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1975年のサンレモ音楽祭はイタリア本国では結果として失敗の終り、日本でも年度ごとのコンピレーション(オムニバス)は発売されませんでした。これは61年から発売されていたコンピレーション(オムニバス)国内盤がどこの出コード会社からも出なかったのは異例の事でした。 イタリアでも76年サンレモ音楽祭の年度コンピレーション盤はCGDのサブ・レーベル、ダービー(Derby)から出たものしか見つかりませんでした。 CBSシュガー傘下のCBSからサンドロ・ジャコッベ、オペラ、カマレオンティ、プロフェーティの4歌手、サブ・レーベルのダービーからウンペルト・ルーピ。ディストリビューションで販売委託しているスプランシュの優勝歌手、ペピーノ・ディ・カプリ、スマッシュのパトリツィオ・サンドレッリ、アル・バーノが設立したリブラから奥さんでもあるロミナ・パワーのオリジナル曲が収録されました。 また特別ゲスト、テノール声楽家マリオ・デル・モナコが歌った“広がりゆく愛”は、73年にデット・マリアーノ(Detto Mariano)が設立したCLSのラヴ(Love)・レーベルがレコードを発売し、ここもCBSシュガー傘下に入っているので、このアルバムに収録されています。 あとゲストのアメリカのベテラン女性ジャズ・シンガー、エスター・フィリップスの2曲を入れ、出場曲の再演奏楽団の一つグラウコ・マセッティ楽団の1曲も押し込んで12曲仕立てにしています。 DBR-81266・2L (1976年 Derby – CBS Sugar) 30cmLP Sanremo '76 1.Gli Occhi Di Tua Madre (雨の中の瞳) Sandro Giacobbe (サンドロ・ジャコッベ) 2.Cercati Un'Anima (魂を探せ) I Profeti (プロフェ-ティ) 3.Non Due (人形のねがい) Romina Power (ロミナ・パワー) 4.Piccola Donna Addio (暁に消えて) Patrizio Sandrelli (パトリツィオ・サンドレッリ) 5.Un Amore Così Grande (広がりゆく愛) Mario del Monaco (マリオ・デル・モナコ) 6.Mr. Magic Esther Phillips (エスター・フィリップス) 7.Cuore Di Vetro (ガラスの心) I Camaleonti (カマレオンティ) 8.L'Ho Persa Ancora (また失った恋) Gli Opera (オペラ) 9.Una Casa Senza Nome (愛の廃家) Umberto Lupi (ウンベルト・ルーピ) 10.Non Lo Faccio Più (ふたりだけの秘密) Peppino Di Capri (ペピーノ・ディ・カプリ) 11.Riviera "In" Glauco Masetti (グラウコ・マセッティ楽団) 12.What A Diff'rence A Day Makes (縁は異なもの) Esther Phillips (エスター・フィリップス) DBR-81266・2L 以前なら6曲を出場させたリコルディ・グループや、5曲のRCAイタリアーナのグループが他のレコード会社と提携し、サンレモ年度コンピレーション盤を出したのですが、レコードのセールス見込みが立たなかったのか、もうそれ程サンレモ音楽祭の威力がなかったのか発売されなかったようです。 国内盤はキングが優勝したペピーノ・ディ・カプリの曲を入れたオムニバス盤を出しました。原盤はイタリアで唯一年度コンピレーションを出したCBSシュガー・グループの出場曲をベースに、フォニット・チェトラからリッキとポーヴェリとサンティーノ・ロッケッティ、アリストンのロザンナ・フラテルロを収録したオリジナル出場曲11曲と、特別ゲストのマリオ・デル・モナコを加えて日本盤も12曲仕立ての年度コンピレーションでした。内容からして日本で出た国内盤の方が良かったと思います。 GP- 425 (1976年5月 SEVEN SEAS - .キング) 30cmLP第26回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1976) 1.ふたりだけの秘密 (NON LO FACCIO PIU') ペピーノ・ディ・カプリ (PEPPINO DI CAPRI (vm) 2.二つの物語・動物の歌・新ドレミの歌(DUE STORIE DEI MUSICANTI Part.1, Part.2 リッキとポーヴェリ (RICCHI E POVERI) (coro) 3.人形のねがい (NON DUE) ロミナ・パワー (ROMINA POWER) (vf) 4.孤独の朝 (E TU MI MANCHI) サンティーノ・ロッケッティ (SANTINO ROCCHETTI) (vm) 5.初めての想い (IL MIO PRIMO ROSSETTO) ロザンナ・フラテルロ (ROSANNA FRATELLO) (vf) 6.広がりゆく愛 (UN AMORE COSI' GRANDE) マリオ・デル・モナコ (MARIO DEL MONACO) (tr) 7.ガラスの心 (CUORE DI VETRO) カマレオンティ,{イ・} (CAMALEONTI,{I}) (compl) 8.雨の中の瞳 (GLI OCCHI DI TUA MADRE) サンドロ・ジャコッベ (SANDRO GIACOBBE) (vm) 9.また失った恋 (L'HO PERSA ANCORA) オペラ (OPERA,{GLI} ) (compl) 10.魂を探せ (CERCATI UN'ANIMA) プロフェ-ーティ、{イ} (PROFETI,{I}) (compl) 11.愛の廃家 (UNA CASA SENZA NOME) ウンベルト・ル-ピ (UMBERTO LUPI) (vm) 12.暁に消えて (PICCOLA DONNA ADDIO) パトリツィオ・サンドレッリ (PATRIZIO SANDRELLI) (vm) GP- 425 76年のサンレモ音楽祭出場曲は、リコルディ傘下に入っていましたが、独立性の高かったカロセッロ(Carosello)がその年の秋にキングと契約を結び、10月には3位のアルバトロス (Albatrosl)が歌った “別離のローマ空港(Volo AZ 504)”が発売されました。また7月にポリドールからリコルディのドゥルピ(Drupi)が歌った“サンバリオ(Sambariò)”が出ましたが、一番成功したダニエル・センタクルス・アンサンブル (Daniel Sentacruz Ensemblel)の“リンダ・ベラ・リンダ(Linda Bella Linda)”は翌年77年9月まで発売されませんでした。 1976年に発売されたコンピレーション(オムニバス)・アルバムの中で、『サンレモ』の名前を使った盤はキングから発売された2枚組LP「サン・レモ音楽祭ヒット曲集」のみでした。この当時リコルディはまだポリドールが日本国内の販売権を持ち、70年代に入りRCAイタリアーナがサンレモ音楽祭で活躍していたため、全曲オリジナルというわけにいきませんでした。 しかしキングはリコルディを持っているポリドールにかなり資料提供など協力をして、ボビー・ソロの“君に涙とほほえみを”がレンタルしてもらえたようです。65年の優勝曲で当時はダブル・キャスト制でしたが、パートナーはアメリカのニュー・クリスティー・ミンストレルス(The New Christy Minstrels)だったので、音源確保が難しい曲であったためでした。 GXG- 15~6 (1976年9月21日 SEVEN SEAS - .キング) 30cm 2LP サン・レモ音楽祭ヒット曲集 (SAN REMO BEST HITS) 1-1.ヴォラーレ (NEL BLU DIPINTO DI BLU) ドメニコ・モドゥーニョ (DOMENICO MODUGNO) (vm) 1-2.チャオ・チャオ・バンビーナ (PIOVE) ドメニコ・モドゥーニョ (DOMENICO MODUGNO) (vm) 1-3.アル・ディ・ラ (AL DI LA') ベティー・クルティス (BETTY CURTIS) (vf) 1-4.花をありがとう (GRAZIE DEI FIORI) ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI) (vf) 1-5.夢みる想い (NON HO L'ETA' (PER AMARTI)) ジリオラ・チンクェッティ (GIGLIOLA CINQUETTI) (vf) 1-6.花のささやき (IN UN FIORE) エマヌエラ・ティンティ (EMANUERA TINTI) (vf) 1-7.愛は限りなく (DIO, COME TI AMO)) ジリオラ・チンクェッティ (GIGLIOLA CINQUETTI ) (vf) 1-8.この胸のときめきを (IO CHE NON VIVO (SENZA TE)) トニー・ダララ (TONY DALLARA) (vm) 1-9.君に涙とほほえみを (SE PIANGI SE RIDI) ボビー・ソロ (BOBBY SOLO) (vm) 1-10..愛の詩 (QUANDO L'AMORE DIVENTA POESIA) マッシーモ・ラニエリ (MASSIMO RANIERI) (vm) 1-11.悲恋 (NESSUNO DI VOI) ミルバ (MILVA) (vf) 1-12.カーザ・ビアンカ (CASA BIANCA) マリーザ・サンニア (MARISA SANNIA) (vf) 1-13.最後の夢見る人 (L'ULTIMO ROMANTICO) ピノ・ドナッジォ (PINO DONAGGIO) (vm,orch) 1-14.カンツォーネ (CANZONE) ドン・バッキー (DON BACKY) (vm) 2-1.さよならも言わずに (CIAO, CARA COMESTAI) イヴァ・ザニッキ (IVA ZANICCHI) (vf) 2-2.ケ・サラ (CHE SARA') パオロ・メンゴリ (PAOLO MENGOLI) (vm) 2-3.青い山脈 (MONTAGNE VERDI) マルチェラ (MARCELLA) (vf) 2-4.愛の花咲くとき (QUANDO M'INNAMORO) アンナ・イデンティチ (ANNA IDENTICI ) (vf) 2-5.わかれ道 (UN GRANDE ADDIO) ヴァレンティーナ・グレコ (VALENTINA GRECO) (vf) 2-6.涙のさだめ (ZINGARA) イヴァ・ザニッキ (IVA ZANICCHI) (vf) 2-7.青空に住もう (UNA CASA IN CIMA AL MONDO) クラウディオ・ビルラ (CLAUDIO VILLA) (vm) 2-8.雨 (LA PIOGGIA) ジリオラ・チンクェッティ (GIGLIOLA CINQUETTI ) (vf) 2-9.狂ったハート (CUORE MATTO) ジャンニ・ナザーロ (GIANNI NAZZARO) (vm) 2-10.ふたりだけの秘密 (NON LO FACCIO PIU') ペピーノ・ディ・カプリ (PEPPINO DI CAPRI) (vm) 3-11.恋のジプシー (IL CUORE E' UNO ZINGARO) パオロ・メンゴリ (PAOLO MENGOLI) (vm) 2-12.ささやく瞳 (GLI OCCHI MIEI) マリ-ザ・サンニア (MARISA SANNIA) (vf) 2-13.ほほにかかる涙 (UNA LACRIMA SUL VISO) ジャンニ・ナザーロ (GIANNI NAZZARO) (vm) 2-14.愛のわかれ (NON PENSARE A ME) イヴァ・ザニッキ (IVA ZANICCHI) (vf) GXG- 15~6 サンレモ音楽祭は時代の流れく抗することが出来ず、77年は12の出場歌手にまでその規模を縮小し、辛うじて開催することになります。翌78年は14歌手に増やしましたが、日々しい状況には変わりありませんでした。79年には22歌手になり、80年にっやっと30歌手で元の規模に戻ることが出来ます。 そういう状況の中でもホモ・サピエンス (Homo Sapiens)、マティア・バザール(Matia Bazar)、コラ-ジェ(Collage)、アンナ・オクサ(Anna Oxa)などを世に送り出していきました。 1976年(第26回)サンレモ音楽祭は以上で終了です。
2018.12.31
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ミーナ1〜ミーナ10もご覧ください。62年を最後にミーナはサンレモ音楽祭に出場していませんが、彼女のその後の事を書き続けます。★ミーナ(vf) Mina本名ミーナ・アンナ・マッツィーニ (Mina Anna Mazzini)、1940年3月25日ミラノの近郊ブスト・アルシツィオ(Busto Arsizio)生、イタリアの歌手。デビュー当時外国のカヴァー曲を歌う時にベビー・ゲイト(Baby Gate)の芸名も使った。 Pld・L-6067 所属レコード会社: Italdisc, RI FI, PDU (Durium, EMI, RTI, Sony Music)サンレモ音楽祭出場2回(4曲):1960年8位、参加、61年4位、5位公式サイト:https://www.minamazzini.it/it/ ミーナは1974年頃から年2枚のアルバムを出し、それを2枚セットで更に売り出すという新たなビジネス・モデルを考え付いたようです。この方法は79年まで続き、それ以降は2枚組アルバムで再発CDのみ2分割されています。 前年75年10に出したルチオ・バッティスティ(Lucio Battisti)の曲を歌ったアルバム「Minacantalucio」が76年年間ヘスト・セラー5位になっています。 アルバム「Singolare」からシングル・カットされた“ヌード”はラジオ番組「Gran Varietà」のテーマに使われ、週間ランキング6位、76年年間ヒット・ランク37位になります。PA-1112 (1976年5月 PDU - EMI Italiana) Nuda (ヌード)/Colpa Mia PA-1112 090-790692・2 72435-35451・2Pld・L-6067 (1976年 PDU - EMI Italiana) 30cm LP Singolare ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照090-790692・2 (199?年 PDU - EMI Italiana) CD Singolare [0 77779 06932]72435-35451・2 (2001年 PDU - EMI Italiana) CD Singolare [724353545123] 1Sognando2.Devo Dirti Addio3.Colpa Mia4.L'Ultima Volta (最後の恋)5.Terre Lontane6.Ancora Dolcemente7.Io Camminerò (明日への道)8.Triste9.Cablo10.Nuda (ヌード) 76年のアルバム「Singolare(単の意味)」と「Plurale(複の意味)」と名付けられたアルバムは「Singolare E Plurale」という2枚組で発売されます。これらは週間アルバム・ランキング1位となり50万~60万枚売上げ、翌77年の年間ベスト・セラー10位となりました。Pld・L-6068 (1976年 PDU - EMI Italiana) 30cmLP Plurale 090-790693・2 (199?年 PDU - EMI Italiana) CD Plurale [0 77779 06932]72435-35452・2 (2001年 PDU - EMI Italiana) CD Plurale [724353545222] 1.Intro2.Moonlight Serenade (ムーンライト・セレナーデ)3.C'È Un Uomo In Mezzo Al Mare (海原の男)4.My Love (マイ・ラヴ)5.Il Testamento Del Capitano (隊長の遺言)6.El Porompompero (エル・ポロンポンペロ)7.Michelle (ミッシェル)8.Pennsylvania 6-5000 (ペンシルバニア65000)9.Scettico Blues (懐疑のブルース)10.Mood Indigo (ムード・インディゴ)11.Good Evening Friends Pld・L-6068 090-790693・2 72435-35452・2Pld・L-6067~8 (1976年 PDU - EMI Italiana) 30cm 2LP Singolare E Plurale1-1Sognando1-2.Devo Dirti Addio1-3.Colpa Mia1-4.L'Ultima Volta (最後の恋)1-5.Terre Lontane1-6.Ancora Dolcemente1-7.Io Camminerò (明日への道)1-8.Triste1-9.Cablo1-10.Nuda (ヌード)2-1.Intro2-2.Moonlight Serenade (ムーンライト・セレナーデ)2-3.C'È Un Uomo In Mezzo Al Mare (海原の男)2-4.My Love (マイ・ラヴ)2-5.Il Testamento Del Capitano (隊長の遺言)2-6.El Porompompero (エル・ポロンポンペロ)2-7.Michelle (ミッシェル)2-8.Pennsylvania 6-5000 (ペンシルバニア65000)2-9.Scettico Blues (懐疑のブルース)2-10.Mood Indigo 2-11.Good Evening Friends Pld・L-6067~8RLV・ST- 90514 (1976年 Variety - Ri Fi) 30cmLP Mina – Internazionale1.My Melancholy Baby (マイ・メランコリー・ベイビー)2.I'm a Fool To Want You (恋は愚かというけれど)3.Fulll Moon And Empty Arms (むなしい願い)4.Stars Fell On Alabama (星降るアラバマ)5.I'm Glad There Is You6.Everything Happens To Me (エブリシング・ハプンズ・トゥ・ミー)7.You Go To My Head (魅せられた私)8.Stella By Starlight (星影のステラ)9.Ebb Tide (引き潮)10.Invitation (インビテイション)11.Angel Eyes (エンジェル・アイズ)12.The Nearness Of You (ニアネス・オブ・ユー)RLV・ST- 90514 PA-1123PA-1123 (1977年7月 PDU - EMI Italiana) Giorni (ぶどうの季節)/Ormai (いのち (オールマイ)) 77年アルバム「Mina Con Bignè」からシングル・カットされた“ぶどうの季節”が同年年間ヒット・ランク44位になりました。 アルバム「Mina Con Bignè」は4曲の外国曲をカヴァー、他の8曲は若手カンタウトゥーリの曲を歌っています。Pld・L-6088 (1977年 PDU - EMI Italiana) 30cmLP Mina Con Bignè090-790694・2 (199?