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「あ~、全然片付かない!」新学期を迎え、事務所の本棚の入れ替えをこのところ頑張っている。使わなくなった教科書を全部棚からおろし、新しい教科書を並べるのだが、これが大変な作業である。中学校はまだ教科書会社1社につき、1冊なので分かりやすい。どの学校がどの教科書を使っているか分かりやすくしておけばいいだけなのだが、問題は高校生の方である。高校の教科書というのは、1社につきレベル別に数冊出版されていて、出版社名だけ聞いても、どのレベルの教科書を使用しているかまで把握しておかないと、指導内容を間違ってしまう。また、教科書が、新課程の教科書なのか旧課程の教科書なのかもきちんと分けておかないと、講師の方は旧課程で勉強しているため、生徒さんに旧課程で教えかねない。新課程と旧課程とでは教える順番も違っていたりするので危ない(もっとも教科書の表紙が違うから多くの場合は、違うことに気づくのだが)。そして、学校によっては問題集を教科書代わりに教えているところもあるので、この問題集は〇〇高校、この問題集は〇△高校、と並べておかないと大変である。目の前にうずたかく積まれた教科書や参考書類をみて、どこにどうやってしまえばいいか、悩むところである。収納は苦手なんだよね~。教科書も英語の教科書と数学の教科書はサイズが違うから、同じように並べるとうまくいかない。とりあえず、で並べてしまうと、経験上絶対後で分からなくなるし。買ったことは覚えているんだけど、どこに閉まったか忘れてしまい、探すのに非常に時間がかかる。教科書や参考書は年々増えるからね、TVでよく見かける「収納の達人」みたいな人が来て、使いやすく機能的な収納方法とか教えてくれないかな、なんて、この時期になるといつも思う。今年は、「収納ボックス」を活用することにしてみた。会社にいたときによく資料とか入れて使っていた、紙製のA4が入るサイズのボックスである。紙製じゃないと、今後「ごみ」として出すときに大変だしね。早速ボックスを組み立てて、そのボックスに教科書を入れていく。よし、今年はいい調子と思っていたら、「棚にこれ以上並びません」と言われる。えっつ、なんで?棚を見ると収納ボックスがきれいにならんでいるが、床にはまだ大量の教科書が・・・あれ~?収納ボックス使う方が並ぶ本が少なくなっちゃうんだ!ボックスを使うと、隙間なく並べるということが出来ないため、収納ボックス内にできる空間が結果的に並べられる量を少なくしてしまう結果に陥っていた。う~ん、どうするかなぁ。「とりあえず、普通にならべましょう。」という意見を尊重し(そうしないとどこも歩けない)、今まで通りの並べ方で並べていく。でも、これじゃぁ、今までと変わらないじゃん。使い勝手はよろしくないんだよね。今日一日でやる、というのはあきらめ、ナイスな並べ方をまた考えることにした。でも、並べながら思ったのだが、生徒さんの頭の中もこんな感じなのかなぁ。教えてもらったこと、というのは絶対頭の中のどこかにはあるハズなんだよね。ただ、それがきちんと体系的に整理されていないから、ある問題を解くときに、うまくひっぱり出せない。ひっぱり出せたとしても、ものすごく時間がかかる。後は、知識の抜けで、何がなんだが分からなくなっているときもあるなぁ。簡単に言えば、1巻から10巻まであるときの3巻が抜けているって感じ。3巻が抜けているから、残り4巻以降の説明がきちんと整理されて頭の中に入っていかないんだろうね。そうすると、家庭教師の役割というのは、知識の抜けを埋めるということとともに、頭の中にある知識を整理して、使いやすいようにしてあげる必要があるね。「知識の収納名人」にもならなきゃね。「知識の収納名人」か。研修で手薄な所だなぁ。この辺りももう少し丁寧にやらないと。でも、これって、教材からのアプローチでもどうにかなりそうな気もする。教材作るのは時間がかかるけど、取り組まないとね。そんなことを考えているうちに、見た目はきれいに片付いた。あっつ、明日の打ち合わせに使う教科書だけは別にしておかなくちゃ。そう思い棚を見るが、どこに置いてあるかさっぱりわからず。しばらく捜索してやっと発見される。こういうのが駄目なんだよね。機能的な収納方法を一晩考えてみよう。
2004/03/31
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今日は一日中、「家庭訪問」の日であった。「家庭訪問」とは、指導時間の割にあまり成績がアップしていないご家庭に、担当している講師とともにお伺いし、今後の方針の立てなおしを図ることである。指導時間の割に成績があまりアップしていないのは、講師の指導方針や内容にも問題があるが、全体的な勉強のやり方や取り組み方にも問題があることが多い。それらの様子も把握した上で、勉強方法の見直しをはかり、方針の立てなおしを行う。勉強方法を変えるには、春休みというのはよい時期である。勉強方法は学校が始まってから変えようとすると生徒さんが変えることに不安を覚えて、うまくいかないことが多いからね。今日は3軒のお家をご訪問したのだが、一番方針を立てるのに時間がかかったのは、最初のお家である。このお家の生徒さんは、学校のノートもきちんと取っている、いわゆる「勉強する」タイプの生徒さんである。講師が指導しているときも、一生懸命授業を受けている。でもかけている時間の割に効果が出ていない。ノートチェックから始まり、普段の授業の様子、家での勉強スタイル、今回の勉強の仕方をヒアリングしていく。これらのことは、入会時にもチェックしていて、そのときに一度立てなおしを図っているハズなのだが、話を聞いていても今ひとつ入会時のアドバイスが生きていない気がする。このお家のお母様も、勉強を見てらっしゃるので、「教科書をきちんと読みこなさないと駄目でしょ、といつも言ってるんですが。」とおっしゃる。お母様のおっしゃることはその通りである。「もう、何回も同じことを言ってるんです。」そうですか、では原因はそこではないんでしょうね。生徒さんに、「どうして教科書を読まないの?」と聞いてみる。生徒さん曰く、「教科書読んでもノートから出題されるから。」それでは、と、生徒さんと一緒に、定期テストの問題をチェックして、ノートからの出題のところを拾っていく。「ここと、ここと、ここと。」ウン、そこはノートからなのね。ホントだね、教科書から出てないね。後はないの?「後は、ここと、ここです。」じゃぁ、この丸つけた問題が全部ノートからなんだね。「はい、そうです。」講師と丸ついている問題が100点満点中、何点の配点なのか素早く計算する。だいたいね、40点分ぐらいがノートから出てるんだね。ということは、残り60点分ぐらいが、教科書から出てるんだよ。だからね、ノートも大切だけど、教科書も勉強していかなくちゃ駄目だよね。漠然と捉えているものは、数値化して説明した方がわかりやすい。配点割合がノートより教科書の方が多いことを知って、驚く生徒さん。お母様が、「ほら、やっぱりママが言うように、教科書読まないと駄目なのよ。」とお子さんに言われる。多分、教科書を読んでいると、「ノートから出題されたらどうしよう。」って不安になってくるんだろうね。だけど、教科書読むのは大切だよ。流れがよく分かるから。2学期の期末はそうやって勉強して点数取れたでしょ。「はい。」ノートも大切だけど、教科書からやりはじめて、「教科書に書いてあることはばっちり」というところまで持っていって、残りはノートで教科書にのっていないところを押さえる、というやり方にした方がいいと思うよ。教科書から出ている割合の方が高いから、教科書だけやったとしても半分取れるよ。ノートだけやっても確かに半分取れるけど、ノートはポイントで書いてあるからね。学校のテストは教科書のような感じで書いてあるから、ポイントだけ勉強すると、出題の仕方によっては「なんだっけ?」ってことになるからね。テストの時にはわからなかったけど、答え見ると、「あっつ、これやったな!」なんて思うものもあると思うよ。まずは、教科書からやってごらん。ノートも気になると思うけど、「教科書をまずちゃんとやってから。」って思って、勉強しようよ。ただし、直前にやり始めると、絶対に間に合わないから少しずつでも普段から勉強すること。「はい。」残りの科目も細かく見ていって、全部の科目の勉強方針を立てた。お家で自分で勉強することと、こちらが教えること、チェックすべきこと、などを生徒さんと一緒に確認し、家庭訪問が終わる。塾だと一科目だけの指導になるけど、家庭教師だと全部見てあげられるからいいね。生徒さんはテストは全科目あるんだもんね。全科目勉強していく中で、苦手科目をどうやって伸ばしていくかを考えていかないと、苦手科目は出来るようになりました、だけど今まで点が取れていた科目は落ちました、になっちゃうからね。残り2軒も、つつがなく終わる。講師に今後の指導でどのように具体的にやっていくのかを教え、家に帰る。今日は非常に疲れた。早く寝て、また明日がんばろう!
2004/03/29
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今日は昨日の予告通り、新宿御苑にお花見に行った。穴場的入り口であろうと思われる(と言っても新宿御苑には入り口は二つしかない)「千駄ヶ谷門」の方から入る。御苑は入場料が200円かかるのだが、その分管理がしっかりしているせいか、園内はきれいで、いわゆるダンボールハウスは見当たらない。行ったのはお昼過ぎだが、すでにいい場所は人が座っているので、咲いている桜から少し離れた場所に陣取る。桜のすぐ近くに座りたかったな。やはり9時に来ないと駄目だね。今日は雲ひとつないぽかぽか陽気で、レジャーシートで寝転がると、丸く空が見える。普段の空はまさに「千恵子抄」の空であるが、こうして視界をさえぎるものがないと、地球って丸いんだな、と感じる。う~ん、いいね、こういう感じ。陽気に誘われてふと寝てしまったが、起きて周りを見渡すと、ちょっとの間にすごい人の海になっている。さっきまで芝生が見えていたところに、人、人、人・・・そういえば、昨日の御苑の入園者数は、3万人っていってたぞ!今日はこれを上回っているんだろうな。でも、皆幸せそうだ。みんなニコニコしていて、怒っている人なんて一人もいない(当り前だが)。子ども達も楽しそうに、あちらこちらを走り回っていたり、桜の木に登って遊んでいたりする。お花見っていいよね、皆幸せに慣れるから。そんなことを考えながら、ゆったりと時を過ごす。御苑は16:30には閉園してしまうので、16:00ぐらいに御苑を出る。夜桜とか見れるともっと楽しいのに。早めに閉まるからとても残念。桜はまだ満開という感じではなかったので、来週来ても楽しめそうだ。来週もまた来ようかな。でも、今度こそ9:00ぐらいに来ないと、桜の近くに座れないかも。家に帰って新宿御苑のHP見ると、なんと今日は8万人の人出だったそうだ。うわぁ、そんなにいたんだ。すごい混んでいたもんね。来週お天気だったら、また行こう! でも彼が「ウン」って言うかは微妙なところだけど。
2004/03/28
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今日は朝からとても良い天気なので、バイクに乗ってお買い物に行く。色々と買うものがあったのだが、まずは100円ショップに行こう!ということになり、西武新宿線の駅ビルのペペにある100円ショップに行った。100円ショップは久しぶり。よく行く100円ショップは、原宿の竹下通りにある100円ショップなのだが、この100円ショップとペペの100円ショップは会社が別なので、ちょっとずつ扱っている商品が違っている。あのお店にはないのにこのお店にはある、というものがあって、別会社の100円ショップはなにかと便利だ。今日はバイクだし、荷物を持ってくれる人(?!)もいるし、いっぱい買えるぞ!と気合が入る。数ヶ月ぶりにみた100円ショップのグッズは、質・量ともにグレードアップしていて、デザインも可愛いものが多くなった。トイレのマットとか、かわいいデザインのものが100円。コースターも、すごく可愛いのが4枚ぐらいセットで100円。エプロンも100円?!15日間分のサプリメントも100円?!しかもこのサプリメント、よくみかける種類は全て網羅してある。安いのは魅力的だが効くのかなぁと思い、手が出せない。反対側の棚のところで、ラーメン屋さんによくおいてある「にんにくすりつぶし器」を発見。へぇ~、こんなものまであるんだ。売っているのを普段みかけないこういう調理器具は、使う機会なんてあまりなさそうなのに、ついつい欲しくなってしまう(アイスクリームを丸くすくう器具とかも)。イカン、イカン。これ以上、家に物を増やしてどうする。ぐっとがまんする私。お菓子売り場をチェックしていた彼が、お気に入りのお菓子を手に戻ってくる。えっつ、それも100円なの!「うん、そうだよ。いっぱいあったよ。」近所のスーパーでは安くても118円ぐらいしか値下げしないお菓子が100円とは!あっつ、ホントだ。これもあれも100円だったら安いよ、と言っていたところで、見てはいけないものを見てしまう。あー、これ、よくコンビニで買ってた食玩具じゃん。300円ぐらいしてたのに、100円で売ってる~!ショクで打ちのめされる私。横で彼が、「その食玩具、今いちだったよね。売れなかったんだよ。」と駄目押しの一言。う~、もうそれ以上は言わないでください。傷口が広がるので。更に売り場をうろついていると、今日買う予定であった小鳥の餌まで100円で売っている。すかさず買い占める。結局、他で買おうとしていたものが、全て100円ショップに売っていて、今日の予定のお買い物はそこで全て終わってしまった。レジに並び精算する。100円ショップで大量に物を買うと、税金分でもう数点買える気がするので、なんだかくやしい。買った品々を袋に詰める。「こんなに買って、持って帰れるかなぁ」という彼の言葉には、聞いてないフリをする。そういえば、ここの100円ショップには、問題集が売ってなかったなぁ。原宿の100円ショップには小・中学生用問題集が売ってたのに。チェックしたかったのに、残念。帰りに新宿御苑の前を通ったら、すごい人がいた。あぁ、今日はお花見日和だよね。そうか、新宿御苑でお花見かぁ。よし、明日は御苑でお花見しよう!と、勝手に明日の予定を決めた。家に帰って彼に「明日はお花見です!」と予告する。聞いてない雰囲気の彼。いいもん。明日はお花見だもん。明日に備えて今日は早く寝よう!
