なら容易に推し量れるが、つまりこの法案が成立していたとしても具体的な対策そのものが間に合っていたとは思えないのと、小野寺議員自身も今回の大震災にことよせて自らを語る状況にないというのがあるだろう。しかし言ってもいいと私は思うけれどね。岩手選出の小沢被告が真っ先に陣頭指揮を取り被災地の手配をしたという話は聞かないどころかしばらく消息不明であったし。小沢被告派議員はTwitterやメディアでどこの党の議員かと思うような政府批判を展開し、その反応を試していたのだろう先日はとうとう小沢被告自身が公然と政府を非難していたのだが。どこの世界に被告とはいえ大物議員と自認するのなら率先して実行手配した上で政府に注意するのならともかく、ほっといてどうにもならなくなり子分に瀬踏みさせてから批判だけ後出しというのはおよそ人の上に立つ人間のすることではない。口先だけ達者でも実行が伴っていなければどうにもならんぞ。特に今回はせっかく命永らえた方々が次々と凍死餓死されているんだ。これらに正面から向き合っていたという話はとんと聞かない。後出しでのこのこ出てきて今頃になってから批判の為だけに人前に出てくるなど恥を知れ。こうした非常時にこそ真価が問われるというのはいずこの世界も同じ。ましてや口先だけ一兵卒をいいながら無意味に大物ぶってきた化けの皮が剥がれたというお話ですわ。民主党自体の考えの無さとそして自称大物の寒気のするような行動がその実態を如実に現した。気持ち悪い連中だ全く。
2011.04.14
昨日夕方菅の会見があった。どうせ聞けばまた不愉快になるだけだとは判っていても、こんなんでも日本国総理なので聞けるのなら聞かねばならないと自分に言い聞かせ嫌々ながらTVをつけた。菅首相会見(1)「英知を結集し復興にあたる」(12日夕)ここから始まる一連の会見書き起こしだけ読むとそれなりのようだが、わざわざTVにした理由はやはり「この目で見る」のが一番だと思ったからでして。案の定一体誰に呼びかけているのか、そして呼びかけているつもりもないのだというのがよく判るひたすら腹立たしさだけが募る代物であった。昨日の会見の内容などは震災後1週間で出てきて当然のものばかり。一番の問題はインフラ機関企業であるとはいえ上場民間企業である東電の責任を首相が平日夕方に言明してしまったことで。確かに東電側に過失はないとは言いがたいけれど、原子力の許認可そして国際的な交渉などほとんど全ては国の関与なくば身動きとれないのも実情。東電が避難地域を裁量できるものでもないしIAEAやINESへの関与交渉を司るわけじゃあない。東電は電気会社で電気会社は電気の安定供給が仕事だ。但しブツが原発なので天災により事故になった場合これはもう一民間企業が行政や自治体に権限は持たないのだから政府がそちらへの対応をし、更に東電に出来る限りの援助をどうするのか決めねばならない。今回は早くから仏、米が原発関係に動いてくれていたのは周知で、確かに原発ビジネスとの絡みがあるとはいえノウハウを持っているのは間違いないのだから何故ここらと早く協議し東電に引き渡さなかったのかが甚だ疑問だ。そしてお題に戻れば。案の定小沢被告がここに来てぐちゃぐちゃ言い出したのだが。小沢元代表が菅政権批判 「原発で無責任な対応」私の知る限り所謂小沢派有力議員がこの震災に出来うる限りの事をしたをいう話は殆ど聞かない。原口や川内が他人事のように文句やらポエムほざいているのはよく見かけたがね。むしろ自民党の一年生議員の方がよほど身体を使いやれる事を模索し実際に動いていた。菅も大概だが小沢も腐ってるなと。小沢は今回の被災地選出で、信者がいうような本当の実力者であるのならその力を使って褒められたことじゃあないにしろせめて自分の選挙区くらいは物資送るなり陣頭指揮取って見せるのが当たり前じゃあないのか。だが現実はただ文句だけ言い、文句のみならず当初は姿くらましてた。一体どこでなにをやっていたのか。この震災を党内政局に利用したと言われても当然だろう。小沢に菅を罵る資格も権利もないわ。菅も酷いもんだが小沢がそれより優れているわけがない。どっちもどっちの無能とクズだわ。なんども言うが本当にこういう危機的状況というのは本性があぶり出されるものだ。
