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・6.27.日 昨日今日と来日しているチャールズスペンサー氏との合わせを行なう。 CD録音予定の曲は16曲で、二日に分けて念入りに合わせる。 とにかく僕はCD録音は初めての経験で、一体どんな所に気を付けていいやら想像が付かない。 演奏会とは違い、もっと精密さが要求されるのかもしれない。 何度も録音を経験しているスペンサー氏も、心なしか神経質になっている。 現場に行ってから思ってもいない困難に遭遇するのだろう。 普通録音の場合は、楽譜を見て演奏する。 しかし僕の場合はもちろん楽譜が見えないので、全曲暗譜で臨むこととなる。 しかし音符の細かい箇所の長さや、楽譜上に書かれている様々な事柄、言葉の正確な発音、語尾の様々な変化まで、すべて完璧に暗譜するとなるとこれは大変なことだ。 正直に言うと、演奏会の場合は出きるだけの努力はするが、何処かに「客席にはそのような細かいところまでを聞き分ける人はいないだろう」という甘えが何処かにある。 しかしCDは誰が聴くことになるか分らないし、同じ曲を歌った経験のある人には間違いが分かってしまう。(有名人のCDでも、チェック漏れの間違いがそのまま録音されていることも多いが) そこがとにかく大変な作業である。 やってもやっても間違って暗譜してしまっている箇所が見付かる。 「録音なんだから、やり直しがきくじゃないか」と皆いうが、一曲で余り何度もやり直していても声が疲れてしまうし、時間的なスケジュールのこともある。 そのようなことで、きりがない状態で今日となった。 明日滋賀県に向かうが、もう「なるようになるだろう」という気持ちになっている。 ということで、数日間日記はお休みとします。 金曜日の夜には次の日記が書けるのではと思っている。
2010.06.27
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・6.23.水午後、夜のレッスン共に皆さん発表会に向けてのラストスパート。このところ皆さん大アリアを歌われる方が増えて来て、プログラムもそうそうたるナンバー。阿波座への行き返りに、従兄が録音してくれた村上春樹の「レキシントンの幽霊」を聞く。これは短編集であり、その中の「沈黙」という作品に引き付けられる。ある30代の男が、自分の高校時代のことを語る。同じクラスにいた同級生の男に対する嫌悪感。男はいつもトップの成績を取り、人望もあり、教師や周りの同級生たちからも好感を持たれている。そんな男がある時自分を執念を持っていじめに掛る。悪い噂を広げて、クラス全員に自分と口を利かないように仕向ける。男性は卒業まで半年間誰にも口を利いてもらえず過ごす。その長い時間は、正にこれ以上の苦難はないだろうと思える地獄であった。そこから彼が得たものは、どんな苦しみにも耐えられる能力と、最後までは決して人を信じない冷えた心であった。この短い小説の最後で男性が語る。「今となって残っているのは、その同級生の男に対しての憎しみよりも、彼の周りで真実を確かめもせず口車に乗って僕を無視し続けた者たちへの憎悪です。彼らは団体でしか行動できません。そして自分たちの行いによって、他人が刃物や銃で傷付けられるよりももっと深く負傷させ、死にまで追いやっていることを気付きもしません。ただ誰かが導くままに意味や理由もなく人の流れに乗ってしまうのです。そしてほとんどの教師も一緒になってその流れに同調します。そのような人々が、私の最も恐れる者たちです。人の心を巧みに感じ取り操るその頭の良い男は、そのようにして民衆を動かす術を身に付けて行きます。」そう、それが我々人間の団体となったときに目を覚ます性質。いたるところにそれは息を潜め、チャンスを見て獲物を一刺しにする。何よりも怖ろしい我々の潜在的弱さであり、一人一人が気付きもしない愚かな罪である。そのようにしてアウスシュビッツでの惨劇も起こった。村上春樹は、あらゆる作品でこのことについて問題を投げ掛けている。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.06.23
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・6.21.月昨日日曜日は、またまた「大草原の小さな家」の続きのDVDを観賞する。この物語には、度々インデアンの話が取上げられる。インデアンは西部劇ぐらいでしか観たことがないが、そこではほとんど悪者で、惨酷な部族である。しかしこのドラマではいつもインデアン側に立った目線を持ち、白人のやり方を非難している。アメリカ大陸では、いたるところでアメリカ人とインデアンとの血で血を洗う惨劇が繰り返されて来た。お互いがお互いの家族を皆殺しにし(小さな子供まで)、白人は多くのインデアンを縛り首にした。このドラマは1870年代の設定であるが、結果白人が主導権を持ち、インデアンは彼らに与えられたやせた土地の狭い区域に押し込められ、日々の食べ物にも困りながら生きている。インガルス一家とインデアンの偶然の関わりを通して、人は何故争い、孫の代まで憎しみを引き継いでいかねばならないのか。その無限の課題を問い掛ける。インデアンの子供に「お母さんを殺した白人は皆敵だ!」と言われ、彼らとは決して仲良しにはなれないことを知ったローラが泣きながらお父さんに問い掛ける。「なぜ人は殺しあうの?なぜ人は傷付き合うの?」と。「お父さんにもよく分らない、でも人は皆弱いからじゃないだろうか」と答える。しかしインガルス一家も含めた元々のイギリスからの移民の侵略が原因であることが重く悲しい事実である。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.06.21
