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朝9時半からとある教会でデニースのコムニオーネ(聖体拝領式)がありました。デニースは友人ヴィルナの10歳になる一人娘です。地下鉄駅を降りてVia Latinaを歩くと、「あれ?ここ来たことある!」。友人ゆーこさんのかつての家の向かいの教会だったのです。ヴィルナとあさかちゃんとわたしの3人は、スペイン広場近くの家庭用品店で働いていた頃の友達同士。出産直前のあさかちゃんが来ないものだから、特に共通の友人というのもおらず、心細いながら一人で地図を片手に出かけたのでした。数日前までパーティすら出席するつもりもなく、前日に教会の式に出席することを決めたので、教会でわたしを見付けたヴィルナはとても喜んでくれました。教会はいつもの日曜日の朝のミサが行われています。それにコムニオーネの式がくっ付いて長くなります。この日コムニオーネを行うのは10人くらいの子供たち。基本的に近所、つまり家の教区の教会で行うようです。子供たちはそれ以前に数日間カテキズモというキリスト教教理のレッスンを司祭さんから受けます。コムニオーネにはキリストの体の一部をもらうという意味があるので、それにふさわしい人間になるために勉強するのです。コムニオーネのミサには子供達の家族や親戚一同、わたしたちのような友達などなどたくさんおり、広い教会がいっぱいになりました。司祭はこの日の主人公である子供たちにカテキズモのまとめとしてイエスやキリスト教について質問しながら教えていました。わたしは無宗教ですが、大学時代には戦国時代の宗教と権力について研究しています。宗教全般に興味があり、ですから今回のミサも客観的に見て、とてもおもしろかったです。宗教教育というのはこういうふうに成されていくのだな、こういった説教のもとに信者が増えていくのだなと思いました。わたしなんぞに言われたくないかもしれないけれど、司祭の話にはとてもテクニックがありました。うまかったです。最も感慨深かったのは、「皆さんはコムニオーネを行うことで今日から変わります。イエス様はあなたたちを見ています。あなたたちはそれにふさわしい行動をとらねばなりません。」という言葉。しかしこうしてコムニオーネをかつて行ったイタリアの大人たちの果たして何人が、イエス様に見られて恥ずかしくない行動を取っているでしょうか。ゴミを平気で道端に捨てる、犬の糞は始末しない(都市にもよるのでしょうが、この二点はローマでは普通に行われています)。キリスト教徒でも仏教徒でも神道信者でも何でもない日本人が、イエス様や仏様や神様が見ている見ていないに関係なく、当たり前にできることなのに。最近、日本のある地方自治体のゴミ分別に関する資料に目を通す機会があったのですが、このゴミ分別、イタリアに住むイタリア人たちにはできないだろうと思いました。話が逸れました。デニースのコムニオーネです。ミサは司祭さんの言葉を繰り返し唱えたり、聖書の一節なのでしょうか、みんなで暗唱したりもします。もちろんわたしは言えませんが、小さい子供からお年寄りまでみんな口に出しています。「寿限無寿限無」とか「南無妙法蓮華経」とかそういったものなのでしょうが、意外と長いフレーズもあって、「ぎおんしょうじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょうのひびきあり」くらいの勢いでした。それとミサのたびびっくりするのが、みんなで手を繋いだり、「平和のもとに」と言いながらまわりにいる人たちと握手を交わすことです。知らない人ともこれをやります。あとはオスティアという聖体を意味する味のない白くて丸いお煎餅(オブラート?)を食べます。白い衣裳を着ている子供たちはこの日を境にキリストの体の一部を受けたことになるわけです。わたしたちは教会の外でデニースが出てくるのを待ちました。このあとはどの家族もどこかのレストランなどでパーティです。わたしたちはボルゲーゼ公園内の高級レストランCasina Valdierでのパーティでした。 ヴィルナの友達ジャニーの旦那さんがシェフなのです。集まったヴィルナの友達の多くが彼女の現在の勤め先であるZARAの店員さんたちで、わたしはその中のファーティマとモニカと一緒にいました。モニカの車で、トリトーネ通りからシスティーナ通りをあがり、ホテル・ハスラーの前を通ってスペイン階段上のトリニタ・ディ・モンティ教会を横切り、ボルゲーゼ公園に入るのは実に気持ちが良かったです。