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リチャード・ニクソンは1972年2月にアメリカ大統領として中国を訪問した。ニクソン政権で外交や安全保障といった分野を任されていたヘンリー・キッシンジャーは1969年から中国側の首脳と接触しようと試みていた。そうした中、1970年12月にエドガー・スノーが毛沢東中国共産党主席と会うが、そこで中国側はアメリカ大統領の中国訪問を歓迎すると述べている。それを受け、1971年2月にニクソン大統領は外交教書で「中華人民共和国」という正式名称を使い、北京との対話を確立したいと述べた。そしてニクソンの訪中につながったわけだ。 大統領になった最初の年からニクソンは中国との関係改善を模索、デタント(緊張緩和)を打ち出している。これだけ聞くと平和的な人物のようだが、そう単純ではない。大統領選挙では民主党にとって優位になるベトナム戦争の終結交渉を妨害し、チリでは民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ大統領を倒すために軍事クーデターを実行している。その黒幕もキッシンジャーだった。 軍事クーデターは1973年9月11日、オーグルト・ピノチェトによって実行される。その際にアジェンデは死亡した。クーデターの目的はアメリカを拠点とする巨大企業の利権を守り、チリを食い物にし続けることにあった。そうした政策にとって邪魔な人々を殺害したり拘束したりしたうえで、シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授が展開していた「経済理論」が実践される。新自由主義の導入だ。 その政策によって富豪や巨大企業の経営者たちは「自由の尊厳」が認められて大儲けできたが、庶民は貧困化する。この政策を指揮したのはシカゴ・ボーイズと呼ばれるフリードマンの弟子たち。ピノチェト体制は輸入を促進するため、ペソを過大に評価させて輸入品の価格を下げている。 その結果、贅沢な舶来品の消費ブームが起こるのだが、その一方で国産製品は売れなくなり、チリ国内の経済活動は破綻していく。1980年代の後半になると、チリでは人口の45%が貧困ラインの下に転落していたとされている。 こうしたチリでの実験を肯定的にとらえた学者がフリードリッヒ・フォン・ハイエクで、親しくしていたマーガレット・サッチャー英首相にフリードマン理論を売り込む。このハイエクがフリードマンの「師」だった。サッチャーは1982年のフォークランド戦争で高揚した雰囲気を利用してイギリスに新自由主義を導入、イギリスの庶民も無残なことになる。 新自由主義とは巨大資本に国を上回る権力を与えるもので、その延長線上にISDS条項を軸とするTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)はある。世界のファシズム化がその目的だとも言える。 エリートの利益になるこの政策は中国やソ連にも広がっていく。中国では1976年10月に江青など「四人組」が粛清され、77年に復活した鄧小平がそうした流れを促進していく。1980年にはフリードマンが中国を訪問、レッセフェール流の資本主義路線へと導いていった。フリードマン1988年に妻のローザとともに再び中国を訪れ、趙紫陽や江沢民と会談している。 アメリカでは1989年にジョージ・H・W・ブッシュが大統領に就任しているが、この人物は本ブログで再三書いているようにCIAの非公然オフィサーである可能性が高く、74年から75年にかけて中国駐在特命全権公使を務めている。 そのブッシュとエール大学時代から親しいと言われているCIAオフィサーのジェームズ・リリーが1989年に中国駐在大使に就任、中国乗取りの総仕上げを目論んだ。その手先と考えられていたのがジョージ・ソロスから資金が流れていたとされている趙紫陽だ。そのほか、NEDなどを通じてCIAの資金が「活動家」へ渡っていた。この目論見は鄧小平が同調しなかったことなどから成功していない。 ソ連でも似たことが行われ、こちらは成功してボリス・エリツィン時代の惨劇につながる。アメリカが示す「和平」に気を許すと最後には裏切られる。ジョン・F・ケネディ大統領は本当に平和な世界を目指したようだが、1963年11月22日に暗殺された。
2018.05.31
イスラエルのアメリカ大使館がテルアビブからエルサレム(クドス)へ移されたのは5月14日のこと。その際に記念式典が催され、アル・ジャジーラ紙は出席した30カ国あまりをリストアップした。ただ、そのうちの何カ国は出席していないと抗議しているので正確と言えないのだろうが、フィリピンは抗議していないようなので、実際に出席した可能性が高い。 フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領は大統領に就任した2016年6月からアメリカの属国から脱する意思を見せ、中国と友好的な関係を結ぼうと積極的に動いたいた。そのフィリピンが現在、南シナ海におけるアメリカの手先として注目されはじめている。 ドゥテルテによると、2016年9月の段階でフィリピンの情報機関からアメリカが彼を殺したがっているという報告を受けたという。フィリピンの軍、治安機関、情報機関などはアメリカの影響下にあり、ドゥテルテの話が事実なら、アメリカ政府からの恫喝だろう。 そして昨年5月23日にフィリピン南部にあるミンダナオ島のマラウィ市をマウテ・グループやアブ・サヤフ、つまりダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)系の武装集団が制圧した。この地域は以前からダーイッシュが活発に動いていて、市内には500名程度の戦闘員がいると見られていたが、アメリカ軍は活動を容認してきた。マラウィ市の事態を受け、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領はミンダナオ島に戒厳令をしく。 武装集団のマラウィ市制圧を口実にして特殊部隊を派遣した。アメリカ大使館はフィリピン政府から要請に基づき、アドバイするんだと説明しているのだが、ドゥテルテ大統領はアメリカ側に支援を頼んでいないとしている。 この出来事の少し前、2月下旬から約1カ月にわたってサウジアラビアのサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王は1000名以上の人間を引き連れてマレーシア、インドネシア、ブルネイ、日本、中国、モルディブを歴訪、その時から東/東南アジアでワッハーブ派の武装集団が攻撃を始めるのではないかと懸念する声があがっていた。それが現実になったわけだ。 インドネシアでは普通のイスラム教徒をワッハーブ派へ改宗させる工作が数十年にわたって続けられ、2016年1月14日には首都のジャカルタで何回かの爆破と銃撃戦があり、攻撃グループの5名を含む7名が死亡している。その実行グループもダーイッシュを名乗っていた。インドネシアから約700名がシリアへ入り、ダーイッシュに加わったと言われている。フィリピンやインドネシアを中心に東南アジア全域をアメリカは「リビア化」するつもりかもしれない。 南シナ海ではアメリカ軍の動きが活発化しているが、昨年の終わりからアメリカ軍はフィリピン軍と合同軍事演習を実施している。当初、ドゥテルテ大統領はこうした演習を拒否していたが、圧力に屈した可能性がある。朝鮮半島ではロシアや中国と連携している韓国が和平の方向へ持って行きつつあるが、その分、アメリカは東南アジアで軍事的な緊張を高めようとしそうだ。
2018.05.30
文在寅韓国大統領と金正恩朝鮮労働党委員長が4月27日に続いて5月26日にも会談した。6月12日にシンガポールで行われることが予定されていた金正恩委員長との会談をドナルド・トランプ米大統領は一度キャンセルする意思を示していたが、26日になって前言を取り消し、実施する方向で動き始めたようだ。 しかし、アメリカ政府内では朝鮮との話し合いに強く反対し、軍事的な恫喝を強化すべきだと主張している人たちがいる。例えばマイク・ペンス副大統領やジョン・ボルトン国家安全保障補佐官だ。 それに対し、朝鮮を訪問するなどしているのはマイク・ポンペオ国務長官。昨年4月6日、CIA長官だったポンペオは分析部門の評価に基づき、致死性の毒ガスが環境中に放出された事件にバシャール・アル・アサド大統領は責任がなさそうだとトランプ大統領に説明していた。(ココやココ)その説明の直前、4月末にポンペオは妻とソウルを訪問、情報機関や軍の人間と協議している。その4日後に朝鮮は金正恩に対する暗殺未遂事件がったと発表している。 シンガポールで話し合いが実施されるかどうかは不透明だが、アメリカにとって朝鮮半島問題の本質はあくまでも中国との関係だろう。中国を属国化するか、侵略して略奪するために利用している。この関係は19世紀から変化していない。日本も朝鮮と立場は似ていて、アメリカが中国を侵略する道具だ。 朝鮮半島の融和ムードはロシアや中国と連携した韓国政府が作り出したと言えるだろうが、もし朝鮮を軍事的な緊張を高める道具に使えないとなれば、アメリカは別の火種を作り出すだろう。すでに東シナ海、南シナ海、台湾周辺などでそうした動きが見られる。 朝鮮半島の南北をドイツの東西になぞらえる人もいるが、ドイツの統一は大きな問題を引き起こしている。1990年2月にアメリカのジェームズ・ベーカー国務長官はロシアのミハイル・ゴルバチョフ書記長に対し、ドイツを統一してもNATOを1インチでも東へ拡大することはないと約束したのだが、すでにロシアの玄関先まで到達、軍隊を配備し、ミサイルを設置してロシアを恫喝している。その結果として軍事的な緊張は高まり、全面核戦争の危険性は冷戦時代よりはるかに高まってしまった。旧東ドイツの国民にとっても幸せではなかったようだ。 もし朝鮮半島が統一されたならアメリカは全域を属国化し、ヨーロッパと同じように中国への軍事的な圧力を強めようとするだろう。当然、中国もロシアもそう考え、対応してくる。アメリカの支配層は約束を守らない侵略者たちだ。1991年12月にソ連が消滅して以来、唯一の超大国になったと考え、驕り高ぶったアメリカは本性を見せてしまったこと、シリアでの戦争でアメリカ軍はロシア軍に勝てないということを見せてしまったことも大きい。NATO欧州連合軍最高司令官を2013年から16年まで務めたフィリップ・ブリードラブもNATO軍にロシア軍と全面戦争する十分な準備はできていないと語っている。金正恩委員長もそうした実態を見ている。
2018.05.29
サウジアラビアのミハメド・ビン・サルマン皇太子が4月21日にリヤドであった銃撃戦で負傷したという情報を反対勢力が流している。政府側はおもちゃのUAV(無人機)を警備兵が銃撃したのだとしていた。皇太子はここ数週間、公の席に姿を見せていないことから死亡説も伝えられていた。 ビン・サルマンは新自由主義の信者で、イスラエルとの同盟関係を隠そうとしていない。パレスチナ人に対する冷淡な態度はイスラム世界の庶民を刺激していることは間違いないだろう。現在はサルマン・ビン・アブドゥラジズ国王がある程度の重しになっているだろうが、こうした状態は長く続きそうもない。 昨年は8月に皇太子は暗殺されそうになり、10月には襲撃されたという噂が流れていた。そして11月の粛清。このときはイスラエル空軍が皇太子を守るために戦闘機を派遣したとする話もささやかれていた。 いずれの話も真偽は不明だが、親イスラエルの姿勢を見せていることでイスラム世界の庶民を敵に回したことは間違いないだろう。サウジアラビアはアメリカのドル体制を支える大きな柱であり、そこが揺らぐとアメリカ自体が揺らぐ。アメリカやイスラエルは別の傀儡を用意しているかもしれない。
2018.05.29
アメリカの軍、あるいはCIAはジハード傭兵をクルド勢力と合流させたり油田地帯のデリゾールへ集めているが、その一方で武装集団の幹部クラスをヘリコプターで救出、アフガニスタンへ運んでいると伝えられてきた。 ここでいうジハード傭兵とはメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟やイギリスやフランスのサイクス・ピコ協定コンビ、オスマン帝国の再興を夢想していたトルコ、パイプラインの建設でシリアともめていたカタールなどが送り込んだ武装集団で、その主体はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。 イスラム系の武装勢力として「アル・カイダ」なる名称が飛び交ってきたが、ロビン・クック元英外相が2005年7月に指摘したように、CIAが訓練した「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルがアル・カイダ。アラビア語でアル・カイダはベースを意味するが、「データベース」の訳語としても使われる。ちなみにこの指摘をした翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われ、59歳で死亡した。 詳細は割愛するが、ジハード傭兵の仕組みが確立されたのは1970年代の終盤から1980年代にかけてのこと。戦闘員を雇って送り込み、工作の資金を出していたのがサウジアラビアで、イスラエルも協力していた。イラン・コントラ事件とは、アフガニスタンの工作の一断面だ。 そうした経緯があるため、アフガニスタンにはアメリカのコントロール下にある有力者や武装集団が今でも活動、アメリカ軍はヘロインの原料になるケシの栽培地を守っているとも批判されている。ここで生産された麻薬はコソボなどを経由してヨーロッパなどへ流れていく。 そのアフガニスタンでアメリカの情報機関と緊密な関係を維持しているひとりがナンガーハル州の知事を務めるグラブ・マンガル。この地域のジハード傭兵を支配、そこから利益を得ている。この地域に入った戦闘員は2500から4000名で、今後1200名程度増やす予定だという。こうしたジハード傭兵はシリアやイラクからパキスタンのカラチやペシャワールを経由してナンガーハルへ運ばれている。この近くにはアメリカ軍の大きな基地があり、こうした戦闘員を守ることになるのだろう。 ナンガハールに集められた戦闘員はタジキスタンなど中央アジアでの工作を視野に入れているはず。チェチェンで行ったようなことを規模を大きくして実行しようとしている可能性がある。6月14日から7月15日にかけてロシアでサッカーのワールドカップが開催されるが、そのタイミングで破壊活動を目論んでいるかもしれない。 この地域をアメリカが狙う理由はいくつか考えられる。ひとつはロシア軍のシリア支援を弱めさせてバシャール・アル・アサド体制を倒すこと、第2にパイプラインの建設も含め、カスピ海周辺の石油を乗っ取ること、第3は中国が計画している一帯一路を潰すこと、もうひとつはロシアや中国へ傭兵を送り込むルートを築くことだ。
