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・9,30、木怖ろしいことに、もう9月の最後の日を迎えている。この調子では、ふと気が付けばクリスマスだ。一日中気持ちの良い雨が空気を湿らせてくれた。菖蒲池のうどん屋に寄ってから、午後の奈良クラスのレッスン。その後阿波座に向かいCAC混声合唱団。10月2日の学園前ホールでの、NSK混声合唱団の演奏会への出演の曲目を練習。帰り練習に参加されている京都芸大学生のテノールの団員さんと話していて、今アレルギーで鼻の奥が詰まってしまい、響きが抜けずとても歌いづらいということ。いったいどのような対策が可能であるかという質問を受ける。それは多くの歌い手が大きな悩みとして抱えている問題だ。外にいる時、眠る時にはマスクを着用する。部屋に空気清浄機を置く。鼻の奥を洗浄して、いつも綺麗に保つ。胃の状態が悪くなるとアレルギーの症状は酷くなるので、注意する。耳鼻科で詰まった部分を空けてもらう(一時的なことではあるが)。ほとんどそれぐらいしか打つ手はない。薬を使えば楽にはなるかもしれないが、それなりのリスクもある。花粉だけが原因ではなく、ハウスダスト、黄砂なども影響しているだろう。食事による体質改善を考えることも必要なのかもしれないが、実際には難しい。全く、一昔前の歌い手にはこのような悩みは考えられなかったはずだ。土曜日の本番当日は朝早く集合で、明日は遅くまで奈良で合唱団指導があるので、明日の夜は、奈良の新大宮のビジネスホテルに宿泊することにしている。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.30
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・9,27、月昨日日曜日は、NSKの取り組みの一環で京都に出向く。かなり早めに出たのだが、また南海電車が人身事故でダイアが乱れ、京阪三条に到着したときは、約束の時間まで20分ぐらいしかなかった。仕方なくタクシーに乗ることとする。女性の駅員さんにお願いしてタクシー乗り場まで案内いただくが、改札からやたら遠い。二人で歩きながら、彼女は三つ葉タクシーという京都にしかないタクシーの話をしてくれる。「普通は車体に三つ葉の絵が画いてあるのですが、ほんの数台だけ四つ葉が画いてある車があるんです。もしそれに乗り合わせたら、幸せになれると京都では言われています。」「貴女は乗り合わせたことがあるんですか?」「いいえまだありません」そして二人で笑う。しかし僕が乗り込んだタクシーは、そんなかわいい話題のタクシーとは縁遠いものだった。運転手はドスの効いた剣のある声で「何処?」と無愛想に一言。それだけで僕はむっとする。僕も剣のある声で行き先を告げると「知らんな、住所は?えっ分らん?住所ぐらい知っといてもらわんと困るがな!」と説教される。「ごちゃごちゃ言わんと、とにかく烏丸御池まで行ったらいいんや!」と僕も声を荒げる。僕は京都では出きるだけタクシーに乗らないようにしている。必ずと言っていいほどいやな目に合うからだ。いつも不思議に思うのだが、どうして京都のタクシーの運転手は皆そろって横柄で柄が悪く無愛想なのだろう。まるで気が進まんが仕方なく乗せてやっているという風である。ひょっとしたら、昔男たちは皆同じ組織にいて、そこで落ちこぼれて揃ってタクシーの運転手に鞍替えしたのではという想像が頭に浮かぶ。もしくは、京都という町は狭い碁盤の目の中でバスしか交通機関がなく、どうしてもタクシーを利用しないと行けないところが多く、食いっぱげることがないため、まるで雑誌とテレビで紹介されて客が押し寄せるレストランのように、味がみるみるうちに落ち、態度だけが横柄になったのかもしれない。僕は京都に行ってタクシーの運転手にカチッと来たら、その場で声を荒げることにしている。できるだけ柄が悪く、強い口調で。でないと一日中気分が悪い。大阪のタクシーで、そんな思いをしたことはほとんど記憶がない。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.27
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・9,25、土朝の女声合唱団の後阿波座に向かい合わせをして、その後NSK・CACの合同練習を行なう。10月2日までの最後の練習で、エルおおさか地下のプチエルに皆さんお集まりいただく。なかなかすばらしい出来上がりで、満足して練習を終える。しかしいつものことながら、本番当日に向けて細々とした問題が持ち上がり、スタッフ一同疲れが見える。おまけに明日もNSK絡みの用事で京都まで行かねばならず、疲れが溜まりそうである。寝るまでの一時、1Q84を聞き進める。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.25
