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図書館で『ファンタジーの発想』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、取りあげた5つの物語が定番というか、太子好みの『星の王子さま』、『モモ』&『はてしない物語』、『銀河鉄道の夜』が載っているので、借りる決め手になったのでおます。【ファンタジーの発想】小原信著、新潮社、1987年刊<「BOOK」データベース>より本書に論じられる作品は周知の名作で、かつて読んだ人も多いだろう。しかし、ここに著者の導きによって、新たな視点を与えられると、作品のみならず、自分の生きている「現実」さえ異なって見えてくる。まさに「ファンタジーは自他のもつ世界を新しくひろげてくれる」のである。<読む前の大使寸評>取りあげた5つの物語が定番というか、太子好みの『星の王子さま』、『モモ』&『はてしない物語』、『銀河鉄道の夜』が載っているので、借りる決め手になったのでおます。amazonファンタジーの発想「第一章 砂漠にバラを求めて」で、『星の王子さま』の続きを、見てみましょう。p42~45<星の王子さま>『星の王子さま』のなかで気になるのは、王子のわがままともとれる、このしつこさである。王子は一度、聞きはじめると、どんなことがあっても、相手のことなどおかまいなしに、あとにはひかない。それでいて、王子は自分に問われたことには答えない。何があっても、自分から相手に対して一方的に問いつづける。そのやり方はいささかマニアックであり異常ともとれる。王子は食いついたらはなれない問い方をしている。 こういう王子の態度は、問うことで大切なこと、忘れていたことを思い出させ、相手に何かを自分から考えさせようとした、ソクラテスの問答法のことを思い起こさせる。ソクラテスはアテネの人びとにしつこく問いつづける虻の役割をはたしたが、民衆と対等に対話をくりかえすというのではなく、問いつめていくやり方であり、さいごは裁判にかけられて死ぬ。王子の問いかけの異常さは、ソフィストとしてのソクラテスの、しつこい問いかけの異常さ私に思い起こさせる。 王子のこのしつこさの有効性は解釈がむずかしい。なぜ問いつづけるのか、問いつづけることのメリットは何かということが、ここでは必ずしもうまく出せていないのではないだろうか。恐らく王子の問いかけはソクラテスのなした問いかけとは別種のものであろう。王子にはソクラテスのように、自分から相手に問いかけていく積極的な働きかけは感じられない。王子は人の立場に立って考えることはしていない。 王子のしつこいまでの問いかけは、恐らく王子のめざす対話のはじまりなのであろう。だが、もしそうなら、王子の語り口は対話というかたちからはなれた強引さが少し気になる。王子はともかく自分が納得できるまで、どこまでも相手に食いさがって問い続ける。そのさい、相手の都合とか相手のいまおかれている状況に対する配慮が稀薄すぎるのである。その点では王子のわがままぶりがたしかに気になる。(中略) 王子はキツネに出会って、仲よくなるためには辛抱しなければならないこと、そのつどきずなをふやしていくことが大切だと教えられる。そうして王子は、自分のバラが、キツネと同様、世のなかにたった一つしかない大切なバラだと知るようになる。だが王子は親しくなったキツネの好意をやさしく受けとめるだけで、まわりのものに自分から心づかいを発散しようとする、まなざしの投げかけ役にはならない。いつもピッチャーでなくキャッチャーなのだ。 星の王子はどこかピーター・パン的でもある。わからないことをたずねるといっても、問い方はあるだろうし、何もしないからといっても、もう少し他のやり方はできないものだろうか。『銀河鉄道の夜』のジョバンニやカムパネラには、まなざしのピッチャー性というものが感じられて、何かを自分から仕かけていこうとするところが見られるが、星の王子はまなざしのキャッチャーになるだけで、自分からは動き出さない。 同じじっとしているといっても、『モモ』のなかでは、主人公モモは人の話をだまって聞いてあげるだけで相手を幸せにすることができるのである。一見受身でいるようでいてけっこうプラスの役割をはたしている。そんなモモにくらべて、王子はどこかものたりない。ピーター・パンも星の王子も心やさしいお坊ちゃんが甘ったれている感じがぬぐいきれなくて、そのしつこさは現実の恐れを知らぬ者のもつ残酷さと紙一重の感を与える。『ファンタジーの発想』2:『星の王子さま』『ファンタジーの発想』1:ファンタジーあるいは物語の本質()
2020.10.31
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図書館で『ファンタジーの発想』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、取りあげた5つの物語が定番というか、太子好みの『星の王子さま』、『モモ』&『はてしない物語』、『銀河鉄道の夜』が載っているので、借りる決め手になったのでおます。【ファンタジーの発想】小原信著、新潮社、1987年刊<「BOOK」データベース>より本書に論じられる作品は周知の名作で、かつて読んだ人も多いだろう。しかし、ここに著者の導きによって、新たな視点を与えられると、作品のみならず、自分の生きている「現実」さえ異なって見えてくる。まさに「ファンタジーは自他のもつ世界を新しくひろげてくれる」のである。<読む前の大使寸評>取りあげた5つの物語が定番というか、太子好みの『星の王子さま』、『モモ』&『はてしない物語』、『銀河鉄道の夜』が載っているので、借りる決め手になったのでおます。amazonファンタジーの発想「第一章 砂漠にバラを求めて」で、『星の王子さま』を見てみましょう。p31~34<星の王子さま> 見えないものを見るというのは、たとえばわれわれがふだん歩いている道路のすぐ下には、縦横にガス管がhりめぐされていることを意識してみることである。たいていの道路はその下にガス管、水道管が走っており、電話用のケーブルもありめぐらされている。レントゲンや放射能なども、目には見えないがその存在は無視できない。その人がどんなにふざけたり、にこやかにしていても、いま病める家族をかかえて生きているということはある。口に出して言わなくても考えていること、感じていることは、いくらでもある。 前に読んだことがあっても、おしまいを知っていても、いい本はくりかえして読む値うちがある。なつかしさにつられて、ついひきこまれてしまう『星の王子さま』は読むのが遅すぎることはあっても早すぎることはない。星の王子の物語あほとんどだれもが一度は読んだことがあり、なつかしさを胸に秘めながら、そのなつかしさの本体をうまく言葉にしにくい本である。だが、この本はたんに過去のよかった本にしてはならない。 この本が他の本とちがうとしたら、それは読んだ人が読んだということを言いにくいことはないし、他の人に教えたくない種本でもないし、読みましたよということが照れくさくもない本だということであろう。読むこと、すすめることが、どちらの者もしあわせにし、そのことがねたましくもならない、たのしい本なのだ。『星の王子さま』はそういうやさしさを発散することのできる、ふしぎな普遍性のある本である。 ただし、もうずっと前に読みました、という人はもう一度読みかえしてみることで、前とはちがう新しい出会いを、この本は与えてくれる。ちがうときに読むと、こちらのカメラがちがうため、別の映像がとらえられる。そういう生きた新しい読み方がその人ごとにできるのが、この本の特徴である。 サン=テグジュペリは南フランスのある伯爵家の出身であるが、父親をはやく亡くし、どちらかというと母親べったりのお母さんっ子であったらしい。身長は184センチと長身であった。コンスエロ・スンシン夫人は中南米のサンサルバドル出身で、新聞記者であり、彫刻家でもあった。1942年にクリスマス用の童話をたのまれて、その夏に『星の王子さま』に着手したという。夫婦のあいだに、子どもはなかった。 サン=テグジュペリは鳥にあこがれて空を飛ぶことを夢見ていた少年で、十代のはじめに飛行機にのったのが彼にとって衝撃的なことだったらしい。空を飛ぶこと、飛行機にのることにあこがれていた人で、21歳で民間航空の操縦免許をとり、22歳のときには軍用機の操縦ができるようになったという。 彼は1944年7月、イタリアのコルシカ島の基地から出発して、そのまま消息を断ってしまった。彼のさわやかな亡くなり方は、星の王子のさいごを思わせる。遺品なし、遺骸なしでのこされた書物が彼の形見である。ちなみに、『星の王子さま』は1943年4月、第2次世界大戦のさなかにニューヨークで出版された。ウワバミやバオバブで知られる美しいさし絵は、すべてサン=テグジュペリ自身のものである。 『星の王子さま』はサン=テグジュペリが43歳のときに出版された。全部で27節の小さな本である。邦訳は内藤濯訳が1953年に岩波少年文庫から出ており、いまは洋書版も、フランス語の原文のほかに、英、独、スペイン語版などがペイパーバックで手ごろな値段で読める。『ファンタジーの発想』1
2020.10.31
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図書館で『ファンタジーの発想』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、取りあげた5つの物語が定番というか、太子好みの『星の王子さま』、『モモ』&『はてしない物語』、『銀河鉄道の夜』が載っているので、借りる決め手になったのでおます。【ファンタジーの発想】小原信著、新潮社、1987年刊<「BOOK」データベース>より本書に論じられる作品は周知の名作で、かつて読んだ人も多いだろう。しかし、ここに著者の導きによって、新たな視点を与えられると、作品のみならず、自分の生きている「現実」さえ異なって見えてくる。まさに「ファンタジーは自他のもつ世界を新しくひろげてくれる」のである。<読む前の大使寸評>取りあげた5つの物語が定番というか、太子好みの『星の王子さま』、『モモ』&『はてしない物語』、『銀河鉄道の夜』が載っているので、借りる決め手になったのでおます。amazonファンタジーの発想「はじめに」の章でファンタジーあるいは物語の本質について述べられているので、見てみましょう。p19~22<現実は魔法と奇蹟に充ちている> われわれのまわりにあって実在すると思われているものは、すべてわれわれの思いのおよぶものばかりではない。むしろ、人間が予測しうるたぐいの世界とか宇宙とというのは、人間が考えつくり出したものにすぎない。本当に実在するものは、しばしば小説やドラマよりはるかにドラマティックであり、神秘的なこと、不思議なことに充ちている。 自分があたりまえだと思っていることは、相手にとってもそうだとは決して言えない。自分の考えるあたりまえの基準はいつも自分本位であって、家族のそれとも友人のそれとも微妙にちがう。古代から現代までと言わなくても、国家や民族や集団によって何とさまざまなものが当然視され真理とみなされてきたことであろうか。そのことに気づかないでいると、しばしば自分の無視することがそのまま、まかり通ってあたりまえだと勘ちがいすることになる。 いま自分が考えている、という事実に注目すると、自分の考えていることとか、考えるという現実は決してたんに「もの」とか自然現象についてではない。われわれは自分に見えるもの以外のさまざまなものについて、あたかもそれが実在するかのように考えていることがわかる。超自然というのは、われわれの日ごとの現実の体験であり、ごく身近かなことなのだ。 ながい歴史のなかで、人類が直面した多くの危機はすべてファンタジーに起因するものである。神話も宗教も、戦争も友情もすべてそれぞれがお互いにいだくファンタジーによって起こり、またファンタジーによって収拾されてきた。まぼろしや大志をいだいて、若者が新しい世界にとびこんでいくことができたのもファンタジーの力である。アメリカ大陸の発見も、世界一周の旅も、宇宙開発もすべてファンタジーなしにはありえなかったのである。 われわれは決していまここでの、自分のまわりにある「もの」とか快楽だけで幸せを感じることはできない。充たされないあこがれや願いのこころは、その人の内側にあってその人のこだわる意味づけとして、見えないところでその人を動かす原動力になっている。ふだんはおさまっているものが何かあれば顔を出すのを待ちかまえているのだが、そういうもののありかをありありと思い起こさせる瞬発力となり誘発剤となるものがファンタジーなのだ。<心の栄養・魂の糧> ファンタジーは「もの」とか数字に心を奪われがちなわたしを、ひろがりのある、よりひらかれた世界へといざなう心の栄養剤である。ファンタジーはものに目ざとくなりがちなわたしに心にも目ざとく生きていくための方向を示唆してくれる。またファンタジーは自他のもつ世界を新しく広げてくれるから、明日を生きるための活力を与え、ささいなきっかけで自分を生きかえらせる力をもつ。ただそれは大きな声をはりあげないだけなのだ。 ファンタジーはあらゆる世代の人びとに必用な心の糧である。『星の王子さま』や『ナルニア国物語』は、そのひろがりとゆたかさのゆえに、すべての世代の者が読みかえすたびに新しく何かを読みとることができる。読み手の読み方次第でそこから何が汲みとれるかはほとんど無尽蔵の可能性がある。ウーム 著者はかなり強引な口調(あるいは文体)の人であるが、言っていることに間違いはないので、良しとしよう♪
2020.10.30
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図書館で『多用になる美しさ(ナショナルジオグラフィック2020年2月号)』という雑誌を、手にしたのです。今回の特集のうち「多用になる美しさ」と「分断される大草原」が興味深いので、借りる決め手になったのです。【多用になる美しさ(ナショナルジオグラフィック2020年2月号)】雑誌、日経ナショナルジオグラフィック社、2020年刊<上位レビュー>よりSNSの汎用化で「美しさ」の定義も変わりつつあるという。民族、世代、体型は関係ない。メディアが一方的に押し付けてくるステレオタイプな美しさを受け入れるのは、もはや時代遅れという”私達”に明るいレポートでした。ファッション業界や出版業界が率先する意識改革・行動変容の具体例が小気味よく載っていました。<読む前の大使寸評>今回の特集のうち「多用になる美しさ」と「分断される大草原」が興味深いので、借りる決め手になったのです。amazon多用になる美しさ(ナショナルジオグラフィック2020年2月号)アメリカン・プレーリー・リザーブ(APR)の自然保護活動を、見てみましょう。p88~91<分断される米国の大草原:ハナ・ノードハウス> 眼下に広がる草原は、春の豊かな雨のおかげで青々と輝き、遠くの丘へと続いている。川の近くには、草をはむアメリカバイソン(バッファローとも呼ばれる)の群れが見える。その体からは冬毛が壁紙のようにはがれていた。 白人入植者が馬と銃を持ち込む前、先住民たちはこの崖からバイソンを追い落して狩っていた。同行してくれた元動物園職員のダミアン・オースティンが広大な大草原を示しながら、こう言った。「あそこにハイイログマが走り回る姿を想像してみてください」 オースティンはバイソンの群れと、群れが暮らす土地の管理を任されている。彼が所属する自然保護団体「アメリカン・プレーリー・リザーブ」(APR)はモンタナ州中央部に広大な保護区を設立し、かつて一帯に生息していた野生動物の復活を目指している。 計画が実現した暁には、19世紀初頭に米国西部を探検したメリウェザー・ルイスが、近くの崖の上から目にした風景が広がることになる。「この土地は見渡す限り、バッファローやエルク、レイヨウの群れで埋め尽くされている」と、彼は日誌に書き残している。 こうした動物はその後、短期間で姿を消した。歴史学者の推計によれば、ルイスが相棒の探検家ウィリアム・クラークとこの草原地帯を踏破したときには、数千万頭ものバイソンが生息していた。だが1880年代半ばに、その数は1000頭を下回った。 入植地が西に広がるにつれ、ハイイログマやワピチ、プロングホーン、オオツノヒツジ、オオカミ、クロアシイタチなど、草原に暮らすほかの動物たちも同様に激減した。入植者たちは野生動物を狩り、柵を張りめぐらせ、道を造って動物たちの生息地を分断して草原を放牧地や農地に変えていった。 しかし、草原地帯の西側に当たるこの一帯には、過酷な気候や市場の浮き沈みの影響を受けて、広大な草原がほぼ手つかずの状態で残されていた。2000年、自然保護活動家のグループが西部の草原の生物多様性を保つ上で、この一帯が重要だとの見解を示した。 その翌年、このグループノメンバーだった生物学者のカート・フリースがシリコンバレーでコンサルタントをしていたモンタナ州出身のショーン・ゲリティと協力して立ち上げたのがAPRだ。 APRは民間から資金を集め、協力的な土地所有者から市場価格で牧場を買い取るなどして、民間地と公有地をあわせて130万ヘクタール(1万3000平方キロ)の草原をミズリー川沿いに確保しょうとしている。確保した土地では、牛をほかの土地に移し、代わりに一万頭以上のバイソンを放ち、柵を撤去し、土地本来の植生を復活させ、姿を消した野生動物が戻ってきて繁殖できる条件を整える予定だ。 設立後19年間で、APRはハイテク企業の起業家や実業家からの寄付を中心に1億6000万ドルの資金を集めた。これまでに30ヵ所の私有地、合わせて4万2000ヘクタールを購入し、隣接する公有地からは12万1000ヘクタールを超える放牧用の土地を借りている。(中略) APRの所有地を取り囲む七つの郡では、2009~17年だけで、40万ヘクタールを超す草原が農地に変わっている。「さまざまな動物が次々と姿を消し、生息地が奪われています。すぐに手を打たなければ、チャンスは永遠に失われてしまうでしょう」とゲリティは語る。『多用になる美しさ(ナショナルジオグラフィック2020年2月号)』1()
2020.10.30
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図書館で『多用になる美しさ(ナショナルジオグラフィック2020年2月号)』という雑誌を、手にしたのです。今回の特集のうち「多用になる美しさ」と「分断される大草原」が興味深いので、借りる決め手になったのです。【多用になる美しさ(ナショナルジオグラフィック2020年2月号)】雑誌、日経ナショナルジオグラフィック社、2020年刊<上位レビュー>よりSNSの汎用化で「美しさ」の定義も変わりつつあるという。民族、世代、体型は関係ない。メディアが一方的に押し付けてくるステレオタイプな美しさを受け入れるのは、もはや時代遅れという”私達”に明るいレポートでした。ファッション業界や出版業界が率先する意識改革・行動変容の具体例が小気味よく載っていました。<読む前の大使寸評>今回の特集のうち「多用になる美しさ」と「分断される大草原」が興味深いので、借りる決め手になったのです。amazon多用になる美しさ(ナショナルジオグラフィック2020年2月号)ネットの普及などに晒されて(女性の顔やファッションの)美の基準が揺らいでいるので、見てみましょう。p44~49<美しいって決めるのは誰?:ロビン・ギバン> 美の解釈の変化は、ここ10年ほどで、かつて「隙間市場」と見なされていた領域でも起こっている。ノンバイナリー(自分は女性でも男性でもないと感じている人)やトランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)は美の主流を語る上で欠かせない存在になった。性的少数者の権利が法廷で認められるにつれ、彼らに特有の美意識も市民権を得て、ショーや広告のモデルに起用されている。 こうした変化の背景には、テクノロジーと経済、そして審美眼に磨きをかけた新しい時代の消費者の登場といった要因がある。 ここで言うテクノロジーとは、ソーシャルメディア全般、特にインスタグラムのことで、経済要因の基本は、市場シェアをめぐる激しい競争だ。ドレスから口紅まで、潜在的な顧客層が拡大するなか、個々の企業はより広い層に訴求する広告を打ち出さねばならない。 今では信じがたいことだが、1990年代にはショーの会場で撮った写真をインターネット上に投稿すれば大問題になった。作品が公開され、そのデザインをまねた商品が市場に出回る事態は、デザイナーにとって悪夢に等しい。 一方、コピー商品は今でもデザイナーの頭痛の種だが、インターネットがもたらした真の革命は、消費者がコレクションの発表とほぼ同時に、最新のトレンドをつかめるようになったことだ。 かつては、コレクションを見るのは業界関係者だけだった。一般向けのショーではなく、業界関係者はそこに誇張や派手な装飾があるのを心得ていた。彼らは異文化の勝手な借用や人種的なステレオタイプに気づかないか、気づかないふりをしていた。 しかし、富裕層の顧客が多様化し、小売りの販売網が広がり、ソーシャルメディアが影響力をもつようになって、ファション業界は商品のデザインや広告でこれまで以上に説明責任を問われるようになった。アパレルや化粧品のブランドは、インドや中国などで高級品を買う人が増えたため、今では新しい顧客層に配慮して、アジア系のモデルを積極的に起用している。ファンタジーから現実世界へ ソーシャルメディアを通じて、社会の少数派が声を上げるようになり、彼らの代表を起用してほしいという声を、簡単には無視できなくなってきた。また、情報サイトやブログが増え、肌の色や性別などにかかわらず、あらゆるジャンルの潜在的な顧客たちが美について雄弁に語るようになった。 加えてソーシャルメディアには、人々の購買行動に影響を与える、まったく新しいタイプのリーダーが登場した。「インフルエンサー」だ。ファッションの魅力にとりつかれた若いインフルエンサーは企業のひも付きではなく、変化に気長に待ってはくれない。なだめても、すかしても無駄だ。業界関係者がどうあがこうと、変化はすでに始まっているのだ。 現代の欧米の美の基準では、これまでずっと細身であることが必須条件だった。だが肥満率が高まるにつれ、現実とファンタジーの乖離が広がっていった。どう頑張ってもファンタジーに手が届きそうもないことに、人々はしびれを切らし始めたのだ。(中略) 伝統的な美の基準にこだわり続ければ、ファッション業界は大きな商機を逃すことになる。クリスチャン・シリアーノら気鋭のデザイナーたちは、太めの顧客向けの服を作り、商業的に成功して、そのビジネス手腕を高く評価されている。今では超高級ブランドすら、太めのモデルを起用することは珍しくない。 ()
2020.10.29
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図書館で予約していた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を待つことおよそ11ヶ月でゲットしたのです。待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】ブレイディみかこ著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション。<読む前の大使寸評>待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。<図書館予約:(11/13予約、副本19、予約546)>rakutenぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー「14 アイデンティティ熱のゆくえ」で、中国人の生徒会長を、見てみましょう。p207~209<アイデンティティ熱のゆくえ> 息子が入学して2年目、8年生になった学校で、生徒会長に選ばれたのは中国人の少年だ。以前、息子とスーパーマーケットで買い物をしていたときに、筋肉隆々で長身ノジャキー・チェンかと思うような少年が息子に手を振りながら「ハーイ」と笑っていた。 秋口だったのでちょっと肌寒かったが、中学の体操服の半そでのTシャツを着てジャージのズボンをはいた姿は、見事に逆三角形の体型で、肩と腕のモリモリした感じが半端なかった。 「誰、あれ」と聞いたら、息子が「生徒会長」と答えた。息子が通っているのはいまどきの英国の中学にしては白人英国人が多い学校なので、これを聞いて正直、驚いた。 「どうも僕に親しみを感じているみたいで、入学したときから、廊下とかで、すれ違うたびに『ハーイ』って笑いかけてきたり、ハイタッチしてきたりするんだ」と息子は言った。 「7年生の頃、食堂に並んでたら僕の前に横入りしてきた人たちがいてムカついてたら、彼が飛んできて『おい、そこじゃないだろ、彼の後ろに並べ』って言ってくれた。なんか、何かにつけて僕のこと気にかけてくれてるみたい」 「ふうん、そういう子がいたんだね」 兄や姉が中学にいるわけでもないし、遠くのカトリック校に通っていた息子には、入学当初、知っている子は学校にはほとんどいなかった。 いろいろとトリッキーな目に遭うのではないかと心配していたが、本人は一貫して「学校、楽しい」と言っていたのがちょっと不思議だった。が、なるほど、こういう風に面倒を見てくれていた上級生がいたんだなとわたしはそのときはじめて知った。 「生徒会長に選ばれるなんて、よっぽど人気あるんだね」 「うん、成績もすごくいいみたい。スポーツもできるし、先生たちからも信頼されている。校長先生なんか、ランチタイムにしょっちゅう食堂で彼と座って何か相談してるよ」 「へえ、すごい子なんだね」 「将来は政治を勉強したいんだって。ジェレミン・コービンがすきみたいで、労働党に入りたいって言ってたよ」 「なんでそんなこと知ってるの?」 「一度、学校帰りに大雨が振りだしたとき。友達の家にしばらくいたって言ったときがあったでしょ?」 「うん」 「あれ、彼の両親がやっているチャイニーズ・テイクアウェイの店だったんだ。ずぶ濡れになって歩いてたら、『うちに寄ってけば』って連れて行ってくれて、おいしい春巻きを食べさしてくれた。あのときにそんなことを言ってたんだ」 「それって、どこのチャイニーズ・テイクアウェイ?」 「父ちゃんがよく鉢物の植物を買いに行く花屋の近く」 白人だらけの学校で中国人の生徒会長というだけでも珍しいのに、中華料理店の息子というのもなんというか、むかし風の言葉で言えば「ワーキングクラス・ヒーロー」とでも呼びたくなるような感じだ。 そういえば、元底辺中学校がたいそう荒れていた頃、近所の公園はけっこう危険な場所だったのだが、うっかり通りかかったりすると、茂みの中でビールを飲んだり、妙な匂いの巻きたばこを吸ったりしている中学生から「ニーハオ」「中国人はスプリングロール(春巻き)でも揚げてろ」とからかわれたものだった。 だから、その春巻きを売っている店の子が、元底辺中学校の生徒会長に選ばれたというのは、個人的に胸がすくような思いがした。 が、すぐその後で考えたのである。 この胸がすくような思いとはどこから来ているのだろう。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』5:意外と深いニーハオ問題『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』4:公営団地のラップ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』3:荒れている地域『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』2:「元底辺中学校への道」の続き『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』1:元底辺中学校への道()
