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予報より早く、すでに雨になっているが今日はこれから母の付き合いでちょっと出かける。昨日までの晴天と気温が嘘のようだが実はこれが平年並み…いやまだ平年より暖かい。中旬は季節なりの気温だったので「ああ、これで秋、そして冬か」と一旦覚悟したけれどそれもつかの間下旬は本州に負けない日和でありがたかった。冬の準備は車庫の片付けから始まり、車庫天井の作業と昨日終わった外階段の養生、そして鉢植えを仕舞い込み、後は来月半ば過ぎの窓養生で終わるはず。去年は慌ただしいままで半年に渡る冬(ストーブを焚く期間)を迎えてしまい、あれよあれよという間に縮こまってしまったのでその反省を生かしたともいうが。来月に入れば家の用事が一段落するのでここ2階の片付けをほんとうの意味で終わらせられるはず。場所を取っている母の衣装ケースを下ろし、押入れの中の不要品も片付ければ落ち着いてパーツ整理し本来のマシン環境も取り戻せるだろう。やれやれ、1年かかってこれでようやく「家」「自宅」そして我が棲家になれる。
2011.09.30
「2」ってなんだというお話ですが。昨日午前中から2人がかりでゴム板貼りそのものは無事終えましたが、これが予想を遥かに上回る大変さでした。買ってきたものを専用接着剤でぽんぽん置いていけばいいよねというのが予想だったんですが。現実は。階段用に縁が小さなLになっている板が9枚、踊り場用の真四角なのを4枚貼ればおkだったはずなのです。この内階段用のものは購入時に階段の幅と丁度くらいに思っていたのですが3.5センチほどブツが長い。短いのならそのまま置けますが長いのは切るしかない。急遽カッターを買いにゆき、かなり大きめの握り込めるものを用意して切る作業から始めたんですがこれが中々。結局切るのに1時間半ほどかかってこれでへとへとになりました。ゴム板は厚さ2センチ弱程度なんですがなんというかゴムの集成材のようなもので、表側は滑り止めなのか固い粒も入っています。8枚分切って(一枚は踊り場に乗せるので切らなくていい)カッターの6枚刃全部使えなくなりました。切る時も印をつけて長い板を当ててそれに沿って刃を当てますが柔らかいゴムなのでかなり体重をかけて切らないとすぐ曲がる。薄い板の方が切りやすいと途中から板より小さめのものにしてそれに膝を乗せて切っていましたが難行でした。ようやく切り終えてさて接着という段になって今度は接着剤塗りでまた腰が。ですが切った時のつらさよりはまだマシなので頑張りましたとも。しかしここで大きな間違いを私たち親子はやらかしておりました。この接着剤、注意書きが本当に小さい字で読むのがやっと。へろへろになりながら終えて片付けを始めてからようやくこの接着剤の危険に気がついた。勿論塗るのは階段や踊り場ですからへらのようなものを使いきっちり伸ばしていたものの、そうはいっても指に付いたり腕に飛んだり多少はする。当初ゴム手袋はいてとは思っていましたが、それまでの作業の大変さにすっぽり抜けていたんですな。結局石鹸で洗ってもシャワー浴びても取りきれないところがあって、そこは見事に皮が剥けました。で。ここからようやく「2」ですが。これから切り取った端材を階段の立ち上げ部分に貼ってゆきます。もったいないというのとその方が切り方で僅かに空いた隙間を埋められるのと、見栄えもいいんじゃあないかと。これは一人でできるので母ちゃんはキノコ採り。今日はちゃんとゴム手袋はいてやりますとも。では作業してきます。
2011.09.29
冬になるまでにやっておかねばならない家関係の大掛かりな作業は先日終わった車庫天井の保温作業のの他にもう一つある。外階段にゴムマットを貼り付けるのだ。これはホームセンターなどで売っていて、専用の接着剤もあるので自分達でやるようにはなっている。去年の秋ここに越してきた時から母と相談はしていたのだが、出始めたばかりのものだったので一冬ご近所の設置されているお宅を観察させていただいてからということにしていた。引っ越したばかりでそれどころじゃなかったというのもある。雨が続き、敷くのはコンクリートの外階段なので水気がある程度抜けるのを待っていた。あんまり暑い日に敷いてもまずいだろうというのもあり、大まかな予定は10月に入ってからとして資材を先に買っておいた。階段用が9枚、踊り場用はちょっと少なめに買ったのでひょっとすると買い足しになるやもしれないがこれを明日じゃない今日、一気に敷く。マットの裏に接着剤塗って置くだけだから難しいことは何もないのだが強いていえばちゃんと揃えて敷くくらいですかの。作業は始めてみると思いの外手間取ることもあり得るのは車庫天井の時に実感できたので朝一(9時頃)から作業開始予定です。楽しみといえば楽しみでして、これで冬の雪かきと氷割りがちょっとでも軽減されればいいなあ。
2011.09.28
ナイーブな国際市場の現状をじいっと眺めているのだが。なんでこうなったのかについてはここで何度か書いているので省くけれど前提としてEUのセルフ手詰まり感*とそして現代の通貨発行機関の主な実務者が罹患している財政規律病が蔓延してしまっている現状がある。*EUの結成時のドリーム(旧植民地込みのいいとこ取り夢想)のみをいつまでも引きずっているが為に下降傾向になった時の対処が遅れた。*解は非常に簡単で単純なのだが目の前の失われつつある乾いた砂の城に囚われてしまった財政規律病に関してはこれはもう民主主義国の宿命のようなもので、デフレ傾向になると怨嗟のターゲットを作りたがり、また多くの有権者がそれに乗ってしまう。実はこれこそが更なるデフレスパイラルの歯車を自らこさえているのだが、困ったことにある程度は事実の追及にもなっているので結局施政者は目の前の選挙を凌ぐ為にも辻褄を合わせようとする。んで。国際市場に戻れば、実は今の株式やら為替やらの問題は最早通貨発行の問題になってしまっているも同然で、無論この通貨発行は紙幣のみならず国債も含むのだが発行高に目が眩み流通高に気が行かないのが最大の障壁になっている。経済の根幹は流通であって、発行高ではない。私や隣の家、町内会中が各10兆円ずつ家の中に積み上げていてもそれはただの邪魔臭い紙のブロックに過ぎず、これが家の外に出て初めて金、紙幣となる。金本位制の頭のまま現代の国際市場や国内通貨発行を考えるとえらいことになるのは再々書いてきたが、金本位制でない現在の通貨発行の仕組みからいえば問題になるのは発行高ではなく流通高、通貨の実効率ということになる。円は今のところドルとユーロの代替となって極めて実体に沿い*、また反面日本のドメスティックな実態と実感に沿わない評価となっているのは我々が一番よく判っている。*270兆円ほどの国外債権まずはこの日本から実感ギャップを埋めねばドルもユーロも発行高に目が眩んだ旧来の通貨発行の縛りから抜け出せない。何故なら今や日本だけが莫大な紙幣流通政策に転換しても超インフレにならないからだ。これには国民性、そして不幸なことだが災害による実需がただ今現在も立ち上がりきっていないこと、そしてもう一つ先ほど書いた国外債権がある。但し今の政権がこれに気づけば更なる馬鹿馬鹿しい無意味なバラ撒き=実需に繋がりにくい-になりかねないのが政治的障壁にはなっている。実感ギャップを埋める政策というのはだ、20代30代の就職を確実にする形でなければならないわけでそれを伴わない単なる紙のバラ撒きは意味を成さないのだ。この点では欧州で長く続いた左翼政権による悪しき前例が手本になるだろう。お題の「センシティブでナイーブ」なのは実は本来日本が通貨発行政策とそれに伴う産業政策をやりおおせれば5年ほどで立ち直ると私は見ているのだが、これとても日本の有権者の選択でそれをやらない方がいい政権がその座についているジレンマも含んでいる。短期的にいえば今や世界市場はほんの僅かなきっかけのトレンドが大雪崩を誘う危惧もあるのだが、歴史の皮肉なのか必然なのかその最初の狼煙が上がったのがEUにとっては宗教的文化的歴史的なクッションにしてきたギリシャだということかな。ギリシャをここまでにしてしまったのは他ならぬギリシャ国民ではあるのだが、しかしそれに手を貸し続けてきたのはEUでもある。民主主義がベストではないがベターではあるという苦い意味をこのセンシティブでナイーブな現状は示唆しているよね。
