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★プロフェーティ、{イ} (compl) I Profeti,{I} 1964年レナート・ブリオスキがミラノで結成したビートニック・バンドで、後にメロディック・ポップ・バンドに変わる。 活動期間:1964 – 1977; 1999 – 2006 所属レコード会社: CBS, DV More Record, On Sale Music サンレモ音楽祭出場1回:1976年17位 設立メンバー(太字はサンレモ音楽祭出場メンバー) ・レナート・ブリオスキ (Renato Brioschi) ヴォーカル、ギター(在籍1964-1970) ・ナッザレノ・ラ・ロヴェーレ (Nazareno La Rovere) ギター (在籍1964-1968; 1970-1977) ・ドラート・チレッティ (Donato Ciletti) ベース (在籍1964-1966; 1969-1977) ・オズヴァルド・べルナスコーニ(Osvaldo Bernasconi) ドラムス(在籍1964-1967; 1968-1972; 1974-1977) 途中交代メンバー ・ダニー・ベスケット(Danny Besquet) ベース (在籍1966-1967) 本名Daniele Baima Besquet ・ロベルト・マルガリア(Roberto Margaria) ベース、ギター (在籍1967-1969-1970) ・フランコ・ドノフリオ(Franco D'Onofrio) ドラムス(在籍1967-1968) ・ラファエレ・ファヴェーロ(Raffaele Favero) ドラムス、フルート (在籍1967-1968) ・クラウディオ・ベッローリ(Claudio Belloli) ドラムス(在籍1972-1974) ・マウリツィオ・ベッリーニ(Maurizio Bellini) ハモンド・オルガン (在籍1969-1973) ・ベッペ・ティランゾーニ(Beppe Tiranzoni) ハモンド・オルガン、キー・ボード (在籍1974–1977) 1964年ミラノの彫刻家の息子、レナート・ブリオスキは流行っていたビートニック・バンドを結成します。彼がヴォーカルとギター、他はギターのナッザレノ・ラ・ロヴェーレ、ベースがドラート・チレッティ、ドラムはオズヴァルド・べルナスコーニの4人でイ・プロフェーティ、預言者達というバンド名にしました。 地元ミラノで数公演した後、リコルディからCGDに提携先を替えたばかりのCBS関係者と接触出来て契約をしました。 CBSからのデビューはA面がグラスルーツ(Grass Roots)の“ユーアー・ア・ロンリー・ガール”のイタリア語カヴァー、B面が歌手デビュー前のルチオ・バッティスティ(Lucio Battisti)の作った“Le Ombre Della Sera”でした。 バンド内部でのいざこざで66年にベースのドラート・チレッティが脱退します。代わりに色々なバンドに関わるダニー・ベスケットが加入しました。 1892(CBS) (1966年6月 CBS - CGD) Bambina Sola (You’re A Lonely Girl) (ユーアー・ア・ロンリー・ガール)/Le Ombre Della Sera 1892(CBS) 2650(CBS) 2650(CBS) (1967年3月 CBS - CGD) Rubacuori (Ruby Tuesday) (ルビー・テューズディ)/Sole Nero (Call My Name) (コール・マイ・ネーム) 彼らの成功は意外な所にありました。CGD-CBSが企画したイタリア軍慰問団にプロッフェーティも参加し、基地の兵隊たちに歌ったローリング・ストーンズ(Rolling Stones)の“ルビー・テューズディ”やゼム(Them)の“コール・マイ・ネーム”が大受けし、早速シングル盤が発売されます。 なんとデビュー2作目でファースト・アルバムが発売されました。ただ彼らに対する認識は便利なカヴァー・バンドだったかもしれません。 52436(CBS) (1967年4月 CBS - CGD) Bambina Sola 52・OSM-077 (2006年 On Sale Music - On Sale Music) CD Bambina sola [*] 1.Bambina Sola (You’re A Lonely Girl) (ユーアー・ア・ロンリー・ガール) 2.Sunny (演奏) (サニー) 3.Le Ombre Della Sera 4.Mirell 5.The Bells of Rhymney (Arr. The Byrds) 6.Asciuga Le Tue Lacrime 7.Rubacuori (Ruby Tuesday) (ルビー・テューズディ) 8.Per Fare Un Uomo (男であるには) 9.Fa-fa-fa-fa (演奏) 10.Lasciate Qualcosa Per Noi 11.Mr. Zero 12.Sole Nero (Call My Name) (コール・マイ・ネーム) *13 Era Uno Come Noi *14.Ho Difeso Il Mio Amore (Nights In White Satin) (サテンの夜) *15.Gli Occhi Verdi Dell'Amore (Angel Of The Morning) (朝の天使) *16 La Tua Voce (あなたの声) *17.La Mia Vita Con Te (Reputation) *18 Non Si Muore Per Amore (Take Me To The Mountains) 52436(CBS) 52・OSM-077 しかしバンド・メンバーの定着が悪く、67年今度はドラムスのオズヴァルド・べルナスコーニと入ったばかりのベースのダニー・ベスケットが辞め、ドラムスのフランコ・ドノフリオとドラムスとフルートのラファエレ・ファヴェーロが入りましたが二人とも翌68年に出ています。一方ベスケットの代わりにベースとギターで医学生のロベルト・マルガリアが加入しています。 当時イタリアには軍隊の兵役があり、あのジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)も兵役期間には休業をしなければなりませんでしたので、彼らも兵役期間、他のメンバーが代替したとも考えられます。 やっとオリジナル曲が出せます、RAI2のTV推理ドラマ番組「Il Triangolo Rosso」のテーマ“Era Uno Come No”でした。B面はファースト・アルバムに収録されている人気バンド、ノマーティ(Nomadi)の“男であるには”のカヴァーでした。 2849(CBS) (1967年7月 CBS - CGD) Era Uno Come Noi/Per Fare Un Uomo (男であるには) 2849(CBS) FG-5038 FG-5038 (1968年2月 CGD - CGD) SAN REMO '68 5.La Tramontana (茫然自失) 11.Le Opere Di Bartoromeo (バルトロメオの想い出) 新人のお仕事として各社が毎年作っているサンレモ音楽祭出場曲のコンピ・アルバム用のカヴァー曲を吹込みます。彼らは2曲ジャンニ・ペッテナーティ(Gianni Pettenati)の“茫然自失”とロークス(The Rokes)の“バルトロメオの想い出”を収録しています。 68年最初のシングルは当時世界的にヒットした“青い影(A Whiter Shade Of Pale)”で有名になったムーディー・ブルース(Moody Blues)の“サテンの夜”をカヴァーし、ノマーディと競作になりました。ノマーディは68年年間ヒット・ランク82位に入るヒットとなりました。 3340(CBS) (1968年3月 CBS - CGD) Ho Difeso Il Mio Amore (Nights In White Satin) (サテンの夜)/Una Rondine Va [Toto Savio Franco Califano] 3340(CBS) 3761(CBS) 3761(CBS) (1968年10月 CBS - CGD) Gli Occhi Verdi Dell'Amore (Angel Of The Morning) (朝の天使)/L'Amore Ha Il Tuo Volto 68年10月にはエヴィー・サンズ(Evie Sands)やマリリン・ラッシュ(Merrilee Rush)が歌った“朝の天使”をカヴァーします。 この頃になると結成時メンバーとして残っていたギターのナッザレノ・ラ・ロヴェーレも出ていき、途中加入のフランコ・ドノフリオ、ラファエレ・ファヴェーロも脱退、残るはリーダーのレナート・ブリオスキだけになってしまいます。代わりに69年オズヴァルド・べルナスコーニが復帰しますが、ゴタゴタの原因がどこにあるかは直ぐにお判りでしょう。 69年サンレモ音楽祭入賞曲コンピ・アルバムでディク・ディク(I Dik Dik)とリタ・パヴォーネ(Rita Pavone)が歌った“ズッケロ”をカヴァーします。 FGS-5049 (1969年2月 CGD - CGD) SAN REMO '69 6.I Profeti Zucchero (恋のズッケロ) FGS-5049 4113(CBS) 4113(CBS) (1969年4月 CBS - CGD) La Tua Voce (あなたの声)/Lontano Dal Mondo 69年4月やっと普通のバンドらしくオリジナル曲でカンタジーロ・ジローネB(新人部門)に“あなたの声”で出場しました。結果は10位でした。B面はバルダン・ベンボ(Alberto Baldan Bembo)、トト・サヴィオ(Toto Savio)、フランコ・カリファーノ(Franco Califano)と一流どころが作っています。しかしバンド内で内紛が起き毎年のようにメンバーが変わることをレコード会社も放置することもできず、CBSはリーダーのブリオスキを独立させソロ歌手としてリスク回避を図ります。 69年10月ブリオスキがリーダーでの最後のシングル盤はシャイ・リムス(Shy Limbs)の“Reputation”のイタリア語カヴァー、B面がトト・サヴィオとアルマンド・アンブロシノ(Armando Ambrosino)でした。 レナートがプロフェーティから距離を置くのが分かってか結成時メンバーのベース、ドラート・チレッティがバンドに戻ってきます。 4577(CBS) (1969年10月 CBS - CGD) La Mia Vita Con Te (Reputation) /Ci Vuole Un Cuore 4577(CBS) マウリツィオ(Maurizio)の69年夏のディスク出場曲“エリザベス” をカヴァーしました。 FGS-5058 (1969年 CGD - CGD) Le Canzoni Del Disco Per L'Estate 3.Elisabeth (エリザベス) FGS-5058 FGS-5062 FGS-5062 (1970年2月 CGD – CBS Sugar) Sanremo '70 6.La Spada Nel Cuore (心の剱) 70年サンレモ音楽祭入賞曲コンピ・アルバムでパティー・プラヴォー(Patty Pravo)とリトル・トニー(Little Tony)の歌った“心の剱”をカヴァーしています。普通ならリーダーでフロントマンのレナートが独立するとバンドは解散するのですが、どっこいプロフェーティはそんな軟なバンドではありませんでした。 70年「彼奴さえいなければ」と言ったかどうかは知りませんが、結成時メンバーのギタリスト、ナッザレノ・ラ・ロヴェーレも復帰しますが、医学生であったロベルト・マルガリアは医学の道に進みたいという希望でバンドを止めました。そしてハモンド・オルガンのマウリツィオ・ベッリーニ(Maurizio Bellini)が参加し、新生プロフェーティが出発します(結成メンバー3人が戻ってきたと言う事です)。 レナート・ブリオスキは70年夏のディスク・フェスティヴァルに “レディ・バルバラ(Lady Barbara)”で出場、優勝し大成功を収めます。と言う事でソロ歌手となった彼のことは後で纏めてすることにして、プロフェーティの話を次回に進めましょう。 カプロフェーティの国内盤 GW- 73~4 (1970年4月20日 SEVEN SEAS -キング) 30cm 2LP第20回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1970) 1-5.心の剱 (LA SPADA NEL CUORE) GW- 73~4 プロフェーティ 2は次回に続きます
2018.10.29
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★カマレオンティ、{イ・} (compl) Camaleonti, {I} 1963年ミラノで5人編成のバンドとして結成された、活動時期により4人編成で活動したポップ・ミュージック・バンド。 活動期間:1963 – 現在 所属レコード会社:Kansas; CGD; CBS; Camaleo; Durium; Vip ; Bubble ; Delta Ricordi;;NAR; Azzurra サンレモ音楽祭出場5回:1970年4位、73年11位、76年10位、79年第3位、93年参加 設立メンバー ・ジェリー(Gerry):本名ジェラルド・マンゾーリ(Gerardo Manzoli)、1944年 8月28日(21日説あり)ミラノ生。ベース担当、ナーダと結婚し、1982年演奏活動を止めカマレオンティのプロデューサーに専念。 ・リキ(Riki):本名エンリコ・マイオッキ(Enrico Maiocchi)、1940年5月27日ミラノ生、2004年2月2日ミラノ没。ヴォーカル、ギター担当、1966年カマレオンティを脱退、67年サンレモ音楽祭にソロ歌手として“希望の鐘(C'è chi spera)”を歌いました。 ・トニーノ (Tonino): 本名アントニオ・クリペッツィ(Antonio Cripezzi)、1946年2月26日ミラノ生。ヴォーカル、オルガン担当、現在も活動続行。 ・リヴィオ・マッキャ (Livio Macchia):1941年11月11日南部バリ郊外のアクァヴィーヴァ・デッレ・フォニット(Acquaviva delle Fonti)生。ヴォーカル、ベース担当、現在も活動続行。 ・パオロ・デチェリエ (Paolo de Ceglie):1943年11月29日バリの西北西40kmにある小都市トリニターポリ(Trinitapoli)生、2004年3月27日ミラノ没。ドラムス担当。 途中交代メンバー ・マリオ・ラヴェッツィ(Mario Lavezzi):本名ブルーノ・マリオ・ラヴェッツィ (Bruno Mario Lavezzi) 1945年6月7日ミラノ生、ギター、ヴォーカル担当 (在籍1966〜l 1968年)、リキ・マイオッキの代わりに参加、途中兵役の為に活動を中断。 ・ガブリエレ・ロレンツィ (Gabriele Lorenzi): 1942年7月3日ピサの南20kmの港町リヴォルノ(Livorno)生、キーボード担当。(1967〜1968年)、 マリオ・ラヴェッツィが兵役に就いた代替要員として参加。 ・デイヴ・サマー (Dave Summer):本名でヴィッド・サマー (David Summer)、1948年5月17日ラワルピンディ (パキスタン)生。67年にプリミティブのギタリストとして来伊、73〜80年まで在籍、脱退後はロッキング・ホース(Rocking Horse)などイタリアのロックバンドに係りました。 ・ヴィンチェンツォ・マンクーゾ(Vincenzo Mancuso):1953年シチリア島パレルモ(Palermo)生、ギター担当 (1981〜1984) デイヴ・サマーの後任 ・ヴァレリオ・ヴェロネーゼ (Valerio Veronese): 1958年9月2日ミラノ生。ギター、ヴォーカル担当、85年以降在籍 ヴィンチェンツォ・マンクーゾの後任 ・マッシーモ・ブルネッティMassimo Brunetti::ピアノ、キーボード、ヴォーカル担当、90年以降在関 ・マッシーモ・ディ・ロッコMassimo di Rocco: ドラムス担当、2004年以降在籍 1973年サンレモ音楽祭出場時にドラムスがデイヴ・サマーに交代した後、メンバーの安定期に入りプログレ色が強まります。 75年夏のディスク・フェスティヴァル出場“可愛いヴィーナス”は最終戦に進出し、75年年間ヒット・ランク29位の大ヒットとなります。 2914(CBS) (1975年 CBS – CGD Sugar) Piccola Venere (可愛いヴィーナス) /Gimcana 2914(CBS) 69149(CBS) 69149(CBS) (1975年 CBS – CGD Sugar) Piccola Venere ed altri successi 1. Piccola Venere (可愛いヴィーナス) 2.Attimi 3.Conosco Questo Gioco L'Amore 4.Io Per Lei (To Give (Is The Reason I Live))(あなたのためのわたし) 5.Mamma Mia 6.Il Campo Delle Fragiole 7.Perché Ti Amo (愛する君) 8.Pensa 9.Lei Me Dara' Un Bambino 10.Amico Di Ieri, Amico Perduto 11.Non C'è Niente di Nuovo (新しいことは何もない) 12.Io Sono Solo “可愛いヴィーナス“の成功でアルバム「Piccola Venere ed altri successi」が出、ヒット曲を集めた編集ベスト盤も発売されました。 