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オランダ人
の版画家で画家 マウリッツ・コルネリス・エッシャー
という名前は、今の若い人たちの間でも有名なのでしょうか。 「だまし絵」
って言うんですよね。1980年か90年にかけてだったと思いますが、ブームがあったと思います。平面が立体化して見えるのが、まず最初の錯覚で、次に循環が導入されて、有限が無限化する。そういう絵が、あちらこちらに氾濫していました。
絵や版画は止まっているけれど、映像は動くよなあ、それがこの映画を見た動機でした。
始まりの画面は古いタイプライターのクローズ・アップで、タイプライターを叩く音と一緒に、画面に文字が打ち出されていって
「エッシャーを映画にできるのはエッシャーしかいない。
というテロップになって、シーンが変わりました。
ここから エッシャーの世界
のはじまりでしたが、 少年エッシャー
が、 視覚の魔術師 エッシャー
へと成長してゆく過程が、この映画の最初の見どころでした。
岩山の上の城塞の町や、海に突き出した丘の町のうつくしいスケッチが映し出されます。若き日のエッシャーのスケッチですね。そこに現実の写真が重ねられてゆくのを見て、最初のため息が出ます。そこまでで、充分美しいのですが、その絵が、ぼくたちが知っている 「エッシャーの絵」
に変貌してゆくのです。
二つ目の見どころは、イスラムのモスク、アルハンブラ宮殿のタイル画の文様に出会った 青年エッシャー
が、トカゲや鳥や人間を
二次元の無限として描き始めるところです。そこには広大な草原の美しい具象的なスケッチから、無限に連なる並木道が生まれてくるシーンもあります。二次元だった無限は三次元へと進化し、やがて無限に上り続ける階段が生まれてきます。
最後は球体の導入です。平面がゆがめられて水晶球の中に描かれます。そこから眼球の眸の奥にある 「死」
が発見されいていくようです。人間に与えられた 「時間」
の有限が描かれているのでしょうか。有名な 「描き続ける二つの手」
で 「無限」
を描こうとした エッシャー
自身の辿りついた 「死」
のイメージが印象的です。
それを象徴するのが、最後に描いた 「蛇」
でしょうか。何とも、禍々しい三匹の蛇の文様です。
たった80分の映像が繰り広げる不思議を、こうして数え上げていて気づきました。キリがないのです。さすがは エッシャー
というべきなのでしょうか。
最後にタイプライターのシーンに戻ってきます。そこで、なにが叩き出されたのか、残念なことに思い出せません。ヤレヤレ・・・・。
チラシの裏面にある、テープになった 「二人の顔」
は エッシャーと彼の妻
だそうです。この映画は エッシャーの子供たち
の証言を軸にして語られている、現実の時間の中で生きた エッシャーの伝記ドキュメンタリー
でした。
裕福で内気な少年時代。彼の才能を見出した師 メスキータ
との出会い。妻となる イエッタ・ウミカー
との愛。 メスキータを殺したナチスドイツ
。 息子のジョージにファシスト少年団の制服を着せたムッソリーニのイタリア。
エッシャー
を流行の先端に祭り上げた60年代のヒッピ―文化。病んだ妻との別れ。そして エッシャー自身の死
です。 1972年、73歳
だったそうです。
エッシャー
を称賛するナレーターとして グラハム・ナッシュ
が出てきたりします。エッシャーをまだ知らない人にも見てほしい映画でした。バランスの取れたいい作品だと思いました。
監督 ロビン・ルッツ
製作 ロビン・ルッツ
脚本 ロビン・ルッツ マラインケ・デ・ヨンケ
撮影 ロビン・ルッツ
ナレーション スティーブン・フライ
出演
ジョージ・エッシャー(長男)
ヤン・エッシャー (次男)
リーベス・エッシャー(次男の妻)
グラハム・ナッシュ (ミュージシャン・CSNY)
エリック・バードン(ミュージシャン・アニマルズ)
2018
年・ 80
分・オランダ 原題「 M.C. Escher - Het oneindige zoeken
」
2020
・ 03
・ 02
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