全16件 (16件中 1-16件目)
1
平日ど真ん中ですが、せっかくの誕生日なので、よいワインをと思って開けたのがこの99ドニ・モルテのシャンボール1級です。ワイン会に持って行こう持って行こうと思っていながら、なかなか機会がなかったボトル。火を通した黒系の果実、スパイス、バルサム、黒土、木質。これはきっとタニックだろうな、と思わせる香り。飲んでみるとやっぱりタニックです。強めの酸もあって、いわゆる球体系とは対極にあるような、重々しくゴツゴツとした味わいです。飲んでいて楽しくないです。たまたまなのか、あるいは、VTの特徴なのか、最近開けた99年って、こういうワインばかりなんですよねぇ。もっと芳醇で近づきやすい年だと思って買い集めたのですが…。
2012年11月29日
コメント(10)
お盆時の真昼間に常温で送られてきたフーリエの村名ジュブレ。3本買ったうちの2本目です。抜栓すると、例によってコルク上部まで染みた跡。ただし、前回はまだヌルヌルと液体が残っていたのに対して、今回は完全に乾いています。蝋封のおかげで、空気が逆流して入った形跡はなさそうです。グラスに注ぎ、色調を見ますが、これだけでは変化はわかりません。健全なボトルと比べてみたら少しは違うのかもしれませんが。香りは、獣系のモワッとした香りがトップノーズに感じられます。毛皮、皮革。よく開いています。黒系果実のコンポート、黒土、ナツメグ、丁子。この獣系の香りはどうなのかな~。ポンソなどでもよく感じる類のもので、これがすなわち熱の影響なのか、それとも個性や醸造法なのか分かりかねる部分です。温度の低めのところから飲み始めます。開いていますね。美味しい。味わいの後半にまるで旨み調味料をひとふりしたかのような、なんともいえない旨み系の成分とヨーグルトのような乳酸系の成分とを感じます。ただ、こういう素性のワインだと分かって飲んでいるからかもしれませんが、やはりテクスチャーに毛羽立った感じが顕著で、酸が少しシュワシュワした感じもあります。舌の横あたりに感じるイガイガした感触もあります。それでも、果実味も十分あり、ジューシーで、公平かつ客観的に言うならば充分美味しいといってよいでしょう。悩ましいですねぇ。梱包されていたダンボールが生暖かく感じられるくらい、明らかに熱を浴びたボトル。実際、コルクの最上部までワインがせりあがって染みていたこのボトルを飲んでみて、何とか飲めるどころか、かなり普通に美味しく飲めてしまうということが、です。そうなると、(最近出くわす確率が減ってきたとはいえ)今まで市場で出くわしてきた熱劣化ワインって、いったいどのような扱いを受けたものなんだろうかと…。う~ん、悩ましい。というか想像するのが恐ろしい…。翌日は、香りになんとなく金属的なニュアンス(違和感)が強くなり、味わいもややエグミが強めに感じられるようになりました。かなり馬脚を現したな、という印象ですが、それでもまあ美味しく飲むことはできました。あと、到着後すぐに飲んだボトルと比べても、二日目の落ち方は今回のほうが顕著でした。熱浴びボトル、もう一本あるので、次は1年後ぐらいに飲んでみます。いや、その前に、比較のために健全な10フーリエを一回飲んでおかないと…。★楽天でフーリエを検索。★
2012年11月26日
コメント(0)
仕事でバタバタの一週間でした。間に合わないので朝早くから出社していましたが、早朝出社は電車が空いていてイイですね。痴漢と間違われるリスクも減るし…。痴漢といえば、先日来話題になっているNHKのアナウンサーは、田園都市線の三茶~二子玉という、まさに私が毎日通っている路線で捕まったわけですが、この事件、地元民からしてみれば、なんとも不自然というか腑に落ちない点が多々あります。そもそもなんで自宅と反対方向の電車に乗っていたのかという根本的な疑問。それに夜の8時台というのは、田園都市線のダイヤの中ではそれほど混んでいる時間ではありません。急行電車で11分間触り続けたということは、おそらく三茶から二子玉までの区間中ずっと、ということだと思われます(三茶~二子玉はだいたいそのぐらいの時間です)。しかし、ギュウギュウでもない電車の中でそれだけの時間、女性の胸に触り続けるって、AVの撮影でもあるまいし、周囲から見ればあまりに大胆すぎる行為です。触られている方も身をよじるなどして逃げようとしなかったんでしょうか。いやたぶんしたのだと思いますが…。いずれにしても、一般に面が割れているアナウンサーが、いくら酒に酔っていたからといって、そんなことするものなのかなぁ・・・。庇うつもりはありませんが、なんとも一般常識からは計り知れない事件だなぁと。朝晩の通勤では、私も気をつけるようにしていますよ。カバンは肩からかけられるものにしたし、車内ではなるべく吊革に手をかけるようにしたりとかね。こんな思いをするぐらいなら、男性専用車両とか作ってほしいものですけどね。さて、仕事が多忙で帰宅も遅かったので、晩酌でワインを開けようかどうしようかと迷いましたが、何も飲まないのもさびしいので、気軽なワインを開けることにしました。このボトルは、たしかお祝いかお中元だかで紅白セットでもらった銘柄です。白はそうそうに飲んだものの、ハッキリ言ってイマイチ。この09ボーヌも期待せずに開けましたが…。思ったほど悪くないです。というか、今飲むのなら悪くない。赤に近い果実は収穫量の多さを感じさせるキャンディ的な香味を伴いますが、構造の弱さが逆に熟成を早めているのでしょう。果実とともに土っぽいフレーバーが支配的で、グジュグジュ感は多少あるものの、晩酌のお供には十分なそこそこ熟成したブル赤の香味を愉しませてくれました。週末は3連休。少しよい銘柄でも開けてみようかと思います。それと、そろそろ寺田倉庫詣でをして、セラーの中身と入れ替えないと、日常飲むワインがなくなってきました。