年 PDU - EMI Italiana) CD Mina Con Bignè [0 77779 06942]72435-35449・2 (2001年 PDU - EMI Italiana) CD Mina Con Bignè [724353544928]1.Da Capo (ダ・カーポ)2.Ma Che Bontà3.Amante Amore4.Oroscopo5.Balla Che Balla (Bala Com Bala)6.Giorni (ぶどうの季節)7.Ormai (いのち (オールマイ))8.Tradirò9.Una Ragazza In Due (二人の少女)10.Señora Melancolia11.La Tua Voce Dentro L'Anima12.Che Lui Mi Dia (Basta Um Dia) Pld・L-6088 090-790694・2 72435-35449・2 2枚目がベテラン・カンタウトゥーリ、奇才エンツォ・ヤンナッチ(Enzo Jannacci)の曲を歌ったアルバム。ヤンナッチ自体日本で余り知られず、惜しい存在です。Pld・L-6089 (1977年 PDU - EMI Italiana) 30cmLP Mina Quasi Jannacci090-790695・2 (199?年 PDU - EMI Italiana) CD Mina Quasi Jannacci [0 77779 06952]72435-35450・2 (2001年 PDU - EMI Italiana) CD Mina Quasi Jannacci [724353545024]1.Rino2.E L'Era Tardi3.Saxophone4.Vincenzina E La Fabbrica5.Tira A Campa'6.La Sera Che Partì Mio Padre7.Vita Vita8.E Save'9.Sfiorisci Bel Fiore (花は枯れて)10.Ecco Tutto Qui Pld・L-6089 090-790695・2 72435-35450・2 2枚のアルバムを布袋に入れて売出します。Pld・L-6088~9 (1977年 PDU - EMI Italiana) 30cm 2LP Mina Con Bigne & Mina Quasi Jannacci1-1.Da Capo (ダ・カーポ) 1-2.Ma Che Bontà1-3.Amante Amore 1-4.Oroscopo1-5.Balla Che Balla (Bala Com Bala)1-6.Giorni (ぶどうの季節) 1-7.Ormai (いのち (オールマイ))1-8.Tradirò 1-9.Una Ragazza In Due (二人の少女)1-10.Señora Melancolia1-11.La Tua Voce Dentro L'Anima1-12.Che Lui Mi Dia (Basta Um Dia)2-1.Rino2-2.E L'Era Tardi 2-3.Saxophone2-4.Vincenzina E La Fabbrica2-5.Tira A Campa'2-6.La Sera Che Partì Mio Padre2-7.Vita Vita 2-8.E Save'2-9.Sfiorisci Bel Fiore (花は枯れて)2-10.Ecco Tutto QuiPld・L-6088~9 LA-97000LA-97000 (1977年 Linea Azzurra – CGD Messaggerie Musicali ) 30cmLP Mina I Miei Successi...1.Il Cielo In Una Stanza (しあわせがいっぱい)2.Stringimi Forte I Polsi (手首を強く握る)3.È Vero (エ・ヴェーロ)4.Sabato Notte (恋の土曜日)5.Renato (月影のレナート)6.Le Tue Mani (あなたの手)7.Rapsodie (ラプソディー)8.Come Sinfonia (コメ・シンフォニア)9.Due Note (二つの音)10.Coriandoli (コリアンドリ)11.'Na Sera 'E Maggio (五月の夜)12.Tintarella Di Luna (月影のナポリ) ナポリ系の歌手マーラ・デル・リオ(Mara Del Rio)のレコード会社から出した編集ベスト盤でイタルディスクの原盤使用です。Pld・L-6081 CDP-746284・2Pld・L-6081 (1977年PDU - EMI Italiana) 30cmLP Del Mio Meglio N.4 0724353656423CDP-746284・2 (1997年PDU - EMI Italiana) CD Del Mio Meglio N.453-6564・2 (2001年PDU - EMI Italiana) CD Del Mio Meglio N.4 [724353656423]50999-641245・2 (2010年PDU - EMI Italiana) CD Del Mio Meglio N.4 [5099 9 641245 2 0]1.Uappa (ウァッパ)2.Never, Never, Never (愛に生きて)(ネヴァー・ネヴァー・ネヴァー)(グランデ・グランデ・グランデ [英])3.Ma Se Ghe Penso (あなたのことだけを)4.E Penso A Te (あなたのことばかり)5.Immagina Un Concerto (想像のコンチェルト)6.Solo Lui7.I Giardini Di Marzo (三月の庭)8.L'Importante E' Finire (愛の火は燃えて)9.Colpa Mia10.Il Nostro Caro Angelo (我が美わしき天使)11.Don't (ドント)12.Caravel53-6564・2 50999-641245・2 自社PDUからも過去2年位に出した曲を集めた編集ベスト盤「Del Mio Meglio N.4」を発売しました。ミーナの国内盤 (1976-7年) ※キング発売分で特記のない物あはRi Fi原盤GW- 283~4 (1976年1月 SEVEN SEAS – キング) 30cm 2LPヨーロッパ不滅のポップス・ダブル・デラックス (OLDIES BUT GOODIES EUROPE)1-5.わかれ(別離) (UN ANNO D'AMORE)1-10.砂に消えた涙 (UN BUCO NELLA SABBIA)GW- 283~4 EOS-80461EOS-80461 (1976年5月 ODEON - 東芝EMI) 30cm LPミーナ (LA MINA) PDU原盤1.ウァッパ (UAPPA)2.おわりが大切 (L'IMPORTANTE E' FINIRE)3.ソング・フォ-・ユ- (QUASI COME MUSICA)4.虹はあそこ (RACCONTO)5.もし来るのなら (SIGNORA PIU' CHE MAI)6.想像のコンチェルト (IMMGINA UN CONCERTO)7.あなたを受け入れる (TI ACCETTO COME SEI)8.男のように (COME UN UOMO)9.一日の恋は許せない (TU NO)10.征服されたわたし (DI GIA')GXF- 31~5 (1976年6月21日 SEVEN SEAS – キング) 30cm 5LP Box カンツォーネの歴史 (LA STORIA DI CANZONE ITALIANA)3-5. 別れられない (TU NON MI LASCERAI)4-19.わかれ(別離) (UN ANNO D'AMORE)GXF- 31~5 EOR-20024EOR-20024 (1976年7月ODEON - 東芝EMI) 愛の火は燃えて (L'IMPORTANTE E' FINIRE)/ウァッパ (UAPPA) PDU原盤GXI-9013 (1976年12月 SEVEN SEAS – キング) 30cmLPエバーグリーン/ミーナ (EVERGREEN/MINA)1.砂に消えた涙[日] (UN BUCO NELLA SABBIA [J])2.君に涙とほほえみを[日] (SE PIANGI SE RIDI [J])3.逢びき (CONVERSAZIONE)4.愛を知らずに (QUANDO VEDRO')5.もう信じないあなた (TU NON CREDI PIU')6.悲しみは空の彼方に (SETTE MARI)7.別離 (UN ANNO D'AMORE)8.涙に咲く花 (L'IMMENSITA')9.愛のひきしお (SE TU NON FOSSI QUI)10.偶然 (L'ULTIMA OCCASIONE)11.青空に住もう (UNA CASA IN CIMA AL MONDO)12.忘れえぬ想い (ADDIO)GXI-9013 GXC- 24 GXC- 24 (1977年10月5日 SEVEN SEAS – キング) 30cm LP月影のナポリ (TINTARELLA DI LUNA/MINA) [ITAL DISC原盤]1.月影のナポリ (TINTARELLA DI LUNA)2.情熱の花 (PASSION FLOWER)3.マグダレーナばあさん (LA NONNA MAGDALENA)4.水玉のしま馬 (UNA ZEBRA A POIS)5.河 (SCIUMMO)6.真実 (E' VERO)7.青い泡がいっぱい (LE MILLE BOLLE BLU)8.しあわせがいっぱい (IL CIELO IN UNA STANZA)9.コーヒー・ルンバ [伊] (MOLIENDO CAFE [I])10.月影のレナート (RENATO)11.二つの音 (DUE NOTE)12.ラプソディー (RAPSODIE)13.土曜日の夜 (SABATO NOTTE)14.太陽の海 (STESSA SPIAGGIA, STESSO MARE)GXC- 25~6 (1977年10月 SEVEN SEAS – キング) 30cm 2LPゴールデン・ヒット・ポップス (GOLDEN HIT POPS BEST 28)1-2.月影のナポリ (TINTARELLA DI LUNA) [ITAL DISC原盤]1-3.情熱の花 (PASSION FLOWER) [ITAL DISC原盤]1-9.コーヒ-・ルンバ [伊] (MOLIENDO CAFE [I]) [ITAL DISC原盤]1-10.月影のレナート(RENATO)2-10.砂に消えた涙 (UN BUCO NELLA SABBIA)2-13.わかれ(別離) (UN ANNO D'AMORE) GXC- 25~6この後ミーナ12は1978年サンレモ音楽祭の後に続きます
2018.12.28
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★ダニエル・センタクルス・アンサンブル (compl) Daniel Sentacruz Ensemble 1974年にチロ・ダッミコ(Ciro Dammicco)にヴィンチェ・テンペラ(Vince Tempera)が協力して卓越したミュージシャンとヴォーカリストで結成した音楽集団。80年に解散、多くのミュージシャンを輩出しました。 活動期間:1974 年–80年;再結成81年-現在 所属レコード会社: EMI Italiana, (再結成後) Harmony, Pretty Cat's Records サンレモ音楽祭出場2回:1976年8位、77年9位 多くのミュージシャンが関わっているので、サブ項目も設け説明します。 74年結成時メンバー構成 ・チロ・ダッミッコ (Ciro Dammicco) ヴォーカル:元ビゾンティ (I Bisonti)、元ゾーナ・ヴェルディ(Zona Verde) ・マラ・クエッドゥ(Mara Cubeddu) 女声ヴォーカル(在籍1979年まで) : 元フローラル・ファウナ・チェメント(I Flora Fauna Cemento) ・ロザンナ・バルビエリ(Rossana Barbieri) 女声ヴォーカル:別名リンダ·リー(Linda Lee) ・ジャンニ・ミヌーティ・ムッフォリーニ(Gianni Minuti Muffolini) ヴォーカル、ギター:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ ・ブルーノ・サントーリ(Bruno Santori) キー・ボード (在籍1976年まで):元ラミンゲッティ(I Raminghetti) ・アンジェロ・サントーリ(Angelo Santori) キー・ボード (在籍1974年まで):元ラミンギ(I Raminghi) ・ステッファノ・ダッミッコ (Stefano Dammicco) キー・ボード:チロの弟 ・ジャンニ・カラブリア(Gianni Calabria) ドラムス:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ ・サヴーノ・グリエコ (Savino Grieco) ベース、ヴォーカル 総勢9人という音楽集団の第1作は“哀しみのソレアード”は、73年にチロ・ダッミッコのソロ・アルバム「Mittente」に収められている“Le Rose Blu (ローズ・ブルー/青いバラ)”が元になっています。74年年間ヒット・ランク5位というメガ・ヒット、また世界的ヒットで多くの歌手がカヴァーし、数百万枚を売上げました。 3C・006-17962 (1974年Odeon - EMI Italiana) Soleado (哀しみのソレアード)/Per Elisa (エリーゼのために) 3C・006-17962 3C・064-18037 3C・064-18037 (1974年Odeon - EMI Italiana) Soleado (哀しみのソレア-ド) 1.Ballero (バエロ) 2.Soleado (哀しみのソレアード) 3.Autunno (秋) 4.A Hard Day's Night (ア・ハード・デイズ・ナイト) 5.Sangriando (サングリアンド) 6.Per Elisa (エリーゼのために) 7.Working In The Hacienda (ウォーキング・イン・ザ・ハシェンダ/詩にたくして) 8.Corazon (コラソン) 9.Un Sospero (ソスペロ) 10.I Don't Know How To Love Him (私はイエスがわからない) 11.Junk (ジャンク) 12.Abra - Kad – Abra (アブラ・カダブラ) 直ぐに1st.アルバム「Soleado (哀しみのソレア-ド)」が発売され、74年年間ベスト・セラー73位になります。日本でも同アルバム(2曲目の“哀しみのソレアード”が1曲目に編成順変更)が発売されヒットしています。 2枚目のシングル盤“ソスペロ” も同年年間ヒット・ランク68位に入り、大成功のデビューとなりました。 3C・006-18051 (1974年Odeon - EMI Italiana) Un Sospero (ソスペロ)/Ea-rio 3C・006-18051 3C・006-18088 3C・006-18088 (1975年Odeon - EMI Italiana) Aquador (想い出のアグアドール)/Para Bailar Para Cantar 翌75年1枚目のシングル盤“想い出のアグアドール”も同年年間ヒット・ランク81位になります。更にアルバム「Dos」が発売されました。2nd.アルバムも同タイトルで国内盤がでましたが、12曲中8曲のみ、4曲は1st.アルバム「哀しみのソレア-ド」から再録されています。 3C・064-18102 (1975年Odeon - EMI Italiana) Dos (詩にたくして) 1.Lunaris 2.Aquador (想い出のアグアドール) 3.To Love Music (トゥ・ラヴ・ミュージック) 4.A Summer Place (夏の日の恋) 5.Adios Amor (アディオス・アモール) 6.Dreamin' Together (ドリーミング・トゥギャザー) 7.The Lion Sleeps Tonight 8.Aloha 9.E.A.Rio 10.Ol' Man River (オールマン・リバー) 11.Banana Boat (バナナ・ボート・ソング) 12.San Valentino (サン・ヴァレンティノ) 3C・064-18102 3C・006-18114 3C・006-18114 (1975年Odeon - EMI Italiana) Christmas Carol/Lullaby 75年2枚目のシングルはクリスマス用の“Christmas Carol”でした。 これらの成功で76年サンレモ音楽祭の出場が決まりました。ダッミッコのペン・ネームのザッカーとクェレンチョ(Querencio)の作曲、作詞はスペッキア(Francesco Specchia)とグループ全員が関わったとしてダニエル・センタクルスを使っています。編曲はチロ本人と恩師テンペラ(Vincenzo Tempera)があたりました。 サンレモ音楽祭出場メンバー(8人) ・チロ・ダッミッコ Ciro Dammicco ・ロザンナ・バルビエリRossana Barbieri Linda Lee(cantante) ・ステッファノ・ダッミッコStefano Dammicco (tastierista) チロの弟 ・マラ・クエッドウMara Cubeddu (cantante) サヴーノ・グリエコSavino Grieco (bassista) ブルーノ・サントーリBruno Sartori (tastierista) ジャンニ・ミヌーティ・ムッフォリーニGianni Minuti Muffolini (chitarrista) ジャンニ・カラブリアGianni Calabria (batterista) 3C・006-18148 (1976年Odeon - EMI Italiana) Linda Bella Linda (リンダ・ベラ・リンダ)/Scaramouche (スカラムッシュ) 3C・006-18148 “リンダ・ベラ・リンダ”は8位入賞ですが同年年間ヒット・ランク12位で音楽祭出場曲中一番の成功となります。 この大ヒットで翌77年シングル盤“お願い、アラー”と共に3rd.アルバム「Daniel Sentacruz Ensemble」が出、日本でも編成順も同じで「リンダ・ベラ・リンダ」として発売されました。 3C・064-18249 (1977年Odeon - EMI Italiana) Daniel Sentacruz Ensemble 1.Allah, Allah (お願い、アラー) 2.Dirsi Addio (さよならと云って) 3.Che Strano Incontro (不思議な出会い) 4.Bambolina (私はバンボリーナ) 5.E Tu Su Di Me (私の可愛い男の子) 6.Linda Bella Linda (リンダ・ベラ・リンダ) 7.Annie Bell (さよならアニー・ベル) 8.America (アメリカ) 9.Bella Mia (ベラ・ミア) 10.Like Yesterday (昨日のように) 3C・064-18249 3C・006-18247 3C・006-18247 (1977年Odeon - EMI Italiana) Allah Allah (お願い、アラー)/Bella Mia (ベラ・ミア) 77年2枚目の“Toi Et Moi”はミヌーティとバルビエリ(別名リンダ・リー)のデュエットが前面に出されました。 3C・006-18304 (1977年EMI - EMI Italiana) Toi Et Moi/ Recuerdos [Gianni Minuti & Rossana Dei Sentacruz] 3C・006-18304 ☆リンダ・リー (Linda Lee) 本名ロザンナ・バルビエリ(Rossana Barbieri) 1953年4月8日ボローニャの西10kmにある小都市ヴィニョーラ(Vignola)生、D.S.E.の女声ヴォーカル、歌手。 76年からリンダ・リー名義でヴィンチェンツォ・テンペラの作った映画「愛の妖精アニー・ベル(La Fine Dell’Innocenza)」の主題歌を歌い成功。本名ロザンナ・バルビエリでD.S.E.の女声ヴォーカルを務め、ソロ歌手リンダ・リーとして80年サンレモ音楽祭で“Va' Pensiero”を歌い15位入賞している。 81年D.S.E.の再結成ではジャンニ・ミヌーティ、ロザンナ・バルビエリ、マラ・クエッドゥのトリオで活動を続けました。 