2011.09.27
ニュートリノは光より速いのか - 相対性理論を覆す可能性をCERNが提示ここで何度か書いたようにあたしゃ生涯唯一の赤点を高校物理で頂戴したくらい理科苦手…というのもおこがましいバカなんですが。しかしそれでもこのニュースには胸がときめく。無論可能性の一つがたまたま実証されただけであってこの事の実証、もしくは反証含めたある程度の結果が出る頃までは生きちゃいないでしょうけれど、それでも判らんちんなりに胸はときめく。今の光での通信(今は単なる光ファイバー通信だが)じゃない形の通信の仕方になるのかなとか、いやいや脳の伝達も光というか電気信号なんだけどこれ使えば何かの障害があっても差し支えなくなるのかなとか色々ね。これまでの物理の常識の根底が変革するかもしれない、もしくは仮にこの可能性が幻だったとしてもでは何故可能性が一つでも生まれたのかなど判らんちんなりの理解と妄想でwktkです。これまで星との距離は「光年」といってきたのが「トリノ年」になるのかやとかも。言ってみればここ数十年の根拠、定石、その他諸々の決まりごとの根底が覆る可能性が出てきたというのは歴史の歯車がぎいっと動いた瞬間を生きているなあと実感できますな。あっ、そうか。光の速さが一定で一番早いとされていたものが仮に覆ると我々の捉えている時間の概念も変わる可能性もあるのか。おー(バカなので鈍い人間生きているとそりゃあ色々あったりしたりして時には嫌んなっちゃうこともあるんだが、しかしこういうニュースを見聞きすると長生きしてよかったなあとつくづく思うね。
2011.09.26
プーチン氏、露大統領選出馬へ メドベージェフ氏が発表このピンポン主権のやり方は民主主義としてはどうなのかという意見もあるし、プーチン氏の国内での政治手法への好悪、いやむしろ嫌悪感を持つ人も多い。だが私は以前プーチン大統領だった時にもここで書いたようにロシアはこれくらいじゃないと治まるまいと思ってもいる。北の暗黒国家になりかねない要素が多すぎるのと国境を接する国との経緯を持ちすぎた歴史、そしてロシア国民そのものの脆弱性を考えればまだ露にはある程度以上の権限とイメージを持つ主権者が必要だという意味でね。それは長い貴族性と農奴制、そしてその後のノーメンクラツーラとそうでない人々というように露には露の歴史に根ざす未だ拭い切れない一種の体制依存性とその中でどうにかして生き延びようとする緩すぎる遵法感覚が息づいている露の事情を考えれば本来の国家変革とそれに伴う従来の国家感覚からの脱却には必要だと。つまり帝国から共産主義国家へと見かけの体制は大きく変わったがその内実は紛れもない少数による絶対支配であったわけで、ロシア革命にしろ共産主義国家の終焉にしろその変革の多くの部分を担ったのは一般国民ではなく支配者側ではないかと。だから本来の意味での国民主権を伴う民主主義に移行するにはまだプーチンも必要だと私は思っている。国民主権たる民主主義というのは国民の意識がなくば保てるものではなく、そういう点では日本も人のことをいえた義理ではない。投票に行かず政治は誰がやっても同じ、何事かあれば全部政治のせいなどという姿勢では到底民主主義は保てない。自分にとって一番楽、緩くて楽しいものだけを選択し続けても結果がベストにならないように、ベストを求めても結果はベストどころかベターにもならなかったというのはよくある話でしてな。おっと露に戻れば。プーチンが次メドベージェフを選択しない場合もあると思うんだが、そうなった時の選択の結果のみならず経緯と移譲のやり方で露の本当の民主主義への移行の段階が判るんじゃあないかとそこには注目している。
2011.09.25
北海道の9月とは思えない暑さの次に雨続き、そして急に寒くなりと目まぐるしかったがここに来てようやく過ごしやすくなった。といっても外階段の作業はまだ始められず、他にも冬になる前にやっておかねばならない事もあるのだが母はキノコ採りに頭がシフトしている。前は店でも使っていたので年に1度か2度はお付き合いしていたけれど、今は全く行く気がないので「どうぞどうぞ」で済ませてきたがとうとう連れて行かれる雰囲気になってきた。キノコ採り自体、山歩き自体は嫌ではないけれど人のペースのみで歩かねばならないのが苦痛でして、普段の買い物で散々そういう目に遭っているからそれ以外の不要な事で一緒に出かけたくないのだが。今日はこれから米を買いにゆくという名目で早くに連れ出されるが、米を持てるのは私しかいないのでそれはいいがおそらく母の目論見としては山に向かいたいのだろう。それをどう断るかこれを打ちながら悶々としている。着るもので意思表示するしかないかあ。
2011.09.24
3党協議おぼつかず…3次補正遅れもまずこれが大問題でして。何が大問題かというと「国会審議が一切されていない」。国会は現在臨時国会開催中なのは間違いないが、本会議での所信表明、代表質問というのはそれぞれの党の表明に近いもので実際の案件審議は各委員会でされるわけだから、あれほど与党が口先で言った震災復旧も復興政策も経済対策も各委員会審議を経て三次補正が成立しなければならない。なんてのは中学くらいで大体判ることで、政権与党たる民主党が三次補正の財源すら具体的に示さず口先の列挙だけで凌ごうとするのは最早国政放棄だ。この記事では「自民党モー」となっているけれどいずれにせよ政権与党は本予算であろうと補正予算であろうと財源のその根拠を示す義務があるわけで、それが空っぽの状態で審議も協議もあったものじゃあない。こうした基本的な手続、仕組み、システムすら理解しようとしないままに「与野党がー」「政治がー」と単純化させようとするから記事自体の信憑性が疑われている事にマスコミもいい加減気づけや。そしてもう一つ案の定というかやっぱりというか。台風猛威 関係省庁連絡会議開かず何故連絡会議が必要かというとそれは大規模災害では各省庁が協力して事に当たる事が必要なわけで、その為には「政治主導」が必須になる。これがきちんと機能してはじめて災害対策本部が動ける。民主党が総選挙で謳った通りの能力があるのなら会議をすっ飛ばして本部を開ききっちりと各省庁の役目を熟知した上での指示があっていいのだが、そんな能力がないのは口蹄疫の時からバレている。だからこそ連絡会議で実務者からの具体的な対策を吸い上げて省庁間ですり合わせし、それに予算を臨時で当てはめて実施という流れをほぼ同時進行でやらねばならないんだが、さっきの段落で書いた通りのレベルなので望むべくもない。ないが、しかしせめて「何をどうできるのか」くらいは話し合わないといつまで経っても学習できない。できないもーんで放置したままでは絶対にできるようにはならないからだ。国家の危急時に政権与党が無能なのは本当に困った事態だが、無能なら無能で学習する意欲くらいありゃいいものを出身母体のお陰なのか一切学習せずに放置しておけば誰かが尻拭いするとでも思ったか。最早誰のせいにもできないんだぞ、判っているのか民主党。
2011.09.23
昨日は報道もネット(Twitter)も台風一色であった。実際に難に遭われている方々、帰宅困難に陥られている方々をTLで見つつ携帯では拾いにくかろうサイトや情報などをぽつぽつと流したりしていた。首都圏はここの10倍人がいるだけに今回のような直撃だと間に合うと判断した帰宅時間でも帰宅困難になってしまい普段の何倍もの時間がかかりずぶ濡れになって帰着された方も多かった。結果としては流石首都圏交通で復旧も早かったのでいっそ遅くまで会社に居残っていた方の方がスムーズに帰宅できたようでもある。そしてその後一気に北関東~東北~宮城辺りから台風は太平洋に抜けた。そこからは我が北海道東部、道東に向かって一直線にやってきている。日付が変わる頃からここでも雨が降り出し、さきほどまでは結構な強さだった。風向きが変わったのがついさっき、気のせいか冷え込みが少し緩んだような気がする。被災地冠水、仮設住宅からの避難も…台風15号中途で地震もあり、そのめまぐるしい中だがこれは酷いと思うぞ。何ヶ月もかかってようやく入れた仮設住宅なのにまた水で避難ってのはこれはもう用地選定や土地と建物両方の造り間違ったとしか思えない。北海道のようにたまにしか台風が来ない地域じゃあない。あれだけ時間がかかったのなら少しは堅牢かと思いきやこれはなんだ。一体何で時間ばかりかけてこのザマなのかちゃんと説明しろよ政府は。
