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巷はマイナス金利という得体の知れない劇薬投入で、抗ガン剤のようにガン細胞もろとも正常細胞が打ち砕かれ、体力となる労働意欲を失い、市場が乱高下し、この国のガンともいえるジミンの汚職塗れのアホノミクズ内閣のアホバカぶりが勢いよく増殖中だが、アホバカ息子つながりで、尖閣売国奴の息子ノビテルが次の経済大臣に決まったというから、もはや末期も末期で、ケアが不可能なターミナルケアの段階に突入である。 「20世紀少年」で話題になったオトモダチ内閣が腹痛で解消したように、アホノミクズ内閣が、オウムのような怪しい似非宗教団体で、おしゃかになりそうな話をお馴染みのサイトでみつけたので紹介する。 ★ ★ ★ アホノミクス最終章 http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8717.html 文春が次に目を付けているのがノビテルだそうで、首獲りの準備に入ったようでw ノビテルのネタは、色々あるらしい。ありすぎて、どれが本命なのかはまだ不明w コイツも親父譲りで、カネには汚そうだw そもそも、文春はアベシンゾーの悪口ばかり書いていたので睨まれて、編集長が春画で三ヶ月間の謹慎を仰せつかったわけです。江戸時代みたいな話だw その三ヶ月間に、文春はアベシンゾーに一太刀浴びせようと、ネタを暖めていた。マスコミの人間というのは、性格は悪いが、頭は良いです。 ただ、甘利氏の後任に石原伸晃元環境相が選ばれたことについて、与党内は当惑気味だ。 石原氏は党幹事長や政調会長などの要職を歴任し、26年9月まで閣僚を務めており、「身体検査に時間を割く必要がなく、『政治とカネ』の心配がない」(政府関係者)という事情があるが、失言も目立つためだ。環境相時代には、東京電力福島第1原発事故に伴う汚染土などを保管する中間貯蔵施設の建設をめぐり、「最後は金目でしょ」と発言。 福島県議会の抗議を受け、撤回した経緯がある。また、TPP交渉にもかかわっていないことから、党国対幹部は「TPP関連の調整や政策立案に携わった経験に乏しい。関連法案の審議に耐えられるだろうか」と不安視している。 まぁ、甘利だって「お友だち」で大臣になったんだから、大差ないです。馬鹿の世襲どうしで仲が良いらしいw ★ ★ ★ 「三人寄れば文殊の知恵」という諺があるが、高校のときの数学の先生が、どんなに知恵者がいても、アホバカなゼロ(0)が仲間にいれば、ゼロ(0)を掛けてしまって、全てがゼロになるから、頭がいい人が何人いても、そのアホバカ1人のために全てが台無しの無に帰すると、掛け算で説明していた話を思い出させる。 インチキ大臣の次はパッパラパーのアホバカ息子大臣というわけで、全てが無に帰するというよりも、マイナス金利のように、果てしないマイナスの領域に突入するというわけなのだろう。 やることなすこと総てがマイナスというのは、全く頼りにならない、信頼性の乏しい、混沌とした無秩序状態に突入するということなんである。つまり天変地異がいつ起こっても不思議ではないカタストロフィー状態に陥ることを意味する。 要するに責任放棄である。だから経済は無秩序状態に陥るわけで、不安定で、昨日デフレと思いきや、今日はインフレなんてのも有り得てくる。全く予測がつかない無法則の動きをすることになるだろう。 悪法も法なりと毒杯を飲んだソクラテスは、法を守るのが道徳と身をもって示したが、この国では、法を守らずに、法を改正しようとする無法や非道が罷り通っている。 で、法とはなにかといえば、平和に暮らすための秩序やルールである。それは明文化されてなくても、法則として現存する。 道徳が失われれば、法は無法となる。人間の生活は不安定で破局をむかえていくことになるだろう。 昨日金持ちだった人が、今日には貧困に陥ることもあり、その逆もある。 地上での物質的生活には秩序が失われるが、カルマの法則は実存するので、輪廻転生の法則が今まで以上に意味をもつことになるだろう。 というわけで、シュタイナーの輪廻転生の話の紹介を続ける。 ★ ★ ★ トンデモ話は奥で繋がる 「第146夜」 -弟子のクッテネルがお送りします。 http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-842.html ≪輪廻転生(16)≫ 記憶の第二期(7歳~14歳) 「第二期」の7~15・6歳になると、ようやく「エーテル体」が《莢》から抜け出て来ます。エーテル体の成長には、単なる模倣でなく、子どもにとって英雄(ヒーロー、ヒロイン)的な「具体的に価値のある手本」が必要とされます。 何故なら、この時期にはまだ「アストラル体」は《莢》の中にあり、正義とか道徳といった抽象的な概念で行動する能力は、まだ発現されておらず、具体的な行動で、それらを体現する人物に「秩序(法則)」を感じて従うからです。 (前回の図を参照のこと。) 西平直『シュタイナー入門』p129《講談社現代新書》より転載 また「エーテル体」の発育に伴い、その時期の子ども達は、特定の気質や習慣を持つようになります。仮にそれが誤っている場合、警告を発しても「アストラル体」が発現されていないので、感情で受け止めることが出来ません。 そうした場合には、物語や比喩を用いて、間違った考え方や行動をした人物が、現実にどんな目に遭うのか、具体的に示してやることが必要に思います。 「思考の本当の姿である、抽象概念による魂内の営みは、第二期の子どもには、まだ控えなければならない。外から強制などで影響されて行われてはならず、内から自然に自らで生じなければならない。 7歳から思春期に至る時期の魂は、人生や神秘な自然を比喩やイメージなどを通して受け入れる。この時期の思考は、抽象的な思考以外の、具体性をもった諸体験の中で、次第に成長していかなければならない。 そのような具体的な体験から、判断力を次第に成熟させ、思春期を過ぎた頃になって、生命や認識について、自立した自分の意見が持てる様にならなければならない。」 ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションI(子どもの教育)』p61 《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載 そして、この時期に何よりも優先して育成すべきものは「記憶力」です。 この時期には、たとえ「知的に理解できないもの」でも、「記憶」を優先させるべきです。 例えば、詩的な文章などは、理解できなくとも、その語彙の持つ響きやアクセントなどから記憶に刻み、また掛け算の九九のようなものも、計算を理解するより先に暗記すべき時期なのです。 「この時期の子どもは、文法などの規則を知的に理解しなくても、言語を自由に話せるようになるので、同様に、後にならなければ、概念的に理解できないような事柄も、記憶力を働かせて予め学んでおく必要がある。 それどころか、純粋に記憶だけで身につけたものこそ、後になって最も良い形で、概念的に把握できる。 …理解できないものを記憶させるのは良くないというような非難は、唯物論的な偏見に過ぎない。…後になって、概念によって把握できるように、予め記憶として記録しておく事が、この時期の子どもにとっては大切なのである。」 ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションI (子どもの教育)』pp54-55《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載 真の意味での成・人・式 思春期を迎える「第三期(14歳~21歳」では、「アストラル体」が《莢》から抜け出て来ます。この時期になって初めて、これまで学んで来た事柄について、自分で判断を下せるようになります。 「あまりに早い時期から、自主的な判断をさせようとするくらい悪い影響を与えるものは無い。 まず、自分の中に、判断や比較のための材料を十分に貯えた時、初めて判断を下せるのである。 十分に貯える前に自主的な判断をしようとしても、そのための基礎知識が欠けているからである。 (…中略…) それ故、思春期前の子どもは、どんな理論からも守られていなければならない。 そして、日々の様々な体験を魂の中に受け入れることに、主眼が置かれなければならない。 ………………………………………………………………………… 模倣の存在だった7歳までは、物質体の中に必要な力を貯えました。第二期になると、その力によって、具体的な体験から共感、反感という道徳力が育ってきました。 そして、第三期の子どもはのびのびと個性を生かしながら、つまり自分の知性で道徳的な判断が下せるようになるのです。ちょうど太陽光の季節ごとの照射に応じて植物が花を開き、実を結ぶのと同じように。 第一期の《物質体》と第二期の《エーテル体》の中で、第三期の道徳的な判断のために準備されたものが、植物の実がみのるのと同じように、人生を自由に生きるために目覚めるのです。」 ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション I (子どもの教育)』《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載 こうして、物質体、エーテル体、アストラル体という、3つの構成体を生育させた、20歳前後に、《自我》を脱皮させ、文字通り《成人》となるのです。現代の20歳での《成人式》はシュタイナーから見れば、まさしく理にかなった儀式といえるでしょう。 ここから、4つの体が全て機能した成人としての人生を歩み始めることになるのです。 無論、それまでに若くして夭折した魂もあります。しかし、それらの魂は、成人後に死の門をくぐった魂よりも、其々の構成体が霊界でより多くの霊力へと変換され、来世で大きな仕事を成し遂げる能力に変わるとも、シュタイナーは述べています。 老化と4つの体(改変) さて、前回紹介した西平直氏のサイクル図が示すように、人生の後半に差し掛かると、再び4つの体が順番にこれまでの成長とは逆の老化を始める、といいます。 「ところが、20歳が過ぎた頃から、シュタイナーの話では、《発達》の視点がぼやけてきて、成人期・老年期に当たる時期の説明がない。 ごくわずか、《人生の後半生は、前半生を遡るようにたどり直す》とか、或いは、《前半とは逆の順序で、アストラル体がエーテル体から(体験の)養分をとり始め、次いでエーテル体が物質体から(体験の)養分を取るようになり、それらが、老年期の物質体の衰えと関連する》という程度である。 西平直『シュタイナー入門』p131《講談社現代新書》より転載 (このホームページの管理者は、このように考えているようだが、シュタイナーは20歳以降も詳細に他の講演を翻訳された書籍等のなかで説明している。例えば、ニーチェなどを例に出して、エーテル体が、物質体から離れはじめ、霊界に帰る準備を始めると述べている。 また、27歳を過ぎるまでは、社会にはできるだけ出ない方が望ましいとも述べている。特に現代のように、物質欲や宣伝、洗脳などの社会悪が跋扈している環境だと、道徳的判断力を失う危険があると述べている。 ただ単に、西平直氏の勉強不足である。) 西平氏の図にもあるように、成人期以降の4つの体について、僅かに述べられているのは、まず《アストラル体》が《エーテル体》の(体験の)養分を奪い、その後《エーテル体》が《物質体》の養分を奪うということぐらいです。 しかし、これだけでも、人間の《老化》について、随分興味深いことが語られているように感じますので、以下、小生の独断による考察を加えてみようと思います。 まず、第二期に《アストラル体》が《エーテル体》に与えた成長力を、27歳以降に取り返すように書かれています。 小生は、この力こそ、第136夜でお話しした《感情》の元になる力ではないかと思います。つまり、死の門をくぐった後の、霊界での生活のために準備を始めるのです。 そして、その代償として《エーテル体》の能力が奪われます。その主たるものは、《新しい環境への適応力》と《新しい事柄の記憶力》でしょう。 まさに精神活動の《老化》の始まりを示すものです。 次いで、第一期に《肉体》の成長をサポートしてきた《エーテル体》が、《肉体》に与えた成長力を、同じように取り返すと書かれています。 これが、第135夜でお話しした《思考》の素となるべき力と《肉体の活力》ではないかと小生は思います。この時点で肉体的な《老化》と、思考を持続させる力の喪失が始まるわけです。 こうして、それぞれの構成体は、誕生前の、霊界でそれぞれ独立していた状態に還ってゆくべく、死の門をくぐる準備を始めてゆくのだと、小生は思います。まさに見事な《4つの体のサイクル》がこうして完成するのです。 さて、次回第147夜からは、シュタイナーのキリスト観へと話を進める予定です。 ★ ★ ★ 法を司る能力は道徳であり、愛である。 さて、毎度訪問させていただいている「渾沌堂主人雑記{旧・播州武侯祠遍照院}」さんのサイトに道徳と法の話が載っていたのに触発されて、上述の話を紹介したので、以下にリンク先を紹介する。 ★ ★ ★ そもそも学校って狂ってます。法と道徳に区別もない。 http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%90%91%E3%81%91/%E3%81%9D%E3%82%82%E3%81%9D%E3%82%82%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%A3%E3%81%A6%E7%8B%82%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82%E6%B3%95%E3%81%A8%E9%81%93%E5%BE%B3%E3%81%AB%E5%8C%BA%E5%88%A5%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82 ★ ★ ★ 上述のリンク先の話は、組体操の事故を教材にして道徳教育を行うことへの疑問をなげかけた話だが、シュタイナーの話から考えてみるのも面白いと思う。 この教材は「小学校5・6年生用」とのことだから、日本の小学校は6歳で入学なので、11歳、12歳の子供の教育教材になる。 シュタイナーによると、7歳から14歳までは、エーテル体の成長期にあたるので、記憶力を高める時期ということになる。上に紹介したように「子どもにとって英雄(ヒーロー、ヒロイン)的な「具体的に価値のある手本」が必要とされます。」ということから、この時期には、英雄や正義の物語が必要ということがわかる。 そこで、この「具体的に価値のある手本」に、「組体操の事故」が、その物語として相応しいかどうかということになるが、私見では、相応しくないものに思える。 というのは、事故を未然に防ぐのが正義と考えられるからである。確かに組体操を全員でやり遂げるという目標は素晴らしく、努力に価するものだが、それが事故を誘発し、生命を危険にさらした時点で、不正になるからである。 幸い軽い骨折で済んだからよかったが、もし亡くなっていたらどうだろうか? また昨今の組体操ブームにも問題があり、高校生ならまだしも、小学生の段階で組体操をするのは肉体的にも問題である。もし小学生に組体操を教えるのなら、教員たちが実際に見本としてやってみせるべきであろう。 つまり、小学生の組体操ではなく、体育教員たちが、事故につながらないような組体操をしてみせるべきである。小学生の心に記憶としてスケッチさせるのである。 だから、大人たちが正しい組体操の方法を練習のときから、見本としてみせるならば、よい道徳の教材となるだろう。体操選手がテーピングしながら怪我を防止し努力する姿勢をみせるのもよいだろう。 そもそも学校で教える体育や武道はスポーツのような見世物ではない。ここにもGHQの3S洗脳が垣間見える。 武道がなぜ受け身から教えるか、このような事故を道徳教材とするアホバカにはわからないだろう。事故や怪我を避けるのが第一で、正義だからである。事故や怪我につながる暴力はいかなる場合も厳禁である。 生命を失っては元も子もない。武道は身を守るものであって、身を危険に曝すものではないからだ。 組体操時にバランスを失った場合の下にかかる負荷がいくらになるかを計算すべきであり、前もってシュミレーションすべきである。そういう準備がなく、ぶっつけ本番でやるアホバカは教員たる資格はない。 体育は数学でもあり物理でもある。あらかじめ全てを予測できてはじめて教師になれる。事故を起こしたら全てが台無しなのである。 だからしっかりと受け身ができない人には武は教えられない。 そして、法理論については、小学生段階ではまだ抽象的な思考は早く、判断力がないので、法について教えるのはやってはならない。法の教育をやるとしたら、大人たちが法を守っている態度や姿勢を、子供に記憶させることである。法を守る大切さを大人たちが実践してみせることである。 それが法の愛であり、芸術だと思われる。再度紹介するが、法とは事故や怪我を未然に防ぐルールで、道徳はそのルールを守る姿勢である。 アホバカ教育にしてアホバカ内閣からアホバカが増殖中である。
2016年01月30日
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汚職を庇う続投宣言をかましたすぐ後にアマアマ経済大臣辞任のアホノミクズ内閣だが、インチキ汚職内閣であることがダマスゴミを通じて国民の衆目に曝された。 相変わらずのアホバカのジミン工作員のネトウヨなどは、優秀だから汚職してもいい、というような、モラルハザード発言を平気でするほど、この国の汚職政治の洗脳ぶりには呆れてしまう。 汚職するような奴はインチキ野郎で、優秀とはいえないアホバカである。 正々堂々とルールを守って行うのが優秀であって、インチキや賄賂で誤魔化すのは優秀とは逆の落第や失格で、劣等で犯罪である。 インチキ野郎を優秀だというのは、インチキが見抜けなかった手前のアホバカさを主張するようなアホバカぶりである。インチキを擁護するようなアホバカな奴も同罪である。 そもそも政治とは、公平公正な分配による統治である。依怙贔屓や偏りが生まれてしまえば、政治は単なる混乱や秩序を乱す権力を用いた弱肉強食の闘争装置でしかない。 だから汚職をなくさない限りは、世の中は平和にはならない。 汚職塗れの政治野郎が政治を権力闘争の道具に用いるから、この世の地獄化が深刻化するのである。 汚職塗れの連中は穢れで、闘争を好む獣の心になってしまっているので、地獄に行くので覚悟なさいな。 本当にこの国の住人の人心荒廃は凄まじくなってしまったという話をお馴染みのサイトから紹介する。 ★ ★ ★ なるほど自民党 http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8714.html 恐喝のお手伝いしてお駄賃貰っていたデージン様が「いい人とだけ付き合っていると選挙落ちちゃう」と、辞任会見で捨て台詞というんだが、自民党はそうなんだろうね、自民党はw つうか、自民党に投票してるのは悪人ですか? まぁ、そうなんだろうけど、それを言ったらオシマイだよw @tamakiyuichiro: 甘利大臣が辞任を表明した。説明内容の真意についてはさらに分析が必要だが、辞意を表明した後に気が緩んで発言した「いい人とだけつきあっていると選挙落ちちゃう」この発言が全てを物語っていると思う。 それにしても、「自分に投票しているのは悪人」と言い切れる神経が信じられないw さすがにヤクザの使いっ走りやってるだけあるw 文春、甘利のクビを獲る! 甘利がイイワケ会見してるんだが、原稿読んでるだけなのにシドロモドロで、顔が死んでますw こいつ、もうオシマイだw 札付きのヤクザとつるんでUR(都市再生機構)から税金2億もかっぱいで、ヤクザからお駄賃として1200万貰って、これが自民党ですw 大臣ですw パンティ盗まないだけマシかも知れないw いや、パンティ泥棒の方がマシかw まぁ、ホモの少年を買春しないだけマシかも知れないw いや、ホモ買春の方が一般国民に迷惑掛けてないだけマシかw つまり、最低最悪の議員、最低最悪の大臣だw (ヤクザが政治をやっていると自白している。) 週刊新潮「甘利大臣を落とし穴にハメた怪しすぎる情報源の正体」 http://pbs.twimg.com/media/CZuP-JNVAAAsKa6.jpg しまりすマネージャ ?@simalis1 5時間5時間前 今週は新潮を購入。 右翼団体所属、甘利家と関係の深い人権NPOに入り込み、公設秘書を接待漬け&実弾攻勢で取り込んで千葉に後援会を結成。 録音マニアで接待の領収書は全て保管、言質取ってはカネを要求するとか、やくざモンみたいな輩ですね。>一色某 #seiji しまりすマネージャ ?@simalis1 5時間5時間前 続き)全国紙の社会部記者:「薩摩と一色は補償交渉でURからカネを取ろうと、甘利を利用しようとした。が、動きがよくなかったため、切り捨てて、文春にタレこんだという構図でしょう」(週刊新潮2/4) しまりすマネージャ ?@simalis1 5時間5時間前 続き)薩摩興業: 「文春の記事は、一色の一方的な主張が書かれているだけです。 薩摩興業が一色と一緒になって甘利氏を嵌めたという見方がなされていますが、それは間違い。 (中略) 現在、社長と一色は、関係が完全に切れています。」(週刊新潮2/4) しまりすマネージャ ?@simalis1 5時間5時間前 薩摩興業・一色某サンのご立派な名刺。しかも、人権NPOの名刺は団体の許可なく無断で作成されたそうな。(週刊新潮2/4) 一色某サン、マックロクロスケな方ですかねぇ。#seiji #kokkai http://pbs.twimg.com/media/CZxKoOXXEAEmefw.jpg ヤクザから小遣い貰い、お駄賃貰って政治をやってますw 自民党ですw ★ ★ ★ 世の中の恐喝やパワハラなど諸悪の根源がジミンなんで、ネトウヨの発言は強請や恐喝まがいの要求に満ち溢れています。 ジミンは国民を強請や恐喝で税金を取り立てて、生命や財産を強奪します。パワハラブラック政党ですな。クズのようなやつばかりです。ヤクザとは人間のクズという意味です。 このような悪魔たちと戦い、地獄から脱するために、シュタイナーの輪廻転生の話を紹介する。 ★ ★ ★ トンデモ話は奥で繋がる「第145夜」(改変) -弟子のクッテネルがお送りします。 http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-827.html ≪輪廻転生(15)(改変)≫ 未完成四重奏曲 さて、第141夜では、シュタイナーが転生に向けての肉体について述べている部分を引用しましたが、その最後で、シュタイナーは次のように述べていました。 「肉体以上の高次の構成体(エーテル体、アストラル体、自我)が、誕生のはじめから胎児に結びつき、完成している、と考えてはならない。…生まれてから後に、それらは様々に段階的に発達、成長し、進化していく。子どもの教育にとって、最重要なのは7歳から14歳の間の時期である。」 ルドルフ・シュタイナー『神智学の門前にて』p67《イザラ書房(西川隆範訳)》より抜粋転載 つまり、誕生の瞬間から、4つの体が、いきなり全開モードで四重奏を奏でる訳ではなく、いわばそれぞれの楽器を持っただけの4人の音楽の素人の集まりなのです。 …というと、 《子供がだんだんと成長してゆくのは当たり前》 と言う声が聞こえてきそうですが、その成長が独特なのです。 一言で言えば、4つの体(構成体)のそれぞれは、成長期が異なり、ある体(構成体)の成長期には、それだけに集中して完成させなければならない、いわばマンツーマンで、一人ずつプロに仕立てるレッスンが必要と言うのです。 そして、それぞれ4つを、その成長期に合わせて一つづつ重点的に成長させてゆく教育法…が、シュタイナー教育と呼ばれているものなのです。 さて、その4つの体の成長過程を図示するのが、前述の西平氏で、再度、141夜の図表に登場願いましょう。 西平直『シュタイナー入門』p129《講談社現代新書》より転載 地上界での「一生」は、図の左半分に当たる「物質体の誕生」 から「物質体の死」までの間です。そして地上界では、転生までの過程とは逆に、物質体―エーテル体―アストラル体の順に成長すると言います。 そしてシュタイナーは、それぞれの体の成長の完成までの期間を、7年毎の時期、1~7歳まで、7~15、6歳=女性の方が幾分早い、15~20歳前後まで、及びそれ以降に区切っています。 「物質体」の成長は文字通り、基本的な運動能力の源ですが、「エーテル体」の成長は「記憶、気質、性向、持続性など」の生命力の源を、「アストラル体」の成長は「人格形成に必要な他者との人間関係、概念的判断、批評的態度など」の感情の源となります。 模倣の第1期(誕生~約7年) さて、シュタイナーは、「第1期」つまり7歳までの幼児は、「物質体」の感覚器を通じて、周りの「物質環境」をひたすら模倣する時期に当たり、「模倣と手本」というキーワードを用いて、次のように説明しています。 「幼児は物質環境中の出来事を模倣する。そして、その模倣の中で、身体器官が特定の形態をとるまで成長すると、その形態が一生保たれる。 物質環境という言葉は、できるだけ広い意味に受け取る必要がある。 幼児の周囲で、物質として働きかけてくるものだけでは無く、幼児の感覚で知覚できるもの、物質空間から幼児の心に働きかけて来るもの、そういう周囲の一切の働きがこれに属する。 幼児が知覚できる道徳や、不道徳な行為、優れた、もしくは愚かしい行為もこれに属する。」 ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションI(子どもの教育)』p36《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載 莢入りのエーテル体・アストラル体 第1期の「エーテル体」と「アストラル体」は、ちょうど誕生前の胎児の体が《母体》という《莢》に包まれているように、目に見えない《莢》をまとっており、まだ外界から働きかけることはできない。 例えば幼児期には、時として驚異的な「記憶」を示す子どももいますが、それは前世から引き継いできた「エーテル体」の《莢》による記憶力であり、それを強化すると、逆に、物質体の成長を阻害するといいます。 「《(エーテル体が記憶が司るといっても、エーテル体の成長期前の)歯の生え変わる前でも、子どもは記憶その他を持っている…ではないか 》、というような批難をする人は、輪廻転生を理解できない。 エーテル体もアストラル体も、生まれた時から存在するが、いわば、それを(悪魔の悪影響を直接受けないように)保護する莢の中で存在している。そして、まさに、この莢が、歯の生え変わる前のエーテル体に、(守護天使のように)記憶力を発揮させているのである。 しかし、胎児は肉眼を、母体の中で既に獲得している。この母体で保護された眼に、外からの太陽の物質光(悪魔アーリマンの力)が働きかけてはならない。 それと同じ意味で、教育者は歯の生え変わる前の子どもの記憶力を育成してはならない。 (物質体の成長が歪められ、後に関節炎等の疾患の誘発につながるという。昨今、このような疾患が増えているのは、幼児への暗記教育のせいでもある。特に外国語教育。生活環境から自然と覚える語学教育でないと駄目。) この時期の記憶力は、その素養を与えるのみで、暗記などの強制で記憶させられなければ、独力で自由に自然と伸びていくだろう。」 ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションI(子どもの教育)』pp31-32 《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載 同じことが、アストラル体にも言えます。この時期の幼児は、目に見えるもの、感じるものを、善悪の区別無くそのまま模倣する時期なのです。 そのため、周りの大人たちは「道徳や善悪」を教え込むのではなく、ひたすら手本となる行動や言動を、子ども達に真似させる形で教育が行われる必要がある、と言います。 (大人や親が手本や見本となって子にみせ、真似させる。だから、大人や親は自分の行為を常に見られていると思って正しくしないといけない。でないと、おかしな特徴などは、すぐにマネされる。子どもが自分の特徴をマネしているのに驚くことがあるだろう。) 「健全な手本や正しい見本を、愛情に包まれながら模倣できる時、子どもは正しい環境の中にいる。子どもに模倣されては困るような行為を、子どもがいる環境の中で生じさせないように、大人たちは、出来る限りの努力を払わねばならない。 《そんなことをしてはいけないよ》と子どもを注意しなければならない行為を、子どもの前でしてはならない。 子どもの模倣に徹する姿は、例えば文字を理解しはじめる前から、既に文字らしきものを真似して書くのを観察することなどからわかるだろう。 子どもはまず文字を真似て書き、その後から、その意味が理解できるようになるが、このような模倣は、肉体が発達する7歳までの時期にとって必須の行為なのである。」 ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションI(子どもの教育)』 pp42-43《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載 ただ肉体作りに専念すべし シュタイナーは、第1期の成長の課題は、「物質体」を健全に成長させるのに集中すべきであると、次のように述べています。 「歯の生え変わる7歳までに、人間は1つの課題を遂行しなければならない。その課題は、人生の他の成長期の課題とは本質的に異なっている。 すなわち、肉体の諸器官を7歳までの時期に、特定の基本形にまで発達させなければならない。それらの器官の組織構造に、特定の方向付けを与えなければならない。 成長はその後も続いていくが、その後の成長は全て、7歳までに作り上げられた基本形に基づいて行われる。基本形が正しく作り出されれば、正しい形で成長し続ける。基本形が歪んで作りだされたら、歪んだまま成長していく。」 (七歳までのエーテル体の酷使、特に強制的な記憶の暗記などは、肉体の成長の基になる基本形を歪ませるので、歪んだまま成長すると、その歪みが、関節などに負担をかけて、晩年の関節炎などの誘発につながるというわけである。) ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションI(子どもの教育)』p35 《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載 さて、次回第146夜は、第二・7年期以降についてお話しします。 ★ ★ ★ 汚職などのインチキで政治を行うと、社会が歪な形になり、競争的で、潤滑に乏しく、柔軟性が欠乏し、硬直化して、闘争的で、権力志向で、地獄化する。人体も社会も同じである。
2016年01月29日
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先日、トークが面白い「ほんまでっかTV」の後の続きで、最近流行の医療ドラマを惰性で少しみたが、あまりの非現実ぶりに呆れた。ドラマはフィクションだから、非現実を前提につくられているので、現実を想定するほうがおかしい、ということになる。 はじめしかみていないので、勘違いかもしれないが、これまでの流行から、推理ドラマの主役を刑事ではなく、科学者、更に医者に変えているだけで、内容は従来の非現実な推理ドラマにかわりはないものに思えた。 海外ドラマの移植のようにもみえた。かつてのアメリカのドラマで「ER」が流行ると、日本風にアレンジした「救命病棟」が流行ったのと似ている。「ER」はみたことがあるが、「救命病棟」はみていない。 映画「チーム・バチスタの栄光」はみたが、犯罪現場が医療現場にかわったのは斬新だったが、現場を医療にする意味があったのか、という疑問も浮かんだ。 大河ドラマもそうだが、現実をある程度知っている者にとっては、最近のドラマはあまりに設定などが非現実で陳腐に思えてしまう。 ちょうど中学生だった頃、ドラマ「金八先生」が流行ったが、当時の中学生にとっては、あんな非現実なドラマのどこが面白く、大人は夢中になるのか、理解できなかった。 まさかドラマの世界が現実にあると錯覚し、洗脳されてしまう人はほとんどいないと思うが、ドラマは非現実だからこそ、現実逃避ができるわけで、逆に、現実の世界にどっぷり浸かると、かえって息苦しさを感じてしまうのもある。 漫画やアニメを実写化すると、下手すると、あまりの非現実さがむき出しになるが、非現実だからこそ、漫画やアニメの世界が意味を持ち、しばしば、その世界のヒーローやヒロインに人間の理想像がみえるのも確かである。 しかし、非現実でもある理想が実写化されると、陳腐になるのは現実の世界があまりに悲惨で夢のないもので、誰もが幸福を求めながらも、他者の幸福などの奪い合いなどして、実際は幸福には程遠いものとなっているということも考えられる。 ドラマに現実を求めるのではなく、現実に理想を求めるのがよい。現実に理想を求めるために、人は輪廻転生するといえる。 ぶっちゃけ、ドラマと現実と理想の世界は、いってみれば輪廻転生の世界ともいえる。 というわけで、シュタイナーの輪廻転生の話の続きを紹介する。 ★ ★ ★ トンデモ話は奥で繋がる 「第144夜」 -弟子のクッテネルがお送りします。 http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-827.html ≪輪廻転生 (14)≫ 成長の限界点(改変) 前回までの話から、再び転生への道を選択する理由の1つは、現世で他の人達に与えてしまった負荷について、清算せずにいられない意識がありました。 しかし、シュタイナーによれば、転生への道を選択する理由には他にもあります。そして、主として前世で得がたい修練を積んだ魂に起こるように思われます。 魂が死の門をくぐった後、霊界で高次の霊から理想とし、目指すべき姿を教えられることで、成長のレベルが最高潮に達するのを予感する。 しかし、前世で学んだことには限りがあります。従って、そこから受け取れる叡智にもまた限界があるので、次のような思いが起こります。 「神々の力がお前に働きかけた。それはお前の魂の内力となって、今、お前の中で生き、働いている。しかし、お前は、この力を持ってしては、もはやそれ以上先へ進めない所まで達した。 何故なら、更に前進しようと思うなら、お前は今までよりも遥かに完全でなければならないからだ。」 ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p112 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載 この内なる声の導くままに、転生へと進んでゆけば、次の成長に向けて、経験を積むことができます。しかし、ここに誘惑の罠を仕掛ける存在がいると、シュタイナーは言います。 その囁きは神か悪魔か(改変) この誘惑の罠を仕掛ける存在こそ、スピリチュアリズムの中でも、功罪様々に取り上げられるルシファーです。 《そうだ。お前は今なら神々の後についていける。お前は神々が与えてくれた力と一つになれる。お前は霊界の中へもっともっと深く参入していける。》 《この機会を失うな。お前は今なら霊界にとどまり続けることができる。お前は十分進化を遂げてきた。その成果の全てを、今なら霊力に移し変えることができる。》 以上、ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p112・113 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載 現世で辛酸を舐め、その成果を受け取った魂に対して、昨今流行の《アセンション》を夢見る多くの魂にとっても、最強の誘惑ではないでしょうか。 このルシファーの言葉も、全くのデタラメではなく、ある意味で真実なのです。転生か、霊界にとどまるか、の究極の2者択一の意味をシュタイナーは次のように語ります。 「自分が完全な霊の存在になれる、という展望が、目の前に拡がっているのです。 しかし、そうなるには、偉大な理想へと向かう道を踏み外した瞬間なのです。つまり、《不完全》なまま、霊界にとどまる道を進む瞬間なのです。 《不完全》なままで、霊界で《完成》へと変化していくでしょう。 人間は、神の力を内に取り込んでいますので、不完全ながらも霊界に参入し、不完全ながらの霊になれるでしょう。 しかし、同時に、これまでの輪廻転生の途上でいまだ育成できなかった素質や偉大な理想へと向かう可能性を断念しなければならないでしょう。 地上へ受肉するかどうかの選択の度ごとに、霊界にとどまり、霊となり、既に獲得したものだけで神と化してしまおうとする誘惑がやって来ます。」 ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』pp112-113 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載 ルシファーの言葉、つまり《輪廻転生を回避して霊の存在になれる》に嘘はないのです。そして、日常生活の《輪廻からの解脱》を唯一の目的のように思っている人達にとっては悪魔の声は《神の声》に聞こえます。 しかし、その道を選んでしまうと、もはやそれ以上の進化はありません。 無論、それで十分と思う人もあるでしょう。ルシファーは、その人達にとっては《真実を教えてくれる存在》です。 ただし、1つ覚悟しなければならないのは、前世までに他の人達にかけてしまった負荷を清算する機会は、それで失われることになります。そして、かけてしまった負荷を見る度、その過ちに苛まれるのです。 また、全く負荷を清算しきった場合でも、その成果として受け取った力を地上界で役立てることも出来なくなります。 しかし、小生の私見では、何よりも《耐え難い》ものと思われるのは、人間が《唯一存在》の分身の1つに過ぎなく、本当は全く孤独な存在であることを、永遠に感じなければならないことではないかと思います。 そして、万一全ての《分身》達が、《輪廻からの解脱》を選んでしまえば、《唯一存在》は、もはや孤独感に打ち勝つ方法を無くしてしまうことになるのではないかと思うのです。 肉体の究極的な役割 実際、シュタイナーは、この段階で、独力でルシファーの誘惑に立ち向かうのなら、屈してしまうだろうと語っています。そして、ルシファーに打ち勝つのが《肉体》であると言うのです。 「現在の人類の進化段階では、ルシファーの誘惑に耐える事は―もしルシファーの敵である聖霊達が人間を助けなければ―出来なかったでしょう。 『神々の宗教』を通して人間を理想に導く神々と、ルシファーとの間で、人間の魂を巡る戦いが生じるのです。 そしてこの戦いの結果、将来、地上で生きる人間の運命が時間界から空間界へと投げ入れられ、空間界に吸い込まれます。 それは、人間が空間界へ移って、空間界との親和性を獲得する瞬間であり、両親による磁気的な引力が生じる瞬間なのです。 その瞬間、霊界にとどまろうとする誘惑全てが、人間の周りから覆い隠されます。その《覆い》が《肉体》なのです。 人間は、肉体に組み込まれたので、ルシファーが人間の眼前に示したものを、見ずにすんだのです。 この肉体という《覆い》に包まれた人間が、肉体の感覚器官による感覚と脳の悟性の働きだけで世界を見る際には、誘惑者に誘われて不完全なままに霊界にとどまろうと願ったことを知らずにいられます。 そして霊界を専ら外側から、感覚と、悟性が表現するままに見るのです。そして人間の指導霊たちが、人間の進化の責任を負うのです。」 ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p113 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載 つまり、人類の《進化を司る神々》は、ルシファーの誘惑を遮断するため、肉体を纏わせて霊界から引き離し、霊界を人間の眼前から覆い隠すのです。 このために人間は、地上界にいる間は、シュタイナーの言葉を借りれば、《ちょうどよいと思える程度》にしか霊界を知ることができないのです。 逆に、もし遮断されぬままに地上界に降り立てば、一歩進むごとに、ルシファーの誘惑に曝され、いつも不完全な魂のままに霊界に参入しようという意識へと駆り立てられてしまう、とシュタイナーは言っています。 常に百%信ずることなかれ(改変) さて昨今、一部のリーディングマスター達が、アセンションによる意識の変化により、一部、或いは全ての人類が、通常の輪廻転生から抜けられるという説を唱えています。 しかし、シュタイナーが説く輪廻転生によれば、ちょっとやそっとで、そのサイクルから離脱できるほどの魂の進化は得られないということになります。 小生は、十中八九、シュタイナーの説が正しいような気がします。 が、しかしです。人智学協会や、彼の信奉者には怒られるかもしれませんが、百%足を突っ込むのではなく、足首1つは外に出すべきではないかとも思っています。 小生は、これこそ「絶対の真理」だと悟ることは、永遠に出来ないのではないかと思っています。そしてそれは、シュタイナーの話も同じかも知れないのです。 万一、シュタイナー自身が《進化を司る神々》に騙されているとすれば、逆にルシファーこそ真実を語る神であり、早々に輪廻転生から離脱した方がよいということだってあり得るのです。 《この人が言った事だから信ずる》という態度で臨むのではなく、最終的な判断は、自分自身が行うべきなのです。そのためにも、輪廻転生に関する、あらゆる可能性を知っておく必要があると、小生は考えています。 ですから、逆も又然りです。現段階ではシュタイナーの言うことが全く理解できないという読者も、《こういう見方がある》ということだけは、悟性の中にとどめておいて損はないと思います。 さて、次回第145夜は、転生後の人生についてお話しする予定です。 ★ ★ ★ 天国は一日にしてならずか。
