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今回は欧州旅行のわりに買い物が少ない。現在は学生だからということもあるし、ユーロ高でモノがとても高い気がするということもある。以前は欧州に来るたびに「せっかくだから買い物しなきゃ!!」と、すごい勢いでクレジットカードを切っていた。今もそう思う部分があるものの、自分が本当に気に入ったものでないと買うのはいやだという思いのほうが強い。(まあいっぱい買い物をしていたころも、何一つ失敗買いはなかったが・・・・)大人になったのか?そんなわけで今回は、本当に気に入ってかつこのユーロ高ですらドイツで買ったほうがお得と感じられるものに焦点を当てた。このピアスたちは、街に必ず1軒はあるシルバージュエリーの店で購入。私はシルバー×半貴石のジュエリーが大好き。ジーンズに合うし、スーツに合せてこなれた感じにするのも好き。「もう持ってるだろ」って?いいのいいの。こういうの、男の人には理解できない感覚だろうなあ。店のおじさんは最初怖そうに見えたけど、話しかけたらとてもいいひとだった。ドイツ語で色々きいたら、ほめてくれて、なんと最後にものすごく値引きしてくれた。そして、アロマテラピー用のエッセンシャルオイル。グレープフルーツ・ローズマリー・オレンジと、いつもマッサージに使うものを。自然化粧品の店で購入。あまりにも安かったので純粋なエッセンシャルオイルかどうか疑ったけど店の人によると、ドイツではこれが普通の価格なのだそう。そしてソムリエナイフ。ワイン好きなのに意外に持ってなかったので。ドイツらしいちょっとモダンなデザインが気に入った。
2006.05.31
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バッフェ形式の朝食だと、食べすぎて朝からお腹いっぱい。今日なんか牛タンを血で固めたハム(おいしいのだ!)が出てたから、ニュルンベルガーソーセージやクロワッサンと一緒にがっつり食べたもんね。遅めのお昼は消化によさそうなものでおいしいもの・・・ということでコレ。生肉ののったパンなのだ。刻んだタマネギと一緒に食べると、おいしいんだから!!昔これを食べていたら、母が「あんたって猛獣みたいやな」とよく言っていた・・・。夜も控えめに。Nordseeのサンドと、月の形のパンにトマトなど。こうすると、明日はさわやかに目覚めてまた朝食をがっつり・・・・。
2006.05.31
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朝食のときアメリカ人の学生にあった。すぐにアメリカ人だとわかったのは、この寒空の下で半袖のTシャツ1枚で震えていたから。プエルトリコ系で建築を勉強しているという。ヨーロッパは初めてだということで、いたく色々なことに驚いていて怒涛のように話をした。「このキレイな建物を見たい」と彼が指差したのは、ブランデンブルグ門の写真。「旧・東側ってどこからなんだろう?」と無邪気に言う。ブランデンブルグ門に対するとらえ方の重さが違うのは彼が若いせいかそれともアメリカで育ったせいか悩んだ。うーむ。旧・ナショナルギャラリーへ行った。ルノワールにモネ、ドイツの画家達の作品もたくさんあったけど首都の美術館のわりにはけっこう地味なコレクションだな・・・なんて。だけど、欧州の美術館はその建物自体も一見の価値ありのものが多い。街の広場などにあるワールドカップ用のオブジェ。この丸っこい熊はベルリンのマスコットなのだ。S-BahnのS75に乗って宿に帰るとき、高架の上を走る電車からは色々なベルリンが見えた。河に広場に勝利の女神にビアホールの看板。ワールドカップ開催のオブジェ、新しい中央駅。伝統と革新が共存している。Meikeは大都市が苦手だといっていたけれど、私はこういう感じの街ならけっこう好きだ。
2006.05.31
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ついにやってきた、Staatsoper=ベルリン国立歌劇場!!本格的なオペラは初めてなので、わくわく。演目は”L’elisir d’amore” 、邦題が『愛の妙薬』というDonizettiの有名なイタリアオペラ。本当は初心者なので曲りなりにも言葉が聞き取れるドイツオペラの『魔笛』などにしたかったのだけど、この日程では見つからなかったのでやむなし。古典芸能を楽しむコツはしっかり予習をしておくことだと私は思う。能・狂言を観るときにいつもそうしているのだけど、古典にはきまった「様式」・「型」みたいなものがあって、「これがお約束」というのを理解していると断然、生で観るのが楽しいのだ。今回はミュンヘンで買ったCDを何度か聴いた。インターネットで買ったチケットは受付に名前入りの封筒に入れてとってあった。(ちょっと感激!!)ロビーではみんなオシャレしてきていて、シャンパンやワインを傾けながら談笑。私もSektを飲んで、気分を高める。劇場の建物自体はすごくクラッシックなんだけど、舞台はスクリーンに背景が映されるという近代的設備で少しびっくり。『愛の妙薬』はAdina ソプラノ 金持ちで驕慢な娘(地主の娘みたいの)Nemorino テノール 貧しいが純朴な青年。Adinaのことが好きBelcore バリトン 村に駐留する軍人Dulcamara バス 渡りのインチキ医者が主な登場人物で、Adinaも本当はNemorinoのことが好きなのだけれどBelcoreのプロポーズに応えてしまう。NemorinoはDulcamaraから飲めばモテモテになる妙薬を買い・・・と一騒動あったあとに、昔の吉本新喜劇の「やっぱり私、かんぺいちゃんと結婚するわ!!」みたいにハッピーエンドになるストーリー。(いい加減な説明やな)セリフが全て歌というのはすごい。掛け合いが二重唱・三重唱と計算されたハーモニーになっていくのが聴いていて快感だった。Nemorino役のテノールの人は金髪でハンサムなのに垢抜けない感じ(昔のベッ○ムみたいな感じ?)をよく表現していた。私はテノールよりバリトンの方が好きだったのだけど、イタリアオペラの情熱的な部分を表現するテノールの素晴らしさに酔った。Belcore役の人は黒髪のキザなイタリア男ぶりが笑いを誘った。(しかし、私はこの人の方が好みだ)そして、細かい演出の部分が現代っぽくなされていて、ユーモアのセンスが感じられた。(Adinaと気持ちが通じたNemorinoが小さくガッツポーズ、とか)居眠りしたらどうしよう・・・なんていう心配はまったく杞憂で、楽しくて楽しくて、あっという間に時間が過ぎた。(予習がけっこう効いたことと字幕のドイツ語に助けられた部分も大きかった)観客は総立ちで拍手喝采。今回はかなり良い席をとったけれど、歌舞伎の良い席よりずっと安かった。チケットがもうちょっと安いと、日本の古典芸能も身近になると思うんだけどなあ・・・・。
2006.05.30
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今日の昼間はゆっくりするつもりだったので、スーパーのパン屋で買って来たもので部屋でランチ。生ハムをはさんだイタリア風サンドイッチとベルリナー。ベルリナーって、まあ「ベルリンの人」という意味の言ってみればあんドーナツ。ドイツではどこでも食べられて、地方によって入っているジャムの種類が違う。これはプルーンジャムが入っていた。ポルトガルでもベルリナーという名前で売っていたな・・・。スーパーのパン屋で買うと、安くて驚き。おいしいし。オペラに行く前にお茶。お腹すくからねえ。妹よ、ついにErdbeertorte=いちごのタルトだ!!イタリア風のちょっとスノッブなカフェだったので、小さめ&キレイめだけどフォークはまた横に刺さってるし!!またこの画像はKOWさまへ。(゚д゚)ウマー。このカフェ、アールデコふうのインテリアで私好み。しかもお給仕の人がイタリア系・黒髪のとてもかっこいい人だった。(ラテン系・黒髪の人もかなり好きなタイプ!!)オペラが終わってもお腹が空かなくて、晩ごはんなし。
2006.05.30
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夜にオペラに行く予定なので、昼間はゆっくりめに過ごすことにした。ランチのあと、Zoologischer Garten=動物園へ。ベルリン動物園は森鴎外の『舞姫』にも「獣園」という言葉で、ちらっと登場した記憶がある。ちなみに”Zoo”はここではズー(英語)ではなくてツォー(独語)と読んでほしいのだ。動物園に行く目的は、パンダに会うため。1987年にこのベルリン動物園に来た時、なんとパンダは子供たちにずーーーーっと背を向けていて顔が見られなかったのだ。私にとって初パンダはそれだった。もっと小さかった頃は関西在住のため上野動物園に行く機会がなかったし、当時は天王寺動物園にパンダはいなかったはず。(今はいるのだろうか?)そんなわけで、今回はリベンジ。また学割で入場し、パンダを探して歩く歩く。遠足の小さな子供から、おじいちゃんおばあちゃんも多かった。のどかー。そしてついにパンダを発見!!まだ子供で、すごくかわいかった!!しかしパンダの前でカメラが電池切れに!!私のバカ!!そんなわけで、代わりにベルリン動物園のサイトから・・・・。Bao Baoの紹介夜のオペラは長くなりそうなので別途。
2006.05.30
