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山を登ることが目的だった英語ガイドのエフラインと運転手のオルランドとのツアーだったが、フォルクローレの生バンドの演奏にしばし、聞き耳を立てていた。そもそもボリビアやペルーが本場だと思うが、エクアドルとペルー、ボリビアに昔は国境などなかった。民族的もサラサカ族(明日向かう予定)は、ボリビアから移住してすっかり、エクアドルに根付いている。 加藤登紀子が歌って有名になった曲も聞こえてきた。言葉はわからないが思わず口ずさむ。メロディーは、どことなく懐かしい。サンポーニャ(竹を2列束ねたパンフルートのような楽器)の音階を聞くと、日本や沖縄の音階のようにも聞こえる。ルーツが近いのかも。歌いかたも、発声を聞く限り、西洋的な頭声ではなく、もっと下のほうからでる地声に近い。男性の高い声が、メランコリックで、悲しげなのは、民族の歴史のせいなのか。 30分ほどでステージは終わった。その後は、BGMのサルサに合わせて、みな狭い机の間に出てきては踊っていた。私も、店の女の人に誘われて、踊りの中に入ったが、恥ずかしくて目をみて踊れない。踊りながら、世間話のひとつでも出きるほどの素養がないのが悲しい。ドイツ人らしいグループは、一人が音のうるささに閉口しているようすだが、あとはエロチックなダンスなどを笑いながら踊っていた。メレンゲというんだ、とエフライン。ドライバーのオルランドは、陽気に店の女の子を誘っては踊っていた。清算のとき、しっかりお金を取られたが。 2時間ほど店にいたが、ビールを一人2本ずつで6ドルとは、安いものだ。日本でこんな値段なら、毎日入り浸ってしまいそうだ。 現に、隣の席には、ジャングルに住む人、地元の人、白人の女の人の混ざったグループがいて楽しげに踊っていた。踊りの苦手な男の子が一人いたが、曲が変わるたびに互いに誘い合って踊っていた。健康的なディスコかクラブ(あまり行ったことがないので不適切な言い方ならごめんなさい)といった感じだ。
2002年08月29日
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チンボラソを下山した先は、バニョスという温泉のあるところだ。6時過ぎに出たのに、9時を廻っていた。まず、泊まるところをエフラインが心当たりのところに聞いて押さえてくれた。「まず、温泉に入ろう。」そこは、滝が見える温泉プールだった。水着は持ってきてあったので、彼らに言われるままに入ってみると、屋外に直径10メートルほどのプールがあってたくさん人が入っていた。上には、プールもあったが、寒くてだれももう入っていない。水着になって、入ると、1メートル50ほどの深さがある。しかもかなり暖かく日本の温泉と変わりない温度だった。エフラインは「どうだ、ノーマルに戻ったろう?チンボラソの小屋は寒かったし、空気が薄かったが、ここは、1800メートルだから」といった。その後、冷水に入ったら、3秒以内にまた温泉につからなきゃだめだとか、水にレモンを入れた水を持ってきて、のめのめと勧めたり、まあ温泉の入り方をいろいろと教えてくれた。おかげですっかり調子が良くなった。「さあ、フレンド。これから夜を楽しもう。」10時を過ぎて、ホテルに戻ったらすぐ出発した。(ちなみに、ホテルは、3人別に部屋を取って14ドルだった。なんという安さか。40ドルと聞き間違えたかと思ったほどだ。) エフラインは、肩をいからせ、つばをはきながら歩き出した。まるで日本のヤンキーの兄ちゃんみたいだ。ちょっと親しみがわくキャラクターだ。「フォルクローレの生バンドがでる店」を探したが、それは、たやすく見つかった。入ると、エクアドル産の知っているビール2種の一つピルスナーを頼んで待った。BGMに聞き覚えのあるイントロが聞こえると二人は、突然肩をたたいて、「フレンド、グロリア・エステファン(君の好きな)だ。」陽気なキティーニャ(キトの人)に今晩は振りまわされそうだ。」
2002年08月27日
