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「オペラって、話がもうちょっと何とかならないんですか」 よく、そう言われます。 「なぜそうなるの?」と、首をかしげたくなることが多すぎるらしい。警戒厳重なはずな地下牢のなかになぜアイーダが忍び込めるのか、とか、ロミオとジュリエットは死にそうなのになぜえんえんと歌っているのか、とか、ルチアはなぜ発狂してしまうのか、などなど。。。 そういわれるたび、「オペラだから」と答えているのですが(苦笑)。 個人的に極めつけだなあ、と思ったのは、「リゴレット」で殺し屋のスパラフチーレを歌ったバス歌手本人が、「スパラフチーレってドジな殺し屋ですよねえ」と言ったときです。 「なんで?」とたずねたら、「ジルダをすぐに殺しそびれたから」と。 いや、だって、スパラフチーレに刺されてジルダがすぐ死んでしまったら、彼女の入った袋を開けて、瀕死の娘に驚くリゴレットとの、最後の二重唱ができないではないですか。それが、オペラというものの様式美、というものでしょう。歌舞伎とおんなじ。 それでも、やはりみなさん抵抗があるようで、相当にリアリズムがまさっている「ボエーム」ですら、「ここがおかしい」というメールをいただいたりします。こちらはまるで気づかないのですけれど。。。 オペラの「ドラマ」と「音楽」は、長い歴史のなかでいつも問題になってきました。 けれど、「ドラマ」のリアリズムばかり優先させると、オペラはつまらなくなってしまう、というのが個人的な持論です。貧乏兵士の破滅物語を怜悧な音楽で描いた「ヴォツェツク」など、良い例ではないでしょうか。それは音楽は素晴らしいと思うけれど、私にとってはオペラとして楽しめる作品ではありません。 今回のヨーロッパ滞在のなかで、それを感じたオペラは「サロメ」でした。 「サロメ」を見たのはバーデンバーデンの祝祭劇場。2つのツアーの合間に、個人で訪れた劇場です。第一の目的は、ヘンゲルブロックの指揮したコンサート形式による「イドメネオ」だったのですが、その翌日に「サロメ」があることがわかり、日程的に鑑賞可能で、ネットでチケットもとれたので、観劇した、という次第。 なんと新制作の初日で、公演の後にはホワイエで聴衆も参加できるパーティがあり、指揮者、演出家をはじめ主要な歌手も顔を揃えていました。 以前このブログでも書きましたが、バーデンバーデンは豪華な出演者が売りで、今回もサロメ役にはこの手の役を得意とするドラマティックソプラノのアンゲラ・デノケが登場。指揮はシュテファン・ショルテス(ベルリン・ドイツ交響楽団)、演出はベテランのニコラウス・レーンホフ。 舞台はごくオーソドックスで、廃墟のようなセットのなかで、退廃的な物語と音楽が繰り広げられました。 音楽自体は、席がいまひとつだったせいか(1階まんなかよりやや後方)、やや迫ってくるものに欠けましたが、細いからだからは想像もつかないデノケのパワーや、妖婆とでも呼びたくなる、強烈なヘロディアスを演唱したドリス・ゾッフェル、 安定感のあったヘロデ役のキム・ベグレーなど、水準は高いものでした。 一方で、聴きながら、まあこれはかなわないなあ、という気持ちが沸いたりしていたこともたしかです。 この話、いいですか??? 音楽とドラマの融合という点では、それは見事でしょう。退廃的かつ淫蕩な物語と、それを表出してあまりある重量級の音楽。その合一が、リアリズム云々という狭いレベルをはるかに逸脱していることはたしかです。 でも、だからこそ、息が詰まるんですね。 オペラはもっと隙だらけのほうが、個人的には楽しめるのです。 たとえば、出発前にメトのライブビューイングで観たロッシーニの「オリー伯爵」。 それこそ抱腹絶倒、ありえない!って話ですが、なんとも愉しいのは音楽の力のおかげです。これを否定してしまったら、オペラの楽しみの幅がだんぜん狭くなってしまいます。 少なくとも娯楽としてのオペラに、リアリズムを持ち込むのは、野暮、というものではないでしょうか。
June 27, 2011
帰国後初の本格的コンサート、新日本フィルの定期に行ってきました。 指揮はダニエル・ハーディング。人気指揮者であることはもちろんですが、あの大震災の日にトリフォニーでのコンサートを敢行し、オケの人数より少ないような聴衆ひとりひとりと握手、その後もチャリティを活発に行い、すっかり「男」(?あんまりふさわしい言葉じゃないですが)をあげた感があります。 今日も休憩時間には募金箱を持ってロビーに立ち、ファンたちの撮影ラッシュにもめげず? 震災復興に協力していました。 エルガーのチェロ協奏曲(独奏:ウェン=シン・ヤン)に、ベートーヴェンの7番の交響曲というプログラムもあってか、関係者によると完売公演だったとか。このご時世に、快挙です。 そのベートーヴェンの7番の、なんとあざやかな快演だったこと! 大げさにあおり立てることはまったくないのに、オケをどんどん巻き込んで、これでもか、というくらい音楽に乗らせてしまう。語らせてしまう。その手腕、まったく舌を巻いてしまいます。 聴きながら、ちょうど2週間ほど前、バッハツアーの初日にドレスデンで体験した、ティーレマンの指揮したドレスデン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ)の演奏会を思い出していました。ブラームスとレーガーで固められたプログラムから終始発していた、光り輝くような重厚さ。ある意味対照的です。 もうひとつ、つくづく感じてしまったのは、「休日のマチネ」の位置づけでした。 日本ではマチネといえば、たいてい14時の開演ではないでしょうか(ランチタイムコンサートは別として)。