2011.09.22
前に住まいしていたところもそうだったが前にも増してこの住まいは災害に強い。高台だし地盤も強固で滅多なことはないと判ってはいるが、それでもアパートにいた時と同じように「防災リュック」は寝ているベッドの足側にある。ここは北海道なので本州の皆様とは少々用意するものは違うとは思うのだが、一般に言われている防災用品とちょっと違うものも入っている。ゴミ袋→これはカッパの代わりにもなるし汚れ物入れられるし濡れては困るものも入れておけるし嵩張らない上に軽いので何枚あってもいい。ただ、カッパの代わりにするのなら多少高いが90Lゴミ袋にすると厚みもあるし丈夫なので役に立つはず。ガムテープ→ちょっとした捻挫などにも使えるし上に書いたゴミ袋カッパの抑えにもなる。本来の使い方でもあるダンボールを止めるなどは勿論だが使い道は多いゴム手袋→劣化しやすいので数ヶ月に一度は交換しなきゃならないのだがこれも防水手袋兼用大人用パンツ式おむつ→認知症含めた年寄りがいるのと大人がどこでも粗相するわけにはゆかない靴下とタオルと日本手ぬぐい→濡れたりすると体力の落ち方が半端ない。タオルと手ぬぐいは微妙に用途が違う。どちらも水通ししたもの先に書いたゴミ袋カッパの為に底に穴を開けると首周りがどうしても空く、ここにタオルを撒いてもいいのだが濡れたら即交換。私ならガムテープ卷く防水袋に入れたマッチやライター→タバコを吸わない方が増えたのでいざという時に火気がないことが多かろうとカロリーメイト→箱の方。言うまでもなく緊急非常食この他に心構えとしてどんな季節であろうと必ず毛皮は持ってゆく。別に惜しいとかじゃあなく野外で夜を過ごすのなら必要。この他ウェットティッシュ靴は紐のスニーカー。フードや帽子も忘れずに。乾電池ラジオなどは勿論入っています。あと、できれば登山専門店などにある調理の要らない食品があればいいでしょう。
2011.09.21
昨日になってから一気に気温が下がった。それと共にどうもここのところ歩くといっても母のペースに合わせてばかりいたせいか、出かけるといっても車ばかりだったせいか起きぬけから腰の按配が怪しくなっていた。元々健康のために備えて身体を鍛えるというのは嫌いな怠け者だが、それにしても思い起こせば全くといっていいほど自分のペースで動いていないのを思い出し、昨日はちょっと歩いてみた。母のキノコ採りが本格化してお付き合いせずともよくなって解放されているのもある。歩いたといっても自分の買い物のついでに小一時間近所をうろついただけだが、自分のペースというのは実は母と歩いている時の2倍以上(当社比)ある。そういや店をやっている時は休みの日にずんずんとひたすら歩いていたなあと。ついでに何も日焼け(アレルギー)対処もせずに試してみたが大丈夫だった。あかん時は曇天だろうと雨天だろうとおかまいなしなので、時期からみて薬も効いているのだろう。ということで最低でも今服用している抗アレルギー剤をある分だけ服用続行してみることにしている。今日は起きてみたら晴れている分だけ昨日よりは暖かい。もうちょっとしたら出かけてみようと思っている。昨夜はとうとう毛布を引っ張り出したが蹴飛ばしもせず寝ていたところをみるとそろそろ寝具も順番に秋仕様になる。歩ける季節が来たので街徘徊のみならず春から行けなかった動物園やその他にも出かけられるなあ。
2011.09.20
数年前、店をやっていた時に春先大学入学で札幌に引っ越してきた男の子さんが親御さんといらした。高校を出たばかりで離れて住む事になった不安が親子ともににじみ出ていて、注文された品物を持って行きがてら話をしたのがきっかけで、その男の子は時々店にご飯を食べに来るようになった。話してみるとPC自作やネットのことなどで案外と共通点もあり、当時身近にそのような話をする相手があまりいなかった私にはありがたい話し相手でもあった。店の貸切宴会の時は手伝ってもらい、それは大学を出るまで続けてくれた。ご多分に漏れず就職難で、こちらでの就職活動をを一旦止めて地元に帰る事になった時はなんともいえず寂しかった。その後昨年店を閉めると書いた際、メールをくれてわざわざ数百キロ離れたところから駆けつけてくれた。何もしてあげられずにいたけれど、賄いのものをよく食べてくれて本当に助かったものだ。地元に帰ってから仕事を始めたようで、忙しそうだなと思いつつ案じていたのだが、先日ふと連絡があった。どうやら私がぽつりと「組みたいが小遣い使ってしもうたので来年かなあ」と呟いたのを気にしてくれたらしい。ITXという規格の(同じ規格のものは私も持っているが格段に性能が上)PCを一式譲ってくださると。若い人にそんな事をしてもらうわけにはゆかないとは思ったが考え直しご好意を素直に受けることにした。それが昨日昼に届き、箱から出してみるとまるでどこも使っていないようなぴかぴかのケースで薄型の光学ドライブも入ったまま、足すのはHDDだけという極上品だった。ピアノブラックの小さなケース、中身が全部入っていても片手でひょいと持てるそのPCは今こうして座っている横の台にちょこんと置いてある。それを眺めながらなんというか情けないような嬉しいような心持ちで今日一日過ごした。今週早速このケースに入るHDDを買いに行くつもりだが、さて入れるOSは何にしようかとこちらも楽しみになっている。添えられていた私と母の吸う煙草をみて銘柄まで覚えていてくれたかと改めて人との縁というものを考えてもいる。
2011.09.19
元々私は団塊の世代の存命期間の時限増税はやむを得ないとは思ってきた。しかしそれにはいくつもの乗り越えねばならないハードルがあり、その一番はなんちゃら削減ではなく日銀の金融緩和だと今でも思っている。3年前、麻生氏が首相になった際「景気回復が先、その後に増税をお願いしたい」と言った時マスコミはこぞって前段を抜かして「増税」だけを取り上げ叩きに叩いた。世論も似たようなもので当時の民主党は「一切増税はしない、埋蔵金がある」と主張し続け翌年の総選挙に勝った。民主党の主張の嘘は年金も消費税も仕分けの迷走にも明らかなのだが、何が根本的に彼らの間違いなのかというとそれは金融緩和をする前提をハナから捨てている、これに尽きる。無論金融緩和は全てを解く解答ではない。紙幣を刷り市場に供給する、もしくは間接介入として円借款を外国に貸与するにしろ相応のデメリットはある。だが今の日本経済の国内、国外双方の問題の根本には「円の不当な価値の上昇」にあるのは明らかで、身近でいえばこの10年全く代わり映えしない物価がありちょいと遠くをみれば相対的理由とはいえ円の急激な上昇がある。日銀が何故市場供給をこれほどまでに拒むかといえばそれはインフレを恐れるバンカーとしての本能としか言いようがないのだが、短く言えば自分ちの商品価値が上がれば嬉しいという単純なものじゃあないかと邪推したくもなる。だが日本はこれまでにインフレを克服しその方法論、ノウハウはすでに身につけてきた。円と日本という国家の持つ性質上ハイパーインフレにはなるわけがないのでせめて市場供給に積極的にならねば何かを削減するだけでは絶対に好転はしない…どころか悪化の下り階段を下がり始めるだけだ。もし仮に国費を削減するのならそれはただ一点しかなく、それは国費の投入割合の大きい共済年金の支給額を厚生年金並みに引き下げるくらいだろう。共済年金の支給額、積立に対する支給割合は他の厚生年金、国民年金に比べて群を抜いて多く、現役の公務員の給与を引き下げるくらいならここを減額した方がよほどいい。ここに触る政治家はいないのだが、民主党もマニフェストで年金一元化を謳ったのならここに切りこまねば案の定偽物だよね。まずは景気回復、その方法は市場供給(お金刷って配れ)、そして削減は利口な方法ではなくどうしてもなら共済年金、それを継続して若い人の就職そして生活の目処が立ち税収が上がってそれから増税を切り出すのがまともな政治家、足し算引き算できる政治だと私は思うんだがね。
2011.09.18
