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今年も空梅雨らしく、毎日何と暑いこと! 桜の時期に日記を書いてから、又アッという間に時間が経ってしまった。 去年の年頭に母が倒れてから今まで,次から次に色々なことが身辺に巻き起こり、巻き込まれ、自分の生活以外に背負うモノが多く、去年の後半から、かなりヘタリながら、生きている気がする。 という気がするのだが、逆にハンプティ・ダンプティのように、身体が丸々として来たのは、どういうことだろう? 今が盛りの紫陽花を見に行く気もしないのに。 とは言え、この年になると、「人生山あり、谷あり、たまに落とし穴あり」というのは百も承知なので、隙あらば遊ぼう、という精神は健在だ。 折角授かり、もはや後何十年かの残された命、今まで何とか頑張って生きて来て、これからは楽しんで生きなきゃ損だものね。 中村勘三郎の襲名披露公演にも出かけたし、丁度一ヶ月前には、例年の同期会、初めての一泊旅行にも参加した。 私の母校は中学高校一貫の都内の私立の女子校で、六年間同じ釜の飯を食い、同じ先生の顔を見続けたせいか、何やら連帯感が強いのだ。 先生抜きで、毎年3,40人が都内のどこかのホテルやレストランのランチにやって来る。 その時によって、集まるメンバーも違うのだが、誰でも歓迎で、40年近く毎年同期会が続いているのだ。 というのも、大学を出て、若い希望に燃えた、団塊世代の私達女性を待ち受けていたのは、高度成長期に突入した、古い男社会と封建的な黴の生え残った結婚生活だったからで、その中で生き抜くには、似た価値観を持つ友人仲間がやはり大事な存在だったのだ。 医者、大学教授、薬剤師、税理士、教師、ピアニスト等の専門職の他、企業の一線で働き続ける同級生には独身も多い。 大方は結婚して、子供を育て、主婦業の傍ら、自分の専門を生かすアルバイトをしているが。 今回赤倉温泉に集まったのは、総勢16名。 同級生の一人が嫁いだ先に集合、という訳だ。 孫のいる人も多く、未亡人もいれば、離婚組も四分の一ほど。 東京駅発の新幹線車内から、修学旅行気分でおおはしゃぎ。 現地で霧に包まれた森林浴のハイキングや、湯量豊富な露天風呂では大いにリフレッシュしたし、地酒の入った大宴会の後も幹事の部屋に集まって、深夜まで本音トークの連発で、帰りの車内に至るまで、ギッシリと今までの「人生」の詰まった二日間だった。 自由を求める子供の自立、従順や孝行を求める戦前世代の親の看病、古い男女観から脱し切れない夫との軋轢、世代を繋いで家庭を支えるのも容易ではないが、その他にも人生色々ありまして・・・。 それぞれに苦闘して生類きて来た、本物のドラマに心打たれ、共感し、深い繋がりを新たにし、再会を約した貴重な旅だった。 そしてその後、その時の縁で、梅雨空の下、何と先週、実に久しぶりに合コンにまで行ってしまった。 学生時代はさして親しくなかったのに、大人になったせいか、同期会で意気投合した同級生に誘われ、彼女の学生時代の男友達との飲み会に誘われたのだ。 人生、何があるか分からない。 長年の親しい友人達との食事会や旅行、この間の冬の箱根もとても楽しかったけど、色々な所で新たに人の輪が広がり、和が深まって行くのにも醍醐味を感じる。 生きるために、お金は必要だけど、結局は人と人の世の中、人生を楽しく、豊かに生きるためには、人こそ財産かもしれない。 自分が何かを生み出すこと、働いてお金を得たり、人との関係を作ったりすることが、楽しんでできたら、とても幸福な人生だと思う。 同様に、人様の生み出すものにも、感謝をもって受け取れるようになることは幸福だ。 人は孤独であると同時に、自分一人では限界がある。 独りで楽しむ時間はとても貴重だが、孤独で創造的な作業でさえ、やはり自分以外の刺激がなくては行き詰まる。 調和や協力やフュージョンや混合は私の好きな場面の一つだ。 自分の小さな世界に閉じ篭って休むのは、本当に疲れた時だけでいい。 それでは、おやすみなさい!
2005年06月27日
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今日、忙しい娘達に代わって、入居の申し込みに、再度不動産屋を訪れた。 別の街を見に行ったりしていたので、これで三度目。 嫌な顔一つせず、この前とは違った階の部屋へ案内してくれた。 にこやかなのも、当たり前と言えば当たり前だけど、若いのに週末に休めない仕事も大変だなあ、と思ってしまった。 そして、無事に申し込み完了。 さて、その不動産屋は、若いイケメンの営業マンはかりを揃えている。 私達の担当も、背が高く、モデルかタレントばりの容姿で、服装もバリッとしている。 どうやら、女性客が多いらしい。 前に、血迷って、スポーツジムで身体を鍛えようとしたことがあったけど、そこのトレーナーにも、中高年の女性好みのハンサム君が多かった。 女性の経済力が上がったからなのだろうけど、金持ちの男が美女を侍らせるのと同じ発想で、何か笑ってしまう。 イケメンにも大して心動かされない、ビンボーマダムにとっては、手数料が安い方が有難いんだけどなあ。 でも、感じのよい、誠実で丁重な応対が気持ちよかった。 やっぱり、幾らかはイケメン効果なのかな? 少なくとも、アレコレ楽しく考えるだけの材料を、与えてくれたものね。 スポーツジムはすぐ辞めた。 その時は、母の急病が口実だったけど、母の状態が落ち着いた今でも、戻ろうとは思わない。 幾らイケメン相手でも、怠け者マダムには、続けてやる気は出なかった! 所詮、散歩も三日坊主の私が、マシン相手に汗みどろの格闘をしたり、タコのように手足をからませたり、痛みに耐えてまで、しかも、大枚はたいてまで、苦行なんかできるわけがないのだ。 でも、突如又、身体を鍛えたいサイクルに入るかもしれない。 そしたら、前にトライしたモダンバレーはきつ過ぎるから、今度はジャズダンスにしよう。 なあんて、年を取ると、同じ愚かさを繰り返す自分が見えて、嫌になる。 DNAに反して、未だにアスリートやダンサーになりたい自分がいるらしい。ア、話がとんでもない方向に逸れてしまった。 バカは死ななきゃ直らない。
2005年04月16日
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漸く、色々な懸案事項が落ち着きそうだ。 これで、少し暇になり、日記もボツボツ書き続けられるといいのだけど。 一人暮らしだった長女が体調を崩したので、転職活動をサポートするために、ここ数ヶ月、副都心近くの妹のマンションに、二人で滞在していたのだ。 今月から長女は新しい仕事のスタートを切った。 今度は、仕事は難しいけど、ずっと性に合った職場なので、順調に行ってほしい、と心から願っている。 そして、やはり一人暮らしだった次女が、大学の校舎が変わるのを機に、このマンションの近くに、長女と一緒に住むことになったので、ほっとしている。 何しろ、若い人達のパワーは激しく、枠にはまらないので、とても面白いのだが、「板こ一枚地獄の底」という漁師さんの格言のように、「ここを外したら、危ないよ!」という限界点を、いとも簡単に飛び越え、板こを踏み抜いてしまいそうなので、私は常にハラハラしている。 長女の転職活動も、希望の職種への意気込みは凄まじく、体調の不安もあったのに、遂に念願を果たした。 次女は、冬のロンドンを楽しく闊歩して、一ヶ月前に帰って来たのだが、、埃一つ、水滴一滴許さない、厳しい潔癖症のホストマザーと、散々攻防戦を演じて来たらしい。 その前は、パリで独り歩きを満喫して来たし、夏には、東欧へ行くらしい。 私としては、若い人達にドンドン外の世界に出て行って、見聞を広め、色々な出会いを経験してほしいのだが、時として、母親には強心薬が必要だ。 一体誰に似たのだろう? 今、私は妹のマンションが、とても気に入っている。 夜、ベランダに出ると、遠く新宿のビルの灯りが見え、一晩中暗くなることがない。 田舎の星降る夜空も大好きだが、都会の夜空には、又違ったロマンがある。 低空飛行のヘリコプターの小さな灯りや、一直線によぎる、ジェット機のチカチカ瞬く灯りは、心楽しい。 風船のような飛行船がふんわりと、夕空に浮かんでいることもある。 この近くに、娘達二人が引っ越して来るので、余計嬉しい。 ところで、私の郊外の自宅と、配偶者をどうしよう? 正直、20年になる、変化のない、不便な郊外暮らしは飽き飽きで、一頃はまっていたガーデニングも、娘達が家を離れると、興味が薄れてしまった。 これから、二階のベランダまで覆う、黄色いモッコウバラが見頃なのだが。 そして、正直、30年近くなる、変化のない、不便な配偶者も・・・いや、言うまい、言うまい。 ただ、年を取ると、家を背負っている不自由さや重さが余計堪える。 身軽で自由な根無し草に憧れてしまう。 これって、年のせいばかりではないのかも。 板こ一枚地獄の底? ウーン、そうかもね。
2005年04月15日
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初夏の陽気が続いたと思ったら、今日は一転して、冷たい雨の日。 春は本当に気まぐれだ。 先週、友人の近所の川でお花見を済ませておいて、正解だった。 たまには天気予報も当るのだ。 そこは、川に沿って、長い桜並木が続いていた。 不思議なことに、両側の大きな桜の木は全て川に向かって、淡いピンクの花を一杯つけたまま、水面スレスレまで長い枝を伸ばしていた。 それが延々と続く様は圧巻だった。 その桜並木の下を、友人達とおしゃべりしながら、ブラブラ歩くのは、とても楽しい。 沢山の人が、川沿いの広場で、さりげなくピクニックを楽しんでいた。 私達はその前に、素敵なランチを頂いた。 住宅街に近く、螺旋階段を上がって行くと、素敵なフレンチレストランになっていた。 階下はアートスペースになっていて、映画や個展をやるらしい。 週末には、次女の住む街で、夜に桜並木の下のベンチで、おしゃべりをした。 ここでも、ベンチに座り、のんびりとバーベキューを楽しみ、楽器を奏でる人々が沢山集っていた。 とても気持ちのよい夜で、風に吹かれながら、私と次女は久しぶりに色々なことを話して、充実した時間を供にした。 私の家の近くにも、桜並木はあるし、それなりに桜の名所もあるのだけど、私は別の場所でお花見をするのが好きだ。 ちょっとした小旅行気分になれるもの。 この春から、社会人の長女は新しい職場に移り、朝早く家を出て、毎晩深夜帰宅の忙しさだ。 仕事は厳しいのだが、遣り甲斐を感じて、張り切っている。 だから、とにかく便利な、大都会の中心に近い、今いる場所が気に入っている。 次女は秋から、就職活動が始まるので、その前に、学生生活最後の時間を、アートの香りのする、自分の好きな郊外のその街で、自由に過すつもりでいる。姉妹二人で一緒に住むための家探しを始めたのだが、生活事情が全く違うので、難航しそうだ。 その上、幼い時の影響か、好む街も全く違うことが分かった。 やはり、それぞれの春ということかなあ。 浮き立つような、春の陽気が続いていたけど、今日の花冷えで、一挙に水を差された気分。 ちょっと歩みを止め、「これから」についてもう一度考え直した方がいいかもしれない。
2005年04月12日
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長らくご無沙汰だった日記を、久しぶりに書くチャンスが出来た。 もう半年も放ったらかしで、気にはなっていたのだが、時々チェックするのが、精一杯だった。 いつの間にか、春になっていて、月日の過ぎるのは早いもの。 冬眠から醒めた虫の気分だ。 春はいいなあ。 梅が咲いて、その後は桜! 今年はどこに、お花見に行こうかな? 多分、友人達と、川沿いの桜並木を歩くことになりそうだ。 先週は、初めてスーパー歌舞伎を見に行って、感激した。 筋は壮大なロマンで、いつの世にも通じる、悲劇的な人間の葛藤が描かれている。 テンポの早い現代的なダンスも取り入れられていて、とても感動した。 日本の古典芸能も面白い。 私が年になったせいか、古いものにも興味を持つようになった。 若い時には、伝統というものの、重みや堅苦しさが嫌だったのだが、この頃では、それも楽しめる。 訓練ゆえに、完成されるものがあり、それが何百年と続くということの凄さに、素直に感動できるようにもなった。 そして、一つのことに精進できる人々の幸運と不運。 何だか面白そうだ。 今日は次女がロンドンから帰って来る。 長女は春から、新しい職場へ移る。 若い人達は新しい未来を切り開き、更に先へと繋がって行く。 これも、とても楽しみだ。 春だ。 新しい幕開けがとても待ち遠しい。
2005年03月13日
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急に寒くなった。 雨模様のせいか、日の暮れるのも、早くなった。 秋深し・・と言っても、台風が来てるんだっけ。 秋の夜長・・と言っても、今のところ、読書の秋にも、芸術の秋にも、程遠い。 食欲の秋も、風邪以来、今一つだし。 何故か、現実の生活や問題に、バタバタ、せこせこと取り組んでいる日々。 余裕がないなあ。 同居人も今晩は遅くなりそうだし、温かいハーブ・ティーでも飲もうかな? 娘達のいた頃、庭から摘んできた、パイナップル・セージやレモンバーム、レモングラス、ベルガモット、ミントの類でよく自家製のハーブ・ティーを作ったものだ。 春には、ジャーマン・カモミールが甘い香を漂わせて、これは特別に美味しかったっけ。 ウチの庭は日当たりがイマイチなので、ジャーマン・カモミールはたった一年だけの貴重な収穫だった。 夜になると、娘達は勉強(?)に飽き、居間に集まって来て、ケーキやクッキー、スナックを摘みながら、お喋りをしたり、テレビを見たり、バカ笑いをしたり、秋の夜長はとても賑やかだった。 この頃では、ハーブ・ティーさえ、買って来たドライハーブですませているけど、自分の庭から摘んできた、赤やピンクや杏色や黄色の薔薇を居間や玄関に飾り、ローズ・マリーや、タイム、フェンネルなどで肉や魚料理に彩りや香りをつけるのは、とても豊かな感じだった。 それなのに、今や・・。 娘達のいた頃があんまり楽しかったので、いなくなった今、同じことをしても、思い出すのが辛いのかもしれない。 日頃、ビールと緑茶どまりの同居人相手じゃ、どうも張り合いがないけど、今度又、ハーブ・ティー・パーティーに誘ってみよう。 ドライ・ハーブで勘弁してもらって。 何しろ、ガーデニングには体力がいるので、私だけでなく、近所のガ-でニング仲間も皆年を取って、飽きてしまったのだ。 今や庭はジャングルになってしまっている! ハーブも僅かになってしまったのだ。 そうだ、今晩は、折角買ったハーブ・ティーの茶器セットで、市販のローズ・ヒップとハイビスカスのお茶を飲もう。 風邪に効く、エキナセアでも加えて、久しぶりにゆっくりと・・。
2004年10月19日
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3日ぶりの日記。 いよいよパソコンがあやしくなり、ネットに思うように、接続できない。 ほかの用事でも使用するから、ちゃんと直さなくちゃいけないのに、なかなかまとまった時間がない。 今のところは、その場しのぎで間に合わせているけど、何とかしなくちゃ。 本格的に風邪を引き込んでしまったらしく、折角お天気がよかったのに、サエナイ週末だった。 まだ寒気がする。 おかげで、どこにも出かけなかったけど、長女や次女と久しぶりに長電話ができた。 しかも、何十年も音信不通だった、アメリカの友人から、思いがけなくメールが入っていた! このところ、人の人生って面白い、と改めて思うことがある。 本当にどう展開して行くか分からない。 社会人の長女も大学生の次女も、方向転換を模索しているが、それぞれに方向が少し見え始めたようだ。 自分が何をしたいか、何に向いているか、実際に今何ができるのか、自分を知るのは容易ではないけど、色々な経験を通じて考えるしかない。 試行錯誤をして、ベストの道に辿りつけるとは、限らないけど、いつだって、自分の状況の中で、何をしたらいいのか、を考える姿勢を持ち続けてほしい。 何十年ぶりにメールをくれた友人の消息は、別の友人から聞いていたけど、彼女は努力の人だ。 大学を出てから、働いていたが、一年発起して弁護士になった。 今はもう引退して、その方面の執筆をしている。 鮮やかな転進振りに、又唸ってしまう。 独身で子供はいない。 私の周りには、独身で仕事に成功した女性が何人かいる。 今や女性の生き方も色々だ。 男も女も自分に合った生き方ができれば、一番いいと思う。 ちなみに専業主夫の男性も何人か知っている。 誰にとっても、人生これぞベスト、パーフェクトというのは、ないような気がするけど、自分らしい力が発揮でき、そうやって人と繋がれるのが、幸せというような気がする。 人との付き合いは面白い。 自分の生活に忙しく、長い間に忘れてしまったのか、と思っていると、そうでもないのだ。 私達の年代になると、「生活の闘い」という長いトンネルを抜けて、目の前が開け、少し余裕が生まれる。 すると、過去の友人がとても懐かしく、かつての親しさをもって、思い出されるのだ。 若い頃の友人は、だから貴重だ。 私自身も方向転換を模索している。 今までと違った方向へ。 メールをくれた友人のように、仕事についていた友人達も、そろそろリタイアの時期だ。 主婦の友人達も子育てを終えた。 夫達もリタイア前後で、第二の人生を迎えなければならない。 皆それぞれに責任を終え、ようやく自分のために、時間やエネルギーを割けるようになるのだ。 何をしようか、何ができるか、夢は広がる。 これからの人生はとても大切だ。 そして、家族や友人という貴重な財産があることに改めて気付く。 有り難いことだ。
2004年10月18日
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一昨日の夜、友人と電話で、老後の資金の話をしていて、先行きの見通しのあまりの暗さに、背筋がゾクッとしたのだが、話題のせいばかりではなく、風邪だった。 2,3日前から、軽い頭痛がして、風邪気味かも、と思いながら、動いていたのだが、昨日は遂にダウン。 一日、寒気がして、アチコチが痛み、夜には熱が出た。 急に寒くなったせいだ。 日頃、風邪の菌さえ寄りつかない、同居人まで、昨晩軽い頭痛を訴えた。 風邪は暖かくして、寝るしかない。 デ、昨日ぐっすり眠ったら、今日はかなり身体が軽い。 しかも、澄んで、晴れ渡った気持ちのいい朝! 溜まった用事を片付けなきゃ。 朝、ゴミを捨てに行ったら、門の蔓バラが、階段にまで、長い枝を伸ばして、這い始めた。 これも切ってやらなきゃいけないのだけど、もう少し、体調が回復してからにしよう。 家の前を通って、登校する子供達は、もう厚手のジャンパーを着込んでいる。 そろそろ、本格的に秋冬モノの洋服も入れ替えなきゃ。 近所の主婦仲間は、このところ、実家のお母さんの看病で、しょっちゅう、関西の実家に帰っている。 ゴミ捨てに行くと、家の前の公園で、犬の散歩に来る彼女とよく顔を合わせたものだけど、この頃は全く会わない。 お母さんは突然、この冬に倒れ、手術の甲斐もなく、結局寝たきりになってしまった。 年老いたお父さんの世話もあるし、本当に大変だ。 時間がある時には、駅まで車で送ったりしていたのだが、私も忙しいので、このところしばらくご無沙汰している。 こっちに帰っている間に、ゆっくり話したいの、と前から言われていたから、連絡しなきゃ。 ほかの友人達も、子供の結婚式や仕事に追われているはずだが、どうしているだろう。 そろそろ連絡してみよう。 でも、その前に、先ず自分自身の用事を片付けなくては・・。 子供達が大きくなり、自立して、ホッとしたのも束の間、今度は年老いた親の看病や世話が待っている。 ウチの母は、手術のあと、小康を取りも戻したから、いいけれど、これだって、いつまで続くか分からない。 私が多少の余裕があるのも、今のうちかな、と思う。 親より先に、夫を亡くした友人もいる。 意識のない夫を、4年半の看病ののち亡くしてしまったその友人は、うつ病になってしまった。 もう随分よくなって、会いたい、と言ってくれるが、まだ病状が不安定なので、約束は果たせないでいる。 人生は大波、小波。 山あり、谷あり。 挫折や失敗の連続。 平坦な時は案外少ない。 デ、その間を縫って、いかに楽しむか、いかに飛んでいけるか、が鍵のような気がする。 自分の健康も、いつかは衰えるんだし。 私も、今のうちに、せいぜい、やるべきこと、やりたいことをやっておかなきゃ! 自分の幸福は自分で責持つしかないものね。
2004年10月15日
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昨晩遅く、友人から電話がかかって来た。 妙高山の麓は、もう雪が降りそうなくらい寒く、ヒーターを出そうか、と思案していると言う。 彼女は色々な仕事を回転させている、バイタリティーの持ち主だが、今度旅行に行かないか、と誘う。 仕事の切れ目に、夫と韓国への旅行を予定している、とも言う。 もう長い間、毎年、何度も海外へ旅行する。 とにかく、あのとてつもないエネルギーには、いつも感嘆してしまう。 ところが、彼女は、実は、はかなげな女性に憧れていて、ずっと前、「オンディーヌ」という芝居のヒロインに心酔していた。 石坂浩二を相手に、加賀まりこが演じた役で、沼だか湖の妖精の悲恋物語だ。 人魚姫みたいなモノかもしれない。 最後には、死んでしまうのだったかな? どうも私は純粋な悲恋物語に酔えないタチだ。 葛藤もなければ、恋情以外に、苦しみもないような気がして、単純過ぎる筋立てに、飽きてしまう。 ハムレットや椿姫になると、この世のしがらみとか、感情の変化とか、より現実に近くなり、複雑で面白く、感情移入し易いのだけど。 大人気の「冬のソナタ」は見たことがない。 昨冬、別の友人がはまっていて、しきりに勧めてくれたけど、時間が取れなかったせいもあり、結局見なかった。 日本でも昔、「君の名は」という悲恋映画が大ヒットしたらしいけど、どうも、恋こそすべて、というドラマは、私向きではない。 若々しい純愛より、大人の苦味や皮肉や苦悩のスパイスがあった方が、現実的で馴染み易い。 ところが、私の友人の範囲で見る限り、純愛に憧れる女性は、日常生活では、とてもエネルギッシュで逞しい。 「冬ソナ」にはまっている友人も、喫茶店を経営する傍ら、友人の音楽家をサポートしている。 これって、何か相関関係があるのだろうか。 それとも単なるナイモノねだりなのかしら。 そこで、生活を背負って、何十年と働いている、共通の友人の話しが出た。 純愛好きでエネルギッシュな彼女達も、純愛好きではなく、エネルギー半分の私自身も、仕事の経験がある、とはいっても、基本的に生活は夫が支えている。 その共通の友人は、カラマツ林の中の山小屋に住み、その全てを背負いながら、黙々と宝石を多様な美しいアクセサリーに作り変えている。 その作品は彼女の人柄どおり、繊細で大胆だ。 生活を背負って働くことが、どれほど大変かは、見るにつけ、聞くにつけ、私達の想像を超えている。 これは夫達にも言えることで、私達はその実際の大変さをうかがい知るだけだ。 自分の大変さ以外、経験していない相手の大変さには、なかなか想像が及ばない。 これは夫婦の場合、特にそうだ。 お互いに、相手の大変さを理解するのは難しいけど、自分の大変さを理解してもらうことを望むからだろうか。 私達の年代になると、ようやく、お互いの大変さを振り返り、理解する余裕が出てくる。 だけど今度は、「老後の資金はどうする?」という話に飛んだ。 背筋が寒くなってきたから、ストーブをつけようか、と笑ったけれど。 現実には、幾つになっても、何もかも万全ということはないのだろう。 結局、妙高の友人との旅行の話は先送りになったけど、それでは、一泊で、埼玉のジョン・レノン・ミュージアムに行こうか、ということになった。 彼女は一度行っているが、私はチャンスがなくて、初めてだ。 しかも、お互いの予定が合わず、クリスマスしか空いていない。 エッ、年に一度のクリスマスを、よりによって、何であなたと過ごさなきゃいけないのよ?、と両方で大笑いしたけれど。 マ、純愛ドラマに涙を流しても、現実はこんなもんだ。 だからこそ、純粋できれいな恋愛ドラマが必要なんだろうなあ。
2004年10月14日
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どうやらプロ野球では、西武が勝ったらしく、近所のモールでは、西武デパートとダイエーが優勝セールをしている。 用事があって、モールの駐車場に停めようとしたら、週末並みの駐車待ちの列に、恐れをなして、引き返した。 デ、もう一度歩いて出かけ、帰りにダイエーに寄ってみた。 ダイエーは西武に負けたらしいのに、優勝協賛セールと銘打ち、ちゃっかり便乗している。 ものすごい人ごみだったけど、食料品については、ちっとも安くないような気がした。 レタスはこの間から、298円もするし。 このところ雨ばかり続き、洗濯物が溜まっているし、うすら寒い。 もう秋なのだ。 ちょっと風邪気味。 しかも、この時期、いつも着るモノに困る。 一枚じゃ頼りないし、秋モノと言っても、ニットには早過ぎるし、ちょっと重ね着だろうか? そうすると、結構、素材や色の組み合わせに気を遣ったりする。 夏の間、上と下を合わせればよかったので、本当に気が楽だったもの。 もうすぐ紅葉の季節だ。 この間、山の手線の車内ビデオで、紅葉の見頃予報が出ていて、もう奥多摩は見頃だそうだ。 久しぶりに、どこか山奥の温泉にでも入りがてら、紅葉を見に行きたいなあ、と実はこの間から思っている。 桜もそうだけど、紅葉も案外見頃を捕まえるのが、難しい。 桜が満開の時期は、10日くらいだろうか。 今年は京都の紅しだれ桜を見に行くつもりだったのに、行けなかった。 近所にだって桜並木はあるんだし、新宿御苑の桜はシーズン最後に駆け込んだけど、とても見事だった。 遠くまで行く必要はないんだけど、不思議なもので、遠くのモノに憧れてしまう。 紅葉の見頃は2,3週間だろうか。 秋は忙しくて、大抵見逃してしまう。 今年はどうだろう。 この辺の紅葉は、大したことがない。 一泊くらいで行けるところを探してみようかな。 味覚も視覚も、秋を楽しまなくちゃ!
