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・4.30.金朝の女声合唱団に新たな団員さんが加わる。僕がまだその団で指導を仰せ付かっていないころのことだが、その新団員さんがご主人の転勤で関東に移られて退団された。数年後また関西に戻ってこられて、さて以前の団に戻って楽しく歌を再開しようと思ったとき「今こられている指導者は恐ろしく怖くて厳しいわよ!」と誰かから聞いたという。それで二の足を踏んでおられたらしいが、今日見学に来られて即入団下さったということだ。僕はそんなに鬼のような指導者で通っているらしい。普通なら嫌がるところだが、僕は何だか嬉しい。昔から「茶木君っていい人ね」と男女問わずからそう言われていたことが内心いやだったので、人から恐れられると嬉しいのだ。その後鶴橋に行って買い物をする。明日、東京の大学に今年から入学した男性の生徒さんが、ゴールデンウィークを利用して関西に戻ってこられ、阿波座教室に顔を出して下さるということで「来た時に鍋をしようと思うのだけれど、何鍋がいい?」と尋ねると「キムチ鍋がいいっす」と答えが返って来た。よろしい!やったことないけど、キムチ鍋をやってみよう!ということになった。キムチ鍋をするには、まず美味しいキムチ、ということで、今日スタッフと共に鶴橋に寄って美味しいキムチを買い求めることとなった。その前に、その生徒さんに以前教えてもらった煮干ラーメンを食べて腹ごしらえ。やはり煮干の出汁が何ともうまい!その後コリアタウンに入って、いろんな店を物色。この民族的な空気が未だ厳然と存在するこの市場が、僕は大好きである。JRと近鉄の線路が入り乱れるガード下に、まあこれほどの店がよく巧みに並んだものである。戦後日本人も、至る所にこのようなバラックの店を出して商売をしていたのではないか。そこには絶えず人々が集い、途切れることなく活気を見せていたのだろう。もちろん僕はそんな情景を見たことはないが、そのころの雰囲気が何となく未だ残っている懐かしいような感じ。このような狭いところに皆が集うことは、アジア人の習性ではないのだろうか。幾つものキムチ専門店が並び、店先でチヂミを焼いて売る店、韓国風寿司を売る店が続き、美味しそうな匂いが漂っている。狭い通りは多くの人々でごったがえし、うまく前に進めないほど。ここに集う人々は今や在日の人だけではないはずだ。心斎橋の大丸新館(元そごう)が見習うべき光景である。そんな中、常連客が群がるキムチ専門店を見つけ「キムチ鍋をしたいのだけれど、どれがいいかな?」と店員の女性に尋ねてみる。「うちのキムチを鍋なんかにはしないで下さい!」と叱られるのではないかと恐る恐る尋ねてみたのだけれど「鍋にするのなら白菜の茎の部分ではなく、葉っぱのキムチを使って下さい、その方が出汁がよく出るから」と親切に教えてくれる。言われた通り葉っぱを漬けたキムチを買って、その足であべのの音声学の耳鼻科に寄る。今日は病気の診察を受けるためではなく、抜け出せないスランプに対してコメントをもらうためである。必ずいつも声帯を見て「こういった悪い癖が付いているから、もっとこういう感じで息を使い、こういうイメージで声を出して歌ってみなさい。そうすれば、このように硬くなったこの部分の筋肉が開放されることでしょう」などという感じでコメントがもらえる。そしてそれはいつも大体において的を得ているのだ。ご自分は歌われないのに、声帯を見るだけでどうしてそんなことまで分るのだろう。そして、何度指摘されてもまた何時か同じスランプに陥る。言われて初めて自分が陥っている悪癖に気が付く。何十年やっていても、自分でそれに気付くことができない愚かさに溜息が出て、その後阿波座に向かう。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.30
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・4.29.木6月6日にある女声合唱団の定期演奏会があり、ソリストとしてゲスト出演に呼んでいただいている。その合わせのため、特別練習に参加した。人数の多い団で、皆さんすでにかなり気合が入っている。僕はまだ譜読みがおぼつかず歌えない。5月半ばにある合わせまでには仕上げたい。その後阿波座に向かい、CAC混声合唱団のアルトパート練習を行う。アルトパートには新しい団員さんが数人おられて、9月11日の定期演奏会で予定の曲の譜読みが追いついていないために用意した特別練習である。何しろ曲数が多いので、新しい方々は大変なご苦労である。