2018.05.28
6月12日に予定していた金正恩朝鮮労働党委員長との会談を取りやめるとドナルド・トランプ米大統領は5月24日に発表したが、それに対する反発が韓国で高まっているようだ。ソウルのアメリカ大使館周辺に抗議のために集まった人たちだけでなく、韓国、そしておそらく朝鮮でもアメリカに対する怒りが高まっている可能性がある。 そうした中、5月26日に韓国の文在寅大統領と金正恩委員長が2度目の会談をしたと伝えられている。会談の数時間前にトランプ大統領は朝鮮との会談取りやめを軌道修正する発言をしたが、文大統領と金委員長との会談予定を知ってのことだろう。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカ政府は一貫して朝鮮半島を含む東アジアでの軍事的な緊張を高める仕掛けの重要なファクターとして朝鮮を必要としてきた。朝鮮半島の軍事的な緊張は中国に対する脅しになる。アメリカの手口を考えると、彼らが朝鮮半島の統一を許すのは、半島全域がアメリカの属国になるときだけだろう。 しかし、ロシアや中国と連携した韓国が朝鮮半島の安定化を画策、それがある程度成功したことも事実。アメリカは台湾周辺で軍事的な緊張を高める動きをみせているが、朝鮮半島の情勢と関係があるかもしれない。 朝鮮半島に平和をもたらそうとする動きをアメリカ政府が露骨に壊した場合、韓国がロシアや中国との関係をさらに強めることも考えられる。勿論、そうした動きが出てきたとしても、韓国の軍や情報機関はアメリカのシステムに組み込まれているので抑えにかかるだろうが、成功するとはかぎらない。 アメリカ支配層の基本戦術は脅せば屈する。屈しなければ破壊する。何をしでかすかわからない国だと思わせれば自分たちが望む方向へ世界を導けるとリチャード・ニクソンは考え、イスラエルは狂犬のようにならなければならないと同国のモシェ・ダヤン将軍は語ったが、それをネオコンのような好戦派は信じている。 この戦術を脅しに屈しないロシアや中国に対しても使っているのが現在のアメリカ支配層。その結果、世界は全面核戦争へ向かって走り続けている。膝掛け椅子にふんぞり返っている文民の好戦派は気にしていないようだが、ここにきてアメリカ軍の好戦派は不安を強めているようだ。 客観的な判断のできる軍人たちは以前からそうした戦術を懸念していたが、文民好戦派はそうした人々を排除して戦争ビジネスに取り込まれたような軍人に入れ替えてきた。そうした軍人好戦派の代表格のひとりがNATO欧州連合軍最高司令官を2013年から16年まで務めたフィリップ・ブリードラブ。このブリードラブはNATO軍にロシア軍と全面戦争する十分な準備はできていないと語った。現状では勝てないということだ。これは以前から指摘されていたことだが、ブリードラブの口からそうした発言が出てきたことは興味深い。文民好戦派の暴走についていけなくなっている可能性がある。この文民好戦派に最後まで付き合いそうなのはカルト的な思考をする軍人だ。 アメリカは正規軍やジハード傭兵を使って侵略を続けてきたが、中国やロシアでは難しいだろう。今後、1980年代のように「第5列」を使おうとするかもしれない。「経済制裁」はその布石だとみることもできる。
2018.05.27
このブログは読者のカンパ/寄付のみに支えられています。ブログの存続するためにお力添えをお願い申し上げます。 すでに紙媒体や放送局の世界では報道統制が仕上がり、支配層にとって好ましくない事実が伝えられることはほとんどなくなりました。インターネット上ではまだ事実が伝えられていますが、今、それが規制されようとしています。 有力メディアが言うところの「ファクト・チェック」とは、彼らの嘘を暴くような「ファクト」を排除することだとしか思えません。彼らにとっての「ファクト」とは「オーソライズ」された情報を意味します。支配層が定めた枠から出ない情報ということです。 いわば検閲済みの「ファクト」であり、彼らに言わせると、それ以外は「偽情報」ということになります。それを受け入れれば支配層との間で波風は立ちませんが、国際関係や治安に関する問題では、彼らの「ファクト」における嘘の度合いが高まり続けています。 「真実そのものと、人が真実と思うものは違う」と言いますが、「ファクト」という嘘を取り繕うために新たな嘘をつくという連鎖によって彼らの嘘は荒唐無稽なものになり、そうした実態に気づく人も増えてきたようです。ここに来てインターネット上で情報を統制する動きが強化されているのも、そうしたことが反映されているのでしょう。 彼らの嘘は私たちを地獄へと導きつつあります。そうした道を進まないようにするため、事実を知ることが必要です。本ブログがその一助になればと願っています。櫻井 春彦振込先巣鴨信用金庫店番号:002(大塚支店)預金種目:普通口座番号:0002105口座名:櫻井春彦
2018.05.26
神経ガスA-234の攻撃を受けて一時期は昏睡状態だったというユリア・スクリパリの映像をロイターが配信した。(記事、映像)イギリス政府はユリアと父親のセルゲイは使われた化学兵器として「ノビチョク(初心者)」というロシア的な名称を使ったが、これは1971年から93年にかけてソ連/ロシアで開発されていた神経物質の総称。ロシアでこの名称が使われることはないと指摘する人もいる。 セルゲイはGRU(ロシア軍の情報機関)の元大佐で、スペインに赴任中の1995年にイギリスの情報機関MI6に雇われ、99年に退役するまでイギリスのスパイとして働いていた人物。そうした事実が退役後に発覚して2004年12月に逮捕され、06年には懲役13年が言い渡されているが、10年7月にスパイ交換で釈放され、それからはソールズベリーで生活していた。本人もイギリスの当局も命を狙われるような状況にはないと判断していたようで、本名で生活していた。娘のユリアは2014年にロシアへ戻っている。 ふたりは3月4日にソールズベリーで倒れているところを発見されて入院、それ以来、イギリス政府はウラジミル・プーチン露大統領が主犯だと主張してきた。その当時から元ウズベキスタン駐在イギリス大使のクレイグ・マリーは、イギリス軍の化学兵器研究機関であるポート・ダウンの科学者は使われた神経ガスがロシアで製造されたものだと特定できなかったと語っていたが、これはポートン・ダウンにあるDSTL(国防科学技術研究所)があり、そこのチーフ・イグゼクティブであるゲイリー・エイケンヘッドもスカイ・ニューズの取材で確認している。 それに対し、ドイツでは5月17日にノビチョクに関する情報をドイツの情報機関は1991年から持っていたと報道されている。その情報はスウェーデン、フランス、イギリス、アメリカなどNATO加盟国にも伝えられていたという。また、チェコの大統領も自国が同じ化学兵器を製造していたと語っている。少なくともこれらの国はノビチョクを製造し、保有することが可能だ。 問題の化学兵器の毒性はVXガスの10倍だという。VXガスの致死量は体重70キログラムの男性で10ミリグラムと言われているので、単純に考えるとノビチョクは1ミリグラム。かつて日本でカルト集団がサリンをまいたとされているが、死に至らなくても後遺症に悩まされている人もいるようだ。それに対してユリヤは4月9日に退院、今では元気そうである。ロシアへ戻りたいと言っているが、ロシア大使館の人間だけでなく親族も会えない状態が続いている。今回の「取材」でもユリアに対する質問は禁じられていたようだ。これをイギリス政府は「保護」と言っているらしい。 この件ではイギリス政府の主張があまりにも現実離れしているため、化学兵器による攻撃などはなく、単純にふたりはイギリス当局に拉致、監禁されているのではないかと疑う声が出ていた。今回、ユリアの映像を流した理由はその辺にあるのだろう。ただ、ユリアの発言が警察発表のようだということで新たな疑惑も生じさせてしまった。
2018.05.25
ドナルド・トランプ米大統領は5月24日、朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と6月12日にシンガポールで開催する予定だった会談を取りやめると発表した。こうなる可能性が高いことは少なからぬ人が予想していたことだろう。アメリカ政府は一貫して朝鮮半島を含む東アジアでの軍事的な緊張を高めようとしてきたわけで、トランプ大統領個人がどのように考えているのかは不明だが、アメリカ政府が和平に向かった進むとは考えにくかったからだ。非核化の問題も、朝鮮半島全体の非核化でなく朝鮮の一方的な非核化というようにアメリカは話をねじ曲げようとしている。 金委員長と韓国の文在寅大統領が板門店で会ったのは今年(2018年)4月27日のことだが、そこに至るまでに韓国政府は様々な布石を打っていた。朝鮮半島の軍事的な緊張を高めるためには韓国と日本を連携させる必要があり、バラク・オバマ大統領は慰安婦問題の解決を求めていた。日韓両国の首脳との会う際、数年にわたり、毎回のように慰安婦の問題を採りあげ、両国の対立を解消させようとしていたという。これは同政権でNSC(国家安全保障会議)の安保副補佐官だったベン・ローズの話だ。 和平へ向かうためには日本と韓国との軍事的な協調関係を弱める必要があり、韓国政府はオバマ大統領の圧力で封印された慰安婦の問題を再燃させたように見える。その一方、韓国政府はロシアや中国と経済的な関係を強めてきたが、そのためにも東アジアの平和は重要。この3カ国は和平実現を望んでいるということだ。 文大統領と金委員長が会談する前日、アメリカ政府はCIA長官だったマイク・ポンペオが朝鮮で金委員長と握手する様子を撮影した写真を公表、あたかもアメリカが和平の進展で主導的な役割を果たしたかのような演出をしていた。撮影は4月1日頃のようだが、その直前、3月26日に金正恩委員長は特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会談している。 アメリカ側の本心を露骨に表現しているのが国家安全保障補佐官のジョン・ボルトン。朝鮮に核兵器を放棄させ、その上で戦乱を引き起こし、アメリカ主導軍が空爆して朝鮮をリビアのように破壊し、金正恩をムアンマル・アル・カダフィのように惨殺するというリビア・モデルを主張していた。CBSのインタビューを受けている時にカダフィが殺されたとの報告を受けたヒラリー・クリントン国務長官は「来た、見た、死んだ」と口にして喜んでいた。現在、リビアはカオスが支配する破綻国家であり、「石器時代」のようだ。 これを西側の政府や有力メディアは「民主主義」と呼ぶのかもしれないが、朝鮮だけでなく韓国の国民も朝鮮半島をリビアのようにはしたくないだろう。もし本当に平和の実現を望むなら、アメリカを排除する方法を考えなければならない。アメリカを排除できないなら、平和の実現は極めて難しい。これは誰がアメリカの大統領でも言えることだ。
2018.05.25
アメリカ主導軍がシリア東部の油田地帯、デリゾールにいるシリア政府軍を5月24日未明に空爆したと伝えられている。油田地帯やパイプラインの敷設ルートの確保はアメリカが侵略戦争を続ける要因のひとつであり、アメリカ軍はこの地域に大きな軍事基地を建設したともいわれている。 デリゾール周辺では2016年9月17日にアメリカ主導軍のF-16戦闘機2機とA-10対地攻撃機2機がシリア政府軍を攻撃して80名以上の兵士を殺害したが、空爆の7分後にはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の部隊が地上でシリア政府軍に対する攻撃を開始している。ダーイッシュに限らないが、ジハード傭兵はアメリカ側と連携してきた。その1年後にはロシア軍のバレリー・アサポフ中将がデリゾールで砲撃により戦死しているが、アメリカ側からアサポフ中将の位置に関する正確な情報が戦闘集団側へ伝えられていた、つまり殺させたと言われている。今年(2018年)2月7日には親シリア政府派の武装勢力がアメリカ主導軍に攻撃され、戦闘員数百名が殺されたとも言われている。犠牲者の中にはヒズボラやロシア人傭兵も含まれているという。 このデリゾールを含むユーフラテス川の北側の地域へアメリカ軍は無断で侵入、約20カ所に基地を作ったと言われている。アメリカほどではないが、イギリスやフランスも地上軍を侵入させている。この3カ国が行っていることは不法占領にほかならない。さらにイスラエルもシリア領内への攻撃を続けてきた。 シリア北部の占領にはクルドが協力しているが、それ以外のシリア国民は不満を募らせている。防空システムをシリアへ提供することに前向きだったロシア国防省はウラジミル・プーチン大統領がシリア政府軍への引き渡しを取り消したことから不満を持っている可能性がある。 プーチンは大規模な戦争を回避するために自重しているのだが、西側の好戦派はそれを見越して攻撃を繰り返し、状況を有利にしようと目論んでいる。イスラエル軍によるシリア領内の攻撃も、そうしたソ連政府の姿勢を利用し、シリアとロシアとを離反させようとしているのだと見る人もいる。シリアのバシャール・アル・アサド大統領はロシアについて勝利のパートナーだと発言したが、それを口にして沈静化しなければならない雰囲気が生まれている可能性もある。
2018.05.24
