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・12、29日、水10月に講演に伺った中学校から、生徒さんたちの書いた感想文をまとめたものをいただいた。一年生から三年生まで全校生徒500人の中から抜粋されたものだが、今の中学生の明快で論理的な文才に驚く。今まで伺った学校でも、後ほど感想文を読ませていただく機会もあったが、それは時には当たり障りのない感想で本当に言いたいことを書かせてもらっていないという風も感じられた。しかし今回は生徒さんたちの自由意志で書かれた文章であることが見て取れる。まず驚いたことは、こちらが想像していたよりも遥かに演奏や話に耳を傾けてくれていたということだ。総勢500人、体育館で身動き一つせずに、椅子の上で生徒指導の先生に怒られないようにじっと息を潜めていたように感じた。しかしそれは、一曲一曲の内容や音、初めて聴く声楽に対する興味、僕の生い立ちから何かを感じ取ろうとする大人びた姿勢でもあった訳だ。そして多くの子供たちが紙の上で語っていた感想。「人生の上で大きな壁を抱えていたとしても、恐れや不安に負けず、自分のやりたいことに挑んでみる勇気」「人は誰でももちろんそうなのだが、特に障害を持つものは、やるべきことを一人で遂行することは困難を極める場合が多い。じゃあ周りの健常者はそれを手助けする義務があるのか?いやそうではないはずだ。障害を持つものは、全くあたりまえな自然なる人間関係の中で、力を貸してくれる友情に感謝して生きるべきである。そこに生じる人間関係には、すでに障害の有無は関係のない話であるはずだ」僕が言葉にはしなかったその二つのことを、彼らは演奏する姿勢と、僕の生い立ちを語る中から感じ取り、読み取ってくれていたのだ。それは想像もしていなかった結果だった。僕が思っているよりもずっとすでに彼らは人間的に成熟しているということなのだ。僕がやった講演に意味を与え、僕の歩んで来た人生に意味を与えてくれたのは、彼らの方だったのだ。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.29
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・12、27、月昨日日曜日は音楽ディレクター(トーンマエスター)のお宅にお邪魔して、長く滞っていたCDの最終編集を行なう。トーンマエスターはテレビ局のディレクターを仕事とされているので、その忙しさといったら並外れたものであり、僕もまたばたばたしていて、この秋をお互いあっという間にやり過ごしてしまったのだ。トーンマエスターは夜勤明けということで、会社から帰ってこられたまま駅で待ち合わせしてお宅に向かう。最寄の駅から山側にどんどん猛烈な坂を登り、一個の高級マンションに到着。この辺りは昔別荘地として栄えたということだが、この急な坂にある住宅街に現在住む人々の行き帰りは苦労の多いものだろう。斜面に建っているため、マンションの6階のベランダは上の通りと同じ高さとなる。彼は疲れも知らず、帰宅してすぐ午後1時から編集作業開始。すべて終了したのが11時半。お互い良いものを作りたいという一心で、妥協なしのあっという間の時間であった。気が付けば日曜日ということもあり最終電車が無くなってしまっていて、いろいろ電話して何とか市内のビジネスホテルを取ることができ一泊する。ディレクターというような仕事をされている方はタフで妥協することを知らず、長時間の作業にも根気良く取り組むことに慣れておられるようであったが、僕はいささかぐったりだった。今日はそのホテルから阿波座に向かった。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.27
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・12、25、土昨日レッスンの後心斎橋のギターショップに寄り、30年振りにフォークギターを購入する。次々と学校講演の依頼が来て、プログラムの中でギターを弾いて歌う趣向を入れるために、自分のギターを手に入れる必要があったのだ。ずらっとギターの並ぶ店内を見回っていると、中学高校とギターに明け暮れたころが懐かしく思い出された。初めてギターを買ってもらったのは中学1年の時で、新しい世界に足を踏み入れた嬉しさは例えようもない心持だった。店員さんに好みの音を伝えて、幾つかのギターを弾かせてもらい、モーリスのフォークギターを購入した。本当を言えば茶木ギターを手に入れたかったが、今や茶木ギターも有名になりかなり高額になるため諦めた。店員の男性が「ギターは久しぶりに弾かれるのですか?」と帰りに尋ねた。「はい、30年ぶりです」と答えたが、どうしてそんなことが分るのだろう。さてこれでゆっくりと練習もできるし、レパートリーも少しは増やさねばと思っている。今日は午後のNSK運営委員会の後、NSK混声合唱団の今年最後の練習。今日はいつもの広い部屋が取れず狭い部屋に詰め込みで練習したが、狭い部屋もそれなりに親密感があって僕は嫌いではない。来年は企画が目白押しなので、油断せずに精進したい。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.25