2011.04.13
原発事故に“便乗” 資金パーティー 民主・小泉議員、無料の議員会館で断っておくが私は「政治家のパーティけしからん」と頭から拒否しているわけではない。団体法人などへの頭からの割り当てな実質政治献金にはなりがちだが、しかし広く薄くお金を集める手段としては現状個人献金の歴史のない日本ではある意味やむを得ない部分もある。但しリンク先のこれはダメだ。国費で賄われ無償で提供されている施設を有料の資金パーティに使うというのはあり得ない。資金パーティだか勉強会をしたくば近辺に山ほどあるホテルや会館を使えばいい。どう贔屓目に見ても支出を最低限に抑え利益確保を図る為に無料のそれも議員会館ホールを使うとしか思われないぞ。本気で勉強会やるならどこか借りてやったらいい。なんだろうなこの「ダメと書いてないからいい」という下品極まりないわきまえのなさは。ずいぶん前になるがここ自宅の車庫前の空いているスペース(当然門から車一台分下がっているどう見てもうちの敷地)に車を駐めにきて「なにやってんですか」と聞いたら「禁止って書いてない」と開き直ったバカ女を思い出した。そのまま行こうとしたので追いかけたら「車駐める場所ないでしょっ」と逆切れされてかなり揉めたんだが。ここは小学校中学校のすぐ近くで何か行事があったらしいけれどそもそも「車で来ないでください」なはずなんだがね。揉めている最中にも門柱の間の通路にビタ付け、つまりうちから人が出られない状態でもう一台停めに来たのにも呆れたが。…うちは庭自体を1m以上上げているのでここ塞がれると飛び下りるしかない一々禁止と書かれなければやっちゃってもいいと脳内自己都合解釈しちゃう人種というのは昔から一定数はいるんだがその手の人間がとうとう国会議員になりおおせるようになったかと暗澹としたわ。
2011.04.12
数年前よく聞いたフレーズがある。「直近の民意」。当時は内心悔しかったがなるほど民主主義では抗い難いフレーズでもあった。参院選はともかく地方選挙の結果でも国政の場でそう表現していたのは無論現与党なのだがね。それから4年。当時の野党は与党になり、その後参院選で捻れ更に今回の地方選では札幌市長選を除きほぼ完敗した。特に三重県知事選挙の結果は大きいと思う。あそこは岡田民主党幹事長の膝元で、前回までは民主党系の王国のようなところでもある。知事選の激戦が予想されていたので自民民主共に大物人気者を応援に出し総力戦のがっぷりだった。正直いうと勝ってほしいがさてどうかなと半信半疑でもあったのだが見事に自民党系が競り勝った。そして今回改選の都道府県議会では民主党は与党を一つも取れなかった。知事もさることながらこちらの方がむしろ大きいのではないかと思う。とにもかくにも選挙は終わった。震災で選挙もできなかった方々がおいでだと思えば結果が自分にとって少々不本意であったにせよ選挙があり投票ができるという本当ならこの国での当たり前の権利と義務の行使を今回はしみじみと感じた。
2011.04.11
Twitterの私のTLには被災地の方も多い。だから今回地方選が延期になり投票したくともできない方々もいる。本当なら被災地の方にこそ今選択をと言いたいところだが現実には自治体の存続がぎりぎりのところにそれを言うのは酷で間違いでもある。しかし私達は投票できる。だから出来ることからというその一つに投票もあると思うのだ。一票を投じたくともできない人、立候補したくとも選挙がいつなのか見当もつかない人もいると思えばここは無事だった地域の我々が選挙に行かなくてどうするよと。選択を間違えればあの大惨事を乗り越えようやく助かった命をあたら餓死凍死させてしまうのだ。これは地方自治、地方議会も同じ。そうだ、選挙に行こう。