大人になってからの大半の年月を一人で暮らしてきたせいか、もう一年近くになるというのにこの家を我が家と思うには時間がかかっている。昼間はどうしても家事や雑事その他に追われ、実は隣室すら片付け終わらずにいるのも多少は関係があるだろう。2階の2部屋は専有できるし事実上私しか使っていないけれど、この2部屋を自分の使い勝手のいいようにできていず、何より趣味のPC弄りに必要な工具やパーツの整理すらついていないのもある。冬になる前にはと思いつつも次から次と家の用事が出来てきて、つい先日車庫天井の作業は終わったのだが次の玄関外階段の滑り止め貼りが待っている。それが終わると今度は冬に備えて窓に何やらを張るらしい。無職になったら手持ち無沙汰になるぞといろんな人に言われたが実際は家にいれば昼間の時間帯のみならず夜まで突発な用事が降って湧くので、自分の時間といえるのはこの時間帯、そう仕事をしていた時の自分の時間とほぼ同じになっている。んで。今年は蒸し暑かった事もあり、隣の部屋の諸々をだらだらと片付けがてらあっちこっちに寄せていたらテラスと籐椅子があるのを思い出した…思い出したというのも変だがまさにそういう感じであった。昼間は例のアレルギーがあるのと暑いのでダメだが、自分の時間だと認識できるこういう夜中にこのテラス仁藤椅子を出し、一服するのが毎日の楽しみになっている。別に閉じ込められているわけではないし、出かけようと思えば自由だけれどなんとはなしに「外の空気」を居ながらにして吸える気がする。そしてもう一つ、月の出る日はちょうど夜中にこのテラスで座ったまま月見ができる。花鳥風月ってのは人生最後に近くなって月を愛でるようになるという話もあるのだが、店をやっていた頃も帰り道には月があった。どんなに腹が立っていても疲れていても月が見えずとも「そこに月がある」と思えるだけで、短い通勤時間で気持ちを切り替えて部屋に帰った瞬間から「れですも」になれていた気もする。今夜は蒸し暑くてこの部屋も隣室のテラスも網戸にしているから気軽にひょいひょいテラスの椅子に座りに行っている。今年の「暑い」は今夜が最後になりそうですしね。
2011.09.17
例えば2chなどで何かの情報を書き入れる時にソースURLも添付するのが必要になる場合も多い。意見表明などは別にしてね。で、その場合大体においてマスコミ、メディアのURLを貼るのが普通なのだが事件事故は概ねまともだがこと政治となると途端にマスコミは切り貼りを始める癖がある。TVもそうだし新聞もそう。政治の話に限定すると本来の一次ソースは国会中継、または地方議会中継ということになる。だが長い。私も仕事をしていた時は各委員会の録画分を全部見る事は難しかった。結局実況で話題になった委員会、または興味のある議員の質疑などに絞って視聴することになる。ネットのお陰で衆参共に数日置けば録画で見られるようになったのはありがたい限りで、そのお陰でマスコミの報じるダイジェスト版が実は好き勝手に、時には恣意的に編集されているのにはっきり気づいたといっていい。今は前より時間があるのでもっと多くの質疑を見ることが出来るようになった。こうなると当然だがマスコミの「恣意的編集ポイント」が事前に判ることすらある。質疑のポイントじゃあない末節のやり取りのみを報じたり、果ては数人いた質問者が夜のニュース番組ではたった一人であるかのように報じるそのポイントの歩調が各局ぴたりと合っていたりすると「ふうん」となる。本来はおかしいでしょう。各局記者もカメラも入っているわけだ。取材する人間が複数いる場合、感じ方、捉え方は別なはずでそれ以前に質問議員と概要は判っている筈なのでそのポイントを抑えたがために報道が似通ったならともかく筋がずれた枝葉の話を一斉に各局同じ視点で報じるのはやはりおかしい。こうなってくると国会中継の楽しみ方もどんどん段々歪んでw来て「さてこの質問者はいないことにされるかね」などと誠に不謹慎な考えすら脳裏に浮かぶ。マスコミは一次ソース足りうる資格、資質すら自ら手放そうとしているのだろうなあ。一度失った信用は取り戻せないものなのに。
2011.09.16
鳩山も菅もそして野田もレベルとしては「ああ、民主党だしね」でという点でさほどの差があるとは思えず、単なる性格の違いでしかないと私は思っているのだが。しかしそれでも前原よりはマシ、僅かに菅が前原と似たり寄ったりかなと。八ツ場ダム「建設が最も望ましい」 国交省が再検証の結論提示これは当然で、八ツ場ダムの下流域を考えれば判るのだがすでに住宅、産業の集積地ばかりでここの河川、道路、その他下水など含めた整備を今からするくらいならダムのほうが効率的でしかも整備途中での天災の影響が最も少ない。これは民主党のマニフェストが根本から間違っていた顕著な例で、地権者の了解も済んでいる正に手を付けていたこのダムを何で選択したのだろうかと私は今でも不思議に思っている。地元の了解を取り付けるのが一番大変でそれが済んでいるダムをわざわざ言挙げした自体に民主党の幼児性とそしてそれに乗ってしまう「地元以外の」有権者の思慮の足らなさテストであったのかなと思うくらいに。ここで黙っておけばいいものを前原氏、八ツ場ダム建設容認の検証結果に「不愉快」こういう反応とそして言い回しをするから前原は宰相どころか政治家として基本的な何かを足りないままキャリアを重ねたと私は断言できる。そもそも前原の国土交通大臣時代、ここでも書いていたが余りにも思慮を欠き過ぎた発言、いや放言が多すぎた。日航関連での一連の発言と経緯と決着は上場企業に対する政治家、所管大臣としての範を超え何かのロンダリングに手を貸しているんじゃあないかと疑われても仕方がない。そしてその決定の経緯も国会での直接の論戦は僅かで全部一存に等しい。所管大臣というのは全部自分の一存で決めていいというものではないしその決定の途中では自分の意見と違う、相反する意見をより聞かねばならない…というのは社会と同じ。自分に沿う意見ならばそれなりの結論に至る経緯も想像がつくのは当たり前で、本来であれば大臣ともなれば一度心中をまっさらにして双方の意見を改めて聞くのが筋というものだが、民主党議員にそれを期待しても無理なのでせめてね。私はこの前原がある意味最も民主党らしい政治家ではないかと思ってもいる。永田メール事件での事実誤認に関する情報収集の偏り、経緯における公平さを失った判断、そして結果に至る過程での不透明さとそれを無かったことに出来る自分への甘さ。これが八ツ場ダムの決定に関しては相手を責め、自分は無謬であると規定づけている今回のこの反応に如実に現れている。ダブスタとそして間違いを認めないこの幼児性は政治家どころかいい年した人間としても極めて幼稚ですわな。
2011.09.15
昨日、ようやく臨時国会が開かれた。当然ながら震災や災害対応の三次補正、そして来年度予算の審議があるので年末までの国会会期だと思い込んでいたら数日前から「国会会期は4日、実質3日」と野党議員がしきりに呟いている。まさかとは思ったが呟いているのが国対委員長だったりするので信憑性は疑わないが、しかし正直本当に昨日の本会議での多数決で押し切るとは思わなかった…いや思いたくはなかった。民主党政権はこれまで政権交代前の野党時代、そして鳩山政権、菅政権といずれも口に出した事、公約を守りきった試しがない。そういう意味では折り紙付きだが、これまでの欺瞞を一体どう回収するつもりなのだね。所信表明演説も酷いものであった。震災犠牲者や被災者を引き合いに出し、出すのはともかくそれならば三次補正の概算と大まかな内訳の数字と成立の目処くらいは出さねば震災後半年、組閣後10日以上経た総理の所信表明演説とはいえまい。ここに何兆円、こういう事に重点をおいて予算配分し、今のところの概算はおおよそこれくらいだと示してから初めて増税に触れるのがまともな施政者というものではないのかね。財務大臣だった頃から無能な奴だとは思ってきたがそんな者が総理になっても務まるまい。来年度予算には当然復旧復興費用も計上されるのだから三次補正と来年度予算の配分くらいは言えよ。1時間近い所信表明演説を怒りながら聞いていたが結局「ぼくの感想文」であったわ。心底下衆な人間だな。
2011.09.14