2016年01月26日
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今年は暖冬との予報が外れ、極寒の日々になっている。天気予報のいい加減さに呆れてしまう。時間が線形に進むのなら、過去のデータからほとんど揺らぎのない結果が得られるが、時間の進行はそれほど単純ではないことがわかる。 時間の進行が複雑ということから、汚職政治家たちは汚職で人類をやめることになり、ニセモノユダヤたちの目論見は全く逆の方向で進むということがわかるだろう。 さて、時間が未来から過去に流れるという話を以前紹介したが、恐らく「対称性の自発的破れ」という言葉が理解できなかった読者が多いのではないかと思われる。 「対称性の自発的破れ」は、超電導現象を理論的に解き明かすBCS(3人の物理学者の頭文字のBardeen Cooper Schrieffer)理論で、電子が極低温でクーパー対をつくる根拠となっているもので、昨今有名になったヒッグス粒子が、万物に質量を与える根拠にもなっている。 自発的対称性の破れについての説明を、マッドサイエンティストの井口博士のサイトから以下に紹介する。 ★ ★ ★ 「時間物理学」:時間は未来から過去へも流れているか!? http://quasimoto2.exblog.jp/page/2/ (要点を抜粋) ところで、制御理論の分野には、「観測と制御の双対性」、別名「カルマン双対性」というものがある。つまり、「制御」とは未来から現在に向かって行うものであるのに対して、「観測」とは過去から未来に向かって行うものである。この両者はお互いに逆の役割をする。そういう双対性である。 これが見事に対称性を持つ、というのが、シュレーディンガー方程式の場合である。が、問題はそれが破れる時。すなわち、「対称性の自発的破れ」が起こる場合である。 ★ ★ ★ 大半の読者には、専門用語が乱れとんでいてよくわからないものと思える。 そこで、もっとわかりやすく、対称性が自発的に破れる現象を説明するのに用いられる簡単な例え話を以下に紹介する。 円卓で食事をするとする。食事が配られ、スプーンが各自の右側に置かれる。円卓なので、各自の右側は隣人の左側でもあるから、スプーンは各自の両側にある。左側をとるか、右側をとるかは、誰かが食べはじめるときに、どちらかをとることで、決まる。 食事をするために、左右のスプーンの対称性が崩れることを、自発的対称性の破れと呼ぶのである。 この喩え話の、両側にあるスプーンで、対称性が保たれている状態を表し、食べ始めるときに、左右どちらかのスプーンをとることが、対称性が自発的に破れる現象を、表わしている。 では、スプーンを「時間」に置き換えてみる。 輪廻転生を加味すれば、我々の人生は円卓のような円環になっていることがわかる。右側にあるスプーンは、過去から未来へと流れる時間である。そして左側にあるスプーンは未来から過去に流れるスプーンである。 右側をとれば、過去から未来に流れる時間で、それは起きているときの日常生活の記憶で、覚醒意識の状態であり、左側をとれば、未来から過去に流れる時間で、これから体験し、記憶すべき未来の選択肢で、睡眠中の潜在意識状態になる。 つまり、起きているときは、過去の記憶を保持し、寝ているときは、未来の記憶を保持していることになる。 いずれにしろ、どちらかを選択することで、対称性が破れる。食事、つまり人生を味わうには、どちらかの時間を使って、記憶を保持しないといけないからである。 この左右の違いから、自分という時間の重なり合いが生じる。だから、対称性の破れから過去と未来の間に渦ができ、心の芯ができ、自我が生じ、心が揺らぐ。 さて、上述のサイトにも載っている、次の有名な禅の問答が思い浮かぶ。 ★ ★ ★ ある二人の禅の僧侶が、旗が揺らめく理由を問答していた。 一方の僧侶が言った。「旗が揺らめくのだ」 他方が言った。「いやいや、風が揺らめくのだ」 そこへ、禅の老僧がやってきて、二人に言った。 「風が動くのではない、旗が動くのでもない、心が動くのじゃ」 ― 無門「門のない門」 ★ ★ ★ というように、この話は、3つの揺らめき、つまり運動の違いを説明している。旗の揺らめきは目にみえるので、過去から未来の時間の記憶に置き換えられる。つまり、眼にみえるものしかみえない一般人を意味する。 次の風の揺らめきがみえる人は、旗を揺らめかせる目にみえない風という自然界の揺らぎを経験からみている。つまり未来から過去に流れる時間の記憶に置き換えられる。眼にはみえない自然の働きがみえる経験が豊富な先人や学者などを意味する。 そして、心が揺らぐのがみえる人は、生命の揺らぎがみえる人で、人智学的にいえば、エーテル体の揺らぎがみえる人で、自発的な対称性の破れがみえる人で、この世とあの世の均衡の破れがみえる霊能者などを意味する。 人はカルマの法則によって、あの世で未来から過去に遡り、自分の未来、つまり、自分のなすべき人生を決めてくるが、なるべくそれに近い親から受け継いだ肉体でも、思い通りにいかないから、必ず破れが生じる。 この破れが十字架であり、人生を生きることは十字架を背負うことを意味する。 家康が言ったとされる有名な「人生は重い荷を背負って歩くようなもの」というのは勝海舟の創作だが、キリスト教的でもあり、キリストが十字架を背負ったように、人間は皆、神との違いに応じて、神と異なる、その重荷を背負うのである。 悪魔に近ければ近いほど、地上に吸い寄せられるから物質界に閉じこもる性質にあり、物質界の通貨である重力をもつことになる。逆に光に近ければ、天に近いので、軽くなる。これが素粒子レベルでいうヒッグス機構である。 例えば、電子が電子として働けば働くほど電子たる性質を帯びていく。 シュタイナーは、電子は光が凝縮したものと述べている。凝縮ということは束縛していることで、不自由である。不自由を自らに課しているから重たくなる。 何やら訳がわからなくなるかもしれないが、光が電子に凝縮する際に、質量が生じるのである。無限の距離が一点に集中すれば重たくなるのは流体の流れから感覚で捉えられるだろう。量子力学でいえば、電子の位置、もしくは速度が観測された時点で、対称性が破れ、電子の状態が定まる。 というわけで、物質界だけでは解決しないというシュタイナーの輪廻転生の話の紹介を続ける。 ★ ★ ★ トンデモ話は奥で繋がる 「第143夜」 -弟子のクッテネルがお送りします。 http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-820.html ≪輪廻転生 (13)≫ 過去の諸体験の決着(改変) さて、霊界の真夜中を過ぎ、過去の人生の果実として、来世でどのような能力を得るかを体験すると、転生に関わるもう1つの重要な光景を見ることになると、シュタイナーは言います。 「しばらく霊界を生き続けると、やがて周囲の薄闇の環境の中から、1つの光景がはっきりと現れます。 それは、自身の過去の諸人生の光景であると同時に、それら人生と密接に結びついた人間関係の光景でもあるのです。 (…中略…) 死から転生までの霊界での生活の大部分は、かつて地上で親しい関係にあった人たちと体験を共有するので、真夜中でも結びつきを内の体験として保っているが、真夜中の後に、改めて、その人達と再会するときには、《その人達にかけていた負担》と、《その人達からかけられていた負担》とが、はっきりとみえるのです。 (…中略…) 真夜中後、この人達は、以前の体験に決着をつけるために現れるのです。 その人達が、自分に向かって来る時、来世で、どんな体験をすれば、その人達に以前かけた負担を解消できるかを、その人達からみて取るのです。」 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』pp199-200 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) 前世での、自分の行為のため、他の人にかかった負担(負荷)、いわゆるカルマが、一つの光景となって意識されるようになると、シュタイナーは言います。 その光景をみることで、魂は《それを償いたい》という思いに駆られる。そして《それを償う方法》まで、はっきりと認識する。 そして、同時に次のように悟ります。 『お前がかつて地上に生じさせた不正な行為を償うには、再び肉体をもたなければならない。 それでもなお、次の人生で償うことが出来なければ、死の門を通った後、更に、お前が負担をかけた人が、再度、目の前に現れて、お前の魂の健全さのために、苦しみを促すであろう。』 ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p201 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載 カルマの呵責(改変) 誤解のないように少々説明しますが、《再度、目の前に現れて苦しみを促す》と言っているのは《被害を受けた人が霊界で仕返しに来る》ということでありません。 シュタイナーは『嘘をつく』を例に挙げて次のように説明しています。 嘘をついた場合を、霊眼で見ると、ついた相手を見るたび《嘘をつくべきではなかった》という後悔と、嘘ではなく、真実が湧き起こって来て、自分の魂を苦しめる。 《このような後悔は現世でもあり、後悔しなければよい》ように思われるが、それは嘘がバレないか、忘れていられるだけで、全てが明らかになる霊界では、よほどの極悪非道の人間でない限り、何かしら良心の呵責を感じるのである。 現世と違い、霊界では、 ● どんな極悪非道な魂にも、自らの心のなかから常に湧き起こる。 ● いつどこに居ても四六時中、湧き起こる。 というのである。これはかなりきついと思います。ましてや誰しも、犯してしまった不正は、1つや2つどころではないはずです。 しかも、霊界では、《負担をかけた》と理解出来ても、清算できず、償うためには再び地上に転生し、清算法を実践するしかないのです。 この一連のカルマの体系が、強烈な《転生への意識》を呼び起こす原因の1つとなっていると、シュタイナーは言います。 (霊界の魂にとっては、恥ずかしくて仕方がないらしい。未熟者とみられるらしい。嘘がバレルときの恥ずかしさからわかるだろう。嘘をつくのは一種の弱さだが、弱さがわかってしまう。その弱さが赦されてしまうので、自分でどうにかしないと駄目と悟る。) 原因の《1つ》と言っているのは、上記のような、どちらかというと、負い目の《負》だけでなく、《正》の意識もあり、シュタイナーは次のような例も挙げています。 「過去に体験したある種の喜びを回顧して、次のように言うとします。 『折角、このような体験をしたからには、再び地上に生を享けるために、この体験を地上生活に役立つ能力に変えよう。』」 (地上に天国をもたらそう。) ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p201 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載 これ以上の説明がないのでよくわかりませんが、《過去に体験した喜び》を、次の地上生活に是非役立てたいという意識も、転生に向かわせる力となるようです。 妨害に立ち向かう(改変) しかし、シュタイナーは、過去の体験を来世に役立てる能力に変換することを望まない、ある種の四大霊(悪魔)がいるとも語っています。 その能力は、来世で特定の人に役立てるために必須であり、人類としては何としても得る必要があります。 しかし、無理に手に入れようとすると、周囲の四大霊は、自分達の叡智の一部が奪われて、自らの存在が暗くなるように感じると言います。 (知識を独占しようとする悪魔たちは、独占していた知識が奪われるのを好まないばかりか、自分達よりも人類がアホバカでいることを望む。奴隷として支配できるから。) その結果、四大霊達は、人間が転生する時を見計らって、同時期に地上に転生する一人、又は複数の人間に憑依して、その人間に敵対するような意図を吹きこむ、と言います。 (指導者や政治家たちに多いようである。) 霊界で、自分の転生の目的を果たすには、このような四大霊達を敵に回す他ありません。それでは、現世での、このような四大霊の妨害に、どう対処すればよいのでしょうか。 今流行のスピリチュアリズムの指導者の多くは、この手の《闇》の部分には関わらず《そのままそっとしておき》、ひたすら自分の霊性を高めるのに専念しなさいと言います。 では、シュタイナーはどのように語っているでしょうか。以下、シュタイナーの言葉を紹介してみます。 「この敵達をそっとしておく方がよい場合もあるでしょうが、反対の場合もあります。 この連中をそのままにしておくと、地上で色々な人たちに働きかけて、四大霊から人類が奪い取った知識などの代償を、代わりに人類からタップリと受け取ろうとします。 人類が奪い取ったものよりも、もっと多くのものを得ようとします。 そしてその結果、再び死の門を通った後で、人間は、これら四大霊から自分を守ることが出来なくなります。彼等は、能力を得た人間を打ち殺すかもしれません。」 (借金と同じ。返せないカネを貸して、返せなくなると、生命を奪う。) ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p203 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載 この最後の《打ち殺す》というのは、死の門をくぐった霊魂にとって何を意味するのかはよくわかりませんが、霊魂そのものを消してしまうのか、或いは霊魂が得た経験や能力を全て失うのかも知れません。 (恐らく人間の魂でなくすのだろう。もはや進化できない存在になるのだろう。) いずれにせよ、この種の四大霊を放って置けば、人類が得て来た以上のなんらかの代償を奪いとるよう、地上の人間を仕向れてゆき、死後において、その力で、人類そのものを脅かすのです。 スピリチュアリズムの指導者の方々も、今一度よく考えてみてください。 悪魔の闇の体系には屈するべきでは無いのです。霊性の向上のためにも、断固、戦うべきなのです。 悪魔たちと戦わなければ、いくら今世で霊性を高めても、霊界で全てを奪われ、何にもなりません。そして悪魔たちが野放しにされ、強大になればなるほど、被害を受ける魂の数も多くなるのです。 悪魔の力は、一見巨大に感じますが、実際はほんの一握りの、しかも心の奥底では決して一枚岩でない烏合の衆であり、人類の大多数が屈しない道を選べば、消滅させ得る存在なのです。 さて、続きは次回第144夜転生の最後の関門についてお話しします。 ★ ★ ★ 汚職をするような奴は自分の弱さを知っている故に汚職をするのだから、弱さをあからさまにすればいいのである。インチキが通用する世のなかでは終わりである。
2016年01月25日
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巷はアホノミクズで株価暴落、年金がなんでも7兆から24兆パープリンで、SMAP騒動で誤魔化しかと思えば、生会見でキムタク株暴落と、暴落ラッシュで、ついに真田丸ならぬ、本丸のアホ内閣の脇が甘い経済相が汚職騒動となっている。 これでアホ政権が解散に追い込まれなければ野党なんか腑抜けもいいとこで、国会議員全員免職もんだろう。 しかしよくもここまでインチキ塗れを続けてきたもんである。国辱である。米国植民地人には恥知らずが多いということなんだろう。あの世にいっても先祖に合わせる顔があるのか、どうせ地獄行きだろうけどね。地獄で、お前もきたかということで、血は争えないのかもしれんね。 汚職は麻薬と同じで一度手を染めたらやめられないのだろうが、そういうことをしていると人類から脱落して、悪魔の一員になることを肝に銘じるべきである。神様を舐めてはいけないよ。 人生真面目に生きないとダメである。どんな人間も裸であの世にかえるのだから、身を清めて帰るべきである。 今年の干支は丙申だが、新勢力台頭の機運が高まってきていることがよくわかる昨今である。浄化がはじまる予感がする。 というわけで、お馴染みのサイトから、旧態依然のインチキ詐欺師たちの話を紹介して警告したい。 ★ ★ ★ NISAで一億火の玉だ http://my.shadowcity.jp/2016/01/nisa.html 今日もまた日経平均大暴落で、とうとう1万6千円スレスレですw だからおいら、リーマン越えだと言ってる。消費税増税延期だよね。めでたくリーマン越えたんだからw 約束だよね、リーマン越えたら増税しないってw 年金溶かしちゃった件は、どう責任取るんだ? 毎日国会で大騒ぎしてやれw 21日の東京株式市場の日経平均株価は、前日比398円93銭安の1万6017円26銭で終了した。 まぁ、コレで安倍政権も終わりです。色んな意味で、「見限られた」んだろうね。カネの切れ目が縁の切れ目、さて、次の首相は誰なのか? 口曲がりのアスホールとか言わないでくれよw ブサヨに嵌められたんだ http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8663.html 甘利のワイロなんだが、道路予定地を高値で売りたい土建屋が、あまりに口利きを依頼、ところが甘利が動いてくれないというので、アタマに来て暴露、という筋だそうだが、最後のワイロ授受には、なんと週刊誌の記者が身分を隠して立ち会っていたそうでw まぁ、「ハメられた」と言えばその通りなんだが、それにしてもワキの甘さが際立つわけでw 二階堂によれば、 地元選挙区の甘利事務所は、陳情者が来ると、まず帯一つの対応をしているわけです。それで初期の目的を達成すると、漏れなく後援会員に昇格します。後援会員のクラス別に月額5千円~10万円の後援会費ですね。年末になるとブック型のダイアリー(甘利閣下の御影付き)を1冊10万円、10冊単位で勝手に置いていくわけです。 前から色々と怪しいカネはもらっていたわけで、乞食みたいにカネカネカネと欲張るから、ワキが甘くなるw この男性によれば、独立行政法人都市再生機構(UR)が行っている道路建設の補償を巡り、甘利事務所に口利きを依頼。過去3年にわたり、甘利大臣や地元の大和事務所所長・清島健一氏(公設第一秘書)や鈴木陵允政策秘書に資金提供や接待を続け、総額は証拠が残るものだけで1200万円に上るという。 2013年11月14日には、大臣室で甘利大臣に面会。桐の箱に入ったとらやの羊羹と一緒に、封筒に入れた現金50万円を「これはお礼です」と渡したという。 面会をセットした清島所長は、週刊文春の取材に「献金という形で持ってきたのではないですか」と回答した。ただ、甘利氏の政治資金収支報告書に記載はない。 それにしても週刊誌の記者の目の前でワイロのヤリトリしてたんじゃ、イイワケのしようもないですねw 落ち目になると次々にネタが出て来る http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8665.html 人間、落ち目になると次々にネタが出て来るわけで、甘利もそうですw とりあえず「バンダイの御曹司に100万の絵画を1500万で売りつけて裏金作り」だそうでw これは第一次安倍政権時代、経産相だった甘利に便宜を図ってもらった見返りだったそうでw とかくカネに汚いというので有名だったようだ。 「5、6年ほど前でしょうか。甘利さんが美術品を3点持って事務所を訪ねてきたそうです。『買ってくれないか』と言われ、山科さんはまとめて1500万円で購入したと言ってました」 ところが、2010年に山科元会長がそれらの美術品を鑑定に出したところ、実に3点でたった100万円ぽっちの評価しかされなかったというのだ。このとき「週刊朝日」の取材に対し、甘利事務所は「売買は契約書を交わし適正に行われ、税務上の申告も適正に行っています」と回答しているが、100万円相当の品を15倍の金額で売りつけるとは......。 類は友を呼ぶ、アベシンゾーのオキニですw 第一次安倍政権でも経産相やっているわけで、こういう怪しいカネをたくさん集められるようでないと、自民党では出世しないw 千葉県の建設会社から自身や秘書が口利きの依頼を受け、見返りに現金を受け取ったとの週刊文春の報道を受け、きょう(21日)午前の参院決算委員会で、民主党の安井美沙子氏が甘利明経済再生担当相の賄賂疑惑を追及した。甘利氏はシドロモドロで、何ひとつマトモに答えられなかった。 この土建屋の素性も怪しいんだが、そういう「正体がよく判らない」ような怪しい会社から1200万もカネ貰っていたら、イイワケ出来ないよねw 世界恐慌の震源地は安倍晋三 http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8670.html さすがに今日は戻していて、540円高なんだが、3000円上がらなきゃ戻したとは言えないですね。ちょっと戻すとアラブが売りに来るw で、今回の世界恐慌、犯人が誰なのか? という話なんだが、日本が悪い、アベノミクスが悪いという意見が世界中から出ているようでw そら、政府がカネ注ぎ込んで無理に株価を上げていたら、何かあったら売り浴びせられる。日本政府がいくら金持ちでも、世界にはそれ以上の金持ちがいる。最後は体力勝負w 太平洋戦争で何故負けたか、反省が足りませんw いま、世界で一番注目されている株式市場は日本。そして、最も注目の通貨は円である。昨日(20日)今日(21日)と、日本発世界株安連鎖が意識され始めた。 世界の投資家が、日本株を売ることで、アベノミクスへの不信任票を投じている。 そのアベノミクスの司令塔たる人物の一人に、金銭授受疑惑が浮上したことも、なんともタイミングが悪い。 甘利は逃げ切れないようでw 録音テープは50時間分あるらしいw 凄いねw 土建屋はURから2億2千万円の補償金をせしめたわけだが、その御礼として1200万。よく言われる「政治家の口利きは5パーセント」というのを実証しているんだが、こういう地上げに絡んで居座って立ち退き料せしめるというのは、まぁ、アレだ、あっち方面のお方がよくやる商売で、政治家がそれに加担しちゃいかんですねw ★ ★ ★ このような汚職政治家たちが汚職を平然とやってのけれるのは、愛国心など微塵の欠片ももたないためで、自分たちは特別と思い上がっている怠惰な腐敗した精神にある。 このような思い上がりが生じるのも、明治維新以降の誤った歴史認識に端を発しているように思える。誤った歴史認識は最近明らかになってきたが、日本会議なるカルト団体が崇拝する明治神道のインチキさにある。 そのことを再確認するのによい話をお馴染みのサイト(渾沌堂主人雑記{旧・播州武侯祠遍照院})でみつけたので、抜粋紹介する。 ★ ★ ★ 偽天皇田布施帝国の実相を計る。 http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%90%91%E3%81%91/%E5%81%BD%E5%A4%A9%E7%9A%87%E7%94%B0%E5%B8%83%E6%96%BD%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%AE%9F%E7%9B%B8%E3%82%92%E8%A8%88%E3%82%8B%E3%80%82%E3%80%80%E3%80%80 (要点を抜粋) 代替案 より 上記文抜粋 ・・・・・・・・・ 【書評】堀雅昭著『靖国誕生 ―幕末動乱から生まれた招魂社』弦書房 2016年01月21日 | 長州史観から日本を取り戻す 堀雅昭著『靖国誕生 ―幕末動乱から生まれた招魂社』(弦書房、2014年)は良書である。 本書の問題意識は冒頭の次の一節から始まる。 「靖国神社が長州由来なのは意外と知られていない」 (薩摩の神社は別の場所にあって、西郷中心に祀られている。維新後、長州は薩摩を除くために、大久保と西郷を分裂させて、薩摩色を消した。大久保は、北条政子の頼朝のような存在。利用され殺された。) 長州出身の著者の手によるこの本は、靖国神社という施設が、日本古来の神道とは無縁な長州由来の新興宗教であること、すなわち、巷で言われているように靖国神社の実態は長州神社に他ならないことを綿密に実証している。 著者自ら冒頭に「暫し政治問題化の喧騒から離れ」と述べているように、著者に靖国を賛美ないし批判するという意図はない。ただ淡々と、長州でなぜ「招魂社(靖国神社の前身)」なる特異な発想の宗教施設が生まれたのかという事実関係を記述していく。本書の主役は、萩の椿八幡宮の宮司から靖国神社の初代宮司となった青山上総介である。 「招魂」の起源 まず、このブログでもたびたび話題になってきた、日本古来の神道にはない、長州起源の「国家」神道の「招魂」という特異な発想はどこからきたのかという問題。 著者によれば起源は、江戸期の国学者・伴信友が『比古婆衣』で記した以下の記述にあるのではないかという。伴信友は「後醍醐天皇、日中行事に、日毎のせうこんの御祭、今は定まれる事なり、とあるせうこんは招魂にて、こは鎮魂にはあらず、陰陽家にて別に招魂祭とて為る方なるべし」としているそうである。 幕末に長州で発生した「招魂祭」は、御醍醐天皇が幕府を調伏するための日中行事として行った「招魂」に由来するのではないかと。御醍醐天皇が室町幕府の討幕行事として招魂を行ったように、江戸幕府の討幕行事として長州で「招魂祭」が発生したのである、と。 以前、このブログでは、朝鮮文化の密接な影響下にある長州で、朝鮮儒教の「招魂(韓国語では「皐復( コボク:고복)」とも)」が長州に伝わったのではないかという説も紹介したことがあった。著者は朝鮮儒教の「招魂」との関連性については何も言及していない。 南朝主義者の国家改造計画 著者は長州が生んだ国家神道は、キリスト教、平田国学、南朝主義などの影響下で成立したと見る。著者は中立的に淡々と記述しているが、彼らの「思想」を読むにつけ、私は随所で悪寒が走るのを禁じ得なかった。 著者が、靖国創建の直接のきっかけとするのが、青山上総介らが文久3(1863)年7月に長州藩政府に提出した「神祇道建白書」であり、その翌年、元治元(1864)年5月25日の楠正成の命日に山口明倫館で斎行された楠公祭であったという。ここで青山らは、吉田松陰、村田清風ら、長州志士17名を「招魂」する。 (招魂は、西洋の秘教でいうところの黒魔術のことである。5は西洋の秘教では悪魔の数とされている。) 著者は楠公祭を「北朝末裔・孝明天皇の否定であり、国家改造の危険な祭事だった。・・・・吉田松陰の遺志を継いだ楠公主義者たちは、北朝体制を根底から否定する国家改造論者になっていった。・・・・国家転覆の神事だったのである」と見る。 この楠公祭に扇動されたのが、長州藩家老の福原越後であり、楠公祭直後の7月に、京都御所を武力で襲撃し孝明天皇を長州に拉致せんとする禁門の変を引き起こすのである。 著者は何も述べていないが、もし禁門の変が成功していたら、彼らは何をしたであろうか? この過激な国家改造論者たちは、北朝の末裔を退位させ、南朝の末裔を皇位に就けようとしたであろう。 私は、孝明天皇は暗殺されたと確信をもてるものの、巷で話題の明治天皇すり替え説に関しては、可能性はあるのものの、証拠が十分ではないと見て、これまで何も言及してこなかった。しかし本書を読んで、この過激な南朝主義者たちが権力を握った後、唯々諾々と北朝の末裔に仕えたという事実は何とも解せないという感想を強く持つにいたった。 著者は最後に靖国宮司となっら青山上総介の晩年に関して、以下のような謎を問いかけて本書を締めくくっている。 「(青山は)どうして一切の思い出を語らぬまま生涯を終えたのか。伊藤博文や山県有朋といった息子ほどの元勲たちの裏も表も知り尽くしながら、・・・・・靖国神社の初代宮司として幽閉されるような生涯を送ったのはなぜか」と。 ★ ★ ★ かつては、北朝と南朝が交互に交替しながら政権をになうという盟約があったそうである。その盟約を無視して、北朝が続けたので、南朝側は劣勢を巻き返すために後醍醐天皇のような危険人物が出てきたという話をある本で知ったが、その本によると、徳川家康は、北朝を傀儡政権とするために公武合体を進めていたが、北朝政権がもし倒れることがあったら、南朝政権を立てるために、南朝の子孫の確保を、水戸藩などに命じていたという話がある。 それらが、上述の話の紹介にも載っている、熊沢天皇(水戸藩)、三浦天皇(井伊藩)、出口天皇(紀州藩)などである。 水戸藩は、水戸の列公(斉昭)を将軍にするために、熊沢天皇を持ち出すが、井伊直弼に先手を討たれ、安政の大獄で、蟄居に追い込まれてしまう。三浦天皇はあまり通史の表に出ていないが、恐らく井伊直弼が担いだものと思われるが、大室天皇を担ぐ長州に、闇に葬られたのだろう。 徳川政権に成り代わろうとする各藩はこれら玉と呼ばれる傀儡天皇を抱えていたようで、結局、長州が政権を取ったので、他の玉は闇に葬られたと考えるとわかりやすい。 余談だが、通史では薩長同盟は坂本龍馬の手柄とされているが、坂本龍馬という名は、明治に土佐藩の宣伝で出てきたもので、極めて怪しいとみている。坂本龍馬を調べていくと、仏教学者の名で、坂本龍馬とされる人物は、通史では変名とされる才谷梅太郎であったことがわかる。 才谷は土佐藩家老の福岡孝弟の食客で、グラバーの使いのようなことをしていたと思われるが、とても藩の代表を担える役目になく、ましてや脱藩浪士なので、幕末でいくら秩序が乱れていたとしても、薩摩や長州の代表たる西郷や木戸などの家老級の身分と渡り合えるはずがない。 だから、薩長同盟は、西郷の手柄と考えるのが無難である。西郷が表に出ると、禁門の変で長州の怨みを買いかねないので、仲介に土佐藩を入れたのだろう。そして、大室を玉とする薩長政権により討幕を目論んだが、土佐藩の山内容堂が、大政奉還し、慶喜中心の合議制を主張したので、福岡孝弟は、パシリの才谷と通史では中岡慎太郎の本名石川清之介に罪をなすりつけ、両者は土佐への見せしめとして、薩摩に殺されたようである。 だから、龍馬ならぬ才谷梅太郎暗殺は薩摩の西郷に思われる。維新後、今井信郎が龍馬暗殺を名乗りでるが、現場にいた谷干城は自ら出向いて暗殺を否定し、西郷は今井を助けてやったことからも、土佐と薩摩の討幕派による暗殺であることがわかる。 さて、このように八切史観の日本史を知れば、明治帝は長州の身分を保障するだけで、日本列島に移民してきた他の民族にとっては平民以下の存在といえる。現に北条政子が、アマ将軍となって積年の怨みを晴らすために、唐由来の天皇を廃嫡させたので、朝廷の危機を利用し、南朝再興として後醍醐天皇のような化け物が生まれた後に、大陸の明の支援を受けて足利氏が勃興し、足利の明傀儡の北朝政権となった。 本当の日本史を知れば、昔から天皇は単なる象徴だったことがわかる。 では日本列島の源流はどうかというと、唐の侵略を受ける前の縄文時代を探るしかなく、続けて、八切史観の古代の話を紹介する。 ★ ★ ★ (八切史学概説) http://www2.odn.ne.jp/~caj52560/yagiri%20sigaku.htm 八切説では、中国大陸よりの藤原氏が律令体制による日本全国統一がなされるまでの日本列島には、少なくとも八つの王朝が存在したと説きます。 1)奈良王朝===大和、河内 2)吉備王朝===中国系の(華夏)で岡山 3)白山王朝===裏日本北陸 4)東日流王朝==東北津軽 5)蘇我王朝===神奈川、曽我 6)淡海王朝===琵琶湖から中部地方にかけて 7)富士王朝===富士山の麓 8)阿蘇王朝・隼人王朝===九州 【紹介者・注】王朝といっても、大きな部落で、この部族の長が統治していて、人口は数万と思われる。そしてこれらは、さして争いもなく、日本列島に棲み分け、していたのである。 そしていわゆる大化改新の前は、この中で、蘇我王朝と白山王朝のいずれも新羅系の騎馬民族が提携して主導権を握っていた。 だから、大化改新なるものは、百済系の奈良王朝=中大兄皇子と中国系の吉備王朝=藤原鎌足が連合して、蘇我=白山連合の実権を打倒したクーデターということになる。 次に、白村江の戦いで、唐、新羅連合軍が、百済、日本連合軍[但し、これを日本というのは誤解を招く。実質的には、百済系の日本内の分国で、植民地としての奈良王朝ということである。奈良王朝は母国百済存亡の危機にみまわれ、総力を挙げて母国救援の軍を出した。]を壊滅させた後、いよいよ唐が日本占領に乗り込んで来るのであるが、唐の占領政策は、日本列島内で主導権争いを続けていた高句麗系、新羅系、百済系の対立抗争を巧く利用する。 即ち、百済系を重用し、これを主たる代理人として、日本の全国統一権力体系を作ること。それゆえ百済系をして、高句麗系、新羅系、古代海人族を駆逐させること。この辺の八切史観はきわめて示唆的である。 こうして唐の占領軍は日本原住民の大叛乱の抵抗に対して、百済系を手先として全国統一の律令体制を確立し、その支配のイデオロギーとして、仏教を利用する。 七世紀末から八世紀初頭にかけての、三、四十年を準備期間として、日本はこのように一変したのだが、それから千二百年の間、現在に至るまで、天皇を頂点とする、この律令体制の大枠は維持されている。 そして文部省の日本史とされている。 八切説は、日本史を天武天皇以前と以後に大きく二分するのだが「日本奴隷史」を書いた阿部弘蔵氏も、八切説と根本的には一致している。 この律令体制に於いて、貴族と賤民が区別される訳だが、ここにいう貴族の正体とは唐占領軍の幹部連中、百済の亡命王族、貴族のことを意味し、律令制の位階制では、五位以上が宮中に入れ、貴族としての身分と、経済的特権が保障されている。 賤民とは、江戸期の大名でも従五位下であり、彼ら貴族以外の全ての日本列島の原住民を指すのだが、その種類として ○日本列島に最も早く移住してきた西南系海人族=これが縄文時代、及びそれ以前からの日本原住民であるが、後に七福神信仰でまとまっていく。 ○弥生時代になって、大陸、朝鮮からやって来た侵略者の為、マレーシア、雲南方面からの水田稲作農耕の奴隷、農奴とされた人々。八切説では古代海人系という。 ○弥生時代に大陸の影響のもとで日本列島に始原の国家が出来てゆくが、これを天の朝と名付ける。この天の朝は、古墳時代に朝鮮からやってきた騎馬民族の武内宿弥のために滅ぼされた。しかし、天の朝の残党は日本各地に生き続けて、現代も多くいる。 ○古墳時代の権力は朝鮮半島の三国、高句麗、百済、新羅の分国=植民地出先権力に他ならないが、律令体制下では百済系が唐系の権力に組み込まれ、高句麗系、新羅系は権力の座から追放され、蕃族として圧迫され、迫害された。 以上大別して、四つの種類の民族が賤民とされたわけである。つまり、庶子の民とされる現代でも使う「庶民」であり、平民とされた。その後の千二百年はこれら四種の賤民たちの下克上の時代と云いうるがその中でも (イ)文治革命 西南系海人族の伊豆の北条氏と新羅、高句麗系騎馬民族で頼朝に代表される源氏の同盟によって、律令体制に挑戦して、鎌倉に幕府を立てる。しかし、北条政子は夫である頼朝を殺し、その子たちも殺し、頼朝の血脈を断つ。ついで源氏の主立った者たち、三浦、梶原なども殺す。その為、生き残った源氏の残党は各地に分散し、隠れ住む。結局、源氏は政子に利用され、使い捨てにされた。 (ロ)信長による革命 織田は平氏を名乗っているように、古代海人族の系統で、信長は日本各地の同族達の解放を目指しただけで、日本全土の征服まで考えていなかったと思われる(このホームページの管理者の意見) (ハ)幕末維新革命 当初、これは神祇による、仏教打倒の革命として始まったが、つまり、源氏と平氏の大同団結で革命が成就しかかったが、隼人族の末裔である、薩摩や長州のため失敗する。 (このホームページの管理者は失敗と述べているが、上に紹介したように、長州が従来の北朝政権と徳川幕府を打倒し、大室帝を使って、毛利政権をつくり、南朝政権を確立した。) この三つが特記される。 明治以降の日本の体制は、律令体制の土台の上に、あくまでも律令制の大枠は破壊されていないが、欧米の資本主義制度を設営し、国益尊重を第一としたものである。それゆえ、現代の日本的資本主義の変革は、欧米系制度のみを目標にする訳にはゆかない。 その下にある律令制の土台、即ち官僚制をひっくり返さなければならない。そうするための不可欠の第一の前提、準備作業こそ、律令体制の産物としての記紀に始まる日本史の偽造の正体を暴露し、日本原住民の真実の歴史を明らかにしてゆくことである。八切史学は、その為の口火を日本で始めて切ったわけである。 戦国時代から切り込み、そこから上代に遡り、現代にまで下がった。これが八切史観の概説なのである。 だから私(リンク先のホームページの管理者?)の批判の矛先はアカデミイズムに胡座をかき、記紀を金科玉条としている歴史学会にどうしても向けざるを得ない。 以前、和歌森太郎、梅原猛、八切止夫の三氏で週間読売で座談会がありました。その時和歌森氏が梅原氏をつかまえて「俺はリースの直系の孫弟子にあたるぞ」と言ったら、梅原氏が畳に手を突いて最敬礼したといいます。 ルドウイッヒ・リースは日本の学校歴史を作った最高権威者で、その直系門下は虎の威をかる狐なのです。八切氏は面前なので冗談かおふざけかと思ったら、「いや、愕くなかれ二人とも真面目で本気なんです。故和歌森太郎が言いたかったのはリースの直系だと毛並みと言うか、その誇りなんですね。リースの直系の弟子というのが小川銀次郎、それから三上参次、その教え子が直系の弟子なんです。そして又その教え子の和歌森太郎はその孫弟子になる。サラブレットの血統書なみ・・・」と言っています。 医学界も白い巨塔ですが、こんな徒弟制度では、師と全く違う新説など出しようがないでしょう。 だから私学や民間の研究者の方が大胆な仮説をどんどん出していますが、反論もできずこれらは無視です。 そして重箱の隅を突っつくようなことばかりやっているのが現状である。 何しろ師は就職や昇進、儲けの大きい教科書編修員の斡旋など、強大な権力を握っているので、たいがいの人間はナエてしまいます。何と言っても”生きる”ということは大変ですから。 大学全般に言われていることですが、制度改革が急務です。余談ですが、先日、官学理系の助教授と話していたら「○○さん、大学は解体しなければダメです」と過激な発言です。「君たちが内部改革できないのか」と聞けば「やりたいが、やればクビが飛んで食えなくなる、それに危機意識なんか無い奴が多い」と言います。 ★ ★ ★ 明治政府からのインチキぶりが、現代の政府や官僚のインチキに受け継がれている。