リンダ・リーの詳しい話は1978年サンレモ音楽祭の後のダニエル・センタクルス・アンサンブル6でいたしましょう。 ダニエル・センタクルス・アンサンブルの国内盤 EOR-10668 (1974年12月 1日 ODEON -東芝EMI) 哀しみのソレアード (SOLEADO)/エリーゼのために (PER ELISA) EOR-10668 EOS-80076 EOS-80076 (1974年12月 20日 ODEON -東芝EMI) 30cm LP哀しみのソレアード (SOLEADO) 1.哀しみのソレアード (SOLEADO) 2.バエロ (BALLERO) 3.秋(AUTUNNO) 4.ア・ハード・デイズ・ナイト (A HARD DAY'S NIGHT) 5.サングリアンド (SANGRIANDO) 6.エリーゼのために (PER ELISA) 7.ウォーキング・イン・ザ・ハシェンダ (詩にたくして) (WORKING IN THE HACIENDA) 8.コラソン (CORAZON) 9.ソスペロ (UN SOSPERO) 10.私はイエスがわからない (I DON'T KNOW HOW TO LOVE ME) 11.ジャンク (JUNK) 12.アブラ・カダブラ (ABRA-KAD-ABRA) EOR-10902 (1975年2月 ODEON -東芝EMI) 詩にたくして (WORKING IN THE HACHIENDA)/想い出のアクアドール (AQUADOR) EOR-10902 EOS-80406 EOS-80406 (1975年2月 ODEON -東芝EMI) 30cm LP詩にたくして (SENTACRUE“DOS”) 1.詩にたくして (WORKING IN THE HACHIENDA) 2.夏の日の恋 (A SUMMER PLACE) 3.トゥ・ラヴ・ミュージック (TO LOVE MUSIC) 4.哀しみのソレア-ド (SOLEADO) 5.私はイエスがわからない (I DON'T KNOW HOW TO LOVE ME) 6.想い出のアクアドール (AGUADOR) 7.ドリーミング・トゥギャザー (DREAMING TOGETHER) 8.秋 (AUTUNNO) 9.ソスペロ (UN SOSPERO) 10.アディオス・アモール (ADIOS AMOR) 11.オールマン・リバー (OL'MAN RIVER) 12.バナナ・ボート・ソング (BANANA BOAT) 13.サン・ヴァレンティノ (SAN VALENTINO) 14.アブラ・カダブラ (ABRA-KAD-ABRA) EOR-20041 (1976年8月 ODEON -東芝EMI) 夏の日の恋 (A SUMMER PLACE)/トゥ・ラヴ・ミュージック (TO LOVE MUSIC) EOR-20041 EOR-20392 EOR-20392 (1977年3月 ODEON - 東芝EMI) ベラ・ミア (BELLA MIA)/お願い、アラー(ALLAH ALLAH) EOR-20298 (1977年9月 ODEON - 東芝EMI) リンダ・ベラ・リンダ (LINDA BELLA LINDA)/スカラムッシュ (SCARAMOUCHE) EOR-20298 EOS-80877 EOS-80877 (1977年9月 ODEON - 東芝EMI) 30cm LPリンダ・ベラ・リンダ (LINDA BELLA LINDA) 1.お願い、アラー (ALLAH ALLAH) 2.さよならと云って (DIRSI ADDIO) 3.不思議な出会い (CHE STRANO INCONTRO) 4.私はバンボリーナ (BAMBOLINA) 5.私の可愛い男の子 (E TU SU DI ME) 6.リンダ・ベラ・リンダ (LINDA BELLA LINDA) 7.さよならアニー・ベル (ANNIE BELL) 8.アメリカ (AMERICA) 9.ベラ・ミア (BELLA MIA) 10.昨日のように (LIKE YESTERDAY) ダニエル・センタクルス・アンサンブル6 は1978年サンレモ音楽祭の後に続きます
2018.12.25
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★ダニエル・センタクルス・アンサンブル (compl) Daniel Sentacruz Ensemble 1974年にチロ・ダッミコ(Ciro Dammicco)にヴィンチェ・テンペラ(Vince Tempera)が協力して卓越したミュージシャンとヴォーカリストで結成した音楽集団。。80年に解散、多くのミュージシャンを輩出しました。 活動期間:1974 年–80年;再結成81年-現在 所属レコード会社: EMI Italiana, (再結成後) Harmony, Pretty Cat's Records サンレモ音楽祭出場2回:1976年8位、77年9位 多くのミュージシャンが関わっているので、サブ項目も設け説明します。 74年結成時メンバー構成 ・チロ・ダッミッコ (Ciro Dammicco) ヴォーカル:元ビゾンティ (I Bisonti)、元ゾーナ・ヴェルディ(Zona Verde) ・マラ・クエッドゥ(Mara Cubeddu) 女声ヴォーカル(在籍1979年まで) : 元フローラル・ファウナ・チェメント(I Flora Fauna Cemento) ・ロザンナ・バルビエリ(Rossana Barbieri) 女声ヴォーカル:別名リンダ·リー(Linda Lee) ・ジャンニ・ミヌーティ・ムッフォリーニ(Gianni Minuti Muffolini) ヴォーカル、ギター:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ ・ブルーノ・サントーリ(Bruno Santori) キー・ボード (在籍1976年まで):元ラミンゲッティ(I Raminghetti) ・アンジェロ・サントーリ(Angelo Santori) キー・ボード (在籍1974年まで):元ラミンギ(I Raminghi) ・ステッファノ・ダッミッコ (Stefano Dammicco) キー・ボード:チロの弟 ・ジャンニ・カラブリア(Gianni Calabria) ドラムス:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ ・サヴーノ・グリエコ (Savino Grieco) ベース、ヴォーカル 改めてリーダーのチロ・ダッミッコの経歴を見ながら、ダニエル・センタクルス・アンサンブル(D.S.E.)の話を進めていきましょう」。 ☆チロ・ダッミッコ (Ciro Dammicco) 1947年6月16日長靴のアキレス腱辺り、プーリア州都の大都市バリ(Bari)生、歌手、作曲家、映画及びTVプロデューサー。作曲の場合のペン・ネームはザッカー(Zacar)。 キー・ボード奏者のステッファノ・ダッミッコ (Stefano Dammicco)は弟。 活動期間:1974 年–80年 所属レコード会社:Numero Uno, City, EMI Italiana, Durium サンレモ音楽祭出場2回:1976年8位、77年9位 (ダニエル・センタクルス・アンサンブルとして) チロ・ダッミッコのデビュー前の経歴は現在公表されていません。日本で出たアルバムのライナー・ノーツ(解説)には当時の情報が出ており、長めですが引用します。現在知りえる事と少々違っていますが、何れも東芝EMIのプレス・リリース(広報資料)からと思われ、宣伝のため脚色されているかもしれませんが(芸能界につきものの伝説的経歴)イタリア本国から得た情報だと思います。 (引用) 『両親が共にショウ・ッビジネス界にいたせいもあって、子供の時から音楽的には恵まれた環境に育った。やがてドラムスをマスターし、一時イタリアの放送局のオーケストラに在籍していたこともある。しかしその後イタリアを飛び出し、ヨーロッパ各地を転々とした。その間見聞きしたことや、音楽活動が現在の彼に大きな影響を与えた。 帰国後、イタリアEMIと契約し・・・(後略)』、またグループ名の由来を『奥さんがスペイン女性で、そこからダニエル・センタクルス・アンサンブルというスペイン語のグループ名がつけられたとききました・・・(後略)』 [EOS-80877 LP リンダ・ベラ・リンダ 解説 (TBS 岡本安正)] チロ・ダッミッコの最初の痕跡は、1969年にEdizioni Musicali Club(クラブ音楽出版)から数人のミュージシャン(バンド名も付けられてなかったか?)が演奏する17cmミニLPのデモ・レコードにドラムスとして名前が出ています。 EC-1 (1969 年 Edizioni Musicali Club) Club Disco Dimostrativo No.1 1.Swop 2.Blowers 3.Tuxedo 4.Ginger 5.Mombasa 6.Black Spot 7.Tutti Fiori 8.Lotus Oscar Valdambrini (Tr), Eraldo Volonté (Tr-Sax), Vanni Catellani (Tr,Chitara) Maspes (Organo), Ciro Dammicco (Dramus), Theo (Basso) EC-1 次に前回までに書いた事ですが70年・マリオ・ラヴェッツィ(Mario Lavezzi)がフローラル・ファウナ・チェメント(I Flora Fauna Cemento)を結成時に、ハモンド・オルガン奏者としてチロが参加しています。しかしグループがレコード・デビューする前にビゾンティ(I Bozonti)のキー・ボード奏者として移籍しています。 70年ビゾンティのオルガン奏者パオロ・パゾリーニが辞め、交代にキー・ボード奏者としてチロが加入しました。70年夏のディスク・フェスティヴァルに“Oh, Simpatia”で出場しましたが本選に進めませんでした。 72年バンドで何が起きたか分かりませんが、まもなくビゾンティの結成メンバーでベースとヴォーカルのポール・コッキが去り、フランスに行ってしまいます。 そしてバンド・リーダーのブルーノ・カスティーリャはソロ歌手活動を始め、残った4人のメンバーは放出された形になります。 1001・PE (1972年 Edi. Nufa・Ametiste) Disco Refrain Promozione Editoriale [Zona Verde] 1.Giselle 2.Color 3.Pandora 4.Denise 5.Connie 6.Gattina 7.Idea 8.Rachet 9.Bongo 10.Dumping 1001・PE ドラマーのジャンニ・カラブリア、ギタリストのペッポ・ジェッレーラ、ベースとギターのジャンニ・ミヌーティとチロ・ダッミッコはその後、ゾナ・ヴェルディ(Zona Verde)を結成、73年ビゾンティは正式解散しました。 一方チロ・ダッミッコは72年にはEMiイタリアーナからソロ歌手としてデビューしています。ビゾンティの崩壊と彼のソロ歌手デビューとどちらが先か前後関係が不明ですが、チロの独立が先なら彼の行動が原因かもしれません。 ただ74年にビゾンティの仲間3人でダニエル・センタクルス・アンサンブルを立ち上げるので、バンド内の人間関係を壊すような事はしていないと思います。 ソロ歌手としてシングル3枚と1枚のアルバムを出しました。アルバムは89年(EMiイタリアーナにもかかわらず)キングのクライム・レーベルからCDとして発売されます。 80年代中頃から、イタリア・(プログレ)ロックのファンが次第とカンタウトゥーリに興味を示し、更にチロのバックにメロトロンがふんだんに使われていることに興味がそそられたらしく、幸運にも国内盤が発売されることになりました。(21世紀になり、あのマーキーが復刻をしてくれました。) 3C・C006-17839 (1972年 Columbia – EMI Italiana) Vorrei Poterti Dir "Ti Amo" (愛を託して/愛してるっていっていい?)/ Forse Domani Ritorno Da Te (明日、君が来れば/たぶん、明日は君のところからもどるよ) 3C・C006-17839 3C・C006-17863 3C・C006-17863 (1972年 Columbia – EMI Italiana) Così Era E Così Sia/Autunno (オータム/秋) 3C・C006-17879 (1973年 Columbia – EMI Italiana) Un Uomo Nella Vita/ Dolce Jenny (いとしのジェニー/優しいジェニー) 3C・C006-178793C・064-17818 3C・064-17818 (1973年 Columbia – EMI Italiana) Mittente 1.Tu Mi Eri Scoppiata Nel Cuore (君を想う/僕の心は君で一杯) 2.Dolce Jenny (いとしのジェニー/優しいジェニー) 3.Vorrei Poterti Dir Ti Amo (愛を託して/愛してるっていっていい?) 4.Io So Di Un Uomo (友達/知り合いの男) 5.Forse Domani Ritorno Da Te (明日、君が来れば/たぶん、明日は君のところからもどるよ) 6.Per Amore Ricomincerei (愛をもう一度/再開する愛のために) 7.Gibilterra (ジビルテッラ) 8.Le Rose Blu (ローズ・ブルー/青いバラ) 9.Il Vecchio E Il Violino (古ぼけたヴァイオリン/老人とヴァイオリン) 10.Autunno (オータム/秋) やがてゾナ・ヴェルディではペッポ・ジェッレーラも離れ、3人はヴィンチェ・テンペラと相談をして新たな音楽集団を作る構想を練ります。 そしてビゾンティの3人のメンバーにダッミッコが一時在籍していた、元フローラル・ファウナ・チェメントにいる女声ヴォーカルのマラ・クエッドゥやプログレ・バンドにいたブルーノ・サントーリやアンジェロ・サントーリを呼んで結成したのがダニエル・センタクルス・アンサンブルです。 チロ・ダッミッコの国内盤 292E- 2063 (1989年9月5日 CRIME - キング) CD チロ・ダッミッコ/オータム (CIRO DAMMICCO) ERS-28030 (NAS-1422) (1989年9月5日 CRIME - キング) 30cmLP チロ・ダッミッコ/オータム (CIRO DAMMICCO) MAR-061170 (2006年8月25日 BELLE ANTIQUE - マ-キ-) CD チロ・ダッミッコ (CIRO DAMMICCO) [*] 1.君を想う *僕の心は君で一杯 (TU MI ERI SCOPPIATA NEL CUORE) 2.いとしのジェニー *優しいジェニー (DOLCE JENNY) 3.愛を託して *愛してるっていっていい? (VORREI POTERTI DIR TI AMO) 4.友達 *知り合いの男 (IO SO DI UN UOMO) 5.明日、君が来れば *たぶん、明日は君のところからもどるよ (FORSE DOMANI RITORNO DA TE) 6.愛をもう一度 *再開する愛のために (PER AMORE RICOMINCEREI) 7.ジビルテッラ (GIBILTERRA) 8.ローズ・ブルー *青いバラ (LE ROSE BLU) 9.古ぼけたヴァイオリン *老人とヴァイオリン (IL VECCHIO E IL VIOLINO) 10.オータム *秋 (AUTUNNO) 292E- 2063 ERS-28030 (NAS-1422) MAR-061170 ダニエル・センタクルス・アンサンブル5 は次回に続きます
2018.12.22
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★ダニエル・センタクルス・アンサンブル (compl) Daniel Sentacruz Ensemble 1974年にチロ・ダッミコ(Ciro Dammicco)にヴィンチェ・テンペラ(Vince Tempera)が協力して卓越したミュージシャンとヴォーカリストで結成した音楽集団。。80年に解散、多くのミュージシャンを輩出しました。 活動期間:1974 年–80年;再結成-現在 所属レコード会社: EMI Italiana, Harmony, (再結成後) Pretty Cat's Records サンレモ音楽祭出場2回:1976年8位、77年9位 多くのミュージシャンが関わっているので、サブ項目も設け説明します。 74年結成時メンバー構成 ・チロ・ダッミッコ (Ciro Dammicco) ヴォーカル:元ビゾンティ (I Bisonti)、元ゾーナ・ヴェルディ(Zona Verde) ・マラ・クエッドゥ(Mara Cubeddu) 女声ヴォーカル(在籍1979年まで) : 元フローラル・ファウナ・チェメント(I Flora Fauna Cemento) ・ロザンナ・バルビエリ(Rossana Barbieri) 女声ヴォーカル:別名リンダ·リー(Linda Lee) ・ジャンニ・ミヌーティ・ムッフォリーニ(Gianni Minuti Muffolini) ヴォーカル、ギター:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ ・ブルーノ・サントーリ(Bruno Santori) キー・ボード (在籍1976年まで):元ラミンゲッティ(I Raminghetti) ・アンジェロ・サントーリ(Angelo Santori) キー・ボード (在籍1974年まで):元ラミンギ(I Raminghi) ・ステッファノ・ダッミッコ (Stefano Dammicco) キー・ボード:チロの弟 ・ジャンニ・カラブリア(Gianni Calabria) ドラムス:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ ・サヴーノ・グリエコ (Savino Grieco) ベース、ヴォーカル ☆アンジェロ・サントーリ (kb) Angelo Santori 次に書くブルーノ・サントーリと血縁関係にあると思いますが、アンジェロ・サントーリの生年月日、出生地など一切の情報がなく分かりません。分かる事はプログレ・バンドのラミンギ(I Raminghi)のキー・ボード奏者だったことだけです。 活動期間:1970-?年 所属レコード会社:Bentler (ラミンギ)、EMI Italiana(ダニエル・センタクルス・アンサンブル) サンレモ音楽祭出場0回: アンジェロ・サントーリが在籍したプログレ・バンド、イ・ラミンギの話を中心に進めます。 1960年代後半にベルガモ出身者が結成したグループで、ラミンギの意味は『放浪者たち』。最初は他のバンド同様にサイケデリック風ビートニックとプログレッシブの中間的存在でした。 ラミンギの全オリジナル作品は、中小レーベル会社のベントラーから70年から75年の間に出た3枚のシングル盤と1枚のアルバムです。 ラミンギのメンバー構成メンバー フランコ・ムッシータ (Franco Mussita):ベース、ヴォーカル アンジェロ・サントーリ(Angelo Santori):キー・ボード アンジェロ・セリゲッリ(Angelo Serighelli):ギター ロメオ・カッタネロ(Romeo Cattaneo):ドラムス 私はコロッと騙されて(失礼!間違って)いました。フランコ・ムッシーダ(Franco Mussida)がP.M.F.とけ持ちしていたと思いました。ムッシーダ(Mussida)でなくてムッシータ(Mussita):で、これ良いのかい!と言いたいところですが、もし本名だったら文句は言えません。 ベントラーと契約することが出来て70年に初のシングル盤“Come Viviamo”を出しました。 リーダーのフランコ・ムッシータはディープ・パープル(Deep Purple)、ヴァニラ・ファッジ (Vanilla Fudge)、ウルー・チェア( Blue Cheer)やユーラリア・ヒープ(Uriah Heep)などのバンドを目標にしていたようです。 