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・2.27.土午後からのNSK混声合唱団の練習の前に、運営委員会。秋に予定のファンドレイジングコンサートに向けて、来年予定の「第2回NSK第九を歌う会」の演奏会計画について話し合う。母体となるNSK混声合唱団の団員をもっと増やさねばならず、広告を含め、PR方法を模索する。どこの団も団員募集にあくせくせねばならず気が重くなる。60年代、70年代のように猫も杓子も合唱というブームならどんなに楽だろう。帰り近鉄電車が人身事故で停止し、仕方なくJR線に回り帰宅。
2010.02.27
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・2.26.金朝の女性合唱団で新しく取り組んでいる曲が例によってリズム、音において非常に難しい曲。家で大変努力して下さっている方も多いようで、その成果が見て取れる。皆さん主婦としてとても忙しい生活であろうと想像するが、その中でも時間を作って少しでも楽譜に向かって下さる熱意を嬉しく思う。この分だと、より一層の団の向上が期待される。午後から阿波座でのグループレッスン。箕面からお見えの生徒さんが地元の美味しいロールケーキをお持ち下さり、レッスン終了後に皆でいただく。大変美味しいケーキだった。夜は奈良に向かい、混声合唱団。歌劇カルメンの合唱曲の練習に時間を割く。久しぶりに気持ちの良い雨降りの中帰宅。
2010.02.26
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・2.25.木うどん屋に寄ってから午後の奈良クラス。先日の発表会を見に来て下さった生徒さんが、歌劇トスカの場面の熱演に感激下さり、その話の続きに、カヴァラドッシが歌う「星は光りぬ」というテノールのアリアを僕に歌って欲しいというご要望をいただいた。そう言えば、僕はこの有名なアリアを一度も歌ってみたことがない。視力があればオペラにも参加して、この役を歌う機会があったかもしれないが、今となってはこのアリアを歌うことを思いつきもしなかった。このアリアについて一番に思い出すのは、ドイツに渡りバリトンからテノールになるべく訓練を受けていたころ、譜読みをして先生の前に持って行った時に「この役はトシが歌ってはいけない役です。トシの声に対して、カヴァラドッシはドラマティック過ぎるし、声を痛める結果になります。もう少し歳を取ったら歌えるかもしれないけど」と言われた。その言葉が頭にあったことも関係しているように思う。しかし今機会があれば歌ってみたいと今日初めて思い付いた。それから阿波座に向かい、CAC混声合唱団。今日からまた新たに第一回定期演奏会に向かっての練習。一人また新しく入団下さった方がおられ、全く嬉しい限りである。薄着で来過ぎたかと思ったが、夜の空に出ても全く寒さは感じなく帰宅。
2010.02.25
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・2.24.水午後のレッスンにもう一人受験を控えておられる生徒さんが見える。今日のフィギュアスケートを見ていても、四年間訓練に訓練を重ねて、その結果を今日の一瞬に出さねばならない心の重圧はいかばかりか。それは時間と自分に勝つことの難しさ。自己との対話、湧き上がって来る恐怖をどのように説き伏せ、自分だけの道を外れないようにどのように辿るか。それに加えて、その時の体と心のコンディションがうまく最高である確立は非常に少ない。どの選手を見ても、それらを感じさせないその精神力に全く感服するばかり。結果がどうであっても、自分のために自分における最高を求め続ける。人生の節目である受験もまた同じ。頼れるものは自分だけ。その孤独な戦いは、一段彼らを上のレベルへと引き上げることだろう。夜のレッスンに参加の一人の生徒さん、音楽高校で三年間声楽を学んで来たが、途中から作曲の道に進みたいと東京の私学の大学を第一希望として先週受験に臨まれた。見事合格という報告を今日本人から聞いた。彼の通う音楽学校では作曲科に進む生徒が今までいなかったらしく、教師たちのサポートを受けることなく自分で先生を探し短い期間で受験の準備に臨まれて来た。周りに流されず、早いうちから自分の本当にやりたいことを見つけ出して、それに向かって着実に進む姿勢は見事である。それにしても、いったい何のための音楽学校だろう。