2012年11月22日
コメント(0)
久しぶりに自宅でボルドーを開けました。火を通した黒系果実。コンポート。ゆであずき。スパイス、皮革や獣臭はなく、クリーンで控えめな古酒香です。ドライな方向に熟成しています。味わいは目が詰まっていて甘く、まるでぜんざいのようなイメージ。って、もちろんそんなに甘くはありませんけど。全般に、やさしく歳をとった感じの柔和な味わいです。ただ、このボトル、20年経っているわりには、不思議なほど澱がない。もっと澱がたまっているものかと思って、一週間前からボトルを立てておいたのですけど、瓶底の一杯まで普通に飲めてしまいました。たまに飲むボルドーもいいですね。最近は古酒が安く出ているのをよく目にするので、また機会をみつけて買ってみようと思います。★楽天でCh.コスデストゥールネルを検索★
2012年11月18日
コメント(0)
下の子の誕生年ということでいろいろ買い込んだ03VTのブルですが、作り手によってすばらしい出来のものもあれば、ヴィンテージのネガティブな影響を受けてしまったな、というボトルもありました。ミュニュレジブールはすでに二本飲みましたが、どちらもイマイチだった記憶があります。10年経ってはたしてどうなっているかと開けてみました。グラスに注ぐと、とにかく濃い!紫がかってこそいますが、中心部分は真っ黒です。香りは黒系果実、ナツメグ、丁子などのスパイス、木質、黒土など。飲んでみると03年らしいお焦げ系フレーバーが健在。酸はしっかりある一方で、後半からフィニッシュにかけて押し寄せるようなビターチョコ的タンニンがあり、味わいを険しいものにしています。これが三本目ですが、やはりジョルジュミュニュレの03年はキビしいかも、と思ってしまいます。あとは小瓶に残した翌日分がどうなっているかですね。
2012年11月15日
コメント(4)
月に一度、日曜日に上の子の習い事の関係で渋谷まで送迎しなければならないのですが、家の中では、なんとなくこれは私の役割分担となっています。12時半に渋谷に連れて行って、迎えは4時半過ぎ。いったん自宅に帰るのも面倒なので、その間、渋谷で時間をつぶします。休日に4時間もの間、渋谷で自由行動できるということで、最初はラッキー!と思っていましたが…。映画の上映時間などにうまい具合にハマればいいのですが、そうでもないと結構時間をもてあましてしまうのです。この日もあまり積極的に鑑賞したいと思う映画がなくて、眼鏡市場で老眼鏡を作ったり、ヤマダ電機でウインドウショッピングをしましたが、それでも待ち合わせ時間にはまだ2時間ぐらいありました。そうなると、行き先はここしかありません。東急の試飲は、入院騒ぎもあってこのところ無沙汰していました。日曜日の試飲はアイテムが前日抜栓のものになりがちで、当日抜栓にこだわりたい私としては、あまり食指が動かないのですが、この日はニュリリースの10ブルとのことだし、日曜日に開けたアイテムもあるかもしれないし、ということで…。 サントーバン10(ラモネ)やや麦わら色がかったイエロー。黄桃、バイナップル、白い花、シロップ漬けの果実。外向的で甘い果実とわかりやすい酸。今でも飲める守備範囲の広そうなシャルドネ。ジュブレ・シャンベルタン・ラヴォーサンジャック10(ドニ・モルテ)黒っぽいけれども単純に黒でもないフルーツ。揮発性の塗料のようなニュアンスがある。ハーブやミント、スパイス類。今すでに甘く外向的。スパイシー。前日夕刻抜栓とのことで、今ちょうどよい感じに開いている。濃厚系ながら表情が豊か。いいワイン。10年というよりは09VTっぽい感じもある。逆に09年がどんなワインだったのだろうという興味も募る。★楽天でドニ・モルテを検索★リュショット・シャンベルタン10(ジョルジュ・ミュニュレ)還元的。香りやや弱めながら、赤系の果実とミネラル、素姓の良さそうな香り。甘く透明感があって口の中で抑揚がある。テクスチャーがとてもなめらか。華やかさや近づきやすさと高貴さとを高い次元で両立したすばらしい銘柄。★楽天でジョルジュ・ミュニュレを検索★下町のマドンナ的ドニモルテと深窓の令嬢的なミュニュレジブール。財布には優しくありませんでしたが、対照的で面白い比較試飲でした。
2012年11月12日
コメント(0)
前のエントリーで書いた妹尾くんと一緒によくツルんでいた実習生仲間で、吉田くん(仮名)という男がいました。背の丈は170弱というところでしょうか。丸顔で銀縁メガネの奥からのぞく少し垂れた目は子鹿のように優しく口元にはいつも笑みを浮かべていました。性格も柔和で、よく言われる「金持ちケンカせず」というのはこういうタイプかなのだろうなぁと思ったものです。もっとも、実際に彼の家が金持ちだったのかどうかは知りませんけど。仕事は私と同様、「四輪車体組立て」でした。実習生にも運不運があり、中にはクルマにガソリンを入れるだけとか、チェックをするだけといった、肉体的にごく楽な工程だった実習生もいました。私の仕事はキツさという点では、実習生全体の中でみても確実に平均以上でしたが、彼の仕事はそれに輪をかけてキツく、実習生の中でももっともハードな部類だったと思います。そんな仕事を、彼は毎日文句ひとつ言わずにこなしていました。