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欧米の子供たちは大人になるためには何を学ばなければならないか? 何をおいてもまず大切なのは批判的知性を養うことだ。 これによってこそ、原因と結果の論理的つながりを認識し、外界の現実を事実に即してみつめ、子供らしい夢みがちなファンタジーの世界と峻別することもできるし、感情に流されず、思考と意志に従って生きてゆくことができるのだ。 これに反し、日本の子供が大人になるということは、一番内側のサークルと第二の中間世界との差を学ぶことなのである。 「オモテ」の世界の法則と義務を受け入れながら、この世界と自分の心の「裏の小部屋」との間にカーテンをひくことを学ぶのである。 母親の背に負われている時期からもう子供たちは、母親が隣人や魚屋と喋っている時でさえ家にいる時とは態度が異なっているのを観察している。 大部分は直観的模倣によって、ある程度は親の躾や学校の教育によって、子供たちは勘をみがいてゆき、中間サークルの複雑な人間関係の迷路の中を歩き回れるようになってゆく。 ごく初めのうちは、外界は子供からみるとずっと高い存在だ。 しかしいつかある時期には、早くは弟や妹の誕生によって、子供たちは新しい体験をする。「下の者」に対して愛情と恩恵を注ぐことによって「甘え」を許し、逆に彼らを自分に依存させるのである。 日本の子供が大人になってゆく段階で通過しなければならない過程は、欧米の子供のそれと比べて決して容易ではない。 しかし日本の子供が伸ばしてゆく資質は、知性や論理的思考や分析ではなく、人間相互の関係における繊細な感覚である。 心の中のカーテンで仕切った「ウラ」の部屋に情緒もファンタジーも子供時代そのままにしまいこんでおけるから、日本人は内奥の、子供っぼい甘えの世界を一生もち続けることができる。 心理的な「子供らしさ」の要素を日本人は無理に抑圧する必要がないし、暗いもの、薄ぼんやりした何か、アニマ的〔霊的〕なものと、思慮分別で照されている明確な意識とを切断する必要もない。 欧米ではこのような切断が成長過程の必須条件とみなされているのだ。 直観的、感覚的なもの、ファンタジーと非合理的なものに対する感覚などは、子供の裡には生き生きとして存在しているのに、知性という大題目の前には低い価値しか与えられず、徐々にしいたげられ、押し曲げられてしまうか、さもなくば、切り離された無意識の世界におしこめられてしまう。 このような状態は時には忍耐強い精神科医の努力によって再び表面に引きだされることもある。「心の社会・日本」 ロレンツ・ストウッキ サイマル出版会
2015年09月30日
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『万葉集』においても、愛を歌ったものが非常に多いのです。 それは『万葉集』の巻一の冒頭が恋歌から始まっていることからも分かります。 言挙げせぬ国の和歌で、一番よく言挙げされているのが「愛」ということは、「愛」は言挙げしても許されるという共通認識があり、また言霊によって愛が成就されることを願ったためでしょう。 それとともに、私たち日本人が歌に託して求めるものが、例えば「自由」や「力」や「権威」といったものではなく、「愛」であるところに日本人の無意識の理想像がうかがえるような気がします。「私の人生観、歴史観」 渡部昇一 PHP
2015年09月29日
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その最初の目的に至りてはその組織は白蟻(しろあり)・蜜蜂(みつばち)の社会よりもなお簡易質朴なる太平洋群島の野蛮人も、政治の機関は博大精緻に発達したる欧米社会においても、およそ国家ある以上は自他一様まずその生活を保つの一点に帰せざるべからざることは半文政治家といえども容易に断言しうるところなり。 一国にしてその生命あればこそ何事もその分に応じて行なわるべし。 もし生命なくんば何事をなさんとするも汝はいかにしてこれを行なうペきか。 しからばすなわち何人といえども、わが将来の日本を論ぜんと欲するの人は、まずわが邦の将来はいかなる手段によりて生命を保たざるべからざるかの問題をもって尋問の着歩となさざるべからず。 けだし一国の生活を保つゆえんのものその手段二あり。 一は生産の機関により、一は武備の機関による。 生産の機関は内部の供給をなし、武備の機関は外部の妨害を防御す。 孔子のいわゆる食に足りて兵に足るものすなわちこれなり。「将来の日本」 徳富 蘇峰 中央公論社 日本の名著