2004/03/27
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今日は楽天日記で「教え方を教えて欲しい」と連絡のあった現在家庭教師をされている方に、教え方をアドバイスした。地方にお住まいの方なのだが、用事で東京に来る予定があるとのことで、では、会ってお話しましょう、ということになった。現在家庭教師をしていらっしゃる何人かの方に、この日記がご縁で「教え方のアドバイス」をしているのだが、こうして実際いお会いして行ったのは今日がはじめてである。メールで先にやり取りしていたが、実際にお会いしてお話をすると、細かいところまでアドバイスができるので、私としてもうれしい。普段の指導でのお悩みをお聞きして、アドバイスをする。メールからも感じていたが、非常に熱心に教えていらっしゃっていて、ご自身で問題も作成され、教えに行っていないときも、生徒さんが自分で勉強するように努力されている。問題の作り方にもポイントがあるので、それをアドバイス。ただ、私達の場合は、授業中に教えながら問題作成も同時に行うようにしているので、それをされたらどうかとご提案する。教えながら問題作成するには、指導中の授業構成の組み方を上手くやる必要がある。また、宿題をたくさん出した場合は、下手をするとそのチェックで授業が半分終わってしまうので、それもうまくやらないとならない。「生徒に答え合わせをやってもらってはダメですか?」生徒さんの成績によって、大丈夫な生徒さんとダメな生徒さんがいますね。あと、学年によって答え合わせしてもいい学年とダメな学年とがあります。小学生でお家の方に言われなくても自分から勉強するタイプの生徒さんは、答え合わせも自分でやるようにし、その答え合わせをしたところをチェックするだけでよいのですが、中学生の場合は、成績が上位の生徒さんの場合でない限り、講師側が採点しないと駄目だと思いますよ。どうしてだと思いますか?「自分で採点すると甘くなるからですか?」そうです。勉強が苦手と感じている生徒さんは、間違っている問題でも、自分で答えを見て採点すると、「いいや、テストのときは出来るから」ときちんと直さないんですよ。あとよくあるのが、一ヶ所間違ったのは「あっている」と判断して丸にしたりもしますね。テストの点を上げるには、間違った問題をテストの時に繰り返さない、ということが大切ですからね。間違った問題は、きちんと生徒さんに、「この問題は間違っているんだ」と認識してもらわないといけません。なので、講師側が厳しく採点しないと駄目なんですよ。「でもそうすると、採点だけで指導時間が・・・」そうなんですよね。採点して間違った問題の解説をやっていたら、間違いが多かった場合、指導時間中に新しいところに進めなくなってしまうんですよね。だから、まず、指導時間に何をやるかを具体的にイメージしておきます。私達の場合は、試験範囲がだいたい分かっているので、試験範囲はここまでだから、いつまでにこの範囲を終わらせよう、という大まかなスケジュールを立てておいて、その中で今日はここをやろう、ということを考えるんですよ。そうすると、今日はもう少し先まで教えなくて次回にまわしても大丈夫だとか、今日はどうしてもここまでやっておかないとテストのときは危ないだとか考えて、宿題の出来とかもみて、じっくり教えるか、とりあえずここまで分かっていればよしとするかを判断します。テストの期日は固定されていて、指導時間にも限りがあるから、全体の進度の中で見通しを立てておかないと、判断を誤ってしまいますからね。こうして指導スケジュールの立て方に始まり、各科目ごとの具体的な指導ポイントをお話する。今回のテスト範囲では、理科の飽和蒸気量のところが大変だったそうだ。「何度説明してもなかなか理解してもらえなくて」グラフ使って問題解くのを苦手とする生徒さんは多い。この飽和水蒸気量と溶解度はかなり厳しいところである。実は、飽和水蒸気量のところは、割とメジャーな教え方がある。この先生もそのメジャーな教え方で生徒さんに解説をされていた。「こうやって説明しても理解してくれなくて」そうですか、その教え方はメジャーなやり方ですが、今の生徒さん達には無理でしょうね。もう一つ別の教え方もしてみた、とのことなので、その説明も聞く。う~ん、前はその教え方でも大丈夫だったんですが、今はかなり難しいですね。生徒さんは、自分が知っていたり見たりしていることと一致していないと、なかなか理解してくれませんからね。以前は理解してくれていた説明でも、今は全く理解してくれないことの方が多いですよ。「そうなんですか。」理科は特に、生徒さんが身近に感じていることで説明していかないと厳しい科目ですからね。とは、言っても最近の生徒さんは、何事もあまり注意深くないので、知ってるかな、と思うことを全く知らないということが多々ありますね。その生徒さんが、一体何に興味を持っているか、どのたとえだと理解してくれるかをいかに最短で見つけられるかが勝負ですね。小さい時に色々と体感していると、説明もしやすいのですが。。。飽和蒸気量のところだと、私はお風呂か冬の窓ガラスで説明してますね。後は夏のグラスの側面につく水滴かなぁ。「えっつ、そうなんですか?」その生徒さんがはっきりイメージできるものじゃないと、難しいですよ。今あげた3つのうち、どれがその生徒さんにとって一番分かりやすそうですか?「窓ガラスかなぁ。」だとすると、朝起きて窓ガラスに水滴がついているのは何故なのか、を考えるようにするといいですよ。寝る前は窓に水滴なんてついてませんからね。朝起きると水滴がついている。この水は一体どこから来たのか。「なるほど。」これを教えるときに、飽和蒸気量のグラフを使って、この状態の時が寝る前、この状態の時が朝起きたとき、という風に具体的にイメージできるようにすると理解しやすいと思います。飽和蒸気量は、グラフから読み取れるようになれるかどうかがポイントですからね。このようにして、数学の証明の教え方もアドバイスする。でも、話を聞くと担当していらっしゃる生徒さんの学校(公立)は、明らかに都内の学校に比べて教えているレベルが高い。教育県だからなのかなぁ。生徒さんもよく勉強しているようだ。都内の生徒さんがこの県の学校に行くと、厳しいだろうな。公立なのに、私立レベルだもんね。アドバイスをしながら、この先生に教わっている生徒さんは幸せだな、と感じた。最初は某センターに所属されていることで、私にはダメもとで「教え方を教えて欲しい」と言われたそうだが、センターに所属云々は関係ないので大丈夫です。高校生の指導のことも聞かれたが、高校の場合は「大学受験」の戦略も含めて考えないとならないため、その辺りの情報がないとなんとも、というところがある。先にお伝えしておけば良かったです。すいません。予定の時間が迫り、私としても疑問点に十分お答えできたのかが心配なところがある。後で考えると、「あの時これも聞いておけば良かった!」と思うところが出てくるとおもうので、また、聞いてもらいたい。遠慮なく聞いてきてくださいね、そして、東京に戻られたら、ウチで先生してくださいね!
2004/03/26
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「なんか授業がひどいらしいんですよ。」あるお母様からお電話を頂いた。この生徒さん(高校生)は、講師から「授業をあまり聞いてこない」という報告を受けていたので、生徒さん本人にも「学校の授業を聞いてくるように」と話をしていたし、お母様にもそうお伝えしていた。お母様からは「でも、あの子は授業を聞いて理解するのは無理かもしれない。」と言われたのだが、中学校の成績から判断しても、講師の報告から判断しても、学校の授業を聞いて分からないというレベルではないので、「そんなことはないと思うんですが。聞いて理解できる能力はありますよ。」とお話していた。だから、何故そうなるのかがよく分からなかったのだが、今日のお母様のお話を聞いて、真相が判明した。「学校の先生の教え方が悪いというより、子どものクラスは授業が出来ないぐらいうるさいらしいんです。」学校の先生は注意されないのですか?「注意しても全く聞く耳を持たないみたいで。。。しかもごみをごみ箱に捨てないで教室にそのまま捨てるぐらい、クラスの雰囲気も悪くて。学年一、ひどいクラスらしいんですよ。」えっつ、それって、「学級崩壊」ってヤツでは。「そうなんです。まさか高校生になってこんな『学級崩壊』のようなクラスになるなんて・・・」そうか、あの生徒さん、授業を聞きたくても聞ける環境じゃなかったんだ。。。もう少しきちんと「授業を聞いてこない理由」を聞いてあげれば良かった。あまり学校の様子とかを自分から言う生徒さんではないため、まさか高校生でそんな『学級崩壊』が起こっているなんて思わなかった。授業を聞いて理解できる学習レベルではあるのに、それをしてこないことを、私はただの「サボリ」だと思って、「ちゃんと聞いてこないと駄目じゃん。」と無責任に生徒さんに言っていた。生徒さんの方では「聞こうと思っても聞けない」状態だったから、「そんなこと言われてもどうしようもない」という感じだったんだ。もっと早く気づいてあげれば、学校がそういった状態だという上で、どうしていくかを考えられたのに。。。自分の思慮の足りなさに、生徒さんに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。「上の学年にあがっても、学校ではそういうクラス(『学級崩壊』になりそうなクラス)を一クラス作るって言ってるんですよ。」えっつ、ホントですか。「なんかそういうクラス編成しているみたいで。またそのクラスに入ったらどうしようかと思っているんです。部活動で忙しいから塾に行くなんて時間はあまり取れないし・・・」この生徒さんは天に誓って『学級崩壊』に加担するような生徒さんではない。厳しい運動部の練習にも負けず、学業と部活の両立を頑張っている生徒さんである。何故、そういった生徒さんが犠牲になるのか。。。お母様に、所属したクラスの様子をみて対策を考えること、ただ、もしそのようなクラスに所属した場合、普段の勉強を復習でいくと間に合わないので、春休みは予習でいくこと、講師とはその辺りのことも含めて指導方法を検討しておくこと、などをお話した。この生徒さんは、某大学の付属私立に通っている。そんなに簡単に入学できる学校ではない。それでもそんな「学級崩壊」があるなんて・・・常日頃、「学校の授業が大切」と言っているが、現実はそれが出来ない事態になっている。今回のことが「たまたま」起こっていることなのか、それとも「割とあること」なのか。他の生徒さんの今後の様子を注意して、生徒さんにとって良い方法を考えていきたい。
2004/03/25
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「英語はここまでくれば私が教えられますので、次回から数学中心でお願いします。」3学期期末試験の結果を受けて、今後どうするかの方針のご相談をしているときに、お母様からこう言われた。ウチではもともと全科目のフォローをしているので、ある科目の成績が上がってきたら、その科目の指導時間を減らし、別の科目の指導時間を増やすということはやっていたのだが、なるほど、こういうやり方もあるんだな、と感じた。苦手な科目が成績が上がるまでこちらで指導をし、成績があがってきたらお母様が教える、というやり方。中学生のこの生徒さんは、英語が一番の苦手な科目だった。冬休み期間中にご入会され、普段の指導は英語を中心に行っていた。数学もみていたのだが英語の方に時間を割いて教えていた。今回の期末試験ではその成果がでて、英語の成績が上がった。通常なら、ここで英語の指導をやめると、油断して成績が落ちてくるので、英語の指導の時間を減らし、数学の指導の時間を増やすというやり方になる。ただ、この生徒さんの場合、お母様が英語をお教えになられるなら、講師は指導時間は全て数学についやせるので、指導時間や回数を増やさなくても効果が期待できる。家庭教師の指導時間が増えると、自分でやる勉強時間が減ってしまう傾向があるので、これは生徒さんにとっても良いことだと思う。お子さんに勉強を教えているお母様とは、話も早い。お子さんの勉強内容をよく分かっていらっしゃって、どういった点が苦手か、どこに弱点があるのかなど、よく把握されているので、お話しても、「説明」ではなく、「作戦会議」といった様相である。。今回のテストでは前回の弱点が克服されたか、今後はどういった方針が良いのか、今度の試験範囲で注意するべき点はどこになるのか、果ては普段どういった勉強の取り組み方が良いのかなど、より良いやり方への「作戦会議」といった感じである。私の方が、「過去、こういった事例で成績が上がりましたよ。」とお話しても、生徒さんによっては当然、合う、あわないが存在する。お子さんの勉強内容や性格をよく把握されているお母様とのお話の場合、「そのやり方では性格的に難しいと思います。」となれば、「では、こういったやり方ではどうでしょう?」とご提案しながらどんどん進む。家庭教師の指導上のポイントは、「自分のやり方を押し付けない」という点である。自分がやっていたやり方が生徒さんに合うとは限らない。生徒さんの性格を踏まえて、生徒さん自身のやり方を引き出してあげることがとても大切である。大学生を家庭教師につけて失敗する点は、実はここにある。そういったやり方を押し付けないようにするために、研修でよく教えておかないといけない。お母様がお子さんに勉強を教える場合、「押し付ける」ということはあまりない。必ず向き、不向きを考え、その上で一番最良なやり方はないかと考えていらっしゃる。そういった点からも、お母様が勉強を教えられるなら、教えた方がいいと思う。下手な学生をつけるより、よほど効果が期待できます。今回、お母様が英語をお教えになるので、その場合のアドバイスややり方をお伝えし、数学をこちらでどうしていくかの話に移る。テスト答案をもとに、3月、4月の方針を決める。その後、社会や理科など残りの科目もチェックをし、それらの科目の方針も固める。音楽や体育などいわゆる「実技系」の科目もフォローし、全体的な成績UPを目指す。よし、これで全部決まった。では、今後、実際にやって様子をみながら調整していきましょう。部活動もがんばっている生徒さんなので、時間を上手くつかって勉強をやり、有意義な学生生活を送ってもらいたい。
2004/03/24