2016年01月21日
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この国の住人が3S政策によりディープパープリンになっていることを前回紹介したが、その一躍を担っているのが、英語教育にあると私は考えている。母国語での十分な思考力をつけずに、外国語を学ぶのは、母国語力を貶めることになるからである。 現に特に若者の伝達能力がお粗末なのと、英語を話せない政治家が意味不明な和製英語を持ち出して、混乱させる弊害が著しい。アホノミクズなどその最たる典型である。 日本史からして出鱈目で、日本語も出鱈目だから、母国語での伝達が不能な日本人というよりも米国植民地人と言った方がわかりやすく、和製英語を乱用し、意味不明なことをしゃべり、人の気持ちなど解さないアホバカが増殖している。 だから、そのようなアホバカは日本人ではなく、米国植民地人と呼ぶべきである。 ネトウヨが代表である。ネトウヨなどは明治維新の出鱈目な日本史を盲信しているからアホバカなのだが、自分でそれを少しでも検証しようともしないほど権威者に洗脳されている。一連のSMAP騒動などもこの手の輩がシナリオ通りに乗せられ、その背後の存在に言及しようともしないのである。 アホ政権の汚職大臣も是非解散へと進んでほしいもんである。 出鱈目な政治や、出鱈目な日本史を暴くのを続けたいが、日本史の話の紹介ばかりしているので、コーヒーブレイクというか、ここでまた、ブログのタイトルのように、シュタイナーの輪廻転生の話をする。 というのも、お馴染みのサイトに「時間」についての面白い記事をみつけたからである。 シュタイナーも述べているが、時間は、4次元軸の一部をみているにすぎない、というようなことを述べている。 端的にいえば、現在とは、過去と未来の重なり合いということである。 つまり、時間はニュートンが定義したように、過去から未来へと流れるだけでなく、その逆の、未来から過去にも流れている、というのである。 このことは、量子力学の波動の重なり合いでもわかるが、プランク長と呼ばれるミクロの素粒子レベルでは普通に起こっていることである。 アインシュタインははじめ宇宙のマクロスケールの慣性系で、光速を定義することで、重力が時空の歪みに起因し、時間が光速により変化することを、相対性理論として定式化した。 つまり、この考えを拡げると、光速度一定の法則から、光は、過去から未来へ流れる時間と、未来から過去に流れる時間、の波動の重ね合わせと捉えられることになる。 素粒子論では基本知識なのだが、未来から過去に運動する粒子を、定式化したマヨナラという物理学者にちなんでマヨナラ粒子と呼んでいる。 シュタイナーは、粒子だけでなく、アストラル空間の性質として言及している。アストラル界では、時間が逆向きに進むので、例えば、現世では親から子が産まれるが、あの世では逆に親が子を食べるようにみえるので、鬼子母神という言い伝えが生まれたという。 ちなみに、このようなこの世とあの世のやりとりを、素粒子レベルで、素粒子の生成や消滅を図で示したのが有名なファインマン図である。素粒子を人間レベルに拡張したのが、輪廻転生論である。 だから、この世とは反対のことがあの世で起こる、というわけで、素粒子レベルの話が、現実に起こってくるというわけなんである。 このような真実にやっと気づいた人々がでてきたという話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ 井口氏のブログはアイデアの宝庫 http://blog.ap.teacup.com/applet/jiritu/5504/comment?ap_protect=dcjolttclwt --------------------------------------- 開始> 現実(=現在)とは過去から来たプロセスと未来から来たプロセスの”重なり” 終わり> 素粒子のことを述べているのだが これはまさに歴史そのものでもある 未来から来たプロセスというのは歴史の場合、未来イメージである。過去から来たプロセスというのは、過去の成り行き、というやつである 当然、その接点で現実が発生する これが人間の脳の中で生まれているだけでなく、時間の性格、というか物理実体の構造だというのである 開始> 観測と制御の対称性の自発的破れとはいったい何なのか? 終わり> それが創造性ということだ、と、芸術の世界では、なる。 つまり作品はその乱れから生じる隙間から溢れたわれわれの生きるエネルギーの結晶物だ、ということになる 進化ということも、突然変異というものもこうして生まれる。そうすると物質自体も対称性の乱れから生まれているとしたら、多様性そのものを生み出している元凶だ、ということになる。 (過去から未来の時間と、未来から過去への時間との、対称性の破れのことか? この破れは、量子力学の波束の収縮とも似ている。) 端から端まで同じ原理で動いている、ということになる。 プロセス(時間過程)は既知でありながら結果は不可知だというのが宇宙の構造であって、脳から素粒子まで同じ仕組みでできている、ということになる。 ★ ★ ★ つまり、カルマの法則が成立しているということなのである。ブーメラン効果といってもいいだろう。 自分の行為が宇宙に影響する、ということは、宇宙からみれば、その逆の行為をとらないと、均衡し、安定しないことになる。例えば、破壊をすれば、創造しないとならず、創造すれば、破壊しないといけない。 全事象は常に相補的である、ということである。 だから、自分が蒔いた種は自分で刈り取らされることになる。 宇宙は自分の鏡である、というようなシュタイナーの話を続けて紹介する。 ★ ★ ★ トンデモ話は奥で繋がる 「第142夜」 -弟子のクッテネルがお送りします。 http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-811.html ≪輪廻転生(12)≫ 喜びは自分のものならず(改変) さて、今回は再受肉への霊魂の役割、つまり転生後の人生を創造する働きになります。まずは、その導入から見てみましょう。 「霊界の真夜中(孤独)にまで到ると、これまでの内的な体験に最も集中するようになります。…そして、いままでみたことのない特殊な外界が観れるようになるのです。 (暗室で次第に目が慣れてみえるようになるのと似たものか) …それは、これまでに繰り返されてきた輪廻転生の中で得て来た《地上界の体験》と《霊界の体験》とから成り立っています。 が、それを今、1つの外界として展望するのです。 その外界は、宇宙から得たものを思い出させ、宇宙に何を負っているのかを悟らせます。 …過ぎ去った諸体験をそのような形で回顧する時、2つの方向性が二者択一を迫って目の前に現れて来ます。 これまで体験してきた喜びや楽しみの全てが、どのようにして霊的な価値となり、どのように自分を変えたか、が回顧できるようになった時にです。 …実際、過去での満足や喜びの体験は、今でも自分の中に生きています。それを回顧する度に、それを直接体験し直して、それを魂の力にしているのです。」 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』pp195-196 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) 我々は外界を観る力を失うかわりに、地上界と霊界での体験を《外界とする体験》をするとシュタイナーは言います。妙な言い回しですが、今まで主観的に感じてきたものの、客観的な意味を知る、ということのようです。 最後の《過去の体験を回顧する時、それが魂の力となる》というのも『あの日の感動を糧として生きる』などの言葉のように、(覚醒意識の)記憶に残る思い出などは現世でも感じられるように思います。 喜びと満足の受け取り方(改変) しかし問題は、《喜びや満足》の受け取り方です。シュタイナーによれば、過去を回顧する魂の力が、目の前に2つの選択肢を示すと言います。それは次のようなものです。 「I 私の体験は、喜びと満足に満ちている。私は喜びを、魂で受けとめる。過去にこのような喜びが持てたことは嬉しいことである。」 「II 私の体験は、喜びや満足に満ちず、不足し、欠けたままである。もっと宇宙や霊力にたいして感謝し、喜びと満足を与えねばならない。」 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p197 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) こうして2つを並べると、(このホームページの管理者の観点では)正しい選択肢は《II》であろうと予測はつきますが、《I》の《喜びを、魂で受けとめる》ということも、あながち悪いことのようにも思えません。 また《II》についても、各種の『スピリチュアリズム的生き方読本』にもよく見かけるような、《日々の喜びに感謝しましょう》というような軽いものではなく、シュタイナーは強い調子で次のように語ります。 「もし過去に体験してきた喜びや満足から、ただ偽善的に、それへの欲望だけを取り出すなら、自分の内に、次第に霊的な退化を生み出し、自己の生命力を窒息させるような力を生み出すでしょう。 (喜びや満足へといたる全てのプロセスを経験せずに、喜びや満足という結果だけを得ようとすること。要するに他力本願は駄目。) このことは、霊界において学ばねばならない、最重要事項に属します。 (…中略…) 物質界で肉体を使ってしか満足させられない喜びや楽しみは、死から新しい転生に到るまでの、霊界では、眼前に、自分の生命力を奪う者として存在し、窒息させられないためには、その存在を変化させなければならないのですが、しかし、それを生命に有益なものに転化するには、更に転生を重ね、繰り返し霊界の中で生きることが必要なのです。」 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』pp197-198 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) つまり、現世で喜びや満足を体験したことをただ感謝すればよいという訳ではなく、確実にそれを価値あるものに転化させるために、何度も転生しなければ、霊的には退化していってしまうというのです。 第2の選択肢 何故、喜びや満足が我々を霊的に退化させてしまうのでしょうか。そもそも我々は現世で喜びや満足を得てはいけないのでしょうか。それに対して彼は、その原因が今の世の性質そのものにあることを示唆します。 「《現代》という人類史の一時期での喜び、楽しみは、物質界を生きる霊魂を堕落させてしまいかねません。 この時代の喜びと満足は、動物的とは言わないまでも、非人間的な性格を持つ傾向にあるからです。 (パワハラ、セクハラ、モラハラなどである。) そのような快楽的な喜びを体験した後で、死後、霊界へ参入しますと、初めて出会う霊界の存在たちに、無限の苦しみを与えることになるのです。 その苦しみは、その様子を見ただけで呆然自失の状態になるほどのものです。すると魂はその影響で、来世のための条件を調和的に調えることができなくなってしまいます。 反対に、地上での苦しみや悩みを体験する場合を考察致しますと、物質界で得た苦しみや悩みは、霊界では、積極性などの意志力となって魂に働きかけるのがわかります。 そして、その力強さが《道徳力》に変化するのです。 その力を再び地上界に持ち込みますと、それは既にある周囲のために、有益なものを創造できる能力と、そして自分の個性に相応しく、この能力を生かそうとする道徳力となっていくのです。」 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』pp198-199 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) 『この時代の喜びと満足は動物に近い』とシュタイナーは言います。小生は初め、この意味がイマイチよくわかりませんでした。ひょっとすると、今でもわかっていないのかも知れません。 これまでのシュタイナーの一連の説明からすれば、動物達の方が物質界に俗されておらず、《自我》を持たずに、種全体のみならず、人間のためにまで献身的に生きているはずだからです。 (動物と獣を同じに考えてしまっている。ここでいう動物とは、主に獰猛な肉食獣のことで、つまり悪魔の意味である。要するに快楽主義) また、動物達が現世で喜びや満足を感じているのかどうかはわかりませんが、少なくとも小生には、彼等の《集合的自我》のあるアストラル界では、我々より高次の喜びや満足を感じているような気がします。 残念ながら、小生は、この疑問について明快に解き明かしてくれている書物やブログには出会ったことがありません。従って、以下の説明は自らの推測の域を超えるものではありません。 シュタイナーの言葉自体については、ブログで紹介されている方が多数あるのですが、概して、文言の意味についての解説をされている方は、それ程多くないのが現状です。 動物的で無いとは? さて、小生は若かりし頃《人間が動物に比べて優れている点は何か》ということを考えた事があります。皆さん自身も、しばしその回答を考えてみてください。 ……………………………………《考え中》……………………………… 当時小生が当時まず、思い浮かべたのは 《1) 言語を操ることができる》 《2) 道具を使って物を創造することができる》 《3) 抽象的な思考をすることができる》 ぐらいでした。しかし次に、それらが全宇宙的なレベルで考えて、果たして本当に動物より優れているのかどうかを考えてみると、次々に欠点が見えてきます。 例えば言語についてみると、時と場所を超えて伝えるという点においては確かに優れているかも知れませんが、実際の物や出来事がそのままの形で伝えられているわけではありません。 物や出来事は《言語》に置き換えられた瞬間に、それは語られた人にとっての物や出来事から、他の人の知っている判断基準による物や出来事にすりかわってしまいます。 ということは、《言語》にしたために、かえって全く別の意味や印象を持って伝えられることもあるわけです。その点、動物は、教えられなくても本能や直観力でわかるものが人間より多い点で優れています。 物を創る点はどうでしょうか。人類はその能力を発揮することによって、衣食住の可能性を大きく拡大し、現在のような繁栄を築いてきたことは間違いありません。 しかし、一方で我々は動植物や地球環境に多大な負荷をかけて来ました。それどころか、現代の生産システムは、生きるために必要な量を超えて大量消費・大量廃棄をあおり、コンピューターウィルス等の不必要なものまで創造しています。これでは動物より優れているとは言えません。 こうして最後に残るのが《抽象思考》です。中には何の役に立つのかわからないものもありますが、《思考》そのものが動植物や地球環境に害を与えることはありません。もっとも、霊界では違うようですが… そして《抽象思考》の中でも、特に優れているのが《芸術創作》であり、これこそが、人間が動物に誇れるものであると、当時の小生は得意げに結論づけたものです。 ……………………………………………………………………………………… しかしながら、その《芸術創作》でさえ、いざそれを表現しようとする時には、我々は動植物・地球環境に対して、何かしらの犠牲や負荷を強いていることに気がつくべきだとシュタイナーは言うのです。 例えば、至高の名曲を奏でるバイオリンも、その弓には馬の尻尾の毛が必要ですし、胴には数百年生きてきた樹木の体が使われます。 感動の名作本にも、木々の体であった紙が必要です。電子媒体にしたとしても、そのエネルギーとなる電力には化石燃料が必要です。 ましてや、我々が生きていくだけでも幾多の動物性蛋白が必要です。菜食主義を気取ったところで、動物由来の必須アミノ酸が必要ですし、植物にしても、果実だけならともかく、その本体を食べるなら同じことです。 《そうは言っても、そうしなけりゃ生きていられないじゃないか!》と言う声がします。まさにそのとおりです。動植物もそれは同じで、シュタイナーも、それ自身が《悪》だとは言っていません。 ただシュタイナーは《それが現世に生きるということと自覚せよ》と言っているのだと、小生は思います。そして、自覚できていれば《動物的な喜びと満足》を受け取る事はできないはずというのでしょう。 (動物の犠牲の下に人生を生きられるのだから、動物の恩に報いる人生を送るべきである。生命を慈しむ心である。) その後の続き具合からみると、どうやら《動物的》とは《喜びや満足》が《不道徳》なものを指しているような感じがします。そして、恐らく動物的とは言っても、動物なら喜びを感じない類のものだと思います。 以前にお話しした、動物を使った生体実験などがその例でしょう。実験者にとっては、成功すれば感動もひとしおなのかも知れませんが、《霊界の存在には、無限の苦しみを与える》ものなのです。 (というのも、動物の生命力は霊界の存在たちの犠牲から生まれるからである。) それに対し、苦しみや悩みを体験する場合は《道徳心》に変化するとされています。実際、そのような人生であれば《動物的な喜びと満足》は少ないでしょうから、霊界に与える苦しみも少ないはずです。 かといって、シュタイナーは表面的に道徳的な、偽善の面白みのない人生を送れと言っているわけではないのです。苦難に立ち向かう人生を送れば、次の人生で、価値あるものを創造でき、自身の能力を生かせる力がつくと言っているのだと思います。 さて、続きは次回第143夜でお話しします。 ★ ★ ★ 生命力は一日にしてならず。
2016年01月21日
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制作スタッフが同じなのか、まるでISIS団のビデオかと思わせるようなSMAP存続生会見が巷で噂になっている。 SMAPとは「Sports Music Assemble People」の頭文字らしいが、どうもGHQのSports Screen Sexの3S政策を彷彿とさせてしまうのは私だけではないような話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ SMAP解散回避とポール・ボネさん 3S政策の闇は深い 常識のおさらい(3) http://golden-tamatama.com/blog-entry-2220.html さて、昨日は長野は大雪でした。 ヒャッハーーー!! しばらく雪かきをしつつ庭を走り回ってました。 いや、雪かきは運動になる。 ったく、ジャニーだのメリーだの。 雪かきしつつ、こんなバカな記事を書いて一体ワタスは何をやってるんでしょうか。 雪かきとジャニーズ事務所。 生活と何の関係もないではないですか。 バカバカしいので、もうこれ以上書くまいと思ったのですが。 これは昨日の動画のようです。 (動画はリンク先参照してくだされ) うーん。 なんか皆さん脅されながら撮影したみたいで歯切れが悪いですね。 キムタクさんだけネクタイの色が白ですが、これは何かを意味してるんでしょうか。 今回の騒動は、 メリー喜多川の愛娘の藤島ジュリー藤島 VS SMAPの育ての親飯島マネージャー。 独立した飯島マネージャーについて行くと決めた中居君達4人。 ジャニーズ事務所に残ったキムタク。 なんだか派遣さんと派遣会社の話に似てますよね。 以下、ジャニーズ事務所がマスコミに圧力をかけてるようです。 メリー副社長「I女史と4人のメンバーは絶対に芸能界で仕事をさせない!」 http://www.news-postseven.com/archives/20160115_377873.html 【SMAP解散】『何故スポーツ紙はジャニーズ寄り報道をするのか』の真相が明かされる http://blog.esuteru.com/archives/8473749.html 独立した4人は、事務所に謝罪して、今後は100kmマラソンで詫びさせるとか。 なんともえげつない。。 芸能関係者「SMAPの騒動はシナリオ通りに進んでいる。最終的には解散せず劇的な復活を遂げる」 http://blog.esuteru.com/archives/8473248.html 【SMAP解散騒動】ジャニーズのメリー副社長「あの4人は必死で謝ってくるだろう。その時は24時間テレビで100kmマラソンさせる」 http://blog.esuteru.com/archives/8474166.html これは飯島マネージャーが苦労してSMAPを育てたという記事。 飯島マネ今月退職決定!でも恩知らずはメリー副社長のほうだ!SMAPだけでなくジャニーズが今あるのも飯島のおかげ http://lite-ra.com/2016/01/post-1896_2.html 前にも書いた通りGHQの3S政策は、日本人をパッパラパーにする作戦です。 ジャニーズはその中の一つです。 何度も書きますが、芸能事務所はヤクザ事務所。 タレントさん達はいつでも切り捨て可能な派遣社員なのです。 ジャニーズと言えば紅白に多数のグループを出演させる芸能界の最大手事務所です。 北朝鮮で言うと男版喜び組の事務所です。 (38度線を引いたのは偽ユダヤたちが原爆を売るために冷戦状態をつくるため。当時の北朝鮮の領域に日本陸軍が開発した原爆施設があり、その情報が米軍にもれないために、マッカーサーは解任され、米軍の進軍は国連から退けられた。清、ロシア帝を倒し、アジアを東西で支配するために共産陣営と資本陣営をつくりだしたそうである。) だから、この問題は、もっと奥が深いのでした。 皆様は、ポール・ボネさんという在日フランス人作家をご存じでしょうか。 こんな本を書いてた人でした。 (不思議の国ニッポン 在日フランス人作家ポール・ボネの画像) まぁ、この人はフランス人じゃなくて本当は日本人なんですけどね。 インチキ在日フランス人作家なのでした。 Wikipedia ポール・ボネ ポール・ボネ(Paul Bonet) は、在日フランス人で、日本で長期の経験を積んだビジネスマンと自称した作家。代表作は『不思議の国ニッポン』など。経歴未詳。実際は作家・評論家であった藤島泰輔のペンネームとされる。 ポール・ボネさんというのは藤島奏輔さんのペンネームです。 で、この人がなんでジャニーズ事務所と関係するかというとメリー喜多川と結婚した人だからですね。 以下はその家系図です。 (家系図はリンク先を参照してくだされ) 藤島泰輔さんのお父さんは、日本銀行の幹事の藤島敏男さん。 そしてその父上は藤島範平さん 日本郵船の専務です。 藤島泰輔さんの母方のお父さんは三菱造船参事の川原五郎さんです。 藤島さんは、昭和天皇のご学友であり、もう、なんというか、 完全、支配階級の人なんですね。 で、その藤島さんがなぜだか四谷三丁目のバーでメリー喜多川と知り合って、ジュリー藤島を生んだのでした。 Wikipedia 藤島泰輔(ふじしま たいすけ) 後妻はジャニーズ事務所副社長のメリー喜多川。メリーは1950年代から四谷三丁目の円通寺坂入口右手の角にあった「スポット」という名のカウンターバーを経営。バーの客であった藤島(当時東京新聞記者)と結婚。作家仲間の間ではおしどり夫婦として知られたという。 ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川は義弟。藤島は草創期のジャニーズ事務所を経済的にバックアップし、マスコミ・政財界関係者など自身の知己も紹介、ジャニー社長の業界関係者への人脈拡大を手助けしたといわれる。 長女はジャニーズ事務所副社長兼ジェイ・ストーム社長の藤島ジュリー景子。景子は2004年(平成16年)に芸能界とは無関係の一般男性と結婚。男性は婿養子として藤島家に入った。景子は2004年(平成16年)暮れ、泰輔・メリー夫妻の孫となる女児を出産している。 もう一つ載せときましょう。 皆様はロッキード事件で「記憶にございません。」そういう名言を残した方を覚えてるでしょうか。 その言葉はその後、ギャグとして使われましたよね。 その言葉を残したおっさんは、あの国際興業の小佐野賢治さんです。 あの名門、帝国ホテルの会長です。 この人はずーっとジャニーズ事務所のスポンサーでした。 というか、この人の奥さん(堀田英子さん旧伯爵家=下総佐倉藩主の娘)がスポンサーですね。 堀田英子さんと藤島さんがご学友だったのです。 ぇええ? 帝国ホテルの会長がジャニーズのスポンサー? この話はちょっと長いのですが、安倍首相のお爺さんの代の話からになります。 安倍首相のおじい様の岸信介さんは皆さんご存じですね。 (省略) これはもう常識なので詳細は省きますが。 岸信介さんは第二次世界大戦中、中国大陸で満州帝国国務院でアヘン密売会社「昭和通商」に勤務する工作員でした。 で、戦後は巣鴨プリズンに収監されたA級犯だったのです。 で、殺さないで~と命乞いをしてCIA職員として雇われたんですよね。 で、そのアヘン密売で稼いだ売上を管理してたのが山種グループです。 山種グループというのは、安倍首相の奥さん明恵さんのお母さん。 その姉妹の夫、山崎誠三さんの父、山崎種二さんが作った会社です。 山種グループはタクシー会社を経営していて、その名が国際自動車という会社でした。 そして、小佐野賢治さんはこの国際自動車を買い取ってビジネスをスタートさせた人でした。 小佐野賢治さんは満州帝国で軍需物資の輸送業をやって稼いでた人なんですね。 それで、その後、終戦になります。 終戦後、小佐野さんは東急グループの創始者 五島慶太さんからバス会社を譲り受けて米軍兵士の輸送業務をやったりします。 岸さんがCIAに雇われたりしたのですから同じ流れです。 で、小佐野さんの国際自動車は、国際興業という名前になるのでした。 国際興業は、戦後、土地ころがしで巨万の富を築きます。 東急の五島さんから教えてもらった手法(事前に政府から公共事業の計画を聞きだしてその土地を事前に買収してそれを政府に高値で売りつける)で大儲けしました。 帝国ホテルの買収はもちろんハワイの名門シェラトンホテルなどを買収したことで有名です。 ちなみに国際興業のホテルや土地の買収資金は、あの英国の名門ベアリングス銀行から融資を得てます。 ベアリングス銀行というのは、あの軍事商社ディロン・リード社の経営銀行です。 で、その当時このベアリングス銀行、ディロン・リード社を経営してたのが マッカーサーの上官のウィリアム・ドレーパーさんという人です。 (省略) このドレイパーさんは、日米安保条約を作ったり、米軍の日本駐留を永久化したりした人でした。 (米軍が日本に駐留することで東西冷戦をつくった。ロスチャとロック、南半球はオッペンハイマー領とされた。) という訳で、岸信介、小佐野賢治さんは、単純にそのまんまの戦後GHQの手下だったということでした。 という訳で、ポール・ボネと知り合ったメリー喜多川。 帝国ホテルの小佐野賢治さん(正確には奥さんの堀田英子さん)がスポンサーになったりしたメリー喜多川。 戦後、GHQの3S政策末端組織が形作られて行った。 その過程でジャニーズ事務所も誕生したというお話です。 まぁ、以上、常識と言えば常識なんですが。 先日書いた話を詳しく書くとこうなります。 という訳で、現代も続く3S政策。 奴隷商人のドレイパーさん達に、パッパラパーにされてしまった奴隷日本人。 若者を商品として扱って生き血をチューチュー吸うヤクザ芸能事務所。 刃向かった派遣さんを切り捨てるパソナと同じ構造。 どう考えても40代が89歳に謝罪会見なんておかしいでしょう。 ったく。 メリーとかジャニーとか。 もっと大きな支配システムに気づけ!! そして、ジャニーズからの独立組。中居君達。 こんな汚らしいヤクザ事務所のメリー喜多川なんかに謝罪なんかするな。 大人の世界。 おぬしも悪よのぉ~ ぐっししし。 もうそろそろ、そういう世界から抜け出せ。 ファンは中居君、キムタク、スマップが好きなのであってヤクザ事務所のジャニーズなんか知ったこっちゃない。 職場で良く働く派遣さんが好きなのであって、ピンハネ屋の派遣会社なんか消えてなくなった方が良い。 中居君達が独立して、例えばテレビじゃなくて、ネットメディアなどyoutubeなど、ニコニコ動画なんかで出たらファンは全力で応援するでしょう。 むしろそっちの方がインパクトがあってメディアがひっくり返るかもしれない。 もう戦後の体制を覆す時です。 ヤクザ老人達に黙って生き血を吸われてる場合ではない。 いい加減若者よ反旗を翻せ! 以下、最後に、力強い先輩の例を紹介しておきましょう。 今や、ラスボスとして名高い小林幸子さんです。 やっぱり同じように大手芸能事務所から追い出されてもたくましく復活したとのことでした。 (後略) ★ ★ ★ HEROならぬ仲間を売る自己保身のクズ野郎が生会見で中央でしゃしゃり出てあきらかになった。他の4人は人質にとられた奴隷のようだった。その理由が以下の話でよくわかる。 ★ ★ ★ SMAPは死んだ! そして裏切り者はやっぱりキムタクだった! メリー氏が自ら“木村家にお呼ばれ”を告白 http://lite-ra.com/2016/01/post-1902.html (以下要点を抜粋) 改めて解説しておくが、今回の独立劇は、いま報道されているように飯島氏が「密かに独立を画策した」というような話ではない。昨年1月、メリー氏が「週刊文春」(文藝春秋)のインタビューに応じた際、飯島氏を呼びつけ、「SMAPを連れて出て行け」と面罵したことが始まりだった。 そこで、飯島氏が独立を考えざるをえなくなり、会社側と正式に交渉。昨年8月時点で飯島氏とともに5人そろって円満独立することになっていた。ジャニーズ事務所側も双方納得のうえ、移籍先もバーニング系のケイダッシュと決まっており、権利関係の配分など、弁護士を立てて細かい条件を詰めている段階だった。 「SMAP」というグループ名についても、独立したらジャニーズの許可がなければ使えないのに、中居らはそんなこともわかっていなかったなどと盛んに報じられていたが、使えるようにするということで話はついていた。 キムタクは一貫してジャニーズ残留でブレていないなどと報じられているが、この時点ではキムタクははっきりと意志は表明していなかったものの、独立を前提としたキムタク関連作品の権利配分についても話し合いがなされていた。 ところが、12月になって、突如、キムタクが「ジャニーズ残留」を言い出す。キムタクの翻意のため、「5人一緒に円満退社」という前提で進んでいたSMAP独立計画は土壇場で崩壊。飯島氏はもちろんのこと、4人も行き場を失ってしまったのだ。 つまり、SMAPがこういう状態になったのはすべてキムタクの責任であり、謝罪すべきはキムタクのほうなのだ。 しかも、キムタクの翻意はSMAPとジャニーズ事務所の間で悩み、板挟みになっていたという話ではない。実は木村はかなり前から、メリー喜多川副社長と通じ、連絡を取り合っていたフシがあるのだ。 「飯島さんやSMAPがメリーさんから疎まれている中で、木村さんはひとりメリーさんと妻の工藤静香さんもふくめ家族ぐるみの付き合いをしていました。そういう関係になったのは、静香さんがきっかけだったようです。静香さんは当初、メリーさんから結婚を反対されていたんですが、結婚後、必死でメリーさんにアプローチをし続けた。その結果、メリーさんに気に入られるようになり、他の4人には内緒で、定期的に食事したり、家に呼んだり、行ったりするような関係になったようです」(ジャニーズ事務所関係者) ★ ★ ★ まるでドラマ水戸黄門の「キムタクお主も悪のよぉ」のセリフの悪代官と「いやいやメリーさんにはかないません。ジャニーズあってのキムタクです。」のセリフの越後屋ではないか? ヒーローが悪役だったとは? あんなに独立志向の高かった若者が、いまや子飼いの社畜ぶりなのだから、あんなのをみせつけられたファンは興ざめで白けてしまうのも無理はない。 先週放映された大河ドラマ「真田丸」のまるで小山田信茂ではないか? ドラマでは、小山田は主君諏訪(武田)勝頼を裏切り、織田側に寝返ったが、寝返り方が気に入らない信長に斬首されてしまう。 小山田役は温水洋一氏だったが、それがキムタクだったとは? 温水がキムタク? 恐らくドラマのようにキムタク株は現在の株価のように暴落するだろう。 SMAPにはキムタクファンとSMAPファンがいるそうだが、キムタクファンは馬鹿にされ、白けて分裂してしまうのではないかな。 いずれにしろとんだ茶番をみせつけられて気分がすこぶる悪いのに変わりはない。 このようなパッパラパーの奴隷から自らを解放するために、歴史を学ぶに越したことはなく、だからして八切史観の紹介を続けるわけである。 ★ ★ ★ 何故に歴史を知りたがるか 「一文にもならぬ事は誰がする」といった国民性なのに、向学心ではなくて頗る歴史好きが多い。 若い人では中学生ぐらいから、なにか歴史に魅かれだしてしまう人も相当にあるようです。 そのうちに高校受験とか色んな口をあけて待っている世の荒浪に呑みこまれ、就職、生活と暮しにおわれて、それっきり歴史願望から離れてしまう人もないではないが、子供が一人前になって手放れしだすと、また歴史探求に取りつかれたように、戻ってくる人も、女性では多い。 それに近頃(1980年代)の現象は、50代になり、ようやく我に返りはしたが、今さら華道や手芸でもないという女性が、何かしら生きざまを求めるみたいに真実をと歴史の中へ突入してくる向きもいる。 もっと高年齢層で、死ぬ前に本当のことを知ってから、この世から別れてゆきたいという安心立命型の方も、そう沢山ではないがいらっしゃるのは、十万余枚の年賀状を熱心な読者から頂くが、その内の二百枚余りが、老人ホームの住所だったから、そう明確に、私(八切氏)は言えるのである。 まあ父から祖父母の代まで逆のぼって判る自己の歴史は、せいぜい半世紀がよいところだろう。 「あなたの御家系図をお好み通りに作製。古代錦仕上げ、虫くい桐箱入りは十万円にて」などという大阪の何とかの友社からの広告が、今でも歴史雑誌にはよく見受けられる。「死せる子は、みめよかりき」とか、大正から昭和までは身投げした娘は、実際は水ぶくれで、ふた目とはみられぬものなのに新聞記事は、故人に花をもたせて「水死美人」といった熟語を作った。 だから「死んだら天国へゆける」と考えるみたいに、「飛び込めば、水死すれば美人になる。なにしろ新聞にでているくらいだから間違いない」と、生きていては死ぬまで美人と呼んで貰えぬ娘さんが整形美容の流行せぬ時代だったので、美人とよばれたい一心での投身自殺があまりにも数多く、処置に困って「水中美人」なる熟語の使用禁止を各新聞社では申し合わせたことがある。 「過去は‥‥過ぎ去った昔は美しい思い出である」と水中美人なみに歴史もかつては扱われた。 中学生を対象とする歴史雑誌の読者欄などでは、まず女子中学生の沖田総司讃美、そして次は、「自分の先祖は、江戸時代には何々大名の城代家老だったそうです。何か御存じの方は御教え下さい」とか「太田姓をもつ方は集まって先祖の話をしましょう」などとあるのがすこぶる多い。 ここまでくると日本の歴史は芝居や講談からのものだけだと、情けない想いにされてしまう。 「城代家老」などという呼称は、仮名手本忠臣蔵が、時代設定を足利時代にし、大星由良之助も、こうした架空の肩書きにして、おかみの取締り逃れにしただけのものであって実存しないものなのである。 「城代」というのは武臣派で、野戦の時に城代りとなって殿を守って戦うため、師団長、大隊長、聯隊長、中隊長といった具合に、組頭が下にあって、それぞれ戦場で生死を倶にする者らが堅に連なっていて、浅野家でも岡林杢助が壱千石の城代で直属の部下二百名を擁していた。 「家老」は「お羽織衆」といって、作戦の際には、糧まつ、兵の食糧や馬糧をととのえ、勘定奉行を監督し年貢の取立てをするのが平時。赤穂では、お浜方の塩問屋木津屋などを取締まるだけの仕事である。 だから直属は若党二人に仲間一人で、士分の者などは大石内蔵介にしても一人もついていない。 まったく別個の役目の名を二つくっつけてしまっているから、赤穂浪士討入りの真相さえも、討入りを美化してしまって、今では判らなくなっている。 岡林は旗本松本孫左衛門の弟で岡林家へ養子に入ったのだが、公儀では前京町奉行で当時は江戸南町奉行の松前伊豆守が、後で始末のつけやすい文臣派が本所松坂町周辺に町人に化けて住みつくのを黙認した。=坂本勝説 しかし武臣派の者は岡林一人だけは入府を許したが、他は六郷川の先の川崎から江戸へは入れなかった。 京へ昔からの大判小判を送り堺の中村内蔵介に胴を倍加させて元禄小判に鋳造し直させ、通貨を倍加させた張本人の柳沢吉保は贋金作りの秘密が露見するのを惧れ、急に隠居すると言い出した総宰領の吉良上野介を挑発し、抜刀させ処分しようと田舎大名の浅野(内匠頭)をよんで、当日の朝に言いつけた。 (浅野が)失敗すると口封じに田村邸へ唐丸籠でおくりこみ、門内に入り駕をあけ首を出した処を背後から一刀両断し、片岡源吾に引き渡された遺体も大紋姿の侭だった。 吉良が上杉からの弐万両で自費で建てた呉服橋の邸を柳沢は没取して、代りに騒動を起こしてもかまわぬ辺ぴな本所二ツ目の近藤登之助の古屋敷を与えた。 剣呑なので吉良上野介は狸穴の上杉中屋敷へ妻三姫に匿われていたが、いよいよ米沢へと別れの茶会を催すのには上杉邸ではまずいからと、初めて本所へ行った。それを大高源吾に急報した四方庵山田宗偏は、京所司代から贋金作りの功で一万を加増されて老中にまでなっていた小笠原備後守の代々の家臣である。 当夜、神戸市刊坂本勝編の「赤穂浪義士事典」によれば、討入りにかけつけた細井広沢にしても、「殿よりの下されものの卵であるぞ、寒いゆえ精をつけて行かれるがよろし」と激励したが柳沢吉保の三百石の儒臣ゆえ、殿とは柳沢吉保のことで、やはり口封じに文臣派を斬りこませ、彼らをまた口封じに柳沢が全員へ賜罪とした。 それでもって一切が有耶無耶にされたゆえ、明治になると、「私利私欲をはからなかった、まこと清廉な政治家」として、追贈正三位にもなっているのは、「オの字忠臣蔵」「元禄泰平記」[共に八切氏の著書]の本に詳しく出ているが、江戸時代その侭なのが今の学校の日本史である。 (要するに赤穂浪士は柳沢吉保の贋金つくりの吉良の暴露の口封じに利用され殺された。赤穂浪士といっても利用されたのは、大石ら文臣派で、いまでいう事務官が利用された。武臣派を使うと軍隊なので反乱になるのを恐れた。) つまり江戸時代の事でさえ、明治に世変りした時に真実がみな明るみへ出てもよかったのに、明治大帝が華族令をしき、「皇室の藩屏なり」と勅を出され、華族会長に徳川公爵がなってしまい、学士会がその下に入ったので、何も解明されず江戸時代の事実も匿され通しで、徳川時代の侭の日本史となっている。 明治時代のことすら国民には知らす要はないと隠されている学校歴史しか教わっていないのに、一足とびどころか大飛躍して、古代史を探求したがる人が、きわめて多いのには愕かされる。 日本史と対比できる唯一の史書として「魏志倭人伝」が、ひっぱりだされて、白髪三千丈的の誇大化を美化する国のものなのに、これをそれぞれがみな、自己流に解釈して一冊にしたものが、「耶馬台国はどこか」とか「ヒミコは美女だったか」、と興味本意で、ひどいのは知名度を利用して、「ヒミコが天照大神」といった類の本までが、訳けも判らぬままに、歴史まがいで次々と出版された。 