2010.02.24
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・2.23.火舞台でも活躍されている方々の午後のクラス。皆さん見事に高いソプラノの勢揃い。実際のところはどうなのだろうと考える。同じクラスのメンバーが、揃って素晴らしいよく似た種類のソプラノである場合、良い刺激を感じ合って良い勉強ができるのか、もしくは意識し合ってぴりぴりした空気を漂わせているのか。何故そんな風に思うのかというと、最近、僕に言わせると不必要な女性通しのライバル意識を感じ取らずにはいられない情況を目にすることが続いたからだ。女性の皆さんとは、互いに戦うために生まれて来たのかもと思わせる。巧妙に我々男性には見せないようにしながら、空気を張り詰める。でも今日のレッスンの皆様の間では、どうやらそのような空気はなかったようだ。このような話題も、おそらく地雷区域に踏み込む一歩なのだろうな。純粋に人類学の分野として、歴史的に見て何を示唆する生態なのだろう。神の思し召しには、不可解な物事が多過ぎる。夜は9歳の女の子を含むクラス。高校生の男性の生徒さんは、明日から大学受験本番。何か目指すものに向かって突き進む若さが羨ましく思われる。僕が高校三年生だったときはどうだっただろう。その時の思いは、もはや鮮明には思い出せない。僕の今の年齢でも、もちろん何かに向かって突き進むことはできるはずだ。日々の生活に小さくまとまらず、夢を持って戦う姿勢を無くさず生きたいものだ。
2010.02.23
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・2.22.月昨日は第16回、CAアンサンブル発表会本番であった。朝10時前には皆会場に集合し、リハーサルを開始。12時を超えたころには早お客様がちらほら見え、休憩を取り1時に開演。暖房を切って開演したが、出演者の熱演と座席一杯のお客様で会場の温度は上がる。結局3時間近く掛り終了。CAC混声合唱団、童謡グループRarara、金剛アンサンブル、それにアンサンブルクラスによるオペラ重唱を演技付きで。皆さんそれぞれに練習の成果を存分に見せて下さった。大成功に終わり、その後打ち上げ会場の堺筋本町にある韓国料理店に皆で向かう。本来この店は日曜日が休業であるが、特別に我々のために営業して下さった。美味しい焼肉であった。今日は午後のグループレッスンと夜の混声合唱団。朝犬の散歩をしていて汗ばんだので、思わず薄着で出かけてしまい、夜に寒さで震える。暖かくなると言っても、まだ2月なのだ。春の服装はまだ少々早い。
2010.02.22
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・2.19.金女性合唱団の後阿波座に向かい、その後本町の鍼灸院。初めての男性の鍼灸師。僕が用意を済ませ診察台に横になって待っていても、なかなか担当医は現れない。ブースの外で、見習いのような女性に一生懸命治療法について語る男性の声が聞こえている。その内容はとても分りやすく、人間の体の問題とその原因、問題を回避して行く手順を伝授している。壁を隔てて僕もその説明に聞き入ってしまった。そして時間を置いて僕のブースに入って来た担当者は、先ほどの声の男性だった。余計なことは言わず、もくもくと治療をするタイプ。しかし彼の鍼灸に対する熱意と研究心には敬意を感じた。その後混声合唱団。練習開始前に、この日曜日に行われるCA発表会の会場に電話して、椅子のことやライトのことで打ち合わせをする。こちらの要望が会場側の規則にそぐわず聞き入れてもらえない。こちらの要望も大したことではないし、先方の規則も強固なものではない。しかし電話に出て来た担当の女性の物言いがとても僕の神経に触り、つい余計なことを口にして彼女と言い合いになる。僕も大人気ないが、先方もまあ相当なものだ。一昔前の市役所所員みたいだ。もしくは、典型的なドイツ領事館の秘書。どちらにしても、接客には職種が向かないことを誰かが教えてやるべきだ。結局最終的に彼女が上の者に相談をし、こちらの要望が聞き入れられた。何だかごねて無理押しをしたような気がして後味が悪いが、僕はただ彼女の言い方に反応しただけだ。たいがいの喧嘩が、ほんのちょっとした言い方が火種ではないだろうか。日曜日、受付カウンターで彼女に会うのが楽しみだ。