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・12、23、木いつも鞄に忍ばせて持ち歩いていたプレストーク(デージー図書の読書再生デッキ)が壊れて機能しなくなった。これは本来持ち歩くべきものではなく、重さも大型の聖書ぐらいはあり、おそらく鞄を置いたりぶつけたりするうちに壊れたのではと思われる。普通もっと小さなPTP1という携帯電話ぐらいの大きさのレコーダーにインターネットからダウンロードして、それを持ち歩くらしい。ところが僕の場合プレストークを国から支給してもらったので(実費で買えば¥80,000)、次の支給までは3年空けなければならず、その期限が来年という訳で、今まで大きなプレストークを持ち歩くしかなかった訳だ。しかしそれが壊れてしまったことで、電車の中や、眠る前の楽しみであった読書が絶たれた。急いで修理に出さねばならないが、ばたばたしてなかなか手続きが捗らない。今日の昼は本来奈良クラスであるが、部屋が取れなかったので皆さんに阿波座教室までご足労いただいた。いつもと違う部屋で皆さんの声を聞くと、また違った部分に気付くことができる。今皆で取り組んでいる発声の課題に、最近歌を始めたばかりの一人の生徒さんにも挑戦いただく。それはとても難しい課題にも関わらず、ある時ふと栓が抜けたように共鳴腔が開き、高音が嘘のように出始める。もちろん生徒さんの生まれ持った感の良さがものを言う訳だが、この泉を掘り当てたような感激が教えている側の何にも換えられない喜びである。夜はCAC混声合唱団。今年最後の練習、歌い納めである。今年は9月に初めての定期演奏会を大成功に終わらせ、10月にはNSKの演奏会をすばらしい歌声で援助した。めきめき実力を蓄えて、来年も新たな一歩を踏み出したいと意気込んでいる。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.23
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・12,22、水昼のレッスンの後に訪問客を迎える。一人の合唱団の団員さんと1万人の第九で知り合われたご家族が、僕に会うべくわざわざお越し下さったのだ。9歳の双子の男の子、それと1歳7ヶ月の男の子とそのお母さん。9歳の双子はどちらも全盲で、そのうち一人は足にも障害を持っている。苦労して阿波座教室の階段を登り、部屋に入って来ると元気に挨拶。子供たちは人見知りすることもなく天真爛漫。お母さんがこれに輪をかけて明るく元気。彼らはNSKの取り組みの話を聞き、是非参加したいという意思を持って僕に話を聞くべく来られた。何度か1万人の第九にも家族で参加され、子供たちも聴き覚えでほとんど全部歌うことができるという。これが第九の優れたところで、一度歌えるようになればどこの演奏会にも気後れせずに参加することができる。是非是非一緒にやりましょう!と話は盛り上がり、打ち合わせて解散。車に乗り込む家族を見て、お母さんのパワーに頭が下った。お母さんは末っ子を胸に抱いて、足に障害のある方の子を片手で支え、なお大きなかばんをさげ、後から来るもう一人の子を言葉で誘導して道を進む。それでなおいらいらもせずに朗らかに笑って全員を車に乗せた。精神的にも肉体的にも強さを備えていないとできないことだ。このご家族と、春からの練習でお会いできることが心から楽しみである。夜のレッスンでは、ずっとCAでレッスンに参加されて来た生徒さん(19歳男性)が久しぶりにレッスンに見えた。彼は声楽を学びながらも作曲が自分の道であると定め、現在東京の大学で作曲を勉強している。実家に戻った時には顔を見せて下さり、大学の副科で専攻している声楽のレッスンで歌っている曲を持って現れる。今日は大学の試演会で演奏された、自分の作曲した曲を録音したものを聴かせてもらった。金子みすずの詩に作曲された歌曲で、それはすでにとても立派な一曲であった。彼が声楽に好んで関わって来た成果は、必ずや彼の将来の仕事に反映されることだろうと感じた。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.22