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今日は楽天日記の私書箱に、「いつも気になっているんですが」とメールが入る。そのメールは、アップをする日記がたまに随分前の日付のものがあるので、それは何故なのかという内容だった。そうだよね。3日遅れがあったり、間を飛ばしている日の日記がある日いきなりアップされたりするもんね。端から見ると「日記じゃないじゃん」って印象になるんだろうな。これは、私の日記を書くスタイルに問題があるのだろうと思う。私は日記は基本的には、当日にその日に起こったことをテキストで書いている。ただ、仕事の合間に思いつくままにたらたら書いているので、そのままではアップできる代物ではない。前後の文章の内容に全くつながりはないし、文章が途中なものもある。それを次の日以降に、読んでもなんとかたえられる代物に構成しなおして、アップをする。もっと文章を短くし要点だけ書くとアップも早いとは思うのだが、今まで長めの文章スタイルで来てしまっているのと、HPを訪問された方に何かしら参考になるものを、と考えると、ついつい長めになってしまう。ただ、仕事が忙しかったりすると、当日の日記をテキストで書くことだけで精一杯になってしまい、構成する元気もなくその日が終わってしまうので、アップされずに残る日記が溜まっていく。残った日記は、日にちが経つとその日の記憶を思い出すところから始まるので、手がつけられたものから順次アップをしていくと、随分と遅れた日記のアップとなってしまう。なるべく遅れないように頑張ってるんだけど、なかなか難しい。書いているうちに、書くのも早くなっていき、1年ぐらい経てば当日アップできるようになるかな、なんて考えているので、それまでは「あっつ、また構成が遅れちゃったのね」と捉えてください(ちょっと最後が上手くまとめられなかったのですが、今回はこれでアップします)。
2004/03/21
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今日は録画した「ビフォアー・アフター」を見る。彼(住宅会社に勤務)は今後の参考のため、私はお家を見るのが楽しみで、こういったリフォーム番組とか家を建てる番組は見ている。あの手の番組は、一般の方にわかりやすくするためか、説明が間違っていることが多々あり、それに突っ込みを入れるのも、またおもしろかったりする。今回も、窓からベランダに出るのを「段差のためにベランダに出るのが・・・」と言っていたが、だって、あれって「腰窓」じゃん、段差とかじゃなくて、そういった使い方をするものじゃないんだよね、と言っては会話を楽しむ(ベランダに出るときは、「掃き出し窓」からでしょう)。彼は会社で耐震性の研究をしているため、私はいつもあの家は地震に大丈夫なのかを聞いて、なるほど~!と納得する。設計士の方も、耐震性を考えて作っている人とあまりそういったことが得意ではない人がいるようで、彼の考察は興味深い。私はこれでも一応、大学では建築学科であった。ただし、設計とかではなく、「内外装材」と呼ばれる外壁に使う建材や内壁のクロスとかを研究していたので、今回使用されていた外装はとてもおもしろかった。あの外装材は大学でやったことがあるんだよね。おぉ~!使っている!使っている!と一人感激する。でも、その外装材を説明しているナレーションは間違っているような気がした。この手の番組では最初に予算を言うのだが、いつも私達の間では、「いや、あのやり方ではあの予算内に収まらないハズ」というので盛り上がる。彼はTVにうつって作業している職人さんの人数から、工賃をざっと計算し、番組最後の工事費内訳をみて、「う~ん、なんか微妙な数字」といつも言う。材料費も「あの材料であの金額になるかなぁ。」と話に花が咲く。このような番組を見ると、「私もあのまま頑張れば、こういった道もあったな。」なんて思うこともあるが、収納下手な私が果たしてTVに出てくるような快適な収納を備えた家を作れるのかなんて、やはり難しかったな、と感じる。せいぜい出来るのは、子ども部屋のアドバイスぐらいかな。子ども部屋に鍵はつけてはいけません、TVを置くのは禁止、というごく一般的な話から、兄弟がいるときの勉強させる机の組み方とか、「いかに勉強に向かわせるか」というお部屋のアドバイスなら出来るなぁ。子ども部屋にはプリントとか参考書とかを置いておく収納棚を、びしっと決めておくといいんだよね。特に学校がプリントをいっぱい配るところだったら、科目ごとに100円ショップとかで売っているファスナー付のファイルを用意して、ファイルにきちんと「数学」「国語」とか書いて、学校からもらってきたらそれに入れるとかやっておくと、自分で整理ができるようになってきます。もし、もっと整理ができるお子さんだったら、ファイルではなく、科目ごとに2穴タイプのバインダーを用意して、穴をあけてそれに閉じておくと見やすいし、使いやすいです。ただし、整理下手な男の子だと、このワザは上級者用となってしまうため、ファイルにプリントを入れるところからやるのがベスト。そして、それらのプリントを入れているファイルやバインダーを、きちんとしまう場所を決め、そこにしまうようにして、はじめて「整理整頓」となります(成績の良い生徒さんは、これがきちんと出来ている)。よく相談される「ファイルは用意したけど使わない」というのは、この「ファイルをしまう場所を決めておく」をやっていないことが原因でおこるので、場所の確保は大切です。だから、子ども部屋を作るときにこそ、子どもが使いやすい収納を考えるべきなんだよね。TV見てても、子ども部屋の収納は洋服ぐらいしかあまり考えていないような気がする。まぁ、もっとも子ども部屋というのは成長の過程で一部屋を二部屋に変更して使ったりするから、造りつけ家具というのも難しいんだけど。「本」棚よりは「プリント」棚を作る方が使います。子ども部屋だけアドバイスしても、これは家作りのほんの一部だから、やはり私は今の道で良かったね、とリフォーム番組をみながら再認識した一日だった。
2004/03/20
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「本人のやる気の問題もあると思いますので、やる気が出るまで待っていようと思います。」期末試験後の結果をお家の方に聞いていたとき、お母様からこう言われた。今度新中2になるこの生徒さん、指導している科目は成果が出たが、直接指導をしないでフォローだけしていた科目では軒並み点数を落としている。フォローにまわしている科目は、本人のやる気とお家の方のご協力がないとなかなか難しいのは否めない。でも、マズイな。「そのうちどうにかなる」は「どうにもならない」場合が圧倒的に多いからね。この生徒さんは、頭の回転も速いし、本をよく読んでいるせいか同年代の生徒さんに比べて語彙力もある。確かにやる気になったときの学力の伸びはすごいのだが、だからといって「やる気になるまで待つ」というのは危険すぎる。そもそも「次回覚えたかどうかチェックテストするね。」と講師が予告していても、「忘れました」などと言ってくるような態度のタイプでは駄目なのだ。このまま本人の「やる気」に任せていたら、坂をころげ落ちるように成績があっという間に下がっていく。「チェックテストするね。」と言われて、講師が指導に来る直前に慌てて勉強して、講師が来たときにテストが受けれるぐらいのタイプではじめて、「やる気が出るまで静観」していても大丈夫なのだ。普段はあまりやらなくても、「テストがある」と意識して取り組めるタイプの生徒と、「いいや、やらなくても」という意識で取り組まないでいるタイプの生徒とでは、ものすごい違いがある。この「テストがある」と意識して取り組み始めてやっと、次の「継続して勉強していく」になっていくからだ。どんなに能力が高くても、本人が「継続して勉強する」ということができない限り、その能力は宝の持ち腐れにしかならない。学年が上がるにつれて、学習内容はどんどん難しくなり、スピードも上がっていく。それに比例して取りこぼしも多くなる。だからといって「継続して勉強する」ことができないのでは、そのうち自分が取り組まなければならない勉強量の多さ自体に嫌気がさし、「もういいや。勉強できなくったって生きていけるよ。」と都合の良い解釈をはじめてしまう。今は会社に入っても資格をとっていかないと昇給できなくなるのだから、「勉強できなくったって」では済まされない。学校の勉強とは種類が違っても「勉強」はしていかなくてはならないのだ。確かに、将来の目標が出来たとかなにかのきっかけで本人がやる気を出す場合もある。でも、目標も何もなく過ごしてしまう場合だってある。そんな博打は打てない。確かにお母様のおっしゃるように、本人のやる気というのは大切です。ただ、「やる気」に任せて何も手を打たないというのは、非常に心配ですので、こちらとしては「継続して勉強する」よう取り組みます。「あの子はやらないんじゃないかしら。」いえ、こちらはあきらめません。努力しないで何とかなる、とやっていたら、本当に努力をしない生徒さんになってしまいます。勉強以外でもそうですが、結果を出すには「続ける」という「努力」が必要です。今後のためにも、「続ける」ということだけは彼にはやってもらいます。毎日宿題をやるなどの手をうっていきますね。「はい、わかりました。確かにそちらで毎日宿題を必ず出してもらうと、こちらも言いやすいのでお願いします。」「やる気が出るまで待つ」ということほど危険なことはない。中2は特に学力の差が開いていきやすい学年なので、気をつけないと。講師と連絡をとって、「続ける」という姿勢に持っていくにはどう指導するかの打ち合わせをしよう。
2004/03/19
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今日は生徒さんの引継ぎのために、新たに生徒さんを担当する講師と打ち合わせ。引継ぎの打ち合わせを行った後に、彼に研究のためのご協力をお願いする。講師からすると打ち合わせ後に更にまた話し合いなので、長丁場になるが、快く引き受けてくれた。この講師は私立の〇学院〇我山高校出身なのだが、都内の高校生にしては大変めずらしい、塾にも行かず、家庭教師もつけず、「学校の授業だけで早稲田理工現役合格」を果たしている(東大も受けたのだが、残念ながら落ちてしまったそうだ)。私の長年の検討課題である、「学校の授業だけで難関校の現役合格を果たすにはどこにポイントを置けばいいのか」を、まさに地でいった人である。ちなみに、この講師は部活動もやっていて受かっている。地方の学校だと、学校自体が熱心に指導をしてくれるので、塾に行かないで大学に受かった者がウチの講師の中にもいるのだが、都内では「塾に行くのが当り前」のような風潮があり、「塾に行かないで受かりました」という人にはあったことがない。この講師も、同じように塾に一つもいかないで現役で受かったのは、周りにいた人の中で自分ともう一人しかいなかったそうだ。公立なら学校があまり受験指導に熱心ではないから、塾に行くのも分かるんだけど、中高一貫の私立なんて、カリキュラムがもともと違うから、学校だけでいいハズだと思うんだよね。何かどこかに問題があるのかなぁ。 家庭教師をお願いする生徒さん達は、「Q&A」的な質問か、もしくは学校の授業についていけなくなったから、個別に特訓して授業についていけるようにして欲しい、という内容だから、塾とはちょっと違うので、「学校の授業だけで」というのは、良く分からず。A君(とりあえずA君にしておきます。過去に出てきた「A君(講師)」とは別人です)は、学校でTOPだったわけ?「いや、高校では理数の上のクラス(この学校は成績でクラス分けをされる)にいましたけど、中学では5、60番ぐらいでしたよ。」じゃぁ、どうして高校で上のクラスに入っているわけ?「高2から分かれるんですけど、高1のときの成績が中学のときより上がったので。」あっつ、そうなんだ。学校の定期テストはちゃんと勉強してたんでしょ?「授業のノートはとっていましたけど、予習していくとかそんなことはなくて、試験1週間前はほぼ徹夜状態でした。」え~! 試験1週間前で間に合う? よくこれやって駄目だった生徒さんをいっぱい見ているからウチではやらせないんだけど。「僕は、1日限りの記憶力はとてもいいんですよ。だから、出来たんだと思います。」そうなんだ、1日限りの記憶力はいいんだ。なんでいいのかは考察する必要あり、と。ちなみに、どうして塾に行かないで大丈夫だったの? 周りは行ってたでしょ?「学校の合格実績から、上位何番まで入っていれば現役合格できそうか、という目安があったので、これなら大丈夫かと思って。」あぁ、私立はそれがあるからいいんだよね。公立なんて合格実績って載っていても半分は浪人生だったりするから目安がよく分からない場合があるんだよね。そういった目安がある時点でも、私立に行ったかいがある、というもんだよね。で、塾は?「塾行ったって無駄じゃないですか。」無駄?「新しいところは確かに自分で勉強するより習った方がいいと思うんですけど、一度習ったところなんて、答えみればわかることだから、塾で問題の解答を言っているだけって、意味ないな、って思うんですけど。」まぁ、ねぇ、そうなんだけど。答えみて分からないところはあったりしなかったの?「ありましたよ。」そういうときはどうしたの?「学校の先生に聞きました。」そう、そうなんだよね。毎日学校に行っているから学校の先生に聞くのが一番なんだよね。学校をもっと活用すべきだよ。だたし、先生に聞きに行くのはあまり得意ではない、という生徒さんは家庭教師とか塾とか利用した方がいいと思うけどね。こうして、A君に、いつから過去問を解きはじめたのか、参考書はどういったものを使ったのか、各科目ごとに根掘り葉掘り聞いていく。ヒアリングの結果判明したのは、A君は使用した問題集が他の人と比べてものすごく少ないということだった。各科目ごとに1、2冊程度。ただし、A君、問題集はほぼ暗記するぐらいやりこんでいた。君さぁ、使用している問題集が他の人に比べてものすごく少ないんだけど。「えっつ、そうなんですか。みんなは何冊やっているんですか?」例えば、英語とか、文法はこれ、単語集はこれ、長文読解はこれ、とかって学習内容によって数冊ずつあったりするんだけど、君は、「速単(速読英単語)」だけだもんね。「え~、そんなにいっぱい問題集やれます? 僕からしてみたら時間的にそんなにやれませんけど。今から思えば文法はもう少し高1のときにやっておけばよかったという後悔はありますけどね。」まぁ、文法は知っているかどうかの世界だからね。