全6件 (6件中 1-6件目)
1
メルボルンは、紅葉も終わりに近づいて、うちの前庭を彩る白樺の木々も黄金色の葉を落とし、前庭はすっかり枯葉で埋まって――。土曜日の朝、ダディンは積もった枯葉の掃除を始めた。おともには愛犬、ポーポーとチャールス。2匹は門のところで道行く人やワンちゃんたちに吠えては、元気に飛び跳ねていた。娘は土曜日のジャパニーズ・スクールに行っていたので、退屈した息子が「自分も外に出たい!」と言いだした。「じゃあ、あったかくして、ダディンを手伝ってね」と、コートを着せ、前庭に。ポーポーとチャールスがしっぽを振り振り駆け寄ってきて、ダディンはムゥの靴のことで何か言い始め、私は仕事に戻ろうと二階に戻りかけた、そのとき。「犬がいない!」と、ダディンの叫ぶ声が。えっ!?慌ててまた外に飛び出せば、ほんとうだ、さっきまで確かに前庭を駆け回っていたはずの、2匹の姿が消えている。嘘でしょ、なんで!?「ポーポー!!! チャールス!!!」私たちは慌てて2匹の名を呼びながら通りに出たけれど、いない。前庭、サイド、裏庭、もしかして、さっき私たちが立ち話をしている間に家の中に戻ったのかもしれないと、家の中まで探し回るけど、どこにもいないのだ。なぜ? どうして? いったいどこに行ったんだろう!?どうやって出たんだろう?うちのフェンスはレンガと鉄の柵でできている。昔、モモちんが前庭のフェンスをすり抜けて迷子になってしまったことがあるので、フェンスの安全対策はしてあった。実際、柵の間隔は、小型犬でもすり抜けるのは無理だと思われるほど狭いのだけど、ちびモモが実績を作ってくれたので、以来ダディンは柵に金網を張り巡らせて、絶対に出られないようにしてあったのだ。なのに、なぜっ!?ほんの1、2分の間の出来事だった。ほんのちょっと目を離した隙に忽然と消えてしまった、って感じだった。ダディンは犬たちを探しに行くと手綱を手に出て行って、私は、これで4歳の息子まで通りに出てしまっては大変、とムゥを家の中に入れ、鍵をかけ、改めて庭や家の中を探し始めた。でも、どこにもいないのだ。もうパニックだった。あの子たちは、ドッグ・シェルターから引き取って来た犬である。引き取ってから4カ月、いや、その間日本に帰ったりもしたので、一緒に暮らして3カ月と経っていない。もともと捨てられたか、家を飛び出したかして迷子になっていた犬たちだった。とても自分たちで戻って来るとは思い難かった。そのうえ、ポーポーもチャールスもマルチーズ系で、小さいんだ。あの子たちが通りに飛び出したら、運転手は気付くだろうか?運転席からは見えないかもしれない。見えても、止まれないかもしれない。こうしている間にも、もしかして、もう事故に遭ってしまったかもしれない。車に轢かれてしまったかもしれない。そう思うと気が狂いそうだった。とにかく天に祈って、まず落ち着くため自分の書斎の瞑想スポットに行こうと二階へ。ふっと窓の外を見遣れば、通りに白いものが!ポーポー!!!ポーポーがフェンスの隙間から家の方を覗いているではないか!!!ポーポーがまたどこかに行ってしまうことを案じつつ私は一目散に階段を駆け降り、飛び出した。ポーポーを抱き上げ、中に入れ――、良かった――。ほんとうに嬉しかった。でも喜んでいる場合ではない、まだチャールスが…。息子とポーポーを家の中に入れ、自分は玄関先でチャールスが戻ってくるのを待った。いたずらっ子で、すばしっこく、子犬みたいにいつもそこらを駆け回っているチャールスが自分から戻ってくるとは、とても思えなかったけれども。だけど、チャールスは戻って来たのだった!通りの向こうから駆けてくるチャールスの姿に、息が止まるかと思った。喜びより先に、恐怖から。チャールスは車も確認せず、そのままこっち、通りへと飛び出したのだった。車が来なかったのは、幸運としか言いようがない。私はチャールスを抱き上げ、家の中に入れた。チャールスは、どこを駆け回っていたんだか、泥だらけになっていた。汚れた足やお腹を拭きながら、涙が止まらなかった。2匹とも無事に帰ってきてくれたのだった!安堵と、喜び。嬉しくて堪らなかった。こうしてまたチャールスとポーポーを抱けることが。2匹が自分から戻って来てくれたことが。ここが自分たちの家だ、とチャールスもポーポーもそう思ってくれているような気がして。