東京琉球館で6月9日18時(午後6時)から「それでもアメリカはパックス・アメリカーナを目指す」というテーマで話します。予約制とのことですので、興味のある方はあらかじめ下記まで連絡してください。東京琉球館住所:東京都豊島区駒込2-17-8電話:03-5974-1333http://dotouch.cocolog-nifty.com/ 朝鮮半島ではロシアや中国と連携した韓国が話し合いへと導き、軍事的な緊張を緩和させつつあるように見えますが、アメリカはそれを壊そうとしています。ユーゴスラビアにしろ、ウクライナにしろ、イランにしろ、暴力的な対立を話し合いで解決する道筋ができると、それを破壊してきたのがアメリカでした。話し合いで解決されてしまうと、アメリカの支配層にとって好ましい、つまり巨大企業が金儲けしやすい体制へ作り替えることが困難になるからです。パックス・アメリカーナとはそうした体制を世界へ広げることを意味します。TPPの目的もそこにあります。 ソ連が1991年12月に消滅すると、アメリカの支配者たちは自国が唯一の超大国になったと考え、誰にも邪魔されずに世界を侵略、支配、略奪できると考えました。そして作られたのがウォルフォウィッツ・ドクトリンです。そのドクトリンに基づいて日本もアメリカの戦争マシーンに取り込まれてきました。 21世紀に入ってロシアが再独立、中国と同盟関係に入り、アメリカを唯一の超大国と呼ぶことはできなくなりましたが、それでもウォルフォウィッツ・ドクトリンから離れようとせず、「脅せば屈する」という考えにしがみついています。帝国主義の亡霊に取り憑かれているとも言えるでしょう。 6月の中旬から1ヶ月間、ロシアでサッカーのワールドカップが開催される予定です。これまでアメリカはオリンピックを利用して軍事的な行動に出ました。北京オリンピックのときの南オセチア奇襲攻撃やソチ・オリンピックのときにウクライナで実行されたクーデターです。そうした時期であることを踏まえ、世界情勢を考えて見たいと思います。
2018.05.23
2016年のアメリカ大統領選挙をめぐる騒動は新しい展開を見せている。選挙期間中からアメリカの有力メディアや民主党はロシアとの関係修復を訴えていたドナルド・トランプを攻撃、トランプを勝たせるためにロシア政府が選挙に介入したと主張していた。 アメリカが世界各国で行われている選挙に介入していることは有名な話で、意に沿わない結果になると軍事クーデターを仕掛けてきた。ロシアの選挙介入がもし事実だとしてもアメリカに批判する資格はない。そのアメリカの選挙にイスラエル・ロビーが大きな影響を及ぼしていることも知られている。 かつてアメリカは体制転覆のために軍事クーデターを使ったが、その内幕が1970年代に広く知られるようになるとイメージの修正を図る。そして1980年代に民主化を装った体制転覆計画のプロジェクト・デモクラシーを始める。工作に必要なCIAの資金を流すパイプとしてNGOを装ったNEDが創設された。1990年代から盛んになるカラー革命はそのひとつの結果だ。 当初、2016年の大統領選挙ではヒラリー・クリントンが勝つと見られていた。上院議員の時代からロッキード・マーチンという軍需産業を後ろ盾とし、金融資本と結びついてイスラエル・ロビーとも親密な関係にあった人物だが、選挙で勝つと人々が予測した理由は別にある。2015年6月にオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にクリントンの旧友、ジム・メッシナが参加していたからだ。ビルダーバーグ・グループについては本ブログで何度も書いてきたので今回は割愛するが、欧米の支配階級がヒラリーを選んだと判断されたのである。 しかし、2016年2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問してウラジミル・プーチン露大統領と会談したのを見て「風向きが変わった」と考えた人は少なくないだろう。2015年9月30日にロシア軍がシリア政府の要請を受けて軍事介入、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟、イギリスとフランスのサイクス-ピコ協定コンビ、さらにトルコやカタールが送り込んだジハード傭兵の支配地域が縮小する中での出来事だった。キッシンジャーは今でもトランプの義理の息子、ジャレッド・クシュナーにアドバイスしていると言われている。 こうした中、民主党の幹部はクリントンを勝たせるため、まず党内のライバル候補だったバーニー・サンダースを潰すが、その内幕の一端を明らかにする電子メールが内部告発支援グループのWikiLeaksなどによって公開された。この電子メールは民主党の内部でコピーされた可能性がきわめて高いのだが、クリントン側はロシア政府がハッキングで盗み出したと言い張ることになる。 そのクリントン陣営を助けるためにFBIが動き、2017年5月には司法省がロバート・ムラー元FBI長官を特別検察官に任命したが、FBIもムラーも「ロシアゲート」が存在したことを証明することができないでいる。その間にFBIの不適切な行為が明らかになり、今ではFBI/司法省ゲートになったとも言われている。 そうした中、2016年からFBIに情報を提供していた人物の正体が明らかになった。現在はケンブリッジ大学で教授を務めるステファン・ハーパーだ。1980年のアメリカ大統領選挙でジミー・カーターの再選を阻止する工作の一環でCIAが動いていたが、ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領の下でハーパーも活動していた。 本ブログでは繰り返し書いているが、ブッシュはCIA長官を務めたというだけでなく、エール大学でCIAにリクルートされた非公然オフィサーである可能性が非常に高い人物。一方、ハーパーの元妻は父親が元CIA副長官のレイ・クライン。ハーパーはイギリスの情報機関MI6とも緊密な関係にある。 ロシアゲート事件の幕開けと言われているのは下院情報委員会における昨年3月のアダム・シッフ議員による声明だが、それはMI6の「元」オフィサー、クリストファー・スティールの報告書に基づくものだった。この報告書は信頼にかけるものだ。 1980年の大統領選挙では親イスラエル派がメディアを使ってカーターを攻撃、ブッシュやロナルド・レーガンの陣営はイスラエルと手を組み、イランと同国で人質になっていたアメリカ大使館員などの解放を遅らせる交渉をしていた。CIA人脈はどうしてもブッシュを大統領にさせたかったのだ。そこにレーガン陣営も噛んできたということだ。レーガン政権の外交や安全保障分野はブッシュが仕切ることになる。
2018.05.22
パレスチナ人のデモ隊に対してイスラエル軍が5月14日に実弾を発射、60名が殺されて数千人が負傷したという。アメリカ政府が自国の大使館をテルアビブからエルサレム(クドス)へ移し、新しい大使館の開館を祝う式典が催されたが、それに対する抗議だった。 アメリカやイスラエルの政府が開館日を5月14日にした理由はこの日が「イスラエル建国70周年」の記念日にあたるからだが、パレスチナ人にとってそれは「ナクバ(大惨事)」を意味する。この「イスラエル建国」に正当な理由があるとは到底思えない。 第2次世界大戦でナチスがユダヤ人を弾圧したが、それでパレスチナへ移住しようと考えたユダヤ人は多くなかった。一部のシオニストだけだ。イスラエル建国はユダヤ人が求めたものではなく、イギリスやフランスの強欲さが根底にある。 シオニストとはシオニズムを信奉する人々で、シオニズムとはエルサレム神殿があったとされる「シオンの丘」へ戻ろうという運動。シオニズムという語句を最初に使ったのはナータン・ビルンバウムなる人物で、1893年のことだとされている。その3年後に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルが近代シオニズムの創設者とされているが、1905年まで「建国」の地をパレスチナに定めていない。このヘルツルのほか、モーゼズ・ヘスやレオン・ピンスカーなどのシオニストは当初、聖書には言及していない。 その一方、イギリス政府は1838年の段階でエルサレムに領事館を建設、91年にはキリスト教福音派のウィリアム・ブラックストーンなる人物がアメリカで「ユダヤ人」をパレスチナに返そうという運動を展開、ベンジャミン・ハリソン米大統領に働きかけていた。 中東情勢を考える上で重要な節目はサイクス・ピコ協定だろう。第1次世界大戦の最中にイギリスのマーク・サイクスとフランスのフランソワ・ジョルジュ-ピコの話し合いで作成、のちに帝政ロシアが加わって締結された秘密協定で、オスマン帝国を解体して分割しようという内容で、パレスチナは後日改めて協定を結ぶことになっていた。1917年11月のロシア十月革命で成立したボルシェビキ政権によって暴露されている。この協定は実現されなかったことになっているが、英仏支配層の中では消えていないように見える。 帝政ロシアはロシア二月革命で倒されて臨時革命政府が成立しているが、その中心には帝政ロシアを支えていた柱のひとつだった資本家が存在、そこにメンシェビキやエス・エルが加わっていた。この二月革命にボルシェビキの幹部は参加していない。大半が亡命中か刑務所で拘束されていたからだ。そのボルシェビキの幹部をロシアへ運び込んだのはドイツ。第1次世界大戦で東西ふたつの戦線を抱えていたドイツは、即時停戦を主張していたボルシェビキに目をつけたのだ。 そうした中、1917年11月にイギリスのアーサー・バルフォアはシオニズムを支援していたライオネル・ウォルター・ロスチャイルドへ書簡という形で「ユダヤ人の民族的な故郷」の建設を支持している。いわゆるバルフォア宣言だ。ボルシェビキが革命を成功させる見通しが立った段階ではサイクス・ピコ協定が露見する可能性は高く、それを見越しての宣言だろう。イギリスという立場からみると、サイクス-ピコ協定とバルフォア宣言との間に矛盾は感じない。パレスチナ問題では1915年7月から16年3月までの期間にフサイン・ビン・アリとイギリスのヘンリー・マクマホンとの間でやり取りされた書簡でアラブの独立が認められているが、いずれも当事者であるパルスチナの人々を無視している。 この当時は侵略が当然だったという侵略者の身勝手な理屈は通用しない。侵略は侵略であり、侵略された人々の怒りを力で封じてきただけのことだ。パレスチナ問題の根には大英帝国の支配者やその継承者の利権と戦略が存在する。その勢力はまだ健在だ。 パレスチナ問題で露骨にイスラエルの立場から発言しているサウジアラビアのモハメド・ビン・サルマン皇太子は無一文の状態から短期間に巨万の富を築いた。この皇太子はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相やアメリカのドナルド・トランプ大統領と近く、その経済戦略は新自由主義にほかならない。だからこそ西側で「改革者」と持ち上げられているわけだ。そうした態度は中東の人々からあざけりの対象になっている。 あざけりだけでなく、物騒な噂も流れている。リヤドにある王宮周辺で4月に激しい銃声が聞こえたとする情報が流れたが、何者かが襲撃して警護に当たっていた部隊と銃撃戦になったとする情報も流れた。昨年(2017年)8月にはビン・スルタン皇太子の暗殺未遂が伝えられ、10月にはジッダにある宮殿近くで宮殿への侵入を図った人物と治安部隊との間で銃撃戦があったという未確認情報が流れている。そのサウジアラビアへトランプ大統領の義理の息子にあたるジャレッド・クシュナーがサウジアラビアを秘密裏に訪問、11月に大規模な粛清が始まった。 イスラエルやアメリカがビン・サルマンの後ろ盾になっているようだが、反発している人は少なくない。ビン・サルマン皇太子が姿を見せないと、様々な憶測が飛び交う。
2018.05.21
アメリカ上院はジーナ・ハスペルのCIA長官就任を承認した。2002年の終わりからタイに設置されていたブラックサイト、つまりCIAの秘密刑務所で所長を務め、拷問を指揮していた「血まみれのジーナ」の長官就任を民主党の議員も賛成している。 ハスペルの長官就任には個人的な問題と組織の問題がある。個人的な問題は彼女が拷問を指揮していたということだが、彼女が歩いてきたCIAの破壊工作、有り体に言えばテロを担当する部門の問題もある。 前にも書いたように、その部門の源流はジェドバラ。第2次世界大戦後、その人脈の一部は特殊部隊員となったが、OPCという秘密機関へも流れている。当初、CIAは情報の収集と分析のみを行うことになり、破壊活動を担当する部門は設置されなかった。そこで、ウォール街の好戦派たちはCIA長官の指揮系統の外にOPCを作ったのだ。 OPCは1951年にCIAへ入り込んで作戦局の中核になり、73年に工作局、今はNCS(国家秘密局)になっている。ハスペルはこの分野を歩き、2013年2月から5月にNCS局長代理を務め、2017年2月からはCIA副長官を務めていた。 この部門が行ったことには報道統制を目的としたモッキンバード、ZR/RIFLEなど要人暗殺工作、イラン、グアテマラ、チリ、ウクライナを含む数多くの国における軍事クーデター、軍事侵攻を正当化するための偽旗作戦、個人や集団をコントロールする技術の研究開発を行ったMKウルトラなどがあり、その一端は1970年代の半ばに議会の調査で判明している。 その後、情報機関やその後ろ盾の勢力は内部告発を困難にするようルールを変更、活動をCIAの外部へ移した。フランス、サウジアラビア、エジプト、モロッコ、そして王政時代のイランの各国情報機関は1976年にサファリ・クラブなる連合体を組織したが、その組織を主導することになるのはCIAの人脈だった。議会の調査もあり、表面には出なかっただけだ。 その後、この仕組みはCIA人脈が各国を支配する道具として機能する。そのCIA人脈は1980年代にソ連の情報機関KGBの中枢と手を組むことに成功した。今でもロシアでその人脈は生きており、金融部門を抑えている。KGBの傍流だったウラジミル・プーチンのグループにとって最大の問題だろう。 すでにCIAの破壊活動人脈は既存の国という枠組みを超えて動いている。ハスペルの背後にはそうした世界が広がっていることを忘れてはならない。
2018.05.20