2004年10月13日
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連休が終って、ホッとしている。 今日は静かな一人の日。 昨晩、ある方の日記で、「男と女では、現実認識のレベルが違う」という一節を見つけ、私も常日頃同じことを感じていたので、私なりに考えてみたい。 女は現実世界の細部を見逃さない。 多分、子供を産み育てる性であるために、危険や変化に対して敏感にならざるを得ないのだ。 しかも、状況に対して、情報交換を盛んに行うのは、リスクを減らし、自分や家族を取り巻く現実をより正確に把握するためではないか、と思う。 一方で、男は自分の目的に合致するモノを見ている。 多分、食料や女性を得るには、よそ見をせずに、すばやく行動しなければならないのだ。 ぐずぐずしてれば、ほかの男にさらわれてしまうから。 男は縄張り争いや闘争を辞さない。 できたら、一人占め一人勝ちしたいのも男である。 この頃では、戦争も、領土や女性を巡っての、男の縄張り争いではないか、と思うことがある。 国境も男の概念かもしれない。 女は国境を軽々と飛び越える。 女にとって、国境という概念よりは、実際の人間同士の繋がりの方が、ずっと重要なのだ。 しかも、闘争によって、一人占め、一人勝ちするよりは、分かち合う方が、ずっと合理的なことを知っている。 男は目的に達するための思考が得意だし、そのために何をしたらいいのか、を考える。 女は先ず、現実の隅々まで、張り巡らしたアンテナによって、現実を知覚する。 さて、それからどう動いたらいいか、今度は情報交換したりする。 女性が、いつまでも考えがまとまらず、優柔不断に見えるのは、そのせいである。 強いて言えば、男が帰納、女が演繹、に大別できそうな気がする。 ただし、これはあくまで、傾向というだけであって、実際は、男も女も両方を使うし、その程度には個人差がある。 目的を全力で追う男には、達成能力があり、反面、女性は現実吟味能力やコミュニケーション能力に優れている、と一般的に言えると思う。 両者がうまく補足し合ったり、行き過ぎを抑制し合ったりすれば、理想的なのだが、これがなかなかうまくいかないから、問題だ。 私の友人の夫婦でも、役割分担という、更にお互いの経験を隔てる生活を長い間続けて、お互いに話が通じなくなってしまっている例は多い。 あるいは共働きの夫婦も、お互いに忙しくて、ビジネス・パートナーになってしまう例もある。 重要なのは、コミュニケーションなのだが、立脚する現実認識が違い、しかも発想方が違うとなると、これは一筋縄では、行かない。 夫婦で、とてもうまくコミュニケーションを取っているように見える、アメリカの友人でさえ、嘆く。 「彼にはイチから、ジュウまで説明しないと、分からない。 とても疲れるし、時々、遠くにいる娘と話がしたい、と痛切に思うのよ。 話しがすぐに通じるもの。」彼は核物理学の研究者なのだが、やはりどうも頭脳の使い方が違うようなのだ。 ただ、彼女が意を尽して説明すれば、彼は、彼女の意見を受け入れる度量がある。 日本では、女性の異義の申し立てに、まだまだ馴染まない男性が多い気がする。 それは、男性の闘争心や沽券に火をつけ、勝ち負けの問題にすり変わってしまい、両方共に感情的になり、両方に理解されないという不満を残し、相手をバカ呼ばわりする結果になることが往々にしてある。 これは、とてもつまらない。 多分、女性の方が、男性が分かるように説明する方法を、見つけるべきかもしれない、と最近思う。 何故なら、女性の方が、現実を細かく認知し、コミュニケーションにも長けているからだ。 もう一つ、コミュニケーションのバックボーンとなる、愛情に対する違いが大きい。 日々の仕事に大半のエネルギーを割く男達は、本気の相手を定めると、多少の変動はあっても、案外気持ちは一定している。 女を養うことで、愛情を示しているつもりの男に対して、女は不満や不信を抱き易い。 女にとっては、愛が大きな割合を占めるので、男の愛情の示し方では、自分の愛情に応えてもらっていないような気がして、不安なのだ。 そのため、期待の大きい女の方が、より簡単に、男に対しての愛情が醒め易い。 特に、子育て期間中は、子供に対しての愛情が優先し、関心やエネルギーの殆どを子供に向けるので、男と自ら疎遠になり易い。 こういう状況で、意見の衝突が起きると、相手の意見を認めることが、ことさらに難しい。 特に、男にとって、相手の意見を聞くには、自分が受け入れられている、という安心感が必要で、どうやらその状況を作るのも、女ではないか、と最近になって思うのだ。 だから、男の方も折りに触れ、気にかけているよ、というサインを女に出すことで、女を安心させてほしい。 そうすれば、女も男への愛情を存分に示し、安心した男は、女の意見を聞く余裕ができる、というものだ。 女の方も、自分の愛情の変動を自覚できるといいのだけど、子育て期間中は、難しい。 男もこの期間、我慢するだけでなく、手を差し伸べるだけの余裕がほしいけど、丁度仕事に忙殺される時期だし。 やはり、この時期は大変だ。 と、まあ思いつくまま、書いてみたけど、これから先、色々学んで、私の考えも変化するかもしれない。 このテーマは、ずっと追いかけたいことの一つだ。 男女関係の是非は、双方の幸福にとって、とても大きいことではないだろうか。
2004年10月12日
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今日はキツイな、と思いつつ、散歩二日目。 「毎日」が、理想ではあるけれど、できる時にやればいい、と思っている。 買い物ついでに、遠回りするだけの、簡便コースで今日は勘弁してもらった。 それから、同居人は一人で歩きに行った。 ローリング・ストーンズのミック・ジャガーですら、ジョギングをし、ツアーに理学療法士を同行させ、健康維持に気を遣っているという。 60才過ぎても、現役で活躍するベテラン・ロッカー達は、ドラッグの代わりに、今や豆乳やヨガにはまり、夜遊びするよりは、ジム通いに励んでいるのだそうだ。 意外なことに、彼ら、イーグルス、シェール、エアロスミスなどのベテランアーティスト達はいまだに、稼ぎ頭だそうで、コンサートには、金回りのいい中年層が大枚をはたくらしい。 ただ、健康上の理由で、コンサートがキャンセルされることもあり、興行主やエージェントが心配するのは、今や麻薬や酒ではなく、睡眠時間とコレステロール値なのだそうだ。 皆さん、年を取ったんですねえ。 若い頃、クスリに溺れた、歴史的アーティスト達でさえ、健康志向になっているのだから。 でも、彼らはどこまで行くつもりなのだろう? このまま、行ける限り、行くのだろうが。 反面、このところ、かつてのビッグ・ネームの訃報が続いた。 先ず、サルバトーレ・アダモ。 搾り出すように歌う声に、最初は女性かと思ってしまった。 「雪が降る。 あなたは来ない・・。」 きれいな日本語が、とても印象的だった。 洒脱なフランス男というには、あまりに朴訥で、繊細な美男子というわけでもなく、そこがとてもよかった。 そして、フランソワ-ズ・サガン。 17才の鮮烈なデビューで、一時期は兆児だった、と思う。 華やかな恋愛小説に、どうも関心がないので、一冊くらいしか読まなかったが、洗練された味わいがあった。 今でいうセレブで、よく社交界のニュース欄を賑わしていたが、クスリのせいか何かで、引っ込んでいた時期があった。 しばらくして再登場した時、同年代のカトリ-ヌ・ドヌーブの隣に写っていたため、余計に目立ったのだろうが、あまりに老け込んでいて、ビックリしてしまった。 フランスでの現役では、シルビー・バルタンがコンサートを再開するらしい。 ハスキーな甘い声で、「夢見るシャンソン人形」を歌っていた彼女も、60才過ぎたそうだ。 もう一人、ジュリエット・グレコ。 70才過ぎてもシャンソンを歌い続けている。 私が中学生の時、初めて自分で買ったLPが、ビートルズとグレコだった。 「枯葉よ・・」と低い、骨太の声で歌う。 喉の奥で、うがいするような、r、r・・というフランス語の発音に最初はびっくりしたが、その力強い、あるいは囁くような歌い方が好きだった。 ドイツに対する厳しいレジスタンスの姿勢が根本にあり、決して甘やかな世界ではないのだが、味があって、好きだった。 グレコは十月に東京公演をするはずだ。 もう終ってしまったかな? いつも通り、全身黒ずくめの衣装で、ステージに立つのかしら? インタビューで答えていた。 世界には紛争が絶えない、世界が私の歌を必要とする限り、私は歌い続ける、と。 相変わらず、毅然としている。 誰しも、年を取る。 当たり前のようだけど、年の取り方は案外難しい。 現役で頑張るのも、立派だが、後進に道を譲るのも、立派だと思う。 せめて、もう用なし、と言われないようにしたいものだけど。
2004年10月11日
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この間チェックしたら、コレステロール値が、又上昇していて、医者に脅かされた。 一時は下がったので、気をよくして、つい美味しいモノに手が出てしまう。 この頃、コーヒーにたっぷりのお砂糖とミルクを入れて、飲むようになってしまたし。 誤魔化しが効かないものなのね。 食事に気をつけて、あとは運動、特に「毎日の散歩」がいいですよ、と。 これも常識だけど、なかなか続かないのも常識。 散歩信奉者の同居人にその話をすると、だから言ったじゃないか、とすぐさま散歩に連れ出そうとする。 これも、ウチでは常識。 台風の翌日だというのに、珍しく霧雨が降っている。 傘もささずに、例によって、旧東海道を歩く。 駅近くの近未来都市を遥かに見下ろして、民家を通り過ぎると、尾根道にさしかかる。 両側の斜面には、梨や柿の果樹園が広がり、 遠くの谷の部分に、家が立て込んでいるのが見える。、吹きっさらしの尾根の斜面は、昨日の台風で、さぞかし強烈な風に晒されたに違いない。 枝が折れ、熟した柿が幾つも地面に叩きつけられていた。 ぬかるんだ農道を下ると、新しくできた環状ニ号線に出る。 ニ号線沿いに、ラーメン街道と呼ばれる一角があり、何軒ものラーメン店が軒を連ねている。 コレステロールを下げるために、散歩に出て、油脂たっぷりのラーメンを食べて帰ろうというのだ。 同居人は、砂糖を減らせば、いいんだよ、と平気な顔をしている。 この矛盾! これも、ウチでは常識。 途中、家電の大型販売店があり、ちょっと覗いて見た。 不調の洗濯機、修理しようか、買い替えようか、悩むところなのだ。 楽天日記の方々が、ご親切に提言して下さったとおり、安くて新機能の洗濯機が、ズラーッと並んでいる! ウーン、かなり心を動かされてしまった。 これは、よく考えなくては。 目指すラーメン店まで、ゆうに30分は歩いた。 店の前にベンチがあり、そこからはみ出て、行列ができている。 雨の中、わざわざ歩いてやって来る物好きは、私達だけではなかった。 食券を買って待っていると、店の女性が、客の人数や、麺の茹で加減、スープの濃さなど、好みを聞きにくる。 しばし待って、店内へ。 注文すると、アッという間に出て来る。 麺は二人とも、固め。 スープは同居人が薄め、私が濃いめ。 この辺では、豚骨醤油が主流だが、ここのは特別にコクがあって、美味しい。 デ、590円ナリ。 満足して、帰路に着く。 雨は本格的になり、遂に傘を開いた。 つぃでに、家庭用品の店に寄り、庭箒を買った。 これから、落ち葉のシーズンに向け、新しいのが必要だからだ。 雨の中、登山帽をかぶり、庭箒をかついだ同居人は、自分でも苦笑していたが、少し怪しい人に見えた。 家に着いたら、8500歩近く。 時間にして、1時間強、距離にして、7キロ弱。 私にしては初日から、歩き過ぎ。 もう脚が痛み始めた。 明日は勘弁して!
2004年10月10日
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今日は朝から、台風のニュースが多く、関東直撃とかで、警戒を呼びかけていたけど、家の周りは大したことなく終ってくれて、ホッとしている。 もっとも、雨はひどく、電車はストップ。 三浦半島にある、逗子の実家では、停電が続いているらしいけど、大きな被害がなくて、助かった。 今年は猛暑に引き続いて、台風も多かった。 もう十月ですものね。 秋本番のはずなのに。 今日はジョン・レノンのお誕生日。 息子のショーン・レノンも同じ日生まれ。 ジョンが亡くなって、24年になるのかな。 生きていたら、64才になっているはず。 ジョンに対しては、思い入れが一杯あって、ちょっとやそっとでは、整理しきれない。 しかも、身内を亡くしたかのような喪失感から、まだ抜けられないでいる。 ポッカリ空いた穴を埋めるものは、ほかにないくらい、とても存在が大きい。 父や祖父母、そのほかの大切な人達の死も、とても悲しいけど、それとは次元が違う。 実際に知っていたわけではないんだから。 音楽や、言動を伝えるメディアでしか知らないのに、同時代を生きた、多くの人の魂を揺さぶり、今だに影響を与え続け、語り継がれている。 芸術の力は凄いなあ、と思う。 それを生み出した本人の過激な生き方は、最初は人を驚かせるけど、あまりに素直で正直なので、何時の間にか納得してしまう。 彼は常に人間の生き方の可能性を示した。 それがそのまま、世界の現実に当てはまるかどうか、は別にして。 もともと勇敢な男だったけど、ヨーコという伴侶を得て、ますます勇気を得たに違いない。 反面、自分の弱さや繊細さ、優しさも隠さなかった。 ヨーコの愛が、どれほど大きかったか、想像に難くない。 人間て、それほど大きいのだ、という事実は、ショックでさえある。 天才なんだろうな。 もっと同時代を一緒に生きてほしかった、という思いは強い。 若くして、亡くなってしまったから、余計にそう思う。 ヨーコとの間の最愛の息子、ショーンも幼くして父を失い、可哀相だったけど、最初の妻シンシアとの間にできた、ジュリアンに対して、ジョン本人はどのように感じていたのだろう? 多くの人に、光ともいうべき、勇気や希望を与え続けたけど、反面誰かを悲しませていることで、影を背負い続けていたような気もする。 彼自身も父親に捨てられ、幼い時に母を失った。 人間の業を感じてしまう。 低気圧のせいで、しみじみしてしまったけど、ジョン、お誕生日おめでとう! あなたのお陰で、人間がとても大きく、豊かなものに感じられましたから。
2004年10月09日
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雨の中、朝から都内へ。 お昼前に用事が片付き、そのまま遊びに行きたかったのだけど、夕方には洗濯機の修理の人が来ることになっている。 ちょっとブラブラしただけで、泣く泣く帰路に着いた。 しばらく前から、唸り声を立てて、イヤイヤ廻っていた洗濯機が、スイッチを入れても、思うように動かなくなった。 それでも、アチコチのボタンを操作すれば、何とか廻っていたのだが、昨日、遂にストを決行する気になったらしく、ウンでもなく、スンでもなく、一切応答しなくなった。 不機嫌な女房みたいに、アイソのない奴だ。 今朝ようやく取れた修理のアポ、逃してはならない。 連休前なので、とても混み合っているらしいのだ。 連休明けまで待つとなると、連休の間、洗濯ができない。 困るヨオ! 真面目に洗濯機周りなどをきれいにし、玄関や居間の入り口など、修理の人の目につきそうな所だけ片付けて、「救世主」とも言うべき、修理人をお待ち申し上げました。 お越しになったのは、予定時間を大幅に過ぎた夕方遅く。 でも、いいのよ、いいのよ、こんな雨の中、やりくりして来て下さって。 サ、サ、奥へ。 すぐさま、洗面所で洗濯機の症状を説明すると、何か妙な雰囲気。 重病人に向かう医者のように、難しい顔をして、考え込んだ。 言っていいものかどうか、悩んでいるかのように。 いいんです、言って下さい、覚悟はできています! すると、彼はおもむろに口を開いた。 「お話を伺うと、問題は二つあるんです。 洗濯槽が廻る時に、音がするのは、ベルトがゆるんでいるせいで、それは、この場で直るのですが、もう一つがですねえ・・。」と、言って口を濁す。 「はあ。」と促しつつ、初めて彼の顔をジッと見る。 とても細い、可愛い目が、風呂屋の番台のオジサンのように、思いっきり横目で私を見ている。 まだ若いのに、人生が辛いのね。 眉根にしわを寄せ、渋面を作って、更に声をひそめる。 「スイッチが全然はいらないんですね?」だから、そうだってば! 私は拙い日本語で、もう1度説明した。 アチコチのボタンを押し続けると、たまに気まぐれに反応するけど、洗濯の途中で、勝手に止ってしまい、故障のサインが点滅するのだ、と。 とても困るのだ、と。 「それじゃあ、部品交換になるでしょうねえ。 でも・・。」でも、何なんだ? まるで、悪いお告げでもするように、気の毒そうな表情になった。 そして、あなたにだけ特別に教えるけど、とでもいうように、秘密めかした様子で、ようやく切り出した。 「お金がかかるんですよ・・・。」そんなことは、分かってるって! ウーッと、唸りそうになるのを堪え、涼しい声で聞く。 「お幾らくらいかかるの?」 「1万3000円ほどですが・・。」ナンダ、ナンダ、家、売らなくてすむじゃない! 「しょうがないわよねえ。 新しい洗濯機買うより、安上がりでしょ?」 「そうですけど・・。 部品、ホントに取り寄せてもいいんですか?」 ホントにいいんですか、って、勿体ぶって、からかってんのかい? それとも、ウチはそんなに、貧乏に見えるのかしらん? お願いだから、早く取り寄せてよ! 結局、部品が届くのは、連休明けということになり、洗濯機が全く動かなくなり、部品交換の決心(!)が着いたら、連絡をくれ、と言う。 エッ? これって、そんな重大事なの? 部品が来たら、さっさと来て、変えてくれたら、いいじゃない! コンニャク問答の末、こちらが決心(!)したら、連絡することになりましたけどね。 結婚の申し込みじゃないんだからさあ。 2,3日考える時間が欲しい、というような話じゃないんだから。 こっちは、できるだけ早く、直してもらえればいいの! それとも、何か理由があって、取り寄せるその部品、手渡したくないわけ? ようやく、修理に取りかかることになった。 ホースをどかしてくれ、と言われて、ズルズル引き出すと、綿ボコリがズルズル。 しまった! 油断して、ここまで、掃除してなかった! もう、何でもいいから、連休明けにちゃんと来てよね!
2004年10月08日
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今朝方、長女とのメールのやり取りで、「ほかの方の日記を見ると、刺激されるし、こちらの知らない知識や体験を得ることができて、ネットの世界はいいよね。」と話し合った。 男性の日記は視点がとても面白いし、仕事を持った女性の日記も興味深い。 そして、小さなお子さんや思春期のお子さんをお持ちの、子育て中のお母さんの日記を拝見することも多いのだけど、素直に感心することがしばしばある。 子供の目線を忘れずに、上手にお子さんと付き合っているなあ、と。 私など、とてもあんな風に、スマートにいかなかった。 私の両親は戦前世代だから、戦後生まれの私とは、価値観が違っているし、しかも親は自分のことを棚に上げられる時代で、今の親子関係とは随分違っていた。 親に逆らうのは、反逆罪に近いような感じだったもの。 デ、母の得意な科白が、これだった。 「せめて、世間並みに・・」これはプレッシャーでしたね。 「世間並みに」、のあとに続く科白には数限りないバージョンがあって、「勉強ができる」、「優しく女らしい気配りができる」、「親孝行ないい子に」、「親の言いつけを素直に聞く」、「人様に可愛がられる」、「誰からも尊敬される」・・・。 しかも、「せめて」という科白が、涙なしでは語れないような、切なさを伴っているのがミソで、なかなか抵抗できない迫力だったのですね。 母が見ているのは、子供というより、世間様だったんですね。 私も純というか、鈍というか、「エッ、ウチの親、私にそこまで要求できるほど、立派だったっけ?」、と気づいたのは、中年過ぎてから。 これは、娘t達のお陰かもしれない。 私も二人の娘達に似たようなことをしていて、何でこうスンナリ行かないんだろう、と悩むことが多かった。 私の時代に比べると、自然児のような二人、なかなか私一人の手に負えるものではなく、そのうち私の言動を批判し、反抗し・・。 私が意に反して抑圧(?)した分、めちゃくちゃ私もやり返されました。 言行不一致の矛盾を衝かれ、時代とのズレを指摘され、親の期待に縛られて、生き辛かったと言われ・・。 もう一つ、私の言い訳は、環境。 首都圏では、生存競争が激しく、ボンヤリしていたのでは、置いていかれてしまう、という焦りや不安が親の方にも、あったんですね。 あまり人と競争する親には馴染めずに、距離を置いたけど、私の方にも、どこか危機感があった。 中学・高校も放っておいてくれないし、ちょっとした(?)ことで、親が呼び出されるし。 もう、言っても、聞かない年頃なのに、その度に、ヘイヘイと頭を下げ、定期券でも買えばよかった、と後悔しても後の祭り。 お陰で色々な先生とオフレコでお話できたけど。 父親の方は仕事一筋で、父親不在もいいとこ。 しかも、娘達の思春期には、長い間単身赴任。 でも、娘達から色々なことを学んだ。 特に、娘達の反抗期(子供からすれば、自立期なんでしょうけど)は私の生き方も変えた。 母は世間様を見ていたけど、私はどこを見ていたのだろう? もっと遠くを、ボンヤリと見ていたような気がする。 それが、娘自身を見ればいいんだ!、に変わったのです。 今考えれば、当たり前のことですが。 私自身も自分を見ればいいことに気付き、ありのままを見ることを、学びました。 これはずっと楽ですね。 いまだに、娘達と、言いたい事を言い、色々な所へ出かけ、大笑いできるのも、お互いに大変だった、あの時期を抜けたからだ、と思っています。 子供も自分もなるようにしかならず、でも結局、何とかなるものなんですね。 人間は逞しいもの。 父母が自分のことを、かなり上等に話していたのも、今なら分かる気がします。 年を取ると、昔の都合の悪いことは皆忘れ、自分がかなり優秀だったような気になるものです。 そのくらい、環境の変化に対して、人間は適応力があるんですね。 それは、私の日記を見ても、一目瞭然! 昔の不都合なことは書いてない! 昔の友達に会うと、お互いに自分が忘れていることを、ちゃんと覚えている。 イヤですねえ。 そのうち耳が衰え、人の話なんか、お互い聞こえなくなるだろうし、お互い超優秀な人間に変身しているはず!