あんなに暑い暑いと言っていたがここ数日は起きぬけの部屋も廊下もひやりとするようになってきた。昨夜は満月で、本州各地は月を愛でていたようなのだがこちらは生憎雨模様だった。それでもテラスに出、夜空を仰ぎ目には見えないけれど雲の上の月を心の中で見ていたつもりになっていたりしていた。日曜日に母の敬老会の送迎をするついでに試しに30分ほど隣の公園で座り、試してみたらアレルギー反応が殆ど出なくなっていたので「ああ秋だ」と実感できるようにもなっている。例年は4月、今年は3月から飲み続けていた抗アレルギー剤を飲まずに済むようになって初めて秋がきて昼間外歩きができるようになる。今月から車庫の天井の断熱材貼りを初めて後1日か2日というところまで来たし、次の作業の玄関の外階段のゴム板張りの資材が今日来る。これらを終えてもう一度車庫を片付けて冬の準備が始まる。
2011.09.13
昔から便利なやり方というものはあるものでして「至極尤もだが今すぐには無理なので聞きおく」ということがある。一般的には若いものが理想論を並べた時に年長者がとるやり方でして、主にその若いもののものの考え方やアプローチを知るのには役立つ。しかしでは何故「今すぐすぐすぐ速やかにできないのか」を説明するには相手の理解や視野が追いつかず、時には説明しても「んじゃあこちらの意見を聞く意思はないんですね」的な反発さえ喰らうので黙って「聞きおく」。言わないよりは言ったほうがいいがさりとてそれは実は皆通った道だったのだというのもよくある話でもあります。円高懸念は「理解得られた」、財政健全化が成長の礎に=財務相「円高阻止」空振り 日本は蚊帳の外この2つのリンクのうち上が主にマスコミ、メディアで報道されましたな。しかし私は「聞きおく」じゃあないかと疑っていて、その根拠は先日書いた。今、世界経済というか日本の場合は国際通貨なので為替も含む仕組みは「自国経済を元にした担保証券が通貨」みたいになっております。これは基軸通貨である米ドルの都合といえばまあそうなんですが、米は構造的に赤字になります。何故ならドルの発行が世界経済の流通と口座の屋台骨だからですな。コルレス口座については何度か書いたので割愛しますが「発行していることになっているドルが米財務省管轄の口座を通過する」ようなもんだと思ってくらはい。為替という言葉は今や通貨の両替のみの意味で使われがちですが、昔は為替というと郵便為替のようにこちらから100万円送って向こうで受け取る、しかし実際に1万円札が100枚郵便で運ばれているわけではないという使われ方をしました。はい、今の振り込みです。日本ではこの為替制度は比較的古くから発達しました。小判や銭が重かったというのもあるでしょうし何せ江戸時代くらいから旨いものには目がなく珍しいおいしいものは数百キロ運んででも食べる国民性が成立する程度に豊かだった。代金を払うのに小判一枚程度ならともかく船一艘分の代金の小判を用意してそれを運んで受け取ってとなると危ないわ重いわですので為替が発達し、その為替の裏付けになる名目上は米、実際は通貨が自国発行自国担保が可能であった。島国というのもこうした場合アドバンテージになりますし、国内のみで食糧その他が賄えて相互の信頼が成立する程度に国内文化の共有がなされ、更に為替の字が読める程度の識字などの諸条件が前提としてあった。為替はただの両替とは実はちょっと違う性質のものともいえますな。むしろ金本位制の時代がただの両替、今が本来の為替となった。ですがいくら国家が「あることになっているはずの担保の証券」だからといってむやみと印刷発行すれば相対として価値が下がり、極端な例としてジンバブエに陥ることはある。但し日本はジンバブエにはなりにくい…というか日本をジンバブエと例えるのは相当なおバカなのと「相対として」という意味ともう一つの要素「担保証券」をもう一度考えれば日本がジンバブエになる方が難しいとすぐ判る。日本に関する基本的な数字、国民資産を含む国家にある資産は1500兆「円」、GDPは500兆「円」。これ全部ドル換算した上で円を発行することは帳簿上可能です。というか大抵の国はそれ以上通貨発行し更に外債を発行しとりますが日本は違いますよね。外債は殆ど無く内国債でしかも外国にお金を貸す債権国でもあります。つまり外国に貸していてその貸している分と利息分くらいは今すぐにでも紙幣発行して差し支えない。但し何度も言いますがこれは単年度予算しか考えてはいけない事になっている官僚が悪いとかいう話じゃあなく政治家が決断する政治的要因でもあります。日銀の理解を求めるというか言うこと聞かせる頭と度胸と責任を取る腹がなければできない。おっとリンクに戻りますが。先日書いたように日本がいくら「円高は困る」と言っても言うだけでは誰も聞きません。当たり前ですな、日本には自国通貨の発行余地があり担保もあり余力もあり利息すら低くてもなんとかやっていけている。たんまり貯めこんでおいて「助けてえ」と言っても「はいはい」で終わるのは明確です。世界はそれどころじゃあない。自国で解決できるのにそれもせずに世界をなんとかする提案もなく「助けてえ」というのはバカなガキのすることであってG7に行くのなら相応の知恵か金を持ってゆくのが国際的な作法ってもんです。ここは円借款しちゃうよ、でも自国通貨流通も増やすので円の価値を少し薄めるがどの程度なら許容できるかやとかなんとか言えないのかね。この程度の知恵もなく何もやらずに座っているだけだととっくに見透かされているので相手にされないのですが、政治主導というのは官僚を痛めつけてサル山のボスになることじゃあなく、官僚ができない複数年度の腹積もりをし、官僚ができない、及ばない国際的なコンセンサスを得るにはどうすりゃいいのかの案を官僚から募るということなんだけどね。(元)官僚の凄味というのは先日自民党が修正案を出し可決はされたが実質的にSB孫の野望を叩き潰した片山さつきを見りゃよくわかる。こういう頭を上手に使う、自分より頭のいい人間を生かしてその頭を利用し調整するのが政治家、政治ってもんですわ。ま、どう考えても民主党政権には無理なのでせめて要らん事せずにいてはもらいたいですけれどね。
2011.09.12
日付けは東北の震災から半年が経ち、またNYテロ事件から10年経ったけれど、これを打っているこの時間はまだ惨禍を知らない日常が過ごせていた時間帯でもある。東北では半年前のこの時間は春の訪れを実感できていただろうし週末だったから予定を指折り数えていただろう。私も半年前のこの時間は予定があったので早めに起きていた。ここ札幌では震度4、出先の街なかの古いビルで遭遇したのでかなりの揺れを体感したが、手伝いの作業を続行できる程度ではあった。しかし隣室の事務所から人が駆け込んできてそこのTVを見て初めて只事ではないのを知った。選挙の前の手伝いだったのだが最早手につかず、予定より早めに切り上げて帰ろうとしたが地下鉄も止まっていて、事務所の女性が一人ちょっとしたパニックに陥っていたので落ち着いてもらい結局帰りは夕方になった。帰り道、そこかしこで地震の話がひそやかに耳に入っては来たが札幌の街はいつも通りに動いていた。家に着くとTVでは繰り返し地震のニュースをやっているのだが阪神の震災と同じく現地からの直接のニュースが何もなく、被災地にいる知人の顔を思い浮かべつつPCに向かった。それからは3日ほどはキーボードを叩き続けた記憶しか残っていない。一気にやるべき事ややらねばならないこと、早急に必要であろう事が頭に押し寄せ、それが文字と現実になって次々と現れてきた。ネットで現地と結んでほぼ唯一生きていたのはTwitterで、つまりTwitterが唯一のよすがでもあった。Twitterで知人の無事を知り、ないものあるものそしてネットが使えている無事な地域で出来る事は何かを探っていたのだが、そこで知ったのはGoogleとMS(マイクロソフト社)の素早い対応でもあった。ネット越しでも出来ることがあるのだというのはそれまでの災害でも感じたことは多かったのだが、今回ほどそれを噛みしめたことはない。3日目の夕方くらいに椅子の上でうたた寝してしまい、そこでベッドに入り起きたら指の腹がつるつるになり少し腫れていた。流石にそこで風呂に入ったけれど、温かい湯を浴びたら泣けて仕方がなかった。私が泣いても何一つ進まないのだが。