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ひさしぶりに書きます。統計インチキが巷を賑わせていますが、統計だけに限らず、学問が不正塗れで、不毛で、その根本問題の教育からして、この国は差別に満ち溢れています。 教育というのは平等でなければいけないから、国が保障することが憲法にも明記されています。だから先進国、とくに北欧では無料です。 教育にカネがかかるというのは、教育を商売にしていることで、不正が蔓延る要因をつくっていることになるのです。 元をただせば、学問に金銭が絡むというのは、それだけ不正の余地が入りこむわけです。 だから、キリストは神殿で商売してはいけないといっているわけです。 神殿とは、神について学び、教育する場です。 エメラルドタブレットを読めば、神殿は、神の言葉を授かる場で、ソクラテス風にいうなら、神と対話する場です。 神と対話するにはどうしたらいいか? 自らが神に近づくしかないわけです。神の高次の波動に合わせるしかないわけです。 それには努力と経験しかないと、エメラルドタブレットの著書トートは説きます。 古代では、神に波長を合わせることができ、声を聞ける人が王になりました。神の声を聞くには、マントラを読まないといけません。 だから、神の声を聞けなければ、王にはなれませんし、聞けないのに王になることは偽証になり、地獄に堕ちることになるのです。 神は人類は平等と言っているわけですから、その言葉に反するわけです。平等といっているのに、王だけ贅沢をしていては、神の言葉に反し、不正を働いていることになります。 ユダヤの王キリストや釈迦がホームレスをしていたことで、明らかでしょう。神の声が聞けたなら、一人だけ贅沢な暮らしができるわけがないでしょう。 学問とは神の言葉を聞き、その忠実な使者となり、自由な救済者となるために必要なものです。 当然、学問に不正があってはいけないわけで、不正から差別が生まれるわけです。 さて、この国のアホバカ総理がまた国際舞台で恥を晒したそうです。差別国の差別主義者なので、当然といえば当然ですが、女性、女性とアピールするのは性差別だと気づいていないアホバカぶりの演説をしたそうです。 性差に限らず、働きながら子育てできる環境を国民は求めているのに、女性の労働割合が増加したとか、またインチキ統計を駆使してアピールするのはあまりにアホバカすぎです。 北欧では、男女共同で子育てしますし、そのための労働環境が整っているわけです。 子育てにカネがかかり、男性は低賃金で会社に縛られ、とても子育てどころではなく、仕方なく、子どもを保育所に預け、女性が働くしかなくなっているわけです。 低賃金が、女性の労働になっているわけです。それは、女性は家庭で子育て、という古い価値観を前提にしているが故の、女性の労働増加という差別アピールになっているわけで、差別が差別を生んでいるわけです。 ほんとバカにつける薬はないです。 あと、この国のインチキ経済御用学者や研究者にも閉口しますね。たまにラジオで耳にする、某証券会社の藤代とかいうのはインチキ発言しかしないので、要注意です。地獄堕ちでしょうね。 差別意識が自覚できないこの国では、育児休暇中に不倫するアホバカ議員もいるぐらいですから、不真面目な人々が多いことがわかります。特に政治家や官僚で、社会的には特権階級といわれている連中ほど、差別意識が強いのが問題です。 これは恐らく、古来からの部落問題を無視してきたツケと、欧米に追い付け追い越せの欧化政策にあるようにみえます。 単一民族国家とほとんどの人は信じ込まされていますが、遺伝子の研究でもわかるように、日本は多民族国家です。このブログでも、Y染色体アダム説などを紹介したように、非常にバラエティに富んでいることは、巷の血液型占いをしやすい4つの血液型の分布環境からもわかります。 このブログでは、八切史観も紹介しましたが、源平藤橘という4つの民族を源流にもつ多民族国家なのです。源氏は、モンゴルを源流にし、平氏は、ペルシャを源流にし、藤原氏は古代中国の漢の唐を源流にし、そして橘氏は、契丹を源流にするそうです。 以下を参考に。「日本古代史入門」八切止夫著 ~「源平藤橘」の出自 ほとんどが黄色人種なので、単一と自然と思い込んでいますが、少なくとも4つの民族が入り乱れているわけです。 この4つの民族のなかで、古くから日本列島に住む日本人というと、モンゴルの毛深い源氏で、次に海洋を渡ってペルシャからきた平氏というわけです。