2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全31件 (31件中 1-31件目)
1
![]()
レヴィナスレヴィナスについて言い足りなかったことがあるので、「その2」ということで。なお、前回にも今回にも「レヴィナスが言うには」と記事の中で出てくるが、正確には「レヴィナスについて語っている著者が言うには」ということであり、いちいちそんなことを書くのが面倒くさいので、「レヴィナスが言うには」と書いていることをご了承いただきたい。ちゃんとレヴィナス本人の著作を読めば、同じようなことを言っているのかもしれないけど。前回、レヴィナスについて否定的なことだけ書いたが、肯定できる部分もある。倦怠・怠惰・疲労のくだりである。日頃、倦怠感を感じている人は、何に疲れているのか?学校生活に、職場に、家庭に、疲れている。もっと言うと「人生に疲れている」。そんな倦怠感、人生に対する疲労から、引きこもり等の行為に発展するわけだが、それらの元となった「人生の重荷」とは「お前にはやりたいことも、やりがいのあることも、生きる意欲も、生きがいも、人生の意味も、人生の目的も与えられない。それでもお前は生きていかなくてはならない」という私たちが知らずに結んだ何者かとの「契約」からやってきたものらしい。これには納得できる。「何者」って誰のこと?ってことや、「契約」って何?ってことはともかく、日常の理由無き倦怠感の原因を突き詰めていけば、そういうことだろう。そもそも、人間1人ひとりに、上記の「やりたいこと」などは与えられるのだろうか?やりたいことがあっても、身体的・能力的・経済的・倫理的理由によって、手元から取り上げられてしまう場合が多い。もっと具体的に言うなら、人間、第一希望の職業にみんなが就けるわけではない。ほんの一握りの人間だけが「やりたい職業」に就けるのであって、第2、第3希望でもまだいい方、結局、それほどやりたいと思ってなかった職業で自分を騙し騙し生きている人の方が多いに決まっている。さて、人生の根幹となる職業(生業と言ってもいい)で「やりたいこと」ができなかった人はどうするのか?趣味に走るのか、子どもを産んでその教育に懸けるのか、それとも、その「やりたいこと」を探すことに一生を費やしてしまうのか?だんだん話が逸れてきている。私が日々感じている倦怠感も、上記の「契約」に端を発しているのかもしれない。でも、私にも「やりたいこと」かどうかはわからないが、人生の喜びを感じる瞬間はある。誰よりも「良い芸」を観たときや、日頃「?」と思っていた芸人の「この人にはこういった面白さがあったのか」という魅力を発見したときなどなど。それらが「生きがい」や「人生の目的」に転化すれば、日頃の倦怠感も晴れるのだろう。レヴィナスについて、実はまだまだメモったことはあるのだが、これから小出しにしていく予定。
December 31, 2005
コメント(0)
![]()
談志百選1人ずつダブルチョップの感想を言う企画、第2弾。(6)アダチ龍光(奇術師)奇術師、手品師、マジシャン、どんな違いがあるのかは知らないけど、「楽しませる」要素を持っている芸人として、私の中にはマギー司郎、マギー審司、ふじいあきら、最近人気のセロがいる。観てみたい。映像残ってないのか?(7)マルセ太郎(ボードビリアン)凄さがわからない。この本でも取り上げられている、先日の『日本の笑芸百選』でも映像を観た。ニワトリの真似で登場して、サルの真似して椅子に座ったのを観ただけである。本文では、映画再現芸が秀逸だと語られている。映画再現芸と言われて思い当たるのが「テンション」時代の田口浩正(ショートコント風に映画再現を演っていたように記憶している。違ってたらゴメン)、立川志らく師匠(実際に観たことは無いが)くらいである。マルセ太郎、未だに「?」な芸人である。(8)ザ・ドリフターズ言わずもがな、である。長さんが亡くなった、これでドリフターズは終焉したと言ってもいい。志村けんは現役でコントを作っている。加トちゃんも頑張っている。でも、「懐かしのメロディー」的な番組でドリフの歌を披露するのは(しかもこぶ茶バンドの3人で)、想像しただけでイタすぎる、まして、直視できるものではない。ドリフの功績は、そんな有象無象と同列にされるほど小さいものではない。ドリフは凄かった、「怪物番組」と称された、それで良いし、我々視聴者はドリフの芸をリアルタイムで観ることができた喜び(さらに公開生放送の会場に居た当時のチビっこはそれを誇りに思っていい)を噛みしめればいいじゃない。ねぇ?(9)中田ダイマル・ラケット(漫才師)日本の漫才の歴史の1ページに間違いなく刻まれているコンビであるが、ちゃんと二人のネタを観たことが無い。いと・こいと並び賞された漫才を観てみたい。現在、映像を探している最中である。(10)玉置宏(司会者)現在、専業司会業というのが壊滅状態らしい。芸人・タレント、ましてや役者までもが番組を仕切り、コンサートとて今や喋りの達者な歌い手が出る始末…。昔は歌手には専属の司会者がいたらしいが、私は知らない。「名調子」で言えば、この項で名前が出た芥川隆行さん。古い時代劇なんかのナレーションなんか、この人ならではの調子で「これぞ名調子」ってな感じ。司会もひとつの芸なのだろう。
December 30, 2005
コメント(0)
![]()