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・9、23、木阿波座に到着してから、ラジオを付けてニュースを聞く。ニュースは前田検事逮捕の話で長く時間を取る。彼の上司は彼の改ざんを知っていながら何もとがめなかったということで、事情聴取を受けるということ。今回のこの露見で明らかになったことは、今までも同じような組織ぐるみの工作が繰り返されて来たということではないか。おそらく何十年、もしくは何百年の間、検察に都合のよい改ざんとでっち上げの犯人作りが行なわれ、多くの冤罪が成立して、罪もない人々が刑に服して来たのでは。彼らの怖ろしい策略にがんじがらめになり、もはや逃れることの出来ないことを悟った人々は、巨大な力と、この国の隠れた恐ろしさにどうしようもない無力感を痛感していたはずだ。これこそが「想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。独り歩きするテーゼ、空疎な用語簒奪された理想、硬直したシステム」そのものだ。我々人間のもっとも恐るべき潜在的一面。午後に突然阿波座教室の部屋の電気機能がすべて停止してしまう。急に冷え込んで来たせいで暖房器具を使用していたせいか、激しい雨と雷のせいで停電したかどちらかだろうと思ってブレーカーを見に行くと「漏電ブレーカー」なるものだけが下りている。関西電力に連絡しても、今日は休日で会社はお休み。管理人や、知り合いの電気屋に相談の電話を入れて、ようやく原因が判明する。入り口外の外灯に朝からの酷い雨が侵入して、漏電を起こしたらしいということ。外灯のブレーカーだけを下ろして、何とか部屋の電気機能は元通り。夜のCAC混声合唱団の練習も中止せずに済み、ほっと胸を撫で下ろす。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.23
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・9,21、火デージー図書(視覚障害者用読書CD)の村上春樹「1Q84」のブック3がようやく録音完成となり、貸し出してもらい聴き始める。何度もライトハウスに問合せて「まだです、まだです」と何度も言われ続けてやっとの視聴である。あまり長く間が空いたので、ブック2までの話を忘れてしまったぐらいだ。ブック3からは、青豆と天吾の他に、二人とは言わば敵側の立場である牛河の項も増えている。彼がリーダーを青豆に殺害されたさきがけに雇われて、青豆の行方を探し求める様が克明に書かれている。これは面白い視点である。話の途中から、主人公を追い求める恐怖な存在であるべき者の側に立った心情や苦労が描かれて行くというパターンは、今まで見たことがない。今読み進んでいるところは、牛河がようやく青豆と天吾が同じ小学校出身であることを突き止め、二人の接点を掴んだところである。この時点では、話がどういった方向に行くのかは皆目検討が付かない。先を知らない者の期待としては、青豆と天吾の関わりを中心として、さきがけと文化人類学の先生(ふかえりの後継人)との関係、それらがさきがけをどう突き動かして行くのか。リトルピープルなるものが一体何を意味しているのか。それが青豆、天吾、ふかえりをどのような運命に押し流して行くのか。その辺のところがとても楽しみである。しかし予想とは全く違い、そんなところには重点を置いていないのかもしれない。今までの作品になくサスペンスの色の濃い話であるが、必ず長年にわたり村上春樹が温めて来た思想や怒りや自問自答や、問題の投げ掛けが隠されているはずだ。おそらく一度読んだぐらいでは見通せないところに隠されているかもしれない。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.21
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初秋の夜空に虫の声を聞きながら、星の薄い光を見ながら君を想う一つの本の最後のページが捲られ背表紙が静かに閉じられる別の本の最初のページが快活に捲られまだ見ぬ文字に心躍らす君は今もあの本の最後のページを捲らずにいる古い食堂の裏の木戸の内側で犬と遊ぶあの人と鮮やかな蛍の光の傍に君はいる暦が数限りなく捲られ随分そこから離れた場所に君はいることに気が付く薄い星に囲まれた月の光の中に座り蟋蟀の声に戦ぐ風がスカートの裾を持ち上げる照りつける陽の光の中海の藻屑と消えたあの人確かに血の温かい優しい手君を呼ぶその声それは君の柔らかな膝の上に置かれた本の表紙に今も包まれているおそらく永遠に閉じられることのないページの間に幾度の夏が幾度の秋に侵食されようとも幾度の涙が幾度の微笑みに重なり合おうとも