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頭がぐるぐるしてくる。エフラインは笑いながら「それをヘリコプターというんだ」なんていっている。M氏に、もし具合がわるくなったら、下りることができるように、ドライバーも一緒に泊まると言った意味がわかってきた。山小屋には、管理をしている男と私たち3人だけになると、とたんに寒さも増してくる。暖炉に火が入るが、一晩燃やす量はない。さっきまでいっしょだったドイツ人のグループのことを思い出していた。私が上の小屋から下りてきたとき、車でやってきて食事をしてた彼らのことを。チョコレートをもらったお礼に、私があげた日本の山用の非常食を喜んで食べていた男の子。わたしが日本人だと分かると、盛んに「さよなら、ありがとう」と笑顔で答えてくれたおばちゃん。ユーロが珍しいだろうと、コインをくれたおじさん。それに対して、「グーテンターク」ととんちんかんなドイツ語を使った自分。頭が朦朧としてくると、自分の考えがまとまらなくなってくる。 エフラインは、さかんにM氏に携帯電話をかけていた。どうやら、私が小屋に泊まるか下に降りるかの相談をしているようだ。私は、遅くなると、山から下りる道が暗くなるので、決断するなら今だと思っていた。エフラインが、君の判断で決めてくれとM氏が言っているぞと言ってきたので、私は、一も二もなく、下に下りたいといった。外の天候は、まだ雪が降っている。明日山に登れる保証もない。また、朝まで眠れるかどうかも。私は、降りることに決めた。ともう一度言った。そうか分かった。とエフラインが言ったので小屋の主人に食事やお茶のお金を払おうとした。すると、「友達だから、いらないよ。」とエフライン。外は、夕霧が迫っていた。静寂の中に、エンジンの音が吸いこまれていく。
2002年08月26日
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昼近くになって、ようやくチンボラソのふもとにつく。入山料は、五ドル。外国人だから。あらゆる所で外国人料金と地元の料金が違うが、一番聞いて驚くのがガラパゴス諸島への入島料、外国人は、100ドル。現地の人は、数ドルらしい。すごい差だ。 4800mのカレール小屋まで、一気に登る。道は、昨日のピチンチャにくらべれば各段に広くて平らだが、ガードレールはない。はるかに続く砂地は、富士山に似ている。小屋について驚いた。バスやマイカーがたくさん止まっている。小屋の中は、超満員。中には、杖をついて歩く、体の不自由な人も来ている。子どももいる。いろいろな言語が聞こえる。ついて、すぐクラッときた。エフラインが「座ってリラックスしろ。」と席を指した。隣は、山小屋でアルバイトをしているような若者だった。「どこの国から来た?」「ハポネ(日本)」「そうか」スペイン語は分からないが、はじめて聞くことといえばわかる。 50リットル以上の大きなザックの人もいれば、軽装の人もいる。昼時とあって、おいしそうなスープのにおい、食事をとる人が、次から次へと席に付いては、去っていく。マテ茶を飲みながら、体調が整うのを待つ。暖炉に火がともり、振り出した雪の中を歩いてきた人が暖をとる。息が白くなるところから見て、気温は10度前後か。マテ茶を2杯のんで、元気が出てきた。ステッキを2本もたされた。「バモス(行こう)」 雪はまだやまない。石がごろごろしている。雨具のフードの紐を絞って、歩きはじめると、すぐ息があがってしまう。途中で立ち尽くす人を抜いたり抜かれたりしんがら、1時間弱で、5000mのウィンパー小屋についた。ついてすぐ、窓の外に鳥がいた。「あれは、何て鳥なの?」「カラカラだよ、フェイスフェイスだ。(スペイン語でカラは、顔の意。あまりにも直訳で笑ってしまうが)」 中には、一人の若者が読書をしていた。「写真取ってくれる」「いいよ。」小屋には、聖母マリアの祭壇があった。そこで写真を撮ってもらう。 しばらくすると途中抜いてきたドイツ人のパーティがどっと入ってきた。静かな小屋が突然にぎやかになった。ビデオをまわしたり、写真を撮ったりとはしゃいでいる。ちょび髭のちょっとゲルマン系ではない男がヒットラーにそっくりで思わず見てしまう。向こうも気がついてこちらをじろっと見てきた。「ヒットラーに似てるといわれませんか?」などと冗談でも言ってはまずいだろう。彼らは、食べかすを散らかしてすぐ下りていった。小屋の主人は、黙ってそれを拾っていた。パブやバールやバルでも感じるが、どこでもごみを落としていく。ごみが多いほど繁盛の証拠などと山小屋では違うだろう、と思ったが。「頂上行くの?」「できるだけがんばるよ」1時間ほど小屋にいたが若者が去ると、小屋にはエフラインと小屋の主人と私だけになった。「今日は、これ以上のぼらないよ。」「分かってるよ」「下りよう。」下りながら、後ろを振り返る。頂上はまったく見えない。下の小屋に泊まって明日は、チンボラソやコトパクシが見えたらと願った。