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・6.19.土昨日も朝昼夜で疲れているにも関わらず、余りうまく眠れず今日の朝となる。朝の女性合唱団を終えて阿波座へ向かいグループレッスン。夜は前ふりコンサート。大雨が突然降り出す中皆さん集まっていただき、残りの8曲を説明を入れながら演奏。黄砂のせいか、花粉のせいか、悪い歌い癖が取れないか分らないが、数日前から高音が出にくく、今日もやはり調子はよくなかった。こういう時にはテクニックのことも含め、一つずつ原因を探って何とか本番に間に合わさねばならないが、これが精神的に疲れる。まあ一年中絶好調ということはありえないので、そんな中でも演奏を楽しんで終了。皆さん長い時間お付き合いいただいて感謝である。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.06.19
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・6.16.水午後から作曲専攻の友人に阿波座教室に来ていただき、9月11日のCAC混声合唱団定期演奏会で演奏する曲を編曲いただく。もちろんこの友人は完全な絶対音感を持っていて、コード進行などイメージでするする出て来る。幼児のころからの音楽教育がそれを可能とする。音というものすべてが、僕なんかとは全く違う聴こえ方がするのだろうなと思う。そのような音感は、歌い手にとっては邪魔になるという人もいるが、やはり有って損なものではないと僕は思う。歌ってみても、音程の感じ方自体に違いを感じる。ただピアノという楽器に支配された音感は困るが。夜はアンサンブルクラス。あるバリトン歌手の男性に今日からお手伝いいただき、幾つかの出しものを共演いただく。男性不足で思う演目がこなせないため、人を通じてお手伝いいただくこととなったのだ。来年年明けに予定しているアンサンブルクラス発表会が楽しみである。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.06.16
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・6.14.月また新しく「大草原の小さな家」のDVDを購入し、日曜日に観る。メアリーやローラも少し大きくなり、もう少し先にはメアリーの失明の巻が入っている。ドラマの内容からは、やはり多くのことが学び取れる。人間の潜在意識とも言える他人を蔑視する心、それを常に戒めている。肌の色の違い、生活水準の違い、生活習慣の違い、10年以上昔に起こった南北戦争の敵同士の憎しみ。とにかく様々なことで人は他人を蔑視し、排除しようとする。ただ子供たちだけが(親に何かを吹き込まれていない子供だけが)他人を蔑視する目を持たず、自然に人を受け入れて行く。そこから大人たちは多くのことを学ばねばならないと、ドラマは訴えている。そして背景にあるのは、彼らにとって正しい意味での信仰。金銭も欲も物もない、精神だけがある本当の信仰。神に向かって心を開き、自分のすべて(善も悪も)吐き出す好意が、自分を救うことになると語る。今日は午後のレッスンと、混声合唱団。一人の生徒さんを通じて、歌う行為がこの世にたった一つだけ存在する、人の奥底にある本当の姿を、五感で捕らえることのできる形にする手段であることを、改めて考えさせられた日であった。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.06.14
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・6.12.土今日は朝の女性合唱団の後阿波座に向かい、CD製作に向けての前ふりハウスコンサートを行なう。自分だけで練習して録音会場に臨むのではなく、自分の中で一つのけじめとして人前で歌ってみる、すなわち自分の尻を叩くという意味でCAの生徒さんに呼びかけて来ていただき、聴いていただくという企画である。多くの方がお忙しい中足をお運び下さり、16曲のプログラムのうち、8曲を今日演奏した。一人の方に僕が訳した詩を朗読していただき、今回選んだ理由や曲への思いなどを述べた。残りの8曲は19日の18:00からとなる。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.06.12