2004年10月07日
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今朝、雨戸を開けると、隣家の金木犀の強い香がした。 夕暮れ時にも放たれる、ちょっと南国的な甘い芳香は、毎年私に秋本番を告げる。 いかにも秋らしい澄んだ空気が気持ちいい。 洗濯物を干す時、見上げた空は濃い青で、こちらまで染まりそうな気がした。 こんなにいいお天気なのに、用事を片付けながら、パソコンに向かった! ずっと前から、日記を始めるもっと前から、書きたかったテーマがあって、今日はそれに挑戦してみようと思ったのだ。 金木犀が咲く頃、ちょっとハイになるもんで。 PCは相変わらず不調だが、頼みにしている知人も忙しくて、頼めない。 デ、何度もPCを調整しながら、何とか書き進み、相当の時間を使って、まとめに近くなった。 ヤレヤレと油断した途端、私の操作ミスで、一瞬にして消えた! どこ行ったのよ、ンモー! マ、このテーマは時期尚早ということかもしれないですね。 トホッ・・。 テーマ変更。 今朝の新聞に、作家・中村うさぎさんと、生まれつき顔にアザのあるジャーナリスト・石井政之さんの共著、「自分の顔が許せない!」という本を巡って、美容整形や身体改造ブームについての記事が出ていた。 中村氏は、「不満足な自分の顔や身体」いう強迫観念を持っていたが、美容整形によって、自分の顔や身体への責任から解放された、と別のところでも書いている。 一方、石井氏は生まれつきのアザのため、人がら偏見や好奇の目で見られ、できたら手術で治したい、との強い願いを持っているが、叶わないでいる。 「美的強迫社会」において、「自己愛市場」の拡大が批判される一方で、きれいになることが、自己決定による自信や健康を取り戻すキッカケにもなる、という精神医学者の話も紹介されている。 その他色々な角度から、議論されていた。 自分のアイデンティティーの根拠を見失い、他人によって、自己確認するしかなくなる危険性もある、という哲学者の意見もあり、自由な選択によって、逆に不自由さを抱える、という怖さを抱える社会が来るかもしれないとのこと。 ウーン、どうなるんでしょうね。 私が興味を持ったのは、石井氏が、美容整形する人には、自分と同じような孤立感が共通している、と言ったことだ。 中村氏は、買い物依存症のルポで名を上げたが、もっと目が大きければ、もっと胸があれば、愛されたのではないか、と思ったのだと言う。 しかも、他人のもののように感じていた自分の身体は、やっぱり自分のものなのだから、と言いたくて、整形に踏み切ったと言う。 自分の身体が自分のものと感じられない、というのはどういうことなのだろう? ロボットみたいに、ここに手を入れれば、性能が良くなる、とでもいうように、客観的にしか見られないのだろうか? 愛着がないのかもしれない、と思った。 そして、もっと自分が納得できるような顔でなければ、愛されない、今の自分ではダメなはず、という確信にも似た深い自己否定。 中村氏はもともと丸顔でなので、可愛らしいイメーを持たれることに、嫌悪感を覚えた、のだそうだけど。 最初の印象とは違って、相手はその人の言動のよって、その人のイメージを現実に近く、より正確に修正していくものだ。 だから、人がどう思う、というより、やはり自分が自分の顔を、受け入れられない、愛せない、ということなのだろう。 これは何と辛いことなのだろう。 誰しも、自分に完全に満足しているわけではない。 ああだったら、こうだったら、と見果てぬ夢を抱くこともあり、アこんなもんかな、そう悪くもないじゃいか・・と、段々、現実の自分を受け入れるものだ。 でも、彼女の場合、「こうじゃなければ、納得できない!」という自分に対する拘りが、ことのほか強いのだろう。 自分への関心が強ければ強いほど、当然人への関心は薄くなる。 もしかしたら、愛されていることにも、気付かないのではないだろうか? それとも、愛されるはずのない自分が愛されることは、葛藤を引き起こすことだったのだろうか? 孤立感が強く、人一倍愛されることを望むあまり、とことん自分に拘り、人と関係を持つ余裕を無くし、余計孤立感が強くなる、という悪循環に陥ってはいないだろうか? 折角、新しいページを開いたのだ。 愛されることにオープンになり、人に関心を持ち(自分が人にどう思われているか、の関心ではなく)、人を愛することを知れば、孤立感から、脱することができるのではないか、とチラっと思ってしまった。 自分に向けた、孤立した鉄壁の守りを解き、人との自然な感情を伴ったコミュニケーションができれば、ずっと楽になるのに。 例え、人とぶつかり、傷つき、理解されず、結局人間は一人なのだ、という当たり前の事実に気付いたとしても、それでも、やはり一人ではないのだ、というもっと豊かな、重要な現実を知るには、それしかないのではなかろうか。 親しい、安心できる関係を作ることが、そんなに難しい時代になってしまったのだろうか? 金木犀の香りに酔いながら、フト考え込んでしまた。
2004年10月06日
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冷たい雨の中、用事があって、近所のショッピング・モールまで出かけた。 こんな天気でも、モールはいつも沢山の買い物客で賑わっている。 デパートやスーパーで行き交う女性達を見ていて、ふとイタリアの女性達を思い出してしまった。 美人でスタイルのいいイタリア女性達は姿勢がよく、颯爽と歩く。 若いコはジーンズにタンクトップにスニーカー、という万国共通のシンプルな格好だが、大人の女性はセクシーでエレガントだ。 独身女性もマダムも、女性であることを誇り、大事にしているように見える。 それは、更にセンスに磨きのかかった、お洒落にうるさいフランスでも感じたことだった。 女としての、たたずまいというか、匂いというか、が違う。 ビルではなく、古い赤茶けた建物の裏路地の石畳の道を歩く女性達は、街の風景もさることながら、絵になっている。 胸ぐりの大きく開いたタンクトップにパンツ、その上にジャケットを羽織り、必ずイヤリングやネックレスを付けているし、靴は洒落たパンプスかサンダルだ。 バッグもそれなりにきちんとしていて、全体が整っている。 ノースリーブのワンピースにサンダル、袋物のバッグ、というカジュアルな格好の中年の女性でも、胸元にかなり派手なビーズのネックレスを付けている。 裏通りで出くわした老婦人は花柄のワンピースにパンプス、革のバッグ、パールのネックレスだった。 空港の椅子に座っていた、フランスの老婦人はベージュのパンツに、赤いジャケット、赤とベージュのボーダーのインナー、赤い靴、赤いバッグが金髪に映えていた。 とにかく、どんな歳になっても、女を捨てていない。 しかも、堂々としていて、品があり、美しく見せようとする気概がある。 「オバサン」や「オバアサン」という項目には、当てはまらないと思う。 この近辺では、鎌倉辺りの老婦人は上品で美しい。 経済的に豊かで、教養もあり、高価なモノを身に付けた特権階級、と言ってしまえば、その通りなのだけど、イタリアやフランスでは、それが当たり前だった。 お化粧もそれほど濃くはなく、高価なモノに身を包んでいるわけでもない。 ホテルで働いていた、樽(失礼!)のように太った中年女性は、髪を手で整えてから、ニッコリ挨拶を返してくれた。 そう、中年になると、男性も女性もかなり太っているのだが、老年になれば、もちろん、かなり衰えるのだが、それはそれで貫禄が備わってくるのだ。 男女とも、老いても、それがマナーなのか、身だしなみには気を遣っている。 人が敬意を払うような、存在感というか、雰囲気がある。 体格や姿勢の問題だけではない、と思う。 自尊心が高いのだろう。 自らオバサンやオバアサンには決してならないし、そう言わせない気迫を感じる。 やるだけやっても、人生こんなもんよ、という大人の達観や静かな諦めみたいなものは感じたが、「どうせ私なんか・・」という根拠のない、暗いイジケや、「どうせ、もうオバサンなんだし、誰も見向きもしてくれないし・・」と後ろ向きの自分放棄とも無縁に見える。 心掛けの問題なんだろうなあ、やっぱり。 自分を大事にしない人間を、誰が大事にしてくれる? 自分を大事にできない人間は、誰を大事にできる? 誰にも大事にされなかったと思うから、そうなってしまうのかしら? 鶏が先か、卵が先か・・? ウーン、難しい問題だ。 確か、ファッションの話でしたよね!?
2004年10月05日
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この間、アメリカの友人から、メールが届いたのだが、ウチのPC が読み取れず、今日再度送り直してくれた。 彼女のフランスの友人が書き送ってくれた話だけど、あまり可愛いので、知らせたかった、というコメントがついていた。 私も是非ご紹介したい。 ハードな仕事や競争的な環境にすっかり疲れた娘が、母親に相談すると、母親は黙って娘を台所に連れて行き、3つの鍋にお湯を沸かした。 沸騰すると、それぞれの鍋に、人参、卵、そしてコーヒー豆を入れて、待った。 しばらくしてから、取り出すと、固かった人参は煮えて軟らかく、表面変わらない卵は殻を割ると、液体だった中身が逆に固くなっていて、最後のコーヒー豆はそれ自身変わっていないのに、お湯の方が色が変わり、よい香があたり一面に漂った。 母親は娘に尋ねた。 あなたは、どれがいいの? 強いプレッシャーがかかる、ネガティブな環境の中で、最初は強かったのに、軟らかくなった人参のように、弱くなってしまうか、卵のように、最初は形もなかったのに、固くカチンカチンに強張ってしまうか、それとも、自分は変わらないまま、周りをよい香りに包んで、環境というお湯そのものを変え、美味しいものにしてしまうか、あなたはどれになりたいの? とても面白い話だと思った。 強くなって、社会進出が目覚しく、その地位も高くなった、と言われる欧米女性だけど、やはりその苦労は並大抵ではないのだろうなあ、と思う。 この間のイタリア旅行では、屈強な欧米男性にスーツケースを列車の網棚に乗せてもらったり、随分と世話になったが、その体格の良さには目を見張るものがある。 白人種の体格は一番性差があり、女性を抱きかかえられるのは、白人の男だけだ、と何かで読んだことがある。 成田で荷物受け取りのために待っていると、隣に立っていた、日本人の新婚カップルらしき女性のスーツケースが廻って来た。 女性が男性に何事が促している。 すると、女性よりほんの少し背の高い、ほっそりした若い男性が言った。 「エッ? 君のスーツケースなのに、ボクが取るの?」日本に帰って来たのだなあ、とその時実感しましたね。 成田離婚にならなきゃいいけど。 欧米では、レディーファーストで気持ちよく過ごせたけど、これはあくまで関係が競争的な場面じゃなかったから。 欧米の男性社会の中で、仕事の競争相手として接していたら、きつかったに違いない。 欧米男性は体格もよく、体力もあり、闘争心も並みじゃないもの。 その中で、互角に勝負し、自分を変えずに、環境を変える、という発想も欧米の女性らしい。 あとから進出して、既得権を手放したくない男性と仕事で勝負するのは、女性にとって、とても大変なことだと思う。 男性の体力に合わせ、男性が仕事し易いようなカルチャーの中で、女性の仕事に対するカルチャーを生み出すにも時間がかかる。 私は均等法よりずっと前の世代で、25才寿退社、お茶汲み、腰掛け、花婿探し、などと女性の仕事に対する意欲も能力も本気にされない時代だった。 結局、世間の圧力に負けて結婚してしまったが、今でも口惜しい。 だけど、海にコーヒー豆一粒投げ入れても、ふやけて消えてしまったに違いない。 ただ、それでも負けなかった女性達が一歩一歩築いてきた功績は大きい。 社会自体少子化のせいもあり、女性の労働力を前向きに捕らえようとしているのは、結構なことだ。 働く女性の皆さん、身体に気を付けて、頑張って下さいね!
2004年10月04日
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昨日は、少し暑い秋晴れの土曜日、今日は少し肌寒い雨の日曜日。 秋の天気は変わり易く、油断していると、何時の間にか気温が下がっている。 でもまあ、取り敢えず平和な週末だった。 昨日は同居人と買い出しに行き、夜には、次女が鎌倉へ遊びに行った帰りに、久しぶりに立ち寄って、ワイワイと遅くまで話して寛ぎ、一晩を過ごしていった。 今日は夕方、長女と食事に行くはずだったが、彼女の都合でキャンセルとなり、ゆっくりと眠った。 この週末、新聞でもテレビでも、イチロー選手の歴史的な偉業を繰り返し報じていた。 大リーグですものね。 私は野球がよく分からないのだが、その凄さは分かる。 インタビューで、私が感銘を受けたのは、 「身体の大きさに拘ることなく、自分の能力を生かせれば、可能性は広がる。」 「人との比較は余り意味がない。 自分が満足するのは、誰かに勝った時ではない。 自分が定めたものを達成した時に出て来るものだ。」 誰の言葉だったか忘れたが、本当に伸びる人間は、人に勝とうとするのではなく、常に自分を超えようとするものだ、と。 イチロー選手もまさしく、自分で問題提起をし、目標を定め、それをクリアしようとする自己改革型人間のようだ。 好きな野球で、資質に恵まれたとはいえ、その努力をひたすら続けることができる超人だ。 目先の打率は目標にせずに、グランドに立つことが原点、と言いながら、プロセスを大事にして、もっと大きな結果を出す。 本当の頭のいい人だ。 しかも、チームの低迷に左右されず、プロとして見せ場を作る精神力と集中力! イヤハヤ、ただ者ではないのはよく分かりました。 多分、どの仕事でもそうなのだろう。 自分が今、何をやるべきか、どうやったらいか、を常に考え、実行することが必要に違いない。 ただ、主婦の仕事の場合、単独作業で、人からの刺激がない。 必要に迫られて覚えることも、もまれたり、鍛えられたり、評価の対象になることもない。 孤独で単純な肉体労働に陥り易い。 その結果、同じ場所で、同じ相手、十年一日の如く同じことの繰り返し、気持ちも生活もマンネリ化し、ワンパターンになりがちだ。 それを脱して、一人でヨイショとお尻を持ち上げるのは結構シンドイものだ。 子育てに限って言えば、その時その時で、何をどうすべきか、考えても、はっきりした答えはない。 コーチと同じで、選手の健康や精神状態や一般的な標準を把握しながら、選手に記録を出させるわけで、自分が記録を出すわけではない。 方法論も定かではなく、その結果にしたって、子供が大きくなってみないと、分からない。 そのための心配や心労というのは、思いのほか大きい。 子供が弱ったり、困ったりした時には、その負担は倍化する。 時折ブツクサと、「アーア、人の面倒を見たり、人の人生を支えるだけではなく、自分自身が世の中で鍛えられ、もまれて、色々覚えたり、人との関係を通じて切磋琢磨し、何とか苦境を切り抜けたり、何かをする立場でいたかったのに!」、と痛切に思う。 特に、やる気のない、後ろ向き連中のお相手をする時にそう思う。 私はできないけど、あなたできるからやって、と言われても、私はお金がないけど、あなたあるんだからチョウダイ、と言われているのと、同じに聞こえる。 こういう連中を相手にすると、話しは通じないし、期待に応えて、やってもやっても切りがなく、とても消耗する。 自分が飛ぼうとしない人間は、自分だけが置いて行かれるのがイヤで、必ず誰かを縛りつける。 定年後のご夫婦でも、うまくいっているカップルは、ご夫婦ともに「飛べる」人達だ、という発見をした。 昨日お会いした近所の仲良しサンご夫婦は、それぞれに生活を楽しんでいて、見ていてとても気持ちがいいもの。 人生の満足は、自分の能力を生かして、どれだけ遠くまで飛び続けられるか、にかかっているような気がする。 それは、どれだけ人との深い、心満たされる関わりを作れるか、にも密接に関連する。 家庭という巣は、飛び続けようとする父母が、子供が巣立つように面倒を見る所だ、と思う。 疲れを休め、寛ぎ、楽しみ、指導したり、されたり、何かを作りだしたり、「愛」が主体の場所ではあるが、そこに安住することだけが目的ではない。 家族がそれぞれに飛ぶために、羽根を休めるのに必要な「止まり木」とも言える。 飛ぶためには、「愛」というエネルギーが必要で、その供給場所でもあり、もはや飛べなくなった時に帰る場所でもある。 この頃、子供の虐待が問題になっているが、うまく飛べない親が、子供を更に飛べなくしているしている、とも言えないだろうか。 多分親自身、「能力の開発」や「愛」を必要とする「飛ぶ方法」を親から伝えてもらえなかったのだろう。 それはとても気の毒だし、折角生を受けて、それを生かせないのは、もったいない。 去年、「負け犬の遠吠え」という本が話題になった。 私は読んでないのだが、所詮人生に勝ち負けはない、と私は思っている。 人との比較ではなく、自分が自分の目標に向かってどれだけ飛べたか、どれだけ面白く、満足な人生を送ったか、それに尽きるのではないか、と思う。 平和な日曜日の夜の平和な独り言でした。 ナンテ、アラ、もう月曜日? お肌大敵時間なので、退散!
2004年10月03日
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今朝、友人からメールが入っていたのだが、どうやってもメールも添付資料も開かない。 最近のこのPCの不調には、ウンザリだ。 メールは勝手に送信されるし、日記は途中で消えるし、ネットにうまく繋がらず、HPにはなかなかアクセスできないし。 不満のオン・パレードだけど、日記を送信するまで、とても時間がかかるのだ。 ほかにも色々やることがあるので、ここまで日記に時間を取られると、そこまでして日記書くか?、という気になってくる。 ダメな時は諦めよう。 だから、日記が更新されなくても、お返事が遅くなっても、PCのせいで、オサボリではないので、あらかじめお断りしておきますね。 主婦仲間でよく出る話題だけど、家電が一つ壊れると、次々悪くなる、どれもこれも、いっぺんにダメになるのよね、と。 ウチもその時期かもしれない。 PCだけでなく、洗濯機は脱水の途中で止り、冷蔵庫は深夜不気味な唸り声を上げる。 古くなると、だましだまし使わないとね。 機械だけでなく、同居人も私も。 若い頃、無茶苦茶仕事人間だった同居人は、深夜前に帰宅することは稀だったが、今でも帰宅が深夜になることが度々ある。 でも、さすがにこの頃は、疲れが顔に滲む。 もう若くないんだから、健康を過信してはいけないし、こちらも少し労らなくては、という気になってきた。 この間の私と娘達の旅行に一人取り残され、彼の顔にジワッと、羨望と寂しさが浮かんでいたので、チョッピリ可哀相になった。 デ、敢えて言うけど、お餞別ももらってないのに、お土産のネクタイを上げたら、顔がほころび、ブランド名を言ったら、ニッコリ、値段を大げさに言ったら、更にニッコリ! 根が単純なのだ。 しかも、私が身動きできない子育て中、仕事以外は自由時間とばかり、こちらのの苦境を尻目に、アチコチ出かけていたのだから、今さら何も言わせない。 文句の一つでも出れば、この件の蒸し返しとあいなり、向こうがヤバッという表情になるから、オカシイ。 女は記憶が確かな上、怒りが解消されない限り、根に持ちますからね! 彼もようやく学んだらしい。 ただ、男の一生も、考えてみれば、気の毒だ。 うまく行っても、一生アリさんだもの。 しかも、本人は家族のために働いているつもりでも、家族との関係が希薄だったため、金属疲労が滲むようになった定年後、仕事も人間関係も失い、カスガイの子供が消えた家庭で、妻にも冷たくされる。 妻にしてみれば、夫が仕事と付き合いだけに終始し、家庭に見向きもしなかったせいで、自分一人が家庭を支え、子供を育て、その上に働かない限り、自由になるお金も時間もなく、自分の多くを家族のために犠牲にして来た、という思いが強い。 子供が育つにつれ、それなりに暇もでき、友人や趣味を確保した妻には、「食わせてやってる」と威張ってきた夫との関係は、もはや意味がなくなっているのだ。 何か哀しい。 どちらも真面目に職務を果たした結末がコレなのだ。 巷で囁かれる定説通り、この辺でも、ウロウロしている、定年後の男性の気の毒な姿を見かける。 奥さんの言い分はこうだ。 「子育てで、どんなに困っても、仕事を理由に取り合わず、ずっと私一人で家庭も子育てもやってきた。 今更、私と子供の家庭に入れてあげないわ。 第一、向こうはもう仕事もしていないのに、何で私だけ家事をやって、威張られたまま、働き続けなくちゃいけないの?」 もはや妻も若くはない。 負担になり始めた食事作りの横で、寝転んでいないで、夫もちょっと手伝えばいいのに、と思ってしまう。 そして、浮いた時間とエネルギーで、二人で楽しんだり、妻が自由に遊べるようにすれば、夫婦の関係は格段に改善されるはずだ。 お互いにガタピシしてきたのだから、大事にされている、と思えることがとても大切だもの。 それには、相手を大事にしなくちゃ。 そして、仕事や子育てに代わる生きがいになるコト、職場の人間関係や子供との関係に代わる、新旧の友人達との関係も大切に違いない。 それなりの健康も、それなりのお金も必要だろうけれど、とにかく、夫婦二人が楽しめるような、新しい生活を、自分達で作り出す気概だけは不可欠のようだ。 もう、頼みますよ、先輩方! ウチもあと数年で定年だ。 古くなった機械と一緒。 それまでは、だまし、だまし・・・。
2004年10月01日
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久しぶりに秋晴れの気持ちのいい日! 片付けやら雑事やらの手をちょいと休めて、パソコンに向かう楽しいひと時。 お天気にそぐわない話題だけど、この頃新聞や雑誌を見ると、暗いニュースが多くて、時々やり切れなくなる。 私の身辺にも、心配ごとの種はないわけではない。。 だけれど、この頃では、生きているって、そんなものなんだろうな、と思うようになった。 人生は糾える縄の如し、って言うじゃありませんか。 いいこと、楽しいことばかりではなく、辛いこと、苦しいこと、将来への不安などなど、イヤなことがついて廻るのは、当たり前なんだろうな、と考えるようになった。 しかも、物事は表裏一体で、長所の裏には必ず短所があり、人間万事塞翁が馬、とも言いますよね。 昨晩、溜まった週刊誌の整理をしていたら、週刊新潮で池田昌子さんの「老賢者になりたい」という一文を見つけた。 それによると・・・ 「年寄りだから、堅いとは限らないが、老賢者というべき方々との交流は人生の宝物だった。 考える可能性に対して、完全に開かれた精神は若々しく、しかも、後進に『人生の真実』を教えることができた。 その真実とは、『本当の快楽とは、快楽も苦痛も同じこの世の現象だと見抜き、現象に左右されない堅い人間になるところにある。 あえて言うなら、たぶんそれが人生の意味なのである。』」 ウーム、当っているかもしれない。 私のように、喜びがあれば、完全に舞い上がり、苦しみがあれば、思いきり落ち込んでいるようなオメデタイ人間は、確かに賢者からは程遠い。 しかしながら、この頃、頭の片隅のどこか奥の方で、結局物事なるようになって行くし、なるようにしかならない、と思うことがある。 それは諦めとも違うのだ。 1980年代の映画、「Back To The Future」に主演していた、マイケル・J・フォックスは今どうしているだろう、と時々思うことがある。 というのも、あんなに溌剌と明るいティーンエイジャー役を演じていた彼が、パーキンソン病になってからのインタビューを読んで、感じ入ったことがあるからだ。 まだ若く、仕事も結婚生活も順風満帆の彼に突然襲いかかった不治の病魔と闘いながら、彼は神にこう祈ったというのだ。 「神様、私に変えられるものを変える勇気を、そして、変えられるものと、変えられないものとを見分ける賢さを与えて下さい。」 何て含蓄のある言葉だろう! 自分の苦しみに対して、全て諦めて無力感に陥るのではなく、しかし全て思うように変えられる、という傲慢さに昂ぶるわけでもない。 どうなるか分からないし、何とかしようと思っても、自分のことでさえ、どうにもならないこともあるのだ。 若くして、それが分かるのは、ギリギリのところで、本当に自分の人生を真摯に生きているからに違いない。 老賢者が現象に動かされない、ということは、現象に対する感情が湧かない、ということではない、と思う。 老賢者だって、笑ったり、悲しんだり、怒ったり、不安になったりするのだと思う。 むしろ色々な感情をより生き生きと感じながら、それに振りまわされない芯の強さがあるに違いない、と勝手に解釈することにした。 「より堅い人間になろうと考えながら生きてきた人だけが、老賢者になれる。 自分もそうなりたい。」と、池田昌子さんは結論づける。 私も、もちろん老賢者とまではいかなくても、せめて少しは、年齢並みに賢くなりたいが、どうも成長の歩みが遅いので、百才まで生きても、追いつかないかもしれない。 取り敢えず、その姿勢くらいは持っていたいものです・・・と、一挙にトーンダウン。 トホッ。
2004年09月30日
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昨日は日付を遡ってまで、旅行のことを書き、勢い余って、シメの文まで書いてしまったが、まだフィレンツェが残っていた! ウフッ! 旅程の中盤で、苦労してフィレンツェに辿り着いたのが、土曜日の夕方だったせいか、ローマに比べて、フィレンツェは小さく、暗く感じた。 ローマがとても恋しく感じられたもの。 私達は3人ともここで、イタリア映画もそうだけど、イタリアって思ったほど明るくないよね、という感想を抱いた。 フィレンツェは観光主体の街で、京都、もっと極端に言えば、熱海に似ているかもしれない。 観光業のほかは、革、金銀、紙の手工芸が盛んらしいが、大きな産業はないみたいだ。 所得が低いせいなのか、街全体がタル-イ雰囲気なのだ。 ホテル近くの美しい教会広場には、信じられない数のハトとともに、多数の黒人や中東出身らしい有色人種が常にたまっていた。 どうやら仕事がないらしい。 翌日は日曜日で、街全体がまともに機能しない。 教会も本来の業務であるミサを執り行なっていて、入れない。 計画が大幅に狂ったが、その辺は何とでもなるので、先ずドオーモへ行った。 ブルネレスキが考案したという、巨大なク-ポラを頂いたドオーモは、ステンドグラスの窓が美しい。 向かいのサン・ジョバンニ洗礼堂では、ミケランジェロが絶賛したという「天国の門」を見たが、案外東洋的だね、という長女の感想は当っているように思う。 隣のジョットの鐘楼にも上ったが、ゴシックやルネッサンスの建物の向こうに山が連なって見える。 ここの階段はかなりきつく、私はここで、向こう3年分の運動は済ませて来たような気がする。 ウッフィッツィ美術館も開館前に並んだのだが、ここは入場制限があって、なかなか中に入れない。 しかも、順番を無視した、失礼なアメリカ人の中年夫婦とやり合い、ちょっとイヤな思いをした。 たかが順番なのだが、傲慢な態度にカチンと来た。 こちらも疲れていたに違いない。 しかし、絵は素晴らしかった! 目玉である、ボッティチェリの「春」や「ヴィーナスの誕生」、ラファエロの聖母子画、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、リッポ、ティッツィアーノ、カラヴァッジョ・・・何て贅沢な空間なんだろう! ヴェッキオ宮殿の内部も「500人の間」を始めとして、天井や壁一面のフレスコ画が素晴らしい。 アルノ川に架かった、金銀宝飾店が軒を連ねるポンテ・ヴェッキオを渡って、ピッティ宮殿へ。 パラティーナ美術館とボボリ公園の入場券を買おうとして、青少年の割引はヨーロッパ人以外はダメ、と言われ、何か釈然としなかった。 前のヴェッキオ宮殿ではOKだったのに。 こっちは、「はるばる来たぜ、函館えー」どころではないけど、マ、本来がご近所割引なら仕方ないっか! パラティーナ美術館も、ラファエロの聖母子画や他のそうそうたるルネッサンス期の画家達の絵が並んでいるし、ピイッティ家の豪奢な部屋が残されていて、とても面白かった。 ボボリ公園は広い! 私だけ途中で脱落し、ベンチで一休み。 身体の弱い妻のために造らせた庭園なのだそうだが、女の人生は結婚相手によって、かくも違うのだ! おかげで、人の奥さんの庭園を見に、イタリアに来られたほど、逞しくなりました。 サン・ロレンツォ教会の側では、革製品やショールなどの屋台がズラッと並んでいる。 ブラブラ冷やかして歩いていると、盛んに呼び込みの日本語が飛んで来る。 オカーサン、ゲッツ、ゲッツ、カワイイ、スキデス・・私達も笑顔で通り過ぎながら、小声で突っ込みを入れるのだが、日本語だから、向こうに分かる心配はない。 今回もガイドブックにはとてもお世話になったが、世界中のガイドブックは、どうやら同じモノをフィーチャーしているらしく、どこに行っても、いわゆる名画の前には必ず世界各国の人で、人だかりができていた。 美術館巡りに疲れ果て、たまにはちゃんとした郷土料理を食べようということになって、ガイドに載っている安いトラットリアを探して辿り着くと、何とそこにも行列ができていた! 私達の前は、陽気なアメリカ人のマダム達で、昨日も来たけど、ガイドブック片手に世界中の人が一杯並んでいて、結局食べられなかったわ、と笑っていた。 私達はここで、赤ワインを飲み、フィレンツェ名物のモツの煮込みや豆の煮込みに舌鼓を打った。 伸び切った讃岐ウドンみたいなパスタに飽き飽きしていたので、本当に美味しかった! 旅の効用は、日常から降りて、非日常の中で、新しいモノや人や風景に出会って感動することだけど、より大きな目で日常を捕らえ直す機会にもなる。 日常あっての非日常、また大切に日常を頑張らなあきまへんね!