2020.10.29
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図書館で予約していた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を待つことおよそ11ヶ月でゲットしたのです。待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】ブレイディみかこ著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション。<読む前の大使寸評>待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。<図書館予約:(11/13予約、副本19、予約546)>rakutenぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー「8 クールなのかジャパン」で中国人に対するヘイトクライムもどきを、見てみましょう。p119~123<意外と深いニーハオ問題> うちの息子は11歳だが、昨年9月から日本の中学校にあたるセカンダリー・スクールに通っている。で、どこの国でもそうだろうと思うが、小学校から中学校に進むと、子どもたちが急にやりたがることがある。 友人どうしで、街に行きたがるのだ。 うちの息子は体が小さくて顔も幼いため、どう見ても10歳以下にしか見えないから、「両親はどこだ」と警察に保護とかされて育児放棄と見なされても困るしと最初は渋っていたのだが、「大丈夫じゃね? あいつの友だち、ガタイのでかい老け顔がけっこういるから、弟がついてきたみたいな感じで、問題にはならんと思う」と配偶者が言うので、わたしも折れた。 だから、このごろではすっかり味を覚えて週末になると映画だビーチだと、いっちょ前に友たちと外出したがるのだが、学校用の黒いスニーカーが小さくなったので、新しい靴を買うために久しぶりに母子で街に出た。 黒いパーカーを着ていっぱしのティーンぶっている息子は、店に入るたびにそこの無料Wi-Fiにスマホを繋いで何ごとかをチェックし始めるので、「あんたいい加減にしなさいよ」と叱っていると、 「やべ。母ちゃんここ出よう」 とフードを被って顔を隠すようにうつむいて歩き始めた。 「どうしたの?」 「同じクラスの女子たちが二階にいる。いま、そのうちのひとりが買い物している写真をインスタグラムに投稿した」 「いいじゃない、別に」 「ダメだよ。母親と一緒に買い物しているところなんて見られたくない。ダサすぎる」 そう言って息子はそそくさと店の外に出ていく。 いつの間にかこんなことを言う年齢になりやがって。と思いながらわたしも後を追った。息子に画像を見せてもらうと、さすがにこの年齢では女の子たちのほうがませて見える。すっかりティーン・ガール然とした女子3人組が、唇をすぼめて目を見開き、斜め上から写すセルフィー顔で水着売り場の隅に立っていた。(中略) 銀行のキャッシュマシーンの脇にホームレスの男性が座っていた。 「ニーハオ、ニーハオ、ニーハオ、ニーハオ」 毛布を肩から羽織ったその男性は、わたしと息子に視線を合わせてにやにやしながらしつこく何度もそう言っている。わたしは彼から目を逸らし、完全無視をきめて前を通り過ぎた。 昼間っからラリっているのか濁った目つきで、ずいぶん失礼な態度だな。いくらホームレスであろうとも失礼なものは失礼なので、そこに温情を侵入させる余地などないぞ、と思っていると息子が言った。 「中国人じゃないのにね」 「まあ、そこは重要ポイントではないけどね」 わたしが答えると息子が呟いた。 「すごいひさしぶりにあの言葉を聞いた」 「ニーハオ、ニーハオ?」 「うん。友人と一緒に外出しているときは、言われたことないから」 お。と思った。これは、ついにあれが始まったということだろうか。 よく在英日本人の、欧州人配偶者との間に子どもを持つ人々が言う「思春期になると子どもが日本人の親から距離を取りたがる」現象。むかし。ロンドンの日系企業に勤めていたとき、現地社員の日本人女性たちがよくそういう話をしているのを耳にした。母親が日本人であることを隠したがる子どもとか、「訛ってて恥かしいから人前で英語をしゃべるな」と子どもに言われていまった母親の話とか。 ついにわが家にもそのときがきたのだろうか、と身構えていると息子が言った。 「さっき起きたことについては、考え方が二つあるよね。まず一つ目は、友人と一緒にいるときは僕は東洋人には見えないんだという考え方。実際、僕はラテン系と間違えられることもあるしね。でも、母ちゃんと一緒にいると、やっぱ親子だから、東洋人に見えるということ」 「うん」 息子がなんか理論整然と語りはじめてしまったので、ついわたしは頷く。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』4:公営団地のラップ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』3:荒れている地域『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』2:「元底辺中学校への道」の続き『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』1:元底辺中学校への道()
2020.10.28
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図書館で予約していた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を待つことおよそ11ヶ月でゲットしたのです。待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】ブレイディみかこ著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション。<読む前の大使寸評>待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。<図書館予約:(11/13予約、副本19、予約546)>rakutenぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー「3 バッドでラップなクリスマス」で公営団地のラップを、聴いてみましょう。p50~54<万国の万引きたちよ、団結せよ> 息子に聞けば、喧嘩の理由は、同級生たちがティムの万引きを発見して咎めはじめたことだという。最初は「あんなことしちゃいけない」と正義の味方よろしく諭していた少年たちが、そのうち「犯罪者」と法の番人さながらに彼を見下し始め、しまいには「貧乏人」とか「あの高層団地の住人は社会の屑だ」とか口々に言ってティムを取り囲んで暴力をふるいだしたらしい。 一応まだら地区に住んでいる息子は、近所に住む、つまりいじめた側の少年たちと一緒に帰宅していて、彼らが一丸となってティムを攻撃しはじめたので最初は止めようとしたらしいが、友人たちの顔つきがだんだん変わっていくのが怖くなってわたしに電話したらしい。 「一人一人はいい子なのに、みんな別人みたいになって、どこまで行くんだろうって胸がどきどきした」 品のいいカトリック校に通っていた息子は、暴力的ないじめの現場を見たことがなかったのだ。 「自分たちが正しいと集団で思い込むと、人間はクレイジーになるからね」 「盗むこともよくないけど、あんな風に勝手に人を有罪と決めて集団で誰かをいじめるのは最低だと思う」 「うん。母ちゃんもそう思う」 「『あなたたちの中で罪を犯したことのない者だけが、この女に石を投げなさい』と新約聖書のヨハネ福音書でイエスも言ってるしね」 「・・・」 元底辺中学校に息子のような敬虔なクリスチャンがいるというのも、関係者にはけっこう新鮮なことかもしれない。 それから数週間後。意外な場所でわたしはプラチナ・ブロンドのジェイソン・ステイサムを再び見ることになった。 それは元底辺中学校の大講堂で行われた音楽部のクリスマス・コンサートだった。 それまでは、クリスマスといえば、息子が通っていたカトリック系小学校が聖歌隊コンサートを行っていたので、教会で聖歌を聞きながら厳かに迎えるのが常だったが、元底辺中学校は講堂でポップなコンサートを行っていた。演奏される曲はすべて音楽部の生徒が作詞作曲したオリジナルのクリスマス・ソングで、講堂では演奏曲のCDまで発売されていた。音楽部の部室にあるレコーディング・スタジオで録音されたものらしい。 音楽部の子たちは、ふだんはクールな子たちが多いというか、ファッションにうるさそうなティーンが多いのだが、この日はみんなクリスマス柄のダサいセーターを着てステージに登場した。トナカイやサンタクロースの絵がついた、一般に「アグリー・セーター」と呼ばれているアレである。 インディー・ロック調のクリスマス・ソングあり、エド・シーラン風の弾き語りクリスマス・ソングあり、と中学生にしては非常にレベルの高い曲揃いで、音楽ライター上がりのわたしから見ても、音楽部はなかなかの才能を擁しているように思えた。 そしてコンサートが終盤にさしかかった頃、ひょろっと全身が細長い、眉毛の無いハチュウ類みたいな容貌のコワモテの少年が、サンタさんの格好をしたテディベアの絵柄がついたクリスマス・セーターを来てステージの上に登場した。ファンシーなセーターを着てはいるが、プラチナ・ブロンドのジェイソンである。 楽器は持っていないし、ひとりでいったい何をやるんだろう、と思っていると、無愛想にジェイソンは言った。 「俺は坂の上の公営団地に住むラッパーです。今日は俺が書いたクリスマス・ソングをやります」 そう言って音響担当のほうを見て頷くと、講堂にトラックが響き始め、畳みかけるようにジェイソンがラップを始めた。「父ちゃん、団地の前で倒れてる 母ちゃん、泥酔でがなってる 姉ちゃん、インスタにアクセスできずに暴れてる 婆ちゃん、流しに差し歯を落として棒立ち 七面鳥がオーブンの中で焦げてる 俺は野菜を刻み続ける 父ちゃん、金を使い果たして 母ちゃん、2.99ポンドのワインで潰れて 姉ちゃん、リベンジポルノを流出されて 婆ちゃん、差し歯なしのクリスマスを迎えて どうやって七面鳥を食べればいいんだいってさめざめ泣いてる 俺は野菜を刻み続ける」 クリスマス・ソングなのにやけに暗いことばかり言うものだから、観客から笑いが漏れる。が、ふと回りを見渡して気づいた。おかしそうに笑っている人々と、すごく嫌そうな顔をしている人々とに、保護者が二分されているのである。 わたしが見たところ、険しい顔をしているのはまだら地区側の住人たちであり、げらげら笑っているのはピュア地区側の住人たちだ。ひと昔前なら「労働者階級の街」とシンプルに呼ぶことができた地域で、明らかに分断が進んでいる。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』3:『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』2:『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』1:()
2020.10.28
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図書館で『文芸春秋(2020年6月号)』という雑誌を、手にしたのです。表紙のコピーにもあるように、「ウイルスVS・日本人」という特集は、もっともホットなテーマなので、借りる決め手になったのです。【文芸春秋(2020年6月号)】雑誌、文芸春秋、2020年刊<上位レビュー>よりコロナ一色の記事のなかで山中教授と橋下徹氏の対談のなかで山中教授がいう被害者は5つ(ウイルスに感染した患者、患者を治療する医療関係者、、このような状況であっても外で働く警察官、バスの運転手、宅配業者等社会インフラを支えてる人達、自粛要請で休業してる人達、そして本来受けるべき治療や介護を受けれない高齢者、教育の機械を奪われてる子供たち)の指摘に納得。<読む前の大使寸評>表紙のコピーにもあるように、「ウイルスvs.日本人」という特集は、もっともホットなテーマなので、借りる決め手になったのです。amazon文芸春秋(2020年6月号)ノーベル賞学者と元大阪府知事の対談を、見てみましょう。p94~98<日本人にはこのウイルスに負けない「ファクターX」がある>橋下:どうして橋下がノーベル賞の山中さんと対談を? と思う読者の方も多いと思います。実は、まだこんなコロナ騒動になる前に何度か大阪城近くの居酒屋でお酒を飲む機会があって、いつも酔っぱらった僕のダラダラした話を聞いていただいておりまして・・・(苦笑)。 山中:橋下さんが大阪の知事になって、大阪はあきらかに変わったんですね。僕は大阪生まれの大阪育ちだから、それがとても印象的でうれしかったんです。僕は、何かを「変える」のが大好きな人間ですから、橋下さんの姿勢に共感するところがあるんですよ。橋下:そんなお付き合いもあったので先月号では、僕が山中さんに甘える形で気軽にメールでコロナに関する質問をお送りしたんですよね。そうしたらガツンと衝撃を受ける回答をいただきました(本誌五月号「安部総理よ、今こそ日本に『強い決断』を」)。 山中:私のほうも、どうしてiPS細胞の山中が新型コロナウイルスの話をするのかと疑問を持つ読者がおられるかもしれないので最初にお断りしておきます。 もちろん、私は感染症や公衆衛生の専門家ではないですが、日本の感染拡大を目の当たりにして、科学者の一人として何かやらなくてはという気持ちになって、3月13日からホーページを開設して情報発信を始めました(「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」)。 皆さんに正しい情報、役に立ちそうな情報をお届けしたいと思って、世界中から根拠が明確な情報を探して、僕なりに消化して紹介しています。橋下:山中さんが科学者の視点に立たれるのに対して、今日、僕はあえて政治家の視点に立って山中さんと議論したいと思っています。両者の考え方の違いを明らかにし、この厄介なウイルスに立ち向かうための処方箋のようなものが提示できたらと思っています。<ウイルスは“二重人格”>橋下:まずは改めて、この対談のきっかけとなった「感染者数か、死亡者数か」という問題から振り返りたいと思います。 「文芸春秋」 五月号で、僕は、日々更新される感染者数に振り回されている国や社会の状況に疑問を投げかけました。感染者数を押さえ込むことを重視するあまり、社会活動に抑制がかなり強くかかり、経済もダメージを受けつつある。 でもそれで社会が死んでしまっては元も子もないではないかと。それで僕は「死ななきゃいいではないか」と発想を転換し、人工呼吸器などの医療体制の整備に注力すれば、社会活動を徐々に通常運転に戻すことが可能だという考えを展開しました。 まず指標とすべきは、日本における季節性インフルエンザによる年間の死亡者数は約三千人だと。この三千人を基準として、新型コロナでの死者数がそのラインを超えないよう、調整を行っていけばいいのではないか・・・この案を山中さんにぶつけてみたところ、「死亡者数だけに注目するのは危険だ」とガツンと指摘を受けたのです。 山中:再度強調しておきたいのは、新型コロナウイルスは、季節性インフルエンザとは段違いの恐ろしさがあるということです。 僕がそのことに気づいたのは二月末くらいでした。このウイルスは、恐るべき“二重人格”の持ち主で、ほとんどの人は軽症か無症状で済むのに、数%の人には強力に襲い掛かって命を奪ってしまう。 しかもその症状はとても怖いもので、肺炎を起こして重症化してしまうと、肺から酸素を取り込むことができなくなり、息ができなくなる。ほとんど水中で溺れるような状態になって窒息に近い状態になります。それで人工呼吸器で呼吸を助けるんですけど、それでも間に合わず死に至ることが多いのです。 橋下さんに、死亡者数だけ見てはだめだと答えたのは、亡くなり方が違うからです。元気だった方が、ニ、三週間で急に亡くなるんです。橋下:よくわかりました。その重症化へのスイッチが何なのかがわかれば、状況は大きく変わってくるのでしょうね。<何が死に直結するか>山中:そこはとても大事なところで、今は年齢とか既往症の有無とかと言われていますが、重症化がランダムに起こるものか、あるいは患者さんの体質なのか・・・そのあたりが解明されれば、この病気の怖さは少し和らぐと思います。 逆に言うと、何が死に直結するかわからないから怖いわけです。日本は医療水準が高いから、救命できることも多いと思います。でも患者さんが急激に増えると、救える命が救えなくなります。だから感染者数を急激に増やしてはいけないんです。 僕自身は五十七歳ですが、季節性インフルエンザになっても死ぬリスクはまず無いと思っています。でも新型コロナだと、もしかしたら死んでしまうかもしれない。最後の体面も果たせず、家族は火葬された後の遺骨を受け取ることしかできません。こんなに恐い病気はまずありません。橋下:科学や医療に携わっている方々は、実際の患者さんの姿をご存知ですから、そこから物事を考えるんですね。自分が表面的な数字しか見ていなかったことに気づかされ、認識が変わりました。<この闘いは長いマラソン>山中:4月7日から緊急事態宣言が発令されましたが、当初は「1ヶ月だけの我慢」と誤解していた人が多かったように思います。はっきり言ってその認識は甘いです。この闘いは長いマラソンです。しばらくは全力疾走、その後は持久走への準備が求められるでしょう。 4月14日に米ハーバード大の研究チームが発表した論文によると、新型コロナの流行は2022年まで続く可能性があり、人との接触をできるだけ避ける行動制限も、断続的に続ける必用があるとのことでした。欧米での感染拡大の様子を見ていると、確かにそのような時間のスパンで考えなければならないと思います。橋下:社会的自粛をやっては解除、またやっては解除ということを繰り返し、ワクチンや薬ができるまで時間稼ぎを続けるというのが今の戦略ですよね。 山中:そうです。ワクチン開発は少なくとも1年はかかる見込みです。まずは日本の産官学が協力し、国産のワクチンと治療薬の開発に全力で取り組まなければなりません。他国でワクチンや治療薬が開発されても、日本への供給が遅れたり、価格が高額になる恐れがあるから、外国の物を頼みにするのは危険です。橋下:では新型コロナウイルスの恐ろしさを正しく認識した上で、ここからどう闘っていくのかを議論していきたいと思います。 山中:僕が今とても気になっているのは、日本の感染拡大が欧米に比べて緩やかなのは、絶対に何か理由があるはずだということです。何が理由かはわからないのですけれど、僕は仮に「ファクターX」と呼んでいます。 この対談が行われている現在も、緊急事態宣言が発令中ですが、これは世界でいちばん緩い緊急事態宣言ではないかと思います。にも関わらず、現状では国内の感染者数と死亡者数は、どちらも急激には増加していません。橋下:あえてお聞きしますけど、欧米に比べて日本の状況はちがうというのが山中さんの認識なのでしょうか。 山中:そうです。もちろん、単にカーブの上がり方が遅いだけという可能性はありますし、あまり言い過ぎて油断してもいけないと思いますが、現時点では、ファクターXはあるはずで、ぜひ突き止めたいと思っています。<ファクターXは何か?>橋下:平日はいまだに通勤している人は多いし、土日になると相変わらず商店街や公園などは人出が多いという状況が続いています。日本にはファクターXがある、と聞いて楽観視してはいけませんが、本当に存在するのなら、国を挙げて解明を進めてほしいですね。 山中:僕がファクターXにこだわるのは、それがわかれば新型コロナとの向きい合い方は確実に変わってくるはずだからです。 ファクターXには、多くの可能性があります。一つは、日本人は、マスクや入浴など清潔意識が高いということ。もしくは、ハグや握手、大声で話すことが欧米より少ないという文化的なことかもしれません。 また「はんこ注射」として知られるBCGワクチンが感染や感染後の重傷化を防いでいるという見方もあります。たしかにイタリアやアメリカなど感染者の多い国はBCG接種をしておらず、接種と死亡者数に相関関係が見て取れます。でもこれも因果関係は証明されていませんから、あくまで仮説にすぎません。(後略)
2020.10.27
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・浅田次郎『大名倒産(上)』(2/01予約、副本13、予約347)現在24位・浅田次郎『大名倒産(下)』(3/17予約、副本23、予約351)現在94位・川越宗一『熱源』(6/08予約、副本33、予約676)現在396位・紗倉まな『春、死なん』(6/14予約、副本2、予約30)現在14位・チャン・ガンミョン『韓国が嫌いで』(7/03予約、副本1、予約7)現在1位・ブレイディみかこ『ワールドサイドをほっつき歩け』(9/19予約、副本13、予約218)現在186位・小川洋子『密やかな結晶』(10/8予約、副本4、予約59)現在54位・スーザン・ネイピア『ミヤザキワールド』(10/25予約、副本1、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)・グレタたったひとりのストライキ<予約候補>・頭木弘樹『食べることと出すこと』:図書館未収蔵・小野正嗣『多和田語の世界』:図書館未収蔵・小野正嗣『踏み跡にたたずんで』・小川さやか『チョンキンマンションのボスは知ってる』・本村凌二『馬の世界史』・柏耕一『交通誘導員ヨレヨレ日記』・藻谷浩介『進化する里山資本主義』・多和田葉子『星に仄めかされて』・多和田葉子『文字移植』:図書館未収蔵・山内 一也『ウイルス究極の寄生生命体 (NHK人間講座)』・四方田犬彦『ソウルの風景―記憶と変貌』・小山鉄郎『白川静さんに学ぶ これが日本語』・高野秀行「怪獣記」・キネマ旬報(ありがとう、和田誠さん)・橋本治『黄金夜界』・中園成生『日本捕鯨史』・高野秀行「ワセダ三畳青春記」・高樹のぶ子『アジアに浸る』・つげ義春『ガロ 1968 前衛マンガの試行と軌跡』・ディック『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』:図書館未収蔵・ヘミングウェイで学ぶ英文法:図書館未収蔵・内澤旬子『ストーカーとの七00日戦争』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』<予約分受取:8/16以降> ・村上春樹『猫を棄てる』(5/31予約、8/16受取)・橘玲「上級国民/下級国民」(10/24予約、8/20受取)・サル化する世界(3/25予約、9/02受取)・浅田次郎『草原からの使者 沙高楼奇譚』(9/05予約、9/10受取)・『装丁・装画の仕事』(9/08予約、9/13受取)・メーター検針員テゲテゲ日記(7/10予約、9/18受取)・森見登美彦「四畳半神話体系」(9/19予約、9/23受取)・ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(11/13予約、10/15受取)・小野正嗣『獅子渡り鼻』(10/9予約、10/15受取)***********************************************************************【大名倒産(上)】浅田次郎著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より泰平の世に積もりに積もった大借金に嫌気のさした先代は縁の薄い末息子に腹を切らせて御家幕引きを謀る。そうとは知らぬ若殿に次々と難題が降りかかる!笑いと涙の経済エンターテインメント、始まり、始まりー<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/01予約、副本13、予約347)>rakuten大名倒産(上)【大名倒産(下)】浅田次郎著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より御国入りで初めて見る故郷の美しさ、初めて知る兄弟の情。若殿は倒産阻止を決意するが、家臣共々の努力も焼け石に水。伝家の宝刀「お断り」で借金帳消しの不名誉を被るしかないのか。