2010.02.19
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・2.18.木午後のレッスンと夜のCAC混声合唱団の間に、近くのケーキ屋に行ってCACの募集チラシを置いてもらえないかとお願いに上がる。このケーキ屋は僕が頻繁に利用している店で、息子さんがケーキ職人で、お父さんが店の経営をされている。狭い店内で職人がパンも作っていて、ケーキと共にとても美味しい。店長はチラシを置くことを快く許して下さり「ほら、他のチラシもそこに置いているんですよ」と店の奥を指差す。いろんな分野の広告チラシも引き受けておられるようだった。その帰りに近くのガソリンスタンドにも寄ってチラシを置かせてもらうお願いに行くが、店長(以前湯タンポをここの店長から買った)は不在で、また後日ということになった。夜のCAC混声合唱団の前に一人の団員さんに早めに来ていただき、CACのホームページについて相談に乗っていただく。団員募集をHPで呼びかけるにしても、HP自体が管理も行き届かない魅力のないものなので、何とかせねばとずっと思っていた。しかし整理できるだけのパソコン技術を持ち合わせないので、一人の団員さん(翻訳のお仕事をされている女性)に少し手を加えていただくこととなった訳だ。とにかく周りの皆様に迷惑ばかり掛けての運営である。この日曜日が発表会本番なので、当日に向けての最後の練習となった。心配な部分は残ったが、運を天に任せて楽しみたいと思う。●CAアンサンブル発表会日時:2010年2月21日(日) 13:00開演会場:プチ・エル(天満橋エルおおかさ、B1) 地下鉄谷町線天満橋より徒歩5分入場料:無料*座席が100席足らずしかありませんので、お早めのご来場をお願いいたします。
2010.02.18
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・2.16.火朝昼晩と忙しい一日。帰宅すると盲学校時代の知人からメールが入っていて、その方の同級生が昔からの持病であった心臓病がもとで先日亡くなったと連絡があった。亡くなった先輩(山田さん)は僕もとてもよく憶えている。盲学校には普通科の上に理療科があり、普通科から進学する者や、外から入学して来る者もいる。山田さんは普通学校を出てから何処かしらの薬品を扱う工場で働いていて、作業中に顔面に薬品を浴びる事故にあい完全に失明した。顔も全体的にケロイド上に爛れていた。彼は背が高く、髪は耳が隠れるぐらいのもじゃもじゃ頭で、サングラスを掛け低い声で話す、何だか太陽にほえろに出て来る刑事役に出てきそうな感じの人だった。理療科に在学していた人たちは、長く働いてからだとか、大学を卒業してから中途失明などで入学して来る人がいたから、15,6歳の僕たちから見ると随分年上のお兄ちゃんお姉ちゃんたちであり、よく一緒に喫茶店に連れて行ってもらったり、クラブ活動を共にやったり、バンド活動をやったりした。山田さんは理療科に来られた時点で27歳ぐらいであり、学校の近くにアパートを借りて住んでいて、よく放課後に遊びに行った。そのころから心臓に問題を抱えておられたらしいが、今でもまだ60にならない歳だと思う。何だかあのころの楽しかったことが、次々と思い出される。まだかろうじて残っていた木造の古い校舎や、近くにあった薄暗い喫茶店。放課後グランドを照らしていた秋の夕暮れの光までが懐かしく思い出された。ご冥福をお祈りする。
2010.02.16
