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民主党は野党時代事あるごとに「政治主導」を打ち出した。それはそれであながち悪とは思わないのだが、しかし与党になりおおせた以上言っていたことの全部じゃあなくとも基本的な姿勢くらいはやるふりでもするのがまともな人間ってもんじゃあないのかね。しかし現実には政治主導を謳った事案は自衛隊への干渉であったり無意味で無価値で何の根拠もない「CO2 25%削減」であったりする。出来もしないことをブチ上げて後始末をさせるのは政治主導とは言わない。そしてその無責任なスタンスが顕著なのが震災対応。菅は20を越える震災関連本部や委員会を内閣直属で立ち上げたがそれらが有機的に機能しているとは誰も思わず、政治主導というのならば口先はともかく何がしかはこれまでの経験から進むはず。こちらも現実は国会答弁すら虚偽のままだ。仮設住宅はお盆どころかいつになるのかさっぱり判らず義援金も一体どうなっているのか発表もなく、そして東電に責任を押し付け他原発対応、サミットで無責任にぶちあげた1000万戸ソーラーにしてもこちら北海道のように事実上不可能な地域*への言及すらない。*これは沖縄も同じで沖縄の場合台風に耐えられるのかこれらの象徴のような存在が「復興構想会議」。復興構想会議 被災地を忘れていないか本来であれば政府与党が取りまとめた復興構想の妥当性を後々になって計るのがこうしたオブザーバー会議だと思うのだが。全部丸投げにしているもんで纏まらん。政治主導というのなら大づかみでいいので政治家がまずグランドデザインを引き官僚に具体案を出してもらい実行すりゃいい。妥当性を計るなんざ後の後で、今はとにかく動くしかないのになあ。グズなのかクズなのかそれとも本当にバカなのか、これまで一度も政治的に機能したことがないのだなあと、それだけは判る有様だわ。グランドデザイン一つ引けないというのは政治主導どころかいい歳こいた大人では普通考えられない。
2011.05.31
今の用語は好かないが、私は分類するのなら「乗り鉄」に属すると思う。以前住まいしていた場所では頻繁にJRに乗った。何せ乗り鉄だからそれが純粋に用事の為といってもやはり心が浮き立ち、また車両の違いや僅かな差、そして設備などもまじまじと眺め密かに納得したりまた感心したり時には「なんじゃこりゃ」もあった。数年前、数十年汽車電車気動車に乗っていて初めて聞く走行中の異音に気づいた。快速エアポートの出入口近くの上部にビス止めになった空調関係かな、メッシュ板が張ってある場所がある。そこから明らかにビスの緩んだ音がしていた。昭和30年代後半から乗っているがどんなに古い旧型車両でもあのような異音は聞いたことがない。この事はここかもしくは当時別の場所にもあったBlogに書いた。関心のない方はなんでそんなことをわざわざと思われるかもしれないけれど、走行音ではないネジの緩んだ音などはそれがどんなものであれするはずがない。それにびっくりし、またその頃車両の妙な汚れ方というか清掃の未達に気づいていたのもある。車両基地が近かったので出庫したばかりの車両なのに昔感じたような清掃直後の車両につきものの清々しさがない。窓ガラスの隅やドアの取っ手などが特に。自慢じゃないが私はきれい好きでも神経質でもなくずぼらな人間で、たまたま好きな鉄道だから感じただけなのだが。JR石勝線特急火災 「指示従っていたら、死んでいた」 鈍い判断怒る乗客だから事故が起きたというつもりはない。しかし少なくとも50年近く乗った鉄道にここ数年、それまで決してなかった事が鈍感でずぼらな私にも感じてしまう違和感は確かにあった。何故事態の把握が遅れたのか、特にこの場所は普通に徐行区間といっていい場所で、人里は離れているが山中などというレベルじゃない本当の山の中。道路はあるが重大事故になった場合救急車を一体どこから呼べば早いのか悩むほどの山の中で、ヘリもすぐ近くは着陸はできない。携帯すら通じたかなと思うくらいの場所だ。脱線が先か脱落が先かは判らないのだが、火災となればまずはトンネルから乗客を出さねばトンネル火災の恐ろしさは旧国鉄時代に経験しているはずだ。まさかと思うが会社との連絡や自分達の事態把握を先にして乗客の安全確保が後回しになったなどということはなかろうな。
2011.05.30
震災とその復旧復興について文句ばかり言っても仕方がないのでTwitterでぽちぽち呟いていた事やその後ちと考えなおしてみたりしたことを書いてみる。但し大雑把な主に金の話なのだが「日本は借金大国」信者には無理なお話。第一に被災者避難者の方々への一時金支払い。これは書いた記憶があるがもう一度。簡単な話で政府が日銀に10兆円用意させ自衛隊なりなんなりに護衛してもらいトラックで運んで100万束を一人ずつに配ればいい。えっ?Wったらどうするって?別にかまへん。誤差が生じても精々100億。その金がなくば日本がどうにかなるのかというような金額じゃあない。特別措置で発行高が10兆増えようとこのデフレ下ではどうやってもハイパーインフレにはならん、たかが10兆程度では。日本のGDPのたった2%じゃ。そしてもう一つはボランティアでの救援を止め、準公務員として正規雇用にする。救援支援のみならず復興復旧まで。地元企業が継続するのなら人件費を国費で出す。無論時限にはなるけれど時限といっても3ヶ月や半年ではない。継続して働けて安定した雇用が地元で生まれるというのは決して悪くはない。最低3年出す。そしてこれに国費を拠出しても地元で経済が回る原動力になるので復興への下地になる。そしてもう一つは上の2つを実行しつつ区画整理が済んでいない場所に地元の方々が飲食店を出す事を時限許可する。つまり地元で金が回るようにするということだ。かなり大雑把で穴はいくつもあるのだが、しかし大筋としてとにかく地元に現金を入れ地元で雇用を作り地元で金を回す連鎖を作らねばならない。この為に10兆+10兆復興費用の他に国で金を出すのは決して無駄にはならない。私は東北の方々を信じている。必ず元以上になると思っている。だからそのとっかかりとして国費を出す担保は東北の方々の努力と根性だと信じている。戦後日本はマイナスから始まってとんでもないプラスの国になった。今、バカなコメンテータがあたかも日本はマイナスなように誘導するがとんでもない話で、諸外国からの利息だけ復興費用に当てても余るくらいだ。こういう時こそ細々した調整だのよりは大掴みでいいから腹を決めて一番肝心なテコ入れと人心の安寧を図るのが政治ってもんだと思うぞ。
2011.05.29
震災直後もここで被災者の餓死者凍死者について憤った。このうち餓死者については「南相馬市で餓死を10人以上確認しました」 森まさこ議員(自民)-ニコニコ動画、長いですが小宮山厚生労働副大臣の薄笑いもご自分の目でご覧くださいそして自治体職員の疲労蓄積に対する交代要員と、捜索救援に向かっている自衛隊警察消防に疲労に伴う二次災害についてもすでに何度か書いた。無論国会の各委員会でも取り上げられている。しかしまた自衛隊員が亡くなられた。災害派遣の3等陸曹死亡 岩手・宮古で活動見出しにはないがこの三等陸曹は27歳、佐藤正久参議のTwitterでの発言によると新婚3週間であったという。過酷な被災地での救援捜索活動は充分な栄養と休養がなくては到底続けられず、いかに自衛隊員が鍛えていても2日や3日じゃあないのだからこれまでに何度かあった殉職を教訓にいくら民主党政権でも考慮されていると思っていた私が甘かった。27歳といえば鍛えていない人でも現役で働けるのであれば元気盛りで、少しくらい無茶しても大丈夫な年頃だ。全く鍛えた事のない女の私でも27歳の頃なら碌に食べずに遊びと仕事で動きまわって「疲れた」ということを知らずにいられた。ましてや自衛隊員ともなれば訓練の前に健康診断はしていようし、鍛え方は我々の比ではない。一体現場の給養状況はどうなっているのだ。聞けば被災者に遠慮して冷たいままのものを食べていると云うがそれでは疲労した身体の負荷を増すだけ。非常事態ではあるが戦時ではないのだからせめて食事は温かいものにしなければ長丁場は持たない。一体いつまでこのようなおよそ21世紀の日本とは思えない状況を座視し放置し続けるつもりだ政府よ。いくらバカでも何度も同じことが続けば僅かでも考え直し改善するのが当たり前だろうに。だから私はひとまずだろうがとりあえずだろうが倒閣に賛成する。国民を見殺しにし続けて恥じない政府は最早要らない。
2011.05.28