源氏は白がシンボルで、平氏は赤がシンボルなので、源平合戦から、紅白が生まれたわけです。 唐の藤原は、白村江の戦いで勝って日本列島に進出してきた進駐軍です。この連中が、太平洋戦争後のGHQのように、差別的なカースト制度を持ち込んだわけです。 だから、本物の日本人は、民族的には既に絶滅しているといっていいわけです。藤原氏が朝廷となって、征夷したわけで、山々に逃れ、隠れて集落をつくったのが、サンカとなり、戦国時代や明治維新に、差別撤廃運動を起こしたわけで、それが信長の天下統一と、西郷の明治維新だったわけです。 しかし、まぁ、どちらも仏教勢力にとり込まれて、いまの官僚のように骨抜きにされ、中途半端になったので、いまだに、差別意識をもちながら、それに気づいていない日本人が多いというわけなのです。 贅沢な暮らしをする仏教徒なんてもう地獄の三丁目まで行くことを知らないのでしょうね。霊界がみれないから、そんな贅沢な生活をしているわけです。現世を貪ったツケは必ず来ます。 破戒坊主たちがまず地獄に落されます。落第者なのです。王でないのに王を語る詐欺師です。 日本史を物語としてでなく、学問としてしっかり学びましょう。だからインチキ統計なんかが蔓延ってしまうのです。 というわけで、この国のアホバカの恥ずかしい演説を紹介して反面教師にしてくだされ。 ★ ★ ★夜明け前がもっともアベシンゾーhttp://my.shadowcity.jp/2019/01/post-14668.htmlダボス会議の年次総会でアベシンゾーが自画自賛の原稿読み、という話なんだが、トイレタイムでVIPは誰も聞いてなかったらしい。そらそうだ、耳が腐るわw 2012年の12月26日、私は、再度、総理大臣になりました。当時、私の国で見たのは、ある高い壁の存在でした。その壁に、たくさんの人が、言葉が書かれているのを見た。日本はもう、終わっている、というわけでした。 絶望の壁でした。悲観主義の壁だったのです。以来労働人口は450万人減少しました。 これに対し、私たちは「ウィメノミクス」を大いに発動させ、女性が負う負担を軽減しながら、多くの、より多くの女性に働くことを促しました。 その結果、今や、雇用された女性は200万人増えた。繰り返します。新たに付加される形で、200万人の女性労働力が増えたのです。 女性の労働参加率は67%、日本では歴代最高で米国などより高い比率になっています。 他方、お年を召した方にも働き続けていただけるようにする私どもの政策があって、65歳以上で元気に働く方も増えました。 その増えた数が200万人です。 こうしたことの結果、私が総理在任中の6年間に、日本のGDPは10・9%伸び、4900億ドルを新たに加えました。 雇用と所得が増え、それが需要を生んでさらなる雇用につながるという経済の好循環こそは、長らく待ち望んだものでしたが、いまや根づきつつあります。 言ってる事が支離滅裂で理屈が通ってないんだが、オンナと年寄りを働かせないと維持できない社会を作り上げたと胸を張り、6年間でわずか10.9パーセントしかGDPは増えず、それも実は捏造。実際にはマイナスw マトモな感性を持った政治家なら、ダボス会議なんか出られないわなw 夜明け前がもっともアベシンゾーw ★ ★ ★ 夜明けどころか、真っ暗闇の世界に落ち込みますね。
2019年01月24日
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前回は教育についての古い書き込みを改めて紹介しました。いまトートのエメラルドタブレットを改めて読んでいるのですが、トートが紀元前5万年前の当時の人々をどう治めたかといえば、「心服」です。 信頼を寄せるようにさせたわけです。この人なら安心だ。この人は我々を癒す。心地よいと思わせることです。この人がいれば大丈夫だ!と思わせることです。 民に知らしむべからす。よらしむべし。 これは論語で有名ですが、間違った解釈が罷り通っています。現代訳では、「人民を従わせることはできるが、なぜ従わねばならないのか、その理由をわからせることはむずかしい。」となっていますが、これでは80点で、満点に満たない。 これは、民に自分がいかに素晴らしいかを一々知らしめるのではなく、信頼されるようにしなさい。ということなのです。 要するに、トートが約5万年前にやったように、民を心服させなさい、ということなのです。 