終演後、家に帰ってゆっくり夕食をとれる時間帯ですね。 ところがドレスデンでは、開演が11時だったのです。 ヨーロッパではよくあることなので、私は別に抵抗はなかったのですが、「11時開演なんですねえ」という驚きの声がツアーメンバーから何度ももれるのをきいて、ああそういえばこれは日本では考えられない、と思い至ったのでした。 11時から始めれば、終演は13時前。おわってゆっくり昼食がとれます。私たちももちろんそうしました。音楽の余韻とともに、ゆっくり楽しむ食事。食べ終えてもまだ1日は長く、時間がゆっくり流れます。ある意味理想的な休日の楽しみ方でしょう。 日本、とくに首都圏の交通事情では、たしかになかなか難しいのでしょうね。 町の中心に聳えるドレスデンの国立歌劇場では、終演後に食事をする場所もたくさんありますが、日本、とくに東京は大きすぎます。どのホールでも、終演後に食べるところが回りにたくさんあるわけではありません。だいいち、終演後に(ディナーはともかく)ランチ、という発想は、大きなコンサートの場合はないようです。 けれど場所によっては、(ランチタイムコンサートでない)11時からコンサート、も不可能ではない気もするのです。あとは、聴衆に受け入れられるか、でしょうか。 音楽の楽しみ方にできるだけバラエティを持たせたいと思うと、ランチ前コンサートもありではないかと考えてしまった、サントリーホールの夏の午後だったのでした。
June 25, 2011
21日に帰国したバッハツアー。毎年、ライプツィヒのバッハフェスティバルのファイナルを飾る「ロ短調ミサ曲」で、ツアーをしめくくるのが恒例になっています。 バッハフェスティバルというのは世界中で開催されていますが、バッハが後半生の27年間を過ごしたライプツィヒでのそれは、ゆかりの地だけあって最大規模。バッハが活躍し、今は彼のお墓のあるトーマス教会や、やはり彼の活動の場だったニコライ教会が会場となるのも魅力です。 会期は10日前後ですが、ファイナルコンサートのプログラムは「ロ短調ミサ曲」と決まっています。 バッハツアーを始めて以来、このファイナルの「ロ短調」を10回以上聴いてきました。 「ロ短調ミサ曲」は、バッハの作品のなかで一番好きな曲です。日本では「マタイ受難曲」のほうが人気が高く、「ロ短調」はさほどなじみがないのではないでしょうか。もちろん「マタイ」も素晴らしい作品だと思いますが、個人的にはよりひきしまった「ロ短調」のほうが好きです。バッハというひとはとかく凝り性で、どんなジャンルでも集大成してしまう傾向があるのですが、20年ちかくかけて集成していった「ロ短調」は、まさに彼の宗教音楽、とくに合唱の集大成だと言えるでしょう。「ミサ曲」という、ルター派ではないもっと普遍的な形式であることも象徴的です。静と動、明と暗の対比もすばらしく、引き込まれずにはいられません。 バッハフェスティバルでさまざまな「ロ短調」に接しましたが、名演として印象に残っているのは2002年のヘレヴェッへと2009年のヘンゲルブロック。バロック絵画のように華麗なヘレヴェッヘ、細部まで彫啄深かったヘンゲルブロック。2007年のブロムシュテットも若々しく、昨年のガーディナーの、晴朗なよろこびを感じさせた最終合唱に思わず涙した記憶もあざやかです。「合唱の神様」といわれるエリック・エリクソンの指揮もすばらしかったな。 今年の演奏は、ルネ・ヤーコプス指揮のベルリン古楽アカデミーとバルタザール・ノイマン合唱団。オケも合唱団も好きな団体なので期待したのですが、指揮がやや雑でちょっとがっかりでした。テンポもいくらなんでも速すぎ。全曲で1時間40分は「ロ短調」鑑賞史上最速です(ふつうは最低でも2時間)。ヤーコプスはどうもオペラのほうが最近冴えている印象があります。合唱団はヘンゲルブロックの創設したものですが、2009年に彼と出たときと比べてあいまいさが目立ちました。やはり指揮者でほんとうに変わるものです。 それでも、最終合唱「ドナ・ノビス・パーチェム」では、作品のすばらしさに圧倒されずにはいられなかったのでした。 「ロ短調」は、お葬式の時に流して欲しい曲だ、と前々から言い続けているのですが、それを流してもらえるのにふさわしい人間にならなければいけないなあ、などと殊勝にも思ってしまったのは、やはりバッハの音楽の力なのでしょう。
June 25, 2011
5月末からのオペラのツアーと、プライベートでのベルリン、バーデンバーデン滞在(中休み)に続いて、11日から21日まで、「バッハへの旅」というツアーをやっていました。 バッハ没後250周年にあたる西暦2000年に、「バッハへの旅」という本を出したことをきっかけに始めた、私の音楽ツアー出発点であり、今にいたるまでえんえんと続いている、自分にとっての音楽ツアーのベースでもあるツアーです。 毎回いろんな劇場をめぐるオペラツアーと違って、「バッハへの旅」の訪問地は毎回ほぼ変わりません。中部ドイツのザクセン、テューリンゲン地方にある、バッハが暮らした町をめぐり、ライプツィヒのバッハフェスティバルのハイライトを聴く旅です。バッハが働いていた小さな町の教会では、オルガニストの方にパイプオルガンを弾いてもらうことも組み込んでいます。大半の町は小さく、また旧東独なので、まだひなびた空気をどこかに残しています。 そんな田舎町の旅なのに、2000年だけで6回!出たのを始め、今年で19回目となりました。さらに、続けるうちに、バッハの暮らした町で唯一この地域から外れる、少年時代の留学先である北ドイツのリューネブルクを訪ねたいという声も出て、北ドイツ地方の周遊とケーテンのバッハフェスティバルを訪ねる「続バッハへの旅」というツアーも開始。