その中に、最近入団された全盲の女性がおられる。彼女は練習を録音して、それだけを頼りに耳で音を覚えてほとんど完璧に歌われている。おそらく家で録音を穴が空くほど聴かないと無理だろうと思えるほど、難しい曲ばかりなのだ。彼女は楽譜を読めないので、かなりの時間を割いて練習下さっているのだろうと感動する。楽譜を読まずに音取りをするということは、練習を録音したものから、メロディーと歌詞とを同時に覚えてしまわなくてはならない訳で、大変な集中力を必要とすることは、僕もよく知っている。夕食がまだだったので、練習後スタッフと共に、先日ランチを食べた改装された店に寄ってみる。休日にも関わらず営業していた。夜のメニューもやはりとても美味しい。良い店を見つけて、ハッピーな気持ちで帰宅。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.29
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・4.27.火午後のグループレッスンの前に、阿波座教室の近くに新しく改装して、昼のランチを始めた店に行ってみる。定食のエビフライと五穀米。エビは薄い衣にプリプリで新鮮、その横に手作りのタルタルソースとサラダ。味噌汁が欲しいところだが、なしで700円。良い素材を使っているようなので、700円で出そうとすると仕方ないかと諦める。どうやら調理をしているマスターが酷いアトピーであるらしく、素材を吟味したものを出しているようである。とりあえず、メニューは全部制覇したいと思う。午後のレッスンの後、CD作りの機材とホールのことで発生した問題を解決すべく奮闘する。あっと言う間に夜のクラス。昼夜ともに外は酷い雨の中、皆さん集まって下さるご苦労に胸を痛める。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.27
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・4.24.土朝の女性合唱団に、間もなく控える本番の主催者が見えて演奏を聴いて帰られる。プログラムすべてを演奏し終わっても、主催者からのコメントはなし。「それでは当日よろしくお願いいたします」とだけ言って部屋を出て行かれた。何の感想もなくその場を去られたことに、皆団員は多少傷ついたのではないだろうか。そこで、僭越ながら僕がいつも持っている演奏者の演奏に対する姿勢について述べたい。世界を飛び回る有名演奏家も、地域で活動する小さなアマチュア合唱団でも同じ演奏者である。音楽の女神は平等に演奏に耳を傾けてくれているはずだ。そこに音楽的情熱と思念が生じていればということだが。そして演奏者たるものは、誰か他人のために演奏するのではなく、自分のために演奏できるべきではないか。昨日よりも今日、今日よりも明日と限りなく自分の納得できる演奏を探し求める(本来自分で納得できる演奏などが存在しているということ自体が間違ったことなのだが)そしてそれが他人に受け入れてもらえるかもらえないかは彼らの問題であり、我々の問題ではない。それに大概聴き手の耳など、信頼の置けない怪しい対象なのだ。万人に賞賛される演奏などありえないし、そんなものが有っては音楽というもの自体がとてもつまらないものということになる。人々は有名な演奏家はすばらしい演奏をするにちがいないのだと思って聴いているだけなのだ。それに、技術だけが音楽ではないはずだ。ということで、演奏とはとても孤独な作業であり、他人とではなく、自分とのコミュニケーションということになる。どんなに背伸びをしても今の自分にできることは決まっているし、無い袖は振れない。もし他人の評価など全く気にせず、今の自分を堂々と演奏できれば最もすばらしいことだ。繰り返しになるが、技術だけが演奏ではないはずだ(世間ではそれは通らないのだが)。午後からはNSK混声合唱団。10月2日に控えたファンドレイジングコンサートを前にして、譜読みの進んでいない曲が結構多い。譜読み練習が続いて皆さんお疲れのことと想像する。まあでも仕方ない。すべては譜読みが始まりなのだ。その後心斎橋の鍼灸院。本来今日は18時で営業は終わり、その場を使って研修会が行なわれることになっているらしいが、無理を言って18時からの診察をお願いする。風邪が終わりかけであるが、咳に降り掛けているので、何とかしてもらいたくての訪問である。僕が入ったブースの外では多くの若い鍼灸医が集い、いつも我々を診察してくれる先生たちが講師としてその指導に当たっていた。普段では聞く事のできない鍼灸医側の思いや、複雑な頭の使い方の話が聞けて、それはとても興味深いものだった。習う方も教える方もとても楽しそうに治療方法の話にのめり込んで、集中した研修会が続いた。皆があれほど夢中になり、それで人々を助けることができ、なおかつ仕事になる。今のご時勢、大した稼ぎにはならないという噂であるが、それでもすばらしい分野だと、専門的なことは分らないまま僕も話に夢中になった。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.24
