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2017年08月08日(サンレモの歌手達443)アル・バーノ3の最後に『1976年サンレモ音楽祭の後にロミナ・パワー 1として彼女の紹介をして・・・』と書いたようにロミナ・パワーの事を紹介していきましょう ★ロミナ・パワー (vf) Romina Power 本名ロミナ・フランチェスカ・パワー(Romina Francesca Power)1951年10月2日米国ロス・アンジェエルス生、イタリアに帰化した女優、歌手、TVタレント。 ハリウッド俳優タイロン・パワー(Tyrone Power)とメキシコ出身ハリウッド女優リンダ・クリスチャン(Linda Christian)の娘。 夫アル・バーノ(Al Bano)とデュエット・チームを作り75年代から95年までアル・バーノ&ロミナ・パワーとして活動をしていました。 所属レコード会社:ARC, Parlophone, EMI Italiana, Libra, Baby Records, Polydor サンレモ音楽祭出場6回:1976年参加、82年第2位*、84年優勝*、87年第3位*、89年第3位*、91年11位*(*はアル・バーノ&ロミナ・パワーとして) サンレモ音楽祭出品 曲: 1951年米国カリフォルニア州ロサンゼルスでハリウッド俳優タイロン・パワーと女優リンダ・クリスチャンの子として生まれました。58年父が早世し、2才年下の妹タリン(Taryn)と共にメキシコにいる母方の祖母の家に引取られ育てられます。 9才の時、母が再婚したイギリス出身の俳優エドマンド・パードム(Edmund Purdom)が仕事の根拠地をイタリアに移したため母、妹と共にローマに移住してきました。60年代の半ば初等教育を終え、ロミナはイギリスに留学します。 65年14才で映画デビューをし、4年間で14本の映画出演をしています。中には日本でも公開され、話題となった69年ジェス・フランコ(Jesús Franco)監督の「マルキ・ド・サドのジュスティーヌ(Justine, ovvero le disavventure della virtù」などもあります。 映画デビュー翌年どこの国もご同様で、有名俳優の娘が映画デビューすればお次はレコード・デビューというのがお決まりなのか、RCAイタリアーナの新人育成レーベルのARCからジャンニ・メッチア(Gianni Meccia)が自作の曲をプロデュースし、ロミナとして売り出しました。歌の方は成功したといい難いようです。 この頃には映画「世界残酷物語」のヤコペッティ監督との仲が噂されたり、マリオ・ランツァ(Mario Lanza)の息子と婚約し、直ぐに解消するなど派手な噂を振りまいていたようです。 AN-4071(1966年4月 ARC – RCA Italiana) Quando Gli Angeli Cambiano Le Piume/Apri Quell'Ombrello Quell'Ombrello [come Romina] AN-4071 67年、16才に成るか成らない時にロミナは運命的な出会いをします。彼女にとって3本目の映画「Nel Sole」に出演しました。アル・バーノはデビュー4作目です。夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“太陽のある限り(Nel Sole)”は結果は6位でしたが、年間ヒット・ランキングではこの大会トップ、年間4位のメガ・ヒットとなりました。当時カンツォーネが大ヒットすると歌のタイトル名で他愛のない青春歌謡映画が作られるのが常でした。 翌68年にアル・バーノのヒット曲“この世の宝(L'Oro Del Mondo)”の歌謡映画で再び共演し、二人は恋に落ちた、行動を共にするようになったようです。 ロミナは本格的にレコードを出すためアル・バーノのサポートを受け、EMIイタリアーナと契約し“海のバラード”でフェスティヴァルバールに出場して新人賞を獲得、69年年間23位となる超特大ヒットになりました。因みに優勝はルチオ・バッティスティ(Lucio Battisti)の“バラの花、桃の花(Fiori Rosa Fiori Di Pesco)”でした。 QMSP-16455 (1969年5月 Parlophone - Emi italiana) Acqua Di Mare (海のバラード)/Messaggio (メッサジオ) ⊛3C・006-17019 (1969年 Parlophone - Emi italiana) Acqua Di Mare (海のバラード)/Messaggio (メッサジオ) QMSP-16455 3C・006-17019 素人の出会い頭に大きな一発で、次々にヒットが出るわけもありませんが、十代の映画女優のレコードはそれなりに売れます。2枚目のシングルは両面ともカリメロ(Calimero)の詞にアル・バーノが作曲でした。 QMSP-16463 (1969年 Parlophone - Emi italiana) La Mia Solitudine (孤独)/ Un Canto D'Amore (愛を歌う) 3C・006-17228 (1969年 Parlophone - Emi italiana) La Mia Solitudine (孤独)/ Un Canto D'Amore (愛を歌う) QMSP-16463 3C・006-17228 69年秋にはアル・バーノと共に来日し、彼の公演にフィアンセとして同行しています。 クリスマスTV特番「Cantiamo Il Natale」で歌われたクリスマス・ソングを出版会社Edizioni Paoline がレコード化しました。ロミナ・パワーは定番曲“星からくだりたまえり”を歌っています。 Noë-3002 (1969年 Edizioni Paoline) Noël 2 7.Romina Power Tu Scendi Dalle Stelle (星からくだりたまえり) Noë-3002 3C・006-17412 3C・006-17412 (1970年4月 Parlophone - Emi italiana) Armonia (アルモニア)/Io Sono Per Il Sabato (土曜日の私) 70年4月夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“アルモニア”を出します。本選には残りましたが、決勝戦には進めませんでした。そしてシングル盤が出ます。 その後、発売曲を含む12曲と詩の朗読1曲を収めたファースト・アルバムを出しました。既にこの頃にはアル・バーノの子供を宿していたと思われます。 3C・062-17725 (1970年 Parlophone - Emi italiana) 12 canzoni e una poesia CUTPR-1701 (2018年 Emi italiana – Elettroformati) CD 12 canzoni e una poesia 1.Acqua Di Mare (海のバラ―ド) 2.Messaggio (メッサジオ) 3.Io Sono Per Il Sabato (土曜日の私) 4.Something (サムシング) 5.Que Serà Serà (ケ・セラ・セラ) 6.Storia Di Due Innamorati (二人の恋の物語) [アル・バーノとロミナ・パワー] 7.Una Madre, Un Bambino, Il Tempo Ed Io (愛の断章) [アル・バーノとロミナ・パワー] 8.Armonia (アルモニア) 9.Angeli Senza Paradiso (楽園なき天使) 10.Un Canto D'Amore (愛を歌う) 11.Zozoi (ゾゾイ) 12.Quanta Tristezza Quanta Gioia (愛は遮るものもなく) 13.La Mia Solitudine (孤独) 3C・062-17725 CUTPR-1701 同年4月に出たアル・バーノのシングルのB面曲“二人の恋の物語”をデュエットし、正式にロミナの名前がクレジットされます。この曲はラジオ番組「Gran Varieta」のテーマ曲でした。7月26日二人は結婚式を挙げました。そして11月29日第一子、長女イレニア(Ylenia)が生まれました。 3C・006-17413 (1970年4月 V.d.P – EMI Italiana) Quel Poco Che Ho (君のための僕)/Storia Di Due Innamorati (二人の恋の物語) (lato B con Romina Power) 3C・006-17413 3C・006-17449 3C・006-17449 (1971年 Parlophone - Emi italiana) Que Serà Serà (ケ・セラ・セラ)/Due Occhi Chiari 71年最初のシングルはファースト・アルバムに収録された“ケ・セラ・セラ”が選ばれ、ジャケット写真も生まれたばかりのイレニアとロミナの写真が使われます。この長女の運命がアル・バーノとロミナ・パワーの運命にも大きな影響を及ぼすのですが、この時点では誰も想像できませんでした。 71年はロミナの産休で動きはなく、72年4月に夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“Nostalgia”出ました。この曲はマウリツィオとファブリツィオ(Maurizio & Fabrizio)のファブリツィオ兄弟の作でした。 3C・006-17820 (1972年 Parlophone - Emi italiana) Nostalgia/Un Pensiero 3C・006-17820 3C・006-17883 3C・006-17883 (1973年 Columbia - Emi italiana) Fragile Storia D'Amore/Un Sentimento 結婚してからは出産と子育て年1枚のシングル盤しか出していません。73年4月第二子、長男ヤリ・マルコ(Yari Marco)を出産しました。 73年は” Fragile Storia D'Amore”は両面作詞・作曲がロミナ・パワーで編曲がダリオ・バルダン・ベンボ(Dario Baldan Bembo)、73年2枚目の“Con Un Paio Di Blue Jeans”をは両面彼女が作っていますがA面はマウリツィオ・ファブリツィオ(Maurizio Fabrizio)が加わり、編曲もしています。B面の編曲はウィリー・ブレッツァ(Willy Brezza)ことジュリエルモ・ブレッツァ(Guglielmo Brezza)がしました。 3C・006-17949 (1973年 Columbia - Emi italiana) Con Un Paio Di Blue Jeans (É Sempre Estate In America) / I've Had Enough 3C・006-17949 ロミナ・パワーの国内盤 OR- 2341 (1969年9月10日 ODEON -東芝音楽工業) 海のバラード (ACQUA DI MARE)/メッサジオ (MESSAGGIO) [ロミナ・パワー (ROMINA POWER)] OR- 2341 OP-80194 OP-80194 (1971年4月 25日 ODEON - 東芝音楽工業) 30cmLPロミナ・パワー「愛の詩集」 (ROMINA POWER/12 CANZONI E UNA POESIA) 1.ケ・セラ・セラ (QUE SERA' SERA') 2.海のバラ-ド (ACQUA DI MARE) 3.メッサジオ (MESSAGGIO) 4.土曜日の私 (IO SONO PER SABATO) 5.サムシング (SOMETHING) 6.二人の恋の物語 (STORIA DI DUE INNAMORATI) [アル・バーノとロミナ・パワー] 7.愛の断章 (UN MADRE, UN BAMBINO, IL TEMPO ED IO... POESIA) アル・バーノとロミナ・パワー (AL BANO e ROMINA POWER) 8.アルモニア (ARMONIA) 9.楽園なき天使 (ANGELI SENZA PARADISO) 10.愛を歌う (UN CANTO D'AMORE) 11.ゾゾイ (ZOZOI) 12.愛は遮るものもなく (QUANTA TRISTEZZA QUANTA GIOIA) 13.孤独 (LA MIA LOLITUDINE) OP-80218 (1971年5月 25日 ODEON - 東芝音楽工業) 30cmLPアル・バーノの魅力のすべて (AL BANO/A CAVALLO DI 2 STILI) 1..二人の恋の物語 (STORIA DI DUE INNAMORATI) [アル・バーノとロミナ・パワー] OP-80218 OR- 2982 OR- 2982 (1972年4月日 ODEON - 東芝音楽工業) アヴェ・マリア (AVE MARIA)/セレナ-デ (SERENADE) [アル・バーノ]/[ロミナ・パワー] ロミナ・パワー 2は次回に続きます
2018.09.29
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★ペピーノ・ディ・カプリ (vm) Peppino Di Capri本名ジュゼッペ・ファイエッラ(Giuseppe Faiella)1939年7月27日カプリ生、歌手。1967年から2005年までサンレモ音楽祭に15回出場2回優勝しています。 STCA-15008 所属レコード会社:Carisch, Splash, Baby Records, Dischi Ricordi, Polygram, Lucky Planetsサンレモ音楽祭出場15回:1967年参加、71年11位、73年優勝、76年優勝、80年20位、85年9位、87年5位、88年17位、89年11位、90年入賞、92年(ペピーノ・ディ・カプリとピエトラ・モンテコルヴィーノ)14位、93年参加、95年(トリオ・メロディーとして)13位、2001年11位、05年入賞 1976年サンレモ音楽祭に“ふたりだけの秘密”で出場し、2度目の優勝をします。本人は5位入賞予測で他の歌手に申訳ないと言っています。76年年間ヒット・ランク69位です。SPH-1023 (1976年2月Splash - Messaggerie Musicali) Non Lo Faccio Più (ふたりだけの秘密) /Vorrei, Vorrei, VorreiSPH-1023 SPH-1024SPH-1024 (1976年Splash - Messaggerie Musicali) Pazzo Di Te/Se Io Vado ViaSPL- 711 (1976年3月 Splash - Messaggerie Musicali) Non Lo Faccio PiùSPLL- 711 (1976年3月 Splash - Messaggerie Musicali) Non Lo Faccio Più1.Non Lo Faccio Più (ふたりだけの秘密)2.Con Te3.Un Amore Fa4.In Inglese5.Amo (Love Me as Thought There Were No Tomorrow) [Nat King Cole]6.Pazzo Di Te [Roberto Carlos]7.Non Sono Dio8.Come Un Vagabondo9.Vorrei, Vorrei, Vorrei10.Ho Bisogno Di Te11.Un Giorno Di Settembre [Bee Gees]12.Se Io Vado ViaSPL- 711 SPLL- 711 サンレモ優勝曲の入ったアルバムが発売されます。カヴァー曲はナット・キング・コールの“Love Me as Thought There Were No Tomorrow”のイタリア語版“Amo”、ロベルト・カルロスの“Pazzo Di Te”、ビー・ジーズの“Un Giorno Di Settembre”の3曲が入りカルロスの曲はシングル・カットもされました。 76年9月にサンレモ優勝曲の作者デスパ(Depsa)とセルジョ・イォディーチェ(Sergio Iodice) が作った “Trovarsi E Perdersi”のシングル盤が出ました。す 12月にはこの新曲に今までの曲を集めたアルバム「... E Cominciò Così」を出ま。編集ベスト盤に1,2曲の新曲を加えたアルバム作りが常套手段となります。SPH-1025 (1976年9月Splash - Messaggerie Musicali) Trovarsi E Perdersi/Non Sono DioSPH-1025 SPRB-11001SPRB-11001 (1976年12月Splash - Messaggerie Musicali) ... E Cominciò Così1.Malatia (病める人)2.Nun È Peccato (罪もなく)3.Addio Mondo Crudele (Goodbye Cruel World 恋も涙もさようなら)4.Roberta (ロベルタ)5.Don't Play That Song, (あの歌を歌わないで/わが傷心の唄)6.Let's Twist Again (レッツ・ツィスト・アゲイン Chubby Checker)7.Nessuno Al Mondo (君だけの世界)8.Baby (BE MY BABY ビー・マイ・ベビー)9.È Sera (夜に) 1968年夏のディスク参加曲10. St. Tropez Twist (恋のサントロペ)11.Voce 'E Notte (夜の声)12.Trovarsi E PerdersiSPLX-603 (2005年Splash - Lucky Planets) CD ... E Cominciò CosìPLX-603 SPH-1027SPH-1027 (1977年Splash - Messaggerie Musicali) Incredibile Voglia Di Te/Il Musicista 77年前作“Trovarsi E Perdersi”の二人に彼自身とドメニコ・ディ・フランシャ(Domenico Di Francia)が加わって“Incredibile Voglia Di Te”を出しました。 続いて5月には“Piccerè”シングル盤は彼とクラウディオ・マット―ネ(Claudio Mattone)の作った曲で、6月にはこの“Piccerè”のポリターナのアルバム「Aiere」を発売します。SPH-1028 (1977年5月Splash - Messaggerie Musicali) Piccerè/Tu M'Arrubave L‘AriaSPH-1028 SPL- 712 SPL- 712 (1977年6月Splash - Messaggerie Musicali) Aiere1.Piccerè2.Tu M'Arrubbave L'Aria3.Nun Può Dicere4.Niente5.Aiere6.Maruzzella (マルツェラ)7.Serenata Napulitana (ナポリのセレナード)8.Luna Rossa (ルナ・ロッサ)9.Maria Marì (マリア・マリ)10.'E Quatte Ciucce “Incredibile Voglia Di Te”がヒットしていた為“.Auguri”は77年10月シングル盤として発売されます。