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昨日、横浜駅で、千鶴子さんに会った。ほんとうに久しぶりだった。まったく不義理ばかりしてしまう。いつものように「文袋を十枚、おねがいね」という注文で横浜高島屋前で12時に待ち合わせた。その場所には、人待ち顔の中年女性や老婦人が並ぶ。それぞれにそれなりのおしゃれをしていてさすが横浜だなと感心する。どのひとも待ち時間が長くなると時計をみたり、辺りを確認し始め待ちびとが来れば、破顔する。グループの待ち合わせはどこか雰囲気が似ている。母娘なのか、よく似た顔が並ぶこともある。これから夕刻までのお楽しみ。うきうきと歩を進めて去っていく。わたしの待ちびとは、いささか遅れ気味で例に倣って、きょろきょろしているといつもとは違う方向から歩いてくる千鶴子さんの姿が見えた。 小走りに近づくと「よくわかったわねえ」と言う。「ハイ、超能力ですから」などと答える。バスが遅れたのでタクシーに乗ったら変なところで下ろされて、高島屋のまわりをぐるりと回ってきたらしい。手術をした足を庇いながら杖をついて歩くのは大変だったろう、と思いつつ「あえてよかったです」と言うと「こちらこそ」と返ってくる。これまではかっちりとしたスーツ姿が多かった千鶴子さんだが最近は柔らかなズボンを穿いている。「手術をしてから右と左の足の太さがすごく違ってるからもう、スカートは穿けないの」ふたりならんで1秒間に2歩くらいのゆっくりとした足取りでジョイナスの「分あいちや」へ行くとお昼時で店の前の椅子にひとが掛けて順番待ちをしていた。と、最後尾の若い女性が「どうぞ」と千鶴子さんに席を譲った。「ありがとう。でも座ったり立ったりする時のほうが痛みますので結構です」腰痛のわたしも実感する言葉だったがなかなかそうは言えないものだ。きっと千鶴子さんは日常的にこんなふうな場面に遭遇してこの言葉を重ねているのだろうなと思ったりする。人懐っこいマスターが自慢げに説明してくれる創作和食に舌鼓を打ちながらビールも少しいただく。「うちでは禁酒なの。おやじさんが飲ませてくれないの」と言われて、「いいんですかあ」と問うと顔をクシャっとしてゆっくり頷く。「もう、怒られてばっかりなの。旅行も行かしてもらえないし、自由がないの。一ヶ月でもいいから主人より長生きして一人で暮らしたいわ」千鶴子さんはこれまで病気をして何度も入院してきたのでご主人は心配されておられるのだろう。それでもふっと漏らすように言った「夫はわたしが足の手術してからいっしょに歩きなくないのか手もつないでくれないの」という言葉を聞くと、老いのなかでこころもとなく揺れている想いが感じられて言葉に詰まる。それでも「しょうがありませんねえ。わたしが叱ってあげましょう」なんて言うとにっこり笑う。「わたし、甘えんぼうになったの」「へえ~、嘘みたい」「だって、いちいちなんかしてもらうたびにありがとうっていうのめんどくさいからもう甘えとくことにしたの」ご主人の単身赴任が長くてなんでも自分ひとりでこなしてきた千鶴子さんはそれゆえに甘えべただったのかもしれない。「だからそのお礼をまとめてこの袋をあげるのよ」「あらあら、ありがとうございます」前のご注文のときはこんなのをお持ちした。「わたし、これのおかげで人気者よ」短歌や俳句のお教室に文袋を持っていくと目ざとく見つけた人にねだられてあげてしまうのだという。「だから、10個、いるのよ」「毎度ありがとうございます」今回はこんな面子を揃えてみた。お気に召したようで、なにより。「でもすっかり袋物屋ねえ。文章はなんか書いてるの?」「いやあ、それが・・・」「こまったわねえ」千鶴子さんは今年も個人誌「藻乃露於具」を出す予定でもう原稿は書き上がったのだという。84歳なのに、すごいものだ。それにひきかえ・・・ではあるのだがま、それもいたしかたなし、と思う今ではある。さて、今日は私がお支払、と思っていると千鶴子さんが大きく首を振る。「あなたはわたしの娘のようなものだから」その言葉が胸に詰まって何も言えなくなった。そんなわたしの横を千鶴子さんはゆっくりとすりぬけてレジへ向かった。
2010.09.30