2015年09月28日
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いわゆる天皇の人間宣言と神道指令、そして憲法によるその内容の定着化が、一貫して占領軍の日本民主化政策の重要な部分に位置づけられていたことがはっきりする。 二つの勧告のうち、第一のものは、一九四六年一月一日のいわゆる天皇の人間宣言のなかにその内容が体現されている。 第二のものは、「神道指令」として施行され、戦前の国家と神道の癒着形態を完全に打破し、学校から天皇崇拝と国家神道的な式典を一掃した。 いわばそれらの措置が、日本の国体を変革したのであり、それらは、外部からの圧力によって、日本の国家の世俗化を実現したものであった。 人間天皇を国民統合の象徴とし、国家の世俗性を特徴とする新しい国体は、占領軍の占領政策の下で形成され、占領軍の総司令部によって起草され、形式的に日本人の議会によって制定された新しい憲法のなかに組み込まれた。 この「新しい国体」は、占領政策の定着化を期待した占領軍の思惑通り、占領が終わっても、日本人の多数の支持を受けている。「天皇と神道」 ウィリアム・P・ウッダード サイマル出版
2015年09月25日
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「大隈伯昔日譚」に維新を回顧してつぎのような感想がのべてある。 ――「一寸先きは闇の世の中とは是等の時機をいふならん。 明治維新を去る僅に三四年前においては、天下の志士は啻(ただ)に前途を観察する能はざりしのみならず、大概皆紛亂の場に轉輾したるに過ぎざりし。 ……有りのままを言へば、かかる際に處したる人は、何れも破船の激浪怒濤の中に漂ふに異ならず、眼界汪洋(おうよう)として東西を瓣(わきま)ふ能はず、彼方へ泳がんと欲して此方に流され、北に向はんとして南に却き、遂には意外の方向に於て彼岸に達するが如し。 唯其稱賛すべき所は気力と忍耐と臨機の智能にすぎず。 ……僅々数年間に幕府を倒して大政を奉還せしむるに至るとは、夢想にも及ばざりし事ならん」 そして、維新も結局はある抗しがたい時代思潮の力だつた、と感慨している。 ――「余は前にも断言せり、今又茲にも断言す。 維新改革の原動力は薩長の手に存したるにも非ず、公卿の間に出たるものにも非ず、又幕府の中に宿せしにも非ず、総て九州の端より奥羽の邊に至る迄、天下各地の青年書生の頭脳に煥發し、時勢と共に其力を養ふて遂に我國空前の偉業を奏したりと。 維新の歴史を描く者は之を特筆大筆すべし」。 私には、これが歴史に對するセンスをもつた観察だと思われる。 その歴史の中で活動していた人が後年になつて同顧したとき、彼は事實を枉げて圖式の中におしこむには堪えなかつたのであろう。 そして、この大隈伯が見たようなことを、われわれも見たのではなかつたろうか?「昭和の精神史」 竹山道雄 新潮叢書
2015年09月24日
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戦争に勝つ一年半以上も前、そしていかなる和平会談も開かれる前に、ルーズベルトは、ロシアに、その勢力圏としてヨーロッパを与えようとしたのみならず、ヨーロッパで、ロシアが支配的な勢力としてふるまうのを許す計画であったのだ。 心やさしいアメリカ大統領は、また、次のように期待していた。 「これは希望的観測であるかもしれないが、ロシアによる干渉は、厳しすぎるということではないかもしれない。 共産主義の支配は恐らく、拡大するだろう。 しかしフランスは、もしレオン・ブルームのような政権を持てば、最終的には共産化を免れるかもしれない。 人民戦線は、きわめて進歩的であるから、結局、共産主義者は、それを受け入れることになるかもしれない」 さらに、ルーズベルト大統領は、続けた。 「われわれは、ロシアの驚くべき経済的成果を見落とすべきではない。 財政は健全である。 もちろんヨーロッパの国々が、ロシアに適応するためには大がかりな変容を経なければならないのは自然の成り行きである。 ヨーロッパの人々(これには、フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、ノルウェー、そしてもちろん、戦争中の敵国であるドイツとイタリアも含まれる)は、十年、二十年先に、ロシア人とうまくやっていけるようになるという希望を持って、ロシアの支配を、ただ甘受しなければならない」 このルーズベルトの発言は、恥ずべきものである。 