2011.04.10
今日夜選挙最後の演説を聞きに行って今回の選挙応援というか手伝いというかほんの僅かな協力が終わる。そして先日数人仲間と話した時「花見やろうよ」という話題になった。こんな時にと言われるのは覚悟しているけれどしかしここ札幌では地震前から危ぶまれていた地域経済が更に輪をかけて低下している。首都圏東北圏では電力不足も心配されているわけで、ならば沿岸漁業除いて大丈夫な北海道、その中でも被害のなかった札幌が勝手に萎んでどうするよと。なので有志で花見やろうねとここまでは決まりました。予定は未定ですが案としては桜は円山公園で愛でて飲食はビール園などでというのが有力です。機材や肉の手配、お金の分配などが煩雑になるのと飲食店を使うということで幾許かでも消費活動という意味ですね。こちらの桜は早くても5月頭、例年なら10日前後なのでゆったりと決めていけますね。まずは目の前の地方選。いずこの候補に入れるかはともかく、皆様投票に行ってください。政治に意思表明できるのは投票です。ベストなんかありませんよ、ベターを選びましょ。
2011.04.09
1時間ほど前、東北関東でに大きな地震があった。また現時点で宮城県沿岸部に津波警報が出ている。札幌は震度3程度とされているが、実はここは地盤がかたいので揺れ自体には最初気づかず下にいるボケ爺の叫び声で照明を見て気づいた。駆け下りて父を落ち着かせたが別の部屋にいる母を見に行くと熟睡していた。津波警報注意報の出ている地域は堤防がなくなっている場所が多く、また海底の地形も変わり沿岸地域は地盤沈下もしているので僅かな津波でも影響が大きい。どうかどうか皆様ご無事でと祈るしかできないのが本当にもどかしい。
2011.04.08
震災後ボケた父の挙動不審が続いたのとさてはてどうしたものかという遠慮が重なって統一地方選の手伝いをしばらく離れていた。その間出かけたのはこの地域の地方選候補者の決起集会と出陣式のみ。父はどうにか落ち着いたがそんなこんなで公示になってしまい、ど素人がちょろちょろするのは迷惑かもしれんと迷っているうちに数日過ぎた今週初め。ネットでの知り合いでもあるし勿論お会いしたことのある当地の方からメッセージを戴いた。それがきっかけになりまた地元首長候補の事務所にお邪魔してみたら猫の手的お手伝いの作業があり2日連続行って皆様と共に期日まで完了できた。当地札幌の4重選挙は前にも書いたが投票日は10日なので当然明日くらいからラストスパート。全部行けるかどうかは今のところ未定だが今日明日明後日とスケジュールは埋まった。いずれも夕方~夜なので酷くなってきたアレルギー的にもありがたい。今日夕方は街角なのでラフ、明日8日は会場なのでちょっとまとも風、土曜は夜のススキノなので身軽ということにした。それにしても続けざまに街なかに行ったが埃が酷い。ここら辺は郊外だからまあいいが、札幌の玄関口でもある駅付近と大通り周辺くらいは道路清掃しないと。帰ってすぐ顔を洗ったくらいでは目のごろごろ感が取れず、結局ご飯後回しにしてシャワーになっている。実は昨日白いシャツを着て行ったのだが外を歩いたのは全部で精々10分くらいだと思うんだが脱いでみたらなにやら薄汚れた感じすらした。春先の埃はある程度は仕方がないといっても必ず毎年こうなんだからこの時期には道路清掃が入っていたと思うんだよなあ。札幌の駅前通りの隅に残る冬に撒いた小砂利を眺めながら情けなく感じたね。
2011.04.07