前にちらりと「解散を求めるのもいやいやそれどころではないというのもどちらも正論なので困る」というような趣旨の書き方をした記憶がある*。*申し訳ないがこの自分の書き込みが見当たらず、ひょっとしたらTwitterで呟き捨てたものと錯誤しているかもしれないのだがその時点では解散を求め…の前に野党が伝家の宝刀「不信任決議案」を提出するか否かなのかというところに力点があった。内閣不信任決議案が何故伝家の宝刀なのかという解説はくどいので省くが、衆院で一度しか出せず、野党は出した以上建前として以後の審議には応じないのがまあ一応の筋でもあるから。だがそれから事態は主に政府与党の失態…どころじゃあない改竄その他で進み、更に6月末で会期を終えるなどというふざけた話が現実化するにつれて最早この政権自体が駄目だというのがはっきり判った。だがここで最初の「どちらも正論」が違う形で頭をもたげる。違う形というのは仮に不信任案が決議されたとしてでは菅が素直に解散するか。解散するのがこれまでの慣例前例で、普通の神経持ってりゃ衆院では過半数まではゆかないにしろ大多数を持っている政権与党の党首が内閣もろとも不信任案を決議されたのでは議会(審議)がもたない。だが菅は違うのではないかというのが「別な形のどちらも正論」の発展形で、もう一つは無論不信任案が通った場合の組閣。頭を誰にすんのというおはなし。当然ながら首相を出すのは多数政党であり、それは総選挙までは何がどうだろうと民主党。つまり不信任決議案を通すには与党である民主党からの数が必要で、更に「その後」をも考え合わせなければならない。気の短い言い方をするのなら鳩山や菅がやれるんだから誰でもいいというやけくそもありだが、今の日本、明日からの日本はそんなネタで笑える余裕はあまりない。んで。総選挙は時期尚早という方の根拠の一つに「総選挙は物理的にできない」というものがある。しかし日本には同じような状況下で戦後の普通選挙をやった実績がある。第22回衆議院議員総選挙。この総選挙実施日を見ていただきたい。1946年4月とある。この時日本はまだあちらこちらに焦土が残り焼け跡だらけで、更に外地に未帰還兵が十万人規模でいた。私が物心ついた昭和30年代の終りでさえ当時住まいしていた近所に防空壕の跡が無残な姿を晒してもいた。そこは今地下鉄駅の隣地でもある。戦後20年近く経っていてあの有様なら昭和21年がどれほどひどい状態だったのか推測くらいはできる。だが日本はとにもかくにも普通選挙を行った。この実績をもってすれば今年総選挙を行うのがさほど無茶とは思えない。結論としては慎重派がいうように確かに現時点での総選挙は中々厳しいものがあるのは判っている。しかし原発一つとっても無能でバカなだけならまだしも事実を改竄するわそれ以前に議事録も取っていないわでこの先温情かけて引き伸ばしても何より国のためにならない。民主党は野党時代からそうだったのだが他党との約定をまともに守ったことがない。それが政府与党になって少しは変われるかなと思い込む自体振り込め詐欺にかかった挙句更に取り返してやる詐欺に引っかかるようなものでして。私は慎重派の意見もなるほどなあと思うことも多いしこの話に関してはいずれも間違ってはいないから困るのだが、しかし「震災なのに~」という輩には「選挙はできるぞ、日本を舐めるな」と言いたい。
2011.05.27
名古屋で電気コードが原因とされる悼ましい火事が起こった。亡くなられた方のおられる出来事を種にここのような日記を書くのは憚られることながら、しかしPC関連に限らず電気を繋ぐコードは案外「使えている」という理由で交換する事が少ないのもこの目で見て知っているのであえて書く。実はこの家も昨年秋引っ越してきた時は1階の延長コードや二股コンセントがとんでもない古いもので慌てて交換した。2階も同様で、使っていなかった為に一箇所の二股だけだったけれど交換。私のものは元々延長コードは5年くらいで換えているのでそのまま使ったが、母が店から持ち込もうとしたものは10年ほど経っているのと捩れた跡があったので捨ててもらい買い換えた。以前も母の知人宅にお邪魔してPC関連を見たときに古いコードを見かねて交換していただいたことがある。基本的に今コードの線の真ん中に筋のあるものは使わないで戴きたい。線の部分が一体化したもので、タップの差し込み部分にシャッターがあり、更にコンセント部分の根元にトラッキング防止のゴム(絶縁体)がついたものに交換していただきたいのだ。二股ソケットも外してみて振って音がするようなものは交換してほしい。これは延長コードも同じ。また、コード部分に捩れの跡、潰れた部分のあるものは捨てましょう。使えているという理由も判らなくもないが、しかし古いコードは効率も悪く電化製品の故障不調の元にもなる。火災までゆかずとも「何故うちの電化製品はこんなに壊れやすいのか」と首を捻る前にコードを総取り替えし、配線や配分を見直して一箇所に負荷のかかるような接続の仕方をしないこと。私は延長コードも一本3口を限度にしている。以前住んでいたアパートはコンセント数が少なく、結局あらゆる場所から引っ張る羽目になってはいたが、それでも3口を一杯に使う事はなかった。3口にしていたのは主にAC電源が大きいものがあったためにスペースの問題であって、実際使っているのは2口。今のAC電源は小さくなり工夫もされているのでそういう事も少なくなった。昨年引っ越した際にも配線には気を配り、この部屋と隣室(中で繋がっている)に各2口2箇所しかないので配分(振り分け)だけは考え抜いた。ベッドの影になる場所からは延長コード2本を長く引き、こちらはTVやプリンタ、ベッドの照明、小さい冷蔵庫、電子レンジを振り分けている。冷蔵庫と電子レンジは別系統。今座っているここの左側足元壁にある口からは一口は直でCRTモニタ、1口は増設外付けHDD。PC本体は隣室から引いたものに繋げていて同じ口には電話とデジカメの充電器。増設HDDとPC本体、モニタを別口にするのが私のやり方でして、いずれも起動の際に負荷が大きいのが理由。今は滅多にシャットダウンはしないのだがそれでも起動の際の負荷を分散させたいので。ストーブは隣室から引いたもう1口で、これには空きがあるので夏には扇風機の予定。つまり冷蔵庫の霜取りやPCの起動時に電圧が下がらないようにしている。本当は冷蔵庫はドアの外の台所にある口に繋げたいのだが、壁に穴をあけねばならずこれは今はまだ躊躇っている。お願いですから電気コードは新しい物に代えてくだされ。一遍に交換すると案外かかりますがでも電化製品を買い換えるよりはずっと安い。参考ですがそれなりの延長コードは3口3mでおおよそ1000円。タップ部分がずしりと重いものがお勧めです。でもこれで安心が買えます。
2011.05.26
国会も機能不全? 民主が採決をドタキャン 衆院決算行政監視委これまでは正直予算委員会が花形、個人的には外交委員会防衛関係も興味はあったがこの決算行政監視委員会というのに注目したのはJNSCの前代表が委員長になったのと無縁ではない。もう一つ今回は平成20年度の決算もあったのだが、このドタキャンの原因は完全に与党民主党、それも党内調整の不手際というのだから驚いた。この部分だけは上のリンクにはないので同じ内容を報じた朝日の記事をそのまんま書くと「衆院決算行政監視委員会が23日、民主党の手続きミスで流会となるトラブルがあった。同委で採決予定だった決議案について、民主が党政策調査会の了承を得ていなかったため、採決を延期した。野党側は「あるまじきミスだ」とカンカンだ。」流石の朝日もこれは書くしかなく、書いたはいいが3行記事に収めようとしているのはご愛嬌なのだがね。この不手際をやらかした責任者は言うまでもなく民主党国対委員長安住で、本当のところは判らないが昨日や今日国会議員になったものでもあるまいに一体何をやっているのかと。ドタキャンしたということは速記者も事務方も無駄になったということで、この損害はいったいどうしてくれるのか。国会軽視という以前に物事の流れや順序すら判っていない、それも自分の組織の事も理解できていないまま人様の前に出張ると恥をかきますな。
2011.05.25