絆がもうしっかりと繋がれているんだ、と思えて。それから暫くしてガックリと肩を落とし、疲れ果てたダディンが戻って来た。サプラ~~~イズ!だけど、チャールスとポーポーの吠え声、ムゥの甲高い幼児声に迎えられるや、パワーアップ。にこにこ元気に犬たちを叱っておりました。2匹が理解したとは思い難いけど…。後で調べたら、前庭のフェンスの柵に張った金網の隅が外れていた。どうやらいつの間にか犬が外していたらしい。もちろん、金網は張り直されて、前庭はドッグ・フリー、犬禁制となりました。残念だったね、もう道行くワンたちに吠えられなくなっちゃって、チャールス君とポーポーちゃん。
2010.05.29
コメント(0)
一月半以上遅れて、息子の四歳のお誕生会を開いた。ほんとうの誕生日は既に日本で、おじいちゃんやおばあちゃん、私の妹ファミリーに囲まれてお祝いしていたのだけれど、今回は学校のお友だちを招いてのお誕生会である。本人は二回、しかも忘れたころにまた祝ってもらえると言うので、大喜び。とりわけプレゼントがまたもらえるのが、嬉しくて堪らないらしい。会場は本人の希望で、大きな滑り台が人気のインドア・プレイグラウンド。娘のときは、本人の希望で、オーストラリアのネイティヴ爬虫類を呼んで、家で開いたので、準備がいろいろと大変だったけれど、今回はお店の方ですべて用意してくれるので、楽である。食べ物や飲み物はもちろん、帰りに子どもたちにお土産に持たせるパーティー・ボックスまで用意してくれる。つーか、なまじこっちで用意しちゃうと、持込み料金とか取られちゃうし…。というわけで今回、私はケーキを用意したくらい。ケーキはムゥの希望で恐竜のケーキを。この恐竜ケーキ、思いのほか良くできていて、ジャングルの河で遊ぶプラスチックの恐竜たちに、ムゥは大喜びだった。このプレイグラウンドは、子どもたちに人気のスポットである。一番人気の高~~~い巨大な滑り台に加え、トンネルや跳べる滑り台、ジャンピング・キャッスルや、小さな子も楽しめるような遊び場も、盛りだくさんなんだ。その周囲に並んだ、惑星の名前の付いた小部屋がパーティー部屋となる。ムゥの部屋は「MARS」、火星であった。小さなお皿とグラスがセッティングされたそこに、ムゥもメェも三十秒ほど足を踏み入れたものの、私たちの「もうすぐお友だちが来るから待っていようね~」の呼びかけも空しく、アッと言う間に遊び場に消えてしまった。次々とやって来る子どもたちも、プレゼントを手渡すや(と言っても渡すべき本人はいないけど…)ものすご~い速さで消えてゆく。親たちの方も、こういう場所でのお誕生会では良くある風景なので、追いかける方もほとんどなく、ほぼ放置。親テーブルの方でラッテを啜り、スゥイートをつまみながらのお喋りを。私もお名前も存じ上げない方々が多々いらしたので、自己紹介がてらお喋りを――。と、思う間もなく担当スタッフさんから次々と注文やら質問が入る。 大人へのスナックはいつお出ししますか? そろそろお子さんたちはお食事を、 そろそろバースデーケーキ・カットを、 そろそろお帰りのパーティー・ボックスを。なにしろ決められたセット時間の一時間半内に、遊びから食事からケーキから、何もかも押し込まなきゃならないので、慌ただしいのだ。そうしてそのたび、遊び場の各地に散り散りに散った子どもたちを呼び寄せなきゃならない。私たちだけじゃあ、一時間かかっても全員など呼び戻せそうにないので、それぞれ親御さんたちに頼むのだけど、それでも五分前には召集準備にかからなきゃならない。近隣のパーティー部屋からも、子どもたちを呼ぶ怒鳴り声が上がってるし。いやぁ、こういう場所では当然、遊びたい子どもたちを集めるのは、至難の業…。準備は要らないけど、とにかく慌ただしくて疲れました…。子どもたちの方は大喜びで、食べて遊んで駆け回ってくれたので、良かったけど。ムゥはもちろん、8歳になったメェにも楽しい時間だったようです。そのうえムゥには、これから山と積まれたプレゼントを開ける喜びが待っている。というわけで、ムゥ天国の一日でした。
2010.05.23
コメント(0)