「他の人はどうやってそんなにいっぱい問題集をやっているんですか?」まぁ、時間もいっぱいかけてるし、問題集ごとにやる範囲を決めてたりしてるかなぁ。A君は1日の勉強時間は平均何時間?「部活終わって帰ってきて、だから、1日2時間程度ですよ。」2時間!これまた少ないね。う~ん、もともとの頭の良さもあるんだろうけど。。。あっつ、A君は問題を解くスピードが速いでしょ。「あぁ、周りにくらべたら速いですね。」小学生のときに公〇やってた?「やってないです。」そろばんとかは?「やってないです。」あっつ、そう。。。まぁ、中学受験しているから、問題解くスピードをあげる特訓とかは塾でやってたんだろうけど。でもなぁ。。。「あっつ、僕は小学生のときによく電卓で遊んでましたよ。」電卓?「2×2×2×2・・・していくとどういった数字になるのか、とか、数字のボタン押して、この数字とこの数字をかけると、こうなるんだ、なんてよく遊んでいましたね。」なるほど。そうやって数字に慣れ親しんでたわけね。「まぁその当時なんて、そんな慣れ親しむという感覚なんてなくて、楽しいからやってただけですけど。」ふ~む。あと他に小学校時代で何かやっていたことないの?「他にですか。 う~ん、、、あっつ、小4ぐらいから将棋にすごいはまって、中学入るまでずっとやっていましたね。」将棋? あっつ、確かに「将棋」はいいかもしれない!駒うつときに、数手 先まで考えて打つもんね。相手がこう打ってきたらこうするとか自分で色々考えた上で動かしていくもんね。なるほど~、将棋かぁ。確かに「思考力を鍛える」という面で、とても良いかもしれない。その後も根掘り葉掘りヒアリングし、A君も「どういった勉強の取り組み方や方法をすれば、成績UPにつながるか」ということを色々と考えてくれた。最後にA君に質問です。頭の良さは遺伝だと思いますか?「いや、遺伝もあると思いますけど、遺伝よりもその後のその子が育ってきた環境が影響していると思います。」私もそう思う。よく馬に例えて「頭がいいのは遺伝だ」と言う人もいるけど、その後、どうやって育ってきたかの要因の方が大きい気がするんだよね。じゃぁ、どうするのがいいかというのは、100人いれば100通りなんだけど、それでも共通するところがあるから、それをいつも考えている。「僕の親なんて、僕に勉強を教えられませんからね。最近のお母さんとか教えてるじゃないですか。すごいですよ。」A君との話合いは長きにわたった。もう外の日はとっぷりと暮れ、時間の経過の長さを表していた。結局のところ、今回の話合いからは普段考えていることの裏付けが取れた形になった。また、今までもやもやとしていたものが、今回の話し合いから明確な形となって出てきたものもあり、収穫もあった。「学校の授業を大切にする」という当り前のことを当り前にすれば良い。学問に王道はないのだ。
2004/03/18
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このところ、3学期期末試験の考察をしているが、指導時間の割に点数のアップが少ない生徒さんがいる(胃の痛い毎日である)。今回のこの結果を受けてウチをやめて頂く講師が何名かいる。過去の指導経験から、この生徒さんでこのくらい教えればこのくらいの成績UPになるハズ、という予測があるのだが、こちらから指導フォローをいれていたにもかかわらず、予測から大きくはずれた結果になった講師というのは決断せざるを得ない。熱意があるのは分かるが、挽回できるチャンスはいくらでもあったハズ。それを生かせなかったのも実力のうちである。致し方ない。ウチでは直接指導している科目以外のフォローもやっている(ほぼ全科目)。こちらがプリントを送って、お家の方に「今回のポイントはここなので、これをしっかりやるといいですよ。」と、お子さんを教える上での指導アドバイスをしている科目の方が、講師が直接教えていた科目より成績が良かったりするのを見ると、やはり講師に問題があるとしか思えない。どうしてこんなことになるのか。。。ウチでは、誰でも講師が出来るわけではなく、講師選抜時にはスキルチェックをするし、事前研修、個別研修を受けてから指導にあたってもらっている。今までなら、そうした研修を受けている講師は、指導にかけた時間分、きちんと生徒さんの点数を上げてきた(当り前だと思う)。さらに言えば、ウチでは定期テスト対策として、自前でそういった対策プリントを作成し、講師間による指導内容の差が出ないようにしている。研修方法は毎回見直しをかけているし。きちんと成果を出している講師もいるので、研修内容自体が悪いとはあまり思えない。そうなると、講師採用時に問題があるのか?講師採用時の資料をひっくり返して見ても、その後上手に指導できている講師と、結果が出せていない講師との違いは、採用時には見当たらない。採用時のチェックの方法に問題があるかもしれないが、ではどうすればいいかは、今のところ分からない。やはり講師自身の指導レベルが下がってきているのか。。。今までは研修をきちんとやっていれば、その後は成果が出せる講師になっていたのに、研修をいくらやっても限界があるということは、講師が持っている指導力低下(学力が低下とかではない)としか考えられない。研修やって駄目、ってどいういうこと?何の能力が足りないのか。。。やはりもともと持っている能力の差なのか。学力の差は自分で自覚しているから、指導出来ない科目を指導出来るとは言わない。応募者の中から選抜して研修もやって、それでも駄目なんて、もともと持っている「仕事をする能力」が落ちているとしか考えられない。「この生徒さんは、じっくり考えるタイプの生徒さんですから、よく理解できるように教えてあげてください。」と講師に伝えて指導にあたってもらったら、生徒さんが部活で疲れて半分居眠りしている状態でも、起きている生徒さんにするときと同じように授業をしていた(お家の方からの指摘)とかだと、もう研修云々ではない気がする。この講師の指導報告をみると、「よく噛み砕いて、じっくり教えました。」的な内容になっている。これを指摘すると、「私は(会社から)言われた通りにやったのですが。」と言ってくるんだろうね。やはり、「誰のためにやっていることなのか」の欠如が原因なのか。でも、この講師も生徒さんが、嫌いな科目を少しでも興味を持ってやれるよう、自分で資料を作ったりして、がんばってやっていたのも、また事実として存在する。う~ん、となると「仕事をする上での判断力の欠如」が原因なのか?「今は教えるべきなのか」「一度授業は中断して家の方と相談した方がいいのか」「生徒をなんとか起こして授業を続けるべきなのか」・・・こういったことは「誰のためにやっているのか」という気持ちの上で、「仕事の判断力」にもかかっている気がする。「判断力」なんて研修でどうにかなる内容じゃない。どんなに「こういうときは、こう」と研修で教えても、教えられた範囲では対処できるが、教えられていないことが起こった場合には対処できない。「判断力」か。。。経験を積めば確かに、「判断」ができるようにはなってくるけど、そうしたら、やっぱり「学生講師では限界がある」という結論になってくる。いや、まてよ。学生でも上手に教えられる人は何名もいるぞ。結局は、講師本人の問題なのか。「判断力」が影響するなら、どうやってそれを講師選抜時にチェックするかだ。それって、チェックできることなのか? いや、生徒さんにもよく言っているが、「できない」と思ったら何もできないし、先にもすすまない。「できる」と思うからこそ、出来てくるんだ。もう一度、講師の選抜方法を見直してみよう。よし、がんばるぞ!
2004/03/17
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「では、T君、卒業おめでと~! 他の方々も期末試験お疲れ様でした! 乾杯!」今日は、ウチで働いていたT君が卒業して就職をするので、その卒業おめでと会をやった。昔スタッフとして働いていたS氏も一家でかけつけ、T君の卒業を祝った。S氏が結婚して子どもまでいる姿に衝撃を受けるT君。「Sさん、いつの間に~!」T君がウチで働きはじめてから今に至るまでの話に花が咲く。T君は、大学生の頃バンド活動を熱心にしていたので、そのバンドを続けていくべきか、真剣に悩んでいた時期があった。「T君、バンドで食べていこうか真剣に悩んでたよね~。」「あぁ、そうそう、そういう時期もあった、あった。」その当時のことを知っているスタッフは、みんなで「ウンウン」と頷きあう。「いや~、懐かしいねぇ。」そしていつしか、「指導方法について」で盛り上がっていく。T君は、ウチで指導していた生徒以外に、個人的にずっと教えていた生徒さんがいた。その生徒さん(男の子)は今年受験だったのだが、この度、捲土重来を期すこととなった。T君曰く、「長く教えていると、僕が教えに行くといっても緊張感もうまれず、あまり良くないですねぇ。」そうかぁ~? 私は長く教えている方が、生徒さんがどういった感じで理解するか分かっているから教えやすいと思うけど。「でも、緊張感がなくなっているから、宿題を出してもやってこなかったりして・・・。結局、僕らが教えに行っていないときを、どう過ごすかが問題じゃないですか。それが長く教えに行っていると馴れ合いになって、教えに行っていないときの勉強のやらせ方が上手くいかないです。」まぁ、そこをやるようにするのが、腕なんじゃないの?「そうと言ってしまえば、そうですが。」「あっつ、でも確かにそれはあるかもしれないですね。長く教えていれば、生徒の理解の仕方も分かっているから指導自体はやりやすいけど、ある意味『緊張感』というのがないと、教えに行ったときと、行っていないときの切り替えがうすくなる、というか。新鮮味がないと厳しい生徒さんもいるかもしれない。 ちなみに、どんな生徒さんだったんですか?」「中学から教えていた男の子なんだけど、男子校の子でさぁ。まぁ、自分の母校なんだけど。中学までは良かったんだけど、高校でダルダルになっちゃって、教えに行っても直前まであやしげな本を読んでいたりして、全然勉強に気が向いていないんだよね。」「え~! 教えに行ったときにそんな本を読んでたりするんですかぁ!」驚く女の子の講師たち。「教えに行ったとき、生徒さんが寝てて、『さぁ、勉強しようよ!』って起こすところからやるのはやったことありますが、さすがにそれはないな。」「それはもう、ダルダルじゃないですか。」「そうなんだよ。全く教えに行っている意味がないんだよね。」でも、その状態って教えに行っているT君も、教わっている生徒さんもお互いに不幸な状況だよね。そういう状態だって、一言いってくれれば、こっちで別の人をためしに教えに行かす、ということも出来たのに。「そうでしたね。彼女達(女の子の講師)が教えに行ったら、それはもうやる気になりましたよ。」大学1年生の男の子達が大きく頷く。結局、どこに「勉強に対するきっかけ作り」を持ってくるかだろうね。塾に行って、他の人達がやっているのを見て、「やんなきゃ!」って思う子もいれば、家庭教師のようなマンツーマンで教えてもらうことで、「やらないとな」なんて思う子もいるし、人それぞれだけど、でも、何か「目標」を持ってやらない限り、そういう一時的なものからの「きっかけ」って続かないよね。その子に将来の夢はないの?「ないんですよ。全く。何もなくただ過ごしているだけで。」やっぱりそこが問題だよね。かと言って、「さぁ、夢を持て!」と言っても、高校生までって、社会の仕組みから離れたところで生きているから、これからの将来を考えようにも、「何があるの?」って感じなんだよね。ちなみに、君達は、なんでその大学のその学科に行ったの?「いや~、周りが東大受ける雰囲気だったんで、それにのまれて受けたというか。何かがしたくて行ったのではないです。」「僕も、本当は医学部に行こうと思ったんだけど、とりあえずすべり止めで受けた大学しか受かんなかったんで、そこにしました。」「僕は高校時代化学が好きだったんで、大学で化学をやろうかな、って思って。」大学の化学は高校の物理でしょ。「はい、そうでした。入学してから知りました。」君達そんなんじゃ、今度は「就職」で大変だぞ。私達のときの「就職」って「厳しい」とは言われてたけど、でもまだ今ほど「生き方」が問われるって感じではなかった。今は違うでしょ。「今までどういった考えで生きてきたのか。」ってかなり重要視されていると思うよ。よく、就職活動のhow to 本であるじゃん、「自己分析をするために自分史を作れ」ってヤツ。あれは、自分史を作っていくことで、自己分析をし、自分がどういった方面が向いているのか、どういったことが得意なのかを考える手段として作るもんだけど、あんまり先を考えないでその場を過ごしていると、自己分析しようにも、「何だっけ?」てことになっちゃうよ。で、「学生時代がんばったことは?」って聞かれて「数々のアルバイトをして、人との協調性を学ぶことができました。」って誰が言っても同じって内容になっちゃうよ。今じゃなくて、もっと先を見なくちゃ。今後どうして行きたいのか、どうやって生きていたいのか、ってことを。ちなみにT君は、就職先はどうしてそこにしたの?「本当はコンサル(コンサルタント)に行きたかったんですが、軒並み落ちてしまい、色々考えて、ベンチャー企業でこれから伸びそうな会社に就職しました。」コンサルは、バイトで働いてないと難しいからね。「そうなんですよね。バイトで入って就職する人が多いみたいなんですよね。知らなかったんですよ。」で、どうしてそのベンチャー企業にしたの?「年々大きくなっている会社だったし、結構1年目から仕事まかされるみたいで、やりがいがあるかな、と。いや~、あの~、実は給料が良かったんですよ。」アハハハ、お給料大切だよね。まぁ、自分がこれから先どうしていくか、って会社入ってから分かる人もいるし、気づく人もいるから、いいんだけど、学生時代からそういったことを考えて日々を過ごしていくと、また違うよ。まぁ、人生に無駄なものなんてないから、色々やった方がいいよ。S氏が「おまえら、東大でたのに使えねぇな、なんて言われるんじゃないぞ!」で締めくくる。指導法のこと、就職のこと、これからのこと。話は尽きない。みんなそれぞれに思いおもいに意見を言い合い、社会人となったS氏の社会の厳しさの話にも耳を傾けながら、楽しい時間を過ごす。あっという間に時は流れ、お店の閉店時間(ここは22時が閉店であった)となってしまった。最後にT君の旅立ち(就職して東京を離れるため)を祝って、「卒業おめでと会」は終了した。T君、向こうに行ってもがんばってね!