人も神様も入り乱れての金策に、果たして大団円なるかー<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/17予約、副本23、予約351)>rakuten大名倒産(下)【熱源】川越宗一著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より故郷を奪われ、生き方を変えられた。それでもアイヌがアイヌとして生きているうちに、やりとげなければならないことがある。北海道のさらに北に浮かぶ島、樺太(サハリン)。人を拒むような極寒の地で、時代に翻弄されながら、それでも生きていくための「熱」を追い求める人々がいた。明治維新後、樺太のアイヌに何が起こっていたのか。見たことのない感情に心を揺り動かされる、圧巻の歴史小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/08予約、副本33、予約676)>rakuten熱源【春、死なん】紗倉まな著、講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より「春、死なん」妻を亡くして6年の70歳の富雄。理想的なはずの二世帯住宅での暮らしは孤独で、何かを埋めるようにひとり自室で自慰行為を繰り返す日々。そんな折、学生時代に一度だけ関係を持った女性と再会し…。「ははばなれ」母と夫と共に、早くに亡くなった父の墓参りに向かったコヨミ。専業主婦で子供もまだなく、何事にも一歩踏み出せない。久しぶりに実家に立ち寄ると、そこには母の恋人だという不審な男が…。人は恋い、性に焦がれる―いくら年を重ねても。揺れ惑う心と体を赤裸々に、愛をこめて描く鮮烈な小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/14予約、副本2、予約30)>amazon春、死なん【韓国が嫌いで】チャン・ガンミョン著、ころから、2020年刊<「BOOK」データベース>より女もすなるフェミニズム小説といふものを、男もしてみむとするなりー韓国「今日の若い作家」シリーズからチャン・ガンミョン作品を初邦訳!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/03予約、副本1、予約7)>rakuten韓国が嫌いで【ワールドサイドをほっつき歩け!】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2020年刊<「BOOK」データベース>よりEU離脱、競争激化社会、緊縮財政などの大問題に立ち上がり、人生という長い旅路を行く中高年への祝福に満ちたエッセイ21編。第2章は、現代英国の世代、階級、酒事情についての著者解説編。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/19予約、副本13、予約218)>rakutenワールドサイドをほっつき歩け【ミヤザキワールド】スーザン・ネイピア著、筑摩書房、2020年刊<「BOOK」データベース>より世界を魅了しつづける巨匠の秘密とは?中・韓・ロシア・アラビア語版も刊行される決定版「宮崎駿論」。30世紀の有毒の森、神々が疲れを癒す湯屋、赤毛のさかなの女の子、ふわふわの森の精―これらに共通する要素とは?“アニメ・クイーン”の異名をとる米タフツ大学教授が、アニメーション作家・宮崎駿(1941‐)が手がけた『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)から『風立ちぬ』(2013)まで11の長編映画と、漫画版『風の谷のナウシカ』(1982~94)を徹底解剖。その人生と芸術との知られざる関わりを解き明かす。映像作品はもとより、膨大な日本語・欧文文献を8年がかりで渉猟、宮崎監督本人とスタジオジブリ関係者への直接インタビュー、大学で教える宮崎駿ゼミでの知見も踏まえ、「闇と光」がせめぎ合う「ミヤザキワールド」の魅力に迫る。日本版オリジナルの序文を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/25予約、副本1、予約0)>amazonミヤザキワールド【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡230予約分受取目録R23好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。
2020.10.27
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【図書館大好き452】今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「月刊雑誌」でしょうか♪<市立図書館>・燐寸文学全集・ファンタジーの発想・多用になる美しさ(ナショナルジオグラフィック2020年2月号)・文芸春秋(2020年6月号)<大学図書館>・8月末以降にトライ図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【燐寸文学全集】安野光雅×池内紀 編、筑摩書房、1993年刊<「MARC」データベース>よりアイリッシュ、芥川竜之介から若山牧水、和田芳恵まで、無数の文学作品から蒐集した「マッチ」をめぐる名場面集。今やライターに変わってしまったが、マッチを一擦りした瞬間のほのかに灯る光はあたたかい。前代未聞の奇書。<読む前の大使寸評>全巻にわたって、マッチ、煙草という文字が出て来ます。目次を見ると作家が「あいうえお順」に並んでいるわけで・・・「MARC」データベースが前代未聞の奇書として紹介するのも、肯けるわけでおます。amazon燐寸文学全集【ファンタジーの発想】小原信著、新潮社、1987年刊<「BOOK」データベース>より本書に論じられる作品は周知の名作で、かつて読んだ人も多いだろう。しかし、ここに著者の導きによって、新たな視点を与えられると、作品のみならず、自分の生きている「現実」さえ異なって見えてくる。まさに「ファンタジーは自他のもつ世界を新しくひろげてくれる」のである。<読む前の大使寸評>取りあげた5つの物語が定番というか、太子好みの『星の王子さま』、『モモ』&『はてしない物語』、『銀河鉄道の夜』が載っているので、借りる決め手になったのでおます。amazonファンタジーの発想【多用になる美しさ(ナショナルジオグラフィック2020年2月号)】雑誌、日経ナショナルジオグラフィック社、2020年刊<上位レビュー>よりSNSの汎用化で「美しさ」の定義も変わりつつあるという。民族、世代、体型は関係ない。メディアが一方的に押し付けてくるステレオタイプな美しさを受け入れるのは、もはや時代遅れという”私達”に明るいレポートでした。ファッション業界や出版業界が率先する意識改革・行動変容の具体例が小気味よく載っていました。<読む前の大使寸評>追って記入amazon多用になる美しさ(ナショナルジオグラフィック2020年2月号)【文芸春秋(2020年6月号)】雑誌、文芸春秋、2020年刊<上位レビュー>よりコロナ一色の記事のなかで山中教授と橋下徹氏の対談のなかで山中教授がいう被害者は5つ(ウイルスに感染した患者、患者を治療する医療関係者、、このような状況であっても外で働く警察官、バスの運転手、宅配業者等社会インフラを支えてる人達、自粛要請で休業してる人達、そして本来受けるべき治療や介護を受けれない高齢者、教育の機械を奪われてる子供たち)の指摘に納得。<読む前の大使寸評>表紙のコピーにもあるように、「ウイルスVS・日本人」という特集は、もっともホットなテーマなので、借りる決め手になったのです。amazon文芸春秋(2020年6月号)************************************************************図書館大好き451
2020.10.26
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図書館で『燐寸文学全集』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、全巻にわたって、マッチ、煙草という文字が出て来ます。目次を見ると作家が「あいうえお順」に並んでいるわけで・・・「MARC」データベースが前代未聞の奇書として紹介するのも、肯けるわけでおます。【燐寸文学全集】安野光雅×池内紀 編、筑摩書房、1993年刊<「MARC」データベース>よりアイリッシュ、芥川竜之介から若山牧水、和田芳恵まで、無数の文学作品から蒐集した「マッチ」をめぐる名場面集。今やライターに変わってしまったが、マッチを一擦りした瞬間のほのかに灯る光はあたたかい。前代未聞の奇書。<読む前の大使寸評>全巻にわたって、マッチ、煙草という文字が出て来ます。目次を見ると作家が「あいうえお順」に並んでいるわけで・・・「MARC」データベースが前代未聞の奇書として紹介するのも、肯けるわけでおます。amazon燐寸文学全集お次に、マーク・トウェインのマッチを見てみましょう。<ハックルベリー・フィンの冒険>よりp361 小舎の後の方と柵の間に、板づくりの差掛けの小舎があって、軒で小舎とくっついていた。長さは小舎と同じだが狭く・・・幅は六フィートほどしかなかった。そのドアは南の端にあって、錠前がかかっていた。 トムはせっけんを煮る釜の所へ行ってさがし、蓋を持上げる鉄の道具を持って帰り、留め金の一つをこじあけた。 鎖は落ち、おれたちはドアをあけて内に入り、ドアをしめてマッチをすり、この差掛けが小舎によっかかっているだけで入口などはないことと、床などは張ってなく、そこには古くて錆びついて役に立たなくなったくわとスコップとつるはしと、ひんまがった鋤以外に何もないこととを知った。 マッチが消え、おれたちも差掛けから消えてなくなり、留め金を押込むと、ドアにはきちんと錠前がかかった。トムはうれしがった。『燐寸文学全集』1
2020.10.26
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図書館で予約していた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を待つことおよそ11ヶ月でゲットしたのです。待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】ブレイディみかこ著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション。<読む前の大使寸評>待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。<図書館予約:(11/13予約、副本19、予約546)>rakutenぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー元底辺中学校のある「荒れている地域」を、見てみましょう。p42~44<3 バッドでラップなクリスマス> わが家は「荒れている地域」と呼ばれる元公営住宅地にある。どうして「元」なのかといえば、それはサッチャー政権時代に払い下げになった公営住宅地だからだ。 実は現在、英国にピュアな公営住宅地というものはほとんどない。1979年には英国人の42%が公営住宅地に住んでいたそうだが、80年代にサッチャーがそれらを片っ端から払い下げたのだ。その後、公営住宅はほとんど建てられておらず、90年代後半から2000年代にまたがる労働党のブレア政権とブラウン政権の時代ですら、13年間でわずか787戸の公営住宅しか新築されていない。 サッチャー政権の公営住宅払い下げは「住人に購入する権利を与える」というものだった。それで買った人たちもいるが、買えなかった住人もいた。また、買った人たちのほうでも、購入してずっと住み続けた人たちもいたし、売却してよそに引っ越して行った人たちもいた。こうして英国の公営住宅地の「まだら現象」が進んで行ったのである。 つまり、不動産屋から購入した民間の住宅として住んでいる住人と、いまでも地方自治体に家賃を払いながら住んでいる住人が、まだらのようになって共存するエリアになったのだ。後者は現在でも自分が暮らす街を「公営住宅地」と呼ぶが、厳密にいえば、英国のほとんどの公営住宅地には「元」がつく。 例えば、わが家の近所ひとつ取ってみてもお、左隣はサッチャー時代の払い下げで購入しそれ以来ずっと住んでいる公営住宅地時代からの住人だし、右隣は不動産屋を通じて購入した若い夫婦だ。 彼らはミドルクラスのけっこう裕福なカップルなので、庭にジャグジーはあるわ、ガラス張りのフィットネスジムは増築するわで、貧乏くさいわが家との鮮やかなコントラストが近所でも話題になっている。 英国では近年、ミドルクラスの人々が安価な元公営住宅を購入し、お洒落でゴージャスな改装を施して住むのが流行していて、「デザイナーズホテル」をもじって「デザイナーズ公営住宅」と呼ばれている。 そうかと思えばお向かいはいまでも公営住宅であり、70年代からいるという老夫婦が住んでいるし、その隣は不動産屋を通じて家を購入したパキスタン系移民の家庭が、煉瓦の壁に黄色っぽいベージュのペンキを塗って屋根をえんじ色にし、個性的な色彩感覚で元公営住宅地に異国情緒を添えている。 そうした住人の国籍も階級もまだら状態になった住宅地の坂を上って行くと、コンクリトの巨大な高層住宅が見えてくる。それは2階建ての公営住宅が立ち並ぶ地区に後から付け加えられた、15階建ての公営団地だ。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』2『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』1()
2020.10.25
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図書館で『燐寸文学全集』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、全巻にわたって、マッチ、煙草という文字が出て来ます。目次を見ると作家が「あいうえお順」に並んでいるわけで・・・「MARC」データベースが前代未聞の奇書として紹介するのも、肯けるわけでおます。【燐寸文学全集】安野光雅×池内紀 編、筑摩書房、1993年刊<「MARC」データベース>よりアイリッシュ、芥川竜之介から若山牧水、和田芳恵まで、無数の文学作品から蒐集した「マッチ」をめぐる名場面集。今やライターに変わってしまったが、マッチを一擦りした瞬間のほのかに灯る光はあたたかい。前代未聞の奇書。<読む前の大使寸評>全巻にわたって、マッチ、煙草という文字が出て来ます。目次を見ると作家が「あいうえお順」に並んでいるわけで・・・「MARC」データベースが前代未聞の奇書として紹介するのも、肯けるわけでおます。amazon燐寸文学全集それでは、獅子文六のマッチを見てみましょう。<菊印のマッチ>よりp192~193 私の書斎の机は、大きいので、やたらに雑物を乗せてしまうから、時には、整理の必要を、生じてくる。 この間も、それをやったところが、書物の間から、一個のマッチが出てきた。マッチなぞというものは、日本では、非常に安価であるのみならず、タダでくれるところもあり、保存の必要はない。なぜ、そんなものが、机の隅に残ってたのか。もっとも、タダのマッチは、レッテルにある名前によっては、家人に隠匿しなければならぬ場合もある。それで、書物の間にでも、かくしたのか。 しかし、私の発見したマッチは無記名だった。それに、大変、上品なマッチである。普通型よりやや大きく、表面の一方は、センイを漉き入れたアサギ色、もう一方は、同じ質の白い日本紙に、セピア色の線描で、一輪の菊花と葉とクキが、かいてある。多い余白の中央に、ポツンと、かいてある。 はて、どこで貰ったマッチかな。 店の名が、全然、書いてないというのは、変わったマッチであるから、私も、ちょっと、スリラー小説的興味を、起こしかけたのであるが、すぐ消えた。 そうだ、それは、宮中のマッチである。
2020.10.25
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とり・みき氏といえば、今ではヤマザキ・マリさんと組んでブイブイいわせているマンガ家であるが・・・わが蔵書『一億人の漫画連鎖』(1998年刊)のなかに「マンガ家スペシャルインタビュー」てのがあり、とり・みき氏に触れているので、見てみましょう。【一億人の漫画連鎖】ダヴィンチ編集部編、メディアファクトリー、1998年刊<「BOOK」データベース>より【目次】第1章 人気ランキングから広げるコミック連鎖反応/第2章 マンガおもしろ分析&マンガ家インタビューから広げるコミック連鎖反応/第3章 あの作家あの作品から広げるコミック連鎖反応<大使寸評>古書フェアで、定価890円のこの本が800円で売り出されていたのです。ちょっと高いかとも思ったけど、今買わないと二度とお目にかからないだろうと焦ったわけでおました。一億人の漫画連鎖岩根彰子さんという方がとり・みき氏を語っているので、見てみましょう。p112~113<マンガファンでありながら、マンガ家であり続けるのは難しいんですよ> とり・みき氏のエッセイ集のあとがきでまついなつきさんがこんなことを書いている。 そう言われて、件のとり・みき氏に興味がわかない女はいないだろう。女3人にホルモンの牙を磨かせる男。いったいどんな人物なのか知りたい! そんな下心を隠し、まずはその作品の多彩さについて聞いてみた。 「自分のなかで、次はこういうものが描きたいな、と積極的に思うわけじゃないんですよ。まずは雑誌が決まってページ数が決まりますよね。そこから逆算して何がいいんだろうって、考えるんです。で、媒体の性格とか読者層とかページ数に適した題材を決めたら、次はその適した題材に一番合う描線とか表現方法hなんだろうって考える」 なるほど、自分が持っている引き出しから、相手に一番似合う服を選んで出してあげる、ということだ。簡単そうだが、まずは引き出しをいくつも持っていないとできないことである。 「商品価値的には、絵を見たら誰の作品だって一発でわかるほうがいいわけですから、作品ごとにタッチを変えるのは、非常に損なんです。さらに『ガロ』至上主義みたいな人たちからすれば、僕なんかは全然アーティスティックではないわけで・・・。芸術的なマンが家もいれば、職人的なマンガ家もいると思うですけどね。 でも、日本のマンガ界では、テクニック的なことって、作品の内容と比べてわりと軽視されてきたんです。そういうことに対する反発も多少あって、やっぱり自分のマンガはアートでなくて構わないから、技術的に、例えばストーリーものだったらどういうアレンジの仕方をするかとか、どういう伏線を張るか、カット割りをどうするか、とかね。そっちのほうに懲りたいと。それが一番自分にぴったりした描きだと思ってますから」 ひとつわかった。とり・みきという人は「職人」なのだ。それも、自分で自分のやり方に自信を持っているプロの。 作品の端々に映画やほかのマンガなど、自身の好奇心にひっかかるものがトリビュートされて出てくるという手法もとり・みき氏の持つ引き出しのひとつだが、これは、例えるとクラブのDJに似ている。 「そうですね。サンプリングしているわけですからね。それは、新しいものが生みだせないからかもしれないですけど(笑)」『男子観察録』1にとり・みき氏の解説が見られます。
2020.10.24
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図書館で予約していた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を待つことおよそ11ヶ月でゲットしたのです。待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】ブレイディみかこ著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション。<読む前の大使寸評>待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。<図書館予約:(11/13予約、副本19、予約546)>rakutenぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー「元底辺中学校への道」の続き、見てみましょう。p23~25<1 元底辺中学校への道> わたしの配偶者は一貫して自分の息子を元底辺中学校には通わせたくあいと言っていた。生徒の9割以上が白人の英国人だという数字を懸念し、うちの息子は顔が東洋人なのでいじめられると決めてかかっていた。 英国の中学校は11歳から16歳まで5年間通う。それはとても長い時間だし、最上級生と最下級生の年齢差も大きい。肉体的にいじめられたりしたら、うちの息子は特に体が小さいので悲劇的なことになりかねないと配偶者は言った。実際、往来でも外国人にレイイスト的な言葉を吐く中学生を見かけることがあったし、よく行っていた中華料理店の子どもが数年前に学校でいじめられて転校したこともあった。 そこにいくとカトリック校は人種の多様性がある。南米やアフリ系、フィリピン、欧州大陸からのカトリックの移民が子どもを通わせているし、実のところ、近年、移民の生徒の割合は上昇の一途をたどっている。 いわゆる「チャヴ」と呼ばれる白人労働者階級が通う学校はレイシズムがひどく荒れているという噂が一般的になるにつれ、白人労働者が多く居住する地区の学校に移民が子どもを通わせなくなったからだ。例えば、Mumsnetのような育児サイトの掲示板に行けば、学校選びの時期になると、ミドルクラスの英国人と移民が「あそこの学校は白人労働者階級の子どもが多いので避けるべき」みたいな情報をシェアしている書き込みを見ることができる。 こういう風潮のせいで、昨今の英国の田舎の町には「多様性格差」と呼ぶしかないような状況が生まれている。人種の多様性があるのは優秀でリッチな学校、という奇妙な構図ができあがってしまっていて、元底辺中学校のようなところは見渡す限り白人英国人だらけだ。 そういえば、学校見学会の帰りに、息子もぽつりと「ほとんどみんな白人の子だったね」と口にしていた。 が、地方自治体に中学校入学申請書を出す締め切り直前のことである。 息子が、突如として元底辺中学校に行きたいと言い出した。直接の原因は、仲の良いクラスメートが元底辺中学校に入学すると決めたからだった。この家庭は、母親がフルタイムの仕事を見つけたので、息子を車で学校に送り迎えできなくなり、歩いて通える中学校に入学させたいと言っていた。 「お前が本当に行きたいなら行けばいいと思うが、俺は反対だ」 配偶者は息子にそう言った。 「どうして?」 「まず第一に、あの学校は白人だらけだからだ。お前はそうじゃない。ひょっとするとお前の頭の中ではお前は白人かもしれないが、見た目は違う。第ニに、校はふつうの学校よりも成績がいいから、わざわざ家族で改宗して子どもを入学させる人たちもいるほどだ。うちはたまたまカトリックで、ラッキーだったんだ。それなのに、その俺らのような労働者階級では滅多にお目にかかれない特権をそんなに簡単に捨てるなんて、階級を上昇しようとするんじゃなくて、わざわざ自分から下っているようで俺は嫌だ」 息子はしばらく考え込んだものの、決意は変わらなかった。うちは母親の私が車を運転しないので、カトリック校に通うとなると、バスを乗り継ぎ、さらにバス停から学校までかなり歩かねばならず、雨の日も寒い冬もそれをやるより、近くの学校がいいよね、という実務的判断もあったようだった。 そんなわけで、息子は元底辺中学校に入学した。 が、これが拍子抜けするほど最初から楽しそうで、すぐに新しい友達もでき、音楽部をはじめとする複数のクラブに所属して、しょっぱなからとても忙しそうだ。わりと順応性の高い子どもなので、環境が変わったら変わったでエンジョイしてるんだろう。 「全然心配することなかったね」と言うと、「まあ、いまのところはな」と言いながら、配偶者もけっこう安心している様子だ。 そんなある朝。 慌しく学校に行った息子の部屋に掃除に行くと、机の上に国語のノートが開かれたままになっていた。(中略) これがその宿題だったのか、と思いながら見ていると、ふと、右上の隅に、息子が落書きしているのが目に入った。青い色のペンで、ノートの端に小さく体をすぼめて息を潜めているような筆跡だった。 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー。 胸の奥で何かがことりと音をたてて倒れたような気がした。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』1
2020.10.24