昼食時に感情むき出しでブツブツと不平を並べる私の愚痴話をうんうんと言いながらよく聞いてくれたのも彼でした。人が好くて、頼まれるとイヤとはいえないタイプ、あるいは大変で報われない役回りをみずから背負ってしまうタイプっていますよね。実は何を隠そう私にもその傾向があります。長くサラリーマン稼業をやってきて、この性格のためにずいぶんと損な役回りをしたり遠回りをしたりもしました。(まあ、組織やプロジェクトの中にこういうタイプの人がいると、使うほうとしては重宝するのでしょうけど。)吉田くんはおそらく私より二廻りぐらい輪をかけてそういうタイプだったのだと思います。そんな彼の実直さというかお人よしっぷりが如実に表れたのが、人事の進路希望面談の時でした。工場実習の終わりが近づいてきたころ、本社の人事担当者の面談がありました。実習終了後、どのような部門に配属されたいかという希望の調査です。文系の人間の多くは海外営業や広告宣伝などを希望していました。私は商品企画的な仕事、研究開発の現場に近い仕事を希望しました。この希望は後にかなり歪められた、希望に沿ったとは到底いえない形で実現されるのですが、まあそれはいずれ別の機会に触れるとして、当の吉田くんはどうしたかというと…。「俺は何でもいいと言ったんだ。」「え?何でもいい?」「海外経験が長かったと聞いていたから、てっきり海外営業志望かとばかり思っていたけど。」「いや、自分の適性とか、本当に何が向いているかというのは、自分でもまだ判らないんだ。だから、その分野のプロの人事の人に、公平な目で見てもらって、決めてもらうのがいいんじゃいかと思ったんだよね。」ああ、なるほど。最初から自分の思い込みで可能性を限定してしまうよりは、あえて、真っ白なパレットを用意してなんでも自由に絵を描いてくださいというような、そんなイメージですよね。言わんとすることはわかります。わかりますが…「で、人事担当者はなんて言ってたの?」「こういうときには、希望をきちんと言ったほうがいいよ、って言われた(苦笑)。」う~ん、そうだよなあ、と思いました。長く接している私たち友人には、彼の言わんとすることは肌感覚的に納得できるのですが、何百人もの新人相手に面談をしなければならない人事担当者にとっては、単に「優柔不断で自己主張の乏しいヤツ」という風にネガティブにとられてしまったのではないかと。工場実習の終わり間際に、各人の配属先が発表になりました。悲喜こもごもの中で、彼の配属先は、(鈴鹿とは別の)工場の工務部門でした。工務はラインそのものではありませんが、実態としてかなりラインの現場に近い仕事です。おそらく新人のうちは、フォークリフトで部品を運んだりとか、そんな仕事が多いのではなかろうかと…。正直、通常なら大卒定期採用の社員が配属になるような部署ではありません。おまけに配属先の工場は彼の出身の東京からも遠いと来ています。9ヶ月もの間、ラインで働かされたあとの配属先としては、実に厳しい結果です。これがもし私だったら、本当に心が折れていたかもしれません。「しばらくはまだ交代制の勤務が続くことになりそうだ。」そう語る彼の口元は相変わらず笑みをたたえていましたが、さすがに落胆している様子でした。彼は今、どこでどのような仕事をしているのでしょうか。お人よしで実直で素直で誠実で、しかし決して器用とはいえず世渡りもうまくなさそうな彼のようなタイプが、社内できちんと評価されて、相応のポジションを得られているのか、それとも損な役割を背負わされ続けて、報われないまま年を経ているのか…。その辺、かつて同じ会社で働き、タイプも似ている(と勝手に思っている)私としては大変興味があります。まあ、ひょっとしたら私と同じく、すでに転職しているのかもしれませんが。ところで、吉田くんの消息については、その後、ひとつだけ明らかになったことがあります。それは、彼が配属先となった工場の職場で、彼女ができて結婚したということです。これもまた「定められた運命」だったのでしょうか。(^-^)工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年11月11日
コメント(2)
シャンドン・ド・ブリアーユ(もしくはブリアイユ)。名前から判るとおり、モエ・エ・シャンドンとは親戚にあたる間柄だそうですが、コート・ド・ボーヌの赤主体の作り手とあってか、国内ではイマイチ地味な存在です。私もこの生産者のワインを飲んだ回数は多くはないものの、以前飲んだ82年や99年のコルトンはいずれもすばらしいものでした。飲み頃になるまで時間はかかりますが、クリーンで複雑、オーソドックスな熟成ピノの醍醐味を適切な価格で味わえる貴重なドメーヌだと思います。ちなみに新樽をほとんど使わず、メオの古樽を使って熟成させているとか。グラスに注ぐと、美味しそうだなぁと思わせる透明感のある艶やかなオレンジガーネットの色調。香りは赤と黒の中間ぐらいのフルーツ、イチジク、カツオだし、なめした革、それにスーボワなど、熟成感のあるもの。リリース直後にいろいろと購入した02ブルもずいぶんと飲み頃になってきたなぁと実感します。味わいは透明感があって酸も伸びやかな反面、木質的なタンニンが後半に目立ち、ややバランスを欠く印象。残念ながら以前飲んだ99や82ほどのレベルには達してはいませんでした。アタックになんとなくクスリっぽいニュアンスを感じるあたり、少し問題のあるボトルだったのかもしれません。このボトルを買った当時の価格は6K位だったと思いますが、最近のVTは10K前後に上昇しているようですね。それでも十分お買い得だと思います。それにしてもこのドメーヌ、人気がないのか、バックVTが時折投売りされています。そういう機会を狙って、また買い増そうかと思います。楽天でシャンドン・ド・ブリアーユを検索。