こちらもこれまでで6回を数えることになりました。 不思議なのは、「バッハへの旅」に参加する方のほとんどが、新規の方だということです。よく人からは、「同じ方がくるのでしょう?」と言われますが、とんでもない。今年は25名のご参加者のなかで、リピーターの方はわずか3名でした。 オペラのツアーに来てくださる方は、かなりなオペラファンが多く、よくオペラの会場でもお目にかかるのですが、バッハのツアーの方はほんとうにさまざま。コンサートによく通う方もあれば、合唱団でバッハに親しむ方もあれば、自宅でもっぱらレコード鑑賞という方もあります。それぞれがそれぞれのレベルで、バッハとのおつきあいを楽しんでいらっしゃいます。 「毎年同じところへ行って飽きませんか?」などと言われることもありますが、とんでもない。毎回いろんな方との出会いがありますし、出会える音楽も違いますし、訪問地でもいろいろな発見があります。何より、日本にいたらとうてい想像ができない、バッハの息吹を感じていただけることが嬉しいのです。 バッハは生涯の大半をルター派の教会音楽家として活動しました。その実際と環境は、今でも「バッハの町」に受け継がれています。バッハの活躍した町はみなルター派でしたし、ルターはアイゼナッハの教会学校で、バッハの大先輩でもあったのです。バッハが後半生の活動の拠点としたライプツィヒのトーマス教会には、今も礼拝で当時の流れを汲む音楽が演奏されています。この種の教会音楽は、昔も今も身近なも。そのようなことは、日本にいたらわからないのです。 一般にツアーというものは現地のガイドさんがつくものですが、バッハツアーでは不祥私がガイドをつとめさせていただきます。イタリアやスペインなどでは、法律によってその国のガイドをつけなければならないと決まっているのですが、ドイツにはそのような法律もありません。バスのなかでは、次の訪問地や、その日に鑑賞するコンサートに関連したCDを楽しんでいただきます。夜はたいていコンサートが入っているので(ライプツィヒのバッハフェスティバルでは、夜8時からのメインのコンサートとその後の深夜コンサートまで)、朝から晩まで忙しいのですが、おかげさまでやりがいのある仕事です。貧乏性?なので、働いているのが性にあっているのです。 回るコースは同じとはいえ、その年の出し物によって日程は微妙に変わります。今年はコースにあるドレスデンで、来夏から国立歌劇場の首席指揮者になるティーレマンのお披露目をかねたという定期演奏会があったので、バッハフェスティバルの日程を考え合わせた上で、ドレスデンからツアーをスタートしました。ドレスデンの国立歌劇場は、建物自体も(劇場の音響を含めて)素晴らしいもので、旅の目的としてもうってつけ。豪華な空間で、前から6列目という最高の席で、ティーレマンと、このオケに25年ぶりに客演したというポリーニ!という豪華な顔合わせを楽しむことができました。ティーレマンの重厚でありながら鮮烈な響きを引き出す指揮は、「いぶし銀の響き」などと言われるドレスデン国立歌劇場のオケにぴったりで、今後の発展ぶりが楽しみです。このコンビ、2013年からはベルリンフィルにかわってザルツブルクのイースター音楽祭に登場するそうです。 その後、バッハの町をめぐって、最終目的地のライプツィヒへ。ライプツィヒではバッハフェスティバルをたっぷり4日間堪能しました。いろいろ聴いたなかで印象に残ったのは、アンドレア・マルコンとヴェニス・バロック・オーケストラによる「ヴェネツィアの晩?」というタイトルのコンサート。世に名高かった17世紀ヴェネツィアの豪華な礼拝音楽を再現したもので、日本ではめったに聴けないモンテヴェルディやガブリエーリの名曲が、やわらかで輝きをおびた彼らの響きとともに再現されたのに立ち会えたのは、至福の経験でした。 そしてバッハツアーのおまけは、この時期の特産である白アスパラと、生産量が少ないためほとんど輸出されないマイセンのワイン。各訪問地での地ビールももちろん。アスパラはバッハも好物だったから、というのは言い訳でしょうか。空気もご飯もたっぷり味わえるバッハツアー、まだまだやめられそうにありません。 、
June 24, 2011
海外でオペラを見ていてつくづく思うのは、オペラハウスは「町の顔」だということです。劇場そのもの、もですが、聴衆や雰囲気を眺めていると、ほんの一部ではありますが、その町の空気が分かるような気がします。 観光客が多くてちょっと気取っているウィーンの国立オペラ座。ごくごくカジュアルで普段着のひとも多いパリ、バスチーユの新オペラ座。「エンタメ」の最高峰としていろんなひとが楽しんでいる、メトロポリタン・オペラ。どれも、それぞれに、町の持っている空気を反映しています。 フェスティバルもそう。気取った社交界が未だに続いているザルツブルク音楽祭、社交と一日のレジャーをかねているグラインドボーン音楽祭、レベルはなるほど高いもののこれまたお金持ちの匂いがぷんぶんするルツッェルン音楽祭など、気取ったフェスティバルもあるなかで、たとえばペーザロのロッシーニ音楽祭は、海辺のリゾートということもあるのでしょうが、ほんとうのロッシーニ好きが集まっている感じがしました。ローマ時代の闘技場で開催されるヴェローナ音楽祭は、ほんとうのお祭り、という感じで、あれはあれで愉しいものです。 今回、自分で来ているバーデンバーデン。もちろん聴きたい公演があるからですが(ヘンゲルブロック指揮「イドメネオ」)、もうひとつの目的は、劇場を「見る」(体験することも含め)こと。個人で来ていても、オペラツアーを企画している仕事柄、新しい劇場へ行くたびに、ここはツアーに向いているかなと、頭の隅で考えます。 