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もう10年近く付き合っている、アキヨちゃんのご主人が、27日に突然の事故でお亡くなりになりました。しかも三年目の結婚記念日だったのです。この夏2歳になる坊やは、何も分かりませんが、彼女の嘆きは言葉には表せません。私は100キロ離れた場所にいるので、彼女の親友に知らせて(親友も忘れるほど混乱、もうろうとしていたのです)彼女が一泊してくれ、翌朝私がバトンタッチで、一日付き合いまた、親友が夜戻ってきてバトンタッチ。また、一泊してくれ今日は、日本からお母様がみえてるので、一安心です。明日も、私は日帰りで行きます。その間、昨日は日本から女性が私を訪ねてきたので6時間ほど彼女につきあいました。グレッグの展覧会も三つ重なり、終わった展覧会も三つあり、その作品をとりにいったり、配達したり、ピアノを教えたり、往復200キロしたりで、ブログをゆっくり書く時間がありませんので、しばらく休みます。ではまた。
2013.05.31
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Marikota3のつぶやきの拡散です。つい数日前に載ったヴィデオ。岩上さんの話などきくと、ぞっとしますよ。・・参議院選に出馬する三宅洋平ファンディングパーティ。 http://www.youtube.com/watch?v=ITLsjFI9uz0&feature=player_embedded
2013.05.26
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調子に乗って、もうちょっと載せちゃえ! 朝早く パジャマでドア開け 思い出す ピアノの生徒 土曜に替えた (数年、水曜日だった生徒が、短期間土曜の朝にスケジュールかえたのよね。) 何だっけ? もう忘れてる 探し物 のぼった階段 又降りてみる (忘れたときには、元に戻ると思い出すのよね)
2013.05.26
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http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130525/k10014836061000.html 茨城・東海村 実験施設で内部被ばく. 人間は間違いを起すのだ!という証拠です。
2013.05.25
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ひさびさに・・・・私の手帳から おすそわけ・・ 手鏡を 眺めて爆笑 頭上には 探しまくった 二つのめがね (どなたですか?私もだ!っておっしゃるのは?聞えてますよ~~) 四つある レンジに点かぬ 火にあせり 見れば別のが ガスもれしてる (はい、ちょくちょく、違うスウィッチを押しております!!)
2013.05.24
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われらの、隠れ家・・・砂漠で、心の洗濯をしてきました。
2013.05.23
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まずネットでめぐり合っていたナオジさんが 「もしかしたら、あなたと私は親戚かもしれませんよ」といいだし、 写真や思い出話の交換を始めたらひぃじいさん同士が兄弟でした。 次ぎに彼のいとこのトモノリさんを紹介されたら、やはりひぃじいさんの兄弟で 彼は長男の子孫、次男の子孫が私で、四男の子孫がナオジさんという事がわかりました。 でもその時点では、別にルーツをたどるのは紙の上だけで満足だったので、 旅などしようとは考えてもいなかったのです。 それからというもの、夢に母や祖母が出てきたり、寝椅子で仮眠したときなどに、 母や祖母との会話が浮かんできて、 「お父様の先祖は大昔に大宰府を納めていたのよ。そこには天満宮という 大きな神社があるの」とか 「菅原道真が京都を去るときに、大好きだった梅ノ木との別れを惜しんで、 こちふかば~においおこせよ~うめのはな~~と詠んだら、一晩にして その梅ノ木が道真の九州の屋敷まで飛んできたという伝説があるのよ」とか 言ったのを思い出したりしてました。 そういう話はしましたが、祖母自身は明治時代の東京生まれですから 飛行機も新幹線もない不便な時代で実際に九州などに行ったこともなかったのです。 恐らく祖母は両親の出身地に一度でも良いから行ってみたかったのではないかと思います。 (大宰府天満宮の飛梅) その内にトモノリさんから、我々のひぃひぃじいさんである小四郎の話が 佐賀新聞に連載されると聞き、「小四郎や、その妻らしい写真がある」といって 送ったら、たいそう喜ばれ、その連載小説に載りました。 そうこうしているうちに、今度はナオジさんが、私のひいじいさんのお墓を探し出して 写真を送ってきました。そこから母には、生前知らなかった、いとこ達が四人も いた事を発見。私にとっては、また従兄弟が見つかったのです。 これも「いるらしい」という程度の事だったので、母の死後20年近くにもなって 見つかった事が不思議でなりません。まるで、母があちらの世界から 「ねぇ、ねぇ、やっぱり私には従兄弟がいたんだわ。連絡してあげてね」とでも 言ってるように思われて、早速電話で話したのです。あちらも、びっくりしてました。 トモノリさんやナオジさん達とのやりとりが続く内に、祖母の生まれ育った家の あった場所の手描きの地図やら、曾祖父の書いたものがでてきたり、詳細を 書いた死亡記事まで見つかったのです。さらに小四郎の連載を書いている 作家の井上宏生さんが、私にもインタビューをしたいと言う事になりましたが、 それでも日本に行く決心がつかないでいました。 すると、まるで母が「行きなさい」とでも言うように、ある古い本からパラリと 二枚の葉書が落ちたのです。母からの大型の絵葉書で、一枚に書ききれず、 続きが二枚目に書いてありました。別府の消印に16VI69と書いてあるので 、我が娘が生まれて一月半たったころので、『九州は先祖の地であり、 一度来てみたかった、貸本全連総会に無理してでも出席してよかった』と いうような事が書いてありました。