冷夏という単語はあるがお題は勝手にこさえました。ここ北海道は冬の寒さと積雪が両方ある土地柄で、といっても広いからそれこそ地域ごとに事情が大きく異なるのだが札幌は寒さ自体は道内では大したことはないけれど雪は降る。年間降雪量6m前後、年間降水量は1000mmだから雨は多くなく雪がどんどこ降り冬はそのまんま積もって春に一気に融ける。本州(首都圏)に比べればおおよそ1ヶ月遅れだがどんなに雪が降っても積もっても凍っても融けなかった年はない。そして雨の少ない北海道ではこの雪解け水が地を潤す。本州でいうところの「春」はこちらでは5月で、桜も梅も花々も一気に咲く。GW前後はまだ寒いけれど白と灰色だった景色が春になりごく僅かずつだが緑に変わる「山笑う」を日々実感できる。今月はその5月なのだがとにかく寒い。月始めに出かけた時はまだ山なかは雪が残り、降った雨も雪が混じってたのまでは驚かなかったけれど、その後さっぱり気温が上がらない。風が強く晴れても「これは暖かい」という日が殆どなかった。この辺りは住宅街で、一戸建てばかりだから皆様それぞれ庭や家庭菜園などを楽しんでいる。だが綺麗に耕された小さな菜園に苗が露地で植えられた家はまだなく、かろうじてビニールで土を覆ったところだけ。昨日も霜注意報が出て道東では雪が積もった。峠や山間部ならまだ判るけれど平野に雪、札幌に今頃霜注意報はあまり記憶にない。昨日一日道内では暖かいほうの札幌でさえ10度以下だった。今朝は晴れている。5月末の晴れともなればいくら北海道でも札幌なら20度近くになりそうなものだがストーブを焚こうかどうしようかと思うほど冷えている。山菜採りをしたくてたまらない母はすっかり怒ってしまい、一体どこの誰に腹を立てているものか分からないのだがとにかく毎日機嫌が悪い。庭仕事も捗らないほど寒いという。私は私で寒かろうとなんだろうともうこの時期は昼間ゆっくり外にはでられないのだが、そうはいってもそれが暖かいのならまだ納得もできるのだがこんなに寒いのにと何に対してかこれも判らないが理不尽さは感じている。先週末に街に出かけた時もこの時期なら間違いなく若い人ならサンダルなどを履いているのだが見かけなかった。私も例年なら4月から着ている春物ジャケットの出番がない。言うまでもなく都会で寒いだの暑いだのいうだけならまだ平和なものだが、北海道は第一次産業のバックボーンがあってこそ。この寒さは農業のみならず漁業にも大きな影響がある。雪解け水が山を駆け下り平野を流れてその間温まるものなのだが、それがなければ海水温は上がらず、そうなると漁獲に影響が大きい。ここの窓から見える小さな山々は間違いなく春の山なのだが、それにしても今年は寒い。
2011.05.24
ニュースとしては旧聞になるのだが。交通系ICカード10種、相互利用開始へ 2013年春関西には明るくないので首都圏(北海道)で言えば現在SuicaとPasmoは部分的な統合になっている。つまりSuicaがあればPasmoはほぼ要らず、北海道のJRカードKitacaはSuicaと共用できるがPasmoの代わりにはならない。…のが今年一月に東京に行ったときの事情だった。札幌の事情を言えば札幌には地下鉄のみ利用できるSapicaがある。しかしこれはそれ以前からある「ウィズユーカード」*の方が地下鉄市電JRバス中央バス(市内便のみ)全部に使える上に1000円から買えて乗り継ぎ割引にも自動対応し、おおよそ一割の割引もあるので今でもバス利用の人はこちらが圧倒的に多い。*ウィズユーカードはICカードではなく電磁自動改札対応の使い捨てカード。1000円3000円5000円までが10%、10000円だと15%つまり札幌圏には発行順にいえばウィズユーカード、Kitaca(JR北海道ICカード)、Sapica(札幌地下鉄のみのICカード)があった。このうちSapicaが最後発で、ということは当然最低でも首都圏を見習ってすでにIC化しているKitacaと併用できる、もしくはウィズユーカードの代わりになりうるのが最後発として、また札幌市発行のICカードとしての最低限の発行基準だと私は思っていた。このうち一番大変そうなのが現行ウィズユーカードとの統合で、これには運行車両全部(特にバス、こちらはJRバス)へのIC対応精算機が必要になる。だからここまで一挙にせえとまではゆかないがせめて最初からKitaca併用くらいは考えていると思っていたけれど、市営地下鉄のみというおよそ売る気があるのかやる気があるのか何故購入したのかすら判らない代物であった。発行からしばらく経ってようやくKitacaとの併用が発表されたのだが一体なんの為に独自発行したのかさっぱり判らなかった。今の札幌市長はどこぞの政府と一緒で考えなしかもしくはどこぞから強力な推しがあり、突発独断で無意味なことを強行しそれをさも手柄のように報道するマスコミがもち上げるという悪循環をずっと続けている。創成川公園も大宣伝しているがあの風情あるしだれ柳の木を全部切り、味も素っ気もない貧乏くさい広場とやらに変えてしまった。中島公園も昔からある大木を切り、道をブロックやアスファルトで固めてしまったので南側は木陰も碌にない。お年寄りは延々と直射日光が続く通路を歩かねばならない。おっとICカード共用に戻るが。一月に東京に行った際、羽田-品川間の京急乗車券は札幌駅で買っておいたので最初は品川かどこかでSuicaを買おうかと思案していた。しかし時間があまりなかったのとKitacaは持っているのでそんなに東京に来るわけでもないしと思い直し地下鉄利用部分は現金で乗り継いだ。KitacaとSuicaは共用できるというのもあるし利用した地下鉄路線はさほど混まないので券売機利用が容易だったのもある。結局私の手元には普段使っているウィズユーカードとKitacaと滅多にないが乗り継ぎ外利用で地下鉄のみの時のSapicaがあるのだが、残高が眼に見える形になるウィズユーカード以外、しばらく使わないと残高すらさっぱり判らなくなる。Kitacaももう少し気軽に残高照会できる端末があればいいのだが現状は自販機がそれの代わりになっている。札幌市はKitaca発行に伴い5億以上の金をすっ飛ばしたというどうしようもなさの上に道新もこれを追及せず、頼みの市議会もこれに関して問題化しない鬱屈は今日も続いている。
2011.05.23
昨日、ちょっと出かける用事があり、実はその後その用事の懇親会もあるとお聞きしていたのだが、翌日(つまり今日)母が早くから出かけるのである程度の時間に帰らねばならなかった。それで用件のみにしてさて後は街歩きでもするかいと心づもりしていたのだが、お茶でもということになり散々話しているうちにじゃあご飯という流れになった。老父母と過ごしていると会話というには程遠い生活になる。ましてや一人が認知症ともなると口から音は出し互いにある程度意思の疎通や用事足しには間に合うが雑談とか世論や社会についてどうだという話にはならない。昨晩ご一緒したのはそういう点でも意思の疎通ができる方でもあり、すっかり甘えて話したいだけ話した。いってみれば他愛のないおしゃべりではあるのだがこれほど神経も精神も宥められるとはねえ。ぐっすり眠れそうです。
2011.05.22
1号機海水注入、官邸指示で中断所詮はTBS、いやマスコミでこれが政府擁護の限度だったろうけれど。事実は国会質問で明らかになっている…明らかになったというよりは聞かれている事に答えないのを含めて。ではその国会質問。5月20日佐藤正久参院議員時刻と「何号炉」なのかだけでもメモとると菅の答弁のグダグダっぷりと嘘がはっきり判ります。つまり大宣伝した「菅の決定決断での水注入」は大嘘で、それどころか注入していたものを止めさせまた再開した。仮に本当に菅の判断なりがあったのならこの動画にあるように何号炉か聞き違える訳がない。何故ならこの時は1号炉2号炉のみの時だったから。それともう一つ原子力危機管理に大変重要なのは佐藤参議も言っているように風向風力。こんなものは天気図気圧地形見りゃ大体は判るもので常識の中の常識。佐藤参議が珍しく激高しているが、これは尤もな話だ。政治がどうの以前に人としてやってはならないことを平気でやり嘘までついて大震災を自らの宣伝に使うとは見下げ果てた奴だ。
2011.05.21
50年以上生きていて今更加齢もないもんだが、ふと歳を自覚したのはいつだったかと記憶を巡らせましてな。あれは確か30代前半ぎりぎり、33か34の時だったと思う。気の合う友人達とススキノ方面で早い時間から待ち合せをして、ぐだぐだと過ごしつつさてご飯から行くかいという時にいきなり悪寒が走った。それまでも熱が多少あっても遊びとなれば関係なしに飛び出して行き、それで案外帰りにはすっきりしてなんともないわということを繰り返していたせいか、当初は大したことはないと思っていたけれど、そのうちに悪寒と共に腰の辺りが抜けるような気分の悪さを感じ始め、生まれて初めて遊びに出ていて途中で帰った。およそ約束を途中で違えたことのない私が帰ると言い出したので友人達もびっくりしていた。タクシーで帰りストーブを点け服のまま布団を引きずりだしてくるまった。歯が鳴るほどの悪寒が止まったと思ったら自分が熱いと気づく熱が出ていた。40度の熱がそのまま5日続き、病院に行くどころではなく救急車を呼ぼうにも身動きが取れず、這ってカルピスやらヨーグルトやプリンで過ごした。下着を替えるのはいいがそこら辺に着捨てる有様で、3日目だったか白い壁が一瞬黄色く見えたときは「ああ、風邪で死ぬとはこの事か」と覚悟した。だがしかし私はしぶとい。へろっへろのまま6日目になると汗臭いなと感じるようになり、すっと熱が下がったような気がした。その時点で38度超。しかし楽になり、最後の食糧だった餃子の冷凍を水餃子にして流し込んだのが復活の兆しだった。そこから身体をまず拭き、最早何も冷蔵庫にはなかったがぬるま湯に砂糖を入れて飲み、7日目にふらふらながら病院に行った。インフルエンザでどうやら肺炎になりかけだったらしいけれど快方に向かっていると。点滴だけ打って帰ってきてうなされずに寝た。この時の経験がある程度の食糧備蓄、最低でも米と砂糖と水と塩を欠かさないのに繋がっていると思う。そして加齢を自覚したのもこの時からだった。それまでは具合が悪くて、面倒で遊びに行かないということはなかった。誘われなくても一人で飛び出していたんだから。でもこの時を境に体調を測るようになった。私にとっては老眼鏡よりも顔のシミよりも法令線よりもこのインフルエンザが加齢の自覚のきっかけでしたなあ。