前から知っているエミリアーナも来て、みんなでおいしい料理を食べました。ZARAの店員さんたちに囲まれてしまいました。ブッフェ形式だったので好きなものばかり食べてしまいました。パスタはちょっと塩気が濃かったけど、料理は普通においしかったです。高級レストランっぽさは正直分からなかったのだけど。Casina Valdierはスペイン階段の上をのぼったところですのでローマが一望でき、しかもわたしたちはそこのテラス貸し切りだったので、とてもいい気分でした。もちろん天気も良かったし。久々にダメ親父アンドレアとヴィルナとデニースの父母娘3人揃って、幸せそうでした。いつも元気で頑張っていて友達思いのヴィルナ、本当に幸せでいて欲しいとおもいます。帰りはちょっと駅の方に出てみて、バスの590番というのに乗ってみました。どこを通るのか分からなかったけど、座れたし、急いでいなかったので乗ってみたのです。590番は普通のバスと小さな電気バスの中間のちょっと小さめなバスで、市内のあらゆる観光地近くを通ります。ローマを見るには意外といいかもしれません。これまたシスティーナ通り、トリニタ・ディ・モンティ教会前を通って、ピンチョの丘を降りてポポロ広場を通り抜けるのです。こんな名所を市バスで通るなんてとても贅沢です。地下鉄A線の駅を多く通ってくるようです。確かに数年前は地下鉄路線をカバーする障害者専用のバスだったのです。ウチの近くにも止まります。1日に10本くらいしか走っていないので、時間のある時にたまたま見かけたら乗ってみるくらいの軽い気持ちでどうぞ。なんだか幸せな気分でバスを降りて、家に帰りました。
2007年04月30日
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社長の息子が彼の友達のために2室予約するように言ってきました。到着した彼らが「多分ALE......PLATZの名前で予約が入っていると思うんだけど…」と言ったので、「えっ!フェデリコの友達ってALE......PLATZの人なの!?」と陰でびっくりしました。あとでフェデリコに「あの人たちALE......PLATZと何の関係があるの?」と聞いたら「今日演奏する連中だよ」と言うのです。ALE......PLATZは最近わたしと4ちゃんが年間定期券まで作ってしまった近所のジャズ・クラブです。フェデリコはJAZZが好きではないので聴きに行ったことはないそうですが、オーナーや従業員と友達だそうで、定期券を最近作ったことを話したら、「何で先に言わなかったんだ」と言われました。知らないもんそんなの…。今後ミュージックチャージでもよきにはからってくれ。イタリアってこんな国。
2007年04月29日
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ロッセッラの幼なじみでオーストリアのインスブルックに住んでいるジュゼッペが遊びに来ました。ジュゼッペはトリノの人ですが、お母さんがローマ近郊のカナーレ・モンテラーノの出身なので、長い休暇のたびに毎年滞在していて、それでロッセッラの幼なじみというわけです。トリノに来ていたオーストリア人女性と出会い結婚して、2人の女の子がいます。下の女の子エレーナが今回一緒に来ました。聞くの忘れましたが8歳くらい?みんなで一緒にごはんを食べに行きました。つたなくしゃべるイタリア語がちょうどわたしとつりあって、分かりあえて良かったです。あとでホテルに遊びに行って、ずっと2人で遊んでいてうるさくしていたら、2人でロッセッラにおこられてしまいました。
2007年04月27日
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イタリアの解放記念日とやらで思いがけずも休みとなりました。土曜日に友人ヴィルナの娘デニースのコムニオーネ(聖体拝領式)があるのでそのプレゼントを買いに行かねばならず、ロッセッラと電車でパルコ・レオナルド(空港近くにあるショッピングセンター)にまた行っちゃいました。ロッセッラは家庭用品ばかりみており、わたしは安っぽい服ばかり見ていますので、このあたりが多少の年齢の違いかとも思いましたが、高めのブティックに目がいかないところが共通点で、お互い庶民派の代表というわけです。デニースのプレゼントにはロッセッラのすすめもあって銀のブレスレットにしました。ひととおり買い物を終えて軽くファーストフードで食事をしようとしていたら、なんとヴィルナとデニースが座っているではありませんか。今さっき買ったプレゼント、それをあげるはずの当人です。びっくりしてしまいました。