書店の古代史部門のコーナーへゆけば、こうした類の本の羅列である。いくら頭の良い方でも、こうした本から読んでいったのでは、とても真実への追求など無理な出来っこない話である。 日本書紀も古事記も今日われわれが拝しうるものは江戸時代に、焚書に次ぐ焚書で消滅していたものを、屏風や襖の下張り用紙とし残存し関西で発見されたものを下敷きにしたものであるとは、詳しく後述するけれど、西での発見ならば、これは第三次勧学院のものであってトウ[唐]製である。 第四次、第五次の日本書紀は鎌倉製だから、東で発見の筆写本の残片でなくては判る筈はない。が鎌倉が北条九代で終わってしまった後は、足利体制は「白旗党余類」の名で、室町文書に書き残されているよう蘇民の源氏を、みなアミかけで散所奉行によって居付き=五木部落へ、今いう橋のない川のゲットーへ連行収容し、その居宅は家ごと燃されているから写しの残存もない。 せっかく大同団結して富士王朝、回復をめざしたものの、追われた日本原住民の蜂起は、年号では宝亀におこった。 後の平氏、平民で『八つ』とよばれた太平洋沿岸に這い上がった西南よりの俗にいう古代海人族は、今の田子浦から江尻、大井川まで、アイウエオの秋田、胆(夷)沢、宇賀、江刺、雄勝などの姓の民族を先頭に陣をつくり逆攻した。 日本海をベーリング親潮寒流で沿海州から六時間、白頭山の羅津からなら四時間で能登半島や新潟につくが、崇神王朝の曾孫ヤマトタケルノミコトが、伊吹山中で、竹内宿弥の廻し者に供された中国産のチン毒にて歿せられてより、騎馬民族ゆえ四つ足とか四ツとよばれた連中は箱根越えに進攻した。 藤原王朝が身代わりにたてたクダラの桓武帝は天険の長岡へまで待避されたが、やがて富士山の大噴火によって撃退できると、先住民を限定の囲地のセンゲンに封じ込めにした。 今では信州のアサマと同じ浅間の当て字がつけられている。このセンゲンは、出雲節にでてくる安来千軒と同じで、幕末の黒駒の勝蔵が金を掘りに行った千軒とも同じで、先住民の収容地で先住日本人の隔離収容地のことで、橋のない川の土地ゆえ出入りは不許可だから、「居付き」ともよばれる。 歌手の五木ひろしにしても、徳間音工に入社してから歌が巧くなってレコードが売れだしたのではなく、五木と39回目の芸名を変えたから、かつてイツキに収容されていた人々の子孫がレコードを買いだし、それで大人気歌手になれたし、「厳戒令の夜」をかいた作家も、やはりその苗字で人気がある。 昭和初期までは、井口は山手樹一郎。藤野は山岡荘八。清水姓が山本周五郎と大衆に信頼されるヤ印の筆名にし韓国人の立原正秋も日本名でかいた。 しかし全人口の一割や五分が奴隷では、残りの人々の食糧増産など出来ようわけはありえぬ。 西暦663年に郭将軍が御所に入って、藤(とう)原鎌足と日本名をつけて、藤原王朝をたて則天文字つまり漢字強制当て字令をだした頃は、彼らの軍隊ははじめは二千の人夫や軍属に、一旗組として渡海してきた者を含めて二万人だけである。 レジスタンスをしていた連中や山や海へ逃げ込んでシノガラのサンカになった人々の他はみな降参させられ、日本原住民は奴婢にさせられた。 七世紀に日本列島には何人いたのかの記録はない。しかし白村江の戦いに連行されていった日本原住民の「四つ」の飼戸(馬飼育)の民。つまり戦奴が二万七千とあるから、水軍奴隷として伴われた「八つ」の海人族も別に半分はいただろうから、計四万が総動員数となる。 明治36年の町村役場兵事課に対しての軍部よりの動員計劃では、老幼を含めた人口百に対して壮丁一人の割合だから、その割で逆算してゆくと人口四百万になるが、それを半分と押さえてみても二百万人の者が奴隷として、「クダラぬやつ」「クダラぬことを言うな」と、人間扱いされなかった働き蜂の非人だった事になる。 それにクダラが敗戦して日本列島のクダラ人も奴婢にされたから四百数万となるが、新しい主人となったのが二万ゆえ、奴婢の割合は、5パーセントや10パーセントは余りにも過小評価で、二百の奴婢で一人の御主人さまに仕えたのが正しい。 のち桓武さまの時より、クダラ人は、貴賎の大宝律令の中で良に格上げされ、戦国時代からは「四つ」の騎馬系の戦国武者がブシン(不信)と蔑まされていたのを「ン」をとって武士とよぶ新興階級にのし上がったから、非人とされる奴婢階級は半減し百対一ぐらいになった。 が大岡忠相の貞亨年間に、現在のアメリカの各州なみに、各大名領ごとに国法が違っていたのを、五街道で一斉に取締まろうと「八つ」の海人族の流し行商や旅芸人の道(堂)の者らに朱鞘の公刀と捕縄をわたしてハイウェイパトロールなみに道中探索の御上御用を命じた。 (警察の民営化である。) 後には街道ごとに縄張りを決め合って、鉄火場を開帳してあがるテラ銭で費用にあて、「御用ッ」「御用ッ」と捕物をやらせ、日没になると、彼らに「お客さん遊んでいらっしゃい」と客引きに使う。つまりテレビや講談で悪くいう二足草鞋が、実は公認の本可打ちで本物なのである。 (各街道に公営のギャンブル場をつくった。アメリカのマフィアの世界の前身ともいえる。アメリカでは非合法だったが) のち幕末近くになると、抜刀禁止令の法を破りだしたので、うっかり召捕りにゆけば怪我をするからと、分久二年までに各地の親分は朱鞘の公刀を返上し縄張りをして、香具師に総転業した。 (芸能界のルーツともいえる。ちなみにヤクザは893ではなく、被差別部落民の八の屑=やのくず⇒やくず=やくざ、となったという。) そこで空き巣狙いみたいに、半可打ちとよばれていた素人(ねす)あがりの連中が、その縄張りの奪い合いで、清水次郎長や天保水滸伝になっていったのは、私(八切氏)の<仁義と任侠>の本に詳しい。 つまり、彼らは明治までは非人扱いだったから、殺されても殺され損だと本可打ちは転業した後でも、やくざの喧嘩の殺生沙汰は寺人別には入っていない連中ゆえ、犯罪にはならなかった。 (メーソンは八の民族に目をつけ、CIAはヤクザを日本占領策に利用する。) つまりテレビや映画では郵便制度がなくても、郵便法で戸口配達のためみたいに、クマさんハッツァンの表札まで長屋の木戸口に掲げてあるような暮しぶりを見せるが、前途亨保年間の大岡忠相の道の者の街道目付ができるまでは、八の民族は居附部落に入れられて農耕の奴隷。 海浜では漁撈や製塩の課役奴隷だった。しかし同じ「八つ」の「道の者」が街道目付になると、目こぼしで街道へ出してもらえた。つまり、それまでの今の庶民はみな各地のゲットーに入れられていた。 領主や代官にとっては、住民をみな居付き部落に入れて働かせ、逃げ出せば逃散の咎で斬罪にできたから都合がよく、殆どが今いう部落であった。 私の祖母の先祖も、この貞亨年間に、尾張の徳川継友が将軍吉宗の御庭番村桓左太夫に毒殺され、弟の奥州梁川三万石の宗春が後をついだが、やはり睨まれ家康の曾孫の彼が、「家康は世良田の次郎三郎だった」と公表したので隠居処分にされ、混雑にまぎれて名古屋へ住み着いたのだと口伝えに大正の末に教えてくれた。 なんの生産もない江戸に人々が集まり、天保年間には人口百三十万の世界一の都会になった謎も、祖母の先祖らと同じで、道の者の街道目付の目こぼしで居付き部落から出てきた為らしい。 しかし、どっと出てきても身体一つが元手ゆえ、馬方みたいな「四つ」は白褌。馬をつかわぬ駕かきや蓮台の川越人足は赤褌で「八つ」と、一見してわかる色分けで稼ぎをした。 江戸体制は、「四つ」の騎馬系の弾左衛門の下に「八つ」の車善七を、その下に四谷者。またその下に谷津者と交互に組み込んだ。 相互に牽制しあって夷をもって夷を制させるのが治安維持の方法だったが、幕末になって、「八=弥次」「四=北=喜多」、今では簡単に野次馬とよぶが、反目しあうどうしの両者の融合を狙ったのが弥次喜多道中記で、東海道膝栗毛の題名で濡れ場もないものなのに、貸本のベストセラーとなり、御一新の大衆動員の起爆剤となったのは今では余り知られていない。 幕末になっても限定地のまだ居付き部落に入れられ、非人と差別されていた庶民が全人口の半分は越えていた。貞亨年間から部落抜けをして町人別や寺人別を銭で購って町人になっていた者を加えれば、総人口の八割以上はヤジとキタの日本原住民の末孫だったと考えられるのである。 両親が認知すれば嫡子だが、父親だけしか認めねば庶子。つまり庶民とは、テレビ[ドラマ]の「ルーツ」みたいに、白人の旦那が奴隷女に産ませたのは、やはり奴隷として露骨に売るよりは、日本の方がましみたいに勘違いされるが、日本では徹底して全部がみな奴婢だったのである。 ★ ★ ★ その後、イギリス白人に雇われた明治帝傀儡長州政権は、奴隷史を隠すために、棄民政策を行い、奴隷を開拓民や兵にして未開地や戦場などに送る。かつてのイギリス白人が米国の偽ユダヤにかわっただけで、奴隷政策は続いていることが昨今の騒動からわかる。 芸能界の騒動をみてもわかるが、この国には中世の奴隷差別がいまだに横行し、続いているのである。
2016年01月20日
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この国の大半、八切氏によると大体9割は奴隷生活が長かったせいか、明治政府の棄民政策もあり、庶民と呼ばれる人たちは「お上のいうことにただ従う」習性を身に着け、思考力を高めてこなかったために、ニセモノユダヤたちの利権獲得の2度の大戦と太平洋戦争のために多くの人々が騙され、犠牲になった。 連中の財産は人類同胞を犠牲にして獲得されたものである。恥を知ってほしいものである。 連中からすれば、この国は模範的なゴイム(家畜)と呼ばれてしまうだろう。かつてこの国の人々はエコノミックアニマルと呼ばれた。 そろそろ洗脳から自らを解放すべきときに思える。 巷ではアホ政権がデフレ脱却と叫んでいるが、デフレが価格競争にあり、価格競争をやめない限りは脱却できるわけがない。価格競争が起こった理由は海外から安い品物などが流入したからである。 このことは例えば、食糧自給率が我が国と同じく低いのにも関わらずに、なるべく自国産を買い、自国のもので代用するというスイスのような国と比較すればよくわかる。スイスはとにかくサービスが高額だが、我が国は空気のようにサービスは低額かほとんど無料の違いから、スイスの賃金は高い。スイスには他にも理由があるので後で紹介する。 スイスと比べると、日本ではサービスが当たり前になってしまっているので、賃金が低くなる。 また、価格競争の背景には、ニセモノユダヤのような悪魔の連中が自分たちのことしか考えない考えられない人類から脱落する道へと堕落している途上にあることも挙げられる。 同じ人類なのに、自分たちが優秀と自惚れるアホバカは人類以下の存在となるだろう。 というわけで、以下に参考のために、お馴染みのサイトからデフレの理由の話を紹介する。 ★ ★ ★ 自民党の規制緩和で殺された http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8644.html バス大量殺人の旅行会社なんだが、社長は大学のイベントサークル出身だそうで、イベサーでパシリをやっていた下っ端が、そのままそれを商売にしちゃったらしいw あの万吉がねぇ、とか言われてますw なんかね、貧乏くさい素人だと思ったんだw それにしても、国交省は何をやっていたのか? 旅行業者の間では有名な、札付きのバス会社だったというんだが、今まで放置w 14人が死亡した長野県軽井沢町のスキーツアーバス転落事故で、ツアーを企画した旅行会社「キースツアー」(東京都渋谷区)が観光庁の調査に「法定基準の下限を下回る19万円でバスの運行を依頼した」と説明していることが分かった。基準の下限を下回る運賃での運行は道路運送法違反となる。 依頼したキ社も旅行業法に違反する疑いがあり、キ社に旅行業許可を出した東京都は業務停止処分を検討する。 国土交通省はバス会社がツアーを請け負う際の運賃の基準を設定。45人が死傷した2012年の関越道のツアーバス事故後、基準額を引き上げた。 国交省によると、現行基準に改めた14年7月から15年9月の間に、全国のバス事業者で11件の下限割れ運賃が判明している。 コイズミ改革の頃から、こういう業界荒らしが増えた。筑波大学のビルメン屋さんなんて、3億だった仕事が1億切るまで追い込まれたと言うんだが、役所の入札というのは、前年度の数字が公表されているわけで、毎年、入札やって叩き合いになったら、年々下がり続けますw デフレの張本人は新自由主義を導入した政治家だよねw 日本の失業率は50パーセント グローバル・スタンダードの基準だと、「非正規雇用」は失業者です。なので、日本の失業率は50パーセントという事になるw もちろん、正社員になりたくなくてあえてパートという人もいるだろうから、それを別としても、失業率は凄い数字w 内緒だけどw 役人は数字で嘘をつくのが仕事ですw まぁ、働く方も悪いんだけどね。景気の良い頃、ウチの会社では従業員を探すのに苦労した。みんな、派遣で関東自動車に行っちゃうw こっちは小さな会社だけど、社会保険完備で、ボーナスも出る正社員です。でも、「毎月の手取り」では関東自動車の派遣の方がちょっとだけ高いw それでみんな、関東自動車に行っちゃうw そんな時代もあったのだ。 非正規労働者が家計を支える世帯の4割超が「赤字」だということが分かった。 労働者等の調査・研究を行う公益財団法人「連合総研」は14日、昨年10月に実施した「非正規労働者」に関する実態調査の結果を発表。 非正規労働者の厳しい実態が明らかになった。 非正規労働者が家計を支えている家庭のおよそ44.2%が年間収支が「赤字」と回答。 また、非正規労働者が家計を支えている家庭の27.9%では貯金もないことが分かった。 家計を支える女性の約半分が年収200万円未満 また、非正規労働者のおよそ8割(非正規労働者が家計を支える世帯では86.2%)が支出を切り詰めて生活していることが判明。 切り詰める対象として最も多かったのは「衣料費」。次いで、「理容・美容費」「外食費」と続いた。 さらに、非正規労働者が家計を支える世帯の2割超が過去1年に生活苦で「食事の回数を減らした」と回答。 13%は「医者にかかれなかった」と答え、0.9%は「子供の進学を断念した」と回答した。 目先のわずかなカネに目が眩んで、将来の自分を考えられない。ひとつの仕事でスキルを積み、人脈を作り、成長戦略を描く。景気のズンドコで、非正規雇用も切られて、「食えません」と泣き言並べても、みんながそうなんだから、誰も同情してくれませんw とはいえ、貧乏人ほど余裕がないわけで、「今」の事しか考えられないのも仕方ないんだがw (中略) ----------------------- 各国の一時間あたりの最低賃金 最低賃金 693円、平均 801円 ◆ 日本 最低賃金 1534円、平均 1909円 ◆ オーストラリア 最低賃金 1312円、平均 1648円 ◆ モナコ 最低賃金 1180円、平均 1500円 ◆ ニュージーランド 最低賃金 1329円、平均 1583円 ◆ サンマリノ 最低賃金 1176円、平均 1414円 ◆ オランダ 最低賃金 1245円、平均 1483円 ◆ ベルギー 最低賃金 1518円、平均 1808円 ◆ ルクセンブルク 最低賃金 1160円、平均 1382円 ◆ ドイツ 最低賃金 1382円、平均 1407円 ◆ アイルランド 最低賃金 1245円、平均 1350円 ◆ イギリス(2020年までに1728円に) 最低賃金 1312円、平均 1562円 ◆ フランス 最低賃金 1130円、平均 ????円 ◆ カナダ 最低賃金 1917円、平均 ????円 ◆ デンマーク 団体交渉(例マック)1650円・・・・ ◆ スウェーデン 国民の9割が2500円以上・・・・・・ ◆ スイス 最低賃金 1072円・・・・・・・・・ ◆ NY(2018年~1850円) 最低賃金 1287円・・・・・・・・・ ◆ ワシントンDC(2020年~1850円) 最低賃金 1348円・・・・・・・・・ ◆ シアトル(2017年~1850円) 最低賃金 1502円・・・・・・・・・ ◆ カリフォルニア州 ----------------------- ★ ★ ★ スイスが異様に高いが、この理由で持ち出されるのが物価の高さだが、ニューヨークやロンドンのように物価が高くても、賃金がそれほどよくない国があるので、他の理由を探すべきだが、それは以下のナチスとの関係が挙げられる。 ニューヨークやロンドンが物価が高いのに、賃金が低いのは、利益を独占し、賃金に反映させない輩がいるからである。その証拠に、ニューヨークとロンドンには馬鹿みたいな金持ちがいる。その連中が馬鹿みたいな資産を築いたのは大戦によるものが大きい。ナチスはその代表である。 ナチスを非難するなら、ナチスに資金供与していた黒幕こそ非難すべきなのに、しかも、当時スイスはユダヤ人を迫害していた事実を隠し、ユダヤ人に協力的と美化している点でも怪しいものを感じる。 スイス銀行は貧困を救えるほどの資金がありながら、ユダヤ人を見殺しにしているのである。人の命よりもカネのほうが大切らしい。 ★ ★ ★ ナチスとスイスの協力関係 http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb500.html ★ ★ ★ ニセモノユダヤたちはユダヤ人と名乗りながら、同胞を見捨て犠牲にして資産を蓄えたことが、ナチスとスイスとのつながりから明らかになる。連中は自分たちを競争の外に置いて、他の人々を競争させているカラクリに気づくべきである。 八切氏によると、スイス銀行の資産のなかには、この国と関わる宮内庁とアホらが関わる某宗教団体と、部落民の代表のアミモト名義の口座があり、御三家といわれているそうである。 単純にいえば、この連中は競争から除外されたものたちである。自らを競争に曝さずに、他者を競争に曝そうとする不埒な連中で、競争を求めるなら、この連中こそ最も競争に曝されるべきだろう。 このような連中が財産を社会に還元せずに、他国に持ち出すから、話がややこしくなり、結果的に国際競争に巻き込まれざるをえなくなる。競争を生み出しておいて、自分たちを競争から除外するルールを作っているのが問題である。 また行き過ぎた競争は破壊を生むので悪である。経済とは、足りないものを協力して補いあうことである。この逆を行う、つまり自分たちだけで利益を独占したり、特権を保持したりする輩がいるから、経済がおかしいことになる。 経済とは平等になるためのものであり、格差をつくるものではない。 物質的に平等な生活を実現するには、足りないものを補う創造性が必須となるが、それにはやはり歴史から真実を学ばないといけない。歴史を美化するのは最もよくないので、八切氏の話を続けて紹介する。 ★ ★ ★ 受難の日本書紀(改変) 学校の日本史の古代史は、北条政子の歿った西暦1225年までを一括して、安易に教えている。という事は、七世紀の世変りを匿しこんでしまう意図から、十三世紀まで引っぱって延長した期間を、アミカケ方式で制定している。 「日本人の歴史好き」というのは、なにも向学心の現れや、真実追求のものではないらしい。 「侵略」を「進出」と変えてしまって、韓国や中国から抗議を烈しく浴びているくらいで、日本の歴史は、「臭いものには蓋をしろ」と、なんでも自分に都合よく過去は美化してしまう伝統がある。 それまで幕末までは各地方面に、民間に口から耳へと伝承の歴史があったのを、東京を首都とし中央集権制度をとったから、日本全国を一つの検定した教科書で洗脳するみたいに統一教育を歴史にまで及ぼして、他の国ではディスカッションして覚えさせているものを暗記物にした。 だからして学校で教わる歴史では、さっぱり、どうにも呑みこめぬ人々が多く、そこで何とかして己れのルーツを知りたがるのが多く、これが歴史好みというか探求型にもなるのである。 近江八幡で「解放」を発行している西川秀夫氏は、祥伝社、大倉精神分化研究所、日本シェル出版、光文社、琵琶湖研究会、新泉社、オリジン出版、秋田書店の出版物を名ざしでピックアップして古代史入門の手引にと並列している。 しかしである。それらの本の中で注意したいのは、「日本書紀」や「古事記」を信用してか、それを参考にしている本だけは、絶対に除外してほしい。 なにしろ学校の日本史で「西暦720年五月に、日本書紀三十巻成る」と教えているからして、さも、いま活字本で出廻っている日本書紀は、西暦八世紀初頭の編纂された唯一の日本史であると誤っている方が多い。 が、私(八切氏)の「天の古代史研究」に詳しく解明してあるように、(実際は)その六十年後のもので、河内より高野新笠の御子を迎えて、人皇五十代桓武さまとなし、日本書紀をつくったトウの人々が昔の中ツ国、今の中国地方の岡山へ財宝をつんだ牛車の群れをひいて逃避行をした後のものである。 「トウからきた弁髪は日本原住民どもが一致団結して富士王朝復活のため清見潟[今の田子浦]まで、怒涛の進撃をなして攻めてきたのに惧れをなして逃げてしまったのゆえ、もはや構ったことはない」とおおせられて、それまでトウ一族が、自分たちを中国大陸からの渡来とするよりも、遥かに高い天から下ってきた、選ばれた民族とした方が恰好がよいから、おおいに美化するために創作した日本書紀だけでなく、六国史と称される他の史書類もみなことごとく一切合財を集めさせて、山のごとく各地で積み上げて、皆これを燃やしてしまった。世にこれを「桓武焚書」といわれる。 富士王朝のアラビア文字を縦書きにしたような歴史書も、悉く集めて燃やしてしまい、オンモン日本書紀というような、ハングル文字の桓檀古記をタネ本にして、桓武さまの御先祖さまが高千穂峯におりてきたという、クダラ人に都合のよいように美化されて纏め上げられてしまい、ここに第二次の全面改訂の日本書紀の新版が出来上がったのである。 一時は長岡の山の中まで逃げたが、賎から良に格上げしてもらえたクダラ兵は勇戦敢闘し、原住民を撃退、この時代が本当のナラ時代だが、彼らは威張って、「クダラ人にあらざれば人にあらず、非人である」と、教科書の「侵略」よりもひどい傍若無人で、驕る何とか久しからずである。 今でも「クダラぬやつ」とか「クダラぬことを言うな」といった言葉が残っている程ゆえ、桓武さまの血脈の続いた時代は日本原住民は討伐され奴隷に皆され、シラギやコマ系は、「蕃族」として追討された。現代のシラギが慶尚道人で朴前大統領もそうだが今(昭和)の全大統領や金日成父子やその他南北の軍部も同じである。金大中はクダラ系だから釈放されても国外追放された。 日本列島での確執だけでなく朝鮮半島でも、馬韓、辰韓、弁韓の昔から殺し合ってきた民族闘争の原点が桓武さまの時代でも、光州事件の現代でも続いているだけで、民族の血の流れというのは、二千年や三千年たっても変らないものである。 ナチスのユダヤ人狩りでも判る。もちろん現代(昭和)では、ユダヤがイスラエル建国以来アメリカのユダヤ勢力を後楯にして極めて強力である。 (話の内容から、1980年代頃らしい。ユダヤ勢力については、いまでも強力であるが。) さて西南に向けて潮流が変わり、瀬戸内の海から鉄製武器が、どしどし送られてくるようになった。初めは護身のための、影武者のようなつもりで王位につけたクダラ系にも援助して勝たせはしたが、やがて延暦十三年の富士の大爆発で、せっかく復活に団結して攻めこんできた日本原住民が、クダラの坂上田村麻呂に追われ谷底に生き埋めにされ、根つまり死の国へと皆送りこまれた。 ほっとして牛車をつらねて(岡山から)戻ってきたトウの人々は、もはや治安が回復したので、クダラを必要なしとみた。そこで桓武さまの御孫の嵯峨さまの代になると、せっかく苦労して創作されたクダラ製の日本書記を全部燃やしてしまったのである。 (唐の藤原氏のやり方は、いまのニセモノユダヤの手口とよく似ている。) が、トウの日本書紀は焚書後四十年も既にたっていたから、「勧学院」をもうけて、武器と共に渡来した医師や漢学者たちに、もう一度改めて「日本書紀漢学版」の作り直しをさせた。 しかし勧学院一つだけでは、すっかり燃やされてしまった日本書紀を復元するのは難しく、藤氏一門は勧学院。和気氏には弘文院、王氏に奨学院といったのを、次々と設立させて、百済史の焼き直しの桓武日本書紀を集めて悉く燃やし、第三次の新々日本書紀は、高野山の中国渡来僧たちの綜芸種智院にも協力させ、バビロニア史の漢訳とも対比して今では、言われるごとく司馬遷の史記の中から、当てはめられる箇所はそっくりいただいて作り上げた。 かくして第三回目の「日本書紀」は西暦833年の「令義解」ができた前後に書きととのった‥‥「桓武焚書」の一件は、南北朝時代の北畠親房の「神皇正統記」にも、はっきりと明記されている。 が、これが今日そのまま残されている日本書紀ではない。藤原道長の全盛期をへて、前九年後三年の役、ついで、平清盛の時代にまた焚書されて、第四回目の新々日本書紀が、熊野権現で書き直され、新平氏こそ日本開祖の民族であるとしたものを作らせたが、これは壇の浦合戦で水没した事になっているが、この時の一部の書き直しが梶原景時の手に入り、北条政子に献上された。 頼朝を落馬死という事にし、ついで梶原、畠山、和田、と源氏の主だった連中を粛清してのけた北条政子は、鎌倉をオール平氏一色にしてしまうと、承久三年五月には、京へ大進攻させた。「阿魔将軍」と恐れられた彼女みずからが、陣頭にたって押し寄せるはずだったが、大切な北条平氏の女大将が、自ら鎌倉を離れては後が気がかりであると、甥の泰時が代って出陣した。 美化したがる通俗史は、夫の頼朝が急死したので、貞婦ニ夫にまみえずで、髪をおろして「尼将軍」になったとしているが、日本では仏教をもちこんだトウの者の他は、男も女も、坊主や尼の官忍の得は受けられなかった。 (坊主は特権階級だった。) 平氏の政子が尼になろうとしても、有髪の比丘尼だし、男は法界坊、法印の大五郎、日光の円蔵みたいに、くるくる坊主になれずで、吉原でゴザを敷いてカッポレを踊っていた梅坊主一座にしろ、剃刀をあてて奇麗に坊主に頭が剃れたのは明治御一新からである。 (有名な一休の肖像をみても坊主ではなく、一休は天皇の落胤で、貴族階級である。だからアニメの「一休さん」は創作。) 政子が比丘尼になるわけはないから、古代史の最後を飾る彼女の画像は、後世の儒教時代の想像画で、それが今では歴史教科書の挿絵に使われだしたので、本当らしく誤られる。 富士王朝の残党ともいうべき北条政子は、夷頭(伊東)に逃げ、潮をくんで製塩し、漁撈をして塩魚にして銭にかえ、トウ派遣軍には非人扱いされていた積年の恨みの積み重ねの報復として、藤と名乗る公卿の主だった者を斬首した。後鳥羽上皇は鳥も通わぬといわれる隠岐の小島の石牢に閉じ込め。順徳上皇は佐渡が島の土牢に幽閉し、土御門上皇は土佐へ流罪にした。 そして京御所を監視するため六波羅探題を南北におき見張り侍所をおいた。平政子は生前に大江広元に命じ、かつて梶原景時が入手した平の清盛の第四回目の日本書紀をもとに改訂第五回目の日本書紀は出来上った。 しかし北条時宗の時に、かつて沿海州から親潮で佐渡や能登へ渡り、蘇我氏として栄えた末孫の源氏を、北条平氏は打倒藤原のために、頼朝を担ぎだし散々に働かせた後、使い棄てみたいに主だった者を皆殺しにして天下を北条平氏のものとした。 だから、沿海州から中国本土を席巻して、元の国をたてた(源氏と同じ)騎馬民族だからして、占領した朝鮮半島の高麗水軍に命じて、源氏の仇討ちに失地回復のための進攻なりと壱岐対馬の守護代より急使が鎌倉へ駆けつけてきた。 文永五年(1268)には、その噂通り、元の兵部治郎黒的を高麗人の案内で、正月十八日には太宰府守護の少弐資能に対して、高圧的な態度でのぞんできた。なんでも今では美化して恰好をつけたがる学校の日本史では、このことすらも、「国信使をもって、元の国書や方物を献上し通交を求む」といった具合に「世界は一つ人類みな兄弟」みたいなことを記載している。 だが翌文禄六年三月七日の条になると、はっきりと、「猛子使用黒的は、高麗人と共に対馬に立ちより、掠奪暴行の限りをつくし、降参した島民の手の甲に穴をあけ鎖を通して舷側に吊し曳行す」とある。通交の為にきた国使のすることではない。 挑戦でしかありえない。やがて五年後の文永十一年十月、壱岐対馬から太宰府へ十万の元軍が高麗水軍に護衛されて来攻。守護代宗助国、平景隆は一族と共に、青竜刀や鉄ぼこに取り囲まれて玉砕、少弐、菊池の救援軍も苦戦したが、たまたま台風が突如として来襲。 元軍十万の木造船は大暴風のために海底に沈んだ。時間稼ぎに翌1275年夏に、訪れてきた朴世忠ら五人の元の国使を、鎌倉龍ノ口で並べて斬首。翌年は再度来攻に備えて九州の筑前海岸一帯に石をつんで防塁を建造した。 新興元が高麗水軍を先頭に攻めこんできて台風で悉く沈んだにしても、損害は高麗や新羅の捕虜兵だけなので、改めて来攻してくるのは眼にみえていた。 それゆえ時の執権北条時宗は、元が又も懲りずに攻めてくるというのは、北条開祖の政子さまが、散々に源氏を戦わせて平定すると、もはや馬のりは無用の長物と使い棄てに殺したり、双方で戦わせたことへの仕返しに意地になって失地回復に攻めてくるのだから、 もしもの用心に、すべての証拠の書類は燃やすべしと、間柱所文書から、大江広元に書かせた改訂第五次日本書紀も、まさか次の次の弘安四年の来攻の十万の元兵も、台風で又しても海の藻屑になってしまうとは、神ならぬ身の知るよしもなく、万全を期して片っ端から文字のでている物は、みな集めことごとく焼き払って灰にしてしまった。 これが「時宗焚書」である。 学校の日本史では、元寇の実際も明白にしていないが、今もハバロフスク民族館の正面入口の扉の上には、沿海州人の民族章として大きな円形の笹りんどうの紋章がレリーフで掲げられている。 つまり元は、日本では源であって、同じ民族なのである。 明治時代の内田弥八の「義経再興記」つづいて小谷部圭一郎の「ジンギスカン義経説」は、源氏の風俗や言語が、沿海州人の元の民族とまったく同じなのが裏日本から入ってきた源氏ゆえ、そこから連想されたもので、ここが判らなくては元寇の意味も判らぬし、ジンギスカン義経説の由来も、ただ奇をてらうものとしか想われないかも知れぬ。 が、バイカル号でハバロフスクへ立ち寄った者なら、源氏の笹りんどうの紋や、パンダがその笹を囓っているマークも見ている筈である。 ★ ★ ★ 美化された歴史からは何もみえてこない。ただ洗脳されゴイムのように思考力を失うだけである。
2016年01月19日
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巷の大騒動のSMAPの乱は鎮圧気味だが、国会でのインチキや、アホノミクズで、経済崩壊しているのを隠すための一芝居という感じがしなくもない。いっそのことどれもこれも解散してしまうのはいかがだろうか? そしてAKBみたいに全て投票できめるなんてのはどうだろうか? アイドル総選挙である。 とにもかくにも、初頭から今年は激動の年になりそうな雰囲気である。数年前から、ドル体制が崩壊することがいわれていたが、いよいよ感が増してきた、という話を紹介する。 ★ ★ ★ 本日の日本市場は、雪のため、頭真っ白 http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8642.html オバマが登場した時においら、「オバマはアメリカ帝国の破産管財人」と書いたんだが、軍事力を背景に、世界の隅までドル基軸通貨体制を維持するというのは、とてつもない経費がかかるわけだ。まぁ、その分、FRBは印刷すりゃいいんだが、ツケは政府に来る。ユダ金はウハウハでも、食い尽くされたアメリカ政府は青息吐息。なのでオバマは意図的に、ドル基軸通貨体制を捨てた。 週明けの東京市場は波乱含みの展開に NY株の終値1万6000ドル割れを受けて 15日の米ニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均は急反落し、終値は前日比390・97ドル安の1万5988・08ドルと、「中国ショック」時の昨年8月下旬以来約5カ月ぶりに節目の1万6000ドルを割り込んだ。年始からの世界的な株安の流れが止まらず、週明けの東京株式市場も波乱含みの展開が予想される。 また、15日のニューヨーク外国為替市場では、リスク回避姿勢の強まりを反映して比較的安全な資産とされる円が買われ、一時約5カ月ぶりの円高ドル安水準となる1ドル=116円51銭をつけた。一方、ニューヨーク原油先物相場は1バレル=29・42ドルで取引を終えた。 戦争屋とオバマの内戦は、オバマの勝利です。人間、阿吽の呼吸が通じる組合せというのがありまして、オバマとプーチンがソレだ。中東を舞台に展開されていたのは、アメリカの内戦だったのだ。 中東産油国が基軸通貨ドルを放棄 http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8641.html 「今回の騒動の真相は、この人「 ID:s+ScTzK30.net 」のアイデアが最高だと感じました」と教えてくれた人がいるんだが、カンタンに言ってしまえば、中東の産油国がドル支配体制から抜けようとしているのが、今回の暴落騒動の原因だというんだが、少なくとも金地金の相場が下がっているのも確かなので、単に株価が下がっているというんじゃない、「恐慌」です。 金地金は、こういう恐慌でパニック売りが加速している時に下がる。カネの必要に迫られて換金するヤツがいるからだ。FTさんは「今年いっぱいが金地金の買い時」だと書いていたが、というわけで、犬小屋増築、犬小屋増築w ★ ★ ★ 大河ドラマでは「真田丸」をやっているが、なんだか、アホノミクスでアホ政権ならぬ、米国債売却で、大坂城が落城するような気配を感じる。家康中国を包囲するどころか、家康に逆に豊臣秀頼米国は、いつの間にか包囲され、突き崩しにあっているようである。 日本は真田丸という感じだろうか、外堀を埋められて、アホノミクズで突撃して、討死というところか、やはり、過去の歴史に学ぶ必要がある。というわけで、前回の八切史観の紹介を続ける。 ★ ★ ★ 第一部 近視眼的な教科書騒ぎ 日本では古代史を無視し、みんな昔噺にしてしまう。そして勿体つけて「神話」とまでする。 「古事記」にしても、本居宣長によって「古事記伝」として今日のものができる迄は、つまり江戸時代の大岡忠相が死ぬ迄は「骨事記」とか、「こじき」とか、一掴みの豆を投げて貰って拾って喰って退散してゆく哀れな乞食みたいなハングリーな存在だった。 権力者により大安万侶が書かされたものは、八世紀初頭の権力者の優越感を満足させるためのもので、それを日本原住民の末孫として明和年間から寛政十年までかかって、今日の立派な古事記伝にしあげたのは本居宣長の労作といえよう。 なにしろ隠忍[鬼?]とされていた原住民は、野や山に自生するものだけを自由にしてよいとされ、木を切って細工したりする大工のような加工業は舶来系の縄張りとされていたのである。 つまり幕末までは、筆は竹、穂は狸の毛だから、もの書きや版行の出版業は原住民の限定職で、北条政子が夫の頼朝を、馬から落して即死として始末してから、梶原源太を下手人として殺して、新田、三浦と次々と源氏の主だった連中を処分した。 郎党や女子供をゲットーへ入れ、叛乱防止のために、身分証みたいな限定職を定めたのだが、発布されたとする治承四年[1180]の年号は石橋山で敗れた頼朝を、政子が平氏の本籍地の千葉へ逃した年であり、頼朝御判二十四種は、まさか逃げる途中に細かい布令など出す筈もない。それなのに発表年にされ伝わっている。 さて、今日の新聞が土地など賜ってオカミ御用となりだした明治二十二年迄は、「明治密偵史」の宮武外骨の著に詳しい[日本シェル出版より復刻版が出ていた]。 それだから東京新聞の「大波小波」によると、中国では台湾の陳瞬臣より、中国本土の血の濃い司馬遼太郎のほうが人気があると報道されているのも、古代史の権力者は占領軍の中国人だった隠然とした匿された歴史があるからして、血は水よりも濃しで、またむべなるからぬ話である。 なにしろ日本とよぶ国は、西暦663年に白村江の戦いでクダラ系の奈良朝を倒し九州より御所入りし、<天の古代史研究>[日本シェル出版]にも、「藤原鎌足」と郭ムソウは日本名をつけ、則天文字つまり漢字の強制使用と、北東の風が吹かなくては、日本から中国へは航行できぬから、冬至=唐至の当て字もあるが、文部省学校教育で、イアルサンスウ(中国語の1,2,3)から算数とするのは今でもその侭、築城用巨石の全国供出令を発布した。 ところが俄に今になって、侵略を進出と教科書にのせるのは怪しからんと、「むちゃくちゃな出鱈目歴史[では]ないか」と、訂正するよう抗議されている可哀想な日本史は、西暦663年には進駐軍司令官郭将軍によって高安城が築かれ、金田城が構築されていた。 当時は今のアフガニスタンなみの勇敢な縄文日本人ゲリラから、御国を離れて何百里と、昔はゲリラが歌っていたから、万一の時は冬まで立てこもらねばならぬから、郭ムソウ将軍が、降参した日本原住民を使役し築かせたのである。なのに日本では文部省が金田城をたしかに国の重要文化財に指定している。 昔は沢田美喜みたいな豪い人がいなかった。それゆえ、郭将軍部下兵四千軍属のチャン輩「バラ」(独身)一万二千が単身で来ていたから、女とみれば片っ端から種付け、一人で九人くらいに孕ませて廻ったかて、原住系の日本人女はカイト、界戸、皆戸、海渡いろんな当て字を今ではつけられる場所で、エリザベス・サンダースホーム(児童養護施設)がなかったから堪え忍んで育てあげた。 わが世とぞと想うと詠じた足利時代の義満でさえ、臣源道義と大陸へは絶対服従。日本が被占領国の中国と対等になれたのは秀吉の対明交戦で初めて解放されたと言ってもよかろう。 その国の立場というのがそれぞれある。侵入や進攻の字句で今になって文句を言うなら、七世紀から産まされっぱなしで、テレビの「ルーツ」で黒人女が白人の旦那に産まされた子でも、奴隷として売買されるみたいな有様で、嫡民ならぬ庶民とされ、賎民の奴隷扱いされていた吾々の先祖のことも、古代史を徹底的に昔の事と言わず検討してから、よく考えてほしい。 「日帝が三十八年にわたって勝手気侭に振舞ったのが怪しからん」と解放記念日には、テレビでも放映して抗議するが、郭を改名した藤原鎌足が渡来する迄の日本列島は、彼らの先祖のナラ王朝だった。 馬韓、辰韓、弁韓の三韓時代から西暦664年の藤原鎌足まで、彼らが日本原住民に加えた残酷非道は、僅か三十八年間だけの日帝の圧政に比べれば、何十倍もの年数の苛酷さであった。 中国の方も郭将軍の部隊が御所を占領した西暦664年五月十七日からは、藤原王朝をたて、南京の大虐殺以上のことを、かためて捕虜を生き埋め踏んづける根蓋(ねぶた)までやってくれている。 しかし藤原鎌足の子孫が作った勧学院の日本書紀を金科玉条として、古代史を真剣に勉強し、確りと取っ組んでいないものだから、日本の歴史屋は哀れ何も言い返しが出来ないのである。 古代史さえよく研究していたら、逆手にとって反対にこちらが被害者の立場から教科書抗議に対せるのだが、まったく不勉強すぎて悲しいことにそれすらも全然できないのである。 といって、まぁ過ぎ去った過去のことを言いだしたら、それこそ切りがないかも知れぬ。それを良い事に、被害者の立場をとる向こうでは、日本人乗車拒否のタクシーまで出現しているという。家永裁判では民主主義でなく、又しても皇国史観の昔へ逆戻りさせた判決を、せっかく勝ちとったばかりの文部省も、歴史屋の不勉強さで何ともならず、まこと気の毒である。 かつて吾が日本列島が馬韓辰韓弁韓の三韓時代に支配されていた時代は、終戦直後より酷く、ナラ時代、ナラとは、韓国語のカントリーの意味だそうだが、金大中の御先祖さま[これは単に百済系をさす意味]が君臨の昔、「クダラにあらざれば人にあらず」とされ、「クダラぬやつ」「クダラん事はするな」とまで、現代でさえ用いられるくらいに、韓国の御先祖さまは日本へきて君臨なさり、好き勝手な事をなさっていた。 新羅人や高麗人も、日本海よりベーリング寒流で入ってきて勢力争いをした。だから日本の古名は越前越中越後とか備前備中備後と、三韓時代に三分割されていたままなのもその例証である。 