でも、先祖のルーツをたどったわけではなく 団体で九州観光をしたらしく、私にも是非行くことを勧める葉書だったのです。 しかし、私はそれから17年間日本に帰りませんでした。 そして、その葉書を44年後に読み返して、九州にでかける決心をしたのです。 (44年ぶりにパラリと出てきた母からのハガキ) 九州ではトモノリさんが、東京ではナオジさんが、綿密な計画をたててくださり 、時間の無駄もなく先祖の歩いた道を歩き、私としても最後になっても悔いのない お墓参りをすませて先祖の供養をしたつもりです。 それにしても、佐賀、埼玉、カリフォルニアとばらばらに住んでいる 小四郎のひぃひぃ孫三人が、同時に先祖に興味を抱き行動に移したという事自体も、 そのタイミングの良さも、この世離れをしていると思いました。 このように、今回の日本行きは、どう考えても母や祖母や、いや、もしかしたら 小四郎や曾祖父までがあちら側の世界から 「子々孫々に伝えるべく、元気なうちにルーツをたどり、記録を残せよ」とでも 言いたくてスピリチュアルの世界から操っていたのではないか、 と思わざるを得ない経過だったのです。(完) ★そして、おまけ(笑) その一。 親族の一人が城雲院というお寺に嫁いだのですが、そこで ウェルカム・パーティーのおもてなしをいただいた後、 住職の公道さんにご案内いただいたご本堂に祀られていたのが 五百年以上も経った立派な観音様でした! その二。 私のヒロコは弘子と書いて、父が「弘法大師から一字いただいたんだよ」と 言っていたのですが、散歩がてら、たまたま弘法大師が祀られている京都の 東寺に行きました。京都は観光のためでなく、ナオコとユキヨに会う為だけ だったので、行き当たりばったりだったのです。 大雨注意報が関西方面に発令されており曇りがちだったので傘持参だった くらいですが、雨に至らず東寺について弘法大師の銅像のところで、 「あなたから一字いただいたそうです。弘子です、お互いに魚座なのよね、よろしく!」 とか言いながら写した一枚の写真、帰宅して拡大したら、その時に 偶然太陽の光がスゥ!っと左手に入ったのでしょうが、 まるで「よし、わかった!」とでもいってるようにみえて、面白いなあと思いました。
2013.05.21
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繰り返しますが、母国の旅・1・2・3に説明したように、旅の目的のひとつは 母方の祖母のルーツをたどることでした。勿論、先祖に関係の深い佐賀城、 泰長院、秋月城、太宰府天満宮、護国神社をまわって実際に楽しんだのは 私ですが、どうも母や祖母を代表して行ったような感じがしてなりませんでした。 というのも正直いって、私としては祖母やその父母、その祖父母達の写真が あることや、祖母のお供で、何度か園遊会に行って皇族をかいまみたり、 宮さまに紹介されたり、西郷従道さん(隆盛の弟)の娘さんが我が家に見えたり、 疎開先の興津にあった西園寺公の坐魚荘という別荘でミセス西園寺から お菓子をいただいたりした思い出で十分なので、それ以上家系を深く調べる 必要性を感じていませんでした。 ただ、母がカリフォルニアに置いていったアルバムは、私が死んでしまったら、 まったく意味もなくなり、日本の歴史など知らないハーフの我が子たちにしても どうしてよいか分からないから、ゴミ箱に捨てられるのが落ちだと思ったので、 どうにかしたかったわけで、それを縁(ゆかり)のある福岡の神社に奉納した というわけです。それで私の義務は終わったから安心して死ねると 本心思っていました。 ところが東京に戻ってみると、妹の家のダイニング・テーブルに祖母が 好きだった観音経をプリントしたものが、無造作においてありました。 「どうして、こんなものがあるの?」と妹にきいたら、 「さあ、どうしてだろう?鎌倉にいったときにもらってきたのかな? それとも広告と一緒に入ってきたのかな?覚えてない。ほしかったら もってっていいわよ」と言ったので、もらってきました。 祖母がよく「かんのんみょうちりき、の~ぐ~せけんのく~、というのがあってね、 観音様は世の中の苦を全部しょってくださる力があるってことよ」といっていたので、 一応目を通してみたら、観音妙智力 能救世間苦と書いてあるのをみつけて、 何故かうれしくなりました。 戦後やっと手に入れた世田谷の祖母の小さな家の床の間には柿右衛門が作った といわれる、真っ白の陶器の観音像がありました。祖母の家で私の結婚式に 写した写真の後ろにその観音様がうつっていたり、叔母が浜辺で何かに躓いた ときに見たら観音様だったり、サンフランシスコに住み始めた叔母に誰かが クリスマスギフトとして観音像をくれたり、私も思わぬ所で拾ったりとにかく 不思議な縁だったことは確かです。そんなのは偶然であって、まったく私は 観音経など興味もありませんでしたが、その印刷物を見たときに祖母を 思い出して急に懐かしくなったのです。 次に、茨城の弟の家に行くと、 「お姉ちゃんこんなものが出てきたよ。持って行く?」と、古い写真が何枚か 封筒にはいったものをくれました。そこには、祖母のおじいさんにあたる 原田小四郎の写真が入っていました。ところが不謹慎者の私は帰宅後一月以上も、 その写真や観音経をスーツケースのポケットに入れてあるの忘れおり、慌てて 、観音経と一緒に祖母の写真の後ろにおいたのです。 母の写真の前には、形見の香炉と伊万里焼の鈴が置いてあり、 「死んだ人を呼びたいときにこれを振るのよ」と言ったのを思い出して、 バラのお香をたいて鈴を振り、 「昔の写真がたくさん出てきたんだけど誰だろう?お母様やおばあちゃんが 生きてるうちに聞いておけばよかったなあ」と、普通に話しかけたのです。 まあ、この辺まではたいして不思議でもありません。ところがです!それから、 数時間後にパソコンを開けると、東京の妹の夫からメールが来てました。 「今日の読売新聞に、あなた達のお母さんの記事が出てたんですよ」と、スキャンした 記事を入れて来たのです。これには、さすがの私も鳥肌がたちました。 数時間前に鈴を振って、話したいなあと言ったばかりだったからです。 その記事は読売新聞の女性史100年記念のシリーズを扱っていたらしく、 「戦中の美人」というタイトルのもので、昭和15年に自転車にのってる母の写真でした。 朝刊、夕刊を365日で掛けて100倍にするわけですからその数たるや大変なものです。 そこから一件選ばれたのが母の記事だったわけですからすごい確率です。 兎に角、私としては、まるで母が「ほら、鈴がなったから来たのよ」と言ってる としか思えなかったのです。 そして、どんどん過去と繋がりはじめたのです。(続く)