2011.05.20
首相「発送電分離 議論を」 定検中の原発 再稼働容認自分が何を言っているのか、今どういう時なのか判ってないな菅。このような時に「そもそも論」を政府自ら始めおまけに電力事業の根本を弄ったって何も生まれないどころかやる気損なうだけだ。左巻きの悪い癖で思う通りにならないのは社会やら仕組みが悪いとすり替え、変えればなんとかなる、もしくは人気が出てもてはやされると思い込んでいる。またそれにうかうかと乗るバカも多いから余計やりたがるんだが、そういう事は平時にやるもんだ。日本の場合歴史的な事情とインフラ産業ということで確かに地域ごとの寡占事業にはなっているものの、株式会社であり株の売買は自由に行われているんだから更にそれを弄って何か得るものがあるか。あるとすりゃあSBの孫と長時間話したようだが送電網を売り飛ばす算段しかなく、それを孫が買い、にっちもさっちもいかなくなってきたSBの通信網を乗っける手段くらいだべ。弱り切ったところをつつき回すというのは日航の時に味をしめたらしいけれど、政府がそれやってどうするよ。いつになったら菅や民主党は本来の意味での政府、与党になるんだ。こんな事を週半ばにぺらっと出すその経済センスのなさもさることながら、今や自分達が日本国を守る存在なのだという自覚をいつになったら持つのだ。そして何よりも震災対応、いや普天間からそうだが具体策も善後策も何もなしでぶち上げれば後は野となれ的な無責任な体質、これこそが最大の特徴だわな。一体どこまで壊せば気が済むんだ。今必要なのは復旧復興の具体的な対策の積み上げであり、センセーショナルな破壊じゃあないぞ菅。
2011.05.19
JAL、いや日本航空の場合は長年の組合の専横を許してしまった経緯やそれらに伴う社内分業による結果としての放漫経営は確かにあった。元が優良会社であったがために自ら律する事ができない構造を許してしまったという意味で。けれど整理に伴う政府の介入は公平に見て官製インサイダーがあったんじゃないかと言われても仕方のないやり方でもあったと思う。閣僚や内閣府関係者による株式市場の開始や国際市場の開始時間を全く考慮しない発言や不透明な会長就任の経緯、不適当な発言による株式操作じゃないかとね。民主党政府は市場を全く考慮しないので通貨や株式に重大な影響を及ぼす発表を金曜夜にする癖がある。NY市場を始めとする海外市場がまだ残っているのにここに考えを及ぼさないというのはこれだけでハードカレンシーを保有発行する日本国政府を担う資格はない。で。JALで味をしめたのか東電を同じ憂き目に遭わせようとしているのは誰だ。原子力政策は国策であり、国策という以上その果実も責めも双方国家が負うのは当たり前で、では日本の場合具体的に国家とは何かというとそれは国民我々だ。民主主義国家というのはそういうもので、クソみたいな現状の民主党の政策のツケを払うのは我々。むかっ腹は立つがそういう仕組みになっている。東電が無謬というのではないけれど東電を潰す謂れはない。少なくとも原子力に関わる部分の大半は国家が深く関わり国策として進めてきた以上は東電や政府と同じく国民も腹を括らなければ。株式会社として公平な目で見た賠償責任はあるものの、非常事態を国家が宣言した以上国家、つまり日本では国民も等しく責任を負うのは民主主義国家ってもんだ。これが民主党政府でなければこのような無様な始末になったのかとは思うものの、しかしそれは選挙の結果の国民の選択なのだから。東電役員の年収をわざわざ閣僚がリークするという卑しい政府、政権与党にはほとほと呆れているがインフラ関係のそれも黒字会社が役員にどれだけ払っていようが株主以外文句を垂れるのが大体おかしい。この国はいつから人様の年収を妬みやっかみ自分と同じ水準に足を引っ張ろうとする卑しい国になったのだ。
2011.05.18
この辺りは「住宅街」としか言いようのない地域でして。確か第一種住宅専用地域なので建ぺい率はこの家を建てたときよりは緩和されているようだが、それでも殆どが一戸建て、アパートマンションも3階建てまでしかない。引っ越してここに戻ったのは秋だったから冬を越してようやく近所を散歩する陽気になり、母と買い物や用事たしがてらあちらこちらの庭などを拝見しつつ散歩している。私が子供だった40年以上前は田んぼだったり畑だったり丘陵だったりした場所が元を思い出すのが困難なほど建て込んでいるけれど、それでもぐるりと見渡して目印になる古い農家の表札で「ああ、それならこの辺りに水車があった」と記憶が呼び戻される。親が最初の家をここに買ったときは農家が点在する地帯にここら辺りだけ十数軒だけが売りだされた。当時は「街の子」とか「札幌の子」と呼ばれ、そう呼ばれて疎外されたかというとその逆で周辺の農家の方々皆様に可愛がって戴いた。今そのご恩を思い出すと涙ぐむほどに。私が小学校4年で転入した小学校でも当時は毛色の変わった少数派の「街の子」が徐々に増えてきた時期だったけれど、最初は遠巻きだったが馴染むのは早かった。気質として元々この辺りの方々が非常におっとりしておられたのだと判ったのは大人になってからだった。週に一度かそれ以上の頻度で建て込んだ住宅街をあちらこちら気の向くまま母と歩きまわってても、つい子供の頃遊んだ田んぼや水の流れや畑や果樹を探してしまう。変わらないのは窓から見える山だけになったけれど、記憶の中にはちゃんと当時の地図が残っているものだなあ。
2011.05.17
そして餅屋は餅で飯を食っている。私も半年前まで焼肉屋で、これで飯を食っていた。別にどうという店じゃあない場末のしょぼい店であったがそれでも常に自分は焼肉屋だと、これだけは忘れずに過ごしてきた。で。菅首相、孫社長と会食色々言いたいことはあるが日曜だしたまには気のおけない人間とご飯食べるのまではごちゃごちゃ言わないことにしようと思ったが、この2人の共通点を思い出して途端に不愉快になり、眠りそこねた腹立ちだけじゃあなくぽちぽち打ち始めた。SB(ソフトバンク)についてはちょこちょこ書いているが、ADSL普及初期にモデムを配りその品質はともかく回線利用料が安くなったと言う人は多い。私もSBが托卵商法を採っていたとはっきり理解するまでは功罪半ばだと思っていた時期もある。罪の方が大きいと密かに思っているけれど、一般的な印象としてね。その後広告戦略と携帯で一気に知名度を増し、内実はともかく一般の人々に知られる企業になったのはこれは見事な宣伝戦略だなと、この部分だけは素直に評価できる。だがでは一体SBは何の会社なのか。さっき書いたように通信事業会社でもあるのは間違いない。携帯分野でも所謂「キャリア」の一つになっている。私は携帯を持たないので詳しいことは判らないけれど、少なくとも携帯通信会社でもあるのは知っている。そして今回の震災の前から原口前大臣と組んでNTTの通信網を分割または分けて使えるように画策していたのもね。これいついてはここで書いたことがあるので割愛するが、ともかく私は電電公社の時代から電話を使いまた加入権を払ったことのある時代の人間としてこれに断固反対した。今や通信インフラは電気水道と同じく準国営、公営とみなしていい国家インフラであり、その幾許かを当時安くもない加入権で担い、それを反故にされた人間としてそして日本国民として自前で回線も準備できあいようなところにほいほいと渡すかと。狭量と言われてもいい、NTTの通信網はメタルの時代から今の光ファイバーに至るまで日本国民が負担し敷設したものだから。どうしても使いたくば相応の負担をするのは当然で、その場合でも所有権まで渡すなどはとんでもない。割愛するといいながら長くなったが。このようなやり方、考え方をし、またそれを実現するのに政治を使うのはやはり間違っていると思う。日本が通信インフラもできない国ならともかく営々と皆で負担しここまで築き上げたものを横から僅かな金で政治家に口利きさせて横取りするのを座視するわけにはゆかない。この2人の会談とやらが奇しくも双方ともに人の築いたものを平気で壊しまた横取って恥じない上に自らが一体何で飯食っているのかすら判っていないその厚顔無恥を晒しているのに気づかないのはお笑いだが。首相が首相たる義務を果たさず通信屋が肝心の時に繋がらない同士がいくらつるんでも何も生まれないどころか碌なもんじゃねえ。
2011.05.16