早い話、民の教師、教育者になれ、ということなのです。 では、なんの教育かといえば、魂の教育です。魂の教育というといかにもオカルトに聞こえますが、簡単にいえば、自分にされたくないことを他人にするな、ということです。 バカというのは、自分にされたくないことを無神経に他人にします。そこには一種の優越感があるわけで、人類皆平等の精神に欠けているわけです。自分なら許されるだろうという甘えがある。つまり簡単にいえば、差別意識がある。 だから、教育というのは差別意識をなくすことなのです。エメラルドタブレットでは、この驕りを第一に戒めています。自尊心というべき、この驕りは、人類の進歩を阻むと断定しています。 この自尊心が、人類の学びを止めるからです。つまり愛を阻むわけです。 キリスト、釈迦ら救世主は、ホームレスとなり、名声を求めずに社会の底辺へと自ら下りました。自ら被差別的な立場となり、差別されたわけです。人々の心の痛みを知ったわけです。人々の心の叫びを聞いたのです。 次の話はいささか胡散臭いのですが、あの家康も、世情を知るために、お忍びで将棋をさしに長屋に通ったらしいです。八切史観によれば、家康は元々は被差別部落民の出なので、差別を受けてきた人々の気持ちがよくわかったらしく、それが後の天下の将軍になるのに役立ったわけです。 信長も、秀吉も、西郷さんも、皆差別を受けてきた部落民の出なのです。だからいまでも人気があるのです。体制側の仏教徒たちが歴史を書き換えてしまったので、ほとんど残っていませんが、信長が叡山を焼き討ちしたのも、秀吉が朝鮮を侵略したのも、中国といっても当時は唐ですが、大陸の唐からきたカースト制度、つまり植民政策への反発だったわけです。 いま英国は、かつて植民地支配した報いで、分裂状態になっています。支配すれば、支配されるのです。これは他人にしたことが自分に返ってくる、わかりやすい四次元の性質です。三次元空間は四次元に支配されています。 古代人はそのことをよく知っていたので、かつての祖先の報いを晴らすことを信仰したのです。 日本には祖霊信仰が強いのも、積年の恨みを晴らす、という意味があるので、そのガス抜きという意味で、祟りを恐れて、反乱者を神として祀るわけです。 そのうち八切史観を元に、日本史の書き換えを紹介したい、と思いますが、とりあえず、差別意識があるようでは、とても長期にわたって、民を治めることはできないわけです。 トートは少なくとも約2万年も民を治めたわけで、その理由をエメラルドタブレットに書き記しているわけです。 まず為政者に必要な心掛けは、差別しないです。 さて、エメラルドタブレットには叡智が書かれています。現代で一番の問題と言われる医療についても、わかることを紹介しましょう。 病気にかかるというのは、魂と肉体のバランスの崩れです。端的にいえば、魂が肉体に曇らされ、それが病気になるのです。だから全ては心から起こる。 オカルトでは、心とは、魂のことですが、詳しくいうなら、肉体を操る総体というべきものです。魂の制御の不備が、心となって、肉体に現れるわけです。これはパソコンを操る使用者と考えるとわかりやすいでしょう。間違った命令をすると、パソコンが誤作動するのと同じです。 病気は、心から起こるのだから、これは病気にかかった本人が心がけを改めない限りは治らないのです。病気は患者本人から出ているので、患者本人しか治せないのです。 医療行為者は、魂の教育者として、病気の原理を解き明かし、教えるしかできないのです。後は本人の努力次第です。 しかし、医療行為としては、患者本人しか治せないからといって、突き放すのではなく、病気の原理を解き明かし、できるだけ教える義務があるわけです。魂の教師という義務があるわけです。 医療行為者は、現世での人生に限定されるわけですが、宗教者は、現世を超え、過去世や来世への魂の教育まで言及できなくてはいけないわけです。 だから、宗教者を名乗る以上は、現世の生き様から、過去世と来世を見通せないと嘘つきとなるでしょう。ましてや、宗教で商売するなどは、その人の来世をとても暗いものにするのは必定でしょう。 現代は、EASY COME EASY GOを肝に銘じてほしいですね。なんでも金銭で解決しようとしますが、そういう解決法は、安易なので、何も身に付かないのです。魂を益々腐敗させ、暗くしてしまうわけです。 一灯照隅 万灯照隅 これは伝教大師の言葉ですが、これは皆人類平等ということなのです。