このバーデンバーデンの祝祭劇場は、つい最近(1998年完成)できたものですが、ラインナップが凄いので、以前から注目していました。オペラも器楽も、ムターだダムラウだカウフマンだネトレプコだゲルギエフだバレンボイムだバルトリだと、スターが続々くるのですから。つい先頃も、ティーレマン指揮、ダムラウ、フレミング、カウフマンなどが出た「ばらの騎士」が映画館公開されたばかりです。 公演日の前に、ネットで注文しておいたチケットを取りに劇場に行ったのですが、なんと以前は「駅」だったそう。「ユーゲントシュティール」様式の駅舎だったものを、新しい駅を作るにあたって劇場、というかホールに改造したのですね。 さて、お目当ての公演当日。劇場へ向かうひとたちは、ちょっとドレッシーな雰囲気。バーデンバーデンは保養地ですから、お金持ちも多いし、保養地の高級な娯楽という感じなのでしょう。 劇場のなかはいたってモダンで、レストランに加えてバーが何カ所もあり、やはり「社交場」のような感じでした。聴衆はやや年齢が高く、それなりにおしゃれしています。男性はネクタイがあったほうがいいような雰囲気。去年行った、ドルトムントのコンツェルトハウスにちょっと似ているでしょうか。たしかあそこも世紀の変わり目くらいにできたはずで、当時のドイツはちょっとバブリーだったのかな。 ちなみにバーの幕間予約メニューに、「ヴェルディ(カナッペ盛り合わせ)」「ロッシーニ(えびカクテル)」「プッチーニ(トマトとモッツァレラ)」があったのは笑えました。いずれもゼクト(スパークリングワイン)つきです。 ホールの内部は、正直あまりいいとは思えませんでした。駅舎だっただけあって天井が高すぎる。広さもちょっと大きすぎます。今日はピリオド楽器のオケですから、どうだろうか。 公演自体のできばえは、十分満足できました。音響的にはやはり、ちょっともの足りない感じがしましたけれど。。。ヘンゲルブロックと彼の率いるバルタザール・ノイマン管弦楽団&合唱団の演奏、オペラの場合は人物の感情をていねいになぞり、ドラマを細かく演出してくれます。演出もやるヘンゲルブロック、彼は天性のドラマティストなのだろうと思えます。コンサート形式ながら、歌手に細かく演技をつけていて、ちょっとクリスティを思い出しました。 歌手では、イダマンテを歌った若いメッゾ、クリスティーナ・デレチュカが出色。柔らかく繊細な声で、雰囲気があり、表情豊かで惹かれました。イリヤのカミッラ・ティリングもリリックで伸びのある声です。タイトルロールのテノール、スティーヴ・ダヴィスリムがちょっと弱かったのと、エレットラのタマール・イヴェーリが、ピリオド奏法の伴奏に合わない存在感だったのが残念でした。イヴェーリはとてもいい歌手だと思うのですが、やはりヴェルディ、プッチーニ向きなのでしょう。当初予定のアントナッチで聴きたかった。 アルバーチェのヴィルジル・ハルティンガー、「天の声」のマレク・ルツェプカは合唱団のメンバーですが立派な演唱。やはりこの合唱団、スーパーソリスト合唱団です。 終演後は、聴衆は誰でも参加できるという出演者とのパーティがフォワイエであり、なんとか粘ってヘンゲルブロックに直に挨拶することができました(これだけ追いかけ回して初めて!)に成功しました。彼はもともと社交的なようなのに加えて、今日が誕生日だそうで、回りの演奏家やスタッフとすごく盛り上がっていました。 それはそうと、この祝祭劇場、個人的にはあまり好きじゃないな、という空気を感じたのも確かです。また聞きですが、とにかくスター主義だとききました。お金持ちのお遊びというか。この町はロシア語の看板が多く、ロシア人が多く、ロシア教会まであるのですが、ロシアのお金持ちの道楽的な部分もあるのではないでしょうか。チケットも安くありません(「イドメネオ」は150ユーロ、明日見る「サロメ」は230ユーロ。)やはりお金持ちが多くてチケットもいい値段のルツェルンか、ザルツブルクのカジュアル版みたいな感じです。 こういうフェスティバルに来ると、いつも懐かしく思ってしまうのがケーテンのバッハフェスティバル。なにしろ小さな町の「バッハ」フェスティバルですから、値段も安いし聴衆もカジュアルで、本当に好きなひとが来ている印象を受けます。ヘンゲルブロックを初めて聴いて震え上がったのもこのフェスティバルでした。広報がまるで機能していなくて、知られていないのが残念ですが、同時に金儲けのフェスティバルになって欲しくないとつくづく思います。 「教会」音楽と「劇場」音楽は、バロック時代の昔から、「まじめ」な音楽、派手で「社交的」な音楽と分類されてきましたが、今なおその伝統は生きているのだと、つくづく感じたバーデンバーデンの夜だったのでした。
June 10, 2011
ベルリン滞在を終え、ドイツの南西にあるバーデンバーデンという街にきています。 いわゆる「黒い森」地方にある、古くからの保養地。ローマ帝国時代から温泉があったとかで、ヨーロッパに数ある温泉保養地のなかでも古い歴史を誇ります。ツルゲーネフをはじめあまたの有名人が訪れていますが、音楽家では、クララ・シューマンとブラームスが一時定期的に来ていましたし(ブラームスの住んだ家は今でも残っています)、リストも好んでいたようです。 とはいえ、ツアーの合間にここにきているのは、当然ながら温泉保養が目的なのではありません。ここにある「祝祭劇場」での公演を観に(聴きに)きたのです。 バーデンバーデンの祝祭劇場は、ついこの間まで存在を知りませんでしたが、年間を通じてスター演奏家がぞくぞく登場し、オペラもよくとりあげています。演奏家の名前でいえばポリーニ、アッバード、ムター、ランラン、バルトリ、カウフマン、シュタットフェルト、ガランチャ、ダムラウ、ディドナートなどなどまさにキラ星のよう。