半年経っても被災された方々の居場所すらままならない今、秋を迎えて改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災された方々が日常に戻れますように。そして10年は無論NY航空機テロ。あの日、日本時間では9月11日が終わろうとする時間だった。店はまだ開けていてその30分ほど前に3名のサラリーマン風の方がおいでになっていた。楽しそうに盛り上がっているのと品物を出すのが一段落したのでいつものようにNHKのニュース番組にチャンネルを合わせていてそれが始まる時間だったと思う。いきなり目に入ったのはは航空機、それもかなり大型の旅客機がビルすれすれに飛んでいる映像で危ないなというのとこれは何かの映画かという2つがぽんと頭に浮かんでいたように思う。そして旅客機が急旋回してビルに突っ込んだ。目と口を開いたがこれが現実かどうかすら判断できていなかった。カメラが移動するとツインタワーから2つとも煙を吐いている。世界貿易センタービルなのは判ったが、脳裏に浮かんだのはその数年前のテロ事件でもあった。「まずいよ、これビル」と母に言った記憶はあるのだが、その間私たち2人とも異様な顔つきをしているのを見たお客さんもカウンターに来て口をあんぐり開けて映像を見、急いでお帰りになった。私たちも後片付けをそこそこにそれぞれ帰り、私はその年の春に始めたばかりのPCの前に座った。ネット回線はADSLだったのだが殆どどこのサイトも碌に開かず、かろうじて米大使館のサイトには繋げられたので日本語ながらメールを打った。夜中、明け方になってようやく日本のネット回線が空き、未だ激重だった外国のサイト含めてそちらこちらを閲覧したけれどその時点ではそれほどイスラーム過激派と米との確執の深さを実感してはいなかったと思う。つまりどこぞの跳ねっ返りが重大なテロを起こしたまたまそれが成功したくらいに思っていたのだ。合衆国の人々の愛国心の高揚と「米に直接喧嘩を売った」事実を眺めていたともいえる。私はこのテロ事件でネットというものが世界のある程度の情報に直接自分の意志で触れる事ができるのを実感したのだが、しかしその情報はこれまた誰かによってこうしてキーボードを叩いていると同じく打ち込まれたものだというのも朧げながら理解した。今、PCに向かっているこの部屋は目線をちょっとモニタの外にやると青空と緑の山々が見える美しい静かな場所にある。半年前の大震災にも10年前のテロにも遭わず何も不自由せず安穏と暮らしている。だがどちらの災害も事件も被害に遭われた方々はその寸前直前まで同じように日常を過ごしておられたそのさなかに惨禍に遭った。日常がいつ激変するか判らない事を改めて噛み締めている。
2011.09.11
リーマン・ショックが顕在化する前だからもう数年前になるが私はここで「現状の世界経済(金融その他市場)は綿菓子のようなものだと書いた。綿菓子は匙一杯のザラメから子供なら一抱えあるふわふわの体積になる。元の実体はザラメ一杯だがザラメを齧るよりは美味しく感じられるしなにより見かけの大きさと可愛らしさがある。しかしくどいようだが元は匙一杯のザラメだ。おおよそというか腰だめだが現在の世界市場経済は実体の約50倍という説がある。もそっとあるんじゃねえかと思うんだがまあそのお説を前提にするとしてもどう考えてもやはりおかしい。私は金本位制に戻ろうとも思わないし固定相場制が素晴らしいとは思ってはいないのだが、しかしいつ何がきっかけでそんなでかい綿菓子になったんじゃいと誰かに聞いてみたい気もする。普通に考えれば直接のきっかけは米の赤字体質とドルの発行と変動相場がそもそもだとは思うものの、しかしそれに乗って世界の経済が増加する人口に応じた膨らみ方であったともいえるわけで「米ガー」と決め付けるのも短絡的だ。ドルがなくば輸入も輸出もできない=貿易にならない、自国通貨は国際市場で通用しない国のほうが多いんだからそのやり方が是か非かはともかくも握っている者のルールに沿うのがプレイヤーの条件でもある。んで。その握っている者のお余りは言いすぎだな一極支配を回避するためと旧植民地での権益を守るためにEUはユーロを作り出した。EUの最大の強みであるはずの「先進国がこれだけ集まったんだし旧植民地の権益と移民でいけるべ」は今となってみれば見通しの甘さ-これはギリシャの前のアイルランドかアイスランドの時か「なんでAクラスBクラスに分けないのよ」と書いた-が今を招いただけで、今からでも遅くないからAクラスBクラスに分けてまずは金主の独の機嫌を取らないと泥沼になるぞと。元はといえば旧植民地経済込み、そこから労働人口を得てコングロマリット作って座っていてもウハウハの予定がこれは共産主義もあるがむしろイスラームの影響と差し金で妙な平等主義と博愛精神が裏目って社会福祉が増大しちゃった。人間は弱い生き物で、横の一家がプラプラしつつも我が家と変りのない生活してりゃやる気はなくなる。EUリベラルは結局一番優先しなければならない自国の労働人口と納税を奪い、更にやる気をなくさせたのね。景気の気は本当に感情のもので、日本でも震災前から景気が悪いデフレだとなれば本当は使える人もどことなく紐を締めてしまう。何かというと欧米ではと言いたがる人間に限って欧米の実態、特に失業率には触れないし北欧素晴らしいと言いたがる奴は北欧が一体何でめし食って高福祉を実現させ、させたはいいが青年層がえらい荒んでいるのにも触れない。さてお題なんですが。別に今の「50倍」をゼロにしろやとは言わないんだが、意図せずとも近いうちにこの50倍がせいぜい10倍程度に萎むのではないかというのは容易に想像がつく。つまり1/5になるというお話で、と言っても実体の1/5ではないんだが膨らみ方が萎むというのは実感としては1/5どころか1/50に感じるかもしれない。円高に触れた際にちらっと書いたが単純にドルの価値がちょっと前の2/3になったとして一番痛いのはどこかというとそりゃあ世界一ドルの残高がある国ですわの。日本ではありませんよ。日本も相当額抱えていますが許容範囲でして、「実体」がそれを上回っております。支那なんですがね。支那の場合実体経済以前の紙幣発行額すら誰も判らないんじゃねえかと思うくらいのものなののですが、仮にそれが明確だとしても元ではどこにも行けずどこも受け取らない。支那が金を出して恩を売っている国は多いんですがじゃあ受ける側が元を受け取るかというとそれはない。何故なら援助を受け取るような国に必要なのはドルしかない。今なら円(建て)でも受け取るでしょうしそれを利用して間接介入しろやは先日書きましたけれど。先日のSAABを支那資本が買い取るという申し出をスウェーデンの裁判所が蹴ったというニュースはもう少し考えれば何かの予兆かもしれませんね。
2011.09.10
この状況で何が機会だとお思いかもしれないがしかし為替相場、国際経済を見ていると日銀と民主党政権は本当に何も判っていないなあとつくづく呆れていますのでね。無論国内の現状、そして災害の爪痕は決して小さなものではなく国内的にはまずこれらの復旧復興が第一義、まずは三次補正を通し冬に備えて復旧だけでも終わらせねばならないのは当然で、実はこれすらも現政権は臨時国会会期をたった4日間とすることで事実上潰そうとしている。おそらくだがぎりぎりの日程で国会を開催することにより三次補正を質にとって「野党がー」の宣伝材料にするつもりだろうけれど、しかし政治宣伝の為に三次補正通過を10月11月まで遅らせれば被災地の早いところでは雪が降り暖房も間に合わない。本来であれば来週から年末まで国会を開けば三次補正の質疑、来年度予算の質疑も充分に時間が取れ、それをしない与党が原因なのに「何でもいいから早く通せ」という謂れのない圧力に野党が負けるのは今から容易に予想できる。二次補正の時もそうだったのだが与党案は疎漏が多く、実際今でも数百億の金が執行もされず宙ぶらりんになっている現実をみれば充分な審議と修正が必要なのは明らかだ。おっと、書こうと思ったのは国際経済と為替だった。安住財務相「円高は震災復興の妨げ」 欧米の理解取り付けに決意安住如きに国際経済や為替が判るとは到底思えず、あまりよろしくない言い方だが財務省の言い分を鵜呑みにしちゃっている節があるとしか見えない。