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日本の実家で迎えたクリスマス。娘のメェにとっては3回目、息子のムゥにとっては2回目の。お祝いは24日のイヴにしたのですが、これが25日の日記になっているのは、24日の返信用メールをまたもや紛失してしまったせいデス…。で、イヴの夜は妹ファミリーもくわわって、クリスマスディナーを楽しみました。う~ん、炬燵とヒーターのクリスマス。オーストラリアの直射日光ぎらぎらクリスマスもいいけれど、やっぱクリスマスは冬、ですよね。ローストターキーよりもフライドチキン、クリスマスプディングよりも苺と生クリームのケーキ、義理の家族よりも生家の家族!って、あら…いけない… ^ ^;ダディンはさておき、私も子どもたちも、日本のクリスマスが大好きなのです。そうして、どこでクリスマスを過ごそうとも子どもたちにとって、絶対に欠かせないのが、サンタクロースへのおもてなし。クリスマス・ディナーが終わるや、メェはいそいそと今夜、来てくれるハズのサンタさんをねぎらう準備を整え始めたのでした。きっと彼女は、地球上のどこでクリスマスを迎えようともこれだけは忘れないのでしょう。メェにせがまれて、私も昨日は従姉妹たちを集め、オージー・ママ友、クリちゃんよろしく、クリスマスクッキーを焼いたり、トナカイをもてなす餌をつくったり。トナカイの餌は、クリちゃんはオート麦だと言っていたけど、近所のスーパーでは見つからなかったので、シリアルで妥協。トナカイが高く飛べるようにと降りかける魔法の星粉は、洋菓子用のちっちゃな金平糖で代用し。クリちゃんの演出からすれば、だいぶ見劣りするだろうそれらに、メェはかなり不安そうな表情を見せたものの、私に言われ、そのぶん思いと念を込めてトナカイさんの餌に魔法の金平糖の粒々を振りかけていたのでした。写真、右側がメェ作サンタさんへのクッキーとトナカイの餌、左側がムゥ作です。そこに2枚添えられているのは、プレゼントを届けてくれたサンタさんをねぎらう手紙なんだそうで。聞けば、去年もメェは、サンタクロースにお礼の手紙を書いていたのだそうで。彼女が毎年、サンタクロースにプレゼントをお願いする手紙を書いていたのは知っていたけれど、礼状も送っていたとは、気づかなかった。メェってば…。誰に言われたわけでもないのに、サンタクロースをねぎらい、感謝の気持ちを伝えようとする娘の心が、母はかなり嬉しいデス。で、ちなみに今年は、サンタクロースにプレゼントを頼む手紙は、念のため日本語と英語、両方で書いたそうです。「ママ、サンタさんって、何語でもわかるのかな? どうやって、子どものいる家がわかるんだろうね? で、どこから入ってくるんだろうね?」子どもたちのサンタ・ミステリーは尽きません。「サンタさんはね、 この間、来たときもそうだったんだけど、 おじいちゃんとおばあちゃんの家では、 ポストからお手紙をとってくみたいなんだよね。 で、玄関でお茶とかのんで、一息ついてくみたいなんだよ」謎は尽きないながらも、子どもたちは推測し、理解しようとしているところが、愛しい。こうして、子どもたちはサンタを思いながらワクワクと眠りにつきますが、親の方は、サンタのお夜食処理やらプレゼントの配置任務やら、いやぁ、イヴの夜、緊張感は尽きません。だいたいプレゼント選びから、思えばしんどかった。サンタ伝説では、「良い子」はプレゼントをもらえることになっているので、できることなら、子どもがお願いしたプレゼントをあげたい。ものの、それが手に入るかはわからない。ヘンなものを頼まれはしないか、と内心ひやひやしたり。子どもがお願いしたものをやっと用意できても、直前でお願いを替えられてしまっては、目も当てられないし。そんなわけで、我が家では必ず数日前に「文書」で書かせるようにしてきたわけなんですが…翌朝、子どもたちは枕元にサンタクロースからのプレゼントを見つけて大喜び。今年は、サンタの国から届いたプレゼントになぜか近所の商店街のロゴ入り包装がされていることもなく(詳しくは去年のクリスマスのブログに)、無事、ムゥには、彼がお願いしたポケモンの縫いぐるみが贈られていました。でも、メェの方は…。彼女がサンタクロースにお願いしたポケモンは、あまりにマイナー過ぎて、どこにも売っていなかったのでした。つーか、製造販売もされていなかったんだと思う…。でもサンタの国の魔法では不可能は存在しない…のかもしれず…。メェは、贈られたそれがリクエストと違うことなど一言も口にせず、嬉しそうに遊んでくれたけど、数日後、トイザラスに山積みにされていたサンタクロースからのプレゼントを前にぼんやりと佇んでおりました。 うっ…去年の商店街ロゴ入り包装紙といい、年々危うさを増してゆく我が家のサンタ伝説ではあります。。。メェ、来年はもっとメジャーなものか、具体性のないものにしてね。