2002年08月12日
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7月30日(2日目) 朝8時きっかりに、ドライバーのオルランドとガイドのエフラインが迎えにきた。「元気か?」「元気だよ。」でけるのに、あまり多くの話は必要はないが、前の二人は、スペイン語で楽しそうにおしゃべり。こちらは、うしろでボーっと景色を眺めている。 キト市内を北へ向かい大きく回って南のアウストラーダに入る。日本のような自動車専用の高速道路ではないが、一応料金を払い、百キロ以上で車は走る。 天気は、今ひとつはっきりと晴れていない。右後方に、昨日登ったピチンチャの頂上が見える。高曇りといったようすだ。 ピチンチャ州をはなれると、となりのイリニサという町に入る。ここには、最初予定していた、北イリニサ山がある。南にも頂がある双頭の山だが、雲に包まれていて見えない。左手に、エクアドル富士の異名をもつ、コトパクシが見えるはずだが、それも見えない。エフラインは、ガイドブックを出して、私に説明をしてくれた。コトパクシは、登る人が大変多いとのことだ。いずこもきれいな山は人気がある。ちなみに私は、富士山は登ったことがない。眺めるのにはいい山だと思っているが。今回もコトパクシを望める山を希望していた。 今日向かうチンボラソは、エクアドル最高峰だ。6310mある。南米には、アコンカグアという6900mもある山があるが、それに次ぐ3番目ぐらいの高い山だ。もちろん登頂は望まない。いや望めない。経験が乏しいことやトレーニングをしていないこと、高度順応をする期間が短すぎることなどいろいろ問題がある。だから、今回は、4800mの山小屋まで車で登り、そこから5000mのウィンパー小屋まで登ることにしていた。ウィンパーとは、イタリアの登山家(冒険家?)で初登頂を果たした人だという。(当時は、チンボラソが世界で一番高い山だと思われていた) 長い道中で、カーステレオでかかる音楽の話から、好きな音楽やエクアドルの食べ物について話す。日本のオルケスタ・デ・ラ・ルースはいいとか、サルサが好きだとか、朝、チョクロ(白いとうもろこし)を食べたとか・・。 花や織物で有名な町アンバートにつくまでに、カピバラとウサギの焼いている店によって、味見させられたり、チョクロをチーズと交互にかじって食べる食べ方を教わったり、長い道中だったが飽きることはなかった。
2002年08月11日
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頂上についた瞬間、ガイドのエフラインは、「体はだいじょうぶか。頭は、おなかは、」と尋ねた。「OKだよ。」「明日はチンボラソ(エクアドル最高峰)だ。」「イエーィ」 握手をして、ガッツポーズをしながら。あまりコミュニケーションがとれていない彼と、意気投合する。高いところに向かうのは人間の性なのか、それとも神が自分の手元へ呼び寄せているのか。答えはわからない。ただ、より高いところに人が登るのは事実。エクアドルの彼と私、時差も年齢も、人種も超えて、喜びを分かち合えるのは、なぜだろう。 高いところへ登ったら、下りるのも宿命。頂上にいたのは、ただの数分だったか、10分もいただろうか。座ることも、感慨にふけることもなく、十畳ほどの頂上を行ったり来たりして、雲が少しでも晴れることを願っていた。 南側の断崖を見下ろしながら、雲の切れ間から見える山を指した。白く見えるのは、雪渓か砂かとエフラインにたずねると、砂だという。標高が4500を越えても雪がないのは、ここが赤道直下だからだ。フリースを来て手袋をしていても風で体温を奪われるここには、長くはいられない。しかし、いつまでもいたいような懐かしさがあるのはどうしてなんだろう。