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・12、21、火朝昼晩のレッスンで、今皆で取り組んでいる課題について質問をする。最近思ったのだが、僕はまず今から取り組む課題について何を目的にこの課題を提案し、そのための手立てをどのように講じるかを説明してレッスンに入っているつもりだが、ひょっとして皆さんはそれを理解して下さっているのかが不安になったのだ。毎日各クラスで尋ねた結果、僕の説明が正確に伝わっている例は極めて少ないことが分った。皆さん僕の説明をメモして下さっているのだが、文面だけを捉えようとすると確かに分りにくい。これは確かに僕の説明が入り込んでいて不完全であることが原因のようである。例えばジムで幾つかのマシーンを使って各筋肉をトレーニングする場合、今このマシーンで自分のどの筋肉を強化しているかが分っていないと、集中した密度のあるトレーニングは出来ないのではとも思う。そういう意味で、僕の皆様への説明に改良の余地があるのだろうと考える。本当のところ何を言っているのか全く分からないが、何となく有り難いと感じているお経のようになっては大変だ。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.21
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・12、20、月いくらパソコンの前で腕を組んで思案しても、日記に書くネタが浮かばない。今日僕がやったことなどそのまま書いたって、何も面白いことはないし、レッスンに訪れた生徒さんから驚くべき話が聞けた訳でもないし、今日ついに何か哲学的な結論が出た訳でもない。このように平凡な日常の中で、帰宅後の少ない時間の中でどうしてせっせと日記を書き続けるのかと尋ねられることもある。やはり僕は文章を書くことが無類に好きなのではないだろうか。それがしがない日記であっても、何かしら書いているととても落ち着く。おそらく音楽でも、文章でも、何でもいいから何かを媒体として自己を表現していないと生きていけない人種なのだ。だから日記も誰かのために続けている訳ではなく、全く自分のためのものなのだろう。さて、ネタがなくてもとりあえずこれだけの文章が書けた。何とか逃げ道はあるものなのだ。満足して眠ることにする。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.20
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・12、18、土朝の女性合唱団の後、阿波座でのグループレッスン。レッスンが終わると急いで用意をして京都に向かう。NSK第九を歌う会の取り組みで、京都命輝けの主催者の方々とミーティングのため京都駅の京阪ホテルの喫茶室で待ち合わせ。来年9月25日に第二回NSK第九を歌う会の演奏会が決定し、間もなく参加者募集に掛ることになっている。京都命輝けの方々は、我々と同じ取り組みの大先輩で、今回も様々なアドバイスとご協力をいただいている。初心者練習開始は4月2日で、約15・6回ほどの練習で舞台を踏んでいただくこととなる。第五パートの練習も同時スタートで、また新しい人たちとの出会いを期待している。演奏会の第一部では、童謡唱歌メドレー「いつの日か」という源田俊一郎さんの編曲のものを演奏する予定。この分の第五パートの楽譜も、一人の運営委員の手により完成されている。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.18
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・12、16、木昼のレッスンに来られた一人の生徒さんから古い知人の話を聞く。知人は病院で癌と診断され、後余命数ヶ月と宣告された。しかし一人の鍼灸師の治療とアドバイスを頼りに、一切病院の治療は受けずに癌と闘っているという。それで病院が宣告した余命を半年以上超え、今なお元気に仕事を続けている。その話を聞いて、先日日記に書いた話題が突然身近に迫って来て困惑した。自分がその立場に置かれたとして、病院の治療を一切拒否して病気と向き合う勇気があるだろうか。東洋医学の可能性にそこまで掛けることができるだろうか。もちろんその鍼灸師がどこまで信頼のおける人物であるかという問題もある。鍼灸師として「今すぐ手術を受け、放射線治療と抗がん剤治療を受けなさい」と自分のやって来たことを自ら否定する決断を患者に言い渡すことも勇気である場合もあるかもしれない。しかし過去には世界中で鍼治療で癌を克服した例があるらしい。西洋医学の治療とは、板にこびりついた餅をナイフでそぎ落とす行為であり、東洋医学では長い時間を掛けてお湯でふやかして少しずつ餅を板から剥がして行く作業という違いであると聞いたことがある。知人が掛っている鍼灸師に、さてそこまでの力があるかというところが気になる部分だ。でもとにかくそう決めたのなら、天が味方することを祈らずにはいられない。夜はCAC混声合唱団。年明けには新年会を企画していて、会場は僕が度々昼食を取る阿波座の新しい店とした。どうなるか楽しみだ。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.16