恐れ多くも桓武帝のごときは、「桓武焚書」と今ではよばれるごとく、前からの日本書紀はことごとく集めて焼き、オンモン日本書記まで作成しなさったくらいに、好きなようになされ遊ばした。 韓国(済州島)の女性の腹から生れた徳川綱吉は、千代田城を朝廷をよばせ閣老を公家とし、王政をしき、よって東下りの公卿は大納言や侍従でも退官して無位無冠で江戸伝奏屋敷へ入り、京へ戻ると前大納言や前侍従がまた復官したのは<赤穂義人纂書>[日本シェル出版]に明記されていて証拠も残っている。 それなのに日本史は、好意的に馬韓渡来の方に、神功皇后の御名をつけ、マタニティードレスの女将とするくらい、本心では韓国に敬意を失っていない。なにしろ、日本の歴史教科書は単なる暗記もので、(明治政府の伊藤が呼んできた)ドイツ人リースの門下作ゆえ責めても、不勉強の歴史屋が悪いのだから仕方がない。 もし日本の古代史が乳離れするみたいに記紀離れして、藤原王朝が作った歴史から脱却していたら良かった。半世紀もたたぬ最近のことを突き廻す被害者顔の近隣諸国に、せめて五世紀までさかのぼって日本の歴史家が解明していたならば、薮を突っついて蛇を出すような、しっぺ返しができたものを、従来の学校教育に甘んじ、学者だと自認している連中たちは何も知らぬ。 無智ということは罪悪である。いくらナラ朝時代は韓国製の日本史、七世紀からはトウのトウゲン[桃源=藤原]王朝史だと判らぬのか知らぬのか、何も反対意見を出せぬままの現状ゆえ、この侭では、「ご無理ごもっともです」と、教科書検定審議会の答申をうけ、抗議されるままに訂正して、「おっしゃるように、なおしました」という事になるのだろう。 世界中どこの国が、他国より干渉されて、その学校歴史を改訂するといった例が、はたして悲しい事だがあったであろうか。「国辱」というものがあるのなら、これ以上の屈辱はないだろう。 長州より招かれて御抱え教師となり、現代日本史の開祖となったアドルフ・リースが、先進国にならって日本でも、「博士号設定」となった際に、彼は歴史屋なのに理学博士や医学博士は認めたけれど、「独・英・仏・伊には歴史学博士の称号はあるが、この国にては、その設定は無理なり。 文字を弁じうる程度なれば、文学博士にて間に合わすべきである」と、後にベルン陸大の歴史教授となって、「ゲルマン民族優秀説」を発表しナチスに利用させたリース歴史学博士は、日本では開明学校が東京大学になると、「史学会雑誌」を刊行させはしたが、歴史学博士号は許さずに帰国した。 だから歴史の専門家が一人も認められていないゆえ、まぁ古代史は無理といってしまえばそれまでの話だが、もし良心があるなら各大学で歴史担任の教授は丸坊主にでもなるべきだろう。 なにしろ日本以外の国では、歴史を愛国心を育てるために重点的に教える。大学入試でも、歴史は必須科目として必ず受けさせられる。しかし日本ではディスカッションし学生たちに研究討議させる重要科目ではなく、中学生の頃から文字通り教科書を暗記させ、年号を覚えさせるだけであって、大学の入学試験にも歴史を必須受験科目にするようなところは全然ないのである。 なにしろ各時代の権力者によって、日本史は都合よく美化され、創作されているだけにすぎないのは、各会社が自費出版して得意先や関係会社へ配付している社長伝や社史と同じことである。 (真実よりも金儲けや権力志向などが優先される。日本史が自慢話の類やエロ本などの自慰行為の種本になってしまっている。) それゆえ歴史を受けもち講義する者は、恩師に対し弟子として領分からはみ出さぬようにのみを心がけて、昇任昇給だけを望み、隠れたベストセラーともいえる文部省検定歴史教科書をだせるようになって、莫大な印税を得られるようになりたいとの願望だけであるらしい。 それゆえ、騎馬民族は日本海を渡ってきて裏日本へ入ってきた潮流学を無視して、日本書紀に合わせ鴨緑江をわたってクダラ人みたいな騎馬民族とし、体制に合わせ江上教授も発表した。 大伴家持が飼戸の「四つ」の奴隷頭ゆえ、いくら働いても認められず癪にさわって飛び込み憤死したのを、日本書紀に辻つまを合わせてた梅原教授も、今では学長にまで昇任した。 皆お利口さんは御用歴史作家であるが、彼らとて歴史の講義をする教授ではなく、他科目の教授である。というのは、いくら体制べったりにそっての、事なかれであっても、歴史畑であれば、恩師が言っていないことを発表するには、立場が拘束されていて、絶対に不可能のせいだろう。 つまり監督官庁の文部省の指導方針にそい、恩師の口ききがなくては立身出世の途がひらけぬからである。他の考古学畑にしても、やはり親方は文部省で、宮内庁の権威が影についているから、少しでも日本書紀からハミ出しては、枠内からの落ちこぼれとみなされてしまう。 世界最大の墳墓といわれる仁徳陵の発掘を、絶対に宮内庁が不許可にしているのも、日本書紀に記載されているのとは、どうも違う結果がはっきりしていて、はたして仁徳陵といっても、どなたが埋めらているか判らぬ、といった危惧があるせいらしい。 なにしろ学校歴史では、「民のかまどは賑わいにけり」と高屋から望みみられたもうた御情け深い御方となっている。 しかし、民のかまどから炊煙が絶えるくらいに搾取され、暴動を怖れて淡路島へ待避しておられたのが、浪花へ戻られ、また高所から民の有様をご覧になり、そうおっしゃられたというのは、恐らくまた戻ってきて、これなら課役が増やせて良いと、のたもうたのではあるまいか。 広大な仁徳陵と称せられるような大規模なものになると、ブルドーザーもなかった昔ゆえ、何千どころか数万の奴隷が鞭打たれつ何年も働かされて構築されたものゆえ、古代史の中では、奴隷社会の始まりといえよう。もちろん同国人を奴隷にしてまで、酷く酷使できる筈はない。 となると、鉄製武器をもって渡来された方が、原住民である日本縄文人を捕え働かせたものとみるが至当で、珍、讃などと中国からよばれた五王の四世紀初頭の捕虜課役大工事だったろう。 産業革命以来でも、主だった発明や発見は、みな専門分野の者ではなくて素人だったという。現在の天気予報でも、気象衛星まで使っているオカミよりも民間のお天気おじさんの方が確率がはるかに高いみたいに、天文学でも新星を発見するのは日本でも学者と自認する人たちより、素人で見つけている例の方が多い。 歴史の分野でも、やはり保守的な日本書紀派より、畑違いの人による解明の方が、昇進とか教科書作成といった夢をもたぬだけに、きわめて大胆である。 私にしても、父方と母方の宗旨違いで、亡兄の入籍に数年かかり、ようやく届出ができた時には、当人は小児急性肺炎で天野病院で亡くなっていたので、またもめるのは厄介だからと亡兄の戸籍をその侭で引き継がされ、名も生年月日も亡兄のもので、私には本当の名も生れた年も知らされていない、さながら透明人間みたいな存在ゆえ、たえずそれに悩み自殺未遂も何度もして、「真実とは、はたして実存するものか」と、過去の具象としての歴史を、まことに本当なのかと生まれてきた時よりの挫折感を、なんとかして打破しようとして取り組んできてしまった‥‥ 初めは当時の日本へきていたイエズス派資料という裏付けのある戦国時代から検討して入ってゆき、「信長殺しは明智光秀」するのも、光秀のライバルだった秀吉、本当の黒幕は家康だが、信長、光秀を仏敵とみたてて負けた石山本願寺の一向宗の今の本願寺派が説教節できめつけてしまって、日本全国の居付き部落に説教僧を送り込み、面白おかしく説教にして定説化しただけと判りもした。 美化というか天下一の豪傑とされる山中鹿之助も、本当は殺人鬼みたいに毛利方を、片っ端から討ちとったのではなく、相手方がへばっていて「頼まあ=タンマ」と声をかけ、「後日に銀一貫匁を支払うものなり」と矢立で紙にかきスタンプ印鑑のなかった時代ゆえ掌に墨を塗って、相手に押し渡したのが、約束手形の始まりで、首落し前の談合ゆえ「落し前をつける」という。 (命を助ける代わりにお金を払えということらしい。) 紙がない時には口約束ゆえ、「武士の言葉には二言はない」といった用語も残される。 江戸期に入っても外出の侍が「懐紙」といって夏でも白紙を大切に持ち歩き、今でも財布のことを「紙入れ」とよぶのも、万一の際に落し前の約手をかくための大切な用紙だった名残りである。 プロとは、今のプロレスみたいに、やたらに致命的な負傷などはせぬもので、山中鹿之助は約手をとっても集金せずだったから、彼を生かしておいては後に毛利の家中の者が迷惑すると、「約手のパクリ屋」なみの毛利方の者によって、上月落城後、備中合の渡しで殺されたのである。 だから、その伜が大阪で鴻池の店を開くにあたって、約手の決済をしてなかった連中が銀を集めて送って開店させたのである‥‥といった従来の歴史とは相反する資料が得られたが、発表すると、勇ましい講談を頭から信じこんでいる人々からは、ただ意想天外とされたにすぎぬ。 しかし尼子方は滅亡しているから何も残っていないが毛利方の「吉田篭城記」によれば、「本日の合戦は、先手の者は石つぶてに当り一人傷つきたれば全軍とって返す」と、あまり殺生沙汰はなかった記述が多い。常識で考えても人口の僅かな時代に、とっては投げ突き刺して殺すみたいに派手にしていたのでは、みな死に絶えてしまって両軍とも戦う者がいなくなってしまう。 美化というか勇壮化されて伝承されているが、プロの武士道は、落し前をつけるだけが本当の処である。となると中世紀の宗教戦である戦国時代の前は、どうなるかと問題になる。 (要するに銭で解決すること。) 江戸期でさえ、「やつこさんは辛いね」とか「奴女郎」の名称があり、「町奴幡随院長兵衛」は勇ましく水野十郎左に突き殺されるが、奴とは寺の奴隷のことだから、寺奴で、仏教側が雇ったガードマンのことである。 とすれば、後世まで奴隷扱いとなると、古代史とは、縄文日本人が権力者によって鉄製武器で征服された弥生時代が、日本の古代史つまり奴隷社会の始まり、ということになり、古代史へ突入し真実とは何かと逆のぼって解明していったのが、この入門書をかきだした私(八切氏)のノートともいえる。 ★ ★ ★ この国では真実よりも金儲けや私利私欲が優先される。美化された人物ほど怪しい人物なんである。 本当の歴史とは二度と同じ過ちを繰り返さないための教則本となるもので、人類平等を実現するための手引書となるべきものである。
2016年01月18日
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巷はアホノミクズで経済崩壊&株価暴落で、アホ政権の断末魔となっているが、何を今更で、アホのやることはアホアホなので、はじめからわかっていたことである。 問題なのは、駄目だとわかっていて、周囲に誰も止めるものがなく、全てを失うまで突撃してしまう愚かさにある。大体一度総理失格の烙印を押されている人物を再登板させることに、アホバカさが極まっている。 サメ脳森よりも遥かに酷いと巷ではもちきりらしい。アホバカの暴走はもはや誰にも止められない福島原発事故と同じような深刻な状況にあるようだ。嘘のアンダーコントロールよりも、正真正銘のアホバカコントロールが必要であるという話をお馴染みのサイトから紹介する。 ★ ★ ★ 下痢便5月退陣説 http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8623.html キッシンジャーという人がいるんだが、元祖ジャパン・ハンドラーズみたいなもんだが、92歳でまだ元気です。そのキッシンジャーが、アベはもうヤメろ、みたいな事を言っていたみたいな話があったんだが、そろそろアメリカの奥の院も見放したかなw さすがにアベシンゾーの頓珍漢な経済政策を続けていたら、世界経済が破綻してしまう。 安倍晋三が「7月政界引退」決意で「橋下総理」誕生? 「総理は下痢のほか、嘔吐にも悩まされています。官邸から調査業務などを請け負っている会社の担当者が総理執務室を訪れた際も、総理がトイレからなかなか出てこないというアクシデントがあった。担当者が官邸スタッフに理由を尋ねると『トイレで吐いていますので』との説明でした。嘔吐がひどい時は、医師が呼ばれることもあります」として、次のような衝撃的な事実を明かすのだ。 「実は昨年、病状を心配した母親の洋子さんが『政治家は引き際が大事。もう総理を辞めてほしい。(祖父の)岸信介のやり残したことを、あなたはやったじゃないの』と懇願した際、総理は『せめて5月の伊勢志摩サミットまではやらせてほしい』と答え、総理どころか政界引退の考えまで口にしたというのです。それほどまでに総理の体調は悪い」 マスコミがこういうネタを連発するようになったら、黄色信号ですねw とりあえずパンティー高木の去就に注目かw ★ ★ ★ どうもこの国は終わりに近づいているようである。ジミン党内じゃ責任とらされるといって逃げ腰な無責任権力欲私利私欲なアホバカしかいないから、ジミンを駆逐する政権交代しかないよね。 丙申という干支も新勢力の台頭を後押ししているしね。 とにかく軌道修正が必要だから、ロシアとのパイプ生かして宇宙人あたりをもってくるしかないのではないかという気もするが、一度駄目出しされているし、またアメリカの戦争屋が洗脳報道などでまたチョッカイだすから、そこらへんがポイントだと思う。 しかし、このままだとニセモノユダヤに引っ掻き回されて、日本という国が韓国のようにお陀仏になるだけだから、誰かが責任をとって事後収拾して、とにかくアジアをまとめることだと思う。 世界一古いとされる国なんで、このようなことは過去に何度もあったわけなんで、やはり歴史を知るべきなんで、それも権力者が書き換える嘘の出鱈目な宣伝の洗脳歴史ではなく、庶民目線の底辺からの歴史であるから、八切史観の紹介を続ける。 ★ ★ ★ □ 古 代 史 入 門(改変) □ http://www.twitlonger.com/show/n_1rjqcjm まえがき(八切史観の正しきことの立証に、わが命にて証しとせん) 八切止夫拝 今は亡き荒正人先生が、「八切史観は庶民の恨み節だ」とおっしゃった事がある。そう言われればアンラッキーの一語に尽きるみたいに、私(八切氏)は組織機構の末端から迫害され続け、闘争の一生みたいだった。何故にかくも苛められるのかと庶民の立場で、己れ自身に問いかけ続けたのが、これまで誰も試みようともしなかった茨の道への突入というか没頭だったと言うべきだろう。 「不可思議な国ジャポネ」[日本シェル出版]のカバーにケント歴史学博士[同書の著者]の若かりし頃の写真を使い、「タル・ティング(おも恥ずかしい)」と文句をつけられたが、15世紀から16世紀にかけて日本へ来ていたイエズス派資料を教わり、日本での伝承通俗史と余りに相違しすぎるのに愕いたのが、私の開眼のスタート。つまり、戦国時代から「裏返え史」として解明に入ってしまったのが始まりだった。 「同士討ち(同民族討ち)をせぬよう、馬印とよぶ標識を、遠くからでも判別できるように色分けしていた」というレポートで、江戸期になっても大名行列の先頭に立っていた馬印にひかれた。 日本での裏付け資料は史籍雑纂の家伝史料の「黒田文書」に、「馬印が金色に候はば別所同意と存じ候」の一行だけだったが、それを手掛かりに武鑑を調べてゆくと、日本は決して単一民族ではなく、中世期の宗教合戦の時代には、祇とよばれる太平洋沿岸より黒潮で渡来した北条政子系の古平氏の者らは「赤色」を用い、日本海より裏日本に入って来た騎馬民族系の蘇我となり、源氏となったのは「白色」と色分けされている。 (別所とは、足利幕府により、被差別され、居つき部落に幽閉され、奴隷とされた民族) 延暦の年号になっての原住民大団結反撃進攻の際に、東北には山金が転がっていたのを叩き延ばし、光を反射するからと共に同一目印にしたのが始まりで、反仏派は金色を用いたとも判った。 つまり、彼らが捕虜にされ別所・散所の限定地に収容された奴隷の子孫が、下克上の世となって立身して武将になれた者は、[例えば]秀吉でも金色千成瓢箪である。 「八切姓の法則」と「日本人の血脈」[共に八切氏の著書、日本シェル出版]は、民族カラーの色分けと、漢字はすべて当て字ゆえと、独特の苗字をローマ字化してみて、姓の第一字発音を識別することから、民族別に鑑別できる方法を発見したものである。 さて、八切史学、八切史観とよばれる私の考究は20年がかりで本書で終るが、新たに全巻を直接に送金してもらえる後学には、私が集めた文献類をもう入手不能の本ゆえ無料で専門別に戦国、外国と分け参考に供したい。 というのは、読者名簿を整理処分したら、年賀状をダンボールに十五、六個も貰っていたが、照合すると九割までが図書館出の方である。八切史観というのは初めから形が私の頭の中にあったのではなく、禁酒して20年前から次々と考究して展開してきたので、その中の一冊や二冊を読んで感心してもらっては困る。18年かけた「野史辞典」を軸にし、続篇の「庶民日本史辞典」の二冊と、「天の日本古代史研究」と本書の四冊を最低資料に揃え、後学は解明を続けてほしい。 自滅する時には殺さねばと案じていた20年11ヶ月のタヌコ[八切氏の愛猫]が本書の脱稿時に老衰で自死してくれた。一日18時間は座っているので、生涯一度も抱いてやらなかった猫だが、唯一私のファミリーだった。後顧の憂いをなくしてくれた猫に本書を捧げたく、寂しさに涙して前書きとする。 No.1 純正日本史案内 「三つ子の魂、百まで」というが、学校で教わった歴史は、ジンムスイゼイと、暗記ものだったゆえ、私でさえ未だに頭の中に引っ掛かっている。どうしても先入観は強いものである。そこへもってきて、前人未踏の八切史観では戸惑われるかも知れぬと案じ、順を追って判りやすく解明してゆくため、前もって予告編みたいにアウトラインを古代史入門の一般的手引きにしておく。 前書きをしてはやや重複するが、いきなりぶつけるよりは読みやすい。それに、どうしても古代史に入ってゆくには、タブー視されている部落史とは切っても切れぬ問題がある。 (前回紹介したので省略) 戦国時代の始めの応仁の乱に部落の者等は山狩りで集められてきて足軽とよばれ、楯の代わりにさせられ、生き残れたのが戦国武者や武将になれたが、世が泰平になると下克上は明治維新までのびた。 が、五代徳川綱吉が韓国済州島系で神仏混合令の法令を下し、反仏派の原住民は宗門改めの寺社奉行によって、浄土(上等)でない汚れた下等人だと差別され圧迫された。 太田亮の「姓氏辞典」では加賀に入った藤原氏と美化しているが、仏教は一向宗が入っただけである。 (浄土でない⇒上等でない⇒下等⇒かとう⇒加藤。この国は昔からダジャレが好きなようである。) ナポレオンが勲章を発明するまで「賜姓」といって、藤原姓をエゾや反乱軍の純友にも与えた。 つまり実際は産所は足利幕府散所奉行で、反体制だった南朝方子孫を捕え収容したのが、同じ呼び方ゆえ産所と間違えられて伝わる。山所ともなり「山しょ太夫」や「さんしょう魚」ともなる。被差別の習慣が広まってしまった為でもあるが、喜田貞吉説も産所と文字通りにとって誤っている。 なにしろ唐語のブシン=不信、つまり信用できぬ輩とし、召し使われ、それが武力をもってついに公家を押さえつけ、公家対地下といったのが実力で逆転され、下克上の時代と呼ばれたのが文治革命であったり、戦国時代以降となると、かつては非人とか八部(村八分の由来)とよばれた蜂須賀小六も阿波の大名となる。 (出鱈目な太閤記によって、蜂須賀は盗人の出自にされているが、本当は八と呼ばれる被差別部落民で、秀吉も同じ。織田家は元々八の民族の頭のような家で、信長の武将の多くは、八の平氏の出。家康は八ではなく、四つの源氏の出。) 傭兵が武力でクーデターを起こし主権を奪ったのである。関白の一条兼良は足利末期の藤原系で仏派ゆえ、寺を荒らす彼らを悪党と呼んでいる。 (八の民族は藤原氏に討伐される前は八の王国を築いていたようで、藤原氏には積年の怨みがあり、先祖の怨みを想うことから、先祖に侘びる、寂びる、の「わびさび」が生まれた。千利休で有名な宗易は、先住民の出で、八であった。 狭い茶室に集まって、藤原氏に反旗をいつ翻すかを吟味したのが、わびさび茶の由来。本来は芸術とは無関係。要するに密会である。だから秀吉は藤原氏の黒茶碗を嫌い、金の茶室を創った。信長は八の出だけを茶室に呼んだのである。) さて、藤原王朝は天孫民族なりというが、どうもこれは妄説である。藤原基経に廃帝にされた陽成さまの一族一門が山へ逃げ込み、木地師となって「山がつ(山賊)」になりたまいし事実もあるが、高貴の出で良(民族)であると証明したくて、自分らを放逐した藤の姓を勿体ぶって付けている。それゆえ、その姓を本物と思われてしまい誤られている。 (山に逃げ込んだ海洋民族起源の原住民が天孫系で、山に逃げ込んだ他の民族が藤原をつけたのと混同している。) 日本には正しい歴史なんかないのだからと、他国のごとき歴史学博士の称号は不可と明治十八年の博士号設定の時リース(伊藤に呼ばれたドイツの御用歴史学者)に言われたごとく、恰好よく美化されているだけで、何も判っていない。 (巷に流れて定説となっている日本史のほとんどは出鱈目な滑稽本や講釈本を原点とするものらしい。だからいまでいう漫画やアニメの世界。戦国時代の合戦の描き方なども、ほとんど出鱈目。 イエズス会宣教師の記録にも、馬は移動手段のみで、馬上戦闘はしないとある。重たい甲冑をつけて馬上で戦闘などスタミナがもたず大変である。武田の騎馬隊は、騎馬民族系の源氏の武田が、騎馬隊という意味に伝わったのだろう。) 部落とは騎馬民族が日本列島へ渡来時に古代海人族を収容し、藤原時代には良でない人口九割の賎の民をとじこめ、反仏派の北条期には、源氏の「四つ」をはじめ、赤系でない者を追い込んでできだ。 足利幕府になると今度は逆で、赤系の祇の「八つ」も反体制の南朝方と、橋のない川へ入れられたのが実体で、喜田博士は日本部落史研究の第一人者とされているが、全然何もご存じない。まだ曖昧模糊の喜田史観の間違いだらけよりも、明石書店刊行の高柳金芳の「江戸時代被差別分層の生活史」の方が正確である。 そこから逆にさかのぼってゆけば、一対九ぐらいの割合だった征服者と被征服者の悲劇。つまり吾々の先祖の虐げられてきた真相が判り得るといえる。 「良い事を言われると、人は悪い気がしない」という人情の機微を巧く利用して、なんでも美化してしまい、敗戦民族を「国津神」などとしてしまうからして、それを文字通りで読まされては、喜田先生でもわけが判らなくなる。仕方がないというか、まぁ当たり前みたいになっている。 さて拝火宗で「祇」とよばれる「八」は、西南渡来系の日本原住民だし、「四つ」は騎馬民族で東北沿海州から日本海を親潮で流されてきた北方民族であるが、治安維持のため徳川時代には施政方針を「四つ」と「八つ」を交互にくりこんで、互いに牽制しあわせて被差別した。 藤でナイ民族とは十世紀流入の契丹系をさす。契丹は唐を滅ぼしてとってかわった国ゆえ、大陸系でも御所からは賎民視されていたのである。 だが、太平洋側に黒潮で這い上がった「八つ」は八つの母音を用いて話す原住民で、農耕漁業製塩をしたから食用課役奴隷にされた。が、「四つ」は沿海州北鮮系で遊牧民族ゆえ、討伐されて捕えられ、飼戸(しこ)(馬の世話役)にされる。 石岡の部落にしても、夷岡(えぶおか)とよばれショウモン(江戸幕末に原住民の怨みとして「平将門記」で宣伝される)と蔑まれ、区別されていたというが、契丹系で、天慶の乱の時の(反乱)者らを押し込めた限定地である。 だが「エの(姓の)民」つまり江戸の以北はみな部落ゆえ、一緒くたにされて被差別され、少しでも反抗すれば徹底的にこらしめて、オカミの言いなりになる奴隷人民に仕立ててしまった。 (家康が、日光東照宮を、江戸の以北につくれと遺言で命じたのは、自分がエの民の王であると祀るため。つまり、被差別民の怨念を鎮めるためである。仏教徒は風水を持ち出して、日光が江戸から鬼門の方角と後付けしているが、それなら、東北のどこでもよく、なぜ日光なのかの答えになっていない。 仏教徒のいい加減さ、不勉強さに驚かされる。上の言うことを鵜呑みにしているから、地獄を天国といわれて、地獄に堕ちるだけである。宗教は神=真実を信仰するもので、人を信仰するものでない。) だから藤原王朝の鉄武器による権力はえらいものであった。「その筋のお達しにより喫煙は」と今も映画館にでている。消防とか警察といった危険を伴う仕事は、「千金の子は盗賊に死せず」とか「良い人は兵にならぬ」といった唐の教え通りに、藤原氏が日本へ来ても農耕をしない飼戸奴隷(主に騎馬民族の源氏)に施行した。 なお足利時代に散所奉行が旧南朝の子孫を部落の散所民にしたのが知られていないから、私の「特殊部落発生史」に順に詳しく書いておいた。 (明治維新は、メーソンら外国資本勢力が、この部落民を利用して、江戸幕府を討幕させ、傀儡長州政権をつくるために行われた。だから、薩摩を筆頭に藩から寝返った人物と長州の部落民が漢人の華族になった。 唐を源流とする北朝の仏教政権の孝明帝が殺され、部落出の南朝とされた明治帝が君臨するが、メーソンのガーター騎士に統合される。北朝が打倒され、明治帝になって大陸との交流が断ち切られ、西洋の駒になった。) 千の宗易こと俗に言う利休の自決後、その木像を八付にかけた後、その一味のササラ衆を部落に追い込んだのが茶せん部落で、華やかな茶の湯とは裏はら。 また、昔はハングリースポーツ興行だった角力は「オドマ勧進」の勧進元で取り締まっては八百長で儲けていた。 (信長の織田家は、父信秀の代に、興行を主催して儲けたそうである。) 儲けるといえば、一番新しい宗派では、既存の旦那などいないからして、一向宗は部落に目をつけた。悪人でも念仏を唱えれば善人に生まれ変わる。部落民でも信心すれば常人に生まれてくるのだと、真言宗の本願侍説教僧が信徒にして廻ったので、寺人別の数は増えた。 (信長や秀吉の経済は、仏教徒だけの占有だった商売を、仏教徒から取り上げて、部落民にも広げ、経済圏を拡大したことにある。そして海外貿易にも投資した。有名な楽市楽座である。同じように一向宗も信者を部落に拡げたので、信長と衝突することになった。) だが、部落民の殆どはあくまで反仏であった。僧へ絶対に近寄らなかった原住民の全体は、この百倍以上が実際はいた。今でも旧部落に金ピカの立派な仏壇があるのは、一向宗が利鞘をとって売りつけていた名残りである。 さて、大正八年秋に25銭にて出された一号は、最後の六頁が発禁となったと喜田先生は最後だけ削除し、奥付を大正九年一月一日にし、四倍に値上げ刊行し、第六版から十二版まで世に送り出したのは、金集めのための作為なのかとも感じられる。 なにしろ、喜田貞吉博士は、その大正八年には南北朝両統問題でリース直系の三上三次らに睨まれ国定教科書編集官を追われ、やむなく自費で「民族と歴史」の第一号を出した時の事だから、どうも資金ぐりで、発禁も値上げ操作のために、オカミに発禁にしてもらった裏取引とも考えられる。 日本では歴史屋は真実追求よりも、どうも歴史を食いものにし、儲けたがる傾向があるみたいゆえでである。 (とくに反仏の信長の墓などの観光で儲けようとする不逞な輩が絶えない。地獄行きだから安心なされ。) 部落問題は関西では捕虜奴隷として連行された末裔ゆえ、被差別は地域的だった。全国的に「解放」の美名で広められたのは、神武陵の守戸の子孫の丑松が教壇で告白する島崎藤村の「破戒」と、この「民族と歴史」が、まったく何も知らぬ人々にまで、部落について初めて知らされる結果となり、一般庶民が驚き仰天した。その結果の名残りが、住井すゑの「橋のない川」である。 (河内=川の内など地域で差別されたらしい。京都人がいまでもプライドが高く、大阪を見下すのは、この差別意識からくるようである。) せっかく親や祖父母も絶対に口にしないことを自分らもその出身者なのを本で知らされ、そこでまだ残っている部落に対し本当の事は何も知らず、子供などは苛める対象にまでしてのけた。 「天は人の上に人を作らず」といわれるが、日本では「人の下に人」を作ってきたのである。 (いまもそう。ジミンや官僚でなければ人でなしというアホバカ政治家や官僚が多い。) 「天の古代史研究」[八切史の著作]さえ読めば、まったく事実はあべこべで、渡来した鉄剣を用いる民族が、それまでの先住縄文日本人を征服して奴隷にし差別した歴史が、日本の弥生時代だとよく判る。 が売れて広まってしまったこれらの本のため、大正14年12月13日の世良田事件となった。上州新田世良田の庄徳川に残っていた23戸の部落へ、近在の3800人が押し寄せ、村田銃をうちかけ火をつけて乱入し、片っ端から打ち毀しにかかり殺傷沙汰を起こし徳川の部落は大騒動となった。 (家康の出生地で、この上州の地に、日光東照宮を建てたのも、四の民族を犠牲にして天下をとった家康の、せめてもの罪滅ぼしであるかもしれない。) というのは世良田二郎三郎の出生地で徳川の地名をとった徳川家康さまの由緒ある地とされ、縁切り寺があり崇拝されていた土地。特殊部落とはいえ長吏岩佐満次郎は、新田義貞の後裔として、「新田男爵」としてロンドンへ行っていた。 だが、当時、「華族は皇室の藩屏にして」という世の中ゆえ華族会長となった徳川公爵は青山堂より、「徳川家康は松平元康の改名せしものなり」という故山岡荘八が種本にした一冊を桐箱入りで配布した。「松平記」として日本シェル出版4800円。 そこで、周辺近郊の者らが、世良田の徳川にはこれまで冥加米を散々とられていた三百年の恨みがあると押しかけたが、地元の群馬警察でも宮内庁からのお達しで掠奪暴行を初めは見てみぬふりをした。 (徳川が華族になりたいために、徳川は松平の改名と嘘を発表したために、徳川村の面目が丸潰れになった。徳川家は、故郷を捨て、原住民系を捨てたことになる。) そこで鬼石や近在の部落から応援が五千人も集まってきて逆包囲し、乱暴する百姓を追い払った。これがもとで全国水平社の結成となったのである。なにしろ民友社の徳富蘇峯のところで出版された「史疑 徳川家康」は華族会で買上げ絶版とされていたが、筆写で広まっていた。まだ部落に残っている連中も、後に政治圧力団体になるくらいの勢力をもって対抗していたからである。 しかし当時の学士会は華族の下に入っていたし、各歴史屋は、それぞれ華族さまのお出入りだったため、渡辺世祐博士も月々のお手当を貰っているゆえ、野盗ではなく由緒正しき家柄と「蜂須賀小六」なる伝記本もだした。 明治の贋系図作りは彼らで、みな金を貰って義理を立て、「家康は部落出身」とする村岡の本より五年後の出版なのに、遡った奥付年月にした「松平記」を確定史料に、資金を援助されていたゆえ、東大史学会は確定一級史料に認定してしまった。 (華族とは、古代中国の漢人のことであるが、歴史的にいえば、明治の華族は皆中国人になったことになる。) なにしろ、明治史学会の人々は皆口を揃えて、「明治史学は南朝方の顕彰にある」と称したが、長慶天皇を明白にした事と楠木正成の銅像をたてたくらいで、足利時代にできた散所奉行によって足利創業の叛徒として特殊部落へ収容された南朝の末孫は、その侭で解明できずだった。特殊部落に脇屋・湯浅・新田の地名が多い。 (英国のアーネストサトウが特殊部落を調べたという話がある。英国は民族闘争の歴史をもつが、民族闘争を飯の種にする習性をもつのかもしれない。明治政府という傀儡政権をつくり、清帝やロシア帝を滅ぼすのはその後の表の歴史である。) さて(部落史について)明治までに刊行されたのは足利時代の「夷朗詠集」からはじまって「傀儡記」、遊行衆説教師達の「鉢屋由来記」から「賎者考」「見た京物語」「京四条極楽院空也堂文書」「菅茶山備後史料」「塩尻百巻」で、そして明治以降となると「日本奴隷史」に私の「野史辞典」「庶民日本史辞典」、菊池山哉の「賎とされし先住民族‥‥日本部落史料」「長吏部落→日本の特殊部落」だけが主なものらしい。 しかし、国定教科書編集委員だった喜田貞吉だけが学会では評価され、部落者の著としては二十歳前後の若さで柳瀬勁介が書き残した「特殊部落一千年史」や「エタ及び非人・社会外の人」があるが、明治時代まで口伝えで残っていたユーカラ(アイヌの「叙事詩」)の殆どを、アイヌに書かせ、その中で皇道史観に合致するものだけを己が名で発表し、アイヌ研究の権威となった金田一京助に対し、アイヌの遺産を返すよう、その伜の金田一春彦に何度も求めたのが、新泉社よりユーカラの残りを訳し、三部作を出しているポン・フチである。 (インチキ学者が世に罷り通っている) はじめ東大出の教授の肩書きの喜田を信用し、研究を発表してやると甘言でそそのかされ、三脚カメラを担ぎ日本全国の特殊部落研究をした菊池山哉は、いくら草稿や写真を送っても自分の名は全く出してくれぬからと、東京史談会を作ったのである。 さて「日本部落史料」の中に掲出してあるが、昔の荒川三河島は、川の中州の特殊部落地で、戦国時代の村山七党の流れを汲む武蔵党がいた。小田原征伐後関東に領地替えになると江戸城に入り、徳川家康は彼らを新規にみな召し抱えた。これが島をとって「三河譜代」となる。 それゆえ、<野史辞典>に、三河出身の旗本は二名とある。 今は一向一揆とされているが、三河人は他所者の世良田の二郎三郎こと家康を入れまいと国中で迎え討ち、駿河や三重、浜松や渥美らの家康軍と戦った時、この時裏切って味方したのは、この二人で恩賞の為である。他の三河人は商人になったから、「三河屋いなりに犬のくそ」とまでいわれる。 岡崎城も御三家どころか、僅か五万石の水野の城。渥美半島出の大久保彦左が書いたものとは思えぬ「三河物語」や、贋系図作りの沢田源内の「後三河風土記」が広まったのも、三河旗本が生国の尾張三河つながりの系図を皆に作らせるのが流行したのに合わされた。だから今も誤られている。 (家康は三河出身ではなく、家来も三河出は少ない。三河出の松平元康を殺し、成り代わったので、三河出と間違われている。上州徳川村で生まれ、駿府で育った。信康と、築山を殺し、今川を滅ぼしてから、駿府=浜松城にとどまり、三河にはあまり足を入れなかった。 しかし、三河衆が、家康の元康殺しを知って、離反し、武田信玄を勧誘したのが、有名な三方ケ原の戦いである。 だから、信玄には天下統一の野心などなく、というのも天下統一とは、部落民の被差別撤廃運動だから、仏教徒の信玄には関心が皆無で、京など目指していないし、織田家とも関係は良好で、その証拠に信長は援軍ともいえないばかりの兵しか出していない。 だから、信玄は三河衆に適当に呼応して武田軍を三河に出したが、家康を懲らしめたら、甲斐に引き上げた。信玄病没説などは徳川幕府が書いたインチキ歴史による後付けである。だから、有名な家康の自画像も怪しい。 なお、このとき、信長は桶狭間の証人だった平手汎秀を戦場に送り、討死させ、見殺しにしている。家康も、桶狭間の証人を討死させているそうで、家康が桶狭間の件は口外しないので、三河衆離反の援軍を信長に頼んだと考えられる。 織田家と武田家との関係は良好なので、信長と信玄との間に裏取引があったとも考えられる。桶狭間には信玄も絡んでいたのかもしれない。今川義元が征夷大将軍になると、武田家も義元の下になるからである。) さて部落出身者は立身すると同じ出の者を忌み嫌う。 旗本になった連中は、後から採用された三十人扶持程度の奉行所同心や材木座火盗同心の連中を「不浄役人め」とか、「溝さらえ」と、はっきり差別した。この名残りか現代でも特殊部落出身の大製菓や大製陶会社では、興信所を使い部落出身者の就職を差別し不採用にする風習につながった。 明治新政府が徳川家へ、「汝その祖宗の地へ戻るべし」と、駿河七十万石へ移封したのは、家康が徳川村の出だが浜松の七変化部落に売られてきて育ったのを、薩長では知っていたからである。 そこで勝海舟ら旧幕臣が、「人の一生は重き荷を背負いて‥‥」といった家康遺訓を作っては各社寺へ奉納し、家康神話を作り上げ、徳川家達を公爵にし華族会長にまでした。 (勝海舟の歴史書き換えは巧妙で、私も八切史観を知るまで、騙されていた。天海が蘆名家の出というのも海舟の創作のようで、天海は光秀の子の光慶で、家光は、光慶と、本能寺の変の実行者の斎藤利三の娘の福との子であるそうだ。 信長は、家康が元康の替え玉だと見抜き、武田家を滅ぼし、穴山梅雪に継がせた後で、家康を殺し、光秀に徳川の領地の三河、駿府を与えるつもりだった。家康は事前に知って、徳川家が政権を取ったら譲る条件で、利三に寝返らせ、本能寺の変を起こした黒幕である。秀吉も変前に情報を知って、毛利と早期に和睦し、中国から引き返した。) 海舟ら旧幕臣の創作を、尾張徳川家で、旧幕臣松田の贋作と暴露。尾張は宗春の時に、松平蔵人元康と権現さまは別人で、両者が戦った古戦場が、石が瀬その他に現存すると、章善院目録の中に発表していた。 宗春は素行不良とされ閉門後殺され、[尾張徳川家の?]家康の血統は断絶。その後は、徳川吉宗の孫の田安や一橋から交互に、尾張藩主に入っていたのへの怨みであろう。 日本人の九割を占める庶民とは、江戸期亨保時代に部落をば脱出し、寺人別を銀や銭で購入した「八つ」の者や、「四つ」の連中なのに、最後まで残ったのを部落者扱いで非人にして、事実上の非人と誤る。破戒僧とか心中し損ないを非人の数とし、生涯奴隷として、着のみ着た侭で、政府に払い下げた。ボロを着て引き廻しの罪人の姿を映画でも見ての連想らしい。 非人の人口が増加というが、明治四年の壬申戸籍に申告したのは本願寺派に帰依した者だけで、無申告の方が遥かに多くて百倍もいた。 明治革命には、ヤジの「八」やウマの「四つ」を動員したものの、あまりに日本原住民の部落民が多く、「棄民政策」と称して北海道樺太やフィリピンやブラジルへ送り出して口減らしをした。「サンダカン八番館」とか女不足のアメリカの「ガールハウス」へ次々と島原娘が身売りしていた。 が、まだ思いのほかに原住民が多いのがわかり狼狽。治安維持のため男は島流しみたいに労働者としてベンゲネットやボルネオ移民。女は性業婦とし輸出して外貨を稼がせ国益とした政策である。 (天皇家の三菱商船で金儲けというわけである。日本女性が腰が軽く人気なのは、この明治政府の棄民政策にある。従軍慰安婦の原点でもある。官軍でなければ賊軍で非人扱いなんである。帝国海軍でも水兵は差別され、便所もなかったという。) 国内で虐殺する代りに「生かして使え国のため」と居てもらいたくない原住民の追い出し策だった。 江戸時代は、いまのように大蔵省が国民皆税で片っ端から搾りとるような時代ではなかったから、戸籍は坊さんの私有財産を守る為の寺人別帳が主であり、町人別帳は銭さえ包めばすぐにも認めたから、紀州湯浅の居附地で、死なせてもよい奴隷水夫とし荒天の海へ出す蜜柑船にのせられた文左衛門らだけが沈没しなかったため、船底に繋がれていた者共は命拾い。 漂着した相州の浜で蜜柑を売り江戸へ出ると、同じ山者ゆえ各地の材木を後払いで集めたのが大火して大儲け。銭を出し町人別や寺人別も購い、ついでに限定収容で残っている湯浅の者もみな呼び寄せたから、「東京都江東区史」には、「別所文左エ門」の名前で、はっきり今も残っているのである。紀国屋文左衛門の事である。 こうした複合民族の分類がまったく判らずじまいで、七世紀の良賎混合の大宝律令の侭で解明しようとするから全く学校歴史は、「本当の事を言えば身も蓋もない」こととなってしまう。 政府御用達の歴史家は、崇神王朝系騎馬民族の「四つ」とよばれるのと、黒潮渡来の古代海人族の「八つ」との区別もできずに、十世紀に夥しく日本海を渡ってきた唐を滅ぼして取って代わった契丹系が「唐ない」ゆえに「十ない」であろうと、指が八本との妄説まで立てる。 江戸時代の戯作者でさえも、「とうない」を「和藤内」という人物に仕立てあげ、国姓爺合戦で、清に滅ぼされた明の彼(和藤内)が台湾を基地に本国へ挑戦する話を書いているのに、喜田貞吉らは気づかず、「特殊部落とは社会の落伍者と三韓征伐の時の捕虜」としてしまう。 三韓征伐はまったく逆で、馬韓弁韓辰韓が日本列島を三分したコロニー(植民地)の時代のことで、特殊部落は西暦663年に世変わりした時に、仏教の宣教師坊主を真っ先に送り込み徹底的に教化しようとしたのに、あくまで抵抗した連中が又しても収容されたのがゲットーの居附部落と知らぬらしい。 続いて藤原王朝が中華の風俗に馴染もうとせぬ日本原住民の、降参し奴隷にならぬ徒輩を橋のない川へ追いたて貝を食わせ、尽きると自滅させたと、日本後紀や続日本紀に記録されている。 「八つ」はマレーシア語の黒潮渡来族ゆえ農耕漁業製塩をなし、食料増産奴隷とされ、東海地方三河の額田の王(きみ)に率いられ、中大兄の韓国系に食料確保の政策上から子を生まされたり、大海人皇子には政略結婚で妃にされたが、終りには岡山のゲットーへ収容され、奴可郡の地名を今も残す。 「四つ」は崇神御孫景行帝が「八つ」の八坂姫に生ませた日本武尊の死から、共に反体制視される。 八つ四つの民族は韓国勢力や大陸勢力に追われて山がつ餌取りと差別とされ、特殊部落民とされてゆく。 恐れ多くも陽成帝でさえ藤原基経に追われ山へ逃げて木地師とならせたまう。が、11世紀は青眼の賊船が次々と来襲し、山から原住民を人間狩りしてきて出征させたが、戻ってから叛かぬよう片刃の刀をもたせた。 一を唐語で「イ」と呼ぶから「刀(一=イ=伊)の乱」。この時、頼光四天王として坂田金時らも現れるが、唐語のブシン(不信)から出たのが武士ゆえ、従五位止りで昇殿は不許。 (刀伊の乱と呼ばれるらしい。) ようやく文治革命で夷津[伊豆]の夷頭[伊東]の北条政子の世になると京を征伐し、尊い方を隠岐や土佐へ流罪にし、御所への目付に六波羅探題をおくが、世変わりして足利期になると新しく散所奉行ができ、北条氏の残党と共に、足利創業時に邪魔した南朝方の子孫をも特殊部落にしたから地名にも残る。 「天の古代史」「庶民日本史辞典」「野史辞典」の三冊をぜひとも順に読んで散所を産所と誤らぬ為にも真相を把握してほしい。 また、イザナギ・イザナミの二神が天の浮橋で互いにみそめられたまいの、「エな男」「エな女」と呼び合われた故事から、エ民の多い処をエ多と呼ぶ語源にもなった。 また、騎馬民族の蘇我の末裔が「吾こそミナモトの民」と呼ばわっていたのが、白旗の源氏である。先住民族の「セン」を「千」に換えて「千軒」と、ゲットーだった地域の押し込め居附地を呼ぶのも同じである。 俗にいう処の非人とは騎馬民族の末裔。農耕や漁業製塩をなす「塩尻」とよばれる「八つ」の民が働くのに、彼ら「四つ」の遊牧民族は違うからとの命令で藤原体制に、北方に追われキタともいう。 (余談だが、芸人のビートたけしこと北野たけしは、いかにもモンゴル系の顔をしている。対照的に、ウ姓列の杉本姓の明石家さんまは、いかにも公家系の唐人の顔である。黒を基調とした公家の衣装が似合うのは、さんまである。 とすると、「俺たちひょうきん族」の、ブラックデビルとタケちゃんマンの戦いは、公家を倒そうとする原住民の復讐を示したものといえる。源氏の血を呼び起こすから、人気があったのかも。) 「ヤジ・ウマ」と庶民をよぶのは、「八つ」と「四つ」を合せた呼称だが、山野に昔から自生の草木や土や石をきりだしたり、人や獣を扱うのが原住系の限定職種。それを加工するのが良の舶来職だった。 「除地」として大名領でも天領でも年貢なしだったのが、明治新政府が収穫物だけでなく土地を私有化し、地租課税したので、河岸や山頂を当てがわれた部落は納税のために貧窮化した。 八つの母音を使う名古屋弁のような太平洋岸から日本列島に這い上がって住み着いたのが「八つ」の民。今もイランのヤスドに祀られている天地水火を拝む祭壇があるゆえ、ヤー公とかヤジとよぶ。 (ペルシャ語は8つの母音をもつらしい。) 裏日本へベーリング寒流で入ってきたのが騎馬民族で、「四つ」とよぶゆえ、今いう白系ロシア人も入っていたので、新潟や秋田には白人の肌を今も伝える色白な美人も産出するのである。 治安維持のため江戸期になっても、夷をもって夷を制すで、「八つ」と「四つ」は交互に、互いに監視し牽制しあうように「四つ」の弾左ヱ門家の下に、「八つ」の車善七。その下に四谷者、又その下が谷津もの。とされていたのを、例の「ヤジキタ」もの(東海道中膝栗毛)で、共に仲良くしあって、世直しをと煽動された。 その結果、幕末からはポルノでもない東海道膝栗毛の貸本に影響され、キタの騎馬系の末孫の馬方が、「八つ」の大井川の赤フン[褌]の川越人足のために「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と白フン[褌]を振りつつ、向こうでは酒手をはずむようにと旅人に馬子唄ですすめもしたものである。 伊勢神宮を北条政子と思い込んでいた大衆へ、お札ふりの「ええじゃないか」の騒ぎといい、部落から脱出してきたものの裸一貫で馬方や車力人足をしていたのを、一つに結びつけさせての大衆動員の策は討幕の大動力となった。 頭が良い人が昔もいたものであると感心させられる。 ----己が家系のルーツ調べに学校歴史では納得できず、あれこれ本を読まれる人が多い。人情として美化したがるのなら別だが、もし真実をと想うなら道標は八切史観だけだろう。 ★ ★ ★ 薩長討幕運動の背後にメーソンの外国資本があったのは陰謀論では有名な話である。八切史観により陰謀史も明らかになる。