前にも書いたが財務省が単年度のものの見方の論理なのはそれはそれで間違ってはいない。憲法上予算は単年度ということになっていて、官僚がその前提でいるのは法律上も職分としても正しい。しかし同じ行政職(内閣構成員)となっても政治家はそれだけでは困るのだ。その為に議員は立法だが内閣となれば行政のそれぞれの長になるんだから。この記事では「欧米の理解を」となっているが日本がどれほど悲惨な現状だと訴えても欧米の現状ほどではないと一蹴されるのが落ちで、そのアプローチでは決して理解は得られまいと断言しておく。お前何いってんだとお怒りもあるかもしれないし、未曾有の災害を2つ並行して喰らい円高でじりじりと輸出産業が追い込まれている現状は確かに日本としてはぎりぎり崖っぷちではあるもののそれはあくまでも日本としての水準であり、欧米の現状に比べれば極めて健全で自力で立ち直れる余地があると看做されている。だから円が買われているとも言えるし、マスコミの喧伝通りであれば元やらインドルピーが大幅に買われていてもおかしくなかろ。これらは国際通貨ではないのでつまり間接的にドル買いの形になってもいいだろという意味ですよ、蛇足ですが。つまり毎日毎日取引されている市場の判断としては相対的であるにしろ余地と余裕があるのは日本で、では日本が何故困っているのかといえばそれは日銀と財務省の決断の方向が間違っているとしか思えない。私は前に震災のすぐ後から「紙幣発行しろ」とここで書いてきた。最低ラインは10兆の桁、できれば見せ金になってもいいから100兆刷ってもいいと。そして配る。どんどこ配る。この裏付けは日本国内のみで補完できる。今は金本位制じゃあないので云々はとっくに何度も書いているので割愛するが、日本の年間GDPは500兆、国債の引受先もほぼ国内なのだからこの100兆「円」はあくまでも国内で消化できる。日本円を日本で発行し日本で消化させる分には国際社会の理解も了解も要らない上に災害復旧復興を円滑に進めるにはこれだけの金がいるのだ日本の水準ではで済む。これが欧米を含む外債の国ではそうもゆかないが日本は違うからね。金融は日本国内で間に合わせます、しかし欧米に関しては「円」で助けますというアプローチを取るのが今は一番利口でしかも相手は恩義は感じないけれど実質的に円である程度世界市場をコントロールできる機会なんだがね。国内担保だけでまだ数百兆の余地がある国、その通貨がまんま市場に通用する国は今や日本だけなのですよ。ただ、正直言えばこの本来の日本の姿を民主党政権に委ねるのは危険といえば危険で、何とかに刃物になりかねない。コントロールする機会が巡ってきたというのは一気に潰される可能性も高い。これはWW1後とよく似ている。ここは悩みどころでもあるよね。こんな馬鹿な連中に機会ではあるが細い一本橋を渡られるリスクは託せない。ただ、実体の約50倍と言われている膨らみきった市場が崩壊を始める瀬戸際になった時に日本が実質を伴ったホワイトナイトになれる唯一の通貨発行国なのだというのはまぎれもない事実だ。それまでに民主党政権を倒せるかも大きなトピックになるやもしれない。
2011.09.09
「水源地の権利」で現金詐取容疑、十数人逮捕その昔、北海道を舞台に別荘地詐欺があり今も尚その舞台になった場所は残っている。そして去年くらいから表面化した外国人による水源地買収はここでも何度か触れていて、北海道議会の小野寺道議が森林買収問題として何度か道議会で質問を重ね、結果北海道では全国に先駆けて森林保護条例ができることになった。しかし悪い人間というのはこういう話を詐欺にでっち上げる。北海道の場合何故こんなに水に困っていないかというとその大半は降雨ではなく降雪、雪の恩恵を受けている。冬になれば190万都市札幌でさえ総降雪量は6mを数え、積雪量も1mにはなる。寒さも続くので容易には融けず、融けるのは3月になってからゆっくりと大地を潤す。雪がダムの役目を果たしているといってもいいわけで、猫の額のようなうちの庭も5月一杯くらいまでなら雨が降らずとも雪どけの水分で間に合う。しかしこの詐欺はどう考えても引っかかるほうがおかしい。座ったまま何もせず、頭も使わず儲かるという話を何故信じるのかそこが理解できない。この手の詐欺が出始めているという話はほんのりと聞いていたけれど、本当に引っかかるかねと一笑にふしていたがいるもんですねえ。
2011.09.08
常日頃から「口先に騙されるな、言ったことではなくやったことを」とここで書いてきているが、今回の野田内閣と民主党のやり口には心底呆れた。臨時国会:外国人献金・防衛相失言…政府、逃げの一手 会期4日に野党反発どこの世界に口では復旧復興を言いながら組閣から10日も経って国会を開く自体おかしいのに、絶対に必要な三次補正すら成立できない4日間会期という法があるかと。加えてもう9月なので通常予算の概算や骨格が出ていなければならない。こちらも口先では「これまでと違い」などと言っているが忙しい時に事務次官全員呼びつけて予算成立の目処すら口にしない奴の言うことなんて誰が聞くかい。これまでの2年を見てきて時間を守るとかいつまでに仕事を終えるという感覚が民主党に欠けているような気がしてならない。加えて内閣を構成する以上自分達は立法側ではなく行政府の人間だという意識すらない、とんでもない無知じゃあないのかと。行政側という以上国会の決議を経て粛々と執行するのが仕事で、できもしない、法の裏付けもない思いつきを行政府の人間がてんでばらばら勝手に放言するなどという阿呆な者が複数出る自体おかしかろ。こういう基本的な切り分けすらできない、判らない、やらない人間達にできることはせめてやるべき最低限の事はやる、これは今の場合通年国会にして三次補正を今月のうちに間に合わせ、同時に来年度予算の当たりもつける、これだけだぞ。予算は行政(内閣もだ)の根幹であり、これなくばほいほい国庫の金は動かないということから理解できていないのかそれともやりたくないのかできあいのか、それくらいは明らかにしてもらわんと。被災地ではもう秋が来る。一体どうしろというのだ。
2011.09.07
昨日は用事を昼間に済ませて夜は篭る覚悟でいたんですが。ボケ爺がひどく珍しいことに「病院に行く」と言い出したので母と2人で暗くなってから救急病院へ連れて行きました。便秘だったようで薬をもらい、本人はけろっとしておりますが食べるものには気を配っても最近歩きたがらず、部屋から出ることもしなくなり、散歩に誘っても出たがりません。歩けなくなるとこちらも大変なので何とか考えねば。そして帰ってきてみたら本州のネット知り合いの皆様が札幌、北海道の大雨予報を心配してくださっていました。確かに北海道は雪には対処できますが雨にはさほど強くない。30年前は酷い水害になりました。今回は西から台風12号が低気圧に変わったばかりのもの、東南から台風13号がそれぞれ海水温の高い海を進んで来ております。つい先程から風がかなり強くなってきていますし、道南の雨が激しくなってきているようです。実はここ自宅は高台にあり、削ったり盛ったりした土地ではなく地盤もいいので全く心配はないのですが、市内の親戚や知人友人が気がかりです。今現在もTVはL字画面で道内各地の大雨洪水警報を次々と打ち出しています。心配なのは農作物でして、北海道は年に一度しか収穫できません。その収穫時期を控えて今こんな雨続きでは思いやられる。どうか大きな被害が出ませんように。
2011.09.06
先週からの台風と前線による豪雨は各地に被害をもたらしている。特に被害が大きかったのは四国、近畿地方で、居座り続けた台風の為に聞いたこともないような数値、桁の降雨量だ。十津川村はその中でも被害が突出していて、北海道にある新十津川町ができる由来にもなった明治22年の大水害もこうだったのかと思わされている。組閣と重なったとはいえ台風そのもの、大雨もある程度予想予測されており、昨日の夜ようやく政府の対策本部が立ち上がったと聞いたときは呆れて耳を疑ったのだが、立ち上げた以上前政権と違うところを見せてもらおうとは思っている。実はこちら北海道も比べものにはならない量ながら、こちらとしてはちょっと思い出せない程の降雨があり更に今日明日にかけて台風が前線を連れて接近するので警戒はしている。「水は怖いんだよ」と母が一つ話のようにいつも言うその意味が今年はつくづくと判り、このような事が続いて実感してしまう自体大変な年だと改めて感じている。