2010.12.25
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19日の返信用ブログメールを紛失してしまったので、20日の日記に書いていますが、昨日は、全作家協会の忘年会でした。全作家協会とは、小説家や詩人、評論家など文学好きな人たちの集う作家クラブ。そこで定期的に開催される合評会や講演会、親睦会などの行事を通して、会員の方々と親睦を深めたり。協会では、機関誌『季刊・全作家』や、『全作家短編小説集』を発行しているので、作品を発表できたり。ホームページの方も充実してきたみたいです。作家クラブにもいろいろとあって、たとえば日本ペンクラブなどでは、2作以上の著書とか2名の会員推薦者とかの規定があって、入会審査とかもあるのですが、全作家協会はオープンで、ブンガク好きなら誰でも入会できます。ちなみに私は去年、日本ペンクラブに入れていただいたのですが、推薦してくださったのは、全作家協会理事長の陽羅義光さんでした。全作家協会とは、もう何年も前、その文学賞に応募した際に当時、女子大の文学教授をしてらした、常務理事の岩田光子さんからお声をかけていただいたのが、ご縁でした。以来、私があまり短編派ではないのと、海外在住のせいで細々とながら活動を続けているって感じです。それでも『Tamago』の出版の際など、いろいろと応援していただけて、ありがたかったデス。とりわけ会を通してお友だちになった先輩作家の方々からは、出版の相談にのっていただいたり。本の発売日に、オーストラリア暮らしで本屋に行けない私に代わって、本屋巡りをしてくださったり。纏め買いをして応援してくださったり――。思い返せば、うるうる。ほんと気さくで親切な方が多いのです。「書く」ということは、基本的に孤独な作業なので、こういうブンガク仲間との集いは、私にとってかなり貴重デス。けどオーストラリア在住では残念ながら、なかなか参加できないのが現状でして。日本ペンクラブなんて入会以来、なんと一回も参加できていない。今年は国際ペンの年で、定例会以外にも行事が盛りだくさんだったのに…。忘年会も11月で、帰国する前に終わっちゃってるし…と、かような淋しい状況なので、今回の帰国で、全作家の忘年会に参加できたのは、良かった。久しぶりにお会いした作家の方々と、執筆やブンガク話で盛り上がってきました。いろいろと刺激やインスピレーションをいただいてきました。皆さん、執筆量もさることながら、読書量もすごくて。新聞やテレビでご活躍の評論家さんなんて年に1万冊は読んでいるとおっしゃっていた。いやぁ、速読にしてもその読書量は、スゴっ!私も来年からはムゥが毎日学校行ってくれるので、書く時間がとれる~と張り切っていたのですが、読書時間も、願わくば今の十倍くらいはとりたいです~写真は、季刊雑誌『全作家』の80号。今回は「掌編小説特集」ということで、見開き2ページ短編のショートショートが掲載されています。短編が苦手な私も、企画した畠山拓さんに勧められて発表してみました。掌編小説特集第1弾の『全作家』77号では、「ダーリンズ―そうしてみんな生きている、でしょ?―」第2弾の80号では、「ミディアムの夢」。作品は全作家のホームページ上にも掲載されていますので、良かったら覗いてみてください。http://homepage3.nifty.com/zensakka/
2010.12.20
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この日記を書いている今は、2011年も1月23日なのですが――。実は先月から日本に戻っていました。北関東の実家に滞在していたのですが、ネット不審な父の方針でネットがなくて、ブログもアップできず。年も明け、今週こちらに戻り、久々にブログアップしよっかな~と思いきや、暦は2011年。今ごろ2010年のクリスマスじゃ大ボケだけど、日本で過ごした年末を書かないのも淋しいので、手短にぽつりぽつりと日本での日記をアップしていくことにします。数ヶ月経ってしまえばどちらも同じ、ということで。と、いうわけで、東京ディズニーランドです。