西側の有力メディアがシリア情勢に関する情報源にしているSOHR(シリア人権監視所)へイギリス外務省が約19万5000ポンド相当の支援をしていることを同省が認めたとイギリスのデイリー・メール紙が伝えている。言うまでもなく、イギリスはアメリカの侵略戦争に加担してきた国であり、SOHRは侵略を進める仕組みに組み込まれていると言えるだろう。 SOHRはラミ・アブドゥラーマン(本名オッサマ・スレイマン)なる人物がイギリスで個人的に設置した団体で、スタッフはひとりだと見られ、その情報源は不明だ。シリアで戦争が始まった2011年にスレイマンはシリア反体制派の代表としてウィリアム・ヘイグ元英外相と会ったと報道されている。 アメリカは繰り返しシリアを属国化しようと試みて失敗、2011年3月にジハード傭兵を使って始めた侵略戦争も思惑通りには進まなかった。そこで化学兵器の使用を口実にしてアメリカ軍が配下の軍隊を引き連れて直接の攻め込もうとしている。すでにシリア北部には20カ所、あるいはそれ以上の場所に軍事基地を建設済みだという。 2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィの体制は倒されたが、その際にNATO軍がアル・カイダ系武装勢力のLIFGと連携していたことが明確になった。その後、戦闘員が武器/兵器を一緖にシリアへ運ばれたこともわかっている。そして2012年からシリアでの戦闘は激化するのだが、そこで西側の政府や有力メディアは「独裁者による民主化運動の弾圧」というシナリオを宣伝しはじめた。 そこで使われた「情報源」はシリア系イギリス人のダニー・デイエムやSOHR(シリア人権監視所)だが、デイエムが偽情報を流していることが発覚、SOHRはイギリス政府との関係が指摘されても有力メディアは「情報源」にしている。デイエムが消えたあと、登場してきたのがシリア市民防衛(白いヘルメット)。この団体がアル・カイダ系武装勢力と一心同体の関係にあることは明らかにされている。 シリアのような国が国民を敵に回し、大量虐殺したなら体制は持たない。かつてラテン・アメリカで軍事独裁政権が維持できたのはアメリカの巨大資本、その手先であるCIAが後ろ盾になっていたからだ。カネと暴力だ。アメリカの支配階級は自分たちがやっていたことをシリア政府が行っているかのように描き、それを受け入れる人が西側には少なくないらしい。支配システムから出たくないということだろう。出ないで住む口実を求めている人がいるように見える。 ローマ教皇庁の通信社は2012年6月の段階でシリアにおける戦争の実態を正しく伝えていた。市民が虐殺された場所へ入って調査した修道院長の報告を掲載したのだ。その修道院長は虐殺したのは政府軍と戦っているサラフィ主義者や外国人傭兵だとしたうえで、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と語っている。侵略戦争を侵略戦争だと伝えれば戦争はすぐに終わると言っているのだ。 西側の有力メディアが実態を知らないとは思えない。知っているからこそ、自らが取材せず、デイエムやSOHRや白いヘルメットのような怪しげな存在を通した話を伝えているのだ。誰かに聞いたことにしておけば、嘘を認めざるをえなくなっても「騙された」と言い訳できると考えているのだろう。 ところで、ドゥーマのケースでは西側の記者が現地を取材、西側の政府や有力メディアの主張を否定する報告をしている。例えば、イギリスのインディペンデント紙が派遣したロバート・フィスク特派員は攻撃があったとされる地域へ入り、治療に当たった医師らに取材しているが、そこで患者は毒ガスではなく粉塵による呼吸困難が原因で担ぎ込まれたという説明を受けている。毒ガス攻撃があったことを示す痕跡はないという。アメリカのケーブル・テレビ局、OANの記者も同じ内容の報告をしている。ロシア系のRTは西側の有力メディアが化学兵器の被害者だとして報道した子どもとその父親を取材、やはり化学兵器が使用されたという話を否定した。ほかの有力メディアもその気になれば取材できる。
2018.05.19
アル・カイダ系武装集団と一心同体の関係にある「シリア市民防衛(白いヘルメット)」はNGOと見なされている。そのNGOはシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すためにアメリカが主導する軍隊にシリアを直接攻撃させようとしている。これは白いヘルメットの雇い主が願っていることにほかならない。 その白いヘルメットは今年(2018年)2月4日にもシリア政府軍が化学兵器を使ったと主張、アメリカ国務省のヘザー・ナウアート報道官はそれが事実であるかのような発言をした。アメリカ国防省のダナ・ホワイト報道官がそうしたことを示す証拠を見たことがないと発言したのとは対照的だ。この手の主張に対し、「タカ派」で知られるジェームズ・マティス国防長官も化学兵器を政府軍が使ったとするNGOや武装勢力の主張を裏付ける証拠は確認していないとしていた。 その2月4日の話についてOPCW(化学兵器禁止機関)は塩素を使ったらしいといういい加減な報告書を5月15日に発表した。国連の安全保障理事会で化学兵器の問題がある討議される2日前、前日に偵察飛行していたロシア軍のSu-25戦闘機がアル・カイダ系武装集団のMANPADS(携帯型防空システム)で撃墜され、脱出したパイロットは地上での戦闘を経て死亡したイドリブにシリア軍が危険を顧みずにヘリコプターを派遣して塩素をまいたという。この地域での空爆は長い間なく、防空壕へ住民が入る状況ではないのだが、なぜかその時は防空壕にいたともされている。このケースでOPCWは現地を調査していない。白いヘルメットなどシリア政府の打倒を目指す勢力が提供した話に基づく「分析」で、全ての疑問は封印された。 4月7日にも白いヘルメットはアル・カイダ系武装集団の「ジャイシュ・アル・イスラム」と同じようにシリア政府軍がドゥーマで化学兵器を使ったと宣伝、その件を調べるためにOPCWのチームが現地であるドゥーマへ入る直前の4月14日にアメリカ、イギリス、フランスの3カ国はシリアをシリアをミサイル攻撃した。 ロシア国防省の説明によると、この攻撃で3カ国は103機の巡航ミサイルを発射、そのうち71機をシリア軍が撃墜したという。ロシア国防省は攻撃された場所としてダマスカス国際空港(4機。全て撃墜)、アル・ドゥマイル軍用空港(12機。全て撃墜)、バリー軍用空港(18機。全て撃墜)、サヤラト軍用空港(12機。全て撃墜)、メゼー軍用空港(9機。うち5機を撃墜)、ホムス軍用空港(16機。うち13機を撃墜)、バザーやジャラマニの地域(30機。うち7機を撃墜)を挙げている。 アメリカ国防総省の発表によると、攻撃のターゲットはバルザー化学兵器研究開発センター(76機)、ヒム・シンシャー化学兵器貯蔵施設(22機)、ヒム・シンシャー化学兵器(7機)。すべてが命中したとしているが、攻撃目標と使用されたミサイルの数が不自然で、現地の様子とも符合しないため、これは正しくないと見られている。 今回の攻撃に対し、アル・カイダ系武装集団ジャイシュ・アル・イスラムの幹部、モハマド・アルーシュは失望したと表明している。シリア軍の航空兵力を壊滅させ、地上の戦闘部隊がダマスカスを攻略して逆転勝利を狙っていた可能性がある。ただ、そうした攻撃を実行すればロシア軍は攻撃に参加した3カ国の艦船や航空機を破壊、全面戦争へ突入する可能性があった。ネオコンは「脅せば屈する」という考えに取り憑かれているようで、ロシア軍は出てこないと信じていたかもしれない。 3カ国軍が攻撃する直前、国連の専門機関であるWHO(世界保健機関)は化学兵器の使用で多くの犠牲者が出ているとする声明を出したが、その情報源はWHOがパートナーと呼ぶ団体。その中に含まれているMSFは「白いヘルメット」を訓練している。独自の調査をしたわけでなく、アル・カイダ系勢力の宣伝をそのまま主張しただけ。今回のOPCWと同じだ。ただ、ドゥーマでのケースでOPCWの調査チームは化学兵器が使われた痕跡はなく、犠牲者もいないと結論づけている。OPCWの幹部はこの結論に動揺したことだろう。 ドゥーマへ入り、取材した西側のジャーナリストも化学兵器は使われていないと伝えている。例えば、イギリスのインディペンデント紙が派遣したロバート・フィスク特派員は攻撃があったとされる地域へ入り、治療に当たった医師らに取材しているが、そこで患者は毒ガスではなく粉塵による呼吸困難が原因で担ぎ込まれたという説明を受けている。毒ガス攻撃があったことを示す痕跡はないという。アメリカのケーブル・テレビ局、OANの記者も同じ内容の報告をしている。ロシア系のRTは西側の有力メディアが化学兵器の被害者だとして報道した子どもとその父親を取材、やはり化学兵器が使用されたという話を否定した。 化学兵器の使用を口実にしたシリアに対する直接的な軍事介入を計画したのはバラク・オバマ政権である。アメリカのDIA(国防情報局)がシリアに「穏健派」は存在しないととするホワイトハウスに出した2012年8月、バラク・オバマ大統領はNATO軍/アメリカ軍による直接的な軍事介入の「レッド・ライン」は生物化学兵器の使用だと宣言、その年の12月に国務長官だったヒラリー・クリントンがこの宣伝に加わる。自暴自棄になったシリアのバシャール・アル・アサド大統領が化学兵器を使う可能性があると主張したのだ。翌年の1月になると、アメリカ政府はシリアでの化学兵器の使用を許可、その責任をシリア政府へ押しつけてアサド体制を転覆させるというプランが存在するとイギリスのデイリー・メール紙が報道した。 そして2013年3月、西側は政府軍がアレッポで化学兵器を使ったと非難したが、5月には国連の調査官だったカーラ・デル・ポンテが化学兵器を使用したのは反政府軍だと語っている。この年には8月にも化学兵器が使用され、アメリカは9月上旬に攻撃すると見られていたが、地中海から発射されたミサイルが海中に墜落、軍事侵攻はなかった。その件も、シリア政府が化学兵器を使用したことを否定する報道、分析が相次いだ。(この辺の話は本ブログで何度も書いてきたので、今回は詳細を割愛する。)
2018.05.18
朝鮮半島の雲行きが怪しくなり、6月12日にシンガポールで行われることが予定されているドナルド・トランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長との会談もどうなるかわからない。予測されたとおりの展開になっている。 韓国、中国、ロシアが東アジアの軍事的な緊張を緩和させ、地域の経済的な発展を願っていることは明確だが、それをアメリカが嫌い、日本がアメリカに追随していることも明らかだ。トランプ大統領自身がどのように考えているかは不明だが、アメリカの支配層は平和を望んでいない。 金正恩を中心とする朝鮮の支配層が願っているのは体制の護持。ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領に見捨てられて以来、彼らはあらゆる手段を講じてその目的のために動いてきた。ソ連消滅の後、1990年代に統一協会から資金を受け取ったのもそのためだろう。アメリカに接近するのも核兵器やミサイルの開発をしていると宣伝するのもそのためだ。 トランプ政権の国家安全保障補佐官に就任したジョン・ボルトンは朝鮮半島の非核化について、リビア・モデルを主張した。核兵器開発を放棄させた上で軍事侵略するということだ。リビアのケースと同じと言うことは傭兵を送り込み、アメリカ配下の軍隊が空爆するということになる。5月11日から2週間の予定で実施される米韓軍事演習にはF22戦闘機やB52が参加、朝鮮に核兵器を放棄させて自分たちは核攻撃するという姿勢をみせている。 しかし、朝鮮には鉱物資源があるとはいうものの、アメリカが狙っている相手は中国。朝鮮半島を制圧、あるいは破壊したなら、次は中国の侵略。19世紀にイギリスは中国から略奪するためにアヘン戦争を引き起こしたが、その戦争にはアメリカ人も参加、その当時から米英の基本戦略は変化せず、その当時から日本は東アジア侵略の手先として動いているに見える。 中国でのアヘン取引で儲けた富豪のひとりがエール大学の秘密結社、スカル・アンド・ボーンズを作ったウィリアム・ラッセル。大英帝国が衰退した後、アメリカがその戦略を引き継いだ。 スカル・アンド・ボーンズの出身者としてジョージ・H・W・ブッシュとジョージ・W・ブッシュの親子は有名だ。ジョージ・H・W・ブッシュは1989年にアメリカ大統領となり、中国駐在大使としてジェームズ・リリーを引っ張ってきた。リリーは1951年にCIA入りしたとされているが、エール大学でリクルートされた可能性が高い。やはりエール大学でCIAにリクルートされているのがブッシュ・シニアだ。ちなみに、リリーの前の中国駐在大使もスカル・アンド・ボーンズ出身だ。
2018.05.17
アメリカ政府は5月14日に自国の大使館をテルアビブからエルサレム(クドス)へ移した。パレスチナ人はこれに反発して抗議行動を始めるが、イスラエル軍は実弾を発射して58名以上とも59名以上とも言われるデモ参加者が殺されたと伝えられている。庶民のレベルでは反イスラエル、反アメリカの感情が中東全域で強まることは避けられないだろうが、サウジアラビアのモハメド・ビン・サルマン皇太子をはじめ支配階級の人々はパレスチナ人に対して冷淡だ。ビン・サルマンは自身が親イスラエルだということを隠していない。 大使館の移動は昨年(2017年)12月6日にドナルド・トランプ米大統領が宣言していた。イスラエルの首都だと認め、アメリカ大使館をそのエルサレムに建設する方針であることを演説の中で明言、それを実行したわけだ。 しかし、これをトランプ大統領の暴走だと捉えるべきではない。アメリカには「1995年エルサレム大使館法」という法律があり、エルサレムをイスラエルの首都だと承認し、1999年5月31日までにエルサレムにアメリカ大使館を設置することを求めている。トランプ大統領が行った演説の半年前、6月5日にアメリカの上院はその法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。反対した議員はいないということだ。 エルサレムをイスラエルの首都だと認めることは、1967年6月の第3次中東戦争から続くイスラエルによる不法占領を認めることでもある。戦争への流れが加速したのはその年の春から。3月から4月にかけてイスラエルは軍事的な緊張を高めるためにシリア領であるゴラン高原にトラクターを入れて土を掘り起こし始めたのだ。それに対してシリアが威嚇射撃するとイスラエルは装甲板を取り付けたトラクターを持ち出し、シリアは迫撃砲や重火器を使うというようにエスカレート、銃撃戦に発展していった。1971年から85年まで国連の事務次長を務めたイギリス人のブライアン・アークハートもシリアが攻撃を始めたわけではないと語っている。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005) 軍事的な緊張が高まる中、エジプトは5月15日に緊急事態を宣言、シナイ半島へ部隊を入れてイスラエルとの国境沿いで防衛態勢をとらせた。5月20日にイスラエル軍の戦車がシナイ半島の前線地帯に現れたとする報道が流れ、エジプトは翌日、10万の予備軍に動員令を出し、22日にアカバ湾の封鎖を宣言した。5月30日にはイスラエルの情報機関モサドのメイール・アミート長官がアメリカを訪問、リンドン・ジョンソン大統領に開戦を承諾させる。