69131(CBS) (1975年 CBS – CGD Sugar) Il Meglio Dei Camaleonti RB- 225 (1979年 Record Bazaar – CGD Sugar) Il Meglio Dei Camaleonti 1.Amicizia e Amore 2.Viso D'Angelo (天使の顔) 3.Lei Mi Darà Un Bambino (She’s Gonna Give Me A Baby) 4.Io Per Lei (To Give (Is The Reason I Live))(あなたのためのわたし) 5.Come Sei Bella (夢見るあなた) 6.Piccola Venere (可愛いヴィーナス) 7.Perché Ti Amo (愛する君) 8.L'Ora Dell'Amore (Homburg) (ハンバーグ) 9.Applausi (喝采) 10.Il Campo Delle Fragole 11.Tempo D'Inverno 12.Mamma Mia 69131(CBS) RB- 225 そして76年サンレモ音楽祭に“ガラスの心”で出場し10位になりました。 1976年サンレモ音楽祭出場メンバー ・ジェリー(Gerry):本名ジェラルド・マンゾーリ(Gerardo Manzoli)ベース ・トニーノ (Tonino):本名アントニオ・クリペッツィ(Antonio Cripezzi)、ヴォーカル、オルガン ・リヴィオ・マッキャ (Livio Macchia) ヴォーカル、ベース ・パオロ・デチェリエ (Paolo de Ceglie) ドラムス ・デイヴ・サマー (Dave Summer):本名でヴィッド・サマー (David Summer) ギター(在籍73-80年) 4038(CBS) (1976年 2月 CBS – CGD Sugar) Cuore Di Vetro (ガラスの心)/ Amico Di Ieri, Amico Perduto 4038(CBS) 69234(CBS)69234(CBS) (1976年 CBS – CGD Sugar) Che Aereo Stupendo... La Speranza 1.Sconfinate Fortune 2.Fantasia 3.Cavalli Con Le Ruote 4.Semaforo Rosso 5.Cuore Di Vetro (ガラスの心) 6.Senza Rancore 7.Latte E Caffè 8. Che Aereo Stupendo... La Speranza サンレモ入賞曲“ガラスの心”の入ったアルバム「Che Aereo Stupendo... La Speranza」が出されました。 この年の秋、CBSの独立騒動でCBSから離れ、彼らは自分達のレーベル、カマレオを立上げてCGDにディストリビューションを委ねました。カマレオンディはシングル盤“Tra amici”とアルバム「In Vendita」を出しました。 CM-8801 (1976年10月 Camaleo - CGD Messaggerie Musicali) Tra amici/Stella CM-8801 CM-38501 CM-38501 (1977年3月 Camaleo - CGD Messaggerie Musicali) In Vendita 1.Mi Manca 2.Stella 3.Una Vita Diversa 4.Immaginarti Così 5.Il Gabbiano 6.Un'Estate Intera 7.The Six O’Clock Connection 8.Tra Amici 9.Me Ne Vado Via 10.Uomini 彼らのレーベル、カマレオは上手く行かず、この2枚で終わり、彼らはドゥリウムに移籍します。 カマレオンティの国内盤は「サンレモの歌手たち 428 カマレオンティ 3」で終了しました カマレオンティ 5は1979年サンレモ音楽祭の後に続きます ★オリエッタ・ベルティ (vf) Orietta Berti 本名オリエッタ・ガリバルティ(Orietta Galimberti)1945年6月1日パルマとモデナの中間にある小さな山中の町カヴリアーゴ(Cavriago)生、歌手。 2448-099所属レコード会社:Karim, Polydor, Cinevox, CGD, GAPP Mus.サンレモ音楽祭出場11回:1966年6位、67年5位、69年10位、70年8位、74年3位、76年11位、81年入賞、82年参加、86年6位、92年参加(ジョルジョ・ファレッティとデュエット)、2021年9位公式サイト:http://www.oriettaberti.it/home.htm 1976年、前年に生まれた長男の名前が出場曲のタイトルで“オマール”でサンレモ音楽祭に6回目の出場し11位になります。この頃には人気が急下降します。 79年フィリップスで「バーバパパ」の幼児向けレコードを出しました。 6323-080 (1979年 Philips - Phonogram) Barbapapà [Orietta Berti E Claudio Lippi Con I Piccoli Cantori Di Niny Comolli] 1.Ecco Arrivare I Barbapapà 2.Il Paese Di Barbapapà 3.Per Essere Un Barbapapà 4.La Mongolfiera Barbapapà 5.I Cento Trucchi Di Barbapapà 6.La Canzone D'Amore di Barbabella 7.Barbaforte È Un Campione 8.L'Opera Delle Rane 9.La Mamma È Un Elefant 10.Barbazoo E Gli Animali 11.Un Artista Pasticcione 12.Barbabravo L'Inventore 13.I Sogni Di Barbalalla 6323-080 6025-229 6025-229 (1979年 Philips - Phonogram) - Ecco arrivare i Barbapapà/Il paese di Barbapapà/L'opera delle rane [Claudio Lippi - Orietta Berti - I Piccoli Cantori Di Niny Comolli] 79年、77年以降に発売された曲を中心としたフォノグラム最後のアルバム「Pastelli」を出します。 2448-099 (1979年 Polydor - Phonogram) Pastelli ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照 1.Donna Come Mai (J'Ai Besoin De Toi) (私の貴方、私の彼) 2.Il Bel Tempo 3.Vai Lulù 4.I Sogni Son Desideri 5.Eppure Ti Amo 6.Quelli Erano I Giorni (悲しき天使 [伊]) 7.L'Amoroso 8.La Nostalgia 9.È L'Amore 10.T'Ho Voluto Bene (ノン・ディメンティカール) 80年メジャーデビューをしたフォノグラムから、日本では映画音楽で知られるチネヴォックスに移籍しました。旧籍フォノグラムからヒット曲を集めた「Successo Orietta Berti - Fin Che La Barca Va」と民謡を集めた「Successo Orietta Berti - Le Più Belle Canzoni Popolari Italiane」2枚の編集ベスト廉価盤が発売されました。 2449-022 (1980年 Polydor - Phonogram) Successo Orietta Berti - Fin Che La Barca Va 1.Tu Sei Quello (この想いをあなただけに) 2.Io Ti Darò Di Più (生命をかけて) 3.Dove Non So (何処かであなたと - ララのテーマ) 4.L'Amore È Blu (恋はみずいろ [伊]) 5.Io Tu E Le Rose (バラのほほえみ) 6.Non illuderti mai (夢のかなたに) 7.L'Altalena(ブランコ) 8.Fin Che La Barca Va (愛の鐘が鳴るとき) 9.Tipitipitì (ティピティピティ)ì 10.Via dei ciclamini (シクラメン通り 11. Stasera ti dico di no (さよならは云えない) 12.Omar (オーマル) 2449-022 2449-023 2449-023 (1980年 Polydor - Phonogram) Successo Orietta Berti - Le Più Belle Canzoni Popolari Italiane 1.Bella Gigogin (美しいジゴジン) 2.Come Porti I Capelli Bella Bionda 3.La Biondina In Gondoetta (ゴンドラの金髪娘) 4.Mamma Mia Dammi Cento Lire (ママ100リラちょうだい) 5.Tutti Mi Chiamano Bionda 6.Angiolina Bella Angiolina (Angiolina Bell'Angiolina) 7.Romagna Mia (ロマーニャ・ミア) 8.Reggio Emilia 9.Polenta E Baccalà (Polenta E Bacalà) 10.Bionda Bella Bionda 11.Vola Vola Vola (ヴォラ・ヴォラ・ヴォラ) 12.Aveva Gli Occhi Neri (黒い瞳の娘) 13.Vinassa Vinassa E Fiaschi De Vin (ヴィナッサ・ヴィナッサ) 14.Ma Come Balli Bene Bella Bimba (La Vinanela) (田舎娘) 15.La Dosolina (見捨てられたドソリーナ) 16.Ciuri Ciuri (Cantu Dispittusu) (チュリ・チュリ) 17.Il Cielo È Una Coperta Ricamata 18.Ai Preat La Biele Stele 19.Napoli Bella Rosa D'Amor 20.Val Camonica オリエッタ・ベルティの国内盤は「サンレモの歌手たち 444 オリエッタ・ベルティ 4」で終了しました オリエッタ・ベルティ 6は1981年サンレモ音楽祭の後に続きます
2018.10.26
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★サンティ-ノ・ロッケッティ (vm) Santino Rocchetti 1946年7月13日ローマの北西100kmにある海沿いの町モンタルト・ディ・カストロ(Montalto di Castro (Viterbp)) 生、歌手、作詞・作曲家、バンド、ロケッティ(Rokketti)リのーダー。 活動期間:1961 – 現在 所属レコード会社: CDB, ARC, CBS, Philips, Fonit Cetra, SIF, Duck Record サンレモ音楽祭出場3回:1976年参加、77年入賞、78年6位 サンレモ音楽祭出品2曲:77年入賞、78年6位 1975年サンティーノ・ロケッティはソロ歌手としてチェトラと契約し、第一弾は夏のディスク・フェスティヴァル出場“太陽の肌”でした。本戦に出場し一応の成功をおさまえました。彼は70年にフランスのニーノ・フェレール(Nino Ferrer)のアルバム「Rats And Roll's」の製作に参加しており、フェレールのヒット曲“黒い肌(La Pelle Nera)”を連想するタイトルでした。 SP-1580 (1975年 Cetra - Fonit Cetra) Pelle Di Sole (太陽の肌) [Un disco per l'Estate 1975]/Tu, Un'Altra Cosa SP-1580 SP-1598 SP-1598 (1975年 Cetra - Fonit Cetra) Mia/Amore Di Ieri チェトラの2枚目はA面“Mia”はウンベルト・ナポリターノ(Umberto Napolitano)、B面はサンティーノ・ロケッティ自身の作曲でした。 3枚目が76年サンレモ音楽祭出場曲“孤独の朝”でした。初出場は参加曲に止まりましたがその後三連続出場、2年連続入賞をします。 SP-1607 (1976年2月 Cetra - Fonit Cetra) E Tu Mi Manchi (孤独の朝)/Mia SP-1607 SP-1618 SP-1618 (1976年 Cetra - Fonit Cetra) Dolcemente Bambina/Mi Mancherai A面の“Dolcemente Bambina”はレナート・パレーティ(Renato Pareti)の作詞・作曲、彼はロベルト・ヴェッキオーニ(Roberto Vecchioni)とヌオヴィ・アンジェリ(Nuovi Angeli)のコンセプト・アルバム「Stasera Clowns」やジャンニ・モランディに“ローザベラ(Rosabella)”を共作したり、77年サンレモ音楽祭にホモ・サピエンス(Homo Sapiens)が歌い優勝した”涙の日曜日(Bella Da Morire)”をアルッベルト・サレルーノ(Alberto Salerno)と共作したカンタウトゥーリとしても知られています。 77年サンレモ音楽祭にロケッティ自身とアンドレア・ロ・ヴェッキオ(Andrea Lo Vecchio)と共作した“ほほえみのために”で出場し、入賞しています。 SP-1642 (1977年 Cetra - Fonit Cetra) Dedicato A Te (ほほえみのために)/E Poi Venne Sera SP-1642 LPX- 52 LPX- 52 (1977年Cetra - Fonit Cetra) Dedicato a te 1.Canto 2.Arcobaleno (Over The Rainbow) (虹のかなたに) 3.Con Lei 4.Dolcemente Bambina 5.Sempre Tu 6.Anche Tu 7.Un'Idea 8.E Poi Venne Sera 9.I Miei Giorni Felici (Chapel Of Dream) (夢のチャペル) 10.Dedicato A Te (ほほえみのために) サンレモ入賞曲をタイトル曲として彼がソロ歌手になって初のアルバムが作られました。“虹のかなたに”と“夢のチャペル”がカヴァー曲でその他5曲がとアンドレア・ロ・ヴェッキオが関わる曲でした。スタジオ・ミュージシャンとして兄弟のアルベルト・ロケッティ(Alberto Rocchetti)が参加しています。 77年2枚目のシングルはTV番組「リタ・ヘイワーズ」シリーズのアニタ・カート・エリスが歌っていた曲のカヴァーと77年フェスティヴァル・バール出場曲“夢のチャペル”のイタリア語カヴァー“Miei Giorni Felici”でした。 SP-1661 (1977年 Cetra - Fonit Cetra) Amado Mio [sigla televisiva del ciclo "Rita Hayworth" - Anita Kert Ellis]/I Miei Giorni Felici (Chapel Of Dream) (夢のチャペル) SP-1661 SP-1675 SP-1675 (1978年 Cetra - Fonit Cetra) Armonia E Poesia (調和の幻想)/Immaginando Elena 78年サンレモ音楽祭に“調和の幻想”で3年連続出場で6位になりました。彼とアンドレア・ロ・ヴェッキオの共作でした。 78年サンレモ音楽祭出場曲は未収録ですがセカンド・アルバムが発売されました。9曲中4曲が自作で、“Tu Me Faie Murì”はトト・クトウーニョが本名であるサルヴァトーレ・クトゥーニョ(Toto Cutugno)、“Anna No, Anna Mai”はシェル・シャピロ(Shel Shapiro)、“Canzone Disperata”がブルーノ・ラウツィ(Bruno Lauzi)と多彩なカンタウトゥーリが曲を提供しています。 このアルバムから自作の“Divina”と“Camminerò”をシングル・カットし、ソロ歌手で出したレコードの中では一番売れました。 LPX- 69 (1978年Cetra - Fonit Cetra) Santino Rocchetti 1.Tutti I Santi In Paradiso 2.Tu Me Faie Murì 3.Camminerò 4.Io Sto Con Te 5.Divina 6.Anna No, Anna Mai 7.Deserto 8.Canzone Disperata 9.Spanish Trip LPX- 69 SP-1691 SP-1691 (1978年 Cetra - Fonit Cetra) Divina/Camminerò “Per Favore Angela No”はロケッティの中では毒気の薄い曲でジャケットも一般受けしそうですが、ファンには物足りなさを感じさせるかもわからない出来上がりです。 SP-1713 (1979年 Cetra - Fonit Cetra) Per Favore Angela No/Canzone Va SP-1713 SP-1737 SP-1737 (1980年 Cetra - Fonit Cetra) Macché Amore/Sogno Te 80年チェトラで最後のシングル盤を出します。両面とも彼とアンドレア・ロ・ヴェッキオの共作でした。同年フォニット・チェトエラの廉価盤シリーズ、ペリカーノから編集ベスト盤が発売されました。 