2013.05.20
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一寸忙しいので、エッセイの続きは時間がかかります。 その間、写真を楽しんでいてください。 アステカ展覧会だったので、アステカ・ダンサーの'披露、アステカ関係の絵ばかり、 これは、ケーキです。アステカのカレンダーのデザイン。 アステカ関係の絵がぎっしり、 これは、ある人が定期的に輸血をしなければならず、その医療費をきふしようという展覧会でした。 それで、グレッグもこの前のせた、一枚アステカのスピリットと言う絵を寄付しました。いくつか前に載せました。ハチドリの絵が描いてある絵です。真ん中は、この画廊の経営者で、彼はアステカの血を誇りに思ってる人です。 その間、外では、アンティーク車10台くらいや、ファンキーなバイクが6,7台を 歩行者天国になった道で、見せてました。
2013.05.19
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スピリチュアルの世界はあると思いますか。 これは、いつでも、どこでも賛否両論ですね。 未知の世界は「わからない」から未知であって、これは神様はいるかどうかの カテゴリーに属すかもしれません。つまり、信ずるか信じないかの問題なのでしょう。 もう三年くらい前に亡くなりましたけど、グレッグの友達の一人に、 ジミーという無神論者がいました。神も死後の世界もないといってたのですが、 ある日、救急車で病院に運ばれて心臓が止まりました。彼は、末期の癌で何度も 入退院を繰り返していて、もうとっくに死期を越えていたので看護婦達は、 モニターの線が直線になって止まってしまった時、もうなにもせず看護婦室に いってしまったのです。その彼が生き返って我が家に来た話を書いたことがあります。 彼曰く「神は見てないが、死後の世界はある」と言い出したのです。 「死んだ親父や、友達がまわりでがやがやしていて、お前、なんでこんなところに いるんだ?って聞かれたとたんに、天井から自分をみている自分がいたんだ。 俺もなぜだろうって、考えていたら、部屋の片隅から物凄い光が差し込んで、 俺の足の裏を通って体中に広がったんだ。そしたら、モニターが動き出した。 朝から何も食ってなくて腹がぺこぺこでさ、ボタンを押してるのに誰も来ないから、 酸素マスクやら、リンゲルやら、何やら沢山ついてる管をひっこぬいて、 看護婦室にはいっていって怒鳴ったんだよ。 あいつら、トランプをやって遊んでいたんだが、全員もう蒼白だったよ」といい、 その日からスピリチュアルの世界はある、と信じだしました。 彼は、実際は死んでいなかったとも言えますけど、ジミーのようにモニターが 直線になって数時間も放っておかれ、脳に酸素がいかなかったら蘇生しても 普通には戻れない筈ですが、鼻のチューブから少しでも酸素が脳にいってた 可能性はあります。それでも、歩けるほどに戻ってしまったのだからまれな ケースではあるでしょう。その翌日、ジミーは一人で車を運転してビーチに 行ったそうで、もう日の光が、砂浜が、波の音が、風の感覚が、海の香り全てが 素晴らしいエネルギーに感じられて自然と一体になった喜びに浸ったそうです。 私には、そういう経験はありませんが、スピリチュアルの世界があることは信じてます。 そうでなければ説明のできない不思議な体験が、私にはあまりにも多すぎます。 例えば、上に書いたジミーの事件も、事前に夢で見てしまっていたりするからです。 これには、その前まで懐疑的であったグレッグも驚いて、以後、彼もスピリチュアルの 世界があることを信じるようになりました。彼にとって一番衝撃的な決めてとなったのは、 同じ夜私と一緒にジミーの夢をみていたからです。無論二人の夢の内容は違いました。 私にとっては、こんなことは日常茶飯事なので別に驚きもしません。 私が言いたかったのは、今回の母国への旅も、スピリチュアルの世界に 助けられて、というか(操られて)いたように感じたので、 そのことを書いてみようと思います。 (続く)
2013.05.18
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アメリカは、何か、年がら年中寄付集めしてるけど、年に一度、海兵隊がクリスマスにおもちゃあつめたり、小、中、高校などでは、スポーツやバンドの遠征旅行費の寄付集めに、コンサートを開いたりします。今週の土曜日は、画廊経営主の友達の友達が何かの手術をするらしく、その間働けないので、色んな出費がかさむわけで、その援助のチェリティー展などをやり、グレッグも一作出展。昨日は、郵便配達の人が、食品集めの手伝いをするために袋をポストにいれていきました。袋に「未開の食品をいれて、ポストの横においておいて下さい。郵便配達人が収集します」と書いてありましたから、私も缶詰を寄付しておきました。このほかに、フード・バンクというのがあって、やはり寄付されたパンとか、缶詰、野菜、果物などをおいてある倉庫も、ところどころにあります。ホームレスとか、収入が途切れた人などが一時的にそういうところに、無料食品をもらいにいくのです。アメリカにも、一日一食しか食べられない人も多くいるそうです。寄付してあげられる立場にいられることに感謝しています。
2013.05.16
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私の大事な、大事なお友達です。とにかく可愛い、素敵な方が、本を出版されました。下は彼女の文章です。ヒロコ・ファルケンシュタインかねてから温めていた念願の書籍ができあがり、今週にも発売になります。ピアノの先生応援!というサブタイトルがついていますが、これまでの指導者としての経験や海外で様々な体験をして得た『本物」を知る事....などが書かれています。アマゾンや楽器店、ヤマハミュージックメディアなどでお求め頂けます。多くの方に読んで頂ければ嬉しいです!!