中国が預金準備率を50bp引き上げ、インフレ抑制優先数年前からぽつぽつと支那のインフレ、それも悪性インフレへの危惧は書いてきたつもりなのだが。通常ならば市場、国内に出回る金を中央銀行が回収することによってある程度抑制は可能なのだが、いかんせんその通貨からして偽札天国だっつーんだから意味があるのかと。つまり市場…というか支那の場合党中央が把握し数字に出ている分の発行高と実際に流通している量の間には桁外れな乖離があると私はみている。その上党の下部組織(町村単位)~地方(県単位)~省政府の間にも同じような乖離があると思われる上に更に軍閥があるとなればその誤差はへたすっと国家分あるんじゃあないかと。統計自体の信憑性に欠ける上に共産党独自の「党の無謬性」を守るには数字を操作するしかないわけで、そうでなくばとめどない投機があれほど起こるわけがない。もうひとつ言うのなら通貨に対する信頼性そのものに対して支那人民自体が懐疑的なのも無論あるだろう。食品などの値上がりはこれまで歴史的に易姓革命の元になっているので今のところ党中央が必死で抑え、世界中から食糧を買いあさっているけれど、その決済は当然ドルが主体で、だからこそ保有ドルを増やさねばやってゆけない。外貨保有高が沢山あるんだえっへんという報道はちょっと前に見たけれど、内実は自転車操業なんじゃあないのかなあ。今年の作物のとれ方=天候にもよるだろうがどんどんと悪循環のドツボに嵌っているようにみえる。
2011.05.15
要は「やる気」っつーことなんですが。このやる気、前進前向きの物事に限らず、節制やちいっと身をかがめる時にも必要なんですわな。そういう点で震災直後のヤシマ作戦やウエシマ作戦などは自然発生的に生まれた上に理由も尤もであったし、その上ほんのちょっとだけそこにいながらにして何か参加できるという意味も加味したモチベーション向上に寄与したわけです。上から強制、理由も納得できずというのではこうしたモチベーションが上がらないのは仕事だけじゃあありません。特に自覚や節制方面に関してはこれはもうモチベーションだけが日々を支えると言ってもいい。んで。今回菅がいきなり浜岡原発停止を言い出し、実質的強制にもかかわらず「要請」という形式を取ることによって諸々の責任逃れしようとし、また呆れたことに停止したらどうなるか程度の考えすらなかったことが明らかになっている。15%節電すりゃなんとかなる…これが現状の公式な政府見解です。前にも書きましたが電気は100%越えた瞬間(厳密には揺らぎはありますが)止まります。それも1%越えたから1%分停電するわけもなく全部落ちます。最近の住宅はまずそんな事は起きないので若い方は知らないと思いますが、昭和50年以前は一般住宅の容量も小さく、また電化製品が増えたことによってよくブレーカーが落ちたものです。30A契約で1Aでもはみ出すと全部落ちます。あったりまえの真ん中なんですが、これを東電管内に限らず全体の停電像をイメージできないバカ様も多いようでして、私のような理科バカでも判るのにどうしたもんかと。んで、モチベーションなんですが。夏の計画停電、東京都心部は対象外いやこれはさ、理屈としてはそうかもしれんけど東電管内の他県の人は怒るよ。こんな事ばっかり早めに公表すんなよバカ。人を使ったことがないとみえてモチベーション下がること夥しい。実際お怒りになっている関東圏の方もおいでなんですが、そりゃあそうでしょうよ。お怒りなのは無論東電管内でもないのにとばっちり食らった中電や東北電力管内、そして関西電力九州電力管内の方々も同じ。運良く、私が住まいしている北電管内(北海道)は今年の夏、おそらく日本で唯一絶対に電気の心配のいらない地域になる。といって「うわあ、よかったよかった万歳」と思うわけもなく、震災後早くからここにも書いていたようにせめて東北電力管内にとっととケーブル増設してくださいお願いしますと日々祈るくらいしかできない。こちらも早くケーブル増設して北電管内も節電せえよとなればなんとはなしでも復興復旧に参加できているような気がしてモチベーションが上がるってもんだ。なんだろうなあ、こういう機微に欠けるやり方ってのはさ。
2011.05.14
昨日は好天だった。なので夕方近くまでは引きこもろうとしていたんだが、どうしても入用の物があったので日差しが落ち着いたら近所に買いに行くつもりでついでのものを母に聞いてみたりしていた。だが午後になってから散歩しつつ買い物に行こうと誘われ、あと1時間遅く行きたいと思いつつ付き合うことにした。母に買った携帯用折り畳み椅子を持って。このところ腰をやや傷めている母は歩きたいのだが続かない、途中で休みたいけどちょうどいい腰をおろす場所がなかった。春先出かけたときに大型スーパーのキャンプ用品売り場で見かけた三脚に布がついた小さな折りたたみ椅子を見かけたので買っておいた。これは折りたたんだ上に袋に入り、この袋に肩掛けがついていて持ち歩きやすくまた軽い。散歩は中々楽しかった。40年以上前からここに家はあるのだが母も私も20年以上離れていて、その間に家が建てこみ、川の様子まで変わった。家々の庭や景色を眺めながらゆっくりゆっくり1時間ほどかけて散歩し、ついでの用事も終えた。木蓮と桜の散り始めで両方の花吹雪を浴びたり、川の流れの隅っこに谷地蕗をみつけたりと以前住んでいた商業地とはまた違う季節感があった。そして今日は寒くて風が強く雨混じりの荒天だが、ここ2階の窓からは山に咲いている桜と終わりかけの辛夷が眺められる。山の下の方も緑色になってきてこれでようやく春がきた。
2011.05.13
Skypeとマイクロソフトの新しい関係すでに昨日の早い時間の話になるのだが。Skypeをよく使っていたのは確か7年ほど前だったと思う。当時2chでちょっとした騒動があり、有志のようなものが集まり更にその中の数人と連日連絡などを取り合う為に使っていた。その騒動で今に至るも連絡がある知り合いができたわけでもあるのだが。それはともかく。その次に使ったのはインドネシアの大地震と津波の時だった。大きな地震があったと聞きすぐさまSkypeを立ち上げて検索で気がつく限りの公的機関と思しきアカウントや大学と思われるアカウントに片っぱしから「津波が来るから逃げろ」と英単語の羅列を送信した時だ。インドやスリランカなども手当たり次第だったけれどこの時は思うようにはいかなかったがこのSkypeには可能性はあるなとはそこはかとなく感じていた。だがその後はすっかりSkypeとはご無沙汰になり、このマシンに入れたのは昨年の話。UIも変わっているし元のアカウントなんぞ覚えているわけもない上に事情があってこのHNに近いアカウントを新規に取得した。おっとっと今回のMSによるSkypeの買収ね。詳しい方やプロには一緒にすんなと叱られるかもしれないけれど、私はSkypeがOSを超えて動くのをまるでEclipseのようだなと思ってもいた。だからこそ世界で使っている人も多いのだが。つまりこの買収劇が確定した時点で脳裏に浮かんだのは「まさかWindows専門にすることはないよね」という皆様と同じ危惧でして。今のところはMSは対応はこれまで通りとしているらしいのだが、Macの方もこの動向には注視していると思う。IT企業に限らないがちょいちょいと持ち主が代わり代わった直後はこれまで通りとしておきながら後からころりと変わるのを余りにも見てきたしね。今はすっかりTwitterなどに席巻されてはいるものの、遠く離れた人達と電話並みの音声品質で直接コンタクトが取れるというのは大きいアドバンテージだと思っているので危惧も多少はある。よりよいものができるのならいいけれど、どうにもネットの世界も寡占化するようでこれはこれで安定という面ではいいのかもしれないのだが、それが裏目に出ると一遍に困ったことになるだろうし。何か色々考えてしまいましたな。
2011.05.12