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「最近はボヤキの内容ばかりですね」と読者に言われるかもしれない。でもこれは僕がおじさんになったからではなく、世間の矛盾に今まで気付いていなかったからだと思いたい。僕が最近度々面疔を作っているので、一人の生徒さんがご心配いただき肝臓の検査を勧めて下さった。この生徒さんは若くでご主人を癌で亡くされているので、出来物や腰痛などに敏感に反応されるのだ。生徒さんのお気持ちがよく分るので、すなおに午前中に阿波座にある内科に出向く。診察室に入り問題を説明。「肝臓に関係して他に気になることは?」と尋ねられたので「腰の具合も悪いです、整骨院にも行っていますが、今回はなかなか治りませんね」と説明。その瞬間から年配のドクターは激昂しだす。「そういうときは整骨院ではなく整形外科に行きなさい!整骨院にレントゲンが撮れますか?整骨院にデータが作成できますか?全く冗談じゃない!いいですか、整形外科に行かねば意味はないんですよ!」僕は「ああまたか」と内心思った。医者は東洋医学の名を聞くと、皆揃って激昂するのだ。僕は黙ってドクターを睨みつけていた。「そんな風に言う貴方は、正しい整骨院なり鍼灸院の治療を受けたことがあるのですか?そういった体験もなしに目の敵にしているのなら、貴方は研究者、医者の資格はない。貴方たちは検査して薬を出すことしかできない。少なくとも向こうは手当てすることができる。貴方たちは人間や自然の元ある力を無視して、機械を通して目で見るものしか信じず、必ず副作用を伴う化学的に作った薬を投与する。言い換えれば化学の奴隷だ。でも東洋医学にだって限界はある。彼らは人が病気になることを防止する努力をする。それでも現代の食生活の中で難しい問題もある。例えば癌になってしまえば、西洋医学の恩恵を受けて摘出してもらうしかない。中耳炎や腹膜炎を起こせば、抗生剤を投与するしかない。そういう意味で、西洋医学と東洋医学が共に手を携えて、初めて医学ではないのですか?貴方たちが互いにいがみ合っている限り、我々患者にとっての手当てはない」と反論してやりたかった。そう喉元まで出た時に「まあまあ、マッサージに行っちゃだめということではないですから」と横にいた看護師が微笑んで場を和ませようとした。それで僕は憮然としたまま血液を抜かれ、診察室を出た。午後からも何だかむしゃくしゃした気分が残った。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.14
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・12、13、月昨日日曜日は第九の本番で、朝9時に家を出て11時に楽屋入り。リハーサルのスケジュールが一時間ほど押していたので、男性楽屋でバスソロの歌い手と世間話をして時間を潰す。リハーサルを終えてからまた二時間ほど待ち時間。いくらリハーサルが押していたとしても、我々の出番である四楽章まではまだかなりの間がある。バスの歌い手は血圧が高いことを防止するために散歩に出かけ、僕はまた持って来たデージー図書を聴いて時間を過ごす。大正13年、天候のために米の不作にみまわれ、地主に年貢をせめて半分にしてもらわないと皆小作人は餓死すると、村の若いものが集まって農民組合を立ち上げる相談をする場面。徳川時代まで農民たちは領主に奴隷のように扱われ、明治維新で徳川が滅びると領主制度は崩壊し、農地は解放されて土地売買が許されるようになる。この時点で農民は長く続いた苦しみから解放されたように見えたが、売買を許された農地はやはり金持ちにしか買い取ることができない。そこで結局地主が小作人を働かすという形となってしまった。収穫した米が7とすると、地主には5収めなくてはならず、一年を2で食べて行かねばならない小作人は正に水だけで生きて行かねばならない状態。食べ盛りの若者たちも揃って、鍋をしゃもじでぐるぐるかき回さないと麦めしが浮かんでこないようなしゃぶしゃぶのおかいさんで三度の食事とする。第二次世界大戦で敗戦してアメリカの手で区画整理されるまで、この地主制度は続いたという話。