2007年04月26日
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わたしは外食が多く、ほとんど自炊をしません。冷蔵庫の中がチョコレートだけという日が多く、チョコレート星人になってしまいそうです。格別チョコレートに目がないというわけでも、虫歯ができるほど食べるというわけでもないのに、何なのでしょう。イースターにルーシーに卵形のチョコレートをもらいました。2週間ほど前に来たアメリカ人のお客さんがきれいなカード付きのチョコレートを2箱くれました。CASTEL ROMANO OUTLETでLINDTのOUTLETの店を見付けて、珍しいアールグレイ味のチョコレートというのを思わず買ってしまいました。職場で古いチョコレートをもらってきました。ルーシーが週末にポーランドへ行っていて、おみやげにチョコレートをくれました。あーあ、チョコレート星人になっちゃった。冷蔵庫を開けるとそこにはチョコレートしかありませんもの。
2007年04月25日
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お昼はかすみと吉左右に食べに行きました。なんとせっちゃんがご主人とお友達といたので驚き!それからCASTEL ROMANO OUTLETというアウトレットモールへ行きました。日本のとは比べものにならないくらい小さいけど、ショッピングセンター大好きなわたしにとってはとても楽しかったです。プチ・バトーという日本でも有名なフランスの子供服のメーカーの店で買い物をしました。子供服は小さいくせに一丁前に高いので驚きです。それからアウトレットといえば日本にもどこにでもあるNIKE。これまた子供服のコーナーを見ていたら女の子のダンス着のコーナーにかわいいトレーナーとパンツのセットがあったので試してみた結果、買ってしまいました。150-160というサイズだったら充分着られます。友達カップルがAIR MAXを買いました。2足買うと合わせて135ユーロというキャンペーンをやっていて、これは安いのであとでちょっと欲しくなりました。色に限りはありますが、AIR MAXが欲しいローマにお住まいの方、連絡下さい。一緒に買いに行きましょう。1足67,50ユーロですよ!安い!
2007年04月24日
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家の近くにあるJAZZクラブALEXANDERPLATZに初めて行きました。昨日のグループはサックス(テナー、アルト、クラリネットの持ち替え)、ドラム、ベース、ピアノ、ボーカルでした。MCをあまり入れずに淡々と次々に曲を演奏していくだけだったので、あまりおもしろくなかったです。アルトやクラリネットはあまりうまくありませんでした。唯一ピアノの人はとてもうまかったのですが、足を組んだりと姿勢が悪くてあまりいい感じがしませんでした。女性のボーカルは割とうまかったし、歌いこなしている感じもしたのですが、歌詞を覚えていないらしく、ずっと楽譜を見ながら歌っていたのが残念でした。せっかく初めて行くクラブだったのでもっといい演奏が聴きたかったです。救われたのが、食べ物が美味しかったこと!注文した海老のクスクスがとてもおいしかったです。
2007年04月23日
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サン・ロレンツォと呼ばれる地区がローマ大学そばにあります。若者の集う地域で、パブやディスコも多いです。その地区にあるサルデニア料理のレストランに行って来ました。わたしはサルデニアには行ったことがありませんが、サルデニア料理には詳しいです。というのは毎日昼食を取っているお店がその名もMANGIOSARDO(「サルデニア食べちゃお」みたいな意味)。サルデニア出身のご主人ファブリツィオのお総菜屋さんで、彼は時々サルデニアのものも作るのです。昨日、レストランでは海の幸の前菜とからすみのスパゲッティを食べました。とてもおいしかったです。ファブリツィオのお店でわたしがよく食べるセアーダスというラヴィオリみたいなペコリーノチーズのお菓子をデザートに頼んでみましたが、このお店のはおいしくなかったです。そのデザートにかける蜂蜜もまずかったです。ファブリツィオのお店では奥さんのクラウディアがいつも苦みのあるサルデニアの蜂蜜をとろーんとかけてくれるのに…。そのあとはぐんちゃんのライブを見に行きました。ぐんちゃんはローマあたりではちょっと鳴らしたギタリストで歌も歌っちゃいます。アーティストぐんちゃんのサイトはこちら。ぐんちゃんのバンドのサイトはこちら。初めて見ましたがかっこいい歌を歌っています。CDも買ってしまいました。サインを入れてもらいました。会場は広い庭にライブハウスがくっついているような感じで、庭には古代ローマの水道橋の遺跡があって、なかなかいいところです。