2010.09.20
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・9,17、金朝の女声合唱団の後、久しぶりに心斎橋の鍼灸院。僕も段々自分の体の機能が低下して来た時が分るようになって来て、落ち込む前に治療を受けることにしている。今日の担当は50代ぐらいの男性の鍼灸医。彼の治療は前に何度か受けたことがあるが、周りの同僚からもどうやら一目置かれている存在のようだ。鍼を入れて少し時間を置く時に、ブースの外で鍼灸医たちが集まって話している内容が聞こえて来る。彼は自分よりもずっと年上の鍼灸医から質問を受け、彼らに指導を施していた。「葉っぱがかさかさしている、それを取るための鍼を打っても効果はありません。まずなっている一杯のりんごのいらないものを落として、限られたりんごに充分に栄養を行き渡らせる。根っこにたっぷり水をやっても、じゅくじゅく溜まって木全体には行き渡っていないので、そこに手を入れる。それで初めて火を乾すことができます」というような話し。このような鍼灸医たちの会話を聞くのが、僕は大好きである。その後阿波座に寄って用を済まし、奈良に向かって混声合唱団。その合間に一人の指揮者から電話があり、12月の第九のソロを依頼される。しかし近年はそういったお話をいただいても断ることにしている。視力が下り、舞台への出入りが困難を極めるからだ。自分が怪我をするぐらいならまだいいが、大事な楽器に傷を付けるようなことがあっては大変だ。その思いを説明して、丁寧にお断りした。しかしその指揮者は「そんなことは何とでもなります。今年の他のソリストは茶木さんのよく知っている人たちだし、頼めば手を貸してくれるはずです。もしそれが無理なら、私と出入りすればいいんです。そんなことで諦めず、演奏家は舞台に立たねばだめです。」逆にすっかりお説教を受け「分りました、それではお世話になります」と言って電話を切った。もちろん、世の中の指揮者がすべてそのように理解ある訳ではない。精一杯舞台を務めたいと思う。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.17
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・9、14、火月に一度の点字レッスンにライトハウスまで出向く。先生と世間話の中で、全く見えないのに白杖を持たずに歩行する女性がいる話になる。もちろん初めて行く場所は無理だろうが、慣れているところなら杖なしですたすた歩くという話。人間業とは思えないが、すぐれた耳と空気や風を感じる鋭敏な感覚を持てば可能なのだろうか。それで今まで怪我をしたこともないという。でも何故わざわざそんなことをするかというと、もちろん目が不自由であることを周りから隠すためである。彼女は知り合いのいる前では決して杖を使わない。しかしその神経のストレスはいかばかりであろうか。僕も数年前までは乏しい視力で杖なしで歩行していた。歩行することだけでぐったりと神経がやられてしまうこともあったし、肩が当たってチンピラに絡まれたこともあった。だからその女性の大変さもよく理解できる。しかも彼女は全く見えないのだ。これはその人の育った環境が関係しているとまた思った。彼女の親が彼女に知らず知らず植え付けた間違ったプライドと世間体。人はいつか皆年を取り、誰かの世話にならねばならない。体に動かないところを持てば、なおさら人々の手を煩わすことになる。そのとき皆初めてプライドや世間体を捨てなくてはならない現実に直面する。何かを乗り越えなくては生きては行けない現実だ。人の手を借りなくては何もできないというのは辛いことだ。しかし我々障害を持ったものは、逸早くその現実を受け入れる必要に迫られる。勇気と悟りのドアだ。そして手を貸してくれる人々への感謝の気持ち。へりくだる必要はない。助けを必要としても、もちろん我々は平等なのだ。もし彼女もそれができれば、どんなに楽になるだろうと思う。でも、多分それは余計なお世話だ。人には其々のやり方と生き方があるのだ。その後阿波座に向かいグループレッスン。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.14