SPH-1029 (1977年10月Splash - Messaggerie Musicali) Auguri/PiccerèSPH-1029 SPH-1030SPH-1030 (1978年Splash - Messaggerie Musicali) Love Me/Fiore Di Carta (HOW DEEP IS YOUR LOVE愛はきらめきの中に)それ以外の曲も78年の早期に録音完了されていましたが、アルバム「Verdemela」の発売を遅らせていました。アルバム収録曲でビー・ジーズの“LOVE愛はきらめきの中に”のカヴァーした“Fiore Di Carta”と“Love Me”はシングル・カットされました。SPL- 713 (1978年Splash - Messaggerie Musicali) Verdemela1.Auguri2.Love Me3.Volo4.Fiore Di Carta (HOW DEEP IS YOUR LOVE愛はきらめきの中に)5.Amore In Manicomio6.Spazio7.Millimetri8.Praiano9.Chiromante10.Incredibile Voglia Di TeSPL- 713 SPRB-11002SPRB-11002 (1978年11月Splash - Messaggerie Musicali) Specialissimo vol.11.Frannesia 2.Musica 3.In Quel Portone Sotto Casa Mia 4.Chiove (雨が降る) 5.Na' Canzone 6.Gelusia 7.Anema E Core (アネマ・エ・コーレ) 8.Limone D'Oro 9.Quando (クァンド) 10.Per Favore Non Gridare 11.Che Delusione, Amore, Questa Sera12.Non Dire Mai 79年11月ナポリターナのアンソロジー「スペシャリシイモ」第1~3集の3枚を同時発売しました。SPRB-11003 (1978年Splash - Messaggerie Musicali) Specialissimo vol.21.Il Giocatore 2.Dove Vai? 3.Ami Solo Te 4.Amore Grande Amore Mio (愛はふしぎ)5.Ladro Io 6.Finale Scontato 7.Non è Possibile 8.Sarebbe Bello 9.Giuseppe 10.Domani 11.Lasciamo Stare 12.Lei, SignoraSPRB-11003 SPRB-11004 SPRB-11004 (1978年Splash - Messaggerie Musicali) Specialissimo vol.31.Me Chiamme Ammore (恋人と呼んで)2.Annalee3.Solo Io (孤独)(Featuring – Umberto Balsamo)4.Mbraccio A Me5.Non Penso Piu' A Lei6.Me Dice 'O Core7.La Prima Sigaretta8.Se Ne So' Gghiute 'E Viole9..Sciummo (河)10.Che Cosa Mi Dai(Featuring – Gilbert O'Sullivan)11.Intanto T'Ho Amata12.Signò Dint'A Sta Chiesa 独立前のデビュー会社カリッシュからも2枚組20曲を収録したアンソロジーが発売されています。初期のオリジナルヒットとナポリターナをロック・ン・ロール風にアレンジした曲を集めています。STCA- 4623・5 (1978年 Carisch - Carisch) 30cm2LP 20 supersuccessi1-1.Nun È Peccato (罪もなく)1-2.Voce 'E Notte (夜の声) 1-3.St. Tropez Twist (恋のサントロペ)1-4.Solo Due Righe (たった2行で) 1-5.Roberta (ロベルタ) 1-6.Don't Play That Song, (あの歌を歌わないで/わが傷心の唄)1-7.Piscatore 'e Pusilleco (プシレコの漁師)1-8.Notte Di Luna Calante (欠けたお月さま) 1-9.Munasterio 'E S.Chiara (サンタ・キアーラ寺院)1-10.Nustalgia 2-1.Addio Mondo Crudele (Goodbye Cruel World 恋も涙もさようなら) 2-2.Cara Piccina (カラ・ピッチーナ) 2-3.Parlami D'Amore Mariù (マリウ愛の言葉を)2-4.Cinque Minuti Ancora 2-5.Quando (クァンド) 2-6.Non Siamo Più Insieme 2-7.Malafemmena (悪い女) 2-8.Girl (ガール BEATLES) 2-9.Nessuno Al Mondo (君だけの世界) 2-10.Let's Twist Again (レッツ・ツィスト・アゲイン Chubby Checker)STCA- 4623・5 SPH-1032SPH-1032 (1979年Splash - Messaggerie Musicali) Portami A Ballare/Avvicinati 76年から始まったRAI1が日曜日午後6時間放送する超人気、超ワイドTVヴァラエティ番組「ドメニカ・イン(Domenica In)」の79年1月から3月までのテーマソング“Portami A Ballare”をペピーノ・ディ・カプリが歌い、シングル盤を出しました。 79年オリジナル曲のアルバム「Viaggi」を出します。“Dimane”は当時ナポリの新進気鋭カンタウトゥーリ、ピノ・ダニエレ(Pino Daniele)作です。“Fresca Fresca”がシングル・カットされました。SPL- 714 (1979年Splash - Messaggerie Musicali) Viaggi1.Veliero2.Fresca Fresca3.I Want Your Love4.Birimbì Birimbà5.Portami A Ballare6.Napoli 7.Solo Musica8.Dimane9.Outra Vez10.BiancaSPL- 714 SPH-1033SPH-1033 (1979年Splash - Fresca Fresca) Fresca Fresca/Veliero ディストリビューション元CGDの廉価盤シリーズのレコード・バザールからヒット曲を集めた編集ベスト盤も出ています。RB- 201 (1979年RECORD BAZAAR - CGD Fresca Fresca) PEPPINO DI CAPRI Teneramente1.Il Giocatore2.Lei Signora3.Lasciamo Stare4.Giuseppe5.Dove Vai?6.Amore Grande Amore Mio (愛はふしぎ)7.Non E’ Possibile8.Ami Solo Te9.Sarebbe Bello10.Finale Scontato11.Domani12.Champagne (想い出のシャンパン) RB- 201ペピーノ・ディ・カプリの国内盤CM- 3 (1976年5月SEVEN SEAS - キング) ふたりだけの秘密 (NON LO FACCIO PIU')/失われた愛を求めて (UN GRANDE AMORE E NIENTE PIU')CM- 3 GP- 425GP- 425 (1976年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 第26回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1976)1.ふたりだけの秘密 (NON LO FACCIO PIU')DY-5103-1 (1976年3月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP カンツォ-ネの歴史 特別試聴盤 (LA STORIA DI CANZONE ITALIANA) プロモート用試聴盤・非売品35.ふたりだけの秘密 (NON LO FACCIO PIU') (各曲冒頭部分のみ)DY-5103-1 GXF- 31~5GXF- 31~5 (1976年6月21日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 5LP Box カンツォーネの歴史 (LA STORIA DI CANZONE ITALIANA)1-16.あなたのくちづけを (I'TE VURRIA VASA)1-18.夜の声 (VOCE 'E NOTTE)5-20.ふたりだけの秘密 (NON LO FACCIO PIU')GXG- 15~6 (1976年9月21日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LPサン・レモ音楽祭ヒット曲集 (SAN REMO BEST HITS)2-10.ふたりだけの秘密 (NON LO FACCIO PIU')GXG- 15~6 GXC-9027~8GXC-9027~8 (1978年10月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LP最新決定盤/カンツォーネ (CANZONE GOLD SUPERDISC)2-13.ふたりだけの秘密 (NON LO FACCIO PIU')GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LP BOXサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)9-11.失われた愛を求めて (UN GRANDE AMORE E NIENTE PIU')10-10.ふたりだけの秘密 (NON LO FACCIO PIU')GXF- 81~90 GXC- 119GXC- 119 (1979年6月21日 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP ガラスの部屋/ペピーノ・ガリアルディ:失われた愛を求めて/ペピーノ・ディ・カプリ (CHE VUOLE QUESTA MUSICA STASERA/PEPPINO GAGLIARDI UN GRANDE AMORE E NIENTE PIU/PEPPINO DI CAPRI)8.失われた愛を求めて (UN GRANDE AMORE E NIENTE PIU')9..恋人と呼んで (ME CHIAMME AMORE)10.マリウ愛の言葉を (PARLAMI D'AMORE MARIU')11.夜の声 (VOCE 'E NOTTE!)12.病める人 (MALATIA)13.君だけの世界 (NESSUNO AL MONDO)14.ふたりだけの秘密 (NON LO FACCIO PIU')GXC- 139~40 (1979年7月21日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LPサン・レモ音楽祭のすべて (SAN REMO BEST HITS)2-9.失われた愛を求めて (UN GRANDE AMORE E NIENTE PIU')2-14.ふたりだけの秘密 (NON LO FACCIO PIU')GXC- 139~40 GXC- 141~2GXC- 141~2 (1979年7月21日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LPサン・レモ優勝のすべて (I VINCITORI DI SAN REMO)1-4.ふたりだけの秘密 (NON LO FACCIO PIU')1-7.失われた愛を求めて (UN GRANDE AMORE E NIENTE PIU')GXC-9123~4 (1979年11月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LP最新決定盤!カンツォーネ (CANZONE)2-8.失われた愛を求めて (UN GRANDE AMORE E NIENTE PIU') GXC-9123~4ペピーノ・ディ・カプリ 6は1980年サンレモ音楽祭の後に続きます
2018.09.26
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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 1の冒頭にサンレモ音楽祭は『新曲コンテストです。 新曲、未発表曲すなわち音楽祭で歌唱・演奏されるまで、公に発表されてはいけないことなのです。このことを忘れるとサンレモ音楽祭が正しく理解できないと思います。』と書きました。 音楽祭は冬のリヴィエラの閑散期対策もありますが、イタリアの音楽産業振興策で発表した『新曲』が売れなければ目的を達成しません。また有望な新人歌手が現れ、レコード会社、音楽出版社を潤おさなければなりません。75年のような状態では困るのです。 76年は年間ヒット・ランクに入る曲が6曲有りました。ニ桁欲しいところですが、音楽業界の不況の中では文句も言えないでしょう。優勝曲“ふたりだけの秘密”69位、第2位“誰と一緒” 89位、第3位“雨の中の瞳”22位、同“別離のロ-マ空港”52位、6位“サンバリオ”51位、8位“リンダ・ベラ・リンダ”12位という結果で、日本でも“哀しみのソレアード(Soleado)”が大ヒットしたダニエル・センタクルス・アンサンブルが一番売れて大成功をおさめました。 マギ-・メイ (RCA) ダニエル・センタクルス・アンサンブル (EMI Italiana) 第26回 1975年2月19日(木)~21日(土) サンレモ市カジノ付属劇場 司会:ジャンカルロ・ガルダバッシ(Giancarlo Guardabassi);セレーナ・アルバーノ(Serena Albano);マッダレーナ・ガッリアーニ(Maddalena Galliani);ステッラ・ルーナ(Stella Luna);ロレーナ・ロゼッタ・ナルドゥッリ(Lorena Rosetta Nardulli);ティツィアナ・ピーニ(Tiziana Pini);カルラ・ストラーノ・パヴェーゼ(Karla Strano Pavese) 楽団指揮:リッカルド・ヴァンテッリーニ(Riccardo Vantellini) 再演奏音楽家:エンゲル・グァルディ(Henghel Gualdi) 楽団、ブルーノ・マルティーノ(Bruno Martino), グラウコ・マセッティ楽団(Glauco Masetti)、エリー・ネーリ楽団(Ely Neri.) オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo) 芸術監督:ヴィットリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti) [数]は外人歌手数 ・CBS Sugar 8[0] (CBS4[0];Derby 1[0] ;Splash 1[0] ;; Smash1[0];Libra1[0]) ・Dischi Ricordi 6[0] (Ricordi 3[0]);Carosello 1[0]; Real Music 1[0] ; Disco Più 1[0]) ・RCA Italiana 6[1] (RCA 4[1]; Hello 1[0]; FMA1[0]) ・Fonit Cetra 2[0] ・Phonogram 2[0] (Polydor1[0]; Philips 1[0]) ・EMI Italiana 2[0] ・Durium 2[0] ・Ariston 1[0] ・Phonotype (Bella Record) 1[0] ゲストも豪華な顔ぶれでした。外人では日本女性ファン(追っかけ)が多勢いたスペインの歌う貴公子フリオ・イグレシアス(Julio Iglesias)、イタリア出身でフランス(正しくはベルギー)のシャンソン歌手アダモ(Adamo)、日本でも大ヒットした“フィ-リング(Feelings)” の自作自演歌手、ブラジルのモーリス・アルバート(Morris Albert)、アメリカの女性ロッカー、スージー・クァトロ(Suzi Quatro)、日本で絶大な人気のあった英国(スコットランド)のアイドル・グループ、ベイシティー・ローラース(Bay City Rollers)、実は日本でもレコードが出ていたドイツのコーラス・グループでレス・ハンフリーズ・シンガーズ(Les Humphries Singers)、50年代少女の頃からリトル・エスターとして歌い続けたアメリカのジャズ・シンガーのエスタ-・フィリップス(Ester Phillips)などなど。 イタリア人ゲストでは「サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)71 1976年-2」で書いた総合司会者をドタキャンしたドメニコ・モドゥーニョがゲスト出演、自分のヒット曲“愛のヴァイオリン(Il Maestro Di Violino)”を歌い、満場の喝さいを受けご機嫌でお帰りになりました。 それにお騒がせナンバー2は桃チーム・キャプテンを直前逃亡したリタ・パヴォーネ(Rita Pavone)が“E... Zitto Zitto”を歌い、チャッカりシングル盤まで出しました。 さらにクラシック界からベテラン・テノール歌手マリオ・デル・モナコ(Mario Del Monaco)が“広がりゆく愛(Un Amore Così Grande)”を歌い話題になり、日本でもサンレモ・オムニバス国内盤に収録されています。 