2007年04月22日
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連ドラ『タイヨウのうた』を見終わりました。テーマの割にそんなに感動しなかったのは主演2人の演技のせいかなあ。まだ若いからかイマイチでした。でも設定はさすが日本のドラマ、とてもよくできていました。日本のドラマの設定の幅広さが本当に大好きなわたしです。見ている側を色々な世界に連れて行ってくれます。夜はプラーティ婦人会第2回会合@ナヴォーナ広場近くのエノテカ(ワイン居酒屋)です。U子さんが知っていたこの店は食事がとてもおいしくて、ワインを飲めないわたしも楽しめました。3人に緑色の腕時計を頂きました。ありがとう!ちなみに会員み氏は4月6日にお子さんが生まれたばかりなのでもちろん産休。おめでとう! *昨日の胃袋 QUELLO CHE HO MAGNATO IERI*チーズ・フォンデュ、鱈とポテトのトマト煮、ハンバーグとマッシュポテト、ニシンの酢漬け、かたつむりのジェノヴェーゼソース
2007年04月17日
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海辺の町、ローマ郊外のLADISPOLIでSAGRA DEL CARCIOFO(アーティチョーク祭り)があったので、みんなで行きました。駅から食べ物やら衣類やらおもちゃやらの露店が並び、広場へ出ると大きなアーティチョークが15個5ユーロという格安値段で売っている露店が出ており、はみ出すほどたくさんのアーティチョークの入ったビニール袋を持っている人がたくさん歩いていました。わたしたちはケバブやポルケッタ(豚の丸焼き)のパニーノを食べたり、さらにマッテオがいつも来ていておいしいと言う店のクレープを食べ(クレープというより卵焼きだった)、あさちんとわたしはせっかくアーティチョーク祭りに来たのだからとアーティチョークのフライを食べました。ずっと食べてばかりでした。昨日はロッセッラの誕生日でしたが、彼女が途中でレースのテーブルクロスを気に入ったので、ダニエルと2人でプレゼントしてあげました。すごい人出で、普段はローマ近くの海水浴場として有名なこの町が、アーティチョークをはじめとした食べ物の匂いで充満していました。久々にナディアにも会えたし、出かけたかったあさちんを連れ出せたしよかったです。4月16日のあさちんのミクシィ日記もぜひお読み下さい。
2007年04月16日
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今週末は4月の割に、久しぶりに仕事が少なくて落ち着いていたので、とても気が楽です。またCDを探しにお店に行きましたが、やっぱりどの店のいずれのコーナーも貧弱です。かすみとじゅうじゅうする焼肉を食べにBI-WONへ行ってきました。骨付きカルビです。うまいっ。そういうわけで、イタリアにいるのに夜遊びに出かけないので有名だった出不精のわたしが、ここのところ毎週土曜日にはかすみ4姉妹とJAZZライブを見に出かけています。昨日行ったのはBE-BOPという地下鉄B線ピラミデ駅近くのライブハウスです。寿司千の向かいにあります。地下にある会員制のクラブで(怪しい?)雰囲気はとてもいいです。昨日演奏したバンドはギターとボーカルの2人の女の子をフロントに出した5人組で、ドラムは若手らしくあまり上手くなかったのですが、ピアノの人はイタリアのJAZZ界に詳しくないわたしも名前だけは聞いたことがありました。ベースは海坊主っぽい男の人で、一曲はボーカルと声の掛け合いのナンバーを披露していました。ボーカルはちょっとパンチが足りませんでしたが、イタリア人なのでイタリア語とスペイン語で歌う歌はさすがに聴き応えがありました。昨日のテーマが映画のテーマソングを演奏する、というもので、わたしの大好きな映画『サウンド・オブ・ミュージック』から『マイ・フェイバリット・シングス』(わたしの好きなもの)や、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『ゴッド・ファーザー』、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』などを演奏していました。JAZZギターで女の子というのはとても珍しいです。トゥッティではドラムとベースに引きずられているような気がしたものの、テンポの速い曲でのソロは割とちゃんと弾けていました。会員になったので、せっかくですからまたライブを聴きに来たいです。