BE・NP-5065 (1970年Bentler – Bentler Guerrini) Come Viviamo/Guarda Tuo Padre BE・NP-5065 BE・NP-5073 BE・NP-5073 (1971年Bentler – Bentler Guerrini) Buio Mondo Nero E Giallo [I Raminghi Canta Herr-Mussita]/Partire [entrambi i brani da Il lungo cammino] 翌71年リーダーのムッシータのリード・ヴォーカルで“Buio Mondo Nero E Giallo”を出しています。 72年ファースト・アルバム「Il Lngo Cammino Dei Raminghi」を作りました。現役で出したアルバムは唯一の盤です。オークションでは十数万円で落札されており、98年復刻盤として450枚限定プレスされています。 BE・LP-1016 (1972年Bentler – Bentler Guerrini) Il Lngo Cammino Dei Raminghi BE・LP-1016 (1998年Bentler – Bentler Guerrini) Il Lngo Cammino Dei Raminghi 1.Donna Hai Ragione Tu 2.La Nostra Verità 3.Cose Superate 4.Partire 5.Every Day Jesus 6.Non Moriremo Mai 7.Buio Mondo Nero E Giallo 8.Guarda Tuo Padre BE・LP-1016 BE・LP-1016(1998) その後ラミンギはライヴ・コンサートを続けていたようです。74年アンジェロがダニエル・センタクルス・アンサンブル(D.S.E.)の結成に加わるために脱退しています。そのD.S.E.も直ぐに辞めていますが、その後ラミンギに戻ったか、別のバンドに行ったかは不明です。 75年未発表曲2曲をシングル盤として出します。微妙な時期ですので、アンジェロがいたかどうかは分かりません。 BE・NP-5093 (1975年Bentler – Bentler Guerrini) Rendimi L'Anima/Treno Di Libertà (Express) [entrambi i brani inediti] BE・NP-5093 2005年プログレ・バンドを中心に復刻盤を出しているヴィニール・マジックから唯一のアルバム「Il Lngo Cammino Dei Raminghi」のCD化復刻に際して、未発表の75年ライヴ盤を付けた2枚組で発売されました。 VM・CD-102 A/B (2005年 BTF - Vinyl Magic) 2CD Il lungo cammino deiRaminghi/Live 1975 [ristampa dell'album del 1971 + un CD inedito live del 1975] VM・LP-102 (2015年 BTF - Vinyl Magic) Il lungo cammino deiRaminghi [copertina apribile, vinile trasparente, poster - contiene un brano inedito] [*] Bonus Track [8016158010244] 1.Donna Hai Ragione Tu 2.La Nostra Verità 3.Cose Superate 4.Partire 5.Every Day Jesus 6.Non Moriremo Mai 7.Buio Mondo Nero E Giallo 8.Guarda Tuo Padre *9.Non Farlo [Live 1975] 2-1.Dies Irae 2-2.Guarda Tuo Padre 2-3.Non È Francesca 2-4.Rendimi L'Anima 2-5.Mi Svegliai Al Mattino 2-6.Felicità 2-7.Incubo VM・CD-102 VM・LP-102 その10年後の2015年ヴィニール・マジックからアナログ盤で「Il Lngo Cammino Dei Raminghiを復刻、未発表曲“Non Farlo”がボーナス・トラックとして追加されていました。 ☆ブルーノ・サントーリ (kb) Bruno Santori 1957年10月12日ミラノとベルガモの中間にある町トレッツォ・スッラッダ(Trezzo Sull'Adda)生、キー・ボード奏者から楽団指揮者、作・編曲家になる。 先に書いたアンジェロ・サントーリと血縁関係にあると思いますが、アンジェロ・サントーリの生年月日、出生地など一切の情報がないので分かりません。 活動期間:1969-?年 所属レコード会社: Eldorado (ラミンゲッティ)、EMI Italiana(ダニエル・センタクルス・アンサンブル)、 サンレモ音楽祭出場1回:1976年8位 (ダニエル・センタクルス・アンサンブルの一員として) サンレモ音楽祭出品3曲:1976年8位、97年入賞、2001年14位 ブルーノは5才でシルヴィオ・マルケージ(Silvio Marchesi)師からピアノを習います。起業家父セルジョの後援もあり、上級音楽教育を受けました。 4人編成のバンド、ラミンゲッティ(I Raminghetti)にキー・ボード奏者として参加しますが、メンバーは彼より8~10才上でした。 ベントラーのサブ・レーベル、エルドラドと契約しデビュー曲が必要となり、マリオ・ラヴェッツィ(Mario Lavezzi)とモゴール(Mogol)が作った2曲が送られ、ベントラー・レコードはモゴールを彼らの後見人と見做したという逸話が残っています。 EL・B-0410 (1969 年Eldorado – Bentler Guerrini) Ragazza Mia/Guarda EL・B-0410 EL・B-04411 EL・B-04411 (1969 年Eldorado – Bentler Guerrini) Fiori Nell'Anima/È Un Eterno Amore 2枚目のシングルB面しか確認できませんが“È Un Eterno Amore”はモゴールの作詞です。14才(71年)の時ラミンゲッティは解散し、幾つかのバンドで新たな音楽に触れ、74年キー・ボード奏者としてダニエル・センタクルス・アンサンブル(D.S.E.)に参加します。 彼らの第1作“哀しみのソレアード(Soleado)”でクレジットはありませんでしたが、曲作りに関わり、しかもその曲が大ヒットしたことで音楽に対して大きな希望が広がります。 76年D.S.E.を去り、クラシック研究を再開、公立音楽学校を卒業します。その後パオロ・オルドーニ(Paolo Bordoni)師の着きピアノを習得、次にアルナルド・コーエン大学院修士課程に入学するためロンドンに行きました。クラシックの勉強はその後の彼の経歴に大きな財産となりました。 23才(80年)の時、クラシック音楽でも映画音楽でも著名なフランコ・フェラーラ(Franco Ferrara)の弟子になります。 80年代にはハーモニー公共機関(Lle Istituzioni Harmoniche)を設立し、それは室内楽団から交響楽団になるまで発展しました。更に若手音楽家をイタリア国内、海外公演に派遣することで育成に努めます。 2009年サンレモ音楽祭に音楽祭楽団指揮者のマエストロとしてブルーノ・サントーリはサンレモの舞台に戻ってきました。また各歌手の楽団指揮は92年3曲、94~97年、01年各1曲、02年4曲、03年2曲、06年4曲、07年2曲、08年1曲、10年3曲、11年2曲、13年2曲しています。サンレモ音楽祭での各曲の指揮は作曲家か編曲者がすることになっています。 ダニエル・センタクルス・アンサンブル4 は次回に続きます
2018.12.19
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リーダーのチロ・ダッミッコの経歴だけ見るとフローラ・ファウナ・チェメントの後、ビゾンティに言っているので、フローラの方を先に書いた方が良かったかもしれません。 ★ダニエル・センタクルス・アンサンブル (compl) Daniel Sentacruz Ensemble 1974年にチロ・ダッミコ(Ciro Dammicco)にヴィンチェ・テンペラ(Vince Tempera)が協力して卓越したミュージシャンとヴォーカリストで結成した音楽集団。。80年に解散、多くのミュージシャンを輩出しました。 活動期間:1974 年–80年;再結成-現在 所属レコード会社: EMI Italiana, Harmony, (再結成後) Pretty Cat's Records サンレモ音楽祭出場2回:1976年8位、77年9位 多くのミュージシャンが関わっているので、サブ項目も設け説明します。 74年結成時メンバー構成 ・チロ・ダッミッコ (Ciro Dammicco) ヴォーカル:元ビゾンティ (I Bisonti)、元ゾーナ・ヴェルディ(Zona Verde) ・マラ・クエッドゥ(Mara Cubeddu) 女声ヴォーカル(在籍1979年まで) : 元フローラル・ファウナ・チェメント(I Flora Fauna Cemento) ・ロザンナ・バルビエリ(Rossana Barbieri) 女声ヴォーカル:別名リンダ·リー(Linda Lee) ・ジャンニ・ミヌーティ・ムッフォリーニ(Gianni Minuti Muffolini) ヴォーカル、ギター:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ ・ブルーノ・サントーリ(Bruno Santori) キー・ボード (在籍1976年まで):元ラミンゲッティ(I Raminghetti) ・アンジェロ・サントーリ(Angelo Santori) キー・ボード (在籍1974年まで):元ラミンギ(I Raminghi) ・ステッファノ・ダッミッコ (Stefano Dammicco) キー・ボード:チロの弟 ・ジャンニ・カラブリア(Gianni Calabria) ドラムス:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ ・サヴーノ・グリエコ (Savino Grieco) ベース、ヴォーカル 前回書いたビゾンティに移籍する前にチロ・ダッミッコが一時所属し、また女性ヴォーカルのマラ・クエッドウがいたバンドのフローラル・ファウナ・チェメントの事を書きましょう。 ☆フローラル・ファウナ・チェメント(I Flora Fauna Cemento) 1970年カマレオンティ(Camaleonti)の元ギタリストのマリオ・ラヴェッツィと前年(ヌメロ・ウーノが設立される69年)までルチオ・バッティスティのベーシストをしていたダミアーノ・ダットリ(Damiano Dattoli)主導で結成したポップ・ロック・バンド。 活動期間:1970-1978年 所属レコード会社:Numero Uno, CBS, Fonit Cetra サンレモ音楽祭出場0回:?1972年デリリウム(Delirium)が歌った“ジェザエル(Jesahel)”のバック・コーラス(Coro Hippy Durante il Festival di Sanremo)にオスカー・プルデンテ(Oscar Prudente)と共に歌った可能性は否定できませんが、私の単なる想像で確証はありません。 結成時構成メンバー ・マリオ・ラヴェッツィ(Mario Lavezzi) ヴォーカル、ギター (在籍1970- 1975年) ・ダミアーノ・ダットリ(Damiano Dattoli) ヴォーカル、ベース(在籍1970- 1972年) ・セルジョ・ポッジ (Sergio Poggi) ドラムス (在籍1970- 1974年) ・チロ・ダッミッコ (Ciro Dammicco) ハモンド・オルガン (在籍1970年) ・バルバラ・ミケリーニ(Barbara Michelin) 女性ヴォーカル ・マヌエラ・マンテガッツァ (Manuela Mantegazza) 女性ヴォーカル(在籍1970- 1971年) チロ・ダッミッコは結成間もなくビゾンティに移籍しフローラル・ファウナ・チェメントがレコード・デビューまで在籍していません。またマヌエラ・マンテガッツァが休み、代わりに女性ヴォーカルとしてバベル・ダグラスが代替をしています。 70年9月サイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)の“明日に架ける橋”とロック・オペラの“ジーザス・クライスト・スーパースター”のカヴァーでヌメロ・ウーノからレコード・デビューしました。 レコード・デビュー時メンバー ・マリオ・ラヴェッツィ ・ダミアーノ・ダットリ ・セルジョ・ポッジ ・バルバラ・ミケリーニ ・バベル・ダグラス(Babelle Douglas) 女性ヴォーカル(在籍1970- 1972年) ZN-50030 (1970年9月Numero Uno – RCA Italiana) Il Ponte (Bridge Over Trouble Water) (明日に架ける橋)/Superstar (ジーザス・クライスト・スーパースター) ZN-50030 ZN-50122 ZN-50122 (1971年5月Numero Uno – RCA Italiana) Un Papavero/In America (Le Particelle) 71年2枚目のシングルを出します。B面は同型の音楽集団パルティチェッレ(Le Particelle)の唯一のアルバム「Azimut 1」に収録された“In America”をカヴァーしています。休んでいたマヌエラ・マンテガッツァが復帰しています。 72年3枚目のシングル盤を出しました。A面“Mondo Blu”がヌメロ・ウーノのオーナーでもある作詞家モゴール(Mogol)とルチオ・バッティスティ(Lucio Battisti)作曲で、彼らの中では一番売れたシングルでした。 女性ヴォーカルの内一人はマヌエラ・マンテガッツァからバベル・ダグラスに変わっています。どう見てもメンバーが固定していないのか、柔軟に対応しているのかどちらなんでしょうか? ZN-50147 (1972年5月Numero Uno – RCA Italiana) Mondo Blu/ Fuori Piove, Riscaldami TuZN-50147 ZN-50301 ZN-50301 (1973年4月Numero Uno – RCA Italiana) La Nostra Piccola Canzone/Forse Domani 73年4月4枚目のシングル“La Nostra Piccola Canzone”が発売されました。これはジャケット写真の大胆さ?で話題になりました。このバニー・ガールはディナ・カスティリャーゴ(Dina Castigliego)という女優さんです。グループ名をFlora Fauna e Cementoと表記しています。 結成時の主要メンバーでギタリストのダミアーノ・ダットリがライターの仕事に専念するため、ブルーノ・ロンギ(Bruno Longhi)に代わります。また女性ヴォーカルがダニエル・センタクルス・アンサンブル結成時女性ヴォーカリストのマラ・クエッドゥに交代しました。 3作目の“Mondo Blu”がヒットしたのでファースト・アルバムが製作されました。ジャケットはシングル盤で好評の女優ディナ・カスティリャーゴが扮するバニー・ガールが使われ、タイトルを「Flora Fauna e Cemento – Rock」とし、収録曲は”La Nostra Piccola Canzone“のみ入り、その他のシングル曲は1曲も収録されていません。 正確に言えばファースト・アルバムはコンセプト・アルバムでその中からシングル・カットされたということだと思われます。 ZSLN-55653 (1973年Numero Uno – RCA Italiana) LP Flora Fauna e Cemento – Rock ND-74859 (199?年Numero Uno – BMG Ariola) CD Flora Fauna e Cemento – Rock 1.La Nostra Piccola Canzone 2.Come Bambini 3.Morena 4.Magia Nera 5.Forse Domani 6.Libertà Nell'Amore 7.Maria Teresa Rigamonti 8.È L'Ora ZSLN-55653 ND-74859 ダットリの作った曲“Congresso Di Filosofia”で74年夏のディスク・フェスティヴァルに出場しました。結果は予選敗退でした。73年に入った女声ヴォーカルのマラ・クエッドゥは74年チロ・ダッミッコ達が結成したダニエル・センタクルス・アンサンブルのメンバーに参加するため脱退しました。その後任は後にイタリアを代表する女性ロッカーとなるジャンナ・ナンニーニ(Gianna Nannini)が入ります。ナンニーニはサンレモ未出場大物歌手の一人なので、何時か『サンレモに出なかった歌手たち』で書かなければなりません。唯一ジャンナ・ナンニーニがフローラル・ファウナ・チェメントで歌ったレコードです。 ZN-50329 (1974年Numero Uno – RCA Italiana) Congresso Di Filosofia/Stereotipati Noi ZN-50329 74年中にドラムスのセルジョ・ポッジとジャンナ・ナンニーニが脱退し、75年新たなドラマーとしてシルヴァーノ・ボルゾーリ (Silvano Bolzoni)、女声ヴォーカルにチンツィア・エスポジート(Cinzia Esposito)が加わります。 さらにマリオ・ラヴェッツィはイル・ヴォーロ(Il Volo)を結成するためバンドを去り、交代にスパヴェンタパッセリ(Gli Spaventapasseri)のギタリスト、アルベルト・ヴァッリ(Alberto Valli)とジャンボ(Jumbo)の元キー・ボード奏者のセルジョ・コンテ(Sergio Conte)が入り、グループは75年年古巣のヌメロ・ウーノからCBSに移籍しました。 移籍先のCBSでは、女声ヴォーカルのバルバラ・ミケリーニ以外は全てメンバー・チェンジした。グループ名をフローラル・ファウナ&チェメント(Flora Fauna & Cemento) に変え、セカンド・アルバム「Disamore」をマリオ・ラヴェッツィがプロデュースし、その中から“Eri Bella”をシングル・カットしています。 CBS-69114 (1975年 CBS - CBS Sugar) LP Disamore 1.Visionario No! 2.Eri Bella 3.Il Benpensante 4.Corri Uomo Uomo Corri 5.Sorella Speranza 6.Quando Noi 7.Sei Di Prima 8.Le Ricreazioni 9.Il Re Del Rock 10.Sensazione Notte CBS-69114 3465(CBS) 3465(CBS) (1975年 CBS - CBS Sugar) Eri Bella/Sensazione Notte 76年フォニット・チェトラに移籍します。“Visionario no”をセルフ・カヴァーしたシングル盤を出しました。 SP-1614 (1976年4月 Cetra - Fonit Cetra) Visionario No/L'Orizzonte SP-1614 SP-1652 SP-1652 (1977年 Cetra - Fonit Cetra) Io Sono Mia/Mia Dolce Amante 77年フォニット・チェトラから2枚目のシングル“Io Sono Mia”を出ます。これが彼らの最後のレコードとなり、翌78年解散をしました。 彼らは再結成することもなく、再生編集ベスト盤業者のDV.モア、ダック・レコード等が出したCDは見かけません。 ダニエル・センタクルス・アンサンブル3 は次回に続きます