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・4.23.金昨日は午後の奈良クラスの後、かなりの強い雨だったので、スタッフの車でそのまま阿波座へ向かう。水曜日あたりから風邪が酷くなり、鼻水とくしゃみで頭がボーとして眠い。車での移動は助かった。夜はCAC混声合唱団。9月11日に決定した第一回定期演奏会に向けて、まだ譜読みの終えていない曲に取り組む。今日起きるとすでに風邪は随分ましに感じた。元々喉は全く痛くないし、咳も出ないのでこのまま喉に降りずに終わることを祈る。朝昼晩の一日。夜河内長野の駅から、いつもの22時のバスに乗る。住宅街の最寄の停留所で降りて数歩歩いたところで「お手伝いさせて下さい」と若い女性に声を掛けられる。「それではお願いいたします」と腕を持たせていただく。彼女は全く初めて話す人だ。「今学校の帰りなんです。部活が遅くまであったもので」「どこの学校ですか?」「堺東の高校です」「高校生!?こんなに遅くまで何の部活?」「柔道をやっています、今は三年生なので、一年生への指導が多いですけど」「そこは公立ですよね、地区の者でなくても通えるんですね?」「はい、そこはちょっと特別な高校なんです。大学みたいに単位が選べて、専門的に勉強できます、私は文系のものばかり取っています」「へー今はそういう高校があるんですね、羨ましいな、僕たちのころもそんな高校があればよかったんだけど。それで進学は考えているの?」「はい、でもまだ進路が決まっていないんです。友達はみんなもう決めているのでちょっと焦っています」「でもまだ三年生になったばかりだし、卒業してから1・2年考えてから受験したって構わない訳だし」「はい、そうですよね」なんていろんな話をしながら家の前まで送っていただく。彼女の家はバス停のすぐ近くなのに、随分遠回りしてくれたことになり感謝をする。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.23
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・4.21.水朝10時の予約のため、7時半のバスで阪大へと向かう。今回は初めてガイドヘルパーなるものをお願いしてみた。ボランティア団体にお願いして、有志のヘルパーさんを派遣してもらうのである。北千里線の山田駅で落ち合ったヘルパーさんは年配の女性(70代最初ぐらい)。さすが手引きに慣れておられる。慣れている方は、階段であろうがエレベーターであろうが、段差があろうがあまりいちいち声を掛けられない。そしてとても早足。しかし細かいところまで目を配り、決して無理なことはされない。2回目の診察で診察券も持っているので、スムーズに眼科の待合室へ。1時間待ってから、呼ばれて別の棟の検査室に案内される。誰もいないシーンとした建物で、案内人はカードキーを使って廊下の真ん中にあるドアを開ける。とても厳重なセキュリティー。「入り口に遺伝子臨床室と書いてありますよ」と興奮したようにヘルパーさんが囁く。彼女はとても好奇心の強い人のようである。そういう意味では、ヘルパーとしてまず自分では行かないだろうところに付き添うというのは面白い作業かもしれない。一つの部屋に入り、ベッドに横になり特別な検査。視神経にある光細胞なるものの機能が、どれぐらい残っているかを調べる検査だそうだ。検査を終えてまたもとの診察室へ。そこでドクターのお話。「今どうこうと言うことはできませんが、これでその時期が来たら茶木さんにお声をお掛けすることができます」とおっしゃり、診察を終える。その時期というのは、人口網膜なるものの技術発展のことである。さていつのことやら分らないが、とりあえずやるべきことはやったということでヘルパーさんと食事に向かう。その時点で1時。10時から3時間の待ち時間ということで、前回よりは随分早かった。病院を出て周りを見渡してみても、食事のできるようなところはどこにもない。