談志百選以前、この本について軽く触れただけであったが、今回、談志師匠が書かれた100人について私なりの意見を書いてみようと思う。もちろん、知らない芸人もいるが、彼らについても「機会があれば観てみたい」なり、「興味が無い」なり、なんか一言添えたいと思っている。に、しても100人。5人ずつやっても20回、3人ずつだと34回。とにかくやってみることにする。(1)古今亭志ん生(五代目・落語家)『火焔太鼓』は凄いと思ったが、ほかの落語を聴いてみると酷いのも確かにある。録音・録画でないとその芸に触れることは出来ないので、実際に生で触れたことのある方からすると「そんなことはないよ!」とブーイングを浴びそうだが、現に「これがあの『火焔太鼓』を演ったのと同一人物か?」みたいな噺もある。談志師匠が「酷い」と斬り捨てた『芝浜』、『鰍沢』はまだ聴いていない。(2)ビートたけし(タレント)芸人としてのたけしさんをあまり観たことがない。タレント・役者としてのビートたけし、映画監督の北野武はよく観ても、芸人としてのビートたけしは、志村けんさんとコントの番組で演ったのを観たくらい。『ひょうきん族』のころは、私は『全員集合』→『加トケン』派だったし。ツービートの漫才、ビートたけしの漫談を聴いてみたい。(3)林家三平(落語家)『日本の笑芸百選』で初めて観た。絶えず客席の中からネタを探している感じ。「爆笑王」と称されただけのことはある、というのは感じる。この人のもちゃんと聴いてみたいが、さてどれを聴けばいいのやら。(4)春野百合子(浪曲師)浪曲は聴いたことがない。聴くとしたらやはりこの人のからなのだろう。でも、最初に凄いのに出会うと、それがそのジャンルに対する基準になってしまうから、次に聴く浪曲が陳腐なものに聴こえてしまうかも。(5)ケーシー高峰(医学漫談)黒板を使っての医学漫談。ケーシーさんじゃないと演っちゃダメ!ってなジャンルだし、ケーシーさんに続く後続も確保したいところ。黒板・ホワイトボードを使った漫談家をほかに知らない。知ってたら誰か教えて。
December 29, 2005
コメント(0)
![]()
レヴィナスサブタイトルの「何のために生きるのか」という問いに結論から言ってしまえば(これはレヴィナスについて語ってきた著者の言であろうが)、「他者のために生きる。また、他者のために生きることを通して人類のために生きる」ということであり、さらに「『何のために生きるのか』という問いを駆り立てる欲望は、そんな欲望に駆り立てられる子どもを生むことによって充たされる」ということを踏まえたうえで、上記の問いに対して、「人間の繁殖のために生きて死ぬ」とも答えており、この本の最後に、「来たるべき他者のために生きて死ぬ」と締めている。私はこれは答えになっていないと思う。これらに対する私流の解釈として、「『何のために生きるのか』という問いに対しての答えは見つけることは出来ない。この問いに対する答えを導き出すために、親から子へ、子から孫へと生命のリレーを繰り返していかなければならない」というものであり、「人間が生まれて新たね生命を生み出し、死んでいく。そのために生きるのだ」という答えともとれるのだが(現にこの本でも言っている)、私は納得しない。大きなエゴイズムであろうが、私一代でその答えを出したいのだ。別の切り口で言うと、「未成年の犯罪者」予備軍にこの本を読ませてレヴィナスの主張を説明しても、これから起こしたいであろう犯罪を防ぐことは出来ないであろう。「君は誰かを殺すために、傷つけるために生まれてきたんじゃないんだろう」という説得には、レヴィナスの主張はなんの力も持たない、という気がするのだ。もちろん、レヴィナスも21世紀の犯罪者のために倫理について研究してきたわけではないだろうが、少なくとも、私はそんなに感銘を受けなかった。というのも、聖書の影響を受けている部分が多いようなのだ。目の前に飢えている人間がいる。パンを持っていれば、それを与えることもできる。パンを持っていなくても(普通はそうだが)、金を持っていればそれで食べ物を買って与えることもできる。では、現金も無いとなると、周辺に食べ物が無いとなると、どうするのか。自らの肉体を「食べ物として」差し出すのも可能らしい。キリストの「私はパンである」であり、ブッダが飢えた虎に我が身を奉げた逸話であり、つまり自己犠牲の精神を流用して「何のために生きるのか」の答えを導き出そうとしているのだ。これに私は納得できない。人間はエゴイズムの塊である。飢えた虎に我が身を差し出す「愛」よりも、「やだよ喰われんのは。痛いってもんぢゃねぇよ」という「我が身可愛さ」という人間の本質・業の方が好きだし、本来の姿だと思っている。もっとも、そういった利己主義も、レヴィナスに言わせれば、誰かのためになってるらしいけど。最後のくだりはエロティックである。生殖、繁殖、即ち性交に関して「生殖の存在論」として説明している。ひと昔前の中学生なら喜びそうな表現が、いろいろ出てくるので興味のある方はどうぞ。ちなみに「ひと昔前の中学生」の定義とは「辞書の卑猥な言葉にアンダーラインをひくような中学生」であり、まぁ、今どきの中学生にはそんな奴ぁ、居まい。
December 28, 2005
コメント(0)

GBAで過去のタイトルが廉価版として発売されるらしい。しかも、ラインナップが結構良さそう。中古販売対策なのか、GBA市場に喝を入れるためなのか、それはともかく、いくつかピックアップ。【GBA】オリエンタルブルー青の天外(バリューセレクション) 2006年2月2日発売予定 予約↑「自由度が高い」と聞いていたので、出た当時、Playしようと思っていたけど、結局やらずじまい。これを機に挑戦してみる、かなぁ…。ちなみに本格的なRPGをPlayするのは、だいぶ久し振りってことになる。【GBA】タクティクスオウガ外伝(バリューセレクション) 2006年2月2日発売予定 予約↑さっき、RPGの話が出たが、いま、PC版で出ている『シャイニング・フォース』をやってる。Playリポートは改めてやるとして、シミュレーションRPGはかなり好き。なので、これもやってみたい。いくつか、っつても2タイトルしか紹介しなかたけど、まだ出るみたい。これからもどんどん廉価版出してくれぃ。
December 27, 2005
コメント(0)
![]()