PL- 403 (1980年Pellicano – Fonit Cetra) Santino Rocchetti 1.Divina 2.Anna No, Anna Mai 3.Tu Me Faie Murì 4.E Tu Mi Manchi (孤独の朝) 5.I Miei Giorni Felici (Chapel Of Dream) 夢のチャペル 6.Dedicato A Te (ほほえみのために) 7.Dolcemente Bambina 8.Amado Mio 9.Mia 10.Pelle Di Sole (太陽の肌) 11.Armonia E Poesia (調和の幻想) 12.Io Sto Con Te PL- 403 新たなレコード会社はフランス・バークレイのイタリア現地法人SIF(Società Italiana Fonografica)でした。69年にイ・ロケッティ(I Rokketti)解散後、ニーノ・フェレール(Nino Ferrer)がイタリアで製作したアルバム「Rats And Roll's」にドラムスのタッシロ・ブルカルドと共に参加していた経緯もあり、再びSIFに戻ったとも言えます。 SIFでの“Perchè Non Provi A Ritornare Tu”、“Io Ti Aspetterò”、“Perchè Non Provi A Ritornare Tu”の3曲は弟アルベルト・ロケッティの音楽仲間であったエンリコ・ルッジェリ(Enrico Ruggeri,)とサンティーノ自身が作った曲でした。 SIF・NP-10015 (1982年 SIF - CGD) Perchè Non Provi A Ritornare Tu/Io Ti Aspetterò SIF・NP-10015 SIF・NP-10025 SIF・NP-10025 (1982年 SIF - CGD) Rodaggio D'Amore /Perchè Non Provi A Ritornare Tu A面“Rodaggio D'Amore”はロケッティ自身とカンタウトゥーリのクリスティアーノ・マルジョリオ(Cristiano Malgioglio)の曲です。マルジョリオはイヴァ・ザニッキ(Iva Zanicchi)の歌った74年サンレモ音楽祭優勝曲“さよならも言わずに(Ciao, cara, come stai?)”等の主に作詞をしている自作自演歌手です。この曲で夏のディスク・フェスティヴァル出場しましたが、なんと新人部門扱いでした。 96年往年のスターにヒット曲を歌わせた再生アルバムを出すダック・レコーズから12曲入りCDアルバム「Il Meglio Santino Rocchetti」が出ました。ネット上でも82年最後のシングル盤を出した以降96年までロケッティの消息は見つかりませんでした。本当にどうしていたのでしょう。 ウィキペディアには短く90年代はバンドを組んで、イタリアの各地のダンス・ホールやディスコでライヴ活動をしたとだけしか書いてありませんでした。 DGCD- 140 (1996年 Duck Gold – Duck Records) CD Il Meglio Santino Rocchetti 1.I Miei Giorni Felici (Chapel Of Dream) 夢のチャペル 2.Armonia E Poesia (調和の幻想) 3.Divina 4.E Tu Mi Manchi (孤独の朝) 5.Fiore DI Mare 6.Tu Me Faie Murì 7.Mia 8.Luna 9.Pelle Di Sole (太陽の肌) 10.Malafemmena 11.El Dindondero 12.Perche' Non Provi A Ritornare Tu DGCD- 140 DGCD- 233 DGCD- 233 (1997年 Duck Gold – Duck Records) CD Santino Rocchetti Non Solo Amore 1.Vento DI Mare 2.I Can'T Stop Loving You (愛さずにはいられない) 3.Dolcemente Bambina 4. Beso Tropical 5.Vola Gabbiano 6.Dedicato A Te (ほほえみのために) 7.Angelo Nero 8.Uomo Davvero 9.Con Lei 10.Amado Mio 11.Sunny Day 12.Zorba's Dance (ゾルバの踊り) 翌97年同じくダックから“愛さずにはいられない”のカヴァーも含めヒット曲の新録音CDを出します。同年カルト・レーベルのオンセール・ミュージックからイ・ロケッティ時代の復刻CDもでます。 52・OSM-022 (1997年 On Sale Music - On Sale Music) CD I Rokketti 1.Mr. Gold 2.Black Time (Versiione Italiana) 3.L'Amaro In Bocca (Stranger In The Town) (街角のストレンジャー) [Del Shannon] 4.Il Settebello 5.Ti Rivedrò Tra Gli Angeli 6.Non Ti Fermare Mai (You Got What It Takes) (青空の恋) [The Dave Clark Five] 7.Chi Vince In Me (Love So True) [Tielman Brothers] 8.Goodbye My Love (グッドバイ・マイ・ラヴ) 9.Zorba's Dance (ゾルバの踊り) 10.Black Time (English Version) 11.Una Bambolina Che Fa No, No, No (La Poupèe Qui Fait Non) (Studio Version) (ノンノン人形) [Michel Polnareff]) 12.Ha, Ha (Studio Version) (Ha Ha Ha) (ハ・ハ・ハ) (Don’t You Just Know It) [Screaming Lord Sutch] 52・OSM-022 2000年にはダックからヒット曲のリニューアル盤を出します。 GRCD-6224 (2000年CantaItalia – Duck Record) CD Santino Rocchetti [8012958852244] 1.Mia 2.Fiore Di Mare 3.Pelle Di Sole (太陽の肌) 4.Dolcemente Bambina 5.Malafemmena (悪い女) 6.E Tu Mi Manchi (孤独の朝) 7.Angelo Nero 8.I Miei Giorni Felici (Chapel Of Dream) 夢のチャペル 9.Dedicato A Te (ほほえみのために) 10.Divina 11.Armonia E Poesia (調和の幻想) 12.Vento Di Mare 13.Beso Tropical 14.Amado Mio GRCD-6224 GRCD-6344 GRCD-6344 (2002年Green Records – Duck Record) CD Santino Rocchetti Ieri Oggi Domani 1.Puerto Escondido 2.Il Mio Sogno D'Amore 3.Georgia On My Mind (わが心のジョージア) 4.Quelli Come Noi 5.Famme 'Nnammura' 6.Vera Musica 7.Dagli L'America 8.Fremiti D'Amore 9.Grande Elvis 10.C'E' Qualcosa Di Te 11.Libera 12.When a Man Loves a Woman (男が女を愛する時) [Percy Sledge] 02年50代半ばを過ぎ、人生を振返るようなCDを出し、その後はライヴに、TV出演に精力的な活動を続けています。 サンティ-ノ・ロッケッティの国内盤 GP- 382 (1975.年9月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLPサン・ヴァンサン音楽祭/夏のディスク・フェスティヴァル1975 (ST. VINCENT FESTIVAL) 13.太陽の肌 (PELLE DI SOLE) GP- 382 GP- 425 GP- 425 (1976年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP第26回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1976) 5.孤独の朝 (E TU MI MANCHI) サンティ-ノ・ロッケッティ 2は以上です。
2018.10.23
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★サンティ-ノ・ロッケッティ (vm) Santino Rocchetti 1946年7月13日ローマの北西100kmにある海沿いの町モンタルト・ディ・カストロ(Montalto di Castro (Viterbp)) 生、歌手、作詞・作曲家、バンド、ロケッティ(Rokketti)リのーダー。 活動期間:1961 – 現在 所属レコード会社: CDB, ARC, CBS, Philips, Fonit Cetra, SIF, Duck Record サンレモ音楽祭出場3回:1976年参加、77年入賞、78年6位 サンレモ音楽祭出品2曲:77年入賞、78年6位 サンティ-ノはリズムを&ブルースが好きで、しかも彼の声はしゃがれていて、ブラック・ミュージックを歌うのに適していました。お話は彼らモンタルト・ディ・カストロ兄弟が故郷の近くでバンドを結成する所から始まります。 1958年チヴィタヴェッキア(Civitavecchia)でマリオと サンティイーノのロケッティ兄弟がロケッティ(I Rocchetti))というバンドを結成しました。 結成時メンバー構成 ・マリオ・ロケッティ (Mario Rocchetti) (1958 - 1967)ヴォーカル、ピアノ ・サンティーノ・ロケッティ (Santino Rocchetti) (1958 - 1969) ヴォーカル、ギター ・ブルーノ・コルベッリ (Bruno Corbelli) (1958 - 1959) テナー・サックス ・ジュゼッペ・モスカローリ (Giuseppe Moscaroli) (1958 - 1962) ピアノ ・エンツォ・ガッリ (Enzo Galli) (1958 – 1962) ヴォーカル、ドラムス マレンマ・トスコ・ラツィアーレでいくつかのショーを終え、59年初頭ローマの「フロリダ」と契約が出来ました。ここで出演中に北欧公演のオファーを受け、バンド名をイタリア語「cche」の綴りでなくチョット英語風の「kke」にしたのがミソでした。 この頃にテナー・サックスのブルーノ・コルベッリがジャンニ・ボラヴェラに代わり、アダルベルト・ヴェンチュリーニが新たに加わりました。 59年加入メンバー ・ジャンニ・ボラヴェラ(Gianni Bonavera) (1959 - 1969) ヴォーカル、サックス、ギター ・アダルベルト・ヴェンチュリーニ (Adalberto Venturini) (1959 - 1960) ヴォーカル、ベース 60年さらに北欧・ドイツ・ツアーの際に再度メンバー・チェンジが有りました。 60年加入メンバー ・マリオ・パパロッツィ (Mario Paparozzi) (1960 - 1969) ヴォーカル、鍵盤楽器 音楽性の高さでこのツアーは6年間続けられました。62年ハンブルクのスター・クラブ(Star Club)で彼らが“Blau Peter”を演奏した時、興味深く聴いていたイギリスのグループがいました。彼らは数か月後ビートルズ(TheBeatles)として“ラヴ・ミー・ドゥ(Love Me Do)”でレコード・デビューします。この頃にジュゼッペ・モスカローリとエンツォ・ガッリが脱退し、ジョルジョ・グランディが参加しました。 62年加入メンバー ・ジョルジョ・グランディ (Giorgio Grandi) (1962 - 1965) ヴォーカル、ドラムス 65年長い北欧・ドイツ・ツアーを終え、イタリアに戻ります。ツアーで出会った17才のドイツ人ドラマー、タッシロ・ブルカルドがジョルジョ・グランディと交代しました。 65年のメンバー構成 ・マリオ・ロケッティ (Mario Rocchetti) (1958 - 1967) ・サンティーノ・ロケッティ (Santino Rocchetti) (1958 - 1969) ・ジャンニ・ボラヴェラ(Gianni Bonavera) (1959 - 1969) ・タッシロ・ブルカルド (Tassilo Burckard) (1965 - 1969) ヴォーカル、ドラムス ・マリオ・パパロッツィ (Mario Paparozzi) (1960 - 1969) 65年に設立されたばかりのマイナー・レーベルCDBと契約が出来、やっとレコード・デビューをしました。デビュー曲は映画「その男ゾルバ(Zorba)」の“ゾルバの踊り”でヴォーカルのない演奏曲でした。 DB-1072 (1965年 CDB – CDB Italiana) Zorba's Dance (ゾルバの踊り)/Il Settebello DB-1072 DB-1073 DB-1073 (1965年 CDB – CDB Italiana) Chi Vince In Me (Love So True)/Good Bye My Love (グッドバイ・マイ・ラヴ) 2枚目A面が日本では余り馴染みのない“インド・ロック”のティールマン・ブラザーズ(Tielman Brothers)が歌った“Love So True”のカヴァーです。 インド・ロックとは蘭領東インド(インドネシア)で欧州人と現地人の混血児たちが作ったロック・ン・ロール音楽で、宗主国のオランダでは一つのジャンルが出来、オランダ、ドイツで大流行しました。B面はサーチャーズ(The Searchers)の“グッドバイ・マイ・ラヴ”をカヴァーしています。 CDBとは一旦契約が切れたようで、CBSからA面がミッシェル・ポルナレフ (Michel Polnareff)のデビュー曲“ノンノン人形(La poupée qui fait non)”のカヴァー。 B面がJahkingさんのブログ「Jahkingのエサ箱猟盤日記」~ハ・ハ・ハと木登りハンキーと亀さん達によれば『ヒューイ・スミスの"Don't You Just Know It"とアーサー・コンレイが歌ったオーティス・レディング作の"Ha Ha Ha!の"を合体させてよりファンキーに仕上げた"Ha Ha Ha"のヒットで日本では知られるシカゴ出身マウス(モウズが正しい?)。』という代物のカヴァー、イタリアではScreaming Lord Sutchが“歌うDon't You Just Know It”とされていました。日本ではリンド&リンダースがさせたのでご存じの曲かもしれません。 2427(CBS) (1966年 CBS – Messaggerie Musicali) Una Bambolina Che Fa No, No, No (ノンノン人形) [Michel Polnareff]/Ha, Ha (Ha Ha Ha) (ハ・ハ・ハ) [The Mauds; cf.] 2427(CBS) SA- 9 (1966年 ARC – RCA Italiana) Una serata al Piper 52・OSM- 104 (2015年 On Sale Music - On Sale Music) CD Una serata al Piper 1Wolly Bully (ウーリー・ブーリー) [Sam the Sham the Pharaos] 2. Candy Man (キャンディ・マン) [Roy Orbison] SA- 9 52・OSM- 104 66年ローマのパイパー・クラブでのライヴ風仕立てのスタジオ録音盤に2曲収録されました。収録はARCのマイク・リデル&アトミ(Mike Liddell & Gli)とCDBのデルフィーニ(.I Delfini)、ジャガーズ(.I Jaguars)とロケッティで各2曲入っています。 CBSのコンピ盤はチンクェッティなどその時にヒットしていた曲を集めた「I Super Super」に1曲“ノンノン人形”のカヴァーが入れられました。 62874(CBS) (1966年 CBS – Messaggerie Musicali) I Super Super 8. Una Bambolina Che Fa No, No, No (ノンノン人形) [Michel Polnareff] 62874(CBS) LDB-3002 LDB-3002 (1966 年 CDB International – CDB Italiana) Per voi giovani 4. Il Settebello CDBのコンピ盤「Per voi giovani」にも1曲収録されました。 何とした事か!デビューしたCDBのオーナーのカルミネ・デ・ベネディクティス(Carmine De Benedictis)に再発見され、ロケッティはCDBに出戻りました。 この頃に理由不明ですがマリオ・ロケッティが脱退し、レンツォ・マッサレッリ、ジャンフランコ・チェチェレが加入します。 67年のメンバー構成 ・サンティーノ・ロケッティ (Santino Rocchetti) (1958 - 1969) ・ジャンニ・ボラヴェラ(Gianni Bonavera) (1959 - 1969) ・タッシロ・ブルカルド (Tassilo Burckard) (1965 - 1969) ヴォーカル、ドラムス ・マリオ・パパロッツィ (Mario Paparozzi) (1960 - 1969) ・レンツォ・マッサレッリ (Renzo Massarelli) (1967 - 1968) バリトン・サックス ・ジャンフランコ・チェチェレ (Gianfranco Cecere) (Cantagiro 1967) ギター CDB復帰1枚目はピエロ・ウミリアーニ(Piero Umiliani)作曲の“Black Time”は67年カンタジーロ・ジローネC出場曲で、英語版とイタリア語版があります。ロケッティとして一番成功した曲です。またB面はデル・シャノン(Del Shannon)の“街角のストレンジャー”のカヴァーです。 