2016年01月15日
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男尊女卑といわれてきた日本社会だが、それは日本史の真相を知らない表面的な枕詞で、家庭に嫁姑問題が起こるように、女性の権力争いほど熾烈なものはなく、昨今の巷の騒動も、女の戦いのようである。 八切氏の姓の話を紹介してきたが、姓の法則が特に顕著なのは、八切氏がこの法則を発見したように、戦国時代で、信長、秀吉、家康と三代にわたって政権交代する裏に、原住民系独特の女性上位の観念から、女性の戦いが背後にあり、政権交代の重要な役割を担っていたことがわかる。 信長から秀吉へは、妾腹の非嫡男信忠を筆頭とする尾張派と、奇蝶を筆頭とする美濃派の争いから、信忠への政権移行に対する美濃派の反発が本能寺の変につながった。 秀吉から家康へは有名で、非嫡男秀頼を筆頭とする文治派と、北の政所を筆頭とする豊臣武断派の争いを家康に利用され、関ヶ原の戦いにつながった。 徳川政権では、三代将軍を選ぶ際に、嫡男国松を推す江と、非嫡男竹千代=後の家光を推す春日局福の対立となったが、家康が本能寺の変で斎藤家に借りがあるので、家光に将軍を譲れと秀忠に申し送り、天海(光秀の子の光慶)と福の子の家光が三代将軍となった。 ちなみに「竹千代」という幼名は、竹(タケ)が原住民特有の名で、チヨは、名古屋弁の「○○ちょ~」になっているが、原住民のなかでは、女が男を呼ぶときに使われた言葉らしい。秀吉の父も竹阿弥という名で、阿弥は仏教に改宗して与えられた職という意味らしいから、原住民出である。 だから、竹取物語などは、原住民を人身売買した話とも考えられる。かぐや姫は、神楽(かぐら)姫ともとれ、巫女や人身御供の意味もあり、昇天して月に帰るのは、黄泉の冥界に帰るという話にもなる。原住民のなかから霊能者が生まれ、時の政権は求婚を願うが拒否され、霊界に帰ったという話になる。 さて、巷の騒動も、戦国時代と照らし合わせて考えると面白い。 というわけで、姓の話のまとめとして、八切史観をまとめた話を紹介する。 ★ ★ ★ 「日本古代史入門」八切止夫 http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-30.html 1983年の書である。この書及び、著者の存在は、太田龍氏の書を通して知った。 ウィキペディアによると、本名は矢留節夫(やどめ せつお)、1914年~1987年、歴史小説家。太平洋戦争後、親交のあった関東軍将校と共に自決を図ったが、相手の将校が怯んだために未遂に終わった経験から、「腹切(=ハラ(チ)キリ)を止めた男(=止夫)」という意味で「八切止夫」の筆名となったとのことである。 みずから、日本シェル出版という出版社を設立し、歴史学の常識に大胆な疑問符を投げかける歴史書を数多く出版した。井沢元彦は「鉄砲の使用には硝石の輸入が不可欠である」と始めに主張したのは八切止夫だと述べている。作家であることや奇抜な歴史観の持ち主であることから学界から不当な評価を受けた可能性も否定できない。とのことである。 (陰謀論と同じように、ほとんど無視されている。) どうやら、太田龍氏と同様に、自己の信念に基づき、万難を排して、「嘘八百のこの世界」に『真実の光』を灯した人のようである。私(上述のリンク先のホームページ管理者)の気性に相通ずるところがあり、実に魅力的に感じる。 以下、一部引用(改変)。 * * * なにしろ西暦663年(悪魔の数666の3年前)に郭務悰が進駐してきて、藤原鎌足と日本名になり唐の大宝律令をそのまま輸入したのは「天の古代史研究」に詳しく書いたが、天孫と称した郭(カク)さんの方は良民で、それまでの縄文日本人の原住民は皆賎民にされた。 二大別とされた賎民とは太平洋沿岸に漂着した八の者たちと、次に裏日本から親潮寒流で能登や新潟へ入ってきたのが、獣の四つ足にちなんで、四つとよばれる者たちである。 源平藤橘と四大別するが、藤は唐でカクさんの一万二千のグループ。橘は、その唐を中国大陸で滅ぼし取って代わった契丹系ゆえ、大陸人でもトウでナイゆえ、豪くみられず被差別とされる。 被差別民は天神信仰だが、源は元ゆえ白山さま信仰で白装飾。平(ぺー)は今のペルシアと同じで赤旗をふり祇園、八坂信仰で、宮島も紅殻の赤塗りである。 藤は黒染の衣をきた坊主が宣教師で先にきたので、「黒住教」という名も残っていて、藤は唐で黒色。 しかし四つの姓別は、少なくとも四種以上の複合民族を意味するが、勝てば官軍・負ければ賊で賎民扱いされ、黒の他は、次々と体制の変わるたびに限定居付部落へと追いこまれた。 郭将軍に滅ぼされたものの、ナラ(国という意味)王朝と栄え桓武帝より良民となったクダラ系は黄色である。 しかしエタ非人と一つにして分類し、エツタ島などという名で海軍にそっくり召し上げられると、「江田島」と恰好良い姓になるのは、そうしたゲットーへと次々と敗戦捕虜が入れられ、混同している為だが、四大別ではなく、太古の列記とした日本人はエケセテネのエ姓列をもつ「雑色(4色以外)」の人々のことである。 「皮剝ぎも皮細工も四つと呼ばれる騎馬民族。判りやすく言えば白筋の馬方は源氏だが、駕かき川越人足や雲助は平家で八つとよぶ赤筋の拝火宗徒。トウナイは唐無いで契丹系の部落民」と、はっきり種族別が分けられる。 喜田貞吉(政府御用達歴史家)は他国の捕虜とか社会の落伍者ときめつけるが、藤原王朝時代に征伐された日本列島原住民。足利時代は散所奉行が新設されて、南朝に味方した者らの反体制子孫を収容とある。これらは「庶民日本史辞典」、「野史辞典」、「日本部落史料」などで明白にした。 (足利は大陸の明の傀儡政権。) 新興の元が高麗水軍を先頭に攻めこんできて台風で悉く沈んだにしても、損害は高麗や新羅の捕虜兵だけなので、改めて来攻してくるというのは眼にみえていた。 それゆえ時の執権北条時宗は、元が又も懲りずに攻めてくるというのは、北条開祖の政子さまが、散々に源氏を戦わせて平定すると、もはや馬のりは無用の長物と使い捨てに殺したり、双方で戦わせたことへの仕返しに、意地になって失地回復に攻めてくるのだから、もしもの用心に、すべて証拠の書類は燃やすべしとして、間注文書から、大江広元に書かせた改訂第五次日本書紀までも、まさか次の弘安四年の来攻の10万の元兵も、台風で又しても海の藻屑になってしまうとは、神ならぬ身の知るよしもなく、万全を期して片っ端から文字にでている物はみな集め、ことごとく焼き払って灰にしてしまった。「時宗焚書」というのがこれである。 (元の方でも高麗や新羅の捕虜兵の始末に困って、日本攻めを強行したのかもしれない。明治政府の棄民政策と同じである。秀吉の唐討ち入りもこれとよく似ている。暴君は、反体制分子を戦場に送って殺す。戦争を起こすような奴は阿呆馬鹿である。このときは、いまの朝鮮のように、政権が2つに分離した状態。) 学校の歴史では、元寇の実際も明白にしていないが、今もハバロフスク民族館の正面入り口の扉の上には、沿海州人の民族章として大きな円形の笹りんどうの紋章がリリーフで掲げられている。つまりは元は、日本では源であって、同じ民族なのである。 (笹りんどうの紋章は、古代イスラエルのガド族の「3つの天幕の」紋章とも似ているという説がある。) (浅草寺にあるもの) 明治時代の内田弥八の「義経再興記」、つづいて小谷部圭一郎の「ジンギスカン義経説」などは、裏日本から入ってきた源氏ゆえ、源氏の風俗や言語が、沿海州人の元の民族と同じなのから連想されたもので、同じ民族を起源とすることが判らなくては、元寇の意味も判らぬし、ジンギスカン義経説の由来も、ただ奇をてらうものとしか想われないかも知れぬ。 がバイカル号でハバロフスクへ立ちよった者なら、源氏の笹りんどうの紋や、パンダが笹を嚙っているマークもみている筈である。 さて幽閉された儘の後西さま(現代の日本書記の原型を書いた人物)は、おおいに立腹され、灯油は僅かゆえ夜明けより日没まで、「京こそ体制側であり、江戸は反体制である」と反対立証なさるため、宮中に散返していた勧学院派の日本書紀の断片を集めてこさせて、改めて、なす事もないから巻子本50巻に纏められた。 (徳川政権の朝廷工作で、失脚させられた後西帝は、唐由来の傀儡藤原政権こそが日本の体制と思いこんでいた。) つまり後西さまは、江戸が朝廷にすり変ってしまった事への憤りから、自分らの方こそ正しいのだと、せっせと口惜しさに書きあげられたのが、今も残る東山文庫所蔵本の成立である。 (徳川が姻戚関係から公武合体で朝廷を傀儡とした。朝廷も負けじと御三家から外された水戸藩を取り込みにかかる。いまでは御三家は、尾張、紀州、水戸となっているが、本当は、江戸本家、尾張、紀州である。水戸は将軍後見役) ・・・・・(中略)・・・・・ つまり今伝わっている日本書紀は、西暦720年のものではなく、江戸時代の五代綱吉の頃の、恐れ多くも後西さまの徳川家に対しての怨みつらみで、よせ集めて書かれた、悲しみのもので、「大正三年刊の国史大系の日本書紀」は、やはり江戸時代の松下見林や伴信友の書いたものから作り直した黒板(仏教徒認定という意味か?)のものなのだが、その後の第九次日本書紀は、後西さまのものなのである。 「庶民日本史歴史辞典」では、「オケラ」の部に載せてある。野村直弘先生に御指摘をうけたが、オケラは虫ではなく漢方辞典では薬草のことで、というのは、日本原住民がレジスタンスをした際に、日本へきた七世紀の大陸人は、「根の国へ行かしてやる」と原住民を生き埋めにしたために、土砂をかけて蓋をし、奴婢となった者らに足で踏みかためさせたのが、今も東北三大祭の「ネブタ」の由来である。 (ネブタの、ネは、エ姓列で、原住民に蓋「フタ」をするという意味。) 反抗し捕えた何百人もの日本原住民を一つ穴に放りこんで生き埋めにしたので、怨霊が穴から這い出してくるのではないか、と怖れ、根株が広がり、さながら地面にバリケードをはるように生い繁る「求」という草の種をもってきて植えた。 その草根に御先祖さまの霊があると、根をオケラとよんで八坂神社の神灯にし、その火を分けて貰って雑煮を作り、日本原住民は腹仇を新年ごとに誓った。しかしわざわざ中国大陸から持ちこまれた草ゆえ、漢方薬になるのかと煎じて利尿剤にもされたのが、江戸期に入ってからの「蒼求(そうじゅつ)」である。 しかし東北地方では、根蓋の根株を這い回る地虫を今でもオケラとよぶ。 「庶民日本史辞典」では、しかし東北を主にしたので根蓋の上に生い茂るオケラ草の根株を巣にする地虫が、生き埋めにされた先祖の生まれ変わりとして、踏み殺す事は絶対にしない点を採用した。 「庶民日本史辞典」で「楠木合戦注文」の項目に載せたが、「湊川合戦の楠木方配置表が今も各地に残存するのは、足利氏も楠木正成の忠勇にうたれ」といった美化した話ではなく、注文つまり要請書としての文字がある通り、これは今でいう指名手配書である。 明国経由でカースト制が入ってきて、居付き「五木」部落、つまりゲットーへと、東西散所奉行をおいて、足利尊氏創業の邪魔をした南朝方の子孫の一斉狩込みを、次々となし、散所「産所、山所、因地、別所、界化」の人外地へ捕えてきた南朝方の子孫を、今でいう橋のない川へと皆収容したのである。 (かつての南アフリカのアパルトヘイトと同じ。) 「ええじゃないか」のお札ふりを各地で工作した木梨精一郎は、上野戦争の時に千代田城にいた大村益次郎の代理として、長州人だが西郷隆盛の先遣参謀を勤めていたが、英国公使館のパークスに諒解をとりにいったのは有名だが、「将門記」を古い年号で筆写させ、次々と各藩へ届けたのは、頼三樹三郎が志半ばかにして安政の大獄で先に刑死してしまったので、その遺志を継ぎ、何百もの筆写本を、筆のたつ志士に手分けして書かせたのは、吉田松陰の遺言によるもので、門下の白井小助といわれる者であります。 (将門記とは、北条政子に使い捨てにされた源氏の残党や、藤原氏の坊主「軍隊」に討伐された日本原住民の仇討ちや救世主到来を念じた怨念の書。後世では平将門の怨念として伝わる。) ・・・・・(中略)・・・・・ 選挙と同じで、合戦もねじ廻しが充分されていて始めて、火蓋をきり、終盤戦での決戦となる。なにも上海から買いつけてきた新しい硝石火薬で東軍に勝てたんじゃない。 その前に「将門記」を何百部も筆写し、箱根以西の大名家へ、領土用、上士用と何部ずつも差し入れし、読ませた為と、「徳川家にさからって御家取潰しになったら家中一統が困る・・・といった考え方は違う。ただずっと飼い馴らされてきた犬みたいな習性にすぎん。 (その証拠に)自分から新皇と名のり勇ましく戦ったという将門伝説に目を通して頂けば、力が全てで勝ってしまったらそれで良いと、判って頂ける筈です、と次々に説いて廻ったのが効を奏して、関東以北は別にして、箱根より西では、筆写本のおかげで西軍に加担しなかった大名家はいなかったではないか。 根廻しがうまくいっていたからだ。それを吉田松陰先生に言われて完全にやりとげたのが、この白井小助なんだ。」 (明治維新も、各地で圧迫されていた被差別民の被差別撤廃運動が気運となった。明治政府になっても、長州に騙されたと嘆いた各藩が反乱を企てる。 特に西郷は、薩摩を原住民の独立国とし、新しい帝をたてるために大陸や朝鮮に人選に行こうとするが、明治政府に邪魔され、殺される。西郷は、その前に、明治帝に長州らの洋行組を切ることを直談判するが、明治帝は伊藤らを切れなかった。 大村暗殺は西郷の命令らしい。明治政府になっても薩長の間で権力闘争が続き、大久保が長州側に寝返ったので、西郷は下野し、薩摩側の勢力結集を図るが、大久保に先手を討たれる。大久保は伊藤ら長州に使われ殺される。) (以下は、八切氏との対談の話) ~~~そうすると、藤原家の政権が確立されてから1300年ぐらいになりますか。この1300年間の日本の権力構造というのは、唐の占領軍ですね、大体多くみて二万人ぐらいですか・・・ ~~~~兵隊は合計で四千人ですが軍人軍属が倍の約八千人それにくっついてきた一旗組がいっぱいいるわけです。だから武力で御所を押さえてしまい危なくなると、百済系の天皇をもってきたり、これは吉川弘文館から出てた「和気清麿」をみてもよく判るけれど、この桓武天皇の皇后から、御所全部の監督する女官までがみな百済人です。ずっと代々にわたって80年程は続く。 郭務悰の率いる先発軍は白村江大勝の翌年五月に御所に入ってる。それで則天字使用命令、後に漢字といわれる唐の文字のことです。つまり唐の字と書くと、非常に当たりさわりがあるから、さかのぼって漢字といいます。 そして縄文時代が弥生時代に変わるんです。要するに石の斧と貝ガラの刃物しかもってない日本原住民が鉄製の鉾とか青竜刀でアッサリやられちゃったからです。それで、それ以降、鉄文化になるんです。 壬申の乱の年前の大化の改新前後から、みな仏教に帰依したのは「不可思議な国ジャポネ」に火薬の原料の硝石欲しさに、戦国大名が教義も判らずキリシタン大名になったように六世紀七世紀の豪族も、中国大陸の鉄武器欲しさに入手のため寺を建立したりして恰好づけしたものであると判る。 (いまは米国教である。だから、日本は、米国の傀儡政権国家となっている。米国の犬たちが憲法改正を唱えている矛盾に気づけばすぐにわかる。ネトウヨらでたきつけて、反体制の純日本人らを戦場に送って金儲けしたいのがあからさまで、政府の要人たちが皆渡来系であることから明らか。) (以下はホームページの管理人のコメント) 文体が少々難解であった。著者の唱える「八切史観」の根拠となるものの例示が今ひとつ不十分であったと想う・・・・・しかし、しかしである、この書に述べられていることは、旧来の「日本書紀」「古事記」を中心とした、一般の日本人が“知ってるつもり”であった日本の歴史認識を根本から覆す内容であり、おそらく、「ほぼ真実の歴史に近い」、と本能的に感じられる。 (一般の日本人は、ただ仏教徒が体制維持と、金儲けのために、都合よく出鱈目に伝承してきた日本史に洗脳されているだけである。) そのなかでも、「藤原氏の真実」には驚かされた。どうりで、学校で教えられた日本史は大化の改新以降のことばかりでそれ以前はほとんど教えられないことに疑問を感じていたが、要するに唐に支配されてからの偽りの歴史を教えられているわけで、唐に支配される前の日本原始原住民の歴史は闇に葬りさられているわけである。 「元寇の元と源氏の源が同一である」というのにも納得させられた。北条氏は平家であり、馬をもつ蘇民系の源氏を利用し、滅ぼそうとしていることに対して、「源氏と同民族である元が、もう一度、源氏の政権にするために、失地回復のために攻めてきた」というのが元寇の真相であるらしい。そして、足利氏も源氏ではなく平家だとのことだ。 また、以前にも、硝石欲しさに戦国大名がキリシタン大名になった記事は書いたが、「六世紀七世紀の豪族も、鉄武器欲しさに寺を建立した」とのことだが、日本に伝わったキリスト教=正確にはユダヤ化されたキリスト教のみならず、仏教までが、その教えが広まった理由は単純な信仰によるものではなかった、とのことなので、「仏教よ、お前もか」と、言いたくなる。 最後に、「ネブタの真実」は、あまりに恐ろしい話である。事実であるからこそ、そのへんのホラー映画の何百倍も恐ろしい。こうなってくると、私の祖先が、中国系なのか、韓国系なのか、ペルシャ系なのか、日本原始住民系なのかは不明である。 (姓の法則から、江戸時代までは、自分の民族はある程度予測はできる。) しかし、この日本で育ち、生活している以上、虐げられた日本原住民への想いが当然のごとく強い。 現代日本人は、“日本原住民の声にならない声”をしっかりと受け止め、一人でも多くの人に真相を伝えていかなければならないと思う。著者の書は、インターネットでも公開されているので、是非、一読して欲しい。 http://www.rekishi.info/library/yagiri/ * * * ★ ★ ★ 文明は変われど、人のやることは古代もいまもほとんどかわらない。
2016年01月13日
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SMAP解散よりもアホ内閣が解散してほしい巷の賑わいだが、前回から紹介してきた姓の法則を巧みに用いたのが、戦国時代の戦国大名で、近年では薩長政府を陰で操ったメーソンらイギリスの外国資本、そしてGHQからCIAとこの国の傀儡政権をつくったニセモノユダヤの米国資本家である。 アホの家系を探ると、その証拠がでてくるという話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ オマエの爺ちゃん、売国奴! http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8586.html 西日本新聞のスクープなんだが、CIAが自民党にカネを渡していた、という文書があるわけです。それを公開しようとしたら、日本の外務省から横槍が入って公開出来なかった、というんだが、面白いネタなので、誰か国会で質問して下さいw 民主党にもCIAの子飼いとか、いそうなので、ここは山本太郎に期待するしかないかw アベシンゾー相手に、「あなたのお爺さんはCIAの工作員、カネを貰って自民党を作ったんですか?」とやって欲しいw 山本太郎くらい馬鹿じゃなきゃ出来ない仕事ですw 山本太郎だから出来る仕事ですw 正面から騒げば、CIAも手を出せないw 出せないんじゃないかな? 出せないと思うw まぁ、世の中、馬鹿でないと出来ない仕事もあるw 「外務省が機密解除に反対」 CIAの自民政治家へ資金 米元諮問委員が証言 1994年10月に発覚した米中央情報局(CIA)による自民党政治家らへの資金提供に関する米機密文書について、日本の外務省が米政府に公開に強く反対する意向を伝えていたと、国務省刊行の外交史料集「合衆国の対外関係」編さんに携わったマイケル・シャラー米アリゾナ大教授(68)が西日本新聞に証言した。 当時、米メディアの報道で問題が表面化した後、自民党が否定した裏で、外務省が米側に文書が露見しないよう事実上、要請。時の政権に都合の悪い情報を、外務省が国民の目から隠そうとしてきた歴史の一端が明らかになった。 同氏によると「約10人の委員の総意は、資金提供に関する全ての文書を機密解除して収録すべきだとの意見だった」という。ところが、政府側との非公開折衝の中で▽CIAが強硬に反対▽国務省も「日本の外務省が在日米国大使館に対し、政治的立場がある関係者が生存しているなどの理由で、文書公開に強く反対すると伝えてきており、大使館も反対している」などと抵抗した-と明言。「大使館は、公開されれば日本国内にも日米関係にも問題を生じさせるとの認識で外務省と一致したとのことだった」と証言した。 自民党が、CIAのカネで作られた、アメリカに奉仕するための政党だという事実。おいらは知ってるが、知らない日本人も多い。 ★ ★ ★ 元は、岸の清和会にわたった有名なM資金のことらしい。日本史を書き換えようとするのは、連中の売国ぶりと悪行を隠すためなのかもしれない。 さて、サンカと呼ばれる原住部落民を解明せずに、日本史の真相はわからず、戦国大名が藤原体制の朝廷と対等に交渉できたのも、八と呼ばれる原住部落民の身分差別撤廃運動の御蔭である。 前回、アタマロという女傑が、藤原体制に反抗した話を紹介したが、平安京に遷都される前の日本はいまの朝鮮のように2つに、かつてのドイツのように東と西にわかれていたというわけである。東は女性上位社会、西は男性上位社会というわけである。 そして、東には騎馬民族由来の政権ができ、西は唐由来の大陸の傀儡政権ができる。大陸で遊牧モンゴル民族と定住漢民族が北と南で争うのと同じく、この国でも政権争いが起きていたというわけである。 頼朝が鎌倉に政権をつくったのは、源氏が騎馬民族の政権であることを意味するが、東では女性が強かったので、アタマロの再来と呼ばれる北条政子に、源氏政権は乗っ取られ、騎馬民族よりも原住民系の色が濃くなるに至って、源氏が淘汰されたので、大陸の同じモンゴル民族の元の来襲を受けるが、北条氏は「時宗焚書」と呼ばれる記録文書を全て焼失させることで、元との絆を断ち切り、同じ騎馬民族の介入と支配を拒んだ。 政子の北条政権は西の朝廷などはほぼ無視の状態で、東西の2つの政権が両立し、東は未開の地とされ、西は西で朝廷の権威は失墜し、南北朝にわかれ、大陸の明の支援から足利氏が勃興することになる。 鎌倉幕府滅亡への流れは江戸時代の幕末とよく似ている。南朝が幕末の長州、足利氏が幕末の薩摩と考えるとわかる。南朝の勢いが足利氏に乗り移ったことになる。江戸の幕末との違いは、足利は大陸の明の支援で、薩長はメーソンの外国勢力の支援という点。 やがて、応仁の乱から戦国時代になると、西で反仏反朝廷の機運が高まり、海洋原住民族の八と呼ばれる平氏を中心に、信長がイエズス会の後援を受けて、天下統一という身分差別撤廃を掲げ、かつてのアタマロのような革命政権をつくり、秀吉の代になると、八の民族の上層部は豊臣として朝廷と一体化し、やがて家康の代になると、かつての源氏政権が起こり、公武合体策がとられ、四つと呼ばれる騎馬民族の源氏政権が、西の八の平氏政権と一体化し、西が東に従属する形となった。 徳川幕府がやったことは強い女性を男性上位の朝廷に送り込むことで懐柔し、公武合体の女性上位社会をつくりあげることである。だから大奥に権力が集中することになる。 この東西の亀裂を利用して外国勢力が、薩長政府を傀儡とするのが、明治維新である。 姓の話は、このような日本史の裏側を炙り出すので、紹介を続ける。 ★ ★ ★ ≫山の遭難は姓で判る≪ 「吹雪の山に・・・・最大の遭難」―連休明けの朝刊には、必ずといっていいほど、山の犠牲者を報じる記事が載っています。なにしろ山と見れば谷川岳であろうが何処であろうが登らぬことには気が済まないらしい。 だが、どうして日本人はそんなに山を見ると登りたがるのか?と昔は不思議でならなかったが、「日本原住民史」を書き始めたら、その謎が解けてきたのです。 その昔、藤原氏の先祖が大陸から入ってきて、それまで日本列島にいた天の朝の残党や、騎馬民族の後裔を討伐したとき、「済んません・・・・命ばかりは」と、降参したのもいたが、中には、「ダンコ、戦オウ」と、勇ましいのは山中へ入ってしまったのです。 さて、天の朝というのは、「女なしでは夜も明けぬ・・・・・」といった人種ゆえ、ゲリラを率いて山中へ入っても、頑として女上位を守りました。そして自分は女王然として、その取り巻きの少数の男だけを別扱いし、他の者は奴隷として黙々と働かせたのです。 もちろんシャーマニズムの呪力によって、ゲリラ集団を統率し、あくまで藤原体制に対抗したのですが、この連中の風俗を、山の中に巣喰う蜂にたとえたのです。そこで彼らが山から山へ合図するノロシを「蜂火」とか、山から攻め降りてくるのを「蜂起」というのも語源が生まれたのです。 さて、あまりにも女王蜂が威張りすぎ、たえず死の恐怖にさらされた男共は、藤原氏のスパイになって仲間を裏切ったり、そっとふもとへ逃げのびたのです。が、さて藤原氏というのは彼ら山者とは違い、関白亭主と呼ばれるような男天下だったのです。そこで、かつては革命のために山中アジトに籠った原住民の連中も、「男天下のほうが暮らしよいぞ」と落ちついてしまった。 (源義経が典型例ともいえる。兄の頼朝は、政子に使い捨てにされる。) しかし、女王蜂のような女のことを思い出すと、みんな生きた心地はしないので、それぞれ、「富士山には、コノハナサクヤ姫ノミコト」とか「加賀白山には、キクリ姫ノミコト」を祀ったのです。つまり今でもオッカナイ女房のことを「ヤマの神」とか「カミさん」というのもこのためです。 しかし、江戸時代で山者の歴史は終わったが、帰巣本能は生まれた場所へ入りたがるばかりでなく、かつて先祖の住んでいた所へも行きたがるもので、今でも多い日本原住系の末裔たるや、「山とは、わが故郷」とばかり、てんで用心や警戒もせず、いと心やすく軽装で登ってゆき遭難するのです。 これも、姓の法則から判りますが、山で死ぬのは天の朝系のア姓列か、騎馬民族系のオ姓列が多いようです。 果して、あなたは山に登って無事に帰ってこられる姓でしょうか?! 異民族との通婚は長続きしない 京都の八瀬大原=大原女の里という地帯は、日本原住系の風習そのままで、女性が、「カカさま」と呼ばれて、各家の主人なのであります。また、大原だけでなく、桂女の里もそうですし、長野、群馬県においても各地に女性尊重といえる今も女上位の土地が、連綿として各集団ごとに受けつがれていて、絶対に非女上位のような部落からは婿取りもしなければ、嫁にもやらぬという掟が千五百年も続いてきているのです。 つまり、自分らと同じような風俗習慣の土地の者とだけ交際、通婚し、今もその伝統を伝えていて、「上州名物、からっ風にかかあ天下」などといわれるのでしょう。 このように日本では結婚の場合、昔から相互の血の純粋さというものをとても大切に考え、自分らの種族以外とは通婚してはならない、という頑固なまでに厳しい掟を持ち続けていました。 また例えば、有名な「佐渡情話」の中で、「惚れちゃいけない他国の人に、末はカラスの泣き別れ」と、親が娘のお光を戒めるといった話しさえあります。 他国の人というのは、つまり他所者のことで異民族であることを原則として考えると、同じ土地で、先祖を同じくしている人間同士が結合するのなら、まあ、円満にいくけれども、異民族同士が結びついたのでは、いくら努力に努力を重ね、辛抱してもとてもうまくいかない、という教えなのです。 (古くは霊能力を遺伝するために同族婚だった。) もちろん現代にあっても、上述の群馬県のような日本原住系のメッカのごとき土地の女の人が、九州の高千穂山のそびえる熊本県とか、鹿児島県の男性と結婚した場合を考えれば、よくわかるでしょう。昔は、大体、居住地が限定され、分布していたので、「何処のもの」ときけば、その出身地で民族も判りました。 なにしろ、「お見合い」ともなれば「同族」に決まっていたから、問題にもならなかったのですが、今日では戦後の集団就職や、都市集中化に伴って、もはや昔のように、「誰々さんは、どこの出身ゆえ何々系」といった見分けができなくなりました。 その結果外見だけで判断したり、知人の紹介とか友人の友人などといった範囲の中で、もっと極端な場合は喫茶店で声をかけられたくらいで結婚がなされています。 これでは熱しやすく冷めやすいの例をもち出すまでもありません。そうそうに終局がくるのも当たり前といえましょう。 また、昔は、ぜんぜん会ったことも見たこともない男女がいわゆる仲人だけの取りきめで、婚礼の式を挙げ、そして翌日になるまで双方とも互いの顔を知らなかった・・・・といったようなナンセンスな結びつきであっても結構うまくいきました。 そして、「おまえ百まで、わしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」などといわれたものですが、今日では双方ができるだけデートをし、ときには婚前旅行までして、肉体的にも確かめ合った結果、それで結婚するのに、極端な場合は、三ヶ月か半年位で離婚してしまう例が少なくないのは、一体どうしてでしょうか。 昔は知らずに一緒になったのが長続きして、今はよく知り合って、双方、納得づくでした婚姻が、どうしてもうまくゆかないというのは何故だろうか、という謎なのです。 つまり幸せな結婚をするのにはどうしたらよいか? ということになるのです。 なにせかつては当人同士よりも、その体内に流れている血の流れ、といったものに重点が置かれ、大きな意味での同族同一民族に限って結婚はされてきたからです。 あなたは女尊系か男尊系か 先にも述べましたように、この日本では全く正反対の二つの民族(女尊男卑型と男尊女卑型)が今もちゃんと同居しているのです。 それなのに戦前までは掟として守られてきた同族間の結婚が、今日ではウヤムヤになってしまい、まったくの相いれない二つの血をまるで無視して、勝手に一緒になったりしていますから、それで離婚のラッシュが起きているのではないでしょうか。 つまり、「女なしでは夜も明けぬ国」だった古代日本の原住民系は、いわゆる女尊民族。 それに対して大陸から侵攻してきた進駐民族は、これは一夫多妻制の男尊民族。 判りやすくいえば、日本人の血は大別しますと、「女性上位」という、きわめて女性のほうが権力をもちたがる女尊男卑の原住系と、継体王朝の大陸的な女人軽視民族に別れているのです。 現在でも香港では「一夫九妻」と称して、一人前の男とは、つまり成功者というのは、九人の妻を侍らすのが理想とされているのをみてもよく判ります。 つまり、一夫多妻主義の浮気っぽい男尊女卑型と、その反対の日本原住系の逆な型の二つが、まことにおかしな話ですが、表面は同じような見せかけで混合しあって日本に住んでいるのが今の現実社会です。 そして各民族がもつ長い間受け継いできた特有の気風で、同族を統合していけば、円満にゆけるが、もし違っていたら何ともならなくなるのが実状です。「木に竹をつぐ」という言葉もあります。 しかし結婚というものは、まったく別個の人間が一緒に暮らしてゆかねばならないのですから、木と竹どころではないのかもしれません。 例えば原住系の姓と舶来系の姓とは、いかに初めは愛しあってもすぐに別れてしまうことは、身近な離婚した人たちの例をもとに姓を分析してみたら一目瞭然に判るでしょう。 つまり外見を気にして表面は仲良さそうにしていても、男尊人種の亭主関白系と女尊人種のカカア天下系が同居して平穏無事にいきっこありません。反面、男尊系の女性と、女尊系の男性が一緒になったところでこれまたうまく生活などできるものではないのは断言できます。 (嫁姑問題は、恐らく女尊人種の系統の女性の権力争いといえる。歴史的にも、信長、秀吉、家康は皆女尊人種の系統で、信長は、正室奇蝶と妾の生駒吉乃に確執、秀吉は有名な北の政所と淀に確執、家康は、三代家光の将軍継承のときに、二代将軍秀忠の正室江と春日局に確執が生じているが、総じて将軍はお飾りで大奥が支配した。) ですから、なんといっても、本家と分家とか親類同士といった間柄が、結婚するとうまくいっているのも、いわゆる似たもの夫婦といった組合わせの関係ともいえましょう。 東京や大阪の都会で結婚するより、地方の出身者は国許で相手を見つける方が、円満にゆくといわれるのもこのせいなのでしょう。つまり、もっとも良き結婚とは郷里を同じくするか、そうでなければ双方の姓の第一音が、同姓列であるか否かということに、かかってくるのです。 ★ ★ ★ 徳川幕府は、創業から女性上位で、将軍はお飾りで春日局の大奥の権威が強く、春日局の福亡きあとは、綱吉を生んだ玉に権力が集中する。玉は綱吉を通じて西側の朝廷の男性上位の権力も取り込むが、柳沢吉保により、逆に幕府が男性上位の老中中心の体制へと移行しはじめる。 そもそも征夷大将軍という職は西側が蔑視していた夷狄と呼ばれる東の原住民を討つために、百済系民族に与えた称号で、原住民出を隠した家康に乗っ取られていわば形骸化されたわけで、大陸のカースト制度は朝廷の力が弱まることで形骸化されたとはいっても、徳川のやり方に憤懣をもつ原住民たちは、再び、幕末に南朝を担いで明治維新にいたるわけである。その温度差が外国勢力に利用された。
2016年01月13日