もう一度病院に戻り、別館の最上階にリーガロイヤルのレストランを見つけ、そこへ行こうと僕が誘うが「我々ヘルパーは食事を挟む際はその分と交通費は依頼者に払っていただくことになっているので、余り高いものは食べないようにと言われています」「大丈夫、リーガロイヤルなんて言っても多分大したことありませんよ」と僕が笑う。実際行ってみると、ランチが¥1000とある。その場で彼女は「¥1000ですよ!」と嬉しそうに飛び上がる。「安いね」と言って中に入る。でも味も¥1000だった。丁重にお礼を言って、また山田駅で別れる。その後阿波座に向かいアンサンブルクラス。やはり歩行を助けていただくと、一日の神経の疲れ方が全然違う。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.21
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・4.17.土朝は、本番を間近に控えた松原の女声合唱団の練習。秋の合唱祭に向けての曲も譜読みを始める。その後阿波座にてグループレッスン。名古屋からお見えになる生徒さんは、お子さんが熱を出されたとのことでお休み。お仕事を持たれている上、お子さんが小さいにも関わらず、何とか大阪までレッスンに来たいという思いは心打たれるものがある。一人の生徒さんがヨーロッパ旅行から戻られて、土産話を聞く。ウィーン・プラハ・ブダペストと回られたそうで、プラハの町並みの美しさやブダペストで偶然見つけたゲレルトの丘(今丁度ベートーヴェンの「ゲレルトの詩による六つの歌」を勉強しているため)に感動し、その縁に驚く。夜のグループレッスンで、新しい生徒さんが今日から参加された。今では土曜日のレッスンは、ほとんど教員をされている方々のクラスとなり、新しい生徒さんもやはり教師をされているとのこと。皆さん土曜日にしか時間は取れないためである。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.17
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・4.16.金朝の女性合唱団の後、河内長野に戻り駅前の喫茶店で人と会って話し合い。その後再び難波に向かう電車に乗り、奈良の混声合唱団。今日村上春樹の1Q84のブック3が発売されたらしい。朝のテレビで、本屋の前に行列を作っているファンの群れが紹介されていた。夜の0時に売り出されたそうで、すぐに買って喫茶店に入り始発までに読みふける人も多かったとか。関西では本屋に行列なんかできなかったみたいで、東京限定かもしれない。ブック1・2を読んで、ブック3を読みたいと思う人がそんなにも多いのだと驚く。昔から彼は、極めて偏りのある好き嫌いの多いだろうと思われる作家と思っていたが、こんなにも万人が彼の本を読みたいと思っていることが、何だか不思議に思う。本人も内心そう思っているのではないか。しかしまあ、今となっては彼の読者を引きつけるテクニックは名人芸である。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.16
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・4.15.木今年のうちに開催すると言っていたCAC混声合唱団、第一回定期演奏会の会場と日時が未だ決まっておらず、毎日焦っていた。もう無数の会場を当たってみたが、なかなか我々のニーズに会うホールがなかったのだ。公的な会場はすべて三ヶ月前の抽選となり、その抽選も当たるかどうか分らないのでチラシ作りが出来ないし、団員のスケジュールも決められない。私立の会場は、どこも料金が高く不適当となった。そんな中今日やっと一つの会場に思い当たり、昼のレッスンと夜のCAC混声合唱団の練習の合間にホール見学に出掛けた。少々狭いが、大概のことは我慢しないと他には候補の会場はもうない。夜の練習の際に、皆さんに日程のアンケートを取り候補日を幾つか上げる。今日から参加される新しい団員さんも見えて、嬉しい限りであった。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.15