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・9,13、月11日土曜日は、CAC混声合唱団第一回定期演奏会本番であった。新しく譜読みした曲や、長く温めて来た曲を含めたプログラム。楽譜を巧みに読める方ばかりではないので、曲によっては限界を超えた選曲もあった。そんな中、我々の良いところが出せるように吟味したプログラムを組んだつもりだった。結果、僕自身はとても良い演奏会であったと思っている。団員全員一人ひとりが責任感を持って練習を重ねて下さり、本番もまたその情熱が舞台の上でエネルギーとなってお客様に何かしらのものを感じていただけたのではと考えている。午後12時半の会場集合。それから並び方やライトの思案で時間を取りリハーサル開始。2時半には休憩に入り本番を待つ。4時の演奏会開始時間にはすでに会場は満員のお客様。ローベルト・シューマンの「流浪の民」で幕開け。今回の曲目には、ソットヴォーチェを利かせる難しい部分が多くあり、そこをアピールできるかどうかが課題の一つであった。リハーサルまでなかなかうまく行かず諦めていた箇所も、本番では課題は残しながらもすばらしく表現できたのではと思っている。その要因は、やはり団員全員が一つとなった指揮への集中力であろう。この強い集中力が練習時にも持てるならば、もっともっと上のレベルを目指すことができるのかもしれない。ここがプロとアマの違いに繋がって来ると考える。これからまた新たに精進を重ねて行きたい。演奏会終了後近くの居酒屋で打ち上げ。散々食べて飲んで、その後数人でお茶の飲める喫茶店を探す。人数を数えると15人。それだけ入れる店はこの辺りでは不二家しかないと誰かが言う。フ、フジヤ?と思ったが、仕方なく向かう。店に入るとイメージしていた不二家とは随分違う。薄暗くした落ち着いた店内、ふかふかの椅子、壁にかけられた額。注文したケーキとコーヒーが何と美味しいではないか。例の事件以来変わったのだ。会計の際にもその変化に驚く。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.13
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・9,9、木午後の奈良クラスの前に、やはり菖蒲池のうどん屋。行ってみて、店を開けていてほっとする。とにかく、定年後の趣味のような生活の掛っていない商売なので、気が向いた時にふと休業されるのでいつもどきどきする。でもその味に飽きることがない。午後のレッスンでは、皆さん夏の疲れが見られるので、歌う前にストレッチをしてから始める。その後阿波座に向かいCAC混声合唱団。9月11日の定期演奏会への最後の練習。皆さんとても集中した歌唱と指揮への食いつき。これだけの力がどこから出て来たかと思えるほどの演奏。火事場の何やら?それとも普段が~?とにかく、明後日が心から楽しみになって来た。もちろん今の実力の限界というものもあるだろう。しかしその情熱と集中力は、必ずお客様に何かしらの感動を与えることができるはずだと信じる。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.09
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・9,8、水朝から奈良に向かい、10月2日のNSK演奏会のホール担当者との打ち合わせを行なう。30分で切り上げ、急いで阿波座へ。何とか昼食を取ることが出来、午後のレッスン。何だかいつもと声の調子の違う生徒さんに「何か喉に悪いことをしていますね」と問い詰めるとやはり一晩中のクーラー。市内では河内長野のような山沿いで寝ているものには分らない熱帯夜があるのだろうが、そろそろ夜はクーラーなしでも眠れる気候になって来たのではないだろうか。しかし同じ部屋で眠っている家族が暑いと言えば、自分の我がままを通す訳にもいかず、全く歌う者は辛い立場である。家族からどんな罵声を浴びようとも、守らねばならない喉がある。夜は男性ばかりのグループレッスン。会社経営をされている生徒さんのお仕事が、この不況で思わしくなかったのだが、このところ猛烈に忙しくなって来たという話題。これからどのくらい良い状態が続くかは誰にも分らないが、とにかく今は目の回る忙しさということで、とても嬉しいことである。何よりも精神的にほっとするこのごろだとおっしゃっていた。大騒ぎの台風近畿上陸はどこへやら、雨もなく一日が過ぎる。不思議にいつでも台風は大阪を避けて通っていく。何が気に入らないのだろう。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.08
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文化祭真っ暗な教室で机を挟んで君の睫毛の影が体育館からの黄色な光に照らされて細かく揺れているのを見ている最終日に大ディスコ大会を企てた生徒部と阻止しようとする教師たちとの大乱闘が波のように寄せては引く群集の叫び声となって人々の熱気と共にここまで伝わって来るそんなものに耳を澄ませたまま君に何も言えずにいる窓からの秋の夜の風が黒板の脇に貼り付けてある紙を戦がす思想も尊重も尊厳もきっと僕を満たしてはくれないそんなものから遠く離れたこの暗い部屋で現実の時間のメモリとしてこの手でとらえられるものはあたたかい血の温もりすべやかな唇胸をつめるような甘い香りそんなものだけが僕の大事にしたいもののように思えるガラスの割れる乾いた音が聞こえる僕から手を離し君が囁くでもそれは教師の叫ぶ声にまぎれて聞き取れない永遠に繰り返される最終日のなかで僕だけの大事なものをどれだけ探し当てられるというのか
