今、テレビの阪神大震災の特集を見ています。
もし自分が被災したら、果たしてしっかりと生きていけることができるだろうか・・・。不安です。
いざとなった時、冷静に判断できるように、日ごろから防災に心がけようと思いました。

余談ですが、アメリカンミュージックアワード、ビデオで見ました~☆(家はBSがないので、友達に録画してもらいました・・・笑)
Bon Joviの新曲、なかなかよかったです^0^功労賞を受賞したジョン、すごくうれしそうでしたよ♪ (2005.01.17 23:13:33)

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2005.01.17
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カテゴリ: ダイアリー


10年前の午前5時46分。

寝ていたところへドーン!と突き上げるような揺れを感じた。その前の年まで東京に住んでいた私は、震度4ぐらいの地震には慣れっこになっていたため、「どうせすぐに止まる。」と、そのまま寝ていた。

が、なかなか止まらない揺れ、段々と大きくなっていく揺れに不安を感じ始めた。

隣の部屋で寝ていた母が私の名前を呼んだ。私はネコの名前を呼んだ。(このことは母からいまだに根に持たれている(笑))

電気も全部ストップして、真っ暗闇の中、手探りでネコを探し、逃げる用意を始めたのだけど、段々と夜が明けて周りのものが見えるようになって驚いた。寝ていた部屋の壁がはがれている!

たんすがひっくり返っている!(この日私はコタツで寝ていたため(笑)、落ちてきたたんすの下敷きにならずに済んだのでした)

台所がメチャクチャ!

「あちゃー、こりゃ仕事行かれへんわ。」

と、院長宅に電話。

私:「あの、すいません。今の地震で家が壊れたみたいなので、今日は一日お休みさせていただきたいんですけど~。」

院長:「大丈夫か?怪我はないか?」

私:「へ?いえ、ありません。大丈夫です。とりあえず家が壊れたんで~…」

段々と近所が騒がしくなってきて、外を見たらみんなが不安そうな顔をして外に出ている。一緒にとにかく逃げなあかんかなぁ~と思っていたら、母が台所を片付け始めた。

「あらま~、このカップ気に入ってたのに~。」(暢気すぎる?)

そして、二人が二人とも、それまでずっと便秘していたのに急に催してきたため、順番にトイレに行った。

母「ありゃー、トイレのタンクが落ちて水が出ないわー!」

私「お風呂の残り湯があるはずやから後でそれで流そう!」

二人続けてトイレで用を足した後、お風呂の残り湯を汲みにお風呂場の扉を開けて腰を抜かしそうになった。

お風呂が 露天風呂 になってる!

そう、我が家のダメージはお風呂~台所を中心に、ひどいことになっていたのです。(全壊でした)

もちろん湯船は落ちてたし、しかもお風呂があったところの通し柱が土台から外れている!

その後、とりあえず外に出てみたら、みんなそれぞれ動揺していたみたいで、近所のオバチャンは買い物カゴに目いっぱいタバコのカートンを詰めていた。そして1本目に火をつけたときに、裏手のほうから、

「おーい、ガスが漏れてるぞ!」という男性の声がした。

オバチャン、

「ガスが漏れてるねんて~。」といいつつ、火のついたタバコをくわえたまま。

そうこうしているうちに、雪が降ってきた。え?雪?でも黒いよ!

そう、それは少し離れた場所で震災による大火事があって、そこから飛んで来た黒い灰だったのです。

その後、私たちは母の昔の職場にしばらく非難し、その後は私の職場の更衣室で数ヶ月を過ごしました。だから本当は院長には頭が上がらないのでした(^^;

それはさておき、水が流せなかったトイレはその後どうなったか?

近くに井戸があって、そこからバケツで水を汲んできて流したまでは良かったのですが、流した直後に裏手から、

「おーい、下水管が破裂してるぞー!」

との声。ド ヒャ~(^^;

次の日、「こりゃ仕事行ってる場合ちゃうよな~。」と思い、また院長に電話。あれだけ電話がつながらないといってましたが、なぜかうちと院長宅はつながったんですねー。どうも時間的なものが大きく影響したようです。

ところが、

院長「けが人がどんどん来てるねん。今日から仕事してくれー!」

私「え~っ、でも電車動いてません。」

院長「何とかして来てくれー!」

私「じゃあタクシーで行きます。」(すっかりオトボケ)