アミートが帰国した2日後の6月5日にイスラエル軍はエジプトに対して空爆を開始、第3次中東戦争が勃発したのだ。 この戦争はイスラエル軍が圧勝する。そうした結果に終わった理由としてあげられているのはアラブ諸国の分裂やイスラエルの航空兵力の優秀さ。さらに、アメリカ空軍はイスラエルへ偵察機のRF4Cを派遣、ネゲブの基地で塗装をイスラエル軍の航空機のように塗り替えてエジプト軍の地上部隊の動きを偵察している。その結果はイスラエル側へ伝えられた。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)この戦争でイスラエル軍はガザ、ヨルダン川西岸、シナイ半島、ゴラン高原を占領、ゴラン高原の西側3分の2は今でもイスラエルが不法占領、エルサレムの旧市街も併合した。 戦争が勃発して3日後にアメリカは情報収集船のリバティをイスラエルの沖に派遣、そのリバティの近くにイスラエル軍は偵察機を飛ばし、相手を確認している。その後、何度か航空機は飛来している。 そして6月8日午後2時5分に3機のミラージュ戦闘機がリバティへの攻撃を開始、ロケット弾やナパーム弾を発射した。イスラエル軍機はまず船の通信設備を破壊して連絡できないようにしたが、船の通信兵は寄せ集めの装置とアンテナで2時10分、近くにいた第6艦隊へ遭難信号を発信することに成功した。これに気づいたイスラエル軍はジャミングで通信を妨害している。その後、魚雷艇が近づいて砲撃、さらに魚雷を発射して命中させた。4時近くまで続いた一連の攻撃でリバティの乗組員のうち9名が死亡、25名が行方不明になり、171名が負傷した。 この間、第6艦隊の空母サラトガの甲板にはすぐ離陸できる4機のA1スカイホークがあり、艦長は発進させている。イスラエルが攻撃を開始してから15分も経っていない。そこからリバティまで約30分で到達できるので、2時50分には現場に着くことができる。そうした事態になっていることを知らされたロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対して戦闘機をすぐに引き返させるようにと叫んだという。 第6艦隊が空母サラトガと空母アメリカに対して戦闘機を救援のために派遣するように命じたのは3時16分。39分に艦隊司令官はホワイトハウスに対し、戦闘機は4時前後に現場へ到着すると報告、その数分後にイスラエルの魚雷艇は最後の攻撃を行った。そして4時14分にイスラエル軍はアメリカ側に対し、アメリカの艦船を誤爆したと伝えて謝罪、アメリカ政府はその謝罪を受け入れている。 勿論、リバティが攻撃されている時のイスラエル軍による交信をアメリカの情報機関は傍受、記録している。近くにはアメリカ軍の潜水艦がいて全てを目撃していたはずだが、情報は封印されていて、若干、漏れてくるだけだ。交信を記録したテープは重要な証拠だが、電子情報機関のNSAはそうしたテープを大量に廃棄したという。後にこの攻撃をアメリカ側は隠蔽するが、その責任者になったのがアメリカ海軍太平洋艦隊の司令官だったジョン・マケイン・ジュニア、つまりジョン・マケイン3世の父親だ。 この時の大統領、ジョンソンは上院議員時代から親イスラエル派の中心的人物だと見なされていた。イスラエルの核開発に厳しい姿勢で臨んでいたジョン・F・ケネディとは考え方が全く違う。
2018.05.15
ロンドンのエクアドル大使館にいるWikiLeaksのジュリアン・アッサンジは今年(2018年)3月から外部との接触を断たれているが、ここにきてイギリスかアメリカの当局へ引き渡されるのではないかという話が流れている。 イスラエル関連の重要な情報が出てこないのは不自然だという批判もあるが、権力システムによって隠されていた情報を外へ出す手助けをしてきたことは事実だ。だからこそ、アメリカやイギリスの政府はアッサンジが外を自由に歩けないような状況を作り出した。そのアッサンジに避難場所を提供したエクアドル政府だが、今では彼がインターネットへ接続できないようにし、面会だけでなく電話で外部と接触することも禁止している。アッサンジが最後に外部へ発信したのは3月下旬だ。 その月の1日、ロシアのウラジミル・プーチン大統領は自国やロシアの友好国が国の存続を揺るがすような攻撃を受けた場合、ロシア軍は攻撃してきた拠点を含めて反撃すると宣言したが、その3日後にイギリスで神経薬物の騒動がはじまる。 ソールズベリーで倒れているセルゲイ・スクリパリとその娘のユリアが発見され、近くの病院へ入院したのだが、テレサ・メイ英首相はその原因を「ノビチョク(初心者)」だと断定、ウラジミル・プーチン露大統領が主犯だと主張してきた。ドナルド・トランプ米大統領などもそれに同調する。 ノビチョクとは1971年から93年にかけてソ連/ロシアで開発されていた神経物質の総称で、ロシアでこの名称が使われることはないと指摘する人もいる。イギリス政府がこの名称を使った理由はロシアとの関係を強調したいからだった可能性が高い。使われた化学物質はA-234という神経物質だとも言われているが、旧ソ連では2017年までにこうした物質や製造設備は処分された。 真相が明らかにされたとは言い難い状況なのだが、そうしたことを気にすることなく、イギリス政府は3月14日にロシアの外交官23名を国外へ追放する。26日にはアメリカ政府がロシアの外交官60名(大使館のスタッフ48名と国連に派遣されているメンバー12名)を国外へ追放、シアトルのロシア領事館を閉鎖すると発表した。 セルゲイ・スクリパリはGRU(ロシア軍の情報機関)の元大佐だが、1990年代にイギリスの情報機関MI6に雇われた二重スパイ。この事実が発覚してい2004年12月にロシアで逮捕され、06年に懲役13年が言い渡されている。2019年まで刑務所に入れられていた可能性があるのだが、10年7月にスパイ交換で釈放され、ソールズベリーで本名を使って生活を始めた。セルゲイはロシアにとって過去の人だ。 親子が発見されたという現場から13キロメートルほど離れたポートン・ダウンにはイギリス政府のDSTL(国防科学技術研究所)があり、今でも化学兵器が製造されている。今回のケースではここで薬物について調べられたのだが、元ウズベキスタン駐在イギリス大使のクレイグ・マリーによると、そこの科学者は使われた神経ガスがロシアで製造されたものだと特定できなかったと語っているとしていた。この情報が正しいことは、DSTLのチーフ・イグゼクティブのゲイリー・エイケンヘッドがスカイ・ニューズの取材で確認している。 米英両国政府への疑惑が膨らむ中、4月9日にユリアは退院、当局の「保護下」にあるというが、ロシア大使館だけでなく、彼女の家族や親戚も連絡が全くとれない状況にある。ロシアに住むユリアの従姉妹ビクトリアはふたりを心配してイギリスへ行こうとしたが、ビザが下りなかった。イギリス政府がユリアの身の危険を感じているのだとしても、安全を確保する方法はある。そこで言われているのは、スクリパリ親子は拉致されたのではないかという疑いだ。
2018.05.14
文在寅韓国大統領と金正恩朝鮮労働党委員長は今年(2018年)4月27日、板門店で会談した。これを実現する上で最も重要な役割を果たしたのは韓国政府だろう。その韓国政府はロシアや中国と緊密な関係を維持してきた。それに対して東アジアにおける軍事的な緊張を高めてきたのは朝鮮。核兵器の爆発実験や弾道ミサイル(ロケット)の発射実験を繰り返し、アメリカの軍事的な緊張を高める口実を提供してきたのだ。その朝鮮が韓国との話し合いに応じた。アメリカ支配層にとって不都合な展開である。 文大統領と金委員長が会談する前日、アメリカ政府はCIA長官だったマイク・ポンペオが朝鮮で金委員長と握手する様子を撮影した写真を公表した。4月1日頃に撮影されたようだ。ポンピオが朝鮮を訪れる直前、3月26日に金正恩委員長は特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会談、27日に帰国している。朝鮮半島の問題で主導的や役割を果たしているのはアメリカ政府だとポンペオはアピールしたかったのかもしれない。 韓国と中国は朝鮮に対し、核兵器開発の放棄と引き替えに経済援助を申し入れたと伝えられている。すでにロシアは高速鉄道やエネルギー資源を運ぶパイプラインでロシア、中国、そして朝鮮半島をつなぎ、東アジアを安定化させて一大経済圏にしようという計画を持っている。 ロシアのドミトリ・メドベージェフ首相は2011年夏にシベリアで金正日と会談、朝鮮がロシアに負っている債務の90%(約100億ドル)を帳消しにし、10億ドルの投資をすることで合意、14年にロシア議会はこの合意を承認した。2011年の会談で15年の行われる対ドイツ戦勝利70周年記念式典へ金正日が出席することも決まったが、2011年12月に死亡してしまう。その後、朝鮮はロシアの構想にとって好ましくないこと、つまりアメリカにとって好都合なことを繰り返した。その流れが変化したことを文大統領と金委員長の会談が示している。 そうした中、国務長官になったポンペオは朝鮮に対し、経済支援を持ちかけたという。中国やロシアに対抗してのことだろうが、過去を振り返ると、アメリカの「経済支援」は一種の「毒饅頭」であることがわかる。 例えばポーランドの場合、国民の不満を緩和する目的で、1970年代に西側の銀行から240億ドルという国家規模から見て不相応な額の融資を受けた。1980年代の半ばには外国からの債務は500億ドル、GDPの3分の2近い。アメリカの罠に陥ったということだ。1989年のインフレ率は年間250%に達した。こうした経済浸食と並行してアメリカは配下のNGOや労働組合を使ってターゲット国を破壊していく。 ドナルド・トランプ政権の国家安全保障補佐官に就任したジョン・ボルトンは朝鮮半島の非核化について、リビア・モデルを主張した。核兵器開発を放棄させた上で軍事侵略するということだ。リビアのケースと同じと言うことは傭兵を送り込み、アメリカ配下の軍隊が空爆するということになるのかもしれない。これまでアメリカは東アジアを不安定化させるために朝鮮を利用してきたが、朝鮮半島を属国化することに成功すれば、中国を制圧して略奪する拠点になる。アメリカが旧ソ連圏で行ってきたことだ。 しかし、金正恩やその側近たちがよほどの「お人好し」でないかぎり、アメリカの提案へ簡単には乗らないだろう。トランプ米首相は5月8日にJCPOA(包括的共同作業計画)からの一方的な離脱を宣言したが、これもアメリカが信用できない国だというメッセージとして捉えるだろう。
2018.05.13
ドナルド・トランプ米大統領はマイク・ポンペオの後任CIA長官として「血まみれのジーナ」ことジーナ・ハスペルを選んだが、この人選を批判する人は少なくない。CIAは世界各地に「ブラック・サイト」という秘密刑務所を設置していた(いる)が、2002年の終わりからタイの刑務所で所長を務め、拷問を指揮していたのがハスペルだからだ。勿論、そうしたことは行っていないことにされていたが、嘘だったわけだ。 ジョージ・W・ブッシュ政権は2003年3月にイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒したあとに掃討作戦をはじめた。フセイン体制はアル・カイダ系武装集団を人権無視で弾圧していたので、作戦の対象にアル・カイダ系勢力の戦闘員はほとんど含まれていなかったはずだ。 この作戦で採用されたのはベトナム戦争におけるフェニックス・プログラムやラテン・アメリカで行われた死の部隊を使った手法。支配と略奪の邪魔になる人々を殺害、そうした人々のネットワークを潰すために共同体を破壊していった。 イラクでの作戦を指揮したジェームズ・スティール退役大佐は1984年から86年にかけてエル・サルバドルへ軍事顧問団の一員として入り、死の部隊を編成した人物。その当時、エル・サルバドルでスティールと会い、その手法に心酔したのがデイビッド・ペトレイアス。後に中央軍司令官やCIA長官を務めることになる。 ペトレイアスはヒラリー・クリントン、リチャード・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルドらに近く、このラインがスティールをイラクへ連れてきた。イラクでエル・サルバドルを再現しようとしたのだ。イラクではジョン・ネグロポンテ駐イラク大使(同)の下で特殊警察コマンドの訓練をしたのだが、ネグロポンテは1981年から85年までホンジュラス駐在のアメリカ大使を務めている。 ホンジュラスは中央アメリカでアメリカが行った秘密工作の拠点で、ネグロポンテが大使を務めていた頃にアメリカからホンジュラスへの軍事援助は急増、反体制派と見なされた少なからぬ人たちが殺されている。 アメリカの秘密工作はCIAの破壊工作部門が実行してきた。その始まりは第2次世界大戦終盤にレジスタンス対策で編成されたジェドバラ。大戦後にその人脈が作った秘密工作のための秘密機関がOPCで、それが1951年にCIAへ入り込んで作戦局の中核になり、73年に工作局、今はNCS(国家秘密局)になっている。ハスペルはこの分野を歩き、2013年2月から5月にNCS局長代理を務め、2017年2月にはCIA副長官に就任した。現在はCIA長官代理でもある。 戦争中のジェドバラはともかく、OPCからNCSに至まで世界中で行った秘密工作とはさまざまな形の内政干渉だ。アメリカ巨大資本のカネ儲けにとって邪魔な存在を排除することが役割。要人暗殺や軍事クーデターを試み、実行してきたほか、戦争に反対する人々の監視、報道操作、プロパガンダ、洗脳の研究などを行ってきた。そうした流れの中で拷問も行われた。
2018.05.12
