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上村松園展へ行った。雨が上がったからかTV「美の巨人」で紹介されたためかやたらの人出だった。チケット売り場の前にこの行列。40分の待ち時間だとか。チケットは持っていたので行列はスルーしたものの館内もやはり人が多かった。昔、パンダを観たときの行列みたいにガラスにへばりついて人が並びとろとろと進む。これがつらい。で、その行列には入らず数歩後ろに立って、人影の間から絵を観た。それでも時々全体が見える。それで良しとして次に進む。美人画。それぞれの傾げられた首の角度にいろんな意味がある。しなやかな肢体、まろやかな腰つき見事な意匠の着物、帯控え目な自然情景こころはずむ女こころもとなげな女もの想いにふける女一心に芸に打ち込む女日々の暮らしに心砕く女そして狂女もいる。美しい面立ち、切れ長の細い目一途な目、まっすぐな目恥じらう目、憧れる目いつくしむ目、慈愛の目ここに居ながらなにも見ていない目どの目もしっくりと美人画の中に収まっていたのだが一枚、あれ、っと思った目があった。「青眉」と題されたその絵が気になって次に進めない。進もうとしてもまた舞い戻ってその絵に見入ってしまう。青い眉というのは結婚して子供ができた女の人が眉を剃ったその剃り後が青い、ということらしい。なるほど、眉の感じもあるのだがこのおんなのひとの前を見据えた目がその絵に収まっていない感じがするのだ。傘の影に隠れてなにかその身の丈に合わないことをちょっと不穏なことを考え続けているような気がしてこちらの胸のあたりがざわざわしてくる。ざわざわしながらけっしていやな感じはなくていっしょにその不穏な想いを共有したくなってその場を離れられない。なぜだかわからないがどの絵のひとよりも身近に感じていた。帰宅して読んだ図録の説明には、明治の京女である画家の母親の懐かしい姿でもあった、とあった。京女が思いを巡らすときの目はこんなふうに少し不穏なのだと納得したりする。
2010.10.10
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8日、所用があって実家のある伏見へ行った。通学に使っていた京阪電車に乗って中書島へ。当時、乗っていたのは緑の濃淡の電車だったなと思い出す。中書島。中学高校大学と毎日この駅から電車にのった。周りの景色はいろいろ変わっているが駅の地下通路への階段は変わってなくて重い鞄を抱えて上がり下りしていた自分が浮かぶ。当時、ここで毎日会うあこがれさんもいないわけではなかったのだが今は龍馬さんでいっぱいだ。駅を出て、中書島商店街を歩く。40年近くの時間が流れていてあたりまえだが馴染みの風景は何もない。高校時代の友人の家があったはずだが、と記憶を手繰るが、あやふやな感覚だけで定かに思い出せない。看板に案内されて船着き場へと足を向けると川にでる。柳の枝の揺らぎを眺めながら自分の思い出の中にはこんな風景はなかったよなあとおもうのだがそれも定かではない。ああ、船が行く、NHKでみたのとおんなじだあなんて苦笑交じりに思う。向こう岸に渡れば有名な寺田屋さんだ。この近くの大通りを毎日バスで通っていたのにここに寄ったことはなかった。伏見にいて伏見のことを知らなかった。若い日は自分の時間を追うことだけで過ぎた。どんなに身近にあっても歴史はまるで遠いおはなしでしかなかった。歴史の歯車を大きく動かしたひとの生きた時間をはるかな思いで辿る。志半ば、なんて言葉が浮かぶ。時代がひとを産むのかも知れん、と思ったりもする。過ぎ去った時間が色濃く残る空間はすこし息苦しい。寺田屋近くの龍馬通りと名付けられたその小路は昔学校帰りに親友とよく歩いたものだったがやはり姿を変えていた。新京極の土産物屋の雰囲気がしてまた苦笑する。もはやそこにはない昔馴染みの喫茶店を思い描き、そこで長い時間を一緒に過ごした親友を思った。「セシボン」そんな名前の店だった。なにをするでもないのにいっしょいいると楽しかった。なにより安心だった。親友も伏見にはいない。わたしたちの伏見はもうないのだなと思ったりした。
2010.10.09
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