2012年11月10日
コメント(2)
実習生の中には、東京に残した彼女との遠距離恋愛を強いられた人が少なからずいました。彼らの多くは毎週末がんばって東京に帰っていましたが、そうすると往復の交通費だけで8万。稼ぎのほとんどが新幹線代で消えてしまう計算でした。とくに、遅番明け翌週早番のシフトの週末は、土曜の朝に鈴鹿を発ち、日曜の夕刻には帰ってこなければならないという慌しいスケジュールでした。実習生仲間でいつも昼飯を一緒に食べている妹尾くん(仮名)という男がいました。大柄で丸顔、やや肥満体型で、容姿端麗とはいいずらいものの、陽気でさっぱりした「いいヤツ」でした。そして彼にはなんとフィアンセがいて、寮でも毎晩、公衆電話から婚約者の彼女に電話をしていました。彼自身、ことさらそれを吹聴していたわけではありませんが、彼女のいない私たちからすれば、なんともうらやましい立場でしたね。さて、前回書いた「車山高原」に泊まりで出かけようという話になったときに、妹尾くんが大学時代スキーサークルに入っていたという話を聞いていたので、彼にも声をかけたら、二つ返事で「行く!」との返事でした。ここまではなんということもない話でしたが…。急にスキーに行くことになったので今週末はそちらに帰れない、とフィアンセに電話をしたところ、どこがどうこじれたのか、彼女と喧嘩になってしまったそうなのです。「いや~、マイッたよ。」「言い合いになったあたりで、ちょうど、電話が切れちまってさ~。俺が電話を切ったと誤解されているだろうなぁ。」と妹尾君は笑いながら言うのですが、聞いた私たちは思わず顔を見合わせてしまいました。「え?それって、マズいんじゃないか?彼女にはそのあと電話をしなかったの?」「あいにく10円玉のもちあわせがなかったんだよねぇ。」…と、涼しい顔の当人。今までも電話で喧嘩することはよくあったようだし、そうしたことを乗り越えて婚約までいったのでしょうから、あまり周囲がとやかく言う話でもありません。それで、この件はそれっきり忘れていました。…というか、後日彼が謝罪して解決したのだろうとばかり思っていたのです。ところが、スキーの当日、車内で中原めいこのカセットを聞きながら、妹尾は今回のスキーが原因で彼女と喧嘩担ったんだよね~などと軽口を叩いたところ、「いやそれが、困ったことになっていてねぇ。」「あれっきり、むこうが怒っているらしくて、電話に出てくれないんだよ。」…と、やや表情を曇らせる妹尾氏。え、まだ解決してなかったの?それでも口調は相変わらずのんびりしていました。「少しほとぼりを冷ませてから、また連絡してみるよ。」「そうだね。スキー場で土産を買っていくのを忘れるなよ。」ところがこの件は簡単には収束しなかったのです。スキーに行った翌週、昼食時にこの話題になると、彼は一転して苦悶の表情になり、呻くよう声で、「どうにもならないんで、今、両家の親に仲介に入ってもらっているんだ。」とのこと。ここでそれぞれのご両親が登場するとは、さすが婚約しているカップルは違うなぁと妙に感心しつつ、よくよく聞いてみると、婚約者の彼女がとにかく怒ってしまっていてどうにもならないとのことでした。電話が切れてしまったタイミングが本当に悪かったようで、まるでアニメの1シーンのように、怒鳴り散らして捨て台詞を吐いた挙句、ガシャリと電話を切ったというようにとられてしまったらしいのですね。あるいは、フィアンセの方は、その週末、何か特別な用意をして待っていたところだったのもしれません。「あの人とは結婚できない。もう二度と話したくない。」とまで家族に言っているとか。オイオイ、これって半分はスキーに誘った私たちのせいじゃん。さすがに我々も焦りました。「それって完璧に誤解だよね?僕らからも彼女なりご両親なりに、事の経緯を話そうか?」「いやいや、それには及ばないさ。 というか、なにをやっても言い訳にしか聞こえないだろうし。」たしかに。電話で怒鳴りあって喧嘩をしているときに10円玉がなくなって切れてしまいましたと言っても、あまりにお決まりのシチュエーションすぎて、絶対に言い訳にしか聞こえないですよねぇ。やはり彼は、あのとき、なんとしてもすぐに電話をかけなおさなければいけなかったのです。結果論ですけど。さて、その後数週間で、実習期間は満了となり(スキーに行ったのは3月初旬。実習終了まで間もないタイミングでした…)、妹尾氏は群馬の営業所勤務となりました。彼女のいる東京を飛び越えて、群馬というのもなんだかなぁと思いましたが、それでも鈴鹿よりはだいぶ近くなるので、関係改善の契機になってくれればと密かに願った私でした。その後の経緯にについては、彼から直接聞くことはかないませんでした。というのも、その後、一緒に仕事をする機会も無いまま、私が転職してしまったので、今に至るまで再会を果たせずじまいだからです。ただ、共通の友人にどこかで会ったときに聞いてみたことがあります。「そういえば、妹尾って、結婚したの?」「いや。結局、婚約者とは別れたみたいだよ。」「それは例の実習のときの喧嘩が原因だったのかな?それとも、あれから一度は仲直りをしたのだろうか?」「あれっきりだったらしいよ。」「ふ~ん、そうなのか。」まぁ、これもすべては実習期間が延長になったのがいけないのだとか、彼こそ工場実習の最大の被害者だとか、私たちがスキーに誘ったのがいけなかったのだとか、そんな青っぽいことを言うつもりはありませんけどね。結局のところ、彼らはもともと結ばれない運命だったのかな、と…。(意外に運命論者なのです>私。)工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年11月09日