2004/03/16
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「いっぱい塾やら家庭教師会社やらDMが来るんだよ。」今日はシステム会社の人と打ち合わせ。その方には今度中学1年生になる女の子がいらっしゃる。その子あてのDMが、今家にいっぱい届くそうで、「いや~、色んな会社があるんだね。」と感想を漏らされていた。学校の授業をきちんと聞いておけば、塾とか家庭教師なんていりませんよ。「そうだよね。でも、子どもが友達が〇〇〇(地元では有名な塾)に行くっていうのを聞いて、そこに行きたいって言い出してて。」学校の授業が基本なんですから、まずは学校の授業をきちんと聞くという姿勢を持つところからですよね。で、もし頼むにしても、家庭教師だったらそんなとこに頼まずに、家庭教師会社をやっている私が言うのもなんですが、もっと安く頼める方法ってあるんですよ。「えっつ、そうなの?」簡単に言えば個人契約ですけど、WEBで流行っている「中間マージンゼロ。家庭教師個人契約サイト」よりお安いです。あのサイトから頼むと、確かに講師と個人契約にはなりますが、紹介料として1万8000円~2万円程度支払わないとなりませんからね。そんな紹介料を払わず、親切で確実に紹介してくれるところありますよ。「えっつ、それってどこ?」大学の学生課か厚生課に頼むんですよ。家庭教師希望の学生を紹介して欲しいって。思ったよりもお願いするのは簡単だし、一度紹介してもらった学生だと、ちょっと、と思っても、別の学生さんを紹介してくれますよ。金額も自分で決められますしね。ただ、最近はその学校で「相場」が決まっているところもあるので、その辺りのことも含めて相談したら親切に教えてくれますよ。「でも、そういうところにお願いしたらすぐに来てくれるのかなぁ。」以前は、学生が休みに入るこの時期だと学生さんが学校に来ないから募集しても難しかったりしましたが、今は、学内NETで家庭教師の募集がのるので、大丈夫じゃないかなぁ。募集する条件にもよるかもしれないけど、それも学生課に聞いてみたらいいんですよ。「そうなんだ。」私個人としては、教え方の研修を受けていない学生さんが教えるのは「う~ん」という気持ちもありますが、そういった研修をするとなると、それこそ「中間マージン」がないと難しいですからね。でも、「個人契約サイト」にお願いするぐらいなら、学生課の方で大丈夫ですよ。まぁ、「個人契約サイト」はそのサイトなりの良さもあって、急にお願いしたいときに頼めるとか、登録している学生の中から好きな講師を選べるという利点はありますけどね。どこをどう使うかは、ご家庭次第ですけど、一番安くあげてかつ確実なのは学生課にお願いすることですよ。それこそ大学も選べますしね。この時期は塾のCMもすごく流れていて、ウチの生徒さんのお家にも家庭教師会社や塾からいっぱい勧誘の電話がかかってくるそうだ。でも、そういったものを利用する前に、「学校の授業をきちんと聞いてくる」という姿勢をつけた方がいい。塾も家庭教師もあくまで「学校の授業のサポート」である(「受験」となると話は少し違ってくるが)。「勉強の習慣づけのために、家庭教師を毎週1回お願いする」というのは、「勉強のきっかけ作り」としては大切だが、でも、基本は「家庭教師に来てもらわなくても、勉強をする習慣をつける」ということを念頭においてやらなくてはならない。そこをきちんと持っておかないと、塾なら追加授業が増えるし、家庭教師なら指導回数が増える要因となってしまう。私は塾や家庭教師は、ある意味「勉強のお医者さん」だと思うので、本来なら成績が上がり、指導時間が減っていかなければならないハズだと思う。ただ、「企業」としてやっている以上、「指導時間を減らしていく」というのは、難しい面をはらんでいることは否めない。でも、ウチではそれでもやっていけるよう、絶え間ない企業努力を行っている。出来ないことではない。「う~ん、なるほど。でも、個人契約のときにどうやって学生にお願いすればいいか分からないんだよね。」まぁ、そうなったら、こちらでサポートしますよ。ただし、多少費用が発生してしまいますけど。でも、その費用を入れても、家庭教師業者に払うより安いと思いますよ。「じゃぁ、そちら(ウチ)に頼むんだときの良さって何になるの?」ウチは研修をしっかりやっていますから、そういった大学生の指導と比べたときに同じ時間でも、指導範囲や科目が多いんですよ。頼んだら頼んだなりの良さというのはあるし、もし頼まなくても、どうにかなる方法はあるってことですね。結局、どう考えて使うかだけですよ。「なるほど。」どちらにしても、新1年生になることですし、まずは学校の授業をきちんとやることを先に考えられたらどうですか? その様子をみて、どうするか考えても遅くないですよ。あまり塾なんかに踊らされないことですね。「そうだね。様子をみて考えるよ。」何でもそうだが、「目的意識を持つ」ことは大切だ。「なんとなく」ではじめても、「なんとなく」の結果で終わってしまう。塾や家庭教師を使うにしても、しっかりとした目的をもって選んで欲しい。参考のために、学生課(厚生課)で応募する場合の例を挙げておきます。通常は、大学の総合案内のところに電話して、「家庭教師をお願いしたい」と言えば、担当する部署にまわしてくれます。■東京工業大学 厚生課学生相談室■http://www.gakumu.titech.ac.jp/kouseika/soudan/katei.htm
2004/03/15
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「うぁ、すごい人!」今日はこの間TVでやっていた歌舞伎町のラーメン店にラーメンを食べに行く。TVでは「今まで食べたことない味」と紹介されていて、そのTVを見ていた彼と私は、その「今までに食べたことない味」にかなり興味をひかれてしまった。インターネットで場所を調べ、夕方、歌舞伎町に行く。行ってみてすぐ分かった。どこのカフェ?と思うばかりの外観が、歌舞伎町の中でも異彩をはなっている。しかも中では、コック帽をかぶったコックさんがラーメンを作っていた。店の外で2周している行列に、たかがラーメンに並ぶかどうか悩んだが、せっかく来たことだしされどラーメンということで、並んで食べることにした(後から思えばやはり「勘」は大切だった、「悩んだらやめる」にしておけば)。50分も待って、やっとラーメンが食べられた。彼と二人で無言で食べる。「ねぇ、帰りにたこ焼食べていい?」「いいよ。」ふと周りを見渡すと、ラーメンを食べ終わっているのに、お酒を飲みながらくっちゃべっている(話をしているではない)カップルが多い。あ~、これが行列の原因か。そうだよね、ここカフェ(外観が)だもんね。そういえば、店員もなんかすごい動作がゆっくりなんだよね(良く言えば丁寧)。こんなにお客さんが並んでいるのに、なぜきびきびしていないのか。挨拶は確かにきちんと出来ている。マニュアル通りに。でも、私も人のことは言えないが、何か肝心なことが抜け落ちていないか?食べ終わったのですぐ店を出る。外にはまだまだ行列が続いている。もう来ない。近くのたこ焼屋でたこ焼を食べながら、そう誓う。いつも行く一風〇のラーメンより高いラーメンだったのに、と思うとくやしい。帰りにドンキー・ホー〇に行って、お買い物をしようとしたら、お目当てのものが売っていなかった。う~ん、今日はダメダメだね。彼とラーメンネタには触れないようにして、家路に着く。家でくつろぎながら、今日のことをふと振り返っていたときに、何か忘れている気がする。なんだろう・・・あっつ、洗濯物干しっぱなし!夕方出かけるときに彼が戸締りしていたので、私が洗濯物の存在に気づかなかった(私が戸締りしていれば気づいたハズ)。なぜ、彼は戸締りの際に洗濯物に気づいてくれないのか。。。いや、言うのはよそう。こんなことを言っても喧嘩になるだけだ。すっかりひんやりしてしまった洗濯物を取り込みながら、ますます「がっかり度」が上がる。まぁ、いいや。こんな日もあるよ。明日はきっといい日だぁ!
2004/03/14
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「甘えびがこの歳になってまで分からないのは、俺から言わせればおかしい。」彼は私の話を聞いて、開口一番そう言った。先日の日記にまつわる一連の話を、彼にしていたときだった。この日記の内容は、甘えびが分からず、国語の文章の内容が理解できない生徒さんの話だったのだが、これは掲示板でも、メールでやり取りさせて頂いている方にもかなり反響があった。皆さん一様に、「大変衝撃を受けました」とおっしゃっていて、親子間のコミュニケーションの大切さを痛感されていた。でも、彼はとにかく「おかしい」とばかり言う。「だってさぁ、中3になってまで、その年になるまで知っていてもおかしくないことを、本人が知らない、というのは、何かがおかしいだろう。」うん、おかしいのは分かるんだけどさぁ。「その子は、結局どうやって知ったの?」こういうもんだ、と説明した。「だから、そこがおかしいだろう。知らないのをなんで自分で調べない。」そんなことが分かれば苦労はしない。「じゃぁ、お前はどうやって甘えびを知ったの?」う~ん、食卓に出てきたときに、「これ何?」って聞いたか、釣りに行ったときに、どこかでそれを教えてもらったか。「だから、お前は『釣り』に関係して覚えた記憶があるから、その子に『釣りは?』って聞いたんだろ? でも、中3になるまで生きて来て、一度も目にしていないことはないと思うよ。」どうやら、生徒さんは「えび」を寿司ネタの「えび」と認識しているみたいなんだよね。「寿司ネタのえびを「えび」と認識しているのもおかしいしだろう。」うん、そう。だから、私はその原因として会話が少ないことを挙げたんだけど。「うん、それもあるだろうね。だけどそれだけじゃないと思うよ。」えっつ? そう?「俺が思うには、『これだけやったらいい』って育ってきちゃったんだろう。」え~! 何それ! 「これだけやったらいい」でどうして「甘えび」が分からない生徒になっちゃう訳? そもそもこの生徒さんは、小学校のときは、大変勉強が出来た生徒さんだったらしいよ。だから、「これだけやればいい」という感じで育っているなら、小学校のときに勉強ができたなんてなんないんじゃないの?「だから、小学校のときも、『これだけやったらあなたはいいのよ』ってやっていて、中学に入っても、そんな感じで育ってんだろう。だって、そうじゃなきゃおかしいよ。もし、自分が知らないなら、なんで自分から調べない。意味調べも学校から言われた範囲以上はやらないんだろう。その子にしてみれば、『意味調べはこれだけやったらいい』で完結してるじゃん。そうやって言われすぎていて、物事をそうとらえるようになっちゃったんじゃないの。枠が決まっているからそれ以上は考えもしないし、やらないんだよ。」そう言われてハッと気づいた。そうか、私はコミュニケーションをよくやることによって、知識の量を増やせると思っていたが、コミュニケーションを増やしても、物事の捉え方に「枠」がある限り、そうならない可能性だってあるんだ。過去の生徒さんで、言われたことはやるのに、成績の伸びが悪い生徒さん達が思い浮かぶ。そういえば、そういった生徒さんたちは、彼が言うように、言われたことはやるけど、それ以上のことは全くしなかったな。全くしないから宿題の量を増やしたりしていたけど、テストのためだけの成績UPには効果はあったが、それでは根本解決にはならなかったんだ。「まぁ、実際のところは俺がその子の親じゃないから、そうだったのかなんて分かんないけどね。」彼のコメントで現実に引き戻される。そうだよね、実際のところは、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ、そういった可能性もある、ということがわかった上で指導を行うのと、分からないのに行うのとでは違いはあると思う。そうか、コミュニケーションも重要だけど、「枠」をきめた物事の捉え方をさせないようにすることも大切なんだ。コミュニケーションだけだと感じていた私の思慮の足りない考えを恥かしく思う。いいこと言うじゃん。「当り前だろ。俺を誰だと思ってる。」ごめん、「枠」決めた捉え方をしていたのは、私だった。 生徒さんに言う前に自分から直すね。
2004/03/13
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中1の生徒さん(男の子)が、ご紹介で入会された。お母様は「本当にお恥ずかしい限りで」とお子さんの前で私に言う。あ~、お母様、そういったお言葉はおっしゃらないで!こういった否定的な言葉を使って、他人にお子さんを紹介すると、とてもお子さんが傷ついてしまうんです、と心の中で呟く。さすがに初対面でこういったことはいきなり言えない。「これからがんばるんだもんな!」と私が言うと、頷く生徒さん。まずは、「勉強に対する姿勢」をチェック。授業中はノート取ってる?「いや、たまに・・・」あっつ、そうなんだ。先生が黒板に書いていくスピードが早いの?「あ、はい。」「いえ、この子は学校の授業を聞いていないんですよ。」横からお母様がお話に参加する。まぁ、聞こうと思っても聞けない状態もあるかもしれませんから、とお母様に伝える。忘れ物はどう?「忘れ物が多いんですよ。」お母様がお答えになる。そっか~、しないようにしないといけないね。教科書とか忘れたりするの?「いえ、教科書は学校に置いてるんで。」あれ、じゃぁ、宿題とか家でやろうとしたとき、どうするの?「宿題はあまり出ないです。」全部?「いや、たまに英語が出るぐらいで・・・」そうなんだ。じゃぁ、こっちで宿題出しても十分やれる時間はありそうだね!「もう、いっぱい出してください! この子は私が言ったってやらないんですから、先生から言ってもらった方がいいです。」やるにしても効果的なやり方でやりましょう、とお母様にお話する。「勉強に対する姿勢」は、今のでだいたい把握できたので、今回のテスト答案にざっと目を走らせる。う~ん、テスト時間が短すぎる?「あっ、はい。国語とか・・・」数学も、じゃない?「はい、そうです。」うん、まぁ、がんばって解いているのは分かるよ。ちょっと聞くけど、鉛筆は何を使っているの? HB?「Hです。」H? 書きづらくない?「あっつ、家にあったんで。」これからは「H」は禁止! 「B」を使ってください。「あの、何か問題があるんでしょうか?」不思議そうな顔をされるお母様。芯が硬いのは、書くスピードにも影響しますからね。本人はあまり意識していないかもしれませんが、早く書こうにも書きづらいハズですよ。あと、字が薄いのは採点する先生にもあまりいい印象ではないですしね。「そういうものですか。」