2004年09月29日
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私達の泊まったローマのホテルは、コロンナ広場を挟んで、ムッソリーニが演説したという、現在の首相官邸の正面にあり、私達の部屋は別の裏路地に面していた。 窓からは人々が行き交う様子がよく見え、夜ともなれば、アコーディオンの物悲しげな音色がどこからともなく聞こえ、酔っ払った女性が舌を巻いたイタリア語をまくしたてて通るのが聞こえた。 ローマは生活感のある、活気に満ちた街で、人も生き生きしていて、親切だ。 ミケランジェロの彫刻のように、筋骨逞しいハンサムな男達や、胸の大きな彫りの深い美女達が通りを闊歩している。 ただ、陽気なラテン系と言われるイタリア人には、どこか物悲しさが感じられる。 フランス人の醒め方とも、どこか違うような気がする。 若い頃、アメリカで、結婚式によばれ、大人が大はしゃぎしている姿に面食らい、アメリカ人て陽気なのね、とつぶやくと、皆そうしようと務めているのさ、という答えが返って来た。 あの、世界のナンバーワンのアメリカ人の、希望を信じようとする、積極的的な「やる気」は、イタリア人にはないような気がする。 古くて長い歴史を生きて来た人間には、運命に対する諦めみたいなものがあるのかもしれない。 ローマは世界各地から観光客がやって来るので、イタリア人のみならず、色々な国の人間と知り合いになった。 ホテルのテラスのでは、アメリカ人、オーストラリア人、フランス人、スウェーデン人とちょっとしたお喋りを交わした。 ホテル近くのパンテオン広場には、沢山のカフェが、パラソルの下にテーブルを並べていて、私達はしょっちゅう訪れていたのだが、フォロ・ロマーノで一緒に道に迷った、インテリ風のイギリス人カップルにも又出会った。 次ぎの日の午後、突然、雷と激しい土砂降りが続き、マクドナルドのパラソルの下で、雨をよけていたが、あまりに濡れるので、隣のカフェに飛び込んだら、さっきまでマクドナルドで雨宿りしていた中年のドイツ人カップルも、やっぱり一足先に飛び込んでいて、双方ビッショリなまま大笑いをしたっけ。 夜、レストランで食事をしていた時には、天使のように可愛い赤ちゃん連れの、若く美しいイタリア人カップルとの、なごやかなひとときが楽しかった。 人との何気ない温かい交流は、とてもいいものだ。 多分、旅を印象づけるのは、人との交流だと思う。 ホテルの朝食の隣のテーブルにいたのは、イラクからの難民としてスウェーデン国籍を取った紳士だった。 スウェーデン語は独特で難しく、国民も閉鎖的で、最初はとても苦労したらしいが、今はひとかどの成功者のようだ。 一旦言葉やコミュニケーションの方法を覚えれば、スウェーデンは温かく迎えてくれる、と言っていた。 「だから、大事なのは、言葉です! コミュニケーションが何より、人との繋がりには重要ですよ。」 その通りだ。 ただし、スウェーデン、ロ-マ間が3時間、パリ、ローマ間は2時間。 ヨーロッパ諸国は、宗教も同じで、言葉も似ている、同じ文化圏なのだ。 歴史的にも地理的にも、戦争だけでなく、長い交渉を持ち続けて来た。 だから、ユーロ圏は、お隣同士という親近感とライバル意識で繋がっているらしい。 それに引き換え、日本は言葉も文化も外見も違う。 私達が14時間飛行機に乗ってローマに着いた、と言ったら、遠い!、と絶句していた。 フィレンツェの美術館で列の後ろにいたフランス人親子も、ヨーロッパは近所だから、と言っていた。 そして、私達が持っていた日本語のガイドブックを興味深そうに眺めていた。 さて、異邦人、日本はどうすればいいのか? 古い歴史を持つ点では、ヨーロッパに似ているのだが、敗戦後伝統を否定し、新しい価値や経済戦争に向かった点はドイツやアメリカに似ている。 戦勝国フランスやイギリスは伝統を踏まえた上で、新しいものを取り入れて、成功しているが、敗戦後イタリアは過去の遺産に戻ってしまったように見えるが、どうなんだろう? ユーロ圏は幾多の事情を抱えながら、今やご近所同士肩を寄せ合い、アメリカや日本に対抗しようとしている。 例のイラク出身のスウェーデン人が言うには、スウェーデンは税金や経済の点で、日本を引き合いに出して、1、2を争っているらしい。 ウーン、日本てそんなに意識されているのだろうか? アメリカは新生の移民国家ではあるけれど、基本的にはヨーロッパと同じ文化圏である。 はてさて、経済大国にはなったものの、アジアに盟友はいないし、日本はこのままでは、孤立してしまうのではないか、と心配になったほどだ。 コミュニケーションに長けた欧米人と渡り合うためには、勿論コミュニケーション技術を磨かなければいけないが、やはり温かな笑顔の力が大きいことを忘れてはいけない、と思う。 あれだけ沢山の日本人が渡欧しているのだから、草の根交流が広がれば、日本はライバルとしてだけでなく、もっと身近に感じてもらえるだろう。それはアジア諸国に対しても同じことだ。 そして、イタリアのテレビのコマーシャルにまで登場していた、ドラえもん、ノビタ、ドラ-ミ、のように、日本の文化を発信し、親近感を作って行くことではないだろうか? 小説や映画やアニメのファンが増えているのは、喜ばしいことだ。 異文化ではあるが、もともと繊細で洗練された高度な文化を持っているんだし、違いはあっても、何より同じ人間なのだから。 しかし、経済侵略者のように言われる日本人が、ローマで一番穏やかで、なごやかないい顔をしていたのは、意外だったが、嬉しかった。 何だか今日の日記は、売れない評論家の文章のようになってしまった。 ただ、これから世界はますます狭くなり、お互いの関係の密度も濃くなる、と思うのだ。 我慢強く、好奇心が強く、しかも対立より「和」を重んじる日本人が、集団としてではなく、個人として、世界の人々に向かって、堂々となごやかに自己主張し、相手の主張も理解できるコミュニケーション能力を持てば、世界にとっても、そんな素晴らしいことはない、と思うのだ。
2004年09月28日
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行ってきました、ローマとフィレンツェ! 出発前に大騒ぎして、色々な方々にご心配頂き、本当に有り難いことだ、としみじみ感じております。 感謝とともに、無事に帰国できたことをご報告かたがた、ローマ、フィレンツェの石畳の道を、二人の娘と十日間、スリをかわしながら、歩き回った様子を書いてみたいと思います。 又よろしくお付き合い下さいませ。 今回はパリ経由のエールフランスでローマ入りしたのですが、食事もサービスも、今まで使った航空会社の中では特筆ものの満足度。 ところが、ローマ空港に着いたのが、夜の10時近くで、空港から列車でテルミニ駅に着いたのは、11時過ぎ。 暗くガランとした、人気のない駅の階段を、重いスーツケースを担いで、何とか下りたのはいいけれど、ホテルまでのタクシーに、ボラレてしまったのには腹が立つ。 もっとも、右も左も分からないオノボリさん母娘が、深夜にテルミニ駅に着いたのだから、これはこっちの落ち度と諦めるしかない。 でも、翌日からのローマは暑くて、明るかった! 朝食を摂ったホテルの屋上のテラスからは、崩れかかった古い屋根瓦を乗せた、素焼きのようなオレンジがかった土色の建物が続き、その間に荘厳な白い石の建物や丸いクーポラの屋根が見渡せる。 デ、早速行動開始。 パンテオン、ナボーナ広場、トレビの泉にスペイン広場。 とにかくオベリスクや噴水のある広場が多く、世界各地の観光客で埋まった広場からは、裏路地が網の目のように伸びている。 しかも、多くの建物が、過去の栄華を物語る威容を誇り、凝った彫刻がほどこされているし、どの教会も、内部は壁や天井まで、びっしりと絵画で埋め尽くされている。 イタリアには、ローマ帝国とルネッサンスという二つの文明のピークがあったけど、ローマの街中が歴史の遺産だらけなのには、もうビックリ! 人懐こくて、オープンなローマっ子達は、未だに遺産の中で生活しているのだ。 ヴァチカン美術館も凄かった。 開館時間前には、もう長くなった列の後ろに並んだけれど、イタリア人の団体に挟まれて、一斉に好奇の視線にさらされたのには、ちょっとビックリした。 イタリア人はとにかくジーッと視線を当て続けるので、私達はそれを、「ガン見」と名づけたほどだ。 でも、イヤな感じではなかった。 さて、美術館はとにかく大きくて、天井や壁のアチコチにフレスコ画があるのだが、私達はとりあえず、迷路のような階段を上ったり、下りたりしながら、システィーナ礼拝堂へと急ぎ、ミケランジェロの「天地創造」や「最後の審判」に対面した。 とてつもなく大きく、鮮やかで、やはり凄い! その後、ピナコテーカでラファエロの「変容」やカラヴァッジョの「キリストの埋葬」を見たが、これも感動した。 その他、数え切れないほどの、力強く美しいキリスト教絵画に、圧倒されてしまった。 荘麗な大伽藍、サンピエトロ大聖堂で見た「ピエタ」には、不遜ながら同じ母親として、死せるイエスを抱くマリア様に涙が出たほどだ。 しかし、マリア様の絵の前でひざまづき、涙を流しながら祈る女性を見た時、私は自分が単なる異教徒の観光客に過ぎず、宗教画や彫刻に感動はするものの、その底に流れる信者の深い宗教感情には、全く無縁なことを悟った。 だって、人間賛歌を打ち出したルネッサンス期のみならず、沢山の画家が、聖書の幾つかの場面を、繰り返し繰り返し描き続けているのだ。 当時、絵の題材としてだけではなく、やはりキリスト教が人々の生活や心に奥深く根付いていたのだろう。 ヴァチカン美術館の警備員に、「こんにちは! オハ、オハ! ゲッツ、ゲッツ!」とジェスチャー入りで突然話しかけられて、笑ってしまったが、実は、彼はアブストラクトのアーティストで、来年東京で個展を開くのだ、と言う。 彼が言うには、住むにはローマが一番だが、ローマは伝統を重んじ、新しいものを受け付けないのだそうだ。 だから、個展はミラノ、東京、ニューヨークで開くのだ、と。 ウーン、そうかもしれない。 フォロ・ロマーノもコロッセオも紀元前からのローマ帝国ですもんね。 炎天下、ペットボトルの水を片手に見て廻った、崩れかかった石やレンガの広大な遺跡では、不思議な感覚に捕らわれた。 私達が風に吹かれて見下ろす丘の下では、下水道を掘り、神殿を建てて、王や巫女が実際に住んでいたのだ。 丘の上にも、延々と遺跡が続く。 コロッセオには7万人もの観客が集まったという記録が残っているそうだ。 人と猛獣を闘わせ、その死体を運び出した専用の門まである。 今なら、人権団体はもちろんのこと、動物愛護協会からもクレームがつくに違いない。 当時は、帝国が属国から搾取した富で、権勢を誇示するため、王はローマ市民に残酷な享楽を提供したというが、それが帝国没落の原因の一つになったのは、皮肉な必然と言うべきか。 奢れるのもは久しからず、は平家物語だけではないのですね。 ただ、富や権力が結集しないと、壮大な無駄(?)とも言える、コロッセオに限らず、宮殿も教会も芸術も、巨大で豪華、あるいは卓越したものは生まれないのも事実で、その点、歴史は功罪相半ばしているとも言えないだろうか? 当時の人々にとって、富や権力の偏在は苦しみには違いないが、セクシーで素朴で愛嬌があるけれど、とても勤勉とは思えない(失礼!)現在のイタリア人にとっては、それが大きな外貨獲得の手段になっているのだから。 しかも、同じ敗戦国ながら、伝統を否定し、新しい価値観の下で、せっせせっせとアリさんのように働いた日本人が、わざわざ十数時間も飛行機に乗って多数押し寄せ、スリの格好のターゲットになりながらも、お金を払って、目の保養をさせて頂いたりできるのだ! アレ? 帰って来たばかりの再開日記なのに、ちょっと皮肉になってしまったかしら? 確かに、イタリアは人も街も芸術も魅力的である。 ただし、派手な反面、暗さもあったりする。 経済の停滞のせいなのか、同じ文化圏の中で、長年近隣に揉まれて来た、ヨーロッパ人特有の醒め方というより諦めなのか、カトリックの宗教観なのか、その辺は分からない。 スリも多かった。 世界各国の観光客は殆ど斜めがけバッグだし、貴重品用ポシェットを服の下にしまい込んでいたのは、私達だけではなかった。 駅や広場、人の集まる所では必ずと言っていいほど、出くわした。 私達は、「スリッパ」と名づけ、「前方にスリッパ一名発見!」と大声で、警告し合った。 日本語で叫んでも、誰も分からないから、気楽である。 日本人の、しかも間抜けそうな母娘3人連れだと見ると、すかさず寄って来るのが、腹立たしいが、手ぶらで、目つきが悪く、周りをウロウロし始めるので、すぐ判別できる。 スリはいかにもスリらしい風体というところが、イタリア的で笑えるが、狙われた時には、正直ぞっとした。 その話は又次回。 とりあえず、何の被害にも合わず、無事帰って来ましたので、報告いたします。 本当にご心配有難うございました。
2004年09月27日
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旅行中、しばらく日記をお休みしていたもので、書き出したら、ドンドン書きたくなった。 忘れないうちに、という言い訳で、日付けを遡ってしまう。 アー、娘達二人と、ジェラ-トを食べながら、愉快なお喋りに花を咲かせ、ローマやフィレンツェの街をうろついた日々が懐かしい! 母娘3人の女だけの旅、という角度で書いてみようかな。 旅行中、長女はガイドブック片手に先導役、次女は周りに気を配りながらのカメラマン、私は会計、という役回りが自然にできた。 3人とも好奇心旺盛で、面白いことを見つけ出しては、大笑いするのが、得意である。 よく喋るし、体を張って、笑いを取るので、端からは、日本人に見えたかどうか、は分からない。 ヴァチカン美術館では、出口付近の表示が面白く(階段注意を促すために、派手に尻餅をついている絵柄)、ワイワイ言いながら、次女が色々な姿勢で写真を撮っていると、それを見て、今度は男の子達が大笑いしていた。 長女も次女も実際の年齢より若く見えるので、お茶目な行動も、はしゃぎっぷりも、ティーンエイジャーとして、大目に見てもらえるのだ。 長女は英語に堪能だが、次女には、笑顔という武器があり、イタリアでも乗り継ぎのフランスでも、随分と親切にしてもらったようだ。 デ、私はお転婆ティーンエージャーの娘二人を監督する、優雅なマダム、といきたいところだが、実際には、疲れて、アゴを出し、アヒル歩きを笑われたり、いたわられたりしながら、ヨタヨタと二人について廻ったのです。 トホッ・・ しかし、女3人の旅だと、男性には親切にしてもらえる。 人間は、実は国籍や人種ではなく、性別の方がより基本的な区分けなのではないか、と思ったくらいだ。 何国人か、というより、男か女か、という点に反応するからだ。 どこの国の男性も、女性に視線を送るが、その分同行の女性の視線がキツクなるのも万国共通だ。 しかも、欧米では、それがとてもハッキリしている。 とにかく男性は女性に優しく、手を貸してくれたり、言葉をかけてくれたりする。 ところが、女だけだと、スリも好んで寄って来るんですね。 一番怖かったのは、ローマからフィレンツェへ移動しようと、ローマのテルミニ駅で、列車を待っていた時。 日本であらかじめ予約していた列車が掲示板に見当たらなくて、発車時刻の迫る中、インフォメーションに駆け込んだのだが、待っている人が一杯。 なのに、イタリア式に、少ない職員は悠然と、交代なんかしている。 ようやく番号札制なのに気付き、発車時刻20分前に、ハンサムな職員の前に、汗をかいて着席。 結局、時刻表が違っていたということで、別の列車を指定され、大丈夫、とウィンクされた。 なのに、そのホームには、電光掲示板に何の表示も出ない。 次女が又、別の掲示板を見に行き、長女と二人、荷物の番をしていると、長女が突然叫んだ。 「お母さんの真後ろに、スリが立っている!」振り向くと、さっき離れた所にいたはずの男が、張りつくように、すぐ後ろに立っていた。 不精髭、汚いジージャン、手ぶらで、無表情に掲示板を見上げている。 一瞬、背筋がゾクッとした。 「移動しよう!」と私が言い、バッグを抱え込み、スーツケースをガラガラと引っ張って、別の場所へ。 すると、その男、何時の間にか、別のグループの人達のそばに立っていた! 戻って来た次女が、ホームでスーツケースにしっかりとまたがっていたのには、笑えた。 ようやく来た列車の高い階段を上って、4人掛けの席を見つけたが、通路が狭くて、スーツケースを3個も置いておけないことを、発見。 どの乗客も大きな網だなに、荷物を乗っけている。 ヒエー、一難去って又一難! デ、娘達二人がウンショと持ち上げ、お母さんは邪魔だから、イヤこっちから、なんて騒いでいると、ジャ-ン! やって来ました、屈強な男二人。 隣の席のアメリカ人男性で、軽々とスーツケースを網だなの上に乗せ、レイディーズは衣服を持ち過ぎているんじゃないの?、とジョークまで、飛ばして去った。 カッコいいっす。 イタリアの乾いた田舎の風景の中を列車はひた走り、私達はすっかり寛ぎ、長女は飽かずに風景を眺めている。 ところが、この列車は、予約した列車と違い、フィレンツェが終点ではないのだ。何度も車掌さんに確かめ、フィレンツェ駅到着の15分前には、降車扉の前に整列していた。 さっきのアメリカ人は手前の駅で降りてしまったので、今度は真面目そうなイタリア代表の屈強男が,スーツケース降ろしを買って出てくれた。 本当に感謝です!! フィレンツェでようやく停まった列車の扉は自動ではない。 そこで、ボタンを押し、スーツケースを先ず私が担ぎ下ろし、次女が続こうとした途端、ドアが閉まった! 次女のスーツケースは斜めにドアに挟まれ、長女が心配そうに後ろから、覗き込んでいる。 3人で力一杯ドアを開けようとしたが、ビクともしない。 そこへ、すぐさま何人かの男達が飛んできて、ドアを開けようとしてくれた。 「彼女達、ここで降りなきゃいけないいんです!」と、私が叫ぶ。 列車のドアに挟まれたまま、娘達が終点のトリエステまで、運ばれて行く光景が頭をよぎる。 アア! さようならアー。 男達はすかさず列車の中に入り、ようやくドアが開いた。 何と、ボタンを押し続けていないと、ドアは閉まってしまうのです、と。 何て合理的なのかしら! 男達に散々お礼を言ったあと、私はベンチにへたり込んだ。 すると、すぐさま発車するかと思われた列車は、実に長い長い間、ホームに停車しているのであった。 娘達は笑い転げている。「お母さん、パニック起こし過ぎだよ!」 ホント、恥ずかしいったらありゃしない。 ヨーロッパで列車の旅をするには、スーツケースは大き過ぎる。 痛い教訓だったが、後で確かめると、ガイドブックにちゃんと書いてある。 要するに、こちらの調査不足なのでありました。 男性の皆さん、お騒がせして、ごめんなさい。 でも、娘達との旅は本当に、本当に、楽しかった。 彼女達が一緒でなかったら、これだけアチコチ出歩き、人と話し、豊かな経験ができたかどうか分からない。 最初、ローマに比べてイマイチだったフィレンツェでも、帰る間際、二人で住民の居住区のスーパーを探し当て、とても親切にしてもらったらしい。 ホテル前の広場には屋台が二つあったが、娘達は必ず毎日、加藤茶に似たオジサンのところで、水と果物を買うので、すっかりそのオジサンと仲良くなり、帰る時には、一緒に写真を撮ったくらいだ。 出来あがった写真には、オジサンの屋台の中で、3人が並んでにっこり笑っている。 有難う、ローマ、フィレンツェ、そして娘達!