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私が旅行中の食事で困るのは・野菜が食べたい・魚が食べたいの2点である。もうちょっとひどくなると米も食べたくなるが、これは1ヶ月ぐらいは大丈夫。そういうわけで、今日のご飯は野菜と魚を求めて・・・。ランチは南欧風のサラダバーで山盛りサラダとイタリア風のパンを添えて。「サラダだけ??」と思うなかれ。おいしいチーズやポテトサラダが散りばめてあって、上等なバルサミコとオリーブオイルで作ったドレッシングがかかっていれば十分なメインになるのだ。そして夜は、昨日から気になっていたギリシア料理へ。その名も「アクロポリス」ときたら、入ってみたくなる!!あまりドイツ語のうまくないギリシア人のおじさんがやっている店だったので、期待は高まった。「ムサカでもたべるかのう・・・」と思っていたけれど日替わりメニューの中にイカの料理をみつけたので、迷わず注文した。で・・でか!!イカの中にトマトやフェタチーズをつめて焼いて、バジル風味のソースがかけてあった。熱々をほおばる。(゚д゚)ウマー!!!新しいイカの味を十分に活かした、おいしい料理だった。おじさんが何度も「おいしかったか?」と心配そうにきいてきた。「すごーーーく、おいしかった!!!」と強調。ドイツには欧州各国料理のレストランが多くて、本物のその国の人が作っていることも多いからおススメである。今回にしても、おじさんが本物のギリシア料理店をやっているからこそこんな内陸の街なのに特別な魚の仕入れルートを持っているに違いないのだ。
2006.05.29
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映画『ベルリン天使の詩』で天使たちが羽を休めていたところ、Siegessaeule=黄金の女神像を観に行った。続編『ファラウェイ・ソー・クロース』と両方を観たとき、この像を観たいと思っていたのだ。 女神像からStr. des 17. Juni=6月17日通りをまっすぐに歩いて、ブランデンブルグ門へ。ここから先は旧・東ベルリン地区で1987年に来たときは別の国だった。 天使たちだけがやすやすと壁を越えることができた。あの壁とものものしい警備はもうなくて、簡単に通り抜けたのがなんだか不思議。「ドイツの首都は?」という質問に「ボン!!」といまだに答えそうになる私がいる。小学生ぐらいの男の子にお父さんが壁と門の説明をしていた。男の子はドイツ統一後に生まれた世代なわけだし、大事なことだと思う。門から東側は通りがUnter den Lindenになる。ベルリンが欧州の中心と言われた頃、明治時代の森鴎外の気分になって歩く。国際都市ベルリンらしく、スイスハウスだのロシアハウスだのという建物が目に付いた。華やかな通りで少しウインドーショッピングをして、再び歩く。旧東側なので、旧KGB将校の帽子などあやしい土産物が売られていて欲しくなったが合衆国再入国のさいにもめるといやなので買わなかった。これは名門フンボルト大学。 ベルリン大聖堂。(また学割で入場) うつくしー!!そういえばアメリカにも教会はいっぱいあるのにあまり観に行かないなあ。だって新しすぎるんだもん(爆!!)京都から東京に異動したとき「東京の寺社仏閣は新しすぎるよー」と暴言を吐いていた私である。そうしておなじみのスーパーKaisers。ポットのマークがかわいいのだ。 ところで、分断されていたころのベルリンは東西ドイツ国境の上に乗っかっている街で、街の中を通っている国境線が壁だった・・・と思っている方は多くないだろうか?それは誤解である。ベルリンは東ドイツ領内に丸々ぽつんと存在していて、西ベルリンだけが西ドイツの飛び地だったのだ。Wikipediaの「ベルリンの壁」参照最初は私もそう思っていたのだ・・・・。
2006.05.29
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昨日のがっつりディナーのおかげで、あまり食欲がない朝だった。とりあえず駅で朝食。フランスのには負けるけど、やっぱり濃いコーヒーとクロワッサンは美味しい。そしてついにCurry Wurstだ!!焼いたソーセージを一口サイズに切り、ケチャップとカレー粉をまぶしたもの。とってもポピュラーなスナックだけど、Berlinが本場だとか。(゚д゚)ウマー(゚д゚)ウマー(゚д゚)ウマー!!晩ゴハンはまた中華の麺。具は豚肉&ザーサイ。胃にやさしい感じね。そしてカフェにて今日はApfelkuchenを。やはりフォークが横に刺されて出てきた・・・・。大きくって甘くっておいしー♪♪深煎りコーヒーの香りが引き立つな!!この写真もKOWさまに♪♪そして今日、ついに・・・・炭酸水Bismarck!!やっと会えたよアナタに!!思えば今回のドイツ旅行の目的のひとつは、アナタを探し出すことだったのよ!!イマドキペットボトルじゃなく、緑色のガラスびんなのも泣かせる。そりゃあもう、おいしい懐かしい味だった
2006.05.28
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古都ドレスデンからベルリンへ移動。Dresden Neustadt駅はいかにも古い駅という感じで風情がある。時刻表の列車の行き先にもプラハとかブダペストとか、普通に登場していて旅人の気分を盛り上げてくれた。 そして、昼過ぎに到着したBerlin Hauptbahnhof(中央駅)はなんと本日開業だった!!ワールドカップに何とか間に合ったらしく、見物人ですごい人ごみ。旅の記念としては嬉しいのだけど、わざわざ昨日までの到着駅・Zoologischer Garten駅のそばに宿を取った私の立場って? さて宿についたところ、四つ星のホテルでちょっとびっくり。ベルリンで最も古いホテルのひとつとはきいていたけれど、安さとロケーションだけで決めたのにとても素敵なホテルだったので、とても得した気分。本当にここはお値打ちだと思う。 ちょっと昼寝してから、Kurfuerstendamm=クーダムを散策。日曜だからお店はどこも閉まってるけど、さすがベルリンだけあって素敵なウインドーがいっぱいだった。 このあたりは旧西ベルリン地区で、1987年にも来た覚えがある。晩ごはんはまたチャイニーズにしたのだけど、お給仕をしてくれた人がめっちゃタイプ!!!だった。実は知る人は少ないのだけど、私の好みの男性のタイプ(外見)に・細身で長身の中国人・イマドキの濃いアイドル顔でなく、切れ長の目の中国人顔のハンサム・薄いフレームのめがねが似合う・髪は清潔に刈り込んでいるというのがあって、このお給仕の人はこの条件にピッタリだったのだ。(昔、キャスターマイルドのCMで白人に混ざってマージャンしてた眼鏡の中国人男性がとっても好きだった)アメリカでもいっぱい中国系や中国人を見てきたのに、いまだかつてこういう人には出会ったことはな・・・・(以下自粛)。あとはカフェでケーキを食べて、部屋に戻った。花を買ってみたり クナイプのオレンジの香りの入浴剤を試してみよう。
2006.05.28
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Dresdenの宿はBuelow Residenzという、この街で最高級ホテルのひとつだった。貴族の館を改造したプチホテルで、建物も素敵でサービスもとっても素敵!!(シャンデリアがフツーにマイセンの磁器だったりする。) このホテルのもうひとつの目玉がレストランCaroussel。予約サイトのコメントによると“The restaurant Caroussel is awarded with 1 Michelin star und 17 points in Gault Millau. Delicious seasonal cuisine features classical french specialities with mediterranean influences.”まあつまり、ミシュランの星ひとつ、ゴーミヨーで17点も持ってるという超一流レストランということだった。尋ねると可能だったので予約をして、ディナーに行ってみた。久しぶりにレストランの感想などを書いてみる。(東京ではよくこのテの毒舌感想を、食道楽仲間で交換していた)あくまでも私個人の感想なので、鵜呑みにしないで頂きたいもの・・・。あと、毒舌が苦手な人は御遠慮願ったほうがよろしいかと思う。☆内装 赤基調のクラッシックな雰囲気。白地に紺&シルバーのふちの食器の銘柄は確認できなかったが、他のテーブルのご婦人が「んまあ、マイセンだわあ!!」と叫んでいたので、おそらくそうなのだろう。茶器はVilleroy&Boch、カトラリーはドイツのメーカーの銀製。食器はモダンでクールにして良くバランスがとれていた。テーブル数組と他に晩餐会用の個室があった。☆サービス たいへんにこやかで感じのよいサービスではある。給仕は4名と助っ人が入っていた。4名はソムリエの資格もあるようだった。料理の説明は的確だったが、飲み物をサーブしたり次の料理との間合いを読んだりという先を読んだサービスが不足していた。テーブル数に対し給仕の数は足りていると思われるので、ここは一流店としては改善してほしいところである。☆料理 おすすめのフルコースも準備してあったが、体調が万全ではないため相談しながらアラカルトでコースを組んだ。アルコールも食前酒のみにし、あとは炭酸水を頂いた。・食前酒 シャンパンではなくあえてこのザクセン地方のSektをオーダー。シャンパンよりも辛口できりりとした味わいで、大変おいしいものだった。・アミューズ 鮭&鱒の3品。おいしかったが、サーモンと鱒と似たものばかりで3品作るよりも、気合いを入れた1品に絞ったほうが最初の一口としては印象深いように思う。鱒についていたアボガドのムースも、イマイチアボガドの風味を活かしていなくて、なすのペーストかと思った。 ・パン ドライトマト入り全粒粉パン、フォカッチャ、ドイツらしいライ麦パンなど数種に発酵バタが添えられて供された。しかし、変化球ばかりでなくバゲットは入れておいて欲しかった。・前菜 生フォアグラのマリネ おそらく赤ワインベースの汁でマリネした生フォアグラをテリーヌ風に固めたもの。フォアグラのねっとり感を残しつつ、しつこさを消していたのはお見事。見た目も非常に美しかった。焼きたてのブリオッシュも添えられ、食感を楽しめた。 ・スープ 白アスパラガスのスープキャビアポテト添え 旬の白アスパラを楽しみたくて注文したが、大変失望した。まず、白アスパラは具程度にしか使っていなくて、まったく風味が活かされていなかった。裏ごしした冷製ポタージュなどもっとスタンダードな作り方のほうがベター。また、マッシュしたじゃがいもにキャビアくるんで揚げたキャビアポテトについては、キャビアに火を通さず揚げてある点はお見事なのだが、それだけ。このスープに浮かす必然性が感じられず、スープとの平仄がとれていなかった。 ・メイン 子羊、野菜を包んだもの これはまずまず及第点と言ったところ。ラムはオージーよりもかなり優しい味で、野菜とよくマッチしていた。ソースの濃さも肉との平仄がとれていた。 ・口直しのプレデザート クリームチーズと桃のデザートだったが、口直しに持ってくるには少々重い。(私が日本人だからか?)さっぱりしたシャーベットかゼリーぐらいの方がメリハリがつくように思う。 ・デザート チョコレートとバナナのタルト 一流店のデセールでチョコバナナタルトを出すとは、ケンカを売られているような気がしたので選んでみた。が、バナナの層とチョコレートの色々な味の層のバランスが絶妙で、添えられたアイスクリームもさっぱりしたイタリアンジェラートにしてあり、正解である。 ・コーヒー&小菓子 小菓子にはマカロンがなく、ドイツらしいバウムクーヘンがあったりして楽しめた。チョコレートも大変上等な味。 ☆総評 とてもおいしいのだが、個性と目指す方向がイマイチ見えてこない料理だった。野趣あふれる味をめざすのか、洗練された味をめざすのかが中途半端でメニュー作りや味付けにも反映されていた。もっとこのレストランの独自性を見つめなおして欲しいところ。今のままでは、東京でこの店を出したら間違いなく潰れるだろう。ミシュランの審査員が何を考えていたのかはなはだ疑問。