道具一つとっても違ってきたりしますから、まずは、鉛筆の芯を変えるところからやりましょう。今度は各科目のテスト答案を一つずつ丁寧に見ていく。テスト答案をみると、あぁ、これはこうやって勉強してたんだろうな、あぁ、この時期はさぼったな、と過去の学習状況の様子が手にとるようにわかる。そして、頭の中に浮かんでくるこの生徒さんの未修得な部分の知識を、「学習チェックシート」に書き留めていく。そして、このままでは、2年生の2学期で数学は何点。英語は1学期から何点になって、3学期では何点になるな、という予測がはじき出されてくる。これって、お医者さんが患者さんを診ているような感じなんだろうな。更に小学校時代の様子も生徒さんとお母様に聞き、今後の学習内容を組み立てる。組み立てた学習内容をもとに、現状の問題点、今後の課題をお話する。「あぁ、そうなんですか、そこに問題があったから、こうなったんですね。」状況を理解されるお母様。ただし、勉強の基本は「学校の授業」ですので、やはり「学校の授業」を聞いてくるようにしなくてはなりません。ノートの取り方にも問題があるようですし、こういった細かい点は、実際の指導のときに、やっていきます。あの、それ以外に私としては、お母様にもご協力頂きたいことがあるのですが。「はい、なんでしょう?」学校から帰ってきたら、部屋ではなく、ダイニングテーブルで勉強するように出来ませんか?「えぇ、かまいませんけど。何故、部屋ではダメなんですか?」部屋には誘惑の多いものがいっぱいあるでしょ、と生徒さんに聞く。「はい・・・」本当ならそういったものを全部片付けて、すっきりとした状態で勉強できるのが理想ですが、すぐにそういう状態に持っていくのは難しいんですよ。本人の意識の問題もありますし。ですので、誘惑が少なく、しかも人の目があるダイニングで宿題をやることで、勉強する習慣をつけていきます。お母様が夕ご飯を作っている横で勉強すると、ちゃんと宿題をやりますよ。ただTVをつけながらだけは止めてください。「ながら勉強」になりますから。「はい、分かりました。」いい、学校から帰ってきたら、ダイニングテーブルで宿題をすぐやるようにするんだよ。毎日の宿題はこちらから出すから。「はい。」よし、2年生になることだし、一緒にがんばろうな!「はい。」声がちっちゃぁ~い!「はい!」それでは、お子さんの相性にあうと思われる講師を選別しますので、決まりましたらご連絡します。では、早速、宿題を私の方から出しておきますので、やっておいてね。今日、持参したのだと、少し足りないので、今日か明日にでも残りはお送りします。はい、このプリントに日付書いて、と生徒さんにプリントを渡す。「え~、今日からですか!」まさかいきなり今日からやられるとは、と不意をつかれる生徒さん。当り前でしょ。はい、このプリントが今日のもの、これが明日のもの。こっちが明後日のもの。そうそう、そこに日付を書く。いい、まずはこのプリントをやっておくんだよ。部屋でできそうにないなら、ダイニングテーブルで。お母様も、毎日やっているかどうか、見ておいて頂けますか?「はい、わかりました。」では、またご連絡します。学習状況のチェックは大事だ。ただ、理解できていないところを把握する以外にも、「勉強に対する姿勢」から直さないといけない生徒さんもいるので、「勉強」と「姿勢」のダブルをやっていかないとね。学校に毎日行っているんだから、学校の授業を大切にすべきなんだよ。学校の授業をなめたらイカンのだ。
2004/03/12
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小学校の時は、皆さん「お稽古事」に通わせる方が多い。今日はこの「お稽古事」について、少し考えてみたい。小学校時代に、お家の方が「英語・フランス語・ピアノ・バイオリン・バレエ」とお子さんを通わせていた方が、ウチの生徒さんのお友達にいた。この生徒さん(女の子)は、小学校時代これらの「お稽古事」で一週間の予定は全て埋まっていて、この予定の合間に「塾」が入っていた。この生徒さんは大変物覚えもよく、ハキハキとして素直なとてもいい子だったそうで、小学校時代にこれらの予定をすべてこなし、中学校に入学時には、「英語もフランス語もペラペラ」で、「ピアノもバイオリンもかなりの腕前」、「運動神経も抜群」、もちろん「塾」にも行っていたので、「お勉強もよく出来た」お子さんだった。中学に入ったら当然、「部活動」に参加するため、今までのように「お稽古事」に通う時間は取れず、「塾」以外はおやめになられてしまった。中学3年たった今、この生徒さんはどうなっているか。この生徒さん、今や昔の「神童」のような面影は消え去り、成績もクラスの真ん中辺り、あんなに話せていた「英語もフランス語」もほとんど話せなくなってしまった。直接指導をしていないので、詳しいことは分からないが、小学校時代に多数の「お稽古事」であまり自分の時間というものがなかったようで、中学に入って反動が来てしまったようだった。「部活動」にかこつけて、男の子と遊びだし、「勉強したって何になるの?」という周りの雰囲気にのまれ、お家の方とは話をしなくなり、どんどん成績が落ちていったようだった。中学は小学校の時と違って、異性の目を意識し出す年頃である(最近は小学校高学年でもそういった雰囲気があるのだが、中学受験がある生徒もいてそれほどではない)。いわゆる「ティーンズ向け」の雑誌がものすごい数で販売されており、それらの雑誌は「いかに異性にもてるか」という内容で構成されている。「読者のコーナー」の「恋バナ(恋愛話)」なんて、お母様がお読みになると卒倒するような内容が「読者からのお便り」としてのっている(女の子のお母様は、一度、ティーンズ雑誌をよくお読みになることをオススメする)。小学校時代に自分の自由時間がなく、あまり考えないでも日々を過ごしていた生徒さんにとって、中学1年に「異性」を意識し出すと、そちらにいってしまう可能性がある。特に、中学1年の1学期まではたいして学校の勉強をしないでも、小学校までの余力で十分対応できるので、そういった行動をお子さんがとっていても、成績が悪くないからお家の方は気づかれないことが多い。学校によって行事が多少違うが、2学期は体育祭や文化祭などの学校行事が多い。イベントに気を取られ、異性に気を取られれば、どんどん「勉強」の時間は減っていく。塾に行っていても上の空。お家の方は、「塾に行っているから」と安心している面もあるので、ますます状況は悪化する。小学校時代はよく言うことを聞いていただけに、中学に入って反抗されるとお家の方もあまりの変貌ぶりに驚かれる。部屋に閉じこもって何をしているのかと見ると、友達とメールや携帯で夜遅くまでずっと話をし、寝不足のまま学校へ行くため、授業時間も「ぼー」っとしていたりする。小学校時代にあまりお稽古事に通っていなかった生徒でも、上記のようなことにはなるから、数多くのお稽古事に通っていただけで、そうなるとは言い切れない点があるのだが、小学校まで「神童」だっただけに、中学での落差をものすごく感じるのは否めない。これがお稽古事を1つか2つで、中学校に入っていてもずっと続けている生徒はそういった傾向がみられない。特に、「ピアノ」を途中でやめないでずっと続けている生徒で、成績の悪い生徒は一人もいない。あれは、多分、右手と左手で違う動きをするから脳の働きにとても良いのだろう。事実、「ピアノ」を途中でやめてしまった生徒さんは、成績が落ちていく傾向が見受けられる。私が感じるのは、お稽古事に行き過ぎて、先日の日記ではないが、「思考過程」をよく養っていないせいではないだろうか。別に彼がいてもいいのだが、それにのめり込んだ先に何があるか、そこまで考える過程が頭の中にないのではないだろうか。行き当たりばったりで考えていないだろうか。数多くのお稽古事は、お家の方の負担もかなりのものである。お子さんが小さいので、送り迎えはしないとならないし、兄弟がいてそれぞれに違ったお稽古事を習わせている場合、それぞれのスケジュールの把握のかなりのものである。こうしてお家の方とお子さんの両方に「余裕」がない状態が生まれ、家での会話も「明日の塾は何時?」という事務的なことが多くなり、「思考過程」を養う会話というのが出来なくなってくるのではないだろうか。小学校時代は吸収も早く、将来のことを考えて色々やらせてあげたくなる気持ちも分かるが、中学に入っても続けられないものを数多くやられるのは、気持ちの「余裕」という点でも効果的ではない気がする。小学校時代は外でよく遊ばせて、お家で会話を楽しむというのが、実は一番の「効果的」なことではないだろうか。通わせれば良いものではない。お子さんの様子をじっと観察して、時間的にも精神的にも大変そうだと感じたら、ある意味勇気のいることだが、これ以上のことはスパッとあきらめる(やらせない)ことが大切だと思う。
2004/03/11
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「う~ん、何も思いつかない・・・」このところ、暇を見てはずっと考えているのに、明確な言葉が浮かばない状態が続く。掲示板には早めにお返事をすると書いているのに。掲示板で聞かれたのは、「小学校低学年では、どのようなことを意識して、子どもの勉強に当たるべきなのか」だった。いつもならこういったご相談には、今までの経験からビビビと、答えなり、思っていることなりが浮かんできて、すぐにご返答できるのに、今回は何も思い浮かばない。。。しばらく考えても思い浮かばないので、今度は「なんで思い浮かばないのか」を考えることにした。ご相談内容は、某塾で使用している思考過程を鍛える教材を使おうかどうしようかお悩みであり、しかし低学年でそんなことをしても意味があるのか、そして、低学年ではどういったことを意識するのが良いのかという内容だった。通常、教材のことを聞かれたら、すぐに即答できるぐらい知っているハズなのだが、小学校低学年における「思考過程を鍛える教材」というもので「アレだな」と思うものが一つもない。そもそも、このお母様がおっしゃっているように、低学年で「思考過程を鍛える必要があるのか」というご意見も、そうだなと思う。いや、まてよ、「思考過程を鍛える」必要はあるぞ。でも、それって「塾教材」でやるものなのか?成績の良いお子さんで、「この幼児教材のおかげでウチの子は出来るようになりました」と言われたのは、某社の〇〇〇ぐらい(数学のみに影響)で、あとは、「やらせていません」というおウチが多いような気がする(あくまでも積み木とかではなく「教材」としてという意味で)。ただし、成績の良いお子さんで親御さんとコミュニケーションが図れていないお家は一軒もない。どのお家も、お子さんとご両親がとてもよくお話する。後は、色々と体験していることが多い。それ以外には、お家の方がお子さんに否定的な言葉を使わない、「この子はここまでしか出来ない」なんて枠を決めない点が、他のお家とは違うな、と感じることではある。考えても思い浮かばない、ということは、そういった時期に、そのような思考過程を鍛えるという「教材」は必要ないのであって、もっと日常生活の中からはぐくむものだと感じているからだという気がしてきた。外で遊ばせて、色々なことを体験させ、それについて親子で話し合うのがいいのではないだろうか。小学校低学年の勉強というのは、それほど難しいものではない。教科書基本で勉強し、その他の時間は、外で遊ばせ、感じたこと、思ったことを語りあうといいのではないだろうか。ただし、小学校で家に帰ったら机について勉強する、という習慣がない生徒は、間違いなく中学の勉強で差がついてくるので、学校から帰ってきたら今日の宿題をやらせ(学校で宿題が出ていない場合は、お家で決めた教材をやらせる)、それが終わったら外で遊ぶ、というので大丈夫だと思う。最近の生徒さんは、「実感している」ことが少ない。国語の文章で「夏のぬけるような青空」と書いてあっても、その情景が思い浮かばない。「夕焼け」と言っても、言葉ではなんとなく理解はしていても、実感がともなっていない。全てが記号として認識している感じを受けることがある。外で遊ばせて「ママね、今日のお日さまがすごい大きかったんだよ。」って言ってきたら、「そうなの。どのくらい大きかったの?」「どんな色だったの?」「いつもとどう違うの?」といっぱい質問してあげれば、子供はそれに関して色々と考え、それで思考過程も鍛えられるのではないだろうか。世界には光輝くものがいっぱいあり、子供からみると不思議だと感じることが多数存在している。そういった「なんで? どうして?」と言う気持ちをはぐくみ、それについて考えをめぐらすことが小学低学年では特に必要なことではないだろうか?机について勉強するだけが勉強ではない。感覚が鋭いときにこそ、五感を通じて感じることを体感し、恥かしがって家で話さなくなる前にお家でよくお話するという習慣づけこそが大切だと思う。
2004/03/10
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今日はK講師と打ち合わせ。この講師は教え方がバツグンに上手すぎるため、この講師におそわると弊害の方が大きくなってしまう。そうならないよう、K講師も注意して指導にあたっているのだが、どうしても上手く教えてしまう。中学生の頃からずっとK講師に数学の指導を受けている生徒さんが、高校1年生にいるのだが、この「弊害」の影響が出てしまい、非常に問題になってしまっている。「なんか生徒さんが『全部K先生に聞けばいいんだ』って感じで、全く学校の授業を聞いてこないんだよね。」K講師は、学校で2ヶ月かかって教えるところが数時間で教えられ、かつ分かりやすいため、K講師の授業を一度受けてしまうと、「なんだ、学校のテストって授業を全く聞いてなくても、前日だけ教えてもらえばテスト取れるんじゃん。」と感じてしまう子がいるのだ。高校1年生の生徒さんがまさにそうなってしまっていた。ウチではK講師の指導時間を減らし、講師に頼らず自分で勉強させるようにしていたのだが、どうやらテスト1週間前に全部教えてもらえればいいんだ!と感じてしまっていたようだった。中学と違い高校のテストは、前日に徹夜すればいいではない。中学の数学のテストは、ある意味「パターン」化し、問題数をこなすことで、その「パターン」を覚えれば、点数が取れてしまう。しかし、高校の数学は、「パターン」よりも論理的に考え、一つの問題をじっくり考えて解かないと、やみくもに問題だけ解いていっても難しい(このあたりをわかっていない生徒が多いと思う)。この生徒さんは、中学のときに「数学は『パターン』分類して解けばいいんだ」と思っていて、K講師が高校数学を教えているときも、すぐ「この問題はどのパターンですか。あの問題はどのパターンですか。」とばかり質問してきているそうだ。高校数学は中学のときと比べ範囲も広く、前日にこなせる量ではない。お母様もこの「パターン」で考えるのを非常に危惧されていて、「どうやれば論理的に考えるようになるか」を日常生活でどうしていくかが、いつもご相談内容の一つになっている。K講師は、生徒さんに「問題を解くときの考え方をかえるんだ」と言っていても、K講師の教え方が良すぎるらしく、やっぱり「先生に全部聞いちゃおう」となってしまっている。次回の指導に私も同行して、生徒さんときちんとお話することにした。あまり上手く教えても、努力を怠れるような指導はやはりいけない。K講師とは生徒さんの勉強の誘導の仕方を、もう一度よく検討しあうことにした。