コメント(0)
鈴鹿というとサーキットの町、レースのメッカというイメージがあります。たしかに「F1GP」や「八耐」のときは各地からすごい人数の観客が集まりましたが、それらは1年の中では例外的なお祭り期間で、ふだんの鈴鹿は本当に田舎町でした。(今はどうなっているのかは知りません。実習後、一度も訪れていないので…)工場に行くためには、名古屋から近鉄特急で3駅目の「白子」という駅でおりて、そこからさらに20分ぐらいバスに乗ります。私たちのいた寮へは、そこから10分程度歩いてようやく到着します。工場から寮までの道すがら、店らしい店はといえば、無愛想な家族が経営する雑貨屋と「クエスチョン」という名の喫茶店が1軒あるだけでした。仕事を終えて、その雑貨屋で早売り(発売日をまったく守らないので、数日早く買えてしまう)の週刊マンガ雑誌を買うのと、「クエスチョン」でコーヒーを飲んで時間をつぶすのが、平日の数少ない娯楽でした。寮から工場を過ぎて、バスでさらに足を延ばすと、「平田町」という町に着きます。ここは近鉄の急行停車駅で、駅前の商店街はそれなりに充実していました。わざわざ白子の駅まで出るより平田町に行くほうが楽だし、充実していたので、休日はよくここで買い物をしたりして過ごしました。勝手がわかってくると、名古屋に行ったり東京の実家に帰ったりするときも、白子から特急を利用せずに、平田町からの急行を使うようになりました。(そのほうが安上がりだし時間も大して変わらなかったので…)。実習期間が延長になって、行動範囲が広がってくるにつれて、だんだん平田町だけでは物足りなくなり、週末は実習生仲間と四日市まで行ったり、名古屋に出たりするようになりました。四日市というと当時は教科書で習った「石油化学コンビナート」や「四日市ぜんそく」ぐらいの知識しかありませんでしたが、ここの商店街のアーケードはなかなか立派で、オシャレな店もあり、週末に行くのが楽しみでした。また、平田町から数駅行ったところには、「鼓ヶ浦」という海水浴場があったり、冬は冬で意外なことに「御在所」というスキー場もありました。リフトが1基しかない小さなスキー場だったと記憶していますが、三重県でスキーが出きるとは思いませんでしたし、これなどは実習期間が延長にならなければ、できなかった経験です。スキー仲間の友人たちとは、翌年3月に「車山高原」までクルマで一泊旅行に行ったりもしました。さすがにこの頃は実習期間も終わり近くなっていて、余裕がありましたね。往復のクルマの中で友人が聞いていた「中原めいこ」のベストアルバムがとても気に入って、以来、中原めいこのファンになりました。アルバムも全種類揃えたものです。鏡の中のアクトレスとか、懐かしいなぁ…。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8E%9F%E3%82%81%E3%81%84%E3%81%93音楽といえば、当時、松任谷由美の秘蔵っ子というコピーでデビューした「麗美」のサードアルバムの「My Sanctuary」を気に入って、来る日も来る日も寮で聴いていたのを思い出します。麗美自体はその後表舞台から姿を消して、肝心のCDも引越しの折に紛失してしまい、長らく聴くことが出来なかったのですが、ある日ふと思い立って、ヤフオクで検索してみたら、あっさり見つけることができました。ネットって偉大ですね。「麗美/THE DREAM OF ITMY SANCTUARY夢はおいてませんか?α」:楽オク中古品↑左下のアルバムですね。※と思ったら、今もCM音楽などで活動しているんですね。堀川まゆみの妹だということもウイキペディアで初めて知りました。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%97%E7%BE%8Eさて、ここまで書いてきて、あらためて実感したのですが、私が鈴鹿で過ごした9ヶ月間って、全くといってよいほど女っ気のない生活だったんですよねぇ。なにせ職場は男ばかり(しかも独身、彼女なし)だし、休日も実習生(これも全員男)同士かラインの工員仲間と出かけるぐらいだったし、どうせ翌年の3月には戻ると思うと、積極的に出会いを求めようという気にもならなかったし…。驚くべきことに、鈴鹿での実習中の9ヶ月間で新たに知り合った女性って、たぶん一人もいなかったと思います。では、同期の実習生仲間はどうだったかというと、地元に彼女を残してきた人たちの中には悲惨な思いをした人もいました。(つづく)工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年11月08日
コメント(0)