2013.05.15
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歯医者のアランから送ってきたものです。ちょっと驚いた。Its amazing how these large animals can do this and gracefully too.I found this absolutely amazing . . . the creativity of the film-maker and the technical skill/knowledge required to make this kind of video . . . totally mind-boggling to me!About 4-1/2 minutes........ plus after all the film credits, there'sstill more diving. You have to wonder how they do this stuff.My jaw just dropped open after watching these.So graceful and clever. Enjoy!!Click on following link:http://www.youtube.com/watch_popup?v=uFxnBrO9n7o
2013.05.15
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私には、本当の孫はいませんが、孫もどきが何人もいます。今日は、ジュリー関係の話です。 私のブログを長くお読みの方は、もうジュリーが誰だか知っていらっしゃるでしょうが、 初めて読まれる方のために、簡単に書くと、1985年から一年、AFSの交換学生として ラグナ・ビーチ・ハイスクールに我が娘や息子達と通った子です。AFSの交換学生は、 アメリカの国でスポンサーをする、交換学生の部門では最高のグループで、受け入れられ るのが一番むずかしいといわれてますから、これで選ばれてやってくる学生は頭脳明晰です。 ジュリーも其の一人、当時ユーゴスラビアといわれた国の、現在はクロアチアから来ました。 その一年で、私の娘のようになり、以後ずっと私を「マム」と呼んでいますが、このジュリーが 国の最高の音楽学校で修士号をとったにもかかわらず、市民戦争が勃発したことによって、 父のセルビア系の苗字のために、仕事も中々てにはいらなかったのです。 姉のマーガレットも婦人科の医者だったのが、格下げされたり、とにかく風当たりが ひどかった時代です。 その間、色々あって、ジュリーはイタリアでバイト中にめぐり合った男と婚約して、 スコットランドに行きました。ところが、其の男は結婚していて子供までいたのです。 そこでも、ネットカフェーから毎日のように連絡をとってきて、「死にたい」とか、 「母も国にもどってこいというから、国に帰る」といってきました。私は、彼女の国が戦争中も 食料、衣料をかかえて訪れているので状況をしってましたから、バイトでもなんでもして スコットランドにいるように言い、時々、送金をしてました。そういうある日、エジンバラ大学で 4年の博士号の奨学金をくれるという広告を見たとしらせてきました。私は、だめもとで 応募しろと、強くいいました。 「でも、国の母がさみしいっていうから」とか、「世界中の優秀な人がおうぼするだろうから」 とか、あれこれ言い訳していたのです。ところがそれに合格! 音楽博士となり、おなじ奨学金のクラスにいた、オランダ人と結婚し、 今は、夫婦でアイルランドの、クウィーンズ大学の教授になってます。 無論、私はエジンバラでの結婚式にもいってますし、男女の双子がうまれたときも、 アイルランドに行ってます。 先週、その双子の女の子、ルイザが、ヨーロッパでは一流のピアニスト、ニコライ・デミエンコ 氏と同じステージにたつチャンスをあたえられ(物凄い競争率だったそうです)その写真を 送ってきました。日本人のおばあちゃんと呼ばれてます。 私のことを、ヒロコとよべずに、「オコ」と読んでたのですが、もう8歳になったのですね。 「その内に、家族であそびにいくから」といってますけど、中々実現しそうにありませんから、 私のほうから、会いに行こうと思ってます。 クリスマス、誕生日などには、この双子の手作りのカードをもらってますが、この子達、 英語は無論のこと、クロアチア語、オランダ語の三ヶ国語が流暢です。 Nikolai Demidenko で、Youtubeでサーチすると、たっくさんでてきますよ。
2013.05.14
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おととしあたりから、タットゥーにはまっちゃったグレッグ。自分自身はしてませんけどね、この人のことですから、 タットゥーの歴史までしらべちゃって、いま、次々に作品をかいてます。女性の背中を描いたのを、載せましたよね。あれは、すぐ売れちゃったのです。これも、予約済み。 今ラグナ・ビーチで展覧中。(水彩、墨、インク)「展覧するので、それが終わるまでまってください」といってあります。このモデルは、上の絵にもいますが、彼女自身がタットゥー・アーチストなんです。(水彩、グアッシュ、墨)これも、展覧会にだすまえに、買い手がついて、すぐうれました。(木にグアッシュ、水彩、墨)これは、昨日終わらせた作品で、ある画廊の経営者の友達が病気で手術代にこまってるそうで、その、チャリティーに半分寄付する作品です。(木に、グアッシュ、パステル、エナメル)((近況でした)