これは、フランスと他のヨーロッパの国々の自由に対する裏切りを提案しているのだった。 また、ルーズベルトが、ほとんどいつも、ロシア人と引用し、共産主義とは言わなかったのも興味深い。 彼の発言は、連合国の戦争目的を戯画化し、『大西洋憲章』を揶揄(やゆ)するものであり、そして、われわれの兵士たちのヨーロッパにおける尊い犠牲を否定するものである。 それはつまり、これらの英雄たちの死を無駄にさせてしまうものである。「日米・開戦の悲劇」 ハミルトン・フィッシュ PHP
2015年09月18日
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子日く、唯だ女子と小人とは養い難しと為す。 これを近づくれば即ち不孫、これを遠ざくれば則ち怨む。 孔子が言われた、「女子と小人とはまことに養いにくいものである。 近づけると、狎(な)れて無遠慮になり、遠ざけると怨む」 小人は、いつまで経っても人間として成長しない人、つまり普通の人という意味です。 子供も、そういう点で未熟ですから、小人の中にはいる。 この一節は昔から世のフェミニスト達によって攻撃されるのでありますが、これは攻撃する方が間違っておる。 大体人間というものは、女子・小人に限らず、そういう傾向があるものです。 よほど修養した人、出来た人は別として、そうでなければ、近づければ不遜になり、遠げければ怨む。 本当に始末の悪いものです。「活学 第三編」 安岡正篤 全国師友協会
2015年09月17日
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「実存」という術語はとりあえずは「自分が『ほんとうは何ものであるか』を知る手がかりとなった、自分の『現実的なあり方』」と理解しておいていただければよいかと思います。 「実存は本質に先行する」というのはサルトルの有名なことばですが、特定の状況下でどういう決断をしたかによって、その人間が本質的に「何ものであるか」は決定されるということです。(「根はいい人なのだが、現実的には悪いことばかりしている人間」は、実存主義的には「悪もの」と評価されるわけです。当然ですけど。) このあたりの基礎的了解については、構造主義者も別に異論はないはずです。 両者が対立するのは論件が「主体」と「歴史」にかかわるときです。 「寝ながら学べる構造主義」 内田樹 文春新書
2015年09月16日
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『神道指令』をさらに徹底させるために、占領軍は、翌昭和二一年元旦に昭和天皇に迫って、いわゆる「天皇の人間宣言」というもの――これは左派の歴史家が勝手にネーミングしたもので詔書にはそんな語句は使われておらず、正しくは「新日本建設ニ関スル詔書」と称されています――を出させました。 実はこれは、前年一二月『神道指令』を出すときに、すでに予定されていたのです。 『神道指令』の大前提として、天皇自身に神格を否定させよう、「人間宣言」させよう、とGHQは考えました。 それなしに、『神道指令』は完結しない、と考えられたからです。 そこで、一二月下旬から皇室に働きかけ、元旦の詔書となったわけです。 ただし、この詔書は一読すれば明らかですが、少なくとも昭和天皇のお考えとしては、なにより「五ケ条の御誓文」をあらためて国民に示し、日本には独自の民主主義の伝統がある、ということを思い出させ、日本国民の生きる道を指し示すことに主眼が置かれたものだったのです。 事実、昭和天皇は、それから約三〇年後、記者会見の席上で、こう語られています。 「神格とかそういうことは二の(次の)問題であった。日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいう立派な明治大帝のお考えがあったことを示すために、あれを発表することを私は希望したのです」(『昭和天皇語録』黒田勝弘・畑好秀編、平成一六年 講談社学術文庫) 昭和天皇は、さすがに正しくGHQの意図を見抜かれておられ、その上をゆくお考えを持っておられたわけです。「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」 中西輝政 PHP新書