2018.12.16
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★ダニエル・センタクルス・アンサンブル (compl) Daniel Sentacruz Ensemble 1974年にチロ・ダッミコ(Ciro Dammicco)にヴィンチェ・テンペラ(Vince Tempera)が協力して卓越したミュージシャンとヴォーカリストで結成した音楽集団。80年に解散、多くのミュージシャンが関わりました。 活動期間:1974 年–80年;再結成-現在 所属レコード会社: EMI Italiana, Harmony, (再結成後) Pretty Cat's Records サンレモ音楽祭出場2回:1976年8位、77年9位 多くのミュージシャンが関わっているので、サブ項目も設け説明します。 1974年チロ・ダッミッコ(Ciro Dammicco)は多くのプログレ・バンドに関わり、日本で良く知られるイル・ヴォーロ(Il Volo)のキー・ボード奏者、後に著名な編曲者、指揮者、作曲家となるヴィンチェ・テンペラ(Vince Tempera)の協力を得て、ユニークなダニエル・センタクルス・アンサンブルと名付けた音楽集団を結成します。 チロ・ダンミコ、ジャンニ・ミヌーティ・ムッフォリーニとジャンニ・カラブリア3人のミュージシャンが主導して、元フローラル・ファウナ・チェメント(I Flora Fauna Cemento)のマラ・クエッドウと別名リンダ·リー(Linda Lee)と呼ばれる素晴らしい素質を持つロザンナ・バルビエリを女性ヴォーカルに迎え、元ラミンギ(I Raminghi)のアンジェロ・サントーリ、その弟ブルーノ・サントーリ、元ラミンゲッティ(I Raminghetti)と優秀なスタジオ・ミュージシャンを加入させ、9人編成の多所帯で出発しました。 74年結成時メンバー構成 ・チロ・ダッミッコ (Ciro Dammicco) ヴォーカル:元ビゾンティ (I Bisonti)、元ゾーナ・ヴェルディ(Zona Verde) ・マラ・クエッドウ(Mara Cubeddu) 女声ヴォーカル(在籍1979年まで) : 元フローラル・ファウナ・チェメント(I Flora Fauna Cemento) ・ロザンナ・バルビエリ(Rossana Barbieri) 女声ヴォーカル:別名リンダ·リー(Linda Lee) ・ジャンニ・ミヌーティ・ムッフォリーニ(Gianni Minuti Muffolini) ヴォーカル、ギター:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ ・ブルーノ・サントーリ(Bruno Santori) キー・ボード (在籍1976年まで):元ラミンゲッティ(I Raminghetti) ・アンジェロ・サントーリ(Angelo Santori) キー・ボード (在籍1974年まで):元ラミンギ(I Raminghi) ・ステッファノ・ダッミッコ (Stefano Dammicco) キー・ボード:チロの弟 ・ジャンニ・カラブリア(Gianni Calabria) ドラムス:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ ・サヴーノ・グリエコ (Savino Grieco) ベース、ヴォーカル 結成の中心となった3人はビゾンティというビートニック・バンドの出身で、特にドラムスのカラブリアは65年結成からのメンバーと言うこともあり、 まずはビゾンティ(I Bozonti)のお話から始めます。 ビゾンティは元々ブルーノ・カスティーリャ(Bruno Castiglia)と言う歌手のバックを付けるため、所属のシティ・レコードのスタジオ・ミュージシャンが作ったバンドで、ブルーノ・カスティーリャ&デルフィーニ(Bruno Castiglia & i Delfini)でしたが、61年からデリフィーニを使っているバンドがあったためビゾンティ(アメリカ野牛、バイソン)を使い始めました。 D-125 (1963年 Arlecchino - Arlecchino) Ragazzi E Dadi/Piccola Bambina Mia [come di Bruno Castiglia & i Delfini) D-125 D-152 D-152 (1964年 Arlecchino - Arlecchino) Ombretta/Cu-cu-rru-cu-cu Paloma Twist (ク・クル・ク・ク・パロマ・ツィスト) [come di Bruno Castiglia & i Delfini) そして65年正式バンドが結成されます。メンバーはヴォーカルがブルーノ・カスティーリャ、ドラムスがジャンニ・カラブリア、エンニオ・カスティーリャ(Ennio Castiglia)のベースに鍵盤楽器にアンジェロ・ミラーニ(Angelo Milani)、ギターにルイジ・ビアジョーニ(Luigi Biagioni)が加わった5人編成のバンドでしたが、時代により4人編成にもなったようです。 C-6164 (1966年 City - Ariston) Portami Tante Rose (沢山のばらを)/ Lucille (ルシヤ)/Ma Se Ci Penso [Bruno Castiglia E I Bisonti] C-6164 C-6169 (1966年 City - Ariston) La Tua Ombra (Mi Segue) /Lui Non Vuole [I Bisonti Di Bruno Castiglia] C-6169 C-6179 C-6179 (1966年 City - Ariston) Balla, Canta, Ridi /Come On [Bruno Castiglia E I Bisonti] 66年から67年にかけて,ベースはエンニオ・カスティーリャからポール・コッキ(Paul Cocchi)に、ギターのルイジ・ビアジョーニがフルヴィオ・カロッティ(Fulvio Carotti)に、鍵盤楽器にアンジェロ・ミラーニがオルガニストのパオロ・パゾリーニ(Paolo Pasolini)に交代しました。 メンバー変更して出した“Occhi Di Sole”が67年年間ヒット・ランク91位に入るヒットでビゾンティの代表作、ビオンティは唯一の年間100位以内のヒット記録を持つ曲が出来ました。 C-6190 (1967年 City - Ariston) Occhi Di Sole /Crudele [Bruno Castiglia E I Bisonti] C-6190 (1998年 Quei Favolosi Anni '60 – RCS Libri) Occhi Di Sole/Crudele [Bruno Castiglia E I Bisonti] C-6190 C-6190(1998) C-6199 (1968年 City - Ariston) Viso Di Luce/Richiamo D'Amore [Bruno Castiglia E I Bisonti] C-6199 C-6209 C-6209 (1968年 City – Ariston) Grido (Al Mondo)/Io Sto Piangendo [Bruno Castiglia E I Bisonti] 68年ギタリストのフルヴィオ・カロッティが辞め、代わりにジョルジョ・スペランツァ(Giorgio Speranza)が加入してきました。メンバーが次々と変わり4人編成や5人編成の時期もありましたが初めてのアルバム「Bisonti – I Nostri Successi」が発売されました。 彼らは基本的にカヴァーをせず、自作曲を歌うバンドでした。このアルバムに5曲のボーナス・トラックが付いたCDアルバムが94年に出されました。 C-1002 (1968年 City - Ariston) Bisonti – I Nostri Successi BEAT- 10 (1994年 City – Mellow Records) CD Bisonti – I Nostri Successi [* Bonus Track] 1.Occhi Di Sole 2.La Tua Ombra (Mi Segue) 3.Io Sto Piangendo 4.Per Il Mondo Me Ne Vo 5.L'Ultima Nota 6.Ma Se Ci Penso 7.Richiamo D'Amore 8.Crudele 9.Mi E' Rimasto Un Fiore 10.Grido Al Mondo 11.Viso Di Luce 12.Quando Sarai Sola *13.Gaye *14.Un Uomo Solo *15.Lui Non Vuole *16.Occhi Di Mare *17.Bambina C-1002 BEAT- 10 C-6211 (1969年 City - Ariston) Mi E' Rimasto Un Fiore/Per Il Mondo Me Ne Vo [Bruno Castiglia E I Bisonti] C-6211 C-6219 C-6219 (1969年 City - Ariston) Lunga Domenica/La Voce Dell'Anima 69年セカンド・アルバム「I Bisonti」が作られます。90年代に5曲のボーナス・トラックを加えたCDの復刻アルバム「I Bisonti – The Second」が発売されます。 C-1004 (1969年 City - Ariston) I Bisonti CD-5234 (199?年 City - Musicando) CD I Bisonti – The Second 1.Dolce Amico Dei Fiori 2.Donna Che Cos'Hai 3.Strada Bianca 4.Fiori Blu 5.La Voce Dell'Anima 6.Non Vado Lontanissimo 7.Carillon 8.È Dall'inizio Del Mondo 9.A Pagina 26 10.Lunga Domenica *11.Occhi Di Sole *12.La Tua Ombra (Mi Segue) *13.24 Dicembre *14.Lucille (ルシヤ) *15.Portami Tante Rose (沢山のばらを) *16.Per Noi Due *17.Oh Simpatia *18.Crudele C-1004 CD-5234 70年オルガン奏者パオロ・パゾリーニが辞め、交代にキー・ボード奏者としてチロ・ダッミッコが加入しました。70年夏のディスク・フェスティヴァルに“Oh, Simpatia”で出場しましたが本選に進めませんでした。 C-6229 (1970年 City - Ariston) Oh, Simpatia/Per Noi Due C-6229 C-6235 C-6235 (1970年 City - Ariston) Non Vado Lontanissimo/È Dall'Inizio Del Mondo 71年、68年から加入したギタリストのジョルジョ・スペランツァが脱退し、交代要員としてペッポ・ジェッレーラ(Peppo Gellera)が迎えられました。 C-6247 (1971年 City - Ariston) 24 Dicembre/Carillon C-6247 C-6279 C-6279 (1972年 City - Ariston) Dolce Butterfly/Padre, Mai ! 72年ギターとピアノ奏者、ヴォーカルとしてジャンニ・ミヌーティ・ムッフォリーニ(Gianni Minuti Muffolini)が増員され、4名から5名のバンドになりました。 何が起きたか分かりませんが、まもなく結成メンバーでベースとヴォーカルのポール・コッキがバンドを去り、フランスに行ってしまいました。 そしてバンド・リーダーのブルーノ・カスティーリャはソロ歌手活動を始め、残った4人のメンバーは放出された形になります。 C-6282 (1972年 City - Ariston) Gaye/Un uomo solo C-6282 1001・EP 1001・EP (1972年 Edi. Nufa・Ametiste) Disco Refrain Promozione Editoriale [Zona Verde] 1.Giselle 2.Color 3.Pandora 4.Denise 5.Connie 6.Gattina 7.Idea 8.Rachet 9.Bongo 10.Dumping ドラマーのジャンニ・カラブリア、ギタリストのペッポ・ジェッレーラ、ベースとギターのジャンニ・ミヌーティとチロ・ダッミッコはその後、ゾナ・ヴェルディ(Zona Verde)を結成、73年ビゾンティは正式解散しました。 やがてペッポ・ジェッレーラも離れ、3人はヴィンチェ・テンペラと相談をして新たな音楽集団を作る構想を練ります。そうして結成されたのがダニエル・センタクルス・アンサンブルです。 一方解散後のビゾンティのレコードは75年未発売曲“Rimani”がシティーから発売されます。 C-6338 (1975年 City - Ariston) Rimani/Per Sempre C-6338 88年ブルーノ・カスティーリャとジャンニ・カラブリアがビゾンティを再結成し、90年代以降新旧メンバーによりCDを出しています。 DGCD- 173 (1996年 Duck Gold – Duck Records) CD La Carica Dei Bisonti CD-5232 (199?年 City - Musicando) CD I Bisonti – Feedback 1.Occhi Di Sole 2.La Tua Ombra (Mi Segue) 3.Richiamo D'Amore 4.Viso Di Luce 5.Grido A Mondo 6.Ma Se Ci Penso 7.La Voce Dell'Anima 8.Un Uomo Solo 9.E' Dall'inizio Del Mondo 10.Crudele 11.Lui Non Vuole 12.Per Noi Due 13.Bambina 14.Gaye 15.Dolce Butterfly 16.Lunga Domenica 17.Rimani 18.Occhi Di Mare DGCD- 173 CD-5232 CDDV-0164 (1996年 D.V. More – D.V. More Record) CD I Bisonti – Il Meglio 1.Occhi Di Sole 2.Richiamo D'Amore 3.La Tua Ombra (Mi Segue) 4.24 Dicembre 5.Un Uomo Solo 6.Occhi Di Mare 7.La Ragazza In Due 8.Lunga Domenica 9.Mi E' Rimasto Un Fiore 10.Strada Bianca 11.Carillion 12.Sincerita' CDDV-0164 GRCD- 6482 GRCD- 6482 (2006年 Green Records – Duck Record) CD I Bisonti – La Casa Del Sole 1.La Casa Del Sole (The House Of The Rising Sun) (朝日のあたる家 - Animals) 2.Occhi Di Sole 3.Quando Ami Una Donna 4.Gloria (グロ^-リア -Thme) 5.Tu Nella Mia Mente 6.Io Lavoro 7.La Tua Ombra (Mi Segue) 8.All Right Now (オ-ル・ライト・ナウ - Free) 9.Messa Alla Nazione 10.Tu Sei La Mia Donna 11.Gimme Some Lovin (愛しておくれ~ギミー・サム・ラビング) 12.Richiamo D'Amore 13.Ragazzi E Dadi 14.Crudele 15.Dimmi Di Si ダニエル・センタクルス・アンサンブル2 は次回に続きます
2018.12.13
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★グロリアーナ (vf) Gloriana 本名ジョヴァンナ・ルッソ (Giovanna Russo) 1946年(1950年説もある)7月6 日ナポリ生、歌手、女優、テレビ・タレント。 活動期間:1962 – 現在所属レコード会社: Smash, Bella Record, Visco Disc, La Canzonettaサンレモ音楽祭出場2回:1976年参加、83年参加 ジョヴァンナは大家族でした。労働者階級の家庭に生まれ、ナポリを離れることが許されず、子供のころからナポリの歌劇団に入り舞台に出ていました。 ジョヴァンナがプロの歌手としてその存在が分かるのは、1966年第16回ナポリ音楽祭(Festival di Napoli)にヌンツィオ・ガロ(Nunzio Gallo)が歌う“アンモーレ・ミオ(Ammore Mio)”のパートナーとしてグロリアーナの芸名で歌った時からでした。結果は14位入賞新人デビューとしてはまずまずの成績でスタートしています。 レコードはペピーノ・ガリアルディ(Peppino Gagliardi)や若き日のマッシーモ・ラニエリ(Massimo Ranieri)がジャンニ・ロック(Gianni Rock)の芸名でデビューしたゼウス(Zeus)から出ています。ゼウスはイタリアの中では小さなレコード会社ですが地元ナポリでは大手で、多くの民族系会社が世界資本系の会社に吸収されていく中、現在でも録音スタジオを持つ会社として第一線で頑張っています。 こうしてゼウスからレコード・デビューしたのですが、ウィキペディア・イタリア版のディスコグラフィーにはかなりの紹介があるりますが、ディスコグスには殆んど画像データがアップされていません。またウィキに掲載されているアルバムもディスコグスには未だ載せられていず、かなりのデータ不足状態で今回書くことになりました。実際に私の持っているアルバムもウィキにもディスコグスのも未掲載の盤がありました。これはナポリターナ歌手の宿命ですが、データが見つかり次第追加しますので、書く余裕を作るために他の項よりも字数が少なめになると思います。BE- 228 (1968年Zeus - Zeus) Ammore Mio (アンモーレ・ミオ)/Ci Sono Io Che Ti AmoBE- 228 BE- 311BE- 311 (1970年Zeus - Zeus) Il Ballo Del Pon Pon/Ahi! Ahi! Ahi! 69年にレコードの発売はなく、70年に2枚のシングル“Il Ballo Del Pon Pon”と“Guarda Il Sole”が出ています。BE- 312 (1970年Zeus - Zeus) Guarda Il Sole/Che Sarà Di MeBE- 312 BE- 328BE- 328 (1971年Zeus - Zeus) Ammore Mio (アンモーレ・ミオ)/Ci Sono Io Che Ti Amo 71年1枚目は、“アンモーレ・ミオ”のリメイクでした。次に71年ナポリ音楽祭に再度出場し、“Uffà, Nun Me Scuccià”をトリノで59年に結成されたグループ、ブルートス(Brutos)をパートナーに歌いましたが、音楽祭自体がストライキで決勝戦を行えず中止されてしまい、52年から始まった音楽祭に一旦終止符が打たれます。ナポリの歌手達の晴れの舞台が無くなます。BE- 329 (1971年Zeus - Zeus) Uffà, Nun Me Scuccià/'A Fine [Festival della Canzone Napoletana]BC-4001 (1971年Zeus - Zeus) Uffà, Nun Me Scuccià/'A Fine [Festival della Canzone Napoletana]BE- 329 BC-4001 72年に発売した“A Napoli Che C'È”がゼウスで最後のシングル盤となります。