***********

1時間後、

私「先生、タクシーが一台もありません。」

院長「歩いて来い!(- -メ)」

そ、そんな…ご無体な…。

でも歩いてみて被害の状況が段々とひどくなっていくのを目の当たりにして本当に怖くなった。電気もガスも水道もストップしていたから、テレビでどんなニュースが流れているのか、死者数なんかもわからず、ただただ現実を受け入れるのみだった。

もしココでまた大きな余震が来たら…と思ったら本当に怖くなったのと同時に、きれいなパンツをはいておかなくちゃ…とも思った。

受付嬢Aさんと、「明日は食べるものがないかもしれない!」と言っては、目の前にあるものをたらふく食べていて、二人で震災後に太っていた。

お風呂屋さんの前で行列に並んでいたら、今の長野県知事の田中さんが来て靴下をくれた。他の芸能人がボランティア活動をする姿をテレビで映し出されているのとは対照的に、助手の人と二人、バイクでさりげなくやってきて、配り終えたら何も言わず、月光仮面のように去っていった。

震災で、色々な援助物資をもらったけれど、田中さんにもらった靴下が一番ありがたかったかな。

今津波の被害の記事を読んでいますが、本当に被災者が必要としているものがちゃんと届けられているんだろうか、と疑問に思います。

阪神大震災でも、食べ物は文字通り腐るほどあって、結局廃棄処分になったりもしたし、冷たいコンビニ弁当ばっかりはイヤだ、と文句を言うと「けしからん!」と怒られそうですが、でも老人にあれはやはり辛い。

救援物資で一番ありがたかったもの、それは何だろう?ニーズって人それぞれだから一概には言えないのかも知れないなぁ。オムツが必要だと思う人もいれば、生理用品が必要だと思う人、カイロとか、もちろん食べるものもそうだろう。でも実体験として私が思ったのは、モノよりもハード面かな、やっぱり。トイレとかお風呂とか。

病院のほうには、衛生材料のほか、下着なんかも物資として配られたんだけど、パンツにカレーがついていた男の患者さんがいて、見るに見かねて他の人よりも少し大目にパンツを配ってあげたら、その後「アンタ、見合いせえへんか?ええ人がおるんやけど。」と声をかけられた(^^;

その後、新聞で多くの人が亡くなっていることや、その中には2,3日前まで元気に通院してきてた患者さんの名前もあったりして、段々とショックが大きくなっていったのを今でも覚えている。

近所の家から遺体が運び出されてきたのを見たときは本当にショックで声が出なかった。

うちは家が全壊しただけでけが人も死人も出なかったから、こういう風に笑い話になっているけれど、家族を亡くした人の心の傷はまだ癒えずにいるらしい。

亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

まだ書き足りないことがあるけれど、収拾がつかないのでこれにて。





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最終更新日  2005.01.17 21:51:47
コメント(16) | コメントを書く


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Re:あれから10年(01/17)  
Agnes1968  さん
先ほど送ったメールにも書いたのですが会社の神戸事業所には当時知人が沢山いました。当日会社から何度も神戸へ内線電話をかけましたが連絡付かず、帰りの車で聞いたラジオから続々と入ってくる行方不明者の人数がみるみる増えていったのを聞いて恐怖を感じました。
り~やんさんも大変でしたね。きっと私の想像が付かないくらいの恐怖、苦労だったでしょう。今後の防災に日記参考にさせていただきます。
神戸に住む友人はいまだに神戸の助け合い精神に助けられている、、と言っていました。
田中知事、カッコイイですね。 (2005.01.17 22:13:39)

Re:あれから10年(01/17)  
OAZO  さん

Re:あれから10年(01/17)  
ちゅべ蔵  さん
こちらでは本当にさらりとお気楽な感じに書かれてありますがその行間からは現場の悲惨さややり場のない不安の影がちらついて胸がいっぱいになります。
当時私は病院で生死を彷徨っていて震災が起こって2日後意識が戻りそのニュースを知らされ
自分が助かった一方でどんどん被害が広がって死の縁にあえぐ人もいると思い涙が止まらなくなった事を思い出しました。
実際今も新潟や南方で苦しんでいらっしゃる方が
沢山います。
震災を乗り越えたり~やんさんだからこそ本当に今必要なものが何か、そして時間が少し経過してきたらどんな措置が必要か折に触れて伝えていってください。 (2005.01.17 23:34:13)