五月中旬、メルボルンは秋も真っ盛り。家の前の通りに並ぶ樹々も真っ赤に染まって、紅葉の、それはそれは美しい季節です。そこで紅葉が終わってしまう前にと家族全員、4人と2匹で家から車で一時間ほどのダンディノン山に行ってきました。山は色とりどりの紅葉に染まって――、と思っていたのだけれども、意外に秋色の樹々は少なくて。思えば去年は四月末に紅葉を見に行ったのでした。やはり、もう終わってしまったのね、残念…。それでも、すっかりうちの子となった愛犬ポーポーとチャールスを連れて遠出するのは久しぶりだったし、ダンディノン山の秋の午後を楽しんできました。ワンたちが一緒だったので、テラスで食事のできるカフェでランチを食べて。前庭に佇む銀杏が黄色く染まって、秋日がキラキラ零れる中、味わうカフェラッテとオニオンスープとペリーケーキ。う~ん、食べ合わせはさておき、なんて贅沢なんでしょう。実際とっても美味しかった。ダンディノン山は国立公園に指定されていて、犬は中には入れないので、指定されていない部分の森林をぶらぶらと散歩した。紅葉に染まった木々よりもユーカリの木の方が多かったけれど、樹々の音を聴きながら小道を歩くのは、気持ちがいい。大きな樹々はのびやかで、雄大で、静かで、心も身体も癒されてゆくよう。久しぶりのブッシュウォークに、子どもたちは大はしゃぎでした。思えば、ポーポーとチャールスをブッシュウォークに連れてきたのは、今日が初めて。前のオーナーはこの子たちをどんなところに連れて行ったんだろうか?なぁんて、ふと思う。ここ、来たことあるのかな?もしかすると、これがこの子たちのブッシュ・ウォーク・デビューだったのかもしれないな~、なぁんて。のどかな秋の一日。紅葉は見逃したけれども、とても素敵な一日でした。――と、思っていた翌週、義理のお母さん、エリザ・ママ、曰く。「来月あたり、ダンディノン山は紅葉が見事でしょうねぇ」なんでも、あそこの紅葉はメルボルンより一月ほど遅いそうな。おいおい…。ダディン、メルボルン育ちらしく、も少し地元のことをわかっていてほしかったゾー。というわけで、フォト575ふうに締めますか。 来月も 行ってみたいな、秋の山。
2010.05.16
コメント(0)
今日は、子どもたちの通うモンテッソーリ・スクールのOPEN DAY。オープン・デーとは、言葉のごとく、学校を一般に開放するパプリシティの日。未来の新入生にアピールする、重要なPRである。ついでにファンドレイジング(資金集め)を兼ねた出店も並び、子どもたちの演奏会やアート作品の展示などお披露目イベントもあって、ちょっとした学祭。子どもたちにとっても、お祭り気分で盛り上がれる。年に一度のこの日をうちの子たちも楽しみにしているのだった。こういうイベントでいつも心配される、お天気はまずまず。今年も校庭(と呼ぶほど広くはないけど…)には、Sausage Sizzlingや飲み物、親たちがボランティアで焼いてきたお手製のクッキーやケーキ、各家庭からかき集めた古本、家にあるおもちゃ(?)を詰め込んだ箱に子どもたちが飾り付けをした「Noodle Box Lucky Dip」という福袋ならぬ福箱、なんかを売る出店も並んだ。フェイス・ペインティングやアート工房など、子どもたちが遊べるようなスツールも出ている。学校運営の資金集めの出店であるから、スタッフは全員ボランティアの親たちである。教室の方では、先生方やボランティアの親御さんたちが、訪れた人たちに一人一人ついて、学校のことを説明されていた。聞いているのは、子どもの入学を考えてらっしゃる親御さんたちだけど、孫の学校生活が気になる、おじいちゃん・おばあちゃんも多いそう。ちなみに、うちのグランマァも張り切ってやって来て、メェとムゥの先生からそれぞれじっくりとお話を聞いてきた、そうな。うちの子たちの通う学校は、モンテッソーリ教育を掲げている。イタリアの女性教育家(医師でもあった)モンテッソーリが提唱した、子どもの自発性を尊重し、学ばせるという教育法である。キャンパスは小さいけれども、自由で温かく、のびのびした環境が、私は気に入っている。娘によれば、勉強を押し付けられるのではなく、自分の学びたいものを自分のペースで学べるのが、いいそうだ。と言っても、偏らないよう先生が指導してくださるので、カリキュラムの中から「さあ、今日はまずどれを勉強する?」と子どもたちに選ばせるというふうらしい。このシステムには私たちも大いに恩恵を受けている。