2006.05.27
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ちょこっと胃がつかれてきた感じがして、あたたかいスープが食べたくなった。ランチはチャイニーズで中華そばを食べて、元気を取り戻した。そしてオペラ前の伝統的なカフェ・Schinkelwacheへ。濃いコーヒーとケーキの香り、おばあちゃんでいっぱい。私はポットのコーヒーとKirschkuchenをたのんだ。をを!!この大きさと、横にささって出てくるフォークがいかにもドイツのカフェだ!!ビスケット生地の上にカスタード・さくらんぼ・クランブルという層になっていて、クランブルが甘い香り。アメリカなら間違いなくエッセンスかシナモンかカラメルの香りなのだけど、ドイツのはちょっと違う香りがする。(でっかいケーキの写真は甘党のKOWさまにささげます。)そういえば、ドイツでまだ一度もスタバを見てないな。だけど、こういうおいしいカフェがあったらスタバは入らない気もするな・・・。ここではドイツ在住の日本人女性と少し話す機会があって、とても楽しいハプニングだった。さて今日のディナーはちょっと長くなりそうなので別途。
2006.05.27
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ドレスデンを歩くぞーーー!!!意気込んでホテルを出た。昨日からこの街の美しさに魅せられっぱなしだ。小さなパッサージュや並木や石畳やそこここにある小さな広場などがとっても美しい。旧市街側へエルベ河を渡りながら、デュッセルのライン河岸を思い出したり、古い橋はプラハのようだと思ったり。 ドレスデン城やゼンパーオペラの建物の美しさにため息をつきながら、ツヴィンガー宮殿へ。ここの内部はいくつかの美術館・博物館として公開されているのだ。私はオトクな全館共通チケットをさらにお得な学割でゲット!!(アメリカの学生証で通用した。フフフ。)まずはマイセン陶磁器コレクションを観た。中国や伊万里・柿右衛門などのおなじみの焼き物がいっぱいあって、感激。マイセンをはじめとする欧州の陶磁器は最初、中国やアジアのものを真似て研究されたんだもんねえ。だけど私の一番好きな朝鮮白磁や青磁はなかった。ああいう美しさはヨーロッパ人には受けないのか、単に当時の貿易ルートの関係なのか・・・。(当時は主にオランダやポルトガル商人の手で貿易がなされていたのだ。)そしてアルテ・マイスター絵画館へ。ここには本当に名画がざくざくあった。しかもフェルメールやルーベンスといった渋いコレクションもいっぱい。ここでびっくりしたのがラファエロの「システィーナのマドンナ」という絵で・・・下のほうにちょこっといる可愛い天使たち、見覚えがある人も多いはず。色々な天使グッズになって売り出されているけど、この絵が元ネタだったのね!!ひそかに天使グッズが好きな私にはとってもうれしい発見だった。そうそう、面白いものを発見。旧東ドイツ製の自動車トラバント、愛称トラビ。これを自分で運転して観光するというツアーがあるのだ。見ている人たちもみんなヒューヒューって歓声をあげていた。エンジンをかけると、バンバンバン!!と、けっこうすごい音がしていた。このあとは古いカフェでお茶して、新市街まで戻ってブラブラウィンドーショッピング。麻100%のトルコブルーのシャツワンピースが10ユーロになっていたので即買い。あとはアンティークショップを眺めてまわった。時間の流れ方がゆっくりな気がした。
2006.05.27
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ランチはミュンヘン駅で買っておいたバゲットサンド。ハム&チーズの基本的なやつ。フランスのものには負けるけど、これもこれでおいしい。 そして夜は、飲んじゃった!!スーパーに行ったら、予想通りワインが信じられないぐらい安いので買ってみた。日本でも手に入りにくそうなものを・・・ということで、あえてボルドー&ブルゴーニュは避けて、西南地方のCoteaux du Languedocの2004年を選択。本当は重めの白ワインを探したけど、気に入ったのが見つからず赤にした。ワインもそこそこ勉強してるけれど、マニュアル読むより1種類でも多く試すのが一番だ。つまみは黒パンにチーズとパテ。おいしー。けど、このワインちょっと若すぎたかしら。もうちっと癖のある味を期待してたんだけどなあ・・・。保存用の道具持参なので、ラベルはしっかりはがして持って帰ろう。
2006.05.26
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さあて、今日は列車でミュンヘンからドレスデンまで移動なのだ。大学生の頃は数カ国をまたがって旅したのでユーレイルパスを使ったけど、今回はドイツ国内のみなのでジャーマンレイルパス。トータルの運賃と比べたら、かなりお得だったので。列車の旅って風情があって大好き。駅って旅情を誘うからね。ミュンヘン駅でサンドイッチを買って、ICE(Inter City Express)に乗りこんだ。アウグスブルグ・ヴュルツブルグを経てフルダで乗り換え。この沿線は子供の頃何度も車で旅行したおなじみの地域。マイン川が見えて、ちょっと感動。そしてアイゼナハ・エアフルト・ヴァイマール(ワイマール憲法でおなじみ!!)・ライプチヒを経てドレスデンの新市街駅へ到着。このあたりはいわゆるゲーテ街道かな。所要時間はけっこう長いけど、畑・森・うし・ひつじ・河・城・ワインのブドウ畑などを眺めたり、まわりの人を観察したり、おしゃべりを盗み聞きしたりしていると退屈しない。そして今回はmp3に落としたオペラを繰り返し聞いていたので、けっこう楽しかった。ドレスデンの新市街駅は中央駅ではないのでちょっと小さめ。ホテルに近いのでコチラに降りた。ドレスデンはザクセン州の州都で、旧・東ドイツ圏の古い街。列車で2時間半もいけばプラハについてしまうような場所なのだ。そしてあの有名な陶器の町マイセンにとても近い。そもそも、私がドレスデンに行きたいと思ったきっかけは、昔読んだアガサ・クリスティの小説の遺産相続にまつわる会話の中で「あのドレスデンのデザートセットは私がもらうのよ!!」というセリフが気になったため。おそらくこの地域製の陶器のデザートセットがイギリスでも珍重されたのだろうな・・・なんて想像の翼を広げたのだった。ホテルに荷物を置いた後、近くをブラブラして街の美しさに驚いた。雰囲気がドイツというか中欧的な感じ。ウィーンやプラハに似た匂いを感じた。
2006.05.26
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ドイツの旅行といえば楽しみなのがホテルの朝食。ヨーロッパ各国の朝食を比較すると、ドイツのものが私は一番好き。(イングリッシュ・ブレックファーストも捨てがたいけど・・・。)たいていはビュッフェ形式で、パン各種・スクランブルエッグ・ソーセージ・ハム各種・チーズ各種・シリアル各種・ヨーグルト各種・ジュース各種・コーヒー・紅茶・ホットチョコレートなどなどが食べ放題。これがかなり安いホテルになってもしっかりついてくるんだから驚き。ミュンヘンでおそらく一番安いホテルでもこの通りなので、朝食ガッツリ主義の私も大満足。しかし、昔に比べると少ないな~。子供の頃は山盛り×3往復が基本だったのに・・・・ランチはノイシュバンシュタイン城のふもとにて、ツアーの皆さまと。私はバイエルン名物Weisswurstを注文。これはソーセージなのに足がはやくて、昔は当地でしかもお昼までしか食べられなかったんだそう。父がミュンヘン出張の際に食べた話をきいていたので、食べたかったのよ~。おいしー♪♪。「ちょっと失礼」とカメラを出したら、相席の方々も「オッケー」だって。夜はツアーから帰ってきて、ちょっとお疲れ。駅前で目をつけていたトルコ人のおじさんの店で・・・・ケバブ購入!!じゃーーーん!!そして甘ーいバクロワも一緒に。「ケバブなんてアメリカでも食えるやろ!?」って?だってあれはアメリカナイズされてるもーーーん。ドイツにはトルコ人が多いからか、こっちの方はイスタンブールで食べた味と同じだもーん。(゚д゚)ウマー。バクロワはパイ生地みたいなのにナッツのペーストがくるんである甘いお菓子。こちらはイスタンブールで食べて以来のお気に入り。しかしソーセージやケバブなんて、昔の私にはおやつだったのに~。あの頃の私の胃はブラックホールのようだった。懐かしい黄金食欲期。
2006.05.25