BE- 360 (1972年Zeus - Zeus) A Napoli Che C'È/No, Nun ParlàBE- 360 PLP-5076PLP-5076 (1973年 Presence - Presence) 'A Befana E Peppeniello/Nun E' Overo 73年マリオ・トレヴィ(Mario Trevi)も在籍していたプレズンス(Presence)で1枚シングルを出しシングルますが、直ぐにローマのスマッシュ(Smash)へ移籍し、シングル1枚、初めてのアルバム1枚を出しました。SM-6005 (1973年 Smash – CBS Sugar) Lacreme 'E Natale/'A CastagnaraSM-6005 SM-903SM-903 (1973年 Smash – CBS Sugar) Cronaca Nera [収録曲不明] 75年ベッラ・レコードに入社、シングル盤に次いで出したナポリターナの名曲を入れたセカンド・アルバム「'A Sciantosa」で評価されます。BR-176 (1975年 Bella Record – Phonotype) 'A Castagnara/'Na Preghiera NapulitanaBR-176 BRLP-10025BRLP-10025 (1975年3月 Bella Record - Phonotype) 'A Sciantosa - Napoli prima vol. 11.Pulecenella 'E Mò2.Tammurriata Palazzola (黒い落し子).3.'Na Preghiera Napulitana4.'A Sciantosa5.Bammenella D''O Mercato6.Leggittima Difesa7.Rossa Napulitana8.Tammurriata D'Autunno9.'Nu Poco 'E Sentimento10.Prima So' Mamma11.L'Uvaiola12.Cafuncella Sfortunata 翌76年サンレモ音楽祭に” 貧しき者の歌”で出場しますが、内容も内容なので入賞出来ませんでした。BR-178 (1976年2月 Bella Record - Phonotype) La Canzone Dei Poveri (貧しき者の歌)/ Una Rosa Per LudwigBR-178 BRLP-10034BRLP-10034 (1976年 Bella Record – Phonotype) Napoli Prima Vol. 2 [収録曲不明] サンレモ出場を受けて3rdアルバム「Napoli Prima Vol. 2」が作られます。次に出したシングルはピノとのナレーション中心の曲で彼女は初めての試みでした。BR-187 (1977年 Bella Record – Phonotype) Sexy Familiare [Gloriana & Pino Maris]/Gianna E AnnamariaBR-187 ZSLP-55865ZSLP-55865 (1977年 Bella Record – RCA Italiana) Amore E Dramma [収録曲不明] 同年RCAイタリアーナが全国販売する4thアルバム「Amore E Dramma」はシングル盤“Sexy Familiare”のようなドラマ仕立ての内容と想像しています。 78年シングル盤“アンモーレ・ミオ”が出ました。私はデビュー曲のリメイクと思っています。BR-188 (1978年 Bella Record - Phonotype) Amore mio (アンモーレ・ミオ)/RicordoBR-188 BE-0089 BE-0089 (1979年Zeus - Zeus) ...Ieri E Oggi Diario1.Diario2.M'È Scappato3.Canzone 'Mbriaca4.Serenata 'E 'Na Femmena 5.Anema Lesa6.Pecché Nun Me Vuo' Bbene ?7.Napule Se Ribella8.Tarantella Scugnizza9.L'Urdema Tarantella10.'E Ppentite (懺悔)11.Pupatella (少女)12.Tu Si Pe Mme L'Ammore ベッラが営業不振で80年閉鎖されますが、グロリアーナは前年79年に古巣のゼウスに戻り5thアルバム「...Ieri E Oggi Diario」を出します。タイトルから想像するとナポリターナの名曲と新曲を入れた盤でしょう。 80年6thアルバム「Sempre L'Amore...」を発売しました。BE-0099 (1980年Zeus - Zeus) Sempre L'Amore...1.Qualcuno Me Vo' Bbene2.L'Ultima Recita3.'O Cuccudrillo4.'A Voce D''O Telefono5.Ll' Ammore D''A Sirena6.Senza L'Ammore7.Si Aggia Perdere a Tte...8.'O Primmo Peccato9.Ribellione10.Nun Fenesce Accussì11.Stessa Stanza12.'O Strip TeaseBE-0099 BE-5059BE-5059 (1981年Zeus - Zeus) Napolisì/Posso Offrirti Un Caffè 81年シングル盤“Napolisì”を出します。70年代後半から演劇にも関わり、歌手で俳優のマリオ・メローラ(Mario Merola)の劇団にも入っています。 82年映画「I figli... so' pezzi 'e core」と「Giuramento」に2本出演し、7thアルバム「Ragazzo Mio」を作りました。BE-108 (1982:年 Zeus Record) Ragazzo Mio1.Ti Bacero'2.Ragazzo Mio3. 'A Mugliera 'E Sarachiello4.Quabbi Stiogno Nzieme A Tte5....E Maledetto Si6.Ti Ritiri Tu Ti To'7.Gennaro8.Te Voglio9.Napolisi'10.Ammore Mio (アンモーレ・ミオ)11.Nun Me Vasa'12. 'Nzogna 'NzoBE-108 NP・SH-901 NP・SH-901 (1983年2月 Shoking - Durium) Il Mio Treno [Festival di Sanremo]/Lontano 83年ロリータ(Lolita)も一時在籍したショッキングに移籍し、2度目のサンレモ音楽祭に“Il Mio Treno”で出場しましたが入賞出来ませんでした。ショッキングには3枚のシングルとニーノ・ダンジェロの曲を歌った8thアルバム「Gloriana Canta Nino D'Angelo」を残しました。NP・SH-906 (1983年 Shoking - Durium) Io Canto E Tu/ Tutt'E 'NnotteNP・SH-906 LP・IM- 78LP・IM- 783 (1983年 Vis Radio - Durium) Gloriana Canta Nino D'Angelo1.Tutt' 'E 'Nnotte2.Io Canto E Tu3.Piense Pe Te4.'Nsieme A Me5.Amante D'O Male 6.E Stamme Cca'7.Voglia E T'Ave'8.Pino9.Filia Dell 'Amore10.Me So' Scurdata E TeNP・SH-907 (1983年 Shoking - Durium) Senza 'E Te/Aria Di FestaNP・SH-907 VS-70072VS-70072 (1984年 Vis Radio - Durium) Momenti1.Senza 'E Te2.Per Un Cafe'3.Notte D'Estate4.Eh... Oh...5.Toccami6.E Guerra Sia7.Capricciosa Ragazzina8.Finalmente L'Estate9.Nun Me Tucca' Chiara Mia 80年代半ば以降はナポリ系の会社ヴィス・ラディオ、インテルフォニア、ヴィスコを行ったり来たりしながらアルバムを中心に出していきます。資料が少ないので全てをカヴァーしているか分かりません。ITF-4544 (1984年 Interfonia - Interfonia) Pelle/CanzoneITF-4544 VS-70716VS-70716 (1986:年 Visco Disc - ) Adesso Le Canto Io [収録曲不明]VD-35506 (1986年 Vis Radio -) Gloriana Io... Sensazioni [収録曲不明] VD-35506 VD-35517 (1987年 Vis Radio -) Dedicate A Chi Ama1.Nun Fa Niente2.Furore3.Una Sera Con Te4.Vedimmencenne Bbene5.Napule6.Forcella Street7.Io 'Mbraccio A Tte8.Un'Altra Donna9.Dimenticarti10.Cucussette'VD-35517 VS-70158VS-70158 (1988年 Visco Disc) Quanno Sponta La Luna A Marechiaro [収録曲不明]VS-70191 (1988年 Visco Disc) Mia Bella Napoli [収録曲不明]VS-70191 LP-70140LP-70140 (1989年 Vis Radio - C.F.A.) Gloriana Napoli Prima E Dopo1.Voce 'E Notte (夜の声)2.Tiempe Belle (あの頃はよかった)3.'O Marenariello (舟人の歌)4.Tarantelluccia (タランテルッチャ)5.'A Canzona 'E Napule6.Carruzzella7.'N'Attimo Sultanto8.Napoli... Terra Mia9.Risentimento10.Stasera Si Ttu11....E ......“E Stelle E Napule” 90年代以降、主にフォノタイプからナポリターナの名曲を集めたCD、彼女の持ち歌をセルフカヴァーしたCDを出し、21世紀になってからはRAIのTVショウ番組「Napoli - Prima E Dopo」を歌手プーポ(Pupo)ことエンツォ・ギナッツィ(Enzo Ghinazzi)と構成、進行を務め意気軒昂なところを見せていました。PH-0043 (1994年 Phonotype - Phonotype Record) CD Il Meglio Di Gloriana - 'A Sciantosa [8032790785609]1.Tammurriata D'Autunno2.'Nu Poco 'E Sentimento3.Clementina Santafe'4.Tammurriata Americana5.'A Sciantosa6.Canta Pe' Me7.Tammurriata Palazzola (黒い落し子)8.Preferisco Il '9009.O' Viulino10. Bammenella D' 'O Mercato11.'O 'Nnammurato Mio12.'Na Preghiera Napulitana13. Cafuncella Sfortunata14.Pulecenella 'E MòPH-0043 FDM-91295FDM-91295 (1995年 La Canzonetta Record - ) Dedicato A Rosalia Maggio1.Carcioffolà 2.'A Vita Mia (私の生命)3.Sciummo (河)4.'A Francesa 5.Napoletana6.Chiove (雨が降る)7.'A Sunnambula (夢遊病の女)8.L'Addio 9.Mandulinata A Napule (ナポリのマンドリン)10.Dicitencello Vuie (君に告げて)11.'A GuardaportaPH-0527 (2015年 Phonotype Record) Gloriana I Successi1.La Canzone Dei Poveri (貧しき者の歌) 2.L'Uvaiola3.Alleramente4.'Na Vranca 'E Rena5.Rossa Napulitana6.'A Cundanna7.Se Chiamma Gelusia8.Angiulillo 'E Mamma9. 'O Cunto D' 'A Vecchia10.Leggittima Difesa11.'A Pistolera12.Carezze 'E Nu Mumento13.Peripatetica14.'Na Storia D'Ammore15.Tu Parte16.Portacapuana17.Zingara 'Nnammurata18.Una Rosa Per Ludwig PH-0527グロリアーナの国内盤はりません、以上です。
2018.12.10
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★レアーノ・モレッリ (vm) Leano Morelli 本名イレアーノ・モレッリ (Ileano Morelli) 1950年10月1日ボローニャの西南西30km、山中にある小さな町ヴィッラ・ミノッツォ(Villa Minozzo) 生、自作自演歌手、作詞作曲家。 活動期間:1976 – 現在所属レコード会社: Philips, SIF, Fonit Cetra, Pull, DV More Record, Duck Record , It-Why , Halidon ,WRN Musicサンレモ音楽祭出場4回:1976年参加、77年入賞、80年17位、81年入賞 イレアーノはエミリア=ロマーニャ州レッジョ・エミリア県の山間にある小さな町ヴィッラ・ミノッツォに生まれ、トスコ・エミリアーノ山岳国立公園の山々に囲まれた環境で幼少期を過ごしました。 7才の時両親とミラノに引越し、ミラノの音楽業界と直に接しながら育ちました。彼は高校を終え、大学に進学し大学院政治学科を卒業しています。 イレアーノはギターを使って一人で作詞、作曲をして初めてのカンツォーネを自作しました。彼の初めての習作は2012年ハリドン(Halidon)から発売されたアルバム「Percorsi」に“E Intanto Tu Non Torni”として収録されるまで、未発表曲として公表されることはありませんでした。 彼の性格は内気で内向的だったため、フォノグラムのオーディションを受けるのに数ヶ月躊躇していました。彼の自作曲をギターのバックに歌ったことは好評を得てフィリップスと契約することが出来ました。 レコード会社は彼に自信を持たせるため芸名をレアーノ・モレッリとし、デビュー曲は自作曲“自由に生まれる”を1976年サンレモ音楽祭で歌わすことにしました。 サンレモでは初めての試みのグループ分け予選で、その中から決勝進出歌手を選ぶ方法がとられましたが、彼の地味な曲は予選敗退しました。しかし彼にとってはサンレモ音楽祭に出場したことは大きな成果でした。6025-149 (1976年 Philips – Phonogram) Nata Libera (自由に生まれる)/La Voglia Di Te 6025-149 2枚目のシングルは“Un Amore Diverso”もモレッリの世界を貫きます。ピクチャー・スリーブは2種類あります。この曲は同性愛を示唆しているとも見られますが、彼の場合は古典的な二人の女性へ異なる愛と受止められています。6025-158 (1976年 Philips – Phonogram) Un Amore Diverso/A Meno Che... 6025-158 翌77年のサンレモ音楽祭にも出場しました。サンレモ音楽祭は規模が縮小され、12曲の出場で6曲が最終日に進み、モレッリもその中に入り“Io Ti Porterei”は入賞し、批評家賞を得ました。“Io Ti Porterei”は何故か邦題がついていません。6025-165 (1977年 Philips – Phonogram) Io Ti Porterei/ C'Eri Anche Tu6025-165 6323-047・A6323-047・A (1977年 Philips – Phonogram) Nata libera1.Avanti!2.Un Amore Diverso3.Io Ti Porterei4.Non Lasciarmi Senza Te5.Autostrada6.Nata Libera (自由に生まれる)7.C'Eri Anche Tu8.La Voglia Di Te9.A Meno Che10.La Nave 77年2度のサンレモ音楽祭出場曲を中心としたファースト・アルバムが発売され、イタリア全国ツアーを行いました。 78年初めてフェスティヴァルバール(Festivalbar)に“Se Un Giorno Non Mi Amassi Più”で出場し、年間ヒット・ランク76位に入ります。6025-182 (1978年 Philips – Phonogram) Se Un Giorno Non Mi Amassi Più/A Poco A Poco, Ma...6025-182 6323-061 6323-061 (1978年 Philips – Phonogram) Leano Morelli1.Se Un Giorno Non Mi Amassi Più 2.Capire3.Non Bisogna Esser Poeti4.Mulino Ad Acqua5.La Luna Tra Gli Alberi6.Cantare, Gridare... Sentirsi Tutti Uguali7.A Poco A Poco, Ma...8.Bob9.Una Lettera D'Oro10.Non Fare Il Divo このヒットで彼のセカンド・アルバム「Leano Morelli」が作られ、その中の“Cantare, Gridare... Sentirsi Tutti Uguali”はシングル・カットされ、こちらも同年年間ヒット・ランク85位になり、レコードセールス的にはモレッリ最高の年となりました。6025-204 (1978年 Philips – Phonogram) Cantare, Gridare... Sentirsi Tutti Uguali/Se Un Giorno Non Mi Amassi Più 6025-204 79年に彼はサード・アルバム「Roma Londra Milano」を出しました。タイトルとなった都市は彼がミラノを中心にそれぞれの都市でレコーディングしたことに因んだものでした。6323-082 1979年 Philips – Phonogram) Roma Londra Milano1.C'È Mancato Poco2.Fantasma3.Ci Scommetto Quel Che Vuoi4.Everest5.La Guerra Dei Sessi6.La Donna Migliore7.Non Dico Di No8.Non Stancarti Mai9.Non T'Incazzare10.Il Mio Paese11.Figuriamoci Se...6323-082 6025-233 6025-233 (1979年 Philips – Phonogram) C'È Mancato Poco/La Guerra Dei Sessi サード・アルバムの主要曲“C'È Mancato Poco”でフェスティヴァルバールに79年も出場しましたが、前年のように上手くは行きませんでした。 