イスラエル軍が5月10日午前1時45分から3時45分にかけてシリア領内をミサイルで攻撃した。ロシア軍によると、攻撃に参加したのは28機のF-15とF-16で、70機のミサイルが発射されたという。そのうち70%のミサイルをシリア軍が撃墜したとシリアでは報道されているが、ロシア国防省の説明によると撃ち落としたのは半数以上だという。 ゴラン高原を不法占拠しているイスラエル軍に対する「イラン」の攻撃に対する報復として「シリアにあるイランの基地」を攻撃したとしているが、シリア側は自分たちが攻撃したとしている。シリアでの報道によると、シリア側から50機以上、あるいは68機以上のミサイルがゴラン高原にあるイスラエルの4軍事施設を攻撃、イスラエルの防空システム、アイアン・ドームが撃墜に成功したのは数機だったと伝えられている。 ドナルド・トランプ米首相が5月8日にJCPOA(包括的共同作業計画)からの一方的な離脱を宣言、中東で軍事的な緊張が高まる中での交戦と言えるが、9日にイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相がロシアの戦勝記念日の式典に参加していることも無視できない。この式典ではネタニヤフ首相とセルビアの大統領がウラジミル・プーチン露大統領と並んで歩いている。シリアやイランと連携しているロシアだが、その大統領との良好な関係をネタニヤフは宣伝していたようにも見える。シリア軍の攻撃がそうしたイメージ作りに関係している可能性は否定できない。 イスラエル軍の攻撃を受け、パレスチナで戦っているムスリム同胞団系のハマスがイスラエルを批判する声明を出した。宗派的な問題もあり、これまでハマスとイランを後ろ盾とするヒズボラは連携していないが、両派が近づく可能性もある。 サウジアラビアのモハメド・ビン・サルマン皇太子はイスラエルとの同盟関係を隠そうとせず、パレスチナ人に冷淡な姿勢を露骨に見せている。当然、パレスチナ側はサウジアラビアに反発するはず。各国の支配階級はカネと脅しでコントロールできるとしても、庶民は違う。「脅せば屈する」というアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの強硬策は逆効果になる可能性がありそうだ。
2018.05.11
シリア防衛を含め、ロシアはアメリカなどによる侵略を阻止しようとしてきたが、この国には弱点がある。ウラジミル・プーチン露大統領は5月7日から通算4期目に入ったが、経済や金融の部門はまだ西側の巨大資本と結びついた勢力に握られているのだ。 それだけでなく、ボリス・エリツィンを使ってソ連を消滅させ、ロシアを西側巨大資本の属国にしたKGBの将軍たちは健在。その中にはKGBの頭脳とも呼ばれたフィリップ・ボブコフも含まれ、そのネットワークはプーチンも無視できないだろう。そうした力関係を象徴するのがドミートリー・メドベージェフの首相再任。 本ブログでも指摘したことがあるように、この人物もロシアを西側の巨大資本に従属させようとしている「第5列」のひとりと見なされている。これをプーチンの裏切り行為だという考えが国民の間に広がっているようだ。アメリカやEUの「仲間」になりたがっている勢力を排除できればロシアに未来が見えてくるが、メドベージェフの再任はそれが難しいことを示している。 現在、プーチンが圧倒的に支持されているのは、ボリス・エリツィンの一派を手先にした西側支配層に蹂躙されたロシアを回復させた手腕が評価されているからにほかならない。ロシアで西側支配層が甘い汁を吸えなくなったとも言え、西側の政府や有力メディアがプーチンを憎悪する理由になっているのだが、プーチンが西側の支配層に手をつけられないの見て国民が離反する可能性がある。 少なくとも結果として、ドナルド・トランプ大統領はメドベージェフの首相再任を見てJCPOAからの離脱を宣言した。これによって軍事的な緊張が高まることは必至だが、ロシア政府は強硬策に出ないと感じても不思議ではない。 大統領選挙でトランプのライバルだったヒラリー・クリントンの周辺は戦争ビジネス、巨大金融資本、そしてネオコンに固められていた。それに対し、トランプ大統領はベンヤミン・ネタニヤフと近いシェルドン・アデルソンから多額の資金を得ていた。以前にも何度か書いたが、ネタニヤフ首相の父親、ベンシオン・ネタニヤフはニューヨークでウラジミール・ジャボチンスキーの秘書として働いていた人物。ジャボチンスキーは1925年に「修正主義シオニスト世界連合」を創設、リクードはその流れの中から生まれた。クリントンもトランプも背後にはシオニストがいるのだが、同じではない。 トランプは大統領に就任した直後の2017年2月にフリン国家安全保障補佐官を解任、その年の4月6日にシリアをミサイル攻撃している。地中海にいたアメリカ海軍の2駆逐艦、ポーターとロスから巡航ミサイル(トマホーク)59機をシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射した。数機では対応されてしまうと考えたのかこれだけのミサイルを発射したのだが、目標に到達したのは23発にすぐなかったとされている。この時の経験から短距離用の防空システムパーンツィリ-S1の配備を進めたようだ。 その1年後、今年の4月14日にアメリカ、イギリス、フランスの3カ国は再びシリアをミサイル攻撃した。アメリカ軍によると、発射された巡航ミサイルは紅海にいたモンテレイから30機、ラブーンから7機、ペルシャワンにいたヒギンズから23機、地中海にいたジョン・ウァーナーから6機、フランスのロングドークから3機、B-1B爆撃機から19機、イギリスのタイフーンやトルネード戦闘機から8機、フランスのラフェルやミラージュから9機で合計105機。ターゲットはバルザー化学兵器研究開発センター(76機)、ヒム・シンシャー化学兵器貯蔵施設(22機)、ヒム・シンシャー化学兵器(7機)だったという。さほど大きくない施設に大量のミサイルを撃ち込んだことになる。 それに対してロシア国防省は違った説明をしている。攻撃されたのはダマスカス国際空港(4機。全て撃墜)、アル・ドゥマイル軍用空港(12機。全て撃墜)、バリー軍用空港(18機。全て撃墜)、サヤラト軍用空港(12機。全て撃墜)、メゼー軍用空港(9機。うち5機を撃墜)、ホムス軍用空港(16機。うち13機を撃墜)、バザーやジャラマニの地域(30機。うち7機を撃墜)だという。攻撃に使われたミサイルの約7割を撃墜したというわけだ。 アメリカ軍とロシア軍が衝突した場合、アメリカ軍は厳しい戦いを強いられることになる。通常兵器の戦いで劣勢になり、アメリカが核戦争へ移行すれば世界は終末の時を迎えかねない。メドベージェフの再任は世界を危険な方向へ向かわせる節目になった可能性がある。(了)
2018.05.10
ドナルド・トランプ米首相は5月8日、JCPOA(包括的共同作業計画)からの一方的な離脱を宣言した。イランにたいする「経済制裁」も予定しているという。アメリカにイランを攻撃させたがっていたイスラエルやサウジアラビアの政府はこの決定を歓迎している。この両国からの要求にトランプ大統領は応えたということだろう。この発表があった直後、イスラエルがダマスカスをミサイルで攻撃したと伝えられている。 イランの経済や金融は今でも西側の巨大金融資本と結びついた勢力が主導権を握っているようで、最近はアメリカが仕掛けた通貨戦争でイランは厳しい状況に陥っているとも言われている。トランプ政権はもう一押しを狙っているのだろうが、これはイランをロシアや中国の方へさらに追いやることになりかねない。 イスラエルの軍事侵略を受けてきたレバノンで5月6日に行われた議会選挙でイランを後ろ盾とするヒズボラが勝利した。サウジアラビアがイスラエルとの同盟関係を隠さなくなったが、イスラエルと対峙、シリアではアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟やイギリスとフランスのサイクス-ピコ協定コンビなどが送り込んだジハード傭兵と戦っているイランの支持は広がっている。かつての力関係ならイスラエル軍がレバノンに侵攻するのだろうが、今はそれだけの力がなく、アメリカを引き込むしかない。 アメリカでは大統領だけでなく議会の大半もイスラエル・ロビーの支配下にある。例えば、アメリカには「1995年エルサレム大使館法」という法律がある。エルサレムをイスラエルの首都だと承認し、エルサレムにアメリカ大使館を設置すべきだとしているのだが、昨年6月5日に上院はその法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。この決議ではバーニー・サンダースも賛成した。トランプ大統領だけがエルサレムにアメリカ大使館を移すべきだと言っているわけではない。 ところで、JCPOAは2015年7月に発表され、翌年の1月に発効した。当時のアメリカ大統領、バラク・オバマは2011年春にリビアとシリアに対するジハード傭兵を使った侵略戦争を開始したが、シリア政府を悪魔化して見せるプロパガンダの仕組みが発覚、2012年8月にアメリカ軍の情報機関であるDIA(国防情報局)がホワイトハウスへ提出した報告書の中で、反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(DIAはAQIとアル・ヌスラの実態は同じだと正しく指摘している)で、オバマ政権が主張するところの「穏健派」は事実上、存在しないとしている。 つまり、オバマ政権の「穏健派」に対する支援はサラフィー主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)やムスリム同胞団、そうした集団のメンバーを主力とするアル・カイダ系武装集団を強大化させることになり、シリアの東部(ハサカやデリゾール)にはそうした勢力の支配国が作られる可能性があるとも警告していた。それは2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)という形で現実のものになる。その当時のDIA局長がマイケル・フリン中将。トランプ大統領が最初に国家安全保障補佐官にした人物であり、だからこそ早い段階で排除された。 2012年の段階でオバマ大統領やヒラリー・クリントン国務長官は化学兵器話を口実にしてシリアを直接攻撃すると示唆、翌年の初めにはイギリスのデイリー・メール紙がアメリカ政府による化学兵器話を利用した偽旗作戦の存在を伝えた。 報道から2カ月後の2013年3月にアレッポで化学兵器が使われ、西側はシリア政府を非難する。ところがこの主張に対する疑問が噴出、5月には国連の調査官だったカーラ・デル・ポンテが化学兵器を使用したのは反政府軍だと語っている。 この年には8月にも化学兵器話が流され、オバマ政権は調査が進んで事実が明らかにされる前にシリアを攻撃しようと目論む。シリア沖にはアメリカ軍の艦隊が集結、それに対してロシア軍も艦船を配置した。 9月の初めには攻撃が始まると見られていたが、オバマ大統領は方針を変更して議会の承認を求める。責任が自分に集中することをさけたかったのだろう。そして9月3日に地中海の方からシリアへ向かって2機のミサイルが発射されるのだが、途中で海に落下してしまう。その後もリビアのようなNATO軍の空爆はなかった。このミサイル発射についてイスラエルはテストだったとしているが、事前に警告はなく、攻撃を始めたが失敗したと推測されている。ロシア軍がECM(電子対抗手段)を使ったと見る人もいる。イランとP5+1(国連安保理常任理事国5カ国とドイツ)がジュネーブ暫定合意に達したのはその年の11月だ。9月上旬にシリアが攻撃されなかったことを残念がる人もいたが、そのまま開戦になった場合、アメリカ軍は惨憺たることになっていた可能性が高い。(つづく)
2018.05.09
ウラジミル・プーチンが5月7日、大統領に就任した。通算4期目になる。まだロシアにはアメリカやEUに接近したがっている勢力が存在するが、そうした方向へ向かわなければ新たな時代を切り開くことができるだろう。 現在、プーチンが圧倒的に支持されているのは、ボリス・エリツィンの一派を手先にした西側支配層に蹂躙されたロシアを回復させた手腕が評価されているからだ。ロシアで西側支配層が甘い汁を吸えなくなったとも言え、西側の政府や有力メディアがプーチンを憎悪する理由になっている。 今でもロシア国内にCIAのネットワークは存在するが、政治を動かすほどの動員力はない。サッカーのワールドカップを睨み、ロシアに潜入しているジハード傭兵の摘発も進んでいる。ただ、富裕層の中には西側と連携している勢力は健在。今後6年間でそうした勢力に打ち勝つことができるかどうかでロシアの未来は決まる。 ソ連時代、国民の間では閉塞感が広がり、西側への憧れが高まっていた。ハリウッドやメディアを使ったイメージ戦略が成功したとも言える。上層部には牧歌的な親欧米派もいたが、ウォール街やシティと手を組めば富豪になれることを理解、ソ連を崩壊させようとした人たちもいた。KGBの将軍たちで、その中にはKGBの頭脳とも呼ばれたフィリップ・ボブコフも含まれていた。 この将軍たちが手を組んだ相手にはCIAの非公然オフィサーである可能性が高いジョージ・H・W・ブッシュ、経済部門ではローレンス・サマーズなど、ネオコンのポール・ウォルフォウィッツ、「民間人」のジョージ・ソロスやジェイコブ・ロスチャイルドが含まれる。CIAのネットワークとKGBの中枢がソ連の富を奪うために手を組んだとも言える。 そうしたグループにピックアップされた若者の中には、ボリス・エリツィン、アナトリー・チュバイス、エゴール・ガイダル、ボリス・ベレゾフスキー、ミハイル・ホドルコフスキーらが含まれている。 1991年7月にロンドンで開かれたG7首脳会議に出席したミハイル・ゴルバチョフは西側の首脳から新自由主義の導入を迫られたが、受け入れなかった。そこでエリツィンが登場してくるのだが、ゴルバチョフからエリツィンへの交代は1991年8月の「クーデター未遂」が利用された。これは偽クーデターだったと言われている。 そして実権を握ったエリツィンは1991年12月、ベラルーシにあるベロベーシの森にベラルーシとウクライナのトップを呼び、勝手にソ連を消滅させてしまった。その後の10年間、エリツィンの周辺に集まったクレムリンの腐敗勢力はベレゾフスキーたちと国民の財産が奪うことになる。当然、そうした人々は巨万の富を築き、その一方で庶民は貧困化した。新自由主義を導入した国で共通して見られる現象だ。 生産力は大きく低下、軍事的にもアメリカに対抗できそうもなくなった。CFR(外交問題評議会)が発行しているフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、アメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになる日は近いと主張されている。 しかし、これはエリツィン時代を念頭に置いての分析。2008年8月に北京オリンピックの開会式にジョージアは南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で惨敗している。 ジョージアの奇襲攻撃を「無謀」だと解説する人もいたが、ジョージア軍は2001年からイスラエルによる軍事訓練を受けている。それだけでなく、イスラエルはUAV(無人飛行機)、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを含む武器/兵器を提供していた。攻撃の直前、2008年1月から4月にかけてはアメリカの傭兵会社が元特殊部隊員を派遣、同年7月には国務長官だったコンドリーサ・ライスがジョージアを訪問している。アメリカやイスラエルは少なくとも7年間を準備に費やした。アメリカやイスラエルは「勝てる」と思っていたのだろう。ロシア攻撃の予行演習のつもりだったかもしれない。それが失敗に終わったわけだ。その3年後、アメリカなどはジハード傭兵を使ってリビアやシリアへの侵略戦争を始めた。