アルモニュウム (EMI Italiana) シルヴァ-ノ・ヴィットリオ (Ricordi) <参加曲> ◆孤独の朝 E Tu Mi Manchi (Andrea Lo Vecchio - Simonluca) 出版社ALFIERE – USIGNOLO サンティーノ・ロッケッティ (vm) Santino Rocchetti (Cetra – Fonit Cetra) SP-1607 [45] SP-1607 ZEL-50492 ◆フェミニスト La Femminista (Leo Chiosso - Eduardo Alfieri) 出版社 – アントニオ・ブオノーモ (vm) Antonio Buonuomo (Hello – RCA Italiana) ZEL-50492 [45] ◆初めての想い Il Mio Primo Rossetto (Alberto Salerno - Umberto Napolitano) 出版社 –ロザンナ・フラテルロ (vf) Rosanna Fratello (Ariston – Ariston) AR-00724 [45] AR-00724 6025-149 ◆自由に生まれる Nata Libera (Leano Morelli - Enzo Crippa) 出版社 ALFIERE レアーノ・モレッリ (vm) Leano Morelli (Philips – Phonogram) 6025-149 [45] ◆人形のねがい Noi Due (Romina Power - Albano Carrisi) 出版社 MAIALINOロミナ・パワ- (vf) Romina Power (Libra – CBS Sugar) LBR-1203 [45] LBR-1203 TPBO-1204 ◆シング・マイ・ソング Sing My Song (Cesare De Natale - Piero Darini) 出版社 RCA Mus. マギー・メイ (vf=d) Maggie Mae (RCA – RCA Italiana) TPBO-1204 [45] ◆落ちた星 Stella Cadente (Enzo Stavola - Franco Zulian) 出版社 BELRIVER アルモニュウム (compl) Armonium (EMI – EMI Italiana) 3C・006-18147 [45]3C・006-18147 DPN-7203 ◆家に帰る Torno A Casa (Paolo Limiti - Elide Suligoj) 出版社DISCO PIU' ヴァンナ・レア-リ (vf) Vanna Leali (Disco Più - Dischi Ricordi) DPN-7203 [45] ◆凡人Uomo Qualunque (Franco Migliacci - Enzo Maria Picciotta - Dario Farina) 出版社MI-MOエツィオ・ピチョッタ (vm) Ezio Picciotta (RCA – RCA Italiana) TPBO-1200 [45] TPBO-1200 SRL-10・794 ◆ここにおいで Vieni (Andrea Lo Vecchio - Silvano Vittorio) 出版社JUBAL シルヴァーノ・ヴィットリオ (vm) Silvano Vittorio (Ricordi - Dischi Ricordi) SRL-10・794 [45] パトリツィオ・サンドレッリ (Smash) カルロ・ジッリ (RCA Italiana) レア-ノ・モレッリ (Philips) 初参加レコード会社、レアル・ミュージック(Real Music)は1976年に歌手のドゥルピ(Drupi)、彼を見出した作詞家ルイジ・アルベルテッリ(Luigi Albertelli)と作・編曲家エンリコ・リッカルディ(Enrico Riccardi)の3人で設立したレコード会社です。 設立第1作がミコ (ドン・ミコ) (Miko (Don Miko))の76年サンレモ音楽祭出場曲“火遊び (Signora Tu)”でした。作詞家、作曲家が作ったレコード会社なので多くの新人をデビューさせましたが成功しなかったようです。ピエロ・フォッカチャ (Piero Focaccia)も1枚シングル盤を出しましたが結局はドゥルピのワン・マン会社で、80年にはドゥルピとアルベルテッリとの関係も終わり、ドゥルピはフォニット・チェトラに移籍し、レアル・ミュージックは閉鎖されました。 フォノタイプ(Phonotype)はジャンニ・ナザーロ(Gianni Nazzaro)やアンジェラ・ルーチェ (Angela Luce) など何人かの歌手の項目で登場してきた会社名ですが、76年サンレモ音楽祭に傘下にあるベッラ・レコード(Bella Record)が出場歌手を出しましたので、紹介いたしましょう。 この会社はラファエレ・エスポジート(Raffaele Esposito)がナポリで1901年ナポレターナ・レコード会社 (現在の名前は1918年に採用される)と呼ばれるイタリアで最初にレコードを製造する施設をもった会社を設立しました。 第二次世界大戦前はナポリターナ歌手、オペラ歌手が歌ったSP盤、50年代以降はヴィニール製のシングル盤やLP盤を作りました。また59年に若いブルーノ・ヴェントリーニ(Bruno Venturini)をデビューさせたレコード会社でした。 会社はラファエレの叙勲した息子アメリコ(Americo)、孫のフェルナンド(Fernando)、ロベルト(Roberto)兄弟やエンツォ(Enzo)などエスポジート一族が引継いでいきました。70年代には作詞家アルベルト・ショッティ(Alberto Sciotti)が芸術監督に入っています。 ユングハンス(Junghans)、レオンディスコ(Leondisco)、カディス(Cadis)、エウロ・プレイ(Euro Play)、ユニヴァーサル(Universal)、ベッラ・レコード(Bella Record)、ファンス(Fans)、カッパ・O(Kappaò)など多くの子会社やレーベルを傘下に収めています。 80年代に入り経営規模を縮小しましたが、現在もナポリのレコード会社として活動を続けています。 ベッラ・レコード(Bella Record)はフォノタイプ(Phonotype)創業者ラファエレ・エスポジート(Raffaele Esposito)の孫フェルナンド(Fernando)、ロベルト(Roberto)兄弟やエンツォ(Enzo)が1972年に設立した会社です。 ナポリに拠点を置くプログレッシブ・ミュージックのジャコモ・シモネッティ(Giacomo Simonelli)からメロディアスなパオラ・ムジアーニ(Paola Musiani)を幅広く扱うレコード会社を目指し、78年RCAイタリアーナの販売網にも入りましたが経営が悪化し、80年に独立レーベルの活動を停止しました。 サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1976年以上です。 ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2018.09.23
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何かと揉め事の多いサンレモ音楽祭ですが、26回は総合司会者で右往左往したようです。司会者陣を見ていただければわかるようにジャンカルロ・ガルダバッシに女性アシスタントが6人も就く豪華さ(異常さ)! 去年のショボい舞台を知っている芸術監督ヴィットリオ・サルヴェッティは豪華な外人歌手を含むゲストを呼びました。そのゲストに対抗できる大物総合司会者として、サンレモの看板、ミスター・ヴォラーレ、ドメニコ・モドゥーニョ(Domenico Modugno)に決めたのですが、開催3日前のドタキャンをされてしまいます。モドゥーニョのための豪華女性司会者はそのままで、元歌手のガルダバッシが代役に立ちました。 アルバトロス (Carosello) グロリア-ナ (Bella Record) 第26回はセクシー音楽祭、ポルノ・フェスティヴァルとも言われました。ペピーノ・ディ・カプの優勝曲“ふたりだけの秘密”はガール・フレンドが恋人の前でストリップの真似事をし、恥ずかしくなり「Non Lo Faccio Più (もうこれ以上しない)」と言う歌で、ある報道では出場30曲中17曲に性的表現があるとしています。イタリア(国営放送RAI)には厳しい検閲がありこれまでにも多くの曲が修正をさせられました。 1959年第9回で4位になったユーラ・デ・パルマ(Jula De Palma)の歌った“あなた(TUA)”は大ヒットしたのですが、RAIから男女関係を連想させる余りにも「官能的」過ぎる歌とされ、十年間国営放送RAIに出られませんでした。当時放送局はRAIしかなく、放送に出られないことは歌手にとって刑務所に入れられると同様な仕打ちでした。 批判も上がる中、性的表現というには厳密過ぎる点もありますが、検閲を跳ねのける状況も芽生えてきたようでした。 第26回 1975年2月19日(木)~21日(土) サンレモ市カジノ付属劇場 司会:ジャンカルロ・ガルダバッシ(Giancarlo Guardabassi);セレーナ・アルバーノ(Serena Albano);マッダレーナ・ガッリアーニ(Maddalena Galliani);ステッラ・ルーナ(Stella Luna);ロレーナ・ロゼッタ・ナルドゥッリ(Lorena Rosetta Nardulli);ティツィアナ・ピーニ(Tiziana Pini);カルラ・ストラーノ・パヴェーゼ(Karla Strano Pavese) 楽団指揮:リッカルド・ヴァンテッリーニ(Riccardo Vantellini) 再演奏音楽家:エンゲル・グァルディ(Henghel Gualdi) 楽団、ブルーノ・マルティーノ(Bruno Martino), グラウコ・マセッティ楽団(Glauco Masetti)、エリー・ネーリ楽団(Ely Neri.) オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo) 芸術監督:ヴィットリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti) [数]は外人歌手数 ・CBS Sugar 8[0] (CBS4[0];Derby 1[0] ;Splash 1[0] ;; Smash1[0];Libra1[0]) ・Dischi Ricordi 6[0] (Ricordi 3[0]);Carosello 1[0]; Real Music 1[0] ; Disco Più 1[0]) ・RCA Italiana 6[1] (RCA 4[1]; Hello 1[0]; FMA1[0]) ・Fonit Cetra 2[0] ・Phonogram 2[0] (Polydor1[0]; Philips 1[0]) ・EMI Italiana 2[0] ・Durium 2[0] ・Ariston 1[0] ・Phonotype (Bella Record) 1[0] ヌオ-ヴァ・ジェンテ (FMA) ストラ-ナ・ソチェタ (Durium) 放送は予選第1夜、第2夜はラジオ放送しかなくTV中継があったのは決勝の最終夜のみでした。決勝戦はユーロヴィジョンの国際中継されますが、イタリア国内は白黒画像でしかも放送事故が多発したようです。一方ユーロヴィジョン中継国にはカラー映像が流されました。イタリア国内のカラー放送は翌77年からになります。 また象徴だったカジノ付属劇場での開催は第26回で終り、翌77年から広いアリスン劇場に変更されます。カジノ付属劇場は狭く、舞台に楽器を持込むバンドが増え、歌手の入換えにも時間がかかり、またバック・コーラスやバック・ダンサーの使用も制限され、番組構成上も制約が大きく使い辛くなっていたようです。 開催日程も3月までずれ込んでいましたが2月中旬に戻し、ロミナ・パワーは予選落ちしましたが4月開催のユーロヴィジ・ソング・コンテストのイタリア代表にアル・バーノ&ロミナ・パワーとする発表を早々としました。 <入賞曲> 11位 オ-マルOmar (Luciano Beretta - Mario Battaini) 出版社 KARMA <16>オリエッタ・ベルティ (vf) Orietta Berti (Polydor – Phonogram) 2060-115 [45] 2060-115 Ld・A-7911 12位 二人で行こう Andiamo Via (Luigi Albertelli - Corrado Conti - Franco Cassano) 出版社 DURIUM <11> ストラーナ・ソチェタ (compl) La Strana Società (Durium – Durium) Ld・A-7911 [45] 13位 二つの物語 Due Storie Dei Musicanti (Sergio Bardotti - Luis Enriquez Bacalov) 出版社 USIGNOLO <10> リッキとポ-ヴェリ (coro) Ricchi e Poveri (Cetra – Fonit Cetra) SP-1606 [45] SP-1606 SM-6008 14位 暁に消えて Piccola Donna Addio (Enzo Stavolo - Franco Zulian) 出版社SUGAR <9> パトリツィオ・サンドレッリ (vm) Patrizio Sandrelli (Smash – CBS Sugar) SM-6008 [45] 15位 海にいた時 Quando C'Era Il Mare (Sergio Endrigo) 出版社 JUBAL - NOAH'S ARK <6> セルジョ・エンドリゴ (vm) Sergio Endrigo (Ricordi – Dischi Ricordi) SRL-10・793 [45] SRL-10・793 REAN-14001 15位 火遊び Signora Tu (Pier Michele Bozzetti -Graziano Pegoraro) 出版社 REAL Mus. <6> ミコ {ドン・ミコ} (vm) Miko (Don Miko) (Real Music – Dischi Ricordi) REAN-14001 [45] 17位 魂を探せ Cercati Un'Anima (Oscar Avogadro -Daniele Pace - Donato Ciletti - Claudio Cavallaro) 出版社 SIAE <5> プロフェ-ティ (compl) I Profeti (CBS – CBS Sugar) 4041(CBS) [45] 4041(CBS) ZFM-5O403 18位 恋の不安 Che Sarei (Pippo Landro - Ettore Cardullo) 出版社 FMA - RCA <3> ヌオーヴァ・ジェンテ (compl) La Nuova Gente (FMA – RCA Italiana) ZFM-5O403 [45] <参加曲> ◆貧しき者の歌 La Canzone Dei Poveri (Raffaele Mallozzi - Nunzio Gallo) 出版社PICCOLA VELAグロリア-ナ (vf) Gloriana (Bella Record - Phonotype) BR-178 [45] BR-178 DBR- 4039 ◆愛の廃家 Una Casa Senza Nome (Daniele Pace - Mario Panzeri - Lorenzo Pilat) 出版社 SIAE ウンベルト・ルーピ (vm) Umberto Lupi (Derby – CBS Sugar) DBR- 4039 [45] 残りの参加曲は次回に続きます アントニオ・ブオノーモ (Hello) ウンベルト・ル-ピ (Derby) エツィオ・ピチョッタ (RCA Italiana) ディスコ・ピュ(Disco Più)は1976 年にミラノに設立されました。設立当初にダリダ(Dalida)のイタリア語曲の権利を取り、レコード会社経営に成功しました。ディストリビューションは設立後76年リコルディに委託しましたが、77年以降はCGDに変更されました。 ディスコ・ミュージックを主力にしたことが成功し、後にDVモアも傘下に収めて現在も活動を続けています。 FMAは1975年に自作自演歌手、音楽プロデューサー、シンセサイザー演奏家フェデリコ・モンティ・アルドゥイーニ(Federico Monti Arduini)が設立しました。 1961年自作自演歌手演奏家フェデリコ・モンティ・アルドゥイーニとしてブルー・ベルからデビューしました。ブルーベル(Bluebell Records)はベルディスク(Belldisc)、プロドットリ・アソシアーティ(Produttori Associati)と社名が変わっていきます。歌手として数枚のシングル盤を出しましたが、彼はプロデューサー、作・編曲家のアルフェモ(Arfemo)としての腕を買われてブルー・ベルで働いたようです。 その後クリフ・リチャード(Cliff Richard)に“オール・マイ・ラヴ(All My Love)”を提供、またジョルジョ・ガーベル(Giorgio Gaber)に歌詞を提供しています。 72年彼はリコルディのポピュラー部門のジェネラル・ディレクターに就任し、約15年間在籍、また同年から75年までポリドールの副ジェネラル・ディレクターと芸術監督も務めていました。そして73年サンレモ音楽祭でウェスとドリ・ゲッツィの出場曲“二つの恋と一つの涙 (Tu Nella Mia Vita)”を提供し6位入賞、73年年間ヒット・ランク25位の大ヒットになりました。 一方ムーグ・シンセサイザー演奏家のイル・グァルディア-ノ・デル・ファ-ロ(Il Guardiano del Faro) としてリコルディからデビューし、ポリドール、RCAイタリアーナ、FMA、フォニット・チェトラなどレコード会社を渡り歩きヒットを出していきます。 ポリドールの職を離れた後、初めて自分のレコード会社を立ち上げました。名称は自分の名前の頭文字を取って FMAにしました。直ぐに翌76年ヌオーヴァ・ジェンテ(La Nuova Gente)をサンレモ音楽祭に出場させ、“恋の不安(Che Sarei)”で入賞させました。しかし独立レコード会社として存在したのは76年の1年間だけで、その後はプロダクション、版権管理会社として大手レコード会社の傘下でレコード原盤制作を続けました。 (フェデリコ・モンティ・アルドゥイーニの事は機会があればまた書きたいと思います) サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1975年は次回に続きます ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。 ・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。 ・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。 ・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2018.09.20