コンサート形式でのオペラ上演もさかんで、今月コンサート形式で上演のある「ドン・ジョヴァンニ」は、ダムラウ。ダルカンジェロ、ヴィラソン、ディドナート、ピサローニという豪華絢爛キャストです。 ちなみに私の目的は、9日にやはりコンサート形式で上演される「イドメネオ」。指揮は、今一番追いかけ回している指揮者のひとり、ヘンゲルブロック。手兵のピリオド楽器オケであるバルタザール・ノイマン管弦楽団と合唱団で登場するのも楽しみです。歌手は、エレットラにアンナ・カタリーナ・アントナッチなどなかなかの名前が揃っていました。 それはともかく、今日書きたくなったのは、「温泉」にまつわる思い出です。 ご存知の方も多いと思いますが、ヨーロッパの温泉は日本のように裸で入るのではなく、水着をつけて楽しむ、いわゆる温泉プールのような感じです。そしてプールのなかにはいろんなジャグジーや、打たせ湯のような設備があり、泳ぐのではなくリラックスできる施設になっています。最近は「テルメ」などの名前で、日本でもちらほら見かけるようになりました。 ここバーデンバーデンにももちろんあり、ローマ皇帝の名前をつけた「カラカラ・テルメ」といいます。古い温泉地だけあり、さすがに規模は大きいよう。 せっかくはるばる来たのだからと、テルメにいってみることにしました。 入場料は時間制で、2時間で14、3時間で17ユーロというように変わります。今は夏場の特別価格で、2時間料金で3時間いられると言われました。もちろんそれで入りましたが、まあ、ジャグジーばかり3時間も入っていられませんよね。 プールは室内に大きなのがひとつ、屋外にふたつありました。屋外のものはひとつは熱く、ひとつは冷たい。冷たい方では泳げます。熱い方はジャグジー使い。露天ジャクジーですね。気持ちいい。 屋内のほうはひとつとはいえとても大きく、そして渦巻き?のようになっていて、各所アワの強さや流れ方が違います。 他にも、小さな「洞窟」風呂(温冷各1)や、スチームサウナ、ソラリウムなども完備されていて、場内にカフェレストランもあり、その気になれば3時間くらいはすぐだな、と思えました。 1時間ばかりいろいろ試して、気分よくなってきた頃、上階へ行く階段を見逃していたことに気づきました。螺旋状の階段は、「ローマ風サウナへ」つづいているよう。これは、行ってみなければね。 ところが、階段を昇って着いたガラス扉に、ありました。「服をつけないで使う場所」。つまり、すっぽんぽんになりなさい、ということです。 そうでした、こちらのサウナはすっぽんぽんで使うのです。 平面図を観ると、実にバラエティに富んだ施設があるようで、入場料は同じなのだから損したような気になりつつも引き返し、同時にはるか昔の思い出がよみがえりました。 もうXX年前、オーストリアのインスブルックという小さな街に留学していた時のことです。 時々、プールに出かけるのが日課でした。 公共のプールでしたが、サウナが別料金でついていた。 で、ある日、トライしてみようと言う気になったのです。 料金を払い、更衣室に入ると、なんとすっぽんぽんの男性が大勢いるではありませんか。 肝をつぶして受付に引き返すと、 「いいんですよ、どうぞどうぞ」というのです。 「サウナ」の看板をつくづく観て、ようやく分かりました。 「gemischt」(混浴)の文字があったのです。 以前、更衣室を覗いたときは、女性しか見当たらなかったのですが、それは女性専用の曜日だったからでした。 で、どうしたかって? 勇気を出して?もう一度入り、水着をつけたままサウナに入ったら、 「水着?!」 とあからさまに顔をしかめられたので、出てきてしまった、というわけです。 ほんのわずかの間でしたが、やはり混浴といえ男性が大多数で、女性はカップルばかり、という感じでした。 そら、そうですよね。 あとで、オーストリア人やドイツ人にも、混浴のサウナは嫌い、といっている人がいたのでほっとした、というわけです。 あと、ご存知の方も多いと思いますが、こちらのひとは体臭がきついので、すっぽんぽんのサウナなど、その点でもとても耐えられるものではありません。 というわけで、階段を下りながら、そんな記憶を反芻していたわけです。 パートナーがいたらどうかって?やっぱり、いやなんじゃないかなあ。 「テルメ」の効果はあったようで、心なしか身体が軽く、気持ちよくなったので、旅の疲れ?も癒えたかな、と思いながら施設を出たのでした。
June 9, 2011
ウィーン、ロンドン、グラインドボーンと回った今回のオペラツアーも、4日で終了。11日からまたバッハツアーが始まるので、ドイツでツアーを待つことにしました。一度帰ると、また1週間後にこちらにこなければならず、時差ぼけに耐えられる自信がないのです。4月のフランス旅行から帰って後、かなり時差ぼけに悩まされてしまったので。。。帰れるなら、ちょうどメトの来日公演にぶつかるのですが。。。とはいえ、5−7月くらいはヨーロッパ旅行のベストシーズン、腹を決めてしまうと?これはこれでいいものです。そうこうしているうちに、夏のツアーの催行が決まりました。7月に予定している、南仏のフェスティバル、エクサンプロヴァンス音楽祭とオランジュ音楽祭に、パリのバスチーユオペラ座でオペラを鑑賞するツアーです。この地方は3回目なのですが、南仏は旅先としてもとても素晴らしいので、好評をいただいているツアーです。今回は、エクサンでデセイ主演の「椿姫」、オランジュでは、会場となる古代の野外劇場にぴったりの『アイーダ』、パリで「オテロ」と、メジャーな演目が揃いました。「オテロ」は、スター歌手のフレミングのデスデモナ、新国でもヤーゴを歌って好評だったガッロのヤーゴ、ムーティもこの役に起用したアントネンコの主役と強力なキャスト。