と理解しつつも昨日は大変だった。朝早くから冷蔵庫や棚の中身を出し家具を動かす準備に通路を確保し不要物を車庫に下げたりで、水道修理のついでにお願いした業者の方々*も大変だったろう。*元は店のお客さんだが指定業者で引越し前に工事もお願いしたことがある、良心的な方なので追い金してお願いしたきっかけは先月のボケ爺が暴れたのが遠因なのだが、そもそもここ2階に収納家具やら私と母の洋服本その他積み上げたためににっちもさっちもいかなくなっていた。引越しの際、私は2t車に荷台にさらっとだが荷台一杯に荷物を捨ててきている。3部屋が2部屋になる上にそれなりの収納もあるのでね。おまけに私のものだった冷蔵庫洗濯機ストーブを下で使っているので収まると判断したわけです。だがこの部屋は何とかベッドと日用品は収めたものの、繋がっている隣室(造りは和室)に先ほど書いたように収納家具だの母ちゃんの持ち込んだプラケース10個以上だの積み上げてしまった為に身動きが取れなくなってしもうた。収納家具が動かせないので片付けようがない。結局下の居間を使っている母ちゃんも服の仕舞い場所が足りなくなり洋服ダンスと元は私の本棚だったものを下ろした。もう一つ一旦車庫に置いた棚も居間へ。冷蔵庫を動かし棚を入れ替え一つは玄関に置いて母ちゃんの靴入れ。ということで2階がずいぶんすっきりした。これで私がスチール棚を2つか3つ買えば本とパーツ類などが収まる。動かせない時はどうせ収まらないと判っているので本の片付けさえ気が進まず、文庫本を数百冊と単行本を本棚一つ分収めただけだった。最終的な置き場所にもならないのに合計1000冊超える本を2度も動かす気にはなれなかったのです、はい。マシン周りも暫定のままどうにもならないので置いたきり。この部屋は南と西に窓があり陽が入るのを避けるのとコンセントの都合でデスクの置き場所が限定されるというのもある。パーツ類は引越しの時に纏めてはあるもののこちらも最終的な置き場所にならないので散らかすと大変ということでそのまんま。真冬に車庫もそうだが玄関先開け放して物の出し入れもできなかったしね。これで本当に部屋らしくなるだろう。残りの大問題は母ちゃんの衣装ケース10数個を片付けるためには2間の押入れの中身を片付けて半分くらいは捨てねばならず、もう一つ和室にある私の箪笥の中身の捨てねばならない。ようやく開けられるようになった箪笥を夕方見てみると20代前半~の服やら写真やらが出てくる黒歴史っぷりであった。最早着られるものも殆どなく、写真も人様が写ったものを迂闊に取って置くのもご時世だけに気が咎めるのでシュレッダー後処分することになる。やれやれ、これで本当に片付け開始なのねん。
2011.05.11
先日の唐突な「浜岡原発停止要請」記者会見で聞いた瞬間どーすんだと突っ込んだのは無論電力需要への危惧だったのだが、菅が言ったのは「みんなで頑張ればできる」だけだったのにはほとほと脱力した。ついこの前の日記にも書いたが、震災前から電力供給は決して潤沢とはいえなかった。電力会社同士の融通によって何とか間に合わせていたのが実情で、発電所建設ともなればそれが原発じゃなくてもやれ補償、環境フンダララが地元の方々なら判るがそうじゃないのが急に湧いてきて騒ぐ。確かに火発でも水発でも環境に何ら影響がないわけはない。そこで長年歴史を紡いできた方々そのものの電気が足りないわけではないのに都会の利便や夜明るい生活の為に地域が激変することに抵抗があるのは本当に判る。これが原発ともなれば地元の方だけじゃあない札幌でも地下鉄(全部電気使用)電車使って北電の前で騒ぐ。なんども言うが反対派に関して心情的に全く理解できないわけではないのだが、少なくとも私には言う資格はないと思ってはいる。おまけにあたしゃ50過ぎたが物心ついたときにはTVも冷蔵庫も洗濯機も炊飯器もあった。つまり電気のない生活はできない。やろうとも思わない。加えて泊村に原発を置かせていただいて札幌で地下鉄や電車を使い街なかでたっぷりと電気の恩恵を受けこれも電気で書いている。さて。ところで私は生涯ただ一度の赤点を高校物理で頂いたわけだが、そんな私でも判っている事がある。現在、東電福島原発は「停止」している。ババアんなことは判ってると言われそうだがでは何故浜岡原発の停止と聞いただけで枕を高くして眠れるのだ。扇風機でもあるまいにスイッチを停止に入れただけでは核燃料の加熱がすぐさま止まるわけじゃあない。この部屋のストーブは昔ながらの煙突式灯油ストーブで、やかんを乗せられるのだがストーブを消してもいきなりやかんにもストーブにも触れるわけじゃあないしやかんのお湯がいきなり冷たくはならない。現在の東電福島原発の問題は冷却-この冷却にも電気が要るんだぞ-がうまくいかない、いやいかなかった。原発を停止し核燃料が冷えて更に冷却なしでも安全だといえるまでにはやかんのお湯とは比べものにならない時間がかかる。そして最大の問題はお題の電力不足ドミノにある。電気は容量の100%までびったびたに使えるわけではない。電圧の揺らぎもあるしそもそも電気自体が揺らいでいる代物。その上仮に100%で大規模停電が起きるとして110%需要の場合、10%分だけが停電するわけじゃあない。全部停電する。系統が主系統などに分かれてはいるだろうから実際は生きる系統ダメな系統はあるとは思うけれどね。自分でも嫌になるほどの小学生からの筋金入り理科バカの私でもこれくらいまではおおよそ判る。これまでも震災前から中電は九電に電力供給してきたし、震災後は周波数変換して東電にも供給してきた。おまけに今はまだ東北電力管内の工場などは復旧しておらず、政府がバカだから未だ全国の復興需要すらまだ動き始めていない。この通常よりマイナス要因の状況下でさえ中電から電力を送っていたのにこれからはそれもできなくなるくらいは停止と聞いた瞬間に判るだろうから「頑張れ」以外の具体的な対策、そして中電への燃料供給などを手当してから記者発表じゃねえのか政府よ。電気なくば発電所のタービンも部材も作れない。復興需要どころか緊急用の電気すら間に合わないと思うぞ。これで全国見渡して今夏電力供給に余裕のあるのは北海度だけになった。これは無論地域需要期がずれこんでいるだけの事で、北電からの送電ケーブル増設は早くから言ってきたがどうもケーブル敷設船が間に合わないと聞く。普通なら世界中探して買ってくるもんだと思うんだがどうせ民主党はそんな手当はしていまい。あまり悲観的な事を先走って書きたくはないのだが、今夏はかなり厳しい、いや恐ろしい事になるんじゃあないかと思うぞ。しかも政府は「要請」という名の責任逃れをしているので一切責任はとらず、怨嗟の向かう先を電力会社に押し付けるのが今から目に見えるようだ。今私の住んでいる場所は間違いなく電気のある生活を送れる。しかしそう判っていても当たり前だが日本人として暗澹とする。
2011.05.10
復興会議が自民に出席と意見表明要請 回答は保留震災前からマスコミが望んでいる「大連立」とやらは私にとっては言語道断で話にならない*のだが、しかし現政権の体たらくをみると犠牲になるのは被災された方々であり被災地であり、さらに浜岡原発停止要請により日本全体へ波及するのは明確になっている。*理由はひとえに民主党は野党時代から他党との合意をこれまで破り続けたことによる震災以前から大問題になった菅の外国人献金問題も国会では返金を明言しなかったにもかかわらず震災3日後にこそりと返金したり、他の閣僚も同じような問題を抱えているのにマスコミのだんまりっぷりを見ているとこのまま大連立をしたとしても事後責任を負わせられるだけでメリットどころかマイナスにしかならない。無論デメリットは自民党にだけではなく国民に対してもだ。復興会議に戻るが。条件をつけるのであればまず権限の範囲を必ず法に則る、そして議事録を残す、また公開するのが筋だろう。電力会社とはいえ一民間企業に法的根拠のない形でのしかも「要請」という政府が責任を負わない姑息な手段を取る現政権はこれまでも議事録を取らないという前代未聞の行為を続けているわけで、およそ民主主義とはいえない。そして復興会議にどの党が参加しようとそれは政府の責任において実行されるのは当然で、ここのところを明らかにせず復興会議の議長が参加を求めるというのは間違いだ。この議長が全責任を負えるわけではない。つまり参加を求める手続きからしておかしいのだから現状の参加要請に応ずる必要はないのだが、ここのところを政府が気づいて正式な参加要請をした上での先の条件ということだ。物事には筋があり段階手順がある。子供の頃はそれが何のためにあるのか判らずまだるっこしいと思いがちだが普通大人になればいくら手順を簡略化しようとも最低限必要な物、手順はなにかくらいは判るはず。しかし現政権はまともに大人の社会で働いた事がないせいか常識が欠落してるのでまずはここからだな。
2011.05.09
昨夜は花見を口実にネットで知り合ってこれまでも数回お会いしている方々とビール園でジンギスカンだった。北海道以外の方々は「なんで花見とジンギスカン」とお思いかもしれないのだが我々道産子は花見=ジンギスカン(焼肉)なのであーる。おそらくだけど海水浴に焚き火のようなもので桜が咲いたといってもせいぜい15度、夜になれば10度以下になる当地では上品に座ってお弁当などを食べていると寒くて仕方がないのでジンギスカンになったんじゃあないかと思っている。とにかく物心ついた時から花見はジンギスカンだったわけだ。東京に転勤になった時、数ヶ月経ってご近所の焼きとん屋さん経由で知り合いがちらほらできた時に町内の花見に誘われ、その時に文化の違い(やや大げさ)を痛感したことがある。緋毛氈を敷き船箪笥のような取っ手付きの大きな重箱をしずしずとあけるとそこには火鉢と重箱がががのような全く違う世界であった。というよりも北海道が特殊なのであった。こちらでは小学校の炊事遠足の時点ですでにジンギスカンであり、花見もそう、海水浴もなので道産子の血液の半分は羊と言われても仕方がない。昨夜行ったのは本家本元サッポロビール園で、実のところは行ったのが約15年ぶり。味は変わらずだったがビール園の周囲はえらく変わっていた。ビール園の桜も盛りで食べる前、食べた後桜を楽しんだ。何よりも話題の傾向の合う方々とビール園、そしてその後のお茶の数時間話せたのは本当に楽しかった。今年はいいGWだったなあ。