使い方が広がるIDEマルチアダプタ DONYAダイレクト DN-IDE3525初めて買ったノートPCが、まだ家のどこかにあるはずだ。専門家に診てもらうと、マザーボードがイカれたんだそうで、修理にかなりのお金がかかるらしい。「それなら」と買った2台目が現在機なのだが、このザマでさぁ…。当時は、たしかまだ5年保障が残っていたんじゃなかろうか。保障を使って修理しとけば良かったと、後悔してももう遅い。こんな風に、パソコンなどの精密機械は、一部分の故障にべらぼうな金額がかかり、ついつい新しいのに買い換えてしまうものだが、故障部分以外は、まだまだ使えるはずだ。ジャンク品に関する知識があれば、動かないパソコンも宝の塊となる。家電リサイクル法とやらで、棄てるのに金がかかってしまう。健康な部位を金をだして棄てちまうのはもったいない。さて、この商品の話。もう使わなくなったパソコンの内臓ハードディスクを外付けHDDに変えてしまおうというもの。たしかに、内臓ハードディスクなんか、それ自体が壊れていない限りまだまだ使えるだろうし、パソコンのデータ移し変えの手間が省けるし、新しく外付けHDDを買う必要はない。こうやって使える部分はどんどん使っていったら、金かけてゴミを捨てることもないのだ。地球にもやさしい。ふところにもやさしい。↓こんなのもあります。シリアルATA/IDE両対応 USBマルチアダプタ EVERGREEN EG-SATA3525
December 26, 2005
コメント(0)
![]()
ネコ好きにはたまらない、ネコのイラスト入りの財布を見つけました。ネコ好きじゃない方も手に取って可愛がってあげてください。【送料無料】Manhattaner's マンハッタナーズ 顔出し猫 2つ折財布 5314133【送料無料】Manhattaner's マンハッタナーズ 長財布 5314134【送料無料】マンハッタナーズ ラウンドファスナー長財布 5314116【送料無料】マンハッタナーズ ラウンドファスナー折財布 5314111【送料無料】マンハッタナーズ 折財布 5314112
December 25, 2005
コメント(0)

ニンテンドーDS向けにKOEIから3本の歴史SLGが出ます。どれも過去に出た作品で全くのオリジナルじゃないけど、良さそうなのでとりあげてみます。【DS】大航海時代IV ~ROTA NOVA~ 3月2日発売予定 予約↑ダブルチョップのゲーム史に残る1本。寝る暇を削ってPlayしたのはこれと『俺の屍を越えてゆけ』の2本のみ。(『俺屍』もDSで出て欲しいけど、会社が全然違うからなぁ)携帯ハードでのクォリティが気になるところ。【DS】信長の野望DS 3月23日発売予定 予約↑ベースは『烈風伝withPK』(PS版)。PC版は面白いよぉ。今でもたまにやってます。でもPS版はなぁ…、いろいろ省略されてる部分があるからなぁ…。【DS】三國志DS 2006年2月23日発売予定 予約↑ベースは『III』。『III』はあんまり印象ないなぁ。あ、そういえば立場が上の同盟国に対していろいろ「援助」という形でたかれるんだった(米とか金とか)。誰かが通称「援助交際」て呼んでたのを思い出した。「KOEI、いい加減に『無双』シリーズ以外にオリジナル出せよ」と思っていたら、『三国志11』が出るそうです。さて、どうなることやら。
December 24, 2005
コメント(0)
![]()
デネットやくだTOOL Pro お好みシステム手帳 2年末年始、書店や文具店にいろんな手帳が並ぶシーズンですね。でも、なかなか自分のライフスタイルにあった手帳が見つからないなんてことも。そんなときは、自分で作っちゃいましょう。自分のお気に入りの本体だけ購入。中身はこのソフトで作成できるんです。応用として、例えば仕事のマニュアルなんかを手帳用に印刷してはさめるように作成してアルバイトに配ったりなんかもできると思いますが、どう?あと、自分好みの小冊子を作ったりなんかして。そういう機能はあるのかしら?
December 23, 2005
コメント(0)
![]()
火の鳥(11(太陽編 下))主人公は壬申の乱の時代の犬上宿禰と、未来のスグルとを行ったり来たりしながら物語は進められていく。つまり「夢が現実なのか、夢が現実なのか」という「胡蝶の夢」。誰もが思い尽く設定だけに、作者の技量が問われる。もちろん、手塚先生は大クリアー。その二つの世界をつなぐのが壬申の乱の頃のマリモであり、未来のタマミ。このマリモ、狼なのだがかわいい。また、うちの猫を抱きしめたくなった。上巻で触れた宗教の話ではないが、この巻のラスト、壬申の乱に勝利した大海人皇子は、中大兄皇子が仏教を利用したように、やはり権力維持には信仰心が必要だと悟る。しかし、自分は仏教に反対の立場だったので仏教は利用できない。日本古来の神は、その土地土地のものなので、中央集権にならない。そこで考えたのが、自分が神の子になることであり、大海人が「天皇=神の子=天子」という図式を作ったという解釈で、壬申の乱を終わらせている。このシーンはいろいろと解釈が違ってくると思うが、私は「それはいかがなものか」と思った。
December 22, 2005
コメント(0)
![]()
火の鳥(10(太陽編 上))壬申の乱が舞台。大友皇子と大海人皇子の対立と、仏教VS日本古来の自然神信仰を絡め、さらに、未来の壬申の乱に模した争いを絡めて展開。未来の宗教「光」は、のちのオウム真理教に似ている。ヘッドギアの件なんか、オウムがまんま真似をしたんじゃないか、というくらい。「光」は、十数年前に地下へと阻害した「影」に倒されるのだが、その「影」のリーダーが教祖になって新しい宗教を樹立。この「影」のリーダーも、どことなく麻原彰光に似てないか?今編では宗教対立がテーマ。壬申の乱の時代では、天皇中心の中央集権国家樹立のために、中大兄皇子が仏教を利用、日本古来の神を重視する大海人皇子と対立、中大兄死後、壬申の乱に至っている。現在の中東情勢も、「自由主義・資本主義」を教義として「グローバルスタンダード」を経典とする「アメリカ教」の力ずくでの布教活動と言ってもいい。この『太陽編』が書かれた当時から、宗教対立はあっただろうが、手塚先生の先見性には驚かされる。