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・6.10.木今日も午後の奈良クラスと夜のNSK混声合唱団。奈良クラスは、ほとんどの場合西部公民館を使用できるようになって来た。それでもレッスンの前には、わざわざ菖蒲池まで出向きウドン屋。カウンターの隣の席に高校生らしき少女と、そのお母さんが店の奥さんと話していた。少女はどうやら不登校で、しばらく学校には行っていない様子。そこから朝テレビで言っていた中学生の自殺のことを思い出した。「友人をいじめから救い出せなかった、14年生きて楽しかった」という遺書を残して自ら命を絶った。学校という場所がカオスなのか、本人が安易に死を選び過ぎているのか分らないが、どちらにしても死んでしまっては何も始らない。それなら行きたくない学校などに行く必要はないようにも思える。友人と話していて聞いた話だが、今中国はものすごいバブルで、数億円の車や何百万の携帯電話を買う中国の男に「どうしてそんなに高い物ばかり買うんですか?」とインタビューしたところ「金なら腐るぐらいあるからね」と彼は応えた。他の国でバブルがはじけて皆地獄を見ているのに、人間はどうしてバブルの絶頂期にはその後のことが見えないのだろう。地球を破滅に導いているにも関わらず、車を乗り捨てることも、電気を一切使わず昔の生活に戻ることもできない現代人と同じことなのかもしれない。苦しいことにも終わりが存在するように、良いことにも必ず終わりがある。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.06.10
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・6.7.月昨日は富田林女性合唱団の40周年記念演奏会のソリストとして呼んでいただき、昼本番に合わせて9時半に楽屋入りする。リハーサルを終え、楽屋で他のソリストであるホルン奏者といろんな話をする。今の音楽事情から、さだ まさしの話まで。話は弾み、あっという間に本番時間。お客様の評判は知らないが、とにかく舞台の我々は楽しんで、また伸び伸びと演奏して終了。その後打ち上げに参加。一つの団が40年続くというのは、大変なことである。人間関係の問題もあるだろうし、お金の問題もある。それに家庭の事情をかいくぐって続ける根気のこともある。正に継続は力なりということだ。今日は午後のレッスンに、新しい生徒さんが見える。以前も紹介した、声帯に少々問題を抱えた生徒さんだ。長く無理な発生で歌ってこられた、その穴埋めをどれくらいの時間を持って可能とするか。正直言って、僕にも途方に暮れる課題でもあった。今日この生徒さんを見るのが三度目になるが、何とすでに大きな成果を見せて下さり、意外に早く取り戻せるのではと思わせた。何と言っても、本人の感覚の敏感さと根気が鍵である。この生徒さんは、それを持ち合わせた方ではと思った。夜は混声合唱団。今日は至る所で人身事故の発生する日だった。今日という日に、見えない何かがあるのだろうか。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.06.07
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昔僕がまだ小学生の低学年だったころ、家に帰って「今日~君の家に遊びに行って、お母さんにジュースとお菓子を出してもらった」と母に説明した。 すると母は急に泣いて怒り出した。 よその家に上がったりすると、僕が弱視であることが世間にばれてしまうということのようだった。 僕も子供だったので「そうか、僕の目が不自由なことは、皆には気付かれてはいけないことなんだ」と理解して大きくなった。 ということは、盲学校というところは世間から隠れて通うところなのだとも感じていた。 言葉に出さずとも、大人の胸の内は子供にすべて悟られているということだ。 もちろん当事者たちが必要以上に悲観的に考えてしまっているということもあるだろう。 でもそう思わせる何かが、歴史の中で繰り返されて来たからこそ、人々の心の傷がそうさせるともいえる。 そして僕は6年前まで、ずっと見えないことを隠そうとして暮らすようになっていた。 だからこれは決して母だけのせいではない。 視力が下り、ホームから落ちて大怪我をしたことを切っ掛けに勇気を持って(というかやむを得ず)白杖を持つようになった。 それが今から6年前。 しかしいざ白杖を持つと、何と楽なことだろう。 自分の本来の姿を隠しながら生きる必要はもうないのだ。 何十年背負っていた重い荷物が、肩から降りたような開放感があったことを憶えている。 僕の大学時代の在日韓国籍の友人が友達の家に遊びに行って、玄関口で「私は韓国人ですが、家に上がってもいいですか?」と尋ねたという話を憶えている。 きっと本人の親にそう尋ねるように言われていたのだろう。 とても悲しいことだ。 在日4世の若い人たちには、もう決してそんな思いをさせたくない。 僕がドイツに住んでいたころだが、今やドイツ人の若者も他の国の人と結婚するケースがとても多く、国内はいわゆる混血だらけになっていた。 「このままでは純粋なドイツ人は消滅してしまうのでは」と危惧する人もいた。 ヨーロッパは大陸で、すべての国々が陸続きだから仕方ない。 でも僕は、結局それでいいのではと思う。 いつか地球上の民族の違いがすべて消え、一つの「人間民族」となればいいのだ。 今の日本だって、その昔百済や蘇我氏のころに渡って来た朝鮮半島の人々で溢れた生活の中で、すでに皆混じっていった雑種なのだ。
2010.06.06