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今日は現地のバスツアーに参加して、リンダーホフ城とノイシュバンシュタイン城へ。バスツアーも現地のものにした。日本語のツアーは高くて、学生の私には払えないのよ~。2階建バスには各国語が飛び交い始めた。そしてガイドさん、各国語でガイドを始めた。ドイツ語・英語・スペイン語・ポルトガル語・フランス語などなど・・・。いるんだよなー、ヨーロッパにこういう人。私がドイツ語で話すと、なんだかとても喜んでくれてカナダ人の御夫婦に「あの子はドイツ語が話せるんだ~」なんて自慢してた。まずはリンダーホフ城へ。ここはルードヴィヒ2世がフランスのロココ様式で造らせた城。内装の豪華なこと!!ボヘミアガラスのシャンデリアにマイセンのキャンドルたて・・・・。さすが最後に禁治産者にされただけの浪費家だ。なるほどねー、ヴェルサイユ宮殿のパクリっぽいなあ。それだけに、庭もきれいだった。お城としては少し手狭な(?)感じ。もしかしたらここは、子供の頃に来たことがあるような気がする・・・。そして地元の村・オーバーアマガウへ。土産物屋さんが多いけれど、まあなんとのどかなアルプスの村!私は土産物はみるだけでほとんど買わず。だっていっぱい実家にあるし(笑)。そしていよいよノイシュバンシュタイン城へ。ドイツといえばここ、というぐらい有名な城だけどこの城はドイツの城の中でもかなり異色だと思う。ドイツには茶色くて、渋くて、中には甲冑とかがいっぱい飾られているいかにも「要塞」という感じの城が多い。例えばエルツ城とか。だからこんな夢のような色とデザインの城を建てたルードヴィヒ2世という人は、相当非凡な人だったのだろうと思う。ふもとから城までは30分ぐらいのちょっとしたハイキング。おじさんやおばさんは「ふーーーーっ」と言いながらゆっくり歩いていたけれど私は20分ぐらいで楽勝!!鍛えてますから!!この城には子供の頃に来たことがあるけど橋の上から観ただけなので、今回やっと中が観られて感激だった。内装は・・・そりゃあもう、変わっていた。暗くて、石とレンガとゴブラン織りという一般的な城の内装を想像していたら見事に裏切られた。ビザンチン風・・・アラブやトルコのモザイクのような幾何学模様がいっぱいで、色彩もトルコブルーにコーラルピンクに金色でまんまビザンチンふう。そして風光明媚なここと言ったら!!湖と山と谷が一望できて、ゼイタク。アウトバーンを走っていると、牛や羊が見えたりしてのどかーな感じ。夜はホテルのカフェで濃いコーヒーを飲みつつ、ハガキを書いたり。(ヨーロッパ旅行といえば、皆さまに期待されているシーンだと思うので・・・)<どうでもいいおまけ>"Neuschwanstein"をカタカナ発音するときに気をつけるべきこと。○ ノイシュバンシュタイン → 新しい白鳥の城× ノインシュバインシュタイン → 九つの豚の城・・・・・ちょっとしか違わない気はするんだけどお・・・。
2006.05.25
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「ドイツで食べるべきものリスト」をきっちり消化しないといけない。そしてきちんと実家に報告するのが、この旅行における私のミッションなのだ。そういっても、まだあまりお腹が空かない。ランチはデパートのレストランへ行って・・・・グラッシュズッペだーい!!元々はハンガリー料理から来たこの料理は、今ではすっかりドイツ料理になってしまってる。パプリカとその他のスパイスがきいたビーフシチューのようなものかな。私はこれが幼い頃から大好きで、この旅行の食事はずーっとこれを食べ続けてもいいぐらいなのだ。おいしーーーい。この味と香りなのよ~!!感涙!!しっかり味の記憶を呼び覚ましておかないと・・・Meikeのお父さんにもらったレシピで自分でも作ってみなくてはいけないからね。気合を入れて写真を撮ってたら、隣のテーブルのトルコ人のお姉ちゃんに爆笑された。「食べ物日記つけてるのよ!!」と言っておいた。夜は少しお腹が空いてきたけど、あっさりめのものがよいなー。そんなものあるのかー?と・・・。しからば、この袋はどうだ。そうっす。コレコレ。Nordseeのニシンのサンドイッチよ~。塩漬けニシンがお刺身みたいでおいしー!!タマネギ&ピクルス&バゲットのこのハーモニーはどうよ!?感涙だーーー。もっと上等なもの食べろって?私はこういうものが食べたくて、ドイツに来たの!!
2006.05.24
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朝っぱらから久しぶりにやられた・・・・!!朝食のカフェで韓国人の学生に当たり前のように韓国語で話しかけられた・・・・。・・・・いやー、しょっちゅう間違われるから。ソウルでも北京でもおばちゃんに道をきかれるから・・・・私。ミュンヘンの街の中心部をブラブラ歩いた。市庁舎やペーター教会など。あとはデパートの中など。私の一人旅って「ブラブラする」ために来るようなものなのだ。夕立があったので、雨宿りがてらKarstadtでCDを物色。Die PrinzenとPurとオペラのCDを購入。ベルリンでオペラを聴きに行く予定だから、予習しなくちゃいけないの!!
2006.05.24
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到着までの間、不規則な機内食をしっかりと食べ続けたうえアメリカ・ドイツ間6時間の時差があるのでお腹があまり空かない。旅先でこういうときは果物で調整した方がいいのだ!!今日はトマトとチェリーを。アメリカより安かったアメリカンチェリー。
2006.05.23
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今回はAir Franceなので、パリ経由でミュンヘンに到着。着いた瞬間、敵国から友好国へ降りたくらいの安堵感があるのはなぜかのう・・・。ミュンヘンの空港からは学生旅行らしくシャトルバスに乗る。定刻にバスがきちーーーーっと発車したことに感動すら覚えた。ホテルは中央駅の近くなので、楽勝でたどりつく。夕方だったので少しだけ外を散歩。水やお菓子を買いにスーパーへ行ったりとか。さすがに疲れていて、足がむくんでいるので早く寝た。
2006.05.23
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一時帰国の前にまとまった自由な時間が取れたので、ドイツに行くことにした。アメリカにいる間はヨーロッパへは行かずになるべく近場に行こうと決めていたのだけれど今年に入ってからだんだんとヨーロッパに行きたい熱が高まってきた。マクロ経済の授業でベルリンの壁が壊れる映像を観て、けっこう決定的になった。アメリカで生活するうちに、自分の中の深い部分でヨーロッパに強い影響を受けている部分を再認識したというのもある。ちょうどアメリカでの生活が1年になるところで、ヨーロッパをみるのは悪くないと思った。そして、一人旅大好きな私にとって2週間ものまとまった時間がとれるというのはなかなかないチャンスだから。20歳から毎年欠かさず一人旅に出てはいるものの、社会人になってからは最長でも10日間・・・・のんびりまわったら2都市が限度だ。大学生の頃に1ヶ月かけて列車でまわったようなスケジュールはもうムリだとあきらめかけていた。今回は2週間かけて、ドイツでも初めての都市を中心に列車でまわる。ジャーマンレイルパスも買った。ミュンヘンからベルリンまで往復するコース。まずは明日、ミュンヘンから・・・。ブログ更新は、ちょっと遅れるかもしれないけれど何とかリアルタイムにチャレンジしようかと思っている。行って来ます。
2006.05.22
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13歳で帰国して、再びドイツを訪れたのは20歳の時だった。<早くもう一度ドイツへ行かなくては・・・!!>強い気持ちが自分の中で抑え切れなくなった。「一緒に行こうよ」と言うドイツ時代の友達の都合を考えている暇なんかない感じだった。それに、思い出を語り合いながら行く旅行はちょっと違う気がした。母が心配性で、当時の我が家では「外国への一人旅なんて言語道断!!」だったしそれまでの私は両親の言いつけに背いたことはほとんどなかったが、今回だけは別だと思った。航空券を勝手に予約した。毎日電話を入れる条件で、一人旅は許された。まずはパリに入った。何度も訪れた美しい街をのびのびと歩き回って、来るべき時への助走をしていた。「来るべき時」がどういうものなのかわからなかったが、それが近いことを感じていた。北駅からドイツ行きの夜行に乗ったが、一睡もしないまま国境を越えた。子供の頃に何度か往復した路線なので、外を見なくてもアーヘンを過ぎたのがわかった。朝日がのぼってケルンの大聖堂が見えてきたとき、車掌の言葉がドイツ語に切り替わっているのに気づいた。デュッセルドルフの中央駅からは勝手知ったる市電で宿へ向かった。雨が降っていた。翌日、子供の頃に住んでいたアパートをみにいくことにした。ドイツには珍しく、市電が遅れてきた。市電の先頭には国旗がはためいていた。アパートのまわりは昔とかわらず、ちょっと拍子抜けだった。近所のスーパーを観に行ったら平日のはずなのに休業中だった。近くの市庁舎の広場に行ったら、また国旗がはためいていた。<あ・・・そうか!!>10月3日、ドイツ統一記念日だった。私がドイツにいた頃には存在しなかった祝日だから気づかなかったんだ。<やっぱりドイツは変わったんだよね・・・>逃げるようにフランクフルト行きの列車に乗った。<これを確かめに来たんでしょ?><そうだよそうだよ>私の中のドイツのイメージを1988年のまま止まっている理想郷をぶち壊すためにドイツに来たのだもの。<いいんだよ、これで>フランクフルトに着いたら、雨はあがっていた。
2006.05.21
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今日は昼過ぎまで寝ていた。昨日はちょっとのどが痛かったりしたけど、ぐっすり眠ったら治っていた。あとはノロノロ掃除&洗濯をして、散歩へ。甘ーいシナボンをがっつり食べて、買い物をしてずいぶん歩いた。ちょっとシャンパン飲んでおねむの状態。1年生が終わったっていう実感がまだ湧いてこないな~。普通の週末みたいな感じ。この夏休みは色々とイベント盛りだくさんなのに!!まずは明後日から旅行だ!