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・4.14.水今日何かの拍子に、吉本新喜劇で活躍した岡八郎さんのことをふと思い出した。子供のころはよく土曜日のお昼のテレビで目にした。僕が20代前半だったころ、所属していた歌劇団事務所から回って来た仕事で、少年劇団のミュージカル公演のゲストで、今はなき中座で二週間の出演をした。顔合わせに行ってみると、ゲストは僕と岡八郎さんと池乃めだかさんだった。岡さんはカマキリ、池乃さんはカメ、僕は声楽の声が必要であるコウモリの役だった。演出家は相手が子供たちであるにも関わらず、練習中は怒鳴りまくりで、ピリピリした空気だった。岡さんと池乃さんが歌う場面もあり、僕がその指導を仰せ遣い、狭い部屋に三人で入って口伝えで歌を教えた覚えがある。もちろん二人は楽譜は読めず、池乃さんは常に真面目で前向きな姿勢であり、歌も懸命に憶えようと努力下さった。その反面岡さんは全くやろうという意思がなく、タバコを吹かして座っているだけだった。芝居もセリフも憶えて来ず、本番の前の日まで台本を持って練習に臨んでいた。池乃さんは早々にセリフも憶え、いろんな箇所の演技や表現方法やギャグをあれこれと考え試して練習に臨んだ。彼のとても真摯な仕事への心がけに感心したものだった。それに比べ岡さんは、何だか仕事自体が好きになれない、生活のために仕方なくやっているという感じだった。今から思い起こせば、丁度吉本大改造の時期で、自分の居場所を見失いかけていたころなのかもしれない。練習中もほとんど口を利かず、セリフも入っていないままおなじみのギャグだけで仕事を乗り切ろうとしている感じが見て取れた。数年前に癌とアルコール中毒と戦い、最後の舞台を開催するドキュメントをテレビで見た。検索してみると、2005年に彼は死去していた。何故かふと、練習中一言もしゃべらず、タバコを吹かしていた彼の顔を思い出したのだ。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.14
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・4.13.火先日ケーズ電気にて、阿波座教室にと浄水器を購入した。ずっとミネラルウォーターを買ってコーヒーを沸かしたり、ご飯を炊いたりしていたが、結局高く付くので張り込んで浄水器を付けることとした訳である。ケーズ電気で説明を受けた際に、この商品は分岐水栓の工事が必要ということでその分の費用も込で購入。午後に作業の男性が訪れ工事を行なう。さて取り付け可能な状態になってから、商品の箱を開けて「あれ!」と男性が叫ぶ。その商品は素人でも蛇口に取り付け可能なタイプの浄水器なのだ。ケーズ電気の店員が、商品のタイプを間違えて作業員を発注したことになる。長い時間を掛けて工事を行い、それをまた元に戻して、商品を取り付けて、手数料を我々から取ることもできず帰って行った。気の毒にも程があるケーズ電気側のミスであった。夜は9歳の女の子を含むグループレッスン。本人はいたって真面目に話しているのだが、余りにセンスとタイミングばっちりの面白い彼女の発言に、皆大爆笑。今年から小学校4年生となり、ますます絶好調である。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.13
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・4.12.月午後のグループレッスンで、全くよく似たプァッハのコロラトゥーラソプラノの生徒さんがお二人おられて、お互いの声を聴き合ってよい勉強ができる。悪い癖もお二人とてもよく似ていて、その響きを聴き合うことで分りやすい耳のトレーニングを行なう。レッスン後一人の生徒さんが新しく家を建てられるということで、長くお話をする。土地選びとハウスメーカー選びのことで、余計なアドバイスをしてしまう。8年前に、僕も35年ローンを組んで、一大決心して家を建てた。結果建てる前に三年間勉強した。しかし建てると決めた時にはすぐに物件に飛びつきそうになったり、メーカーや不動産の営業マンの笑顔に騙されそうになったりした。でも多くのハウスメーカーのモデルハウスを回ったり、不動産の人間に多く関わったりしているうちに、少しずついろんなことが分って来た。彼らは消費者を騙すことが商売だということである。そして彼らプロにとって、我々素人を騙すことは赤子の手を捻るより簡単なことなのだ。だからこちらも勉強しないとしょうがない。そんな風にしているうちに三年近くが経った。いろんなことが見えて来ると、なかなかこれぞという不動産もメーカーも見付からないのだ。そしてついにこれぞというハウスメーカーに巡り合った。