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はかばかしくない腰痛に業を煮やしちょっと大きな病院へ行ってMRIを撮ってもらうとタイトルにある病名を言われた。それはクリスマスイブのことだった。うれしくはないプレゼント。裏から光を当てられたフィルムにはかつて、ばさまの主治医から説明を受けたときに見たのと同じような画像が映っていた。「中程度です」と医師は言った。腰の痛みは背骨から出た棘のせいでもあるらしいが足のしびれの原因はばさまとおんなじだった。日常生活が痛みやしびれでにっちもさっちもいかなくなったら手術する。それまでは薬を飲んでだましだまし日々を送る。その先に待っているものを生前のばさまに見せてもらった。それはあまり幸福な光景ではなかった。ばさまが歩行器を押して廊下を歩いたその足音が蘇る。ツーペタン、ツーペタン。手術しても足のしびれは残ってばさまは足を引きずって歩いた。そしてやがて歩けなくなった。せつない未来予想図。これまでのことで暮らしが制限されることには慣れているがこの痛みとしびれにはなかなか慣れることができない。痛めば、唸りながらそんな自分に困りながら時をやり過ごす。痛みが遠のいているうちにやりたいことをやる。文袋屋にもなるしこんなふうにブログも書く。時間が濃縮された分やることやらないことを意識的に振り分ける。やれないことは、もうしょうがない。ここまで、長く生きて来たんだからね。それでOK.生きていれば、いろんなことがあるさ。そんな合言葉をまた唱える。一年が終わって新しい一年が始まる。まだまだ役に立つこともあるさとひとりごちる大晦日。
2010.12.31
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還暦越えの友人が、家出すると言い出した。彼女の話の流れを追ってみれば、むべなるかな、とも思った。30数年の結婚生活を経てもなお通いあわない想いを嘆く。大切なのは「かたち」ではなくたがいの「おもい」であり「おもい」があるから「かたち」がかけがえのないものになるのにただ「かたち」だけをなぞってもそこにはなにも通いあわないしなにも積み上がってはいかないのだと彼女は言う。ひとときの感情の高ぶりがおさまればやがてそれは切なさに変わる。なんのための30数年であったのか。これからの時間が輝いては見えない。こんな思いを告げても告げても相手にはなにも理解できないのだとわかってしまうことがなにより切ない、と。しかし、さて家出するとなっても、どこへ行けばいいのか、決められない。冷蔵庫の算段や親のことなど思案すればするほど、日がない。しょうがないから気分転換に鎌倉へ行く、という。家出はひとりでするもんだ、と思ってはいたがわざわざこちらに知らせるのはお供が必要なのかと思い、申し出た。案の定、「ありがとう」と返ってきた。昨日がその日だった。曇り空がやがて晴れていきああ、なるほどの家出日和。なにもかも彼女が決める。わたしはお供で、ただの影だから。大船からモノレールにのって江の島へ。上から目線で見下ろす車窓の景色の中で次第に増えていく木々の名を彼女が告げる。へー、とこちらは感心する。えらく空いた車両は貸し切りのようでおばさんふたりの遠足だなと苦笑し足など座席に上げてみる。江の島では水族館へ行くという。が、あいにく、メインテナンスのため休館していた。おいおい!の気分だが係員のお姉さんが寄ってきてお詫びにと一人分の入場券をくれた。水族館から海沿いの道を戻りながら「あら、よかったわ。得したわね。また来ましょう」と彼女が言い物事は受け止め方次第だなと思う。日差しが暖かく、きらきらと海面が光る。こんなことが思い出になる。それから江ノ電に乗って、長谷へ向かった。大仏さまへ会いたいという。小学校の頃に来たきりらしい。彼女には言ってなかったが横浜にいた頃鎌倉の大仏はわたし自身の癒しのスポットだった。自分だけの力ではどうしようもないことが重なった時わたしはここに来た。 青空の下で変わりなくそこにいる大仏を見た瞬間彼女が「ああ、いいわね」と言った。その表情が明るい。「なんかいろんなものがすーっと抜けていくような気がする」そうだった。この仏さまの大きさを体感すると自分の小ささを痛感し胸の思いを全部預けてもいいんだと言ってもらっているような気がしてくる。「背中のまるみも、肩の線もいい。なんか安心する」頭のいいひとだからあれこれ哲学してしまうのだ。ただ安心できれば、それが一番だ。そこで長居をしたわけではない。一瞬でこころほどけてしまったのだ。お供は影のように付き添ってその様子に安心する。それから鎌倉へ戻って鶴岡八幡宮へ。そこで銀杏に会う。 倒れてしまったと聞いていたがこんなに葉が茂っている。生きていくとはこういうことだ。境内で鳩みくじを引くと彼女は末吉だった。その説明文がまさに今の彼女にBINGOで「神様にわかってもらったみたいでうれしい」と喜んだ。その後、お茶を飲みましょう、と入った喫茶店で彼女は領収書の裏にメモをし始めた。のぞいてみると「ハム、さつまあげ・・・」と書いてあった。ああ、もう家出は終わりだな、と思った。