DB-1101 (1967年 CDB – CDB Italiana) Black Time [in inglese]/ L'Amaro In Bocca (Stranger In The Town) (街角のストレンジャー) DB-1101 (1967年 CDB – CDB Italiana) Black Time [in italiano]/ L'Amaro In Bocca (Stranger In The Town) (街角のストレンジャー) DB-1101 “Black Time”は67年製作スペイン・イタリア合作映画「L'Uomo Dal Pugno D'Oro」にも使われ、映画のサントラ盤として再発売、B面は同じくウミリアーニ作曲の映画「The Man With The Golden Hand」のモチーフ“Mr. Gold”を収録しています。 CDB・E-003 (1967年 CDB – CDB Italiana) Black Time [西伊映画L'Uomo Dal Pugno D'Oro]/Mr. Gold ["The Man With The Golden Hand"] CDB・E-003 DB-1116 DB-1116 (1967年 CDB – CDB Italiana) Ti Rivedrò Tra Gli Angeli/ Non Ti Fermare Mai (You Got What It Takes) (青空の恋) 続いて出されたシングルは両面ともカヴァー曲なのですが、A面の“Ti Rivedrò Tra Gli Angeli”がどうしてもわかりませんでした。B面はデイヴ・クラーク・ファイヴ(The Dave Clark Five)の“青空の恋”がオリジナルです。 68年に出した“Due Ali Nel Cuore”が彼らの最後の盤となりました。売れなかったのかジャケット画像が手に入りませんでした。69年ロケッティは解散します。その理由は分かりません。 DB-1142 (1968年 CDB – CDB Italiana) Due Ali Nel Cuore/Sei Tu DB-1142 フランス版リズム&ブルース歌手でもあるニーノ・フェレール(Nino Ferrer)がイタリアで製作したアルバム「Rats And Roll's」にドラムスのタッシロ・ブルカルドと共に参加します。 RIV・LP-80O16 (1970年10月 Riviera - SIF) Nino Ferrer – Rats And Roll's 1.Reminiscenza 2.Fratelli E Cosi’ Sia 3.Play Boy Scout 4.Canapa Indiana 5.Povero Cristo 6.O Mangi Questa Minestra O Salti Dalla Finestra 7.Meglio L’Amore Che Guerra 8.Pour Oublier Qu'on S'est Aimés 9.La Pelle Nera 10.Ol’ Man Riv RIV・LP-80O16 RAR・NP-77538 RAR・NP-77538 (1970年 Rare - SIF) Bahia/Ciao, Devo Andare [Anna Maria Baratta] 「Rats And Roll's」のセッション・メンバーでアンナマリア・バラッタのバックを付けたり、ガッティ・ロッシのシングルの製作にも参加しました。 6025-076 (1972年 Philips – Phonogram) E Dire Che A Maggio/Se Ne Va [con i Gatti Rossi] 6025-076 次回はソロ歌手サンティ-ノ・ロッケッティのお話です。 サンティ-ノ・ロッケッティは次回に続きます
2018.10.20
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★エツィオ・ピチョッタ (vm) Ezio Picciotta 本名エツィオ・マリア・ピチョッタ (Ezio Maria Picciotta) 1952年6月24日ローマ生、歌手、作曲家。 活動期間:1976 – 現在 所属レコード会社:RCA Italiana、Fonit Cetra, 、Lupus、Blitz サンレモ音楽祭出場1回:1976年参加、 サンレモ音楽祭出品1曲:1976年参加 法律学校の学生で歌が趣味だったエツィオの夢は歌手でした。1976年サンレモ音楽祭の出場曲“凡人”を歌うことで実現しますが入賞は出来ません。この年にはダリオ・ファリーナ(Dario Farina)と共作いた“夜の静けさ(Dove, Come, Quando)”がオルネラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)のアルバム「ヴァノ-ニ讃歌(Più)」に収録され、ライターとしての才能が先行しました。 TPBO-1200 (1976年 RCA Italiana - RCA Italiana) Uomo qualunque (凡人)/Ero libero TPBO-1200 SPF-31330 SPF-31330 (1978年 Fonit - Fonit Cetra,) Dio Che Cosa Non Farei.../Cantando 78年サンレモ音楽祭の登竜門カストロカーロ新人コンテストで優勝します。サンレモ出場経験者がサンレモ出場権を得られるカストロカーロで優勝したのは前代未聞の事でした。 この優勝でフォニットからフランコ・ミリアッチのプロデュースした“Dio Che Cosa Non Farei”で再デビューし、この曲が小ヒットして彼の代表作になります。この年リッキとポーヴェリ(Ricchi e Poveri)のユーロヴィジ・ソング・コンテスト出場曲“Questo Amore”をファリーナたちと共作しています。 79年にはヴァノーニのアルバム「ヴァノ-ニ讃歌」のプロデューサーをしたジピー&ジピー(Gepy & Gepy)のアルバム「Body To Body」にも楽曲を提供しました。 81年にファリーナと共作でフリオ・イクレシアス(Julio Iglesias,)に“素敵に酔わせて(Si, Madame)”も提供しています。 83年久々に作詞家で歌手のフィランコ・カリファーノがオーナーのレコード会社ルパース(Lupus)からシングル盤を出しました。 LUN-4942 (1983年 Lupus – Dischi Ricordi) Affari Di Cuore/Schiavo LUN-4942 BLZ-0020 BLZ-0020 (198?年Blitz - Interbeat) Il Problema È L'Amore/Na Na Nu Na [come Picciotta] 80年代と思われますが、インタービートのサブ・レーベル、ブリッツからディスコ系の曲をピチョッタ名義で出しています。 彼は喉を痛め歌手活動を断念していたようですが、活動を再開し2012年末自作自演の曲をYou-Tubeにアップしています。 エツィオ・ピチョッタの国内盤はありません、以上です。 ★ドゥルピ (vm) Drupi 本名ジャンピエロ・アネッリ(Giampiero Anelli) 1947 年8月10日、ミラノの南近郊の小都市パビア(Pavia)生、歌手。 RB-228 活動期間:1967 – 現在 所属レコード会社: サンレモ音楽祭出場8回:1973年参加、76年6位、82年第3位、84年8位、85年12位、88年20位、92年13位、95年16位 公式サイト:www.drupi.it 75年フェスティヴァル・バール出場に“ふたりの青春(Due)”で優勝し、年間ヒット・ランク21位、サード・アルバム「Due」も年間ベスト・アルバム21位のの大ヒットになりました。 その勢いで76年サンレモ音楽祭は“サンバリオ”が6位入賞、年間ヒット・ランク51位とまずまずの成績でした。 SRL-10・792 (1976年2月 Dischi - Dischi Ricordi) Sambariò (サンバリオ)/Aiutami (わかっておくれ...) SRL-10・792 SMRL-6184 SMRL-6184 (1976年 Ricordi – Dischi Ricordi) Drupi 1.Non Sei Più Tu (変わってしまった君) 2.Io Sto Bene Insieme A Te (君のそばで) 3.Aiutami (わかっておくれ...) 4.E Già... (すでに...) 5.Send Me Some Lovin' (愛しておくれ) 6.L'Albero (立木) 7.Voglia Di Te (君に首ったけ) 8.Lucille (ルシール) 9.Veccia Mia (私の老いし人) 10.Non Vivo (私は生きてゆけない) 11.Sambario' (サンバリオ) 12.Parlavo Sognavo (夢) “サンバリオ”の成功で4枚目のアルバム「Drupi」が出、日本でも「サンバリオ/ドゥルピ(LA VISIERA SI INDOSSA!)」として発売されます。 秋9月に出た76年2枚目のシングル「Bella Bellissima」は大きなヒットとはなりません。 SRL-10・823 (1976年9月 Dischi - Dischi Ricordi) Bella Bellissima/Non Sei Più Tu (変わってしまった君) SRL-10・823 SRL-10・841 SRL-10・841 (1977年 Dischi - Dischi Ricordi) Come Va77#72/Tutto Bene 77年のシングル“Come Va”は年間ヒット・ランク72位になりました。しかし順位は少しずつ下がっていきます。 “Come Va”の収録された5枚目のアルバム「Di Solito La Gente Mi Chiama Drupi」を出し、その中の“Vita Di Mare”はTV番組「Azzurro Quotidiano」の主題歌でシングル・カットされました。 SMRL-6211 (1977年 Ricordi – Dischi Ricordi) Di Solito La Gente Mi Chiama Drupi 1.Vita Di Mare 2.Come Va... 3.Bella Giornata 4.Due Corpi 5.Qualcosa Cambierà 6.Canto Per Te 7.Con Fantasia 8.E Io 9.Tutto Bene 10.Piu Anima 11.Che Posto E SMRL-6211 SRL-10・851 SRL-10・851 (1977年10月 Dischi - Dischi Ricordi) Vita Di Mare/Due Corpi 77年でリコルディを退社し、76年にドゥルピ自身と、作詞家ルイジ・アルベルテッリ(Luigi Albertelli)、作・編曲家エンリコ・リッカルディ(Enrico Riccardi)の3人で設立したレコード会社レアル・ミュージック(Real Music)に移籍しました。 新会社の第一弾はシングル盤“Provincia”と同名のアルバムの発売でした。 シングル盤は78年年間ヒット・ランク90位、アルバムは同年年間ベスト・セラー72位と両方ともにランク・インし面目を保ちましたが、決して芳しい成績と言い難いものでした。 RM-18000 (1978年4月Real Music - CGD Messaggerie Musicali Provincia/Piero Va RM-18000 RML-58000 RML-58000 (1978年Real Music - Messaggerie Musicali) Provincia RB-228 (1979年 Record Bazaar - CGD Messaggerie Musicali) Drupi ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照 1.Provincia 2.Io Non Sono Mai 3.Un'Onda 4.Osteria Tre Re 5.Vendo Tutto 6.Piero Va 7.Gente 8.Non E Gran Che 9.Ubbbriaco 10.E Cosi Comincio レアル・ミュージックの第二弾は76年からRAI1で放送が始まった日曜午後の超ワイドTVヴァラエディ番組(現在も放送が続く長寿人気番組)「ドメニカ・イン(Domenica in)」のテーマ・ソング“Paese”でした。しかしこれ以降ドゥルピの曲やアルバムがヒット・チャートに入ることはありませんでした。 RM-18004 (1978年9月Real Music - Messaggerie Musicali) Paese/Merilù RM-18004 RM-18008 RM-18008 (1979年Real Music - Messaggerie Musicali) Buonanotte/Giovanna 79年1枚目のシングル盤はルイジ・アルベルテッリの作詞にファブリツィオ兄弟の兄サルバトーレ(Salvatore Fabrizio)が作曲した“Buonanotte”です。 アルバムは「E Grido E Vivo E Amo」のタイトルで先のシングル盤“Buonanotte”2曲が収録され、“E Grido E Vivo E Amo”と“La Più Bella”がシングル・カットされました。ジャケットは舞台写真を使っていますが、スタジオ録音盤です。 RML-58001 (1979年Real Music - Messaggerie Musicali) E Grido E Vivo E Amo 1.La Più Bella 2.E Grido E Vivo E Amo 3.Io 4.Mamma Luna 5.Giovanna 6.Buonanotte 7.Una Come Te 8.E La Musica Va 9.Marta RML-58001 RM-18009 RM-18009 (1979年10月 Real Music - Messaggerie Musicali) E Grido E Vivo E Amo/La Più Bella 旧籍リコルディの廉価盤シリーズのオリゾンテから編集ベスト盤「Il Meglio Di Drupi」が発売されました。 ORL-8317 (1979年 Orizzonte – Dischi Ricordi) 30cm LP Il Meglio Di Drupi CD・ORL-8317 (2008年 Orizzonte – Dischi Ricordi) CD Il Meglio Di Drupi 1.Bella Bellissima 2.Vado Via (去り行く君) 3.Rimani (とどまる想い) 4. Sereno È... (青春のささやき) 5.Due (ふたりの青春) 6.Sambariò (サンバリオ) 7.Come Va 8.Piccola E Fragile (貧しくはかなく) 9.Tutto Bene 10.Vita Di Mare ORL-8317 CD・ORL-8317 RM-18010 (1980年Real Music - Messaggerie Musicali) Sera/I Capelli Di Armanda RM-18010 80年シングル盤“Sera”を出します。この頃には恩師ルイジ・アルベルテッリの関係も切れており、ドゥルピはレアル・ミュージックを離れフォニット・チェトラに移籍をします。 レアル・ミュージックはドゥルピ、アルベルテッリ、リッカルディで設立した会社でしたが、作詞、作曲家が関わっていると新人を育てたいという意思が大きく、多製の新人歌手をデビューさせましたが、成功した歌手はおらず、結局はドゥルピのワンマン会社であり、ドゥルピの稼ぎで投資額が回収できない新人歌手に会社の儲けをつぎ込んだ形となり、それぞれの思惑が一致しなくなっていたようです。当然のことながらレコード会社としての運営は行詰まりまり、レアル・ミュージックは80年に閉鎖されました。 ドゥルピの国内盤 DW-1103 (1975年 11月 RICORDI - ポリドール) ふたりの青春 (DUE)/深夜の水泳 (BAGNO A MEZZANOTTE) DW-1103 MW-2168 MW-2168 (1976年 5月 RICORDI - ポリドール) 30cmLPふたりの青春/ドゥルピ (DUE) 1.ふたりの青春 (DUE) 2.土曜日の夜 (SABATO SERA) 3.テントの中で (SOTTO LA TENDA) 4.深夜の水泳 (BAGNO A MEZZANOTTE) 5.ポー河の彼方に (OLTRE IL PO) 6.ささやかな生活 (VIVERE UN PO') 7.ツィスト (RIFLESSIONI TWIST) 8.本物の君 (SEI VERA) 9.眠られぬ夜 (VE-KI) 10.クワンド・マイ (QUANDO MAI) DWQ-6003 (1976年 7月 RICORDI - ポリドール) サンバリオ (SAMBARIO)/わかっておくれ... (AIUTAMI) DWQ-6003 MW-2180 MW-2180 (1976年 10月 RICORDI - ポリドール) 30cmLPカンツォーネ・ヒット大全集Vol.Ⅴ (HISTORY OF GOLDEN CANZONE Vol.Ⅴ) 10.青春のささやき (SERENO E'...) 12.ふたりの青春 (DUE) MWF-1018 (1977年 2月 RICORDI - ポリドール) 30cmLPサンバリオ/ドゥルピ (LA VISIERA SI INDOSSA!) 1.変わってしまった君 (NON SEI PIU' TU) 2.君のそばで (IO STO BENE INSIEME A TE) 3.わかっておくれ... (AIUTAMI) 4.すでに... (E GIA'...) 5.愛しておくれ (SEND ME SOME LOVIN') 6.立木 (L'ALBERO) 7.君に首ったけ (VOGLIA DI TE) 8.ルシール (LUCILLE) 9.私の老いし人 (VECCHIA MIA) 10.私は生きてゆけない (NON VIVO) 11.サンバリオ (SAMBARIO) 12.夢 (PARLAVO SOGNAVO) MWF-1018 ドゥルピ 3は1982年サンレモ音楽祭の後に続きます