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・2.15.月●1Q84についてこの小説の最も重要なポイントが、リトルピープルなるものの存在となる。リトルピープルとは何か、空気さなぎとは何か。ブック2まででは、それは謎のままで終わっている。もしくは、我々に考察し追及させようとしている。僕の考えでは、リトルピープルは今現実の我々の周りにも存在し、そして生活に深く関わり、我々が気が付かないうちにこの世界を取り込んでいる。レジャー、仕事、あらゆる欲望を満たす提案、我々の中にあるぽっかり空いた空白に訴え掛ける声、人々の優しさや正義まで。教育機関、政治、警察、芸能界から宗教団体まで。何から何まですべてを取り込んでいる。ブック2で語られているのは、カルト集団のリーダーが死んだり牢獄に入ったりしても、悪の根っこはそこにはないと。皆操られているのだと。牛河という男は、まさにその存在を具現化した遣いのようである。リトルピープルの存在は「羊をめぐる冒険」の夢に出て来る白羊と同じものの表現であるようにも思える。最後に青豆は以前から決めていた通り、リーダーを殺害した後自らの命を絶とうとする。考えてみれば、老婦人が青豆にやらせたことは無慈悲な行為だ。青豆が何人もの男を殺害して、金を受け取って幸せに生き延びることができる訳がない。リーダー殺害後、老婦人が用意したマンションの窓から、通りを挟んだ公園の滑り台の上に、20年ふりに天吾を目にする。しかし二人は出会うことができないまま、首都高速の上で青豆は拳銃の銃口を口の中に入れる。最後の最後に青豆はやはり証人会のお祈りを唱える。青豆は事あるごと、恐怖にさいなまれた時に拒絶して来た証人会のお祈りを心の支えとして来ている。ここで言いたいこと。それは、我々にとって宗教というのは、本来必要なものであるということ。ただ、今存在するほとんどの宗教が、亡者たちの策略と欲望の上に成り立ってしまっている。本当の正しい成り立ちで存在する宗教を、我々は本来求めているのだと。青豆はその銃口を口に差し込んだまま「天吾君」と最後に囁く。ここが何とも涙を誘う一言である。青豆は銃を打ったのか、それとも目の前のベンツクーペの運転席の女性が何かしらのアクションを起して青豆は死なないのか。読者はもちろんブック3、4で青豆と天吾の再会を待っている。でないと、青豆の人生が余りに報われない。 おわり
2010.02.15
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・2.13.土午後から阿波座でのグループレッスン。このクラスでもう一年以上一緒にレッスンを受けて来られた生徒さん二人が、実は幼馴染であることが最近になって判明する。阿波座から遠く離れた奈良県のある都市で、一人の生徒さんともう一人の生徒さんの弟さんが同級生であり、まだ小さかったころ三人で遊んでいた。前回のレッスンの後、教室を出て世間話の中でそれが判明したという。二人の生徒さんは何と40年振りぐらいに再会していたということになり、今日のレッスンでそれを聞いて皆で驚いた。二人とも偶然歌に関わっていたからこその再会ということになる訳だが、何と世間は狭いのか。何かしらの強い縁としか思えない。名古屋から来られる新しい生徒さんが今日始めてレッスンに参加された。お仕事も持っておられ、小さな子供さんも二人おられる。そんな中、3時間ほど掛けて新幹線で大阪まで来られたという。早速大きな成果を見せて下さり、これからの希望が膨らむ。彼女の強い勉強意慾に感服した。
2010.02.13
