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楽天のブログも性能が落ちたね。
タイトルを入力したら、本文への書き込みができなかった。
以前にもこんな症状が出ていた。エラーというか、バグを改善できないと、ブロガーは減るだろうなあ。
さてさて、叔父さんの危篤情報を知って、急に出発することになったのだが、少しわくわくの気分。
そして、結果は日帰りとなった。
大したことはないというか、たしかに車椅子生活になり、言葉も話せない障害が残ってしまったのだが、とりあえず、命は当分大丈夫。
母は時々里帰りしていたのだが、僕は祖母の葬式以来18年ぶりに佐賀に行く。
ちょっと前に行ったと思っていたのだが、もう18年か。
新幹線に乗るのも久しぶりです。
姫路駅での時間待ちに通過する列車を写した。
ネットで評判になったのが、外国人が新幹線の速さに驚いている映像でした。
近くで見ることのできるのが、姫路駅ともう一つあるらしい。
つまりは全ての列車が停車しない少しローカルな駅ということですな。
種類が増えたなあ。
これはレールスター。たしか博多まで延びたときに投入された列車だと記憶しているが、
はたしてどうかな? なんせ、昔鉄ですからね。 SL しか興味なかったもん。
停車していたが、これはさっきの通過していったのと同じだな。撮影したときは夢中で分からなかった。
2時間で博多に到着です。早いよね~。昔、時間があるからと、呉線まわりでガタゴトとのんびり行ったときは、24時間かかった。
お~、九州ばい。あちこちで、九州弁なまりの発音が聞こえる。
次の特急に乗るのを一つ遅らせて、昼飯です。
年寄りにはこんな和食がいい。
ホームに行くと、なにやら丸い流線型の特急が通過していた。これ、かもめかな。
黒い精悍な感じの列車。サイドにはつばめのマークがあった。
われらが乗ったのは長崎、佐世保行きのハウステンボス号。
1時間で着きました。懐かしい母の実家です。
百姓の仕事も従兄弟が一人でやっている。
今年はタマネギが高騰している。ただし収穫も少ないという。
天候が悪かったからね。
クリークといわれる農業用水路がこんなに小さくなった。
昔はここでザリガニ取りをしたり、泳いだもんだ。
泥水なんで、目を閉じて泳ぐと、いつまでたっても向こう岸に着かない。
焦っていたら、叔父さんに助けられた。ぐるぐると回っていたらしい。
見渡すかぎりの水田と遠く有明の海まで伸びた舗装されていない道路が記憶にある。
ずっと先に小学校があるが、そこまではとても長い時間が必要だった。
子供の視線では全てが大きなもので、距離も遠く感じるものだろうけど。
近くに大きな病院ができていた。その隣りには役場が新設されていた。
町民グランドも大きいわ。野球なら4面、サッカーは3面取れるという。
さすが、佐賀平野。
お見舞いに行ったときは、リハビリ中で、しばらくして戻ってきた。
車椅子に乗り、言葉がでなくなっている叔父さんは、母の問いかけに、涙を流してびっくりしていた。
僕の姿を見ても、ただ涙。
「俺が分かる?」
「うん、うん。」 言葉がでないもどかしさと悔しさで、また涙。
これから先は何年の人生かは分からないが、体が不自由になっての人生はつらい。
言葉が出ないのもつらいことだ。
従兄弟だけが家にいたので、「あれ?」と思ったのだが、じつは奥さんも不整脈で隣りにある病院に検査入院していた。
子供の頃に実家に行くのは楽しみだった。
母の弟や妹もまだ中学生と高校生だった。従兄弟と僕の兄弟が賑やかに遊び、
広い庭で晩飯を大勢で食べたことが懐かしい。
レンコン堀りを手伝い、有明の海にハゼつり、アゲマキ貝を採った楽しい記憶がよみがえる。
田植えの時期には母が手伝いに行くからと、ぼくらも行った。そこで田植えをしてヒルに吸い付かれて痛かったこと。ザリガニ釣りをして、炭鉱町にはいなかったので、友達に分けてやったこと。全てが懐かしい。
すべては遠い記憶
さて、叔父さんの症状が安定しているので、宿泊するのも必要ない。
それに、従兄弟一人で僕らの宿泊の世話も大変だ。
早々に引き上げることにした。
肥前山口駅のホームです。
分岐点の駅なので、いろんな列車の案内がホームに書かれている。
これに乗りたかったんだ。
播但線のSL でこの特急かもめを牽引していたのが、C5711号機。
かつては門デフにかもめのマークをつけて走っていた。
あこがれの特急かもめです。
博多では来たときと同じ、「さくら」の乗車。
姫路には日付が変わる前に着いた。
日本はせまくなったなあ。
初釣り 2016.01.02
あけましておめでとうございます 2016.01.01 コメント(3)