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このブログでは度々この世が地獄化していることを警告してきたが、その理由がなんとなくわかってきた。はっきりと言おう。この世は地獄である。この世が地獄だからこそ、そこから這い上がる方法を自分で見つけられるのである。神智学者ドーリルの本から学んだことで、生きる目的、つまり人生の意味がわかった。それは恐怖心を克服することである。神がなぜ悪魔をつくったかといえば、人間に恐怖心を克服させるためである。恐怖心が、地獄をつくる。人間が恐怖心を持つ限りは地獄から逃れられないのである。だから、人生を生きる目的はあらゆる恐怖心を克服することなのである。修行といってもよいだろう。それは実際に地獄を生きることで果たされる。だから、自分のなかの恐怖心を見つけ、克服しないといけない。恐怖心の虜になってしまえば、この地獄からは永遠と抜け出せない。恐怖心の奴隷となり、永遠に恐れて生きなければならない。恐怖心は人間の心にあるので、肉体ではないから、死んでもなくならないどころか、顕わになる。だから自殺はかえって恐怖心の虜になる。肉体を消しても恐怖心はなくならないからで、かえって増大する。ドーリルは、恐怖心や抑圧心が、肉体にガンをつくらせると述べている。ガンを肉体から取り除いても、その本体の恐怖心や抑圧心を克服しない限りは、また再発するだけである。現代の医学は、古代から比べれば、全くの無知蒙昧なので、恐怖心をかえって増殖させているだけにすぎない。真剣にやっているといっても根本が間違っているから、原理に無知蒙昧なので、真剣にやるほど益々悪化するだけである。心から、心を恐怖心から救わないとダメである。心を自立させないとダメである。藪医者ばかりである。だから真の医者は宗教者でなければいけない。心から自立させないといけない。科学者じゃ物質界しかみれないから、無能なのである。謙虚心を持たない医者が病気を治せるわけがない。心が慢心して悪魔の虜となり、恐怖心をみつけだせないからである。考えるに、物質界は失われる恐怖に満ち満ちている。御釈迦さんは四苦八苦を説いた。この世になぜ苦しみがあるのか? それはこの世にあるのではなく、人間の心のなかにあり、人間自身がつくりだした感情なのである。感情をコントロールできれば苦もまた楽であるというのが、有名な快川の「心頭滅却すれば火もまた涼し」である。以前、このブログで、チベットの賢者の言葉を紹介した。恐怖心から戦争に反対するのは意味がない、という言葉があった。それは人間の心のなかに恐怖心がある限り、戦争はいくらでも起こるからである。恐怖心を無くさない限りは、平和は訪れない。恐怖心を克服する生き方をしているかどうか、それが天国への階段を昇ることなのである。悪魔は人間に恐怖心を植え付けるので、人間にとっては恐怖心を見つける手助けになる。ここが欠点だよと教えてくれる。恐怖心を見つけ出すコーチのようなものである。人生を真面目に生きないといつまでも恐怖に怯えて生きることになる。恐怖の本体とはバランスを失うことである。均衡、安定を失うことである。常に均衡、安定を見つけ出す能力のことが、本当の武力であり、権力なのである。それは均衡を失わせて、破壊から、恐怖を植え付けることではない。バランスを見失わない、常にバランスを見つけ出す。人間は物質界においては重力とバランスし、直立している。足元の土台を強固にすることで、重力と対立し、脳においては、脊髄液において、アルキメデスの原理により浮力を使って安定している。悪魔を恐れてはいけない。悪魔を味方につけ、安定点を見つけ出し、支配するのである。恐怖心を克服する安定状態を見つけることが愛なのである。失ってみてはじめてわかるのが愛だからである。だから、地獄には愛が必要である。愛をみつける努力がすなわち恐怖心を克服方法でもある。悪魔の恐怖に対立するのが神の愛のバランス作用である。恐怖を上回るのは愛であるのは神が悪魔をつくったことでわかる。恐怖は不均衡に陥れるが、同時に愛は新たな均衡へと導く。恐怖心など真の愛には赤子同然である。恐怖は愛の素である。人生の目的は以上である。地獄の世に生きて精進なされ!