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・2.12.金●1Q84について戎野先生という文化人類学の先生が出て来る。僕が思うに、この小説自体がその分野を根っこにして描かれているのではないか。一部の人々が物質社会を嫌い、隔離された場所で多くの人々が共に暮らすような状態になると、必ず生まれて来る我々動物の防ぐことのできない習性。それをある有名カルト集団のことと読者に確信させながら話を進める。アントン・チェイコフの旅先で書いた極めて実際的な小説とも言えない記録書を取上げ、この小説がそれに似通った性質を持つものだとさりげなく説明している。どんなに民主的関係を模索しても、平等さと公平さを模索しても、結局は一人の指導者の下で段階社会が形作られて行き、その結果暴力、随わすためのリンチ、倫理を解した欲望によるレイプ。このような独裁的な社会が身を太らせて行く。そのような醜い我々人間という動物の習性が語られているようにも思える。それと同時に、親からの愛を受けることなく大人になった者の内面に抱えたパトスについてのテーマ。登場人物の多くが、同じ闇から逃れることができず暮らしている。親からの無償の愛を受けることができぬ環境に生まれた者の共通した部分、それは自分が好きになれないこと。死を進んで受け入れる準備が出来ていること。そのように僕には読み取れる。そしてそれらのテーマは、くしくも上橋菜穂子の「獣の奏者エリン」で描かれているテーマと全く同じではないか。民俗学の専門である上橋さんと、常々文化人類学のような研究テーマでいろんな人にインタビューを試みている村上氏。彼らの人間に対する研究テーマが、そのまま小説になろうとするいきさつを辿るのは極めて自然なことだ。そしてリトルピープルというなぞに満ちた存在。 つづく
2010.02.12
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・2.11.木午後からNSK混声合唱団の練習を、近鉄奈良駅前の「花径」で行い、そのまま遅い新年会。おおいに盛り上がり、僕も少しよっぱらって数人の団員さんと共に奈良駅から電車に乗り込む。そこで、一人の団員さんから少々面白くない話を聞く。去年の春、今から丁度一年ほど前の話だが、第一回「NSK第九を歌う会」演奏会の取り組みのため、ある養護学校の教頭先生(50代女性)のところに電話をして、是非学校OBの方々に演奏会に参加していただきたいので、PTAの親御さん方にお話を繋げてはいただけないものかとお願いした。電話に出て来られた時から随分不機嫌そうだったが、まあそういう人なのだろうと気にもしていなかった。しかし今日の団員さんのお話で、教頭先生は「茶木さんは演奏会の舞台上の絵面のために車椅子が欲しいだけだ、マスコミにもPRしてしまっていて、障害者集めに困っているのだ、障害者を売り物にするつもりか!」と憤然とされていたという噂をある筋から噂として聞いたらしい。僕はそれを聞いて一度に酔いがふっ飛んだ。その時の教頭先生との会話を思い出してみた。「今知的障害、視覚障害の方々は集まっていただいていますが、肢体不住の方々にはアプローチする手立てがなく、先生にご相談させていただきました。僕としては、いろんな障害者の方に参加していただきたいと思っています。」そのような内容の説明をしたと憶えている。まさか「絵面で車椅子が欲しいから、先生の生徒さんを説得して下さい」なんて言う訳ない。おそらく、いろんな方の思惑や影響がそこに存在するのかもしれない。でも考えてみれば、100歩譲って、僕がそれに似たことを口にしたとしても、障害者への侮辱にはならないのではないか。障害を売り物にして何が悪いと僕は思う。教頭先生の発言は、いかにも周りの健常者の考えだ。そして僕に言わせれば、古い。乙武洋匡さん(五体不満足の著者)が突然マスコミやテレビから姿を消した理由は「あなたは自分の障害を売り物にしている」と周りの誰かに言われたからだという噂を耳にした。そんな一言に屈するような男にも見えなかったのだけれど。しかし彼は大きな一つの突破口を自ら負債でしまったとも言える。彼は先天性四肢切断(生まれつき両腕両脚がない)を抱えながらも、その前向きな屈託のない明るい人間性で才能を発揮して、多くの本を出版し、テレビでも活躍した。テレビの番組で、学校公演では車椅子から降りて、その短い足で走ってみせたり、踊ってみせたりしていた。明石家さんまの番組に出て、電動車いすの上でとてもおしゃれなシャツに赤いすてきなベストを着て、流行の髪型でさんまとトークを交わしていた。