2010.12.08
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暑すぎる夏が過ぎ、短い秋から冬へと季節がめぐる。猛烈な暑さに一日をやり過ごすことで精いっぱいだった日々から一息つけるようになったと実感する頃になるとそぞろ人恋しくなりだれそれの消息が気になり始めるのだが露天商のイベントで消耗してままならなかった。師走の声を聞いて、連絡を取ってみると大事なひとたちに大きな黒い雲がかかっていて、ひとり、唇を噛んでいる。そんなことがあってたまるか、と想い天を睨みつけてみても現実は変わらない。いつだってそうだった。起こってしまったことは巻き戻らない。どう受け止めるしかないのだが受けとめようがないことだってある。自分の力ではどうしようもないことも。生きていく道はいつだって初めてのことばかりだけど中年から、その先の時間に巡るひとの季節では衰えていく機能に不安を覚えているさなかにこれでもか、と難事がやってくる。年齢を重ねたからといって心が頑丈になることはない。年若い頃以上に切なさは募る。自分の残り時間を計れば、なおさら。一日の重ねでここまで来た。これからも一日を重ねていくしかない。一足飛びの解決法なんてない、と経験が教える。そう知っているから、余計にしんどい。励ます言葉の引き出しを開けてみるが若い日の言葉では、どれもふさわしくない、と思えてくる。鼻白んでしまう。言葉なんてなんの力もない、と思えてくる。ただ、どんな道でも、添って歩けるよ、とは言える。どんな話でも聴くよ。どんな球でも受けてみせるよ。で、関係なくても、バカみたいでもくすっと笑ってしまうような面白いこと、わたし、きっと、言えるよ。そう、わたしは、雲間の太陽だよ。 ひとの冬には仲良きひととおしくらまんじゅうしよう。押されて泣いたっていいよな。泣きながらあったまっていこうね。
2010.12.06
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2日に、横浜野毛の「一の蔵」という居酒屋さんで出席者3人のささやかな忘年会を開いた。ひとりは人生の師匠、千鶴子さんいまひとりは、以前同人誌でごいっしょだったTさんという68歳の男性だ。今年で6回目くらいになるだろうか。いつもは桜木町の改札で待ち合わせるのだが今年は荷物が重いので店に直行して、席取ってますと千鶴子さんから連絡があった。千鶴子さんは毎年ボジョレーヌーボーを持ってきてくださる。二人分だから重いのは確かなのだが今年から、というのはやっぱり足の具合がよろしくないのだなと思う。Tさんと二人して桜木町から野毛へ向かう。Tさんは小説を書くために早期退職をして何作かの投稿である地方都市の大賞をとられた。が、その後はボランティア活動などをされて文章は書かれていない。そのTさんから「書いてますか?」と問われる。「いえ、わたしはいま露天商ですから」と苦笑まじりに応じる。千鶴子さんは今年も個人誌「藻乃露於具」を出した。書かない二人は深く頭を垂れる。地下道を歩きながらTさんがいう。「いいなあ、露天商。田中コミマザも露天商だったんだから。コミさんはいいよ」「はあ」続く文学のお話にもなかなか会話のピントが合わない。「僕ねえ、万葉集を読み切ったの」とか「古今和歌集、いいじゃない」とか。今わたしが読んでいるのは内田樹氏の「街場のマンガ論」ですとは言えない空気でほうほう、はあ、なるほど、を繰り返した。露天商には文学はいささかくすぐったいなと実感した。店で待っていた千鶴子さんは背中が丸くますます小さくなっていた。そう気づくと固くなっていく想いがあった。振り払って笑顔であいさつした。乾杯をしたビールのグラスに一瞬口をつけたきり千鶴子さんは飲まなかった。「わたし禁酒、してるの」ビールはメートルで飲むの、そう豪語していた千鶴子さんなのに。「お酒飲んで酔っ払って素っ転んだら親父さんに迷惑かけるから」それが84歳の同い年の夫婦の形。「僕は飲みますよ」とTさんは芋焼酎の杯を重ね自分の来し方を語り始める。父親を早く失くし、家業を継ぎ、やがていろいろあってその家業を弟に譲り、金も当てもなく家を出た。図書館で新聞の求人欄を見て面接に行く。なかなか受からない。最後には交通費の500円を目当てに行っていた。いろんなバイトをした。「新幹線の清掃もしたよ。駅のホームの端っこでしゃがんで、西日を浴びながら、新幹線が入ってくるのを待って折り返しの間に座席の間を掃いていくのよ。