2007年04月15日
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ヴェネツィアの友人F氏がなんとイタリア語でもブログを始めてしまいました。もちろん彼女は純日本人です。イタリア語で卒論を書いているくらいだからまあ驚くこともないのでしょうが、6年住んでイタリア企業で働いているのに、読めない書けない話せないの三拍子揃っているわたしにしてみれば神業です。読めない書けない話せないわたしがイタリア企業で働いていけているのも神業ですけど。読めないおそらくイタリア語の本は一冊も読みきったことがありません。書けない小学三年生並みの文章力といわれたことがあります。ビジネスメールはポチッと送る前にボスの要添削です。話せない昨日、「アントーニオってこの職場で一番(働いている年数が)長いもんね」と言うべきところを、「アントーニオってこの職場で一番(男性の大切なモノが)長いもんね」と言ってしまいました。なんだかねえ。そんなわたしと相変わらず友達でいてくれる奇特なF氏の噂のイタリア語ブログはこちら。ちなみに彼女は日本語も堪能ですのでこんなブログもやってます。ほんっとに勉強家、努力家の才女です。
2007年04月14日
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頭の中をバーンスタインの“Divertimento”が流れ続けています。Divertimentoはイタリア語で「楽しみ」とかいう意味です。ググってみればこの曲、本当は“Divertimento for Orchestra”といい、バーンスタインだから当たり前なのだけれど、オーケストラ曲だということを知りました。これを吹奏楽譜にしたものを高校二年の春の演奏会でやったのです。当時わたしはクラリネットの中でも高音の出る小さなエスクラリネット(ドがエスE♭なのでエスクラ)というのを吹いていました。記憶は定かではないのですが、小曲10曲くらいから成っていて、いきなりサンバが出てきたりブルースが入ったり、マーチがあったりかわいい曲だったんです。ちょっと聴いてみたくなったので、近所のFeltrinelliにCDを買いに行ったのだけれど、そもそもクラシックのコーナーにバーンスタインがないのです。イタリアでは指揮者として有名なのかもしれないけれど。でもさ、『ウエスト・サイド物語』すらないわけ?情けないことにイタリアのCD屋ってこんなものです。ミラノはさすがにもうちょっとちゃんとしていると思いますが。そして日本のCD屋さんって何でも手に入るのですごいなあと思いました。イタリアはこういう所がまだまだ不便。郵便、ネット、クレジットカードの事情が良くないから、ネット購入も日本のようには普及していないし。簡単に手に入る過ぎてしまうのも問題だけれどね。それにしても音楽を勉強している人にはこんな環境、大変なのではないだろうか。
2007年04月13日
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またまた能町みね子氏の『くすぶれ!モテない系』を熟読してしまいました。更新されているかどうかついついこまめにチェックしてしまうわたしです。今回は「モテとおしゃれと色」というお題。モテない系のファッションが分析されています。はじめにモテ系のファッションの特徴を色を中心として説明なさっています(どうせ縁も興味もないので省略)。さて、ではモテない系の色とは何なのか。端的にいうと、モノトーン・茶。なんと、淡いピンクと銀を抜いただけで、実はさほどモテ系色と変わりません。しかし根本的に違うのは、くすみ感と全体的な弱さ。白!黒!という色よりも、なんとなく茶色っぽいグレーとか、ベージュに近い白とか、ひとことで表せない色ばかり買います。そして素材の感じまで、くすんだ、弱くて淡い感じにそろえてゆきます。すなわち購入時からどういうわけかヨレ感あり。生成りというか、ガーゼというか、帆布(あ、これは硬いか)というか、そういう、やわらかくやる気なく力なく、という方向へ。