2018.10.17
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★ヴァンナ・レアーリ (vf) Vanna Leali 1955年3月23日ヴェネチアの北北西120kmトレントの山中の町カヴァレーゼ、芸名ヴァンナ・ヴァーニ(Vanna Vani)も使った歌手。歌手ファウスト・レアーリ(Fausto Leali)は遠い親戚。 活動期間:1969 – 現在 所属レコード会社:Rare、Philips 、PDU、Disco Più、Five (come Vanna Vani) サンレモ音楽祭出場1回:1976年参加、 サンレモ音楽祭出品-曲: 公式サイト:https://plus.google.com/103672355011990867284 幼い頃から歌い始め、ピアノ・バーやナイトクラブでも歌います。パリでモデルをした後、セッテヴォーチ等に参加しました。サンレモ音楽祭の司会者でもあるマイク・ボンジョルノ(Mike Bongiorno)の紹介でSIFからレコード・デビューが出いたようです。 SIF・NP-77515 (1969年 Rare - SIF) L'Amore C'È/Non Mi Va SIF・NP-77515 SIF・NP-77519 SIF・NP-77519 (1969年 Rare - SIF) Guarda/L'Amore C'È レコード・デビューから6年の空白後、フィリップスから“È Lui”で再デビューしました。 6025-138 (1975年 Philips – Phonogram) È Lui/Ci Sarò 6025-138 DPN-7203 DPN-7203 (1976年2月 Disco Più – Dischi Ricordi) Torno A Casa (家に帰る)/La Mia Domencia 新興のディスコ・ピュから76年サンレモ音楽祭に“家に帰る”で出場しましたが、入賞出来ません。 同年ミーナのPDUに移り、“悲しき願い”のイタリア語カヴァー盤“Il Primo Giorno Senza Te”を出しました。多分アニマルズ(The Animals)とでなく当時リバイバルとして流行っていたサンタ・エスメラルダ(Santa Esmeralda)のカヴァーだと思われます。 美人の彼女は翌77年4月のイタリア版プレイボーイ誌に載ります。また5年の空白期間が再び起きています。この間にミーナの元恋人アウグスト・マルテッリ(Augusto Martelli)が作り、イザベラ・ビアジーニ(Isabella Biagini)が出演したミュージカル・コメディ「Biondissimamente tua」にリトル・ルール(Little Loulu)役で出演していました。 PA-1118 (1976年10月 PDU – EMI Italiana) Il Primo Giorno Senza Te (Don't Let Me Be Misunderstood 悲しき願い)/Amado Mio PA-1118 FM-13041 FM-13041 (1983年 Five – CGD) Voglio Qualcosa Di Più/Scandalo [come Vanna Vini] 83年イタリア初の民放TVカナレ5の子会社ファイヴ・レコードと契約します。流石に放送局の子会社、直ぐにTV番組「Il Mio Amico Ricky」のテーマ・ソングをシングル盤で発売しました。この時から芸名をヴァンア・ヴィーニ(Vanna Vini)変えました。 翌84年にはTVカナレ5の人気番組テーマ・曲集にも“Voglio Qualcosa Di Più”が入れられました。 FM-13519 (1984年 Five – CGD) Five Parade - I Fortissimi Di Canale 5 E Italia 1 [Various] 4.Voglio Qualcosa In Più [Vanna Vani] FM-13519 FM-13706 FM-13706 (1984年 Five – CGD) Vanna Vani – Amami... Pensami [come Vanna Vini] 1.Amami... Pensami 2.Cieli 3.Sulla Pelle Mia 4.Ho Deciso Che Resto Con Te またアメリカTVドラマ・シリーズ「L’Albero Delle Mele (The Facts of Life).」の主題歌“Amami... Pensami”を歌いQ-ディスク(Q-DISC)で発売しました。Q-ディスクとは4曲入り30cm盤でLPより安価で買い易くしたレコード盤です。日本の場合は17cm盤4曲入りの『コンパクト盤』(CD=コンパクト・ディスクではない)があり、同様なものと言えます。 86年“My Story”を出しました。一説にはフェスティヴァル・バール出場曲とされてますがウィキペディ・イタリア版で確認できませんでした。ズッケロ(Zucchero)のプロデューサーのミケーレ・トロペディーネ(Michele Torpedine)がプロデュースしています。 FM-13133 (1986年 Five – CGD) My Story/Mas Sincero [come Vanna Vini] FM-13133 FM-13169 FM-13169 (1987年 Five – CGD) Stai Con Me/Marylin 87年最後のシングル盤と思われる” Stai Con Me”を出しています。You-Tubeに動画がありました。 これ以降の活動は94年ピエロ・カッサーノ(Piero Cassano)とコラボし“Stai con me”と“Marylin”を歌い、メッカ-ノ(Meccano)のために“Non ci sarò” と“Provaci con me”を作りプロデュースしたこと。 RAI3が94年から95年に月~金12時半から14時に放した社会情報番組「Dove sono i Pirenei?」に制作協力した事。 RAI2のパオロ・リミティ(Paolo Limiti)の番組「Ci vediamo in Tv」にレギュラー出演した事、4年間ローカル音楽番組に出演し、サッカー・チームのブレシア・カルチョ(Brescia Calcio S.p.A)のサポーター・ソングを歌った事など書かれているサイトがありましたが、何れもヴァンナ・レアーリの名前が確認できていません。 2012年にはヴェローナ近郊のラツィーゼ(Lazise)城のお祭りの催し物に出演したり、18年3月には文化イベント『女性のためのレシピ』に出演し、収益は慈善団体に寄付されています。歌手としては至って元気に活動を続けているようです。 ヴァンナ・レアーリの国内盤はありません、以上です。 ★リッキとポーヴェリ (coro) Ricchi e Poveri 1968 年、ジェノヴァで結成されたコーラス・グループ。当初は男性2人女性2人のクァルテット、81年マリーナ・オッキエーナ(Marina Occhiena:)が脱退後はそのままトリオとして活動を続けます。 日本語表記はリッキ・エ・ポーヴェリ、リッキ&ポーヴェリ、リッチー&ポーベリー等あります。 CDP- 404 所属レコード会社:CBS/CGD、Apollo/RCA、Fonit Cetra、Baby Records/CGD、EMI、 BMA アルバム:29 (Studio20、Live1、Raccolte8 (ufficiali)) サンレモ音楽祭出場12回:1970年2位、71年2位、72年11位、73年4位、76年13位、81年5位、85年優勝、87年7位、88年9位、89年8位、90年入賞、92年参加 オフィシャル・サイト:ricchiepoveri.com メンバー構成 ・フランコ・ガッティ(Franco Gatti)ヴォーカル、ギター、キーボード、ピアノ:1942年10月4日ジェノヴァ生 ・アンジェラ・ブランバーティ(Angela Brambati)ヴォーカル:1947年10月20日ジェノヴァ生 ・アンジェロ・ソトジュー(Angelo Sotgiu:)ヴォーカル、ギター 、サックス:1946年2月22日サルディニア島北部の小さな町トリニータ・ダグルトゥ (Trinità d'Agultu e Vignola)生 ・マリーナ・オッキエーナ(Marina Occhiena:)ヴォーカル:1950年3月19日ジェノヴァ生、81年脱退 76年サンレモ音楽祭出場曲は子供たちと全く別の曲を合体した“二つの物語”という鋭い社会批判の曲でした。アンジェラは数か月後最初の子供を出産しました。 78年4月パリでのユーロヴィジョン・ソング・コンテストに “Questo amore”で出場し12位となります。フォニット・チェトラの廉価盤ペリカーノでアルバム「Ricchi & Poveri」が出ました。代表的な曲が10曲収録され扱いやすかったのかCDされ、また2LP In 1CDシリーズでは「I musicanti」(LPX- 46)と合併で2012年にCDとして発売されています。 PL- 404 (1978年 Fonit Cetra - Fonit Cetra) Ricchi & Poveri CDP- 404 (1989年 Fonit Cetra - Fonit Cetra) CD Ricchi & Poveri ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照 5050466-0171・2・3 (2003年 WSM - Warner Strategic Marketing Italy) CD Ricchi & Poveri (*3除外の9曲) 5053105-0081・5・5 (2012年 Rhino - WARNER MUSIC ITALIA) CD Ricchi & Poveri 2LP In 1CD (LPX- 46 “I musicanti “+ PL- 404” Ricchi & Poveri ”) 1.Questo Amore 2. Un Diadema Di Ciliegie (桜の少女) *3. Mama 4.E Poi... L’Amore 5.Giorno E Notte 6.Una Musica (あなたは音楽) 7.Mi Manchi 8. Penso Sorrido E Canto (ほほえみに歌を) 9.Caro Amore Mio 10.Musica Musica PL- 404 5050466-0171・2・3 5053105-0081・5・5 78年「ほほえみに歌を」というタイトルで2枚組編集ベスト盤を出しました。74年に“ほほえみに歌を”がヒットした後アルバム「ほほえみに歌を」だしています。タイトルだけだと間違いますのでお気を付けください。と言うのも本家本元リッキとポーヴェリのオフィシャル・サイトのディスコグラフィーでも間違えています。 DPU- 85 (1978年 Cetra - Fonit Cetra) 2LP Penso Sorrido E Canto (ほほえみに歌を) 1-1.Penso Sorrido E Canto (ほほえみに歌を) 1-2.C'È Una Donna Sola 1-3.Dolce È La Mano 1-4.Sinceramente 1-5.1+2=3 (Power To All Our Friends力をわれらに) 1-6.Torno Da Te 1-7.C'È Un Poeta In Me 1-8.Volo (Cloudsはるかなる愛の道) 1-9.Amore Sbagliato 1-10.Grazie Di Tutto (Tell Me Do You Love) 2-1.Giorno E Notte 2-2.Come Un Idiota 2-3.La Vecchina 2-4.Che Senso Ha 2-5.E Poi... L’Amore 2-6.Caro Amore Mio 2-7.Una Donna Cambiata 2-8.Al Bar 2-9.Ricordo Una Canzone 2-10.Chiari Di Luna DPU- 85 SP-1703 SP-1703 (1979年 Cetra – Fonit Cetra) Mama/Torno Da Te 79年TV番組「Jet quiz」のテーマ曲“Mama”をアンジェラ・ブランバーティ、アンジェロ・ソトジュー、マリーナ・オッキエーナの3人で作りました。これがチェトラで最後のレコードとなりました。80年に新興のベビー・レコーズに移籍します。 移籍第1弾のアルバム「La Stagione Dell'Amore」と「そして今は」のイタリア語カヴァーをシングル・カットしました。これが4人で歌う最後の盤となりました。 BR-50214 (1980年 Baby Records – CGD Messaggerie Musicali) E No, E No (Et Maintemant) (そして今は)/La Stagione Dell'Amore BR-50214 BR-56009 BR-56009 (1980年 Baby Records – CGD Messaggerie Musicali) La Stagione Dell'Amore RB-356 (1982 年Record Bazaar – CGD Messaggerie Musicali) Come eravamo * LSM- 1195 (1985 年Music A – CGD Messaggerie Musicali) Come eravamo * 1.E No, E No (Et Maintemant) (そして今は) 2.La Stagione Dell'Amore 3.Jungle Beat 4.Walking Love *5.Amare Ricominciare No No No 5*6.Somebody To Love 6*7.Piccolina 7*8.Goodbye My Love 8*9.What Now My Love (Et Maintemant) (そして今は) 9*10.Jungle Beat (Instrumental) RB-356 LSM- 1195 リッキとポーヴェリの国内盤 GXF- 81〜90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LP Box サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO) 8-12.ケ・サラ (CHE SARA') 9-9.桜の少女 (UN DIADEMA DI CILIEGE) 9-14.愛の果実 (DOLCE FRUTTO) GXF- 81〜90 リッキとポーヴェリ6は1981年サンレモ音楽祭の後に続きます
2018.10.14
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★カルロ・ジッリ (vm) Carlo Gigli 1953年3月22日(1951年6月23日説もある) ローマ生、自作自演歌手、作曲家、音楽出版社経営者。 活動期間:1969年 – 1979年 所属レコード会社: Beat, Kansas, RCA Italiana サンレモ音楽祭出場1回:1976年7位 サンレモ音楽祭出品1曲:自演出場曲1曲 カルロ・ジッリはリズム・アンド・ブルースとソウルが好きな少年で、彼の音楽活動は地方のダンスホールでバンドのメンバーから始まりました。 1969年幸運にも日本では映画音楽やサントラ盤で知られたビート・レコードから“Ho Sbagliato Ad Amarti”のシングル盤でデビューし、その晩は後にビート・レコードのディストリビューション元のフォニット・チェトラがフォニット・レーベルで発売を続けました。 F-04 (1969年10月 Beat – Fonit Cetra) Ho Sbagliato Ad Amarti/E' Un Bravo Ragazzo SPF-31257 (1969年 Fonit – Fonit Cetra) Ho Sbagliato Ad Amarti/E' Un Bravo Ragazzo F-04 SPF-31257 経緯は分かりませんが翌70年にカンサス(Kansas)に移籍し、“Ricorderai” を出していますが、これといった成果は出せなかったようです。 DM- 1131 (1970 年 Kansas – Clan Celentano) Ricorderai/Telefona Si, Telefona No DM- 1131 28006 28006 (1971年 Park Records - ) A Casa Mia/Un CuscinoPieno Di Lacrime (come Carlo Gigli e The Tramps) まったく情報のないレーベルのパーク・レコーズでカルロ・ジッリ&ザ・トランプスとして1枚シングル盤を出した後5年間消息が途絶えました。 76年突然にRCAイタリアーナから“もっと強く”で出場し、7位入賞と好成績を残します。 TPBO-1175 (1976年2月 RCA Italiana - RCA Italiana) Più Forte (もっと強く)/La Tempesta TPBO-1175 SPF-31332 SPF-31332 (1978年 Fonit – Fonit Cetra) Sabato, Domenica, Lunedi/L'Ho Fatto Per Amore そんなカルロですがサンレモ出場後また2年ほど消息が途絶え、78年古巣フォニットから“Sabato, Domenica, Lunedi”を出し、これが最後の盤となったようです。 カルロ・ジッリは歌手を引退しローマでバーを経営しています。 カルロ・ジッリは以上です。 ★シルヴァーノ・ヴィットリオ (vm) Silvano Vittorio 1956年5月9日にミラノ生、歌手。 