December 21, 2005
コメント(0)
![]()
ブラック・ジャック(5)例によって、各話ごとの感想。『ホスピタル』…『白い巨塔』を意識?『なんという舌』…このころは全国の子供たちが珠算をやってたんだ。『もらい水』…老いても母。母の愛情は強し。『されどいつわりの日々』…間黒男の奇跡の手術も無駄に。『終電車』…ブラック・クィーン登場。『弁があった!』…ドクター・キリコ(映画では鹿賀丈史)登場。『湯治場の二人』…琵琶丸登場。つーか、これから先、間黒男のメスは誰が鍛えなおすの?『ピノコ・ミステリー』…秀逸! オチは「私の作ったミステリーです」みたいな内容までは読めたけど、「ブラック・ジャックもたまにはこういうどんでんがえしのミステリーもどうかと思って書きました。よかったら作者にわたして使ってください」と、作者あての原稿だったとこまでは読めなかった(二重のどんでん返し)。『刻印』…間久部緑郎=ロック・ホーム?『99.9パーセントの水』…再びドクター・キリコ(映画では鹿賀丈史)登場。『助っ人』…逆に罠に嵌めるために二度も腹を開かれた日には…。『古和医院』…「日野日出志のマンガかと思った」は良し。免許が優先か、無医村で救うのが優先か。『オオカミ少女』…グロテスク。この巻はグロテスクが多いような。『雪の夜ばなし』…間黒男、霊魂を手術。
December 20, 2005
コメント(0)
![]()
ベルクソン哲学の入門書である。今まで哲学は敬遠してきた。つまり、「しち面倒くさく考えるなよ」であるが、なァに、自分が一番しち面倒くさく考えるくせに…。ベルクソンという名前はこの本で知った。NHK出版からシリーズで出ているもので、他にもニーチェやらアリストテレスやら一般にもメジャーな哲学者のもあるのだが、選んだ基準はサブタイトルである。しかし、やはり理解できなかった(文章は読者に語りかけるように優しい。筆者に救われた)。なので、以下は感想と言うよりもこの本を読んで考えたことである。「おい、ベルクソンと何の関係も無ぇぞ!」と詳しい方からクレームが来ても「そうでゴザンス」以外に言えないわけで。ズバッと言う。以下、能書き。時間について考えてみた。これを書いているのは2006年1月6日であるが(あ、そういえば年始の挨拶もしてねぇや)、私はある意味これを認めない。6日前に2006年が始まったと言うのは、乱暴に言えば太陽暦を作った人間が決めたことであり(ほかにもグレゴリウス暦だとか習ったけど忘れちまったぃ)、私がそれに従う必要は無い。暦とは便宜上のものである。一般的に言う正月とは、勤め人が休み、商売人が稼ぐためだけに存在していると言っていい。正月には荘厳な空気が流れているような気がするが、流れている空気は昨年の12月20日と同じものである(この際、気象学的なことは無視してね)。現在の暦に従って動いている人間が人工的に作り出したのが、荘厳な正月の空気であり、目出度い雰囲気であり、初日の出の有難さである。太陽にしてみれば、いつも同じように昇っているのであり、もっと言えば地球が自転して太陽の周りを公転して、その運動が狂わない限り、いつでも同じ日の出を見ることができる。ことさら、365日に1回「ありがたや」と思う必要も無い。ほ~ら、しち面倒くさくなった。ひとことで言う。「正月だという理由で目出度い空気にさせられている」。ベルクソンとだいぶ離れちまった。ちゃんとベルクソンについて知りたい方は、実際に本を読んでね。※本によっては「ベルグソン」表記もある。
December 19, 2005
コメント(0)
![]()
火の鳥(1(黎明編))邪馬台国が舞台。ヒミコが出てくるが、弟の名が「スサノオ」と、天照大神や古事記上巻部分の伝説も随所に盛り込んだ作品。『火の鳥』の第一巻であるだけに、テーマが「死・老いへの恐怖、不死への執着」とシリーズの根源が詰まっている。猿田彦とナギの父子の情に似た「愛」も、シリーズの根源と言えよう。クマソが邪馬台国に滅ぼされ、その邪馬台国も現在ヤマト朝廷と呼ばれている民族に征服され、主要メンバーは滅んでしまうが、ラストは生への第一歩が記されてあり、それが唯一の救いか。遊び心も随所に。赤塚不二夫タッチの山犬や、おそ松くん&イヤミの出演など。作者自身も数回出演。うーん、やはりこの第一巻から通しで読んだほうがよかったかもしれない。
December 18, 2005
コメント(0)
![]()
グリンゴ(volume2)主人公・ヒモトヒトシの作中の行動を簡単にまとめると、江戸商事カニヴァリア支社へ赴任→部下の罠にはめられエセカルタ支社へ左遷→エセカルタで革命政府と鉱物取引の契約・大成功→革命政府弾圧に伴い、逃避行→原住民の村を経て、日本人の村へ→奉納大相撲に参加(以下絶筆)と、滅茶苦茶。舞台は南米だが国名・都市名は架空のものである。奉納大相撲にこれから挑もうと言うところで絶筆。せっかく盛り上がってきたのにこれは惜しい。構想ノートでも残っていれば、なんとかそれを基にして続きを誰かが描いてほしいものだが、さて手塚治虫に匹敵するような表現力の漫画家がいるのやら。また、その続編を世間が、私が認めるのかどうか。冒頭のチョイ役の新聞記者が成り行きで逃避行に参加し、いまや重要キャラに絶筆間際では重用キャラの1人だ。顔の造作も、チョイ役仕様なのに。本当にどんな伏線が張ってあったのか、これは手塚先生しかわからない。ヒモトヒトシの台詞に「日本人てのは一体何なんだ」というのがある。これが、この作品を貫くテーマである。ヒモトヒトシとその家族は、南米の都市部でも原住民の村でも「グリンゴ(よそ者)」である。たどり着いた日本人村は戦前の生活様式・思想を残した(集団的な小野田寛郎みたいなもの)だから、同じ日本民族でも戦後日本の思想を持ったヒモトヒトシらは「グリンゴ」である。手塚先生の眼から見た現代の「日本人」とはどんな姿だったんだろう?