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前年はレコード会社の協力がなく空前の失敗と言われ、サンレモ音楽祭も最早これまで、開催も危ぶまれました。 しかしイタリアらしく前年の失敗にもめげず、歴史のある音楽祭らしく復活を見せます。前年排除された73、74年のオーガナイザー、ヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)が戻り陣頭指揮をとります。 サンドロ・ジャコッベ (CBS) ロミナ・パワ- (Libra) 参加レコード会社は9グループ、19レーベルで前年救済措置のOSIを請負ったCBSシュガーがトップの8歌手、リコルディとRCAのグループ3社で20歌手(全体の3分の2)を占める寡占状態となりました。前年実績のリフィは出場歌手を出していませんが、各社とも前年と違いスター歌手、若手有望歌手を出場させ、特に3分の1がバンド、グループ歌手で若者を意識した構成でした。 第26回 1975年2月19日(木)~21日(土) サンレモ市カジノ付属劇場 司会:ジャンカルロ・ガルダバッシ(Giancarlo Guardabassi);セレーナ・アルバーノ(Serena Albano);マッダレーナ・ガッリアーニ(Maddalena Galliani);ステッラ・ルーナ(Stella Luna);ロレーナ・ロゼッタ・ナルドゥッリ(Lorena Rosetta Nardulli);ティツィアナ・ピーニ(Tiziana Pini);カルラ・ストラーノ・パヴェーゼ(Karla Strano Pavese) 楽団指揮:リッカルド・ヴァンテッリーニ(Riccardo Vantellini) 再演奏音楽家:エンゲル・グァルディ(Henghel Gualdi) 楽団、ブルーノ・マルティーノ(Bruno Martino), グラウコ・マセッティ楽団(Glauco Masetti)、エリー・ネーリ楽団(Ely Neri.) オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo) 芸術監督:ヴィットリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti) [数]は外人歌手数 ・CBS Sugar 8[0] (CBS4[0];Derby 1[0] ;Splash 1[0] ;; Smash1[0];Libra1[0]) ・Dischi Ricordi 6[0] (Ricordi 3[0]);Carosello 1[0]; Real Music 1[0] ; Disco Più 1[0]) ・RCA Italiana 6[1] (RCA 4[1]; Hello 1[0]; FMA1[0]) ・Fonit Cetra 2[0] ・Phonogram 2[0] (Polydor1[0]; Philips 1[0]) ・EMI Italiana 2[0] ・Durium 2[0] ・Ariston 1[0] ・Phonotype (Bella Record) 1[0] イ・プロフェ-ティ (CBS) サンティ-ノ・ロッケッティ (Cetra) 予選の方法が全く新しい方法になり、複雑で一般視聴者には理解が難しかったようです。出場30歌手を各5歌手にAからEまで6チームに分けます。キャプテン2歌手(太字)は無条件で最終夜の決勝戦に進出、予選勝ち抜き(下線)、敗者復活(太下線)の勝者が入賞となります。 ・赤チーム ウェスとドリ・ゲッツィ、オリエッタ・ベルティ、ストラ-ナ・ソチェタ、ロザンナ・フラテッロ、レア-ノ・モレッリ、サンティ-ノ・ロッケッティ ・橙チーム ダニエル・センタクルス・アンサンブル, ドゥルピ、ミコ、アルバトロス,アルモニウム、シルヴァ-ノ・ヴィットリオ ・青チーム カマレオンティ, サンドロ・ジャコッベ、オペラ、プロフェーティ、ヴァンナ・レア-リ、ウンベルト・ル-ピ ・緑チーム ペピーノ・ディ・カプリ, セルジョ・エンドリゴ、パトリツィオ・サンドレッリ、アントニーノ・ブオノーモ、グロリア-ナ、ロミナ・パワー ・桃チーム パオロ・フレスクラ,リッキとポーヴェリ、カルロ・ジッリ、ヌオ-ヴァ・ジェンテ、エツィオ・ピチョッタ、マギー・メイ 最終日は予選の結果に関係なく得票順に優勝歌手、第2位、第3位が表彰され、以下入賞18位まで発表されました。なお第3位が同点でサンドロ・ジャコッベとアルバトロスが分け合いました。なお青組のカマレオンティ, サンドロ・ジャコッベ、オペラ、プロフェーティ3歌手がグループ賞を取りました。 <優勝曲> ふたりだけの秘密 Non Lo Faccio Più (Depsa - Fanrozop Berlincioni - Sergio Iodice) 出版社 SPLASH <46>ペピーノ・ディ・カプリ (vm) Peppino Di Capri (Splash – CBS Sugar) SPH-1023 [45] SPH-1023 CM- 3 第2位誰と一緒 Come Stai, Con Chi Sei (Cristiano Minellono - Umberto Balsamo) 出版社 KARMA - DURIUM <40> ウェスとドリ・ゲッツィ (duo) Wess & Dori Ghezzi (Durium(Circus) – Durium) CN・A-9343 [45] CN・A-9343 4043(CBS) 第3位 雨の中の瞳Gli Occhi Di Tua Madre (Daniele Pace - OscarAvogadro - Sandro Giacobbe) 出版社INSIEME - SUCCESSO <36> サンドロ・ジャコッベ (vm) Sandro Giacobbe (CBS – CBS Sugar) 4043(CBS) [45] 第3位 別離のロ-マ空港 Volo AZ 504 (Vito Pallavicini - Salvatore Cutugno) 出版社 ASSO <36> アルバトロス (compl) Albatros (Carosello – Dischi Ricordi) CI-20410 [45] CI-20410 CM- 28 <入賞曲> 5位二つの指輪Due Anelli (Antonio De Sanctis - Paolo Frescura) 出版社出版社RCA MUSICA - R <30> パオロ・フレスクラ (vm) Paolo Frescura (RCA - RCA Italiana) TPBO-1207 [45] TPBO-1207 6位サンバリオ Sambariò (Enrico Riccardi - Luigi Albertelli) 出版社 R.R.R. <24> ドゥルピ (vm) Drupi (Ricordi – Dischi Ricordi) SRL-10・792 [45] SRL-10・792 DWQ-6003 7位 もっと強く Più Forte 出版社 MI-MO <23> カルロ・ジッリ (vm) Carlo Gigli (RCA - RCA Italiana) TPBO-1175 [45] TPBO-1175 8位 リンダ・ベラ・リンダ Linda Bella Linda (Franco Specchia - Zacar - Paolo Principe -Daniel Sentacruz) 出版社 BELRIVERダニエル・センタクルス・アンサンブル (compl) Daniel Sentacruz Ensemble (EMI – EMI Italiana)3C・006-18148 [45] 3C・006-18148 EOR-20298 9位また失った恋 L'Ho Persa Ancora (Filiberto Ricciardi - OscarAvogadro - Daniele Pace) 出版社 SIAE オペラ (compl) Opera (CBS – CBS Sugar) 4042(CBS) [45] 4042(CBS) 4038(CBS) 10位ガラスの心 Cuore Di Vetro (Carlo Bigazzi - Toto Savio) 出版社 APRIL Mus. カマレオンティ (compl) Camaleonti (CBS – CBS Sugar)4038(CBS) [45] 残りの入賞曲は次回に続きます ヴァンナ・レア-リ (Disco Più) オペラ (CBS) パオロ・フレスクラ (RCA Italiana) 76年初参加のレコード会社はBella Record (Phonotype), Derby (CGD), Disco Più, FMA, Libra, Real Music Smash,の7(8)社です。ダービーはCGDのサブ・レーベルで既に1965年日本の伊東ゆかりが出場した時にレコードを出して、名前だけは相当早い時点で出ていますが、色々経過もありまして、ここで紹介しておきましょう。 ダービー(Derby)は76年時点ではCBSシュガーから発売されていますが、CGDのサブ・レーベルとして62年に外国人歌手がイタリアでレコーディングしたレコードを発売するために作られました。同年9月に64年サンレモ音楽祭に出場したジル・フィールズ&フラタニティ・ブラザース(GIL FIELDS & FRATERNITY Brs. (duo=a))が歌うアメリカのペリ-・ボトキン(Perry Botkin)が作った曲のイタリア語版“Topolino”を皮切りにレーベルは始まりました。 伊東ゆかりのイタリアでのデビュー盤、65年サンレモ音楽祭出場盤もダービーから出ています。 DB-5107 (1965年? DERBY - CGD) L'Amore Ha I Tuoi Occhi (恋する瞳)/L'Amore è Partito (過ぎ去った恋) DB-5107 DB-5111 DB-5111 (1965年? DERBY - CGD) Poco Dopo (ポコ・ドポ)/Qunado Ci Sei Tu/Quando Cade Un Fiore (花のおちるとき) ところが65年後半から新人開発レーベルを持っていなかったCGDは新人歌手のレコードをダービーから出すようになります。初めてデビューした中で成功したのはセルジョ・レオナルディ (Sergio Leonardi)でした。年間ヒット・ランクに入るヒットを出し、70年サンレモ音楽祭に入賞しています。 その後も74年のジャンニ・ベッラ(Gianni Bella)などイタリア人歌手がデビューして、レーベルの性格は曖昧になっていきます。77年のCGDとCBSの分離の際は発足の経緯からCGDに残り、CGDの経営悪化で80年にレーベルを閉じました。 スマッシュ(Smash)は正式名称をスマッシュ・オリジナル・キャスト(La Smash Original Cast)と言います。米マーキュリー(Mercury)のサブ・レーベルのスマッシュやRCAイタリアーナの映画音楽のサブ・レーベル、オリジナル・キャストがありますし、ペピーノ・ディ・カプリ(Peppino Di Capri)のスプラッシュ(Splash)とも別の会社です。 72年に音楽プロデューサー、フランコ・ラブリオーラ(Franco Labriola)がローマで設立した会社です。スマッシュを設立後に彼の名前が出てきますが、それ以前では余り見かけない名前です。76年サンレモ音楽祭出場歌手パトリツィオ・サンドレッリなどを育てました。76年末経営不振で閉鎖したようです。 リブラ(Libra)はアル・バーノ (Al Bano)が1974年デビューしたEMIイタリアーナから独立し、結婚したロミナ・パワー(Romina Power)と設立しました。レコードの発売は75年から始めました。この二人のレコード以外は製作されず、やはり独立会社は難しかったのか、81年に版権を管理するプロダクションとして残し、レコード製作は中止しました。この後アル・バーノとロミナ・パワーはベビー・レコーズに所属します。 サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1976年は次回に続きます ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。 ・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。 ・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。 ・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2018.09.17
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★アンジェラ・ルーチェ (vf) Angela Luce本名アンジェラ・サヴィーノ (Angela Savino) 1937年12月3日ナポリ、女優、歌手。 芸名ルーチェの由来は非常に若い頃、アイゼンハワー大統領時代のイタリア大使で劇作家、クレア・ブーザ・ルース(Clara Hoothe Luce)を尊敬していてルース(Luce)の名前を使い始めました。 活動期間:1953 – 現在所属レコード会社:Phonotype, Fans, Hello, Sirioサンレモ音楽祭出場1回:1975年第2位 74年会社組織をイタルビートからロンディネッラ音楽出版に変えたヘローに戻り2枚のシングルとナポリターナの名曲を集めたアルバム「Sò Palummella Cu E Scelle D'Oro」を出しました。NP-9157 (1974年 Hello - Edizioni Musicali Rondinella) Amore A Volonta'/Tarantella GelosaNP-9157 NP-9158NP-9158 (197?年 Hello - Edizioni Musicali Rondinella) L'Addio/Napule Ca Se Ne Va ヘローもフォノタイプと同じく販売経路を全国向けとナポリ・ローカル2本立てとしRCAイタリアーナと提携し、アルバムは同社のレコード番号を使っています。ZSEL-55432 (1974年 Hello - RCA Italiana) Angela Luce Vol.1 Sò Palummella Cu E Scelle D'Oro1.Palomma 'E Notte (蝶々の夜)2.Fresca Sposa3.Adduormete Cu Me4.Mamma T'Aspetta5.Albergo E Ll'allegria (陽気なホテル)6.Carcere7.Napule Ca Se Ne Vai (ナポリは行ってしまった)8.'E Guerra9.Mamma Mia Che Vo Sapè? (母さま何が知りたいの?)10.L'Addio11.Acquaiola 'E Margellina12.Lettera Malincolina ZSEL-55432 こうして彼女は75年サンレモ音楽祭にヘローから“偽善”で出場しました。人気、実力からして彼女とロザンナ・フラテッロが有力視されましたが優勝は何とジルダ(Gilda)の“南の少女(Ragazza del Sud)”に決まりました。しかしアンジェラは“偽善”を真の勝利宣言をしています。ZEL-50470 (1975年2月 Hello - RCA Italiana) Ipocrisia (偽善)/Per Amare Lui ZEL-50470 サンレモ音楽祭出場曲とB面の曲を加えたサンレモ音楽祭の名曲集のアルバムを出しました。この盤もRCAイタリアーナの全国向けとナポリ地元向けの2つのレコード番号を持った盤がでたようです。 2002年CD化される時にサンレモ曲の内で知名度の低い“バラのマドンナ”が削られ、彼女の持ち歌5曲が加えられた編集違い盤として発売されています。ZSEL-55439 (1975年 Hello - RCA Italiana) Angela Luce Cin cin con SanremoLP-1050 (1975年 Hello - Edizioni Musicali Rondinella) Angela Luce Cin cin con SanremoGRCD-6360 (2002年Green Records – Duck Record) CD Angela Luce - Monografie Napoletane Vol 2 [*]1*15.Ipocrisia (偽善)*2.Ipotesi2*4.Non Pensare A Me (愛のわかれ)3*11.Canzone Da Bue Soldi (二文の歌)*3.Lettera Malinconica4*6.Quando M’Innamoro (愛の花咲くとき)5*12.Canzone Per Te (君を歌う)*5.Per Una Notte6.Madonna Delle Rose (バラのマドンナ)7*1.Grazie Dei Fiori (花をありがとう)*7.Quando Sarai Con L'Altra8*8.Viale D’Autunno (秋の並木道)9*16.Per Amare Lui10*10.Buongiorno Tristezza (悲しみよ今日は)11*13.Che Sarà (ケ・サラ)12*9.Al di là (アル・ディ・ラ) *14.Io Per Ricominciare ZSEL-55439 LP-1050 GRCD-6360 続いて75年夏のディスク・フェスティヴァルに標準語の曲“Cara Amica Mia”で出場しましたが、本選に進むことはできませんでした。ZEL-50471 (1975年4月 Hello - RCA Italiana) Cara Amica Mia/Quando Sarai Con L'AltraZEL-50471 ZSEL-55443ZSEL-55443 (1975年 Hello - RCA Italiana) Poesie Dette Da Angela Luce1.Pianefforte E Notte (夜のピアノ)2.Donn'Amalia A Speranzella3.O Mercuri Da Madonna O Carmene4.Coscie Argentpo5.So Polummelle6.Lettera Amirosa7.A Livella8.Addio A Maria9.Prezzetella A Capera10.Lassammo Fa Dio11.Nannina 75年2枚目のアルバムはタイトルを「Poesie Dette Da Angela Luce」、直訳すれば『アンジェラ・ルーチェによって語られる詩』で、詩の朗読かもしれません。 76年のアルバム「E A Napule Ce Sta... Angela Luce」は日本人にはなじみのない曲ばかりですが、ナポリ人にとっては心地の良い曲が集められたのでと思います。