12月中旬のディズニーは、しっかとクリスマスの装いしてました。冬空で、アトラクション待ちの長蛇の列…は辛いかな~と思ったものの、息子のムゥの強烈なリクエストで、今回も決行することに。以前ブログにも書きましたが、前回、家族で日本に一時帰国したときに行ったさいのムゥの興奮ぶりといったら。帰りの京葉線の電車の中で、窓の向こうに遠くなるシンデレラ城を眺めながら、「バイバイ、ディズニーランド バイバイ、ディズニーランド バイバイ、ディズニーランド」と、ずーっと小さな手を振っていたのでした。電車が地下に入ってからも、暗い壁を眺めつつ、ぼそぼそと、ほんとーに、東京駅に着くまで、ずーっと。そ…んなに嬉しかったのね…、そ…んなに嬉しかったのなら…と、ついつい、また。どうせなら、と一泊二日で。けど残念なことに、予定したその日は、寒いうえに雨の予報で…。なにぶん三か月前割引予約だったので、当日のお天気なんて、わかんないもんね。。。しかしながら実際、お天気の悪いウィークデーっていうのは、メリットも多いものなんですね。傘を持ちながらアトラクション巡りはちと辛い…と思っていたけれども、幸いお昼ごろには雨も止んでくれて!悪天候のせいで客足も鈍くて、ナントほとんどのアトラクションに待たずに乗れたのでしたっ! ブラボ~これならたくさん乗れるねっ!―と、思いきや、娘のメェがサーキットにハマってしまったせいで、サーキットばっかり。20数回も…。どうしてわざわざディズニーランドくんだりまで来て、ゴーカートに乗らなきゃならないのか、ワケわかりませんが、少なくとも待たされることがなかったのが、不幸中の幸いってことか。一方、ムゥのお気に入りは、アドベンチャーランド。恐竜列車と、ジャングルクルーズにハマってました。よってダディンと私は交替のシフト制で、サーキットとアドベンチャーランドの二手に分かれることに。結局、二日間もディズニーランドにいたのに、ホーンテッドマンションにも、カリブの海賊にも、プーさんのはちみつライドにも乗れんかった…そうして最後の最後、ラスト1時間で、メェは、なぜか突然アドベンチャーランドのカヌーにはまってしまった!のでした。で、間髪をおかずに、2度乗り。1度目は見送るだけだったムゥも、体育会系親切なカヌーお兄ちゃんに勧められて、勇気を出して挑戦するや、彼まですっかりカヌーの魅力にハマることに!二人とも来年は、ず~~っとカヌーに乗りたい!そうデス。メェなど、2日間をサーキットに捧げた自分を呪ってました。^ ^;というわけで、ディズニーランド。今回も子どもたちが大いに嬉しがり、はしゃいでくれたので、良かった。私とダディンはかなり疲れたけれども。でも子どもたちがディズニーランドで大喜びしてくれるのもあと何年あるか。そう思えば、今が花。せいぜい夢の世界を楽しみたいデス。
2010.12.15
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オーストラリアの12月は、クリスマスと卒業シーズン。息子と私の通うジャパニーズ・プレイグループでも、クリスマス会と卒業式が行われました。このプレイグループは、メルボルンで暮らす日本人ママ(もちろんダディも)と子どもたちの、ボランティアグループ。毎週月曜日に、教会のホールを借りて活動を行っています。子どもたちに日本語と日本文化に触れる機会を、と設立された団体なので、活動はすべて日本語で行われています。節分、お雛祭り、子どもの日や七夕、夏祭りなど、日本の行事や文化を、会の活動にも取り入れています。毎回の活動でも、工作や、日本語の絵本の読み聞かせ、日本の歌を「今月の歌」に選んでみんなで歌ったり、歌に合わせて子どもたちは楽器で演奏したり、かごめや鬼ごっこなど、日本の遊びをしたり――、と充実した活動を続けています。メルボルンで暮らす日本人ママには、ほんと~~~にありがたい存在なのでした。思い返せば私など、長女メェのときからお世話になっていたのでした。その娘が成長し、土曜日のジャパニーズスクール幼稚園部の入園を迎え卒業すると、今度は息子共々お世話になっていたのでした。入会当時はまだヨチヨチ歩きだったムゥですが、プレイグループでの活動を通して、息子の成長を間近に窺えたのは、すごく貴重でした。とても工作どころじゃなかったのが、いつのまにか自分から工作をやりたがるようになっていたり――。歌やお遊戯、ゲーム、絵本の読み聞かせを皆で楽しむ「みんなの時間」は、子どもと親が手をつないで「鍋なべ」をしてから始めるのですが、鍋、鍋、底抜け~と、みんなが歌い始めるや、「ママ、始まったよ! 