「五体不満足でふところ満足」なんてさんまにからかわれ(とてもすてきなジョークだ)、車椅子の上でニコニコ笑っていた。彼はとても輝いて、スマートにかっこ良く人生を楽しんでいた。いわゆるこれが「障害を売り物にする」ということだが、これこそが障害者の何かしらの殻をやぶり、蔑視をなくし、あたりまえの一人の人間の特徴として文明開化を起す突破口だったのだと僕は思う。皆もっと障害を売り物にするべきだ!本当に自分の障害でもって収入を得たってかまわない。売り物とは言い方はまずいが、一つの特徴としてその生き方と共にアピールされてしかるべきではないか。そして別の面の様々な才能を引き出すべきだ。
2010.02.11
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・2.10.水村上春樹の1Q84のブック1、ブック2をすべて読み終わった。今はブック3が四月に出ると知っているから、まあこの終わり方でも理解できるが、去年発売されてすぐ読んだ人は、何とも放り出されたような気がしただろうと思う。僕なりの感想を述べて行きたいと思う。読んだ周りの方々の反応は今ひとつだったが、僕としてはやっぱりとても楽しめた。まずこの小説は、海辺のカフカとは全く違うタイプの成り立ちを基礎としていると思わせる。「僕」の立場では目線を設定せず、第三者が二人の若者を見る目として進行し、二つの人生が代わる代わる語られる。しかし低いところでは他の作品と共通するテーマを感じることができる。てんご(30歳男性)はいろんな奇妙なことに巻き込まれながらも、未来に何かしら明るい展望が待っているように思わせる。自分でも確信できなかった自分自身の才能を開花させる手立てを探り当てて行き、何かの流れに導かれて何処かに辿り着こうとしている。それに比べて青豆(30歳女性)は、彼女の本当の心情が語られることのないまま話が進み、タフでクールな青豆さんを演じ続ける。しかし実のところ、ずっと前から、証人会にいた子供のころからすでに死を受け入れていたのではないか。てんご、青豆、老婦人、タマル、つばさ、あゆみ、これらの登場人物が共通して抱え込んでいるテーマがあるのではないか。 つづく
2010.02.10
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・2.8.月午後のグループレッスンでは、風邪引きやいろいろな用事でお休みがたくさん出て、二人だけの出席となった。そのうちのお一人もまもなく子宮筋腫の手術を受けられるとのことで、しばらくお休みとなる。去年もお二人手術を受けられた生徒さんがおられたが、皆さん病院で手術を進め続けられても何年も拒否しながら、他の様々な治療で頑張って来られて、結局は筋腫が大きくなりすぎて危険が伴うまでになり、摘出ということになってしまう。東洋医学でもっても、これを小さく保って閉経までというのは難しいようだ。何とかその原因を探ることはできないのだろうか。その後混声合唱団。バスパートに新しい方が入団され、すでにしっかりした声で歌われていた。新しく渡された楽譜でも、初見でほとんど完璧に音を取られることに驚く。子供のころからピアノなどを習っていたか、専門の勉強を若いときに受けたかのどちらかであろう。帰りは全く寒さを感じなかった。
2010.02.08
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・2.6.土朝の女性合唱団の練習は30分早く切り上げて、そのまま皆で「木曽路」へ移動して遅い新年会を行う。僕が座った席の周りでは、ご婦人方の姑についての論議で盛り上がる。その後向かいにある「さと」に移動して、抹茶パフェを食べながら団のこれからのことと、今までの出来事について長くしゃべる。話の中に出て来る女性通しの間の僕たちには見えない様々な角質、意識の持ち合い、空気の読み合いは、いつもながら複雑極まりなく溜息が出るばかり。暗くなる前に何とか家に辿り着き、6時半からのNHK「獣の奏者エリン」を見る。物語の民俗学的な政治的男性たちの思考、1Q84での文化人類学の観点からの人間の潜在意識、そしてご婦人方の頭のどこかを機敏に働かす独特な思考能力。それらの人間という生き物の逃れる事のできない生態系が交錯して、一日が暮れる。