のどにささる冷たい空気を肺いっぱいに詰め込んで、鉄骨でできた十字架の天辺をさわると、もう気が済んだ。「下りようか。」私は、エフラインに合図した。 下る途中、アメリカ人らしいパーティとすれ違った。両手にストックをもち息を切らせて年配の女性も登ってきた。アメリカの南部から五時間ほどの直通便でこられるここは、日本で考えるほど、辺境の地ではないのだ。むしろ、避暑地、避寒地としては、物価の安さ、1時間もすれば山に登れるところにあるキトは、リゾート地の条件をかねそなえているようだ。1時間ほど下ると、コンクリートの巨大な墓標のようなところで風をさけて同じパーティーらしい女性が座っていた。「英語が話せるか」とエフラインに尋ねて、仲間の様子を聞いていた。あとで知ったことだが、私たちが車を待たせている地点に他の自動車は来なかったので、彼らはもっと下から登ってきたらしい。登頂が午後1時半ほどだった私は、これでも遅いと思っていたのに、彼らは、さらに1時間ほど遅い。下りは、大丈夫だろうか。 下りながら、足をひねったり、牛にであったり、しながら、車に戻ったのが、3時だった。「体は、頭は、・・・」いつものエフラインの質問をさえぎって。「おなか空いたよ。」とひとこと。「昼飯にしよう。」食べ始めてから、頭痛がはじまり、弟のピソについたときには、ぐったりしてしまった。夜は、バァファリンのお世話になった。夜、この登山をアレンジしてくださったM氏に電話をすると、「それは高度障害ですね。4、5千mでも数時間は大丈夫なのですが、後になって出るのですよ。」そういえば、キトについて3日たって鼻血が出たっけ。「明日は、8時出発です。」M氏の言葉に私は、背中を押されるような感じになった。もう行かないわけには行かない。チンボラソのどこまで登れるのだろうか。不安は期待に変わっていった。
2002年08月09日
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避難場所から、岩場の間を縫って登る。ルカピチンチャの頂上は、雲に隠れていてはっきりとは、見えないが、あがってきた高さから見て、もう数百メートルもないはずだ。そのうち、バナナの腐ったようなにおいがしてきた。みると、カンナのような茎の長い花がすでに花びらが落ちていたが、多数見られた。エフラインに聞いて見ると、「このへんの花がにおいを出しているんだ」という。彼は花はあまり詳しくなさそうだ。チュキラワ以外の花を説明しないところを見ると。あるいは、当たり前すぎて説明をするまでもないことなのか。さらに行くと、もう植物もあまり生えていない砂と瓦礫になってきた。風も一段と強く吹きつけ、さらに、息が上がって、進むのがつらくなってきた。ここまで、何度も休憩したが、そのたびに、エフラインが、「頭は、正常か、おなかはどうだ?」と聞いてきた。彼の英語は、スペイン語なまりで、ノルマルと聞くのだが、これなら、まだ分かる。その後、チャルチ(教会)ビルジン(聖母マリア)などいろいろな言葉で理解に苦しむこととなる。「だいじょうぶ。頭もおなかも正常だよ。」しかし、後になってみると、頭は酸素不足で、正常に働いていたのかどうか。メモの紙を見ると、字が乱れていて、意味がよくわからないことも書いてあった。最後の登りは、ガイドのエフラインも迷い始めた。彼のルートより、私の登るルートのほうがたやすいこともあったし、彼のルートを無視して、登ろうとしてやばいと思ったところもあった。(岩登りの基本は、手と足の三箇所が確保されていること。ひとつでも不安定なところにのせてしまうと、次の一歩が踏み出せなくなってしまう。)スニーカーでも大丈夫な山だと言っていたM氏の言葉を思い出していた。日本なら、きっと鎖やはしごが掛かっていただろう。しかし、ここでは、そんな親切なものはない。5,000mほどの山は、それこそ山ほどあるアンデス山脈のこと、別にとりたてて安全確保などする必要もないのか。それとも、安全や登山に対する考え方が違うのか。意外にも突然頂上についた。岩場1時間といっていたが、思ったより早く着いた。霧か雲か。まわりが見えないが、頂上に、鉄筋で十字架がひとつ立てられた簡素な頂上だった。エフラインの標高計が4670メートルを示していた。彼は、「多分これより20メートルは高いよ。今日は、気圧が低そうだから。」と言った。コトパクシやカヤンベ、アンティサーナなど、キトを囲む雪をいただく大きな山を見たかったが、あいにく雲は消えずに、時間が過ぎていった。エフラインに写真をいちまい撮ってもらった。しかしバックが真っ白だった。