早く、早く~」と、いつしか私を呼びに来るようになっていたり――。この「みんなの時間」では毎回、会員ママたちが交替で絵本当番をしてくれます。子どもたちの前に立って絵本を読んだり、歌やゲームをコーディネイトしてくれるのですが、息子もそのうち、その日の当番のお母さんを見よう見まねで、一緒に手遊び歌を、身振り手振りをまじえて歌ったり、ゲームにも参加できるようになっていました。絵本の読み聞かせが始まると、私の膝に坐って、絵本に見入り、当番のお母さんの声に耳をそばだてている姿が、かわいかったデス。ムゥは、長テーブルを並べて、親子一緒にみんなで食べる、お弁当の時間も大好きで。毎週月曜の朝になると、「ママ~、今日もおにぎりは、ゴマ塩とゆかりね~ 果物はイチゴにしてね~」などと、お弁当の中身を主張していたものでした。お弁当の後は外遊びの時間なのですが、シャイな息子もだんだんと他の子たちと遊べるようになって――。こういう、集団の中での子どもの成長を間近に見ることができて、工作やお遊戯、ゲーム、歌や絵本、お弁当や外遊びの時間なんて、ちょっと幼稚園でするような活動を、子どもと一緒にできるプレイグループと言う存在は、私たち親子にとって、とっても貴重なものだったのです。最後の2年間は、グループのリーダーを務めたので、息子も何かと仕事を手伝ってくれていました。会場として使わせてもらっている教会の鍵を開けると、私と一緒に玩具を出したり、子供用の小さなテーブルや椅子をセッティングしたり――。ちょこまかとお手伝いもしてくれたのでした。その息子も4歳。来年、土曜日のジャパニーズスクールの幼稚園部入園を前に、プレイグループの方は、今年で卒業することにしました。その卒業式で、私は会の代表として、手づくりの卒業証書を今年退会されるお子さんたちに手渡す、という貴重な役を授かったのですが、息子同様、入会当時はも~っと小さく幼かった子どもたちが、「はい」とちゃんとお返事をして、小さな手で卒業証書を受け取ってくれる姿には、感動しました。どの子もすっごくかわいくて、すっごく頼もしくて。我が子に卒業証書を手渡すというのは、奇妙な気もしましたが、ムゥもちゃんとお返事をして、小さな両手で受け取ってくれました。卒業生の記念撮影のとき、卒業証書を胸の前に掲げ、得意そうに、少し戸惑ったような顔をしていた幼い息子を、きっと私は生涯忘れないことだろうと思います。思い返せば、ここで、子どもたちも私も、実にたくさんの友達に出会うことができたのでした。数え切れないほど多くの温かな思い出を重ねることができたのでした。これから子どもたちの成長と重なって、温かく、切なく、思い出はきらめいてゆくのだろうと思います。それだけでもありがたいのに、私は会員の皆さんから素晴らしいカードとプレゼントまでいただいてしまったのでした。会のリーダーとしてふがいなかった、反省する点は多々あって、それでも寛容に支援し、ご協力くださった皆様に、お世話になったのは私の方でしたのに…。ほんとうに、なんとお礼を申し上げて良いものやら…。 会の皆さま、ありがとうございました。これからもこのプレイグループは充実した活動を続け、発展してゆくことと思います。そうして、かつて、オージーママばかりに囲まれていた私が、娘と共に、初めて日本人ママと子どもたちが集うグループにくわわって、メルボルンにいながらにして自然に、自分のなかの日本人であるアイデンティティを表現してゆけたように、きっとこれからもたくさんの日本人ママと子どもたちを支援していってくれることでしょう。 ムゥ、卒業おめでとう。これからは、毎週明けに作っていた、ゴマ塩とゆかりのおにぎりにイチゴという、ワンパターンな定番お弁当を、もう作らなくてもいいのかと思うと、母はどこか淋しいデスが。^ ^
2010.12.06