パリのオケはとてもうまいので、それも楽しみです。けれど、個人的には、今回のツアーでいちばん注目しているのは、大野和士さん指揮の「鼻」なのです(エクサンプロヴァンス音楽祭)。あちこちで書いたり言ったりしているように、私はかなりマエストロ大野を追っかけています。できるかぎり海外のオペラを、と思っていて、これまでにスカラ座の「マクベス」、グラインドボーンの「ヘンゼルとグレーテル」、メトの「オランダ人」、そしてこの4月のリヨン「ルイザミラー」などを聴いてきました。どれもそれぞれよかったですが、ここに書いたなかで一番驚いた(いい意味で)は、『ヘンゼルとグレーテル』でしょうか。音楽の花園をさまよったような、素敵な体験でした。けれど、一番強烈だったのは、昨夏エクサンで観たストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」です。昨年内外で観たオペラのなかで、音楽面で一番感動したのはヘンゲルブロックとバルトリの「ノルマ」(コンサート形式)でしたが、総合芸術としてのオペラでいえば、断然「夜鳴きうぐいす」でした。ヴェトナムの水上人形劇にヒントを得たルパージュの美しく幻想的な舞台に、大野さんのシャープで機敏で知的な遊び心に富んだ音楽作りがぴたりとあっていたのです。夢のなかにいるような時間でした。その大野さん、今年はショスタコーヴィチの「鼻」だというではありませんか。この手の20世紀もの、大野さんの知性がフル活動するように思うのです。演出はケントリッジで、メトでゲルギエフが振ったもののようですが、観たひとによるとすごくよかったとか。これ、今からすごくわくわくしているのです。ご興味のある方は、ぜひご覧ください。http://www.ytk.co.jp/music/kaigai_opera_classic/tour/schedule/1341
June 8, 2011
オペラツアーを終えて、旧東ベルリンに来ています。 11日からバッハツアーが始まるので、日本に帰らずこのままツアーを待とうと考え、ならしばらくごぶさたしている友達のところに行こう、と思い立ちました。 ドイツには毎年バッハツアーで少なくとも一度は来ているのですが、いつもばたばたしていて、友人知人とゆっくり会えることはめったにありません。 今回世話になる友人は、原発事故のときも心配してくれましたし、顔を見せに行きがてら、と思ったのです。 彼との付き合いは、もう足かけ20年ほどになります。 最初に知り合ったのは、彼の義兄でした。 私はXX年前にオーストリアのインスブルックという小さな町に留学していたのですが、バッハの周辺のことを調べていたので、バッハが後半生活動した町であるライプツィヒにたびたび資料調べに行ったのです。 当時、ライプツィヒはまだ東独でした。 なので、入るのには面倒な手続きが要ったのですが、その前、1985年のバッハ生誕300年に東京でバッハ展が開催され、ライプツィヒにあったバッハ研究所(現バッハ・アルヒーフ)の所長らが来日。私は展覧会の下働きをした縁で、東独の関係者と知り合うことができ、彼らのところに寄宿させてもらう形で、滞在ビザをとったのです。 旧東独というおかしな国のことを書き出すときりがないのでやめますが、政治は最悪でも東独のひとたちはすれていないというか、素朴で、日本人など珍しいこともあって、とてもよくしてもらいました。 そこで知り合ったのが、当時バッハ研究所に勤めていた、ベルリンの友人の義兄でした。ちょうど同じ歳だったので、年長のひとたちに囲まれていたなかでちょっとホッとした覚えがあります。 図書館を調べ歩くうちに旧東独の図書館にも行く必要がでてきて、その義兄の実家に泊めてもらい、そのときに義兄の妹、つまり今のベルリンの友人の奥さんと知り合ったのです。 ベルリンの友人とちゃんと知り合ったのは、ベルリンの壁がこわれてからでした。 彼は旧東ベルリン一のオーケストラの第一ヴァイオリン奏者をしていて、演奏旅行で日本にやってきたのです。 東独時代はなかなか滞在の自由もきかなかったでしょうけれど、時代が変わったありがたさ、演奏旅行後に私の実家に1週間ほど滞在して、日本を満喫して行きました。 それからも演奏旅行でたびたび日本に来(室内オケなどでも)、こちらのほうもその間1、2度はベルリンを訪問するなどして、家族ぐるみの付き合いが続いています。彼はとても日本びいきで、お寿司も大好きですし、日本の情報もよく知っています。 彼は今、東ベルリン市内、中心部から8キロくらいのところに、庭付きの一軒家を買って、奥さんと子供たちと暮らしています。日本の一般のオケの仕事だけ(他にレッスンとか先生とかしないで)だったら、東京都心に庭付きの一軒家なんて、とても無理ですよね、きっと。 子供は、ハンブルクの大学で勉強している長男に、日本の高校にあたるギムナジウムにいる双子の男の子。みんな礼儀正しく、両親との関係も良好なようで、家族っていいなあ、なんて思ってしまいました。 やっぱり、家族を築くって素晴らしいことですね。こちらは子供もないので、なおさら感じられてしまいました。 テラスでバーベキューを楽しんだり、ベルリンに住んでいる日本人ヴァイオリニストに教えてもらった日本料理店へお寿司を食べに要ったりして、数日間はあっという間に過ぎました。 ベルリン最後の日、次の目的地であるバーデンバーデンへ向かう私を、駅まで送ってくれがてら、彼の結婚当時の話になりました。 友人が、ヴァイマールの音楽学校の同級生だった奥さんと結婚したのは、23歳の時。新婚旅行中も、毎日3時間はさらっていたそうです。当時すでにハレの歌劇場で働いていたのですが、どうしても大きなオケに入りたかったのだそう。