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江戸時代とは異なり、明治以降、薩長明治政府による棄民政策により、被差別民は兵役や、海外への開拓要員として送られ、人々の移動が盛んになったので、前回紹介した有名人の姓でもわかるように、八切氏の姓の法則は崩れてきたとはいえるが、地方にいけば同性の村落がまだまだあるので、都会よりもむしろ、田舎で通用する法則といえるだろう。 現代のようなネットが普及していない時代では、第一の情報といえば、姓で出身地と身分を見分けたわけで、戦国時代では、武将の馬印や兜などの装飾にも用いたそうである。 八切氏によると、前回紹介した4つの主な姓には、その姓に特有の色があり、源氏は白、平氏は赤、藤原氏は黒、橘氏は黄であるという。他にも、藤原氏に討伐される前の原住民系は、山に逃げ込んで金を採掘し金細工を得意としたので、山金と俗称され、金が使われるそうである。 例えば、信長の馬印は金塗りの唐傘で、秀吉のは金の逆さ瓢箪に金の切裂と金の軍配に朱の吹き流し、家康は金のふくべに金の切裂、および銀の繰半月と金扇と、いずれも金を使っているから、原住民系ということがわかる。 これらは公式文書には載らない隠された暗黙のルールだったらしく、戦場では敵味方を区別するのに役立ったそうである。 余談だが、昔は、金よりも銀の方が価値が高かったので、金閣寺は金箔張りだが、銀閣寺は銀箔張りではない。「沈黙は金、雄弁は銀」という諺があるが、八切氏によると、古代ローマ時代のセネカの言葉が原点らしく、セネカは雄弁家だったので、雄弁に価値があるといいたかったことが明らかだが、この国にくると、藤原氏に意見するな、つまりお上の言うことにたてつくなと、沈黙に価値を置くように洗脳され、現代のこの国の国際舞台での外交下手につながっている。 さて、姓の話の紹介を続ける。 ★ ★ ★ 絆を生んだ姓 もちろん、この姓の法則には種本などはありません。いうなれば前人未踏の研究です。 それゆえ再度、整理してみましょう。 姓は、横に結びつく。 例えば、アカサタナハマヤラワのア姓列にしても、ウクスツヌフムユルウのウ姓列にしても、姓は横(母音)で結びついて一つの集団。民族を形成していたということです。 これは、江戸時代までは、姓氏の横(母音)のつながりが、「同姓」と呼称され、相互扶助や縁組や仕官の取り持ちをしていたという実例で解明できます。 (1)ア姓列の場合 姉妹の母は仙光院といい下野在の女で、丹冶比姓といい父親はアの青木源兵衛とある。そこでまず、ア姓列の増山姓を新設し、正利に名乗らせた。 そして、その弟の資利は「ナの那須」へ養子にゆき、那須遠江守と号す、とでている。 さて、このア姓列では、カ、サ、ハが空いているが、この新しく作られた増山の親類扱いに、と台命で決められたのが、「カは加藤右衛門佐忠」「サは酒井讃岐守忠勝」「ハは林羅山」という具合で埋められています。 そして、増山が西尾城主になる迄の間、幕命で面倒を見るよう指図された者も、ナのつく永井信濃守尚政であって、初めに五十人扶持を贈られ、そしてナの成瀬隼人正正虎が江戸邸を贈っている。 「正保四年十一月五日相州新戸の郷に新邑一万石を賜るまで愚す」とあるように、同姓列が面倒をみることに決まっていて、その生母が青木と離別後再嫁したのも「ナの七沢清宗」という姓の家であった。 が、そこで産んだ異父弟の清宗の四男だけはア姓列から外れ、「他氏の女を娶る。よって尊重院に弟子入りす」ということも家記にでています。 つまり、ア姓列以外の姓の女を嫁にしたために、罰としてお寺へ入れられたというのです。昔は姓列から外れると厳しかったようです。 (2)イ姓列の場合 大坂落城後・・・・城から逃げだし捕らえられたが、首代を払えば助命するといわれ、イの池田武蔵守の家来のミの水島助佐衛門が実兄だといった処、銀子一貫匁なら助けようとなって使いがきた。処が長く陣中に居て手許不如意ゆえ七百匁に負けろと返事した。 そこで三百匁は信用貸しにして後廻しになさんとの双方での話し合いになったが、どうあっても捕えた方は一貫匁というので、話はこじれて決裂。 そこで首を落とされる手続きとなったが、「二の西尾主水正」陣屋に駆けこみ、訴えした処、武者奉行「ミの水野但馬」が、同姓なればと掛け合ってくれ、前銀三百匁、後百匁ずつ五回払いの八百匁で、落とし前の話がつき、身柄は西尾陣屋へ移された。 その後、八百匁のかたに奉公している内に、伝弥が産まれたのだが眉目麗しく、二百匁の仕度銀にてミの三浦主膳の仲立ちで、イの井伊掃部頭へ小姓奉公した。 やがて小笠原右近太夫が井伊家出入りで、その作法をやがて伝弥は習得した。 だが、右近太夫は「姓が異る」と小笠原流奥儀は許さなかった。 そこで、キの木股仁太夫、シの清水次郎助、チの千葉五郎太ら同姓の肝入りで殿に願い出て御暇を頂戴して、ヒの日野右膳の娘を妻とし、新しくミの水島流指南の一家を設立することがようやくできたのである。 といった経緯を門人の伊藤がしたためたものですが、イ姓列をひっくるめて「同姓」と呼んでいる点に留意していただければ、すべて納得がいかれることでしょう。 首を落とされる前に金を払って話しをつけるのを「落とし前」というのも、この頃の名残りです。 また、イ姓列のつながりが強固な例として、室町時代の守護職をあげておきましょう。 イ 今川氏=駿河 伊勢氏=伊勢 一色氏=丹後 キ 吉良氏=三河 木曾氏=信濃 菊地氏=肥前 シ 斯波氏=尾張 島津氏=薩摩 チ 千葉氏=上総 長曽我部氏=土佐 二 仁科氏=信濃 蜷川氏=丹波 ヒ=オ姓列 日野氏=摂津 土岐氏=美濃 ミ 三好氏=阿波 三浦氏=下総 といった具合に、この系列にのみ限定されていたのをみても判ることです。 拝火教の末裔が多い関係でヒは炎のホと結びつきますので、オ姓列にも入ります。また北と白という文字の場合はキとシでもこの列から外します。北はオ姓列、白はア姓列に昔は入れていたからです。 (3)ウ姓列は藤原氏が平家みたいにみな本姓を同じくさせてしまい、エ姓列は元禄以降改姓されて例証をひきようがないので、最後に、オ姓列の場合。 荻生徂徠は、参州=三河、のちの愛知県の出身。曾祖父惣右衛門は「オの大給城」内に産まれ天正十七年没。 祖父元甫は医師の「オの緒方元鑑」の弟子となり、寛永十四年五月十日没。 父の荻生方庵法眼は、「コの小島助左衛門」の娘を嫁とし、私をもうけしものにて候。 母の弟六右衛門は、「ソの十河長保」の口きき、肝いりにて、「トの鳥居助衛門」方に養子にゆき候 尚、次の母の弟の又市は、常陸野田にて、「ノの野田」姓を有する農家に入婿仕り、「ホの堀井」家へ縁組仕し伯父冨右衛門は、上総国の「ヒ(=オ姓列)の檜沢村」に罷在候。尚ほ、同地、「モの森村」百姓罷成る兵助もてまえの伯父にて候。 従弟に当る者「ヨの横井式部」様御家中、並びに、「オの小笠原将監」様御家来にあり候。 正徳元年(一七一一年)卯年、荻生惣右衛門(花押)生年卯四十六歳 と、檜沢のヒは前述のごとくホと同じですから、やはりオ姓列にのっていることを、徂徠の流れをくむ門人が書き綴っているのを見ましても明白であることが判ります。 こうして十八世紀までの例証でこの法則を明らかにしてきましたが、十九世紀以後は、各自の家にある過去帳=死者の名前や戒名、命日などを書きしるしておく帳面などで調べてみても、それぞれやはり一切がすぐ判るでしょう。不思議でしょうが本当なのですから・・・・・ ア姓列とオ姓列は緊密系列 これは何故かといいますと、前にもふれましたが徳川家康が天下をとるため、原住日本系を大同団結させるために、仏法僧で名高い三河の「ホの鳳来寺」に巣くっていた猿女部族の「オの小野」姓の女比丘たちを動員して、「自分は薬師寺十二神将の一人の生れ変りであって、光は東にありという原住民達にとって素晴らしい政治を青空のもとに公約しよう」と触れまわさせたとき、徳川姓の他に、(成り代わった)松平姓ももっていましたから、このオ姓列の徳川のトと、松平姓のマ、つまりア姓列を同一系列とし強化をはかったからなのです。 したがって、ア姓列とオ姓列は、江戸期から明治期、そして今も結ばれあっています。 ですから、両親が、自分らで勝手に結びつきあったものでないならば、もし父方がア姓列の一つなら、母方の旧姓も同じか、必ずオ姓列の一つのどれかであるわけです。 これは徳川時代から、ア姓列に対しては、オ姓列は絶対緊密の掟があったからであり、その反対も、また同じだったからであります。 元禄十四年三月十四日に千代田城内松の廊下における浅野内匠頭の刃傷事件に関して、「吉良上野の怪我軽微なるを以って、浅野の処分保留方を願わしゅう」と申しでたのは、同じア姓の老中職の阿部豊後守正成と、秋元但馬守喬朝でした。そして、オ姓の小笠原佐渡守も、「てまえも同然、よしなに願いまする」と、ア姓の老中に従っていることが、≪徳川実紀≫にも詳しくでています。 つまり、オ姓はこの時代では同じ老中職として肩を並べていても、まだアの浅野を処罰するなどということは、姓の序列が厳しくて思いもよらなかったもののようです。 ところが、このとき朝鮮(済州島)系の生母の於玉(親仏派)の方をもつ五代将軍綱吉は、こうした因習を打破してア姓列を潰そうとする意思があったゆえ、閣議を無視し、即日浅野内匠頭を切腹にさせました。この結果が翌年十二月の本所松坂町への討入りですが、その、赤穂義士討入事件で切腹(斬首)したものの中から、オのつく姓を拾いだしてみますと、 大石良雄、小野寺十内、奥田孫太夫、大石瀬左衛門。 小野寺幸右衛門、岡島八十右衛門。 奥田貞右衛門。 この他に大石と江戸へきたが、病気や事故などで当日の討入に参加できなかった者。小山田庄左衛門、岡本次郎左衛門、奥野将監、小山弥六,奥野源五、小山源五右衛門でもオのつく姓の者は十六名もいるのです。 僅か五万石の浅野家では、≪赤穂分限侍名帖≫によりますと、士分百二十八名、卒族二百四十三名と、書き出しがでていますが、そこから数えだしても、オのつく姓は百近くもいるのです。だからこそ討入も決行できたのでしょう。 つまり、アのつく大名には、オのつく家臣がずらりと並んでいたという、これは切っても切れないアとオの緊密関係の姓の絆を示す一例だったともいえるでしょう。 関東生まれの人のイ姓は、ア姓と同一にみる。 これは、本辞と修辞の関係で、関東では、「イケマセン」が関西になると「アキマヘン」、同じく「イカン」が「アカン」となるように変わるのは前述しましたが、発音を基準とする昔にあっては、姓も同様に、関東のイ姓はア姓と同一に扱わなくてはならないのです。 つまり下北半島の恐山のイタコ信仰が西へゆけば、「愛宕信仰」となったのと同じなのです。 の中のヒ及びシの白とキの北は例外として扱うこと。 これは原住系に多い拝火教の関係で、第二横列のヒが火であり、炎に通じるゆえ、ハヒフヘホの第五列系とみなされるのです。またシが白の場合に限って、シロと読んでも、これはハクの音をとり、ア姓列の扱いになります。白山信仰のためになったのです。キの中の北のつく姓も、東北の北を意味する字ですから、原住系の者の姓ということになり他のキとは別になるのです。 この例証を近代にとってみましょう。作家の故三島由紀夫氏は、森田必勝、古賀浩靖、小賀正義、小川正洋君らと共に、市ヶ谷の自衛隊基地に乗り込み自決しました。 この三島由紀夫氏の本姓は平岡ですから、ヒはホに入り、オ姓列となります。 三島由紀夫(本姓 平岡→オ姓列) 森田必勝 古賀浩靖 小賀正義 小川正洋 と一目りょう然といった形で同一のオ姓列に入ってしまいます。つまり、まさしく同族の血の流れのかたい団結行動だったといえるのではないでしょうか。 女ならでは世も明けぬ国の日本列島 それでは、かつて六世紀や七世紀から始った敵対する二つの民族の争い、すなわち、大陸から渡来してきた民族と日本に前から住んでいた民族が、どのように、反撥を増長させたのか、を考えてみる必要がどうしてもありましょう。 しかしこのことに正確に答えるには、日本の原住民史をまず解明するしかないようです。 西暦4世紀までの日本列島は、「女ならでは世も明けぬ国」といわれるような「女尊男卑の社会」で、シャ(アマ)ニズムとよばれる呪術をもつ神子「みこ」によって一集落ごとに海に近い山に分かれて住んでいました。 (シャーマニズムは、「シャマン」というツングース語の呪術師を起源としているが、文字を分解すると、シャー-アマからなり、シャーはペルシャ語の「王」で、英語のサーを彷彿とさせる。 アマは、古代エジプトのアマンで「天」という意味だが、日本では海女となっているように、女性神を意味する。だからアマテラスは古代神道では、女性神といわれる。ちなみに、シャマンをそのまま日本語にすると、王天=天王、つまり天皇になる。 様「さま」は、このシャマンからきているのではないかとも思われる。 だから原住民の神に、進駐軍の大将が成り代わったわけで、GHQのマッカーサーが神にみえたのは、古代史の焼き直しと考えられる。) 耶馬台、耶馬台壱のヒミコらも火の御子で、そうした「ヤマノカミ」の一人だったのです。これを引き続いて統合しかけたのを天の朝といいます。 ところが、そこへ沿海州満州方面から、「元」をのちには建国するヂンギス汗の先祖みたいなのが、北鮮の羅津あたりから裏日本へ入ってきたらしく、これが世にいう、「騎馬民族」で、馬に跨っている男にはかなわず、シャアマニズムの女の御子でも痺れてしまったのでしょう。 この2つの民族がやがて結合してしまったのは、騎馬民族の崇神帝の孫の景行帝と、天の朝の八坂姫が婚姻されたのでも判ります。詳しくは私の『日本原住民史』にも書いてありますけれど、やがて仁徳王朝の世になりますと、北鮮系の高句麗などと仲の悪い南鮮系の百済系ゆえ、それまでの天の朝系と騎馬民族系は共に反体制的な立場におかれてしまうのです。 そして天の朝の最後の女帝を、故意にイのつく伊勢のイのつく五十鈴川の畔へ移し、「さわらぬ神に祟りなし」と、怨念を恐れ、祀ったのです。 ところが中国に隋を滅ぼした唐の国が勃興してきました。これが百済や高句麗を滅ぼして、いわばそれらの国の植民地であったと想像される当時の日本列島へもやがて進駐してきたのです。 その頃は風光明媚で穏やかな日本が、彼らの目にはこの世の「桃源境」と見えたのでしょう。そこで渡来した彼らは、「桃源」を名乗り、これが「藤原」となったのは前にも述べました。 そうなると、それまでの百済系は、もはや戻りたくても祖国はないので、進駐軍にまっ先に降参してしまい、この民族を日本史では、「帰化人」として扱いますが、それは、日本列島に立派な日本国があって、亡命してきて保護されたというのではないと考えるべきでしょう。 つまり百済系民族は、交替した権力者の藤原氏に対して帰化させて貰っただけのことです。 ですから百済系は兵となり工人となったり、農耕民族ともなりました。 つまり藤原体制が確立して、陽成帝を、藤原基経が廃立してしまった時点において、征服者と被征服者に分けてしまえば、百済系もやはり原住系の中に入るのであります。しかし、それでも実際は、飛鳥朝や奈良朝を築いていた百済系はまだまだ隠れた勢力をもっていました。 この時代の歴史に登場する「偉大な、日本臣民の鑑」とされる和気清麻呂を、例に引いてみましょう。 この日本臣民の鑑の和気清麻呂の和気姓を詳細に調べていきますと、≪続日本紀≫や≪新撰姓氏録≫では、百済国純陀太子の子孫が和気姓なり、となっているのです。 また、≪日本書記≫には、百済王族斯我君の裔となっているのです。そして、≪延喜式≫による平野祭神のうち、韓国系の和気氏の今木神が、には「皇大御神」に変化する、とさえ明記されてあります。 そして、この恒武帝の御代というのは、妃はみな百済王の姫教法、百済の永継姫と韓国系の女性ですし、後の嵯峨帝の御妃も、百済の姫の貴命であったとでています。 また、坂上田村磨や菅原道真の祖の菅原朝臣真道も、みな明白な百済系なのです。のち和気氏はイとは違うヰを用いるイの姓に変わりますのも、やはり藤原氏の圧迫によるからでありましょう。 結び合う姓、反撥し合う姓 さて、西暦七八〇年。オルレアンならぬ秋田から和製ジャンヌダルクのアタマロが立ちあがったのです。ときに三月三日、桃の花で馬の鞍を飾った彼女は、白山神の白旗を振り、白酒を飲み、藤原氏の坊主を宣教師とする軍勢に押しまくられて逃げてきた日本原住系の諸民族の男をば叱咤激励し反撃を開始しました。 このことは、≪日本書記≫に、三月二十二日ついに仏経側の東北司令官の百済系の武人紀広純がこれに敗死した。ということで負け戦が記録されています。 さて、彼女は西へ西へと軍を進め。「神の啓示のもと討てや進め」と、剣をふるって陣頭にたち、箱根の山を越えて進撃したのです。 この、破竹の勢いで攻めこんでくる黒髪の女軍を防ぎかねた藤原氏の仏教政権は、ここに富士山頂をもって境界線となし、清見潟一帯に東と西に朝鮮の三十八度線みたいなラインを作り、日本列島を二分したのです。 このときに、大陸からの者の姓を、津、葛井、船方氏というように統合したのです。 これがつまり、ウ姓列と渡来大陸人=藤原船舶系の姓氏は統一されました。 つまり、西は、大陸からの外来の人種による「男尊女卑国」。 東は、日本原住民族による「女尊男卑国」とに分かれたのです。 藤原政権が山背の国の天険の長岡へ、大戦中の松代本営のごとく疎開した八世紀のことであります。 さて、このため西側は、それまで動員してきた大陸人の外、新渡来の今来漢人らをも加えた大陸人を≪日本書記≫には、「弓月君、百二十県の人民及び軍夫を従えて来たる」とありますが、その他にも、進駐してきた人々に、宇佐、黒木、菅原、舟橋などといった姓を与え、これを後に「天武帝八色の姓」とも総括しています。 これに対して、東の土着原住日本系は、イ、アール、サン、スウなる唐の算数を用いるのを潔しとせず、各々の出身地別に並べた民族の地名をとって、数字の代わりとし、それを姓にしたのが、原住側の姓の起源です。 つまり、秋田のアタマロが女将でしたから第一列軍団はア族。 次は白山神の本山の加賀の国から来たのが第二のカ族、これは加賀の金沢ですが、今は石川県にされています。サは、酒田のある今の山形県の部隊。 といったように、アカサタナの出身地別に兵を順番に並べて「番号ッ」と号令をかけると、一、二、三、四の代りに、「ア、カ、サ、タ、ナ」とやっていたのが、アイウエオの起源でありまして、関西では十進法だったのですが関東では、「五人組」とか「隊伍」とか「伍長」と五を一つの単位にしたのもこのわけであります。 アイウエオ順のまん中にウクスツヌのウ姓列が入るのも、原住民系が、藤原体制を倒し捕虜にするための呪いだったのかもしれません。ですから西では貨幣も、「銀何十何匁」とやはり今と同じ十進法なのに、関東ではウ姓列を捕虜に仕損ねた怨念か、ウ姓列が抜けて、四つなので、世界でも珍しい四進法をもっていました。つまり、一両は四分で、一分は四朱という明治まで守られた勘定法です。 さて、どこの国でも一民族一文字といわれ、その文字は形式化された華文字はあっても、一通りしかないものなのです。なのに、日本だけは、まったく違う真名書(漢字)、平仮名、片仮名の三通りがあります。もちろん判りきった事ですが、「本字」と呼ばれていた漢字は、唐の国から入ってきたものです。 それでは平仮名はといえば、これは印度文字からの転化とも、契丹文字の変型ともいわれています。 しかし片仮名だけは、何処から入ってきた文字というようなことはいわれていません。 (カタカナと古ヘブライ文字が似ているという説がある。) それどころか、片仮名を使った場合は、「金釘流をかく」とまで昔は蔑まれたものです。そして江戸時代のごときは、片仮名は白文とよばれる漢文への補助の送り仮名としてしか正式に用いられず、全く無視されてきたのであります。 しかし純日本系の団結を叫び、唐より輸入の銅金の茶杓子や茶匙を排撃し、素朴な日本の竹による道具によって、「わびの茶」を提唱しだした千宗易たちは、敢えて片仮名だけを用いて憚りませんでした。 なにしろ秀吉に殺された宗易のものだけでなく、やはり鼻を削られ耳をむしり取られて殺されたその門下の山上宗二の書き残したものや、本職が皮はぎだった松屋久政の「茶会記」なども、みな片仮名で綴られているのです。つまりこれをみても、片仮名こそ日本原住民系の文字であったことの裏付けでしょう。 姓を文字で現わせば、それさえ漢字、平仮名、片仮名と三通りもあるように、日本民族は複合し入りまじっているのです。 このように、姓には、「互いに固く同盟しあう姓」「不倶戴天の敵ともいえる反撥しあう姓」「あまり衝突し合わない無難な姓」というような、区別があって、ある法則で決まっていることが、これまで多くの実例や歴史考証によって、どうにかお判りいただけたことと思います。 しかしここで注意したいことは幕末までは、たとえば、土佐国のように掛川城主山内一豊が入部して、殿様がヤ姓になると、その領内地名から新しい家臣の姓までがア姓列になってしまう土地柄などがあり、備前のように池田新太郎が殿様になると、イ姓列で家臣や住民の姓を統一してしまう地帯もあるのですから、幕末までの先祖が何処にいたかも一考を要します。 しかし、寺にある墓でも判別はつきます。旧幕時代まで神徒系は火葬で、神棚に骨壷を祀って、墓石はなかったから、もし江戸期の年号の墓があれば仏教徒系のイ姓列かウ姓列型。 「先祖代々の墓」というのが明治以降に建てられていたなら、その家系はかつては、非仏教徒派だったと思えば間違いないのです。何故かといえば、明治になって、急にひとまとめにして先祖代々を一つの墓にして祀ったということは、急にお寺さん側へ転宗したことを意味しているからです。 ★ ★ ★ 何でも商売にする仏教徒のインチキ日本史に洗脳されてはいけない。
2016年01月08日
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姓の話の紹介が中途半端になってしまったので、また続けたい。 ★ ★ ★ ≫有名人になれる姓≪(改変) 日本におけるタレント(有名人)の発祥は足利時代の差別思想から始まっています。 「河原者」というのが、その元祖のようなものでありましたから、やはりそうした血が流れている人はタレントとして世に名が出ますが、そうでない民族の人はいくら努力しても向かないようです。 (どうも先祖の因縁が関係しているようである。) 自分には才能があるとか、他よりルックスやプロポーションがよいからといって、芸能界を志しても、その血の流れは先祖伝来でもって生まれた素質以前のものがあって、特別な姓をもつ人以外の誰もがタレントになれるわけではないのです。 (だんだんと外来の血が入って、自由になっているので、昔ほどではない。) これは、現代(昭和)のタレントで有名な本姓を整理してみても、はっきり実証できます。 もちろん「河原者」という言葉が出てくる以上、前進座の河原崎長一郎とか、本姓加藤の美空ひばり、作曲家の神津善行、漫画家の加藤芳郎などのようにKのアルファベットがつく人は、申し分のないタレント性の持ち主といえるところですが、それ以外にも、M、N、O、S、T、W、Yのアルファベットがつく姓をもつ人にタレント性は限定されています。 (か行、ま行、な行、さ行、た行、わ行、や行、お、だから、ほとんどという気もするが、残るのは、あ、い、う、え、は行、ら行、濁点のが行、ざ行、だ行などがある。) と、書きますと「・・・・・まさか」と思われるかもしれませんが、Kの他でも、Mをイニシャルにもつ人には、例えば、歌手の森山良子、映画監督の増村保造、俳優の石坂浩二こと武藤兵吉、イラストレーターの真鍋博、女優の山岡久乃こと森塚久乃、それからOをイニシャルにもつ人たち、女優の岡田茉莉子こと岡田鞠子、俳優の中村錦之助こと小川錦一、歌舞伎の尾上松緑、歌手の坂本九こと大島久、映画監督の大島渚といった面々から一目で判ります。 Sの代表に入るのは、映画監督の篠田正浩、評論家の坂本二郎、オペラの砂原美智子、女優の杉本春子、作曲家の佐藤允彦、売れっ子写真家の篠山紀信。 Tとなりますと、歌舞伎の尾上菊之助こと寺島秀幸、俳優の高島忠夫、滝沢修、女優の高峰秀子、写真家の立木義浩、映画監督の谷口千吉といったぐあいです。 そしてWは、随筆家の渡辺紳一郎、女優の鰐淵晴子、医者で作家の渡辺淳一。 Yは、女優の山田五十鈴、作家の山口瞳、映画評論家の淀川長治、作曲家の山本直純、歌手の由紀さおりこと安田章子といったぐあいにもって生まれた姓が、「K、M、N、O、S、T、W、Y」ならば、これは確実にタレント性を発揮でき、それが「A、F、H、I」などの人になりますと、まあ素質がすぐれているならば、条件つきで、という処なのが現在(昭和)活躍しているタレント・有名人についての比較研究の結果なのです。 こうしてみると、これら以外の姓の方は才能があっても余り見込みはありませんから、見合わせるべきでしょう。 (昨年から話題の五郎丸選手はGなんで一過性なのか? そこで続けて調べてみると、お笑いビックスリーのたけしさんまタモリの3人は、北野のK、杉本のS、森田のMで全てあてはまる。 特に最近人気がブレークしているマツコ・デラックスは松井のM、坂上忍は坂上でS、ヒロミは小園でKで全て当てはまっているが、有吉はAなので、この法則にあてはまらない。 また気になったので一発屋芸人も調べてみると、ダンディ坂野は坂野でS、ヒロシは斎藤でS、小島よしおはK、杉ちゃんは杉山でS、キンタローは田中でTであてはまる。 あてはまらないのは、波田陽区の波田でH、日本エレキテル連合の橋本のH、8.6秒バズーカ―のはまやねんの浜根のHで、いずれもHだが、Hをもつ芸人でも、人気が続いているのは、ダウンタウンの浜田のHがいるから、この法則が必ずあてはまるとはいえない。 大まかにまとめると、いずれも人気なのはK、S、Mの姓で、続かないのがHの姓ということになる。 そこでHの姓に拘ると、大御所の欽ちゃんの萩本のHがいるから、芸人でHの姓が原因とはいえないが、あくまで法則を重視し、コンビを組んでいる相手によると考えると、つまりコント55号の相手の坂上のSの御蔭ともいえるかもしれない。 この法則をあくまで重視するなら、同様に、ダウンタウンの浜田のHは、松本のMに助けられているとも考えられる。コンビを組まずに、ピン芸人でHの姓だと人気のタレント性が続かないとも解釈できる。 ではグループで考えると、数十年前のドリフターズの人気では、志村のS、加藤のK、仲本のN、高木のTがあてはまり、いかりやの碇矢のI以外は全てあてはまる。Aの荒井の荒井注が脱退し、Sの志村けんが昇格したのは、この法則から考えると妥当といえる。 面白いところでは、所ジョージの旧姓角田はKであてはまるが、芳賀のHだとこの法則にあてはまらないので、人気が続かない姓となるところである。 ついでに女性アイドルを調べてみると、AKB48の前田のM、大島のM、指原のSとほとんどが、この法則にあてはまるが、つくった秋元は本名であれば、Aなのであてはまらずに、タレント性はないことになる。 ちなみに、数十年前に人気だった、おニャン子クラブは、国生のK、河合のK、新田=長山のN、工藤のKなど、有力な人気どころでは、K姓が顕著で生稲のI以外はあてはまる。 そこで人気女性タレントを調べてみると、綾瀬はるか=蓼丸のTがあてはまるが、新垣結衣のA、堀北真希=原のH、石原さとみは本名が?なので、I姓とはいえないが、あてはまらない。 人気と言えば、数十年前に人気だった松田聖子=蒲池のK、中森明菜のN姓で、共にこの法則にあてはまる。) 先祖を遡る(改変) ニジンスキーとかイフレワスチカといえばロシア系。フィリップ、ポナルドならフランス系。ゲルベテイやハイリッヒならドイツ系。といったように複合民族でなりたっているアメリカでも、その姓の発音で先祖の出身地がわかります。 中国でも、孫、呉、陳の姓は南方系とか、李、孟、毛なら中部。朱、何、衛は北方系といった大まかな分け方があり、香港の九竜半島には、王家、白家といった同姓だけの集団が、一つの城壁の中でかたまって住んでいるのを、ガイドに案内されて見物した人もいるでしょう。 近くの朝鮮半島でも、やはり金とか玉といったような姓で、村落が形成される地方のあることを知っている人もいるでしょう。 つまり言葉の訛は郷里の手形と日本ではいいますが、海外では地方であるほど、姓によって出身地や民族が、ある程度分類できるようになっています。 ところが日本人の姓の種類は他国に比べますと多く、フランスの12倍、イギリスの23倍、イタリアの37倍と雑多にあるのですが、その物珍しさだけで、変わった姓をピックアップして「珍名」さんぐらいの扱いに止まって、興味本位にしか取り上げられていません。 姓の発生についての考究がまったくなされていないのです。 もちろん太田亮のの類がありますが、からの借りものですから、あまり信用できるものではありません。何故かといえば、漢字を日本列島へ持ちこんできた弁髪の人たちが、「自分らを尊とし、それまでの日本原住民を卑とし」勝手に作り上げたものですから、とても、マトモには取り上げられないものです。 そして、それには日本人の姓は「源、平、藤、橘」の四つにさかのぼれ吸収される、というのを建前にしているのです。しかし、とても正確には何も判ってなくて書いている故に、閉口してしまいます。 「源」、これは「元」を意味して、後にヂンギスカンをうんだ民族で、紀元前に、沿海州から北鮮経由で日本列島へ入ってきた騎馬民族。のち新羅や高句麗からも移民してきて、これが日本では武家となって、後に源氏とよばれるようになりました。 (義経=フビライという説もこれが源流) つまり八幡太郎義家が東征する際に追ってきて、別れを惜しんだのが、「新羅(しらぎ=白木)三郎」といった名だったように、これははっきりしています。つまり彼ら源氏が白旗をたてたり白衣をまとっていたのも、沿海州や北鮮の人が、今も白衣をまとっていることからして納得できるというものでしょう。 (日本の医者の白衣も、徳川家の源氏の白衣を由来としている。) 源氏の氏神さまだった三島明神や、氷川神社はみな高麗神社や白髭神社と同じ朝鮮からの神さまであったのも有名です。 ブタペスト博物館へ行きますと二階のフロアの壁面に、「元軍来冠のときの国難」の大きな油絵が掲げられていますが、フビライカンの尖兵が携えている楯には、はっきりと笹龍胆のマークが入っています。 笹といえば日本特有のように思われ勝ちですが、大陸の北東には多い植物でして、パンダの常食もこの笹の葉であります。上野の動物園にきたパンダが凄い人気なのも、ただ可愛いというだけでなく遠い先祖の郷愁といったものが、視えぬ糸によってつながっている源氏系の人が、今も日本人には多いからでありましょう。 (パンダで有名な動物園がある上野というのは東北系の人が東京に入る玄関口だから、東北系に多い源氏の人々の哀愁を誘うと考えられる。) 「平」、は音でも訓でも、それはヘイとかタイラ、ヒラとよむべきなのに、ペイと発音する(昭和初期)のは何故かといえば、源が元国であるように、これは「ペイ」ルシアつまり今では「イラン」とよばれているペルシアをさして居るからでしょう。 先日(1971年10月12日~)イランでは建国二千五百年の式典があって、わが国からは三笠宮さまが御臨席なさったので、テレビのの番組で放映されたこともあります。ですから記憶されている方も多いでしょうが、「中世の騎兵行進のパレード」で、皆が三十センチ巾の細長い深紅の旗を各自が一本ずつ背に立て、「オーレ、オレ」のかけ声で分列行進していたのは、平清盛の頃を思い出させるものでした。 そして安芸の厳島神社の宝物殿にある「平家の公達の御佩刀」と同型のものが、ヨルダンの空港売店で、三日月型のトルコのヤガタンと同じように土産品として売られていますし、やはり社宝の平家の皮太鼓とそっくりのものが、ラクダの首につけられ、アラブ人が、それをポンコポンコ叩いている風景もみられます。 オーレとか、オレという掛け声は、かつてはアラブ系のムーア人の植民地だったスペインでは、闘牛場での掛け声に使われていますが、日本では清盛入道が自分のことをいっていたとかで、「俺」という文字が当てられて今は広く用いられています。 しかし本当の意味は、回教、つまりフイフイ教のアラーの神を讃える言葉なのです。 (ちなみに、アラーとは、アメンラーの短縮形のようで、アメンは天を、ラーは太陽を表すようである。つまり太陽神のことで、ドーリルによると、古代アトランティス時代の最後の王で、アトランティス大陸の大破局を逃れ、エジプトに移住して、王国をつくり、エメラルドタブレットを残したヘルメス・トリスメギストスでもあるという。) 「藤」、はいうまでもありませんが唐です。 西暦七世紀の初頭に随国を滅ぼして東北へ進出し、朝鮮半島を席巻し白村江の戦いで完全に釜山まで制圧し、やがて日本へ入ってきた彼らに、「降参します、帰化させて下さい。どうせ吾々は亡国の民ですから」と、まっ先に帰順して先導役をかってでた日本列島在住のクダラ人を使って、「王道楽士」は建国し、桃源境をもじって造営したのが、藤原京なのは前にも述べました。 そして彼らは自分らも、それから藤原(唐「トウ」を原とする)氏と名乗って勢力をひろげたのです。 当時の彼らは、弁髪といって女の子のお下げのようなロングヘアーを垂らしていましたから、クダラについで入ってきた新権力者たちに対して、日本の原住民はやむなく、「(髪の)長いものには、まかれるしかない」とする独特の日本精神を産んでしまったようです。 ですから、かつてマッカーサーが日本へ進駐してきたとき、「あれだけ勇敢に抵抗してきた日本人ゆえ、きっとレジスタンスは烈しいであろう」と、予期して警戒してきたのに、ついには1回の反乱もなくかえってびっくりしたといいますが、いったん破れて負け犬になったら、それっきりになってしまう世界にも珍しい日本精神を育成してくれたのが、昔の紙幣の肖像になっている藤原鎌足たちだったのです。 (奴隷根性や島国根性といわれる。英国は島国だが、このような根性はみられず、いまでも独立運動が盛んである。) 「六踏三略」とよぶ兵書を携え日本へ進駐してきた彼らが、クダラ人を傭兵に日本原住民の大討伐をしたのは七世紀から八世紀にかけてであったといわれます。 (クダラでない原住民を、クダラナイと呼んだ。大阪から品物が江戸に下らないから、クダラナイという説は後世の後付けである。なぜ「上る(のぼる)」や「上らない(のぼらない)」がないのか説明できない。十(トウ)=唐=藤原でなく、八=平氏や四=源氏という差別言葉は明治まであった。) つまり、かつての日本軍部が兵隊に対して、「生きて捕虜の恥ずかしめをうけるな―捕えられたら自決してしまえ」とで徹底的に教育したのが、今では残酷と非難されています。 しかし日本兵というのは、その御先祖さまが、討伐されたときにも徹底的にやられたとみえて、「戦え」と命令されている間は、戦後二十七年たっても頑張っている立派な人もいる反面、一端、敵側に捕えられてしまうと、今度はそちらの云いなりになって、何でも、べらべらしゃべったり、敵の案内役さえまじめにかってでて、命ぜられれば逆に攻めてくるのも居たのです。 それゆえ、やむを得ず、「お前らは将棋の駒ではない。敵に捕えられた途端に、向うの持ち駒にされて使われたのでは困るだから、捕虜にされ掛かったら潔く死んでしまえ」となったのだといいます。 思えば藤原氏というのは、今に到るも日本人にアレルギー的後遺症を厳しく残させているのですから、恐ろしいものだったようです。 「橘」、はタチバナとよませ、楠木正成に結びつけていますが、正しくは十世紀から十一世紀にかけて日本海まで勢力をのばしてきた「契丹」のことであります。 契丹文化とよばれたくらい高度に文化の発達していた人たちで、「真名書き」とよばれる漢字に対して、今日の「平仮名」をもちこんできたのも彼らだといいます。そして当時の日本は藤原道長の全盛時代でしたが、契丹人は多くの才媛を御所の中へも送りこんだと伝わっています。 さて古来からの日本人の姓への考え方といいますか、分類法によって四種に分けて、それを1つずつ裏付けをとってみますと、それだけでも西南アジアから中国、そして満州、朝鮮と四方が海に囲まれているだけに、いろんな民族が日本列島へ入ってきて、これが雑居のままで1つになっていることが判ります。 ですから他国とは陸続きのヨーロッパや、中国大陸と朝鮮のように、「先祖を同じくする者らが、一つの姓で一つの聚落に形成される」といったことは、日本では不可能だったのかもしれません。 しかし幸か不幸か明治になるまでは、徳川体制の方針で、「大名の国替えをする必要上、土地は私有を認めぬが、人間はその限りでない」とされていましたので、限定居住制度がしかれていました。 百姓が勝手に農地を放って逃げると、捕まって見せしめのために打ち首にされたのも、住居地の気儘な変更は許されなかったからです。 (坊主が人身売買をして管理していた。だから戦国時代は、坊主が大名であったのも多い。ちなみに藤原氏などの貴族以外に墓はなかった。明治政府の農地改革の代わりに庶民にも墓をつくらせることで、坊主に葬儀などの商売を与えた。日本の仏教が現世利益主義で他と異なるのはこのせい。) それゆえ明治五年の壬申戸籍作成の際も、かつての限定居住地を姓としましたから、一世紀後の今日になっても、いわゆる苗字のはじめの発音さえ聞けば、どうにか、その人の血の流れがつかめ、が生まれる端緒にもなったのであります。 さて、その姓の発音によって民族別を確かめ、「あれはゲルマン系だからうるさいぞ」とか、「イタリア系ゆえ女に手が早いから用心しなさい」といったような識別は、世界中どこの国でもあるので、日本でも、この法則を、大いに活用して貰えば、なにもビジネスや結婚に限ることなく、きっと他方面に色々と有益なことが多いと思うのです。 ★ ★ ★ 少なくとも日本史を探求するには、この姓の法則を知らないと真相に近づけない。明治政府が、棄民政策と民族融和で、欧化白人主義政策をとったから、このような真相が隠され、インチキや捏造された講談や講釈で、明治政府に都合のよい宣伝がなされ、いまではわからなくなってしまった。
2016年01月07日