やれやれ演奏会はようやく第二部の第九の二楽章に入り、我々は着替えに入る。二楽章後に舞台に出て座ったままで三楽章に耳を傾ける。その時点で4時を過ぎていた。そして三楽章から四楽章。いつもながら不思議な曲だ。でも農業組合の小作人たちの思いや、水平社が生まれた思いを考えればこの曲も違った聴こえ方がする。それは決して政治的な要素ではなく、人間が目の前の巨大な運命を恐れず立ち上がる時のエネルギーを音にしたものか。ソロを歌う部分はほんの少しで、あっという間に演奏会終了。2010年もこのようにして暮れて行く。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.13
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・12,11、金本の中に出て来る誠太郎や孝二の祖母の人間性に強く惹かれる。70を超えたぬいは、長年乗り越えて来た様々な苦悩と喜びから肝の据わった度胸、百姓を通じて培って来た自然への向き合い方と感を備えている。たとえぬいが文字が読めなくとも、どんな学者にも計り知れない学問を身を持って知っている。「おばん」と呼び掛ける孝二や誠太郎「おばあはん」と微笑むふでの声にも、自然な敬意の響きが含まれる。「若い者は年長者を敬い従う、年長者もまた若者を慈しみ信じる」という老子の言うところの自然の摂理を見ることができる。この本は水平社ができるまでの成り立ちを描いた物語だと聞いていたが、水平社設立後の様々な活動や問題も描かれる。リーダーである村上秀昭が作製した決議文や、京都岡崎公会堂での全国水平社大会の呼びかけチラシに書かれた文章などを聞いていると、何ともこちらの血まで沸き上がりそうな躍動感を感じる。これらの文章は西光万吉が作製した文章だと思うが、人の心を奮い立たせ、そこに熱い血を滾らせる強い力を備えたものだ。全国300万の部落の人々を一つの意識にまとめ、一つ一つ自分たちの要求を表明し理解してもらうという作業は、並々ならぬ苦労が伴ったのではと想像する。いくら世間に恐れられようとも、権利の尊重、1000年以上人々の中に根を下ろした差別意識改革を押し進めなければ、いつまで立っても彼らの地獄はなくならない。にも関わらず、今現在水平社の組織は存在しない。何故なのだ。あれだけ人々の意識が活発に躍動した大正時代から、思想は受け継がれずどこで衰退し絶えてしまったことになるのだろう。その辺りの事情は、水平社博物館に行って尋ねてみるしかないかもしれない。是非近いうちに博物館訪問を果たすつもりだ。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.11
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・12、9、木奈良クラスの前にうどん屋。電車を降りて奈良の寒さに凍えた体も、うどんで充分に暖まったところでグループレッスン。その後夜のNSK混声合唱団までだいぶん時間が空くので、生徒さんを交えて食事に出かける。レストランは例によってベビーフェイス。全員ちょっと食べすぎで西部公民館に戻り、練習時間。今次のファンドレイジングコンサートに向けて練習している明治大正時代の文部省唱歌の中で、やや軍事的な匂いのする歌詞が出て来て僕はぎくりとする。文部省唱歌は当時軍国少年を育てるための歌詞を仕組んだものが大量にあり、ずいぶんそれらは削除されたが「冬の夜」という曲の二番にまだ残っていたのだ。文部省唱歌の場合、作曲者と作詞者の名前はほとんどの場合抹殺されており、その上おそらく政府の命令で軍国的な歌詞を盛り込ませたのではないか。それは作曲家、作詞家にとって何にもましての屈辱であったのではないか。僕がその歌詞についての不快さを団員さんの前で露にしたが、それについて皆さんそれぞれどう思われただろう。考え方や思想にはもちろんそれぞれのものがあり、僕の意向を押し付ける訳にも行かないが、国がやって来た横暴さはどうしても我慢できない。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.09
