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社会学者としては失格かもしれないが、いつかそうした「分析できないもの」ばかりを集めた本を書きたいと思っていた。 要するに、意味不明な「断片」をうっちゃってしまわないで、ちょっとコレクションしてみますね、ということらしいです。
あるとき、石垣島の白保で潜っていた。台風の後で、風が強く、波も高く、流れも速かった。海も濁って、見通しも悪かった。 人間の 「居場所」 に関して、沖縄で働くフィリピン人の女性や、奄美大島出身のタクシー運転手からの 「聞き取り」 の報告が語られている 「出ていくことと帰ること」 と題されたエッセイ(?)の結びとして、最後にのせられている話です。
リーフの手前、五メートルほどの水深のところで素潜りしていると、もやのかかったような沖合の深い海の底から、一メートルを超えるような大きな海亀が現れた。
沖縄の海で海亀や鮫に出会うことは珍しくなく、私もそのあと何度も遭遇しているが、そのときは初めてだったので、心臓が高鳴った。海亀はゆっくりと旋回してふたたび沖合の深い方へ戻っていったが、私はそのあとを、無意識のうちについていった。
かなり沖合にまで行ったところで、その海亀がふと、こちらを振り返り、目が合った。私は我に返った。もう少しで二度と戻れないところまで行くところだった。
死にたくなくて、懸命に岸に戻ってみると、最初にいたビーチからはるかかなたまで流されていた。
そういうところをよく歩いていたのだが、ある時、真っ暗な路地裏で、前方の方から、ひとりの老人が近寄ってくるのが見えた。
ぽつんぽつんと離れた街灯に照らされながら、少しずつお互いの距離を縮めていった。
すぐ目の間に来たときに気付いたのだが、その老人は全裸だった。手に小さな風呂桶を持っていた。
今から考えれば、全裸で銭湯に行くことは、これ以上ないほど合理的なことなのだが、そのときは心臓が止まりそうになった。
あの時は、もう少しで、どこかへ連れていかれて二度と戻れないのではないかと、わりと本気で感じた。( 「出ていくことと帰ること」 )
あるとき、夕方に、淀川の河川敷を散歩していた。一人のおばちゃんが柴犬を散歩させていた。おばちゃんは、おすわりをした犬の正面に自分もしゃがみ込んで、両手で犬の顔をつかんで、「あかんで!ちゃんと約束したやん!家を出るとき、ちゃんと約束したやん!約束守らなあかんやん!」と、犬に説教していた。 ね、人が身の回りの物を 「擬人化」 する話について考えている 「時計を捨て、犬と約束する」 という章の中で紹介されているのですが、もう、これだけで映画の1シーンになるように思いました。
柴犬は、両手で顔をくしゃくしゃに揉まれて、困っていた。
( 「時計を捨て、犬と約束する」 )
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