陽明学者の安岡氏は、この言葉を「社会のどこにあっても、その立場立場において. なくてはならぬ人になる. その仕事を通じて世のため人のために貢献する. そういう生きかたを考えなければならない。」という風に説いていますが、皆が、神の一分子で、一細胞なのです。 だからどんな一人でも欠けてはいけないのです。 皆が照らし合わせて、照らしあって、隅をなくし、暗闇を輝きに変えていこうということが、エメラルドタブレットに書いてあります。 社会の頂点は底辺なのです。上にあることは、下にもあるのです。 これがわからなくては、人間失格です。だから、魂はいろんな立場に転生していくのです。
2019年01月17日
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ちょっと古い書き込みですが、いま改めて紹介します。もはや日本の政治のように、アホらー台頭のせいで無責任ホッタラカシ状態になってしまったこのブログですが、久しぶりに世相を斬りたいと思います。恐らくこの国は、このままいくと、世界から取り残され、中国と米国の分割植民地になっていくのではないかと思います。関東から東北は中国で、関西から九州、沖縄は米国という感じですね。実際、偽ユダヤを中心とする中国系資本家と米国系資本家に日本企業は組み入れられつつあります。昔から独立心の薄弱な朝貢土下座忖度外交を続けてきた古臭い精神文化の風土をもつので、もはや宿命というべき運命にあるようです。誰も危機感をもたず、相変わらず金銭に弱い守銭奴の集合体なので、仕方ないのかもしれません。もはや手遅れです。国の根本問題のはずの少子化問題さえ議論されていません。少子化問題は、はっきりいって、大企業の内部留保が問題です。その内部留保の実態は日銀による空国債の連発による官製相場で、みせかけの張りぼてです。トリクルダウンなんて幻想を押し付けたのも、偽ユダヤたちです。少子化問題は子育てにカネがかかるのが問題で、また結婚しない人が増えているのは、結婚して生活する生活費が足りないからです。政治の基本は経済です。経済とは金儲けではなく、いかに金銭を人体の血液のようにくまなく国民にゆきわたらせ、金銭によって精神の向上を促すか、にあるのです。カネでカネを生んではならない、つまり利益を上げてはいけない、というのが十戒にあります。キリストも神殿で商売してはならない、と戒めています。それでは精神が腐敗するからです。カネで精神を向上させなくてはいけないわけです。ではなぜ子育てにカネがかかるのでしょうか?それは教育や生活費にカネがかかるからです。昔はなぜ子育てにカネがかからなかったのか?それは教育も生活費も自給自足に近かったからです。教育も生活費も自給自足だったわけです。教育も生活費も自前でつくったからです。少なくとも塾なんか存在しなかったわけです。あっても、ごく一部のエリート養成でした。自給自足の反対には、他力本願があり、今で言う取引きや貿易があるわけです。確かに貿易は最新のものを手にいれることはできますが、自前でないために、中身が空っぽで、精神が腐敗するのです。例えば、覚えたての英語でしゃべる、赤塚不二夫氏の漫画にでてくる「ミ―ざんす。」のシェーおじさんみたいなものです。非常に滑稽な人物が出来上がるわけです。恰好だけに拘り中身空っぽの人生の苦労を知らない我儘なバカになるわけです。人生から学ぶことが生まれてきた目的です。このようなバカは人生からは何も学べません。カネを出せばなんでも買えると言ったバカがいますが、高尚な精神は買えませんし、忍耐力や謙遜的態度は買えません。なにより精神が醜い。アルマーニを制服にするというのが少し前に話題になりましたが、このようなのも精神が貧困な証拠でしょう。数十年前に、女子高生がベルサーチなどのブランドのバックをもつのが外国人、特に白人に嫌がられた、というのがありました。それは欧米には社交文化があり、高尚な精神をもつ人こそがブランドを身に着けるべきという暗黙の了解があるからです。確かにこの問題はデリケートな人種差別問題とも関わってきます。要は、あの人は社会に貢献しているので、身に着けても不自然さがないという感性の問題なのです。学生というのはまだ社会に出ていない、どちらかというと社会から保護され、与えられ、養われている立場なので、そういう高価な品物を身に着けるのは成金よりも嫉妬や反感を買うわけです。