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図書館で『トモスイ』という本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、10の短編小説集になっています。冒頭に「トモスイ」が載っていて、気軽に読めそうなのがええでぇ♪【トモスイ】高樹のぶ子著、新潮社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりタイ訪問を機に執筆され、選考委員に絶賛された川端賞受賞作「トモスイ」ほか、アジア10カ国との交流から生まれた10の短篇。台湾の小さな島から上海の路地裏へ、そしてモンゴルの荒野、インドネシアの密林まで。それぞれの土地に息づく瑞々しい匂いとやるせない思いを吸い込み、論理を超えた熱をはこぶ、アジアをめぐる物語たち。第36回川端康成文学賞受賞。【目次】トモスイ/四時五分の天気図/天の穴/どしゃぶり麻玲/唐辛子姉妹/投/モンゴリアン飛行/ジャスミンホテル/ニーム/芳香日記<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、10の短編小説集になっています。冒頭に「トモスイ」が載っていて、気軽に読めそうなのがええでぇ♪rakutenトモスイ著者は、東アジア各地を題材としているが、ベトナムを見てみましょう。サマセット・モームに関しては、「どしゃぶり麻玲」はやや空振りだったので、「ジャスミンホテル」には期待するわけでおます。p137~141ジャスミンホテル ジャスミンホテルは今も営業を続けていた。サイゴン市がホーチミン市となり、最近はベトナム料理と雑貨類目当ての若い女性たちの観光地となっているが、そのホテルはドンコイ通りから一本入った市民劇場近くに、紫色のガラス扉に金色の文字ででJasmine Hotelと書かれただけの、通りの賑わいとは無縁の様子で、建っていた。 ガラス扉の左右には、バイクが隙間なく駐車してある。扉の金文字がなければ、ホテルだとは判らない。 空港に迎えに来たガイドのダンは、背の高い若者だ。丸い顔に良く動く目。大阪で勉強した日本語は最後が、おます、おませんで終わる。 「おます、でなく、あります。おません、でなく、ありません」 タクシーの中で注意すると、わかってまんねんと顔を崩したので、これはダンが客と親しくなる方法なのだと気がついた。 宿泊先が通常日本の旅行代理店が扱わない安ホテルだったので、夏子をバックパックの似合う十代の女の子だと思い込んでいたらしい。しかしもしそうなら、ガイドを頼んだりしないだろうと、ダンは首をひねったそうだ。 「目的は僕かな、と思って、新しいTシャツを着てきました、ほら」 「残念でしたね」 ホテルのロビーには古いソファーが置いてあるだけだ。カウンターの中から中年の男が面倒くさそうに顔を上げた。 チェックインの手続きをダンがやってくれた。ロビーの天井からは三つのファンが下がり、目眩を誘うようにゆっくりと回っている。くれぐれもパスポートはセーフティボックスに入れるようにと、ダンが真顔で言った。 部屋は考えていた以上に広く、シャワーもトイレも問題はない。一泊20ドルならこんなものだろうと夏子は考えた。シャワーブースを囲む花柄のビニールをパイプから吊るした金具のひとつが、外れてぶら下がっていた。 ダブルベッドは腰を下ろすとスプリングがきしむ。寝返りをうつたび、この音に悩まされるのだろうと、夏子は思った。 窓は足元まで開いていて、木の鎧戸をこわごわ左右に押し開けると、奥行きが50センチばかりのバルコニーになっていた。手すりの下は入って来た通りで、手前に並べられたバイクが、色とりどりの甲虫のように身を寄せ合っている。目を上げると紫色の小花を群がりつけた大樹が、通りの真中あたりまで枝を広げていた。 タクシーから玄関に真直ぐ入って来たので、上をみなかった。空はうすく雲っている。枝の影はそこだけ森の奥のような暗がりつくって涼しげだ。 季節と関係なく、枝の先に花を付けてはさらに伸びていく、デイゴやプルメリアのような、南洋の花木。 これがバンランの樹で、影山は、このホテルのどの部屋かは判らないが道路に面した場所から、この大樹の花を見たのだと夏子は考える。それが1972年、サイゴンが陥落する三年前の夏。影山は新聞記者だった兄と一緒に、夏子の制止を振り切ってここまで来たのだ。(中略) 夜になってクーラーの音が耳についた。通りをバリバリと音たててバイクが走り抜ける。いっそ飛び込んでくればいい、とクーラーを切って窓を開けた。密閉が充分でない窓は、開けて風を入れた方が心地良い。天井のファンを最高速度にアップした。ファンの回転音は一律でなく、抑揚がある。音楽が降ってきた。ワーグナーの『ワルキューレ』だ。 ファンのせいではない。この音楽は部屋に入ったときから耳の奥で鳴っていた。マーロン・ブランドが演じた狂気の男。彼の名前はカーツ大佐だったか。『地獄の黙示録』を見たのは一人でだった。 サマセット・モームは見つからなかったが、「地獄の黙示録」まで辿り着いたので良しとするか。『トモスイ』4:どしゃぶり麻玲『トモスイ』3:あとがき『トモスイ』2:唐辛子姉妹『トモスイ』1:「トモスイ」の語り口
2020.10.23
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図書館で『トモスイ』という本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、10の短編小説集になっています。冒頭に「トモスイ」が載っていて、気軽に読めそうなのがええでぇ♪【トモスイ】高樹のぶ子著、新潮社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりタイ訪問を機に執筆され、選考委員に絶賛された川端賞受賞作「トモスイ」ほか、アジア10カ国との交流から生まれた10の短篇。台湾の小さな島から上海の路地裏へ、そしてモンゴルの荒野、インドネシアの密林まで。それぞれの土地に息づく瑞々しい匂いとやるせない思いを吸い込み、論理を超えた熱をはこぶ、アジアをめぐる物語たち。第36回川端康成文学賞受賞。【目次】トモスイ/四時五分の天気図/天の穴/どしゃぶり麻玲/唐辛子姉妹/投/モンゴリアン飛行/ジャスミンホテル/ニーム/芳香日記<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、10の短編小説集になっています。冒頭に「トモスイ」が載っていて、気軽に読めそうなのがええでぇ♪rakutenトモスイp69~72どしゃぶり麻玲 美しいというより愛らしい少女だった。後ろ髪が少年のように見えたのは、髪が短くて薄いアッシュブアウンだったのと、腰も肩も細く、柔らかな土から一本だけ伸びたアスパラガスを想像させたから。よく見れば、目も眉もくっきりしていて化粧などしなくても人目を引く。唇だけに淡い色のグロスを塗っていた。 交差点を渡っている途中でいきなり雨が降り出した。デパートの玄関の屋根の下に走りこんだとき、走ってきた勢いで隣の女の子と肩が触れた。それが麻玲だった。 赤紫色にたるんだ空から雨が落ちてくる。どんどん強くなった。麻玲がつぶやいた。 「運命なのね、これ。交差点の真ん中で雨が降り出すって、昨日からわかってたの、やっぱり運命」 声が澄んでいた。私に話しかけているのだと判った。 「だったら傘を持ってくればよかったのに」 横目で見て呟き返した。 「傘をさしたら、雷がドカンと来て、あのあたりで死んでたわ。怖い運命から逃げ出したの。これは、生きていくコツ」 少女のとがった顎の先から、しずくが落ちた。雨はさらに強くなって、落ちてきた雨粒が路面で跳ね返って、黒いアスファルトに白い泡が立つ。怖い運命と、怖くない運命、雷は怖いけれど雨に濡れるのはたいしたことじゃない。 最近の女の子って、何を考えてるんだか。寂しいのかしら。わずかに柑橘系の匂いがした。 「雷なんか落ちそうにないけど」 「そのひと言も運命!」 彼女が頬を光らせて、人生を乗っ取ったような挑発的な顔で言ったので、私もそのとき、たしかに運命なんてそんなものかもしれないと、ばかばかしい気分で納得した。この子は電車代かタクイー代を欲しがってる、でなければ丸いアイスクリームが載ったコーラかコーヒー。昼ごはんがまだならカレーライス代。運命に身を任せても千円札一枚ですむ。(中略) 一緒に来てと言われた先は、デパートの八階にある催事場だった。どこかで名前をきいたことのある写真家の写真展をやっていた。 無料なので中に入った。暗い部屋でそれぞれの写真にだけライトが当っている。壁のあちこちに四角い窓があいて、光を放っているようだ。 「え、あなたは写真家なの?」 彼女は首を横に振った。 「じゃあ、この写真家の知り合いとか」 「まあそんなところです」 「どうして私に声をかけてきたの?ヒマそうに見えた?」 うふふと、首のあたりをくすぐられたような笑顔になった。 「私、麻玲。マレでもいいけど。マレコはイヤ。この写真は全部、マレーシア」 見れば解る。八階でエレベーターを降りたところで、(マレーシアに魅せられて)という看板を見た。だからといって麻玲という名前はピンとこない。少し面倒のような、何となく気の毒な気分で曖昧に笑い返しているうち、彼女が好きになった。 濡れた額がかわいいし、目の動きが甘えを含んでときどきトロリとなる。こういう子が何か事件を起こしたとき、真面目でフツウの子だったのに、最近の子は解らない、などと近所の大人たちは話すのだろうか。 アタマがヘンというのもいろいろあるだろう。どんなものがこの子に相応しいかと一瞬考えた。浮遊系の病いならピッタリする。あなた浮遊病でしょう、といえば、喜ぶかも知れない。ネタバレになるが・・・交通事故で死んだこの写真家は麻玲の父親だったのです・・・どおりで「運命」という言葉が頻発するわけだ。『トモスイ』3:あとがき『トモスイ』2:唐辛子姉妹『トモスイ』1:「トモスイ」の語り口
2020.10.23
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朝日の(村山斉の時空自在)シリーズをスクラップしているのだが・・・今回分が興味深いので紹介します。(2020.10.21デジタル朝日から転記しました)<ブラックホール発見 最後は忍耐> 今年のノーベル物理学賞は、私が勤めるカリフォルニア大学バークリー校から受賞が決まり、とてもうれしい。同じ物理教室にいた同僚のラインハルト・ゲンツェル氏だ。私たちの住む銀河系の中心にある超巨大質量ブラックホールを発見した。 なんと太陽の400万倍の重さがある。とはいえブラックホールは光すら出られない魔の天体。直接は見えないので、周りの星の動きから場所と重さを割り出した。ちょうど惑星の動きから太陽の重さを求めるのと同じだ。 銀河系の中心を観測するのはむずかしい。都会の繁華街のように、多くの星でごみごみしているし、ちりも多くて光をさえぎってしまう。ちょうど車でFMラジオを聴いているとビルの陰などで聞こえなくなるようなものだ。でもAMラジオだと聞き続けられる。 これはFM波の波長が数メートルしかなくてビルより小さいが、AM波は数百メートルあるのでビルを回り込めるからだ。ゲンツェル氏は波長の長い赤外線で観測し、ちりを回り込んだ。 だが次の難関は視力だ。約3万光年先の星を観測するには、人の視力2.0に比べて、視力1200が必要だ。しかも地上の望遠鏡では大気のゆらぎのせいで像がぼやけてしまう。キャンプファイアの向こう側の人がゆらゆらして見えるのと同じだ。そこで写真を高速で何枚も撮って重ね合わせ、ゆらゆらを除いた。究極の手ぶれ補正だ。 最後は忍耐。星がブラックホールの重力に引っ張られて加速し、ギュンと通り過ぎる様子を見るには20年以上、丹念に観測を続ける必要があった。共同受賞のアンドレア・ゲズ氏とは熾烈な競争だったと聞いている。 決定的な証拠は、星やガスがのみ込まれる直前の「断末魔の叫び」の光が観測された。受賞の恩人だが、絶対に近づきたくない。 デジタルデータとダブルで保存するところが、いかにもアナログ老人ではあるなあ。・(村山斉の時空自在)8(村山斉の時空自在)7
2020.10.22
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図書館で『硝子戸の中』という文庫本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、丸谷才一さんのような歴史的仮名遣いがあるでなし、思っていたより現代の文体であり、ええでぇ♪【硝子戸の中】夏目漱石著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、丸谷才一さんのような歴史的仮名遣いがあるでなし、思っていたより現代の文体であり、ええでぇ♪rakuten硝子戸の中冒頭の語り口を見てみましょう。p5~7<一> 硝子戸の中から外を見渡すと、霜よけをした芭蕉だの、赤い実のなった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てる程のものは殆んど視線に入って来ない。書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうして又極めて狭いのである。 その上私は去年の暮から風邪を引いて殆んど表へでずに、毎日この硝子戸の中にばかり座っているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ座ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。 然し(しかし)私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起こって来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来る。 それが又私に取っては思い掛けない人で、私の思い掛けない事を云ったり為たり(したり)する。私は興味に充ちた眼をもってそれ等の人を迎えたり送ったりした事さえある。 私はそんなものを少し書きつづけてみようかと思う。私はそうした種類の文字が、忙しい人の眼に、どれ程つまらなく映るだろうかと懸念している。私は電車の中でポケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注いでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列べて(ならべて)紙面をうずめて見せるのを恥かしいものの一つに考える。 これ等の人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、若しくは自分の神経を相当に刺激し得る辛辣な記事の外には、新聞を手に取る必要を認めていない位、時間に余裕を有たない(もたない)のだから。・・・彼等は停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日起こった社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならない程忙しいのだから。 私は今これ程切り詰められた時間しか自由に出来ない人達の軽蔑を冒して書くのである。 去年から欧州では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争が何時済むとも見当が付かない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来るべき総選挙は政治界の人々に取っての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、何処でも不景気だ不景気だと零して(こぼして)いる。 硝子戸の中に凝と(じっと)座っている私なぞは一寸新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂を押し退けて書く事になる。私だけではとてもそれ程の胆力が出て来ない。
2020.10.22
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?残暑厳しき折りなんて言っていたが・・・このところ秋を通り越して初冬の気配さえ感じる太子でおます。『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、霜降(そうこう)のあたりを見てみましょう。和暦p26<霜降>冬隣りの節気。木枯らし一番も吹き始める 「霜降」は、現行の暦では10月23日ころ第1日目を迎え、「立冬(11月6日ころ)」に入る前日までの期間を言う。 「霜降」に入るころは、朝晩の冷え込みが厳しくなり、暮れる時間が早まってくる。さらに早朝の散歩を楽しませてくれた露は、寒気により霜となって降り始める。この情景を『暦便覧』では、「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆえ也」と説明している。 「霜降」から立冬過ぎまでは、恒例の年中行事が目白押しだ。「酉の市」、「七五三」、「十三夜」、「紅葉狩り」など。 これに加えて、節気末から立冬にかけては、冬の到来を告げる「木枯らし一番」が吹き始める。 一方、陰暦10月の異称のひとつに「小春」というのがある。冬の季語にもなっている言葉だ。これは、冷気が一段と強まり、「冬隣り」の感じの気候が続くなか、晴れた日に春のように暖かい日になることがあり、ここから、「小さな春」の意味を持たせ付けられた名である。「小春日和」ともいう。同じ意味合いで「小六月」も陰暦10月の異称だ。 「霜降」の期間の七十二候には、「霜始降」霜が降り始める、「霎時施」小雨がしとしと降る、「楓蔦黄」もみじや蔦が黄葉する、がある。 また西洋占星術では、「霜降」の第1日目が天蠍宮(さそり座)の始まりとなっている。ウーム 「小春日和」というのは、10月よりは、2月、3月の方がよりぴったりするんやけどなあ。二十四節季の寒露に注目二十四節季の秋分に注目
2020.10.21
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<『トモスイ』3>図書館で『トモスイ』という本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、10の短編小説集になっています。冒頭に「トモスイ」が載っていて、気軽に読めそうなのがええでぇ♪【トモスイ】高樹のぶ子著、新潮社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりタイ訪問を機に執筆され、選考委員に絶賛された川端賞受賞作「トモスイ」ほか、アジア10カ国との交流から生まれた10の短篇。台湾の小さな島から上海の路地裏へ、そしてモンゴルの荒野、インドネシアの密林まで。それぞれの土地に息づく瑞々しい匂いとやるせない思いを吸い込み、論理を超えた熱をはこぶ、アジアをめぐる物語たち。第36回川端康成文学賞受賞。【目次】トモスイ/四時五分の天気図/天の穴/どしゃぶり麻玲/唐辛子姉妹/投/モンゴリアン飛行/ジャスミンホテル/ニーム/芳香日記<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、10の短編小説集になっています。冒頭に「トモスイ」が載っていて、気軽に読めそうなのがええでぇ♪rakutenトモスイ短編小説集「トモスイ」のあとがき中にある著者の創作ハウツーが興味深いので、見てみましょう。p182~184あとがき 5年間にアジア十ヶ国の文学者を訪ねてその作品を日本に紹介し、作品が生れた背景の情報を様々なメディアに発信すると同時に、私も触発されて短編を書くというプロジェクト「SIA」(Soaked in Asia=アジアに浸る)を終えて、いまこうして私の短編集が本になることは、とても感慨深い。 書くべきテーマを持って生れた作家がいる一方で、私の場合はいつも外からの刺激を受けて書きたいものが生まれてきた。それによって自分に起きる変化が面白かったし、移ろいゆく環境に反応しつつも何かは内々に存在し続けると思っていた。 アンテナや鏡としての自分は、何を受け取っても本質的には変わらないとどこかで信じていたし、だからこそ、風を切るように自分を動かすことも出来た気がする。1ヶ所に身を置いていると何も生まれないようで怖かった。 けれどどうもそれは間違いで、何を受け取っても変わることのないアンテナや鏡などありはしない。アンテナや鏡という受感装置は簡単に崩れるし、溶けることもある、ということをこの5年間で知った。 アジアの風土やSIAで取りあげた作品、出会った人々のせいだと言うのは簡単だが、無論それだけではない。5年という歳月や年齢による身体の変化もあるだろう。ただそういう因果関係を、以前なら上手に説明出来ただろうが今は出来ない。説明する意味が感じられなくなっている。これも何かが変わったせいかも知れない。 ともあれ変わったことだけは確かで、連載初期の作品を読み返すときの、何とも言えない気分がその証拠だ。「ジャスミンホテル」や「天の穴」「四時五分の天気図」で扱った愚直で重い情念。当時考えていた短編の枠組が、読み返せば少々鬱陶しくて、あの枠組で何かに迫れると考えていた自分に苛立ってしまう。 一方で、あのようにしか書けなかったあのころの自分が懐かしくもあり、けれどもう、あのようには書けないし書きたくもないという、内側がやるせなく毛羽立つような感覚。 また逆に、SIAを始めた5年前の自分に戻って、最後の方に書いた数編を読み返してみると、カタチを失ったクラゲのように頼りなく、五感に浸りすぎて何やらあやうい。「ニーム」や「芳香日記」「トモスイ」は、背負うべき責任を背負いそびれている気もしてきて、こういうものを5年後に書くことになるとは予想できなかったし、予想できたら、そうならないように身構えていたかもしれない。 あちらからこちらを見ても、こちらからあちらを見ても、複雑な心地になる。(中略) 逃れないのであれば、良い方向に行っているのだと思いたい。その意味で、SIAタイ編で書いた「トモスイ」が、川端康成文学賞を頂いたことには、勇気づけられた。受賞作だけでなく、歩いてきた道のりも併せて認めて頂いたのだと、勝手に思うことにした。ウーム 小説を書くってことは結構大変のようですね。・・・と太子は思い直すのであった。『トモスイ』2:唐辛子姉妹『トモスイ』1:「トモスイ」の語り口
2020.10.21
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図書館で『トモスイ』という本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、10の短編小説集になっています。冒頭に「トモスイ」が載っていて、気軽に読めそうなのがええでぇ♪【トモスイ】高樹のぶ子著、新潮社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりタイ訪問を機に執筆され、選考委員に絶賛された川端賞受賞作「トモスイ」ほか、アジア10カ国との交流から生まれた10の短篇。台湾の小さな島から上海の路地裏へ、そしてモンゴルの荒野、インドネシアの密林まで。それぞれの土地に息づく瑞々しい匂いとやるせない思いを吸い込み、論理を超えた熱をはこぶ、アジアをめぐる物語たち。第36回川端康成文学賞受賞。【目次】トモスイ/四時五分の天気図/天の穴/どしゃぶり麻玲/唐辛子姉妹/投/モンゴリアン飛行/ジャスミンホテル/ニーム/芳香日記<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、10の短編小説集になっています。冒頭に「トモスイ」が載っていて、気軽に読めそうなのがええでぇ♪rakutenトモスイ短編小説集「トモスイ」の中で唐辛子の話が面白いので、その語り口を見てみましょう。p87~88唐辛子姉妹 6月、空気が光彩を含んで明るい。 姉の唐辛子が、隣の枝のまだ青くて固い妹唐辛子に言った。「妹よ、あんたのその枝は滋養が足りんのか日差しがちと及ばんのか、熟すんが遅いわい。あたしを見てみなされや、そろそろ色づいて来とるわいな」 妹の唐辛子も負けじと言い返す。「姉さん、早く赤くなったところでカプサイシンが増えて辛くなるだけで、旨みが少ないのを知ってますでしょ。この国の唐辛子は海の向こうの日本という国の唐辛子と違って、しみじみ深い味があるのです。その昔、豊臣秀吉一派の武士がこの国にやって来た折のこと・・・」 姉唐辛子は、ああまたその話かと思う。辟易した風情が妹唐辛子にも伝わったらしい。「まあ聞いてください。その豊臣らが持ち込んだ唐辛子ではありますが、この国で進化して旨みを増したのは、何と申しましてもこの土のお陰なのですよ姉さん」 妹唐辛子がこの土というのは、全州市の隣益山市を流れる広やかな川の水が、いたひたと潤す農地のことである。唐辛子の隣の畝には、大蒜(にんにく)のほぼ枯れた葉がさやさやと風に打たれている。土の中から半分覗いた大蒜は、競って白い肩を盛り上がらせ、ニラ、ネギ、ショウガもサックリとした黒土の上で背伸びしている。 畑の向こうには大麦畑が薄荷色に波打っているけれど、唐辛子の木の背丈はせいぜい40センチだから、姉唐辛子にも妹唐辛子にも大麦畑は見えない。見えないけれど、風が麦の匂いを運んでくる。「妹よ、豊臣の話なんぞどうでも良いわい。それよりこの匂いは乾いていて、何とも極上であるよね」「はい姉さん、きっと豊臣らもこの匂いを嗅いだのでしょう」 姉唐辛子は陽を浴びて色づくことに必死だけれど、妹唐辛子は代々大地から伝わる唐辛子の記憶遺伝子を総動員した、豊臣伝説をひけらかす。このあたりの農民が酷い目に遭わされたことはきれいさっぱり忘れている、というより、記憶の遺伝子から恨(ハン)のDNAが抜け落ちてしまっている。ネタバレになるけど、唐辛子姉妹はこの後、大阪のオバチャン三人組の一番太った人に食べられるわけです。もうすぐ帰途の関空です。…で、<唐辛子姉妹>のラストシーンを見てみましょうp100「姉さん、ここはどこ?」「ここは多分日本の大阪というところではないかな」「あ、大阪なら知っています、豊臣秀吉がお城を造ったところですよ姉さん。ここは唐辛子の故郷ですよ」 姉唐辛子はこれまで、妹唐辛子の浅い知識を馬鹿にしていたけれど、このときばかりは確かに唐辛子遺伝子の導きかも知れないと感動を覚えた。消化不良でそっくりカタチを残した生人参に掴まったまま、唐辛子姉妹はおおよそ四百年の歴史を思いつつ、白い陶器の奥へと流されて行った。太子も韓国出張の際、仁寺洞あたりでこんな大阪のオバチャン連中とすれ違ったわけである。それにしても、著者・高樹のぶ子が韓国料理や韓国文化に精通しているのには、驚いたのです。『トモスイ』1
2020.10.20