2015年09月15日
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従来の近代化諭においては、いわゆる下部構造が上部構造を規定していくという考え方が強く、したがって、日本の工業化が西欧の水準に達すれば、社会のあり方も西欧と同様なものになるはずだという見方に支配されていたので、西欧にないような社会現象を一括して、日本の後進性とか、封建遺制と説明する傾向が強かった。 この見方はいうまでもなく、単純な発展段階説に依拠するとともに、西欧を日本よりはるかに高次にある先進国としてしか考えることのできない、明治・大正以来の日本インテリにしみついている根強い西欧コンプレックスにささえられている。 また、これら日本のインテリが「西欧社会」というものを、本を通したステレオ・タイプのイメージで受けとっていたということにもよろう。 西欧社会というものが、先進国というラベルのもとに驚くほど単純化され、西欧の諸社会に内在する複雑性を実態として把握する立場になかったという、比較社会学的考察に大きな弱点をもっていたということも指摘できよう。「タテ社会の人間関係」 中根 千枝 講談社現代新書
2015年09月14日
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第三部は、具体的に、勅語の公布と指令の発令という二つの処置をとることを勧告していた。 勧告の第一は、天皇の勅語が日本人の精神と行動に与える権威を考慮し、かつ「教育勅語」が悪用されてきた経緯にかんがみて、日本政府に圧力をかけることにより、天皇から、(1)日本の天皇が特別の起源ないし祖先のゆえにその他の国の元首よりも優れているとか、(2)日本人が特別の起源ないし祖先のゆえにその他の国の国民よりも優れているとか、(3)日本の国土が神々によって特別に創造されたことによりその他の諸国の国土より優れているとかという理由を設けて、日本が膨張すべき使命を有すると信じたり、宣伝したりすることは、愛国的でもなければ、天皇にたいする奉仕にもならないと宣言し、人権的平等と人類共通の関心を尊重して、国際社会の一員として、日本人とその他の諸国民との調和的かつ平和的な友好関係を広げるように努力することこそが日本人の義務であると宣言すること、などを内容とする勅語を公布させることであった。 勧告の第二は、国家から神道を分離し、かつ教育制度から神道を排除することを命令する指令を占領軍が発令することを提案して、「神道指令」の案文を添付していた。「天皇と神道」 ウィリアム・P・ウッダード サイマル出版
2015年09月11日
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大人の日本人の世界は、いうなれば同心円の三つのサークルから成り立っている。 一番内側のサークルには、狭い意味での家族、親友、それに同じ屋根の下に住む仲間などが含まれる。 中間のサークルには知人たち、まずは幼稚園や小学校の仲間から始ってだんだんに広がってゆく遠近各種の友人、仕事の同僚、長短の期間の差はあれ、行為を共にする上下各様のパートナー、などが入っている。 一番外側のサークルには、いわゆる他人、自分とはかかわりのない人びとがいる。 この人びとに対して自分は無名であるし、相手はタクシーの運転手から、はては「世間」と呼ばれる集合体までが含まれる。 人生の困難や成功や不成功の問題などは、中間の、第二のサークル内の出来事である。 ここでは複雑な「タテ社会」の法則が支配しており、「形式」と「ユニホーム」の規則、堪忍と忍耐、恥辱への不安、義理と恩義、「表」と「裏」との緊張、背反する多様に入り組んだ忠誠心のもつれなど、日本文学の中にはいくらでもその例をみることができる。 三つのサークルは、もちろん境界がそれほど明確になっているわけではない。「心の社会・日本」 ロレンツ・ストウッキ サイマル出版会
2015年09月10日
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自然とは形態である。 そのなかで高度文化の人間が自分の感覚の直接印象に、統一と意味とを与えるところの形態である。 歴史もまた形態である。 人間の想像力が自己の生命に関連して、世界の生きた現存在をここから理解しようとする形態であり、それによって自己の生活に、深められた現実を与えようとするところの形態である。 人間がこの形態の形成をすることができるか、またこれらの形態のどれが人間の覚醒した意識を支配するか、それはあらゆる人間的な存在の根本問題である。「西欧の没落」第一巻 O・シュペングラー 五月書房