とりわけ生徒一人一人のペースで進む、この個人学習的要素は、学校を休ませて日本へ帰ったりする身には、非常にありがたい。1か月お休みさせてしまっても、前回最後の授業から再スタートになるのだから。そうじゃなければメェなど、既に落ちこぼれてしまっているに違いない。。。競争ではなく、協力から学ぶことを基本理念に掲げており、3学年の子どもたちが同じ教室で一緒に学ぶ。3歳から5歳の子どもたちは、サイクル1の教室で、6歳から8歳がサイクル2、9歳から11歳(もしくは12歳)がサイクル3となる。現地校では小学3年生に当たる8歳のメェはサイクル2、4歳で、3歳児の幼稚園に当たるムゥはサイクル1である。入学も同時スタートではなく、3歳になった時点で始まるので、初めての環境に不安で堪らない子どもへのサポートも心強かった。そのさい「Body」(仲間の意)という、年上の子が一人ついてくれて、学校に馴染みやすいよう教えてくれたり、遊んでくれたり―。これにも、メェも、去年入学したばかりのムゥも助けられたのだった。また自分が「バディ」に指名されるのも嬉しいようで、娘は張り切って、クラスに入って来たばかりの子の面倒を見ていたっけ。――というわけで、普段お世話になっている学校に感謝を込めて、今日はオープン・デーのお手伝いをさせていただきました。私たちは、今年も去年同様、Sausage Sizzlingのボランティアである。メェは4歳のときに、このボランティアを経験して以来、ハマってしまって、今年も「絶対これやる~!」と買って出たのだった。「ごっこ」ではない、本物のお金を使ってジュースやクッキーを売ったり、ソーセージを焼いて振る舞ったりするのが、楽しくて堪らないらしい。ちなみにソーセージ・シズリングとは、BBQで焼いたソーセージを食パンでくるんだもので、オーストラリアでは、ホットドッグ以上に人気なの。メェは、去年は紙ナプキンに食パンをのせたり、ジュースを運んだりしていたけれども、今年はダディンを手伝って、ソーセージや玉葱を焼かせてもらって、大奮闘だった。私も他のママさんたちと販売の方を手伝って、ムゥの方はもっぱら食べたり、遊んだり、4歳児らしくお客となって貢献していた。なにしろ昨日、自分で焼いて出店した砂糖衣のクッキーを、全部また自分で買い戻してしまったくらいだから ^^;。ちなみにクッキーの砂糖衣には青、黄、ピンクと3色を使ったのだけれど、出店に並んだのは、青と黄色のみであった。というのも、ムゥが彼の一番好きな色ピンクには愛着執着があり過ぎて手放せず、「ぜったいガッコウにもっていかない!!! せっかくつくったのに~~~」と大泣きしたせいで。結局ムゥは自作クッキーをぜ~んぶ手元にキープしてしまったわけである。手放すのって、やっぱり難しいんだよね。。。今年のOPEN DAYも大成功だったようで、ソーセージも飲み物や菓子類もほぼ売り切れて、閉店前に店仕舞いとなった。メェは、「来年もまた絶対にこのボランティアをやる!!!」と宣言し、私たちはコーディネーターから「じゃあ、来年もよろしく」と頼まれていた。たぶん来年の今ごろもソーセージを焼いていることだろう。さて、写真は、アート展に出展されていた娘の作品である。タイトルは「Lamb Sculpture」、スパり、「羊さんの彫刻」だそうな。
2010.05.15
コメント(0)
Mothers' Day、皆さまはいかが過ごされたでしょうか?さて、日本に帰国中に思わぬ水災に見舞われて、ビジネスホテルへの非難生活を余儀なくされた私たちではあったけど、ホテルから通勤はできても、子どもたちが通学するのは難しいってことと、火曜日に愛犬ポーポー&チャールスがNSW州に住む友達の家から戻ってきたことから、義母の家に居候させてもらうことになった。そうこうするうちに家も乾いて、轟音をとどろかせていた乾燥マシーンBlowerも全て外されて、水道管の調査や修理も終わって、保険会社から家に戻っても良いというお達しも出たので、週末の今日、無事、家に戻るという運びとなった。だから、母の日は義母の家で迎えた。義母と私と、W母の日。こちらで母の日には、子どもたち(とダディ)がいつものお返しにお母さんに朝食をつくってあげる、というのが一般的である。なので、朝はポイント。