ゲヴァントハウス、ドレスデンフィルなど、いろんなオケを受けたといいます。 「大きなオケに入れば、演奏旅行に行けるし、それで西側に出ようと思った」 最大の理由は、それでした。どうも、東独を出るつもりだったらしい。奥さんも賛成していたそうです。 ご存知のように、旧東独には移動の自由がありませんでした。1989年の東欧革命の時、デモが起こった最大の理由はそれです。 「お金じゃないんだ。自由がなかったから」 ベルリンの壁崩壊とドイツ統一後、経済格差がたびたび問題になりましたが、最初の動機は経済よりなにより「自由」でした。それは脇で見ていた人間として痛感します。 友人は無事、東ベルリン第一のオーケストラに採用されました。壁が壊れたのは、その1年後でした。 経済格差は長い間ありました。給与水準が西側に追いついたのは、つい最近のようです。ベルリンは首都にしては比較的物価は安いようなので(たとえばミュンヘンなどと比べて)、家を建てることも可能だったのでしょう。 「もっと条件のいいオケに移ろうと考えなかったわけじゃないけど、西側へ行く理由はなくなったし、オケの雰囲気もすごくいいから、ずっとここでやってきたんだ」 彼はそういいました。 やっぱり、(失礼を承知で生意気言わせてもらうと)あたまのいいひとなのです。 旧東独というシステムの狂った国にいて、自分の立ち位置をちゃんと理解し、願望を明確にしていたのですから。 改めて、彼の人生と意志と得たものに敬意を感じてしまった、ベルリン最後の朝だったのでした。
June 6, 2011
今回のオペラツアー、第一のハイライトは、グラインドボーン音楽祭です。 ロンドンから2時間あまり、かつての貴族クリスティが自分の館のなかで始めた音楽祭は、今やイギリスの夏の音楽祭ナンバーワンにまで成長しました。 以前は本当の夏場だけだったようですが、1994年に1200人を収容できるすばらし劇場が完成して以来、公演数も増え、近年は5月下旬から8月いっぱいまで、実に6演目を舞台にかけています。 不便な場所なので、ツアーに行くのに適した音楽祭でもあります。また、ここで1日楽しめるようにと、公演は夕方早めに始まり、幕間の休憩は夕食用に1時間半。場内のレストランや、名物の「ピクニック」用のバスケットを予約するのが通例です。ま、レストランの食事は雰囲気はともかく味は期待できませんけれど(「ドン・ジョヴァンニ」の日のレストランは、ゆでにゆでで味がなくなったサーモンがメインでした。塩をかけてもいっこうに味がしないという不思議なメインディッシュ。) イギリス人たちは、(時に飲み物食べ物を盛大に詰め込んだ)自家用車でやってきて、開演前から飲み食いを楽しみ、時に終演後も暗くなった庭で盛大にやっています。大人の休日、という感じですね。 さて、今回はこのグラインドボーン音楽祭で2演目を鑑賞しました。 2009年プレミエの「ドン・ジョヴァンニ」と、新制作の「マイスタージンガー」です。対照的な公演で、どちらも楽しめました。 「ドン・ジョヴァンニ」はジョナサン・ケントの演出。現代のイタリアンマフィアみたいな設定です。かなりセクシーで、ツェルリーナははすっぱなマリリン・モンローみたいだし、第1幕の終わりのパーティは乱痴気騒ぎ。テンポよく快速調に展開して行きます。またこれが、ティチアーティ指揮するエイジ・オブ・エンライトメントのシャープな演奏とぴったりで、思わずのめりこんでしまいました。 歌手では、ドンナ・アンナを歌ったアルビナ・シャギムラトヴァ(?)というひとが収穫。タシュケント生まれとかで、ロンドンのマクベス夫人と同じ(でもないか)、ロシア圏のソプラノという感じ。力強い声でこれも圧倒されました。どうも、以前からも感じていることですが、何年後かにはオペラハウスはロシア、東欧、アジア(韓国、中国)の歌手たちで席巻されるのも大ありですね。日本人が入りそうもないのは残念です。 もうひとり、テノールのトビー・スペンスも美しい、柔らかな、モーツアルトに向いた繊細な声で素晴らしいものでした。テノール役であるドン・オツターヴィオはあまりたいした人が出なかったりするのですが、こういう歌手で聴くと贅沢感があります。 面白いと思ったのは、今回まわったたとえばウィーンでは、イタリアオペラでイタリア人が出ないパートは東欧圏の歌手がよく起用されるのですが、ロンドンやグラインドボーン、つまりイギリスでは、イギリス人中心で、あと北欧圏が多いのですね。たとえば今回ドンナ・エルヴィーラを歌ったミア・パーションはスウエーデンのソプラノです。やはり地理的条件でしょうね。日本から見ていると、ヨーロッパはどこも同じように見えてしまうのですが、錯覚だと感じます。 もうひとつ特筆すべきは、今回、1788年のウィーン再演版が使われたこと。(たいていはプラハ初演版と再演版のいいとこどりをした版で、両方のいいアリアが全部残っています。)なので、通常演奏されない第2幕のレポレッロとツェルリーナの二重唱があったり、いつもは歌われる第2幕のオッターヴィオのアリアがなかったりしました。どんな意図かはちょっとわかりかねましたが、なかなか体験できない版を体験した意味でも貴重でした。 「マイスタージンガー」は、グラインドボーン初演とあって、開演前からソーシャルな感じでした。もともとこの音楽祭、今時珍しく正装がほとんどで有名なのですが、「ドン・ジョヴァンニ」は若い聴衆も多く、ロングドレスも比較的少なかったのです。それが「マイスタージンガー」では、ふだんのオペラ音楽祭の観客という感じで、年齢層も正装度もぐっと上がっていました。もちろん新制作というのもあるのでしょうけれど。 