それが済んだら、席を反対向けて、頭のところのカバーを替えて。おばさんたちといっしょに働いてたんだけどみんないいひとだちだったなあ」Tさんがちょっと振り返れば小説の素材がたくさんあるように思えてそれをいうと「そんな貧乏な時のことは書かないでってカミさんに言われてね」と返ってきた。あれもダメこれもダメって言われてだんだん書けなくなっちゃってうつっぽくなって、ますます書けなくなったんだよね。Tさんは、芋焼酎のお湯割りの入ったこげ茶色のカップのぬくもりを確かめるように両の手で抱えて、答えを求めるようにそのなかをのぞきこんだ。Tさんが迷い込んだ迷路はTさん自身の人生のなかにあるもので傍から口を挟むものではないのだとわかってはいるのだがこころのなかにいささか批判的な言葉が浮かんでしまう。いいひとは文学やったらアカンと思います。そんな言葉を言いそうになったら隣で千鶴子さんが口を開いた。「うちのおやじさん、ほんとにマメでおつかいに行ってくれるのはいいんだけどキャベツは買ってくるのに絶対レタスはかって来ないの。なんでなのって聞いたら、キャベツのほうが安いからだって。用途が違うのに。ケチよね」ふっと空気が変わってTさんの表情が緩む。千鶴子さんのご主人が、今回、これはわたしに、と選んでさわり心地の良いカラフルなスカーフをことづけて下さった。「けちなんかじゃないですよ」「そとづらはいいのよ」と、にべもない。同人誌という過去の一点で交わった3人にもそれぞれその前と後の暮らしがあり遠景で眺めてみればずいぶんと異なった傾きの線を描いている。それでも年に一回、その交差点の思い出を語る日があることはこころを温めてくれるのだが帰り際、ぽつんと千鶴子さんが言った「これが最後になるかもしれないし」という言葉はきりりと胸を刺した。「もうー、絶対、そんなことないですよ」そう言いながら、千鶴子さんの乗ったタクシーを見送った。
2010.12.03
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もしもし、わたし。あのさ、あの、ちょっとは元気、出た?うん、昨日、行ってきたよ、東京ドーム。前に一緒に行ったなって思い出したよ。 ボンジョビのライブふふ、驚いた?控え目なわたしには似合わんと思う?意外性というもんですな。夜のウォーキングの時、聴いてたの。曲のリズムの刻みが鼓動といっしょになって気持ちがよかった。ボーカルの声に励まされ、力が湧いてきてずっといっしょに歩いてた。だからわくわくの東京ドームだったの。ステージに本人たちが現れたとき自然に喉の奥から吠え声が出てきたの。自分でも驚くくらい大きな声。もうそこからはわたしはわたしであってわたしでなかったみたい。おなじみの曲を歌ってくれると腰痛だの五十肩だのを忘れてわれ知らず体がリズムを取ってしまうのね。腕を突き上げてウォーっと叫んでるのね。だって、自分の鼓動みたいに自分を突き動かしてくれる音楽なんだもん。生きてるって感じがすごくしたよ。それに静かな曲も聴かせるんだなあ。もう夢心地ってやつね。あの、いまさらだけどいい顔なんだ。ジョンさん。中年の男の顔なんだけどかわいいのね。口の開け方がすごく誠実なの。正しい人って感じがすごくする。休みなしで何曲もガンガン歌い続けるの。声帯が強いんだなあ。ギターも弾くよ。ポーズの時の膝折る角度が深いの。リズミカルに美しく垂直に跳ねるの。体の内側から突き動かされるみたいにね。なにより声がいい。魂に響く声。隣にいたアジア系の外国人らしき男性、体がくねくね動いてもう感極まってた。悲鳴のような歓声だった。思い入れの深さが伝わってきた。そんな熱気が会場中にあふれてた。わたしは音楽通のあなたとちがって周回遅れのファンだから馴染みのCDにはいってる曲しか知らないしその曲の歌詞もあやふやなんだけど観客のひとたちが、自分たちだけで歌う声がとても力強くて、感動した。ほんとうにボンジョビとその楽曲を大切にしてるって感じた。うまく言えないけどこんないい年になってロックのライブに行ったりするのは年若い時の忘れ物を取りに行ってるのかもしれないって思ったりもする。小心で真面目な女子はやり残したこと、いっぱいあるからね。でも、これは素敵な新しい出会いって思った方がいいかもしれないって気もする。今の自分だからわかることがあるって。いやあ、ホントにノリまくってお腹の底から声あげて胸の奥のあんなこともこんなことも大声と一緒に吐き出して縦に横に揺れ続けてすっごく血行が良くなっていやあ、肩凝りが少し治ったみたいだった。お粗末な報告だけどこんなふうな一夜だったよ。
2010.12.01
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