3度目のサンレモ音楽祭に“歌姫さま”で出場しました。20曲の入賞に入ったものの順位は18位と大失敗でフィリップスとの関係が悪化し、これを機にモレッリは(フォノグラムから社名を変更した)ポリグラムを退社しました。 6025-247 (1980年 Philips – PolyGram) Musica Regina (歌姫さま)/Tu Sì, Tu No...Io Ma! 6025-247 フランスのバークレイがイタリアで設立したレコード会社SIFに移籍しました。81年サンレモ音楽祭に4度目の挑戦をし、“Angela”が順位なし入賞になりモレッリは少し自信を取り戻します。彼のサンレモ音楽祭出場はこれが最後になりました。SIFでもう1枚シングル盤” Portami Al Sole “を出し、契約を完了しています。SIF・NP-10001 (1981年SIF – Dischi Ricordi) Angela/PulmannSIF・NP-10001 SIF・NP-10006SIF・NP-10006 (1981年SIF – Dischi Ricordi) Portami Al Sole/Vera 1年以上の沈黙期間の後、フォニット・チェトラからアレッサンドロ・コロンビーニ(Alessandro Colombini)プロデュースのフォース・アルバム「Dovevi Amarmi Così」を出しました。“Ibrahim”はシリアのアサド独裁政権、“Piccola Stufina Di Mosca”は共産党体制下のソ連崩壊など政治的問題を扱った曲も含んでいました。LPX- 127 (1984年 Fonit Cetra – Fonit Cetra) Leano Morelli – Dovevi Amarmi Così1.Ma Cos'È Successo2.Una Vela3.Ibrahim4.Quando Finirà5.Le Giostre6.Dovevi Amarmi Così7.Piccola Stufina Di Mosca8.Una Faccia Sul Triste9.Domani10.Piccole Isole LPX- 127 レアーノ・モレッリはレコード・デビューから商業的成功もした歌手の時代に区切りをつけ、沈黙の10年の時代に入りました。 10年後94年に内気なカンタウトゥーリから翳りのある渋さを増した大人のロックも歌える歌手となって、ジャンニ・メッチア(Gianni Meccia)の会社プル(Pull)からCDアルバム「Sfumature」でリバイバルしました。過去のヒット曲5曲と新曲6曲の11曲のアルバムでした。PCD-20059 (1994年 Pull – Fuego Distribution) CD Sfumature [8014766552415]PCD-2071 (1997年 Pull – Fuego Distribution) CD Leano Morelli – Cantare Gridare1.Sfumature2.Se Un Giorno Non Mi Amassi Più3.Bionda Americano4.Ancora Una Volta5.Lei E Roma6.Cantare Gridare7.Nata Libera (自由に生まれる)8.Un Amore Che Cos'E'9.Io Ti Porterei10.Un Amore Diverso11.MontagnePCD-20059 PCD-2071 続いて95年DVモアからもアンソロジー・アルバム「Il Meglio Leano Morelli」を新録音で発売しました。 CDDV-5881 (1995年 DV More Record – Diaco Piu’) CD Nata Libera - Il Meglio Leano Morelli [8014406588163]1.Nata Libera (自由に生まれる)2.Un Amore Diverso3.Se Un Giorno Non Mi Amassi Più4.Io Ti Porterei5.Cantare, Gridare, Sentirsi Tutti Uguali6.Capire7.Lei E Roma8.Bob9.La Luna Tra Gli Alberi10.Mulino Ad Acqua11.Le Giostre12.Piccole Isole13.Ci Scommetto Quel Che Vuoi14.Una Vela CDDV-5881 97年新企画で60年代からのバンド、ノマーディ(I Nomadi)と彼らのバック・ボーンでもある自作自演歌手フランチェスコ・グッチーニ(Francesco Guccini)の曲をカヴァーしたアルバム「Leano Morelli – Canta I Successi Dei Nomadi & Guccini」を発売しました。CDDV-6157 (1997年 DV More Record) CD Leano Morelli – Canta I Successi Dei Nomadi & Guccini [8 014406 615760]CDDV-4152 (2013年 DV More Record) CD Leano Morelli - I Successi Dei Nomadi E Guccini [8 014406 4152 61]1.Io Vagabondo (ぼくはバガボンド)2.Dio È Morto (神は死んだ)3.Un Pugno Di Sabbia (砂の一握り)4.Come Potete Giudicar (The Revolution Kind) (なんで批判する)5.Tutto A Posto (場所を求めて)6.Auschwitz (La Canzone Del Bambino Nel Vento)7.Il Vecchio E Il Bambino8.Noi Non Ci Saremo (俺らじゃない)9.L'Avvelenata 10.La Locomotiva11.Nè Gioia Nè Dolore12.Un Giorno Insieme (一緒のある日)13.Lettera14.Canzone Per Una AmicaCDDV-6157 CDDV-4152 同企画で98年には孤高のカンタウトゥーリ、ファブリツィオ・デ・アンドレ(Fabrizio De André)の曲をカヴァーしたアルバムも出します。CDDV-6265 (1998年 DV More Record) CD Leano Morelli – Canta I Successi di Fabrizio De André [8 014406 6265 68]CDDV-6265 (2013年 DV More Record) CD Leano Morelli Canta Fabrizio De Andre` [8 014406 6265 68] 1.Andrea (アンドレア)2.Il Pescatore (漁師)3.La Canzone DI Marinella (マリネッラの歌)4.Il Testamento5.Bocca DI Rosa (バラの唇)6.Via Del Campo7.La Guerra DI Piero (ピエロの戦い)8.Don Raffae' (ドン・ラファエ)9.La Canzone Dell'Amore Perduto10.Amico Fragile (去りゆく友)11.Il Suonatore Jones12.Carlo Martello13.La Cattiva Strada14.Geordie15.Volta La Carta (隠された謎)16.Un Giudice (判事) CDDV-6265 DVモアと同業のダックからもアンソロジーを2003年出しています。彼はミラノに住み、催し物やライヴに参加しています。PLCD-053 (2003年 Duck Record - Duck Record) CD Leano Morelli – Nata LiberaBMCD・D-5304 (2005年 Duck Record - Magni Dischi) CD Leano Morelli [8 012958 263040]GRCD-6404 (2006年Green Records – Duck Record) Leano Morelli – Nata Libera [8 012958 854040]1.Nata Libera (自由に生まれる)2.Cantare, Gridare...Sentirsi Tutti Uguali3.Un Amore Diverso4.Io Ti Porterei5.Ma Il Cielo È Sempre Più Blu6.Se Un Giorno Non Mi Amassi Più7.Lugano Addio8.La Voglia Di Te9. Il Gigante E La Bambina10.Bob11.C'È Mancato Poco12.Le Giostre13.Saint Creek14.Lo Straniero15.Eri Una Favola PLCD-053 BMCD・D-5304 GRCD-6404 2011年にはイット・ホワイからも同様なアンソロジーが出します。 IT・CD-320 (2011年6月 It-Why - It-Why Distribution) CD Leano Morelli - The Best [8026208105325]1.Cantare Gridare2.Nata Libera (自由に生まれる)3.Se Un Giorno Non Mi Amassi Più4.Un Amore Diverso5.Io Ti Porterei6.Bob7.Ci Scommetto Quel Che Vuoi8.Capire9.Le Giostre10.La Luna Tra Gli Alberi11.Una Vela12.MontagneIT・CD-320 H-6737H-6737 (2012年3月 Halidon) Percorsi [8030615067374]1.Percorsi2.E Intanto Tu Non Torni3.Il Capobranco4.Raccontiamoci5.Miao Miao6.Guitar In The Night7.Per Non Perderti8.Non Chiedermi Di Più9.Pezzi10.Un Giorno Da Ricordare 12年作家で詩人のイカロ・ラヴァージ(Icaro Ravasi)とコラボし新アルバム「Percorsi」を制作しました。レアーノ・モレッリの国内盤はりません、以上です。
2018.12.07
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★アルモニュウム (compl) Armonium 1973年エンツォ・スタヴォーロによって結成されたバンド、メンバー交代を繰返し現在も活動を続けるグループ。 活動期間:1973 – 現在 所属レコード会社:EMI Italiana, Baby Records, Golden Sound, DV More Record, Azzurra Music, Rockestra サンレモ音楽祭出場1回:1976年参加、80年参加 1973年エンツォ・スタヴォーロが中心となりスタジオ・ミュージシャンやスタッフ4人編成のハンドを結成しました。バンド名は鍵盤楽器のリード・オルガンのアルモニュウムから取っているようです。 アルモニュウムの設立メンバー(太字は76年、下線は80年サンレモ音楽祭出場) ・エンツォ・スタヴォーロ (Enzo Stavolo) (1976) ヴォーカル、ギター。本名ヴィンチェンツォ・スタヴォーロ(Vincenzo Stavolo)1947年ローマ生。 ・フランコ・ズリアン(Franco Zulian) キーボード。1949年ローマ生。 ・ピエロ・マルトーリオ (Piero Martoglio) ヴォーカル、ドラムス。1944年ローマ生。 ・クラウディオ・スコッティ・ガッレッタ (Claudio Scotti Galletta) ベース。1946年ナポリ生。 レコード・デビューするまで自分達で作った曲を地元の催し物で歌っていました。75年EMIイタリアーナと契約出来、デビューしました。フランコ・ズリアンのキーボードを利かせた情緒的な曲でした。 3C・006-18097 (1975年 Parlophone - EMI Italiana) Primo Amore/Pascoli Del Cielo 3C・006-18097 3C・006-18147 3C・006-18147 (1976年 EMI - EMI Italiana) Stella Cadente (落ちた星)/Lady Ann 2作目で76年サンレモ音楽祭に“落ちた星”で出場しましたが、これという特徴もなく70年代中頃では注目も浴びませんでした。 3枚目は方向転換しドゥーギー(Doogy degli Armonium)名義で口笛とギターを前面に出したインスト曲“Wanted”で、B面の“Mascaleros”も演奏のみでこのマカロニ・ウェスタンのテーマ曲でした。EMIイタリア時代のアルモニュウムでは成功した曲です。 3C・006-18158 (1976年 EMI - EMI Italiana) Wanted/Mascaleros [Lato A pubblicato come Doogy degli Armonium] 3C・006-18158 3C・006-18224 3C・006-18224 (1976年 EMI - EMI Italiana) Emanuelle In America (エマニエル・イン・アメリカ)/Naked Emanuelle [Lato A Armonium/ Lato B Nico Fidenco) 4作目は本当に映画音楽となります。イタリア製「エマニエル」映画の「エマニエル・イン・アメリカ」のテーマを演奏します。B面は映画音楽も担当しているニコ・フィデンコ(Nico Fidenco)がオーケストレーションした“Naked Emanuelle”です。サントラ・アルバムはビート(Beat Records)から出ています。 77年“Wanted”の成功で気を良くしたのかドゥーギー名義で“Bounty Killer”を出します。もう完全にマカロニ・ウェスタンの世界でした。 これでリーダーでもあったエンツォ・スタヴォーロが『こういう事ではなかった』と思ったかどうかは知りませんがソロ歌手として独立し、バンドはヴォーカルとギター担当のジャン・カルロ・トロイアーニ (Gian Carlo Troiani)を迎え入れ、EMIイタリアーナから当時飛ぶ鳥も落とすの勢いだったベビー・レコーズに移籍しました。 3C・006-18286 (1977年 EMI - EMI Italiana) Bounty Killer/Texana [come Doogy degli Armonium] 3C・006-18286 BR-090 BR-090 (1979年 Baby Records – CGD Messaggerie Musical) Bambina Mia/Come Un Anno Fa ベビーに移籍したアルモニュウムは79年“Bambina Mia”を出しました。この曲が一番成功し、彼らの代表作になります。以前からかなりセンス・アップしたバンドとなり、ヴォーカル曲に戻りました。 80年のサンレモ音楽祭に“Ti Desidero”で出場しましたが、またもや入賞出来ませんでした。佳作なのですが、何かもう一つ足り無い物がある様です。 80年サンレモ音楽祭出場メンバー(下線は80年サンレモ音楽祭出場) ・ジャン・カルロ・トロイアーニ (Gian Carlo Troiani) ヴォーカル、ギター ・フランコ・ズリアン(Franco Zulian) キーボード ・ピエロ・マルトーリオ (Piero Martoglio) ヴォーカル、ドラムス ・クラウディオ・スコッティ・ガッレッタ (Claudio Scotti Galletta) ベース BR-50210 (1980年 Baby Records – CGD Messaggerie Musical) Ti Desidero/E Penso A Lei BR-50210 BR-50242 BR-50242 (1981年 Baby Records – CGD Messaggerie Musical) Tu Di Più/Se Ne Va 81年ベビー・レコーズ最後のシングル盤“Tu Di Più”を出しました。バンドとして進化が見て取れます。ベビーに所属している間にプーポ(Pupo)のコンサート・ツアーにも参加し、彼ら自身も84年まで世界ツアーも含むライヴ・コンサートを続けています。 83年にサッカー・チームASローマ(Associazione Sportiva Roma)のサポーター・ソングを新興ゴールデン・サウンド(Golden Sound)で吹込んだのが契機となり、86年ゴールデン・サウンドに移籍し、サポーター・ソングのアルバムとアルモニュウムのファースト・アルバム「Made in Italy」を発売しました。 GNP-001 (1983年 Golden Sound – Best Record) Roma Ultràs/Roma Ultràs (versione strumentale) GNP-001 GSCD-035 GSCD-035 (1986年 Golden Sound – Discoteca Internazionale) CD Roma Padrona –ARMONIUM [6179000000359] 1.Roma Padrona 2.Roma (Non Si Discute Mai) Errore di stampa su CD! Roma (Non Si Discute Si Ama) 3.Grazie Roma (ありがとうローマ) 4.Semo Tifosi Della Roma 5.Mamma Roma 6.Roma Ultrà 7.Vai Roma Vai 8.Semo Quelli Della Roma 9.Lo Stadio E' Come Un Fuoco 10.Roma Senza Pietà 11.Roma Olè 12.Vinci Roma 13.Settimana Romanista 14.Tifo E Amore 15.Amore Giallorosso LGS-1004 (1986年 Golden Sound – Best Record) Made in Italy 1.Serenata 2.Il Sole Caldo Del Sud 3.Made In Italy 4.Ricordati Di Me 5.Tu Quando Tornerai 6.Bambina Mia 7.E Tutti Canteremo 8.Il Treno Che Va 9.Baby 10.Ave Maria LGS-1004 結成メンバー3人とジャン・カルロ・トロイアーニのアルモニュウムはこれで終わります。88年ジャン・カルロ・トロイアーニがバンドを引継ぎ、新生アルモニュウムがスタートしました。 新生アルモニュウム(88年)の構成メンバー ・ジャン・カルロ・トロイアーニ (Gian Carlo Troiani) ヴォーカル、ギター ・マリオ・フォリーノ (Mario Folino) ヴォーカル、ベース ・アドリアーノ・パガーニ (Adriano Pagani): ヴォーカル、キーボード ・ブルーノ・フォリノ (Bruno Folino) ドラムス 10年以上活動しましたが、特にこのメンバーでのレコード製作はされていないようです。 99年第3期アルモニュウムが結成されます。今度は結成メンバーのドラムス、ピエロ・マルトーリオがバンドを継ぎました。 第3期アルモニュウム(99年)の構成メンバー ・ピエロ・マルトーリオ (Piero Martoglio) ヴォーカル、ドラムス、パーカッション ・マリーナ・アルフォンシ・マリー (Marina Alfonsi Mary) 女声ヴォーカル・ソリスト ・ステファーノ・ジナ (Stefano Zina) ヴォーカル、キーボード、ギター 今度のバンドは女声を加えたトリオで、後にアルモニュウムのCDとして残るアルバム「Il meglio degli Armonium」を発売しました。 