December 17, 2005
コメント(0)
![]()
グリンゴ(volume1)手塚先生が執筆中に亡くなられたため、未完に終わった作品。主人公の名前が日本人と書いてヒモトヒトシと読む。背が低くて、相撲が強くて、専務に拾ってもらって江戸商事に勤めて等等、国内外で日本人に対して抱いているイメージを凝縮したような人物(拾ってもらって、ってのはどうかしら?)。タイトルの『グリンゴ』というのは「よそ者」という意味らしく、彼はどこへいってもよそ者扱いされる。石ノ森章太郎が解説を書いていて、『グリンゴ』とはどんな作品なのかは彼の文章を読むのが早いが、これは褒めてんだか貶してんだか…。石ノ森氏の言う通り、未完に終わっているから手塚先生がヒモトヒトシに託したテーマがあやふやである。物語の後半に対する伏線が随所にあるのだろう、続きを読めれば「ああ、こうだったんだ」と思えるような場面が、中途半端な思わせぶりという程度に終わってしまっている。※例えば、ヒモトヒトシの妻はフランス人なのだがコマの表情によっては「ヒモトヒサシに敵対する人間のスパイなのでは」と思わせてしまう。だが、それを抜きにしても十分に楽しめる作品でもある。
December 16, 2005
コメント(0)
![]()
火の鳥(2(未来編))西暦3404年、進みすぎた文明のために地球は病み、地表は荒れ果てて、人々は地下に住んでいる。世界五つの都市に分かれ、それぞれの都市の決定はマザーコンピューターに委ねられ、その決定事項に従い政治・外交が進展していく。ある日、亡命者を引き渡す、引き渡さないでマザーコンピューター同士が衝突、戦争に発展、各都市の上層部は戦争をやりたくないが、マザーコンピューターの決定には逆らえず、戦争に発展。西暦3404年の戦争は、宣戦布告・開戦の時間に、スパイが仕掛けた超水爆が発動、一瞬で五つの都市は壊滅してしまう。…と、あらすじをつまんで紹介したが、これは前半である。なぜ前半のあらすじを説明したのかというと、「コンピューターに支配されている」というのがこの21世紀ですでに起こっているからだ。人間はコンピューターに支配されたいんだ、たぶん。決定を、手段を、コミュニケーションを、娯楽をコンピューターに委ねてしまった結果、人間は「自ら思考する」ことを放棄してしまったように思える。機械の手の平で踊っていたいだけなんだ。私はなんとかそれに抗おうとはしてるんだけど、すでに機械の手の平にいるんだ。それに気付きたくないから、抗いのスタンスを取ってるんだと思う。それまで無くても生きてこられたのに、その恩恵を受けたばっかりに、もうそれ無しでは生きていけないというものがたくさんある。物語中のマザーコンピューターもSFの作り話ではなくて、もうすでに現実に起こっていることなんだと、描いていた当時の手塚先生は気付いてたんだと思う。主人公は山之辺マサトという青年だが、彼が戦争の引鉄となった亡命者である。彼は戦争勃発時、地上の猿田博士のドームにいたために、戦争に巻き込まれずに済むが、そのドームにも放射能が漏れ入り、猿田博士と、マサトと同じ亡命者のロックは死ぬが、マサトは火の鳥の力で死なない体となり、最後の人類として生き残る。ネタばらしをすると、マサトは死なないので、肉体は朽ち果てても存在は地球に残り、新たな生命の進化を見守り、新たな人類に「神」と呼ばれる存在になるのだ。ひとり生き残ったマサトの苦しみ。何度も自殺を試みるが、死ねない。人口冬眠のカプセルを見つけ、それが開封される五千年間、ずっと心待ちにいているが、開けてみたら粉々になってしまっていたときの悲しみ。ロボットや人口生命を開発してもうまくいかない。とうとう存在だけになり、新たな人類が誕生、自分ごときが彼らに「神」と崇められる滑稽さ、新たな人類の哀れさ。『未来編』とうタイトルだが、後半は『原始編』とも『創世編』とも呼んでいい内容。猿田博士は、『火の鳥』のレギュラーと言っていい存在。時代や境遇や名前は変わっても、その醜い鼻を持つ風貌は、作品のどこかに登場している。誰かが言っていたけど、モデルは手塚先生自身なんだろう。非常に強欲で、愛を求めていて、人間的である。※ちなみに、この巻のどこかに「手塚治虫の50代目の孫」が出てくる。
December 15, 2005
コメント(0)
![]()
火の鳥(3)<ヤマト編>ヤマトタケルが主人公。ヤマトタケルの父にあたる大和朝廷の大王を暗君、征伐しに行くクマソの長・川上タケルを名君として描かれてある。大和朝廷の好きなように歴史書を編纂しようとし、さらに自らの墓のために民を酷使、さらに殉死者まで出そうと言う大王に反発する一方、正しい歴史を残そうとする川上タケルに惹かれていくヤマトタケル。テーマのひとつとして、「正しい歴史とは?」というものが見られる。これまでヤマトタケル=正義で、クマソ=悪という考え方は、大和朝廷が自分たちの権威向上のために作ったものであり、正しい歴史ではない、ということを、劇中でも語り、さらに物語自体も、これまでのヤマトタケル伝説を覆した内容となっている。これが描かれた当時、現在の教科書問題はあったのかはわからないが、それへの警鐘とも思える内容である。思えば歴史と言うものは勝利者勝手に作られるものであり、古事記にしてもそうだし、江戸時代以降やたらと徳川家康を持ち上げた歴史物語しか著されず(それを水戸光圀が「おかしい」とツッコんだわけだが)、今日の戦後60年もやはりアメリカの手前勝手に日本人が追従する形として、通説の歴史は存在する。歴史とは何か?、について考えさせられる1本。手塚治虫の遊び心も随所に。冒頭の様々な手塚治虫に模した絵描き数人。あえて少女漫画風におめめキラキラに描いてみたり。悩めるヤマトタケルのシーンにいきなり人生相談コーナーを設けて参加させたり。<異形編>八百比丘尼の物語。因果は応報する。男装の女剣士が寺にいる八百比丘尼を斬るのだが、その寺から出ることができない。