ZSEL-55446 (1976年 Hello - RCA Italiana) E A Napule Ce Sta... Angela Luce1.Te Ne Vaie2..Nu Poco 'E Sentimento4.Popolo Vesuviano...5.L'Urdemo 'Nnammurato6.E A Napule Ce Sta...7.Tre 'Nnammurate8.Chitarra Nera9.No... Tu Mi 'A Fa Fa10.Pupazzetti11.Sunate Manduline12. Int'A N' Ora Dio LavoraZSEL-55446 ZSEL-55452 ZSEL-55452 (1976年 Hello - RCA Italiana) Angela Luce – Cafè Chantant1.Lili' Kangy (リリ・カンジー)2.Cosce 'Argiento3.Molosilio4.'A Guerra5.Niny Tirabuscio' (Ninì Tirabusciò) (ニニ・ティラブ-ショ)6.Donn'Amalia A Speranzella7.Farandola Napoletana8.Palomma 'E Notte (蝶々の夜)9.Nannina10.Popolo Vesuviano11.'A Frangesa (フランスの女)12.Prezzetella 'A Caprera13.Albergo 'E Ll'allegria (陽気なホテル)14.E A Napule Ce Sta15.Pianeforte 'E Notte (夜のピアノ)16.Momento Napoletano17.No...Tu Mi 'A Fa Fa...18.Te Ne Vaie19.Nu Poco 'E Sentimento 76年2枚目のアルバムは両大戦の間、束の間の良き時代にカフェ・シャンタン(ダンス・ホール)で流行った懐メロを集めた盤です。 77年にリコルディ(廉価盤オリゾンテ・レーベルからも)からナポリターナを集めたアルバムが出ています。原盤がどこなのか未確認です。SMRL-6200 (1977年 Ricordi – Dischi Ricordi) Angela Luce – Comme Se Canta A NapuleORL-8143 (1977年 Orizzonte – Dischi Ricordi) Angela Luce – Comme Se Canta A Napule1.Comme se Canta a Napule2.A Tazza E Café (一杯のコーヒー)3.Tiempe Belle (あの頃はよかった)4.Tammuriata Palazzola5.I' Te Vurria Vasà (あなたのくちづけを)6.Ninì Tirabusciò (ニニ・ティラブ-ショ)7.Serenata Napulitana (ナポリのセレナード)8.Core Signore9.Lili' Kangy (リリ・カンジー)10.Lassame Sola11.A Francesa (フィランツェサで)12.Era De Maggio (五月だった)SMRL-6200 ORL-8143 RCAイタリアーナは70年代フォノタイプで出した4枚のアルバムから作られた編集ベスト盤と思われるのが「Angela Luce – Selezione Napoletana N. 5」を作りました。ZSEL-55864 (1977年 Phonotype - RCA Italiana) Angela Luce – Selezione Napoletana N. 51.Bammenella2.Tammurriata D'Autunno3.Zitto... Zitto... Zitto (そっと、そっと、そっと)4.Balocchi E Profumi (ママの涙)5.L'Ammore Che Fa Fa6. 'A Voce 'E Mamma7. 'A Cartulina 'E Napule (ナポリの鐘)8.Tammurriata Nera (黒い落し子)9.Che Vuo' Cchiu'10.Vipera (まむし)11.L'Ultima Tarantella (最後のタランテッラ)12.Io Rido Pe' Nun ChiagnereZSEL-55864 ZSEL-55457ZSEL-55457 (1977年 Hello - RCA Italiana) Comme Se Canta A Napule! – Giulietta Sacco/Angela Luce1.'A Primma 'Nnammurata2.Coiom'E' Bella A Staggione3.Cara Signora4'A Cartulina E Napule (ナポリの鐘)5.L'Addio6.Silenzio Cantatore (静けさに歌う)7.Anema Nera (黒い魂)8.Te Ne Vaje9.Pupazzetti10.Mamma Mia Che Vo Sapè? (母さま何が知りたいの?)11.Lettera Malinconica12.Tre Nammurate 1~6:GIULIETTA SACCO; 7~12 ANGELA LUCE またヘロー原盤で他の歌手1人とカップリングした編集ベスト盤シリーズ「Comme Se Canta A Napule!」を作りました。第1集は女性歌手ジュリエッタ・サッコ(Giulietta Sacco)と、第4集は男性歌手マリオ・メローラ(Mario Merola)とでした。ZSEL-55459 (1978年 Hello - RCA Italiana) Comme Se Canta A Napule! - Vol. 4 Mario Merola/Angela Luce1.Spusarizio 'E Marenare2.A Muntevergine3.Zappatore (工兵)4.Lacreme Napulitane (ナポリ人の涙)5.Passione Nera6.Cielo E Mare (空と海)7.Palomma 'E Notte (蝶々の夜)8.Nu Poco 'E Sentimento9.Carcere10.Tarantella Gelosa11.Amore A Volontà12.Fresca Sposa 1~6 Mario Merola;7~12 Angela LuceZSEL-55459 LP-00213 LP-00213 (1984年 Sirio –) ANGELA LUCE - Ipocrisia 84年シーロ(Sirio)からアルバム「ANGELA LUCE - Ipocrisia」が出ました。収録曲の情報は不明です。新しいレーベルのシーロは内容から見てヘローの原盤を受け継いでいると思います。 もう1枚「ANGELA LUCE - Io Per Ricominciare」も出ました。収録曲からみてヘローの音源を使った編集ベスト盤と言えます。2004年に「I Colori Della Vita」としてCD化再発売もされました。BL-75919 (1984年 Sirio –) ANGELA LUCE - Io Per RicominciarePS-050 (2004年 Polo Sud - ) CD I Colori Della Vita [8022539550506]1.L'Ultima Tarantella (最後のタランテッラ)2.So' Bammenella 'E CCoppo 'E Quartiere3.Tammurriata Nera (黒い落し子)4.Addò Staje Mammà5.Na Sera 'E Maggio (五月の夜)6.Ipocrisia (偽善)7.Passione (情熱)8.E Ddoje Madonne9.La Leggenda Del Lupino10.Prezzetella 'A Capera11.'A Vita è Nu Passo12.Io Per RicominciareBL-75919 PS-050 88年シーロからナポリターナの有名曲を集めた新録音とみられるアルバム「ANGELA LUCE - Senza frontiere」が発売されました。BL-75955 (1988年 Sirio –) ANGELA LUCE - Senza frontiere1.Senza Frontiere2.Troppo3.Ipotesi4.Per Una Notte5.Una Donna Da Capire6.La Solitudine7.'O Surdato 'Nnamurato (恋する兵士)8.Napulitanata (ナポリの小唄)9.Canzona Appassiunata (情熱の歌)10.Chiove (雨が降る)11.Tarantella Internazionale12.Santa Lucia Luntana (遥かなるサンタ・ルチア)BL-75955 CD-0044CD-0044 (1995年 Phonotype – Phonotype) CD ANGELA LUCE Vol. 3 – Ipocrisia1.Ipocrisia (偽善)2.Nisciuno (誰も)3.Giuramento4.'O Vico5.Pulecenella 'E Mo6.La Borse-ta (La Borsetta)7.Che Songo 'E Rrose8.'A Voce 'E Mamma9.Anema Nera (黒い魂)10.Liliy Kangy (リリ・カンジー)11.Malepensiero12.La Casa Del Diavolo13.E A Napule Ce Sta'14.'A Guerra15.Zitto Zitto Zitto (そっと、そっと、そっと)16.Un'Ipotesi17.Non Sposarmi Se Non Vuoi18.Mamma T'Aspetta 95年アンジェラ・ルーチェの代表作を集めたベスト盤「ANGELA LUCE Vol. 3 – Ipocrisia」がフォノタイプからCDで出ました。内容からするとヘロー時代の音源も入っているように思えますが未確認です。 2009年ポロ・スードからアルバム「Angela Luce: - Luce Per Totò」が発売されました。マルコ・ズツォーロ(Marco Zurzolo)とのコラボレーション企画でトトへのオマージュ盤です。トトのヒット曲やトトが作った曲をアンジェラ・ルーチェは72才ですが新たに録音しています。 トトとは、ナポリの「爆笑王子」トト(TOTO')ことイタリアの世紀の喜劇王アントニオ・デ・クルティス(Antonio De Curtis)ことで映画、舞台俳優ばかりでなく、ナポリターナ歌手、ナポリターナの作家としても大きな貢献をしています。特に戦後ナポリターナの代表作の一つ、51年作の"悪い女(Malafemmena)"は同じ年にマリオ・アッバーテ(Mario Abbate)がナポリのピエティグロッダ歌祭で歌い、ジャコモ・ロンディネッラ(Giacomo Rondinella)がヒットさせました。PS-066 (2009年6月Polo Sud -) CD Angela Luce: - Luce Per Totò (feat. Marco Zurzolo) [8022539550667]1.Nemica2.Luntano 'A Te 3.Filomè 4.Malafemmena (悪い女) 5.Abbracciato Cu Tte 6.Che Me Diciste A Ffà 7.Core Analfabeta 8.Aggio Perduto 'Ammore 9.Carmè Carmè 10.T'Aggia Lassà 11.Tu Si Tutto Pe' Mme 12.L'Ammore Avesse 'A Essere PS-066アンジェラ・ルーチェの国内盤はありません、以上です。※61年から発売されていたコンピレーション(オムニバス)国内盤は75年発売されませんでした。1975年サンレモ音楽祭は以上です。
2018.09.14
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★ジャンニ・ミリアルディ (vm) Gianni Migliard 本名ジョヴァンニ・ミリアルディ (Giovanni Migliardi) 1953年4月18日1953年4月18日にナポリ市の南東端にあるサン・ジョヴァンニ・ア・テドゥッチョ区生、歌手。 活動期間: 197?年 – 現在? 所属レコード会社:Autori Associat、King Universal、Canaria、Gulp! サンレモ音楽祭出場1回:1975年入賞 ナポリで大家族鍛冶屋の息子として生まれ、槌が焼けた鉄を打つ音でリズム感が養われたと言われます。 ヴィアレッジョのカーニバル新人コンテスト後、“'O guaglione”を74年にナポリ祭(Festival di Napoli)で歌い、彼の中ではナポリのローカル・ヒットでしたが、成功した曲でした。 52年から始まったナポリ音楽祭(Festival di Napoli)はRAIがイタリア全土に中継し、一時はサンレモ音楽祭と並ぶ大音楽祭でしたが、71年(第19回)の大会はストライキのため中断し、最終日が行われなかったため優勝、順位が付きませんでした。音楽祭協会も経営不振でナポリ音楽祭は81年まで開催されませんでした。この間ナポリの歌手たちが出場したとされるナポリ祭(Festival di Napoli)は色々な団体が大小規模もばらばらで、数多く開催していたようです。 ジャンニ・ミリアルディもその中の一つで“'O guaglione”を歌い成功したのでしょう。ただこの題でレコードが出ておらず、”Guaglione Guaglione“と同じ極かもわかりません。(未確認) AI-8007 (?年 Autori Associati - Autori Associati) La Torre Di Pisa E' Malata/Viva L'Armonica AI-8007 GSA-59021 GSA-59021 (?年 Autori Associati - Autori Associati) Guaglione Guaglione/Napule E Tu ミリアルディはナポリの市会議員も務めた大物歌手アウレリオ・フィエルロ (Aurelio Fierro)がオーナーのキング・ウニヴァーサル(King Universal)から75年サンレモ音楽祭に出場しました。この会社は一時、ペピーノ・ガリアルディ(Peppino Gagliardi)やトニー・アスタリタ(Tony Astarita)が在籍し、準大手のレコード会社になりましたが、音楽産業の不況と75年サンレモ音楽祭の負担で同75年閉鎖されました。 NSP-56145 (1975年2月 King Universal) Sei Stata Tu (君がいた)/Non Era Primavera NSP-56145 LP-101 LP-101 (?年 EDI - ) NAPULITANATA - GIANNI MIGLIARDI 多分サンレモ音楽祭出場後に発売されたと思われる彼のアルバム「NAPULITANATA - GIANNI MIGLIARDI」ですが収録曲など、内容が一切不明です。 80年彼のセカンド・アルバムと思われる「Gianni Migliardi 6+6… Ma Sempre Amore」がカナリアから発売されました。カタログ番号が不明です。このナリアはヌオーヴァ・カナリアとなり現在もナポリターナと過去の有名歌手の復刻編集ベスト盤CDを発売しています。セカンド・アルバムをネット・配信で「Original Hits - Festival Di Napoli - Gianni Migliardi」して販売をしています。 (1980年 Canaria – Fonit Cetra) Gianni Migliardi 6+6… Ma Sempre Amore (2013年 Nuova Canaria - Società Canaria) Original Hits - Festival Di Napoli - Gianni Migliardi 1.Fiorella E Io 2. Ma Che So' Chesti Parole (Ma Che So Chesti Parole) 3.Aspietteme 4.E Scelto Ggià (E Scelto Già) 5.Che Ssi Turnata A Ffa' (Che Si Turnata A Ffa) 6.Pienza A Tte (Pienze A Tte) 7.Senz' 'E Te (Senza 'E Te) 8.Avvelename 9.L'Amore Mio Si Tu 10. Che D'E' L'Ammore (Che E' Dell'Ammore) 11.Sulo Pe' Te 12.Abbandonate Stasera 81年に再開された第19回ナポリ音楽祭(Festival di Napoli)にミリアルディは“E Torno 'Mbraccio A Te”で出場しました。優勝以外は決定されなかったようです。 AUK-9094 (1981年Gulp! – Fonit Cetra) E Torno 'Mbraccio A Te/'O Bagnino [Festival Di Napoli '81] AUK-9094 この後はナポリでナポリターナ歌手としてTV出演するなど活動を続けました。 ジャンニ・ミリアルディの国内盤はありません、以上です。 ★アンジェラ・ルーチェ (vf) Angela Luce 本名アンジェラ・サヴィーノ (Angela Savino) 1937年12月3日ナポリ、女優、歌手。 芸名ルーチェの由来は非常に若い頃、アイゼンハワー大統領時代のイタリア大使で劇作家、クレア・ブーザ・ルース(Clara Hoothe Luce)を尊敬していてルース(Luce)の名前を使い始めました。 活動期間:1953 – 現在 所属レコード会社:Phonotype, Fans, Hello, Sirio サンレモ音楽祭出場1回:1975年第2位 アンジェラの芸歴は、14才のクリスマスにナポリのピエディグロッタ・ビデリ(La Piedigrotta Bideri)の舞台で“Zì Carmilì'”歌ったことが始まりでした。 1956年アンジェラはピノ・メルカンティ(Pino Mercanti)監督の「Ricordati Di Napoli」で映画にデビューし50年代に7本、60年年代にマリオ・マットリ(Mario Mattòli)監督の「Signori Si Nasce」、ルッキーノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)監督の「異邦人(Lo Straniero)」等24本に出演します。 またペッピーノ・デ・フィリッポ(Peppino De Filippo)主演で56年初演の演劇「Le Metamorfosi Di Un Suonatore Ambulante」を始めに舞台女優、また60年以降TV映画の出演豊富です。 70年にピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)監督の「デカメロン(IL DECAMERONE)」に出演しています。日本ではこの映画でアンジェラ・ルーチェの名前が知られたようです。70年代には11本の映画に出演しています。 若い頃から歌うことが好きだったのか、70年から歌手としても活動を始めます。30才を過ぎて歌手デビューすることは珍しいのですが、その頃ベテランの女性ナポリターナも少なく、俳優としての演技力も豊富なこともあり、歌手としての実力も備えていました。 