2015年09月09日
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ただ、明けても、暮れても、有難い、嬉しい、でもって送れる筈だけれども、あなた方の煩悶は、たいてい、自分が望むものが得られないときに起って来るんだ。 そうだろうが。 自分の欲望がみたされないときに、必ず煩悶が起るんだ。 自分に甲斐性がなくて、それを自分のものに出来ないときに、それで煩悶するてェのは、なんてェこった。 一番いいことは、もしも自分の望むものが自分のものにならなかったら、現在持っているものを価値高く感謝して、それを自分のものにしてゆきなさい。 こういう心がけで自分の人生に生きてゆくと、心の中の煩いというものがなくなっちまいます。 何事に対しても、現在感謝。 ああ、有難い。 何に対しても現在感謝。 それより事態が悪くなっても、喧嘩にならないじゃないか。 病いになっても、ああ、有難うござんす。 病いになっても有難いというのはおかしいじゃないか。 だって、死んじまわなかったんだろ。 それよりも、まだ悪くなっても、どこにも尻を持ってかれやしない。 俺をこんな病いにかけやがって、俺は総理大臣に談判する、と言っても駄目だ。 だから、いまより悪くなっても、どこにどう尻の持って行きようもないのだから、それで済んでいると思ったら、感謝したらいい。 そういう気持を持っていると、どんなことがあっても、憂いとか辛いとかいうことがなくなるんだ。 朝からしょっちゅう、にこにこ。 何事に対してもにこにこ。 あなた方は、なかなか有難がらないね。 当りまえだと思っている。「天風先生座談」 宇野千代 二見書房
2015年09月08日
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善を見て而も怠り、 時至つて而も疑ひ、 非を知つて而も処る。 この三者は道の止む所なり。 この三つがあると、 進歩が止まってしまう。 善を見て怠り、 時機というものを見ながら、 決断がつかぬ、 時機というものは のべつまくなしあるわけではない。 必ず機というものがある。 だから時機という。 人間の生命にも 必ず機というものがある。 つまり、 そこを押えたらそれが他の部に、 また、 全体にひびく所と、 一向何にもひびかぬ所がある。 つまり、 「ツボ」「勘どころ」というものがある。 時というのはそういう ツボ、勘どころの連続である。 このごろ、 連続.非連続ということが使われるが、 時というものは機というものの連続である。 だから時というものをとらえようと思うなら、 機をとらえなければならない。 これを一度逃してしまえば、 なかなかしまつのわるいものである。 その時が至っておるにもかかわらず、 疑って、まだ時期が早いとか、 やれ反作用がどうだとかいって、 ぐづぐづする。 それから悪いと知りながら、何もせずにおく。 この三つがあればどうしても進歩が止まってしまう。「新憂樂志」 安岡 正篤 明徳出版
2015年09月07日
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アメリカによる対日占領政策の最重要課題は、何よりも日本人を精神的に弱体化させること、すなわち、日本人から歴史とアイデンティティを奪うことにあったのです。 このことは、今日、すべての日本人がはっきりと受けとめる必要があります。 というのも、日米戦争は、ドイツとの戦争とは違い、アメリカ人をして限りなく「心胆寒からしめる」ものだったからです。 とくに、末期の神風特攻隊と沖縄決戦、硫黄島決戦は、アメリカ人に甚大なショックを与えました。 それらの戦場で日本兵や日本人が示した驚異の自己犠牲精神、アメリカはこれを一番恐れたわけです。 それまで二〇世紀の初頭から数十年にわたって日本を敵視しつつも、日本人の力をあなどってきたアメリカにとっては、一大衝撃だったのです。 「この精神を崩さないかぎり、日本は再びアメリカの脅威になる」。 だから、アメリカの占領政策は、日本人の精神を根底から突き崩すこと、ここに主眼が置かれたわけです。 そのために目をつけたのが学校教育、なかでも歴史教育でした。 そういった意図を雄弁に物語っているのが、昭和二〇年一二月一五目にGHQより出されたいわゆる『神道指令』(『国家神道、神社神道に対する政府の保証・支援・保全・監督ならびに弘布の廃止に関する件』指令)です。「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」 中西輝政 PHP新書