2004年09月26日
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ようやく旅行の準備に本格的にとりかかった。 今回は夏バテのせいで、腰が重く、思いの外取りかかるのに時間がかかった。 今日、最終的な手配を済ませて、ホッとした。 後は、適当に荷物を詰め、予備知識をもう少し蓄え、大雑把な計画を立てればいい。 もともとキッチリ計画を立てる方ではなく、風を向くまま、気の向くままに動くのが理想だけれど、それでは効率も悪く、疲れるだけなので、道順くらいは押さえておかなきゃ。 しかも、訪問先にも予定はあるらしく、これもチェックしておかなければ。 アテにしていた美術館が、休みのこともあるから。 見知らぬ土地へ行くワクワク感と緊張感が、とても好きだ。 初めての海外、初めて飛行機が、18才の時のアメリカへの一人旅だった。 英語も殆ど喋れないまま、Xレイフィルムを羽田に置き忘れ、ハワイで一人だけ下ろされて一泊、サンフランシスコでは、航空会社のストのため、5時間立って並び、目的地のニューヨークでは雷のため、30分上空を旋回した。 それでも、期待感に胸一杯で、ちっとも怖くなかった。 初めて見た雲上の光も眼下で光る稲妻も、この世のものとは思えないほど、美しかった。 今でも、この脳天気さを引きずっていて、いい年をして無鉄砲なのは、困ったものだ。 若くて可愛い時には許されたことでも、分別盛りのはずのこの歳では、年寄りの冷や水、と言われて、迷惑がられるのが、オチ。 用心、用心。 問題はローマのスリだ。 貴重品は首からぶら下げて、衣類の中にしまえ、ったって、どうすりゃいいんだか・・・。 忍術の「目くらましの術」でも習っておけばよかった、とかなり本気で思う。 白戸三平の世界に近そうだもの。 さて、美術の宝庫をどうやって攻略しようか? 初回の、数日間の滞在では、ホンのサワリをかすめるくらいかもしれない。 大した知識もないんだから、思い切って耽溺するのもいいかもしれない。 さて、13日の月曜日、無事に飛びたてるものやら・・・。
2004年09月10日
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出発を目前に控え、資料を前にしながら、他の用事も済ませなければならなくて、一向に準備が進まない。 アー、早く始めればよかった、といつもの後悔。 年の割に、この点がちっとも賢くなっていないのは、どうしてだろう? 今日は、急に懐かしく思い出した、二人のアメリカの母達について、書こうと思う。 二人とも、1960年代後半、私のアメリカ時代の母替わりになってくれた人達で、一人は黒髪、黒目の彫りの深い美人で、大きな深い声で話し笑う、正直で感情的なL夫人。 もう一人は、金髪碧眼の華奢で品のいいE夫人。 知的でデリケートな人だった。 二人は対照的だったが、ともに愛情の深い女性だった。 二人は夫と仲がよく、それぞれに個性的な、温かい家庭を築いていた。 私が二人から学んだものは、違ったものへの、理解や受容、温かいまなざし、そして、何よりも感動したのは、相手への尊重と信頼である。 私の疑問や悩みに対し、意見やアドヴァイスはしてくれるが、決して押し付けない。 「あなたがいいように、やってごらんなさい!」 今でも思い出すが、私がどうしようか、決めかねていると、 「Try it!」と言ってくれるのが、常だった。 もっともアメリカ全体が前向き志向の国だから、諦めることより、やってみることを選ぶ風潮が強いのも確かだ。 「こうじゃなきゃ、いけない。」どうして? 「前例がない。 誰もやっていない。」じゃ、あなたがやってみれば? 「皆はこうだもの。」皆はいいの。 あなたはどうしたいの? あなたはどう考えているの?結局、自分で考えるしかないのだ。 最初は戸惑った。 何しろ、こっちは自分の考えを持ったら、睨まれるような国、「我慢が美徳」の貧しい敗戦国で育ったんだから。 それに引き換え、アメリカは戦勝国だし、世界で一番豊かで強い自由な国。 しかも、恵まれた階層の人達だ。 私も青春期特有の生意気さと経験不足から、最初は反発したこともあった。 国が違うもの、ねえ・・・と、思っていたのだが、途中から考えを改めた。 L夫人は幼い時に、南ドイツから移住して来て、母親を亡くした。 E夫人は、中西部の古い大家族の農家出身で、女に学問は必要ない、という親の反対を振り切って、奨学金で大学を卒業した。 二人とも苦労人なのに、全くそんな素振りさえ見せなかった。 ある時、L夫人の夫である、L氏に聞いたことがある。 L氏はユーモアたっぷりで、古きよき時代の典型的なアメリカの父親だった。 「なぜ、そんなに人に理解があるの?」 「マミーがそうさせたのさ。 彼女は強いからね。」いつになく、シンミリしていた。 E夫人の夫は研究者肌の静かな人で、時折ポソッと面白いことを言う。 E夫人より3才年下で、一人っ子育ちのせいか、コミュニケーションが今イチ苦手なのだが、そこはE夫人が上手にカバーしていた。 私が彼女達の偉さを理解できたのは、もっとずっと後になってからで、私自身が家庭を持ってからの話だ。 子供達への愛、夫への愛だけでなく、私なんか到底足元にも及ばないくらい、人間的な強さを持った人達だった。 それは戦勝国だから、豊かだから、と言って、片付けてしまう問題ではないのだ。 私が自分の家庭を持った時、どこかで、彼女達の生き方を、お手本にして思い出していたような気がする。 思ったようには、いかなかったが、それでも後悔はしていない。 私には、それが精一杯だったから。 もう二人とも、亡くなってしまったが、今の私を見て、言ってくれるだろうか? L夫人の深い声で。 E夫人の、くぐもった優しい声で。 「That' it! Don't worry.」
2004年09月09日
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所用で上野に出たついでに、駅前の本屋を覗いてみた。 土地柄のせいで、東京紹介や江戸情緒、下町関連の本が多く、つい一冊、下町探訪の本を買ってしまった。 渋谷や新宿などの副都心は、比較的開発が遅く、私の育った場所にも近いので、馴染みがあるのだけど、川向こうの下町は、手つかずのままで、ずっと気になっていた。 歴史も古いし、何だか混み合っていて、よく分からない。 帝釈天とか、これから、少し歩いてみたい所だ。 ナンテ、今はイタリア、イタリア! 出発がもうまじかに迫っているというのに、下町どころではなかった! デ、ローマ、フィレンツェの詳しいガイドブックを買ったのだが、それでも、ちょっと物足りない気がしたので、家の近くの本屋で、「イタリアのルネッサンス」、「教養としての美術」という簡単な新書を2冊、手に入れた。 出発までに、攻略できるのだろうか? この付け焼き場的生き方が、自分の人生の足を引っ張っているのは、お日様が東から昇るのと、同じくらい、確かなのだが、なかなか治るものではない。 娘達に、試験の間際まで、テスト勉強を放っておかずに、ちゃんと計画を立てるように、と散々口を酸っぱくして、言っていたのは、誰だったっけ? この頃、少しずつ、美術に親しむ機会が増えて来た。 といっても、系統だった理解ができているわけでは、全くなく、美術史もウロ覚えでしかない。 この頃は東京でも、あっちこっちで、美術展が開かれ、カラヴァッジョ、ダ・ヴィンチ、印象派など(ア、フェルメールは見逃した!)脈絡なく、単発的に見ているので、頭の中はちっとも整理できていないのだ。 NYのメトロポリタン美術館やパリのルーブル美術館は初心な私にとって、強烈な興奮と感動のるつぼでありました! ではありましたが、哀しいかな、ヤワな脳細胞は、圧倒的な数の絵画や彫刻に飲み込まれ、やはり最後は整理しきれず、混同したりしてしまうのでありました。 ウーン、少し勉強せねば、と必ず、どの美術館でも、勇んで美術史の本を買うのですが、買ったら、すっかり安心してしまい、そのまま忘れてしまい込む、という愚かな繰り返し。 そう言えば、参考書を買って、安心し、勉強したような気になってしまう、誰かサンにそっくりだ。 娘に似たのかな? しかし、私は自分の無知を、悲しまないようにしている。 さあ、これから勉強することが一杯あるぞ、と思うと、何かワクワクして来るもの。 アラ、単に懲りないバカなだけ? 帰りのバスで、久しぶりにご近所の仲良しサンと出会った。 かつてのガーデニング仲間の一人で、フェンス越しに、花々について熱く語り、庭を訪問し合い、花屋巡りをした仲だ。 十数年も続いたガーデニング熱も、さすがにこの頃は、すっかり冷めてしまったが、彼女は今、ハワイアンと水泳に励んでいる。 長年続けたエアロビクスは、もう体力的にキツイそうだけど、それでも実際の年齢よりずっと若く見えるし、きれいで生き生きしている。 その時、その時で、自分で楽しみを見つけて行く人は、とっても素敵だな、と思う。 私も、やってないこと、知らないことがまだまだ一杯ある。 だけど、無能も無知も、そう悲観したものでもない。 これから開発すべき分野が一杯残されていて、沢山の可能性が広がっている、ということだものね。 ヨッシャ! 先ず、イタリア本攻略から、頑張ろうっと!
2004年09月08日
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朝から、とても蒸し暑い。 テレビをつけると、台風18号のニュースを延長してやっているが、風も雨も凄いものだ。 ついこの間、16号が過ぎたばかりなのに、何ということだ。 被害が少ないように、と祈るばかり。 途中で、東海、近畿地方の地震の速報も入った。 一昨日あった、大きな地震の余震らしいが、お気の毒なことだ。 こっちでも、深夜少し揺れを感じたたくらいだから、震源地に近い関西方面は、さぞかし揺れて、怖かったに違いない。 台風、地震に遭われた方々にお見舞申し上げます。 一体どうしちゃったんだろう、今年の夏は? 例年にない猛暑、新潟の大雨、浅間山の噴火。 浅間山の近辺に住む友人に連絡したら、窓が揺れたくらいで、被害はない、というので、安心したけど、浅間山の麓には、私の中学高校の山荘があったはずだ。 どうなっただろう? 週刊誌の広告見出しに、浅間山の噴火は「大地震の予兆」説、と出ていたが、本当だろうか? 毎回、来る、来る、と予言されている、東海大地震のことなのだろうか? あまりにしょっちゅう脅かされるので、不感症気味になっていたが、少し用心した方がいいのかもしれない。 一応、緊急持ち出し用に、まとめてあるけれど、しばらく点検していないもの。 そう言えば、家具の転倒防止のつッかい棒も全部取りつけたわけではなく、ガラスの破損防止のフィルムも張っていない。 ウチの父は生前、地震が来ると、一瞬にして緊張が走り、家族全員に号令をかけ、家中の雨戸を開けさせたものだ。 時間なんかお構いなしのその緊張は、私達にも伝わり、全員で飛び回り、ガラガラと大急ぎで開けたものだ。 気がつくと、深夜、他の家はどこも静まり返っていて、何だか恥ずかしい思いをしたことがある。 父は3才の時、関東大震災に遭い、とても怖い思いをしたらしい。 畳が波打っていて立てずに、這って外に出たものの、今度は火事に逃げまどった、と話していた。 だから、恐怖が染みついていて、それは一生変わらなかった。 私は西日本に、親戚も親しい友人もいないので、阪神大震災のことはニュースでしか知らないが、随分と傷跡は深いに違いない。 天災は忘れた頃にやって来る、というが、この頃は、忘れないうちに、繰り返しやって来るではないか? 台風の数も例年より多いのだとか。 避けられない天災には、「傾向と対策」で応じるしかないのだろうが、面倒なことですよね。 でも、是非用心しましょうね! さて、今日も日差しが強い。 熱中症にやられないように、心して、出かけねば!
2004年09月07日
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来週の今頃、成田から、イタリアへ向けて、出発しているはずだ! なのに、今回は、トンと準備ができてない。 困ったもんだ。 イタリアの会話本には、まだ目も通していず、ガイドブックもちゃんと読んではいない。 ツアーで行くわけではないので、自分達で、下準備しなくてはいけないのに、どうもちっとも進まない。 旅行中の細々したモノなども、買い足さなければいけないし、その前に、幾つか用事も済ませておかなくてはいけないのに。 長女の体調は、まあまあらしいが、忙しそうだし、次女はサマースクールで、重い撮影機材を運んだせいで、腰を痛めたらしい。 私も、今年は夏の間何もしなかった、にもかかわらず、夏の終りに必ず出る、例年の夏バテの症状。 何なんだかなあ。 今一つ意気が上がらない。 前々回のニューヨークの時も、最初に一人旅の計画を立てた長女以外、次女も私も、間際になって、時間が取れたので、急遽参加し、結局3人旅になったのだけど、それぞれ格安航空券で、飛行機は別、ギリギリになって見つけたホテルに、現地集合、現地解散という危なっかしさだった。 それでも、ニューヨークは、私の古巣でもあり、古い友人もいたので、ぶっつけ本番でも何とかなったけど、今度は全く未知の国、イタリアなのだ! しかも、イタリアはスリが多いだの、スリの学校があるだの、治安が悪いだの、悪いニュースばかりが耳に入る。 もっとも、私達は美術館と建物、それに風景、芸術品に触れたいだけで、リッチな豪華旅行ではないから、そうお金も持たず(要するに、ないだけ!)、ドレスアップもせず(要するに、できないだけ!)、スニーカースタイルで行くつもりだけど、その辺もまだ、打ち合わせが済んでいない。 どうすべ? とりあえず、ネットで情報を仕入れ、ガイドブックを読まねば! だけど、ロシアの学校テロ、ひどいですよね。 この前の飛行機のテロもそうだけど、自爆覚悟のテロリスト相手では、交渉の余地もなく、解決の希望がない。 特に、子供達相手への攻撃は、絶望的で、とても胸が痛む。 もとはと言えば、アフガンも含めて、ロシアの長年の南下政策が引き起こしたものだとは思うけど、どうしたら、いいのだろう? チェチェンでは、ロシアの弾圧に対抗して、全員が兵士だ、と何かの特集でやっていた。 暴力は暴力を生み出す。 果てしない連鎖は、罪のない子供まで、巻き込んで行くのだ。 もちろん、子供も可哀相だし、親の気持ちを考えると、何かとても辛い。 彼らの中に憎しみが生まれても、誰も止められない。 今の中国の反日教育のように、世代を超えて、引き継がれるのだろう。 人間の攻撃性は明らかだが、国も人も同じことなのだ。 勝手に、人の家に土足で上がり込み、人のモノや、女を取ってはいけない。 ましてや、人の命を奪うのは、許されない。 どこの国でも当たり前の、簡単な常識なのだ。 何で他の国の人間に対しては、常識が当てはまらないんだろうか? イタリアのスリのあなた、お金のない外国人に対して、悪いことは止めましょう! どなたか、役に立つイタリア情報があったら、是非お教え下さいな!
2004年09月06日
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一日遅れの日記。 というのも、夜になって、日記を書こうとしたら、楽天にアクセスできず、こっちのパソコンの調子も悪過ぎて、結局諦めた。 デ、今から再挑戦。 静かな霧雨の日曜日。 そのつもりで油断していたら、昼近くなって、家の前の公園から、子供達のはしゃぐ声が聞こえて来た。 「雨が上がったよ。 さあ散歩に行こう!」 「こんな日に? 又すぐに降り出すわよ。」 「毎日行かなきゃ、意味ないんだよ。」 同居人は張り切っている。 結局、前から彼が気になっていたという、国道沿いの蕎麦屋で食事し、その往復を歩くことにした。 肥満防止、成人病対策のための散歩なのに、餌につられるのも情けない話だが、アスリート志願でもない私が、やっぱり(!)降り始めた雨の中、傘をさして酔狂に散歩しよう、というんだから、目の前に大きな人参でもぶら下がってないと、ね! 長い坂を下り、国道沿いにある、古い民家造りのその蕎麦屋は、雨だというのに、家族連れで賑わっていた。 駐車場は一杯。 そりゃそうよね、私達以外は車で来てるんだから。 激しく降り始めた窓の外の雨を見ながら、長寿に繋がるという、美味しいお蕎麦を頂く。 「あなた、この分だと、軽く百才まで、長生きしそうよね。」 「イヤ、この頃、オレもそう思うよ。」やっぱりなあ。もともと丈夫なのに、歩いて鍛えているのもんなあ。 ウーン、どうも差があり過ぎる。 「君もちゃんと、歩かなきゃ、ダメだよ。」 彼が、私の健康にウルサイのには、理由がある。 子供達が小さい頃、この未開地のような不便な土地に引っ越してきて、無理が祟ったせいか、私は病気になった。 その後、何年も都内の病院と薬のお世話になった。 その頃、彼は仕事盛りで、家族どころではなく、せめて自分が倒れないように、と体操し、歩き始めた。 家事にも少しずつ協力的になり、その後の何年もの単身赴任生活で、家事に不便を覚えないまでになった。 図らずも、私の言い分が正しいことが立証されたのだ。 「男だって、基本的な身辺自立ができないと、困るんだから!」 結婚当時、「気持ちお坊ちゃま」あるいは「冠位なきお殿様」の座を何とかキープしようとしていた彼も、「できる男」にならざるを得なかった。 容易ではなかっただろうが、何たって、自慢じゃないが、事情の方が許さなかった。 私にしたって、「子育ては待ったなし」だから、病気だろうが、短気だろうが、一人で頑張り続けるほかなかった。 彼は言ったもんだ。 「病気になるのは、自分が悪い!」ゲッ! だから、丈夫な奴はヤなんだよ! この苦い経験から、彼は、ますます健康維持が大事、という教訓を引き出して、身体を鍛え、私は、必要以外の無理をしてはいけない、なるべく楽しく暮したい、という教訓を引き出した。 アリとキリギリス! とは言っても、相変わらず生活の闘いは続き、つい最近まで、お互いに自分のことで精一杯だった。 遂に私が子育てから解放され、自由人に戻るにつれて、彼も会社人間から脱出し始めた。 ようやくお互いに向き合う余裕ができたのは、時期だったからかもしれない。 若い頃のぶつかり合いではなく、失われた長い時間を埋めるため、ちゃんと向き合うための、新たな闘いは結構しんどかったけど、これは価値ある闘いだった、と思う。 ネガティブからポジティブへ。 固定観念に縛られ、相手への要求ばかりに基づいた、非難や諦めではなく、現実的に相手を認め、許容し、自分から働きかける関係へ。 それぞれに幾らか成長し、精神的にも物理的にも余裕ができないと、それも難しいモンだ、と今になって、しみじみ思う。 「どうも、私の方が先に逝きそうだなあ。 そしたら、すぐにでも、再婚しそうだよね。」 「イーヤ、三年は待つよ。」 ナニ? ナニ? お互いに欠けているところを補うのも、限界がある。 結局、夫婦でも、自分の人生は自己責任だもの。 その、欠けているところを、自分で何とかしなくては、と思って来たけれど、実はお互いに、鍛え合って来たのかもしれない。 マ、そんな夫婦があっても、いいのかも。 帰りの長い坂道、崖を切り崩してできた新しい家は、3階分くらいの階段を上ったところに玄関があった。 私が息を切らして、見上げていると、彼は言った。 「三年じゃなくて、一週間で再婚しちゃうぞ!」 ナンノ、ナンノ! 棺おけに片足突っ込むまでは(下品な言い方で失礼!)、人の人生、最後までどうなるか、分からないわよ! 険しい坂を上り切ると、なだらかな道に出た。 両側の家には、生垣に青紫の朝顔やオレンジ色のマダム・カレン、真っ赤なゼラニウムが、雨に濡れて、咲き誇ってていた。 そう、これから人生楽しむためにも、少しは鍛えなくちゃ、ね!
2004年09月05日
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数年前から、私が数値の上で、成人病予備軍なのは、承知していたが、どうやら本人に何の断りもなく、身体が勝手に成人病街道に一歩踏み出していたらしい。 色々な数値が上がり始めた。 幾つか理由はあるのだが、同居人は先ず、運動不足を指摘する。 彼は1時間程度の散歩が日課になっていて、私にもしきりに勧める。 何しろ、彼は健康維持にはとても気を遣っていて、朝も夜も早い。 筋肉質だから、という訳の分からない理由で、大量に食べ、かつ飲む。 それを、散歩や山歩きで、消化しているのだが、そのせいで、太らない、と自慢する。 太りたくなかったら、最初から食べる量を減らしたら、どうなの?、という私の素朴な疑問には笑って答えない。 どうも、この一番簡単な方法は、お気に召さないらしい。 しかもお酢や野菜が大好き、という徹底した健康志向。 絶対長生きするよなあ。 それに引き替え、私は不健康な生活大好き派。 宵っ張りだし、運動嫌いだし、刺激物やコーヒーを切らさない。 同居人と同い年の私は、これではあまりに不利と判断し、遂にこの冬、スポーツクラブに申し込んでみた。 何が不利かって? これから、ちょっとは、いい思いをするつもりでいるのに、このままでは私の方が先に逝きそうだもの。 あんまりじゃない。 デ、行ってみたら、スポーツクラブの方でも、おばさん好みの若い可愛い男の子や、おじさん好みのきれいな若い女の子を揃えたりして、なかなかツボを心得たもの。 しかも、トレーナーのハンサムちゃんが上手にオダテルものだから、気持ちよーく、ノセられそうになった途端、母が入院して、手術することになった。 結局、折りを見て退会。 残念! やっぱり、ハンサムちゃんには縁がないらしい。 暑さに喘いでデレデレしていたこの夏、遂に身体が反応し始めた。 もともと太らない体質だもんで、安心していたら、お腹周りが裏切り始めたのだ。 アレッと思いながら、それでも、しぶとく油断していたら、ここ数日で、何だかスゴイことになって来た。 そこで、しぶしぶ、同居人の誘いに乗り、行って来ました、お散歩に! この蒸し暑い日に! 家の周りには、まだ幾らか自然が残っていて、散歩好きの人にはいいかもしれない。 先ず、近くの旧東海道へ。 ここは、昔の面影を残していて、行き倒れた旅人の投げ込み塚や一里塚、代官屋敷の跡があったりする。 数年前まで、両側を竹林に挟まれ、ウッソウとしていたのに、今や片側には大きなマンションがそびえ立っている。 それでも、遠くからウォーキングに訪れる人は多い。 「ホラ、あの人達、わざわざ遠くから、ここに歩きに来てるんだよ。」と、リュックを背負った人達を指して、同居人は嬉しそうに、自慢気に説明する。 ここへ来るたび、毎回!、嬉しそうに、自慢気に、私に向かって、同じ説明をする。 彼の言わんとするところは、こうだ。 君は、人がわざわざ、遠くから歩きに来るような場所(それって、別に彼の手柄でもない、と思うけど)に住んでいるんだから、もっと歩けよ、と。 だけど、都内に住んでいる人は、東京タワーになんか上らないじゃないの。 旧東海道は、途中から狭くなり、住宅の間を縫って、梨畑へと続く。 ここは尾根になっていて、晴れた日には遠くに、富士山を眺めることができる。 手前には、近未来都市のようなマンション群が見渡せる。 それから又、何の因果か、苦行は続く。坂を下り、又上がり、もう息が上がって、体中から、絶え間なく汗が噴き出してくる。 帽子の下の髪の毛なんか、もうビショビショで、汗がしたたっている。 サウナか、これは? 同居人は苦笑して、私を待ちながら、汗一つかかず、ケロリとしている。 やっぱり、生き残るのは、奴だ! 歩き始めて30分、ようやく目的地の中華料理屋に到着。 もう、全身ズブ濡れに近く、店内に入るのに、言い訳が必要だ、と思ったくらい。 だけど、しつこく成人病対策に運動の効能を説き、散歩に誘っておいて、食べたのは、中華料理ですよ! 脂は控えなきゃいけない、と言いつつ、この場合は、意に介さず。 この辺の、彼の頭の仕組みが、イマひとつ私には理解できないんですよね。 やっぱり長生きするよなあ! ただ、ここの中華料理屋は結構美味しく、今日も家族連れで混み合っていた。 従業員もマメによく動き、親切で、顔ぶれも殆ど変わっていない。 結局、能天気な私は、お腹も舌も満足したけど、果たして、サウナまがいの散歩の苦労は報われたのだろうか? 帰りは違う道順で、駅の反対側を通った。 駅前のロータリーやスーパーを抜けると、又タイムスリップしたような田舎道に出る。 古い牛舎や、小さなトウモロコシ畑、昔風の瓦屋根の大きな家の広い庭には、ミソハギやトリトマ、クラリーセージ、タチアオイなど、背の高い夏の花が、心持ち投げやりな風情で咲いていた。 この駅は、一番新しく、と言っても、何十年か前に、山を切り開いて作られた。 駅がある辺りは、その昔は牧場で、車窓から、ノンビリと草を食む牛が見えたっけ。 20年以上前に、東京から引越して来た時には、あまりの僻地ぶりに、ボーゼンとしたものだ。 駅の周辺には、トホホのパチンコ屋が数件あるのみで、ちょっと先には畑が広がっていたし、あとは山が続いていた。 私の住む住宅地だって、山や沼を潰して造られたくらいだから、しばらくは、何もない開拓地に移り住んだような気分だった。 そのうち、ドンドン山は削られ、樹齢何百年の桜は切られ、トマト畑は消えて、続々とマンションが建ち並び、ショッピングモールができ、人口も増えた。 土埃の舞い上がった、駅への道は、立派な並木道になり、今ではバスも通っている。 急速に新興の街へと発展するにつれ、私達は年を取り、娘達は大人になって、家を離れた。 同居人や娘達はここが気に入っているけど、私は年を取るにつれ、都内が恋しくなってくる。 とは言っても、娘達の子供時代の思い出が一杯詰まっているこの家を離れる勇気は、今のところない。 旧東海道ほどでは、もちろんないけど、人の歴史が染みついた、古びた家には、独特な「時間」が息づいているものですよね!