2004/03/09
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一本の電話が鳴る。「はい、〇〇です。」「あの、いつもお世話になっております〇△です。期末テストが返ってきまして。。。」「あっつ、そうですか! 結果はどうでしたか?」「あの、非常に納得がいかないんですが。」高校生のX君のお母様からのお電話だった。X君は私立高校に通っているのだが、大学は併設している大学に進学希望であり、希望する学部に進学するためには、学校の内申点を上げておく必要があった。内申点を上げるべく、こちらでも色々と指導内容・方法を考え、ご家庭の方と協力しながら取り組んでいた。ところが・・・前回よりは成績が上がってはいるが、指導時間をかけた割に成果が出ていない。「1点でも多く」という取り組みでやっていたのに、これでは・・・。なんと、講師の方で勝手に教える場所、教えない場所を決めてしまっていて、勉強していない場所がある状態でテストを生徒さんが受けていたのだった。当然、その個所に関しては全く点数が取れていない。ウチでは必ず指導にあたって、講師に「目標とする点数」、「指導すべき範囲」、「生徒さんの性格を踏まえた指導スタイル・方法」、「宿題の出し方」等の研修を行った上で指導にあたってもらっている。しかも、リアルタイムで講師の指導している内容や範囲は把握し、問題があればすぐに指導内容の改善を図っていた。お家の方とは「とにかく内申点を上げましょう。」と、密に連絡も取り合ってやっていたにもかかわらず、こちらで言った指導すべき範囲を勝手に講師の方で省いていたとは・・・。お母様のお話を聞いて、あまりのことに正直言葉が出なかった。英語の指導をしていたこの講師は、こちらにもお母様にも、「U14は終わりました。」のように報告していたのだが、この「U14」の4セクションあるうち、1セクションを指導せず、「終わりました」と報告していたのだった。完全にこちらの管理ミスである。教えていた範囲は8割方出来ていただけに、教えていない範囲(約30点分)があったことが「1点でも多く」の結果に結びついていない。お母様が納得いかれないのは当然である。もし私が逆の立場でもお母様と同じことを言う。他社よりも明らかにきめ細かく生徒さんの指導にあたっている、という自負が私にはあった。今回のテストだけ手を抜いた、という気も全くなく、この学年での最後のテストだから、といつも以上に気合を入れて行っていたハズだったのに・・・なんでこんなことになったのだろう・・・ひょっとして指導報告に見落としがあったかもしれない。慌ててこの講師の指導報告書に目を通す。いや、どこにも「このセクションは時間がなくてやりませんでした。」なんて書かれていない。ここで「はっ」と気づいた。今の学生には、「不利なこと(怒られそうなこと)は報告してこない。」という風潮がある。仕事には、「良いこと、悪いこと」が色々あるのだが、それら全てひっくるめて上司に報告するのが、仕事をしていく上で大切なことである。この講師の報告書は、そういったことは一切書かれておらず、「こういった問題があったのですが、こういう対応で解決しました。」的な報告になっている。「僕ってすごいでしょ、頑張ってるでしょ」的な。生徒さんの成績を上げる指導の仕方は常に考えていて、それを講師にも伝えていたのだが、私は一番肝心な「仕事をする上での心構え」を、きちんと伝えていなかった。通り一遍の、「遅刻をしてはならない」、「ご家庭へはきちんと挨拶をする」とかではなく(もちろんこういった事も必要だが)、「お金をもらっている以上、どういった心構えで仕事をしないといけないのか」ということが抜け落ちていた。この講師は自宅で生徒さんのための「暗記ノート」を事前に作成し、彼なりの「生徒さんのため」の指導を考えて行っていた(指導時間以外に生徒さんのことを思って色々やる講師はそう多くはない)。私が仕事をする上で一番大切なことをきちんと伝えていなかったために、この講師のがんばりも上手く回らず、この講師を信じて指導を受けていた生徒さんにも、勉強していた割に残念な結果となってしまっている。もちろん、ご家庭の思いも。。。指導テクニックに走りすぎていた自分のあまりのふがいなさに、涙が出てくる。次に二度とこういったことが起こらないよう、今回のことをよく反省したい。
2004/03/08
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今日は彼のご実家へ遊びに行く。ご実家には、彼の弟さんもお子さんを連れて遊びに来ていた。4歳の男の子(K君)と1歳の女の子(Rちゃん)。小学校5年生以降の生徒さんは普段からよく接するが、小さいお子さんとのそういった機会はあまりないので、子供の成長の早さにはびっくりする。1歳の女の子なんてもう会話できるもんね。「ご飯食べる?」って聞くと頷くし。言っていること分かるんだね。夕食後、みんなで「eカラ」をやった。皆でどの歌を歌うか、それぞれ選ぶ。K君に、ご両親が「小さいときに歌った歌を、歌えば?」とオススメしていた。そのオススメされた歌の題名をみて、K君「知らない。」「えっつ、小さいときによく歌ってたんだよ。覚えてないの?」とご両親は聞く。素早く頭が仕事モードに切り替わる私。子供は2歳~3歳までは、脳の中の「海馬」がまだ発達していないから、「エピソード記憶」があまり上手くできないということを思い出す。となると、「皆で歌っていた」というエピソードを引き合いに出しても、覚えていないかも。その後、弟さんのお嫁さんから「幼児用教材」について色々と話を聞く。すごいんだね、最近の「幼児用教材」。種類が豊富なのにも驚かされたが、そのお値段にもびっくり!まぁ、受験にかかる費用も、「お受験」が一番高額だから、年齢が低いほど慣習的に(?!)値段が上がるものかもしれなけど、それにしても何十万もするとは!そういえば、ウチで講師をやっている学生さん(東大、東工大、早稲田、慶応の学生さん達)に、「君達は、『幼児教育』というのをやった、ってお家の方は言ってた?」と聞いたが、誰一人としてやっていなかった(ご両親がやっていても本人が忘れている、もしくは知らないかもしれないが)。広告を見ても、これを使った子供が現在どのようになっているか、なんてどこにも書いてない。あの手のものの効果は私はちょっと疑問視している。そういったものをやらせるよりは、「積み木」とか「砂遊び」とか、昔子供がやっていた遊びをよくやったり、体で遊ぶことをした方がいいんだよね。特に「積み木」を小さいときによくやっていたか、やっていなかったかは、中学以降の数学にかなり影響していそうだ、ということが、独自の研究で分かってきた。ウチでは「積み木」をあまりやっていなかった生徒さんには、指導するとき別プログラム立てちゃうからね。小学校以降の教材は、かなり精通しているつもりであるが、幼児用教材についてはあまり研究もしてこなかった。甥っ子の教育はお願いされているので、これからはこの分野もよく研究していこう。
2004/03/07
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今日は、TVで小学校の先生が低学力の子をどう指導して学力を上げていくか、という番組をみた。福岡県のその都市は、学力テストの結果で、「理解できていない」子供が30%弱おり、全国平均よりもかなり上だったため、市全体で学力UPに取り組んでいた。どの学校も生徒さん一人ひとりの指導に熱心に取り組まれていて、大変すばらしかった。ただ、生徒がどうやってその問題を解いているのかという「思考過程」にまで踏み込まないと、点数だけで「出来ている」「出来ていない」と考えるには危険なときがある。小学校の6年生(前は5年生でやっていた)で教えている「距離と速さと時間」の問題。この問題が出てくると、進学塾では「き・は・じ」で教える。この教え方は最近では学校でも教えるところがあるようだ。どうやって教えるかというと、「き÷(は×じ)」 の式を分数のような形で書き、求めるものが「速さ(は)」だったら、その部分を隠す。すると「き÷じ」が残るから、「距離」と「時間」のそれぞれの数値をその式に代入する、というやり方である。「距離と速さと時間」の問題は、中学校でも苦手とする生徒さんが多い。この「き・は・じ」を教えれば、かなりの割合でその問題が解けるようになるが、問題はその使い方である。生徒さんが、「距離」「時間」「速さ」をしっかり認識して、この「き・は・じ」を使っているならいい。しかし、問題なのは、この問題をただの「代入」のような感覚で捉えて小学校で勉強していると、中学に入ってから応用がきかないのである。小学校での「距離と速さと時間」の問題は、文章も短く、「代入」感覚でスラスラとける。しかし、中学1年の「1次方程式」や、中学2年の「連立方程式」の問題レベルになってくると、「代入」感覚で解いている生徒は、徐々に出来なくなってくる。<小学校のとき>「自転車で毎時25kmの速さで1時間30分走ったときの道のりは何kmか。」<中学1年>:1次方程式「20kmはなれたところへいくのに、はじめは自転車で毎時25kmの速さで行ったが、途中で毎時5kmの速さで歩いていったので、全体で2時間かかった。自転車に乗った距離を求めよ。」<中学2年>:2次方程式「ある人が峠をこえて、A町とB町との間を往復するのに、坂の上りは毎時3km、下りは毎時5kmの速さで歩いて、行きは4時間、帰りは4時間32分を要した。A町とB町との間の距離を求めよ。」代入感覚で解いていくと、中学1年のときの問題で、「自転車に乗った距離」を「20-x(km)」と考えられない。もし、ここまでは考えられていたとしても、中学2年のときは、「行きの上りの距離をx、下りの距離をy」として考え、帰りの速度が行きと逆になると読み取れないといけない。小学校のときは、問題も簡単だから「代入感覚」で解いている生徒も、しっかり考えて解いている生徒も同じように「〇」。しかし、中学に入ると、その問題に対する解き方の違いが徐々に表れる。代入感覚で問題を解いている生徒さんの、思考過程を直すのは時間を要する。指導時間とテストまでの時間の間にはさまれるとき、テクニックに走らざるを得ない。やり方を覚えるだけでは何も身につかない。点数を上げるのは確かに必要だが、それだけではダメなのだ。学校の先生が生徒一人ひとりに目を配るには、一クラスあたりの人数が多すぎる気がする。20名ぐらいだともっと気を配れるのではないだろうか。「ゆとり教育」という前に、一クラスあたりの人数を減らすべき、と私は言いたい。
2004/03/06
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今回、某中学の国語の試験範囲に入っていた井伏鱒二の「山椒魚」。この作品、国語の苦手な生徒さんには、天敵とも言える代物である。国語の成績が上がらない理由には、「解答の書き方を知らない」、「文章の読み取り方が分からない」など様々な要因がある。しかし、あまり言われないことであるが、重要なこととして、「その子が持っている知識の絶対量が少ない」という原因が大きく絡む場合がある。この「山椒魚」はまさに「知識の絶対量」が試されるような文章で、生徒さんによっては、この文章が一体何の話をしているのか全く読み取れない生徒さんがいる。この文章の最初の方は次のような内容である。「ある夜、一匹の小えびが岩屋の中へ紛れ込んだ。この小動物は、今や産卵期のまっただなかにあるらしく、透明な腹部いっぱいにあたかも すずめの稗草の種子に似た卵をかかえて、岩壁にすがりついた。そうして、細長いその終わりを見届けることができないように消えている触手を揺り動かしていたが、いかなる了見であるか、彼は岩壁から飛びのき、二、三回ほど巧みな宙返りを試みて、今度は山椒魚の横っ腹にすがりついた。」学校で意味調べをさせる(「する」じゃないところがまた問題)とき、上記範囲の中から学校が指定するものは、「岩屋」「稗草」「触手」「了見」である。ところが、国語が苦手で「知識の絶対量」が少ない生徒さんは、これだけ調べても全く文章のイメージ化がはかれない。3年途中にご紹介で入会した生徒のJ君。このJ君に、ここを教えていたら、彼は「小えび」が分からなかった。「小えび」が分からないことには、その後の「産卵期」も、「透明な腹部いっぱいに」も、「消えている触手」も一体なんのことやら、になってしまう。J君に聞く。君は『小えび』を見たことはない? 食べたこともない?「えびは天ぷらでしか・・・」ん~、天ぷらのえびは「小えび」じゃないからねぇ。 その後よく話をきいたが、J君はむいた形(寿司ネタとかの)のえびしか見たことが(認識したことが)ないようだった。まずい、寿司ネタ状態のえびが「えび」と認識している。『かっぱえびせん』の袋にのっているえびだよ。「はぁ。」今一歩、ピンときていないようなので、A4の紙にでっかく「小えび」の絵を書く。でも絵じゃなぁ、「生きているえびは透明だ」というのまでは分からないもんなぁ。あっつ、君は図鑑をもっていないの?魚とか説明している「生物図鑑」。小さいときにお祝いとかでもらったりしないのかなぁ。「あったような気がします。」しばし部屋の中を捜すが発見できず。「捨てたかもしれません。」あ~そうなんだ。あのような図鑑は中学卒業までは手元に置いておいた方がいいんだよね。仕方がないので、私が書いた「小えび」の絵で説明する。でも、教えていてもなんかしっくりこない。多少知らなくても、教えていると、途中で他のすでに頭の中にある知識と関連づけて分かってくる。例えば「生きているえびは、透明です」が、「生きているイカも透明だから、それと一緒なんですね。」みたいに。しかし、彼にはあまりそれが感じられない。ふと、君は釣りに行ったことある?と聞いた。「はい、あります。」あっつ、ホント! 何釣りだったの? 海釣り? 川釣り?「あの、なんか四角に区切ってありました。」ん? 四角? あっつ、君、それ釣堀じゃん。しかも彼はそこで「釣り」をしないで、見ていただけだったそうなので、「魚」というものを実感としてとらえられていないようだった。「魚類」全般に関して「実感」がないので、井伏鱒二の文章を読んでも、躍動感あふれる「えび」の様子がわからず、おまけにスケール感もないので、この後出てくる「山椒魚が閉じ込めた」も、「なんで閉じ込められるのか」がさっぱりわからないことになる。学校では、こういったことは「分かっている」という前提で進められている。J君は一生懸命ノートを取ってきているのだが、授業で言っていることのほとんどが理解出来ていないんだろうな、と思うと、J君が不憫でならない。お家の方からすると、こういうのは、「学校でノートを取ってきているのに、テストができないなんて。。。やっぱりこの子は頭が悪いんだわ。」とお考えになる原因なんだろうな。頭が悪いんじゃなくて、「知識の絶対量」が少ないんだよね。小さいときにお家の方とどこかに遊びに行った、という経験があまりないJ君。さらに、読書もあまりしないというJ君。もっと言えば、お家の方とほとんど会話をしないJ君。私が見た感じとして、J君は同年代の生徒さんの半分以下の「知識」しかない。もう少し早く入会されていれば、まだまだ手の打ちようもあったのだが、中3の今となっては、とにかくテストの点数を上げるための、「その場限りの指導」に走らざるを得ない。私立なので高校受験がなかったから良かった。ただ、こんな感じで高校生になっても苦しいだけだよなぁ。高校の文章はもっと難しいもんね。お家の方には、現状の状態を正直にお伝えした。「あの子はえびが分からないんですか!」と絶句されるお母様。そうだよね、国語の成績が上がらないのが、「知識不足」が影響しているんだもんね。こういった「知識量が少ない」生徒さんが最近増えている気がする。お家の方がよく見ていれば多分、気づくことだと思うのだが。「国語ができない」と嘆く前に、「知識量がどうなのか」も考えると、適切な対応というのは、もっと違ってくると思う。お子さんに「お前は勉強ができない」と言う前に、お子さんの様子をもっとよく見てあげてください。