2018.05.08
アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがイランに対する恫喝を強めている。現在、イランの大統領を務めているハッサン・ロハニ大統領は2013年の選挙で当選したが、その際、西側ではその結果を歓迎する声が少なくなかった。この人物はハシェミ・ラフサンジャニ元大統領の側近と言われ、欧米では「改革派」、あるいは「穏健派」と見なされていたからだ。 ラフサンジャニはイラン・イラク戦争後の1989年から97年まで大統領を務めたが、その間に新自由主義的な「経済改革」を実施、新たな経済エリートを生み出す一方、庶民を貧困化させた。1979年のイスラム革命後、イランはアメリカやイスラエルから武器を秘密裏に購入、これはイラン・コントラ事件として発覚した。 イスラム革命が成功した直後、テヘランのアメリカ大使館が占拠されて機密文書が押収され、館員など52名が人質になるという出来事があった。その翌年、1980年にはアメリカで大統領選挙があったのだが、現職のジミー・カーターに不満を持つシオニストは激しい反カーター宣伝を展開した。 共和党の有力候補はCIAの非公然オフィサーだと見られているジョージ・H・W・ブッシュとFBIに近いロナルド・レーガンだったが、ブッシュ陣営とレーガン陣営はイスラエルのリクードと手を組み、人質解放を遅らせる秘密工作を実施した可能性がきわめて高い。大統領選の前に人質が解放されるとカーター大統領にとって追い風になるからだ。この工作は成功、レーガンの大統領就任式に合わせて人質は解放された。 人質の解放を遅らせる代償として共和党側が約束した条件はアメリカからイランへ5200万ドルを支払うほか、イランへの武器売却を保証し、アメリカの銀行が行っているイラン資産凍結を解除することだった。 秘密交渉が行われている最中、1980年9月にイラクがイランを攻撃、イランでは武器/兵器の需要が高まる。アメリカやイスラエルが提示した条件の魅力を高める環境が生まれ、イランとアメリカ/イスラエルの関係は深まった。こうした環境はラフサンジャニが大統領に選ばれる一因になった。 イラクのサダム・フセインはアメリカ側の意向を受けてイランと戦争を始めたと見る人もいる。フセインはシオニストから敵視されていたが、CIAの手駒として権力を握った人物。副大統領時代のブッシュはフセインを擁護していた。 ラフサンジャニが推進した新自由主義的な政策は当然、庶民を怒らせることになった。そこで、2005年の選挙ではそうした政策に反対するマフムード・アフマディネジャドが当選、パールシヤーン銀行にメスを入れようとしたのだが、成功しなかった。そうした中、イランでは不動産バブルが膨らみ、2008年に破裂している。 2013年の選挙でアフマディネジャドに近い人物が当選していたならアメリカは経済戦争を仕掛けたと見られているが、ロハニが勝ったので話し合いに入った。この年の9月上旬にアメリカ主力軍はシリアに向かってミサイルを発射するが、地中海に落下している。その直後にイスラエルは発射実験を行ったと発表したが、事前の警告はなく、シリアに対してアメリカ/NATOがリビアと同じように空爆を始めるという情報が流れる中でのことだったため、開戦の第1撃だったとも見られている。それがロシアのECM(電子対抗手段)で落とされたという見方だ。そして同年11月にイランはP5+1(国連安保理常任理事国5カ国とドイツ)とジュネーブ暫定合意、2015年7月にはJCPOA(包括的共同作業計画)が発表された。 現在、アメリカはイランに通貨戦争を仕掛けているという。その目的は新自由主義の恩恵を受けた人々に「蜂起」を促すことにあるのだろうが、アメリカとの話し合いは無駄だと考える人が増えれば、アフマディネジャド時代に戻る可能性がある。 イスラエルやサウジアラビアの要求通りにアメリカがイランを武力で攻撃した場合、イランの安全保障が自国の安全保障に直結していると考えているロシアの反撃はあり、中東全域に戦乱が拡がると覚悟する必要がある。そうなれば全世界が大混乱になる。経済戦争で勝負したなら、ドル離れを加速させそうだ。ドル体制から抜けなかったことが経済的な攻撃を受ける原因だからである。アメリカ側の思惑通りに進まなかった場合、ドル体制の崩壊が早まってしまいそうだ。
2018.05.07
アメリカ海軍の空母ハリー・S・トルーマンを中心とする艦隊が4月下旬に地中海へ入った。シリア、イラン、ロシアなどへ軍事的な圧力を加えることが目的だが、それに対してロシアは武器/兵器を含む物資をシリアへ運び込んでいるとも伝えられている。シリアの北部ではフランスやイギリスも動きを活発化させ、南部ではイスラエルが影響力の拡大を狙う。 アメリカをはじめとする侵略勢力が送り込んだジハード傭兵は壊滅状態で、アメリカ軍とロシア軍が直接対峙する情勢になってきた。ダマスカス攻略の拠点だった南グータを制圧した後にシリア政府軍はダマスカスの南にいるイスラエルと関係の深いジハード傭兵に対する攻撃を開始、イスラエルは自国の戦闘機のトランスポンダーにアメリカ軍機を示す信号を出させているという噂も聞く。 アメリカ、イギリス、フランスの3カ国軍は4月14日にシリアをミサイル攻撃したが、これはドナルド・トランプ米大統領がアメリカ軍をシリアからすぐに撤退させると発言してから16日後のことだ。ジャイシュ・アル・イスラムの幹部は攻撃の後に不満を表明している。 アメリカ軍は攻撃を成功だとしているが、ロシア国防省の発表によると攻撃に使われたミサイルの約7割は撃墜されたという。ロシア側がターゲットだとしているのは、ダマスカス国際空港(4機。全て撃墜)、アル・ドゥマイル軍事空港(12機。全て撃墜)、バリー軍事空港(18機。全て撃墜)、サヤラト軍事空港(12機。全て撃墜)、メゼー軍事空港(9機。うち5機を撃墜)、ホムス軍事空港(16機。うち13機を撃墜)、バザーやジャラマニの地域(30機。うち7機を撃墜)。 これもロシア側の情報だが、シリア政府軍が迎撃に使ったのはパーンツィリ-S1が25機(23機命中)、ブク・システムが29機(24機命中)、オサ・システムが11機(5機命中)、S-125が13機(5機命中)、クバドラートが21機(11機命中)、S-200が8機(0機命中)だとされているが、このほかECM(電子対抗手段)が使われた可能性がある。 ジャイシュ・アル・イスラムの反応を見てもアメリカよりロシアの説明に説得力がのだが、ロシア国防省の発表は米英仏の攻撃が失敗だったことを示している。ジハード傭兵たちはこの攻撃でシリア軍に大きなダメージを与え、それを利用してダマスカスを攻略するつもりだったのだろう。 その攻撃を正当化するため、侵略勢力は4月7日にドゥーマで政府軍が化学兵器で住民70名以上を殺したという話を流していた。発信源はアル・カイダ系武装勢力と連携しているジャイシュ・アル・イスラムと、アル・カイダ系武装集団と一心同体の関係にある「シリア市民防衛(白いヘルメット)」。そこから出た情報を西側の政府や有力メディアは調査をすることなくシリア政府を批判するキャンペーンに利用した。 政府やメディアも愚かではない。この化学兵器話も嘘だと言うことを知っていただろう。だからこそ、「自分を騙す存在」が必要。それが白いヘルメットだ。米英仏軍がシリアをミサイル攻撃したのはOPCW(化学兵器禁止機関)の調査チームが現地を訪れる直前のことだった。 その後、インディペンデント紙のロバート・フィスク特派員やアメリカのケーブル・テレビ局OANの記者が攻撃があったとされる地域へ入って取材、毒ガス攻撃があったことを示す痕跡はないと伝えた。さらにOPCW(化学兵器禁止機関)のチームもドゥーマで化学兵器が使われた痕跡はなく、犠牲者もいないと報告している。 ジャイシュ・アル・イスラムと白いヘルメットが流した化学兵器使用の話は嘘だった可能性がきわめて高い。白いヘルメットは本ブログでも繰り返し書いてきたように、これまでも戦争を煽るために嘘をつき続けてきた団体。2012年の終わりから13年のはじめにかけての時期に創設されたという。 シリアで2011年3月に戦争が始まるが、西側の政府や有力メディアは『独裁者」が「民主化の望む市民」を武力で弾圧、血の海になっているというストーリーを広め、外国軍による軍事介入を求めるという雰囲気を作り上げていった。同年2月に同じような事態になったリビアではNATO軍が介入して10月にムアンマル・アル・カダフィ体制は倒され、今では暴力が支配する破綻国家になっている。その際、地上軍の主力はアル・カイダ系のLIFGだった。 シリアで外国軍の介入を求める「声」を発信していたのがシリア系イギリス人のダニー・デイエムやイギリスの政府機関とつながっていると見られているSOHR(シリア人権監視所)。 ところが、2012年3月1日にダニーや彼の仲間が「シリア軍の攻撃」を演出する様子がインターネット上に流出、彼の情報がインチキだということが判明する。SOHRはその後も存続しているが、ダニー・デイエムは消えた。そこで登場してくるのが白いヘルメットである。 白いヘルメットは2012年3月にトルコでジェームズ・ル・ムズリーなるイギリス人から訓練を受け始めたという。この人物はイギリス軍の元将校でコソボでの作戦に参加、傭兵の世界へ足を踏み入れてブラックウォーターとも関係する。 白いヘルメットは自力で組織されたということになっているが、シリアへ西側の軍隊が介入することを求めるシリア・キャンペーンが企画した。活動家ネットワークのアバーズや広告会社のパーパスの共同創設者であるジェレミー・ヘイマンズが関わったボイス・プロジェクトという広告会社があり、そのボイス・プロジェクトがシリア・キャンペーンを作りだしたのだという。 2014年から資金を白いヘルメットへ提供しているとされているのがメイデイ・レスキューとチェモニクス。両組織はCIAの別働隊と見なされているUSAIDから資金を受け取っている。メンバーを見ると、白いヘルメットはアル・カイダ系武装勢力と一心同体の関係にある。そうした事情は本ブログでも説明してきた。 アメリカの国務省はここにきて白いヘルメットへの支援を見直すという情報が流れている。ジハード傭兵を使って「レジームチェンジ」するという目論みが破綻、新たな戦術を考えている可能性がある。 アメリカ/NATOがロシアとの軍事衝突を覚悟で直接軍事侵略するのか、経済戦争を強化するのではないかと見る人がいる。ミハイル・ゴルバチョフ時代のソ連でクーデターを成功させたKGBの幹部たちは健在であり、そうした黒幕に目をかけられてボリス・エリツィン政権で巨万の富を築いたオリガルヒのネットワークも残っている。ウラジミル・プーチン政権のアキレス腱は経済部門にあると言われるのはそうした事情があるからだ。 同じようにイランも経済部門がアキレス腱になっている。イラク・イラン戦争の後、イランでは新自由主義化が進む。私有化や貿易の自由化が推進され、少数の大金持ちと多くの貧困層を生み出すことになったのだ。そして1989年に大統領となったハシェミ・ラフサンジャニは「経済改革」を実施、新たな経済エリートを生み出し、庶民は貧困化していった。 こうしてできあがった利権集団は欧米の巨大資本と結びつき、現在に至るまで大きな力を持ち続けている。2005年の大統領選で勝利したマフムード・アフマディネジャドはこうした強者総取り経済を変えようと試み、まずパールシヤーン銀行にメスを入れようとしたのだが、成功しなかった。西側でアフマディネジャドが憎悪された理由はそうした政策にある。現政権はアフマディネジャドよりは西側よりだと見られていたが、西側の支配層はその政策に満足していない。 そこで西側はイランに通貨戦争を仕掛けているようだが、これが切っ掛けになってイランはロシアや中国へ接近している。アメリカが金融を使って攻撃できるのはドルが基軸通貨になっているから。ロシアや中国がドル離れを図っているのはそのためだ。イランもドル離れを加速させるだろう。それはアメリカの支配システムを弱めることになる。ドルに執着したならイランが崩壊する可能性がある。
2018.05.06