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オーストラリアの学校で、12月は学年末。卒業式の季節です。子どもたちの通うモンテッソーリ・スクールでも卒業コンサート―Graduate Concertがありました。私は毎年、この卒業コンサートを見るたびに、感動してしまうのよ。この学校に子どもを通わせて良かった、としみじみ思わされる時間です。というのも、こじんまりとした学校なので、卒業生の数も少ないせいか、生徒一人一人にソロでスポットライトが当たるんです。そのとき、独りで舞台に立つ子どもたちは驚くくらいに堂々と――。初めて見たときなど、ほんと感動したものでした。今年の卒業生は、11人。例年通り、卒業生全員が一人一人舞台に立って、「わたしのモンテッソリ・ジャーニー」というテーマで、5、6分間ほどのスピーチを。それぞれが自分の学校生活を振りかえって、表現してくれました。幼稚園部のサイクル1から通っている子たちは、9年前の思い出から紐解いて―。それらを、スピーチだけで表現する子、ちょっとした劇仕立てにして表現する子、シンガーソングライターして、自作の歌を熱唱してくれたり、ダンスに夢中だったという子は、踊りをまじえて、体操に熱中していた子は、体操も取り入れて、皆、それそれが自分らしく、実にのびのびとしたやり方で、スピーチしてくれる。ほんと、どの子も堂々と、輝いていました。卒業生は数えるくらいしかいないと言っても、小学校の部の生徒全員と父兄や家族も来るので、ホールの観客席には5、6百人はいるわけです。これだけの群衆を前にして、ものおじせずに話せる子どもたちって、すごい!と思う。彼らはべつだん、卒業生の中から選ばれた代表生ってわけじゃなく、全員が平等の持ち時間で、一人舞台に立ち、スピーチをしているわけですから。それがこんなにも自信にあふれて、自分を主張できるだなんて。もちろん、時にはつかえたり、スピーチ原稿に詰まってしまったりする子もいます。でもそういうときには、真っ先にクラスメイトから励ますように、ものすご~い拍手と歓声が湧くの。もちろん父兄や先生方からも声援と拍手の輪が広がってゆく。「私たちはあなたを応援しているよ」というこの肯定的な姿勢と雰囲気を、私は素晴らしいと思う。今年はスピーチの前に、在校生の司会で卒業生が紹介されると、舞台のスクリーン上で、その子の思い出の写真が映し出されました。 おしゃぶりをしゃぶった赤ちゃんの写真や、 海辺で遊ぶ、まだよちよち歩きの姿、 サイクル1(幼稚園)ときの運動会や、 サイクル2(小学校3年まで)のときの遠足や、 サイクル3(小学4年生から6年生)のキャンプ、なぁんて写真が、子どもたちの成長を追って綴られてゆく。隣では今や、モンテッソーリのサイクル3を終える成長したその子が、卒業生として舞台に立ち、スピーチを始めるのだから、親御さんの感慨もひとしおだろうと思います。見ているこっちの方が、涙ぐんでしまいそうだったくらいなんだから。メェも、思えば、ついこの間まで、ナッピーはいて、短い巻き毛を二つにひっつめて、よちよち歩いていた気がするのに、来年はサイクル3。そうなの、(たった)3年後はあの舞台に立っているハズで。そんなことを想っただけで、うるうるしてしまいました。娘もこの学校を卒業するとき、あんなふうに一人で大きな舞台に立って、スポットライトを浴びて、堂々と「自分の思い」を表現することができるようになるのだろうか?「自分」という人間を、何百人もの群衆の前で――?会場では一人がスピーチを終えるたび、ものすごい拍手歓声が湧きあがっておりました。拍手に口笛、「ブラボー!」の声援、床を足で踏みならす人たち、ワーグナーのオペラでだって、これほどの歓声は聞けまい。私も舞台で、せいいっぱい自分を表現する子どもたちに、拍手喝采を送らずにはおられませんでしたよ。 卒業生の皆さん、おめでとうございます。卒業生たちはスピーチの他にもミュージカルに出たり、歌ったり、踊ったり、楽器を演奏したり――。娘のいるサイクル2の子どもたちも舞台に立たせてもらって合唱していました。卒業生を囲んで、小学校の部全員がペンライトを掲げて歌った「Forever Friends」――美しく、感動的でした。コンサート後、私たちは帰ったけれども、卒業生とご家族は、パーティーへ。ミラーボールがきらめくなか、今度はディスコナイトです。3年後はあの輪に娘もくわわってフィーバーする(古くて、すみません ^ ^;)のかな?いやぁ、私の中では今でも「しまじろー」と一緒にタオルで拭き拭きダンスを踊っていた2歳の娘の姿がたぶってしまってるんで、想像もできないのですが…。ほんと、子どもの成長は早いデスね。さてさて、写真は、先週28日の日曜日に子どもたちが飾り付けをした我が家のクリスマスツリーです。今年は私たちが忙しすぎて手があかず、ムゥとメェの二人だけで飾ったのですが、いやぁ、なかなか。二人ともお疲れ様でした!
2010.12.01
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