2010.09.06
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・9、4、土昨日金曜日も、今日も朝昼晩と忙しく、ゆっくり食事する時間もない慌ただしさだったので、少々疲れた。今日の朝の女声合唱団で僕の腸が弱いという話題から、何故女性が男性に比べて体も丈夫で、長生きするのかという疑問で一つの面白い意見を聞く。女性には生理があり、毎月かなりの量の血液が出て行く。そして体内では常に新しい新鮮な血を製造する必要に迫られる。それこそが丈夫な体を手に入れる術なのだと。それが証拠に、閉経を迎えると途端に成人病の危険にさらされる例が多い。それでは男性はどうすればいいのだ。定期的に献血をすることをお勧めするという結論。肝炎感染の心配が0ならば、僕も喜んで血を提供したい。血だけではなく、汗、鼻水、涙など、体液を排出するということは、体作りに重要なポイントであるらしい。確かに周りを見ると、多くの汗をかく人は長生きであるようである。鍼の先生もよく言っているが、便と尿できっちり解毒できる力があることが理想だと。それには腎の周りの正常な働きが要求される。女性の生理は、おそらく解毒の大きな役目も担っているのではないだろうか。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.04
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・9、2、木政界では国民の困惑の生活をよそに、K氏とO氏の激突対決が連日報じられている。O氏は出馬しないとしたり、するとしたり態度が一転二転。二人の会談がようやく実現した途端O氏の出馬決定。このどたばたで国民は皆頭に来ている。でもそんな中、僕はK氏をちょっと見直した。O氏は結局H氏の時のように、後からこの国を動かしたかったのではないか。本心は今は表には出ず、本当にやりやすくなる時期を待ちたいのだ。今回も揺さぶりを掛けてそのポストを要求したが、K氏は自分が危険なところに追いやられたとしても、O氏のためにお飾りになることを拒否した。何だか、何がしたいのか分からないぼーっとしたおっさんだが、O氏の思惑には屈しない態度ではなかったのだろうか。とにかく相撲会と同様、大きな力と密着した生き方から、誰かが勇気を持って離別できなければならない。それが新しい政治の始まりであり、それなしでは結局誰がやっても同じことになるのではないか。しかしそれは簡単なことではない。この国自体が、戦後すでに一つのシステムで出来上がってしまっているからだ。予算のだだ漏れを一体どうやって防いでいけばいいのだろう。政治家の勇気ある一歩が、何かを開くことになると思いたい。その一点こそが、この国を変えるという意味に思えるのだが。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.02
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・9,1、水9月に入ってもすごい暑さだ。覚悟はしていたが、秋はまだまだ遠い向こうのようだ。秋が近付くと、何かを書く意欲が出て来る。昔は何処かのシンガーソングライターみたいに、夏にこそ感受性が動いたものだが、年齢のせいか、温暖化で夏が何も感じられないほど暑いからか、今はそれが秋へと移行している。詩というものは、自分が原稿用紙の上に吐き出したいものが溢れて来るからペンを取るというのが正当であるし、それが才能だと思われるが、凡人は尻を叩いてもらわないと何も書けないのだ。机の前に座って、さて何に付いて書くべきかなんて腕組みをして考えているようでは、全くお話にならないという訳だ。ということで、皆さん、凡人のためにお題をいただきたいと思う。これは一年中思いついた時にコメント欄に、ハンドルネームとお題を書き込んでいただければ、僕は定期的に書くモードに入れるし、何かしらの力も養われると思われる。単語一つの短い題でもいいし、ちょっとした文章のような長い題でもいい。どんなお題がいただけるか、わくわくである。●大阪の混声合唱団のご案内はこちら●大阪の声楽教室・レッスンのご案内はこちら
2010.09.01
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