2002年08月08日
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ペースをあげて登り始める。登山ルートがほとんどわからない。日本なら、石にペイントしてあったり、標識があったりするのだが。人が歩いたところが、結果的に登山道になるのだが、風の強い今日は、尾根より、少し下の草の中を歩く。びっしりとこけのようにはりついて繁茂している草がある。草でできた大きな石のように、ごろごろとある。踏むと数センチ沈み足を取られそうになるが、慣れると心地よい。ギボウシ、キキョウによく似た植物もある。あちこちに、円く焦げたあとがあるので聞いてみた。「78月になると学生が来て、火をたくんだ。問題だよ。」私も答えた。「日本でも、タバコとか、お菓子の包み紙が落ちているよ。」山の好きな者同士、多くを語らずとも気持ちは通じる。しかし、なんで、日本では、飴やせんべいを小分けして袋にいれるのだろう。そのために、山にごみが増えて仕方ない。(風でとばされたり、小さいごみなので気にしないで捨てる人がいるので)過剰包装もいいかげんにしてもらいたい。岩場に到着した。もう12時になっていた。「はらが減っているか?」「いいやだいじょうぶ。」「ここは、避難場所だよ、少し休憩しよう。」エフラインは、リュックをおいてその場をさった。多分ピッピだ。(帰りに、トイレのために車を止めてくれと言ったら、ドライバーがうれしそうに、「ピッピか?」といったので。それにしても、ピッピとは見事な表現だ。)避難場所は、20畳じきもあろうかという岩のえぐれた場所で、壁面に、名前や悪戯書きが一面に書いてあった。日本の文字を探したが、見当たらなかった。念願だった、山の上からのコトパクシ山(エクアドルの富士というわれる、美しい円錐形の山)や昨日バーベキューで向かった先にあったカヤンベ山は見れそうにない。どちらも頂上が見れれば、雪がついているのだが。
2002年08月07日
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登り始める前に、呼吸の仕方を習う。「鼻からこうやって吸うんだ。」ガイドのエフラインが、身振りを交えて、鼻からゆっくりと吸い始めた。「そうして、ゆっくり、3、4秒かけてゆっくりはく。こうすると、頭に酸素が行くんだ。けっして、ハーハーと短く吸わないこと。」短い草と茎がないほど地べたに貼りついた、マーガレットのような花とタンポポの花がある道を歩き始めた。「西洋タンポポだ」と妙に感動する。当たり前だ。私の職場の周りには、西洋タンポポと関東タンポポが、入り混じって咲いていている。花のすぐ下のがくがめくれているのが、西洋タンポポで、めくれてないのが関東タンポポだが、最近日本では、西洋タンポポが多く、日本のものが少なくなっている。私の靴に関東タンポポの種が付いていたら、ここにも日本のタンポポがふえるのか、などと空想しながら歩く。 少し歩くと、リンドウのような花や野アザミのようなチュキラワと言う花があった。ガイドによると、チュキラワという花は、花自体が、薬草だそうでおなかに効くらしい。いっしょに登ってきた、ドライバーが紙にスペルを書いてくれた。 さらに、歩いていくうち相棒の調子が悪くなり、そこで待つことになった。エフラインが、「われわれだけ、頂上に行く。彼は、ここで待つか、車まで戻ることにしよう。」登り始めてすでに、1時間ほどが立っていた。予定では、岩場まで2時間といっていたが、まだまだ先のようだ。
2002年08月06日