(…でもこういうのって、ヘタすりゃモテ系服より高かったりするんだよな。)【中略】一方で、緑!黄色!紫!えい!やあ!という勢いで原色のものを買いあさるタイプもいます。つまり、しっかりポジティブにファッション志向のモテない系。わたしはこのどちらにも当てはまります。まったくもって。ええ。普段は割と会社に無難に着ていけるものを選びます。地味なものを。時々休みの日用に原色の服も買います。昨夏は黄色!とか秋には緑!とかも買っちゃいました。やっぱりファッションセンセンスからしてモテない系なわたしなのでした。エビちゃんモエちゃん服はあり得ないもんねー。そういえばこの前の月曜日、わたしのモテない理由を友人たちと話していて、「マミ、だってイタリア人を信用してないでしょ」と友人のダンナ、しかもイタリア人に、しかもしかも日本語で言われたのが心に残っています。言われてみればそういうところからモテないオーラが出ているのだなと実感しました。気を付けねばのう。
2007年04月11日
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まだイースター休み。天気がいいので洗濯物を屋上に干すのがとても気持ちがいいです。どこも店は閉まっているのですが、唯一開いているテルミニ駅まで地下鉄で行って、洋服を見てきました。かわいい長袖のシャツを買っちゃった!あとは友達の誕生日プレゼントです。この店はとてもかわいいものが揃っていて値段も低めです。プラットホームのある地上階にあるFOXという店で、ちょうどマックの向かいくらいにあります。そのあとロッセッラが仕事の終わったので彼女の勤務先のホテルまで迎えに行きました。それから暇だったのでぶらぶらと今度はルーカの勤務先のホテルまでルーカいるかな?とのぞきに行ったらやっぱり働いていました。それでおしゃべりして、コルソ通りを歩いて、ジェラートを食べて、ポポロ広場でボーッと座って人々を観察して、フラミニオ駅の露店を冷やかして、それから地下鉄でVARRONEまで行きました。夕飯は車海老のトマトソースのパスタと平目のグリル。イースター休暇最終日のVARRONEは満席でした。
2007年04月10日
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友人ニコリーナとご主人、彼らの友人ファミリーとドライブに行きました。世間ではイースター休みなのです。トリュフを食べにウンブリア州のレストランを目指したのですが、ひどい渋滞のため断念してしまいました。同じウンブリア州でもちょっと方角を変えてさまよって、Calvi dell'Umbriaという村へ迷い込みました。そこのまだ開いていないアグリツーリズモに図々しくもお邪魔して食事を所望しました。イースターだから(仔羊を食べる習慣があります)食べたのは仔羊のミートソースのニョッキとホロホロ鳥のロースト。デザートはチョコレートのスフレというのかな?イタリアではまず食べられないほど繊細なデザートでとてもおいしかったです。これよりおいしいのは一度だけ食べたことがあります。ウヅキファミリーんちで食べたマイミク菊座MONGOLOID氏(本業シェフ)のもの。また食べたいな。キューバに行くしかないな。そのあとメーってないてる仔羊たちやパタパタってはばたいてるホロホロ鳥たちを見て「ごちそうさま」とみんな心の中でつぶやきました。このアグリツーリズモは来週オープンだそうです。旅行者は行くのは困難です。そのあと近くのナルニという町の城を見て、帰ってきました。わたしはイタリア国内の旅行とかドライブとかをあまりしないのですが、たまにはいいものだと思いました。今度こそ仕事休みの月曜日にトリュフを食べに行きたいです。
2007年04月09日
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FeltrinelliのDVDコーナーでオダジョー主演映画『SHINOBI』のDVDが積まれていたので「おおっ」と口にしそうになりました。もちろん買うわよ。オダジョー後援会ローマ支部会員(どうせ会員2人)かすみに電話したところ、「まみが買うならいらない」とのこと。このテンションの低さなら会員が1人になる日も近いと思いました。そのままかすみんちに直行してマリアアデーレと3人で見ました。4ちゃんは日本で映画館で観たのだそうです。日本にいたらこのDVDは買っていなかったな、と思いました。感想は以上。あ、でもおもしろいところはいくつかありました。椎名桔平とか仲間由紀恵の必殺技とか。それでここの家で4ちゃんの手作り夕飯をご馳走になってから、またジャズのライブハウス、GREGORY’Sへ行ってきました。