2006.05.20
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で・・・・、ヤキソバ30人分を作った。きっかけはこのバーベキューが話題に上がったとき、何人かから「Tsumugi、ヤキソバ作ってよ~」と頼まれた。昨年9月のアジアバーベキューで、kyurikaさんを手伝って作ったヤキソバをみんな覚えているのだった。えー、その日まだ私試験があるんだけどなあ・・めんどくさいなあ・・と思っていたものの電話で母に話したら「みんなが食べたいんやったら、作ってあげたらええやん。簡単やし」と言われたので<それもそうやな>なんて思って、作ることにした。材料は前日にみんなで買出しに行った。そばはマ○ちゃんの生麺と粉末のソースがセットになったもの。具はシンプルにキャベツ・にんじん・豚肉。ピクニックのように予め調理して持っていったものを冷めた状態で食べるので、細かい工夫をほどこすことにした。人に食べてもらうからには、おいしく食べてもらいたいのだ。工夫1 そばははさみで短めに切る。割り箸でなくフォークで食べるときに食べやすくするため。しかも日本人がやる麺をすすって楽しむのは世界では珍しい習慣で麺を「食べる」感じの方が一般的。(パスタとかもそうでしょ?)アメリカで売ってるカップヌードルの麺も日本のものより短いはず。工夫2 そばに予め熱湯をかけてほぐす生麺なんだけど、冷凍されたりしてくっついたり固まったりしている。ザルに入れて、熱湯をかけてほぐした。このほうがフライパンで味をなじませやすい。工夫3 やわらかめに仕上げる冷めると麺も具も固くなるので、やわらかめに仕上げておく。前述の熱湯ほぐしと、粉末ソースを少し酒や豚肉を炒めたときに出たスープでといてからあえたことでふっくら仕上がった。工夫4 味付けは濃い目に仕上げる冷めてから食べるので味付けは濃い目の方がよい。ウースターシャーソースを粉末のソースに追加して調整。大鍋で何度かに分けて作った。会場ではみんなが絶賛してくれた。「おいしーーーー!!」「どこのデリで買って来たの?」とか「この麺さっきから食べ続けてるのよ~」とか「Tsumugiはもう結婚してるの?」とか!!他の食べ物はけっこう余ったのだけど、ヤキソバはキレイに完売。うれしいねえ~。料理人にとって最高の栄誉だ。
2006.05.19
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朝10時で選択科目の期末試験が終えて、急いでアパートに帰った。アジアMBAクラブの送別バーベキューパーティーがあるからだ。何せ私はクラブの料理アドバイザー(?)となっているため、料理に失敗は許されないのだ。今回の課題はヤキソバ30人分。ヤキソバについての詳細は別記事に書くこととして、色々工夫をして仕上げた。Sakolの車に乗り、会場の公園へ向かった。アジア人中心なので、肉はもちろんカルビ。他にシーザーサラダやパスタなど分担して作ってきた食べ物もあり。そして中国人がマジョリティーなだけに、ビールはコレ!!青島ビールだ!!普段はビールを飲まないわたしも、コレは飲む。中国人が多いので、なぜか公用語が中国語ってな感じだったが・・・・2年生の女性と色々話したりして楽しかった。なぜか美人が多いんだなー~。同級生とも夏の予定などを話す。インターンがギリギリに決まった子がいて、すごく嬉しかったり。来年は私も送り出されるのだろうな。
2006.05.19
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すっかり初夏。涼しい日もあるけど、日差しはしっかり強いので肌の手入れも夏仕様にした。まずは紫外線対策。私は年間を通してUVカットの保湿乳液を愛用しているけれどSPF45の強めのものを新たに購入。通学でけっこう日焼けするし、これから外で遊んだり旅行に出たりするときはいつものものだと弱すぎるので。Neutrogenaのものを購入。日焼け止めってけっこう肌に負担がかかるけれど、これはoil-freeなので私でも大丈夫。そしてアンチエイジング成分も入ったスグレモノ。そして忘れちゃいけないのが脚や腕のお手入れ。Tシャツやワンピースを心おきなく楽しむために、きちんとしておきたいもの。基本はしっかり日焼け止め&保湿かな。カサカサじゃなくてしっとり自然なつやが出ていれば言うことなし。けっこう盲点になるのが二の腕なのだ。上腕の後ろ側の部分。電車の中などで見目麗しい人なのに、ココがプツプツ・カサカサなのを発見して一気に興ざめしてしまうことが多々ある。お風呂に入ったときに、せっけんを泡立ててタオルでやさしく洗い忘れずに保湿すれば大丈夫。そして脱毛。私はナショナルのソイエを愛用中。(10年使ってきたブラウンのものが半年ほど前に壊れたので・・・)これなら電源も海外対応だし、軽いから旅行にも持っていけるのが優秀。かみそりより脱毛の方がもちがいいし、仕上がりもきれい。今の脱毛器はとっても改良されてるので、全然痛くないしね。こんな感じで夏のおしゃれを楽しもう♪♪
2006.05.18
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・・・なんて、スカして言ってみたいものだ。銀行にいたとき私は何度か泣いたことがある。その「何度か」の全てを思い出すことができる。悲しくて・・・というのは人と別れるときばかりで、悔しくてというのが大半であとは嬉し泣きだった。一度をのぞき、人前で泣いたことはない。しかもそのたった一度は人に見せるために泣いた。うそ泣きだ。入行3年目の春、恒例の採用活動に参加していた。今はどうなっているか知らないが、当時はいわゆる「リクルーター制」をやっていた。出身大学ごとにチームを組み、自分の後輩達をリクルートするのだ。チーム内では出身学部や体育会などのしばりでいくつかの班にわかれていた。私は経済学部班所属。班長は1年先輩のAさんが、全体のチームリーダーは2年先輩のBさんがやっていた。Bさんは入行が私と同じ支店だったこともあり、私のことをとても気遣ってくれるいいアニキだった。いや、私にだけでなくみんなから慕われる親分のような人だった。前年度は4年目だったBさんが経済学部班の班長で活動したのだが、私が活動に対してあまり乗り気でなく、よくBさんに注意された。その反省もあったし、今度はBさんが全体のリーダーだったのでわりと頑張って活動していた。私の担当した学生がトントン拍子で内定をもらい、後輩達も私の姿を見て活動のやり方を学んでいった。その私を見て、同期や先輩達が「華岡は頑張ってるな」と口をそろえて言っていた。私が頑張っていたのはもうひとつ理由があった。私の同期・・・平成10年入行の総合職と1年下の11年入行総合職との間で研修プログラムの見直しがあった。そのせいで、平成10年入行組に色々としわ寄せが来ていた。最大のしわ寄せは、人事部が11年入行者を先に法人業務のジョブローテーションに組み込んだことだった。当時は法人業務を学ばないと最初の支店を卒業できないような風潮があったし、後輩が法人業務の見習いに入るということは、支店の中で若手に任せられる仕事・・・雑用に近いことまで・・・を引き続き我々がやらなくてはならなかった。「俺達のことはどーでもええんやね!!」と見捨てられたような気分になり、私の同期の多くが仕事に対するモチベーションを失くしていた。元気がない同期に「もうちょっと頑張ろうよ」「人事部をギャフンと言わせてやろうよ」と私は言い続けていた。一方で人事部に対しては「こういうやり方で平成10年組のモチベーションを下げていることにたいして人事部としてはどういう考えをお持ちなんですか!?」と、機会があるごとに食って掛かっていた。そんな私だったから、人事部の権限の下でやる採用活動でも絶対に手を抜きたくはなかった。そんなある日、そろそろ帰ろうかとしているとBさんがやってきた。「はよ帰れよ」「今日はもう帰ります」Bさんはしげしげと私を見つめて言った。「華岡、今年はようがんばってるやんか。みんな言うてる」ああ、去年の私と比べてるのね・・・・と私は思った。「私も3年目ですから、要求されるレベルは違ってきますからね」Bさんはふふーんと言って、ニヤッと笑った。「まあ今のお前、支店で大した仕事もしてへんからな」<『大した仕事してへん』って!?>一瞬めまいがした。私や同期が同じ場所に足止めされて、モチベーションを維持するために必死で戦っているのはBさんも知っているはずだった。しかもその人事部のやり方について、「絶対問題がある!!」とつい最近議論したばかりだった。何よりも、大好きなアニキであり若手のリーダーとして期待しているBさんには冗談でもそんなことを言って欲しくなかった。<Bさんに謝らせなきゃ!!自分がどれだけ華岡のモチベーションをぶち壊したか反省させなきゃ!!>しかしBさんはいつも私を冗談でからかい、私を子供扱いしておちょくる達人だ。「そんなこと言わないで下さい!!」と正論をもって議論へ持ち込む正攻法では、ハイハイとなだめられるのがオチだ。Bさんに「本当に悪いことを言った」と悟らせるためには・・・・。<泣くしかない・・・か>判断から行動まで1秒とかからなかったと思う。中学~高校時代に自己流で訓練した私は、実は自由に泣くことができる。北島マヤや小早川志緒並みとまではいかないが、ある程度コントロールがきく。私はBさんをみつめながらゆっくりと両目に涙をため、ほおの一番高いところまで伝わせて止めた。鏡を見なくても、自分がどんな表情をしてどういうふうに周りの目に映るかは把握していた。あくまでもテクニカルなやり方だと思うのでオーディションは落ちるに決まっているが、若手銀行員をビビらせるには十分だったはずだ「おい!華岡!!」Bさんが真剣な顔になり驚いて声を上げたので、周りのメンバー達もいっせいにこちらを見た。私は涙をあふれさせながら壁を向き、自然に出そうになってくる声を無理やり押し殺した。こうすると嗚咽になるのを知っているからだ。「華岡、済まなかった」Bさんが真剣な声で謝りながら、私に近づいてきた。どうやら、自分の言ったことの重大さを悟ったらしい。しかし、いきなり泣き止むのも変なので、自然にフェードアウトしようとしたのだが・・・・。「どうしたんや華岡!?何かあったんか!?」いつもクールで女性の涙にさえ動じないはずのAさんまでも飛んできたうえ、人事部の役付者までが部屋に入ってきた。<やばい!!やりすぎたかなあ・・・>私はBさんの手を振り払い、部屋を飛び出した。姑息な手段を使ったものだと思う。だけど、これ以上に効果的な方法は他になかったと今でも思っている。この時の私はBさんに人の気持ちのわかるいいリーダーでいてほしかったのだ。生意気だった3年目の私。少し後でうそ泣きの真相を告白して謝ったら、やさしいアニキは許してくれたけどね。