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図書館で『トモスイ』という文庫本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、10の短編小説集になっています。冒頭に「トモスイ」が載っていて、気軽に読めそうなのがええでぇ♪【トモスイ】高樹のぶ子著、新潮社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりタイ訪問を機に執筆され、選考委員に絶賛された川端賞受賞作「トモスイ」ほか、アジア10カ国との交流から生まれた10の短篇。台湾の小さな島から上海の路地裏へ、そしてモンゴルの荒野、インドネシアの密林まで。それぞれの土地に息づく瑞々しい匂いとやるせない思いを吸い込み、論理を超えた熱をはこぶ、アジアをめぐる物語たち。第36回川端康成文学賞受賞。【目次】トモスイ/四時五分の天気図/天の穴/どしゃぶり麻玲/唐辛子姉妹/投/モンゴリアン飛行/ジャスミンホテル/ニーム/芳香日記<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、10の短編小説集になっています。冒頭に「トモスイ」が載っていて、気軽に読めそうなのがええでぇ♪rakutenトモスイ冒頭の作品が「トモスイ」だが、その語り口を見てみましょう。p9~11 春まだ浅きころ、ユヒラさんと夜釣りに出た。花芽の港から底が平たい舟でこぎだしたが、思ったほど寒くはない。 底にはガラスが張ってあって、暗い海中がよく見える。この舟の格好が、夜釣りには最適ばのだとユヒラさんは言う。なぜなら、ほら、かがり火が船底から海中にまでとどくでしょう? それはそうだけど、とわたしはそっぽを向いた。魚屋さんで刺身を盛り合わせる発泡スチロールの器に、二人で乗っているみたいな気がする。「でもかがり火がない」「今夜は月が出てますから、かがり火は要りません。月光がかがり火のかわりです」 わたしより年若いくせに、ユヒラさんは物言うとき、唇の上にシワが寄る。強く言うときは、深いシワになる。そのあたりに本能が溜まっている気がする。月の光でも、シワが寄るのがわかる。一瞬おばあさんに見える。 そもそもユヒラさんは男らしくない。髪もふんわり丸く刈っていて、身体は小さいくせに手足の末端ばかりごつごつと大きく、けれど胸のあたりや下腹部は女のように肉付きが良い。 ときどき花芽の港から夜釣りに出て、旨いもので腹を満たす、というので、舟の上でコンロとか使って新鮮な魚を料理するのかと思ったら、生が一番だそうだ。魚を生で食べるのかとぞっとしたら、魚みたいなものだけど、魚ではないという。 いつか連れていってあげる、としきりに言うので、ではお願いします、という話になった。これまではいつだって一人で舟を出した。女性を誘うのはわたしが初めてだと聞いて鬱陶しくもなり嬉しくもなる。こういうことは思い立ったが吉日、花芽の港で合流し、平たい舟で漕ぎだした。 オールを使うのはユヒラさんで、中天にかかった月を目指してざぶんざぶんと行く。ときどき飛沫がかかるが、何となく生ぬるい水で、手のひらに落ちたしずくを舐めると塩辛かった。安堵した。 月夜というのは、案外暗いものだ。海面の一部が光っているだけで、他は色もない。ユヒラさんの顔も見えない。見えないということはあれこれと表情を想像することが出来ていい。ときどき月の光が斜めに当たり、なんだ、いつものユヒラさんじゃないのと、がっかりする。ウーム 薄気味の悪いというか、不穏なテイストを感じるのだが・・・この手のテイストなら最近の漫画家にザラザラいるじゃないですか。()
2020.10.20
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図書館に予約していた小野正嗣『獅子渡り鼻』という本を待つこと6日でゲットしたのです。小野正嗣といえば、朝日のコラム「文芸時評」を連載中であるが・・・多和田葉子の作品や言語に関する記事が多いのです。多和田葉子を高く評価する小野正嗣の中編小説とはどんなかな、と思った次第でおます。【獅子渡り鼻】小野正嗣著、講談社、2013年刊<商品説明>より入江と山に囲まれた土地を舞台に、その母の故郷を頼ってやってきた10歳の少年「尊(たける)」を主人公に、ある夏の彼の生活を描く。都会で心身不自由な兄と、男にだらしなく家に寄りつかない母と暮らしていた尊は、母の親戚に連れられ、母が大嫌いだった田舎へとやってきた。豊かな自然、素朴な人々、現実を超えた霊的な存在に触れ、尊は再生していく。児童文学、神話、近代小説、叙事詩……あらゆる形式を超えた奇蹟の物語です。<読む前の大使寸評>小野正嗣といえば、朝日のコラム「文芸時評」を連載中であるが・・・多和田葉子の作品や言語に関する記事が多いのです。多和田葉子を高く評価する小野正嗣の中編小説とはどんなかな、と思った次第でおます。<図書館予約:(10/9予約、副本2、予約0)>rakuten獅子渡り鼻冒頭の語り口を、ちょっとだけ見てみましょう。p3~5 きらいだったのよ、大きらいだったのよ、あんなところからはとにかく早く出て行きたかったのよ。 風にこすれる草の葉のように母は囁いた(ささやいた)。そのときの母がどんな顔をしていたのか。顔は思い出せなかったので、声を思い出そうと尊(たける)は目をつむった。すると草の葉が見えた。水が足りないのかしょぼんと萎れ、どこか元気のない草の葉。思い出そうとすればするほど、その端から葉はこすられ、ちぎられ、ところどころに変色した部分が目立ちはじめた。 どんな虫が、母の声でもあるはずの、この風に揺れる重なりあう草の葉を食べているのだろうか。その虫を探して目を凝らせば凝らすほど、緑の広がりに点々と現れていた茶色のしみが広がっていった。母の声を思い出したいという彼自身の強い思いが葉を食い散らかすたちの悪い虫なのだと気づくには、たぶん尊は幼すぎた。食べつづけていれば、この幼虫はそのうち、むさぼり尽くしたつぼみの代わりに蛹(さなぎ)となり、花が咲く代わりに羽化する。 そのとき同時に、母の声が、それどころか表情も取り戻される。しかし、虫の体液と肉と混じり合い、声にしても顔にしても、蝶の幼虫と成虫が似ても似つかないように、母のものとはまったく別のものになっているのだろう。そのうち日が暮れはじめ、草むらの上に降り注いでいたかすかな光がさらに弱まり、周囲は暗くなっていく。 きらいだったのよ、大きらいだったのよ。 声なのか草の葉のこすれる音なのか、だんだんとかすれていく。闇と静寂。それからどのくらい時間が経過いたのか、一瞬か一日か、周囲は明るくなっている。淡い光に照らされた事物いつもと変わらないのに、いつもと変わらないからこそ、相変わらず尊は母がきらいな、大きらいなこの場所にいて、やっぱりそばに兄の姿はなかった。尊に母と兄がいないように、事物のなかにだって影を失ったものもあるかもしれない。 しかし、尊にはここがそんなにひどい場所だとは思えなかった。目をつむっていると波の音が聞こえてくるくらいすぐそばに海があった。小野正嗣が多和田葉子をいかに評価しているかを、紹介します。朝日(文芸時評)「多和田語」の世界より どこにも行けないので自宅で本を読む時間が増える。この機会を利用して古典に触れようと思う人も多いのではないか。 検察庁法改正案のせいか、三権分立との絡みで近ごろ名前をよく目にするようになったモンテスキュー。 一八世紀に活躍したこのフランスの思想家の名を一躍有名にした『ペルシア人の手紙』(田口卓臣訳、講談社学術文庫)の新訳が刊行された。 ぺルシャ人のユズベクとリカは、知的好奇心に駆られ、故郷をはなれ、フランスに向かう。滞在先のパリからこの異国の地で見聞した事柄を手紙にしたため友人たちに書き送る。 まったく異なるフランス人の風俗習慣に驚き、政治、経済、文化を問わず社会のあらゆる領域にはびこる堕落と愚昧を風刺・批評しつつも、主人公たちは自国第1主義に陥ることなく、専制君主の支配する母国の政治体制の問題点を冷静に考察する。 この小説でいちばん自由を奪われているのは、主人公ユズベクのハーレムに幽閉され、彼の部下に厳しく監視され続ける女たちだろう。だが最後の思わぬ結末が、たとえ悲劇的であれ、抵抗する女性の声を確かに届ける。優れた古典はつねに僕たちのに応答することを痛感する、 そもそも本書は、ペルシャ人の手紙をモンテスキューがフランス語に翻訳したという体裁で書かれているわけだが、その日本語への翻訳がまことに素晴らしい。自分に宛てられた手紙であるかのように言葉がすっと頭に入ってくる。 本書も含まれる講談社学術文庫のここ数年来の、古典的な哲学書・思想書の新訳の充実ぶりには瞠目するものがある。遠くに感じられていた名著との距離がぐっと近づく。日本の出版文化の底力を感じる。 現代の傑作もまた過去の傑作につねに応答する。「翻訳」という点に注目すると、『ペルシア人の手紙』と似た構造を持つのが、多和田葉子の『星に仄めかされて』(講談社)だ。 これは三部作の第二部にあたる。第一部『地球にちりばめられて』(同)と登場人物は重なるが、単独の作品として読めるようになっている。 ドイツ語と日本語の両方で、詩や小説を続けている多和田であるが、この小説はどうやらそれらとは違う言語で書かれている。「クヌートは語る」という章題からも明らかなように、各章ごとに一人ひとりの人物が語るようになっている。この中で、日本人だと考えられるのは、HirukoとSusanooという人物だけだ。 なぜアルファベット表記? どうやらこの二人の生まれ育った列島はもはや地球上には存在しないからだ。二人は文字通りのである。そればかりか二人の母語は消滅の危機に瀕している。 本書では失語症に陥ったとおぼしきSusanooを見舞うため、その友人たち、Hirukoをはじめ、言語学徒のクヌート、グリーンランド出身のエスキモー、男性として生まれるも女性として生きる選択をしたインド人などの魅力的な人物が、コペンハーゲンの病院を訪れる。 個々の人物の語りには、言語の音楽性や物質性に敏感な多和田らしい日本語の慣用句や同音異義語を駆使した言葉遊びがちりばめられる。『献灯使』(講談社文庫)の英訳が全米図書賞翻訳部門を受賞するなど、多和田が各国語に翻訳されていることを思い出し、こんな言葉遊び、翻訳できるのかな、と想像をたくましくした瞬間、ハッとする。 登場人物たちのほとんどが非日本人である以上、各章の語り手はそれぞれの母語であるデンマーク語やドイツ語で語っているはずだ。つまりこの小説こそが「翻訳」なのだ。(中略) 多和田葉子の言葉は、日本語でもドイツ語でもなく、地球上のどこからでも見える夜空よりも広大な言語と言語のにちりばめられた美しい星々のように輝いている。
2020.10.19
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図書館で予約していた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を待つことおよそ11ヶ月でゲットしたのです。待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】ブレイディみかこ著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション。<読む前の大使寸評>待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。<図書館予約:(11/13予約、副本19、予約546)>rakutenぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー冒頭の語り口をちょっとだけ、見てみましょう。p13~16<1 元底辺中学校への道> 「なんかまた、ずいぶん違う感じの中学校を選んだんだね」 息子が入学した中学の名前を言うと、多く人々がこのような反応を示す。 というのも、彼が卒業した小学校と、入学した中学校とは真逆と言ってもいいぐらい違うからだ。 英国では、公立でも保護者が子どもを通わせる小・中学校を選ぶことができる。公立校は、Ofsted(英国教育水準局)という学校監査機関からの定期監査報告書や全国一斉学力検査の結果、生徒数と教員数の比率、生徒ひとりあたりの予算など詳細な情報を公開することが義務付けられていて、それを基にして作成した学校ランキングが、大手メディアのサイトで公開されている。 だから保護者たちは、子どもが入学・進学する何年も前からこうしたランク表を見て将来の計画を立て、子どもが就学年齢に近づくと、ランキング上位の学校の近くに引っ越す人々も多い。 人気の高い学校には応募者が殺到するので、定員を超えた場合、地方自治体が学校の校門から児童の自宅までの距離を測定し、近い順番に受け入れるというルールになっているからだ。そのため、そうした地区の住宅価格は高騰し、富者と貧者の棲み分けが進んでいることが、近年では「ソーシャル・アパルトヘイト」と呼ばれて社会問題にもなっているほどだ。 わたしたち一家は、一般的に「荒れている地域」と呼ばれており、近所の学校も常にランキングの底辺あたりをさまよっている元公営住宅地住んでいるのだが、なぜか息子は市の学校ランキングの1位の小学校に通っていた。そこは公立カトリック校だった。 英国には公立でも英国国教会やカトリック、ユダヤ教、イスラム教などの宗教校がある。もはやそんなことは忘れていたがわたしは一応トリック洗礼を受けており、アイルランド人の配偶者も「14歳のクリスマス以来、ミサに行っていない」と豪語するような人間ではあるが、どういうわけか彼の叔母は修道女だったり、従兄弟には神父もいるという敬虔なカトリック一族の出身だった。(中略) ところがこのカトリック校は、わたしたちが住んでいる元公営住宅地と、それに隣接する高級住宅街の二つの教区のためにつくられた学校だった。で、教会に所属して日曜ごとにミサに通うようなコンサバな家庭は高級住宅街のほうが圧倒的に多い。従って生徒も裕福な家庭の子がほとんどであり、こうした家庭は往々にして教育熱心であるのに加え、カトリック校は一般に厳格で宿題などもガンガン出して勉強させるため、小学校ランキングの1位を突っ走っているのだった。 卒業時には、この小学校の生徒たちは、ほぼ100%カトリックの中学校に入学する。これがまた市の中学校ランキングの1位のエリート校なのだが、息子の同級生もみんなそこに進学するし、うちもそうなるのだろうと、わたしも息子もぼんやりと思っていた。 そんなわけだったのでわたしは息子の進学先を探しているわけでもなかったのだが、彼が小学校最高学年になるとすぐに、近所の中学校から学校見学会の招待状が届いた。 そこはもともと、「ホワイト・トラッシュ(白い屑)」というまことに失礼な差別用語で表現される白人労働者階級の子どもたちが通う中学として知られていた。 うちの近所でも、ほんの数年前までは、中華料理店のガラス窓にレンガを投げつけて遊んでいるガキどもや、公園の茂みの中にたむろって妙な匂いのする巻たばこをたしなんでいたりする同校の生徒たちが問題になっていた。が、常に学校ランキングの底辺にいたおの中学校が、なぜかいまランクの真ん中あたりまで浮上しているという。 いったいどういうことなんだろう。という好奇心から、見に行ってみたいなと思っていると、「行ってもいいよ。中学の見学会に行くときは、学校を早退しても許されるし」 と息子も言うので、わたしたちはふらふらと見学会にでかけてしまったのだった。■中学校の廊下にセックス・ピストルズかよ 見学会当日、近所の見学会のホールに入ると、来年から見学生になる子どもたちとその保護者たちがすでにたくさん椅子に腰かけていた。同じように並んで座ると、脇で息子がちょっと引いているのが伝わってきた。 その前週、わたしたちはカトリックの中学校の見学会にも行ったが、そちらは息子の同級生がみんな来ていたので、息子もわたしの隣を離れ、友人たちと一緒に座っていた。だが、ここには彼が知っている子はひとりもいなかった。
2020.10.19
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「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・韓流ドラマとコミュニケーション・プラットフォーム・文化日報への寄稿「パンデミックとその後の世界」・反知性主義者たちの肖像・『沈黙する知性』韓国語版序文・書評・食いつめものブルース 山田泰司・書評・白井聡「武器としての「資本論」・『街場の親子論』のためのまえがき・パンデミックをめぐるインタビュー・ホ・ヨンソン『海女たち』書評・2020年度寺子屋ゼミ受講要項・『山本太郎から見える日本』から・『人口減社会の未来学』から・「サル化する世界」についてのインタビュー・映画『Workers被災地に起つ』神戸・元町映画館でのアフタートーク・週刊金曜日インタビュー・桜を見る会再論・『Give democracy a chance』2・『Give democracy a chance』1・沈黙する知性・China Scare・[週刊ポスト」問題について・『低移民率を誇る「トランピアンの極楽」日本の瀕死』・『ネット右翼とは何か』書評・『最終講義』韓国語版あとがき・『「そのうちなんとかなるだろう」あとがき』・『参院選にあたって』・『廃仏毀釈について』・『論理は跳躍する』・『「おじさん」的思考』韓国語版序文・『市民講座』韓国語版のための序文・空虚感を抱えたイエスマン・大阪万博という幻想・外国語学習について・大学院の変容・貧乏シフト・『知日』明治維新特集のアンケートへの回答・カジノについて・中国の若者たちよ、マルクスを読もう・『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき・直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」・人口減社会に向けて・時間意識と知性・Madness of the King・吉本隆明1967・大学教育は生き延びられるのか?・こちらは「サンデー毎日」没原稿・奉祝「エイリアン・コヴェナント」封切り・米朝戦争のあと(2件)・気まずい共存について********************************************************************内田先生かく語りき8目次(目次全文はここ)(その28):『韓流ドラマとコミュニケーション・プラットフォーム』を追記韓流ドラマとコミュニケーション・プラットフォームより 共同的に参照できる「お話」がなくなると不便なのは、「たとえ話」の材料がなくなることである。年下の友人に大学で「組織論」という科目を教えている人がいるが、彼によると昔は組織論の「たとえ話」に『SLAM DUNK』を引けば、おおかたの学生たちには通じたそうである。だが、ある時期から「桜木」と言っても「みっちゃん」と言っても、何の話かわからないできょとんとしている学生が増えてきた。 やむなく、たとえの出典を『One piece』に切り替えたと聞いた。学生のマンガリテラシーの経年変化を知らないと、「たとえ話」もできないんですよと彼はこぼしていた。なるほど。 昔は歌舞伎や講談がよく「たとえ話」に使われた。弁天小僧と言ったら何者で、曲垣平九郎といったら何の名人で、九寸五分といったら何に使う道具か誰でも知っていた。今の学生はどれも知らないだろう。 川島武宜の『日本人の法意識』は「日本的調停」の骨法について説明するときに『三人吉三廓初買』の一場面をたとえに用いていた。ここが白眉なのだが、今の法学部の授業で話しても誰にも通じないだろう。 でも、こういう「文化的プラットフォーム」の存在はコミュニケーションの基礎として必須のものである。それが失われてきた。モラルとか美意識とか感情とか、あるいはもっと具体的に、祝辞の述べ方とか、謝り方とか、喧嘩の仲裁とか、そういうものには「標準型」があって、それをその場の事情に応じて適宜応用できるのが久しく「大人の作法」だとされてきた。 だが、それも全員が準拠できる標準があっての話である。紅白歌合戦の視聴率が80%だった時代、『赤穂浪士』の宇野重吉の物まねを小学生でもできた時代の話である。そのような「文化的プラットフォーム」が21世紀になってあらかた消えたことをひそかに慨嘆していたところに韓流ドラマがネットに登場してきたのである。 印象的な出来事があった。日韓論の本を書いたことがきっかけで、先般在日コリアンの論客たちと座談会をする機会があった。年齢も政治的立場も違う3人の方たちと日韓問題を論じた。現実認識がなかなか噛み合わず、やや冷ややかな終わり方をした後に、ご飯を食べに行った。その席で談たまたま『愛の不時着』に及んだ。するとその場にいた全員(在日コリアン3人、日本人2人)が腰を浮かして、ドラマのあれこれについて論じ始めたのである。このドラマの歴史的意義は何であるかについてみんながそれぞれの思いを熱く語った。なんと、ここに日韓を架橋できる「プラットフォーム」があったのかと胸を衝かれた。「みんなが知っている物語」というのはたいせつである。人間であれ、出来事であれ、具体的な手触りのある素材を共有するところからコミュニケーションは始まる。自国産ではないけれども、新しいコミュニケーションの素材を手に入れたことを私は言祝ぎたいと思う。文化日報への寄稿「パンデミックとその後の世界」より コロナ・パンデミックで私たちのシステムのどこが脆弱であるかはかなり鮮やかに可視化された。今回分かったことの一つは(あまり指摘する人がいないが)アメリカの世界戦略に大きな「穴」があったということである。 日本で最初に大規模なクラスターが発生したのはクルーズ船だったが、米海軍の空母セオドア・ルーズベルト号も3月太平洋航行中に100人を超える感染者を出して、患者の艦外退避のために作戦行動変更に追い込まれた。 ここから知れるように、艦船は感染症にきわめて弱い。同時に、軍隊という組織も、その性質上、閉鎖空間に、斉一的な行動を取る大量の人間が集住することを余儀なくされるわけであるから、感染症にきわめて弱い。つまり、「艦船」と「軍隊」は感染症に弱いのである。潜水艦は空母よりさらに感染症に弱い。 乗員に許された空間の狭さと換気の悪さは空母の比ではないからである。ということは、軍事的緊張のある地域に空母を派遣して、それを母艦にして戦闘機やヘリを飛ばして制海権・制空権を抑え、潜水艦からミサイルを撃ち込むという伝統的なアメリカの海外派兵スキームがしばらくは使えなくなったということを意味している。「感染者が出て、どの艦船がいつ使用不能になるかわからない」というような条件下で作戦行動を立案実施することは難しい。米国防総省のスタッフは今ごろ頭を抱えていることだろう。それゆえ、これまでアメリカがアフガニスタンやイラクでやってきたような通常兵器による軍事行動については抑制的になるという予測が立つ。たぶんこの予測は当たると思うけれども、予測が当たった場合には「何も起こらない」ので、私の予測の当否を事後的に検証することはできない。 狭いところに人を押し込めるのがダメ、人々が斉一的な行動を取るのがダメということになると、自動的に都市生活がダメということになる。 都市生活というのは、要するに生活のリズムが一致し、行動が斉一的な人々が密集して暮らすということである。そういう環境が感染症の拡大にとっては最もつごうがよい。となると、私たち個人の生活レベルで「感染症に対して抑制的な生き方」はどういうものかが論理的に決まってくる。それは他の人々と生活のリズムをずらし、斉一的な行動を取らず、他の人と離れて暮らすということである。オヤ 内田先生は軍事、安全保障に詳しいことが意外でおました。 (以降、全文は内田先生かく語りき(その25)による)
2020.10.18
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ヴォーグ誌で女性編集長のアシスタントをしていた女性が、実体験をもとに書いたベストセラー小説を映画化とのこと(Movie Walkerより)。DVDをレンタルするか、2本立て館に掛かるまで待つか・・・と思っていた本作がテレビの金曜ロードショー(10/16)で見られたのです。2本立てフォームを使って以下のとおり紹介します。【プラダを着た悪魔】デイヴィッド・フランケル監督、2006年、米制作、2020.10.16観賞<Movie Walker作品情報>よりジャーナリスト志望でNYに来たアンディは、ひょんなことから人気ファッション雑誌「RANWAY」の編集長、ミランダのアシスタントに。しかし、“プラダを着た悪魔”と呼ばれるミランダのもと、彼女は仕事に忙殺されてゆく。<大使寸評>下記Movie Walkerプラダを着た悪魔ウーム ニューヨークで働くアンディやミランダの強烈な上昇志向がすごいですね。それと、誰にも騙されないよう振る舞うタフさも必用なんだ。悪魔とさえ陰口をたたかれるミランダに対して、アンディを何と呼べばいいか・・・弓を持ったキューピッドでしょうかね。でも、ラストシーンでアンディやミランダが微笑んだように(善悪は別として)、結局は人間力が問われているわけで・・・毎日このストレスにさらされるのは、ひ弱な日本の若者は(太子を含めて)耐えられないでしょうね。それにしても、このように画面に集中して観た映画は久しぶりであるが・・・監督、俳優、原作小説、よく練られたシナリオがあってのことだと思うのです。
2020.10.18