麓から、八百比丘尼の「人を癒す力」を求めて病み人が押しかけてくるのだが、八百比丘尼がいないとなると面倒なので、八百比丘尼になりすますうちに、八百比丘尼のような存在になってしまう。数十年後、男装の女剣士が寺を訪ねてきて、斬られてしまう。「因果は応報する」と言ったがチト違う。「歴史は繰り返す」でもない、強いて言えば「一生は繰り返す」。私もうまく説明できないが、例えば輪廻転生というものが仏教にはある。簡単に説明すると、生き物は死んでも、また別の生き物に生まれ変わり、それの繰り返しである、というもの。例えば私の前世はサムライで、現世が今の私で、来世は火星移住者にでも(ちょっと陳腐なSFチックだが)というのが輪廻転生的な考え方である(本当はそう都合よく人間ばかりになれるものではないだろうけど)。この『異形編』を読んだら、その輪廻転生もちょっと違うんじゃないかと考えた。つまり、前世の私もダブルチョップであり、現世ももちろんダブルチョップであり、来世もまたダブルチョップなのだろう。私はいつ死ぬかわからない。仮に2050年に死んだとしたら、また1980年に生まれて、2005年にこのブログを書いていて、また2050年に死ぬ。また1980年に生まれて…。そのずっと繰り返しなんじゃないかと考えたわけだ。ワケワカンナイ? …そりゃ、書いてる本人でさえも漠然としたものしか捉えてないからわからないさ。宗教や思想に詳しかったら、「○○の本にこうありますけど…」と説明できるんだけどねぇ。この問題、後日改めてやります。
December 14, 2005
コメント(0)
![]()
志村流遊び術『志村流』の第2弾。今回は遊びに的を絞って、持論を展開。酒、タバコ、女、ギャンブル、つきあい等、志村けん流の遊び方を語っている。この本の中ごろに、ダチョウ倶楽部の上島竜兵氏へのインタヴューが掲載されており、上島氏が志村師の遊び方について質問に答えているが、このインタビューが一番、志村師の遊び方がわかる部分である。麻布十番の馴染みの店を紹介したりしているが、大丈夫なのだろうか?読んだファンが探し当てて、「ファンなんです」なんて迫って来ようものなら、リラックスできないだろうに。一貫して「遊びに金を惜しむな」という姿勢が窺えるが、金を惜しまずに遊べるほど、一般人は稼ぎは良くない。「遊びにつぎ込んだ分だけ、仕事にも返ってくる」とは言うものの、返ってくるこないは、その人の才覚にもよるだろう。「これは自分にプラスになるか、ならないか」という判断をするのではなく、「自分へプラスになるようにしよう」という姿勢が大切。でも、なかなかそうはうまくいかないよなぁ。
December 13, 2005
コメント(0)
![]()
武がたけしを殺す理由北野武監督の全映画インタヴュー集。『あの夏、いちばん静かな海』から『座頭市』まで(『その男、凶暴につき』、『3-4X10月』、『みんな~やってるか』を除く)。まづ、インタヴュアーが毎回冒頭で「感動しました」と言っていて、「何なんだこのヨイショは?」と半ばあきれてしまったが、元々、それぞれが単発のインタヴュー記事で(インタヴュアーは一緒)、記事が溜まったので一冊の本になったものだから、「しゃー無ぇーわな」ということで。毎回、最後に次回作の展望を訊いているが、それがほぼそのまま次回作につながっている。この本には最新作『TAKESHI’S』のインタヴューは無いが、その原案はインタヴューの中にちらほら。私の察するところ、「胡蝶の夢」なのではなかろうか?つまり、現実の自分が夢を見ているのか、夢の中の自分が現実で、この現実は夢の中の人物が見ている夢の世界なのではないだろうか、といったもの。実際に観て確かめようと思ったら、すでに宮崎ではどこもやってないみたい。「精一杯生きることと同じエネルギーで死ぬことも考える」という意見には同感。どうも「今を楽しまなくちゃ」という陽のエネルギーは軽薄短小に見えて嫌だ。「いかにして死ぬか」というエネルギーは陰のものだろうが、世の中、陰と陽があって初めて成り立つわけで、同じ分量のエネルギーを生にも死にも費やすべきだと私も思う。これを読んでから改めて北野作品を観ると、また違った発見があるかもしれない。
December 12, 2005
コメント(0)
![]()
楽写木久蔵師匠のお弟子さん、鹿児島県出身の彦いち師匠が楽屋風景を撮った写真集(というほどのものではないが)。被写体は落語会の底辺の前座から、頂点の師匠方まで(しかし、多くは彦いち師匠の同期や、その上下辺り)。最初に文章、自身の入門の同期から書き出してあるが、途中で面倒くさくなったのか、面白エピソード(あとがきによると、落語のマクラ用にとってあったらしい)を幾つか。落語の楽屋大図解は、なかなか勉強になる(なんの?)。初めの林家きくおの一枚、石橋貴明に見える。
December 11, 2005
コメント(0)
林家木久蔵師匠のエッセイ集。挿絵も師匠筆(一部、故・手塚治虫大先生が描いた木久蔵師匠の絵アリ)。漫画新聞連載のエッセイをまとめたものらしいが、そもそも漫画新聞なるものを知らない(御存知の方っていらっしゃるのかしら?)木久蔵師匠の絵は、劇画タッチのものから、漫画チックなものまで様々だけど、上手いんだか下手なんだか…。文章も、所々誤字脱字があり、ちゃんと文章のプロが推敲しないとダメ(そこが本人が書いた証しでもあり、人柄を窺える部分なのだが)。内容は旅日記から一門の話から様々。ごった煮な内容は嫌いじゃない(現にこのブログもそうでしょ?)。※画像なし(あゆみ出版)
December 10, 2005
コメント(1)

18通り高さ調節のコンパクト・テーブルテーブル メイト海外の通販CMでやってる商品で、初めて「欲しい!」と思った一品。TV見てたら一回はお目にかかったことがあるであろうこのテーブル、もう説明は要らないだろう。高さ・角度の調節自由自在、コンパクトにたためるので置き場所にも困らない。やっぱり、「ここにちょうど良い感じの机があったらなぁ」なんて思いますものね。