2006.05.17
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ジュンジュン=春田純一さんのブログの本日付の記事よると今度の舞台の稽古が中盤にさしかかって、ちょっと疲れが出てきたそう。>疲れてきたり慣れてくると、感受性が鈍くなって集中力に欠けるので、>ここらで気を引き締めなければいけない仕事柄当たり前のことなのだろうけど、自分で「おじさん」と言ってる51歳の男性の文章に、「感受性」という言葉がでてきたことに対して私はひそかにときめいたよ。ブログのコメントも見てくださってるみたいなので、嬉しい私。あ・・・宣伝しなきゃ!!!ジュンジュン=春田純一さんNHK大河ドラマに御出演!!!5月21日(日)の放映分からのはず。忘れずに観よう!!
2006.05.16
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果敢にローカル食材での和食は続く。今回のお題はタロイモ。熱帯地方でとれるイモで、これを主食にしている地域もあるとか。(中学校の地理の授業で習った記憶がある。図表に写真も載っていた)スーパーの中南米コーナーで売っていたので、メキシコなどの人は食べるのかもしれない。しかしこのタロイモ、サトイモの仲間なのだ。知ってるもーん。だから私は「イカのダシで煮たら、うまかろうもん♪♪」と思って買って来た。そして今回は豪華にも凍み豆腐とのカップリングで煮物だあ!!ダシは昆布&するめ&干ししいたけで。この凍み豆腐、冷蔵庫の奥に入れておいた豆腐が凍ってスポンジ状になってしまった偶然の産物なのだ。だったら煮物に入れて、だしを吸わせて食べましょう♪♪ということなのだった。おいしい。サトイモとイカのダシはよくそう味だ。こういう煮物、日本に住んでいても作る人は少なくなってきてるんだろうな。そんなに手間も時間もかからずに作れるんだけどな~。
2006.05.16
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散歩のついでに冬物のダウンコート2着をクリーニングに出しに行った。実はアメリカでクリーニングを出すのは初めてだ。(クリーニングに出すようなものはほとんど着ないため。)クリーニング屋は何軒かみかけたことがあったが、以前通りかかりに見つけた小さな店に入った。クリーニングのほかお直し各種もやっているらしく、糸の見本と旧式のミシンが置いてあった。客の母娘が店の主人らしい老婦人に、娘のドレスのお直しをたのんでいた。私の番が来たのでコート2着を預けると、いつ取りに来たいかをきかれた。老婦人の英語はかなりこまぎれで強い訛りがあった。「ロシア系かしらん?」私が思っていると、老婦人は私にどこの国から来たのか、アメリカに来てどのくらいかと尋ねた。日本から来てもうすぐ1年になる、ビジネススクールで勉強しているのだと答えると老婦人はかなり感心したらしかった。「日本はいい国だよ。みんなよく働くし」私はロシア出身なんだけどね・・・と老婦人はしゃべり始めた。彼女には医学部で勉強中の自慢の娘とあまり勉強しない困った息子がいるのだという。「お金持ちになる人はみんな頑張って働くんだからねえ」老婦人は私が日本人でしかもビジネススクールにいるというのは、とてもいいことだと言った。私が外国人だから、何となく話をしたくなったのかもしれない。私は彼女が外国で、お直しやクリーニングの腕で小さな店を切り盛りしていることが素直にすごいと思った。
2006.05.15
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Die Prinzenはドイツではかなり有名なコーラスグループ。メンバーは子供の頃から教会のコーラスで歌ってきたというから、鍛え方が違う。私の好きな『Ganz Oben』は以前、NHKのラジオドイツ語講座のテーマ曲として流れたのを偶然きいてそれ以来彼らのファンになった。意味は「とっても高いところ」なのかな・・・私のイメージでは「すごく上へ」。うつむいている日常から目をあげてみようよ、というような感じの歌。日本では前回のワールドカップの時に彼らが歌った応援歌『OLLI KAHN』でけっこう有名になったと思う。そうそう、前の職場に日本人学校の1年先輩に当たる人がいたんだけども、その人にきいた話。私はその人に「Die Prinzenは最高っすよ!!」とずっとすすめていたのだけど、その人はまだこのグループを知らなかった。そしてある週末、日本人学校の同級生仲間でやっているサッカーの練習に行った。ふと見ると、何人もの車の中にDie PrinzenのCDが!!もちろん『OLLI KAHN』もあり!!「Die Prinzenだ!!」とその人が驚くと「Die Prinzenは基本だろ!!」とみんなは答えたそうな・・・・。ドイツの政治を皮肉っていたり、「ばーちゃんが言ってたぜ!!」みたいな歌詞があったりと楽しい彼らの歌。全員が旧東独地域出身というせいもあって、私にとっては新時代のドイツを象徴する音楽だ。
2006.05.14
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午前中Supply Chainの期末試験。8時から11時という時間割なので、土曜なのに早起きして学校へ。試験問題をパラパラっと眺めて、適当に時間配分して解き始めた。しかし、なぜかこのときの私は「制限時間は2時間」だと思い込んでしまった。前半の穴埋め問題と文章を書かせる問題と正誤問題を解いていたら予定より時間がかかって、計算の必要な文章題3問を急いで解かないといけなくなった。「マズー、見直しの時間ないかも!!」計算問題だけど、長い文章をしっかり読まないと間違えるおそれがありゆっくりいそいでやった。集中してやろうとしていると、突然バナナのにおいがしたと思ったら斜め前の席のSusannahがバナナ食べてるし!!3問目の最後の小問をやろうとして時計を見たら、あと3分しかない。おちついて解答したところで教壇を見ると、先生はのんびりしている。「あれ?」時計を見たら10時過ぎ。自分が1時間勘違いしていたことを悟った。ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!おかげでゆっくーーーーーり見直しさせてもらったよ。銀行にいた頃は会社の決算書を分析・評価する立場だったので「この会社、在庫管理甘すぎ!!」とかやっていたのだけど・・・・。Supply Chainの授業で在庫管理を勉強した今となっては・・・簡単にそんなことは言えないなあ・・・。
2006.05.13
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『赤毛のアン』に出てきた「いちご水」ではない。例のハイビスカスティーを使って、カクテルというかパンチを作ってみた。ハイビスカスティーを濃い目に作って冷まし、シロップとスプマンテと氷を入れて混ぜただけ。今日買ったいちごを浮かべた。想像していたとおり甘酸っぱい味と香りがいい感じ。飲みやすい。パーティーに出したら話のタネになるだろう。白ワインでも試してみようかと思っている。添える果物としてはお茶にもブレンドされているから、オレンジにしても合いそう。今日はまだ明るいうちからこれを飲みながら、ほろ酔い気分で晩ごはんのしたく。
2006.05.13
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先日の料理教室のあと、いくつかの料理のレシピを来てくれた人たちに送っている。パテ・ド・カンパーニュのものはまだだけどとりあえずなすのギリシア風ペーストと鶏レバーのペーストの分は送った。レシピは送る前にパソコンで書いた。どうして作ったことある料理なのにレシピを新たに書いているかというと、紙に書いたものがないから(笑)。だいたいいつもつくる分量は「このぐらい」と決めておいて、その日に買って来たなすの大きさやレバーのグラム数で調整するもので・・・。しかもオリーブ油やハーブや塩・こしょうの分量も手が覚えているだけ・・・。仕方がないのでキーをたたきながら考えつつも分量は「好きなだけ」「適量」などものすごくいい加減なものが出来上がる。両親に「あの料理の作り方教えてよー」と頼んでも、見事に「作り方」しか回答されない。「量はどのぐらい?」ときくと「魚の大きさによってちがう」とか「1対3ぐらい」とか「なべにひたひたになるぐらい」とか・・・。確かに小さい頃から料理は見て・作って・食べて覚えてきたから、今さらやりかたをかえようもなし。でも料理ってそういうものだと思う。野菜や肉の重さは、農産物なんだからバラつきがあって当然なのだ。仮にピタリと同じ重さに切り分けても、含んでいる水分や脂肪の量のバラつきで味は違ってくるからそこは自分で調整しないとね。ああ、レシピ・・・。よく「教えて」って言われるけれどけっこう頭が痛い。