子供の頃、きちんと歯を磨かなかったツケで、私の上の前歯はほとんどすべて差し歯です。ところが、6年前、そのうちの1本の歯にトラブルが発生しました。会食のときに出されたトウモロコシをかじっていて、そのうちの1本の歯に経験したことのないような衝撃と痛みを覚えたのです。触ってみると歯がグラグラになっていました。翌日、会社の診療所歯科で診てもらったところ、「差し歯の土台となっている歯の根っこにヒビが入ってしまっている」「これはもう抜くしかない」と言われました。しかし、ダメモトで差し歯をとりあえずつけなおしてみたら、まぁそれなりに固定できたので、これで当面様子をみましょうか、抜くのはいずれまたグラついてきた時にでも、ということになりました。実はセラミックの高額な差し歯に替えた直後だったというのが、抜歯を先延ばしにした最大の理由でした。それからの生活はまったくもって不自由なものでした。硬いものを噛むときには、中央から右寄り2本目の歯をなるべく使わないようにしないといけない。ハンバーガーなどをガブリとほおばることができないのです。ヒビが入ってしまった患部に膿がたまって、グジュグジュになってしまうので、2~3週間に一度、歯科でメンテナンスをしてもらわわなければなりません。以来、隔週金曜日の歯科通いが通例になりました。こんな生活をいつまで続けるのかぁあと思っていましたが、慣れとは恐ろしいもので、いつのまにか左側の歯で食事をする習慣も板につき、定期的な歯科通いも負担にならなくなりました。むしろ定期的に歯科に通うのは、歯の健康を保つ意味では良いことでした。そんなこんなで、気がつけば6年もの歳月が経過してしまいました。この歯が再びグラグラとしはじめたのが、2ヶ月前のことです。いったん外して付け直してもらおうにも、痛くて外すことができない。どうやら、根っこの歯が完全に割れてしまって、一部分がまだ歯茎とくっついているため、グラグラなまま外そうにも外せないという状況になってしまったようです。小学校のとき、よく乳歯がグラグラし始めて、といってなかなか自然には抜けてくれない、そんな状態で2ヶ月も過ごす羽目になってしまいました。例の大量下血で入院したのもその2ヶ月の間のことです。消化器科の医師からはあっさり否定されましたが、グラグラな歯でよく噛まずに食べて消化器官に負担をかけたことと、出欠前々日の四川料理で誤ってとうがらしの塊を食べてしまったことの二つが、腸管の出血の遠因になったのではないかと思われて仕方がありません。退院後もしばらくグラグラの歯での生活をつづけましたが、今週になって、いよいよ外れてしまいそうになってきたので、意を決して抜いてもらうことにしました。抜歯自体はそれほど大変ではありませんでした。上モノがすでになくなっていて根っこだけだったので、どうやって抜くのかなと思っていましたが、歯根とその周囲の膜?との間にくさびのように器具を入れ込んでいって、それで歯根を浮かせて抜くのだそうです。施術中、なんで歯を抜くのにずっと押されてつづけているのだろうと不思議に思っていましたが、そういうことでした。抜いた後は患部を縫合。そして、両隣の差し歯を外して、3本でブリッジにします。もし両隣が健全な歯だったら、インプラントの選択肢も真剣に考えたところですが、幸か不幸かどちらも差し歯なので、その土台を利用しようということになりました。抜いたあとの傷口が治って、ある程度歯茎が盛り上がってくるまでの間は、とりあえず仮歯で過ごさなければならないそうです。本チャンのブリッジが入るのは、年内まにあうかどうかというスケジュールだとか。ブリッジを作るのに、いったい費用が幾らかかるかも恐ろしいところですが、背に腹は代えられません。抜歯して気分的にはスッキリしましたが、いかんせん、前歯のこととなると、抜いた後の方がいろいろと大変ですね。
2012年11月07日
コメント(4)
週末は天候もよく、ウォーキングを本格的に再開しました。土曜日曜各6キロずつ。入院前は定期的にジョギングをしていたコースですが、退院後最初の週末にチャレンジしたら貧血気味になってしまったので、しばらく控えていました。全然運動しないでいると、どうしても便秘になりがちなので、まあ焦らずウォーキングからですね。適度に汗をかいた後、晩飯の寄せ鍋に併せてあけたのがこのボトルです。3円程度で買えるブルピノの中では私がもっとも贔屓にしている銘柄です。これを飲んで美味しいと思えなかったら、しばらくワインは控えようとさえ思って開けました(笑)。透明感のあるルビーの色調。イチゴゼリーやラズベリーのコンポート、スミレ、ハーブ、スパイス類。口に含むと、ややキャンディっぽいニュアンスがあるものの、透明感があってミネラリー。旨みたっぷりな果実が好感度高いです。凝縮感やアルコール感はほどほどですが、逆にこの位の方が飲みやすいし、ナチュラルなバランスはさすが。自宅の晩酌にはずっとこういうワインでいいなぁと思ってしまいます。って、人気銘柄なので、そんなにたくさん買えないですけどね。
2012年11月06日
コメント(0)
前回のエントリーでは同じ班の少しばかり困った人の話を少し書きました。職場では、他に「班長」からなにかとキツくあたられましたが、逆に言えば、人間関係で嫌な思いをしたのはそれくらいで、総じて同じ班の人たちにはよくしてもらえました。辛くキツかった実習期間の中でこれだけは救われた点だったと思います。(実習生の中には同僚のイビリにあった人もいたようです。)最初のうちは平日といわず休日といわず、いつも実習生同士で固まっていた私たちでしたが、ラインで働く期間が半年を過ぎるころには、晩飯や休日など、班の人たちと出かける機会も自然と増えてきました。そうするうちに班の人たちもだんだんと打ち解けてくれて、職場の人間関係や上司の悪口なども話すようになりました。前にも書いたとおり、周囲の仲間の間では、班長の評判が悪く、よく彼の悪口や愚痴を聞かされました。それを聞いて私も「ああ、ツラく当たられているのは私だけでないんだ」と少しはホッとしたものです。