2013.05.14
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新聞の見出しやツイートに踊らされないように (こちらのほうが、さっきのせたのよりあたらしいです) http://www.youtube.com/watch?v=DlmCHySGzGs
2013.05.14
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「あら~!ちょっと、ボストンで爆弾事件があったみたいよ!」友達のキクコさんが言った。 私たちはテレビを見ながら朝食中であった。私はその午後、成田空港をたつ事に なっていた。考えたら9・11の同時テロ事件の時、息子とその親友は ニューヨーク経由で帰国する日だったので、ミラノから動けなかったし、メキシコで 休暇を過ごしていた従姉妹もサンフランシスコに帰ることができなかった。 全米の空港が閉鎖されたからだった。 「やだなぁ。私のフライトにも影響するかなあ」と、うめいた。 「必要なだけ、ここに泊まっていいからね」と、キクコさんが保障してくれた。 幸か不幸か(事件自身は幸ではないが)ボストンの場合は、9・11のような膨大な 事件ではなかったから、ロス空港は閉鎖されないだろうと考えた。 「何てことでしょう。あなたの国は公衆を巻き込む事件が多過ぎるわね」と彼女が言った。 「確かにそう。だけどね、この国でも今回の旅の途中、人身事故で電車のスケジュールが かわったのよ」と私は答えた。 「その通り!認めたくないけど、とくに最近、自殺がうなぎのぼりになってるのよね」と、 キクコさんは言って、何かがおこっても大丈夫なように、早めに出ようといった。 彼女の考えは当たっていた。 「当駅発成田エクスプレスは、人身事故のために取り止めになりましたので、 成田行きのお客様は新宿からおのりください、ご迷惑をおかけして申し訳 ございません」という、場内アナウンスひびいた。 早めに家をでてよかった。もし、時間かっきりについていたら、新宿から乗りそこない、 従って空港のチェックインもおくれたであろう。私はキクコさんが重くて大きなバッグを 抱えてくれたことに感謝した。これで、この二週間に二度目の人身事故であった。 「成田でもロスでも、セキュリティー・チェックが厳しいだろうなあ」と私はいった。 私は、いつも軽い旅支度で大抵の場合小さなバック一個であるが、土産の国、 日本へ行くときは、どうしても余計なバックが増える。今回も「何も持っていかないからね、 そちらも用意しないでね」と言ってあるにもかかわらず、帰りは行きより重くなった。 重い食べ物や、税関で没収されそうなものは、全部日本であげて来てもである。 その袋をキクコさんが持ってくれた。 彼女にお礼をし、強くハグして私は成田へ向かった。懸念したとおり、 セキュリティー・チェックは厳しく、長い列に並んでいる間に、土産袋の中に ひっかかりそうなものがあるか、考えていた。一個だけ、きれいに包装された 中にガラス器入りの、秋刀魚のそぼろが入ってるのを思い出した。 それはソフトボール位の大きさのさいころ型の箱に入っており、サイズも重さも 手榴弾くらいだから間違えられるかもしれない、とフト思った。 ずばり!あったり~~! セキュリティーは、数回レントゲンのチェックをうけ、私自身も丁寧に、二度も ボディーチェックをされたあげく、その包みを開けてよいかと聞かれた。 (最初から中身は、そぼろであると報告している) 包みの中に箱があり、 箱の中にあるジャーを取り出したとたんに、係員は恥ずかしい顔になり謝罪をした。 私は「慎重なチェック、ありがとう」と言った。 テロ行為にしろ自殺行為にしろ、人間というものは自分の存在を認めて もらいたいんだなあと思った。他人を巻き添えにしてでも、 何らかの「声明」を残しておきたいのであろう。なんと自分本位の生き物であろうよ、 と思った。 われわれの飛行機は、ほぼ時刻どおりに着陸したが税関にはかなり時間がかかった。 外国人はもっと待っただろうと思う。 グレッグの笑顔を見たとき、私は、長い冒険の夢から目が覚めたように感じた。 (終わり)
2013.05.12
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うちでとれた、アーティチョーク、茎もやわらかでおいしい。西洋アザミです。これは、雑草のように毎年、毎年、同じ場所からはえてきます。 最初の20個くらいたべて、あとは、紫の花を楽しんでます。 ランの鉢が12個ありますが、これは、凄く沢山の花をつけて、まだ、9本くらいつぼみを一杯つけてます。
2013.05.11
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#17 20130504 ラジオフォーラム 第17回 小出裕章ジャーナル (大飯原発再稼動反対は却下された) http://www.youtube.com/watch?v=fUud_0Yl2BI これは、是非きいていただきたいですね。 何故、東電や関電たちは、原発からほかの自然発電に移動していかないのだろう?