2015年09月04日
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太宰・子貢に問うて日く、夫子(ふうし)は聖者か、何ぞ其れ多能なるや。 子貢日く、固(もと)より天縦(てんしょう)の将聖にして、又多能なり。 子これを聞いて日く、太宰、我を知れる者か。 吾れ少(わか)くして賎し。 故に鄙事(ひじ)に多能なり。 君子、多ならんや、多ならざるなり。 太宰は宰相の意味ではなくて、呉の国の官名で、六卿(りくけい)の一つであります。 呉の国の太宰が子貢に訊ねた、「孔子のような方を所謂よく出来た人と言うのでしょう、何とまあ、よういろいろのことが出来ますね」と。 この場合の聖者は、聖人ではなくて、通俗的な意味でのよく出来た人という意です。 すると子貢が、「もとより先生は生れつきの天のゆるした、何の捉われるところもない自由自在の徳を持った大層立派な人であってその上に何でもよくお出釆になります」と答えた。 それを聞いて孔子はこう言われた。 「さすがに太宰は私のことをよく知る人である。 私は少年時代には貧賎であった。 だからつまらぬことでも何でも出来るようになったのである。 一体君子というものはそんなにいろいろの事が出来るものであろうか。 いや、つまらぬことなど出来たとて君子にとって問題ではないのだ」と。「活学 第三編」 安岡正篤 全国師友協会
2015年09月03日
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結論として、 (1)国家神道が宗教的な要素を含むこと、 (2)宗教としての神道を廃止することはできないし、その必要もないこと、 (3)危険は、天皇と神道の結合にではなく、すべての政治的および軍事的権力を形式的に現津神(あきつかみ)たる天皇に委ね、実際には政府機構を支配する少数の権力者集団がその権力を行使する独特の政治システムにあること、そして、 (4)その解決のために、 (イ)天皇制を維持するという政策に合致させながら、宗教組織(教団)と政治組織(国家)を完全に分離し、 (ロ)(本指令の範囲を越え、別途に検討すべき課題であるが)日本の憲法および法律を改正して、国民によって選出された代表が直接的に国を治めるようにすることが必要である、としていた。 そのためには、国家による神道の援助と支配の廃止、教育制度からの神道の除去、神祀院の廃止、および神道によって鼓吹された超国家主義的な信念の打破だけでなく、日本政府がこのような信念を鼓吹するために作り上げた複雑な仕組みを一掃しなければならないと述べていた。「天皇と神道」 ウィリアム・P・ウッダード サイマル出版
2015年09月02日
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「俳句においては、ことばを惜しむということが優先的に配慮される。 これは私たちヨーロッパ人には考えも及ばぬことだ。 それは単に簡潔に語るということではない。 そうではなくて、逆に、意味の根源そのものに触れるということなのだ。 俳句は短い形式に凝縮された豊かな思想ではない。 おのれにふさわしい形式を一気に見出した短い出来事なのである。」(『表徴の帝国』) 私たちの文化が「みごとに説明しきること」や「何ごとについても理非曲直を明らかにすること」より、「無根拠に耐えうること」や「どこにも着地できないで宙吊りになったままでいられること」を人間の成熟の指標と見なすという「民族誌的奇習」を保存していることは、バルトの言うとおり、たしかなことであるように思われます。 それが果たしてバルトが夢見たような「無垢のエクリチュール」へ続く王道であるのかどうか、私にはよく分かりません。 しかし、それについて考察し続けることば、私たち日本人読者に許された「特権的な義務」であると私は思います。「寝ながら学べる構造主義」 内田樹 文春新書
2015年09月01日
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