2011.09.05
野田内閣支持62% 共同通信世論調査いつから日本ではまだ何もしていない者を「支持」するようになったのかね。期待値調査ならまだ判るんだが。この状況で先に党の役員から決め、組閣に3日も4日もかかった挙句前もって判っている台風とその影響、特に大雨に対して一体何をやっているのかすら判らない。一昨日から「防災相は誰」を聞きまわりようやく該当担当は判ったがそやつが何かした、もしくは首相が何か言ったという話も聞かず、大雨であちらこちらが決壊し犠牲者も出ているというのに1000円カットの散髪だけが政治のニュースだ。百歩譲ってでは国会は明日から開催するのかと思いきや自民党国対委員長は「早く開催を」と呟いているけれど肝心の与党民主党がさっぱりなのでいつから国会を開くのかすら判らない。これだけの国家だから何事も無くとも何かしらの諸問題はあるわけで、加えて来年度予算の概算も出ているはずだから呑気坊主に構えていい状況ではない。当然それに加えて震災復旧、復興もあるわけで、現在只今は豪雨対策もある。全国で20万人規模の避難は自治体レベルだけでの対処は極めて限定的になり、西日本全体ヲイ渡しての緊急対策はやはり国家、政府が主導しなければならないんだが床屋かい。民主党の場合震災の時に判ったんだが「会議」「本部」を開けば後は誰かがやってくれるという支持団体(組合)の体質、寄生虫体質を具現化したようなものなのはとっくにバレているから「本部作りました」では誰も期待も安心もしない。一体何をするのかを具体的に表明し(ここまでは民主も口先は達者だ)、それを実行するにはどうするのか調整するのが政治なんだがね。私は災害を政争の具にするのは愚かだとは思う。思うがしかし困った事に政府、圧倒的多数を持つ与党がなにもしないできない上にそれを政治の道具に使っている現状には憤っている。なんでもいいからさっさとやれや民主党。判らないなら判っている人間に訊け。
2011.09.04
この非常時にいつまでかかるかと憤っていた野田内閣がようやく昨日発足した。顔ぶれを見たが野田自身がこれまで何の役にも立たなかったのは事実なので何の期待も持てない。口先は立派だがやらせてみたら役に立たない人間は世間にも多いものだが、今回の内閣も同じで政治家として何の実績もないどころか足引っ張ってきたのばかりだなと、感想はそれで終わった。とっとと国会を開き溜まっている懸案を通し復旧と災害対応を早くしてもらいたいし、もう9月なのだから予算の骨格を取りまとめてもらいたいのだが、政府の役目すら覚束ないのばかりで嫌になる。能書き言う前にこれまで言ってきたことやらなかったこと纏めて謝っておいた方がいいぞとは思うけれど、大体において自分の言ったことすら覚えていそうにない連中だしな。最低限これまでのような不作為による失点なしというふざけた事は止めてもらいたい。大体お前いきなり「復興」という言葉を使っているようだが復旧すら終えていないのに何をすっ飛ばしているものやら。日本語から怪しいんだから思いやられるわい。
2011.09.03
しょうもない自慢になるのだが。私はどちらかというと晴れ女で、これまでに学校行事などは別だが自分の予定で出かけて天候が理由で中止になったことがない。出先で雨すら珍しい方で、8年ほど前東京で雨に当たった時は心底驚いたくらいでしてな。それどころか大幅遅延も経験がないので4年前の真夏、飛行機が15分だか20分遅れたすら驚いていた。そして昨日。車庫作業の資材が思った通り足りなくなり(というか様子見で少なく買ってはいた)母と2人で買い足しに行った。予報は雨で、行く時にすでに降っていたので母が濡れるのは困ると傘は一応持っていった。大きなホームセンターに到着し、駐車場に停めたんだが資材は配達してもらうにしろ多少の買い物もするし邪魔なので傘は車に置いていった。そして買い物と配達の手配を終え、さて帰るかと出口に差し掛かってみたら空いている店だったのにやけに人が溜まっている。ふと外を見てびっくりした。太い雨-表現がおかしいが本当に太い雨だったのだ-が斜めに滝のように降っている。滝のようにという表現はよく見聞きはするがなるほどこれかと実感できた。こんな雨を札幌で見ることは滅多にないので母と2人見とれていたが、いつまでも眺めているわけにもいかない。私は濡れてもまあ大丈夫だが母はまずい。という事で荷物を母に預け、走って車にゆき傘とゴミ袋を取りに行った。出口から真っ直ぐ飛び出し3歩ほどのところで駐車場に溜まった水が踝の上まで来ていて、履いていたジーパンが急に重くなったが気にしてはいられない。戻ってゴミ袋の底に穴を開け母に被せて傘を渡し、荷物を持って戻り道に確認しておいた水の嵩が少ない場所を辿って車に飛び込んだ。文字通りずぶ濡れ。Tシャツは張り付き、そこからも水が滴ってジーパンも全部濡れている。母も足元が濡れてしまっているのでヒーターを弱く入れつつ帰ってきた。帰るなり玄関でジーパンは脱ぎ、そのまま着替えして2人とも風呂。ここまでずぶ濡れになったのは生涯で2度目かそこらじゃなかろうか。濡れるというのは疲れるもので、夕方ちょっと横になり寝てしまっていた。だがあれほど降ったと思っていた札幌は降雨としては大したことはなく、高台にあるここら辺は更に何の心配もいらないけれど、北海道各地、そして本州四国は大変な事になっている。収穫を前にして気がかりなのだがこればかりはお天道様のご都合で、眺めるしかできないのは口惜しい。
2011.09.03
9月最初の日であった昨日はちょっと記憶にないほどの暑い日でもあった。今年は暑い日がそれなりにあったのだが、暑いと文句を言いながらも夜は寝やすくなってきていて、それに慣れた頃合いだったので余計に堪えたのかもしれない。特に夜の暑さは久しぶりに隣室のテラスに椅子を出してぼーっと座っても夜風すら感じないくらいで、結局夜半に雨が降るまでそうしていた。明け方近くから激しい雨になり、今は降り続いている。雲が低いところまで垂れこめていて「今日は降るから」と宣言されたようになっている。たぶんこれで今年の扇風機は使い納めだと思うんだが。加えてうちには年寄り(私もそうだが)がいるので昨日は何度も下に行った。けれど認知症の父は何故かがっちりと着こんでいた。母と何度か脱ぐように勧めるのだがせっかく脱いだと思ったらまた違うものを着込んでいて目が離せない。食欲がいつもより落ちているので少しずつだが果物や小さいアイス、スポーツドリンクを持って行ったりしているのだが本人はどこまで判っているのやら。
2011.09.02
我が親含めておよそ左巻きの人間ほど卑怯な生物はいないもんだが菅も同じ種類の生き物だよなあと。先日明らかになった菅の最後の指示「朝鮮学校への無償化審査再開」ですわ。朝鮮学校無償化審査再開指示 即時撤回を要求、自民合同会議が決議朝鮮学校などというから日本の法の下での「学校」と混同されるし彼らはそれを長年狙ってきたけれど何のことはない法律上は「各種学校」でしてな。つまり自動車学校や和裁の学校と同じで「好きで通っている」。それなのに高校総体に参加させたり果ては朝鮮高校卒業でも高卒同等として入試させる赤い大学だのが着々と「実績」を作りあたかも日本の高校と同じであるかのような錯覚をさせている。よりによって自国民を拉致されている上に徹底的な反日教育を施している各種学校を存在させているだけでもありがたいと思ってもらわねばならんのに何が悲しくてこんなところに税金を投入させねばならんのじゃ。日本の高校の教育がそんなに気にくわないのなら母国へお帰りになればよろしかろうし、支那経由ならほいほい帰れるだろうに。こんな馬鹿な話を国会も経ずに辞める当日になってこそりと「指示」だけで通そうとするなどは到底容認できん。それでなくとも震災対応であたら助かった命を餓死凍死させた張本人が更に国家国民へ迷惑だけを押し付け残してのうのうとしているなどということはあってはならん。酷い話だ。
2011.09.01
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