ウクライナ南部の港湾都市オデッサで住民がネオ・ナチのグループに虐殺されたのは4年前の5月2日のことだった。アメリカ政府がネオ・ナチのグループを利用して2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除したクーデターに殺された住民たちは反対していたのだ。この年の2月7日から23日にかけてロシアのソチで冬期オリンピックが開催されているが、その時期を狙ってのクーデターだった。ロシア政府が動きにくいと考えてのことだ。勿論、憲法の規定は無視されている。 オデッサを含むウクライナの東部や南部の人々はクーデターに強く反発した。ロシア語を話す住民が多く、ヤヌコビッチの地盤だったことが大きい。クーデターの舞台になったキエフの状況をいち早く知ったクリミアの住民はロシアの構成主体としてロシアに加盟するかどうかを問う目的で3月16日に住民投票を実施する。投票率は80%を超え、そのうち95%以上が加盟に賛成した。クリミアには国外からの監視団も入り、日米に比べれば遥かに公正なものだった。その結果、クリミアはキエフ政権から経済的、あるいは軍事的な圧力を加えられてきたが、それでも人々は平穏な生活を送れている。 クリミアより少し遅れて東部のドンバス(ドネツクやルガンスク/ナバロシエ)でも住民投票が計画されたが、クリミアの二の舞を防ごうとするアメリカ政府の動きが勝った。まず4月12日にCIA長官だったジョン・ブレナンがキエフを極秘訪問、22日には副大統領のジョー・バイデンもキエフを訪れた。バイデンの訪問に会わせるようにしてキエフのクーデター政権はオデッサでの工作を話し合った。 クーデター政権の会議に出席したのは大統領代行、内相代行、SBU(治安機関)長官代行、そしてネオ・ナチの中心的な存在だったアンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行。オブザーバーとしてドニエプロペトロフスクの知事になるイゴール・コロモイスキーも出席している。ちなみに、コロモイスキーはウクライナのほかイスラエルとキプロスの国籍を持ち、スイスをビジネスの基盤にしている。 パルビーは4月29日に数十着の防弾チョッキをオデッサのネオ・ナチへ渡している。そのグループが5月2日にオデッサで住民を虐殺したのだ。 虐殺は5月2日の午前8時に「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着したところから始まる。赤いテープを腕に巻いた一団がその「ファン」を広場へ誘導するのだが、そこではネオ・ナチのクーデターに対する抗議活動が行われていた。 そうした状況の中、広場にいた反クーデター派の住民は労働組合会館の中へ誘導されている。危険なので避難するようにと言われたようだが、実際は殺戮の現場を隠すことが目的だったと推測する人もいる。 その後、外から建物の中へ火炎瓶が投げ込まれて火事になる様子は撮影され、インターネット上に流れた。建物へ向かって銃撃する人物も撮られているが、その中にはパルビーから防弾チョッキを受け取ったネオ・ナチも含まれている。 建物の中は火の海になり、焼き殺された人は少なくないが、地下室で殴り殺されたり射殺された人もいる。その際、屋上へ出るためのドアはロックされていたとする情報も流れた。会館の中で48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられたが、現地の人の話では多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名に達するという。虐殺の詳しい調査をキエフのクーデター政権が拒否しているので、事件の詳細は今でも明確でない。 オデッサの虐殺から1週間後の5月9日、キエフ政権は戦車部隊をオデッサに突入させた。この日はソ連がドイツに勝ったことを祝う記念日で、ドンバスの住民も街に出て祝っていた。その際、住民が素手で戦車に立ち向かう様子が撮影されている。 ドンバスでは戦闘が始まるが、反クーデター派にはウクライナの軍や治安機関のメンバーだった人々が参加していることもあり、制圧作戦は成功していない。ここにきてアメリカはキエフ政権に対する兵器の供給を強化、新たな攻勢を目論んでいるのではないかと懸念する声も聞かれる。
2018.05.04
大戦後、1948年6月にNSC(国家安全保障会議)が出したNSC10/2に基づいて破壊活動(テロ)を目的とする極秘機関のOSP(すぐOPCへ名称変更)が創設され、52年8月にはOPCが中核になって計画局が設置された。1953年1月にアイゼンハワーが大統領に就任、2月にはアレン・ダレスがCIA長官に就任した。その後、計画局は1973年3月に名称を作戦局へ変更、2005年10月にはNCS(国家秘密局)になった。 こうした流れの中、日本国憲法は作られたわけだ。大戦前に思想弾圧の中心になった思想検察や特高警察の人脈が戦後も生き残ったのは必然だった。そうした状況を象徴する人物が1932年から41年にかけて駐日アメリカ大使を務めたジョセフ・グルー。 彼のいとこはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアと結婚、また妻は少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)で九条節子(後の貞明皇后)と親しくなっている。大戦後の日本を築き上げたのジャパンロビーでグルーは中心的な役割を果たしている。つまり、「戦前レジーム」も「戦後レジーム」も本質は同じなのだ。 1946年1月に戦争犯罪を裁くとして極東国際軍事裁判(東京裁判)が設立され、48年11月に判決が言い渡されている。その年の12月23日に東条英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章が処刑されているが、これは「民主化」を演出するセレモニーにすぎなかった。アメリカのウォール街派はドイツでも日本でも戦前の体制を継続させようとしていた。「国体」は維持されたのだ。その象徴が天皇にほかならない。 日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという(堀田善衛著『上海にて』)が、同じことを考える人が日本軍と戦った国々には少なくない。新憲法でも東京裁判でも、最大の問題は天皇だった。 大戦後、まず日本を占領したのはアメリカ軍。その中枢はGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)だが、その中でも多くの将校は天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張していたという。焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)ビッターはCIAとの関係が強く疑われている人物で、闇ドル事件にも登場している。 降伏した直後の日本を占領したのはアメリカ軍だが、時間が経過すればそれ以外の国からも関係者がやって来る。そうした人々の多くはハリー・トルーマン政権より天皇には批判的だったはず。のんびりしていると、天皇の戦争責任が問われることは避けられなかっただろう。その前に天皇制を盛り込んだ憲法を作り、「戦争責任」を問うセレモニーを行って天皇を免責する必要もあった。東京裁判で天皇は起訴されず、新憲法の第1条では天皇制の継続が謳われている。 そうした憲法だが、民主的な条項が含まれていることも事実。当時の状況からして、そうしなければ天皇制を維持することが難しかったのだ。天皇制官僚国家は明治維新で長州と薩摩がイギリスを後ろ盾として築いた天皇制カルトという側面がある。そのシステムを使ってイギリスやアメリカは日本に影響力を行使してきた。そうした実態に不満を持つ人たちの中には血盟団のメンバーや二・二六事件の将校も含まれるだろう。日本が迷走した1930年代から敗戦近くまでアメリカ政府で主導権を握っていたのはウォール街と対立していたニューディール派だ。そのニューディール派的な条項が日本国憲法に存在していることを許せないと感じている人たちがいる。そうした人たちがアメリカ従属派なのは当然だ。(了)
2018.05.03
現行の「日本国憲法」が施行された1947年5月3日当時、アメリカ政府内では反ファシストを掲げ、労働者の権利を認めようとしていたニューディール派の影響力が低下、反コミュニストで巨大企業の利益を優先しようというウォール街派が主導権を握っていた。ニューディール派の中心的な存在だったフランクリン・ルーズベルト大統領が1945年4月に急死したことが大きい。 本ブログでも何度か指摘したように、1932年の大統領選挙でルーズベルトが勝利した直後からウォール街派はニューディール派と対立、33年から34年にかけてのころにはファシズム体制の構築を目指したクーデターを計画していた。この計画はウォール街の巨大金融機関が中心になったものだが、話を持ちかけられた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将が反発、カウンタークーデターを宣言し、議会で告発したことで発覚している。クーデター計画は失敗に終わった。 1941年6月にドイツ軍は90万人を西部戦線に残して310万人をソ連に向かって進軍させて42年8月にスターリングラード市内へ突入したのだが、その年の11月にソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人を完全に包囲してしまう。この段階でソ連に攻め込んだドイツ軍だけでなく、ドイツ自体の敗北が決定的だった。1943年1月には生き残ったドイツの将兵9万1000名が降伏する。 こうした状況を見て慌てた米英の支配層は1943年5月にワシントンDCで会談、7月に両国軍はシチリア島に上陸した。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。この作戦でドイツ軍が負けたわけではない。米英支配層の目はソ連に向けられていたはずだ。 ドイツ軍の敗北が明らかになった1942年冬、ドイツのSS(ナチ親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、44年になるとアメリカの戦時情報機関であるOSSのフランク・ウィズナーを介してアレン・ダレスのグループが情報将校のラインハルト・ゲーレン准将(ドイツ陸軍参謀本部第12課の課長)と接触している。ダレスたちが接触した相手にはSA(突撃隊)を組織、後にヒトラーの第一後継者に指名されたヘルマン・ゲーリングも含まれる。 1945年初頭になるとダレスたちはハインリッヒ・ヒムラーの側近だったSS高官のカール・ウルフに接触して隠れ家を提供し、さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。この件についてダレスと話し合うためにイギリス軍のハロルド・アレグザンダー(イギリス第8軍とアメリカ第7軍を指揮していた)は1945年3月にライマン・レムニッツァーをスイスへ派遣している。レムニッツァーはアレグザンダーに取り入ることでその後出世、ドワイト・アイゼンハワー政権で統合参謀本部議長になっている。 こうしたイタリアにおける単独降伏の秘密交渉を察知したソ連のヨシフ・スターリンはアメリカがドイツにソ連を再攻撃させようとしていると非難、それに対してルーズベルト大統領はそうした交渉はしていないと反論している。そうした最中、4月12日にルーズベルトは執務室で急死した。(続く)
2018.05.03
ドナルド・トランプ大統領のボディーガードと法律顧問が昨年2月、トランプが掛かりつけにしているハロルド・ボーンスタイン医師のオフィスを突然訪れ、トランプのカルテを全て持ち去ったとNBCが伝えている。1年以上前の出来事をNBCはなぜ取り上げたのだろうか? トランプは若い頃から父親の不動産会社で働き、業界で有名な存在になった。彼の法律顧問を1973年から85年まで務めていたロイ・コーンは「赤狩り」で有名なジョセイフ・マッカーシーの法律顧問だった時期もある人物。1986年8月に59歳で死亡しているが、死因はエイズ。コーンは同性愛だったのである。そこで、トランプも同じなのではないかという噂があり、カルテ持ち去りはその辺が関係していると推測する人もいる。証拠があるわけでなく、憶測に基づくゴシップ的な話にすぎないのだが、それでも注目はされている。
2018.05.02
シリア政府軍の軍事施設が4月29日に攻撃された。ターゲットになったのはハマの兵器庫とアレッポにある飛行場で、大きな爆発音が聞かれたという。いずれも近くにイランの武装勢力がいたようで、十数名のイラン人だ死亡したとも言われているが、ヒズボラ幹部の説明によると、犠牲者は出ていない。ハマには7から8機のミサイル、アレッポには5機のミサイルが使われたとも伝えられている。 ミサイルは東の方から撃ち込まれたようだが、誰が攻撃したかは明確でない。最も有力な国はイスラエル。シリア政府軍は東グータを制圧した後、ダマスカスの南を占領しているジハード傭兵を攻撃する姿勢を見せているのだが、この武装勢力はイスラエルと緊密な関係にあると言われている。 また、アル・タンフの東側から国境を越えてアメリカ軍が撃ち込んだとする情報もある。アル・タンフではアメリカとイギリスの特殊部隊が反シリア政府軍を訓練していた。ヨルダンにあるアメリカやイギリスの基地から発射されたとする情報も流れている。 今回、西側がシリアに対する直接的な攻撃を始めた切っ掛けはドナルド・トランプ米大統領の発言。アメリカ軍をシリアからすぐに撤退させると3月29日に発言したのだ。これには政府内からも否定的な発言が出ている。 そうした中、アル・ヌスラ(アル・カイダ系武装勢力)と連携しているジャイシュ・アル・イスラム、アル・カイダ系武装集団と一心同体の関係にある「白いヘルメット」が4月7日にドゥーマで政府軍が化学兵器で住民70名以上を殺したと宣伝しはじめた。例によって証拠は示されず、西側の政府や有力メディアは調査をすることなくシリア政府を批判するキャンペーンを開始する。 その後、インディペンデント紙のロバート・フィスク特派員やアメリカのケーブル・テレビ局OANの記者が攻撃があったとされる地域へ入って取材、毒ガス攻撃があったことを示す痕跡はないと伝えたが、ここにきてOPCW(化学兵器禁止機関)のチームもドゥーマで化学兵器が使われた痕跡はなく、犠牲者もいないと報告している。アメリカやイギリスは2003年にも「大量破壊兵器」という大嘘をついてイラクを侵略、破壊と殺戮を続けてきた。そうした国の政府を信じること自体が犯罪的だ。 シリアに対してもイラクの時と同じ手口が使われていて、4月8日にはホムスにあるT4空軍基地をイスラエル軍の2機のF-15がミサイルで攻撃、4月14日にはOPCW(化学兵器禁止機関)の調査チームが現地を訪れる直前、アメリカ、イギリス、フランスの3カ国がシリアをミサイル攻撃した。 14日に行われた攻撃のターゲットは、アメリカ国防総省の発表によると、バルザー化学兵器研究開発センター、ヒム・シンシャー化学兵器貯蔵施設、ヒム・シンシャー化学兵器で、それぞれ76機、22機、7機が使われ、すべてが命中したとしている。 しかし、建物に比べて使われたミサイルの数がアメリにも多すぎ、真実味がない。ロシア国防省の発表によると、ダマスカス国際空港(4機。全て撃墜)、アル・ドゥマイル軍用空港(12機。全て撃墜)、バリー軍用空港(18機。全て撃墜)、サヤラト軍用空港(12機。全て撃墜)、メゼー軍用空港(9機。うち5機を撃墜)、ホムス軍用空港(16機。うち13機を撃墜)、バザーやジャラマニの地域(30機。うち7機を撃墜)が狙われたというが、これが事実に近いだろう。 この攻撃に使われたのは巡航ミサイルだが、4月29日に使われたのはGBU-39だと見られている。これは航空機から発射され、滑空しながらターゲットへ向かうタイプ。巡航ミサイルでは駄目だということで、別のミサイルを試した可能性がある。
2018.05.01
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