2013.05.11
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「ちょっと、面白くて馬鹿らしいもの見せたいの」と、妹が階下のトイレに案内した。 二階のトイレはアメリカの我が家にあるのと同じ、普通のだ。 ドアを開けると、私を見てげらげら笑い出した。目を丸くして口をあけてたからである。 「ね、馬鹿みたいでしょ?センサーがついててオートマチックにきれいにしてくれるの」と 言った。ドアを開けるだけでトイレのふたもあき、便器の中にまで電気がついたのだ! もし、大の方をした場合、ものが水に落ちるとすぐに流れるようになっているから、 一体仕事が終わったのかどうかもわからない。(医者の命令で)何か調べなければ ならない場合、危険であろう。 ネックレースなどは、絶対に落とせない(笑)。 馬鹿らしいと思うものを、妹はなぜ取り付けたのだろう。 長い話を一言でいうと彼女の息子がリフォームの会社に勤務しており、 新型のモデルをテストしてみたかったからだそうで、半分以下の値段で 取り付けてくれたと言う。 「でも、その月の水道料金が1万円にもなってぎょっとしたの。 まあ取り替えてはくれたし、水もアジャストしてくれたけどね、 それでも前より電気代も水道代もあがったわ」と言った。 弟の家のトイレは、こんな贅沢ではないし、オフ・オンスウィッチが ついているから経済的であり、必要な機能もついている。親友の家のトイレは、 この二人の中間くらいのであるが、24時間、シートウォーマーと、床に 暖房がついている。 そして、公共のトイレの多くも電気をたくさん使う。 これだけではない。お風呂の湯がセットした温度に到達すると、 「お風呂がわきました」と、台所のコントロールが知らせる。 私が何をいいたいか、お分かりになるだろうか?旅日記の13からヒントを 与えているつもりだ。私は良いとも悪いともいわないが、日本人は アメリカ人と比べると過剰なほどの電気を使っている。 そして「便利の探求」を目指し54機もの原発をつくってしまい、 結果的には現在の放射能問題と向き合うことになったのではないだろうか。 「充分」という意味を考える時が来たのかもしれない。 ついでだが、私は日本で一番高い建造物スカイ・ツリーの上の展望台の 地上450メートル上にもあるトイレも覗いてきた。
2013.05.09
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一つ前に(Mixiではつぶやきに)のせた飯舘村の酪農家の記事に、 「こういうことは風評となる恐れがあるから、その発信元を書くべきだ」という、 ごもっともな書き込みがあったので、私がこの記事に関して信頼感を もった経過を書きますので、個々で判断してください。 まず、二月にこういうヴィデオがありました。 飯舘村の牧場主が語る放射能汚染の現実 「この村はもう終り」 細川さんが、中ごろから出てきます。2011年11月のヴィデオです。 まだ、細川さんは、元気で冗談まで言ってます。 Feb 5, 2012 http://www.youtube.com/watch?v=HzE1DXTVilQ 飯舘村 2012年秋 細川氏 「この村じゃ、もう7人も首つって死んじゃった」 これは、それから一年後のヴィデオ。 http://www.youtube.com/watch?v=YPADkzTE1gI そして、 2013-04-01 福島県飯舘村佐須地区山津見神社の大火災 http://www.youtube.com/watch?v=m1HbKy4vv50 これを見ていたので、 「飯館村の牧場に残った細川さんの血の叫び」の文章からも 真実性が伺われました。細川さんの写真、いたいたしいほど、やせて悲しげです。 10キロやせたと、最近細川さんを訪ねたかたの書き込みにありました。 でも、わたしのつぶやきに書き込みのかたのご意見もごもっともですので、 発信元をたどりました。これが、そのサイトです。 ワールド・プレスのサイトでプロジェクト・メンバーのページを読んで、 信頼性はあると思いました。 http://shinsainoato.wordpress.com/2013/04/05/2013-3-20 このほかにも、私が聞いてるラジオや、Youtubeのレクチャーを載せておきます。繰り返して 聞きたいのもあるので、保存してあるのです。 あれこれ原発に関する本も読んでますし、アメリカでの原発反対運動にも参加したりしてます。 Published on Jan 12, 2013 Fotgazet通信・忘却への抵抗~酪農家が撮る「飯舘村」 http://www.youtube.com/watch?v=A7aOfdBig-w 東京の放射能汚染はチェルノブイリ時の1000倍だった http://www.youtube.com/watch?v=omFf6JFq39c すでに50人ぐらいの甲状腺がんが出ている可能性がある(音声) http://www.youtube.com/watch?v=kirFHZTAiUc 20130412-1 報道するラジオ「小出さんに聞く汚染水漏れ」 http://www.youtube.com/watch?v=Y2hVg9Krr_4 広瀬隆講演会 「原発と放射能ホントの話」 第2弾 前半 [NIBC] http://www.youtube.com/watch?v=U9NUX3rljZE 広瀬隆講演会 「原発と放射能ホントの話」 第2弾 後半 [NIBC] http://www.youtube.com/watch?v=8_itm3d5Gjc 報道するラジオ「福島の避難区域再編」 #2 http://www.youtube.com/watch?v=3_HQGP3jD8U #004「小出裕章ジャーナル」 放射能除染とは何ぞや?そして それによる人畜への影響。汚染除去ではなく、汚染拡散である。 