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昨日、年若い友人から宅配便が届いた。今年大学を卒業した社会人一年生の青年である。ある文学賞が御縁で知り合ったひとだ。デパートの包装紙の下の美しい桐の箱のなかには垢ぬけた今様のお線香が並んでいてアロマコーナーのような清潔感のある薫が湧いてでる。添えられた一筆箋の冒頭には「御母堂様三回忌の御法要にあたり謹んで哀悼の意を表します」というかしこまった言葉が並びそれを読んで、こちらもしゃきんとかしこまる。思わず「まあどうしましょ・・・」と言ってしまう。家族は軽く「使えばいい」と言う。「そういう問題じゃなくて・・・」と口ごもりながらどういう問題なのかと思案する。この青年は、2年前、姑である「ばさま」の告別式の日わたしの友人のなかでただひとり電報を送ってきてくれた。彼はまだ大学生だった。その時も大いに感謝し、恐縮しその若さでそういう心遣いができることに心揺さぶられた。恥ずかしながらこのひとよりも30数年年上のわたしはそういうことをしたことがない。これまでそういう距離感でひとと付き合ってこなかったんだなと反省を込めて感じ入る。地方の大家族の長男として育った境遇が育んだのかもしれないしこのひとの資質なのかもしれないが誰かを大切に思うことその思いを形にして伝えることわすれずにいること自然にそうすることそのすごさ。ことひとからはいつもたくさんのことを学ぶ。一筆箋の言葉は 「今年も九月の暦の秋分の日の文字にばさまの笑顔を思い出しました」と続く。そう、こんな笑顔だった。 ばさまの生前、ネットで書いた遠距離介護の日記のあれこれを読みばさまのことを忘れずにいてくれることがもうもう有難く、ほおーっと、心温かになる。昨晩お礼の電話を入れると猛烈に忙しい日々なのだという。そんななかの気遣いがいよいよ有難く電話口で頭を下げたのだった。今、いろいろあるなかのひのきの薫のお線香に火をつけてそのまっすぐな薫を嗅ぎながら「次はいつ、ばさまの話が現れてくるのか楽しみにしています」という一筆箋の最後の一文をぐっと噛みしめている。
2010.09.21
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いつだったか、川上弘美さんが「自分は定見を持たない」みたいなことを言っていた。ほう、と思い、にやりとした。畏れ多いことながら広い荒野で、近い種の仲間をめっけた気分でなんだか安心したのだった。定見というのは「人の意見などに簡単には動かされない、しっかりした考え」である。わたしには強くて素敵な女子の友人たちがいる。彼女たちといっしょにいるとわたしはいつだってそのしっかりした考えに簡単に動かされてしまう。「そういわれてみれば、そうかもしれん」ことごとく、御説ごもっとも、と納得してしまう。なんというか、バカ素直(正直ではない)なのだ。そんなバカ素直な人間が悩みを抱えてどうしよう・・・と強くて素敵な友人たちに相談のはしごなんてすると一致したお答えにはおおいに力づけられるが一致しないときはそれぞれの強力な定見がせめぎ合って頭のなかがぐらぐらしてしまう。それもそうだしこれもこうだしとバターになりそうなくらい思案がぐるぐるまわりしてしまう。ぐるぐるまわりしながら、ため息がでる。なんでみんなそんなにはっきりときっぱりと物事を決められるんだろう。ああでもない、こうでもない、とは思わないのだろうか。揺るぎない価値観っていうのはどこから生まれてくるんだろう。生まれ育った環境だろうか。家族の思想だろうか。なされた教育だろうか。本人の意思の強さだろうか。信じる力の強さだろうか。「正しいことを言うときは相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい」というのは詩人の言葉だが時に定見がひとを傷付ける。定見と定見がぶつかって事故が起こる。遠い日のこと幼い末っ子であったわたしの視点で眺めると大家族の中の正義はいつも揺らいでいた。3代に渡る嫁姑の確執は末っ子にも及んだ。末っ子に囁かれるそれぞれの言い分がそれぞれの定見だった。それぞれの正しさの目盛りの違いを幼いころに知った。それそれの打ち明け話を聞かされた幼いわたしはふ~ん、と相槌を打つだけで誰の味方もできなかった。それが平和だったから。振り返ってみれば、なんにもしっかりした考えを持たずに誰かの考えに乗っかって、乗り換えてここまで生きてきたような気がしてくる。情けないねえ、とそれを嘆きながらもきっとこれからもそうなんだろうなあという予感もある。うまくまとまらないけど自分にとってはきっとそれが居心地のいいことだったんだろうな。定見を持たないという定見もある、かもしれんなと思ったりしている。