Re:あれから10年(01/17)  
ひつじ@@  さん
震災ってどういうことなのか、よくわかる日記でした。
今後の参考にさせてもらいます。
必要な物を適切な形で配った田中知事っていいですね。
やはりトイレは真っ先に問題になるよね・・ (2005.01.18 08:11:14)

Re:あれから10年(01/17)  
ロベルジェ  さん
私は既にアメリカにいたので、テレビで少ししか状況を知る事が出来ませんでした。

数時間だけでも断水や停電だと困ってしまうのに、それが何日も続くなんてすごいストレスですよね。

(2005.01.18 08:31:49)

Re:あれから10年(01/17)  
halric  さん
やっと10年ですね。

りーやんさんの日記、体験した方ならではの臨場感がありました。
りーやんさんが元気に生き延びて
今こうやって交流できることに感謝します。

当時は彼(現・夫)の父親が兵庫に単身赴任中で
あの高速の橋桁が落ちたすぐそばに住んでいたのです。
社宅は半壊ですみましたが
すぐ家を出なかったら命も危なかったそうです。

心の傷ってどういうふうについているか
本人にも見えにくいから厄介ですよね・・・
私からも神戸の復興と発展をお祈りします。 (2005.01.18 09:54:22)

Re:あれから10年(01/17)  
思い出すのも、辛いことだろうと思います。
ニュースで、線路を神戸へ向けて黙々と歩く人々を見て、感動したのを覚えています。(親類のところへ駆けつける人たちだったようです。)

東京では、私が小学校に入った年に「今年は関東大震災から60年たったので、大きな地震がきます。普段の訓練が大切です。」と避難訓練をたくさんやりました。幸運なことに、それから20年たいした地震もなく現在、次は首都圏直下型!とばかりに地震対策のニュース・記事ばかりです。
子どもが生まれてから、本当に不安が強くなりました。できるところから、と思ってとりあえず水をストックしました。

り~やんさんも、さらっと書かれていますが、本当に際どかったですね。ご無事で何よりです! (2005.01.18 14:26:20)

Re[1]:あれから10年(01/17)  
Agnes1968さんへ

>先ほど送ったメールにも書いたのですが会社の神戸事業所には当時知人が沢山いました。当日会社から何度も神戸へ内線電話をかけましたが連絡付かず、帰りの車で聞いたラジオから続々と入ってくる行方不明者の人数がみるみる増えていったのを聞いて恐怖を感じました。

あの日、私は地震の後すぐに電話をかけたのでつながったのですが、10分後ぐらいから回線がパンクしてしまってつながらなかったそうです。その頃は携帯電話も普及していなかったので、公衆電話に行列が出来ていたのを覚えています。本当に大変でしたよね。

>り~やんさんも大変でしたね。きっと私の想像が付かないくらいの恐怖、苦労だったでしょう。今後の防災に日記参考にさせていただきます。

あの、いえ、あまり参考にならないと思うんですけどね…(^^;親子そろってすっとぼけてたもんで、事の重大さがわかっていなかったという…(^^;

>神戸に住む友人はいまだに神戸の助け合い精神に助けられている、、と言っていました。
>田中知事、カッコイイですね。

そうですねー、それは私も感じました。でも逆に、本当の友達とそうでない友達というのもハッキリわかりましたよ(^^;
(2005.01.18 19:56:03)

Re[1]:あれから10年(01/17)  
OAZOさんへ

>今、テレビの阪神大震災の特集を見ています。
>もし自分が被災したら、果たしてしっかりと生きていけることができるだろうか・・・。不安です。
>いざとなった時、冷静に判断できるように、日ごろから防災に心がけようと思いました。

実際に被災して思うのですが、TVってセンセーショナルに描きすぎなんじゃないかなぁ、と思うのです。もちろん、家族を亡くした人たちの悲しみは計り知れないものがありますが、何とか生き延びた人たちは割とあっけらかんとしていたように思いますよ。「ナントカなる」っていうのが合言葉みたいでした。

>余談ですが、アメリカンミュージックアワード、ビデオで見ました~☆(家はBSがないので、友達に録画してもらいました・・・笑)
>Bon Joviの新曲、なかなかよかったです^0^功労賞を受賞したジョン、すごくうれしそうでしたよ♪

きゃああああ、いいなぁ、いいなぁ。私も見たいよ~~~!再放送ないかしら?再放送の予定があったらぜひ知らせてくださいね!
(2005.01.18 19:57:48)