木造住宅において、本気で住むものの健康に目を向けていること、良い素材をできるだけ安く手に入れる努力を怠っていないこと、無垢の木の利点を最大に生かして地震への高い防災を心掛けていること、消費者に対して決して嘘をつかないこと。そのようなこちらの条件を満たすメーカー。名前は知られていないが(宣伝を打つと、莫大なPR料が掛るため広告を出さない)20年保証が持てるだけには全国的に営業所を広げているメーカー。一世一代の大きな買い物に対して僕が懸念していること、10年20年経っても気持ちよく暮らしていけるだけの良い家を建ててほしい一心で、土地選びや良い家の規準について話した。でもまあ、余計なおせっかいであったかもしれない。僕もついついしゃべり過ぎてしまうのは、まだまだ修行が足りないせいである。夜は混声合唱団。このところ月曜日になるといつも雨が降っているような気がしながら、傘が風に飛ばされないように帰る。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.12
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・4.10.土松原の女性合唱団が市の文化祭に出演のため、朝いつもの公民館で練習した後松原駅前のゆめニティホールに出向く。以前団員であった今遠くの土地に引っ越された方が演奏を聴きに来て下さり、出演後お褒めの言葉をいただく。その後心斎橋のカットショップ。僕と同年代の例の男性美容師の担当。シャンプーを終えて席に着いている僕の所に来てすぐ「茶木さん!しばらくお会いしていなかったうちに、僕はえらいことになっていますよ!」と真剣な顔で言う。「いったいどうしたんですか?」と僕も慌てて尋ねる。「いや!今僕はついにクラシック音楽にはまっています」と大げさな口調。またか!と内心思う。カメラはどうなったんだ。批評家が書いているクラシック音楽についての本を読み漁っているらしく、結構専門的な知識もすでに持ち合わせている。「僕はブルックナーとマーラーが好きですね、そして何と言ってもベートーヴェン。彼らの音楽はロックに通ずるものを感じます。でも僕がクラシックを聴くようになってから、妻が嫌がるんです。とても疲れるっていうんです。ヴィヴァルディの四季を聴いていたときなんか真剣に怒りましたね。『その曲って、職場の朝礼の時に掛る曲じゃない!』って。」それから指揮者やオーケストラやオペラのことまで、根掘り葉掘り質問を受ける。しかしまあ、えらい懲りようだ。でも今の若い人には、好奇心が欠如しているという話を聞いたばかりであるが、彼のその好奇心の塊のような性格は、確かに興味深いものがある。そして美容師という分野に対しての好奇心も未だ深く持ち続けているその前向きさは僕の中で敬意に値する。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.10
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・4.9.金朝昼晩の一日。毎晩寝る前10分ほどの時間に、永山則夫の「無知の涙」を、考えた末結局聴き進めている。今、刑務所に入って一年目、すなわち20歳のころの日記である。日記のようにノートに毎日書き綴られた詩と一編の俳句。聴けば聴くほどその文章へのセンスの高さと、自己哲学に引き込まれて行く。もちろん常に彼の執筆は、間もなく自分に訪れる死がベースにあり、そこで開かれて行った一つの悟りのようなものと、自問自答からなる作品である。あるいは死を前にした獄中生活がなければ、彼の詩は存在しなかったかもしれない。作品は苦悩一色のものから、少しずつ多方面に広げられた繊細な感覚へと形を変えて行く。とは言え、彼に許された世界は怖ろしく狭い牢獄と、食事と入浴の際にだけ目にする刑務所内の庭だけだ。そしてその時にだけ顔を合わす他の囚人たち。そんな小さな世界の中で、何と広がりに満ちた詩的感覚だろう。囚人の著書というだけで終わらせていいのかとまで思う。その独自に切り開かれた独特な詩の世界は、詩人としての優れた能力を感じない訳にはいかない。でも充分な教育などというものは受ける機会はなかっただろうし、刑務所に入ってから読み漁った本から得た知識だけで、ここまでの文章が書けるものだろうか。彼の詳しい生い立ちと、自殺願望に捕らわれた10代を過ごす彼の心の内を何とかして知りたいが、現在の時点ではほとんど作品の中に説明は出て来ないし、検索しても事実の報告だけで、そこまでの個人的なことは記されていない。もっとこのまま聴き進めて行くしかない。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.09