2007年04月08日
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昨日親友むち子が撮っておいてくれたビデオを何気なく見ていたら、スマステの松本幸四郎氏ゲストの回がありました。話のうまい人というのは尊敬に値します。見習いたいものです。聞き手の香取くん、ちょっとダメだった…。相づちすらうまく打てていない感じで。そのあとにCDTVが入っていて、福山雅治かっこいいなーとか思って見ていたら、その週のランキング1位が嵐でした。カメラ目線の最高級スマイルで、踊りながら「シャカシャカベイビー」とか歌っていたので、びっくりしすぎてベッドから落ちちゃうかと思いました。これを見たらきっと香澄も倒れちゃうと思います。わたしたちは二宮くんを『硫黄島』でしか知らないし、わたしにとって松潤は道明寺なわけよ。海外在住者のカルチャーショックってけっこう大きいわけよ。
2007年04月07日
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おかいもの。2年前まで長いこと住んでいた所のすぐそばにある有名なジェラート屋さんPING PONGへ久しぶりに。やっぱりおいしかったです。マルコーニ通りはローマ市民の商店街で、両脇の歩道を行ったり来たりしては洋服や靴を見て歩きました。なんとわたしは何も買いませんでした!そのあと車で姉妹の家へ。アレ夫くんが旅行から帰ってきていたので友人ぐんちゃんも呼んで5人でディナーです。話題は下ネタとアレ夫のインド話、わたしについて(根暗なその性格と増加し続ける体重、果てやしない食欲という3つの問題点)で、男性2人主導のもと会話が進んでいきました。5人中2人(姉妹)がボケ担当なので大変です。
2007年04月03日
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年末だか年始だかにテレビ朝日で放映されたスペシャルドラマ『白虎隊』を見ました。常日頃から武士らしく死ぬことばかり次男にたたき込んでいる母親の屈折した愛情は異様で不気味。さすがに幕末の会津でもここまで極端ではなかったでしょう。その母親を演じる薬師丸ひろ子、息子を突き放す病弱な役柄の合わないこと。阿川佐和子氏原作のドラマ『ウメ子』の母親役はあんなに良かったのに。彼女を語り部として描かれたドラマだったのでまずそこがとても残念です。内館牧子の脚本もイマイチ。時代背景を知らない人が見ても話を分かるようにするのが歴史ドラマの一つの課題ではありますが、いちいち登場人物のセリフに幕末史の説明をくだくだと特に前編に盛り込んでいたのがとても気になりました。それを気にならない程度にさりげなくセリフに入れるのが作り手の技だろうに。同じテーマを扱った過去のドラマと見た人なら比較してしまったことと思います。確かわたしが小学生の時に放映された日テレの『白虎隊』。白虎隊士だけでなく松平容保や西郷頼母、山本八重子など脇役の描かれ方がもっと生き生きしていたと思います。古い記憶なので今見たらどう思うかは分かりませんが。それに西郷頼母の妻、娘、妹ら親戚の女たち、一同の死に様には白虎隊士の切腹以上に衝撃を受けました。小学生だったわたしは歴史ドラマのああいった無惨な死のシーンにショックを受け、それを見た晩にはよく眠れなくなったことを覚えています。テレビ東京12時間ドラマ『忠臣蔵』の大石主税の切腹シーン(実際切腹のシーンはなく、死を告げる役目の者の声が響き、それを内蔵助が目をつむって聞く、というシーン。内蔵助を松本幸四郎、主税を市川染五朗、実際の親子が演じた)あの時も眠れなかったなあ。わたしが中学・高校時代にこういったドラマを見て幕末をはじめとした日本史への情熱を抱いたように、たとえ今回の『白虎隊』が駄作であったとしても、山Pや田中聖くん目当てにこのドラマを見て、白虎隊に興味を持ってくれる子供達がいたなら、このドラマの意義は十二分にあったと思うのです。だから今回のように多少仕上がりが軽くなってしまったとしても、こういった歴史ドラマはいつまでも作り続けて欲しいと思います。しかし會津士魂にはいつの時代になっても敬意を表さねばなりません。保科正之の時代から、藩をして常に将軍を守る地位にあると200年もの間徹底的に教育され、それを守り抜いたに過ぎない会津の民が、賊軍であったはずは決してないと思うのです。