Re[1]:あれから10年(01/17)  
ちゅべ蔵さんへ

>こちらでは本当にさらりとお気楽な感じに書かれてありますがその行間からは現場の悲惨さややり場のない不安の影がちらついて胸がいっぱいになります。

いえ、そんな大げさなものじゃないんですよ~(^^;確かに不安はありましたが、それよりもみんながみんな被災していたので、何とかなるわ、ってそういう気持ちのほうが大きかったです。

>当時私は病院で生死を彷徨っていて震災が起こって2日後意識が戻りそのニュースを知らされ
>自分が助かった一方でどんどん被害が広がって死の縁にあえぐ人もいると思い涙が止まらなくなった事を思い出しました。

ちゅべ蔵さん、大変だったんですね。「5 people you meet in heaven」って言う本には、自分が生かされているのは誰かが亡くなったからだ、というようなことが書かれていました。だからこそ一生懸命命を大切にしなくてはならないのだ、とも。きっとちゅべ蔵さんも誰かにもらった命なのかも知れませんね。お互いいい生き方をしたいものですね。

>実際今も新潟や南方で苦しんでいらっしゃる方が沢山います。震災を乗り越えたり~やんさんだからこそ本当に今必要なものが何か、そして時間が少し経過してきたらどんな措置が必要か折に触れて伝えていってください。

そうですね、でも私は本当に人に恵まれていたのでそれほど困ったということがなかったんです。もっと悲惨な状況の人はたくさんいましたが、それも人それぞれのニーズが違うから難しいですね。
(2005.01.18 20:02:14)

Re[1]:あれから10年(01/17)  
ひつじ@@さんへ

>震災ってどういうことなのか、よくわかる日記でした。
>今後の参考にさせてもらいます。

あのー、全然参考にならないと思うんですけどね…(^^; 親子そろってお気楽過ぎてスミマセン(^^;

>必要な物を適切な形で配った田中知事っていいですね。やはりトイレは真っ先に問題になるよね・・

ホント、TVで取り上げられた芸能人は、TVに取材されてイメージアップになるから、という目的のほうが大きいように思えましたが、田中さんこそ真のボランティアと言う感じでした。その時のことを「震災日記」とか何とかっていう本として出版されてましたが、兵庫区の銭湯に並ぶ美女二人(私と受付嬢Aさん)のことは書いてなかったなぁ…(笑)。 (2005.01.18 20:05:59)

Re[1]:あれから10年(01/17)  
ロベルジェさんへ

>私は既にアメリカにいたので、テレビで少ししか状況を知る事が出来ませんでした。

テレビで見てるのと、実際に被災するのって全然違うと思います。↑にも書いたけど、TVって本当に大げさ。実際は意外とあっけらかんとしているものです。もちろん被害の状況によって悲壮な顔をしている人もいるにはいましたが、それでもみんなで力を合わせれば…みたいなところもあって案外しゃきっとしてましたよ。でもこれって東京だとまた近所づきあいなんかが希薄だったりして難しいことなのかも知れませんね。

>数時間だけでも断水や停電だと困ってしまうのに、それが何日も続くなんてすごいストレスですよね。

給水車が来て、何度もバケツで水を運んだのを覚えています。冬で寒くて、手が千切れそうになってたけれど、あの時は気が張ってたせいか、何ともなかったんですよね。職場でも真っ暗な中、アルコールに火をつけて物品を消毒したりしていました。水は、院長が自宅から大量に運んできてくれたんですが、トイレの水も小のときは流さず、流すのはNo.2をした人…と決めていて、いつも院長が流してました(笑)。
(2005.01.18 20:10:34)

Re[1]:あれから10年(01/17)  
halricさんへ

>やっと10年ですね。
>りーやんさんの日記、体験した方ならではの臨場感がありました。りーやんさんが元気に生き延びて今こうやって交流できることに感謝します。

すいませーん、憎まれっ子なんで、なかなか死なないと思います(笑)。だけど、まともに布団で寝ていたら…と思うとぞっとします。ちょうど頭のところに和ダンスの大きいのが落ちてたので…。英語を勉強しながらコタツで寝ていたのが幸いしました。英語が私を救ってくれたのかな?