2004/03/05
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最近は「資格」も社員評価の基準とする会社がとても多い。彼の会社もご多分にもれず、「資格を取らないと、昇給できません」という基準が設けてある。「推奨資格」と銘打ってあるその「資格リスト」には、それぞれ横にポイントが書いてあり、資格ゲットするたびに、そのポイントが獲得ポイントとなっていく。主任、係長、課長・・・の昇給段階ごとに、その「獲得ポイント+必須取得資格」の二つで「昇給試験受講資格」が決まる(資格以外にも、当然日々の仕事振りも評価されるが)。もちろん、彼も「資格をゲット」しなくてはならない。私から見るといっぱい持っているんだけど、どうやらある「必須取得資格」を取らなくてはならないようだ。この「必須取得資格」は、国家資格が認定されている。おいそれとは合格できない。最近は、こうした社会人向けの資格取得講座が花盛り。でも、あのような講座は実は受講期限が決められていて、その受講期限が終わると受講していなくても、受講途中でも自動的にアウトになる。私はズルイと思うんだよね、あの受講期限。あの手の会社は「期限が決められている方が勉強にも身が入りますから」と言うが、どうしても仕事の都合上取り掛かりにくい時期もあるはず。もともと取ろうと思ってやろうとしているのに、わざわざ受講期限を設ける理由に「決められている方が・・・」なのが、納得いかない。私も彼の「資格ゲット」を手伝うべく、一緒に資格をとろうと思った。「お友達と一緒に勉強するとやる気が出やすい」というノリで。そこで、問題を毎日1問ずつ送ってくるサイトに登録して、「さぁ、明日からやるぞ!」と張り切っていた。ところが・・・日々の忙しい生活の中では、この「毎日1問」は頭の中に入らない。もともと、短時間でお勉強という感じで取り掛かっているだけに、その1問をじっくり考えることすらやらない。分からない問題があってもそのままにする。仕事柄、どういう思考過程をしているときに身につかないか、というのは把握しているので、こんなことをやり続けてもただの時間のムダだということがすぐに分かった。新しいことを教わるときは、小出しにちょっとずつやるより、ある程度まとまって「ばばっ」と教えてもらう方が分かりやすい。そういう点からも、あの「毎日1問」は難しかった。社会人の場合、日々にやること、考えることが多いので、新しいものを教わるには、それにかかりっきりで集中してやる方がいいと思う。その方が覚えているし、復習も早い。となると、一度集中して、分からなくてもいいから全体像を教えてもらい、その後、ちょこちょこ復習する方が効率的なんだろうな、と感じた。5分とか10分とかの細切れの時間を使うより、2~3時間、がっちり勉強しないと厳しいと思うんだよね。そう考えると、学生のときは天国だよね。勉強だけ考えていればいいからね。私のように「今日の晩御飯は何にしよう」とか、「明日は天気が良さそうだから、いっぱいお洗濯しないと」という毎日必ずやらないといけない日常的な作業を考えること自体しないでいい。ただひたすら「新しいことを習い、覚える時間」に費やせるからね。社会人のときと学生のときとでは、勉強のスタイル自体、絶対違うものになるはずなんだけど、世の中にあるもので、そういったことを考えられて作られているものは少ないと思う。う~む、この分野でもまだまだ研究することはありそうだ。まずは、身内でそれを試してみることにしよう。
2004/03/04
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今日は雛祭りなので、夕ご飯に「ちらし寿司」を作って食べる。彼は男の子兄弟なので、雛祭りに「ちらし寿司」を食べる習慣はなかったそうだ。「なんで『ちらし寿司』なの?」と聞かれて答えられない私。そういえばなんでだろう?おめでたいから?夕ご飯のときに、取りだめしている番組を見る。今日みたのは「マネーの虎」。この番組もうすぐ終わっちゃうんだよね。おもしろいのに。今日は「離婚を考えている人のための離婚相談所を作りたい」という主婦の方が出ていた。見ていて驚いたのが、その主婦の方が「幸せになってもらうために、離婚した人に再婚してもらうことを最終目標としている」と言ったとき、「女の人は経済的にハンデを背負っているので、離婚する前に『お見合い』ができればビジネスとして成立する」と言った社長がいたことである。は? それって離婚する原因が「お金」だったら、その人はそれで幸せになるかもしれないけれど、相手におんぶに抱っこをしている限り、幸せは訪れないと思うよ。「幸せ」というのは、自分で作っていくもんじゃないの?勉強にしても「家庭教師をつけたから安心」とか「塾に入れたから大丈夫」ではなく、「そういったものは『きっかけ』であって、そこからが始まり」と捉えない限り、いつまでたっても成績は上がらない。生徒さんにしても、「家庭教師の先生がなんでもしてくれる」と考えている限り、何も変わらない。言われた通りに勉強しても、すぐに成績の伸びは止まる。自分の問題を、「他人が何とかしてくれる」と考えている限り、何も問題は解決しない。「家庭教師」を問題解決のための手段の一つと考え、その上でどうやっていくのかを考えない限り駄目なのだ。自分自身で動いていかないと。私はよく「家庭教師の先生がいれば大丈夫」的な生徒さんに、ゲームに例えて説明している。「いい、君がFF(ファイナルファンダジー)をやると、各ステージごとにボスキャラが出てくるでしょう。で、そのボスキャラを倒すために、君は「リュック」を使ったり「ユウナ」を使ったりするわけだ。「ユウナ」に魔法を使わせるか、召喚獣を使わせるかは、君が考えて使って、ボスキャラを倒すよね。「ユウナ」がボスキャラ出てきたら、勝手に「イフリート」を召喚して戦わないでしょ。勉強だって、君にどんなに色々教えてあげても、テストのときに自分で考えて使わない限り、ボスキャラであるテストはクリアーできないんだよ。どんなにいいアイテム持っていても、自分で考えて使わない限り、宝の持ち腐れじゃない。」どの生徒にもこの説明で分かるわけでもないが、「どうやら自分で考えないとダメらしい」ということは感じとれるようだ。自分で考えないで生徒さんが何かをすぐお任せにしようとしたとき、「あっつ、それじゃあ、召喚獣呼べないな。呪文言ってもらわないと。」と言うと、はっと気づいて考えたりする。私自身も、「他人が何とかしてくれる」と考えた方が楽なので、そっちに行きそうになるが、「イカンイカン」と思って、がんばるようにしている。次のステージに上がるために自分でボスキャラ倒さないと。これ大切。
2004/03/03
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今日は一日中、ドタバタしている日だった。1日は、東京では雪が降るぐらいさむ~い一日だったが、今日もやっぱりまだ寒い。日曜日までは暖かかったのにな。最近、「東大生に教えてもらっているのですが、成績が上がらなくて」とご相談を受ける。私から見ると、頭が良いのと教え方が上手いのは別なので、「東大だからいい」ってもんじゃないんだけどと思うのだが、お母様から見るとそうではない(気持ちは分かるけどね)。「その人はどうやって教えているんですか?」と聞いたときに、二つの道に分かれる。「こ~してあ~して教えてます」と答えられる人と、「いえ、まるっきりおまかせにしているので、ちょっとよく分からないんですよ」と言う人に。どうやって教えているか把握されている方とは話も早い。その講師の指導のどこに問題があって現状上手くいっていないのかがつかめるからだ。話を聞くと、その講師が熱心に教えている様子が良く分かる。ん~、でもおしいね。その教え方だと効果薄いんだよ。教え方を教えようにも、別の会社だから手も足もでない。何をしているのか把握されていない方は、ちょっと大変。現状の問題点が講師の指導にあるのか、それとも他のところにあるのかが、すぐには分からないからだ。こういう方とはゆっくりじっくり話をきき、その上で対応策を考える。こういったお家に指導に行っていた講師の人は、一体どうやって方針を立てていたのか、疑問が残る。東大生でも、教え方がとても上手い子と、全くダメな子に分かれる(まぁ、これはどこの大学でも同じなんだけど)。 東大の場合、本人がたいして苦労もなく勉強してきた場合、なんで生徒がこの問題が分からないのか分からない。また、本人が「宿題はやってくるもの」という前提で勉強していたため、「宿題はやってこない場合がある」という生徒さんを見ると、理解に苦しむようだ。自分で分からないところを的確に言える生徒さんなら、知識が豊富だけど教え方は今いち、という講師でもO.K.であるが、そういった生徒さんは塾で大丈夫だからね。もうちょっと「どうやって教えてあげればいいか」をちゃんと研修すると違うんだけど、こういったことは間接経費に跳ね返るから、会社の戦略上、やりづらいところもあるんだろう。まぁ、「これが絶対にいい教え方です」というものはないから。A君にはとっても良かったけど、B君には全く合いません、というのはよくあること。だから、講師にも「生徒さんを良く見て、指導の仕方は変えるように」と言っている。誤った指導の仕方をしているとすぐに結果に表れるからね。絶対的にいいというものはないにしろ、こうすると効果がうすいとか、効果がでやすいというのはあるから、それを積み重ねて標準化し、その上で生徒さんごとにアレンジを加えるといいのだろう。でもなぁ、昔は通用したけど、最近はダメダメな指導方法ってあるんだよねぇ。生徒さんの物事に対する認識の仕方が変わってきているんだろうね。指導も常にバージョンアップしていかないと! がんばらねば!
2004/03/02
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まだまだ続く期末テスト。私立によってはこれから始まるところもある。ピークは過ぎたので落ち着いてはきてはいるが、進級がかかっている生徒さんもいて、気は抜けない。私立校の中には公立と違い、中学校でも「進級基準」の成績をクリアーしないと落とされる学校がある。中学での留年はなんとしても避けなければならない。指導にも気合が入る。今日は、A講師から「社会の指導がうまくいかない」と相談を受けた。A講師は理系なのだが、社会もばっちり教えられるというなかなかの実力派。生徒が分からないところを的確に判断し、説明もうまい。このA講師は以前、受験指導をする塾で教えていたことがある。あの手の塾講は、時給もいいが、講師研修もばっちりするので、A講師は指導する上での基礎が出来ている。そのA講師が「うまくいかない」とは。話を聞いてみると、どうやら生徒さんが全くやる気がないらしい。やる気がない生徒さんにどうやって教えるかというのは、また別の指導技術を必要とする。A講師はそれも上手いんだけどなぁ。「生徒さんが基本事項を覚えてこないんです。」社会(歴史)の基本事項とは、人物の名前、文化史、年号などである。それを覚えてこなかったら、問題を解こうにも解けない。やる気がないから、覚えない。だから問題演習ができないという悪循環にはまっているようだった。う~ん、社会(歴史)はノリノリで教えた方がいいんだよね。どの生徒さんにも通じる教え方ではないが、特にやる気がない生徒さんには、この「ノリノリ」で教える戦法が効果的。私なんて、ロックコンサートに行ったときのようにノリノリで教えてしまう。「何してんだ、この先生」と冷めた目で見ていた生徒も、知らないうちにのってきて、あっという間に予定範囲終了!生徒さんも「あれ、もうこんなに時間経ってるんですか」と驚くぐらい、ばばっと進む。でも、これやるとすごい疲れるんだよね。やる気のない子にパワー注入しながら指導している感じなので、指導が終わってお家の方にお会いすると、「きゃ~! 先生が別人!」と言われるぐらい「ぐったり」する。前はこんなに「ぐったり」しなかった。体力的にも厳しくなってきているのか!A講師にこの「ノリノリ戦法」を伝授する。「え~!」と言っていたA講師、でも私の話を聞いて、感じるものがあったようだ。次回はそれでやってみると言う。「覚えなさい」というのは簡単だけど、「どうやって覚えてもらうか」まで踏み込まないとね。そのきっかけ作りも仕事だと思う。生徒さん、これで覚えてくれるといいな。まぁ、あの性格の生徒さんなら大丈夫でしょう。これでまたA講師は指導レベルがあがったと思う。大学1年生でかなりのレベルまでいっているから、今後がとても楽しみ。頼むから大学院に行ってね。
2004/03/01
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