そういう心の問題、精神の問題なのです。「社会貢献」という言葉は頻繁に目にし、耳にしますが、自給自足どころか、貿易頼み、金銭頼みなのは、農産物の自給自足が低いことであきらかです。なんでもカネで解決しようとする考えが支配的になり、カネがかかるようにしているわけです。他力本願が広まっているわけです。自力で解決しようとする意志に乏しいわけです。教育は名の通った学校にいけばいい、生活費は既製品や贅沢なものを好むわけです。倹約生活など考えもしない。欲しいと思ったら衝動買いするわけです。これは金銭で精神を向上させるどころか、腐敗させるだけです。このようにダメダメな日本とは対極にあるのが、スイスです。スイスの賃金は高いので、貿易に頼らずに、できるだけ自前、母国で生産するので、物価が高くても、充分に生活していけるようです。物価が高ければ、生活費が高くなるので、移民も少ないはずだが、スイスは移民が増加傾向にあり、以下に紹介するように、4年前のものだが、教育システムが斬新的なようです。 スイスが世界トップクラスのイノベーション大国になった7つの理由 https://gqjapan.jp/culture/column/20140912/innovation-switzerland-01教育については、日本はスイスよりも遥かに遅れています。先進国のなかでは最下位といってよいだろう。
2019年01月15日
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以下に、ドリールのエメラルドタブレットを、わかりやすく要約する。序言 エメラルドタブレットは現代の科学者には理解できない代物で、紀元前3万6千年のものである。著者は古代アトランティスの祭祀王トートで、アトランティス大陸沈没後に、植民地の1つの古代エジプトにギゼーのピラミッドを建設し、そのなかに、自己の叡智を書き記し、保管した。 トートは、紀元前5万年から、紀元前3万6千年まで、古代エジプトを治めた。トートは不死だが、地球を去る時期がきたため、アメンティ(地球の生命根源?)の入り口の上に大ピラミッドを建て、自分の諸記録を入れ、当時の人々のなかで、最高に霊(精神)的に進化した者たちから、ピラミッドの管理者を任命し、その管理者の子孫がピラミッド祭祀者となった。 トートが去って後の暗黒時代に、このピラミッド祭祀者によって、トートは知恵の神、記録の神と崇められ、アメンティは、死後、人間の生前の行いが裁かれるための裁判所になった、と言い伝えられた。 トートはこの書に書かれた方法で、後に三度、人間として生まれた。その三度目がヘルメスとして有名になっている。このヘルメスが書いた書もエメラルドタブレットと知られるが、本書とは異なる。 本書はピラミッド祭祀者がピラミッドのなかに管理している12部のうちの10部である。この10部は13章にわけている。 ではどうして、この書の秘密が明かされるようになったかを述べる。 紀元前1300年頃、ケーム(古代エジプトの都市)は争乱の真っ只中だったため、多くの祭祀たちの代表団が世界各地に派遣され、そのなかに、このエメラルドタブレットを守るピラミッド祭祀団があった。この祭祀団は南米に行き、古代アトランティス時代の叡智をまだ多く保管していたマヤ族と遭遇し、一緒に居住した。 やがてマヤ族は紀元十世紀に中米のユカタンに移住し、このエメラルドタブレットは、マヤ族の大神殿のうちの1つに隠された。マヤ族がスペイン人に征服されると、これらの神殿と共に忘れ去られてしまった。 エジプトのピラミッドは、古来から、古代叡智の秘伝伝授の神殿であり、いまもそうである。いまもピラミッド祭祀団と通じて働いている聖白色同胞団=聖堂騎士団と関係するドリールは、マヤ族の大神殿に隠されているエメラルドタブレットを探し出して、エジプトのピラミッドに戻すように命じられ、それを成し遂げた。 その戻す際に、その中の古代叡智を翻訳し、写しをとるのを許された。それがこの書である。 さて、第1章と第2章については難解なので、まだ要約しないが、大まかな内容だけ述べる。 第1章は、著者トートとは何者かが書かれている。 そのイメージは、私なりの解釈だが、聖火を掲げる自由の女神に映る。足元のひきちぎられた束縛の鎖は肉体を意味し、それからの解放を現している。 神の子よ 肉体から解放され、自由の松明により目覚めよ、と投げかけている。 トートは自由の女神である。 