CDDV-6335 (1999年DV More Record) Il meglio degli Armonium (reincisioni dei vecchi successi) [8014406633566] 1.Serenata Per Te 2.Wanted 3.Ti Desidero 4.Lei Non Ti Vuole Più 5.Bambina Mia 6. Ave Maria 7.E Penso A Lei 8.Il Tuo Viso 9.Roma Padrona 10.Come Un Anno Fa 11.Tu Di Più 12.Se Ne Va 13.Cento Fiabe Per Sognare 14.Perché Me Fai Così CDDV-6335 2004年全くメンバーが一新された第4期が始まります。 第4期アルモニュウム(2004年)の構成メンバー ・ジュゼッペ・ラッザーリ (Giuseppe Lazzari) ヴォーカル、ドラムス ・ステファーノ・ミケラッツィ (Stefano Michelazzi) 〃、ギター ・フルヴィオ・コントラスト (Fulvio Contrasto) 〃、キーボード ・ロベルト・ラッザーリ (Roberto Lazzari) 〃、ベース その後の交代は次の通り 05年~カルロ・ナポリ (Carlo Napoli) ヴォーカル、キーボード これ以降はヴォーカル、ギターのみ交代 06~10年エンツォ・フェルラッツォ (Enzo Ferlazzo) 11~12年コジモ・パストレッロ (Cosimo Pastorello) 12~13年マルコ・ザッカニーニ (Marco Zaccagnini) 15年アントニオ・プッドゥ (Antonio Puddu) 15年アレッシオ・ロマーニ (Alessio Romani) 16年以降はギターなしのトリオ・バンドになります。 IMM-001 (2005年 Assocoazone Cultuare Il Mio Mondo) CD Davanti all'orizzonte - Omaggio a Umberto Bindi 1.Davanti All'Orizzonte 2.L'Impossibile Idea 3.La Musica è Ffinita (音楽は終ったのに) 4.Il Mio Mondo (私の世界) 5.Arrivederci (アリヴェデルチ/17才よさようなら) 6.Il Nostro Concerto (ノートル・コンチェルト) 7.Umberto's Themes 8.Inseguendo Il Domani IMM-001 IMM-002 IMM-002 (2006年 Assocoazone Cultuare Il Mio Mondo) CD Opera 1.Se Tu Vuoi... Se Lo Vuoi 2.La Metà Del Cielo 3.Una Storia Moderna 4.Bambina Mia 5.Infinito Amore 6.Una Notte D'Estate 7.Una Nuova Vita 8.Stefania's Theme IMM-003 (2007年 Assocoazone Cultuare Il Mio Mondo) CD Oro Blu 1.Più Forte 2.Be Happy 3.Oro blu 4.Temporale In Città 5.Come Delfini Innamorati 6.La Sirena E Il Pescatore 7.Anna's Theme 8.2 Cuori ... 1 Tempesta IMM-003 TBP-11470 TBP-11470 (2009年 Azzurra Music –) CD Italian Stars Collection Armonium – Bambina Mia [8028980335822] 1.Tu Di Più 2.Più Forte 3.Oro Blu .4.Stella Cadente (落ちた星) 5.Stefania's Theme 6.Bambina Mia 7.La Metà Del Cielo 8.Be Happy 9.Wanted 10.Ti Desidero 11.Anna's Theme 12.Una Storia Moderna 13.Temporale In Citta' 14.Se Tu Vuoi ... Se Lo Vuoi 15.Se Ne Va' 不明 (2013年 Rockestra - Rockestral) Siamo Ancora Qui - 40 Anni Di Musica Insieme 1.Siamo Ancora Qui 2.Io Non Piango feat. マウリツィオ・マッティオリ(Maurizio Mattioli) 3.Perchè Di Noi feat. フランコ・オッピーニ(Franco Oppini) & ラウラ・マッツォン(Laura Mazzon) 4.Il Mio Canto Libero (自由の歌) feat. マティルデ・ブランディ (Matilde Brandi) 5.Ci Vuole Un Mago feat. ジューカス・カゼッラ (Giucas Casella) 6.Move La Pappa feat. シルヴィーノ・ザバ (Savino Zaba) 7.Che Sarà (ケ・サラ) feat. マウリツィオ・マッティオリ 8.Credi Sempre In Te 9.Intro 10.Inseguendo Il Domani 11.Tu Di Più 12.Stella Cadente (落ちた星) 13.Bambina Mia 14.Ti Desidero 15.Più Forte 16.Se Ne Va 17.Ci Vuole Un Mago (Hidden track) feat. ジューカス・カゼッラ アルモニュウムの国内盤 WWCP-7230 (1994年7月25日 SEVEN SEAS – ウェイヴ(制作キング)) CD フエマニエル・イン・アメリカ/映画「エマニエル・イン・アメリカ」 (EMANUELLE IN AMERICA) 14.エマニエル・イン・アメリカ (EMANUELLE IN AMERICA) WWCP-7230 アルモニュウムは以上です。
2018.12.04
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★アルバトロス(compl) Albatros 1974年トト・クトゥーニョによって結成されたバンド、78年に解散。 活動期間:1974-1978 所属レコード会社:Interrecord、Carosello サンレモ音楽祭出場2回:1976年第3位、77年参加 順番としてアルバトロスを結成したリーダーのトト・クトゥーニョ(Toto Cutugno)の事から話を始めますが、ソロ歌手として独立後、1980年と2005年サンレモ音楽祭に優勝、アルバトロス時代を含めれば16回出場し、92年ユーロヴィジョン・ソング・コンテストでも優勝したイタリアを代表する歌手となります。 ソロ歌手としては80年サンレモ音楽祭出場後に話をすることとし、アルバトロスのリーダーとしてサンレモ音楽祭に出場するまでにいたしましょう。 ★トト・クトゥーニョ (vm) Toto Cutugno 本名サルヴァトーレ・クトゥーニョ (Salvatore Cutugno)1943年7月7日ジェノヴァとボローニャの中間にある山中の寒村テンドラ(Tendola) 生、自作自演歌手、バンド・リーダー、作曲家、作詞家、テレビ司会者。 と紹介しておきましょう。 サルヴァトーレの父オルガ(Olga Cutugno)はシチリア出身の海軍下士官、母もシチリア出身の専業主婦の子として生まれ、姉ロザンナ、弟ロベルトの3人兄弟でした。 彼が生まれて数ヶ月後、父の仕事でジェノヴァとピサの中間の海軍の軍港がある都市ラ・スペツィア(La Spezia)に引越しました。父はトランペッターで、サルヴァトーレ(愛称はトト)は13才の時コンクールで3位になった直後、アコーディオンからドラムスに転向し、この町で9年間ドラマーをしていました。 60年代に入り彼は友達とトト&ロッカーズ(Toto & i Rockers)というバンドを作りました。クレム・サッコ(Clem Sacco)やリッキー・ジャンコ(Ricky Gianco)など伝説のロック・ン・ローラーの一人、ギゴ(Ghigo Agosti)のバンド、ギゴ&ゴギ(Ghigo e i goghi)のドラマーを1年間務め、プロの道を歩み始めました。 65年自分のバンド、トト&タティ(Toto e i Tati)を結成し、マイナー・レーベルながらアンナリタ・スピナーチ(Annarita Spinaci)をサンレモ音楽祭に出場させたインター・レコードと契約することが出来、レコード・デビューを果たします。 トト&タティの構成メンバーはトト・クトゥーニョ以外分かりませんでした。デビュー曲は夏のヴァカンス・シーズン狙いのシングル盤だったようです。 可決後oro I・NP-1003 (1966年 Interrecord - Distribuzione Discografici Riuniti) La Ragazza Della Spiaggia/Un Momento E Poi (con Toto & i Tati) I・NP-1003 I-3001 I-3001 (1966年 Interrecord - Distribuzione Discografici Riuniti) La Ragazza Della Spiaggia / Il Rimpianto (Toto & i Tati) インター・レコードからはこの2枚のみ、しばらく空白期間がありますが、70年カロセッロから再デビューします。70年の夏のディスク・フェスティヴァルに“Questo Fragile Amore”で出場します。ジャケット写真からして6人編成のバンドのようですが、トト以外の顔は分かりません。本選に進めませんでしたが、彼らの代表作となりました。 CI-20246 (1970年Carosello – Carosello) Questo Fragile Amore/Aspetto Lei (Toto & i Tati) CI-20246 CI-20267 CI-20267 (1970年Carosello – Carosello) Montego Bay/Incubo DAmore (Toto & i Tati) タイトルからしてジャマイカ音楽を意識しているのか、インター時代から昇華したバンドに成長しています。5年後の75年有名作詞家ヴィト・パラヴィッチーニ(Vito Pallavicini)のプロデュースでアルバトロス(信天翁)として大きく飛び立ちきます。 アルバトロスの設立メンバー(太字は76年、下線は77年サンレモ音楽祭出場) ・トト・クトゥーニョ (Toto Cutugno): ヴォーカル、ギター、ピアノ、リーダー、作詞・作曲 ・リノ・ロジート(Lino Losito):本名パスクァーレ・ロジート(Pasquale Losito)1948年2月13日プーリア州ラテルツァ(Laterza)生、ギター、作詞 ・マリオ・リモンジェッリ(Mario Limongelli): 1950年10月11日プーリア州スピナッツォーラ(Spinazzola)生、キーボード ・ニコラ・クリチェッリ(Nicola Cricelli): 1954年3月11日カラブリア州ロッチェッラ・イオーニカ(Roccella Ionica)生、ドラムス ・ジュゼッペ・ピエトロボン(Giuseppe Pietrobon): 1949年4月10日ミラノ(Milano)生、ベース ・マウリツィオ・クリティアーニ(Maurizio Cristiani): 1952 年9月30日ミラノ(Milano)生、ギター トト・クトゥーニョと英国のスチュアート・ワード(Stuart Ward)にヴィト・パラヴィッチーニ、パスクァーレ・ロジートが作った“アフリカ”は75年年間ヒット・ランク54位のヒットになりました。 特にフランスで評判がよく、ピエール・ドラノエ(PierreDelanoe)が付けたフランス語の詞で、ジョー・ダッサン (Joe Dassin)が“愛の挽歌(L'Ete Indien)”としてカヴァーし、こちらも大ヒットしました。 CI-20397 (1975年 Carosello – Dischi Ricordi) Africa (アフリカ/愛の挽歌)/ Ha-ri-ah (ア・リ・アの輝き) CI-20397 1976年サンレモ音楽祭出場メンバー(太字は結成メンバー) ・トト・クトゥーニョ (Toto Cutugno): ・リノ・ロジート(Lino Losito): ・マリオ・リモンジェッリ(Mario Limongelli): ・ロベルト・クトゥーニョ (Roberto Cutugno) トト・クトゥーニョの弟 ・マッシーモ・ヴィガーノ (Massimo Vigano’) ・トネット・チチョ (Tonet Cicio) この大成功を受け翌76年のサンレモ音楽祭に出場が決まりました。結果は同票36で第3位をサンドロ・ジャコッベ(Sandro Giacobbe)の“雨の中の瞳(Gli Occhi Di Tua Madre)”を分けあい、年間ヒット・ランク52位となる大成功でした。 曲としては女声の語り(クレジットがありませんがシルビア・ディオニシオ(Silvia Dionisio))とトトの語りに近い歌が入り、女性がアリタリア504便で男性のもとを去っていくという、ほぼインストが前面に出たカンツォーネでした。後に問題にされるのが歌詞でした。 男が最後に『君は子供を産んだ方がよかった…・少なくとも君はいってしまわなかっただろう』と歌います。当時イタリアでは人工中絶は非合法で、この2年後合法化される状況でした。 CI-20410 (1976年 Carosello – Dischi Ricordi) Volo AZ 504 (別離のローマ空港)/Marieneige (マリネイジュ) CI-20410 歌詞が論争される中、プログレ・ロックとメロディアスな曲を融合させたバンドとして注目を集め、唯一のアルバムが作られました。 CLN-25065 (1976年 Carosello – Dischi Ricordi) Volo AZ 504 ORL-8262 (198?年 Orizzonte – Dischi Ricordi) Volo AZ 504 LOP-14・093 (1984年 Lotus – SAAR) I Grandi Successi Degli Albatros 1.Volo AZ 504 (別離のローマ空港) 2.L'Albatros 3.Monja Monja 4.Marieneige (マリネイジュ) 5.Private Collection (Part 1) 6.Private Collection (Part 2) 7.Africa (アフリカ/愛の挽歌) 8.Ha-ri-ah (ア・リ・アの輝き) 9.Oui-Bon-D'Accord 10.Volo AZ 504 (別離のローマ空港) (Instrumental) CLN-25065 ORL-8262 LOP-14・093 サンレモの次に出したシングルは恩師パラヴィッチーニ作詞、クトゥーニョ作曲のマーチ風の“Nel Cuore Nei Sensi”でした。 CI-20427 (1976年 Carosello – Dischi Ricordi) Nel Cuore Nei Sensi/L'Albatros CI-20427 アルバトロスの国内盤 GP- 408 (1976年5月SEVEN SEAS – キング) 30cm LP ファンキー・カラテ/ビバ!!ホーム・ディスコ・パーティー (KARATE/VIVA!! HOME DISCO PARTY) 7.ア・リ・アの輝き (HA-RI-AH) 14.アフリカ (AFRICA) GP- 408 CM- 4 CM- 4 (1976年6月SEVEN SEAS – キング) アフリカ (AFRICA)/ ア・リ・アの輝き (HA-RI-AH) GP- 429 (1976年5月SEVEN SEAS – キング) 30cm LP ファンキー・カラテ・愛がすべて/灼熱のディスコ (KARATE, A QUOI SERT DE VIVER LIBERE?/FIRE INTO DISCO) 4.ア・リ・アの輝き (HA-RI-AH) 10.アフリカ (AFRICA) GP- 429 GP- 441 GP- 441 (1976年8月SEVEN SEAS – キング) 30cm LP ニュー・ヒッツ・ベスト12 (NEW HITS BEST 12) 4.アフリカ (AFRICA) CM- 28 (1976年11月SEVEN SEAS – キング) 別離のロ-マ空港 (VOLO AZ504)/マリネイジュ (MARIENEIGE) CM- 28 GXC- 5~6 GXC- 5~6 (1977年2月21日 SEVEN SEAS – キング) 30cm 2LP ネグロ・炎・別離のローマ空港/イタリアン・ポップスの新星たち (NEGRO/NESSUNO MAI/VOLO AZ504 ITALIAN POPS ALL STARS) 2-9.アフリカ (AFRICA) 2-10.別離のロ-マ空港 (VOLO AZ504) (ご参考) 愛の挽歌/アフリカ ECPB- 354 (1976年1月 EPIC - CBSソニー) 愛の挽歌 [仏] (L'ETE INDIEN) (AFRICA [F])/ノン・ノン・メルシー (MOI J'AI DIT NON) [ジョー・ダッサン (Joe Dassin (vm=f))] ECPB- 354 06SH- 30(AP) 06SH- 30(AP) (1976年 AMON - CBSソニー) 愛の挽歌 [日] (L'ETE INDIEN) (AFRICA [J])/雨 (AME) [藤岡弘 (Fujioka Hiroshi (vm=j))] CM- 14 (1976年7月 BARCLAY - キング) 潮風のマリー (待ちましょう) (J'ATTENDRAI) (TORNERAI)/アフリカ (愛の挽歌) (L'ETE INDIEN) (AFRICA) [レ-モン・ルフェ-ブル楽団 (Raymond Lefe’vre (orch=f))] CM- 14 GK- 23 GK- 23 (1976年 KING - キング) 愛の挽歌 [日] (L'ETE INDIEN) (AFRICA (J)) [岡本富士太 (Okamoto Fujita (vm=j))/タイム・ファイヴ (Time Five (coro=j));ニュー・シンガーズ・スリー (New Singers Three (coro=j);C.C.O.S. (compl=j)] VIP- 7215 (1976年11月 GLOBE - ビクター音楽産業) 30cm LP ニニ・ロッソ/水曜の夜~ニニ・ロッソの新しい世界 8.愛の挽歌 (L'ETE INDIEN) VIP- 7215 VIP- 8035~6 VIP- 8035~6 (1977年 GLOBE - ビクター音楽産業) 30cm LP決定盤 魅惑のアルト・サックスのすべて (SOUND STREAM SELECTION/ALTO SAX BEST COLLECTION) [ファウスト・パペッティ (Fausto Papetti (as))] 1-9.愛の挽歌 (L'ETE INDIEN) Y- 58 (1976年2月 CANYON - キャニオン) 愛の挽歌 (L'ETE INDIEN) (AFRICA)/ノン・ノン・メルシー (L'OMBRE CHERE) [クロ-ド・チアリ (Claude Ciari (g=f)) Y- 58 アルバトロス 2 (トト・クトゥーニョ 2) は1977年サンレモ音楽祭の後に続きます
2018.12.01
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