今年は避難生活から、思いもよらずダディンも久しぶりに自分のママに朝食を作ってあげられる、ことに。災難の中でも何かいいこと、なくっちゃね~今朝は、我が娘も張り切って、帽子にネクタイ、シャツにズボンにエプロン姿で、ペンとメモ用紙を手に早速、朝食のオーダーを取りにやって来た。メェによれば、彼女はウェイター兼シェフで、そのやや奇妙ないでたちは、彼女の店のユニフォームなんだそうな。フォーマルにかしこまる彼女に、フルーツのヨーグルトかけと、コーヒーを注文した。と、彼女はもう8歳で、火を使う料理もできるのだから、もっと手のかかるものを注文するようにと催促され、う~む、なるほど、遣り甲斐ないか…カリカリ・ベーコンと目玉焼きのせトーストを追加した。ついでに4歳の息子には、デザートのコーヒー受けに昨夜のディナーの残りの甘~いチョコレートを、と頼む。メルボルンの、母の日の朝――義母の家の紅葉で華やかな裏庭を眺めながら、ホッとひととき。半時間ほどで、子どもたちの呼び声にキッチンに戻って、子どもたちお手製のブレッキーを楽しんだ。その間、ダディンもお母さんのリクエストで、マーマレードをぬったトーストに、マグカップに波々と注いだグリーンティーという彼女のお気に入りのブレックファストを用意して、ベッドへと運んでいた。ちなみにベッドでブレッキーというのが、一般的らしい。そうして彼はいそいそとカードとお花のプレゼントを運んでいた。母の日が近くなると、オーストラリアの学校では美術の時間なんかに子どもたちに何か母の日のクラフト・プレゼントを作らせてくれる。私も今年は、メェからは百年保存できそうな素敵なカードを、ムゥからはビーズで飾り付けをした木のしゃもじを贈ってもらった。ついでにダディンからはベルギーのチョコレイト・ボックスを、みんなから母の日の鉢植えを。そうしてゆったりと過ごした幸福な朝の後には、さあ、大忙しのお引越しだ。義母がダディンの弟二人にマザーズ・デー・ランチに連れてもらっている間に、私たちは大急ぎで荷物を纏め、大掃除。荷物運びは、一週間しかいなかったにもかかわらず、なぜか三往復。ま、最後の便は私たちとドギーで、荷物はほとんどのらなかったけど。午後の大半は、ちょっと見、廃墟のような我が家をSweet Homeにすべく、健闘。そうして夜は、やっぱり母の日だからとダディンが予約してくれていたChinese Restaurantで、マザーズ・デー・ディナー。その店は、子(とりわけムゥ)連れディナーにはちょっと敷居の高いフォーマルな店なのだけど、さすが母の日。この夜はほとんどのテーブルに子どもたちが坐っていて、赤ちゃんや幼児の姿もそこかしこに。テーブルの周りをくるくる歩いてる子や、奇声を発してる子、泣いてる子やふざけている子。いつもの夜じゃ、あり得ない喧騒に、ホッ。これならおりこうさんしてられない息子と一緒でも大丈夫であろう、と私もいつもは飲まないカクテルを頼んで、オイスターやら北京ダックやら、次々と運ばれてくるご馳走をゆったりと楽しませてもらいました。途中ダディンはムゥを連れて席を立ち、何度か夜のお散歩を楽しまなければならなかったけど。そうして母の日は、私にとってもお母さん、ありがとう、の日であるわけで。いつもはカードに電話で済ませてしまうのだけれども、今年は4月に帰国したので、お花のデリバリーを手配することができた。(ちなみに去年はネットで注文しようとして失敗している…)日本にいる母に電話をすると、母はお花をとても喜んでくれていて、私も嬉しくなる。 どうもありがとう。というわけで、全国のお母さん、お母さんのような寛容さと愛情で人とかかわってくださっている全ての皆さま、 Happy Mothers' Day!ちなみに写真は、家族からもらった鉢植えを、カーペットの剥がされた私たちの元寝室に飾ってみた、の図デス。
2010.05.09
コメント(0)