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図書館で『温暖化の世界地図』という本を手にしたのです。ほぼ全ページに亘ってカラー画像付きであり、ビジュアル版となっていて大使好みでおます。【温暖化の世界地図】カースチン・ダウ×トーマス・E.ダウニング著、丸善出版、2007年刊<「BOOK」データベース>より【目次】1 温暖化の兆候/2 温暖化を強いる/3 気候変化を駆動するもの/4 予想される結果/5 温暖化への対応/6 解決策への約束/7 気候変化データ<読む前の大使寸評>ほぼ全ページに亘ってカラー画像付きであり、ビジュアル版となっていて大使好みでおます。rakuten温暖化の世界地図今年の平和賞はWFP(世界食糧計画)が受賞しましたね。世界食糧計画が世界平和に貢献しているかを示したわけだが・・・この本で食料安全保障について、見てみましょう。p58~59食料安全保障気候変化により、温帯では作物生産量が改善する地域もあるかもしれないが、食料安全保障は脅かされる。 気候変化の農業への影響は、さまざまな要因の組み合わせに依存する。気温が高くなると、植物にストレスを与えうるが、同時に生育期を延ばし、生育する作物の選択を拡大する。二酸化炭素の濃度が高くなると成長を速め、水ストレスに対する回復力を強める。 しかし、害虫や疾病も、より温和な気候条件に対応して増加する可能性がある。また、異なる食品に対する需要や、市場および貿易体制の変化も重要な要因となる。 農業は適応可能性が高い。農作物カレンダーは、極端に暑い期間を避けるよう調整することが可能であり、さまざまな新たな苗が多様な条件に対して耐えられ、また、よい土壌管理により、水ストレスを克服することが可能になる。 経済的インセンティブにより、世界の食糧生産は、今後50年程度にわたって気候変化による悪影響は受けないはずである。温帯気候における農業は、生育期間が長くなり気温が暖かくなることによる恩恵を受ける可能性がある。 しかし、熱帯、亜熱帯の一部では、降雨量の減少、干ばつのリスクの増大、あるいは豪雨、土壌浸食の激化により、農業は影響を受けるだろう。開発途上国が農業生産や食料安全保障を維持する能力は、すでに課題を抱えている。栄養不良をもっとも経験する可能性が高い貧困者は、さらに苦しむ可能性が高い。WFP(世界食糧計画)に関して、NHKのサイトから引用します。NHK平和賞より■今年の平和賞は? 2020年のノーベル平和賞に、世界各地で食糧支援を行っている国連機関、WFP=世界食糧計画が選ばれました。 世界で十分な食事を取ることができず飢餓に苦しむ人は、世界人口の9%近くにあたる6億9000万人近くに上ります。 飢餓に苦しむ人は、2000年代に入り、いったん減少傾向になっていましたが、2014年以降、再び増えていて、その大きな原因となっているのが各地で続く武力紛争です。 WFP=世界食糧計画は、アフリカや中東など各地の紛争地で、危険で困難な状況にいる人々に食料を届け、「命をつなぐ」活動を続けてきました。『温暖化の世界地図』1
2020.10.17
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図書館で『温暖化の世界地図』という本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、ほぼ全ページに亘ってカラー画像付きであり、ビジュアル版となっていて大使好みでおます。【温暖化の世界地図】カースチン・ダウ×トーマス・E.ダウニング著、丸善出版、2007年刊<「BOOK」データベース>より【目次】1 温暖化の兆候/2 温暖化を強いる/3 気候変化を駆動するもの/4 予想される結果/5 温暖化への対応/6 解決策への約束/7 気候変化データ<読む前の大使寸評>ほぼ全ページに亘ってカラー画像付きであり、ビジュアル版となっていて大使好みでおます。rakuten温暖化の世界地図気候変化の主要因である化石燃料について、見てみましょう。p42~43<化石燃料>化石燃料の燃焼による温室効果ガスの排出は、気候変化の主要原因である 二酸化炭素(CO2)排出量の3分の2近くは、一酸化窒素およびメタンの排出量のかなりの量とともに、石油、天然ガス、石炭の燃焼に由来する。これらは、主として、電気、輸送、暖房、および工業システムのために燃焼される。 多くの工業国家は、より効率的な燃料の使用、代替燃料源の使用、あるいは単に経済の減速により、二酸化炭素排出を削減し始めている。しかし、新たに工業化しつつある国では、多くの場合、排出量は、一人あたりではまだ相対的に非常に低いが、近年の数十年で顕著に増加してきている。 石油の埋蔵量は有限であるが、世界中には、まだ数百年分の石炭の埋蔵量があり、温室効果ガスの顕著な排出源として残存することが可能と思われる。 たとえば中国は、その全エネルギーの75%を上回るほど石炭に依存しており、将来の発電に対して下す決定は、大気中二酸化炭素の濃度のレベルに対し重大な影響をもたらすだろう。
2020.10.17
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【図書館大好き451】今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「短編、中編小説」でしょうか♪<市立図書館>・ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー・獅子渡り鼻・トモスイ・硝子戸の中<大学図書館>・8月末以降にトライ図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】ブレイディみかこ著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション。<読む前の大使寸評>待つこと11ヶ月か・・・個人的には最も長く待っていた本だろう。<図書館予約:(11/13予約、副本19、予約546)>rakutenぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー【獅子渡り鼻】小野正嗣著、講談社、2013年刊<商品説明>より入江と山に囲まれた土地を舞台に、その母の故郷を頼ってやってきた10歳の少年「尊(たける)」を主人公に、ある夏の彼の生活を描く。都会で心身不自由な兄と、男にだらしなく家に寄りつかない母と暮らしていた尊は、母の親戚に連れられ、母が大嫌いだった田舎へとやってきた。豊かな自然、素朴な人々、現実を超えた霊的な存在に触れ、尊は再生していく。児童文学、神話、近代小説、叙事詩……あらゆる形式を超えた奇蹟の物語です。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/9予約、副本2、予約0)>rakuten獅子渡り鼻【トモスイ】高樹のぶ子著、新潮社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりタイ訪問を機に執筆され、選考委員に絶賛された川端賞受賞作「トモスイ」ほか、アジア10カ国との交流から生まれた10の短篇。台湾の小さな島から上海の路地裏へ、そしてモンゴルの荒野、インドネシアの密林まで。それぞれの土地に息づく瑞々しい匂いとやるせない思いを吸い込み、論理を超えた熱をはこぶ、アジアをめぐる物語たち。第36回川端康成文学賞受賞。【目次】トモスイ/四時五分の天気図/天の穴/どしゃぶり麻玲/唐辛子姉妹/投/モンゴリアン飛行/ジャスミンホテル/ニーム/芳香日記<読む前の大使寸評>追って記入rakutenトモスイ【硝子戸の中】夏目漱石著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評>追って記入rakuten硝子戸の中************************************************************図書館大好き450
2020.10.16
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書館で村上春樹『雑文集』という文庫本を手にしたのです。目次を見ると翻訳に関する箇所もあり、借りる決め手になりました。ところで家に帰って調べてみると、この本を借りるのは2度目であることが分かり、2017年2月に紹介記事まで書いていました(またか)。【雑文集】村上春樹著、中央公論新社、2020年刊<「BOOK」データベース>よりデビュー小説『風の歌を聴け』新人賞受賞の言葉、伝説のエルサレム賞スピーチ「壁と卵」(日本語全文)、人物論や小説論、心にしみる音楽や人生の話…多岐にわたる文章のすべてに著者書下ろしの序文を付したファン必読の69編!お蔵入りの超短篇小説や結婚式のメッセージはじめ、未収録・未発表の文章が満載。素顔の村上春樹を語る安西水丸・和田誠の愉しい解説対談と挿画付。<読む前の大使寸評>目次を見ると翻訳に関する箇所もあり、借りる決め手になりました。rakuten雑文集この章はロシアの読者に向けて書かれたそうです。村上作品の世界観が語られているので、見てみましょう。p481~483 <自分の物語と、自分の文体>『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という長編小説を書き上げたのは1985年のことだ。この小説のもとになったのは、その5年ばかり前に書いた「街と、その不確かな壁」という中編小説である。この「街と、その不確かな壁」という作品はある文芸誌に掲載されたのだが、僕としては出来がもうひとつ気に入らなくて()、単行本のかたちにすることなく、そのまま手つかずで放置されていた。 いつか適当な時期が来たらしっかり書き直そうという心づもりでいたのだ。それは僕にとってとても大きな意味を持つ物語であり、その小説もまた僕によってうまく書き直されることを強く求めていた。 でもいったいどうやって書き直せばいいのか、そのとっかかりがなかなかつかめなあった。この小説にとって必用なのは小手先だけの書き直しではなく、大きな転換であり、その大きな転換をもたらしてくれるまったく新しいアイデアだった。そして4年後のある日、なにかのきっかけで(それがどんなきっかけだったのかは今となっては思い出せないのだけど)僕の頭にひとつのアイデアが浮んだ。「そうだ、これだ!」と僕は思って、さっそく机に向かい、長い書き直し作業に取りかかった。 この『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という小説は、「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という二つの異なった物語によって成り立っているわけだが、「世界の終り」の部分は中編小説「街と、その不確かな壁」の枠組みをほぼそのまま用いている。そしてそこに、新たに「ハードボイルド・ワンダーランド」という物語が付け加えられることになった。 まったく違う二つの話をくっつけてひとつの話にしてしまおう、というのが僕の基本的なアイデアである。ふたつの話はぜんぜん違う場所で、ぜんぜん違う文脈で進んでいくのだが、最後にぴたりと噛み合ってひとつになる。どうやってそれらがひとつになるのか、それは読者にはなかなかわからない仕掛けになっている。村上春樹『雑文集』2:安西水丸は褒めるしかない村上春樹『雑文集』1:言い出しかねて2017年2月の紹介箇所も付けておきます。『村上春樹 雑文集』2:翻訳のあたりp224~226『村上春樹 雑文集』1:物語の善きサイクルp400~403()
2020.10.16
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図書館で『コウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)』という雑誌を、手にしたのです。おお ナショナルジオグラフィックの鳥特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪【コウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)】雑誌、日経ナショナルジオグラフィック社、2020年刊<商品の説明>より【特集】●終結から75年 大戦の記憶をつなぐ推定6600万人もの死者を出した第2次世界大戦。その終結からまもなく75年が経過しようとしていて、戦争の記憶は風化する一方だ。当時を知る人々が少なくなるなか、米国、ヨーロッパ、ロシア、そして日本で、存命の数少ない戦争体験者から貴重な証言を聞いた。●氷とコウテイペンギン温暖化が止まらず、生存に必要な氷が解け続ければ、コウテイペンギンたちは消えてしまうかもしれない。<読む前の大使寸評>おお ナショナルジオグラフィックの鳥特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪amazonコウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)第2次世界大戦の体験者の証言が載っているので、見てみましょう。p46~47ビクター・グレッグ:英軍ライフル銃兵士 あれは1937年10月、ロンドンの肌寒い日のことだ。パンと温かい紅茶の誘いはあらがいがたく、新兵募集係に付いていって、言われるまま署名をし、英軍に入隊した。「その日は自分の18歳の誕生日だった」と100歳になったグレッグは言う。「結局、お茶にはありつけなかったよ」 代わりに与えられたのは、第2次世界大戦の最前線に身を置くという過酷な体験だった。1939年9月に戦争が始まったときパレスチナに駐留していたグレッグは、続く3年間を北アフリカの砂漠で過ごし、その後、空挺兵になってイタリア侵攻に加わった。 1944年9月の連合軍による「マーケット・ガーデン作戦」では、ライン川に架かるアルンヘム橋を奪取するため、パラシュートで降下する任務に当った。だが、作戦は失敗に終わることになる。「楽勝だと言われていたが、地上に降りるとドイツの機甲師団に出くわした。誰も想定していなかったようだ」とグレッグは言う。彼は捕虜となり、ドイツ東部ドレスデンの近郊の収容所に送られた。 R・R・クラーク:米海軍兵士 アメリカンフットボールで負傷し、ヘルニアになったクラークは、徴兵検査には合格できないとわかっていた。だが当時18歳の彼は、二人の兄の後を追って戦争に行こうと心を決めていた。自費で手術を受け、ヘルニアを治して軍隊に入った。 1945年初め、クラークは北大西洋上で護衛駆逐艦ファークワーの機関室にいた。「そこは蒸し暑く、華氏100度ぐらい(約38℃)あったと思う」と、95歳の彼は振り返る。ウィルヘルム・ジモンソン:ドイツ軍パイロット 偵察機に乗って、地上を進む味方を標的に誘導していたジモンソンにとって、開戦直後の日々は大冒険のようだった。そんな思いが吹き飛んだのは、ポーランドの首都ワルシャワに入ってからだ。 ドイツの爆撃で街は無残に破壊され、大勢の死者が出ていた。大半は民間人だ。ジモンソンは100歳になった今も、遺体の放つ腐臭が忘れられないという。「私は心に誓った。人間の上には絶対に爆弾をおとさないぞ、と」 だが訓練を受けて戦闘機パイロットになり、英軍機を迎撃するための緊急発進など、夜間の任務を何十回もこなした。「英国の爆撃から祖国の都市を守るためだと、自分に言い聞かせていた。当時は22歳。単純だったよ」。 1944年春までには、ドイツの都市が戦火に包まれるのを目にし、戦争は負けだとわかっていた。 降伏の知らせには心底ほっとしたという。「1945年5月8日は私の第二の誕生日。この日にあらゆる殺戮と恐怖が終わった」と彼は言う。『コウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)』1
2020.10.15
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図書館で『コウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)』という雑誌を、手にしたのです。おお ナショナルジオグラフィックの鳥特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪【コウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)】雑誌、日経ナショナルジオグラフィック社、2020年刊<商品の説明>より【特集】●終結から75年 大戦の記憶をつなぐ推定6600万人もの死者を出した第2次世界大戦。その終結からまもなく75年が経過しようとしていて、戦争の記憶は風化する一方だ。当時を知る人々が少なくなるなか、米国、ヨーロッパ、ロシア、そして日本で、存命の数少ない戦争体験者から貴重な証言を聞いた。●氷とコウテイペンギン温暖化が止まらず、生存に必要な氷が解け続ければ、コウテイペンギンたちは消えてしまうかもしれない。<読む前の大使寸評>おお ナショナルジオグラフィックの鳥特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪amazonコウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)p74~75<氷と共に消える運命:ヘレン・スケールズ> 最初は黒い点が一つ遠くに見えるだけだった。 点は徐徐に増え、白い氷原をくねくねと横切る何本もの線となった。 「そして突然、最初の泣き声が響きます」と写真家のシュテファン・クリストマンは話す。そのとき、「ああ、帰ってきた」と実感するのだという。 3月下旬、南極のアトカ湾で、クリストマンは2ヶ月以上も前から、コウテイペンギンたちが来るのを待っていた。体高およそ100センチ、体重40キロほどになるコウテイペンギンは、ペンギンのなかで最大の種だ。 クリストマンはこれから、アトカ湾のコロニーにいる約1万羽のペンギンとともに冬を過ごす。5年前にも一度、同じ場所で越冬いているが、コウテイペンギンの繁殖サイクルの記録を完成させるために戻ってきた。ここまでする動物写真家はめったにいない。 冬の南極では気温が氷点下45℃を下回り、ふぶけば1メートル先も見えない。とりわけ寒さの厳しい7、8月ともなれば、並みの覚悟で滞在できる場所ではないのだ。「正直言うと、しばらくすると慣れるものですよ」とクリストマンは事もなげに言う。 だがコウテイペンギンには、容易に慣れることのできない現実がある。海氷の減少、あるいは消滅の可能性だ。海氷はペンギンの繁殖の場であり、周辺の海で狩りをするための拠点でもある。泳ぎの達者なペンギンだが、子育ては海中ではなく、安定した海氷の上でなければできない。それも春が来て、氷が解け始めるまでの間だ。 南極周辺には約25万6000組のつがいが、54ヵ所のコロニーを形成している。南極の海氷域はもともと面積の増減が極めて大きいが、2019年に発表された研究によると、5年前から急激な減少が始まり、17年に記録的な縮小が見られた。 現在は回復しているようだが、それでも長期的な平均値を下回る状況が続いている。気候モデルによれば、気候変動に対して早急に手を打たない限り、今世紀の終りまで大幅な減少が続くと予測されている。「このままでは、コウテイペンギンは絶滅に向かって進むことになります」と、米ウッズホール海洋研究所で海鳥を研究するステファニー・ジュヌブリエは語る。
2020.10.15
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図書館で『古生物のしたたかな生き方』という本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、マンガ風のイラストが多くてビジュアルなのが、ええでぇ♪また、30章という章立てで(良し悪しは別にして)視点が多角的なのです。【古生物のしたたかな生き方】土屋健、幻冬舎、2020年刊<「BOOK」データベース>より知れば知るほど感動する!古生物たちの究極サバイバル術。“無気力だって立派な生存戦略!”“あえてサイズダウンする”“没落したら復活すればいい”生きるって、死ぬほど大変。<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、マンガ風のイラストが多くてビジュアルなのが、ええでぇ♪また、30章という章立てで(良し悪しは別にして)視点が多角的なのです。rakuten古生物のしたたかな生き方「16章 やっぱり愛がイチバン!」で鳥類の翼が語られているので、見てみましょう。p146~148■鳥類の翼、コウモリの翼 翼が欲しい。 勉強に疲れたとき、仕事に疲れたとき、人間関係に疲れたとき、ふと、空を見上げると、気持ち良さそうに翼をはためかせ、鳥たちが飛んでいる。 ああ、なんて自由なのだろう。 自分にも翼があれば、地上のしがらみから開放され、どこまでも飛んでいけるのに・・・。 このとき、多くの人が思い描くのは、鳥類の翼だろう。「天使の翼」という方もいるかもしれないが、天使の翼の「モデル」は、あくまでも鳥類の翼だ。私たちと同じ哺乳類であるコウモリの翼を思い浮かべる人はあまりいない(と思う)。 同じ「翼」という文字を用いるけれども、鳥類の翼とコウモリの翼は、そのつくりが決定的に異なる。 コウモリの翼は、腕の骨と第2指、第3指、第4指、第5指の骨が芯となり、その芯と胴体の間に皮の膜を張ってつくられている。この「皮膜を張る翼」は、コウモリだけではなく、絶滅した翼竜類の翼にも共通する特徴だ。 また、「翼」という文字は使わないけれども、モモンガやムササビをはじめとする滑空性の動物も、腕と脚と胴体との間に張った皮膜を上手に使って空を飛ぶ。 一方、鳥類の翼は、芯となるのは腕の骨だけだ。その腕に羽根をみっしりと並べて翼をつくる。このつくりの翼をもつ動物は、現在の地球では鳥類だけだ。 しかしその翼は、もともとは飛翔のためのものではなかった、とみられている。 世界に翼が“生れた”とき、その役割は空を飛ぶことではなかったというのである。 「翼の起源」をめぐるその鍵は、恐竜が握っている。■翼は繁殖のためのツールだった? この数年、とくに2010年代以降に刊行された、いわゆる「恐竜図鑑」を手に取ると、多くの恐竜たちが羽毛で包まれ、そして翼のある姿で描かれている。現在では、鳥類は恐竜類の生き残りであるという見方は、ほぼ“定説”であり、恐竜類の中でも鳥類に近いとされる種類は、鳥類同様に羽毛があり、翼があったと考えられているからだ。 もっとも、翼があるからといって、空を飛べたとは限らない。それどころか、恐竜類の中で翼をもつ種、翼をもっていたと考えられる種は、飛行ができなかったとみられるものの方が多い。空を飛ぶことができたとみられるものは、鳥類とその近縁のいくつかの小型種に限定されている。 空を飛べないのであれば、翼は何のために存在したのだろうか?(中略) こうした検証の結果、第4の仮説が最有力とされている。 すなわち、翼はもともと「繁殖行動のため」とみられている。ロマンチックに言い換えれば、「愛のため」に存在したものであるというわけだ。そして進化の結果として、空を飛ぶことに役立つようになったということになる。「自由の象徴」と思っていたものが、実は「愛の象徴」だった。このことにロマンを感じるか、それとも、何らかな抵抗・・・たとえば、“面倒臭さ”を感じてしまうかは、あなた次第だろう。もっとも、後者を切実に感じるようであれば、ちょっと勉強なり仕事なりを休んで、一息ついた方がいいかもしれない。
2020.10.14
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【図書館大好き450】今回借りた3冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「したたかな鳥類」でしょうか♪<市立図書館>・古生物のしたたかな生き方・温暖化の世界地図・コウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)<大学図書館>・8月末以降にトライ図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【古生物のしたたかな生き方】土屋健、幻冬舎、2020年刊<「BOOK」データベース>より知れば知るほど感動する!古生物たちの究極サバイバル術。“無気力だって立派な生存戦略!”“あえてサイズダウンする”“没落したら復活すればいい”生きるって、死ぬほど大変。<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、マンガ風のイラストが多くてビジュアルなのが、ええでぇ♪また、30章という章立てで(良し悪しは別にして)視点が多角的なのです。rakuten古生物のしたたかな生き方************************************************************【温暖化の世界地図】カースチン・ダウ×トーマス・E.ダウニング著、丸善出版、2007年刊<「BOOK」データベース>より【目次】1 温暖化の兆候/2 温暖化を強いる/3 気候変化を駆動するもの/4 予想される結果/5 温暖化への対応/6 解決策への約束/7 気候変化データ<読む前の大使寸評>追って記入rakuten温暖化の世界地図************************************************************【コウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)】雑誌、日経ナショナルジオグラフィック社、2007年刊<「BOOK」データベース>より【目次】1 温暖化の兆候/2 温暖化を強いる/3 気候変化を駆動するもの/4 予想される結果/5 温暖化への対応/6 解決策への約束/7 気候変化データ<読む前の大使寸評>おお ナショナルジオグラフィックの鳥特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪rakutenコウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)************************************************************図書館大好き449R
2020.10.14