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・4.8.木朝バスの中で、同じ住宅街にお住まいの男性(70代半ば)と話が弾み、南海電車に共に乗って、天下茶屋までご一緒する。彼は今から京都に出向き、一年に一回しか開かない御所の内部を見学に行くということ。彼が教育関係のお仕事をされて来たこともあり、今の教育の現状の話になる。橋本知事の方針で、ここの地域の小学校でもクラスをどんどん合併して、教師の数を減らす傾向があるが、少ないクラス人数で、先生の目の行き届いた授業がどれだけ大事であるかという話題になる。またまたうどん屋に寄ってから奈良クラス。今日初めて参加される生徒さんが見えて、声楽とは、トレーニングとはというような歌のレッスンを始める前の重要な話をする。今まで長く参加されて来た方々にとっても、改めて興味深い話だったと思う。その後NSK混声合唱団。新しい曲の譜読みを進める。曲に慣れて肩の力を抜いて歌えるようになれば楽しいが、譜読みの段階というのは全く苦しいだけの作業に感じるかもしれない。苦しみを突き抜けたところにだけ、本当の楽しみが潜んでいるということであろうか。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.08
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・4.6.火朝から大阪大学の眼科に出向く。天下茶屋から堺筋線で北千里行きに乗り、山田駅からモノレールに乗り換えて、阪大前。10時半の予約であったが、10時に到着。病院ロビーは天井が高く、ダウンライトの照明で薄暗く、病院という感じではない。その空間にものすごい人の群れ。待合ロビーに移ってから、三時間待ってやっと検査。幾つかの検査を終えてまた数時間待つ。それから若いインターンらしき男性に呼ばれ問診。それからまた検査。再び待合ロビーで待ってようやくドクターの診察。その時点で病院に到着してから6時間が経過。待合ロビーの人々は、一様にぐったりと待ち疲れた様子。「もう五時間以上待っているんですが、いつになったら診察でしょう?」と看護婦に苦情を訴える人も多い。呼ばれて入ったブースに、待ちに待ったドクターがパソコンの前。権威のあるドクターのわりに、60歳前だろうか、思ったより若い男性。僕の話に注意深く耳を傾けて下さり、真剣に良い方法を考えてくれる。永田先生と同様、やはり先天性の網膜色素変性とは少し違うと彼も判断。あるいは、網膜を専門に研究している者にとって、僕のような患者は興味深い対象だったのかもしれない。そういう感じの前向きな診察だった。また別の専門的な検査がしたいということで、二週間後にまたここを訪問することとなり病院を後にする。でもまた6時間以上待たされるかもしれないと思うとぞっとする。夜のグループレッスンを終えたころには、瞳を開いた薬も切れていたよう。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.06
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・4.5.月永山則夫死刑囚(1997年、刑執行)の著書「無知の涙」をデージー図書で借りて聴く。CD化されておらず、カセットテープが10本やって来て、古いポータブルのカセットレコーダーを借りて来て一本目を聴いた。これはどうやら彼が書いた小説ではない。毎日獄中でノートに記した日記を、一つの本にまとめたもののようだ。その日記は、いわゆる詩である。だから彼は小説家ではなく、詩人である。その文章に対するセンスと才能は、確かに優れたものだ。一言で言えば、後悔、自分への深い失望、そして死への巨大な恐れ。それらが何ともおぞましいほどの渦として、苦悩の日々を彼に強いる。聴いていると、何だか人の思念の仲に引きずり込まれていくような恐怖を感じる。これは余りにも特殊な思念だ。どうしてこの本が、27万部も売れたベストセラーになったのだろう。多分、1970年代前半だったからこそなのかもしれない。僕がこの本を読みたいと思ったのは、彼の貧困の中での子供時代、愛を受けることなく生きなくてはならなかった生い立ちを知ってみたかったからである。おそらく貧困だけでは凶悪犯は生まれないだろう。愛を受けることのできない幼児時代、少年時代が彼のような本来優れた才能と頭脳を持った人間を、凶悪犯へと歪めるのではないか。僕はそこを知りたい。しかしこの本がこの先そういった部分に触れて行くかどうか、今の段階では怪しい。彼はどうもその辺のことには触れたくないように感じる。僕にしても、この先聴き進めるかどうか、正直言って迷っている。午後のグループレッスンの後、混声合唱団。皆さん7月3日に予定の、第17回CAソロ発表会に向けて、曲を決めて行く。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.04.05