私が主に仲良くしていたのは、南くんという高卒入社一年目の新人、それに神保さんという20代後半の飄々とした先輩でした。二人とも同じ寮だったので、よく一緒に近所の店に晩飯を食べに行ったりしました。特に南君とは、年こそ違いましたが、お互いラインの新人ということで、それぞれの部屋に行き来して、あてもなくダベったりする仲になりました。彼には当時、地元(大阪だったと思う)につきあっている彼女がいて、部屋にいくとよく純朴そうな彼女の写真を見せられたものです。そんな南君でしたが、実習終了後、私が(東京を飛び越えて)栃木勤務になってしまったことで、交流はとだえてしまいました。栃木に移って半年後ぐらいに、できちゃった婚で結婚することになったという衝撃の?報告を電話で受けました。しかし、結婚式には結局参加しませんでした。当時は栃木1年目で職場では新米扱い。栃木から鈴鹿への往復となると、距離的にも時間的にも大ごとだったし、自分自身にそこまでの余裕がなかったので、遠慮させてもらったのです(金銭的な負担という面もあったかと‥)。今にして思えば、あれだけ鈴鹿時代に一緒につるんでいたのだから、少しぐらい無理してでも、式に参列してやればよかったと悔やまれて仕方ありません。あれから26年。もしかしたら彼にはもう孫がいるかもしれません。Facbookなどで検索したら、ひょっとして見つけられるかもしれませんが、あちらにとっては、毎年やってくる実習生の一人ですから、さすがにもう覚えていないでしょうねぇ。思い出は思い出としてとっておくことにします。神保さんは本当に飄々とした人でした。持ち場が遠かったこともあり、彼の仕事ぶりはよく覚えていませんが、休憩時間はいつも長椅子にドカッと腰掛けて、斜め45度上を見ながらタバコを吹かしている姿が印象に残っています。ツナギのズボンの腿のところに、大きく「ジンボ」と片仮名で名前が書いてあって、見るたびにいつも笑ってしまいました。感情の抑揚が乏しく、ボソボソとしゃべるので、一見とっつきにくかったのですが、実は気が利いて思いやりがあって、つきあいが深まるにつれて、ほんとにイイ人だなぁとしみじみ感じる人でした。もうひとり、名前を忘れてしまいましたが、ラインでは隣の工程のオジさんとも親しくさせてもらいました。班の中は珍しく妻帯者で、年齢は当時40前後だったと思います。もともとテクニカルサービスで働いていたのが、職場のリストラでラインに回されてしまったとのこと。年齢がそこそこいっていたこともあり、仕事は毎日シンドそうでした。私とはよくお互いの境遇を嘆きあいながらも(笑)、ともに励ましあって仕事をした仲間でした。班の中では数少ない、私より後に配属されたメンバーという意味でも親しみを感じました。そういえば、結果的に私が痔になるきっかけになった、例の下痢止め薬をくれたのも彼でした。(もちろんそのことをうらんだりはしていません。)ラインで働いていた期間、彼と交わした世間話は、一服の清涼剤だっただけでなく、その苦労話や体験談を聞くことはよい人生勉強になりました。彼にはとても感謝しています。って、そのくせ名前を忘れてしまってるってどうよ、と突っ込まれそうですが。私が帰ったのち、昇格して肉体的にも楽な「完成品検査」に異動になったと聞いて、私も自分のことのように嬉しく思ったものです。他にもいろいろな人がいました。若手の人たちは、スポーツ青年やらレースでメカニックをやっている人やら、それぞれ趣味の自分の世界をもっていて、週末を楽しみに日々の業務をこなしている人たちが多かったですね。当時の私と同じ年か少し上ぐらいになると、だんだんと特定の持ち場を離れて、サポート役に回りはじめるようでしたので、同年齢の人たちは、ラインでは、かなり上の先輩、というイメージでした。ラインで本当にキツイ思いをするのは高卒で入社後5年前後というところだったように思います。意外だったのは(たまたま私の班だけかもしれませんが)、九州出身が多かったわりには、酒豪がほとんどいなかったこと。それどころか、ほとんど飲めない人も結構いて、飲み会で私がグビグビ飲んでいるのを見て、「さすが大学でコンパ慣れしているなぁ。」などと妙な感心のされかたをしたものです。 社員数万人会社ですから、いったん事業所が分かれてしまったあとは、二度と会うこともありませんでした。まして私自身が転職してしまった今となっては‥。あのときの人たちは今どうしているのかなぁ、なんて時々思い出します。いかんいかん、少しばかり感傷的になってしまいました。もうしばらく断続的につづきます(笑)。工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年11月04日
コメント(0)
う~ん、どうも私はまだ本調子ではないようです。早く帰宅できたので、とりあえずセラーの安めのボトルを開けてみました。これが退院後2本目の自宅ワインだったのですが…。日常生活には支障をきたさなくなったし、食欲はほぼ入院前のペースに戻っているのですが、ワインを飲んで美味しいと感じないのです。この銘柄自体は、十分に凝縮した果実と質のよいタンニン、伸びやかな酸があり、スパイシなフレーバーも感じます。2Kそこそこという値段の割りに充実した内容だと思います。客観的にはそう思うのですが、どうも杯が進まない。これはワインの問題というよりはきっと今の私自身の問題なんでしょう。もう少し時間が必要なんですかね。ところで、入院前に飲み残しをペリエの小瓶に移していたものが2本あったので、先日どうなっているかとテイスティングしてみました。(銘柄はグロフレールの10オーコートドニュイとユドロバイエの10オーコートニュイ)。結果はどちらのボトルも酸化してしまっていて、元の味わいをとどめておらず、飲むのが厳しい内容でした。小瓶に移すという行為はそれ自体デキャンティングと同じことです。若いワインなら数日から1週間ぐらいは美味しく飲めるように思いますが、今回のように1ヶ月経過してしまうと、酸化が進んでしまうということなのでしょうね。