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ダメリカの経済とは、ニセモノユダヤに経済利権を誘導し、格差社会をつくることであるのは、TPPをみればわかるが、格差社会をつくるのは、シオンの議定書を読めばわかるように、悪魔が人類を支配するためである。 このような話は陰謀論としてレッテルを貼られ、トンデモ話のように味付けされるが、いいたい奴にはいわせておけばいい。そこで、もっとオカルトな陰謀論がある。 以前にも紹介したが、エメラルドタブレットを本にした神智学者ドーリルによると、かつてこの地球は、第10番惑星人なる悪魔の連中が、国の指導者を殺し、それに成り代わって、支配されたことがあるという。しかし、聖書のバブルの塔の話のように、神に背いたタイタン族は滅ぼされ、地球も何度か大破局をえて現在に至っているという。 歴史は繰り返すというか、人類は失敗を繰り返しながら、少しづつ完全へと歩みを進めていくのである。 所詮、占有できないものを、占有しようとしても、無駄なのである。 現在の経済の間違いは、ここにある。占有できないものを占有しようとするから、おかしくなる。 本当の経済とは、前回紹介したシュタイナーの話のように、唯一神が、自分を感じるために、自分の一部を分け与え、その一部を支え、独立させることにある。 この振る舞いこそが、キリストが最後の晩餐で行ったもので、天の恵みを地にもたらすための、経済原理なんである。 この地にあって、天の恵みに帰依しないものはなく、天の恵みを地にもたらすのが経済の役目なのである。 つまり、天の恵みに応じて、地の配分が決まるということである。だから、持つ者は、もたない者に分け与えねばならず、金持ちは分け与えなければいけない。 天の恵みを拒否し、地獄の住人となりたければ、占有するがいい。占有できないものを占有しようとしても無駄な徒労、つまり地獄の苦しみを味わい続けるだけなのだ。なぜなら、天の恵みがないからだ。 核兵器を所持し、得意気に語る愚か者は地獄の住人となるだろう。核兵器を生んだニセモノユダヤたちが地獄に落とされるだけだろう。 本当の経済とは不足を補いあうことである。 以前紹介したムヒカ元ウルグアイ大統領の言葉が、本当の経済を示しているので紹介する。 ★ ★ ★ “世界一貧しい”「元」大統領から日本人へのメッセージ──「清貧の原点は日本人だった」「本当に日本人が幸せなのか疑問」 http://blogs.yahoo.co.jp/moritakeue/13531353.html 「私がいなくなったときに他の人の運命を変えるような若い子たちが残るように貢献したいんだ。本当のリーダーとは多くの事柄を成し遂げる人ではなく自分をはるかに越えるような人材を残す人だと思うから。」 「本当のリーダーとは自分を越える人材を残すことだ。」 ★ ★ ★ 日本にも、死んでカネを残すのは最低の人物、仕事を残すのは普通の人物、人を残すのが最高の人物という言い伝えがある。自分がいなくなっても、自分以上の人物を残せば、社会は困らずにすむわけである。 このような言い伝えがなくなって久しい。武士は食わねど高楊枝、日本人にはもっと清貧の矜持があったはずだ。 最近の経済がマヤカシなのは、若手を育てようとしないことにある。どの組織も、後継者を育ててこなかったために、引退してもおかしくない年齢まで働いて胡坐を書く始末なんである。 新陳代謝が進まずに、ガン化している。若手を採用せずに、中途半端でお茶を濁すようなことをどこでもしはじめたから、技術や中身が老化して、経理でインチキをして大企業も崩壊の危機を迎えるのである。 目にみえないことに目をつぶり、出鱈目な数字で脚色したツケである。若者が詐欺に手を染めるようなこの国はいずれ亡ぶだろう。 というわけで、カネに目がくらっだアホバカへの警告にシュタイナーの話を続ける。 ★ ★ ★ トンデモ話は奥で繋がる 「第141夜」 -弟子のクッテネルがお送りします。 http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-805.html ≪輪廻転生(11)≫ 宇宙の真夜中 こうして私達は、次第に《霊的環境》を照らし出す魂の創造力を失っていき、ついには全く失います。もはや、外が全くの暗闇となった状態をシュタイナーは《宇宙の真夜中》と呼んでいます。 「そして私が《宇宙の真夜中》と呼んだ、死から新しい転生までの霊界での生活の中間点に到ります。 その時、人間の魂は最も力強い内面を持つようになっているのですが、外なる霊界に照明を当てられるほどの創造力は持っていません。 無限の宇宙は、内側から私達を満たしてくれるのですが、しかし私達は自分の存在以外は何も知ることができないのです。」 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p191《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) すると、我々の中に、以前のような《外界》が欲しいという願望が起こる、と言います。前にも述べたとおり、これは極めて自然な感情でしょう。暗闇にたった一人、永遠に存在するなど凡人には不可能です。 ただし、受動的に体験できる《外界》はもはやありません。しかし、我々は霊界で《創造の元になる認識》を目覚めさせているのです。つまりこの《外界を見たいという憧れ》は、《外界》を自分で創造する力に変わるのです。 「今や人間の中で、《憧れ》が自立した創造力になる段階が始まります。…《憧れ》は霊界と物質界では非常に異なっています。物質界での《憧れ》は受け身なのに対して、霊界では反対に、自発となるのです。 地上界で何かに憧れる場合、その憧れの対象に左右されるので、その憧れは私達に受動的な態度を取らせます。 しかし、霊界での憧れは、これとは反対に、自らの創造力となり、新しい魂の光となって、1つの新しい《外界》を与えてくれるのです。 とはいえ、その《外界》は本当は自分の内にある《内界》なのです。つまり、これまでの輪廻転生の世界なのです。《憧れ》の光に照らされて、転生の諸相が私達の前に現れるのです。」 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』pp191-192《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) 転生の肉体 さて、この先は新しい転生、つまり再受肉への話となります。これには実際に《受肉》する肉体と、《新たな人生》のいわば設計図の、2つの側面が必要となります。 そのうち『シュタイナーの死者の書』では、主に人生の設計図の側面で語られていますが、肉体面の展開については、前述の西川氏の訳による『神智学の門前にて』に、霊視者がアストラル界で見る受肉の様子が書かれています。 少々長い引用になりますが、なかなか興味深い記述なので、紹介してみます。 「霊視者は全く特別な人体の構成要素を見る。それは鐘の形をした構成要素で、非常な速さで、アストラル空間を飛ぶように駆け抜けていき、受肉に向かって下っていく人間の原基である。 素早く動くので、この受肉へと向かう人間の原基にとって、時間や場所はほとんど意味を持たない。…これが神界からアストラル空間に入って来た、人間の原基である。 ここで何が生じるのか? 人間は、様々な人生の経験の果実を伴って、高次のアストラル体で、神界に到ったが、今度は、自分の周りに、新しい《アストラル実質》を集める。 ばら撒かれた鉄屑が、磁力によって、吸い付けられるのと同じである。内なる力によって、人間は《アストラル実質》を自分の周りに集める。 善い前世を送った人と、悪い前世を送った人とでは、異なった《アストラル実質》を集める。鐘の形の構成体は、かつての古いアストラル体で、内なる力は新しいアストラル体を集める。 人間の原基は、古いアストラル体のままでいるべきではない。人間の原基は、未分化な《アストラル実質》から、新しいアストラル体を形成しなければならない。 この経過は、人間自身に委ねられている。前世の諸力によって、新しいアストラル体の形と色が決まる。これは注意すべき事実である。 どうして、この人間の原基は、物凄い速さで駆け抜けていくのだろうか。自分の転生に適した両親を探さねばならないからである。猛烈な速さで飛ぶことで、転生に相応しい両親を探し出せる。 この人間の原基は、今ここにいたかと思うと、次の瞬間にはアメリカにいるというふうに、あっという間に飛んでいく。 次に、人間は助けを必要とする。高次の存在のリピカが人間の原基を両親へと導き、マハーラージャが、アストラル体と、両親が提供する物質体(肉体)に適したエーテル体を形成する。 霊視者は、受精の際、両親の側から発展していく情熱の中に、《アストラル実質》を読み取れる。…そして、エーテルが東西南北、上下からやってくる。 転生に常に完全に適した両親が見つかる訳ではない。完全には適さないが、それでも、最適な両親が選び出される。 また、エーテル体にも完全に適した物質体が形成されることもほとんどない。《エーテル体に完全に調和した物質体》というのはありえないため、人間の魂と肉体の間に葛藤が生じるのである。 受肉の直前に、死の直後に生じる出来事に似た、非常に重要なことが生じる。…受肉の直前に、来るべき人生を前もって見る。細部に渡って見るのではなく、大まかな概略を見る。 この瞬間は非常に大きな意味を持っている。新しい人生の運命を見て、非常な苦しみを体験し、困難な人生を歩むのがわかると、ショックを感じ、魂が完全に肉体の中に入るのを控えることもある。 魂の一部しか、身体の中に入らないこともある。来るべき人生を見て、このようなショックを受けた結果、白痴や癲癇持ちとして生まれることもある。 (中略) 高次の構成要素が、最初から完全に胎児に結びついている、と思ってはならない。…生まれてから後は、段階に応じて様々に進化していく。教育にとって、もっとも大事なのは7歳から14歳の間の時期である。」 (ルドルフ・シュタイナー『神智学の門前にて』pp64-67 《イザラ書房(西川隆範訳)》より抜粋転載) 神界にいた《自我》は、自らが前世で産み出した《人生の果実》を媒介として、新しい《アストラル体》をまとうため、アストラル界へ降りてくるのです。 そして、新しい親を見つけ出すと、その《アストラル体》と両親が提供する《肉体》の間を取り持つ《エーテル体》が、四方八方から吸い寄せられて新しい4つの体が完成します。 ★ ★ ★ 人類はいま地上の真夜中にいるようである。古き経済は死すべきときにある。
2016年01月06日
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昨日の日刊ゲンダイに、もう馬鹿らしくてみてないのだが、ヤラセ番組の定番として有名な「朝生」がヤラセをしていた記事が載っていた。数十年前から、このインチキジミン支援番組が、CIAの犬番組であることは、薄々わかっていたが、今回の件で明らかになった。 大体司会者の誘導意見やいい加減さや、困ったときの共産党や野党叩きや政治失態のときの北朝鮮問題へのすりかえなどがあまりに見え透いていたが、特に日本社会や日本文化を崩壊させたコネズミ改革を支持してきたのは、この若者洗脳有害ヤラセ番組である。 犬HKとこの売国番組はCIA洗脳番組といってよい。 弱くて冷酷な奴ほどインチキやヤラセをする傾向にあるといえるが、この番組は白豚と同じで強いものにヨイショし、言論で弱い者虐めをするかつての大本営発表と同じで私は大嫌いである。 さて「男は強くなければ生きていけない、 優しくなければ生きる資格がない」は名文句だと思う。国の指導者はなにも男でなくてもよいが、強くなければ、国の面目が立たず、優しくなければ、国を治められないだろう。 だから、指導者は強くなければならず、優しくなければ職を辞するべきだろう。 だから、困難に打ち勝つ強さと、誰にでも優しく接する愛情の深さがないと、指導者失格というべきである。 歴々のこの国の指導者を鑑みて、その2つをもっていた者は皆無といえる。米国に弱く、国民に冷酷な輩ばかりで、1億2千人ほどの人口のなかに、1人もいないのである。たとえ、1人いても、その1人は指導者になる気がないくらい愛国心がないから、いないのと同じである。将来、この国がなくなっても知らぬが仏なんである。 日本民族なんて強がっていっても、所詮は、このような体たらくである。日本民族なんて妄想にすぎないのは、国民を舐め腐って私服を肥やす連中の現状をみれば自明である。 あまりにも馬鹿馬鹿しいので、このくらいにして、本題にうつる。 美味しいものばかり食べていると、次第にその美味しさに慣れて、味気なさを感じるように、たまには不味いものを食べてみる必要があるように、楽ばかりが与えられると、かえって退屈で、時には苦が必要になる。 ドラマ水戸黄門の♪人生楽ありゃ苦もあるさ♪ではないが、苦と楽はワンセットと考えるべきである。というのも、苦を克服するのがホンモノの楽だからである。 老子だったか、孔子だったかは忘れたが、赤ん坊の善は確かに善だが、容易く悪に染まってしまうからニセモノの善であるというような話がある。これと似たように地上の楽園もあるにはあるが、それは容易く崩壊するので、ニセモノの楽園なのである。 ホンモノの楽園をつくるために、シュタイナーの話の紹介を続ける。 ★ ★ ★ トンデモ話は奥で繋がる 「第140夜」 -弟子のクッテネルがお送りします。 http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-800.html ≪輪廻転生(10)≫ 浄福と孤独(改変) 私達は、霊界で《創造の元となる意識》を用いて《霊界の環境》を明るく照らし出す時、言い様もない至福感、宗教上『浄福』と呼ばれる感覚を体験すると言います。 「こうして死者の魂は、創造力の目覚めの度合に応じて、霊界の環境をより明るく照らし出します。…創造力を自分の中に感じ取ること、自分の光を投げかけて、見えるようにした世界へ参入することは、浄福としか言いようの無い感覚の体験なのです。」 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p61《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) それ程の至福体験なら、いつまでも体験していたいものですが、シュタイナーによれば、この状態は、また別の状態と交互に現れるようなのです。説明を続けます。 「魂は、自分の霊がもつ照明力、創造力を、外の環境に向け放射することで、周囲の神霊達をいつも体験できるのではありません。 この明るい状態は、照明力が放射できない、暗い状態と入れ替わるのです。この暗い状態の時の魂は内的に鈍くなり、もはや光を放射できず、全てを内に向け、全く孤独な生活を体験します。 ですから、地上の日常生活で、睡眠と覚醒を交互に体験するように、死後の魂は、霊界の外をみる体験と、内向きな孤独の体験を交互に繰り返すのです。 内向きの孤独な時の魂は、霊界の外の体験全てを魂の内に取り込んでいますが、自分が孤独であると感じています。 孤独の時の魂は、意識を失っているのではなく、むしろ意識を高めて体験しているのですが、 《霊界が外にあるのに、私は一人だ。私の体験全ては、心の内側だけにある。》 と感じるのです。 (中略) この《内なる体験》を通してのみ、内なる照明(創造)力が強化されるのです。」 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p62 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) この状況は、シュタイナーの言葉から想像するしかありませんが、小生には、秋の虫が力の続く限り鳴いた後、しばらく闇の中に沈黙し、また次の力を蓄えて鳴き始めるようなイメージに思えてきます。 孤独の極みへ(改変) しかし、こうした状況もずっと続くわけではありません。やがて魂は、シュタイナーが《死から新しい転生までの霊界での真夜中》と呼ぶ段階に近づいてゆきます。 「死から新しい転生まで続く魂はやがて次第に自分の照明力が衰えてゆくのを感じるようになり、内的な孤独感が一層強まっていきます。 そうすると人間は内に宇宙を体験するようになります。魂の内側に《全て》が入ってしまったのを知った魂は、いい知れぬ恐怖感に襲われます。」 (外にあった星空を内に感じる) (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p63 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) また、同書の終わりでは、このときの感覚を次のように表現しています。 「私達は次のように感じます。 《お前は今、お前の魂の照明力を次第に失っていくため、周囲は益々暗くなっていく。 そして、霊たちを見る機会が益々失われ、次第に孤独になっていく。 お前は自分の魂のなかだけしかみえなくなる。しかし、外を照らせなくなるほど、逆に魂は豊かになっていく。》 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』 pp189-190《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) 一見すると、力強く光り輝いていた《霊性》を次第に失い、闇の世界の中に埋もれてしまうように感じてしまいますが、シュタイナーは最後に《魂は豊かになっていく》と言っています。 その説明は次のように続けられます。 「霊界での孤独とは、周囲がみえなくなり、社会的な体験をしなくなり、霊界の暗闇の中で、これまでの体験を思い出すしかない、というのでは無く、独力で、思い出を、瞬間瞬間に生き生きと作り出していく状態なのです。 それは《内の絶えざる創造活動の段階》であるとも言えます。 しかし、その時の魂は、外界があるのに、自分のみに関わり、ひたすら孤独な創造作業をしていかなければならない、ということを自覚しているのです。」 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p190《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) つまり、今まで外界に向けて、霊界の環境を感じ取るのに使ってきた《創造の元となる意識》を、自分の内側に向け、自分の魂の世界を創ってゆくために使用すべき段階を迎えた、と魂が自覚してゆくのです。 しかし、それは霊界の環境を照らし出す『浄福感』とは全く逆の、いい知れぬ『孤独感』を伴う作業であり、決して楽しい作業では無いようです。一体何故そんな選択をするのでしょうか。 至高の存在の孤独(改変) 一般に、多くのスピリチュアリズムでは、『最高次の存在』については『全知全能の唯一の至高の存在』として説明されています。そして我々も実はその存在の一部でしかないとされています。 しかし、《至高の存在》は唯一の存在であるため、自分自身が何者であるか、言い換えれば、自分以外の存在がいなければ、自分を感じることができません。 そこで《至高の存在》は、自分から個々に切り離された《分身》を生じさせ、それに個々の《意識》を持たせ、その体験を通じて、自分自身の様々な側面を知ろうとして、我々を産み出した、と説明されています。 しかし小生は、明確には説明されていない、もう一つの動機が加わっているように感じています。それは、《魂》が《自身から生まれる魂の世界》を創り出すという、いい知れぬ《孤独感》と同質のようなものを感じるのです。 全知全能で唯一の存在であるが故に、《至高の存在》には理不尽な対立や葛藤は生じません。しかし同時に、他の存在を愛したり愛されたりする喜びも感じることもできません。 (自分で自分でないものを演技するしかないが、全てが自分なので、自分でないものを知らない。) 手塚治虫氏は『火の鳥~宇宙篇』で、不死の生命を得た主人公「山之辺マサト」を登場させます。彼は、宇宙の全生命が死滅した後も、悠久の時の中を全く一人で生き続け、ひたすら他の生命の誕生を待ち焦れる日々を過ごします。 意識を持つ存在にとって、恐らくこれ以上の《孤独感》は無いでしょう。 《至高の存在》にはこれと同じ『孤独感』があり、何とかその感覚から逃れる方法を模索しているのではないでしょうか。 それが、自分の一部でありながら、自分を《他の存在》だと思い込む存在を創り出して、それに自由な喜怒哀楽の体験をさせ、その体験を持ち帰らせて、自分を感じるのが本当の目的ではないかと、小生は思います。 《霊界》にいる時の私達は、まさに《至高の存在》の意識に限りなく近づいていくようです。恐らく《本当は自分は唯一の存在》であることも認識しているのでは無いでしょうか。 (自分を自分として認識できる意識) この時、《至高の存在》の感じる《孤独感》も共有すると、次にはその感覚から逃れる方向へと向かうはずです。それが個別の意識を持つ世界―つまり、転生への道を選ばせるのではないでしょうか。 無論、これは小生の直感に過ぎません。《至高の存在》はそんな《孤独感》など全く超越した存在なのかも知れません。また、仏教の菩薩道も、最近のアセンションの提唱者も、そのような輪廻転生から解脱すべしと言います。 しかし、少なくとも小生のような凡人は、そのような《孤独感》の状態に置かれたまま、永遠の時を過ごす覚悟は到底できておらず、また転生への道を選んでしまうような気がします。 仮に全ての《個我》が覚醒してしまえば、全意識は一つになり、自分の他には何も存在しない《孤独感》を一様に感じることになるでしょう。しかし、その覚悟が出来ていない《個我》、そしてもしかしたら至高の存在自身がある限り、輪廻転生は永遠に続いてゆくのではないかと小生は思います。 ★ ★ ★ 孤独というのは不完全性を感じることかもしれない。
2016年01月05日
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今年になって、巷は異様に騒がしいのだが、人間がいうことやることは失敗ばかりなんで、アホバカたちが何をいって、やろうが、その失敗はアホバカたちに返っていくのだから、もう好きなようにいって、やってどんどんアホバカになればいいと達観することにした。 ただ罪深いことに誰もその責任をとるものがいないのは非常に残念である。人類のなかに誰も責任をとるものがいない、となると、人類の過ちを人類で責任がとれなくなる、ということで、人類は滅ぶしかなくなるからである。 アホバカは失敗の責任をとらずに、失敗を誤魔化すことで傷口を拡げている。 現在、世界に不平等不健全な格差社会を招いているのも、かつての国の代表者の無責任さにあるが、特に顕著なのは、米国の軍国政策のレーガノミクスと湾岸戦争やイラク戦争のせいである。宗教者はそれについて見て見ぬふりをしているどころか、買収されている始末である。とくにイラク戦争の間違いについてカネに目が眩み口をつぐんでいる状態にある。もはや地上は悪魔の牛耳る世界になってしまっている。 米国ではこの失敗の責任を誰もとらなかったために、双子の赤字をかかえ、その利益はニセモノユダヤの悪魔に還元され、悪魔の支配下となってしまった。米国が殺人帝国となったのも、レーガノミクスにある。米国の正義は悪魔に買収され、屈したのである。 驚くのは、その責任を他国になすりつけ、米国債を強制的に買わせることで、失敗を他になすりつけ、誤魔化していることにある。もはや人類としては見過ごすことのできない悪行であろう。いずれ米国の堕落腐敗した宗教者とともに、地獄下で裁きを受けるのだろう。 さて、この国にもそのようなアホバカが増殖中で、最も愚かなのは失敗を認めないアホバカで、そのようなアホバカは、人類から脱落していくだろう。そのようなアホバカは嘘八百しか言わないので、誰も相手にしない人類背徳者なんである。そのような話を紹介して年頭の騒がしさに警告しておきたい。 ★ ★ ★ オマエが飯食って、オレが腹一杯になるか? http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8540.html 「オマエが飯食って、オレが腹一杯になるか?」「オマエが酒飲んで、オレが酔っ払うか?」と、なんか、落語にもあったな。常識で判るだろw 他人が豊かになったからって、自分が豊かになるわけじゃない。オレの胃袋とオマエの胃袋は別物だ。そんな道理も判らないアホが自民党を支持するw 驚いたのは竹中平蔵が「トリクルダウンはない」と断言したことだ。 「トリクルダウンを待っている方が悪い」とまで言った。 あらゆる経済政策を取って、国民が挑戦しなければならない、活躍しなければならないと言う。 今の経済界はさぼっている、中小企業も新たな成長分野にトライしていない、体質が古いと言う。 本当だろうか? 国民が臆病で怠けているから、経済成長できないのだろうか? (経済評論家も国民の1人のくせしてよくいうよね) 先富論というのは、まだ理解できる。「金持ちになりたいヤツはとっとと先に金持ちになれ」という理論だからだ。残った貧乏人が金持ちになりたがるか、なれるか、それは自己責任。中国がそうだったよね。判りやすい。けれど「トリクルダウン」で、「いずれは貧乏人にもお裾分けが」なんていう理論は、そもそもあり得ない。赤の他人にお裾分けしなきゃならない理由も義理もない。 ★ ★ ★ はっきりといっておく、不平等を好んで金持ちになりたがるアホバカがいて地上の富を貪るから、貧乏に甘んじる人々が生まれるのである。金持ちが貧困を生んでいる。もし金持ちが富を分かち合えれば貧困は解消することは自明の理で、キリストも説いている。不景気は金持ちの我儘のせいである。 理屈で飯を食えるのは経済学者という詐欺師だけである。経済のこの詐欺師は、自分たちに地上の利益を誘導する洗脳を用いる悪人である。地獄でしか生きられない連中である。だから地上に競争をもたらし、地獄を拡げていく。 金持ちは、口先を出すまえに、手前の財産を社会に寄附すべきである。それが景気の浮揚策である。 口先ばかりの金儲けしか頭にないタケナカのような奴は私は大嫌いだ! 失敗全てを他者になすりつける卑劣さが滲み出る悪魔の人物である。グリーンスパンは失敗を認めたが、この白豚は口が達者なのか全く無責任だから笑止千万である。 とにかくこのような俗世だけの人物には、宇宙の輪廻転生の法則を是非知ってもらいたいもんである。というわけで、シュタイナーの輪廻転生の話を紹介する。 ★ ★ ★ トンデモ話は奥で繋がる 「第139夜」 -弟子のクッテネルがお送りします。 http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-794.html ≪輪廻転生(9)≫ 自ら置いた石を取り除く(改変) 一部の特異な人(?)を除いて、皆、現世では幸福を願っています。しかし残念ながら、現世は全ての人が幸福になれるようなシステムにはなっていないようです。 無論、その原因には『闇の勢力』の創り上げた巧妙な権力システムもあります。しかし一方で、現世利益だけを考えるなら、むしろ『闇の勢力』に擦り寄っていけば幸福になれるシステムでもあります。 そんな《この世的な幸福》では無く《心の幸福》を求める、と口では言ってみても、いざ《この世的な不幸》が訪れると、何故自分はこんな人生を選んで転生したのだろうと、自らの運命を呪いたくなるのもまた心情です。 今のこの瞬間にも、恐らく世界中で《何故こんな不幸が必要なのか》という嘆きが渦巻いていることでしょう。シュタイナーは、そんな悲痛な思いに答えるべく『照応する宇宙』の最後でこう締めくくっています。 「人間は、霊界にいる間に、生前獲得した全能力を、次の転生での人体形成のために用いることができるようになります。 生前獲得したのに、死ぬ前に人体に組み込めなかった全てが、新しい転生での人体を形成する力となるのです。 しかしそれだけでは無く、生前の状況に迫られ、自分が犯してしまった不正や悪を清算しようとする意識を組み込むことで、新たな転生において、その不正や悪を清算できる状況に導かれるのです。 清算すべきことを清算して、自分の不完全さを補うことの出来る状況に到るために、私達はこの世に生まれて来るのです。 だから隠れた意志に従い、自分に必要な苦悩を求めます。そして、その苦悩を克服することで、自分が過去に置いた途上の石を取り除くのです。 (中略) この世の人生だけを単独で取り出し、周囲の環境、民族、家族の働きから理解しても何もわかりません。 人生をはっきりと把握するには、人間が霊界の中で、過去の人生の成果や精髄から、新たに次の人生を形成していくことを知らなくてはいけない。 (中略) だからといって、過ぎ去った人生を無感情に眺めて、 《あの時の辛さは自分で用意したことで、今の自分の惨めな気分も自分のせいだ》 と宿命論に苦悩するのは間違った態度です。次のように考えるべきです。 《この運命の法則は、過去に眼を向けさせるのではなく、未来に向けさせるもので、過去の苦しみを克服するためのもので、その苦しみを未来に役立てる力とするためである。苦しみを克服すればするほど強くなるからである》 幸せの中にいると、高次の意味では受動的にしか生きられません。その幸福は、過去の人生の成果にすぎないのです。 しかし苦悩は未来への力を育てます。苦悩を克服することで培われた力は、未来の生活を高めます。人生が一段一段と高まっていくためには、死(という苦悩)が生(という現状)の中に働きかけなければなりません。 このことが分かれば、死の門を平然とくぐる事ができるでしょう。 この意味で『人智学』は理論ではなく、人生の果汁であり、人生への支援、恵みなのです。 この果汁と恵みによって私達の魂の営みは、健やかに、力強くなるのです。」 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション 3』pp336-340《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載) 本物の幸福 よく『因果応報』的な説話で 《現世で悪事をすれば、必ずその報いが来る。たとえ今世でなくとも、来世でその罰を受ける》 《あれだけの苦しみを背負っているからには、きっと前世で相当の罪を犯したに違いない》 という戒め論的な展開を考えがちです。しかしシュタイナーの説に従えば、《不幸》はもっとポジティブな選択で、信賞必罰でさえありません。 確かに、シュタイナーも《幸福は過去の人生の成果》として、現在の幸福を否定してはいません。しかし、《幸福》はあくまでも前世での努力の結果を受領するだけで、今世での新たな成長の糧とはならないのです。 逆に、前世で犯してしまった罪、特に無意識のうちに他人を傷つけていたような場面まで、死後の世界では《自分の意識》を通じて直に体験します。確かにその体験は辛い罰と感じるかも知れません。 しかし、それは《霊界》での体験であって、《来世》にそのまま持ち込むわけではないと、シュタイナーは言うのです。《霊界》ではむしろ、その体験を得ることで、《それを克服し、一段階上に登る力》を得るのです。 もし不注意に、今世で過ちを犯し、今世の間にそれを償えず、もしくは、その必要性を感じられなくても、霊界で、その過ちに直に気づくことで、幸運にも、過ちを素通りできた人生を送った場合よりも、来世では、その過ちを克服する力をもち得る、ということです。 (過ちを素通りした人生よりも、過ちを犯した人生のほうが貴重であるというのが悪人正機説) そして、その過ちを克服する力をもつ体験こそが《現世での不幸》なのです。無論、前世での過ちから生じたものではありますが、その罰は既に《霊界》で受けており、《現世》では自らが課した課題の1つなのです。 もちろん、課題が大きすぎて《現世》では《不幸》に押しつぶされてしまうかも知れません。しかし、それでもいいのです。そのまま死の門をくぐれば、さらに大きな《過ちを克服する力》を得て、また《来世》に向かうのです。 (それにはまず過ちを認めることが重要) 《現世》では、どんなに苛酷な仕打ちを受けようが死によって中断されます。中断によって《肉体》をいったんは失いますが、《自我》はそのまま続きます。そしてまた克服へと旅立つのです。 (中略) むしろ問題になるのは、《自我》が人生の課題から逃れられると思い込んで、自らで《死》を選んでも、結局《霊界》では、課題を投げ出したことを後悔するだけ、ということを承知しておくべきです。 こうして考えると、 《こんなに何度もチャレンジするのはしんどい。そこから早く解脱したい》 と思ってしまいますが、どうやら我々の《本性》は、中途半端な浄化など最初から求めていないようです。嬉しいような悲しいような、とにかく我々のホンモノの幸福を求める欲求は、浄化のための努力を怠ることなど、凡そ考えもしない性質を持っているようです。 ★ ★ ★ 幸福は与えられるものでなく、自分でつくるものである。不幸な環境を生きることで、自分の中に幸福になるノウハウを蓄積することが幸福への近道なんである。だから不幸を羨むなかれ、不幸を幸福にできない力の無さ、努力の足りなさを実感すべき。 幸福を求めるなら、自分に不幸を課しなさいということなんである。
2016年01月04日
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今年の干支は「丙申」(ひのえさる)である。 ネットで検索すると、以下の情報が手に入る。 ★ ★ ★ 2016年の干支は丙申(ひのえさる)。これまでの頑張りが形になっていく。 http://hotdoglab.jp/blog/2016-year-eto/ 十干と十二支の組み合わせの種類は60種類。 甲子(きのえね)という組み合わせが60種類の最初。 そこから年が巡って33番目が2016年の「丙申」になります。 干支の組み合わせには五行という考え方があります。 干支の干と支の性質を五行(木・火・土・金・水)で表すんです。 丙は「火の兄」が語源になっていて「火」の性質。 申は「金」の性質とされます。 火と金の相性はどうでしょうか。 自然界をイメージしますよ。 火は金を溶かすんですね。 つまり、「丙申」の組み合わせは、「丙」が「申」に打ち勝つ。 こういう場合は「相剋(そうこく)」と言われて順調ではないと言われたりするんです。 こんな見方ができる2016年ですが、もう少し違った見方もできますよ 丙申の2つの漢字には意味があります。 まずは「丙(ひのえ)」の文字に着目です。 丙は「明らか」という意味があります。 甲、乙、丙と、十干の中では3番目。 十干は樹木の成長に例えられるんですが、丙は形が明らかになってくる頃です。 前年の「乙」はまだ自由に伸びることができず、曲がっている状態でした。 なので、ちょっと成長して形が明らかになるんですね。 申は「呻く(うめく)」の意味です。 これも語源は樹木の成長に例えられます。 申の呻くは果実が成熟して行って、固まって行く状態を表しています。 完熟までは達しない状態です。 「形が明らかになってくる」、「実が固まっていく」とはどういうことでしょうね。 その答えは歴史が教えてくれます。 前回の丙申の年を見てみましょう。 前回の丙申は60年前です。 1956年(昭和31)年を遡ってみて欲しいんです。 その年に何が起こったか。 1956年はもはや戦後ではない年。 日本は神武景気と言われた時期です。 戦前の経済水準を超えるまでに回復して、「もはや戦後ではない」と経済白書に記載されました。 「もはや戦後ではない」は流行語となりました。 戦後の復興が改めて明確に示された年と言えるでしょう。 国際的には、日本は国際連合に加盟。 その前に日ソ共同宣言がありました。 そのソ連での出来事も見逃せません。 ソ連でのスターリン批判。 1956年、フルシチョフがスターリンを批判しました。 独裁だったスターリンの死後、スターリンの横暴ぶりをフルシチョフが公表したんですね。 明らかになってますね。 政令指定都市の指定。 日本の話に戻って、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸がこの年に政令指定都市になりました。 もともと大都市であったわけですが、これで改めて明確になりましたよね。 「太陽の季節」と石原裕次郎さんのデビュー。 石原裕次郎のデビュー作、映画「太陽の季節」公開。 戦後の経済成長の中での若者の姿を捉えたもので「太陽族」はこのときの流行語。 不道徳ものの若者のことだそうです。 石原裕次郎さんはこの時、お兄さんが原作の本を書いているので、そのスタッフとして現場にいたらしいんですね。 それがきっかけで俳優デビュー。 その後は国民的スターに。 まさにこのとき、形がはっきりしたような感じがしますね。 エルヴィス・プレスリーの活躍。 アメリカではこの年にエルヴィス・プレスリーが不動の人気を得て行きました。 エルヴィス・プレスリーが全米チャート一位に。 そしてこの年のレコード売上トップ。 100位以内にランクインした曲数が史上最高を記録したそうです。 この年にデビューしたんじゃなくて、ブレークしたのがポイントなんですよ。 免田事件の再審を認めた。 もう一つ気になるのが免田事件の再審です。 免田事件で死刑が確定した免田栄さんの再審が認められました。 死刑囚の再審を認めることは初めてだったようです。 なんで再審が認められたのか。 何かが明らかになったわけでしょうね。 丙申の年は形が明らかになって、実が固まっていく? どうですか? どれも明らかになって行ってませんか? 「もはや戦後ではない」とか、「太陽族」とかは、今まで気づいていたようなことだけど、明文化されてはじめて実感するような印象を受けませんか? それから、「スターリン批判」、「免田事件」は知らなかったことが明らかになり、今までの考えが変わるきっかけとなっていますね。 エルビスプレスリーもこの年のデビューではありませんが、どんどん人気を得て行ったのが1956年。 ロックンロールというジャンルが形作られて、アメリカに溶け込んで行くわけですね。 決して最盛期というわけではなく、生まれたというわけでもなく。 形になっていくのが丙申の年のような気がします。 2016年はどんな年? 前年の2015年の干支は「乙未」でした。 乙未の年はすごい人が何人も生まれた年。 何かを生み出すべき年だとこのブログで書いたんですね。 それでは2016年の丙申の年はどんな年になると言えるでしょう。 キーワードは「形が明らかになってくる」「実が固まっていく」。 丙申の文字の意味がヒントですね。 これまで日の目を見なかったことが形となって現れて来る年だと言えるのではないでしょうか。 2016年は何かを始めるというよりも、これまでの頑張りが形になっていく。 評価されてこなかったことが評価されるとか。 これまで気づけなかったことに気づくとか。 見えてくるものがあるんですよ、きっと。 待つだけでなく、積極的に行くべきかもしれませんよ。 今までの曖昧な関係にけじめを付けるとかね。 隠していたことを話してみるとか。 どっちに転ぶかはわからないから、どうなんだろう。 スターリン批判も社会主義の混乱につながったし、免田事件もごちゃごちゃして決着は1983年まで続いたしね。 まとめ 2016年はまだ完熟する年ではないんですね。 形がはっきりする、固まって行くという成長段階です。 今やっていることが自分にとって何なのかを定義してみるのはどうでしょうか。 何を目的に頑張っているのか、きちんと見直してみる。 この後のさらなる成長につながる何かが現れるかもしれませんね。 新たな発見。 それをきっかけに新たな道が開かれるかもしれません。 2016年は、頑張ってきた人の努力が形になっていく年とまとめたいと思います。 ★ ★ ★ というわけで、簡単にいうと新勢力の台頭の年である。過去の丙申の年をみていくと、天変地異が多いことも目につくが、1596年に、フェリペ号が四国土佐沖に漂着し、イエズス会の植民地政策が露見し、豊臣秀吉が突如の切支丹禁令を発令しているのがわかる。また、秀吉は、大坂城において明使との会見を行うが和平交渉は決裂し、再度朝鮮出兵が発令された年でもある。 つまり、国際的には大変革の年ともいえる。 昨日、犬HKで、家康とエリザベス1世とのつながりの話を再放送していたが、家康が、バチカン=アジア支配に対抗するために、プロテスタントの英国やオランダを巧く利用したことが紹介されていたが、核心には迫っていなかった。 当時の日本は、大陸の唐が侵出してできた朝廷の傀儡政権国家なので、秀吉は天皇に成り代わろうとしたが、失敗し、家康は政権を乗っ取ろうとしていたが、家康にとって、バチカンに対抗できるプロテスタントの英国と条約を結ぶのは渡りに船だったのである。 秀吉も、家康もキリスト教を禁止したのは、武器弾薬火薬などの占有取引のためである。プロテスタントを通じて、新しい兵器が手に入るので、旧式の兵器を流通させるポルトガル、スペインを通じる必要がなくなったので、カトリックを弾圧したのである。カトリック弾圧は、プロテスタントの提案でもあるが。 カトリックのイエズス会の狙いは、中国の支配で、日本をその橋頭堡にすることだったが、秀吉は、朝廷を大陸に返すために当初イエズス会に賛同したが、フェリペ号の件で、イエズス会との関係が反故になり、朝鮮出兵は、その前線だったが、不首尾に終わり、イエズス会に裏切られた形で、秀吉は没する。 恐らく、秀吉は、明との交渉で、朝廷は唐の出なので、大陸に返上するというようなことを述べたが、明から拒否されたものと思われる。つまり当時の日本には、大陸出の傀儡公家政権と、武士の頂点の武家政権が混在した。 家康の代になると、姻戚により公家と公武合体政策がとられ、乗っ取りが図られ、英国とも協定を結ぶ関係となったが、英国はそもそも海賊の国なので、人身売買が止まずに、浪人を傭兵などにされると、徳川政権が不安定になるので、英国との協定も公武合体策が巧く言った段階で、反故になるが、その反動として、外様大名弾圧に、幕府がプロテスタントなどの英国を利用したのが仇となって、かえって癒着して、幕末に討幕として返ってくる。 公武合体策の反動が、島原の乱で、プロテスタントが乱鎮圧に幕府に味方したことが八切史観より明らかになっている。 幕末の薩英戦争などはその典型で、薩摩などはかえって外国勢力と癒着するようになる。 1596年の丙申からわかることは、新勢力の台頭と巧く和解できるかどうかが、その後の命運を担うということである。丙申は非常に重要な年といえる。 私見では、エネルギーの大変革が起こるような気がする。水素エネルギーなどの水に関係するエネルギーが台頭し、気象等を利用した新経済が建設されれば、景気が浮揚することが考えられる。シュタイナーの予言では、古代アトランティスのように大気は水蒸気状になっていくそうである。 丙の火のエネルギーにより、申の金、つまり金属が溶かされる年だからである。 昨年あたりから徐々に世間に浸透していきているのがナノテクノロジーだが、数十年前から、ナノテクが有名になる前から有名なのが、ノーベル賞を受賞した超電導と関係の深いSQUID(超伝導量子干渉計)である。 ★ ★ ★ 超伝導量子干渉計 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E4%BC%9D%E5%B0%8E%E9%87%8F%E5%AD%90%E5%B9%B2%E6%B8%89%E8%A8%88 ★ ★ ★ ナノのようなミクロの世界では、量子効果が現われ、その利用が有効となる。超電導はその代表例で、量子力学の応用のなかで最先端のものである。 このようなナノテクノロジ―が主流となる産業が基本となっていくのだろう。そして水素エネルギーが主流となり、生物絡みではATPの利用が研究されていくだろう。すでにATPを利用したナノマシンの開発まで議論されている。 ★ ★ ★ アデノシン三リン酸 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%87%E3%83%8E%E3%82%B7%E3%83%B3%E4%B8%89%E3%83%AA%E3%83%B3%E9%85%B8 ★ ★ ★ そして、人工光合成などが可能となる日が到来するかもしれない。
2016年01月04日
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