2004年09月04日
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昨日、夜遅くに日記を書き始めたら、寝たのが3時だった。 お陰で寝不足だけど、ミーンナ自分が悪いんです。 しかも、引っかかることがあって、まだ書き足りない。 アホか? ですね。 「養老巍孟司の<逆さメガネ>」という、昨日読んだ本に、変わるのが人間である、というクダリがあり、変わらないのは、自己同一性の意識、すなわち昨日の自分も今日の自分も同じ、という情報の方だ、というのですね。 人間は生きて動き、昨日の私と今日の私は別人なのだ、と。 一歩歩けば、風景が変わって見えるのは、自分の方が変わっているからだ、と。 「変わらない私」という、意識が変わらないだけだ、と。 脳を意識で一杯にするな、無意識のためのスペースを残しておけ、と。 イヤー、逆転の発想というか、凄いですねえ。 生物の常として、人間は変化し、成長する、というのは私でも知っておりました。 成長というのは、一旦、今までの自分を崩して、又新しく創る作業で、不安や痛みを伴う、といったことは心理学の一般向けテキストにも書いてあり、人間は生きている限り、再生と死を繰り返す、と美しく表現した本もありました。 何かとても、ドラマチック。 なのに、この養老先生、朝起きるたび別人になる、とケロッとおっしゃる。 何かを学んで、目からウロコが落ちると、見方がガラッと変わり、もう前の自分ではない。 君子は豹変する。 今の自分こそが間違いのない自分だ、と。 ホスピスで上手に死ねる人は、その時その時を楽しんで、懸命に生きている人なのだ、と。 君子は豹変する・・・本来は、今まで気付かなかったことを知れば、人間は変わる、という意味らしいのですね。 現在では、気が変わる、もしくは裏切りの意味合いすらあり、決して誉め言葉ではない。 でも、私のように、気が変わり易い人間から見ると、これ、とっても有り難い。 ウチの同居人より、★★氏の方が、器も社会的地位もルックスも上、ということが、分った途端、がラッと豹変して、★★氏の追っかけに走る! あるいは、ウチの女房より、何ぼか可愛い★★チャンに心奪われ、古くて怖いだけの女房なんか見向きもしない! だって、君子は豹変するんだから。 昨日やる気だった案件は、今日は疲れて別人の私だから、やらない。 この間、迷惑かけた件? あれは、別人の私がやったことだから、今日の私には責任ないもんね。 でも、これは現代社会じゃ許されない。 傷つけた人への、損害賠償を請求されたり、自己責任を追求されたり、辛いですよね。 マキアベリの「君主論」に、人は、相手から、恐怖が与えられれば裏切らないが、愛情が与えられれば裏切る、という一説があって、ヒャ-!人間の本性ってそんものかいな、随分寂しい人間観だな、と思った覚えがある。 そこへ行くと、キリストは対極にいる。 人の裏切りを、自分の身体を滅ぼすことによって、許し、愛するのだから。 養老先生は、これも意識のなせるワザとおっしゃるだろうか? お釈迦様も、世に満ちる生老病死を、自らの身に引きうけて苦しんだ。 もっとも、こちらは、一神教という意識の産物ではない、とおっしゃっていたが。 では、他人にとって迷惑な、人間の本性の豹変を食い止めるのは、何か? 約束事? ルール? 養老先生のおっしゃるように、脳の共有化なのか? 身体こそが、もともとの揺るぎ無い個性であり、脳はもともと共有を目指している、と。 そうかもしれない。 ただ、この頃は、身体も意識の支配下に入り、意識の許せる身体でなくては、存在も認められず、今や美容整形医がニンマリ笑いながら、魔法の杖を振るっている。 ア、話がそれた。 結局、人間は変わるものであり、一定である、という考え自体が間違っている、と私も思うが、社会で生活する限り、身勝手な豹変は他人を苦しめる。 それを食い止めるのは、規則や自己同一性や恐怖という、自分の外側に由来するものではなく、自分の身体に存在する、ささやかながらも豊かな愛、ではなかろうか? 多分、それが養老先生がおっしゃる、脳の共有化なのだろう。 身体を疎外した、意識の共有化でもなく、それを、人に押し付けて、縛るわけでもない、と思う。 頑固に変わらないのが、何たって、一番つまんないもんね。 デ、明日も、私が同じ説を唱えると思います? 甘いわー。 だって君子は豹変するんだから!
2004年09月03日
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ここのところ、体調不良を理由に、ちょっと自分を甘やかし続けていたら、イタリア旅行まで、2週間を切っていることに、気が付いた! アラマッ。 デ、遂に今日は朝から出かけ、溜まっていた用事を幾つか済まし、空き時間に、久しぶりに本屋を覗き、イタリア語の会話本と、面白そうな文庫本を3冊仕入れた。 それを持って、懸案の美容院へ。 カット、パーマ、カラーのフルコースを一挙にこなし、ホッとした。 出来映え? あれだけのお金と時間をかけて、こんなもんですかね、ハイ。 「パーマとカラーは別々な日にした方が、髪が痛まないんですけどねえ。」と、どこの美容院でも呆れ顔で言われるが、家で昼寝している時間は取れても、不思議なことに、美容院へ行く時間はなかなか取れない。 3ヶ月に一度くらい、ようやっと重い腰を上げる。 貧乏人の貧乏性なのか、単なるモノグサのなのか、かなりオシャレだった若い頃から、美容院は高価で無駄な暇潰し、のような気がしていた。 されるがままに、ジッと座っている苦痛の割に、見返りが少ないんだもの。 それは、美容院のせいじゃない? かもね! いつもなら、この時とばかり、女性週刊誌を読み漁るのに、今日は、買ったばかりの「養老孟司の逆さメガネ」という文庫本を、美容師さんとの他愛ないお喋りの合間に、ざっと読んでしまった。 同じ著者の「バカの壁」は読んでないのだが、こちらは軽い随筆で、なかなか面白かった。 「情報は変わらないが、人間は変わる。」そうかあ! 「都市化は意識化である。」フムフム。 「個性は身体に宿り、脳は共有化を図る。」そう言えば・・ 「脳には、入力と出力の循環が大事」そりゃ、そうだ。 生命は自然だから、絶え間なく変化する。 しかし、一律の都市化によって、自然は失われ、無意識が意識化される。 ああすれば、こうなる、という意識ばかりが強調される反面、生老病死という、自然の変化の根源すら排除した現代人の常識は傾いてしまった。 又、外界の刺激は脳にインプットされるが、脳のアウトプットは、実は、個性そのものである「身体」、を通してのみ可能である。 にも拘わらず、自然の身体は捨て去られ、結果、脳の入力と出力の循環がうまく行かなくなってしまっている。 アア、何となく、分るなあ。 子供という、自然そのものの生命を育ててみると、よく分る。 混沌として、変化に満ちたエネルギーそのものの子供は、人間というより動物に近く、もちろん、心と身体は一体だ。 そこで、大人は、子供を一定の秩序ある社会に適応させるために、躍起になって、教育などを施すのだが、変化する固有の身体を忘れ去り、固定した意識や情報だけを蓄積する「データベース」を作ってしまったのか。 データベースは容量を増やすだけで、変化しないし、育たない。 人間がシステムとして、機能していない。 確かに! 以前、ガーデニングに夢中になり、幾多の植物を育てた時にも、自然というものの不思議さ、というか、生命に組み込まれた、自律的な成長と衰退のサイクルに、常に驚かされたものだ。 日光や水や土という条件さえ整えてやれば、自分で芽を出し、好きなように繁茂し、子孫を作り、そして枯れて行くのだ。 何という潔さ! もちろん、手をかければ、より美しい花をより多くつけ、こちらの努力に応えてくれる。 花同士の組み合わせを考え、手を入れて、更に美しく見せるのが、ガーデニングだが、その前提となる、生命の不思議さに、いつも感動したものだ。 結局、自然は決してコントロールなんかできず、こちらは、その自然の成り行きに、手を貸して、オコボレに預かるだけなのだ。 生命は育ち、常に変化する。 これは実感できる。 でも、画一的に、都市化された現代社会では、人間が、もはや変化する生命や自然としての身体を捨て去り、固定した意識や情報そのものの「ロボット」になってしまっているのかもしれない。 頭と身体が分離しているどころではない。 身体そのものが、否定され、頭や心とトータルに機能していない。 もう一つ、面白い指摘があった。 自然のままに放っておけば、男はおとなしく、神経質で、女は元気で活発なのだそう。 その根拠は書いてなかったけど、だから、男は強く、女は優しくなるように育てて、ものの役に立つようにするのが教育だ、と。 なあるほど! 男を甘やかせば、ますます弱くなり、女を甘やかせば、いよいよ手がつけられなくなるってわけね。 結局、両者とも我侭になって、協力するどころか、ものの役に立たなくなる、と。 ン? どこかで見たような、聞いたような、よくある話だ。 とにもかくにも、男は女のように、直接生命を産み、育てるわけじゃないから、闘争して、獲物を取るしかなかったのか! しかも、根を生やし、自分で伸長し、変化する生命とは縁遠く、宙ぶらりんのまま、社会の意識に吸収され易く、固定観念に固まり易いのかもしれない・・・と、一人で勝手に納得、目からウロコ! だからと言って、ひと昔前のように、本来、生命そのものである女を、男の固定観念で従順にコントロールしようとするのは、無理というもの。 女は萎えるか、反発するか、のどちらかだもの。 そうではなくて、生命の源である母を離れた後、男が強く生きるためには、やはり生命のよりどころである女が、時には鍛え(やってきたような気がする!)、基本的には、優しく支えてあげればいい(この件については、特に名を秘すが、ノーコメント)、ということなのかも。 イヤイヤ、嫌々美容院へ行ったおかげで、いいお土産ができました!
2004年09月02日
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大型台風の置き土産、ただならぬ湿気もきれいに消え、今日は暑い夏の空が戻った。 被災地の方々に、心からお見舞を申し上げます。 何の被害にも遭ってないのに、年々低気圧にも酷暑にも弱くなり、体調不良気味。 今年は海にも山にもクラブ(!)にも行かず、引きこもり気味だったけど、全然後悔していない。 今日は同居人のお誕生日。 2週間遅れで、同い年。 大歓迎よ! 一人で年を取るのは、イヤだもの。 先日、その同居人がいいことを言った。 このところ、体調不良で、家事をサボり続けているので、いよいよ部屋がちょっとばかり、スゴイことになってきた。 それでも、なかなか腰が上がらない。 「アー、イヤだなあ。 又、人のために働かなきゃ。」 「その発想はオカシイよ。」 ン? ン? 作家の林真理子さんが、主婦には二通りあって、料理の得意な人と掃除の得意な人、両方得意な人は極めてマレだ、と書いていて、それを読んだ時は、鬼の首を取ったように小躍りしたもんだ。 食いしん坊の常として、私も料理は嫌いじゃないけど、整理、片付け、掃除はねえ。 埃じゃ死なない、とタンカを切ってはみるものの、実は私だって、きれいな方が好き。 ただ、それを自分でやるとなると、モノの山を目の前にして、ボーゼンとしてしまう。 片付けの下手な人は、部屋をこういう風にしたい、というイメージが希薄らしい。 確かに! 料理なら、ああしよう、こうしたい、というアイディアがドンドン湧いてくるのに。 さて、どうしよう? 魔法の杖はないし、プロに頼む口実も見つからないし、そのための、家計の残金も見つからないし。 今まで、掃除や整頓は、家族のために、イヤイヤ定期的に、オザナリにやってきた。 だって、私以外に主婦はいないし。 でも、それがオカシイ、と言うのだ。 「だって、自分の家だろう? 自分の生活だろう? 自分が何とかするっきゃ、ないじゃないか!」 そりゃそうだけど、喧嘩になれば、オレの家だからなあ、と喚いたのは誰? マ、言うまい、言うまい。 バカ二人、ようやく、疎外し合った愚かさに気付いたんだから。 自分の家? 自分の生活? その通りなのだ。 ただ、長年の主婦の習性で、家族優先、自分のことは後回し、どころか自分のことを諦めることが多かったのだ。 自分の予定は、家族の都合で立てられず、やっと立ててもキャンセル多々、自分のモノより、家族のモノ、自分の好みより、家族の好み、忙しい家族を心配し、その間を繋ぐ、扇の要。 自分の生活なんて、なかった。 アー、私って可哀相! デ、同居人に、しみじみした口調で、打ち明けてみた。 「何言ってんだよ! この居間を見てみろよ! 全部君のモノじゃないか! 料理の本はともかく、ガーデニングの本、旅行関係の本、これからやるかもしれない仕事関係の書類、これから行くかもしれない各種スクールの案内、アレヤコレヤの切りぬき類。 興味多彩なのはいいけど、何とかしてくれよ! しかも、二階に行くのが面倒なもんで、ちょっとした着替えまで置いてあるもんなあ。 それに、食器だって調度だって、全部君の好みじゃないか! 第一、もう家族の誰も、君がやりたいことを我慢してまで、何かしてもらおう、なんて思ってないんだよ。 それなのに、勝手に我慢して、腹立てられたら、迷惑だよ。 家族のコミュニケーションだって、それぞれが取るようになったじゃないか!」 もう、家族の期待に縛られていない! 昔から、人の期待に縛られるのに慣れ過ぎて、もう誰も私を縛っていないのに、それに気付かず、自分で自分を、心の奥底で勝手に縛っていたのだ。 こんなに無理して、我慢して、人の犠牲になっている私って、何て可哀相!、何て素晴らしい!という、私が一番嫌いな、悲劇の主人公ぶりっ子のパターンに、誰も頼んでないのに、自ら真ッさかさまに落ちて、はまり込んでいたのだ。 本来は自分のために、自分がやらなくては、いけないことだったのに、家族がいるから仕方なく、家族のためにやらなくては、と恨みがましく思い込んでいたのだ。 単に嫌いなだけだった! 家庭の縁の下にもぐって、数十年、一人で頑張ったつもりだけど、それなりにオリも溜まり、疲れも溜まった。 そして、今や見当違いとなってしまった、思い込みや束縛から、自分をほどくために、フワフワ、デレデレの数か月を要したのだ。 気付けたのは、日記のお陰もあるだろう。 書くことは、セラピーになる、と週間文春で、阿川佐和子さんも言っていたっけ。 時期に応じて、結構好きなことをしてきたのも、再確認できて、これも有り難いことだ。 同居人はいいことを言った。 しかも、ちゃんと日本語を喋った! イーヤ、昔から、ホントのことをはっきり言う、イヤな奴だったのだ、お互いに。 ただ、言い方が少しマイルドになり、聞く方も耳が少し大きくなって、よく聞こえるようになったのだ、お互いに。 「でも、具合悪いなら、無理しなくていいよ。 ゆっくりやればいいさ。」 ウン、力仕事は手伝ってよ。 もちろん、あなたの家でもあるんだし! 価値あるお誕生日、おめでとう!
2004年09月01日
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遠くに住む友人達に、残暑見舞のメールを送ったところ、そのうちの一人は、メールの返信だけでは、飽き足らなかったらしく、昨日の夜遅く、電話をかけて来た。 彼女も学生時代の友人で、付き合いはカレコレ何十年。 イヤー、年を取って、少しは大人になったとはいえ、基本的な性格は変わらないもんですね。 延々2時間、こちらのことは殆ど聞かず、自分のことを喋りまくった! マ、いつも大体、お酒が入っての、深夜の長電話なんだけど。 相変わらず、ストレス溜まってんなあ、と思いつつ、耳を傾けていた。 彼女も、一緒に放送劇を作り、ビートルズに熱狂した仲間で、よく学校帰りに、東芝EMIの本社まで、ビートルズの新譜をチェックしに行ったもんだ。 もちろん、ビートルズの東京公演にも、一緒に行き、座席から、立ちあがっては、二人とも警官に頭を押さえられたっけ。 その後、彼女は大学を中退して、当時全盛だったアングラ劇団にのめり込んだあげく、何時の間にか結婚して、妙高山の麓に移り住んだ。 浅草っ子の、アレヨアレヨの展開に、周囲はビックリさせられっぱなし。 そこで、かの地の、古い因習や人間関係に激しく落ち込み、想像を絶する冬場の雪を呪いつつ、しかし、負ける彼女ではなかった。 子育て時代は塾をやり、その後、マスコミ関係でちょっとした文化人になったと思ったら、何時の間にか葬儀会社でトップセールスになり、葬式プロデューサーを目指していた! そして今、彼女の夫が社長を務める会社の売店で、古くからいるパートのオバサン達とバトルの真っ最中であるらしい。 売店に長年にわたって巣食っていた、やる気のないオバサン達を一掃して、売上増加のために合理的なシステムに替えようとした結果、権益を侵されることに反発したオバサン達の結託したイジメに遭っているらしい。 胃潰瘍になった、と私に訴えていたけど、ウーン、よくやるよなあ。 葬儀会社の時も会社の古いやり方に散々噛み付いて、結局、一人では歯が立たず、胃潰瘍になったんじゃなかったっけ? そう言えば、子供の学校の先生達にも、オカシナ規則を巡って、噛み付いていたよなあ。 理不尽なことに異義を申し立てるのは、私も決して反対しないし、実際に必要な時には、声を上げて来た。 だから、余計に思うんだけど、根回しをするとか、何とか、もうちょっと、マシなやり方ってないのかなあ。 ヤレヤレ。 あの、懲りないバイタリティはどこから来るんだろうか? 彼女も私と同じパイオニア型遺伝子を持っているに違いないが、あの攻撃的な変革への情熱は、とても私の及ぶところではない。 しかも、彼女は面倒見もよく、子供達や孫達(!)の面倒をなにくれとなく引き受けている、ゴッド・マザーでもあるのだ。 私が家族を連れて、夏休みやスキー・トリップに何回か泊りに行った時も、大歓迎してくれた。 もっとも、歓迎ぶりは、なかなかユニークで、こちらも、そう油断はしていられないのだけど。 ウチの娘達が笑って言うには、 「★★オバチャン、私達のことは呼び捨てなのに、自分の娘には、チャン付けだよね。」 そう言えば、そうだ。 数年前、私一人でフラッと訪れた時には、光栄にも、葬儀屋セールスの運転手に任命され、おかげで、あっち方面の道に詳しくなった。 しかも、最後に、有り難い忠告まで頂いた。 「あんたの運転は恐くて! ウチの息子はすごく運転上手だから、安心して、乗ってられるけど。 あんたも、もうちょっと、運転技術磨いたら?」って、そりゃそうだろうけど、その前に、自分が運転免許取ったら、どんなもんかい? これ、この通り、彼女はどこに行っても、誰に対しても、大物ぶりを発揮するので、彼女の夫に、 「いやあ、男だったら、すごいよね。」と、その才能と豪胆ぶりに、賛辞と苦笑を交えて、イミシンに舌を巻かせるのだが、確かに! ただ、本人は、自分が傷つき易くて、ナイーブな、乙女チックな女だと、いまだに思い込んでるから、オカシイ。 「12月にバリかグレート・バリア・リーフに泳ぎに行かない?」と、酔った勢いで誘うので、こちらもいつものノリで答える。 「結構ですなあ!」 どちらも、彼女のお気に入りの場所だ。 そう言えば、しばらく前まで、ダイビングに凝っていた。 とにかく好奇心旺盛で、アレコレ見たさに、何のかんの、と口実を設けては、年に数回は海外へ脱出していたし、この頃はゴルフにも、はまっているらしい。 「ね、ゴルフやろうよ! こっちのコース、気持ちがいいんだったら!」 だろうなあ。 彼女と、グリーンで、クラブを振りまわしている光景を想像すると、ちょっと笑える。 本人達は、結構真剣なつもりでも、周りはお腹を抱えて、笑っているような気がする。 「イヤハヤ、あなたにゃ、とってもついていけないッスよ!」と、これはもちろん私の科白。 正直な感想だもの。 「どういう意味? あんたのこと、やっぱり『嵐を呼ぶ女』だよねって、亭主と二人で、話てるんだからね!」 エッ? エッ? 私のように、体力もなく、繊細で、優しい女が? 何かの誤解でしょ?!
2004年08月31日
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このところ、同居人とお互いのことについて、よく話す。 昨日は、幼稚園以来知っている、お互いの性格について、確認しあった。 というのも、二人の性格は正反対。 多分、だからこそ、魅力を感じて、結婚したはずなのに、お互い未熟だったせいで、相手の長所はいいけれど、必ずその裏にある短所はイヤ、という身勝手さ丸出しの若い頃、喧嘩が絶えないはずだった。 自分の弱点を棚に上げ、それを相手の長所に背負わせて、カバーさせよう、と思っている間は、決してうまくは行かない、ことに今更ながら、お得の納得! 自分の弱点を自覚し、少しは自力でカバーできるようになり、相手の長所に感謝できるようになって、初めてうまく補い合えるようになるものだ。 忍耐強く、自分と向き合い、許容量や能力を広げ、お互いに成熟しなければ、正反対の性格同士は難しい。 どれほど正反対か? 彼はどちらかと言うと、受身で安全志向、一定のモノや状況を好む保守的な人間だ。 私は反対に、能動的、冒険志向、新しいモノや変化を好むタイプだ。 彼はおっとり、穏やかだが、私はテンポが速く、激しい。 彼は浅く、広く、受け入れるタイプだが、私は狭く、深く、突っ込むタイプ。 彼は嫌な状況にたいしても、我慢強く、最後は臭いモノに蓋をしようとするが、私は我慢なんかせず、問題を見極め、解決しよう、とする。 彼は様子を見て待つけれど、私は待つのも苦手で、先に進みたい。 多分、私の方が攻撃的で、玉砕型かもしれない。 ナンマイダ、ナンマイダ! ところが、結婚した途端、世の中の古い固定観念に、彼は染まってしまった。 夫が主で、妻が従、ったって、私達は無理でしょうが! 受身な彼が主で、果敢で能動的な私が従? 無理だったら! 男と女の性格と役割が逆でしょうが! そこで、家庭には常に混乱が生じだのだが、男と女の性格も役割も色々あって、いいよね、と素直に受け入れられるようになったのは、やっぱり自分が少し大きくなり、相手を受け入れられるようになったからだ、と思う。 だいぶ前、新聞で、基本的な性格は遺伝子で規定される、というコラムを読んだ。 膝を叩いて、納得の私! アメリカには、私のような、落ち着きのないパイオニア遺伝子が多いそうで、道理で、「ジッと我慢」が美徳の日本より、私にはずっと居心地がいいはずだ。 私の遺伝子は父譲りだ。 自分で小さな会社を興した父は、全くのパイオニア人間で、しかも支配的だった。 母は全くの受身人間で、それぞれ二人とも、自分の生き方が絶対、という未熟なところだけが共通していて、長女の私はたまったもんではなかったですよ。 父は、何の因果か、父のパイオニア遺伝子を受け継いだ私に従順を求めつつ、家族のリーダーであるように要請したし、母は、私の能動性にすっかり頼りつつ、おとなしい従順さを、やっぱり求めた。 私の能動性を母は理解できなかった。 結局、二人とも、自分の期待を満たすように、私に強く要求したものだ。 デ、期待を満たせば、満たすほど、又新たな期待を呼び寄び込んでしまう結果になった。 やってらんないよ、全く! 正反対の性格を、同時に同一人物に求めれば、どういうことになるか? 両親とも昔人間なので、私のようなお転婆娘では苦労するに違いない、という親心もあったのだろうが、私に正反対の勝手な期待をしつつ、私という人間を否定したようなものだった。 親の期待でもあり、自分の望みでもあった自分の実績も、結婚という形で否定され、我慢と従順がウリ、人の期待を満たすだけの、母と同じ存在に置かれてしまった。 母だって、それがイヤだったはずなのに。 おかげで、若い頃、反抗しつつも、私は自分に確信が持てず、随分葛藤に苦しんだこともあったもの。 正反対の性格は、偏ったままだと、夫婦でも難しい。 まして、それが親子となると、親の方が成熟し、許容量を広げてないと、子供は否定されてしまい、トンダ迷惑だ。 ところが、子供を持つのは、まだ親が未熟な若いうちなのだ。 何というジレンマ! 年齢の割に、精神年齢が若過ぎた私、アー、娘達に足を向けて寝られない。 基本的な、生まれ持った性格は、誰でもだいたい偏っているものだ。 その偏りを心配するあまり、それを直そうなんて、大それたことを親はしてはいけないのだ! 神ではないんだから、直すどころか、潰すのがオチである。 先ず。生まれ持った性格を受け入れること。 その上で、欠けている点を、少しでも補うようにできれば、バンバンザイだ。 子供は一生かけて、自分本来の性格の上に、弱点を克服しながら、自分で自分の人格を作り上げて行くのだから。 せめて、邪魔しないことである。 アーメン。 ただ、正反対の性格同士がうまく行く時、人生の幅が二倍になり、面白く、豊かになることも事実だ。 私の実家も随分と楽しい思い出が一杯あり、父の亡くなる頃には、何時の間にか、二人は麗しい、とても仲の良い老夫婦だった。 エー、何だったんだ、私の娘時代は! 幕の内弁当の方が、しゃけ弁当より、バラエティに富んでるけど、食すには、その分顎を鍛えなきゃアカンのね!