2011.05.08
全国的な電力不安も ドミノ式に需給逼迫どこの世界に法的根拠もなく首相が上場企業の利益すっ飛ばすような記者会見をNY市場の前にやるバカがいるのかと。現状ただでさえ復興前なのに電力事情は逼迫していて、更に本州以南は電力需要期に差し掛かってきている。これが復興の足音と共に電力需要は更に上がるのは一々言わずとも判りきっている事で、例えば工場で建設資材作るにも電気は要る。現状の日本ではどこも電力に余裕のある電力会社などは存在せず、僅かに北海道だけが夏場の電力需要がピークではないだけだ。そして何よりも菅が馬鹿なのは原発はファンヒーターではなく、スイッチを押せば即刻核反応が止まって安全という代物ではない。何故原発になったのかを考えりゃ誰でも判るのだが、そもそもが熱源の安定供給が始まりのようなもので、つまり頻繁に止めたり動かしたりするようにはできていない。そして次の問題が代替エネルギーで、反原発な方々が頻りに言うメタンハイドレードという奴は現状採掘技術や地上海上への運搬すら確立できていない。物理赤点の私が言っても何の裏付けもないが安全性を考えればおそらく海上での処理になるのではないかと思うくらいの代物だ。せめて取り出して燃やしてみましたくらいの時点でならまだ半分くらいは話を聴けるがどんなに早くても安定採掘とコスト、そして安全をクリアするには10年以上かかりそうな話。今すぐ目の前にある需要に対して夢持ち出すという誠にバランスを欠く意見であって、私に言わせりゃそんなもんは政権交代すりゃ金もらえてラッキーという夢見る乞食と変わらん。電気は今のところ蓄電が限られていて足りなくなれば即停電となる。その時になって慌てても、そして何かが起こっても責任は当然電力会社に押し付けるつもりであろう。今、政府が東電に責任を押し付けているように。姑息なのは要請と言いつつ記者会見でいきなり言い出した事で、これによりボールを電力会社と国民に放り投げた。こんなやり方が許せるわけがない。卑怯な人間だと昔から思ってはきたが国家危急の際にここまで汚い人間とはね。心から軽蔑する。
2011.05.07
先日来のユッケによる死亡事件に関しては中々書けなかった。私が半年前まで焼肉店を母とやっていた為にどうしても業界寄りの見方、考え方をしているんじゃあないかという自分への問いかけを続けていたのと、この種類の食中毒はまだまだ予断を許さず、未だ症状の重い方々がおいでなのにという葛藤があった。だがやはりただの一例ながら一体どうやっていたのかを書くのも元業界人としての責務ではないかと思い直した。納得いかない方々も多いとは思いますが、今回の事件で明らかになったように食品衛生法では肉の生食は基本的に馬肉だけが公的に流通している。これは一つには肉の生食を食品衛生法が前提としていなかったのもあると思う。私の記憶の限りでは札幌圏という限定的範囲ながら普通にユッケが店で出されるようになったのは母が知人から焼肉店を買った36年前にはすでにあった。つまり札幌の場末の焼肉店でメニューにあったということです。法の問題に関しては何故これまで公的流通がなされなかったかは判らないけれど、少なくとも食品を出す場合、加工品と見なすのかそれとも肉の調理品とみなすのかの境目の曖昧さもあるのではないかと推測している。飲食店の営業許可は基本的に「調理」の許可で、これが加工品となると許可の水準基準がかなり違ってくる。もう一つはこれまでこれほどの事件を業界は引き起こしてこなかった。北海道で豚の生食が原因というおよそ常識でも業界的にも考えられない事件は過去にあったものの、今回のような牛の刺身での死亡事件は聞いた事がない。ここからは人様の店の厨房に入ったことがないので自分の店という極めて狭い範囲の話になるのだが。先に書いたように豚ものとなるとお客さんも分かっているし、うちの店ではお客が焼き食べる様子を厨房から見ることができていた。牛ものでいうなら生食用となれば細心の注意を払い、手は無論のこと作るたびに包丁を代えまな板を代えていたし、生食用じゃあなくてもお客によっては焼き方の好みもあるので生食のできないものは出さない。うちが豚レバーを出さなかったのはお客が牛レバーと錯誤してしまうのを避けるためもある。私達が見れば一目瞭然だがお客さんはそうではない。だから牛レバーも生食可能なものしか焼き用にも出さなかった。これは別に当たり前のことで一々能書きを垂れるような話ではなく、万が一食中毒などを出せば商売をやる資格はないと、これだけは私達だけではない商売人みんな判っている前提だと思ってもいる。今回の事件で驚愕したのはアルコール消毒もあるのだが、何よりもトリミングを店舗ではないところでやっていたという報道で、ここまで卸といっても店以外に委ねてしまうのでは最早職人以前に焼肉屋じゃあなくなるだろうがと。つまり形にして切るだけで出すのならそれはもう調理ですらなく、一体そんな厨房に経験のある職人はいたのか。ましてや生食ならトリミングは注文を受けてからやらねばどうにもならない。今経験のあると書いたが、少なくとも焼肉屋の仕込みやっていれば肉を触れば熟成の度合いなどは指先で判る。これが判らないと話にならないわけで、卸から来る肉をどう出すかを判断するのは店であってその調理の基礎まで人の手に委ねるというのは正直常識外だと思う。だってそれでは責任持てない。前にここで書いたことがあるのだが、お客さんは赤の他人が触ったものをユッケであればそのまんま口に運んでくれている。これはすごい事で、人様の口に入れるものを調理するのは命預っているのと同じ。だからこそ業界でこれまでこんな事件は起こらなかったし起こさなかった。色んな報道はまだ始まったばかりで、どちらかというとマスコミ、特にTVは不二家や雪印に比べて事件を起こした焼肉店への追及が甘いと私は思っているし、これは全面的にこの店の責任だとも思っている。
2011.05.06
最近のNHKの報道っぷりにはほとほと嫌気が差していたのだが久しぶりに見直した。といっても放送ではないのだが。4月29日に小佐古内閣参与が辞任した時の記者会見全文官房参与が辞任・記者会見資料を全文掲載します何故これを放送しないんだという怒りは湧くものの、ネット限定ソースとはいえこれを公表公開したのはNHKの中の人の良心じゃあないかと思うのだ。そしてその後また報道向け説明会を開こうとして官邸に釘刺された時の記事。こちらは読売。「老婆心ながら守秘義務」と官邸、小佐古教授にこちらは消える可能性があるので全文引用引用↓ここから東京電力福島第一原子力発電所の事故対策を巡り、4月30日に内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘(こさことしそう)・東京大学教授が2日夕に予定していた報道関係者向け説明会が中止された。 民主党の空本誠喜・衆院議員によると、小佐古教授が官邸から守秘義務の指摘を受けたことが、中止の理由だという。 小佐古教授は、政府の事故対応に納得できないとして、29日に辞任の意向を表明した。空本氏によると、小佐古教授は2日夕、小学校の校庭利用などについて文部科学省が説明した放射線被曝(ひばく)限度の問題点について詳細な説明を行う予定だった。 ところが1日、小佐古教授から空本氏に、「(官邸関係者から)老婆心ながら、守秘義務があると言われた」として、説明会には出席できないと電話で伝えてきたという。 文科省は校庭利用の放射線被曝限度を年間20ミリ・シーベルトとしている。空本氏は「小佐古教授は、子供の被曝量はせいぜい年間5ミリ・シーベルトにとどめるべきだという考え。きちんと説明する場がなくなったのは残念だ」と話している。引用↑ここまでさて。守秘義務というのは一体何に対してか。大雑把な言い方をするのなら何一つ根拠もなく決めてしまったこと自体に何の守秘義務かと私は思うわけで、つまりそれなりの根拠や発言者や賛同者を守る意図なり、または国益に関わるなどの理由であろうと忖度できるのならまだ判る。しかしこれまでも散々東電、政府、そして原子力委員会やら保安院やらの記者発表がてんでバラバラ、そして公表内容の根拠すら明らかでない状況を続けてきておいてからに今更どの事実が守秘義務に当たるのかと。バカや無能を晒すのが国家機密に触れるというのなら旧ソ連のジョークかよ。但し念の為に言っておくが私は小佐古氏の主張が全面的に正しいと言っているわけではない。間違っていると断じているわけでは勿論ないが少なくとも彼の主張の根拠を聞く機会が奪われたのを憤っている。
2011.05.05