レコード・デビューはルチアーノ・ロンディネラ(Luciano Rondinella)が設立したイタルビートのヘロー・レーベルから、70年の第18回ナポリ音楽祭出場曲の“'O Divorzio (離婚)”でペピーノ・ディ・カプリ(Peppino Di Capri)とジャンニ・ナザーロ(Gianni Nazzaro)の“恋人と呼んで(Me Chiamme Amore)”に次いでフランコ・フランキ (Franco Franchi)と共に第2位となる華々しい門出でした。 HR-3004 (1970年 Hello - Italbeat) 'O Divorzio (離婚)/Carissima Mamma HR-3004 HR-9055 HR-9055 (1971年 Hello - Italbeat) 'A Primma 'Nnammurata /'A Rriva 'E mare しかしアンジェラのデビューは如何にも遅すぎました。2枚目のシングルは71年の第19回名執音楽祭出場曲“'A Primma 'Nnammurata”でした。第二次世界大戦はナポリの解放が早かったため、復興はナポリから始まりましたが、音楽産業の中心はミラノにもっていかれ、ナポリの地盤沈下とともにナポリターナの人気も低下し、音楽祭も毎年開催が危ぶまれていました。 71年はストライキもあり、最終日まで開催できずRAIの放送も打ち切られ、その後10年も音楽祭は開催できなくなります。彼女の曲も幻の出場曲となりました。 翌72年イタリア最古のレコード会社ナポリの老舗フォノタイプ(Phonotype)のファンスに移籍し、アルバム歌手として再出発しました。最初はアルバムタイトル「Melodie Celebri Napoletane」の通りナポリターナの名曲集です。2000年にCD化の際は2曲のボーナストラックが付きました。 GPX- 6 (1972年 Fans – Phonotype) Angela Luce – Melodie Celebri Napoletane CD-0004 (2000年 Phonotype – Phonotype) CD ANGELA LUCE - VOLUME 1゚ [8032790783162] [*] 1.Purtatele Sti Rose (Purtatele Sti Rrose) 2.Mandulinata A Napule (ナポリのマンドリン) 3.L'Ammore Che Fa Fa 4.Che T'Aggia A Dì (.Che T'Aggia Dì) (ケ・タッジャ・ディ) 5.Paraviso E Fuoco Eterno 6.Presentimento 7.Tammurriata Nera (黒い落し子) 8.Sott' 'E Cancelle 9.Tammurriata D'Autunno 10.'O Mese D' 'E Rrose (花の月) 11.Maggio Sì Tu 12.L'Ultima Tarantella (最後のタランテッラ) *13.Che Vuo' Cchiu' *14.Preghiera Napulitana (ナポリの祈り) GPX- 6 CD-0004 続いてもう1枚アルバム「Angela Luce – Dedica A...」が出ています。これもCD化の際、ボーナストラック2曲付きです。 GPX- 8 (1972年 Fans – Phonotype) Angela Luce – Dedica A... PH-0005・CD (2000年 Phonotype – Phonotype) CD ANGELA LUCE VOL.2 [*] [8032790783223] 1.Senza Mamma E Nnammurata (センザ・ママ・エンナムラータ) 2.Pigliatillo, Pigliatillo 3.Pupatella 4.'O Cunto 'E Mariarosa (マリアロ-ザの物語) 5.Serenata 'E Na Femmena 6.Dimme Addo Staje 7.Nun Sia Maje 8.'E Pentite (懺悔) 9.Napule 10.Bammenella 11.Fresca, Fresca 12.'E Cartulina 'E Napule (*'A Cartulina 'E Napule) (ナポリの鐘) *13.Io Rido Pe' Nun Chiagnere *14. 'N'ata Nuttata GPX- 8 PH-0005・CD 73年フォノタイプもRCAイタリアーナと全国盤は販売委託し、地元販売用と2本立て体制を取ります。標準語で歌った夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“La Casa Del Diavolo”は成功例です。この盤は2つのレコード番号がありますが、旅客機のコード・シェア便のように同一盤に2つの番号を付けたかも知れません。 ZPH-50297 (1973年4月 Fans – Phonotype (RCA Italiana)) La Casa Del Diavolo/Non Sposarmi Se Non Vuoi G- 62 (1973年4月 Fans – Phonotype) La Casa Del Diavolo/Non Sposarmi Se Non Vuoi ZPH-50297 G- 62 3枚目のアルバムを出しています。収録曲の情報がありません。 GPX- 10 (1973年 Fans – Phonotype) Che Vuò Cchiù Angela Luce e Le Canzoni di Peppino Russo GPX- 10 G- 63 G- 63 (1973年9月 Fans – Phonotype) Che Vuo' Cchiu'!/Zitto, Zitto, Zitto (そっと、そっと、そっと) ナポリ語の歌は地元用レコード番号を使います。売れなかったのかジャケット画像が見つかりません。 4枚目のアルバムはナポリターナだけでなく戦前の流行歌を入れました。CD化では編成順のみ変えています。 GPX- 11 (1973年 Fans – Phonotype) Angela Luce – "Dammi Un Bacio E Ti Dico..." CD-0170 (2002年 Fans – Phonotype) CD ANGELA LUCE - VOLUME 4 1*1.Verde Luna (Green Moon) (グリーン・ムーン) 2*4.Sola In Una Notte Di Tormento 3*7.Che Cosa Importa A Me 4*10..Vipera (まむし) 5*5..E poi 6*6.Balocchi E Profumi (ママの涙) 7*8.Sono Tre Parole (三つの言葉が) 8*9.Dammi Un Bacio E Ti Dico Di Si (キスして、ハイと言って) 9*11.Valzer Spensierato (無分別のワルツ) 10*2.Roselline 11*12.Oh!...Mammà 12 *3.La Borsetta GPX- 11 CD-0170 アンジェラ・ルーチェ2は次回に続きます
2018.09.11
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★エウジェニオ・アルベルティ (vm) Eugenio Alberti 1951年12月25日ミラノの東40km、ベルガモの近郊の小都市パラッツォーロ・スッローリオ生、歌手。 活動期間: 1975年 – 現在 所属レコード会社:Sides サンレモ音楽祭出場1回:1975年入賞 サンレモ音楽祭の出場時に報道に配られた資料では、大学職員及びボタン工場の営業マンとなっていました。郷里パラッツォーロ・スッローリオに居た頃は遊園地用の回転木馬の製造をしていました。 多くの新人コンテストに出場し75年サンレモ音楽祭に出場しました。美声を生かした歌唱で入賞をしました。しかし健康を害し歌手を続けることが困難で、レコードはサンレモ音楽祭入賞曲のみです。 500-3002 (1975年 Sides - Phonogram) Decidi tu per me (君の判決)/Quando Tu Te Ne Sarai Andata 500-3002 エウジェニオ・アルベルティは健康を回復したのか77年故郷のパラッツォーロ・スッローリオでリショ楽団のオーケストラ・スペッタコロ・ブルー・ムーン(L'Orchestra Spettacolo Blue Moon)を結成します。 本格的活動は78年ですが、エウジェニオが楽団所属歌手となり、トランペット、テナー・サックス、キー・ボード、ピアノ、ベース、パーカッション、ドラムスとかなり大掛かりなアンサンブルを構成して活動を続けました。お祭り、結婚式、ファミリー・パーティーにも出演し、地域に根差した音楽活動を続け、2018年に無料の結成40周年コンサートを故郷で開催しました。 エウジェニオ・アルベルティの国内盤 GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS -キング) 30cm 10LP Boxサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO) 10-8.君の判決 (DECIDI TU PER ME) GXF- 81~90 エウジェニオ・アルベルティは以上です。 ★ヌオーヴェ・エルベ (duo) Nuove Erbe,{ Le } 1956 年 12 月 28 日 ローマの北200km(長靴のふくらはぎ部分)の山中にある町アルチェーヴィア(Arcevia) 生の双子姉妹フランチェスカ・ジャンパオロ(Francesca Giampaolo)とアンナ マリア・ジャンパオロが結成したデュエット・チーム。 活動期間:1973 – 1978 所属レコード会社:OSI サンレモ音楽祭出場1回:1975年入賞 フランチェスカとアンナ・マリアは靴屋の娘として生まれ、自立する事が夢でした。 彼女たちはまだピン・ナップ写真も無かった頃に有名になったラジオの時代に活躍したドゥオ・ファザーノ(Duo Fasano)の再来としてグラビア雑誌などにファントッツィ姉妹(Le sorelle Fantozzi)として知られるようになりました。 今回見付けることが出来ませんでしたが、70年代初めの頃からレコードを出していたようです。 ヌオーヴェ・エルベはイタリアで人気が出る前に、旧ユーゴスラヴィア、現クロワチアのアドリア海中南部沿岸の都市スプリトで開催されるスプリト・ポップ・ミュージック・フェスティヴァルに出場し、ユーゴスラヴィアで人気者となっていました。 イタリアでもポップ・アイドルとして注目を集め、75年サンレモ音楽祭に“可愛いミッキー・マウス”で出場し、入賞しました。 OSI-0001 (1975年2月 OSI – CBS Sugar) Topolino Piccolo (可愛いミッキー・マウス)/Là È La Città OSI-0001 サンレモ音楽祭出場後の歌手活動については不明です。78年シンボル・レーベルから古いスタンダード・ナンバーを歌ったアルバム「L'Amore È Una Cosa Meravigliosa」とその中から、タイトル曲“慕情”と“枯葉”をシングル・カットして発売しています。 LP- 334 (1978年 Symbol – Panarecord) L'Amore È Una Cosa Meravigliosa 1..L'Amore È Una Cosa Meravigliosa (慕情) 2.More (モア) 3.Smoke Gets In Your Eyes (煙が目にしみる) 4.Lazy (ものういさ) 5.Le Foglie Morte (枯葉) 6.Scandalo Al Sole (夏の日の恋) 7.Anema E Core (アネマ・エ・コーレ) 8.La Paloma (ラ・パロマ) LP- 334 N- 459 N- 459 (1978年 Symbol – Panarecord) L'Amore È Una Cosa Meravigliosa (慕情)/Le Foglie Morte (枯葉) これを出した後ヌオーヴェ・エルベは活動停止します。フランチェスカはボローニャに引越し、アンナ・マリアは結婚して家庭に入りました。 ヌオーヴェ・エルベの国内盤はありません、以上です。 ★ジャン=フランソワ・ミシェル (vm=f) Jean-François Michael 本名イヴ・ローズ(Yves Rooze) 1946年3月31日パリ (フランス) 生。フランスの歌手、編曲家、プロデューサー。 活動期間:1963 – 現在 所属レコード会社:Vogue, CGD [It]、 Agua M'Anda [It]、 サンレモ音楽祭出場1回:1975年参加 1963年頃から歌っていたようですが、レコードは見付けきれませんでした。フランスの場合はシングル・デビューする前に4曲入りEP盤デビューする場合がよくあります。本名イヴ・ローズでパリ・ポリドールから出したEP盤が見付けた中では最古でした。 27-7203 (1965年 Polydor – Polydor,France) EP Pleurer Pour Une Fille/Pour Tous Les Ecoliers/Les Yoyos Yeyes/Tout Un Jour Sans Toi 27-7203 231-281 231-281 (1967年 Riviera – Barclay,France) EP Sylvie (finaliste à la Rose D’Or)/ Un Ange de Rien Du Tout/ Sur mon carrousel/ Ton souvenir 67年にはバークレー(Barclay)の子会社リヴィエラ(Riviera)に移りEP盤を出しました。いずれも注目を浴びたような様子はありませんでした。 68年芸名をジャン=フランソワ・ミシェル(Jean-François Michael)としてヴォーグ(Vogue)から再デビューをします。この曲“さよならのくちづけ”を作ったのはMichel Hurselことミシェル・ベルジェ (Michel Berger)が作った曲でした。 ヨーロッパのポップスがお好きな方はベルジェの名前はどこかで聞いた名前だと思います。そうフランス・ギャル (France Gall)のカムバックのきっかけとなった“愛の告白 (La Déclaration D'Amour)”を彼女に提供し、76年フランス・ギャルのご主人となった自作自演歌手です。 V・45-1647 (1969年 Vogue – Disques Vogue,France) Adieu Jolie Candy (さよならのくちづけ) / Francine (フランシーヌ) V・45-1647 N-9749 N-9749 (1969年 CGD – CGD) Fiori Bianchi Per Te (Adieu Jolie Candy) (君への白い花/さよならのくちづけ [伊]) /Francine (フランシーヌ) 新たなフランスの歌手は再出発の曲“さよならのくちづけ”のモゴール作詞したイタリア語版を“君への白い花(Fiori Bianchi Per Te)”として70年のカンタジーロ・ジローネC(外人歌手部門)で歌い、70年年間ヒット・ランク20位の特大ヒットとしました。 2曲目は“Più Di Ieri”です。65年夏のディスク・フェスティヴァルでアンナ・マルケッティ(Anna Marchetti)が歌っていますが、これは同名異曲、フランス系カナダ人歌手マーク・ハミルトン(Marc Hamilton)が自作自演した“愛を求めて”のイタリア語カヴァーでした。 N-9813 (1969年 CGD – CGD) Più Di Ieri (Comme J’ai Toujours Envie D’Aimer) (愛を求めて) / Adios Querida Luna N-9813 FGS-5064 FGS-5064 (1970年6月 CGD Internazionale – CBS Sugar) Jean-François Michael – Fiori Bianchi Per Te 1.Fiori Bianchi Per Te (Adieu Jolie Candy) (君への白い花/さよならのくちづけ [伊]) 2.Les Filles de Paris (パリの娘さん) 3.Ricomincerei 4.Je Ne Sais Pas Si Tu M'Aimes 5.Il Sole Su di Noi 6.Adios Querida Luna 7.In Fondo Al Cuore 8.L'Heure A Sonné 9.Miami Beach 10.Non Portarla Mai Tra di Noi 11.Marie Soleil 12.Ce N'Est Qu'un Au Revoir 13.Anche Senza Te “君への白い花”の大ヒットでイタリアのアルバムが発売されました。イタリア語の曲は5曲、“Je Ne Sais Pas Si Tu M'Aimes”はミシェル自身が作詞作曲をし、“Miami Beach”も曲作りに加わっています。 アメンニ(Amenni)のペンネームを持つアントニオ・メンニッロ(Antonio Mennillo)とレナート・アンジョリーニ(Renato Angiolini)、コメ・プリマ“”を作ったヴィンチェンツォ・ディ・パオラ(Vincenzo Di Paola)3人が作ったイタリアの曲でシングル盤を出しました。 CGD- 135 (1971年 CGD – CBS Sugar) Volevo/Anche Senza Te CGD- 135 V・45-4015 V・45-4015 (1972年 Vogue – Disques Vogue,France) Un An Déjà (あれから1年)/Mais On Ne Vit Qu'une Fois (人生は1度だけ) フランス本国では“あれから1年”がヒットし、日本でもシングル盤が東宝から発売されました。 イタリアで“君への白い花”が大ヒットした彼は75年サンレモ音楽祭に出場します。結果は参加曲に止まりました。 AG-9011 (1975年2月 Agua M'Anda – CGD) Innamorarsi (愛してます)/ La Mente Tua Dov'e' AG-9011 この後病気となり歌手を断念し、編曲家、音楽プロデューサーの道を歩き始めます。 理由は分かりませんが88年イタリアでのヒット曲“君への白い花”を入れたアルバムを出しました。 CNT- 27039 (1988年103 – Centotre) Jean Francois Michel – I Miei Sentimenti DGCD- 144 (1996年 Duck Gold – Duck Records) CD Jean-François Michael – Fiori Bianchi 1.Fiori Bianchi Per Te (Adieu Jolie Candy) (君への白い花/さよならのくちづけ [伊]) 2.Lady 3.Se L'Amore Esiste Ancora 4.Stringimi 5.Sarà Non Sarà 6.L'Amore 7.Il Primo Passo 8.Le Look Coco 9.Comment Ca Va [Julie & Jean Francois Michel] CNT- 27039 DGCD- 144 ジャン=フランソワ・ミシェルの国内盤 JET-1953 (1970年4月 VOGUE - 日本ビクター) さよならのくちづけ (ADIEU JOLIE CANDY)/フランシーヌ (FRANCINE) JET-1953 VPS-1009 VPS-1009 (1972年8月 VOGUE - 東宝) あれから1年 (UNAN DEJA)/人生は1度だけ (MAIS ONNE VIT QVUNE) YX-6081 (1974年 VOGUE - 東宝芸音) 30cmLPフレンチ・ポップス・オリジナル・ヒット (FRENCH POPS ORIGINAL HITS) 6.あれから1年 (UNAN DEJA) 12.さよならのくちづけ (ADIEU JOLIE CANDY) YX-6081 ジャン=フランソワ・ミシェルは以上です。