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キトの市内を西に向かう。新市街に対して、旧市街は、狭い道も多く、黒々と排気ガスを噴きだすバスが多く走っている。客がいっぱいになるまで、次々と人を乗せていく。パネシージョの丘の頂上(3000m)に見える巨大な羽をつけた女神像の背中をみながら、車は、どんどん高度を上げていく。「今日登る山は、グアグアピチンチャ?」とたずねると、「ルカピチンチャだよ。ルカは、古いと言う意味のローカルネームで、グアグアは、ベィビィという意味。グアグアピチンチャのほうは、多分百年ほど前に噴火したんだ、だから新しいんだよ。」「グアグアピチンチャの高度は、4794mだけど、ルカはどれぐらいの高さなの?」「4690mぐらいかな。」車の外は、石畳の道になる。バスは、学校の前に止まっているところを最後に、もう登ってこない。もう女神は下の方に見える。 M氏が、車は4WDに、といったわけが分かる。幅3メートルほどの道の真ん中を水が掘った後が50cmほどになっている。車は、大きく蛇行しながら、登っていった。 右手下方を飛行機が飛んでいった。市内なら地上に大きな影を残して飛び立っていくのに、ここからは、おもちゃのように小ちゃくて、ゆっくりと見える。ビルの上を飛ぶ飛行機を見ていると、今にも市内に落ちるのではないかと不安になる。 歩いたほうが速いほどにゆっくりと、しかも車が登るにはあまりにでこぼこの道を登りつづけた。ガイドと運転手は、後ろの不安げな私たち(前日に出会った弟の職場の同僚の弟さんがいっしょだった)を無視するかのように、陽気にしゃべりつづけている。途中、牛がいた。「バカ(雄牛)」というと「ア・シー(そうだ)」とガイドが答えた。 突然、巨大な電波塔が見えた。車は、そこに横付けしてとまった。いよいよ、ここから登る。ガイドは、車の後ろから、ビニールに入った行動食をとりだし、「ランチ」といって手渡してきた。そして、バナナ(エクアドルの特産品)をたべろと合図した。「バナナは、足のリラックスとビタミンの補給になるんだ」と解説した。「ヨーグルトもいいよ。」すかさず私は、「今朝、ごはんとバナナとヨーグルトを食べてきたよ。」「ア・シー」(このガイドは、シーの前にアをつけるのが特徴で、日本語なら多分「あっ、そう。」という感じかな。ひげ面の顔をほころばせながらも、眼光の鋭い彼。年はいくつだろう。多分私より若い。彼が、腕につけた高度計を見せた。「3995」もう富士山3776mをはるかに越えていた。
2002年08月05日
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こんなにあっけなく、実現するとは思わなかった。以前から海外のトレッキングに憧れていた。今年は、山に行く計画も次々につぶれ、もうだめかなぁと思っていた矢先だった。 弟が7月から赴任したのが、エクアドルの首都キトだったこともあり、思いきって11日間の休みを開けて出かけた。当初は、ガラパゴスのツアーを目論んでいたが、シーズン中にて高かった。(一人15万ぐらいになるらしい)それに、弟の家族と別れて何日も一人で行く気にもならなかった。世界遺産という番組で、キトとガラパゴスを立て続けに放送していたこともあり、エクアドルに対する期待が高まっていたが、旅に対する想いは少々しぼんでいた。 突然思いついたのが、キトが2850メートルの高地なので、そこで体を慣らしたら、4000メートル以上の山が登れるのではないか、ということだった。 早速、インターネットで、キトから行かれそうなトレッキング情報を集めた。出てくる出てくる、5000、6000メートル級の山のトレッキングツアーが。そこで、早速メールであたってみたところ、ツアーが催行されるかがはっきりしない。そんな折に、弟が出会ったというキト在住のM氏が、なんとガイドやドライバーを紹介してくれるという。思いきってそれをたよりに、出かけることにした。 M氏によれば、まず、一日4000メートル級の山に登ってみて、それから、5000メートル以上の高地へチャレンジしたら、と言う。そこで、キトに入って、6日目の29日に、キトを見下ろす、ルカ・ピチンチャ(4694m)という山に登った。 朝8時(山行きとしてゆっくりだが)にドライバーとガイドが迎えにきた。ガイドはエフライン。彼に自分の命を預けるが、英語でのコミュニケーションに不安があった。彼はひどいスペイン語なまり、私は、片言英語。どうなることやら。
2002年08月03日
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