活動期間:1975 – 1976 所属レコード会社: Ricordi サンレモ音楽祭出場1回:1976年参加 サンレモ音楽祭出品1曲: 1975年、ヒットした外国曲のカヴァー曲でリコルディからレコード・デビューしましたが、この盤に関して一切の情報は見つかりませんでした。 翌75年アンドレア・ロ・ヴェッキオ(Andrea Lo Vecchio)と共作した“ここにおいで”でサンレモ音楽祭に出場しましたが、入賞出来ませんでした。曲は60年代前半から半ばにかけてアメリカのポップス界で流行したようなスチール・ギターを使った曲で、当時ならボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)が歌ったような曲でした。 SRL-10・794 (1976年2月 Ricordi – Dischi Ricordi) Vieni (ここにおいで)/Perdonami ora SRL-10・794 余りにも時代が違っていたようです。サンレモ音楽祭後、引退したようです。 シルヴァーノ・ヴィットリオの国内盤はありません、以上です。 ★パトリツィオ・サンドレッリ (vm) Patrizio Sandrelli 1950年3月17 日ローマ生、自作自演歌手。デビュー直後は芸名ジーン・ローマン(Gene Roman)を使いました。 活動期間:1971 – 1979 所属レコード会社: RCA Original Cast、Smash サンレモ音楽祭出場1回:1976年14.位 ウィキペディ・イタリア版ではプロデューサーのフランク・ラブリオーラ(Franco Labriola)によって発見され、ジーン・ローマン(Gene Roman)の芸名でマカロニ・ウェスタン映画「風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー (Trinity Stand Tall (Continuavano A Chiamarlo Trinity))」のグイド&マウリツィオ・デ・アンジェリスが作った主題歌を歌って1971年にデビューしました。 で普通の場合これで済むのですが、パトリツィオ・サンドレッリの場合は少々混みいった状況があります。71年7月1日から3日までの第19回ナポリ音楽祭に本名でジョルジョ・フェッラーラ (Giorgio Ferrara)のパートナーとして“Tu Nun Me Pienze Cchiù”で出場しています。 映画の公開は71年秋(10月)でしたので、ナポリ音楽祭に本名パトリツィオ・サンドレッリで出場した方が歌手デビューとなります。しかしナポリ音楽祭はストライキのため中断し、最終日が行われなかったため優勝、順位が付きませんでした。前年26回サンレモ音楽祭の成功者アンジェラ・ルーチェ(Angela Luce)も出場しており、不成立のナポリ音楽祭出場曲でも彼女クラスになるとレコードを出してもらいましたが、サンドレッリのように新人歌手だとレコードは発売されていないようです。 まあ映画の封切りが10月だと7月には映画の主題歌は吹込まれていたかもしれませんし、確実にレコードが発売されたのが“Trinity Stand Tall”なのので、これをデビュー曲(レコード・デビュー)としておきましょう。 OC- 20 (1971年10月 RCA ORIGINAL CAST - RCA ITALIANA) Trinity Stand Tall (風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー)/Remember (come Gene Roman) LP0M-007・45 (2017年 Digitmovies – Digitmovies Alternative Entertainment) Trinity Stand Tall (風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー)/Remember (come Gene Roman) OC- 20 LP0M-007・45 翌72年フランコ・ラブリオーラがローマで設立した会社スマッシュ(後にスマッシュ・オリジナル・キャスト)から2枚目のシングル“Don't Lose Control”を出しました。このレコードも映画「…E Poi Lo Chiamarono Il Magnifico/Man Of The East (自転車紳士西部を行く)」の主題歌で、B面が前作「風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー」と同様に映画の音楽担当がデ・アンジェリス兄弟が自らの演奏曲でした。この映画は日本で劇場未公開、TV放映のみでした。 SM-6001 (1972年 Smash – CBS Sugar) Don't Lose Control […E Poi Lo Chiamarono Il Magnifico/Man Of The East (自転車紳士西部を行く)/ Tema Di Candida [G. & M. De Angelis E La Loro Orchestra] (come Gene Roman) SM-6001 SM-6002 SM-6002 (1972年 Smash – CBS Sugar) You and I/Junk 72年スマッシュ2枚目(通算3枚目)のシングルで芸名ジーン・ローマンから本名パトリツィオ・サンドレッリに戻します。作曲はデ・アンジェリス兄弟、作詞は自分ですがペン・ネームでローマンを使っていました。B面の“ジャンク”はポール・マッカートニーの70年のアルバム「マッカートニー」に収録された曲のカヴァーです。 73年ファースト・アルバム「Patrizio Sandrelli」が発売されました。シングル盤で発売された曲に数曲足した10曲入りでした。この頃からレーベル名にオリジナル・キャスト表記が付け加えられます。 SM-904 (1973年 Smash Original Cast – CBS Sugar) Patrizio Sandrelli 1.Dimensione Irreale 2. You And I 3.Morire A Vent'Anni 4.Don't Lose Control 5.Junk 6.When You Call My Name This Way 7.L'Oro Del Tuo Grembo 8.Un Breve Amore 9.Remember 10.Notte Giorno Vita Morte SM-904 74年に出したシングル盤“Rosa”が息の長いヒットとなり、75年年間ヒット・ランク61位に入りました。このヒットでセカンド・アルバムが発売されます。と言ってもファースト・アルバムの2曲を落として“Rosa”と未発表曲“Gente Umanità”に差替えただけでした。 SM-6006 (1974年 Smash Original Cast – CBS Sugar) Rosa/Don't Lose Control SM-6006 SM-906SM-906 (1975年 Smash Original Cast – CBS Sugar) Rosa 1.Rosa 2.Gente Umanità 3.You And I 4.Dimensione Irreale 5.Morire A Vent'Anni 6.When You Call My Name This Way 7.Junk 8.Un Breve Amore 9.Remember 10.Notte Giorno Vita Morte 75年3月に出した“Fratello In Amore”も同年年間ヒット・ランク62位になりました。(“Rosa”が61位で連続ランク・インと珍しい事が起こりました) SM-6007 (1975年3月 Smash Original Cast – CBS Sugar) Fratello In Amore/Piccolo Fiore Nero SM-6007 SM-6008 SM-6008 (1976年2月 Smash Original Cast – CBS Sugar) Piccola Donna Addio (暁に消えて)/ L'Oro Del Tuo Grembo この快挙で翌76年サンレモ音楽祭に出場することが決まります。結果は14位入賞となりました。 直ぐに次のシングル盤“A Letto Senza Cena”が出されます。実はサンドレッリの顔写真はこれまでジャケットに使われず、初めて彼の顔が載りました。 ここでお詫びです。2018年9月23日の私のブログでパトリツィオ・サンドレッリとして掲載した顔写真は、次のシングル盤“Brother In Love”から取ったのですが、別人(俳優アレッサンドロ・モモ)の写真でした。謹んでお詫びし、正しい顔写真を訂正掲載した事を報告いたします。 SM-6009 (1976年 Smash Original Cast – CBS Sugar) A Letto Senza Cena/Senza Di Lei SM-6009 SM-6010 SM-6010 (1976年5月Smash Original Cast – CBS Sugar) Brother In Love/Woman's Parfume (Profumo Di Donna) 76年5月に“Brother In Love”を出しました。74年11月に交通事故で亡くなった俳優アレッサンドロ・モモ(Alessandro Momo)に捧げた曲でした。モモは「青い体験」、「続・青い体験」で人気が出てて来たところで、まだ17才でした。この盤を最後にスマッシュも経営に行き詰まり閉鎖されます。 サンドレッリは聞いたこともないティーンというレーベルから78年“Lisa”という曲を出しますが、それを最後に消息がなくなりました。 TNI-16000 (1978年 Teen - ) Lisa/Gente Umanità TNI-16000 パトリツィオ・サンドレッリの国内盤 GP- 425 (1976年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP第26回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1976) 13.暁に消えて (PICCOLA DONNA ADDIO) GP- 425 パトリツィオ・サンドレッリは以上です。
2018.10.11
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ジェンスジェンス 1970年、71年にサンレモ音楽祭に出場したジェンス(I Gens)は74年に解散しましたが、その内3人が75年に2つのバンドを結成し、奇しくも76年サンレモ音楽祭に両方のバンドが出場しましたので、一緒にご紹介しましょう。 ★ヌオーヴァ・ジェンテ (compl) Nuova Gente,{La} 元ジェンスのメンバー2人1975年にトリオのバンドを結成し、翌76年に解散しました。 活動期間:1975 – 1976 所属レコード会社: FMA, Durium サンレモ音楽祭出場1回:1976年17.位 サンレモ音楽祭出品1曲: メンバー構成 ・フィリッポ・ランドロ (Filippo Landro) 1949年1月5日シチリア北東部の都市メッシーナ生、元ジェンスのキーボード奏者。アレンジャーとしてリラ(Lira)名義を使うこともある。 ・エットーレ・カルドゥッロ(Ettore Cardullo) 1948年7月17日メッシーナ生、 元ジェンスのベーシスト。 ・マリオ・ヴォランティ(Mario Volanti) 1953年9月15日メッシーナ生、ギタリスト。後にラジオ・イタリアの音楽パーソナリティ。 1974年プログレ・バンドのジェンスが解散した後、75年にメンバーのフィリッポ・ランドロとエットーレ・カルドゥッロはギタリストのマリオ・ヴォランティを加え、トリオ・バンドのヌオーヴァ・ジェンテを結成しました。 バンドはムーグ・シンセサイザー演奏家のグァルディア-ノ・デル・ファ-ロ(Il Guardiano del Faro)として知られる、音楽プロデューサーのフェデリコ・モンティ・アルドゥイーニ(Federico Monti Arduini)が75年に設立したばかりのFMAと契約し、FMA最初のシングル盤“Tu Credi”を発売しました。 ZFM-50400 (1975年6月 FMA – RCA Italiana) Tu Credi/ È Inutile ZFM-50400 ZFM-50403 ZFM-50403 (1976年2月 FMA – RCA Italiana) Che Sarei (恋の不安)/Fantasma D'Allegria アルドゥイーニのお陰か、翌76年のサンレモ音楽祭に“恋の不安”で出場しました。そして最下位の18位ですが入賞することが出来ました。 しかしアルドゥイーニの方針かFMAは76年でレコード製作を中止し、グァルディア-ノ・デル・ファ-ロはチェトラに移籍し、ヌオーヴァ・ジェンテはドゥリウムに移籍しシングル盤“Dormi”を出しましたが、すぐに解散してしまいました。 Ld・Al-7947 (1976年 Durium – Durium) Dormi/Noi Contro Noi Ld・Al-7947 ヌオーヴァ・ジェンテの国内盤はありません、以上です。 ★オペラ (compl) Opera,{Gli } 元ジェンスのリーダー、フィリベルト・リッチャルディ (Filiberto Ricciardi)が75年に結成したバンド。85年まで活動を続けました。 活動期間:1975 – 1985 所属レコード会社: CBS, Durium, Radio Records サンレモ音楽祭出場3回:1976年9位、79年参加、81年参加 サンレモ音楽祭出品-曲: 公式サイト: 1974年プログレ・バンドのジェンスが解散た後、リーダーのイル・バロネットことフィリベルト・リッチャルディは翌75年3人のメンバーを集めて4人編成のバンド、オペラ(Gli Opera)を結成しました。 結成及び1976年サンレモ音楽祭出場メンバー ・イル・バロネット(Il Baronetto)本名フィリベルト・リッチャルディ(Filiberto Ricciardi) (在籍1976-79): 1949年4月15 日(25日説もあり)にメッシーナ生、リーダー、ヴォーカル、キーボード、元ジェンス(Gens)のリーダー。ウィリアム・リッチャルディ (William Ricciardi)を使うこともあった。 ・ピノ(Pino)本名ジュゼッペ・アレグロ(Giuseppe Allegro) ベース(在籍1976) ・ジミー(Jimmy)本名ジュゼッペ・マンティネオ(Giuseppe Mantineo) ギター(在籍1976-79) ・ヴィンチェンツォ・マッカニャーニ(Vincenzo Maccagnani) ドラム(在籍1976-79) CBSと契約し、フィリベルト・リッチャルディ達が作ったフェスティヴァル・バール参加曲“Donna Di Chi”でデビューしました。 3260(CBS) (1975年 CBS – CBS Sugar) Donna Di Chi/Se Tu, Se Mai 3260(CBS) 4042(CBS) 4042(CBS) (1976年 CBS – CBS Sugar) L'Ho Persa Ancora (また失った恋)/Se Tu, Se Mai 76年サンレモ音楽祭に“また失った恋”で出場し、9位になります。その後EMIに移籍しますが“Lei Bambina , Lei Signora”の一作だけでした。 3C・006-18209 (1976年EMI – EMI Italiana) Lei Bambina , Lei Signora/ara 3C・006-18209 RB- 82 RB- 82 (1976年 Record Bazaar – CBS Sugar) Supergruppi 4.L'Ho Persa Ancora 9.Donna Di Chi 76年CGD、CBS在籍バンドの編集ベスト盤が出ました。オペラも2曲入りました。 Ld・Al-7980 (1977年 Durium - Durium) Stelle Su Di Noi /Cucciolo Ld・Al-7980 Ld・Al-8001 Ld・Al-8001 (1978年 Durium - Durium) Re Salomone/Aria, Acqua, Terra E Fuoco 翌77年再度ドゥリウムに移籍し、“Stelle Su Di Noi”でフェスティヴァルバールに参加します。78年彼らのレパートリーとクラシック音楽を融合させたロック・オペラ「Aria, Acqua, Terra E Fuoco」を上演し、その中の曲をシングル盤として出しました。 リッチャルディのプロデュース、アレンジでディアリオ(Il Diario)の“Piccolo Pierrot”が出ています。リッチャルディ自身がディアリオに加わっていたのか不明です。 UP-10028 (1978年 Up - SAAR) Piccolo Pierrot/Cristalli (comr Il Diario) UP-10028 Ld・Al-8038 Ld・Al-8038 (1979年 Durium - Durium) Il Diario Dei Segreti(秘密の日記)/1000 Anni Luce 79年再びサンレモ音楽祭に“秘密の日記”で出場しますが、参加曲に止まります。この前後にメンバー変更がありました。 変更メンバー・79年サンレモ音楽祭出場メンバー ピノ→・アントネッロ・バッリラ(Antonello Barrilà)ベース(在籍1979-81) 1952年9月22日メッシーナ生 ・ジミー→・カルロ・シモーネ(Carlo Simone)ギター ・ピッポ(Pippo)本名ジュゼッペ・アドルーノ(Giuseppe Adorno ) ドラム(在籍1979)→ ピノ・サルピエトーロ(Pino Salpietro) プログレ色を高めながらドゥリウムで後2枚シングル盤を出しています。 Ld・Al-8050 (1979年 Durium - Durium) Volare Mai/ Vecchio Mercante Ld・Al-8050 Ld・Al-8078 Ld・Al-8078 (1980年 Durium - Durium) Lascia Che Sia/Senti 81年サンレモ出場の前に結成メンバーは脱退し、途中加入のアントネッロ・バッリラと新メンバーはRCAイタリアーナに販売委託をしたラジオ・レコーズに移籍しました。