2018.09.08
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★エリー・ネーリ (sax) Ely Neri e la sua Orchestra本名エリオ・ネーリ(Elio Neri) 1927年11月ボローニャの南東40kmにある中都市フォルリ(Forli)生、2005年9月13日没、サキソフォン奏者、リショ楽団オーナー、指揮者。 彼の表記はEly Neri 、 Eli Neri 、Ely Neri E Il Suo Complesso、Ely Neri E Il Complesso Clan Romagna、Ely Neri Di Romagna 、Ely Neri e la sua Orchestra、 Ely Neri Di Romagna E La Sua Orchestraなど多岐にわたっています。 活動期間:1950年代 – 1990年代?所属レコード会社:Cetra、 Ri Fi (Ri Fi、Variety、 Primary、POP)、 ITALDISC、Fontana (Phonogram)、 Jingleサンレモ音楽祭出場1回:1975年参加 エリー・ネーリの経歴紹介は極めて少なく、生まれたのはリショの聖地エミリア=ロマーニャ州のフォルリです。 リショの神様的存在のセコンド・カサデイ(Secondo Casadei)が生まれたサンタンジェロ・ディ・ガッテーオ(Sant'Angelo di Gatteo)はフォルリ12~3km位しか離れていませんし、オルケストラ・カサデイ(Orchestra Casadei)を受け継いだ甥のラオール・カサデイ(Raoul Casadei)は1937年8月15日生まれで、エリーよりほぼ10才下でした。 エリー・ネーリはセコンド・カサデイが活躍した時代を追って音楽活動をしていました。彼のレコードが残っているのは60年代以降になります。 今回調べた中で最も古かったのはチェトラから60年に出た“一切れのレモン”とB面に60年サンレモ音楽祭出場曲“海”でした。歌っているのは楽団所属の歌手ヴィック・ダイアノ(Vic Daiano)で、後にソロ歌手としても活動をしています。SP- 815 (1960年 Cetra – Fonit Cetra) Una Fetta Di Limone (一切れのレモン)/Il Mare (海) [Ely Neri E Il Suo Complesso Canta Vic Daiano]SP- 815 SP- 816SP- 816 (1960年 Cetra – Fonit Cetra) Aiutatemi/Kriminal Tango (クリミナル・タンゴ) [Ely Neri E Il Suo Complesso] バンド名はエリー・ネーリと彼の楽団を使っています。EPE-3129 (1960年 Cetra – Fonit Cetra) EP Ely Neri E Il Suo Complesso Canta Vic Daiano1.Una Fetta Di Limone (一切れのレモン)2.Il Mare (海)3.Aiutatemi4.Kriminal Tango (クリミナル・タンゴ)EPE-3129 SP- 889 SP- 889 (1960年 Cetra – Fonit Cetra) Deliziosa/Ah, Hah, Baby (Uh-Huh-Baby) Ely Neri E Il Suo Complesso Canta Vic Daiano 出した曲を見るとその後リショ楽団としてレコードを出していますが、この頃は普通に流行している曲のカヴァーが多いようです。SP- 955 (1960年 Cetra – Fonit Cetra) Come Una Bambola (Bambolina - Bambolina)/Jessica (すてきなジェシカ) [Ely Neri E Il Suo Complesso]SP- 955 SP- 978 SP- 978 (1961年 Cetra – Fonit Cetra) Benzina E Cerini (ベンジンとマッチ)/24 Mila Baci (2万4千のキッス) [Ely Neri E Il Suo Complesso Canta Vic Daiano] どの歌手でもサンレモ音楽祭出場曲をカヴァーした時代でした。61年サンレモの曲を彼らがカヴァーしたのは“ベンジンとマッチ”と“2万4千のキッス”でした。そして彼の唯一日本で出た国内盤はヴィック・ダイアノが歌った“2万4千のキッス”でした。SP-1042 (1961年 Cetra – Fonit Cetra) Troppo Bella / Saludos Barbudos [Vic Daiano e Ely Neri E Il Suo Complesso]SP-1042 SPD- 422 SPD- 422 (1963年 Cetra – Fonit Cetra) Bella Bimba Romagnola/Al Mare [come Ely Neri E Il Complesso Clan Romagna canta Carlo Zamplghi]SPD- 437 (1963年 Cetra – Fonit Cetra) Bugiardo Amore/Febo [come Ely Neri]SPD- 437 SPD- 438SPD- 438 (1963年 Cetra – Fonit Cetra) Lorenzo/Tony [come Ely Neri] フォニット・チェトラには63年まで在籍したようです。64年からリフィに移籍し、B面のみですがシャルル・アズナヴールの“悲しみのベニス”をエリー・ネーリ楽団(Complesso Ely Neri)名でカヴァーしました。RFN・NP-16068 (1964年 Ri Fi – Ri Fi) A Casa D'Irene (イレーネの家)/Com'È Triste Venezia (悲しみのベニス) [Afro Ventura / Complesso Ely Neri]RFN・NP-16068 RFN・NP-16110RFN・NP-16110 (1965年 Ri Fi – Ri Fi) La Gatta Quando/L'Ultimo Ballo 音楽雑誌「Il Disco Tascabile Magazine」の付録でイヴァ・ザニッキとサンレモ音楽祭出場曲のカヴァーがカップリングされました。POP・NP-250003 (1966年POP – Ri Fi) Dio Come Ti Amo (愛は限りなく)/Una Rosa Da Vienna (ウィーンのバラ) [Iva Zanicchi/Ely Neri E Il Suo Complesso]POP・NP-250003 RFN・NP-16134RFN・NP-16134 (1966年 Ri Fi – Ri Fi) The Monkiss/Funny MonkissSTP・NP-92006 (1966年Variety – Ri Fi) Angeli Negri (黒い天使)/Ti Voglio Tanto Bene (君を愛す) [Disco "Strip"]STP・NP-92006 DFI・NP-99253DFI・NP-99253 (1967年 Primary – Ri Fi) E' Marafon/E' Temp Che Passa リショ楽団を前面に出してきたのは67年リフィのサブ・レーベルのプリマリーに移ってからのようです。DFI・NP-99258 (1968年 Primary – Ri Fi) Te Bota Cavalir/Romagna Che Cuccagna DFI・NP-99258 68年アルバムを出しました。カフェ・シャンタン時代から戦後までの曲をリショ・スタイルで演奏した懐メロ曲集です。RSS・ST-14706 (1968年9月 Ri Fi – Ri Fi) Evergreens – Successi Intramontabili Ely Neri E La Sua OrchestraREL・ST-19167 (1974年 Variety – Ri Fi) Ely Neri e La Sua Orchestra – Nostalgico Liscio1.Non Passa Più (もう行かない)2.Angeli Negri (黒い天使)3.Come Pioveva (雨のように)4.Guarda Che Luna (月光のノクターン)5.Perchè Non Sognar (なぜ夢見ない)6.Parlami D'Amore Mariù (マリウ愛の言葉を)7.Incantesimo (影に惹かれて)8.Addormentarmi Così (眠られぬ夜)9.Accarezzame (アカレッツァーメ)10.Ti Voglio Tanto Bene (君を愛す)11.Bambina Innamorata (恋する少女)12.Buonanotte Angelo MioRSS・ST-14706 REL・ST-19167 3年ほど間が空き、ミーナのデビュー会社イタルディスクからアルバム「Ely Neri E La Sua Orchestra – Amor Di Romagna」を出しました。それまでにもシングル盤を出していたのか不明です。収録曲も全部日本で発売されていませんが、“Romagna Amore”などのタイトルを見るとリショ・アルバムのようです。LPD-196 (1971年 ITALDISC – ITALDISC) Ely Neri E La Sua Orchestra – Amor Di Romagna1.Operetta Romagnola2.La Magneda3.Romagna Amore4.Canta Bel Soggetto5.E Russia6.Burdeli7.Orero Romagnolo8.Vaccone9.La Canta DL'Emigre10.Eco11.E Bal Dla Ciuciara12.Monica 3/4LPD-196 6492-0216492-021(1973年 Fontana Special – Phonogram) Voglionissimo con Ely Neri di Romagna [canta Carloni]1.Carezza2.La Prova3.Minuetto4.Il Mio Tango5.Fausto B6.Campane Romagnole7.Amico Raul8.Biondina9.Formenton10.Sax Concerto11.Dancing Blu12.Auguri リショ楽団としてフォンタナと契約します。 6026-019 (1974年 Fontana – Phonogram) La Leggenda Di Casadei/Voglio Imparare Il Romagnolo [come Ely Neri Di Romagna canta Vittorio Salvetti Coro Di Rocca San Casciano/canta Jacques]6026-019 6026-0206026-020 (1974年 Fontana – Phonogram) Ciao Vecchia Rimini/Parto Da Solo [come Ely Neri Di Romagna]6026-021 (1974年 Fontana – Phonogram) La Mazurka Dell'Agricolo/Mi Ricordo [come Ely Neri Di Romagna] 6026-021 6026-0226026-022 (1974年 Fontana – Phonogram) Fuochi D'Artificio/Sax Notturno [Ely Neri Di Romagna]6323-802L (1974年 Fontana Special – Phonogram) Vai Col Liscio – Ely Neri Di Romagna6323-802L REL・ST-19199REL・ST-19199 (1974年 Variety – Ri Fi) L'ORA DEL LISCIO3.Ti Voglio Tanto Bene (君を愛す)5.Addormentarmi Così (眠られぬ夜)6.Bambina Innamorata (恋する少女)8.Accarezzame (アカレッツァーメ)11.Parlami D'Amore Mariù (マリウ愛の言葉を) 75年フォンタナからサンレモ音楽祭に出場、楽団所属歌手のリンダ・パガーニが歌いましたが、参加曲止まりでした。6026-023 (1975年 Fontana – Phonogram) Tango Di Casa Mia (私の家のタンゴ)/Parto Da Solo [Ely Neri e la sua Orchestra ;canta Lidia Pagani]6026-023 REL・ST-19279REL・ST-19279 (1975年 Primary – Ri Fi) Il Folklore Di Romagna2. Romagna Che Cuccagna10.La Brescula サンレモ後、リフィのヴァラエティに戻ってリショ楽団を続け、大御所セコンド・カサデイへのオマージュ盤を出しました。RLV・ST-90505 (1975年 Variety – Ri Fi) Ely Neri Di Romagna E La Sua Orchestra – Ricordando CasadeiREL・ST-19303 (1976年 Primary – Ri Fi) Ely Romagna Canta [come Ely Neri Di Romagna]1.La Leggenda Di Casadei2.Luciana3.Evviva La Vita4.Romantico5.Cerco Marito6.Festa In Paese7.Primavera8.Mazurca Rumagnola9.La Droga10.Rete Rossa11.Cicogna12.Romagna CantaRLV・ST-90505 REL・ST-19303 RLV・ST-90507 (1975年10月 Variety – Ri Fi) Ely Neri – Sax In The Night Vol.11.Nessuno Al Mondo (君だけの世界)2.Are You Lonesome Tonight (今夜はひとりかい?)3.La Più Bella Del Mondo (この世で最も美しいひと)4.Lisboa Antigua (懐かしのリスボン)5.Mi Sono Innamorato Di Te (君に恋して)6.Mystery7.Il Cielo In Una Stanza (しあわせがいっぱい)8.Till (愛の誓い)9.My Dream (マイ・ドリーム)10.El Viento11.Dolci Ricordi12.Arrivederci (アリヴェデルチ)RLV・ST-90507 RFN・NP-16668RFN・NP-16668 (1976年5月 Ri Fi – Ri Fi) Mistery/Lisboa Antigua (懐かしのリスボン)RFN・NP-16686 (1976年10月 Ri Fi – Ri Fi) Astor Tango/Petite Fleur (小さな花)RFN・NP-16686 REL・ST-19313 REL・ST-19313 (1976年 Penny – Ri Fi) Orchestra da Ballo Neri Di Romagna – C'Era Una Volta Il Liscio1.Vieni In Campagna2.Mazurka Della Gente3.Polka Bbelinda4.Astor Tango5.I Miei Solisti (valzer)6.Bacio Più Bacio (valzer)7.La Sbandata (valzer)8.Mazurka Del Saltarello9.Vivacity (polka)10.Bella E Cara (tango)11.A Mezzeluci (valzer)12.Dancing Concerto (valzer)RLV・ST-90546 (1977年 Variety – Ri Fi) Ely Neri E La Sua Orchestra – Polvere Di Stelle - Sax In The Night vol. 2 [Cantante Solista – Lidia Pagani]1.Polvere Di Stelle (スターダスト)2.Come Prima (コメ・プリマ)3.The Great Pretender (グレイト・プリテンダー)4.La Lunga Estate5.Ricordati Ragazzo (ネイチャー・ボーイ)6.Cos'hai trovato In Lui (あなたが彼にみつけたもの)7.O' Destino (運命)8.Verde Luna (グリーン・ムーン)9.Sax Bolero10.Only You (オンリー・ユー)RLV・ST-90546 REL・ST-19340REL・ST-19340 (1977年 Penny – Ri Fi) Solo Per Ballare [Various ]7.Nessuno Al Mondo (君だけの世界) 珍しく80年のヒット曲集です。RLV・ST-90561 (1980年1月 Variety – Ri Fi) Supersax – Motivi di Successo Eseguiti Al Sax da Ely Neri1.L'Aria Del Sabato Sera2.Se Tornassi3.Notte A Sorperesa (夜、突然に)4.E La Luna Busso' (月のノック)5.Pensami (苦悩の時)6.Can You Fool (キャン・ユー・フール)7.Buona Domenica (好運の日曜日)8.Che Ne Sai (伝えよう僕の心を)9.Disco Bambina (女ともだち)10.Soli (仲違い(なかたがい))11.Rise12.C'E' Tutto Un Mondo IntornoRLV・ST-90561 ORL-8579 ORL-8579 (198?年 Orizzonte (CGO) – Dischi Ricordi) Eli Neri – Perché Non Sognare [come Eli Neri]1.Non Passa Più (もう行かない)2.Angeli Negri (黒い天使)3.Guarda Che Luna (月光のノクターン)4.Perchè Non Sognar (なぜ夢見ない)5.Addormentarmi Così (眠られぬ夜)6.Bambina Innamorata (恋する少女)7.Buona Notte Angelo Mio8.Polvere Di Stelle (スターダスト)9.Come Prima (コメ・プリマ)10.Ricordati Ragazzo (ネイチャー・ボーイ)11.Verde Luna (グリーン・ムーン)12.Sax Bolero 80年代にリコルディのオリゾンテの廉価盤が出ます。 94年にスカのビーチ・アンド風な曲を集めたCDが出ます。彼最後のアルバムだと思います。JNG・CD-50 (1994年 Jingle - ) CD Nerone [8011797301487]1.Nerone2.Quello Che Vorrei3.Scemo4.Menetta5.Squa Squa6.Ricordo D'Amore7.Coco Latino8.Tango Antico9.Arturo10.Fischio Anch'Io JNG・CD-50エリー・ネーリの国内盤MR- 1~2 (1965年11月 SEVEN SEAS -キング) 30cm 2LP Boxカンツォーネ大全集 (THE BEST OF CANZONE)2-10.2万4千のキッス (24 MILA BACI) [ヴィック・ダイアノ (VIC DAIANO (vm);NERI e il sui Comp.)] MR- 1~2エリー・ネーリは以上です。