【放射能漏れ】風評被害を吹き飛ばせ スーパー各社が被災地野菜のセール (1/2ページ)実はこれほど大掛かりじゃあなくても地元(札幌)の小さなスーパーで茨城の米、さつまいも、レンコンは今でも売っている。うちはいつもは道産米なのだが先月末は地元スーパーの茨城産のにした。さつまいももレンコンも普段はさほど食べないのだが先月今月とせっせと買い食べている。おいしくなければ一度は買っても二度目は買わないので特に気を使ったとか気を配ったのではなく美味しいので食べている。茨城のさつまいもは大根と見紛うほどの太さで200円前後。アルミホイルにくるんでストーブの上に置き適当に転がしていい匂いがすれば焼きあがり。レンコンはキンピラにする。あまり細く切ると崩れるのである程度の厚みをつけて切り後は普通のキンピラの要領。これがさくさくとおいしい。勿論「食べなきゃダメ」と言い張るつもりも押し付けるつもりもない。特に若い方、お子さんをお持ちなら避けるのはそれも自然な感情かとも思う。うちのような爺婆3人ならどうってことはないというだけだしね。米もさつまいももレンコンも震災の前に生育し収穫したものだが。冒頭リンクのイトーヨーカドーに戻れば。全国展開の大型スーパーでこのような試みをするのは実際は大変な覚悟もあるのだろうと思う。それでなくとも末端小売というのは時に言いがかりに近い面倒なクレームが来たりもするし。だがそれでもあえてこれをやる、やったというのは会社の姿勢、それは買ってくれる人だけに小売スーパーは支えられているんじゃあなく作物を作る人達がいなくては成り立たないということをよく知っているプロのものだと私は思ったわ。そういう事だよね。
2011.04.06
私はそろそろこれからの震災被災地への国家的グランドデザインを提示してもらいたいと思っている。与野党問わずと言いたいところだが現時点では衆院の圧倒的多数を持つのは民主党で、当然政権与党でもある。ある程度納得出来るものなら自民党も反対はすまい。この為には「お前は被災していないから判らないのだ」という反発覚悟で言うのだが。まず津波被災のあった地域はこのままでは瓦礫を片付け整地しても日本の基準では人が住んではいけない地域になってしまったという現実がまずある。堤防はなくなり地盤は沈下または隆起し、海底の地形すら変わってしまっているであろうことは容易に判る。つまり見かけ整地しただけでは到底人が活動できる場所ではない。だから堤防を作り土壌を整備する、これを終えなければ復興の一歩が始まらない。その前には無論既存民有地の境界確定などもあるけれど、まずは「人が住んでもいい活動できる場所」を取り戻さねば身動きとれない。半端なままでなし崩しに建物が立ち人が住み始め根本的工事の妨げになるのだけは避けなければ。もう二度とあのような目に遭っていただきたくはない。私は酷なのを承知で沿岸地域市町村の方々には中長期広域避難を言う。心情としてはこんな事を書きたくはないし私だって生まれてこの方数年のブランクを除けば生まれ故郷で過ごし続けているのだ。どんな場所であろうとも生まれて過ごし続けた場所が一番なのは重々承知している。しかしその場所は故郷は今や海からの波、潮を防げるものが何もない。太平洋の向かい側の大陸も地震の多い国ばかりだ。現在ただでさえ政府の無策無能によって助かった命をあたら凍死餓死によって失い、更には救援側の死者すら出ている。これ以上の更なる二次三次被災は避けたいのだ。そしてもう一つ本当の復興、大震災以前と同じかそれ以上の復興を果たすにはどうしても根本的な国土計画の作成と実行が不可欠になる。大震災の経験を活かすというのはこういうことなのではないだろうか。「今度は大丈夫、みんな東北北関東に」と大きな声で言うために。高齢者には本当に酷な言い分だとこれを打ちながらおのれが嫌になっている。