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図書館で『若い読者のための短編小説案内』という本を手にしたのです。村上春樹が取りあげた作者、作品に、時代の古さが感じられます。【若い読者のための短編小説案内】村上春樹著、文藝春秋、1998年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の代表的な作家六人の短編小説を、村上春樹さんがまったく新しい視点から読み解く画期的な試みです。「吉行淳之介の不器用さの魅力」「安岡章太郎の作為について」「丸谷才一と変身術」…。自らの創作の秘訣も明かしながら論じる刺激いっぱいの読書案内。【目次】吉行淳之介「水の畔り」/小島信夫「馬」/安岡章太郎「ガラスの靴」/庄野潤三「静物」/丸谷才一「樹影譚」/長谷川四郎「阿久正の話」<読む前の大使寸評>借りたのは1998年刊の単行本である。村上春樹が取りあげた作者、作品に、時代の古さが感じられます。(表紙は2004年刊の文春文庫のものです)rakuten若い読者のための短編小説案内丸谷才一「樹影譚」の続きを、見てみましょう。p181~183 このあたりを読み進む限り、古屋は非常にリアリスティックで整合的な思考を重ねるタイプの人間であることがわかります。ものごとを曖昧にしておくことを好まないようである。いちいちしつこく論理でものを考えていく。 しかし(3)の中で、古屋はだんだんその論理ペースを維持していくことに困難を覚え始める。彼は老女に招かれるままに、否も応もなくべつの世界(影の世界と言ってもいいでしょう)の中にひきずりこまれていきます。そして彼は、今までとは違うもうひとつの自分へと、存在をねじられていきます。そしてそのねじれをもたらす決定的な要因が、くだんの「樹の影」なのです。 「影の世界」は古屋がこの舟木という旧家に足を踏み入れたときから、彼を少しずつ包み込んでいきます。こういうミステリアスな話の運び方がさすがです。読んでいて、こっちまでがその世界にずるずると引きずり込まれていくような感じがします。たとえば彼が通された部屋には巨大な仏壇がある。仏壇の扉が開かれ、明かりがともしてある。古屋は部屋に入るとまず仏壇を拝みます。 老作家は仔細らしく鉦を鳴らし、恭しく一礼してから席について、挨拶をかはした とあります。これは僕なんかにとっては、ちょっと不思議な行為ですね。他人の家に上がって、相手と挨拶をかわす前に仏壇に手をあわせるというのは、すごく特殊なことのように思える。少なくとも僕には思いつけない。しかし古屋が育った環境=古き世界にあっては、これはあるいは普通の日常的行為なのかしれません。僕は思うのですが、古屋はこのときから既に、一種の「前近代」に足を踏み入れつつあったのではないでしょうか? 次にこんな一節も出てきます。 ひょっとすると、この茶の間にはいり、仏壇に一礼したときから、東京の文士稼業の価値の体系がゆらりと傾き、それに代わるやうにして、幼いころの環境の掟が心を領してゐたのかもしれない。「呪縛的なるもの」と言ってもいいかもしれない。要するに古屋が長年にわたって信奉してきた「リアリスティックで整合的な思考」とはまさに対極にあるものです。彼は決して「リアリスティックで整合的な」小説を書いてきたわけではありません。しかしそれを成立せしめるための地面として、「リアリスティックで整合的な思考」を必要としたのです。 それを失ってしまえば、彼はそっくり丸ごと土着的呪縛の中に呑み込まれてしまうかもしれない。それは古屋には耐えられないことだし、古屋はおそらくそうなることを警戒しつつ生きてきたのでしょう。だからこそ彼は「引きずり込み」に対して必死に抵抗をする。 ここからが老女と古屋との、差しの闘いになります。それは静かな闘いです。(以降は、『若い読者のための短編小説案内』2による)『若い読者のための短編小説案内』4:「阿久正の話」の続きp220~224『若い読者のための短編小説案内』3:安岡章太郎「ガラスの靴」『若い読者のための短編小説案内』2:丸谷才一「樹影譚」p183~185『若い読者のための短編小説案内』1:長谷川四郎「阿久正の話」()
2020.10.13
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本屋の店頭で『たちどまって考える』という新書を手にしたのです。パラパラとめくってみると、ヤマザキマリの最新評論集のような本になっています。これは図書館予約している場合ではないでえ・・・ということで、衝動買いしたわけでおます。【たちどまって考える】ヤマザキマリ著、中央公論新社、2020年刊<「BOOK」データベース>よりパンデミックを前に動きを止めた社会。世界を駆ける漫画家・ヤマザキマリもこれほど長期間家に閉じこもり、自分や社会と向き合ったのは初めてだった。しかしその結果「たちどまることが実は必要だったのかもしれない」という想いにたどり着く。ペストからルネサンスが開花したようにまた何かが生まれる?混沌とした日々を生き抜くのに必要なものとは?自分の頭で考え、自分の足でボーダーを超えて。あなただけの人生を進め!<読む前の大使寸評>ヤマザキマリの最新評論集のような本になっています。これは図書館予約している場合ではないでえ・・・ということで、衝動買いしたわけでおます。rakutenたちどまって考える「第4章 パンデミックと日本の事情」でが語られているので、見てみましょう。p200~203<「失敗したくない」という病>「日本のナショナルチームはなぜ、『いよいよゴールだ!』というときにボールをみんなで譲り合うのか、その理由を知りたい。失敗したら責められるのが嫌だからなのかい?」 少し前になりますが、駐日イタリア太子から日本代表のサッカーチームについてこんな質問を受けました。スポーツニュースなどを通じて、ゴール前の決定力の低さがよく指摘されていた頃のことです。 その真偽はその道のプロにお任せしますが、「失敗したくない」というメンタリティは現代の日本人が抱える大きな病ではないでしょうか。 実際、コロナ対策で日本政府が急に方針を変えたり、何かと右往左往している姿を見ていたりしても、失敗したくない、つまり責任を取らなきゃいけない状況をとにかく回避しようとしている気がしてなりません。 この日本人の“失敗したくない病”を、“語学学習”の話を例に考察したいと思います。 私のイタリア語は、美術の学校の勉強やフィレンツェで出会った人たちと接するなかで身につけたものです。学生時代、イタリア語でレポートや論文を書いていましたが、当初スペルは間違いだらけ。 しかし、当時の私にとっては完璧なイタリア語の習得より、付き合っていたイタリア人たちに言いたいことを伝えるほうが大切だったため、とにかく聞き覚えのある言葉から覚え、言語化するのを優先していました。つまり「伝わること」こそ、言語を生かしたコミュニケーションで、文法やスペルの正しさは追いついてくるものと思っていた。実際、それでなんとかなってきました。 しかし、この世界にはそんな荒っぽい語学学習をする私の上をいく人がたくさんいます。イタリアももちろんそうですが、中東や南米など、おおむね積極的に会話する地域で、言語の“ハッタリ”達人に多く出会ってきました。 二言、三言でも知っている言葉があればもう十分で、男性なら「コンニチハ」「サヨウナラ」「アイシテマス」だけで、冗談ではなく日本女性と恋に落ちる。この場合、しゃべりたい意欲と相手への気持ちを少ない語彙に精一杯込めながら、雰囲気で相手に合わせていうわけです。彼らが伝えたいのは、言語よりコミュニケーション力であり、相手を知りたい、わかりたい、と思う気持ちなのでしょう。 言語はその国の文化や考え方を表すものですから、母国語にしている人々と付き合っていくうえで徐々に理解できる表現のニュアンスというものがあります。テキストだけでは学べない部分ですね。そこに暮らして恋愛し、喧嘩もし、仕事に生かして不条理を経験し・・・。真の言語力を身に着けるには、やはり「経験」が不可欠です。 一家でポルトガルに住むことになったとき、リスボン大学の学生に息子の家庭教師を頼みました。彼は外国人に言葉を教えることを専門に勉強していました。その学生いわく、もっとも言語を教えるのが難しい外国人が日本人、とのことでした。日本人は文法を間違えまいと慎重になり過ぎて、なかなかしゃべろうとしない。文法の正しさにこだわるがため、かえって習得率が下がってしまうというのです。 私がかつて日本でイタリア語を教えていた生徒さんにも、とにかく文法の正しさにこだわる方がいて、会話をしたイタリア人が「君は間接代名詞を使うのが好きだねえ」と苦笑いをしつつ、戸惑っていたことがありました。すると途端に躊躇して、もう積極的に会話ができなくなってしまう。もちろん日本人であってもハッタリ力をおおいに発揮する人もいますが、真面目な人ほど表現に引っかかって、会話がブロックされる傾向がある。 逆の立場になればわかりまうよね。きちんとした日本語をはなせなくても、文法はめちゃくちゃでも、何かを伝えようとしている人なら、こちらも言わんとすることに耳を傾け、理解してあげようと思う。たしかに文法をしっかりと把握することの合理性はあります。しかし言語コミュニケーションでは「伝えたい」という意思と意欲が最優先なのです。 なお、この「失敗してはいけない」メンタルは、言語だけでなく、報道などを通じてもよく感じられます。たとえばイタリアの報道は、自分たちの国で起こることを常に俯瞰で捉え、批判にも容赦がないのがその特徴です。政府や行政によるずさんさが明るみに出れば「イタリアという国はこれだから・・・」と客観的に捉える。 失敗に対しても同じです。でも同じような報道を日本でやっていたら、きっと非国民的な扱いを受けてしまうでしょう。群れのなかでの一糸乱れぬ統率がとれて完璧な社会というイデオロギー、というか信念が日本には深く染み込んでいると思います。『たちどまって考える』1:漫画家のくせに
2020.10.13
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図書館で『男子観察録』という文庫本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、ヤマザキマリの男を観察する目は、わりと硬派なんだなあ。我が子を谷に突き落とすようなお母さんの薫陶を受けると、こんな娘になるのか♪【男子観察録】ヤマザキマリ著、幻冬舎、2019年刊<「BOOK」データベース>より地球上、もっとも珍妙で愉快な生き物、それは男。ハドリアヌス帝、プリニウス、ゲバラにノッポさんに山下達郎さん。古今東西の男を見れば真の「男らしさ」が見えてくる?世界的、はたまた極私的目線で観察し倒す新男性論。<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、ヤマザキマリの男を観察する目は、わりと硬派なんだなあ。我が子を谷に突き落とすようなお母さんの薫陶を受けると、こんな娘になるのか♪rakuten男子観察録イタリアでの貧しい画学生時代が語られているので、見てみましょう。p227~230<セルジオとピエロ> 私の母はなぜ油絵で生きていこうと決めた私に激しく意見してこなかったのだろう。なんでまたあんなにも簡単に、自分の娘を見ず知らずの外国に送り出したのだろう。親元からも故郷からも遠く離れて生きていく事が、こんなにも大変だと仄めかすこともなく。 今から30年ほど前、細かい雨の降りしきるフィレンツェの街を、当てどもなく歩いていた私の頭の中は、そんな疑問で飽和状態だった。骨の折れた古い傘」と、水たまりでびしょびしょになった一張羅の皮の靴、床屋にも行けずに伸びた髪の毛先は雨に濡れそぼり、その有り様はとてつもなくみすぼらしかったはずである。 ポンテヴェッキオを対岸のグイチャルディーニ通り方向へ渡ると、普段の私なら右に折れて、アカデミア美術学院のヌードデッサン科があったサント・スピリト教会の方へ進んでいく。しかしその日は、それまで知らなかった場所へ行ってみたい気持ちになった。雨などおかまいなしに楽しそうな様子の観光客の群を分けて、橋を渡りきった私はそのまま左に曲がって歩き続けた。(中略) その場所は画廊というには如何せん惨めな佇まいだった。看板も出ていないし、曇ったガラスドアの枠のペンキの剥げ加減からも、そこに携わる人々の無関心さや経済力のなさが窺い知れた。 暫らくそのドアの中を覗き込んでいると、狭い空間の片隅に座っていた、茶色のコーヂュロイのスーツ姿の中年男性と目が合った。私はそれまでその人の存在に気付かなかったが、彼の方は私がガラスドアの向こうに立ち止まった時から、こちらの様子をずっと見ていたのだろう。 目が合った瞬間、椅子から立ち上がるとすたすたと近づいてきて、「雨も降っているから、どうぞ、中に入って見ていって。こう見えてもここは画廊なんですよ」と、ドアを引きながら、もの凄く優しい口調で私に声を掛けてきた。イタリアへやってきて2年近く経っていたが、そんな柔らかい声で話しかけられたのは初めてのような気がした。 男性は近くで見ると、ガラス越しに感じた程の年齢ではなかったが、頬の片方にだけ彫り込まれたおばさん風のほうれい線が親近感を醸し出していた。 アルゼンチンから亡命してきたセルジオというその人は、戦後のフィレンツェの文壇で活躍したピエロ・サンティという老小説家と、同じく政治的理由により亡命を強いられた姉と3人で一緒に暮らしており、自らも作家ではあるが、「ウパパ(ヤツガシラ)」という名前のその小さな画廊兼書店を細々と運営していた。ウパパは外観も中も薄汚れた寂しい佇まいの空間ではあったが、そこを訪ねてくる人達はフィレンツェの文壇や芸術界を担ってきた珠玉の文化人達であり、寒かろうと汚かろうとそこでは週に何度も、主催者であるピエロ・サンティを囲んで、興味深い集会が繰り広げられていた。 そして私も、食料を買うお金もなく、帰りのバス代もなく、虚ろに雨の中を歩いている最中に偶然見つけたその場所へ、気が付くと足繁く通うメンツの一人になっていた『男子観察録』3:「テルマエ・ロマエ」の発刊経緯『男子観察録』2:日本人の特質『男子観察録』1:とり・みきの解説()
2020.10.12
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図書館で村上春樹『雑文集』という文庫本を手にしたのです。目次を見ると翻訳に関する箇所もあり、借りる決め手になりました。ところで家に帰って調べてみると、この本を借りるのは2度目であることが分かり、2017年2月に紹介記事まで書いていました(またか)。【雑文集】村上春樹著、中央公論新社、2020年刊<「BOOK」データベース>よりデビュー小説『風の歌を聴け』新人賞受賞の言葉、伝説のエルサレム賞スピーチ「壁と卵」(日本語全文)、人物論や小説論、心にしみる音楽や人生の話…多岐にわたる文章のすべてに著者書下ろしの序文を付したファン必読の69編!お蔵入りの超短篇小説や結婚式のメッセージはじめ、未収録・未発表の文章が満載。素顔の村上春樹を語る安西水丸・和田誠の愉しい解説対談と挿画付。<読む前の大使寸評>目次を見ると翻訳に関する箇所もあり、借りる決め手になりました。rakuten雑文集村上さんの本の表紙には、たいてい安西さんのイラストが採用されているように・・・両名の交流が載っているあたりを、見てみましょう。p374~376 <安西水丸は褒めるしかない> 安西水丸画伯について文章を書くのは、けっこうむずかしい。といっても、本当のことを言えばぜんぜんむずかしくなんかなくて、書くべきこと、描きたいことはたくさんある。桶の縁から溢れ落ちるほどる。それをただ思いつくままにすらすらと書いてしまえば簡単なのだが、それがなかなかうまくいかない。 というのはそういうことを書くと、いつも決まって、いつも決まって、あとでなんとなく僕がやましい思いをさせられることになるからだ。たとえば、「いや、このあいだの村上君の書いた、あの僕についての文章だけどさ、あれ、面白かったよね。でもね、えへん、いや、僕はいいんだよ。僕は、こほん、そんなことぜんぜんかまわないんだけどさ、うちの家族がなんだかちょっと気にするみたいなんだよね。つまり案内とかさ、こほ、それから娘とかさ、読んでなんだかへんな顔するんだよね、それにうちの家内の母親なんかも、えへん、ああいうのが出るとね、気にしてわざわざ電話してきてきたりするんだよね」 というようなことが、話のついでにさりげなくちょっとでてくる。 僕は水丸さんの奥さんには一度お目にかかって挨拶したこともある。お嬢さんには会ったことはないけれど、まだ結婚前の身である、そういう人たちが僕の書いた駄文を読んで嫌な気持ちになったり、「お父さんのことをあんなに悪く言うなんて、ムラカミってなんてひどい人なのかしら」と憤っていたりするところを想像すると(実はそんなにひどいこと書いてないないんだけれど)胸がきりきりと痛む。そのうえ奥さんのお母さんにまで心労をおかけしているかと思うと、これはなんといっても申し訳ないことである。そういうことをふと考えると、筆を持つ手が重くなるというか、キーボードを叩く手がつい鈍くなってしまうのだ。 こういっちゃなんだけれど、水丸さんのこのへんの牽制の仕方はなかなか巧妙である。にっこりとして「いや、僕はいいんだよ。僕はいいんだけどさ・・・」というあたりがこつである。村上春樹『雑文集』1:言い出しかねて2017年2月の紹介箇所も付けておきます。『村上春樹 雑文集』2:翻訳のあたりp224~226『村上春樹 雑文集』1:物語の善きサイクルp400~403()
2020.10.12
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図書館で村上春樹『雑文集』という文庫本を手にしたのです。目次を見ると翻訳に関する箇所もあり、借りる決め手になりました。ところで家に帰って調べてみると、この本を借りるのは2度目であることが分かり、2017年2月に紹介記事まで書いていました(またか)。【雑文集】村上春樹著、中央公論新社、2020年刊<「BOOK」データベース>よりデビュー小説『風の歌を聴け』新人賞受賞の言葉、伝説のエルサレム賞スピーチ「壁と卵」(日本語全文)、人物論や小説論、心にしみる音楽や人生の話…多岐にわたる文章のすべてに著者書下ろしの序文を付したファン必読の69編!お蔵入りの超短篇小説や結婚式のメッセージはじめ、未収録・未発表の文章が満載。素顔の村上春樹を語る安西水丸・和田誠の愉しい解説対談と挿画付。<読む前の大使寸評>目次を見ると翻訳に関する箇所もあり、借りる決め手になりました。rakuten雑文集作家活動の前にはジャズ喫茶のオーナーだった村上さんであるが・・・ジャズの薀蓄が語られているあたり(特に歌詞の翻訳について)を、見てみましょう。p216~220 <言い出しかねて> 何かをすると、何かの歌が反射的に頭に浮んでくるということがある。あなたにはありませんか? たとえば(あくまでたとえばだけど)大きな海を前にすると「海は広いな、大きいな」という歌がつい口に出てしまったりするかもしれない。あるいは口に出さないまでも、頭の中でそっと自然にその一節を追っていたりするかもしれない。 考えてみれば、あなたはたぶん6歳のときにも、15歳のときにも、32歳のときにも、広い海を前に出たら、「海は広いな、大きいな」と歌ったり、思ったりしていたわけで、いささか大げさな言い方を許していただけるなら、つまりその歌の一節がひとつの連続的な行為として、一本の(ささやかな)縦糸として、人生を貫いてきたということになる。 そしてあなたは、あなたの中に潜んでいる、6歳や15歳や32歳の自分自身たちと、「海を前にした」心情をわずかのあいだにせよ、いわば反射的に、共有する。そしてそれはなかなか悪くない気分なのだ。 僕らの人生とは、記憶の積み重ねによって成り立っている。そうですよね? もし記憶がなかったら、僕らには今現在の僕らしか、頼るべきものがない。記憶があればこそ、僕らは自己というものをなんとかひとつに束ね、アイデンティファイし、存在の背骨のようなものを(たとえそれがひとつの仮説に過ぎないにせよ)とりあえず設定することができる。 前置きが長くなってしまったけど、僕は飛行機に乗ると、いつも反射的に「言い出しかねて」という歌を思い出す。「言い出しかねて」(“ICan't Get Started" )はアメリカの古い歌で、作曲はヴァーノン・デューク、作詞はアイラ・ガーシュイン、1930年代後半に大ヒットした。なかなかしゃれた歌詞なので、冒頭の部分を書き出してみる。 僕は飛行機で世界一周もした。 スペインの革命も調停しいた。 北極点だって踏破した。 でも君を前に、その一歩が踏み出せない。 なにしろ1930年代のことだから、飛行機で世界一周するなんて、すごい大冒険だったのだ。普通の人にはちょっとできることじゃない。北極点? そう、北極点もまだほとんど未知のままだった。そしてそのころ、ちょうどスペインでは激しい内戦が繰り広げられ、共和制を支持する情熱的な冒険家たちが(たとえばアーネスト・ヘミングウェイなんかが)、義勇軍に参加してファシストと戦うべくスペインに向かっていた。 たぶん飛行機(プレイン)と韻を踏むために、スペインを持ち出しただけだと思うんだけど(この手の小唄に政治ネタが持ち込まれることはきわめて珍しいから)、この歌詞を聴くと、1930年代のロマンティシズムみたいなんものが、情景として僕の眼前にすっと浮かび上がってくる。日本で言えば昭和初期、1929年の大恐慌の傷跡もまだ深く、世界的に言っても決して明るい時代ではなかったし、それからあとの時代は大きな戦争に向かってますます暗くなっていくわけだけど、それでも人々は暗い雲のまわりに、希望の縁取りを探し求めていたのだ。その気持ちは、その時代には生まれていなかった僕にも、なんとなくわかる。誰だっていつだって、暗い雲のまわりに、ロマンティックな淡い光を求めて生きているものなのだ。 たとえばシドニーに向かう飛行機。出発は夜、細かい雨が降っていて、成田空港の管制塔の灯が遠くにぼんやりにじんで見える。僕は一人でシートの中にいる。膝の上に読みかけの本がある。出発前のシャンパンが配られる。こうなるともういけない。何がどうあろうと、「言い出しかねて」の最初の部分が自動的に頭に浮んでくる。 I've flown around the world in a plane. I've settled revlution in Spain. And the Noth Pole I have charted. But can't get started with you. そして僕は目を閉じ、スペイン戦争のことを思う。僕はスペイン戦争に参加したことはないし、参加しようと思ったこともないけど(だってまだ生まれてもいないものね)、それでも、僕は否応なくスペイン戦争的な時代風景の中に戻っていく。そして頭上の暗雲と、その裏側にあるはずの、明るく温かい太陽のことを考える。「言い出しかねて」は60年以上前に作られた、いかにもセンチメンタルな小唄なので、さすがに最近では演奏されることが少なくなった。若いジャズ・ミュージシャンは、こんな骨董品みたいな曲はまず取り上げない。歌詞だって、若い人にはなんのことだかさっぱり理解できないだろう。「スペインの革命? 北極点?」みたいなことになるはずだ。 いや、「言い出しかねる」なんていった心持ちだって、下手したらうまく伝わらないかもしれない。でも昔のミュージシャンは、好んでこの曲を演奏した。バラードの定番みたいなものだった。2017年2月の紹介箇所も付けておきます。『村上春樹 雑文集』2:翻訳のあたりp224~226『村上春樹 雑文集』1:物語の善きサイクルp400~403
2020.10.11
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図書館で『若い読者のための短編小説案内』という本を手にしたのです。村上春樹が取りあげた作者、作品に、時代の古さが感じられます。【若い読者のための短編小説案内】村上春樹著、文藝春秋、1998年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の代表的な作家六人の短編小説を、村上春樹さんがまったく新しい視点から読み解く画期的な試みです。「吉行淳之介の不器用さの魅力」「安岡章太郎の作為について」「丸谷才一と変身術」…。自らの創作の秘訣も明かしながら論じる刺激いっぱいの読書案内。【目次】吉行淳之介「水の畔り」/小島信夫「馬」/安岡章太郎「ガラスの靴」/庄野潤三「静物」/丸谷才一「樹影譚」/長谷川四郎「阿久正の話」<読む前の大使寸評>借りたのは1998年刊の単行本である。村上春樹が取りあげた作者、作品に、時代の古さが感じられます。(表紙は2004年刊の文春文庫のものです)rakuten若い読者のための短編小説案内「阿久正の話」の続きを、見てみましょう。p220~224 シベリア抑留衛活五年の「時差」を抱えた長谷川四郎にとっても、そろそろ「平常復帰」の時期が来ていたのでしょう。そのようにして彼は戦後日本の日常の中に足を踏み入れて行く。こうしたことのひとつの象徴として、あるいは道標として「阿久正の話」が生まれてきます。大事な時期にある作品です。 題を見ればおそらくおわかりのように、これは魯迅の「阿Q正伝」のもじりになっています。それで今回実に久しぶりに「阿Q正伝」を引っぱり出して読み返してみたのですが、正直に言って「阿Q正伝」と「阿久正の話」が持っている共通項というのが、僕にはもうひとつよくわかりませんでした。 このふたつの小説は話としてもあまりにも違うし、主人公の立場もあまりにも違っています。だからこのふたつの作品を並べて正面切って比較対照しても、それほどの意味はないのではないでしょうか。おそらく長谷川四郎は社会における一人の「常民」の姿を描きたかったのであって(阿Qは正確には「常民」以下ですが、まあ広義にとらえて)、タイトルにはそれ以上の意味はないのではないかと僕は思います。 「阿久正の話」には書き手である「私」と、主人公である阿久正が出てきます。「私」はおそらく作者のヴォイスと見て差し支えないでしょう。「じゃあ阿久正は誰だ」ということになるのですが、これがもうひとつすっきりと見えてこないんですね。魯迅の「阿Q正伝」は、作者が自分とまったく違う阿Qという人間の姿をぽったりと描ききることによって、そこに魯迅自身の苦しみや哀しみが浮び上がってくるという構図になっています。 その二重性が作品に深い奥行きを与えています。ところが「阿久正の話」はそういう構図にはなっていません。 講談社文芸文庫から出ている「阿久正の話」の表紙のコピーにはこうあります。「シベリア捕虜体験を経て、戦後の日本に帰還した作家は、戦場での生と死を見詰めると等質の同じ澄んだ視線から街の隅に息づく庶民の一人ひとりの生きる姿を凝視する。平凡極まる無名の生活者、阿久正の中に、結晶の如く光る生の真実を淡々と語っていく(後略)」 たしかにそのとおりですね。これは文学史的に見れば実にまっとうな作品の捉え方だと思います。コピーとしてもよく書けている。でも実を言うと、今回この作品を読み返してみて、「本当にそうなんだろうか?」と僕は腕組みして考え込んでしまいました。阿久正は本当に「平凡極まる無名の生活者」なんだろうか、と。 はっきり言って、僕にはそうは思えないのです。たしかに外面的に見れば、阿久正はあまりぱっとしない一介の平凡なサラリーマンです。商業学校中退で、通勤に二時間もかかるへんぴな郊外に自分の手で一部屋しかない家()を建てて、そこに奥さんと二人でひっそりと暮らしている。(中略) 死んだってべつにまわりに惜しまれることもなく、適当に粗雑に扱われます。まさに絵に描いたような「庶民」ですね。 ところが不思議なことに、実際にここに描かれている阿久正という人間は、よく読んでみるとぜんぜん庶民じゃないんです。看板はたしかに庶民だけれど、中身はそうじゃない。どちらかというとむしろ「遊民」に近いですね。 実直にこつこつ働いて、健常な市民として給与生活はしているけれど、それ以外の面では彼は非常に個人的で、悠々と自分のペースを守って生きている。生活は苦しいかもしれないけれど、にもかかわらずぜんぜんあくせくしていない。これは普通の庶民じゃありません。じっと目を凝らすとそこに見えてくるのは、まさに長谷川四郎自身の姿です。僕はそう感じます。 要するに彼は阿久正という「常民」の姿を借りて(あるいは半分だけ借りて)、自己を語っているのではないか、そういう印象を強く受けました それが作者=長谷川四郎のそもそもめざしたことなのかどうか、僕にはそこまではわかりません。彼は最初からそういうポジションをとって小説を書こうとしたのかもしれません。あるいはまた、本来は「平凡極まる無名の生活者」を描きたかったのかもしれない。でも書いているうちにに自然にそういう方向に流れてしまったのかもしれない。 どちらせよ、結果的に言えば、小説そのもののむいている方向と、書かれている内容のむいている方向は一致していません。僕はそう思います。そして結局のところ、そおれがこの「阿久正の話」という作品の優れて面白いところであり、また同時にまとまりを欠いている根本的な原因でもあると思うのです。 更に言えば、長谷川四郎には「平凡極まる無名の生活者」(あるいは政治的に言えば「プロレタリアート」)の姿はリアルには描けなかったのではないか。彼は良くも悪くもそういうタイプの作家ではなかった。そういう現実の相を描くためには、彼の小説スタイルはあまりにも日常的利害感覚を超越しすぎていて、あまりにも個人的で、あまりにも芸術的アリストクラートだった。 だから物語の入れ物を庶民に設定しながら、そこに入れる中身としては、自分自身を流用しいなくてはならなかったのです。そして長谷川自身はもちろん「常民」でも「庶民」でもなかった。長谷川は永遠の非常民=遊民です。『若い読者のための短編小説案内』3:安岡章太郎「ガラスの靴」『若い読者のための短編小説案内』2:丸谷才一「樹影譚」『若い読者のための短編小説案内』1:長谷川四郎「阿久正の話」()