第2章は、トートがピラミッドを建てた理由が書かれている。 私なりのイメージでは、ピラミッドは聖火であり、生命の火を現している。そして同時に古代の叡智でもある。それは地球の生命の火とつながり、地球とのバランスを保っている。 生命の火とは、陰陽のバランスなのである。 地球の火が乱れると、ピラミッドも乱れる。地球の火の乱れをピラミッドは補完するので、地球の終末にはピラミッドが重要な役割を果たすと、この書は説く。 さて、第3章から、古代の叡智が書かれている。 そこで第3章からわかりやすく要約する。古代叡智の鍵 叡智と力とは両輪であり、陰陽である。叡智無くして力なし。力なくして、叡智なし。 力と叡智は与えることで増加する。お金ですら、有効に与えることで増加するのである。 高慢な人は愚者である。自慢は自惚れにつながり、自分の基準で何ものも判断するようになり、学ぼうとしなくなるからである。 実るほど頭が下がる稲穂かな、が霊(精神)的向上の鍵である。 悪を語る莫れ、悪には沈黙をもって当たれ。 悪を語ることは、悪に創造力や現実を与えることになる。 宇宙の法則を越えるな。宇宙を形作る法を越えれば、越えた分が自分にのしかかってくる。だから、宇宙の法則を破れば、自分も破壊される。 恐怖を抱く莫れ、恐怖は悪への罠である。恐怖を抱けば、それと親しい恐怖がやってくる。 だから、常に朗らか優しさでいるべきだ。優しさは、優しさと調和する。 自分の能力を超えるな。霊力を第一にし、物質力を従わせるべきである。 (続く)
2019年01月12日
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いま、再び、神智学者ドリールが編集した、トート著のエメラルドタブレットを読み始めている。 とにかくこの書は凄い。 この書に書かれていることを簡単にいえば、ピラミッドはタイムマシンである。例えば、相対論をピラミッドに当てはめると、タイムワープができるだろう。実際に、トートはタイムワープしたという。 トートはかの有名なヘルメス・トリスメギストスのことである。 現代人は古代人をバカだと思っているが、実は古代人の方が遥かに賢かったのである。賢い古代人はどこにいったのか?といえば、金星や、水星や、太陽に行ったというのである。 そして現代人がバカなのは、火星から地球にやってきた野蛮人が主流になったからである。 「最近の若者は」と大人たちはいうが、それは、だんだんと人類がバカになってきている証拠でもある。 政治家をみてみればわかる。だんだんとバカになっているではないか? 自分の事しか考えられないバカである。 例えば、地動説を考えてみる。太陽の周りを地球が回っているのだから、太陽からみれば、地球はかなりのスピードで動いていることになる。物凄い高速で動いているのだから、太陽からみれば、地球の上を歩く人間なども高速で動いていることになる。しかも地球は自転しているのである。 独楽に乗っているようなものである。 よく落ちないでいられるものである。 それは重力が人を縛り付けているからである。その重力のお蔭で1日24時間という時間で動いていられるわけである。 さて、太陽も銀河のなかで回っている。だから、銀河のなかで、高速に運動している。だから、地球は高速で運動する太陽の周りを高速で運動していることになる。 相対論によれば、高速で運動するほど時間の進みが遅くなるというから、銀河の運動を基準にすれば、地球の時間の進みが遅れていることになる。 だから、地動説から考えても、銀河のなかでは、時間の進みが遅いから、地球の年齢が若いことになる。 しかし、地動説は近視眼的な見方にすぎないことが、オカルトではわかっている。地動説は、地球の年齢からしても、つい最近できた説にすぎない。それは物質が全てであるという観念から生まれた産物なのである。 簡単にいえば、ローカルルールなのである。 余談はこのくらいにして、次回から、エメラルドタブレットをできるだけわかりやすく紹介してみたい。 それによると、ピラミッドは人類の歴史と存在を記録し、神との関係を記したものなのだという。 人類は神の子で、神になるための教科書というべきものなのである。
2019年01月07日