2010.09.14
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人生の後半戦には、いろんな決算を突きつけられる。その言葉の通りの経済の問題もあるが心身の健康のこと人が来て去っていく人間関係、背負わされる責任やお役御免になることなど年若い時期には予測不能なことどもが肩を並べてやってきてため息をつきつつ決算書を眺める。決算書は問う。おまえはどんなふうに生きてきたのか。何を為して、何を成したか。誰と出会い、誰とわかれてきたのか。何を受け取り、何を返してきたのか。ささいな出来事からおおきな事件までそのひとつひとつの項目がもれなく並ぶ。貸し方もあり、借り方もある。努力精進を重ねれば、たくさんのものを会得していくだろうし悪癖を重ねれば損なうものが増えて行く。長い時間に積み重なったものはプラスにしろマイナスにしろ思いがけないことを運んできたりもする。まだまだ先は長いのかもしれないしそうではないのかもしれないのだが遠い日のひとつの項目からこんなふうに巡りくる決算があるのだと思い知らされることがあった。記憶のない時代に去って行った人とこんなふうに繋がっていたのか、と。その決算書の続きは、どうなるのだろう。自分はどうしたいのだろう。問題の周辺をぼかしながら思案は続く。
2010.09.07
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北の国から、またまたキルト便りが届きました。そう、ヘキサゴンさんのタペストリー圧巻です。小さな六角形の布のモザイクで一枚の絵を仕立てて行くその気の遠くなるような手間暇は作り手が生きている確かな手ごたえ。ごくごくちいさなものの積み重ねがとてつもないものを作り上げる。その作品がたくさんのことを教えてくれる。人が生きることの奥深さのようなもの。作品の背景の円は北海道の厳しい冬とつかのまの豊かな夏を現す年輪だそうだ。農作業をされながらその傍ら時を惜しむように時を繋ぎとめるように作り上げられたキルトの数々。こんなふうに生きてきた、とキルトが語る。その作品に自然に頭を垂れてしまうのは私だけでない。高桑道子さんの名前で検索してみればその作品に感動したひとたちの言葉が並ぶ。ものをつくることはこんなふうにひとのこころをみたすことができる。もっともっと、とわがままに思ったりしている。さすがの北海道も今年は猛暑だとか。いつまでもお元気でと願うばかりだ。
2010.09.04
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左の肩が五十肩で痛む。右の肩だって年齢は同じなんだけどなんてツッコミ入れながら整形医に注射を打ってもらう。「片方だけでよかったね」と慰められながら週に一回、今日で3回目、あと2回。腕は上がることは上がるのだが上げるのが痛い。顔が歪む。皺が増える。梅雨以降、腰痛があって、整形に通っている。あれこれ症状を言うと「お腹に重しがついてるからね」と言われてしまう。ううむ、返す言葉がない。そうこうするうち、肋骨にヒビが入った。「かるくはいってる」と軽く言われてしまう。「大人しくしてれば10日に治る」と。そしてまたしばらくして五十肩となって、今に至る。気がつくと、1000歩で、足が痺れた感じになって突っ張る。年だなあ、と、もう、やんなる。今日、整形医に「1000歩歩くと・・・」と告げると「999歩目に休んで下さい」と言われた。
2010.09.01
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