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CA関係者の生徒さんに、在日の韓国籍の方が数人おられる。その中のお一人に、今回帰化して日本籍になる決心をされた方がおられ、これを機会に名前の変更をすることを発表された。今までもそうだったし、これからも日本名で生きて行かれる。難しいことだろうなと思いながらもあえて「これからは仲間内では韓国名で呼んではだめだろうか?」と尋ねた。本人が自分は韓国人であるという認識でいる限り、どこに居ようと自分の本当の名前で生きるべきだと思ったからだ。本人いわく「在日の友人の間では韓国名で呼び合っています、でも日本の友人の中でそう呼ばれるのには抵抗があります、何故抵抗があるのかは自分でも分りません」ということだった。そっとしておけばいいものを、僕はわざわざほじくり返して当事者を多少なりとも傷付けているのかもしれない。しかし、考えてみて欲しい。彼らにそう思わせること、自分の名を名乗ることに抵抗を感じさすなどということは間違ったことなのだ!この生徒さんは40代前半女性であり、彼女の両親となるとこの日本国内でまだまだいやな目に合ってこられた年代だ。そして三世である彼女は、祖父母からお父さんお母さんに渡って一つのことを耳元でずっと囁かれて大きくなったはずだ。差別という言葉は好きではない。何だか役所の判子に掘られていそうな言葉だし、現実とは違った何かを含んでいそうだからだ。でも他に言いようもないのだが、例えばクラスの苛めのようなことを長い間国を挙げてやって来た訳だ。苛めを趣味にしないと生きて行けない者は低能者である。人間そのものが未発達で、無知なのだ。それがかつてのこの国と国民だった。そして今も・・・?結局、アメリカ軍の基地が沖縄から無くならないこともしかり。どうしても日本にアメリカ軍基地を置かねばならないのなら、国会議事堂の横にでも配置すればいいのだ。 つづく●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.06.04
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・6.2.水朝早く家を出て、知り合いの車で滋賀県、近江高島まで四人で出向く。6月の終わりにようやくCD録音を実行するが、使用するホールが高島の「ガリバーホール」という会場なのだ。琵琶湖の北の方のすごい田舎にあるホールで、あまり演奏会やコンサートでも使用されないようであるが、音響の良さで全国的に知られたホールで、関東からもCD録音に来る人が多いという。車でおよそ2時間掛けて現地に到着。正に琵琶湖の畔にぽつんと建った建物で、中を案内してもらうと、客席はおよそ500で、確かに音響はとても良い。録音当日音楽ディレクターを務めて下さる方が、前以て現場を視察しておくべきだと言われたことで実現した今日の訪問であった。同行下さった音楽ディレクターは、ホールだけでなく、機材を設置する楽屋や袖の音響も念入りに調査されていた。夜はアンサンブルクラス。高島から阿波座に戻って、余り休む暇も無く時間となる。一日が終わってみると、やはり結構疲れた。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.06.03
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・6.1.火一昨日日曜日は、6月6日に出演の合唱団の練習場に再び出向き合わせをする。夜22時からのNHK教育テレビのETV特集は、死刑制度に揺れ動き続ける一人の検察官の話。44年前、彼が30歳の時に担当した事件の容疑者との交流を通して、拭いきれない死刑制度への疑問を抱えての一生。業界では有名らしい「長谷川武事件」である。貧困の中で育った長谷川武被告(当時22歳)が、物取りのために忍び込んだ家の主婦に見付かりもみ合った上殺害。この検察官が彼を死刑の求刑へと押し進め、その後死刑が確定。その後検察官と被告との長い文通が始まる。長谷川被告が27歳で死刑執行されるまでの手紙が、幾つか紹介される。被害者への強い謝罪の気持ちと、死を持って償うことを望む心情、東京拘置所内で飼う事が許された文鳥の話などが綴られる。永山則夫と同様、事件を起こした時の彼らと、数年後の刑務所内の彼らは別人である。生い立ちの環境によって捻じ曲げられた彼らの何かは削ぎ落とされ、本来の青年にもはや戻っている。罪は罪として決して消えはしない。でもそんな覚醒した青年たちを、一体誰が刑場に連れて行けるだろう。世論のアンケートでは「死刑はやむを得ない」の答えが85パーセント。「人を殺せば、四の五のなく死刑」と僕も思っていた。でもこの番組を見て、そういった世論の考えは、容疑者の顔も人柄も生い立ちも知らず、ただ紙の上だけでの判断では?それらの死刑囚と充分に関わりを持った上で、彼らの刑執行に立ち会えるのか?そんな思いが沸き上がって来た。しかし反面、じゃあ何の罪もなく殺された被害者の人生はどうなる。本人の悔しさと、遺族の消える事のない悲しみはどうなる!という思いも同時にある。番組の検察官は、被告の人柄や思いや生い立ちに目を向けて来たが、被害者のそれらにはさして目を向けていないのでは?心底難しい問題である。長谷川事件は44年前のことではあるが、貧困が事件を引き起こす一つの要因であるとするなら、その根源の一つはこの国の政治であると考えられる。「罪を憎んで、人を憎まず」ということである。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.06.01
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