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歴史ものの番組をよくみるが、いまだに本能寺が明智光秀の謀反にされているのはバカの一つ覚えで、いい加減違った見方が出てもいいのではと思えてくる。 大体、信長と光秀は名目上は主従関係ではない。光秀は、元は斉藤家に仕えた家臣で、斉藤家を出た後、足利義昭を義輝将軍亡き後の後継者にしようと、細川藤孝とともに、信長に紹介した人物で、信長とは同志の関係である。当時の幕府の名目では同格扱いで、信長が義昭を追放したといえ、義昭は毛利に亡命しているわけで、信長が朝廷から官位を拒絶していた時点で、表向きは主従関係ではない。 それに信長政権では、信長はどこどこを攻めろと命令はするが、軍資金などは自前で調達しなければならなかったそうである。だから、攻めた土地から収益を上げないと、家臣といっても、没落してしまうのである。だから主従関係ではなく、アドバイザーや親分子分みたいな関係である。 謀反というよりも、子分が親分に反した程度のものである。それよりも当時の秩序からいえば、義昭を追放した信長のほうが裏切りや謀反といえるだろう。 歴史は権力者により書かれるから嘘が多いのだが、権力者とはいわゆる差別した側であり、だから差別され、殺された側から、嘘を訂正し、補完されないと本当の歴史はみえてこない。 日本史の永遠の問題は、被差別部落民が無視されていることにある。差別問題を揉み消している点にある。 話中途で悪いが、忙しくなったので、ここまでにしたい。
2019年01月05日
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新年となったが、生憎、喪中なので、挨拶はしません。 さて平成の世の終わりになり、世も末となった感があるのは、アホ総理、嘘つき大統領がいまだ健在ということでわかる。 政治家が嘘しかつかないのは、現実をみさせないためである。 逆説的にいえば、現実には夢がないから、政治家は嘘をつくともいえる。現実は差別に塗れている。差別を格差と言い換え、格差をなくそうとはしない。 格差と呼んで、先送りしている。いずれ差別はなくなるだろうが、いまはなくす気がない、というわけである。 差別をなくすのが人類の最大のテーマであるが、差別をなくすには好き嫌いをなくさないといけないから難儀なのである。 では、好き嫌いはどうして生じるか、それは自他の違いから生まれる。自他の違いをどう捉えるかで、好き嫌いが生まれる。 自他の違いを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかで、感情が生まれる。 自他の違いを肯定的に捉えるのは、ナルシストにはなかなか困難であるように、自他の違いのなかに、否定面を持ち込まないと自信というのは出てこない。自分に理想を求めないと生きられない。 実はここにエゴの落とし穴、罠が潜んでいる。自分が考える自分とは、物質的にはもうその時点で数秒遅れ、自分ではなく、未来の自分のイメージで補完しているのだが、それに気づいていない。 いきなり哲学論をかまして申し訳ないが、要するに、自分と考えている自分とは既に自分でないのである。自分というのは自分ではない、自分の育成者、もしくは管理人なのである。 オカルトでは、この存在をドッペルゲンガーと呼んでいる。死後、真っ先に、このドッペルゲンガーに出会うといわれている。日本では守護霊という呼び名の方が馴染み深いかもしれない。 要するに、自分の道徳教育者が守護霊である。道徳とは、簡単にいえば、好き嫌いをなくすことで、差別しない態度を身に着けることである。 輪廻転生を研究すると、いまの自分は、前世の自分の嫌いな負の面を背負って生まれてくる事がわかる。簡単にいえば、前世で嫌いだった他人が、自分となって生まれてくるのである。いまの自分は、前世で嫌いだった他人なのである。 だから生きる事は、前世で嫌いだった人と共存する事なのである。嫌いな人と結婚するようなものである。守護霊はその結婚が上手く行くように見守っているわけである。 そして、守護霊は、人生の伴侶には大体自分とは全く逆の違いがある人を選ぶように、魅力的にみえるように指導している。それは自他の違いを肯定的に捉える教育なのである。 だから、輪廻転生を繰り返せば、嫌いな他人が自分となるので、自然と好き嫌いがなくなっていく。 さて、前回、非常に面白い本「ゲラーさん、ニッポンに物申す」を紹介した。 この本を読んでもわかるが、日本人は差別に対する感覚が鈍い。最近はパワハラ問題が巷に溢れているので、少しづつ感覚が研ぎ澄まされてきたが、例えば、個人主義と差別を混同している事が多い。