http://www.youtube.com/watch?v=S-opyeo2JYI #005「小出裕章ジャーナル」 まだ懲りずに今度は外国に押し付ける日本 日本の盲点をついて、碇泊しつづけるアメリカの潜水艦 http://www.youtube.com/watch?v=A3JWeTmfzYM #006「小出裕章ジャーナル」 もう、後戻りできない日本 http://www.youtube.com/watch?v=p9nbRFELrk0 #007「小出裕章ジャーナル」 東電は犯罪を犯している 張本人であるが、情報公開をする・しないの自由を持ってるのはなぜだ? http://www.youtube.com/watch?v=RBlnSoDC9Uk #008「小出裕章ジャーナル」 若者に甲状腺癌の症状が出始めてる 一年後から出てる筈。甲状腺癌否定派もいるが、もっと科学的に調べるべき。 国の目的は軍事目的の核保護である。 http://www.youtube.com/watch?v=xlZmnJBPUD4 #009「小出裕章ジャーナル」劣化ウランとは? http://www.youtube.com/watch?v=KmifRNib3kg #010「小出裕章ジャーナル」原子力基本法のために、 反原発は法律違反になる。(これおかしくない?) 現在原発は止まってるいるのに、電気は足りてる! http://www.youtube.com/watch?v=Ah07ak4sXGg #011「小出裕章ジャーナル」 シーベルト対ベクレルの説明 http://www.youtube.com/watch?v=-J4CoMa1gJw #012「小出裕章ジャーナル」 核実験・死の灰とは? ウランを核分裂させると一億倍の力になる。その化学作用を 利用したのが原爆である。(食料に年20ミリシーベルトの 許可を与えた日本の政府) http://www.youtube.com/watch?v=AlQVhBi9Cto #13 保坂展人世田谷区長の目指す電力自由化への施策 (原発に関しては、16:02位からあります) http://www.youtube.com/watch?v=JqNOVlGWtnA #14 おしどりマコ・ケンが取材した原発事故と福島の子どもたち (チェルノブイリの経験から・小出さんのメルトダウンの説明) http://www.youtube.com/watch?v=pkfxJ6ouhTg #15 李政美さんが語る被災地と歌への思い (カナダ移民の話題・原発については、15分あたりから) http://www.youtube.com/watch?v=65S1FwkUr94 #16 北朝鮮からの脱北者が語る日本への思い http://www.youtube.com/watch?v=2w4TzSeHnpg 木村真三緊急レポート 「福島のこどもたちの現状とこれから」 http://www.youtube.com/watch?v=ag1hDzqzAws チェルノブイリ事故から27年 放射能の影響は?日本はどうなるの? http://www.youtube.com/watch?v=mDhbNcLAgf4 原発銀座 福井県の苦悩 Sep 12, 2012 http://www.youtube.com/watch?v=R0zcRYZxBR0
2013.05.09
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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1901108585&owner_id=7044278 飯館村の牧場に残った細川さんの血の叫び
2013.05.07
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ロスの空港について飛行機を降りたとき、私は耳が聞こえなくなったと思った。 年々難聴になって来てはいるけど、まだ会話は聞こえるはずなのに、 何かがおかしい。あまりにも、静か過ぎるのである。しばらくしてそのわけがわかった。 日本には、行きたくても、あまり帰らないので、私は母国の変化に敏感になっている。 アメリカと比べると、日本はオートマチックのドアや、電気トイレ、エスカレーターや 録音の声の使用が異常に多すぎる。ちなみに、日本の都市は雑音であふれていると思う。 店に人が入るたびに、 「いらっしゃいませ」 「いらっしゃいませ」 「いらっしゃいませ」というし、出る時にも 「ありがとうございました」 「又のおいでをお待ちしております」と同じ機械の声が繰り替えす。 エレベーターに入れば、 「ドアがしまります。手や足を挟まれないようご注意ください」 「上にまいります」 「ドアが開きます。足元にご注意ください」 乗り物に乗れば 「お忘れ物のないようご注意ください」 「小さいお子様は、手をしっかり握っておおりください」 「シルバーシートは、お年寄りや体のご不自由の方のためです」という。 私は、いい加減くたびれてきて、ある時「うるさい!」とささやいてしまい、友達に笑われた。 でも、うるさいと思うのは他の人も同じなのだろう。何故ならそのシルバーシートには、 若者達が座り、目の前にシニアや体の不自由な人がいても無視しているから、 聞いてはいないのだろう。 一方、感動するほど独創的なシステムもあって、たとえば目の不自由な人のために 交通信号のゴーサインを音で表したり、歩道にはデコボコの線ができていて、 杖でたどれるようになっている。 失礼、かなり横道にそれてしまった。 話を戻すと、ロス空港に着いたら、聞こえるものはフライト・アナウンスだけであり、 エスカレーターも、ピープルムーバーも、何もいわない。次の日には、スーパーや スタバにも行ったが、「いらっしゃいませ」とも「ありがとうございました」ともいわない。 因みに、スタバでは見知らぬ男性がドアを開けてくれた。 次に私は、郵便局まで歩いて行った。信号機も何も音がしなかった。 私は別に不便だとも思わず、かえって、とても平和だと感じた。
2013.05.07