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・4.2.金朝の女性合唱団の後奈良に向かいNSKの運営委員会。その前に富雄の「風太郎」に寄って、お世話になった方へのお礼にと特製サブレの詰め合わせを買いに行く。これがまた抜群に美味しい。店のオーナーらしき年配の女性もすっかり顔を憶えてくれて、親切に声を掛けて下さる。その後学園前西部公民館会議室でのミーティング。秋のファンドレイジングコンサートの開催日と会場も決まり、具体的なプログラムや校正、広告やチラシ作成の話にと入る。夜は混声合唱団。帰り天下茶屋で久しぶりに「春眠暁を覚えず」の女性に出会う。彼女のお店(シルバーや他の金属で、指輪やインテリアをデザインするサロン)が20周年を迎えて、ずっと日曜日もないほど忙しいという話になる。「もちろんお店のオーナーがおられる訳ですよね?」と尋ねてみると「実は私がオーナーです」と答えられる。彼女自身も職人であるが、他の職人さんたちや社員の雇用を預かる社長であったとは驚いた。そういう立場である心労と楽しさについて話を聞く。「一番初めに茶木さんに出合った際に、電車の外ではものすごい雨が降っていて、私が『春は曙の続きをご存知ですか?』と尋ねたのを憶えておられますか?」と彼女は言った。そうか「春眠暁を覚えず」ではなくて、清少納言の「春は曙」だったんだと思いながら「はいよく憶えています」と答えた。よく考えてみれば「春眠暁を覚えず」の後に文章なんかは続かない。大きな勘違いだったが、彼女には黙っていた。
2010.04.02
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・4.1.木一昨日火曜日に時間が空いたので、奈良の永田眼科に検診に行った。もう三年は訪問していなかったので、そろそろ検診を受けた方がいいだろうとずっと思っていながら時間が出来なかったのだ。いつも人気のある病院で、三時間は待たされることが分っていたし、眼球を開く目薬で6時間は何も見えなくなるので、一日時間を空けて出かけた。三年前に診てもらった先生がいろんなアドバイスや、現在の医学状況など親切に教えて下さったので、今回もそのドクターを指名したために時間の融通が利かず、朝10時からの予約であり、7時に河内長野を出て、奈良西大寺の駅前で送迎バスに乗って10分ほど。閑静な住宅街の中にある永田眼科に到着。相変わらずものすごい人の量に酔いそうになりながら、さあこれから三時間!と思って腰を落ち着けると、名前を呼ばれ簡単な視力検査。その後すぐに診察室の前に案内されてソファーで待つ。あっと言う間に「茶木さん!診察室にどうぞ」という声で部屋に入る。来てから30分ほどしか掛っていない。検査を受け、以前一度起した緑内障が再び発生していないことを確認して、網膜色素変性症の進行状況を確認し終えてから「三年前に先生に診ていただいた際に、人口網膜の話をお聞きしましたが、その後開発状況はいかがでしょう?」と尋ねてみる。「いや、まだまだ進んでいないようですね、アメリカなどでは一般に手術を行っているようですが、結果余り効果的な視力快復には繋がっていないようです。日本では大阪大学が人口網膜の分野の権威ですので、一度そこのドクターに診察を受けていろんな情報を聞かれてはいかがでしょう?何かの時には有効なアドバイスもいただけるかもしれません。紹介状を書きますので、お待ち下さい」ということで、来週大阪大学まで出向いてみることとなり、とりあえず今日こんな遠くまで来た意味はあったものと考えることにした。でも常にできるだけ患者の身になって、励まし勇気付けようとする意思の見えるこのようなドクターは非常に少ない。予定していたより随分早く病院を出ると、静かな住宅街は暖かい正午の陽だまりに包まれていた。
2010.04.01
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