恐らくこれは好き嫌いの感情論が先行しているせいだろう。 個人主義が単なる我儘であってはダメで、自他の違いを肯定的に生かす事が本旨である。 だから、現世は、陰陽の二極の違いから生まれている。 そこで、今年の干支を調べると、己亥(つちのと・い)というのが以下のサイトからわかるので、解説も紹介する。 2019年は亥年!干支の「己亥」の特徴や意味について解説それぞれの比重に気を配ってバランスを取るのが大事になるでしょう。 一言でいえば、新時代の到来ということになるように思う。経済体制が崩壊し、新しい経済が生まれるようにみえる。 前回紹介した「ゲラーさん、ニッポンに物申す」には日本の英語教育のダメダメぶりが論じられているが、これは日本のスポーツの練習にもいえるが、実践を想定していない教科書が象徴的である。 このブログでも何度も紹介してきたが、この国の特徴は中世とほとんど変わらない精神をもつところにある。それは教育にも現れ、一言で言えば、権威主義で、看板レッテル主義、物真似的である。 どうにも古めかしい伝統に信仰的で、宗教的なのである。 今年は元号が変わるが、あえて過去と比較すると、昭和が戦国時代、平成が江戸時代、そして今年が明治時代と恐らく似たものになっていくだろう。 経済体制が大きく変わるだろう。現に北欧や中国では電子決済が広く浸透しつつあるが、大まかにいえば、太陽エネルギーから電磁波の電子へと、物質固体文明から、光流体文明へと革新を遂げるパラダイムの年となるように思われる。 さて、教育といえば、過去の経験に照らし合わせた記憶を基盤に行うやり方と、原理や法則をみつけ、論理を基盤に行うやり方に大別される。前者の酷い例が詰め込み教育で、後者の代表例が、AIなどの基盤となったニューラルネットワークのフィードバックを活用した論理構築法である。 確かに論理を構築するのにも、過去のデータが基本となっているので、記憶が基盤となっているが、丸ごと暗記と異なるのは、記憶する際に属性というか、記憶するものの論理上の質を吟味する点で大きく異なる。 この国が教育面で遅れているのは、古代アトランティス時代で主流だった、前者の記憶を基盤に行うやり方に固執してきたせいにある。また問題なのは、それが権威と結び付き、懐古主義につながっていることである。 教科書は日々変わっていかなければならない。時代は変わっていくからである。それに応じて、マニュアルも変わっていくわけだが、その変化が激しいほど、記憶を基盤に行う時代遅れの教育法では、膨大な記憶量が必要となってくるわけで、詰め込み教育による暗記バブルがはじけてしまうわけである。 暗記バブルがはじけた現象の1つの例がゆとり教育だろう。 この国の英語教育が悲惨なのは、上に紹介した本だけが提言しているわけではないが、国際的には、もはや英語、実際は米語だけ学んでいてもダメな時代になりつつある。中国語、ロシア語、フランス語、ドイツ語が必要な時代になってきたからである。 記憶を基盤に行う教育は限界を超えつつあり、昔、共通語として、エスペラントが考案されたが、ほとんど浸透せずに忘れ去られてしまったが、もはや言語や言葉を超えて、共通の感性でコミュニケートする時代が到来しつつある。 コミュニケーションの原理や法則をみつけ、論理で会話していく教育が必要になってくるだろう。この伝達法にAIは深く寄与していくことだろう。 しかし、重要なのは、生物というのは、一つとして同じ存在がなく、情動を持つという点で、非論理的存在という点である。 非論理を論理に結びつけるには、自他の違いを肯定的に捉える感性が必要になる。それはやはり会話の質の問題で、好き嫌いをなくす道徳と深く関わっていくだろう。 そこで今年の干支は、己亥なので、悪事が暴かれ、裁判が下される年となる予感がする。己は、物事を整理し正すという意味があり、亥は核でもわかるように、猪突猛進のエネルギーを表す。 己はおのれ=自分でもあり、自他を整理し、肯定的に捉え、猪突猛進のエネルギーを活用する正しき審判を下す機会となるべきであろう。 今風にいえば、断捨離の年になるように思われる。 それはつまり、どれだけ未来を予測できるかにかかってくるだろう。泣いて馬謖を切る年だろう。あまりいい年とはいえないかもしれない。とにかく革新の年だろう。
2019年01月02日
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