>当時は彼(現・夫)の父親が兵庫に単身赴任中で
>あの高速の橋桁が落ちたすぐそばに住んでいたのです。社宅は半壊ですみましたがすぐ家を出なかったら命も危なかったそうです。

そうなんですよね。最初に大丈夫でも後の余震でガタッと崩れた家もあったようです。高速道路のとこだと揺れも相当激しかったでしょうね。ご無事で何よりです。

>心の傷ってどういうふうについているか
>本人にも見えにくいから厄介ですよね・・・
>私からも神戸の復興と発展をお祈りします。

ありがとうございます。神戸は割と早く復興してきたとは思うのですが、まだまだ地場産業がダメだし、経済も立ち遅れていると聞いています。神戸に生まれて本当に良かったと思っているだけに、もっともっと発展していって欲しいと思います。
(2005.01.18 20:14:01)

Re[1]:あれから10年(01/17)  
ねこねこ0508さんへ

>ニュースで、線路を神戸へ向けて黙々と歩く人々を見て、感動したのを覚えています。(親類のところへ駆けつける人たちだったようです。)

そうそう、当時はとにかくよく歩きましたね。

>東京では、私が小学校に入った年に「今年は関東大震災から60年たったので、大きな地震がきます。普段の訓練が大切です。」と避難訓練をたくさんやりました。幸運なことに、それから20年たいした地震もなく現在、次は首都圏直下型!とばかりに地震対策のニュース・記事ばかりです。

神戸であれだけ死者が多かったのはやっぱり密集した都市部だったということが大きいんですよね。首都圏でもし同じぐらいの地震があったら、あれだけ地下鉄が張り巡らされ、高層ビルもたくさんあるだけにすごく恐ろしいことが起きそうな気がします。もちろん東京はビルなんかは耐震設計になっているとは思いますが、神戸でもそういう建物が結構崩れたりしていたので、自然災害っていうのは人間の予想以上の力を持つものなんだなぁ、と思います。とにかく備えあれば憂いナシ。その一言に尽きますね。

>子どもが生まれてから、本当に不安が強くなりました。できるところから、と思ってとりあえず水をストックしました。

食料はすぐに救援物資としてもらえるので、まあ2,3日分の簡単なものがあればいいと思います。後はやっぱり水でしょうね。

>り~やんさんも、さらっと書かれていますが、本当に際どかったですね。ご無事で何よりです!

元々暢気なのであまり落ち込んだりはしなかったんですが、でも家を建て直した分の貯金をもしかしたら海外留学に使えていたかも知れないなぁ、なんて考えるとちょっと悲しいです。それでもやっぱり家族が無事だったというのは何事にもかえられないことだなぁ、と思います。
(2005.01.18 20:20:14)

Re:あれから10年(01/17)  
あっちゃん1997 さん
本当に10年って早いですねー。
私は比較的被害の少なかった区だから、自宅の被害は少しで済みましたが、電気が通って初めて見たテレビに友達の家(長田区)付近の大火事が映っていた時、本当の恐怖を感じました。あの時思った、「後悔しない生き方をしよう」を今でも実践できているか、自分に問う一日でした。
なんて書いたらすごくシリアスだけど、あの日まっくらな部屋の中で、本とか色々と落ちてきているにも気づかず、「今から寝たら二度寝になるかなあ」なんてのんきな事を考えていた私にはあまり偉そうな事は言えないのでした(笑) (2005.01.18 21:30:11)

Re[1]:あれから10年(01/17)  
あっちゃん1997さんへ

>私は比較的被害の少なかった区だから、自宅の被害は少しで済みましたが、電気が通って初めて見たテレビに友達の家(長田区)付近の大火事が映っていた時、本当の恐怖を感じました。あの時思った、「後悔しない生き方をしよう」を今でも実践できているか、自分に問う一日でした。

う…、実践できているのかしらね。亡くなった人の分も、なんてきれいごとは言わないけれど、ダラダラ過ごすのだけは辞めようと思いつつ、ダメですね(^^;

>なんて書いたらすごくシリアスだけど、あの日まっくらな部屋の中で、本とか色々と落ちてきているにも気づかず、「今から寝たら二度寝になるかなあ」なんてのんきな事を考えていた私にはあまり偉そうな事は言えないのでした(笑)

私もとっさに思ったのが、「まだもう一回寝れるよな…」でしたよー(^^; 家つぶれてるっちゅうねん(笑)。 (2005.01.19 07:43:16)

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