81年サンレモ音楽祭には新バンドとして“Guerriero”で三度出場しますが入賞出来ませんでした。 再編成・81年サンレモ音楽祭出場メンバー ・ヴァンニ・コモッティ(Vanni Comotti) 1955年3月7日トレヴィリオ生 ・レレ・ベッリン(Lele Bellin) 1956年12月21日ボルゴ・ディ・コモ生 ・マリオ・ランビアーゼ(Mario Lambiase) 1957年2月15日トリノ生 ・アントネッロ・バッリラ(Antonello Barrilà) ・マリオ・ヴァレンティ(Mario Volanti) 1953 年 9 月 22 日メッシーナ生 ・ピエロ・パシーニ(Piero Pasini) ベーシスト、バッリラの後継(在籍1982-85) ZBRR- 7210 (1981年Radio Records –RCA Italiana) Guerriero/Con Lei ZBRR- 7210 ZBRR- 7233 ZBRR- 7233 (1981年Radio Records –RCA Italiana) Guai/Luce Del Mattino 新メンバーはもう1枚“Guai”を出し、81年中にバッリラが脱退しますが、85年まで活動を続け解散をしました。 ジェンス、オペラのリーダーだったフィリベルト・リッチャルディはバンド脱退後、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院オーボエ課程を修了し、クラシック界でテノール歌手となり本当の『オペラ』の世界で活躍しました。 オペラの国内盤 GP- 425 (1976年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP第26回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1976) 10.また失った恋 (L'HO PERSA ANCORA) GP- 425 オペラは以上です。 (ご参考) ★ジェンス、{イ・} (compl) Gens,{ I } のメンバー構成 (※太字は70年サンレモ音楽祭出場) ・イル・バロネット(Il Baronetto准男爵の意味)、本名フィリベルト・リッチャルディ (Filiberto Ricciardi) 1949年4月15 日(25日説もあり)にメッシーナ生、リーダー、ヴォーカル、ギタリスト (在籍1967-1971, 1972-1974)、フィリベルト・ウィリアム・リッチャルディ (Filiberto William Ricciardi)を使っていた。75年に結成したオペラ(Gli Opera)を結成。 ・ピッポ(Pippo)、本名フィリッポ・ランドロ (Filippo Landro) 1949年1月5日メッシーナ生、キーボード奏者。アレンジャーとしてリラ(Lira)名義を使うこともある。75年に結成したヌオーヴァ・ジェンテ(La Nuova Gente)のメンバーとして76年サンレモ音楽祭に出場。 ・ヌヴォーラ・ジャッラ(Nuvola gialla 黄色い雲の意味)、本名エットーレ・カルドゥッロ(Ettore Cardullo) 1948年7月17日メッシーナ生、 ベーシスト。75年に結成したヌオーヴァ・ジェンテ(La Nuova Gente)のメンバーとして76年サンレモ音楽祭に出場。 ・ラ・シニョーラ・オミチーディ(La signora omicidi レディ・キラーズの意味)、本名ジルベルト・ブルーノ(Gilberto Bruno) 1949年6月8日メッシーナ生、1971年オルツィヌオーヴィ(ブレーシャ)没。ギタリスト (在籍1967-1969)。 ・イル・レオーネ(Il leone)、本名ピノ・サルペトロ(Pino Salpietro) 1947年2月2日メッシーナ生。ベーシスト。 交代メンバー ・アルベルト・タディーニ(Alberto Tadini) 1950年カラヴァッジョ(ベルガモ)(Caravaggio (Bergamo)) 生、ヴォーカル、ギタリスト、1971 年サンレモ音楽祭でリード・ヴォーカル担当(在籍1971-1972) 。 ・マウロ・クロッタ (Mauro Culotta) ギタリスト (在籍1969-1973) ・エンリコ・ビアンキ(Enrico Bianchi) ボーカル、キーボード ・ヴィンチェンツォ・コンバルド (Vincenzo Lombardo) ベーシスト
2018.10.08
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★サンドロ・ジャコッベ (vm) Sandro Giacobbe本名サンティーノ・ジャコッベ1951年12月14日ジェノヴァ南東20kmにある小さな海沿いの町モネーリア(Moneglia)生、自作自演歌手、作詞・作曲家。 活動期間:1972年 –現在所属レコード会社: Ricordi, CBS, CGD, Fonit Cetra, Carosello, Airone Music サンレモ音楽祭出場3回:1976年第3位、83年16位、90年入賞、サンレモ音楽祭出品4曲:自演出場曲3曲と80年参加曲 両親は南部の「長靴の土踏まず」辺りに位置するポテンツァ県ジェンツァーノ・ディ・ルカーニア(Genzano di Lucania, in provincia di Potenza)の労働者階級出身で二人兄弟の家庭でした。 16才の時会計の勉強止め、近所の友人とジャコッベ&レ・アッルチナツィオーニ(Giacobbe & le Allucinazioni)を結成し、リグリア地方で活動をしていました。最初にリコルディと契約することが出来、1971年芸名ジャコッベで “Per Tre Minuti E Poi..”を歌いデビューしました。SRL-10・623 (1971年 Ricordi – Dischi Ricordi) Per Tre Minuti E Poi.../Giorni D'Amore, Io E Te (come Giacobbe)SRL-10・623 SRL-10・677SRL-10・677 (1972年 Ricordi – Dischi Ricordi) Scusa Se T'Amo/Un Ricordo (come Giacobbe) 翌72年2枚目のシングル盤“Scusa Se T'Amo”を出しますが売れず、契約は打切られました。73年CBSディスキにスカウトされ契約ができ、“Ho Già Scelto Lei”でサンドロ・ジャコッベとして再デビューしました。1575(CBS) (1973年 CBS – CBS Sugar) Ho Già Scelto Lei/Anche Per Me 1575(CBS) 74年はサンドロにとって最良の年となりました。2枚目のシングルはダニエレ・パーチェ(Daniele Pace)とカテリーナ・カセルリの「序曲『春』」にテーマ曲を提供した作曲家ダニーロ・ヴァオナのCGDの作詞・作曲家とジャコッベの共作した74年のフェスティヴァルバール(Festivalbar)出場曲“夢に見た君 (Signora Mia)”でした。結果は7位入賞で74年年間ヒット・ランク59位のヒットになります。 作家としてはもう一つの大フェスティヴァル、夏のディスク・フェスティヴァルのジャンニ・ナザーロ(Gianni Nazzaro)出場“愛をたずねて(Questo Sì Che è Amore)”をダニエレ・パーチェとの共作で提供しました。ナザーロは優勝し、曲は74年年間ヒット・ランク71位に入ります。2230(CBS) (1974年 CBS – CBS Sugar) Signora Mia (夢に見た君)/La Stanza Del Sole2230(CBS) CBS-65847CBS-65847 (1974年 CBS – CBS Sugar) Signora Mia1.Signora Mia (夢に見た君)2.Fammi Amare3.Nel Letto Di Casa Mia (Entrò la Luna)4.L'Amore Che Abbandono5.L'Amore È Una Gran Cosa (愛の小部屋)6.La Stanza Del Sole7.Il Più Facile Degli Amori8.Due Donne Da Amare9.Signora Addio (別れの詩) この大成功で彼のファースト・アルバムが製作され、75年日本ではジャコッベの作った14曲を集めたジャンニ・ナザーロのアルバム「愛に咲く少女/ジャンニ・ナザ-ロ」(下記ご参考を乞うご参照!)が発売されました。ナザーロの“愛に咲く少女(Piccola Mia Piccola)”は74年カンツォニッシマの決勝戦で歌われ、75年年間ヒット・ランク65位になりソング・ライターとしてジャコッベの評価を高めました。 75年3月CBS3枚目のシングル“禁じられた園”を出しました。シングルとしては同年年間ヒット・ランク27位の大ヒットになり、この曲を収めたアルバム「Il Giardino Proibito (禁じられた園)」は同年年間ベスト・セラー51位になる大成功でした。3049(CBS) (1975年3月 CBS – CBS Sugar) Il Giardino Proibito (禁じられた園)/Circostanze (運命の騎士)3049(CBS) CBS-69115CBS-69115 (1975年 CBS – CBS Sugar) Il Giardino Proibito1.Circostanze (運命の騎士)2.Eppure L'Immaginazione3.Storie Di Primavera (春の物語)4.Un'Ora E Poi5.Il Giardino Proibito (禁じられた園)6.Piccola Mia Piccola (愛に咲く少女)7.Lei8.Se9.Stasera Dormirò Con Te10.La Mia Città Di Notte 前年成功のきっかけとなったフェスティヴァルバールに“涙の傷”で連続出場しましたが、本選に進めませんでした。また同曲で秋の第9回ヴェネチア国際音楽祭のスター部門である金のゴンドラ(XI Mostra internazionale di musica leggera-Venezia 1975)に出場し、見事優勝。75年年間ヒット・ランク41位の成績になりました。この曲はスペインでも大ヒットし、後にスペイン語のアルバム製作が盛んにされるようになります。3657(CBS) (1975年 CBS – CBS Sugar) Io Prigioniero (涙の傷)/Mary Claire 3657(CBS) 2年連続でヒット曲が出たカンタウトゥーリとして76年サンレモ音楽祭に彼自身とダニエレ・パーチェ、71年にプロタゴニスティ(I Protagonisti)のリーダーとしてサンレモ出場もしたこともあるオスカー・アヴォガドロ(Oscar Avogadro)との共作で“雨の中の瞳”を歌いました。結果はトト・クトゥーニョ(Toto Cutugno)がリーダーのアルバトロス(Albatros)が歌った“別離のローマ空港(Volo AZ 504)”と同点第3位の表彰を受けています。年間ヒット・ランクではジャコッベが22位、アルバトロスは同52位でジャコッベが勝っていました。4043(CBS) (1976年2月 CBS – CBS Sugar) Gli Occhi Di Tua Madre (雨の中の瞳)/Dieci Anni Fa4043(CBS) CBS-81312CBS-81312 (1976年 CBS) Metto All'Asta... 1.Gli Occhi Di Tua Madre (雨の中の瞳)2.Prendi3.Dieci Anni Fa4.Lo Prigioniero5.Metto All'Asta6.Se Caso Mai...7.Ma Ci Pensi8.Mary Claire9.La Stanza Dei Ricordi サンレモ音楽祭の成功でセカンド・アルバムが発売され、こちらも同年年間ベスト・セラー73位になる売れ行きでした。 “雨の中の瞳”の大ヒットで影が薄くなってしまった同年のもう1枚のシングル盤“Il Mio Cielo, La Mia Anima”も同年年間ヒット・ランク94位に滑り込んでいます。4456(CBS) (1976年 CBS – CBS Sugar) Il Mio Cielo, La Mia Anima/Io Mi Perderò 4456(CBS) 彼の大成功で年末にはCGDの廉価盤シリーズのレコード・バザールからヒット曲を集めた編集ベスト盤が発売されました。RB- 76 (1976年Record Bazaar – CBS Sugar) Ritratto Di...Sandro Giacobbe1.Signora Mia (夢に見た君)2.Storie Di Primavera (春の物語)3.Il Più Facile Degli Amori4.Circostanze (運命の騎士)5.Lei6.Piccola Mia Piccola (愛に咲く少女)7.Signora Addio (別れの詩)8.Due Donne D'Amare9.Un'Ora E Poi10.La Mia Citta' Di Notte11.Io Prigioniero (涙の傷)12.Il Giardino Proibito (禁じられた園) RB- 76 77年歌手とは別次元の厄介事が起きます。66年後半からイタリアでの販売権をCGDに委ねていた米CBSがCGDとの提携を解消し、分離独立しイタリア現地法人CBSディスキを設立することになりました。日本でも外国レーベルで日本人歌手が日本国内盤を作っていました(ポップス系の曲はその方が価値を高めたため)が、イタリアでも同様なごことが行われていました。問題は曲の版権、歌手の所属契約をどちらの会社が取るのかという争いになります。プーやマルチェラ、ジャンニ・ナザーロはCBSに行きましたが、チンクェッティやジャコッベはCGDを選びました。 77年前半に出た“少女のかおり”のシングル盤(77年年間ヒット・ランク82位)と同曲を収録したアルバム「Bimba」はCBSからの発売でした。5207(CBS) (1977年 CBS – CBS Sugar) Bimba (少女のかおり)/Ieri5207(CBS) CBS-81962CBS-81962 (1977年 CBS) Bimba1.Preludio (夢のプレリュード)2.Il Vecchio Antonio3.Chissà Però4.Amici5.Se Vuoi Nasconderti6.Bimba (少女のかおり)7.Il Tempo Dell'Amore (愛の季節)8.Quel Gioco Stupido (失われた遊び)9.Che Cosa Rimane10.Ieri11.E Silvia (シルヴィア) 78年はシングル盤“Volare Via”と同曲を収録したアルバム「Lenti A Contatto」はCGDに切替わりました。CGD-10097 (1978年5月 CGD - Messaggerie Musicali) Volare Via/NinaCGD-10097 CGD-20067CGD-20067 (1978年CGD - CGD Messaggerie Musicali) Lenti A Contatto1.Volare Via2.Il Pozzo Dei Miraggi3.E Lo Sai4.Nina5.Stringimi Di Più6.Lenti A Contatto7.Puoi8.C'È9.Dietro Ai Rami Del Ciliegio 78年10月ジリオラ・チンクェッティの日本公演にサンドロ・ジャコッベが同行し、唯一の来日を果たしました。サンドロ・ジャコッベの国内盤GP- 425 (1976年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP第26回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1976)9.雨の中の瞳 (GLI OCCHI DI TUA MADRE)GP- 425 GXF- 31~5 GXF- 31~5 (1976年6月21日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 5LP Boxカンツォーネの歴史 (LA STORIA DI CANZONE ITALIANA)5-17.夢に見た君 (SIGNORA MIA)GXC- 5~6 (1977年2月21日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LP ネグロ・炎・別離のローマ空港/イタリアン・ポップスの新星たち (NEGRO/NESSUNO MAI/VOLO AZ504 ITALIAN POPS ALL STARS)1-1.夢に見た君 (SIGNORA MIA)1-2.雨の中の瞳 (GLI OCCHI DI TUA MADRE)GXC- 5~6 GP- 608GP- 608 (1978年10月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP愛に咲く少女/サンドロ・ジャコッベ(PICCOLO MIA PICCOLO/SANDRO GIACOBBE)1.夢のプレリュード (PRELUDIO)2.夢に見た君 (SIGNORA MIA)3.禁じられた園 (IL GIARDINO PROIBITO)4.愛の小部屋 (L'AMORE E' UNA GRAN COSA)5.運命の騎士 (CIRCOSTANZE)6.春の物語 (STORIE DI PRIMAVERA)7.失われた遊び (QUEL GIOCO STUPIDO)8.愛に咲く少女 (PICCOLA MIA PICCOLA)9.雨の中の瞳 (GLI OCCHI DI TUA MADRE)10.涙の傷 (IO PRIGIONIERO)11.少女のかおり (BIMBA)12.シルヴィア (E SILVIA)13.愛の季節 (IL TEMPO DELL'AMORE)(ご参考)GP- 374 (1975年6月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP 愛に咲く少女/ジャンニ・ナザ-ロ (PICCOLA, MIA RICCOLA/GIANNI NAZZARO)1.愛に咲く少女 (PICCOLA, MIA PICCOLA)2.ふたりの道 (CHE IMPORTA SE)3.別れの詩 (SIGNORA ADDIO)4.おもいでの中に (SE NON TI BASTA)5.光と夜 (UOMO DI CARTA)6.風にまかせて (LA BANDIERA)7.愛をたずねて (QUESTO SI CHE E' AMORE)8.おもいでの園 (C'ERA GIA')9.幻影 (ERA O NON ERA)10.ひとときの愛 (L'AMORE DI UN MOMENTO)11.わらの情熱 (FUOCHI DI PAGLIA)12.花に惹かれて (L'UNICA RAGIONE) GP- 374サンドロ・ジャコッベ 2は1983月年サンレモ音楽祭の後に続きます
