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鈴木 :高畑さん、宮さん、この二人を見ていて、年齢を重ねても、二人共いまだに映画を作りたい。ぼくの想像では、たぶん死ぬまで「枯れる」なんて考えない人たちだと思うんですよ。ギンギラギンのまま。 宮崎駿の引退宣言については「問答後談」のなかでこんなことを書いている。
玄侑 :なるほど。禅で言う「枯れる」とは、どちらかというと「余白の美」に近いと思います。(略)特に高畑監督は映画の中で余白とか、虚の部分を重視されていますよね。
鈴木 :していますね。単純に絵だって、年を重ねてからの作品には必ず余白があります。
玄侑 :だから、作品の中で枯れておられるんじゃないですか?高畑監督の「かぐや姫の物語」なんてまさにそうだとおもいます。あの、月から使者が迎えに来るラストの光景と音楽はちょっと忘れられないですね。
鈴木 :仏教の来迎図ががモデルです。高畑さんは、来迎図の菩薩たちが持っている楽器全部調べて、それぞれの音色を再現して演奏してもらった。最後の曲はそういう曲ですね。
宮崎駿は「今、ここ」の人である。加藤周一さんに倣うなら、明日は明日の風が吹くし、昨日のことは水に流す人だ。(略)だから、引退宣言を繰り返してきた。
あまり知られていない話を披露するなら 「風の谷のナウシカを作った直後にも「二度と監督はやらない」と宣言した 。質の向上のために仲間たちに罵声を浴びせなくてはいけないのが監督の役割。「もう友人はなくしたくない」が、その理由だった。
あれはもう三年以上前になる。盛大な引退記者会見を開いた。それを再び、去年放送のHKスペシャルでひっくり返した。監督への復帰宣言だった。まさに「終わらない人宮崎駿」である。
「これまで等身大の自分をさらけ出した作品は作ってこなかった。最後はそれをやりたい」
宮さんとしてはやり残したことがあると言い出した。おいおい、これまでだった、十二分に自分をさらけ出していると言いたかったが、ぼくは失笑をこらえつつ同意した。
―略―
で、問題はこの先だ。宮さんは、この正月で満七十六歳になった。宮崎家は親戚を含めて八十歳を越えた人は皆無らしい。去年の秋、長兄が七十七歳で亡くなり、宮さんのお父さんは享年七十九歳だった。
「作っている途中で死ぬかもしれない」
その気持ちが彼を駆り立てる。ぼくの老後の楽しみはどこへ行ってしまうのか。しようがない。 宮さんと共に生きてきた人生だ。 協力せねばと覚悟した。
「‥・・・詰め込み過ぎですね」一か月半の後、新しい絵コンテが完成し、それを読み終えた鈴木は、その時の心境をこう書いている。
「自信作です」
「要素はいずれも面白い。しかし、お客さんが置いてけぼりを食らう」
目の前の宮さんは、天才以外の何物でもなかった。七十七歳にして成長を続ける、この老監督のどこにそんなエネルギーが残っていたのか、ぼくは、宮さんのその強靭な精神力に対して恐れおののいた。 読み終えて、プロローグに戻ってみる。 宮崎駿の新作を心待ちにする気分 になる。今度こそ、最後の作品になるかもしれないんだから。
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