2004年08月30日
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台風の影響か、何だか、すっかり涼しい雨の日が続き、週末は日記をおサボリしてしまった。 昨日の土曜日は、山行きを取り止めた同居人と、オリンピックを見ながら、家でスヤスヤ、及びゴロゴロの寛ぎ日。 この頃、二人暮しも板につき、昔の同級生気分に戻ったみたい。 この間までの、お互いの、ことある毎の、寂しくも滑稽な、子供っぽい突っ張りはどこへやら、他愛ないお喋りと、冗談と、どこかにくすぶっていたらしい愛情で、結構楽しくやっているのだから、アラ不思議! 責任や役割から、ヒョイと離れて、お互いが素直な自分に戻れたのかも、 子供達が巣立った後、一生懸命、仕事と家庭という、役割分担に準じた果てに、肝心な、心の通じるコミュニケーションを失った年老いた夫婦、という、よくある人生アキラメパターンに陥るところだった。 娘だの妻だの母だの、人の要求を満たすことばかりが期待される役割の最後に、ひっそりした老夫婦の役回りが用意され、これからは、それを演じるるしかないなんて、あんまりだもの。 もっと自由に楽しく、自分らしく過ごす時期があったっていい。 今までは、どれだけ、自分が暇な時間を楽しもうが、それでも、家族の要求に一は人で対応し、家族をまとめながら、引っ張って行かなければならないように、ずっと思って来たけれど、おかげで随分精神的に楽になった。 だってもう、私は私でいいんだし、このままで家族と繋がれるのだから! 今日は久しぶりに、同居人とちょっと遠くのスーパーへ出かけ、しこたま食材を買い込んで来た。 雨のせいか、駐車場へ入るのが、一苦労! 遠出もできないし、雨を避けて、近場で、と同じことを考える人が多いのだろう。 この頃、二人ともすっかり食が細くなり、暑かったせいもあって、しばらく食欲もなかった。 でも、少しは栄養つけなきゃ、ということで、旬の秋刀魚(今年は豊漁で安い。)や沖縄物産展のテビチ、ラフティなどをゲット。 ウチの連中は皆、目先の変わったもの、珍しいもの類に目がなく、食べ物に関しては、全く好き嫌いがない、というのが、唯一の自慢といえば、自慢。 まあ、家族全員どこへ行っても生きていける、と思いたい。 アー、娘達にも、今回の戦利品を、食べさせてあげたいな。 特に、次女は、大学のサークルで、行ってから、沖縄大好きだもの。 長女は、初めての味にいつも興味深々。 目を輝かせて、どんな感想を言うだろうか? 同居人が、秋刀魚を焼くから、ということで、秋刀魚を半分に切り、グリルに火を点けるところまでやってから、お願いした。 丁寧に焼いて、きれいな焦げ色のついた秋刀魚は、とても脂がのっていて、美味しかった。 一緒にテーブルに乗せた、お刺身よりも何よりも。 実はすぐそこまで、やって来ている秋の味と、実はずっとそこにあったのに、気付かなかったた幸せ(?)の味がした。 この週末、長い結婚期間の間、見ているようで、見えなかった相手のこと、分かっているようで、分っていなかった自分のことを、次ぎから、次ぎへと、垣根なく話した。 それぞれ火星と金星に出張していたのが、ようやく地球で一緒になれた、というホッとした感じ。 そして、愛して止まない娘達については、もちろん多くの時間を割いて語り合った。 親として、できなかったこと、やり過ぎたこと、今までの夫婦や家庭の問題点、これからの家族の展望、と話は尽きない。 静かないい週末だった。
2004年08月29日
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このところ毎日、自分に向けて、長過ぎる日記を書き、ちょっと疲れた。 バカみたい、と思いつつも、又懲りずにパソコンに向かう。 そろそろ、溜まったEメールの返事も出さなきゃ、なんて、ボンヤリ考えながら。 マ、いいか、そっちは夜に回そう。 私は人と話すのが好きだ。 人見知りもしないし、どんな場所でも、割と気軽に人に話しかける。 友達も多い。 だから、社交的に見られるのだが、実は一人で考えたり、一人で行動する方が好きだ。 出先で、ねえ、これからどうするう?、と、グループで固まっている女性達の一員には、どうやってもなれそうにないし、いつでもどこでも何でもご一緒でなければ、身動き取れない女性とは、決してご一緒したくない。 「一人でどこへでも行っちゃうのね。」と、近所の人に呆れられるけど、いつも一人、というわけではない。 楽しい時を過ごすため、目的によって、相手を選ぶ。 お膳立てしてもらって、乗っかるだけの人間は、長年の経験から、止むを得ない場合に限り、極力避けることにしている。 人にやってもらっておいて、感謝どころか、結局、後で文句を言うだけなんだもの。 自分からやろうとしない人間が、私は基本的に好きじゃない。 人に乗っかって、いい思いをしよう、という魂胆が、先ず理解できない。 アレコレ試行錯誤しながら、自分で好きなようにやった方が面白くないかい? だってえ、やったことない、わからない、できなあい、って、もう甘えて、可愛い年でもないでしょうが! だったら、逆にやってみりゃ、いいじゃないの、と私なんか思いますね。 第一、甘える相手が違うでしょうが。 私ャ、あなたの魅力にクラクラする、あなたの夫とちゃいまっせ。 その点、異性はともかく、同性は同性の甘えに対して、厳しいかも。 親しくなると、一方的に寄りかかる人って、とても多い。 私も友人も一人で突っ張り切って、やってしまう方で、それもそれで、可愛くないし、問題かも、と近頃思うけど、でも、こういう人相手だと、こちらは頼れない。 こういう人達はどうやら未知のものが、すごく苦手らしいのだ。 (私は大好きなんだけど。) だから、結果の分っていることにしか、手を出さない。 あの人はいい人だと、誰かが、確かめた上でないと、近づかない。 まあ、どんな人だか分らずに、最初に話かけ、親しくなって、痛い目に合う私より、よっぽどお利口さん、なんだろうけど。 慎重というのとも、ちょっと違う。 物事にしても、そう。 自分からは始めない。 「こうだっタラ、やる。」 「こうなレバ、やる。」 条件がそろっても、そろわなくても、決して、動かない。 もちろん、私も動きたくない時の言い訳に、タラレバを使うけど、彼女達はいつだって、状況から一歩踏み出すことがない。 それで、満足なら、いっこうに構わないけど、大方は不満の塊で、ジ-ッと我慢しながら、自分の望み通りに、そこから連れ出してくれるペガサスを待ってたりする。 オー恐ッ! 誰でも、今進行中のことの結果が出るまで、焦燥感に駆られ、不安になるものだけど、こういう人達は特に先が見えない状況に弱い。 私もせっかちで、すぐに結果が欲しい方だから、人のことは言えないけど、普通の人間の生活では、先行きどうなるか分らないのが普通じゃないかしら? 自分だって、ゴッタ煮みたいな矛盾したところを一杯抱えた存在で、そう思うようにならないのに、複雑な現実や他人から、思い通りの結果がそう簡単に得られるわけがない。 そこで、色々な手を使って、自分の望むように、周りをコントロールしようとするが、最初はともかく、いつまでも通用するわけがない。 ない、のに、彼女達は自分の望んだ結果だけを得よう、とする。見たいものだけを見、聞きたいものだけを聞く。 「こうじゃなきゃ、イヤ!」と、妥協のための選択肢を持たない。 まあ、適応範囲というか、許容範囲というか、狭過ぎるのは、何より本人にとって、不幸だし、周りもそれに巻き込まれると、確実に消耗する。 人間、棺おけに片足入れるまで、何が起こるか、どうなるか分らないものだ。 誰も病気なんかする予定はないけど、なってしまえば、いつ治るか、の保証はない。 子供も同じ。 親の描いた理想像のようになる保証なんかどこにも、ない。 ゴッタ煮みたいで、しかも、どう変化して行くか分らないのが、現実だ。 その変化を受け入れつつ、今どうしたらよいか、を考えて、行動するっきゃない。 どうなるか分らないことに、ジッと耐えつつ自分で行動する、というのが、人間本来の生き方のような気がする。 人事を尽くして、天命を待つ、って言うものね。 現状維持や安全を守るだけの生き方、現実の変化を認めず、自らも変化しない生き方は、とても窮屈で、何だか逆に危険に思える。
2004年08月27日
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このところ、日課になってしまった日記。 長女に勧められて、じゃ、やってみっか、と軽いノリで始めて、もう一ヶ月以上になる。 三日坊主の私が、奇跡的に続いている上、凝り性の一面が出て来て、面白さに、はまってしまった。 長女にものすごーく感謝! おかげで、生活がとても彩り豊かになったヨン。 昨日の日記なんか、何度書き直しただろうか? 午前中に書いて、何回か手を入れ、午後の用事を済ませた後、夕飯の支度をしながら、シツコク手直し。 一箇所に手を入れると、今度はこっち、次ぎにはあっち、と、まあ際限ないこと。 別に、直木賞を狙っているわけではなく、ハリー・ポッターの作者のように、世界のベスト・セラー作家になりたいわけでもない。 完全に純粋な、ささやかな自己満足。 でも、何とか、伝えたいんですね、自分の思いを。 自分の心にある情景を、できるだけ適確に表現したい、という思いが、とても強い。 書き始めると、今まで、頭の片隅で、埃をかぶって、埋もれていた記憶が、次々に掘り起こされ、その情景が生き生きと思い出され、その時の感情が溢れるように、蘇ってくるんだもの。 一度体験したことが、もう一度追体験できる! ひと粒で2度美味しい、何とかキャラメル! 胃袋が4つある、牛の反芻には、かなわないけどね。 でも、何てお得なんでしょ! 自分では、はっきりと意識しなかったけど、娘達二人が家を出たことで、子育てが遂に終了。 次ぎのステップに向かうために、自分の気持ちや現状を整理する必要があったのかもしれない。 今まで、好むと好まざるとに拘わらず、どうにかこうにかやって来た、何十年来の自分の生活を振り返り、心の奥底で、置き去りにされて来た感情や願いに目を向け、あるいは、自分のこれまでの人生が育ててきた色々な考えや思いを、一度言葉にして、眺めてみることで、自分の人生を色々な角度から、きちんと、捕え直したかったのかもしれない。 そして、その上で進路を決め、それから、もう一度、改めて船出したかったのかもしれない。 言ってみれば、再出発のための、過去の清算と現状認識。 デ、悪女の過去の男遍歴の精算手記のように華麗なモンではない、のはようく分った。 とても残念だ。 それでも、自分の人生、そう悪くないかもしれない、と密かに思い始めている。 若い時の希望に燃えた私は、どこへ行ってしまったの?、こんな私に誰がした?、何時の間にか、くすんでしまった私の人生、一体何だったの?、なんて、演歌の場末のヒロインみたいに、人のせいにして、ウジウジとひがみきっているのは、自分でも耐えられないけれど、ナンダ、ナンダ、そう悪くもないじゃないの! 自分でも、思い出せば、思い出すほど、若い頃から色々なことをやって来たし、思えば、周りの人間にもとても恵まれてきた。 苦労と言ったって、どの世代の、どの世界の、どんな人にも、生きる苦労は附いて廻る。 生きで行くのが大変なのは、いつの時代も、どこでも、誰にとっても、フツーに当たり前のこっちゃ! イヤー、改めてこれも了解。 しかも、苦難といおうか、頼みもしないのに勝手にやって来る大波、小波を、お手製凸凹サーフボードで、コントロール不可能スレスレのへっぴり腰ながら、何とか乗り切ってみたら、それに見合うモンが、知らないうちにちゃんと付いて来ていた! こんな有り難いことがあるだろうか? よくある話だけど、青い鳥は、側にいた! 自分が手にしているモノが今やはっきりと見える。 何より大事な二人の娘達、そして近頃、無事復帰を果たした同居人! 彼も彼なりの怒涛の人生を送り、ようやく振り返る余裕が出て来た様子。 それは、やっぱり怒涛を乗りきったからこその自信であり、時期なのだろう。 ここまで来て始めて、何だ、そうだったの、お互いよくやって来たよね、と半ば呆れ、共感をもって繋がれる、という人生の逆説。 まあ、そう簡単にあきらめちゃいけませんよね、何でも。 過去はちゃんと未来を用意してくれているのだから! デ、今度は同居人と二人、娘達の船出を見送る番だ。 安全航海でありますように、と心から祈りつつ、見守り続けて行くことになる。 沈みそうになったら、助けに行くよ。 燃料切れなら、いつでも港に帰っておいで! そして、よき理解者になってくれた妹達、これからも仲良く、楽しくやって行けそうじゃない! どこか、ぶっ飛んでいる、因果な遺伝子からは、お互い逃げられないから、それをうまく使おうよ。 それに、私を生み出し、形作ってくれた、両親や祖父母や幾多の肉親達。 もう、そのサークルの中に留まれない私だけど、やはり懐かしく、感謝している。 一番基本のところで、もちろん繋がっているんだから。 最後に、一緒に歩み続けてくれた、同世代の幾多の貴重な友人達。 おかげで、私のチッポケな人生も、力強く、豊かなモンになりました! 彼女達の真摯な生き方が、灯台の光となったからこそ、暗闇の中、大波小波に飲み込まれて、撃沈せずに済んだのかもしれない。 これほどの宝を持っていて、他に何が要るというのか? 財産? ドラマチックな人生? 自家用機? ウン、できるもんなら、みーんな欲しいけどさ! 改めて、自分の船出の進路を考えよう。 港だけで、終るつもりには、やっぱりなれない。 でも、どっちににしろ、そう悪くはなさそうだ。 若い時と同じ、未来は希望で一杯! 日記のおかげで、ますます自信を持って、生来の楽天家に戻ったみたいだ。 楽天さんにも感謝!
2004年08月26日
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昨日の夕方、若い頃の友人と久しぶりに、電話で長話しをした。 私達は、中学、高校一貫の私立の女子校で過ごし、一緒に放送劇を作った仲間でもある。 彼女はその後、美大へ進み、結局はプロの彫金家になった。 唐松に囲まれた、小諸の山小屋風の家に住み、夫と犬達との生活で、相変わらず、一家の稼ぎ手として、仕事を続けている。 私は時折、別荘代わりに訪れ、時には一家で、泊りに行った。 大勢の友人が集まって、夕暮れの庭での、盛大なバーベキュー・パーティーや、彼女の友人宅での、新米炊き立てパーティー、近くのアーティストの家での展示会など、私達も参加して、大いに楽しませてもらったものだ。 本当に久しぶりの声! いつもと変わらない親しさで、堰を切ったように、話が弾む。 ただ、 若い頃、トンガッテいた声のトーンが、ずっと穏やかで、落ち着いたものに変わっている。 相変わらず、仕事が大変なこと、それでも多分死ぬまで、続けるだろう、ということ、お互いの近況、お互いの家族や肉親の近況、友人達やその子供達の近況、と話はとどまるところを知らず、2時間近くに及んだ。 電話代どうすべ? でも、それ以上の価値があるもんね。 結局、若い頃の友人は貴重だよね、お互い裏も表も知り尽くしているし、これから年を取るにつれて、ますます大事になるよね、ということで一致。 4月に、第二の故郷である、アメリカに行き、高校時代の友人の家を訪れ、家族とも17年ぶりに再会したが、その時、彼女も同じことを言っていた。 子供達が巣立って行ったら、これから、ますますお互いが大切になるわね、若い時を一緒に過ごした友人はとっても貴重だもの、と。 そう、一番気がおけないし、一番理解し合える、懐かしい青春時代の友人たちを、私はやっぱり一番信頼している。 何十年という月日をともにして、友人というより、もう,姉妹のような,肉親に近い存在なのかもしれない。 ところで、彼女と私は全く違う道を選んだ。 彼女は専門職の自由業で、一家の稼ぎ手であり、子供はいない。 対する私は、サラリーマンの夫を持つ、専業主婦であり、二人の子持ち。 彼女は山奥に住み、私は郊外の新興住宅地に住んだ。 二人に限ったことではないが、私達団塊世代の女達の人生は、古い固定観念との確執や自分の状況の色々な壁にぶつかって、先が見えず、悩むことが多かった。 だから、二人とも全く違う世界の住人なのに、お互いによき相談相手だった。 全く違う視点から、時には批判的に見てくれる友人は得難いものね。 お互いの苦労は全く違うものではあったけれど、それぞれに何とか切りぬけよう、とする姿勢に共感や敬意を持ち続けて来たのだ。 その人の苦労に対する解決方法は、その人のやり方しかないし、外野はそれを見守るしかない。 ただ、彼女も投げずに、頑張っている、と思うと、こちらも力が湧いて来た。 時には、自分の状況と比較して、相手を羨ましく思うこともあった。 ただ、そこで、自分は可哀相なのに、あなたはいいわよ!、という安易な嫉妬や八つ当り的怒りには、お互い駆られなかった。 あるいは、あの人に比べりゃ、私はまだマシだわ、という、自分の状況を正当化して、ホッとするという、よくある手、密かに自分を慰める手段としても、お互いを使わなかった。 お互い自分が選んだ人生、時には無力感に陥りながらも、あきらめないシツコサに、エールを送り合って来た。 デ、話は核心に入り、彼女も私も、自分が頑張ってやり抜いて来たことで、ようやくこの年になって、自分で自分をを認められるようになったよね、という話になった。 それまでは、自信がなく、力もないのに、突っ張り返り、すごく精神的に苦しかったけど、そのお陰で、ようやく本物の力がついたよね、って。 それなりに、成果も出たし、人が認めてくれなくても、ちっとも構わない。 周りに迷惑もかけてしまって、本当に申し訳なかったけど、無力なりに、取り敢えず全力でやりぬいてきた、という、静かな揺るぎ無い自信を、自分の中に感じるよね、と。 頭と心が分裂していた、ハチャメチャの若い時代とはもう違う。壮年期に突っ張っりながら、幾多の苦労をくぐり抜けることで、鍛えられ、許容量が広がり、幾らか強く、大きくなれたような気がするよね、と。 年とともに、成長する、という、いい年の取り方ができたよね、とマア最後は自画自賛で締めくくりながら、お互いの健闘を喜び合った。 だって、誰も誉めてくれないもんね。 そう、その自信が、久しぶりに聞いた、張りのある、穏やかな声に漲っていた。 ウン、そうさ、年を取るのも、ゼーンゼン悪くないじゃないの。 これから、一層輝きを増した、あの個性豊かな昔からの友人達と、もう一度、楽しく面白い時を一緒に過ごせそうだもの!
2004年08月25日
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先日、お誕生日を迎え、人生の第3セクター、というか最終章?に入ったせいか、この頃、色々なことが、面白いように、見えるような気がする。 親元にいた娘時代、結婚して、大人としての責任を果たそうと四苦八苦した、妻及び母時代、そして、子育てを終え、一応の責任から解放された自由人の時代に入り、今までは、ボンヤリとした大きな塊のようにしか見えなかったことが、何だか万華鏡の小さい紙片が散らばるように、バラけて、くっきりと見えるような気がするのだ。 私がもはや渦中の人ではないからかもしれない。 ア、まだ、妻としての責任はあるんだけれどね。 その辺はもう自由裁量なもんで。 人間て複雑だし、社会はもっと複雑だ。 そこで生きぬくのは、誰にとっても、容易ではない。 学生時代、デビッド・リースマン(だった、と思う)という社会学者の「自由からの逃走」という本を読んで、エラク感銘を受けたことがある。 人間が生きるには、「仕事」と「愛」の二つの柱が必要である、ということ。 そして、人間が長い歴史の中で、闘い取って来た解放や自由が得られた現在の大衆社会で、皮肉なことに、人間は自由の重みやその副産物である孤独に耐えられず、逆に逃避行動を起こす、ということ。 その後、それを解決するためか、「The Art of Loving」や「悪について」という本も著している(だった、と思う)。 誰もが生きて行くのに、仕事と愛が必要だという指摘は、本当だ。 あまりに本当なので、当時生きる意味を探っていた、若くて無知な私はビックリしてしまった。 まだ、女性が仕事の戦力とは見なされない時代、結局、妻や母という指定席に滑りこんでしまったが、私はいつもどこかで自分の生き方に納得できなかった。 マ、自分のせいでもあるのですが。 その後、夫との関係も子育ても、親のやり方とは違う、自分のやり方を試行錯誤して、今度は随分と心理学のお世話になった。 もちろん学術書ではなく、一般向けに書かれた本だけど。 デ、この年になって思うのだけど、いくら仕事で成功しても、愛がない人生は虚しい、ということ。 しかも、愛って、極く単純な感情なのだ! 相手がいてくれて、嬉しい、楽しい、心が満たされる、力が湧いて来る、し・あ・わ・せ、というポジティブな感情。 両方がこういう気持ちでいる時、二人は対等だ。 愛は対等な者の間にしか存在しない、と言った教育学者がいたけど、その通り、だと思う。 そして、愛には限定がない。 相手が優れていようが、ダメだろうが、やっぱり相手を「可愛い」と思えることなのだ。 相手から蒙る利益も損害も、最終的には、愛の理由にも弊害にもならない。 そもそも愛には理屈がない! ただ、愛する相手に何でもかんでも許したり、認めたりするわけではない。 人としての常識を超えた行動まで許してしまうのは、肥大した自己愛の表われであり、溺愛は対象への愛とは違う、危険なものだ。 愛には理性も、ノーと言う勇気も必要だ。 仕事には目的も理屈もある。 自分の能力を全開させて、競争しながら、あるいは協力しながら、課題をやり抜き、報酬や評価をもらう。 自己実現の場でもある。 この場合、自分のみならず、職場の人にとっても、利益を生み出すことが期待されるが、失敗、迷惑はともかくとして、基本的に損害を生み出してはならないのだ。 ピラミッド型の仕事組織はそもそもの成り立ちからして、利益追及集団なのだから。 これに対し、愛は相互的な利益追求だけではなく、別の側面も持ち合わせる。 お互いを愉しみ、慈しみ、満たし合うことだけではなく、苦しみを癒し合い、損害を許し合うことでもあるのだ。 弱い、ネガティブな部分を受け入れ合うという側面だ。 自分がダメ人間だと、自覚している時、人間誰しも、いつまでもそのままでいたいわけではない。 ただ、それでも受け入れてくれる誰かがいる時、大丈夫だと信じてくれる誰かがいる時、それを克服しようとする力が湧いて来るものだ。 仕事と違い、目標を達成しても、しなくても、何があっても、愛は相手を捨てないのだ。 愛を、仕事と同じような自分の利益追求や自己実現の手段と、取り違えてしまうのは、危険だ。 自分本位に相手を利用すのは、愛とは反対の行為だ。 上昇志向が強く、相手の財産や地位に惹かれて結婚し、ゴージャスマダムになった美女達を何人か知っている。 男の経済力と女の美貌。 よくある商取引だ。 結局、彼女達は愛し、愛されることもなく、夫の死を願い、一人は念願かなって、華やかな未亡人になったが、虚しさを噛み締めている。 ただ、いまだに、結婚を生活手段、すなわち仕事と考える女性は多いのかもしれない。 昔はそうだったもの。 顔も知らずに、結婚して、それでも、力を合わせて暮すうちに、情愛が湧く、という例は幾つもあった。反面、経済力で上位に立ち、下位の妻に一方的に奉仕を要求したする不心得者の男達も、とても多かった。 ここに、愛はない。 今でも、経済力のある男をモノにすることが、女としての、価値の証明だ、という女性達もいる。 お互いに、愛があれば、それは素晴らしい。 でも、ないなら、考えるだに恐ろしい。 自ら決定した人身売買かも? 本人がいいのなら、もちろん、構わないけど、不幸な例は幾つも見て来た。 自分の期待を満たさない子供に対しても、酷い母親がいる。 会社のセコイ上司でもないのに、子供は、自分の要求を満たし、利益をもたらす存在でなければ、認めないし、愛さない。 自分の欲求を子供を通して実現するための、いわゆる条件付きの愛。 結果、子供は自分の存在に確たる自信が持てず、人の期待や要求を何もかも満たさなければ、愛される資格がない、と思いこむ。 同じように、自分の要求や期待を全て満たさなければ、相手には愛する価値がない、と思い込む。 どこにいるんだ、そんなスーパーマン? 実際には、自分の不安や寂しさを埋めるために、誰でもいいから、次々に必要とする。 何だかみんな違うよな、って気がする。 愛してるつもりでも、気がつかずに、相手を自分のために利用していること、って実はとても多いような気がする。 それって、とても辛くて、寂しいし、怖いことだ。 最終章に突入した私が、何時の間にか、家族に、「バカでも可愛いね。」と、言われるお年頃になったせいで、愛を改めて実感できるようになったから、なのかもしれないけど。 愛って、本来両方がハッピーなはずですよね、相手がいるだけで! 多少喧嘩しようが、離れていようが。 仕事のような損得勘定とは全く別っこの世界なんじゃないかしら?