2018年09月20日
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忙しくてブログを放置している間に、アホ総理が三選する情報が流れているから、アホバカは本当に死んで地獄に堕ちないと自覚しないらしいね。 パワハラが巷で話題だが、最たるパワハラがこのパワハラアホ総理であることは森友加計スパなどの汚職不祥事で明らかである。本当に恥知らずとはこのアホである。 大体、日本列島に住む日本人が権力に弱いのは、このアホ総理に忖度する騙すゴミらで明らかである。権力と戦おうとせずに、権力に靡き、権力の手先となって働くのがこの国の騙すゴミである。大体、日本一の権力者といえど、米国の大統領の権力には及ばないのだから、北の首領の方がまだ遥かにマシである。 権力に媚びる輩が日本人であり、だから海外、特に白人には本音ではバカにされている。プーチンに北方領土を棚上げされているのに、憲法改正も何もないだろう。どっちが国益を損ねているかは、海外からバカにされ、北ですら相手にされていないことで明らかである。 朝貢外交を古来から続けている。土下座外交は、名前を変えた権力に忖度する外交である。 権力に媚びるのは、精神力が軟弱な証拠である。悪魔は恐怖心を利用して支配する。 何のために武力を獲得するのだろうか? 恐怖心に打ち勝ち、克服するためである。というのも恐怖心が地獄を作り出すからである。 権力に忖度するやり方は地獄でしか通用しない。仏陀に出会えば仏陀を殺せと禅ではいわれるが、地獄に堕ちないためには、権力と戦わなければいけない。 人生で試されているのは、権力と戦うことである。 まぁ、しかし、この国の住人が権力に弱いのは、いかにも八切史観を学べばよくわかる。日本の住人には黄色人種が多いので、単民族と錯覚しやすいが、実は多民族国家で、原住民と言われる縄文人でさえも、八部族にわかれていたらしい。だから、原住民の事を、「八」と呼んだという。 八は、八幡の八で、ヤハン、つまりジャパンの原語で、ヤオロズの神や、ヤハウエの八らしい。 八は、通称ペーで、ペルシャ人を源流とするらしい。ペルシャから海流に乗って日本列島に辿りついた民族だという。そのなかにはユダヤ人も混じっていたらしい。地方の祭りに古代ユダヤ語で解釈できる掛け声や歌があるのは、その由来の名残らしい。 この八の民族の末裔が、織田信長であり、豊臣秀吉であるらしい。 日本史の定説はほとんどが江戸時代に書き替えられたものなので、家康自身が被差別部落民のエタの出なので、徳川家に都合よく辻褄合わせて、全てを書き換えたので、家系図が流行ったりしたのである。 このブログでも何度も紹介したが、白村江の戦いは、古代の太平洋戦争みたいなもので、敗戦後に大陸から進駐軍がやってきて、古代のGHQとなり、唐を源流とするので、トウゲンと名乗り、藤原氏の天下を築き、八の民族を奴隷として差別したという。 これが古代カースト制度で、冠位十二階の制度の源流らしい。聖徳太子も後の伝説でつくられたものらしい。馬宿の王子なんてイエスキリストの話にも似ているし、百の言語を聞き分けたというのも、いまでいう通訳みたいなもんである。 色々な言葉が話せたほうが伝説になって都合がいいよね。聖徳太子の画像は当時の中国人のコピーらしい。いまでいえば、マグマ大使か、アニメの主人公の孫悟空みたいなもんだろう。当時のカースト制度は素晴らしいですよ。差別すれば仲違いせずに仲良くなれるんですという宣伝である。洗脳ですね。イルミナティが使う洗脳みたいだね。 さて、時代が下って、奴隷の名誉回復が、信長の天下統一で、だから信長は藤原朝廷の手先の比叡山延暦寺を焼き討ちし、天皇を打倒しようとしたので、天皇を利用しようとしたイエズス会らの勢力に、裏切られ、本能寺で、爆殺されたが、秀吉が原住民の棟梁の後継者として名乗りを上げ、イエズス会らと南蛮貿易で巧くやっていたが、中国大陸への唐入りでイエズス会らと揉めて、イエズス会と対抗していたエリザベス女王と同盟した家康が、秀吉の亡き後で、この国の名目上の領主と成り上がった。 秀吉の大陸進出は、世界征服を目指していたイエズス会の意向でもあっただろう。朝鮮に二度討ち入りした時点で、イエズス会の方針と仲違いしたようである。 