2006.05.12
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華岡 紬(はなおか つむぎ)というハンドルネームについて書いておこうと思う。この名前は大学生のころから小説や脚本を書いたりとクリエイター系(←?)の活動をするときに使ってきた。高校生のころには別の名前があった。高校1年の夏に演劇部の公演で第三舞台の『天使は瞳を閉じて』を上演した。私はアキラの役だった。はまり役だったらしく、私は学校中から「アキラ」というニックネームで呼ばれるようになった。そこで「これが私の芸名ですから!!」ということで、自分で書いた脚本などには飛鷹 晶(ひだか あきら)という名前を使っていた。今見ると「キャプつばの登場人物みたいじゃね?」という感じもするが、私はとても気に入っていた。あまりにも気に入っていたので、ある模擬試験をこの名前で受験して上位成績者に名前が載ったときはひとりでこっそり喜んだ。(アホ・・・)当時の私はとてもボーイッシュな感じの高校生だったから、この名前が合っていたのだが高校卒業・予備校を経て大学に入学したあたりからどうもこの名前がしっくりこなくなってきた。そこでひまがあるときに新しい名前を検討した。条件をいくつか挙げた。・タカラヅカの女優さんみたく、雅な名前がいい。・男か女かわからない名前がいい。・姓+名で構成されていて、全て漢字。・日本的な響きのあるもの。思い出したのが、ある少女マンガで「紡ちゃん」という名の主人公がいて兄の名前が「錦くん」だったこと。(ちょっとかっこいいと思ったのだ)大好きな立原正秋の本の影響で紬が好きだったこと。(『紬の里』とか、そのまま。)それで華岡 紬に決定した。「紬」という漢字は和服になじみのない人には読みにくいらしく「読めません」とか「そでさん」とか言われたりするが、「つむぎ」だよ「つむぎ」。むつきはおむつのことだよ。この名前は年をとってもまだまだ使えそうだし、気に入っているので変える予定はなし。そうそう、このブログの中の会話文で「華岡さん」とか「Tsumugi」とか呼ばれているのは実際はもちろん本名で呼ばれているのを置き換えているだけである。念のため。
2006.05.11
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今日で一年生の授業が終了した。あとは試験3科目分を残すのみ。それが終わればちょっと旅行に行ってさっぱりして、いったん戻ってきてからニューヨークへちょこっと行って、それから東京だー。
2006.05.11
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このブログで何度も私が強調してきた「ジュンジュン=春田純一さんはおじさんじゃない!!」という件について。御本人のブログの本日付の記事にて>今回の芝居の演出家及び出演者の中に、50才前後のおじさん達が、5人います。>稽古場では、[初老クラブ]と呼ばれています。おじさん達も、頑張っています。しょ・・・初老クラブって・・あんた!!ジュンジュンはおじさんじゃないぞー。以前に観に行ったここの舞台でもジュンジュン演じる王様が「おっさん」と呼ばれまくっていたので(役だけどね)「おっさんって呼ぶなー!!!」と、心の中で叫びまくっていた私なのだ。おじさん化するのって、年齢の問題ではなくて新しいことへの好奇心や好きなものへの情熱が衰えた時だと思うんだ。実際、1年前まで住んでいた会社の独身寮で「おじさん」が何人もいた。30歳になった年度末に退寮する規則だから彼らも30歳以下であるはずなのに!!!>まだまだ、丘を越える事はできない。心揺さぶる芝居になればいいな。ほらほらー、おじさんはこういうことを言わないもんね。やっぱりジュンジュンはおじさんじゃないよ。
2006.05.10
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私が茶道の免状を持っていると言うと「ネタだと思っていた」とか「偽造じゃないのか?」とか言う人がいるけれど放っておいて・・・茶道の稽古に割り稽古というのがある。お点前というのはあの「シャカシャカ」というところだけではなくて、お辞儀をして、道具を並べて、道具を手入れして、お茶を点てて客に出して、後片付けをして去っていく・・・という全ての流れのことをさす。この流れはすべてが細かく決まっているので、いっぺんに覚えるのは大変だ。だから「道具の並べ方だけを練習」とか「シャカシャカのところだけ練習」とか小さな部分を少しずつ練習した後に、全ての手順をお点前として完成させる。銀行で住宅ローンを担当することになったとき、この「割り稽古」の考え方が役に立った。住宅ローンは銀行の仕事として比較的誰にでもおなじみのものだけど、銀行の仕事の中ではもっとも困難なもののひとつ。2年目の私が10年ぐらい先輩の人達に何度も頭を下げて色々頼まれたぐらいなのだから・・・。だから最初の頃は、ベテランのローン担当者に教えられても全然覚えられなくてパニックになりそうだった。だけど、ベテランさんの下請けを色々とやりながら気づいたのは、全体の仕事の流れが見通せるようになったことだった。少しずつ「簡単な手続き」とか「書類の見方」だとか「資金移動の方法」だとかやらせてもらううちに、ほとんどのパーツが自分でできるようになっていた。そして1ヶ月経たないうちに、ベテランさんが突然退職された。代わりの人員が来るまでの間、私一人で窓口に座った。新規のお客さんがやってきた。不安だったが、一人で案件をとりまとめた。すべてを一人でやるのは初めてだったのに、なぜか「やれる」という確信があった。パーツごとの練習というのは、オーケストラだろうと演劇だろうと考えてみればとてもポピュラーな手法だ。だけど、時に今練習している部分が全体の中でどういう役割なのか見失ったり、単なる単純作業のように扱ってしまったりしがちだ。こと仕事においては。そういうときに、茶室で何度も袱紗さばきを練習した頃のことを思い出すのだ。
2006.05.09
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曽我町子さんが亡くなられた。知り合いの方からお知らせをもらったときは、本当に信じられなくてぽかんとした。曽我町子さんといえば私にとっては『時空戦士スピルバン』のパンドラ女王役と『星雲仮面マシンマン』のボールボーイの声が印象深い。時にはコミカルにもみえるパンドラ女王が、他の幹部達よりも実は一枚も二枚も上手でゾーっとさせられたことがあり。有名なオバQなど可愛らしい役をこなされるのと同じ女優さんとは思えない。ボールボーイの「ニックう!!」という声がよみがえってくる。曽我町子さんのご冥福をお祈りします。
2006.05.08
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先週の料理教室でrumiさんから「あのプロのような焼き上がりの・・・」と言われた、私のギョウザ。プロのような焼き上がり?ああ・・・これのことね。パリパリ・もちもちで底がつながってるやつね!!定期的にギョウザが食べたくなるので、今日はギョウザ。何度か作って、私のレシピもかたまってきた。豚肉はとーーーっても少なくて、野菜が多い。野菜はキャベツとねぎのみ。キャベツは軽くレンジで蒸すと、ゆでるよりも断然旨みが残るので(・∀・)イイ!!あと、干ししいたけと貝柱を細かくして混ぜてやる。しょうがも入れる。フープロでガガガーっと細かくするけど、何度かに分けてやる。一度目は豚肉のみ。二度目はキャベツのみ。三度目はその他の材料。この順番でやると、フープロについた豚の脂が野菜でキレイになるので後片付けがラクだ。ボウルで豚肉のみを塩少々と一緒に練る。ひき肉料理は肉のみの練りが大事だ。その後に他の材料を入れて、練る。あとはつなぎのかたくり粉としょうゆとごま油を加えて練る。このお店みたいな焼き方のコツは・・・ここで私が書かなくても有名だと思うので割愛したいけど書いておく。コップ一杯の水にかたくり粉小さじ1程度を加えて、フライパンへ。そこにギョウザを並べてふたをし、火にかける。水が少なくなってきたら、フライ返しでギョウザたちを持ち上げてフライパンに油を流してガーっと強火に。水がなくなってパチパチいってきたら、出来上がり。かたくりこが多すぎたり、うまく様子をみながらやらないとギョウザたちの底面のみがフライパンにこびりついて悲惨なことになるので注意されたし。久しぶりのギョウザ、おいしかったー。
2006.05.07