2004年08月24日
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昨日の夕方、ガイドブックで見つけたトルコ料理の店に行こうと、家を出た。 出た途端に、雨がパラツキ始めた。 予報では曇りだったのに。 ちょいとオメカシして、おニューの靴だったし、様子を見よう、と家に引き返す。 お目当てのトルコ料理店には、駐車場がないし、道が分らないから、車はイヤだ、と言う同居人の意見を尊重して、頃合を見て出発。 ところが、すぐに又降り出して、結局ずっと雨に祟られっぱなしの夜だった。 先日、久しぶりに、気を入れて、選んだ新しい靴だったのに! 私にしては、高い買い物だったのに! お目当てのトルコ料理店は関内の横浜スタジアムの近く、のはずだが、ちっとも見つからない。 例によって、人に尋ねたがらない彼の先導で、寂れた裏通りをウロウロ。 いつもこうなんだよなあ。 メインストリートを闊歩した覚えはあまり、ない。 そして、ようやく辿り着いた店は閉まっていた! 日曜日は休みなんだって。 フヘッ。 脱力。 もう汗ビッショリだけど、気を入れ直して、遂に本格的に降り始めた雨の中、タクシーで赤レンガ倉庫へ。 雨の夜の赤レンガ倉庫はなかなか趣があった。 広場からは、ライトアップされたマリンタワーが見える。 倉庫の中は、若い人向けのオシャレなショップが並び、可愛い若いカップルや、楽しそうな若い人達で一杯。 ちょっと場違いかも、と思いつつ、私達は3階の中華キュイジーンへ。 ビールを飲み、小皿をつまみながら、同居人と私は色々なことを話した。 彼の仕事の近況、家族の最近の様子など。 そう言えば、娘達がいる家にいる間は、お互いに二人でちゃんと向き合って話すこともなかった。 相変わらず、彼は仕事に必死、私は子育てに必死で。 二人とも、根は真面目過ぎるくらい真面目で、自分の職務に忠実だった。 忠実過ぎたのかもしれない。 自分の職務にばかり! 結果、お互いのことが見えなくなっていたもんね。 子育てにおいて、父親不在、強過ぎる母親、の弊害が指摘されるけど、父親が会社のことで、精一杯だと、母親は一人で子供を抱え込んで、突っ張らなくては、やっていけない。 これは、私ばかりでなく、結果的に家庭に関わらなかった夫を持った、妻達の実感。 受験や入院、娘達の危急の時、私一人で仁王立ちにならなくてすんだら、と何度思ったことか! ただ、彼が会社で頑張ってくれたお陰で、なかなか美味しい料理をつまみながら、ここでこうやって、今になっての反省会?もできるのだけど。 そして、何とかここまで導いてくれた、運にも感謝! ただ、止むを得ずに、貫いてしまった私達の生き方には、足りなかったモノ、落して来たモノ、不必要なモノが一杯あったような気がする。 それは、これから埋めたり、削ったりして行けばいい。 娘達のことは、見守り、静観の構え、という点で、意見が一致。 親元で過ごしたと同じだけの年月を、既に彼と一緒に過ごしつつある。 結婚した当時は二人とも未熟そのもの、忍耐力なんか何処を探しても見当たらず、許容量はあくまで狭く、できることも随分と限られていた。 それでも、自分の無能さには気が付かず、結構自惚れていたっけ。 そして、当時の「型」にはまった、夫と妻、男と女のパターンに陥ってしまうこともあったし。 彼は家に帰って来ると、あまり話したがらないタイプ。 ただ、ホッとしたかったのだろう。 対する私は、話がしたいタイプ。 そうやって、繋がりを作りたかった。 だから、コミュニケーションもすれ違い、随分と誤解も生じた。 ようやく、そこから抜け、お互いに自分自身のまま、自然に素直にコミュニケーションができるようになるまで、何と長い道のりだったのだろうか! それぞれに、不可知の経験を一生懸命くぐり抜けて来た結果、年とともに、幾らか成長し、少しはまともになったのだろうか? 愚かな人間でも、年を重ねると、多少なりとも余裕ができるくらいの力をつけ、少しは賢くなれるのだ。 人生、そう捨てたモンでもないですね。 そう簡単に投げちゃアキマヘン。 家に帰って来て、テレビを見ている同居人に私は言った。 「お互い、わがままだったよね。」 「ウン。」と、彼は答えた。それで、充分だ。 今までの、疑問、わだかまりが、スウ-ッと氷解して行くのが感じたられたもの。 溶けて、流れたアイスクリームみたいにサ。
2004年08月23日
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昨日テレビで、夏休みはあと数日でオシマイ、宿題の仕上げがどうたら、とか言っていた。 世間では、学校は夏休みだったんですよね。 そう言えば、今年は娘達が二人ともいない、初めての夏休みだった。 二人とも家を離れての、一人暮らし。 長女は社会人だから、滅多に家に帰って来ないのには、もう慣れっこだが、大学生の次女も休みに入ってから、まだ一度も家に帰って来ていない。 バイトと夏休み中の専門学校のせいで、忙しくて暇がないらしい。 先日の私のお誕生日には、二人ともメールを送ってくれたけど。 「忙しくて、寝不足が続いたから、この間は熱を出して、18時間も寝ちゃった。」と、昨日次女から、久しぶりに電話がかかって来た。 それでも、張り切って毎日を過ごしているらしいから、まあ、よし、としよう。 若い人は無茶苦茶やるので、心配な時もあるが、もう言っても、聞く年ではないし、こっちもSOSが来ない限り、心配しないようにしている。 健康と安全だけは、気になるが。 長女の方はこのところ電話が来ないが、きっと元気でやっているのだろう。 便りのないのは、元気な証拠。 子供達は一旦家を出ると、もうなかなか家には寄りつかない。 近くの友人も嘆いていたが、用事があって、息子に何度電話しても出ない、留守電に吹きこんで、連絡をくれるように言っておいても、電話が来ない。 もう心配するだけ、馬鹿馬鹿しいわよね、というのが、私達親族(オヤ族)の結論。 家には帰って来ないが、よく都内で落ち合って、娘達と買い物や食事をする。 時には、私が娘達のそれぞれの部屋を訪れる。 私の年代ではなかなか接することのできない若者文化の一端に触れることができて、楽しい時間だ。 この点、息子しかいない友人達には、とても羨ましがられる。 ウーン、お母さんと一緒に旅行したり、買い物したり、はやっぱり息子も望まないだろうなあ。 友達もさることながら、ここはやっぱり夫の出番かもしれない。 デ、ウチも夫婦二人に戻ってしまったので、ここは二人で何とか楽しく乗り切らなくては。 まだ先が長いものね。 これから、横浜まで食事に行くけど、同居人は運転嫌い、歩くの異常に大好き人間なので、この蒸し暑いのに、又電車と歩きでお出かけ! 初めてのトルコ料理に挑戦、ということなので、頑張ることにしよう。 じゃ、行って来ます!
2004年08月22日
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白熱のアテネオリンピック。 日本選手達の大健闘で、思いもかけなかったメダルラッシュ! 毎日のように、テレビで見る勝者達のこぼれるような笑顔。 ミンナ喜び一杯で、いい顔してますよねえ。 私は決して、アスリートタイプではなく、ぶっちゃけて言えば、運動嫌い。 特に、ボールゲームは苦手。 体育の授業でも、わざわざ取りに行くくらいなら、最初から、誰も投げなきゃいいのに、と、コートの上で思ったりして。 しかも、筋トレだ、走り込みだ、なんて、何であんなに苦しいことまでして、強くなりたいんだろう? ところが、それが、音楽が聞こえて来ると、自然と体がリズムに乗り、好きなように動けるから、アラ不思議! 隣で、運動神経抜群の級友が、よくそんな変テコな動きできるよね、と頭をひねっていたっけ。 そんなことは、どうでもよかった。 オリンピック選手の話だった。 彼らを金メダルへと、駆り立てるものは何なんだろう? 競争となれば、勝ちたいのは当たり前だけど、学級対抗なんてのとはワケが違う。 世界の頂点に立つんでっせ。 そのモティベーションもすごいけど、生活の大部分を辛い練習に当てているんだろうなあ。 アマチュアスポーツってある意味、美化されていて、すごく純粋なもの、って見方があるけど、どうなんだろう? 欲がなければ、強くならないし、もちろん、それなりに得もあるような気がする。 ただ、それだけで、あそこまで、人生を賭けられるもんでもないような気がする。 昔の東京オリンピックのように、国全体の威信がかかっているわけではなく、個人の意思と支援者の協力は自発的なもの。 それがすごい。 調子のいい時ばかりではなく、スランプもあり、思いがけない負けもあり、途中でもう自分はダメだ、と投げ出しだい時だってあったはずだ。 前に、谷亮子選手の一日のトレーニングの様子をテレビで見たことがあるけど、もうビックリ。 とても、肉体的に、同じ地球上の生物とは思えない。 故障も挫折も乗り越えて、しかも、大勢の人の期待にも応えなくてはならない。 精神的な強さは、もう地球上の生物とは思えない。 スポーツはアマでもプロでも、見ていて、興奮するし、やっぱり美しい。 自分の限界に挑戦する、とか、可能性に賭ける、とか、敗れても、又立ちあがる、とか、最終的には損得を越え、声なき声に導かれるのか、自分の内側からの使命感なのか、何にしても、人間の勇気やロマンが感動を与えてくれるんだろうな。 「好き」なのが原点にしても、それこそ、やってみなくちゃわからないことを、苦しいトレーニングを通して、やってのけちゃうんだから!! この地球上には、最初から結果がわからないと、やりたくない、という非現実的なケチな奴や、できたら、楽して得したい、という私のようなモノグサな不心得者ばかりではない、ということを改めて知るのは、とても清々しい。 そうだ、そうだ、つけ加えるのを、忘れてた! いつも勝者の栄光の陰に隠れてしまうけど、4位以下のの選手の健闘なくして、一人の勝者も生まれない。 勝負は水モノ、時の運。 勝者と同じように、勝負に賭けて来た、その意地と努力を称えたい、と思います。 又、立ちあがって、笑顔を見せてくれるだろう、と密かに期待しています。
2004年08月21日
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この頃、ネット社会だの消費社会だののせいで、人間関係が希薄になり、孤独に悩む人が増えた、というのが通説になっているけれど、これは当たり前のことではないかしら? と、いうのも、豊かになって、生き方の選択肢が増え、共同体幻想が崩れてしまったのに、それに変わる人間関係のコンセンサスが見出せないから。 私は、逆に、古い固定観念に基づいた人間関係のパターンに縛られなくなって、ホッとしている。 娘だから、妻、嫁、母だから、とどれだけ他人の固定観念を押し付けられて来ただろう。 押し付けていいと思っているのも固定観念なら、おしつける側の親、夫、婚家、世の中も固定観念に縛られていた。 4大卒の女子の就職は難しく、会社も25才で寿退社、25才までが結婚適齢期。 それをはずれようもんなら、我侭、身勝手、生意気、親不孝と散々に叩かれたもんね。 我慢か反抗か、と選択肢は二つ。 自分の生き方を求めた私は、反抗を選び、何だかずっと闘って来たような気がする。 そうでもしないと、自分が否定されてしまうからだが、結果として、身近で大事な関係は一つも切れなかったし、前よりずっと、お互いに居心地のいい関係になっている。 ありがたいことだ! 確かに、同じ方向を向き、同じ生き方をする、変化のない、閉じられた共同体の中にいれば、それなりに一体感があり、孤独を感じないですむ。 でも、主体性も能動性も責任性も自由もない。 自分を殺して、他人に認めてもらっても、意味がない。 じゃ、どうすれば、いいのか? 孤独の不安や寂しさを埋めるためにも、自分を確認するためにも、人は一人では生きられない。 幼児期の母子の一体感の後、子供は別人格として、母親から分離して行くから、受け皿として、友人や恋人が登場して来る。 もはや共同体というか、世間というものの一体感も拘束力も薄い。 縛られなくて、とってもいい、と思うんだけどなあ。 じゃ、そこで、どういう関係を作るか? 恋人との、激しく美しい一体感は、一時的なものだ。 その他のどんな人間関係にも永続的な一体感は有り得ないし、それを求めて、相手を縛り付ける人ほど、恐ろしいものはない。 結局、長い時間をかけて、ぶつかり合い、忍耐し合って、お互いを認め、受け入れて、ほどほどの一体感で繋がれる、信頼関係を作るしかないのではないか、と私は思う。 それは、自分に対しても、相手に対しても、許容量を広げていくことで、決して簡単ではない。 自分の計算でことが運ぶわけでもなく、相手あってのことだから、結果は予測がつかない。 ダメな時だってある。 どちらかと言うと,人間への信頼や自己信頼という光だけを頼りにした、未知の世界への挑戦に近いかもしれない。 ただ、強く深い信頼関係は、自分を確かなものにするし、孤独を自由への道、創造の源に変え、自分らしい生き方への栄養豊かな根っこにするのではないか、と私は思う。 一人でいても、平気だし、求めることも与えることも、ほどほどにできる。 何しろ、信頼関係の土台は分離だからだ。 だから、恐れるべきは、多分孤独ではなく、自分を開示し、大事な人と繋がるために、一歩踏み出す、勇気の欠如なのだ、と思う。 相手から欲しいものが得られないから、といって、背を向け、簡単に切り捨ててしまうのは、悲しいし、もったいない。 ちゃんと、伝えただろうか? 拒絶されるかもしれない、とか、ぶつかったら、オシマイ、とか、恐れていては、繋がれない。 しかも、言っても、すぐに理解されるとは、限らない。 そして、得るばかりではなく、自分の方から率先して、与えることはもちろんだ! だからといって、お返しが、望んだように返って来るとも、限らない。 でも、繋がるものはやっぱり繋がって行くから、人間関係は奥が深く、不思議なモンだ。 相手を替えて、一時的な一体感を求め続けるか、やはり自分は変わらないまま、同じ相手を認めることなく縛ってしまうか、それとも、それぞれにお互いの成長を許す、相互発展的な信頼関係を作るか? 結局、どの解決方法を採るのか、自分で決めるしかない時代なのだ。
2004年08月20日
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昨日の私のお誕生日、夏風邪のせいか、軽い眩暈がしていた。 そこで、同居人の会社に電話して、用事のついでに、夕飯のお弁当を買って来てくれるように、頼んでみた。 車を運転して、モールまで買い物に出るのが、ちょっと不安だったもんで。 夜になって、私が居間のソファで休んでいると、同居人が帰って来た。 「お誕生日のケーキを買って来たよ! トップスのチョコレートケーキだよ。」フーン、ソファでゴロンのまま、チョイ感激! さすがに、シャンパンと薔薇の花、までは期待しないもの。 デ、彼はいそいそと惣菜やお弁当をレンジで温めて、オリンピックを観戦しながらの、二人でお誕生日のささやかなディナー。 小さな幸せ。 確かに、彼は変わった! 新婚当時、天井のライトの電球が切れたので、替えてくれるよう頼むと、 「電気が怖い!」と、のたまわり、私は、思いきりのけぞった。その瞬間、気持ちお坊ちゃま亭主と手ごわい女房との、長いバトルの幕は切って落されたた。 当時、朝日新聞の家庭欄に、 「買い物先で、旦那様にトイレットペーパーを持たせた、若い奥さんを見たけたが、何という恥ずかしいこと!」という、年配の女性の批判の投書が載っていた。 私は大いに反発したものだ。 「何で? その旦那、トイレットペーパーは使わない、とでも言うの?」 男女平等、夫婦は対等、なんて、まだまだ学校の教科書の中だけだったのだ! 女は男より一歩下がり、何もしないくせにエラソーな男に奉仕するもの、要求に従うもの、という古い考えが、社会でも家庭でも、まかり通っている時代だった。 ケッ! 私は若い頃、アメリカに住んでいたので、休日には、家庭で、力仕事や庭の手入れに汗を流し、バーベキューのセッティングをし、平日には、仕事からの帰宅後、ソファに座った奥さんに、ワインのグラスを差し出して、一日の出来事を話し合う夫達を見てきた。 あるいは、OLの後、第一線を退いた、日本の経済界の重鎮の事務所で、しばらく秘書をして働いたが、そこでお会いした、経済界、政界のお偉方に、ある共通点を見出した。 超一流の大物は、私のような一介の秘書に対しても、決して威張ったりしなかったし、妾がいて当たり前の時代に、奥さんを大事にする、愛妻家でもあったのだ。 逆に、一流半どころの権力者体質のトップ達は、とてつもなく頭が高く、わがままで、家庭も奥さんも粗末に扱った。 結果、2代目になる頃、家庭も子孫も崩れて行った。 中国に「修身斎家」という言葉があり、家庭をちゃんと治められなければ、社会でも、大きなことはできない、という意味らしいが、やはり超一流の人物達は、仕事だけでなく、人間を大切にする、という大事な点でも、賢く優れていた。 若い私は大いに感じ入ったものだ。 もちろん、お互い似たようなもの、私が超一流の人物と結婚できるとは、ユメにも思わないけど、元同級生の相手が、気持ちは絶対君主で、仕事以外何もできない箱入り息子とは知らなんだ! ウチの引越しの時、手伝いの女性達が荷物を運び出している間、何もせず、ぶらぶらリン。 余りの恥ずかしさ、情けなさに、キレタ私。 筋肉自慢のくせして! デ、漸く腰を上げて向こうへ行き、ヤレヤレと思った途端、親指を怪我した、と苦痛に顔をしかめて、訴える始末。 新しい家の庭で、一緒に手入れをしよう、と庭に出れば、虫が恐い、と、すぐに家に逃げ込む。 しかも、自分ではやらずに、何かと私に命令する。 思えば長い道のりでした! 事が起きれば、自分の非は認めずに私を責め、自分のことは棚に上げ、ついでに自ら神棚に這い上がって、頼みもしないのに、拝ませよう、とするので、何回引きずり下ろしたことか! 私は信者じゃないったら。 友人の夫は戦後生まれにも拘わらず、妻は夫の三歩あとに従え、と主張し、僅かな給料を入れる以外、子育てから家計の補助まで全部彼女に寄りかかって来た。 何もやらない奴のどこがエライの? 三歩あとから、思いっきり蹴飛ばしておやり! と、これは私の勝手な主張。 もう一人の友人は、毎日出勤する彼が可哀相で、とつい最近まで、寝起きの夫に靴下まで履かせてやっていた。 彼は、私がいなくては生きていけないの、と臆面もなく言う。 それは思いあがりというもんよ、と私は密かに思う。 あなたがいなくなったら、又、よりかかれる別な人を見つけるだけかも。 それに、そんなの愛情だと思わない。 赤ん坊扱いのまま、本当に何もできずに、あなたが死んでしまったら、彼はどうなるの? そっちの方が可哀相じゃない? お前が死んだらやる、と豪語したご亭主もいたっけ。 自分の下着のありかも知らないままで。 反面、アメリカの友人の妹の夫は専業主夫で、妻が家計を担い、夫は家庭菜園で野菜を育てながら、子育てと家事の一切を担っている。 男も女も色々できた方がいい。 私が結婚後、2度大病をしたせいか、2度の単身赴任のせいか、今やウチの同居人は、料理はイマイチながら、掃除も洗濯もアイロンかけも器用にこなす。 単身赴任中、たいした不自由も感ぜずに暮らせたのは、やはり長い長いバトルの成果なのだ! おかげで、本人もすっかり一人暮らしの自信がついた。 そして、それに反比例するように、神棚に上がることも少なくなったし、家族への配慮も増した。 子育てには殆ど関わらなかったのを、今になって、悔やんでいるし、人間て成長するもんですよね。 男でも女でも。 とすると、子育てを終え、彼の稼ぎにオンブして、今や楽チン稼業の私の方が、今度は何とかせなアカンですな。 でも、もうちょっと、子育て後の解放感を楽しませてよ。 私の稼ぎなんか、家で英語を教えたり、チョボッと翻訳するくらいで、大したモンじゃなかったけど、一人で子育てに奮戦中、自分のことは殆ど後回しだったんだから。 しばらくしたら、私も又何か別の方法を見つけて、新たに成長し始めるつもりだから、ネ! それにしても、お互い忍耐強くなったもんッスね!
2004年08月19日
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今日はお誕生日で、遂に30才! ってなわけないか。 団塊の世代ってバレてるもんね。 気だけは若い、と言われるけど、本人は見かけだって結構若いつもりなんですけど! デ、何故か、今日は解放記念日という気がしている。 何からの解放なのか、本人にもよく分ってないけど、更に身軽に自由になるつもり。 自分に忠実に、ということかな。 生きていると、否応なく、何時の間にか、色々なよろいや固定観念や感情のパターンや計算や生活習慣を、身にまとっていることがある。 それで、自分がガンジガラメになっていることってありません? そのガンジガラメをはずし、もっと楽に呼吸しよう、と思うのです。 自分の気持ちや欲求や直感に忠実になり、それを基礎にして、人との関係を作ったり、物事をやってみたり。 結局それが一番確かかな、と。 幸福への近道かな、と。 取り敢えず。結果は様様にしろ。 自分を偽る、というのは苦しくて、とても辛い。 でも、仕事や人間関係には、つきもので避けては通れない。 これは、やりよう、気の持ちよう、ストレスの解消など、また別の知恵がいる。 そうではなく、結構自分から進んで、背伸びして見栄を張ったり、無理したり、我慢したり、と、わざわざややこしくしてたりする。 そして又、自分の気持ちが分らないというのも、同じように辛い。 何時の間にか、人に巻き込まれていたり、流されていたり、自分を見失っていたり。 あるいは、断固として思いこんでいたり、こまされていたり。 フ-ッ! しんど! 自分の気持ちのありようを知る、というのは、とても大事なこと。 だけど、そう簡単なことじゃない。 何しろ、人間は惑わされ易いものだから、焦らないで、じっくり探すのがいい、と思う。 自分の本当の気持ち、本当の欲求は自分にしか分らない。 それを探り当てたら、はっきりと身体で感じ取り、自分で、ヨシ!、と言ってやることだ。 それに相当することを選び、実行すればいい。 結果はよくても、悪くても、確実に経験になるし、結局はそう悪くはない、ような気がする。 人に対しても、自分の気持ちに忠実に、接するしかないのではないかしら? 以上、全部、解放記念日にあたり、自分に言い聞かせるために、書いてみました! 人へのお説教などではありません。 できてりゃ、ゴチャゴチャ言わんもの。 それこそ、もう人生の達人! 今ごろ、ナニガシか魚河岸か、になってたかも?
2004年08月18日
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この頃、色々な人から、この言葉を聞く。 もちろん、私もその一人。 人生これでオシマイ!、じゃあんまり寂しいもの。 自足の境地には憧れるけど、まだまだエネルギーはたっぷりで、何かしらにまだまだ挑戦したい気充分! とにかく、気分だけは充分! リタイア世代はどうやら、切実に、変化を望んでいる。 長年取り組んできた、仕事や育児から解放されて、全然別のことをやってみたい、という、その気持ちは痛いほど、辛いほど分る。 そこそこの成功で、お金や地位など、生活は安定していても、同じことの繰り返しの惰性に近い毎日に、とてつもなく飽き飽きしている。 しかも、もう後がない! 残り時間がない、のだ。 だから、新しい仕事、生活、趣味、学習、恋人、結婚、離婚、引越しなど、遣り残したことへの思いが強く、時に悲壮感すら覚える。 大きな感動や充実感、生きることの手応えを求めているのかもしれない。 若い人はこれから現実に、仕事や結婚などの生活を新たに抱えていくわけだから、選択の悩みも不安も切実に違いない。 ただ、たっぷりとした時間が前に広がっているから、気持ちの上で、余裕というか、希望はあると思う。 だから、焦らないで頑張って! 話は突然飛ぶけど、アテネオリンピックの日本の選手達の活躍、すごいですね! 福原愛ちゃんなんか15才であの活躍。 「福原愛が卓球を選んだのではなく、卓球の神様が福原愛を選んだのだ。」、とコーチだか、監督だかが、言ったそうだけど、天才なのかしらん? 全く進路の選択で悩む必要がないってことね。 大方の人は何の神様にも選ばれず、大富豪の嫁にも望まれず、自分で悩みながら、人生を送るわけだけど、山あり、谷あり、挫折あり、で案外ドラマティックかも。 そう考えるっきゃない。 ただ、凡人は、切羽詰まらないと、なかなかできないもんですよねえ。 しかも、覚悟も甘く、あんなに苦しいの頑張るくらいなら、オリンピックなんか行かんもんね、とすぐに、納得の即決放棄。 ウーン、やっぱりどこか生まれつき違うんだろうなあ、天才は! 遺伝子のせいにしておきゃ、八方丸く納まりそうだけど、でも、やっぱりこのままで終りたくない! 最近は、40代のリストラ予備軍の男の人が、会社勤めに見切りをつけ、ハム作りの勉強を始めたり、主婦がアレコレ起業したり。 ミンナ、エライナー! 行動あるのみ、だよね!
2004年08月17日
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