ウサマ・ビンラディンの死は大統領令の執行による。つまり執行者は米国で殺人罪には問われず無論「誰が」実行したのかも公表されない。そういう点でオバマ大統領はブッシュ前大統領の対テロ方針を忠実に踏襲した。オバマ大統領(Barack Hussein Obama, Jr)のミドルネーム「フセイン」についてここで書いたこともあるのだが。なるほど今にして思えば。作戦直前に大統領の出生証明書を公開したのは大統領令を出す資格のある法的な根拠のある正式な大統領である…くどいがそれを立証する必要性に迫られたということだろう。巷では早速陰謀論やら作戦の真偽を巡る議論やらが噴出しているようだが、私から見ればそれらは「アポロ11号は本当に月に行ったのか」程度の騒ぎにしかみえない。米の二大政党制はなるほど国家の根幹の部分では共和党民主党いずれも米国を担い運営していけるだけのものは持っているのだなとこれは素直に思った。つまりオバマに対してはケネディやカーターやクリントンと同じく所詮は民主党だなと思うことも多いけれど、しかし国家への忠誠や国家の存続、国家の威信に関してはそれが共和党政権時代のものであろうとも踏襲する、これが政権を担う資格でありまた求められる資質だろうとね。うちの民主党とはここが決定的に違う。大統領の権限と責任においてというのは米国が保証担保するという意味で、これを我が政権が言えるかできるか、というとそりゃ無理だろう。言うだけなら言うかもしれんが実行はできまい。オバマ大統領の選出時、日本のマスコミはあたかも日本の民主党も米民主党のように政権を担える資格と覚悟があるかのように厚化粧を施し喧伝したが、とてもじゃないが比べものにはならない。人を殺す事を持ち上げ喜んでいるわけではないけれど、しかし国家が一度宣言したことは政権運営が変わろうとも責任者が変わろうとも貫徹する、ここなんだよな。後始末含めて今回の作戦は前政権時代から、つまり湾岸戦争の後始末であるフセイン元大統領の終焉を踏まえ更に昇華させたものだと思うぞ。国家の敵、無辜の国民を殺したものは許さないというのはどこの国でも当たり前の事でそれが当たり前じゃあない国にいる現実をつくづくと思い知った。
2011.05.04
昨日の日記で宣言書き逃げしたまま朝早く起きて出かけてまいりました。天候が私向きの荒天でしたので予定通り。札幌→小樽乗り換え長万部→2時間ほど昼食その他で時間潰して東室蘭→本当は中島神社参拝を予定していましたがあまりの風で歩けず急遽室蘭往復→東室蘭から苫小牧、苫小牧から岩見沢、そして札幌という経路です。一日散歩切符というものがJR北海道から出ていまして原則として普通列車利用で範囲内なら一日2200円。これをある程度目一杯使っておおよそ430キロ、大体13時間強かな乗ってたのは。昨日母ちゃんに予定を告げたら案の定「で、何しにいくのかや」と言われたので「だから電車に乗ってくるってば」と。小樽まではちょいちょい乗るのですがそこからの函館本線は久しぶり。長万部まで乗り通すのは確か最後の食堂車に乗ったきり。なので沿線の特に山なかに入ってからの雪解けの模様や花、そして分水嶺の変化など飽きませんでした。誰もいなさそうな山の中の湿地に水芭蕉や谷地蕗、そして辛夷が咲き乱れていたり。そうかと思えば無残な廃屋が山の中に続いていたり。長万部までの線路沿いは本当にゴミが目立たず綺麗でした。ニセコ山中では雪、というか吹雪でした。そして長万部。ここに降り立ったのは30年ぶりかなあ。車では何度か通過はしていましたが駅前に立ったのはね。駅から真っ直ぐ海へ向かい鉛色ながら噴火湾の奥らしい強風の割には波が穏やかでした。お約束のかなやのかにめしは買いましたが天候が酷くて駅の待合も一杯、当初食べようと思っていた海も風雨が酷い。それなりの装備はして行ったので寒くはないのですが流石に外で食べる気はしない。ちょっと考えてかにめしをバッグに仕舞い、駅前の「会田」蕎麦屋さんへ。とろろ蕎麦の冷たいのを頼みました。これがびっくりするくらいおいしかった。量がまた多い。ぎりぎりで食べ切れました。長万部から東室蘭へ。この区間には「小幌」があるのですが時間の都合で小幌に止まる電車じゃなかったのが今回の痛恨事。また機会はあるでしょうからその時にでも。東室蘭ここが一番予定が狂い、一旦駅を出たもののまた舞い戻って室蘭往復。結局母ちゃんへの土産「ボルタ」を買ったのは東室蘭駅だったのでなんだかなでしたけれど。東室蘭から苫小牧この区間では高校生が賑やかでしたな。そして沿線のゴミが非常に目立った。それまでさほどじゃあなかったのにゴミのない区間がないほどでした。強風の為だけじゃあないな、あれは。苫小牧はあまり時間がなく改札を出ませんでした。1両か2両連結なのと学生のいる時間帯なのでできれば座りたかったのもあります。苫小牧から岩見沢の間は追分前後で空くだろうと、そしてその頃にかにめしを食べました。食べている間に日没。この区間は駅ごとに派手なところと地味なところがくっきりと分かれていました。理由をそのうちに調べたいと思ったくらい。この区間にご飯を食べようとしたのは第一に流石に疲れてきているであろうことと外があまり見えなくなるからです。途中からは一番空いている区間というのもあります。暗くなってから岩見沢到着。私は旧岩見沢駅が好きでした。駅を見るためだけに数回行ったこともあるくらいに。ですが今はその姿ではなくものすごくモダンな新駅舎になりました。ただ、見た目の大きさの割合に待合が狭く、座る場所もないくらい。立ったまま時間を過ごし、ちょっとだけ外に出て新岩見沢駅を撮りました。春先雪が残っているときに外歩きしても大丈夫なほど着ていってよかった。帰ってきたのは21時頃。家を出たのは6時半でしたからえらい長い「一日散歩」でした。でも楽しかった。えらい貧乏くさいんだけど、でも人並みのGWを過ごした気がします。
2011.05.03
昔々、昭和の頃に私が道内国鉄全線に乗ったのは宮脇俊三さんの「時刻表二万キロ」の影響が大きかった。それまでも乗り物が好きで何の意味もなく-私にとっては乗るのが意味であったから人様目線で-札幌から岩見沢、そして岩見沢から苫小牧、苫小牧から札幌へ戻るなという行為はしていたし、何よりも時刻表を眺めるのが大好きだった。若い頃友人の家で徹夜し、ちょうど持っていた全国版時刻表を繰り眺めながら「ぐふふ」とほくそえんでいたら友人達全員に引かれたもしていたが、宮脇さんのお陰で「そっか、ただ汽車に乗りたいというのはいいのか」と免罪符を与えられたような気もしましてな。だが自営業、それも飲食店ともなると人様の遊び時は稼ぎ時。楽しげなツアーやJRの格安きっぷも指をくわえてみているうちに年に一度か二度は必ず買っていた時刻表も買わなくなった。ここ10年でいえば道内よりもむしろ東京に出かけた方が遥かに多い。んで。もう今日になったが起きてみてよほどの天候や変事が起きない限りフリーパスというものを使って道央圏だけだがちょいと出かけようと思っております。ほぼ全部普通列車、つまり鈍行。経路は札幌-小樽(乗り換え)-長万部(昼食)-東室蘭(乗り換え)-苫小牧(乗り換え)-岩見沢(乗り換え)-札幌を予定しとります。さてはてどうなることやら。
2011.05.02
店をやっていたときは年末年始とGW前後はへたすると2週間以上休めなくなる上に仕入れ仕込みも折り重なるので中々大変な時期であった。今はお陰さまで無職になり人並みに連休気分を味わえるかと思っていたが、考えてみるとアレルギーが酷くて昼間は雨だろうが曇りだろうが殆ど外に出られない。結局店をやっていた時のような時間帯にもそもそと出かける事になる。でも気分だけでもと思い、数年ぶりに時刻表を買って本当に行けるかどうかは判らないが予定のようなものを立ててみようと昨日夕方近くなってから出かけた。だが当初は時刻表だけを買い真っ直ぐ帰ってスケジュール検討しようとしていたのに、長年住んでいた場所から電車に乗ったせいかうっかりしていて街なかに行ってしもうた。久しぶりに街を歩いた。ちょうど石鹸の予備をどうしようかと思っていた*のでまずそれを買い、ウロウロと。*オリプレという石鹸で今は洗顔風呂洗髪全部これ。但し売れてきたせいか稀に中が緑色のままのものもあるので必ず予備を2個ずつ-大小あって大は洗顔には使いにくいので-置いておく予想よりも遥かに人は多かった。荷物を持った人、通路道路に慣れない足取りの人が目についた。パーツショップや古本屋、服屋雑貨屋と足の向くまま気の向くままに散々ぱらうろつき、ちょっとお茶を飲みつつ時刻表をパラパラめくりルートを検討したりなんかしていた。ひょっとすると今年の私のGWはこれきりで終わるかもしれないのだが、それでもなんだろう、皆様が遊んでいる時に私も遊んだ充足感はある。しかし情けないのは昔よく電車に乗って出かけていた時には一々ルートを書き出さずとも時刻表をパラパラめくるだけで乗り継ぎや時間、ルートが頭にくっきりと浮かび上がってきたんだが、ほぼ25年ぶりにやってみると一遍に頭に入らん。これでも国鉄時代に道内路線全部乗ったんだけどなあ。
2011.05.01
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