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(毎回、まず英文でフェイスブックに載せてるので、これは特にアメリカ人向けのエッセイだということをご了承お願いします)「靴をテーブルに乗せないで」などというと「うるさいやつだ」とグレッグはいう。いや、本当はもっと公の場ではつかいたくな汚い言葉で私を呼ぶ。無論、例外はあるが一般的に日本人は潔癖で、ばい菌に対して被害妄想的な人も多くいる。幸いアメリカに長年住んでいるメリットで、ばい菌などに慌てなくなっているから、私はたいがいの日本人と比べると可なり寛大である。(アメリカ式皮肉です)だが、グレッグにじゅうたんの上では靴を脱ぐ習慣を理解してもらうまでに5年もかかったのだ。もう、スチーム・バキュームも面倒になってきたころ、やっとぬぐようになった。日本では、小さいころから衛生に関してしつけるが、アメリカにはそういう人が少ない。公共のトイレも、掃除がいきわたっている。デパートの床など、赤ん坊がはいずってもよいくらいきれい。食べ物を落とした時の5秒ルールも、日本では二倍の長さでもよさそうだ。(これは、アメリカでは床に落としたものでも5秒以内に拾えばばい菌はつかない・・・という、ふざけたルールがあるので、それをつかった、アメリカンジョークです)無論これは、じょうだんであるが、兎に角清潔である。ある日、私はエスカレーターの横でレールに手を置いて、うずくまっている男性を目撃した。お気の毒に、気分でも悪いのかとおもって、よく見ると、殺菌剤をつけた布で消毒していたのだ。そして、有名なマスク!人々は二つの目的でマスクをする:人に自分の菌をばら撒かないためと、人の菌を吸い込まないためである。私も、仲間はずれにならないように、マスクを買ってつけた・・・・といっても、本当のことをいうと、メークが面倒だったのだ。サングラスもした。マイケル・ジャクソンのようだったが、人々には無視された。そう、日本は清潔な国である。
2013.05.06
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チェルノブイリ事故から27年 放射能の影響は?日本はどうなるの? http://www.youtube.com/watch?v=mDhbNcLAgf4 本当のこという政治家がいないねぇ~。日本と、チェルノブイリの違い
2013.05.06
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40年前となんという違いだろう! 年に一度、和食品を買いに、遠くまででかけたころと違って 今では20分位の場所で、日本と同じようにかえます。 南カリフォルニアには、つまり、日本人が多くなったしょうこでしょうね。 だから、「緊急ランチョン!集まれる人~~」と、声をかけると、 木曜日なのに、出てきてくれる人がいるわけで、 夢のまた夢ですね。 まあ、若い日本女性にかこまれて、わぃわぃ、きゃあきゃあと、 食事をする・・・その楽しい事!物凄いエネルギーに囲まれて 皆のお母さんになって、とっても幸せでした。 ★母国のたび日記は、もう少し書きますけど、いま泊り客がいるので、 休憩中です。
2013.05.03
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日本から、フロリダに帰る途中で、我が家に4日ばかり、若いお友達が来てます。今日は、新しいお客様がいらっしゃると、きまって連れて行くところへ、連れて行きました。あはは そして、明日、日本人パーティーをやるので、ミツワ・マーケットに買い物にいき、昼食。日本から帰ったばかりの、私でも、美味しいとおもえる食事。すごいボリュームで$10以下ですので、友達も驚いてました。
2013.05.02
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家族の中で精神的(spiritually)に一番強かったのは母方の祖母である。 華族から戦後ホームレスというトランジションは、可なり酷であったと思うが、 私は祖母が泣いたり愚痴ったのを一度も見たことがない。祖母のバックグランド など全くしらなかった私にとって彼女は、母が外で働いてる間、私を愛して そだててくれる「おばあちゃん」だった。 私自身が年を重ね利口になって来たとき、やっと彼女の強さを理解し感謝を するようになった。振り返ってみると、精神的、体力的にも極限にきて 落ち込んだ時にも、いつも祖母の霊が「諦めてはいけない、立ち上がりなさい」 と後押しをしてくれたように思う。 祖母の言葉を忘れない。 「目を閉じれば、自分の好きな思い出の場所に戻れる」といって、 目を閉じながら鼓を打ち、謡をうたっていた。「今あること(生きてること)、 今あるものに感謝して楽しみなさい。失ったものを悔いて何になる? あなたの経験は貴方だけのために貴方の中にあって、それは誰にも 破壊されることはない」と言った。 鼓を打ちながら謡うのは、祖母にとって一種の瞑想の時間だろうと思った。 高価な鼓は友達が貸してくれたものだというのを知っていたが、 ほぼ最後まであった。祖母には鼓を習いに来た友達も、着物を縫ってもらいに 着た友達もいた。皆、封筒にこっそりと数倍のお礼を忍ばせて祖母に渡していた。 祖母の知り合いは、老若男女、あらゆる職種の人がいた。きっと昔、そういう人を 親切にあつかっていたのだろう。だから、戦後の貧乏時代でも、住む所もあり、 食べるものにもこまらず、いつも来客があった。 恐らく私は、祖母のそういうところを継いだらしい。私にも多くの友達や知り合いがいて 、やはり老若男女、あらゆる職種、そしてあらゆる国籍の人に囲まれて来客も多い。 今回の旅では、そういう繋がりが最高のもてなしをしてくださった。 高級レストラン、カファーに招待してくださった、ご自宅で豪華なおもてなしを してくださった、きれいなお庭や名所を案内してくださった、何時間も車を 走らせてくださった、私に会うために遠くから泊りがけで来てくださった、 そして引っくり返るくらい驚いたのは、ホテルでチェックアウトしようとしたら、 会計済みだったこと!。。。。しかも三箇所で!! ありがとう、おばあちゃん。ありがとう皆様! (中には、個人情報を守るためにわざとわからない写真をのせてあります) 感謝:トモノリさん・ミエコさんご一家、コードーさん・カズコさんご一家、 ノリコさんとご主人、ヨーコさん、トモコKさん、マリコさん、ナオコさん、 ユキヨさん、タツヤ君、トモコHさん、リエさん、ナオジさん・シゲコさん、 イクヲさん、ヒロミさん、カズエさん、キクコさん、日本の家族たち (無名をご希望の皆々様)
2013.05.01
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