2007年04月02日
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ホテルの向かいにある美容室の兄ちゃんに髪を切ってもらって、軽い気分で4ちゃんとモンティ地区に出かけました。土曜の夜だし。訪れたエノテカでは干鱈のサラダが食べられます。わたしは干鱈とりんごとチーズのサラダ。けっこうおいしかったです。おかしいことにワインバーなのに、2人してワインを飲みませんでした。それからかすみとたまきと合流。場所を移してスペイン階段近くの有名なジャズクラブGREGORY'Sへ。なんとローマ在住もうすぐ7年目にさしかかろうというのに、しかもこの近くで長いこと働いていたのに、来たことがありませんでした。ブルーノートがないローマでは、おそらく一番のジャズのライブハウスだと思います。わたしはパイを砕いたものとイチゴのデザートを食べました。とてもおいしかったのですが、お酒がけっこう入っていたようで、下戸のわたしはすっかり調子よくなってしまいました。昨日のライブはクラリネット、ピアノ、ベース、ドラムのカルテットで、はじめはスタンダードをまじえた分かりやすいジャズナンバーのステージ。イタリアは日本と違ってプロもアマも聴く人も、とにかくジャズ人口が極端に少なく、ジャズライブを観に来る人というのもほとんどがジャズを知らない人ばかりです。でもイタリア人気質のいいのは、彼らはライブパフォーマンスを楽しみに来ているので、楽しければ盛り上がるところです。ミュージシャンも「見せる」ことを心得ているので、もちろんそれに応えて楽しませてくれます。クラリネットの『エアメール・スペシャル』、久々に聴きましたが、やっぱりかっこよかったです!正直、日本でプロの知り合いやセミプロの友人たちのライブを聴いてきたわたしにとっては、音楽的技術には物足りないものを感じましたが、パフォーマーとしては彼らは実に素晴らしく、観客もみんな心を打たれたり、思いっきり笑ったりしていました。わたしも4ちゃんもその観客の中にいました。このカルテットのリーダーのクラリネット奏者は、セカンドステージの途中でドラムの位置を奪い、ピアノトリオで演奏を始めました。びっくりしたことに、ドラムもそれなりに叩けて、しかも大道芸人ばりのアクロバット、スティックを回し投げしながらの演奏をしたのです。白目をむいて掛け声出しながらの迫力のある演奏でした。あらまクスリやってるんじゃないかしら?こんなの練習するならクラリネットもっと練習しろよーと思いましたが、イタリアはこれでいいのかもな、とも思いました。だって美容室で読んだ、京都に住むイタリア人の男の子の投稿を思い出したのです。「日本の生活というのは『まったく楽しまない』それです」。友達を飲みに誘えば誰もが必ず、三週間後までいっぱいのスケジュールが書かれている手帳を見て、結局「ごめん、ダメ」と断ってくるのだそうです。彼によれば日本人の唯一のストレス発散の場はカラオケ。閉めきったタバコ臭い狭い部屋で、一人一人歌い回していくというのが不思議に見えるのです。この子の意見は極端に日本を非難していて、よほどまわりにいい友達がいないのかとてもつまらない生活の様子を綴っていました。確かにバイトもせずに親の金で30過ぎるまで大学生やっててディスコとパブとビーチ通いは楽しいよねーとわたしは京都に嫌味の一つも言ってやりに行きたいと思いましたが。まとまらなくなりました。つまりジャズ。技術の日本と楽しさのイタリアと。半々だったら丁度いいのに。ちなみにベースのお兄さんはパパイヤ鈴木に瓜二つでした。帰りは夜のヴェネト通りを4人で歩きました。また来週も行こうと思います。2時過ぎに家に着いて、ふとテレビを付けたら、ちょうど円谷英二の映画が始まるところだったので、見始めました。題名は分かりませんでしたが、すごく昔の作品だと思います。しかし特撮が使われており、人が飛んだりしているのがすごかったです。これは当時の海外では衝撃的だったのではないでしょうか。しかしもちろん当時この映画がこちらに持ってこられているはずがありません。今になってその良さが認められて字幕が付けられて深夜に放映されているのでしょう。日本映画オタクたちは見ているはずです。しかしわたしは眠ってしまいました。【後日談】ググってみれば、この映画はなんと『宇宙大怪獣ドゴラ』(1964年)でした。マニアック…。ドゴラ出てくる前に寝ちゃった…。無念。
2007年04月01日
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