2010.02.06
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・2.5.金先週今週と続けて朝の女性合唱団で、今CAにお見えの最高年齢者と最低年齢者の二人の生徒さんを紹介する話をした。9歳と87歳の二人の女性。二人とも与えられた曲、課題に対して家で相当努力を重ねていることが見て取れる。彼女たちの音楽に対する情熱と精神について賞賛することで、明らかに一度も楽譜を開かずに練習に来られている団員さんへの皮肉だったが、そういう意味では伝わらなかったようだ。午後は何もなかったので、阿波座に寄ってCD録音の曲の練習を行う。その後混声合唱団。何とも冬らしい寒さの中帰宅。やはり冬は耳がちぎれるような寒さがないと、何だか気持ち悪い。
2010.02.05
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・2.3.水昨日の午前中には心斎橋のカットショップ。その後阿波座にて9歳の女の子を含むグループレッスン。レッスン中に窓の外で、暴走族のような連中のバイクのアクセルを吹かす音がけたたましく響き渡る。そのままずっと窓の下を離れようとしない。レッスンしていても煩くて何も聞こえないほど。皆で窓を空けて下を覗き込む。よっぽど「おい、おまえら!煩い!はやくどこかに行け!」と上から怒鳴ろうかとも思ったが、おかしなことになっても困るし、生徒さんたちに迷惑を掛ける訳にもいかない。じっとどこかに行くのを待っていたら、やっとバイクを走らせて行った。窓から顔を出していた9歳の生徒さんが一言「全く最近の若いもんは」と呟いた。今日はアンサンブルクラスのオペラ場面の練習を、発表会会場であるプチエルにて行う。皆さん衣装を付け、小道具も揃えての練習。あっと言う間に三時間半の練習時間が過ぎ、慌てて帰り仕度。
2010.02.03
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・2.1.月朝のテレビのニュース番組で、埼玉と鳥取で相次いで発覚した35歳の女性による連続殺人事件のことを、久しぶりに報道していた。この二つの事件は、裏の何処かで繋がっていると僕は以前から感じていた。彼女たちの後ろには、やり方を示唆する者たちがいて、それらをビジネスとして計画している。まあこれは僕のただの妄想なのだろうと僕自身も何処かで思っていたが、その番組中キャスターの男性が「私たちは事件の結果だけ、その表面のことだけを報道して来ました。しかしその根本にある問題、表に出て来ない一番大事なことを報道出来ずにいます。小沢さんのことにしてもまたしかり」と短い時間に呟いた。(彼がどう言ったかは憶えていないが、大体の内容はそういったこと)スタジオの周りの者は黙って何も言わない。そして一瞬のこととして次の話題に移った。勇気あることを言うものだと僕は感心した。おそらく彼の周りにも、彼を守ってくれる者たちがいるのだろう。その水面下の力関係は、想像を絶して複雑で入り組んだ世界なのだろうと想像した。でも彼の言う通り、その根っこを断ち切らない限り一般庶民への被害はなくなることはない。そしてこの国の無駄使いも。しかしそれらがなくなるということは、この国の船底がなくなるということでもある。資本主義社会では、無駄こそが国を動かすガソリンだと何処かの本に書いてあった。内需の洗練化。午後のグループレッスンに見学の女性が見える。初めて歌を始める時には、いろんなことにドキドキするものだろう。期待とプライドと不安とが入り混じる落ち着かない感情。いざというときにはすたこらと逃げることも視野に入れて。新しい世界に慣れるまでには少し時間が掛る。夜は混声合唱団。先生が今日はお休みだったので、僕が一人で指導に当たる。ここでもまた新しい見学者がおられた。
2010.02.01
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