けれど美しい三陸、海岸線を取り戻すには自然が行った行為を人が住めるように直さなければならない。矛盾しているのだがそうしなければならない。幸いといっては語弊があるけれど港は海中埋没物を撤去すればある程度大きな資材は運び込めるので日本中が本気でかかれば思いの外時間はかからないと思う。原発については私の理解を超えまた政治的かつ国際的な問題も絡むので意見はまた今度とするけれど、せめて政治家国会議員にはグランドデザインとそしてそれに伴う決していい事ばかりではないけれど明日への希望のある提言をしていただきたいと切に願っている。
2011.04.05
何せ認知症の父親、年老いて物忘れの酷くなった母親と同居しているので行けるときにと昨日期日前投票しに行った。他の用事もあったのでちょうどいいし。月曜で4重選挙とはいえ肌寒い日だったので高を括って行ったのが間違いであった。前に行った時とは比べものにならない人数が行列を作って受付を待っている。10人ほどの後ろについて並んだが年齢の高い方々がやはり多かった。受付が終わり投票用紙を4度受け取り書くのだが、この書く台も混み合っていて場所も狭いので人様の投票を見ずに済む並び場所はないものかと悩むほどだった。投票用紙を間違えないように受け取った時によく確かめ、決めてあった候補に投じるのを4回。無事終わった。当たり前のことをしただけなのだがほんの僅かな達成感もあり、さてと街の方へと向かったけれど途中で降りて近場のスーパーを眺めて買い物をし、母の煙草を奇跡的に見つけたので買って帰った。明日…じゃない今日からは殆どストーブの要らない陽気になるという。そうなればあまり昼日中長い時間外は出歩けないが、ネットを通じて知り合った方から連絡があり今日午後は出かける。早く投票を済ませておくと何かと身軽ですなあ。
2011.04.05
先日からスタートしている統一地方選だが、当札幌市は四重選挙になっている。道知事選、市長選、道議選、市議選の4つ。前に住んでいたところは駅から近くまた幹線道路沿いでもあったので毎朝8時過ぎには叩き起されていた。仕事柄どうしても夜中に活動する身体になっていたので選挙期間当初は中々慣れず寝不足になり、慣れた頃に選挙が終わる繰り返しだった。ここに来てからは今回自粛気味ということもあるけれどそれにしても静かな四重選挙になっている。幹線道路から2本ほど中に入っているので尚更。あれほど悩まされた騒音の連鎖から免れてちょっとほっとしているけれど、その分無職になったのと合わせて置いてけぼり感も漂うのは気のせいか。さて明日は期日前投票に行けますかね。
2011.04.04
お手数ですがニコニコ動画…といっても音声のみだがこれを先に聞いていただきたい。NHKラジオ 被災者「菅の視察はすごい迷惑だった」これは紛れもなくNHKラジオで流れた放送だ。昨日菅が被災地避難所を訪問したというニュースはTVでも流れた。だが私の母を始めとして鋭い人達はTVしか見なくともその異様さに気づいている。まず避難所内でのリアルタイムのやりとりがない。そして屋外での菅の発言中も周囲に集まった方々の目つき顔つきが冷ややかすぎる。普通災害時に首相が来るとなればそれなりの具体策、決定事項を土産に持つもので例えば今回のような広域大災害の場合だと掴み金で一人50万円即金で払うでもいいのだ。下品と思われるかもしれないがしかしこういう時にモノをいうのは金で、物流が戻りつつある現在では持つ者と持たざる者の差はどんどん出てくる。私は所謂悪平等、共産主義的な「みんな平等が尊い」とは思わない人間だが、しかし今被災地は普通の状況ではない。神経が疲れ憤りが溜まっている今、誰に何と言われようととりあえず食べたいものが食べられる、売っているものが買えるお金というのはほんの僅かでもその溜まっているものを楽にする。もしかして手持ちのお金が乏しいが為に広域避難するのを躊躇っている方もおいでかもしれない。しかし菅は結局愚にもつかないやりとりをし、何ら具体策も示さず「できたらいいな」程度の発言をしただけだった。指揮官が1人必要…東日本大震災対処でNY市長NY市長だけじゃあない世界中の指導者達が呆れていると思うぞ。そして世界史に書かれるだろうよ。これほどの大災害において冷静さを保ち続け苦難に正面から向き合える国民が何故あのような代物を選択したのかとね。私も聞きたいわ。