December 9, 2005
コメント(1)
生まれて初めて目薬を最後まで使い切った。今まで5分の1ほど残して無くしたりして、また新しいのを買ったりして。だから、目薬の残り一滴を搾り出しても出てこない、という状況は生涯初である。それにしても目薬をさす機会は多い。仕事でもプライベートでも、パソコンや携帯電話を使いまくっている現代人、老眼がどんどん低年齢化してきているらしい。俺もほとんどパソコンにかじりついてる毎日。仕事場でも欠かすことが出来ない。これじゃ目が疲れるわなー、目が乾くわなー。特にゲームしてるときなんて、近距離の画面をずっと凝視してるから、目が疲れまくるのなんの。ゲームの種類によって目の疲れ具合って違うものなのかしら?俺はほとんど歴史SLGしかしないけど、アクションだったり、パズル・落ちゲーだったり、レースだったり、目が疲れないゲームなんてあるのかね?まぁ、無いと思うけど。そういえば、前に1回、「一度もパソコンを開かない」という「ノーPCデー」を実施したことがある。なんとなく気分が爽快だったけど、そのぶん本を読みまくったから、目を全く休めたわけじゃない。とにかく、目は大事にしなきゃなりませんなぁ。
December 8, 2005
コメント(1)

桂ざこば独演会(その一~その十)これレンタルで聴いて、あとから「音源をメモっといたら良かった」って思ったんですけど、↑の商品リンク先に音源が記載されています。参考程度に。『寝床』上方では義太夫と言わず、浄瑠璃と言うそうだ。もちろん、浄瑠璃、江戸落語で言うところの義太夫は関西が本場。ざこばの演る旦那はかわいい。子供がお誕生会の準備をやってるみたい。ウキウキと来場者を待ってる様がいい。それが誰も浄瑠璃を聴きたがらないとなるとすねちゃう。子供と違って、大店の旦那だから、すねちゃうと、店子や長屋に「出て行け」、店のものにも「明日暇をやる」。これだと困るので、いやいや旦那をノせて浄瑠璃をやってもらおうとする。この「本当はやりたいんだけど、みんながそこまで言うのなら」みたいな演出も好き(しかも、「拍手せんでも」と言うと、会場から実際に拍手がおこる)。こんな旦那なら「浄瑠璃さえなければいい人」感が伝わってくる。定吉が泣いてるのを発見してから、サゲを言うまでがちょっと長いかな。もう少し、すっとサゲを言ったほうが好き。『不動坊』マクラの浮世亭からく(写楽?、上方落語に詳しくないので、誰のことかワカリマセン)師匠の「朝丸(ざこばの前名)くん、どないしたんや?」という真似が面白い。主人公が憧れの後家さんと晴れて一緒になれる喜び、浮かれ具合。湯屋で笑ったり怒ったり1人芝居したり。初めて鳴り物入り(ハメものね)の噺を聴いたが、これはこれでオツなものだ。寒さが伝わってきていい。妬んだやもめ連中がくそ寒い中を主人公を脅かそうとする騒動もいい。アルコール買って来いと頼んだら、あんころ買ってきた男に対して「アホ、ボケ!」とボロクソに言うところ。主人公の浮かれっぷり、脅かそうとする騒動に比べると、サゲはいまいち。
December 7, 2005
コメント(0)
![]()
みんなの落語書店に並んでいた落語関係のMOOKが3冊。どれも付録としてCDがついている。ほか2冊のCDは古今東西の落語家のいいとこ録りのダイジェスト版。この1冊だけが志ん生の『火焔太鼓』と円生の『寝床』の2本立て。値段は\1,890、CDだけ買ったってこれだけ払ってもいい金額である。しかし、ほか2冊のようにダイジェストだったら損した気分になるしなぁ。書店の中をぐるぐる回って考え、付録CDの紹介ページはないかと、この本の隅から隅まで探してもどこにも書いてない。「思い切って買っちゃいなYO!」と思い、買っちゃった。これで付録CDがセコかったら、「なんじゃボケッ!、ちゃんと落語が一席入ってると思って買ったらダイジェストやんけ!!、返品じゃ、金返せ!!!」怒るでしかし…、って、コレは昨日の日記。家に帰って聴いてみると、『火焔太鼓』も『寝床』もちゃんと一席ぶん入ってた。これで\1,890は安いと思う。久々に良い買い物をしたわぁ。
December 6, 2005
コメント(0)
片付けをして出てきたポイントカードで買い物をしようとしたら、「もう使えません」とのこと。すでに新しいカードに移行しており、その新旧カードの移行期間もとうに過ぎてしまっているのだ。記録では2002年2月10日の利用が最後となっているから、もう2年半以上経っている。そりゃ使えなくなるわな~。215ポイント溜まっているので、215円分の損。「なんじゃボケッ!、どこかに有効期限が書いてあるわけと違うやろ!!、使わせんかい!!!」怒るでしかし…、とキレたいのをぐっと我慢して現金で買い物したある日の午後。ちなみに買い物は105円の中古本ナリ。ほかにも某新古書店のサービス券650円分。これは有効期限が2005年9月末日。とっくに期限が切れてら。でも一応、万が一ということがあるからトライ。「これ、もう使えませんよネェ?」「ああ、すみません、有効期限きれてますから」「なんじゃボケッ!、日本がいま12月でもワシの中ではまだ9月なんじゃぃ!!、使わせんかい!!!」怒るでしかし…、とキレたらこっちが悪いので、別なサービス券(こっちは2006年2月が期限。早めに使っとかないと期限切れになるんじゃないかと思って)を使って買い物。ダウンタウンの中古ビデオを購入、現金で払ったのは250円。ほかにもCDショップの期限切れサービス券350円分。上記のポイント・サービス券と合計して1215円損したことになる。1215円として使えたものが今は紙くず。捨ててもいいのだが、金を捨てるような気がして(もう使えないのに)捨てらんない。未練たらたら、まだとっているのでアリンス。