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・12、8、水午前中に一人の生徒さんと共に、あべのの音声学の耳鼻科に出向く。以前からこの生徒さんの声帯には、肉体的な問題を備えているかもしれないと感じていたからだ。CAに来られるまでずっと生徒さんは保育士を務めてこられて、声を聴く限りどうやらその職務中に結節を何度も作られてこられたのではと想像していたのだが、診察の結果予想に違わずその通りであったが、良い発声を身に付けることで問題なく歌えることができるし、うまくすれば歌うことで結節が消えることも期待できるとのことで安心する。だが問題はこれからのトレーニングにある。そこは僕に責任が掛って来る訳だが、気長に粘り強くやるしかない。その後阿波座にてグループレッスン。耳鼻科で僕も吸入をさせてもらって少し気持ちよくはなっていたが、今日は朝から何だか喉がいがらっぽい。日曜日の本番を前に風邪ではとも思ったが、どうやら先週ぐらいから黄砂が酷くなっているという情報を聞き、おそらくそれが原因だろうと考える。黄砂もやって来る度に含んでいる物質が異なるそうで、何を含んでやって来たかという点が粘膜にも大きな問題なのだという。レッスンに来られる生徒さんも、皆さん同じような症状で声の調子が悪い。いやはや、昔の歌い手たちは幸せだった訳だ。今よりもずっと敵は少なかっただろうから。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.08
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・12、6、月本のタイトルが橋のない川であるにも関わらず、物語の中に橋のない川は出て来ない。唯一第一部本の冒頭で、二人の少年の母(ふで)が義理の母(おばあさんのぬい)に向かって見た夢の話をする場面がある。日露戦争で死んだはずの夫が川の向こう岸で自分を呼んでいる。でも川に橋はなく、お互い上流から下流に走り回って橋を探す。でもそのうち夫はロシアの雪に埋もれて行くという夢。おそらく橋のない川は、彼らの前に横たわる社会的激流を表すのだろう。もちろん明治維新以前、明治天皇による部落解放令発令より前には、本当に村と村の間の川に橋がなかったと聞く。しかし明治四年の部落解放令とは正に絵に描いた餅であり、人々の意識は全く変わらないどころか、新しく定められた教育機関、学校での差別は凄まじいものであったと本は語る。校長、教師、クラスメートたち全体から受けるその凄まじいいじめを耐え抜いて誠太郎も孝二も尋常六年を終え、尋常高等科まで卒業する。皆充分な教育を受ける権利を剥奪されて来た上、明治の子は学校に行っても差別に耐え切れず退校するため、村のほとんどの人々が文字が読めない。そんな中文字の読める孝二たちを中心に、麻裏草履作りの仕事場で新聞の内容について社会情勢を語り合う男たちの哲学が展開されて行く。この村の人々だからこそ持ち合わせる、澄んだ目で見る我が国の政治に対する疑問である。しかし考えてみれば著者の住井すえさんは女性でありながら、男たちの心の動きを実に事細かく巧みに表現する。孝二が密かに心を寄せる普通村のまちえへの思いなど、何故女性にそこまで知り得るのかと思わせる部分がある。 つづく●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.06
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・12、2、木橋のない川を読み終わって、様々なことについて感想を述べたい。しかし残念ながらこのブログでそれらを述べることはできない。炎上し消滅することとなるだろう。何故か、それは本の中の時代と、実は何も変わらず今日も存在し続ける力があるからだ。それで、当たり障りのない部分で感想を述べるしかない。この物語の主人公と言える二人の兄弟、誠太郎と幸二の言わずとも通じ合う兄弟愛。そして彼らは其々に親友と呼びうる友を獲得している。その上誠太郎の親友は普通村の人間で、舞台となっている小森という字に何の躊躇もなく泊まりに来る存在。それに一緒に暮らす二人の兄弟の母とおばあさん(父の母)。著者は差別と貧困に喘ぐ生活の中で、何処にも負けない家族愛に包まれている設定を強調している。だからこそ誠太郎の友人(豊太)はこの村に引かれ、そこに人間の原点と根本を見い出すのだ。村の若者が入隊して、そこでも酷い差別の中で辛酸をなめる話が出て来る。彼は言う「人は一対一で向き合えば皆情のある心を持つ。しかしそれが群れを成したとき、不思議なほど惨酷にも非情にも成りうる。こちらが出生を隠したりすればするほど、彼らはそれをあばきたがりよってたかって辱めに掛る。でも一旦身分を隠さず大声で我が身を名のると、それ以上誰も何も言わなくなる。でも我々はどうしてもそれができずにいるのだ。だからついに我々は皆で力を合わし、団結して尊厳を守る行動にでなくてはどこにも行けないのだ」つづく●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.12.02
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