2011.04.03
岩手派遣の陸自隊員死亡 体調不良訴え、病院でこの記事は短く、また記憶と記録のために全文引用以下引用↓ここから防衛省によると、東日本大震災で被害を受けた岩手県北部の沿岸地域に派遣されていた50代の陸曹長が体調を崩し、1日午前、搬送先の盛岡市内の病院で死亡した。 陸曹長は第2特科連隊(旭川駐屯地)に所属。3月12日に駐屯地を出発し、行方不明者の捜索やがれきの撤去に従事していた。 31日朝、体調不良を訴えて盛岡市内の病院に搬送され、1日午前11時半ごろ死亡が確認された。病死とみられる。30、31日と休養日で岩手県内の宿泊施設にいた。引用以上↑ここまでこれで判るのは旭川駐屯地を12日に出発、そのまま29日まで休まず被災地で救援活動をしていたということだ。どう考えてもこれはおかしいだろう。心情的には不休不眠で捜索や救援にあたるとはいっても生身の人間が被災地に入り過酷な活動を2週間以上続ければいくら鍛えた自衛隊員といってもそれは身体を壊す。きちんと定められた休みを取り交代しつつ事に当たらねば二次災害ともいえる状況を生み出す。それでなくともこの大地震と大津波を生き延びた方々を凍死餓死させている政府はWW2の参謀本部さながら交代すらさせないまま救援部隊をも窮死させている。更に言えば農産物への官製風評被害でも死者を出した。やる気でやっているとしか思えないぞ。お前達が気軽に言ってのけ、そして後々考えずやらせる…ならまだしも不作為によって無責任に自治体などに責任を押し付けた結果の積み重ねがこれだ。国家を預かる者が責任を逃れようとして不作為、または作為、虚偽で国民を殺すとは。人でなしとはこのことだ。この事は忘れないぞ。
2011.04.02
本州向け電力の供給拡大検討・・・北電震災後早くからTLやここでも言ってきた北電からの送電拡大が現実になりそうだ。道外の方には意外だろうけれど、北海道の電力需要期は冬でしてこれが決定的に北海道からの送電を主張してきた要因でもある。本州は今壊滅的な東北電力、東京電力を別にしてもそもそも需要期がこれから迎える夏で、おまけに西日本の電力事情も潤沢とは言いにくい。電力会社が小分けにされているので水事情ほど切羽詰まってはいないのだが周波数(MHz)変換もあり相互バックアップとして周波数統一や変換所の増設は今後の課題ではあるけれど到底今年の夏には間に合わない。もう目前に迫っている夏に間に合う可能性があるのは本当に北電からの送電ケーブル増設だけと言っていい。順次東北電力東京電力が休止火力を復活させるといっても元々余っていたわけでもない上に復興にはまず電力がいるのだ。腰だめで3ヶ月はかかるとは思うけれどとにもかくにも電気がなければ今度は暑さが来る。我慢で済む暑さではない。我々北海道で暖房なしで冬を過ごせと言っているようなものでおよそ現実的ではない。それでなくとも大変な避難された方々、被災地の方々にこれ以上の我慢を強いるのも間違いだ。北海道は開拓以来150年に渡ってお国のお金でここまで来た。そろそろお役に立ち、どんとこいと声を上げてもいいのではないかな。その為に電気料金を上げる、上がるというのなら私は払うよ。
2011.04.01
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