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ええ!?『犬神家の一族』の映画が市川崑監督自身の手でリメイク!?しかも金田一耕助役は石坂浩二さんだ!!東宝映画トピックス『犬神家の一族』は横溝正史作品の中でも、私の一番好きなもののひとつだ。~あらすじ 角川書店の紹介より~信州財界一の巨頭、犬神財閥の創始者犬神佐兵衛は、血で血を洗う葛藤を引き起こす条件を課した遺言状を残して死んだ。それぞれ生母を異にする3人娘は暗い欲望に燃え、顧問弁護士の若林は不吉な争いを予期して、金田一耕助に協力を要請した。だがその若林が何者かに殺害される。そして第2、第3の殺人が!!血の系譜をめぐる悲劇、日本の推理小説史上の不朽の名作!!~謎解きだけでなくて、明治・大正・昭和と日本の近代化と共に成功した家の様子や昔の日本にあったおどろおどろしい雰囲気がとってもよい味を出している。そして・・・1970年代に角川映画第一弾として映画化された作品は、原作の持ち味をまったく損なわずに映像化された、優れたものだと思う。リメイクは来年公開予定だそうだから、今からとても楽しみだ。
2006.05.07
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あっという間に初夏の陽気になり、大学のキャンパスでは短パン・Tシャツはまだいい方で水着を着て日光浴をしている学生達もいる。そこまでやる気はないけど、夏らしい太陽の光を楽しめるような服が着たくなっていたらいつものヒスパニック系お姉ちゃんの店でかわいいワンピースをみつけたので購入した。基本的にジーンズに合わせるつもり。というのも、丈がすごく短いのだ。どのぐらいかっていうと・・・・森永奈緒美さん@アニーのスカートほどは短くないけれどかがんだりするとパンツ丸見えのはず・・・・。バカンス先やおうちでの夕涼みなどだったらワンピースとして着てもいいかしら、という感じ。だけど今日は散歩にワンピースとして着ていった。だって大学とそのまわりにはこのぐらい短いスカートはいて歩いている人は沢山いるのだ。日焼け止めをしっかり塗って、歩いてきたら日差しが気持ちよかった。
2006.05.06
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その時手をあげて 銃を持ちたいのか髪を切り 恋人と別れ 君達は走れるのか~レイジー『僕らの国でも』よりレイジーの曲をはじめて聴いたのは高2のときだったから、1991年。レイジーが解散してから既に10年が経ち、影ちゃん=影山ヒロノブさんはアニメ・特撮ソングの歌手として相当有名になっていた。(1991年といえばあの名曲『こころはたまご』の年だ!!)あれから何年も経って、久しぶりにこの曲を聴いて思ったのは今の自分はこの曲の中の「大人たち」の側にいるということだ。「僕ら」の側にいた高校生のころとそんなに自分は変わっていない気がするのに、「大人たち」の一人として何かできるのかなあ・・・なんて。↓『レイジー/ベスト』10代のバンドとは思えない実力だと思う。ちょっとアイドルっぽいけど、聴かせてくれる曲がいっぱい。影ちゃん@ミッシェルの歌唱力ったら!!サスガ!!!
2006.05.05
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今日もスーツを着た。久しぶりにオリーブグリーンの夏用スーツ。このスーツ、実はオーダーメイド。グレーも紺も大好きだけれど、職場のHさん(男性)が着ていたグリーンのスーツがとても素敵で私もオリーブグリーンのサマーウールのものを探したけれど女性のパンツスーツで気に入ったものはなかなかみつからなかった。偶然、とても良心的な仕立て屋さんを見つけたので思い切って注文。お気に入りのtheoryのスーツを持ち込んで、型紙をそれに合せて作ってもらった。だからシルエットも抜群。色も抜群。ネームも入れてもらったし、女性用には珍しく内ポケットもあり。インナーにはぴたぴたで胸のあきが大きめのTシャツを合わせることが多いかな。靴&ベルトはベージュ・茶・黒のどれでもOK。銀行に初めて着ていった日には数人に「華岡はとうとうアルマーニのスーツを買った」と噂されてしまった!!!確かにアルマーニはこういう色は得意かも。だけど小柄な私にはあのシルエットは着こなせない。そして女性達の反応は「こんな素敵な色・・・どこで買ったんですかー??」だって。ちょっとうれしかった。この夏も活躍してもらうつもり。
2006.05.04
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不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心~石川啄木『一握の砂』より多分私の一番好きな短歌のひとつ。このあたりもいきなり春というか初夏になって、日差しが強く緑が萌えている。銀行にいた頃、日常に追われるなか季節感が欲しくてスクリーンセイバーに月替わりで色々な短歌を入れていた。アメリカは広いから、上を向かなくても空がみえるのがいい。
2006.05.03
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銀行で働いていた頃のことをやたらと思い出すので、折にふれ書いてみようかと思う。書くことによって自分がけっこう変わったということを思い出せるかもしれないから。さて、私が某銀行に内内定をもらったのは1997年の6月、大学4年生の頃である。翌年の卒業と入行までにけっこう時間があったのだけれど、何度か銀行の人事部に呼び出された。各部署の偉い人たちに面談させられるのだった。内々定決まってるのに面談?でもこれは、ひとりひとりのキャリアビジョンや個性などを人事部が把握するのが目的だったのだと思う。よくあった質問は1.「銀行でどんな仕事がしたいですか?」2.「10年後、この銀行でどんな風に仕事をしていたいですか?」3.「就職活動の過程で会った先輩の中で印象に残っているのは誰ですか?それはなぜですか?」4.「銀行でのあなたの夢はなんですか?」まだ学生だったから、同期になる人々はみんなドキドキしていて、面談を終えて帰ってくる人たちに「どんなこときかれたの?」と質問攻めにしたものだ。ある同期の一人が、上記2の質問をされたときに「10年後っていったら、順当に行けば代理(支店長代理又は部長代理。普通の会社で言う係長ぐらい)にはなってるよなあ?」なんて思って、「代理にはなっていたいです」とか答えたと言ったときに私は言った。「10年後ってさあ、この××銀行はなくなってるかもしれへんのにー」周りの同期は青くなって、人事部の人に聞こえていないかあたりをみまわした。「華岡、おまえなあ・・・聞こえたらまずいぞ」「なんで?護送船団方式の時代が終わって、大競争時代の銀行で働くんだ・・って力説したのはあの人たちだよ」みんな黙った。1997年当時は日本の景気はあいかわらず悪く、就職は超氷河期と言われていた。そして、金融機関の勝ち組と負け組という言葉が少しずつ浸透し始めた頃だった。そして今、当時の都銀6行と言われた銀行でそのまま名前が残っているところは一つもない。うまく商売をやって他の銀行を引き入れてより大きくなった成功パターンもあるし、生き残るために他のグループと一緒になるという選択をしたところもある。だけど、現在のような業界地図になるとは当時は誰も予想できなかったはずだ。「××銀行が10年後も存在するかどうかわからない」というのは、私が的確に今の状態を予想していたのではなくてあくまでも可能性の話をしただけだったのだ。その証拠に、質問4に対して私はよくこう答えた。「銀行での夢ですかー?都銀初の女性頭取です!!」
2006.05.02
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ジュンジュン@春田純一さんのブログの本日付の記事。6月の舞台に向けて本読みが終わって、そろそろ立ち稽古に入るもよう。画像を見ると楽しそうな稽古風景だけど、真剣勝負なんだろうな・・・。今回は客演の方がけっこういらっしゃるみたいなので、ジュンジュンとどういうふうに呼吸を合わせるのかを観るのが楽しみだ。しかし、台詞を覚えるのに街中でブツブツやる件について>周りの人に変なおじさんいる視線を浴びます。そうだろうな~。そうだよ~。事情を知らない人が見たら、それは確かに変かも・・・・。ジュンジュンはおじさんじゃないけどね。
2006.05.02
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あと3週間弱で夏休みに入る。しばらく旅行に出たあと一時帰国してほぼ夏中東京で過ごすことになっている。フライトだとか日程だとか住む場所だとか細かいことがきまり始めたら、私の中でちょっとリズムがかわってきた。先週からなんか脱力するな~、なんでかしらんとは思っていたら要するに東京ですることが色々見えてきて、今現在の時間の進み方がやたらとゆっくりに感じたりするのだ。学校の勉強もあるし、物理的に暇なわけでは決してないのだけれど。すごく仕事が忙しい時なのに、ふと「退屈だなあ」と感じた時に似ているかも。Meikeにそのことを話したら、彼女も同じようなことを感じるのだと言っていた。そしてもうひとつ。最近、銀行で働いていた頃のことをやたらと思い出す。一昨日は採用活動をしていた頃の夢まで見た。これは1年生の終わりが見えてきて、ここで勉強したこととそれ以前の経験を自分の中で美しいカタチにまとめようと体が勝手に動いているみたいだ。思い出したくないこともあるけれど、それはそれでよし。
2006.05.01
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