2018.10.05
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★ロミナ・パワー (vf) Romina Power 本名ロミナ・フランチェスカ・パワー(Romina Francesca Power)1951年10月2日米国ロス・アンジェエルス生、イタリアに帰化した女優、歌手、TVタレント。 ハリウッド俳優タイロン・パワー(Tyrone Power)とメキシコ出身ハリウッド女優リンダ・クリスチャン(Linda Christian)の娘。 夫アル・バーノ(Al Bano)とデュエット・チームを作り75年代から95年までアル・バーノ&ロミナ・パワーとして活動をしていました。 所属レコード会社:ARC, Parlophone, EMI Italiana, Libra, Baby Records, Polydor サンレモ音楽祭出場6回:1976年参加、82年第2位*、84年優勝*、87年第3位*、89年第3位*、91年11位*(*はアル・バーノ&ロミナ・パワーとして) サンレモ音楽祭出品 曲: 1974年ロミナ・パワーは夏のディスク・フェスティヴァルに“E Le Comete Si Distesero Nel Blu”で出場しました。本戦には残りましたが、決勝戦には進めませんでした。 3C・006-17987 (1974年 Columbia - Emi italiana) E Le Comete Si Distesero Nel Blu/Le Sirene , Le Balene, Ecc... 3C・006-17987 アルバム「Ascolta, Ti Racconto Di Un Amore...」を出します。AB面のトップの導入曲を除き作詞作曲はロミナ・パワー自身がしています。EMIイタリアーナでのロミナ・パワー単独のレコードはこれが最後になりfます。 3C・064-18054 (1974年 Columbia - Emi Italiana) Ascolta, Ti Racconto Di Un Amore... CUTPR-1702 (2018年 Emi italiana – Elettroformati) CD Ascolta, Ti Racconto Di Un Amore... 1.Introduzione In Si Minore 2.Amore Di Una Notte 3.Come Un Bambino 4.Riproviamo Ancora 5.Le Sirene, Le Balene ecc 6.Incomprensione 7.Introduzione In Do Maggiore 8.Immenso Addio 9.Aria Libera, Aria Chiara 10.Tu Mi Dice Che Te Ne Vai 11.Svegliarsi E Pensare A Te 12.Ninna Nanna 3C・064-18054 CUTPR-1702 3C・006-18001 (1974年4月 V.d.P – EMI Italiana) Taca, Taca, Banda! (Good Old Fashioned Music)/ Notti Di Seta [Al Bano] 3C・006-18001 ニュー・シーカーズ(New Seekers)の“Good Old Fashioned Music”をロミナ・パワーとその妹タリン・パワー(Taryn Power)とアル・バーノの弟コチス(Kocis)ことフランコ・カリージ (Franco Carrisi)が4人でカヴァーしています。夫婦とその妹、弟が揃って歌っている唯一の盤、これがロミナ・パワーとアル・バーノのEMIイタリアーナでの最後の新譜となりました。 75年アル・バーノとロミナ・パワーが74年に設立した二人のレコード会社リブラ(Libra)に移籍し、本格的にレコード制作を開始しました。リブラが最初に出した盤はアル・バーノの夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“海の対話”でした。 優勝は76年サンレモ音楽祭初出場レコード会社FMAで紹介したイル・グァルディア-ノ・デル・ファ-ロ(Il Guardiano del Faro)の“ほほえみのメルヘン(Amore Grande Amore Libero)”、それに次ぐ第2位になり75年年間ヒット・ランク37位の大成功でした。 LBR-1200 (1975年 Libra – Messaggerie Musicali) Dialogo (海の対話)/Amore Nel Duemila [Al Bano & Romina Power] LBR-1200 LBR-1201 LBR-1201 (1975年10月 Libra - Messaggerie Musicali) Paolino Maialino/Sognando Copacabana [Romina Power] ロミナ・パワーのソロは“Paolino Maialino”がでました。ジャケットは愛娘イレニアだと思われます。 “海の対話”の成功を受け早速アルバムが作られます。形としてはアル・バーノが7曲、ロミナ・パワーが3曲収録されますが、音楽的にはそれぞれがバッキング・コーラスに入り、ソロ曲かデュエット曲かよく分かりません。 LBR・LP-13001 (1975年 Libra - Messaggerie Musicali) Al Bano & Romina Power – Dialogo RB-162 (1978年Record Bazaar – Messaggerie Musicali) Qualcosa Tra Noi Al Bano E Romina Power 1.Dialogo (海の対話) # 2.Un Uomo Diventato Amore # 3.Sognando Copacabana # 4.Come Ti Desidero * 5.Sensazione Meravigliosa # 6.Se Ti Raccontassi # 7.Amore Nel 2000 # 8.Il Pianto Degli Ulivi * 9.Moderno Don Chisciotte # 10.Mai Mai Mai * *Al Bano; # Romina Power LBR・LP-1300 RB-162 次に出たアルバムが「Atto I con Romina Power E Al Bano」、意味は『ロミナ・パワーとアル・バーノの第1幕』と言ったところでしょうか?これに収録された“海の対話”はデュエットです。そしてアルバムから“Evasione O Realtà”がアル・バーノのリブラ2枚目のシングルとして発売されます。 LBR-13002 (1975年 Libra - Messaggerie Musicali) Atto I con Romina Power E Al Bano 1.Evasione O Realtà * 2.Un Uomo Diventato Amore # 3.Sognando Copacabana # 4.Come Ti Desidero * 5.Sensazione Meravigliosa # 6.Dialogo (海の対話) *# 7.Se Ti Raccontassi # 8.Amore Nel 2000 *# 9.Il Pianto Degli Ulivi * 10.Moderno Don Chisciotte # 11.Mai Mai Mai * 12.Paolino Maialino # *Al Bano; # Romina Power; *# Al Bano e Romina Power LBR-13002 LBR-1202 LBR-1202 (1975年 Libra - Messaggerie Musicali) Evasione O Realtà/Il Pianto Degli Ulivi [Al Bano] 76年ロミナ・パワーがソロ歌手として唯一サンレモ音楽祭に出場しました。ロミナに合った無理のない曲作りでエキゾチックな曲ですが、ロミナの弱点をカヴァーする意識が見えすぎ、ソロ歌手の限界を感じさせます。 LBR-1203 (1976年 Libra - Messaggerie Musicali) Non Due (人形のねがい)/Un Uomo Diventato Amore (errore sul nome, compare «Romima» anziché «Romina») [Romina Power] LBR-1203 LBR-1204 LBR-1204 (1976年3月 Libra – Messaggerie Musicali) We'll Live It All Again (E Fu Subito Amore) "Eurofestival 1976" / Na Na Na [Al Bano & Romina Power] 次が76年ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト出場曲“We'll Live It All Again”が出ました。ロミナが第1夜で早々に敗退しますが、RAIはサンレモの結果に関係なくアル・バーノ&ロミナ・パワーをユーロヴィジョン・ソング・コンテストの代表にすることを公表しました。 以前はユーロヴィジョンにはサンレモ音楽祭優勝歌手がイタリア代表となりましたが、サンレモの開催が2月下旬から3月上旬にずれ込み、しかもユーロヴィジョンの開催が1ヶ月繰上がり、(70年は3週間しかなく)サンレモ優勝者の出場が無理となり、前年末から正月にかけて行われるカンツォニッシマの優勝者が代表になります。しかし76年から新基準でユーロヴィジョンのイタリア代表を決める必要がありました。 ユーロヴィジ・ソング・コンテストでは出場18ヵ国中7位とまあまあの成績をおさめ、旧籍EMIイタリアーナから二人の曲を集めた編集ベスト盤が発売されました。 3C・054-18116 (1976年4月 Columbia – EMI ITALIANA) Io Con Te - Al Bano E Romina 1Storia Di Due Innamorati (二人の恋の物語) *#] 2.La Casa Dell'Amore "Canzonissima 1971".* 3.Stelle D'Oro.* 4.Taca, Taca Banda [*# e Taryn, Kocis] 5.Con Un Paio Di Blue Jeans # 6.Angelo Di Strada * 7.Io Con Te # 8.Nel Mondo Pulito Dei Fiori. * 9.Le Comete Si Distesero Nel Blu # 10.Vestito D'Allegria * 11.Acqua Di Mare (海のバラード).# 12.Vestita Di Baci * *Al Bano; # Romina Power; *# Al Bano e Romina Power 3C・054-18116 78年リブラ設立3枚目のアルバム「Romina Power E Al Bano – 1978」を発売、その中から“Prima Notte D'Amore”と“Il Covo Delle Aquile”をシングル・カットしました。75年に“海の対話”は年間ヒット・ランク37位になったもののヒット・チャートにランクインする曲も出せず、ましてはやアルバム歌手でない彼らは年間ベスト・アルバムにも縁遠い状態でした。 LBR・LP-13003 (1978年 Libra - Messaggerie Musicali) Romina Power E Al Bano – 1978 1.We'll Live It All Again (Lo Rivivrei) 2.Non Due (人形のねがい) 3.Tip Tap 4.Piccolo Amore 5.Na, Na, Na 6.Dear Mr.Man 7.Prima Notte D'Amore 8.Immagini '77 9.E Se Tornerà 10. Il Covo Delle Aquile 11. My Man, My Woman 12. Ave Maria (アヴェ・マリア) LBR・LP-13003 LBR-1205 LBR-1205 (1977年 Libra – Messaggerie Musicali) Prima Notte D'Amore/Il Covo Delle Aquile [Al Bano & Romina Power] リブラは販売権をCGD(メッサッゲリエ・ムジカーリ)から古巣のEMIイタリアーナに変更し、一時的にアル・バーノはA&Bコーポレイション(A & B Corporation)名義で当時流行していたディスコ・ミュージック路線をとります。 LBR- 13 (1979年 Libra – EMI Italiana) Granada "Dream/ Granada "Dream" (Retroversion) [A & B Corporation] LBR- 13 LBRM- 13 LBRM- 13 (1979年 Libra – EMI Italiana) 30cm Maxi Granada "Dream/ Granada "Dream" (Retroversion) [A & B Corporation] またロミナも英語題のディスコ調の曲、二人のデュエットはAOR的な軽めの選曲に切り替えました。 LBR- 14 (1979年 Libra – EMI Italiana) U.S. America/All'Infinito [Romina Power] LBR- 14 LBR- 15 LBR- 15 (1979年 Libra – EMI Italiana) Aria Pura/Ore 10 [Al Bano & Romina Power] アル・バーノは販売権を古巣EMIイタリアーナに移し、昔のヒット曲が使った編集ベスト盤を出します。 LBR・LP-13004 (1979年 Libra – EMI Italiana) Al Bano – Ricordi.... Nel Sole 1.Io Di Notte (夜の私) 2.Caro Caro Amore (カロ・カロ・アモーレ) 3.Quel Poco Che Ho (君のための僕) 4.Bianca Di Luna (月の光に涙して) 5.Il Ragazzo Che Sorride (微笑む少年) 6.Nel Sole (太陽のある限り) 7.E Il Sole Dorme (Tra Le Braccia Della Notte) (夜の腕に眠る太陽) 8.Pensando A Te (君を想いて) 9.'O Sole Mio (オー・ソレ・ミオ) 10.Mattino (マティナータ) 11.Storia Di Due Innamorati (二人の恋の物語) 12.13 Storia D'Oggi (愛なき舗道) LBR・LP-13004 LBR・LP-13005 LBR・LP-13005 (1979年11月 Libra – EMI Italiana) Al Bano & Romina Power – Aria Pura 1.Ore 10 2.Aria Pura 3.Il Mestiere Di Vivere 4.Granada "Dream" 5.Agua De Fuente 6.Heart Games 7.All'Infinito 8.Who? 9.U.S. America ロミナはよりディスコ調のアルバムを出しました。この間の苦労が80年代に版権共にベビー・レコーズに委ね、成功の道が開けます。 ロミナ・パワーの国内盤 GP- 382 (1975年9月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP サン・ヴァンサン音楽祭/夏のディスク・フェスティヴァル1975 (ST. VINCENT FESTIVAL) 1..海の対話 (DIALOGO) [アル・バーノとロミナ・パワー] GP- 382 GP- 425 GP- 425 (1976年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP第26回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1976) 4.人形のねがい (NON DUE) [ロミナ・パワー] GXF- 31~5 (1976年6月21日 SEVEN SEAS - キング) 30cm5LP Box カンツォーネの歴史 (LA STORIA DI CANZONE ITALIANA) 5-18.海の対話 (DIALOGO) [アル・バーノとロミナ・パワー] GXF- 31~5 アル・バーノ&ロミナ・パワー 3(アル・バーノ 6、ロミナ・パワー 3)は1982年サンレモ音楽祭の後に続きます
2018.10.02
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