December 5, 2005
コメント(0)
![]()
ブラック・ジャック(7)ブラックジャック、初めて読んだ。「恥ずかしながら初めて読みました」と言いたい。よくこんだけクオリティの高い話をポンポン書けるもんだな(当然、産みの苦しみはあっただろうけど)。ネタに詰まると休載に走る最近の漫画家に見せてやりたい。以下、各話ごとの一言感想。『鳥たちと野郎ども』…鳥の愛情、人間よりも強し。『灰色の館』…人間は執念深い。『ネコと庄造と』…うちのネコを抱きしめたくなった。『ふたりのピノコ』…公害病がテーマ。『不発弾』…間黒男の過去。『おとうと』…兄の弟に対する愛情はずっと消えない。『上と下』…社長がいいひと(むしろ周囲が煩い)。『戦場ヶ原のゴリベエ』…完全な悪などない。『黒潮号メモ』…間黒男の執念。『白い正義』…正義感も時には毒にもなる。『一ぴきだけの丘』…動物を生かすも殺すも人間の勝手な思い込み次第。『曇りのち晴れ』…医者がストって……。『ハリケーン』…欲に眼がくらんだ人間の典型的な話。『タイムアウト』…間黒男の神業。事故が丸く収まったあとの人間のてのひらを返した態度。
December 4, 2005
コメント(0)
![]()
火の鳥(4(鳳凰編))奈良時代、俗に言う奈良の大仏建立を舞台に我王と茜丸の数奇な運命。悩み苦しむ二人の男の人生が螺旋のごとく絡み合う。……と、オビの文句のように書いてみたが、またしても言葉が出ない。我王の苦しみ、よくわかる(いや、なにも我王みたいな悪行は重ねちゃいないけどね)。茜丸の変貌、人間として当たり前であり、醜いからこそ直視しなければならない人間の「本質」である。「清く正しく生きましょう」だとか、「せっかくの人生なんだから楽しまなくちゃね」みたいな作品(小説でも漫画でも映画でも音楽でも)は基本的に嫌いである。「人はこう生きねばならない」みたいな作品もちょっとダメかな。この『鳳凰編』のように人間の醜い部分をさらけ出し、主人公が悩む、こういう作品が好き。特に、その作品を作った人間にとっても答えが見つかっていない作品、判りやすく言うと、「人間の本質に対する作者の悩み、疑問、問いを惜しみなく読者・観客に曝け出す、または、叩き付ける」作品が好きなのだと、最近気が付いたのでアリマス。この作品に輪廻について書かれていたが、まさしくこの『鳳凰編』の二人の主人公、我王と茜丸のその生き様・思考は生きながらの「輪廻」だと思われる。話は戻るけど、どうしてこんなに良い子ちゃんの、つまりさっき言ったような「人生は清く明るく楽しみましょう」みたいな作品があるのかネ?あの偽善的な雰囲気は親しめない。現実の人間は我王や茜丸のような人間ばかりであり、悩み苦しむのが人間なんだろう。読み終えたあと、または観終わったあとの頭を岩で殴られたような(実際に殴られたことないからわかんないけど)衝撃を与えてくれるような作品の方が優れていると私は思う。
December 3, 2005
コメント(0)

以前紹介した伊藤久右衛門さんの抹茶スイーツの第2弾。「能書きはいい。黙って見てみろぃ」と言いたくなるようなラインナップ。宇治抹茶三色だいふく 6個入宇治のお茶屋作挽きたて抹茶をたっぷり使った濃厚抹茶味です。【ク...↑いちご・栗・バナナの3種類がワンセットに。抹茶どら焼き 6個入り宇治のお茶屋作挽きたて抹茶をたっぷり使った濃厚抹茶味です。【クール生...↑ネコ型ロボットも降参。超濃厚 宇治抹茶生チョコレート 20粒入宇治のお茶屋作挽きたて抹茶をたっぷり使った濃厚抹茶味...↑チョコと抹茶の合わせ技。宇治抹茶だいふく 6個入り宇治のお茶屋作挽きたて抹茶をたっぷり使った濃厚抹茶味です。【クー...↑餡だけのシンプルなだいふくも美味そう。宇治抹茶くず湯 6個入り宇治のお茶屋作挽きたて抹茶をたっぷり使った濃厚抹茶味です。↑寒いこの季節によさそう。宇治抹茶かるかん 6個入り宇治のお茶屋作挽きたて抹茶をたっぷり使った濃厚抹茶味です。↑いいね~、かるかん。見てるだけで唾が湧き出てくる。唾だけで喉が潤っちゃう。凄いね、どうも…。↓ポイント10倍セールは15日まで。
December 2, 2005
コメント(0)
![]()
談志が死んだタイトルだけ見ると談志師匠の追悼本のようだが、談志師匠はいまだ御健在であらせられる。架空の追悼本でもない(そういえば、赤塚不二夫が架空の追悼本を自分で出してた。生前葬みたいなもんかな)。落語立川流20周年記念本と言ってもいいだろう。内容は、立川流真打ちによる対談・鼎談と二つ目による座談会、真打ち・二つ目による談志落語をテーマにしたエッセイ、談志師匠による弟子の紹介、最後に落語立川流の資料となる。真打ち連の対談・鼎談(計六本)はおもしろかったが、二つ目の座談会がイマイチ。すごい遠慮しながら話しているのがわかる。対談・鼎談・座談会ともに、談志師匠のエピソードのほかに、タイトルの「談志が死んだ」あとの立川流もテーマに挙げられている。エッセイは、個性がもろに出ていてよかった。独り語り調に語るのもあれば、論理的に切り込むのもあり、ひとつのエピソードを紹介するものもあり。論理的に語ったものはわけがわからず、「結論だけでいい。ここにいたる小難しい言葉は単原稿のマス埋めのためにあるんじゃないか」と思ってしまう。むしろエピソードを語り、その時の書き手自身や周囲のリアクションを書いてあるものの方がわかりやすい。志の輔師匠の「『ためしてガッテン』に談志師匠がクレームの電話を入れた」エピソードなんておもしろかったなぁ。立川流の資料はおもしろい。Bコースと称して、著名人の弟子がいますが、そのラインアップを見るだけでも楽しい。年表とそれに加えられたエピソード集もまたよろし。
December 1, 2005
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1


![]()