歴史というのは局所的視点で解釈してもほとんど意味がない。そういうものは権力者に都合よく書き換えられてしまうからである。 歴史は繰り返しといわれるが、かつてのGHQが藤原氏の天皇なのである。太平洋戦争でも似たような事が行われ、米国ロックフェラーの天皇となったのが、昭和天皇であろう。フィリピンのメーソンのマッカーサと並んだ写真は有名である。 明治天皇は、薩長の天皇で、西郷が失脚し、大久保が暗殺されて長州の天皇となった。靖国神社に西郷ら薩摩藩の元勲が祀られてないのは、長州神社だからである。昔から神輿を担ぐと言われ、神輿を玉と呼んできた。 西南戦争は玉を巡っての薩摩と長州の権力闘争である。戦争というのは美学で語られるものではない。醜学である。戦争は権力闘争である。我儘な奴が我儘で起こす。 有名な西郷像も後の脚色で、本物の西郷は好戦派で、征韓論も西郷は本気で考えていたようである。西郷は邪魔な者は殺す徹底主義者で、龍馬を殺したのも西郷だろう。長州の大村益次郎は西郷を恐れていたために、上野の戦争で薩軍に汚れ役をさせたために、西郷に殺された。西郷は極悪人である。勝海舟も西郷を世に恐ろしい人物として横井小楠と共に挙げている。 西郷を南州として人格者にしたのは、恐らく勝海舟だろう。海舟は金儲けの天才で、明治維新を美談にしたのも金儲けである。海舟は秀吉の経済を手本としているし、海舟自身も、自分はズルいから生き残れた、と述懐している。 西郷が、何が何でも慶喜の首といってたのを、海舟は「まぁまぁ、西郷さんお聞きなさい。薩摩政府がもしできた、として国の資本になるお金はどうするのでしょうか? お金がなければ、やっていけませんよ。徳川家のカネは小栗らの徹底抗戦派が持って逃げたので、新しくつくらないといけませんよ。策があります。江戸を攻めるといえば、江戸市民は疎開しますから、疎開したら、安く土地を買い占め、後に江戸に遷都して、経済を起こせば、土地の値段で金儲けできますから、江戸を攻めるのはやめた方がいい」と買収したのである。手口はロスチャイルドのナポレオンの戦争を利用した金儲けと似ている。それが無血開城の趣旨のようである。 流石に西郷もそれでは示しがつかないから、名目上どこか攻めないと徳川を潰したことにならないから、というわけで、それじゃ、上野に彰義隊を集めますから、ご存分におやりなさい、という裁断になって、上野の彰義隊の鎮魂に後の西郷さんの平和の像ができたわけなのだろう。 海舟は戦争よりも銭儲け、福沢諭吉は戦争よりも地位や名誉、戦争中は海外に逃亡してたらしい。諭吉が海舟を、明治政府に仕官したのを、武士のクセに不忠と詰ったのを、武士のクセに肝心な戦のときに逃げ出してたのはどこの武士だとしてやり返したのが、批判は他人のもの、行動はわが身のもの、と返したとなっている。 明治の元勲なんていわれているが、人間なんて所詮欲深なもんですよ。初代総理の伊藤俊輔がセクハラ王なのは有名な話である。 しかし、まぁ、戦争するなんて奴はそのなかでも最もアホバカである。地獄の最下層に堕ちるだけである。地獄の最下層で永遠と戦争してればいい。戦争が好きなんだからね。 この国の醜い住人たちの醜い争いに付き合わされるのは早く御免したいね。
2018年09月19日
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忙しくてもはや放置ブログとなってしまっているが、とにかくこの国が危ないことは確かである。以下に紹介する本を読んでほしい。世界でバカにされている日本人 谷本真由美著この国はぜんぜん先進国ではないみてくれは確かに先進国ぶってるが、中身は中世のままである。偽装国家といっていい。精神性は中世そのものでまるで変わっていないのは、権力に弱い事で明らかである。権力に弱いのは中世の精神の特徴で、それはヒエラルキーがあったからである。福沢諭吉が学問によりヒエラルキーを変えられるといったが、全く変わっていないのは上級国民がいることで明らかである。とにかく上に紹介した本を読んでほしい。
2018年09月04日
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