プロダクションは、新国で「トリスタン」をやったばかりのマクヴィカー、オケはユロフスキ指揮のロンドンフィル(ここのレジデントオケ)。 何といっても驚いたのは、正統中の正統というか、イタリアのルネサンス歴史画を見ているかのように美しい演出。グラインドボーン初演というのもあるのでしょうか、誰が見てもすみずみまで美しい。ドイツでやったらブーイングものでしょう、けれど私たちには楽しめます。ツアーメンバーのなかには「マイスタージンガー」が初めての方もいらっしゃいましたから、よかったと思いました。人物の、とくに群衆の動かし方が秀逸で、正統的とはいえ活気のある舞台でした。 歌手では、ハンス・ザックス役のジェラール・フィンリーががんばっていました。フィンリーはキーンリサイドとならんでイギリスを代表するバリトンですが、日本ではあまり知られていません。けれどドン・ジョヴァンニなどよく歌っていて、私たちが見た「ドン・ジョヴァンニ」、2009年プレミエでも歌ったようです。なので、どちからというと軽いイメージがあったのですが、どうして、堂々としたものでした。まだ若くてそれなりに素敵なので、若い女性をあきらめる役柄に見えにくかったのが、強いていえば難点でしたけれど(?)。 彼をのぞけば、さすがに「マイスタージンガー」だからでしょうか、ほとんどドイツ人で固められていました。ダヴィット役のイエンチュは柔らかな美声のテノール、いい声ですがまだ無理をしないほうがよさそうです。ベックメッサーのクレンツルは芸達者、さかんな喝采を受けていました。 強いての不満はユロフスキ指揮のオーケストラ。なんともさっぱりしていてワーグナーを聴いた、というしびれ感がありません。けれどそれも作品の力でしょう、後半はよくなり、カーテンコールも沸いていました。 「マイスタージンガー」、最後はこれも音楽の力、そして耐えに耐えて最後でもっていくワーグナーの魔法。食事休憩をはさんで7時間強の長丁場でしたが、その魔法にかかった聴衆は、イギリスの涼しい夜を熱くしていたのでした。
June 2, 2011
何と、1ヶ月以上もブログをほったらかしにしてしまいました。 そしてまた、旅に出ています。先月の26日から始まった、オペラツアーです。 多忙を理由にしてはいけないのですが、余裕がなかったことは事実。 これまた下手すると自慢話系でみっともないのですが、4月のフランス旅行から帰国後、およそ1ヶ月の間に、原稿、カルチャーの講座、大学、そのほかのレクチャーと追いまくられてしまいました。 (ありがたいことなのですが)連載原稿がいくつかあるので、それの書きだめをしなければならず、新聞雑誌、公演プログラム関係とあわせて300枚近い量を書いたと思います。それでもまだ終わらず、締め切りをのばしていいただいたものもあるのですが(ごめんなさい。。。) で、旅に出て、さてブログが書けるかなと思いきや、1日中出ているのでこれがなかなか、なんですね。 夜は公演があるので、帰ってくると遅いですし、朝は(私にしては)早いですし、翌日の準備などもそれなりにあります。そんなこんなでへたっていた、というのが実情。まあ、非力といわれればそれまでですけれど。 今回見ている公演、ウィーンの「シモン・ボツカネグラ」もロンドンの「マクベス」もそれなりに面白く、なるべく早く(自分のためにも)まとめておきたい、と考えてはいるのですが。 その前に、書いておきたいことができてしまいました。 今いるヨーロッパの話ではなく、日本のことなのですけれど。 メトロポリタン・オペラの来日公演です。 3月11日の大震災と原発事故を受けて、来日中のフィレンツェ歌劇場が公演途中で帰っておよそ3ヶ月。 メトがくるかどうか、は、ずっと危ぶまれていました。もちろん理由は原発事故です。 カンパニーとしての来日はかなり前から表明していましたが、ソリストがどれくらいくるかを、ファンは心配していたと思います。 案の定、といいますか、病気のレヴァインやボロディナはともかく、原発事故の影響を案じてまずカウフマンが、そして直前になってネトレプコとカレヤがキャンセル、と報道がありました。(後者2人の降板はこちらへ来てからツイッターで知りました)。 仕方ないと思います。彼らを責められないでしょう。欧米の報道は日本よりはるかにシビアですから。 けれど、逆に、こんなときに来てくれるアーティストには本当に感謝したくなりますよね。 実は、原発報道がシビアだったイタリアやドイツ出身のフリットリ、ダムラウが来るかどうか、個人的にはそちらが気がかりだったのです。 けれど、ちゃんと来てくれたようです。しかもダムラウは生後1年もたっていない!子供連れで。立派、としかいいようがありません。歌手としての覚悟を見た気がしています。 彼女は2月にメトでインタビューしたときもとても感じがよく、クレバーで、もちろん歌はすばらしいのですから、すっかり魅了されてしまいました。 ネトレプコとレヴァインの組み合わせが売りだった「特別コンサート」は、ダムラウ&フリットリとルイージ(指揮)で行うことになったとか。なんと、そちらのほうが豪華ではありませんか。 ある方が、メールで、朝日新聞に出ていた総裁ゲルブのメッセージを送ってくれたのですが、カンパニーとして「最大の挑戦」という言葉にぐっときてしまいました。海外にいて公演に行けないのが、本当に残念です。 まだ行くかどうか決めていない方、ぜひゲルブ総裁や来日ソリストたちの意気に応えるためにも、ぜひ公演に足を運んでくださいね! http://www.japanarts.co.jp/MET2011/cast_changes.htm
June 1, 2011
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