2018.09.05
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★ピエロ・コット (vm) Piero Cotto 1944年7月14日トリノの南東30kmにある小都市アスティ (Asti)生、歌手、ギタリスト。 活動期間: 所属レコード会社:Polydor, MRC, Joker, Carosello, Eleven, Drums, Panarecord, Esagono Record サンレモ音楽祭出場1回:1975年入賞 ピエロ・コットは1964年ポリドールから夏のヴァカンス・シーズン狙いのヒット曲、当時一般的だったポップス曲“Ho Scolpito Il Tuo Nome (Su Uno Scoglio)”でデビューしました。ジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)が一世風靡し、ボビー・ソロ(Bobby Solo)、ミケーレ(Michele)等の新星も登場する中で、誰も注意を払いませんでした。 NH-54・802 (1964年 Polydor – Phonogram) Ho Scolpito Il Tuo Nome (Su Uno Scoglio)/Ogni Domenica NH-54・802 A-219 A-219 (1965年 MRC - CARISCH) Fascination (魅惑のワルツ)/Ho-Ba-La-La (Hó Bá Lá Lá) (オーバララー) 最初のデビューに失敗したピエロは翌65年MRCから再デビューを試みました。この会社はペピーノ・ディ・カプリ(Peppino Di Capri)などを抱えた戦前からの名門ですが斜陽気味のカリッシュ(Carisch)が新人育成のために設立した会社でした。 ここからデビューした歌手ブルーノ・フィリピーニ (Bruno Filippini)やカテリーナ・カセルリ(Caterina Caselli)のように直ぐに成功には結び付きませんでした。デビュー曲が“魅惑のワルツ”とブラジルのジョアン・ジルベルト(João Gilberto)のカヴァーというのも会社が本腰を入れて売る姿勢が見られません。 歌手ピエロ・コットの名前は表舞台から一旦消えてしまいます。この間彼はどうしていたのか? ウィキペディ・イタリア版やディスコグスの経歴では『渡米し、ピーター・クック(Peter Cook)の芸名でバンド、マジョリティー・ワン(Majority One)のギタリストをしていた』とされています。 まずマジョリティー・ワンは英国のバンドでマジョリティーからの経歴、メンバーの変遷はbadcatrecordsを見ていただければ分かると思いますがピーター・クックの名前は出てきません。 もう一つの情報が、サンレモ本のピエロ・コットの略歴で『エンゲル・グァルディ(Henghel Gualdi) 楽団でピーター・クックと名乗り、ソリストとしてしばらく演奏した後、ピエロとコットンフィールズのリーダーとなった』(Panini出版Eddy Anselmi編 Festival di Sanremo p.628)とされており、こちらの方が信頼性は高いと思われます。 しかしピエロとコットンフィールズの音楽性はブリティッシュ・ロックと言うよりはアメリカン・ロックであり、その後のアウグスト・マルテッリ(Augusto Martelli)とのコラボでもほとんどが英語で歌われていることを考えると、アメリカでの音楽経験がなかったとは言い切るには勇気がいります。 またイタリアン・プログ(italianprog.com)のピエロとコットンフィールズの紹介の中で『エンゲル・グァルディ楽団のソリストを終え、ギリシャで音楽活動をして“Forgiveness”のヒットを出した。72年にイタリアに戻りピエロとコットンフィールズを結成した』とされています。どうもこの流れが真実に近いようです。 6113 (332-413・PF) (1966年 Philips – Philips, Greece) Why Did You Go/Forgiveness 6113 (332-413・PF) PAN-6155 PAN-6155 (332-413・PF) (1969年 Pan Vox – Music Box, Greece) Un’Ora Fa (過ぎ去ったひととき)/One Day さてイタリアに戻ったピエロ・コットは自分のバンドを結成します。バンド名は自分の名前も捩ってアメリカ風にピエロとコットンフィールズ(Piero e I Cottonfields)としました。 ピエロとコットンフィールズのメンバー構成 ・ピエロ・コット(Piero Cotto) ヴォーカル ・アデルモ・ムッソ(Adelmo Musso) キーボード ・マウリツィオ・スカペッリーニ(Maurizio Scarpellini) フルート、サックス、ギター ・アルド・ルッソ(Aldo Russo) ギター ・ベッペ・イカルディ (Beppe Icardi) ベース、ギター ・ルチアーノ・サラチェノ (Luciano Saraceno) ドラムス、パーカッション ピエロ・コットはトリノ近くのアスティ出身、アルド・ルッソがトリノ出身以外はボローニャ出身でした。 ピエロの再々デビューはサールのジョーカーから72年夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“海のふたり”でした。結果は本選に残りましたが、決勝戦には進めなかったのですが、1972年年間ヒット・ランク86位のヒットとなりました。ピエロ・コット、コットンフィールズとしても最大の成功曲でした。 M-7122 (1972年Joker – SAAR) Due Delfini Bianchi (海のふたり)/Via Mazzini 31[come Piero e I Cottonfields] M-7122 M-7145 M-7145 (1972年Joker – SAAR) Il Viaggio, La Donna, Un'Altra Vita/Cantico [come Piero e I Cottonfields] 2枚目のシングルはギターをバックにピエロの渋い声で歌い始めるアメリカン・フォーク調の曲です。ジャケットから受けるイタリアのプログレッシブ・ロックではありません。 アルバム「Piero E I Cottonfields – Il Viaggio La Donna Un'Altra Vita」は初期のイヴァノ・フォッサーティ(Ivano Fossati)を連想さすドスの効いたハスキーな声で歌うアメリカン・フォークロック風の曲で作られています。 LPM-2006 (1972年8月 Music – SAAR) Piero E I Cottonfields – Il Viaggio La Donna Un'Altra Vita AMS-109・CD (2006年 AMS – AMS) CD Piero E I Cottonfields – Il Viaggio La Donna Un'Altra Vita 1.Due Delfini Bianchi (海のふたり) 2.E' Mia Madre (O My Mother) 3.Regina D'Oriente 4.Via Mazzini 5.Il Viaggio, La Donna, Un'Altra Vita 6.Silvia 7.Cantico 8.Fammi Un Segno (Give Me A Sign) 9.Volo 715 LPM-2006 AMS-109・CD シングル3枚目は前年成功した夏のディスクに73年も挑戦し,9“オー・ナナ!”で出場します。前年のように上手く行かず、本選に進めませんでした。“マミー・ブルー(Mamy Blue)”のような曲です。 M-7161 (1973年Joker – SAAR) Oh Nanà! (オー・ナナ!)/Uomo Da Quattro Soldi [come Piero e I Cottonfields] M-7161 M-7170 M-7170 (1974年Joker – SAAR) Gardenia Blu/Passo Su Passo [come Piero e I Cottonfields] ピエロとコットンフィールズは“Gardenia Blu”を最後に解散し、ピエロはソロ歌手ピエロ・コットとしてカロセッロから75年サンレモ音楽祭に“電報”で出場、入賞しました。 CI-20391 (1975年 Carosello – Dischi Ricordi) Il Telegramma (電報)/Colpevoli CI-20391 CI-20398 CI-20398 (1975年 Carosello – Dischi Ricordi) Un Po' D'Amore E D'Amicizia (Un Peu D'Amour Et D'Amitié) (小さな愛と友情)/E Adesso Io (Et Maintenant) (そして今は) 75年もう1枚シングルを出しています。両面ともフランスのジルベール・ベコー(Gilbert Becaud)のカヴァーでした。ピエロはシャイなゴリラになってしまったようです。 77年ピアニストで楽団リーダーのアルド・パガーニ(Aldo Pagani)が設立したイレヴンに移籍しました。子供のお喋りから始まる曲、しかしタイトルはしゃれて言えば「鬼のお庭」、オトロシや! EL- 56 (1977年 Eleven - Fonit Cetra) Nel Giardino Dell'Orco/Filastrocca Senza Tempo EL- 56 EL- 64 EL- 64 (1978年 Eleven - Fonit Cetra) I Get A Funny Feeling [Augusto Martelli - Mike Logan]/So Nice [Augusto Martelli, Franco Franchi] 2枚目からはリフィ時代のミーナの恋人、作・編曲家アウグスト・マルテッリが作曲する英語の曲を,イレヴン在籍の間はほぼ同じようなコラボをして、大人のディスコ・ミュージック(A.O.R.?)を歌う歌手に転身しました。 ELC-25137 (1978年 Eleven - Fonit Cetra) Piero Cotto MMM-111 (2008年? Giallo Records –) CD Piero Cotto [*ボーナス・トラック] 1.Her 2.Little Anne 3.Can You Imagine 4.If Only She'd Say 5.I Get A Funny Feeling 6.Lonely 7.This Love Affair 8.So Nice *9.Love Will Never Be The Same *10.Punky Monkey Sound *11.She's A Superstar *12.Love Tree *13.Figlio Di Un Cane *14.Superadele *15.Tanti Auguri A Te *16.Ninna Nanna A Un Posto Vuoto *17 Fare L'Amore *18 Colpa Di Un Disco ELC-25137 MMM-111 EL- 74 (1978年 Eleven - Fonit Cetra) Punky Monkey Sound/Love Tree [Bob Mitchell & Big Pierre] EL- 74 ELC-25144 ELC-25144 (1978年 Eleven - Fonit Cetra) Augusto Martelli & Piero Cotto [con Augusto Martelli] 1.Punky Monkey Sound 2.One O One 3.Love Tree 4.Summermind 5.This Love Affair 6.Moondrops 7.She's A Superstar 8.Love Will Never Be The Same ELC-25150 (1978年 Eleven - Fonit Cetra) La Capannina di Franceschi [con Augusto Martelli] MMM-102 (2008年? Giallo Records –) CD La Capannina Di Franceschi 1929 - 1979 Cinquantenario [con Augusto Martelli] [* ボーナス・トラック] 1.And Now It's Music 2.Djamballa 3.So Nice 4.Punkey Monkey Sound 5.Mi Piace Lei 6.Joining Together 7.Love Tree 8.Love Will Never Be The Same 9.Bom De De Bom Bom 10.Colpa Di Un Disco 11.Ulla...Llà Niente Pò...Pò Di Meno 12.Visions 13.The Joint 14.Ne Parliamo Domani *15.One O One *16.Summermind *17.This Love Affair *18.Moondrops *19.She's A Superstar ELC-25150 MMM-102 78年久々のイタリア語のシングル盤を出しました。 EL- 87 (1978年 Eleven - Fonit Cetra) Figlio Di Un Cane/Mi Piace Lei EL- 87 UN-001 UN-001 (1979年 UNICEF - Panarecord) Concerto Per Un Bambino (con Augusto Martelli) 79年「国際児童年」、「児童の権利宣言」20周年記念事業に参加しました。 EL-103 (1982年 Eleven - Fonit Cetra) Tanti Auguri A Te/Ninna Nanna A Un Posto Vuoto EL-103 PPS-1704 PPS-1704 (1982年 On The Rocks) Freebeach/Mi Piace Lei 82年ジャズ・ロック・バンドのジャルマ3を結成し、ヴォーカルを担当します。 EDL-2072 (1982年 Drums - Drums Edizioni Musicali) Gialma Planet [con i Gialma 3] 1.Give Me 2.Francesca 3.Gialma Planet 4.Thank You 5.Uneasy 6.Stay 7.Lonely Shade 8.Made In Goodfaith EDL-2072 CP-44・32 (1989年 On The Rocks) 12"Maxi Morales 1.Mezzo Sangue Latino 2.Dammi Una Chanche 3.Ah Ah! 4.Sono Perche' Tu Sei CP-44・32 EG-100 EG-100 (1989年 Esagono – Dischi Ricordi) D'Ora In Poi 1.Non Devi Abbandonarmi Mai 2..Vento Nel Vento 3.Per Te (Amico Mio) 4.Che Hai 5.E Chi Sei 6.Sono Guai 7.Dammi 8.Quando L'amore C'e' 9.Partirei 10.Tu Sempre Tu 88年TVヴァラエティ番組「Mega Salvi Show」に出演、89年最後と思われるアルバム「D'Ora In Poi」を出しました。 90年チリのビーニャ・デル・マル音楽祭に出場し、92年以降はビジネスや舞台で妻ベアトリチェ・ダリ(Beatrice Dali’)と共演しています。 ピエロとコットンフィールズの国内盤 SR- 790 (1972年9月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP なんて美しい君/夏のディスク・フェスティヴァル1972 (UN DISCO PER L'ESTATE 1972) 13.海のふたり (DUE DELFINI BIANCHI) SR- 790 SR- 829 SR- 829 (1973年8月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP夏のディスク・フェスティヴァル1973 (UN DISCO PER L'ESTATE 1973) 11.オー・ナナ! (OH, NANA'!) ピエロ・コットは以上です。
2018.09.02
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