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昨日はわたしの誕生日だった。 家族に、友人に、恋人に祝ってもらってきた誕生日も、それはもう数え切れないくらいの時間を過ごしてきたのだった。 振り返ってみると、様々な情景が浮かんだ。 今、目の前には、二人の娘がいた。 五年、十年とさかのぼってみる。 どこでボタンを掛け違ってきたのだろうと。 でもそれは、掛け違ったのではなく、多分わたしのこの手で選んだ紛れもないわたしの人生なのだった。 一人ではない現実、これほど幸せなことはないだろう。 時に誰かに不平や不満をぶつけたいと思うけれど、そんなものをぶつけるなんて筋違い、とも思う。 どんな理由があろうとも、わたしがわたしで選んだ人生なのだから、それは誰のせいでもないのだから。 今日と言う一日が、わたしにとって深い意味を持つ。 楽しいことも悲しいことも、意味を持つ。 そんな風に思うようになったのはごく最近のことである。 でも、毎日が少しずつ楽しいと思えるようになった。 それが生きていくと言うことだから。 わたしは日々、たとえ半歩でも前に進みたいと思う。 それだけは、幼い頃に培った精神だろう。 また歩くよ。 ゆっくりと、ゆっくりと。 来年のわたしが、もっといい女であるために。
2009年02月11日
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あまりの好天気に誘われて、また北鎌倉で下車してしまった。 だけど今日の鎌倉行きには目的が二つあった。 その一つは、先月末に退職された先輩のプレゼントを購入するためであり、もう一つは来たるわたしのお誕生日に、自分でプレゼントしたいものがあったからである。 先輩には、生涯使わない日はないというお箸を、そして自分には東慶寺で出されている『花ざんまい』といういけばな作品集である。 この作者はご住職の母君で、茶室や書院の床の間にお生けになったものを写真家辻徹氏が撮った写真集である。 ものすごく素晴らしい作品集であるけれど、普段ポンと購入するには高価であり、もったいなかったので、わたしは自分の誕生日にプレゼントしようと、密かにもくろんでいたのである。 やっと手に入れることができた。 何より嬉しくて、帰宅してからずっと眺めているのである。 一人でデジカメのシャッターを切りながら、いろんなことを考える。 こういう時間が、わたしはたまらなく大好きなのだ。 周囲の景色を眺めながら、まぶしい光を浴びながら、様々な思考の旅をするのだ。 人はいつかは死ぬ運命にあり、そのために生まれてくると言っても過言ではない。 生まれた瞬間から、死に向かって誰もが生きるのだから、こんなにも平等な事実はないだろう。 だけれども、そこに至るまでのプロセスの差が、人生の幸不幸を決めるとも思う。 その尺度も何もかも個人差があり様々である。 わたしは、日々に感謝しながら、四季を五感で味わいながら、心だけは豊かでありたいと願う。 空を仰ぐと、今日の北鎌倉は雲ひとつ無い青空だった。 きっと何かいいことが待ってるに違いない、とそんな気にさせてくれるのだった。
2009年02月08日
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