2012年11月03日
コメント(0)
バサバサの髪に銀縁眼鏡をかけた、小太りの鮫島という男がドアストライカー工程の前任者でした。引継ぎ初日、何が気に食わないのか、彼は私とひとことも口を聞いてくれず、ただ黙々と作業を続けるばかりでした。ラインの人たちが気を使ってくれて、鮫島氏にきちんと引継ぎをするように言ってくれるのですが、それもすべて無視。結局その日一日、私は何もせずに彼の横でボーッと突っ立っていただけでした。今にして思えば、新しい工程に関して、私が露骨に不満そうにしていたことが彼のプライドを傷つけたのかなとも思います。さすがに翌日には周囲に窘められて、通常の引継ぎを始めてくれましたが、あれには参りました。ちなみに、当の鮫島氏は、このあと「完成品検査」に異動となったのですが、検査作業中にクルマをブツけてしまうという大失態を犯してして所内に名を轟かせました。私はラインの人間関係には比較的恵まれていたほうだと思いますが、十数人もいれば、このように少し変わった人もいました。鮫島氏のほかにもうひとり、横手というサブリーダー的な男がすぐキレるので困りものでした。ドアストライカー調整の担当になってしばらくの間は、なかなかコツがつかめず、うまく調整できないままラインを通してしまうこともままありました。その場合、私の後方で応援的な立場の横手氏が不具合箇所を直すのですが、何回か不具合が続くと、彼がだんだんと後ろで腹を立て始めてて、クルマのドアをガンガンと開け閉めしたり、木槌でストライカーをガツンガツンと叩いたりしはじめるのです。これが私にとっては大きなプレッシャーとなりました。前の工程にはなかった、新たな憂鬱の種でしたね。この横手氏、年齢は私と同年代、目がギョロッとして、中肉中背。握力がなんと80キロもあるという腕力自慢で、粗野という言葉がぴったりな男でした。気に食わないことがあると、業務中にもかかわらず、いきなり同僚になぐりかかったこともありました。それを目撃していた私は、次は私の番かもと、緊張しながら仕事をしたものです。そんな彼にもカワイイところがあって、ある週末暇をもてあましてマンガ喫茶に行ったら、「shuz先生…」となぜか「先生」付けで声をかけられ、振り返ると彼がはにかんだような笑顔で立っていました。以来、彼とは休日にこのマンガ喫茶でときおり顔をあわせるようになり、職場でも少しは打ち解けたような気がします。ちなみに横手氏に関しては後日談があります。実習期間がもうすぐ終了という頃でしたから、2~3月だったと思います。彼がある日突然職場に姿を現さなくなりました。聞いてみると、クルマで衝突事故を起こし、翌日には退職願を出して、あっという間に会社を辞めたとのことでした。なんとまあ思い切りがよいというか、後先考えないというか…。辞めたあとは、九州の実家に帰るでもなく、鈴鹿の運送屋で働いていたようです。今はどうしていることやら。工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年11月02日
コメント(0)
組み立てラインの仕事は3~6ヶ月ぐらいのスパンで仕事が変わります。いわゆるジョブローテーションというヤツですね。私も実習期間が半分を越えたあたりで、ジョブローテーションを告げられました。毎日毎日ひたすら同じ作業をすることにもさすがに飽きていたので、新しい工程に変われるという期待感と、といって、慣れるまでの最初の1ヶ月ぐらいはまた大変な思いをするのだろうなぁという不安とが入り混じった気持ちでした。ところが、新しい工程を告げられて、絶句しました。それは、班の中でも指折りのキツイと言われる仕事だったのです。班長のヤツ、ここぞとばかりに実習生にキツイ仕事をあてがいやがってと、最初のうち、私は不満を隠せませんでした。クルマのドアを開けると、車体側にカタカナの「コ」の字状の金属パーツがあります。これはドア・ストライカーといって、ドアをロックするための金具です。組み立てラインではドアは後から取り付けられるので、ドアとストライカーの位置と合わず、ドアを開閉するたびに、このストライカーにガツンガツンとあたってしまいます。新しい仕事は、ライン上でこのストライカーの位置を一台一台調整するというものでした。もちろん、その前後にリアウインドウのハーネス取り付けやら、エンジンルームの部品取り付けやらといった作業もあります。この業務の大変な点は二つありました。一つは、今までの工程と違って、ネジをしめて終了というものでないこと。調整の結果ドアとの隙間が適正になっているかどうかが実に微妙なのです。これが最初なかなか判らず苦労しました。もう一つは、ドアストライカーの位置からわかるとおり、一日中腰をまげてかがんだ姿勢で作業をしなければならないこと。しばらくの間は、お決まりのように腰痛に悩まされることになりました。工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年11月01日
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1