日本に一時帰国して戻ってきたら、家がこんなになっていた。ひぇーーーっ!!!家が浸水したことは、ちょうど一週間前の4月24日に聞いていた。その日は久しぶりに先輩作家さんたちと新宿で会って、帰った夜にダディンから聞かされたのだった。家が大変なことになっているらしいと、ダディンのお母さんから電話があった、と。なんでもその前夜(か二、三日前に)メルボルンでは豪雨があって、念のため、家の様子を見に来てくれた義母が惨事に気づいたそうだ。ガレージの隙間から水が流れ出しているのを不審に思った彼女が、中に入ってみたところ、家の中は一面水浸しで、足元を水が流れていた。そのときも雨はまだ降り止まなかったせいで、義母は、階段や天井から水が流れ落ちてくるのを雨漏れだろうと解釈したのだった。義母は慌ててダディンに連絡を取ろうと私の実家に電話をしてくれたのだけれども、私は東京、ダディンは私の妹ファミリーと子どもたちを連れて出かけていて連絡が取れず、私の両親は英語が不得手だったため、ダディンが知ったのは土曜の夜。結局、翌日、保険会社に連絡を入れて、人の手配を頼むことになった。ものの、翌日は日曜日で保険会社は動けないということで、レスキュー部隊が動き始めたのは月曜の朝。そのときに初めて嵐のせいで水漏れしていたと思われていたのが、実は二階のバスルームのパイプ部分から漏れていたことがわかった。それでもとりあえず水は収まった。そうして中の被害状況も初めて確認することができたのだった。土曜日に義母が気付いたときは、一階の子どもの遊び部屋部分とダディンのオフィスの天井に穴があいてしまって、家の西側が浸水しているってことだった。けれど実際はダディンのオフィス部分の天井は、ほぼすっぽり抜け、子ども部屋の天井も半分は抜け落ちていた。で、私たちの寝室やらバスルームやら一階はほとんど、二階もムゥの部屋やバスルームがある西半分はどこも水に浸かっていたのだった。家の床は、石の部分とカーペット部分でできているのだけれども、カーペットは二階の娘の部屋とライブラリー部分の床を除いてすべて剥がされることになった。と、聞いてはいたが、百聞は一見に如かず。久しぶりに見る我が家は、想像していた何倍も酷かった。天井の、聞いていた部分はもちろん抜け落ちて、カーペットの剥がされた床はコンクリートが剥き出しになって、無数の釘が針の山状態で突き出している。とても危なくて歩けない。しかも釘は水に浸かって錆びてるし…。刺さったらすぐにも破傷風になっちゃいそうだ。床のそこかしこには、泥まみれになった縫いぐるみやら玩具、絵本、靴や洋服やらいろんなものが散乱していて、改めてひぇぇぇーーーーーーーーー!!!!!そのうえBlower、業務用の乾燥器が何基も据えられ家を乾かしているせいで、ものすご~~~い轟音なのだ。怒鳴り合わなければ、何を言っているのかわからない。こ…れから、どうしよう…。話を聞いたときは家がどんな状態でもここに住んで、ゆっくりと修復してゆこうと腹を括っていたのだけれど、とてもじゃあないけど住めるような状態じゃあなかった。保険会社からは、剥き出しの釘がそこらじゅうに突き出しているため事故に遭う危険性が高いから、家には戻らないようにと言われている。それに配管工が水道管の修復を終えるまで水道は使わないようにとも言い渡されている。水無しで生活はできないし…。だいたい、うちにはこの間、日本で4歳の誕生日を迎えたばかりの息子もいるのだ。今は長旅で疲れ切って車の中ですやすや眠っているけれど、たぶんムゥがこの空間に足を踏み入れたら、その一時間後には今度は病院の救急診療所に向かわなければならなくなるであろうこと、請負って感じ。とりあえず娘の方は義母と一緒にお庭に避難してピクニックランチを、ダディンと私は汚れて転がっている物品を比較的被害の少ないファミリールームの床やテラスに並べ日干しをするというささやかな作業に取り掛かる。だけど、この、そこかしこで雄叫びをあげるBlowerときたら…。この轟音の渦に揉まれていると、気が狂いそうになってくる。とてもここで今晩を越せそうにはない…。結局、この夜、私たちは保険会社の方が取ってくださったビジネスホテルに避難したのだった。このとき避難場所があるってありがたいことだと、しみじみと思わされました。保険会社の方々ありがとうございました。そうして家の惨事に気づいて、私たちがいない間、保険会社との間に入ってくださったお義母さん、どうもありがとう。心から感謝しています。。。ああ、それにしても、これからどうなることやら……デス。ちなみに、写真はランパス、子ども部屋の天井です。
2010.05.01
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1