2020.10.11
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図書館で『男子観察録』という文庫本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、ヤマザキマリの男を観察する目は、わりと硬派なんだなあ。我が子を谷に突き落とすようなお母さんの薫陶を受けると、こんな娘になるのか♪【男子観察録】ヤマザキマリ著、幻冬舎、2019年刊<「BOOK」データベース>より地球上、もっとも珍妙で愉快な生き物、それは男。ハドリアヌス帝、プリニウス、ゲバラにノッポさんに山下達郎さん。古今東西の男を見れば真の「男らしさ」が見えてくる?世界的、はたまた極私的目線で観察し倒す新男性論。<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、ヤマザキマリの男を観察する目は、わりと硬派なんだなあ。我が子を谷に突き落とすようなお母さんの薫陶を受けると、こんな娘になるのか♪rakuten男子観察録漫画「テルマエ・ロマエ」の発刊経緯が語られているので、見てみましょう。p69~73<奥村編集長> 漫画業界の中では、恐らく知る人ぞ知るちょっとした有名人とも言える。漫画の編集者だけでなく、作家、そしてコアな漫画読者に至るまでこの人の存在を知る人あ少なくはないが、その見た目も、そしてその性質的にも、周囲からできるだけ浮かないようにと日々心掛けるのが国民性の日本人社会において、確かにこの人の有り様はかなり浮いていると言える。 しかも、周りに溶け込みきれないその様子は決してこの人の意思からくるものではない。私が世話になっていた当時は、一応それなりの中堅出版社において管理職に就いていたくらいだから、社会に全く適応できないとか、またはする気もないという捻くれたアウトサイダーというわけではないのだ。 服装だってチェックやストライプのカジュアルなコットンのシャツを時には第一ボタンまでかっちりと留め、裾は必ずベルトでしっかり腰回りを固定したジーンズ・イン。そのジーンズも別に何らかの自己主張がそのスタイルから窺えるような奇抜なものではなく、時にその丈は洗濯による縮みの影響なのか真っ白な靴下を覗かせる踝あたりで止まっている。 ちょっと変わった作家ばかりを集めた漫画誌の編集長ではあるけれども、彼は社会との接点を持ち難いこれら特殊な連中をしっかりと束ねていこうとする責任感も旺盛な、通常よりもむしろ常識人とも言える。 なのに、この人はどういうわけか、大勢の群集の中に交じると他の人とは違った遺伝子を持ってしまった生き物のように、何気に浮いてしまう。どんな人も初対面時には若干の萎縮を免れない眉毛の薄い強面が強烈だからなのか、古代ローマ皇帝トライアヌスのような不思議なヘアスタイルが印象的だからなのかはわからない。ただ、佇まいというのか、出で立ちそのものが独特なのだ。 その独特な雰囲気故に様々な漫画作家が彼の人物像を作品に描いてきたが、その描かずにいられない気持ちの拠り所が何なのか具体的に認識できなくとも、なぜだかこの人事はいったん具象化してみないと気が済まなくなるのだろう。現に私も、こうして自分に与えられた数ページの貴重な表現空間をこの男について語る事に充ててしまったわけだ。 この奥村勝彦という編集者は、私の作品『テルマエ・ロマエ』の担当者である。読み切りのつもりで掲載した題1話をもっと続きが読みたいので連載にしたいと、『テルマエ・ロマエ』を拾ってくれた副編集長から無理矢理奪い取った男だ。『男子観察録』2:日本人の特質『男子観察録』1:とり・みきの解説()
2020.10.10
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図書館で『若い読者のための短編小説案内』という本を手にしたのです。村上春樹が取りあげた作者、作品に、時代の古さが感じられます。【若い読者のための短編小説案内】村上春樹著、文藝春秋、1998年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の代表的な作家六人の短編小説を、村上春樹さんがまったく新しい視点から読み解く画期的な試みです。「吉行淳之介の不器用さの魅力」「安岡章太郎の作為について」「丸谷才一と変身術」…。自らの創作の秘訣も明かしながら論じる刺激いっぱいの読書案内。【目次】吉行淳之介「水の畔り」/小島信夫「馬」/安岡章太郎「ガラスの靴」/庄野潤三「静物」/丸谷才一「樹影譚」/長谷川四郎「阿久正の話」<読む前の大使寸評>借りたのは1998年刊の単行本である。村上春樹が取りあげた作者、作品に、時代の古さが感じられます。(表紙は2004年刊の文春文庫のものです)rakuten若い読者のための短編小説案内安岡章太郎「ガラスの靴」が語られているので、見てみましょう。p93~95 安岡章太郎は短編小説のうまさに定評があるだけに、何をテキストに選ぼうかずいぶん迷ったのですが、結局処女作(あるいはデビュー作というべきか)の「ガラスの靴」に落ちつきました。その第一の理由は、僕が手にとって読んだ最初の安岡作品がこの「ガラスの靴」だったからです。 いつだったかは忘れましたが、最初にこれを読んだときに非常に感心した記憶がありmす。とても新鮮で、なおかつ巧妙な小説だという印象を受けた。そしてその印象は今読み直しても、いささかも変わりません。 その少しあとで書かれた「悪い仲間」や「陰気な愉しみ」なんかも優れた作品で、個人的にはすごく好きなのですが、どれかひとつということになると、そのような思い入れもあって、やはりこの「ガラスの靴」を選んでしまいます。 選択の第二の理由としては、この「ガラスの靴」という短い作品の中に、安岡章太郎という作家の原型がありありと、みごとに現出していると僕は思うからです。そしてそこに提出されているものの、ある部分は歳月をかけて退化消滅していきます。 僕らはこの作品を詳しく読み込むことによって、それをひとつひとつ検証していくことができます。安岡章太郎のそれ以降の展開にとって「ガラスの靴」という作品に提出されたものの中で、いったい何が必要であり、何が必要ではなかったのかを知ることができます。 作家の処女作には、多かれ少なかれそういう部分があります。最初は「活字になったらもうけもの」という感じで、余計なことはなにも考えずにただひたすら持ち駒を並べて書くから、そこには一回性の捨て身の潔さみたいなものが漂うことが多いのです。 でもそれでなんとかうまく成功をおさめて、これからはプロとして(あるいはセミプロとして)習慣的に継続的に小説を書き続けなくてはならないとなると、そんなことばかりいつまでも続けているわけにはいきません。それではとても身がもたない。手法やテーマやスタイルの面で、取捨選択がある程度必要になってきます。 つまりあまり良い表現ではないけれど、作家としての「経営方針」の決定を迫られるわけです。「この部分はもっと拡大して伸ばしていける」「これは一回ならいいけれど、いつもやるのはちょっときつい」というようなことを識別していかなくてはならない。これはおそらくたいていの作家が、意識的にせよ無意識的にせよ、やっていることだろうと思います。逆に言えば、これがうまくできなければプロにはなれないんじゃないかと。 安岡章太郎がこの処女作を発表したのは、30歳のときです。長い戦争があり(彼は学生の時に兵隊に取られて中国に送られています)、また戦後の混乱があって、そのあいだに病床に伏すことにもなりました。そのような事情から小説家としてのデビューが遅れたのでしょうが、実を言うと僕が作家としてデビューいたのもちょうど30歳になった歳で、そういうこともあってこの作品にいささかの個人的親近感を覚えてしまうのかもしれません。 なにも僕の「風の歌を聴け」という処女作と、安岡氏の「ガラスの靴」に似たところがあると言っているわけではありません。しかしこの小説を書いた時の作者の心持ちのようなものが、僕にはなんとなく分かるような気がするのです。『若い読者のための短編小説案内』2:丸谷才一「樹影譚」『若い読者のための短編小説案内』1:長谷川四郎「阿久正の話」
2020.10.10
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(11/13予約、副本19、予約534)現在8位・浅田次郎『大名倒産(上)』(2/01予約、副本13、予約347)現在42位・浅田次郎『大名倒産(下)』(3/17予約、副本23、予約351)現在109位・川越宗一『熱源』(6/08予約、副本33、予約676)現在422位・紗倉まな『春、死なん』(6/14予約、副本2、予約30)現在15位・チャン・ガンミョン『韓国が嫌いで』(7/03予約、副本1、予約7)現在2位・ブレイディみかこ『ワールドサイドをほっつき歩け』(9/19予約、副本13、予約218)現在202位・小川洋子『密やかな結晶』(10/8予約、副本4、予約59)・小野正嗣『獅子渡り鼻』(10/9予約、副本2、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)・グレタたったひとりのストライキ<予約候補>・頭木弘樹『食べることと出すこと』:図書館未収蔵・小野正嗣『多和田語の世界』:図書館未収蔵・小野正嗣『踏み跡にたたずんで』・小川さやか『チョンキンマンションのボスは知ってる』・本村凌二『馬の世界史』・柏耕一『交通誘導員ヨレヨレ日記』・藻谷浩介『進化する里山資本主義』・多和田葉子『文字移植』:図書館未収蔵・山内 一也『ウイルス究極の寄生生命体 (NHK人間講座)』・四方田犬彦『ソウルの風景―記憶と変貌』・小山鉄郎『白川静さんに学ぶ これが日本語』・高野秀行「怪獣記」・キネマ旬報(ありがとう、和田誠さん)・橋本治『黄金夜界』・中園成生『日本捕鯨史』・高野秀行「ワセダ三畳青春記」・高樹のぶ子『アジアに浸る』・つげ義春『ガロ 1968 前衛マンガの試行と軌跡』・ディック『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』:図書館未収蔵・ヘミングウェイで学ぶ英文法:図書館未収蔵・内澤旬子『ストーカーとの七00日戦争』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』<予約分受取:8/08以降> ・多和田葉子『雪の練習生』(8/01予約、8/08受取)・有川ひろ『倒れるときは前のめりふたたび』(2/18予約、8/16受取)・村上春樹『猫を棄てる』(5/31予約、8/16受取)・橘玲「上級国民/下級国民」(10/24予約、8/20受取)・サル化する世界(3/25予約、9/02受取)・浅田次郎『草原からの使者 沙高楼奇譚』(9/05予約、9/10受取)・『装丁・装画の仕事』(9/08予約、9/13受取)・メーター検針員テゲテゲ日記(7/10予約、9/18受取)・森見登美彦「四畳半神話体系」(9/19予約、9/23受取)【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】ブレイディみかこ著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/13予約、副本19、予約546)>rakutenぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー【大名倒産(上)】浅田次郎著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より泰平の世に積もりに積もった大借金に嫌気のさした先代は縁の薄い末息子に腹を切らせて御家幕引きを謀る。そうとは知らぬ若殿に次々と難題が降りかかる!笑いと涙の経済エンターテインメント、始まり、始まりー<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/01予約、副本13、予約347)>rakuten大名倒産(上)【大名倒産(下)】浅田次郎著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より御国入りで初めて見る故郷の美しさ、初めて知る兄弟の情。若殿は倒産阻止を決意するが、家臣共々の努力も焼け石に水。伝家の宝刀「お断り」で借金帳消しの不名誉を被るしかないのか。人も神様も入り乱れての金策に、果たして大団円なるかー<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/17予約、副本23、予約351)>rakuten大名倒産(下)【熱源】川越宗一著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より故郷を奪われ、生き方を変えられた。それでもアイヌがアイヌとして生きているうちに、やりとげなければならないことがある。北海道のさらに北に浮かぶ島、樺太(サハリン)。人を拒むような極寒の地で、時代に翻弄されながら、それでも生きていくための「熱」を追い求める人々がいた。明治維新後、樺太のアイヌに何が起こっていたのか。見たことのない感情に心を揺り動かされる、圧巻の歴史小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/08予約、副本33、予約676)>rakuten熱源【春、死なん】紗倉まな著、講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より「春、死なん」妻を亡くして6年の70歳の富雄。理想的なはずの二世帯住宅での暮らしは孤独で、何かを埋めるようにひとり自室で自慰行為を繰り返す日々。そんな折、学生時代に一度だけ関係を持った女性と再会し…。「ははばなれ」母と夫と共に、早くに亡くなった父の墓参りに向かったコヨミ。専業主婦で子供もまだなく、何事にも一歩踏み出せない。久しぶりに実家に立ち寄ると、そこには母の恋人だという不審な男が…。人は恋い、性に焦がれる―いくら年を重ねても。揺れ惑う心と体を赤裸々に、愛をこめて描く鮮烈な小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/14予約、副本2、予約30)>amazon春、死なん【韓国が嫌いで】チャン・ガンミョン著、ころから、2020年刊<「BOOK」データベース>より女もすなるフェミニズム小説といふものを、男もしてみむとするなりー韓国「今日の若い作家」シリーズからチャン・ガンミョン作品を初邦訳!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/03予約、副本1、予約7)>rakuten韓国が嫌いで【ワールドサイドをほっつき歩け!】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2020年刊<「BOOK」データベース>よりEU離脱、競争激化社会、緊縮財政などの大問題に立ち上がり、人生という長い旅路を行く中高年への祝福に満ちたエッセイ21編。第2章は、現代英国の世代、階級、酒事情についての著者解説編。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/19予約、副本13、予約218)>rakutenワールドサイドをほっつき歩け【密やかな結晶】小川洋子著、講談社、1999年刊(単行本は1994年刊)<「BOOK」データベース>より記憶狩りによって消滅が静かにすすむ島の生活。人は何をなくしたのかさえ思い出せない。何かをなくした小説ばかり書いているわたしも、言葉を、自分自身を確実に失っていった。有機物であることの人間の哀しみを澄んだまなざしで見つめ、現代の消滅、空無への願望を、美しく危険な情況の中で描く傑作長編。<読む前の大使寸評>今年の英国ブッカー国際賞の最終候補になったそうで、同賞の選考委員は「あまりに現代的で目を見張らされた」と評したそうです。<図書館予約:(10/8予約、副本4、予約59)>rakuten密やかな結晶【獅子渡り鼻】小野正嗣著、講談社、2013年刊<商品説明>より入江と山に囲まれた土地を舞台に、その母の故郷を頼ってやってきた10歳の少年「尊(たける)」を主人公に、ある夏の彼の生活を描く。都会で心身不自由な兄と、男にだらしなく家に寄りつかない母と暮らしていた尊は、母の親戚に連れられ、母が大嫌いだった田舎へとやってきた。豊かな自然、素朴な人々、現実を超えた霊的な存在に触れ、尊は再生していく。児童文学、神話、近代小説、叙事詩……あらゆる形式を超えた奇蹟の物語です。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/9予約、副本2、予約0)>rakuten獅子渡り鼻【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡228予約分受取目録R23好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。
2020.10.09
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図書館で小川洋子×堀江敏幸共作の『あとは切手を、一枚貼るだけ』という本を手にしたのです。巻末を見ると、文芸誌に2017年7月~18年8月まで連載されたエッセイを単行本として構成したもののようです。いわば出版社の企画の勝利というか、一粒で三度美味しいケースでんがな♪【あとは切手を、一枚貼るだけ】 小川洋子×堀江敏幸著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりかつて愛し合い、今は離ればなれに生きる「私」と「ぼく」。失われた日記、優しいじゃんけん、湖上の会話…そして二人を隔てた、取りかえしのつかない出来事。14通の手紙に編み込まれた哀しい秘密にどこであなたは気づくでしょうか。届くはずのない光を綴る、奇跡のような物語。<読む前の大使寸評>巻末を見ると、文芸誌に2017年7月~18年8月まで連載されたエッセイを単行本として構成したもののようです。いわば出版社の企画の勝利というか、一粒で三度美味しいケースでんがな♪rakutenあとは切手を、一枚貼るだけこの本の冒頭あたり(一通め)を、見てみましょう。p15~17 <一通め> まぶたを閉じている私に、それでも当然のように友人は新訳の小説を一冊置いて、アムステルダムへ帰ってゆきました。30年もあちらに暮らしている彼女ですが、今でも、しばらくこちらに戻っていると、みるみるオランダ語が下手になってゆくそうです。スーツケースに荷物を詰め、アムステルダムを発つ準備をはじめただけで早くも、オランダ語が揺らいでいることが分かる、と彼女は冗談めかして言いました。 三十年かけ、努力して積み上げた言語より、一言も喋れない赤ん坊の時、訳も分からず勝手に耳に入ってきた母語の方が、ずっと強いという証拠でしょうか。少しでも油断すると、無敵の赤ん坊が積み木の塔を破壊しにやって来ます。 口元にはふてぶてしい笑みが浮び、瞳はやる気満々に輝いています。「アー、ウー、アー、ウー」うなりながら、よだれや離乳食や汗でべとついた手を情け容赦なく振り回す赤ん坊のの前では、ぐらぐらする積み木などひとたまりもありません。何のためらいもなく崩れてしまいます。 母語とオランダ語、二つの間に架かる、積み木のように華奢で危うげな橋を、一歩一歩慎重に、勇気を持って行き来している彼女に、私は心から尊敬の念を抱きます。異なる言語を往復するのは、どんなに広大な海を渡るよりも心細い旅でしょうから。 母語に、母、という字が使われているのは、この心細さを少しでも和らげるためかもしれません。父、ではどうも収まりがようない気がします。積み木を崩す赤ん坊を抱き上げ、揺すってなだめるのは、やはり母の腕です。 一文字しか字を知らない象の手紙について、私がこうして思いを巡らせることができるのは、勇気ある言葉の旅人のおかげです。そう言えば、人間の赤ん坊が指しゃぶりをするように、小象も鼻をしゃぶるのを知っていますか? 考えてみれば、指であれ鼻であれ、自分の体の一部を口に入れないではいられない、というのは面白い習性です。人間は無意味なことをやる生きものですから、美味しいはずもない指をしゃぶるからと言って別に不思議ではありませんが、摂理に従って生きる利口な野生動物までもが、同じ仕草をするというのは、ちょっと意外です。 あれは、自分で自分をこの世界に留めておくための抵抗なのでしょうか。自分がどこか知らない遠くにふわりと吸い込まれてしまわないよう、指と鼻を一生懸命に引っ張っている。そう考えれば、人間の指と象の鼻は、引っ張るのにうってつけの出っ張りと言えます。 サバンナの水辺で休憩する、象の群れがいます。乾季、水を求めて歩き続けた彼らは極限まで疲れています。(中略) しかし、いくら小さすぎて大事なことをすぐに忘れてしまう小象でも、生まれて間もないものだけに授けられる、遠い暗闇から届く信号を受け取る力はちゃんと備えています。だからこそ、暗闇に吸い込まれないため、自分の体は今ここにあるのだという事実をかみしめるため、一生懸命鼻しゃぶりをしているのです。(一通め)の続きを、見てみましょう。p21~23 <一通め>『アンネの日記』は、架空の友人キティーに宛てた手紙です。アムステルダムのポストには投函されないけれども、架空の世界でのみ許される方法で届けられた手紙。言うまでもなく、その方法とはエヴァンズの切手を貼ることです。 小さい頃からなぜか、閉じ込められている人、閉じこもっている人、閉じ込める人に、強いこだわりを感じてきました。 アンネ・フランク、ラプンチェル、『人間椅子』の家具職人、オペラ座の怪人、ジョゼフ・コーネル、『床下の小人たち』、ノートルダムの鐘つき男、ロベール・クートラス・・・。あるいは閉じられた四角い升目から永久に脱出できないチェスやオセロ、蓑虫、纏足、ホルマリン漬け、箱庭、ド-ルハウス、円筒状の海綿の中で生涯を送るドウケツエビ・・・。当然、切手という最小のサイズに一つの世界を閉じ込め、ピンキング鋏で周囲を封じた、ドナルド・エヴァンズも仲間です。 彼らは独自の境界線の内側に潜んでいますが、孤立しているわけではありません。私の心の中にある湖に、各々ボートに乗って浮んでいます。縁に立てば、一目で輪郭をたどれる、池と見間違うほどの湖です。とは言え、ボートがぶつかり合うことなく自由に漂ってゆけるほどの広さは保たれています。波はなく、湖底は深く、水は薄緑色です。 どんな水路ともつながっていない、ぽっかりと宙に浮んだような湖なのに、彼らどこからどうやって集まって来たのか、私にも分かりません。各自の事情に従い、無言のうちに、一艘、一艘、出現したのでしょう。新しい仲間が増える時にも、特別な歓迎はなく、興奮もなく、水面は穏やかなままです。 大胆にオールを漕ぎ、優美な波紋を描きながら進んでゆくボートもあれば、入り組んだ岸辺に舳先を向け、ただじっとしているだけのボートもある。あるものはただ自然の流れに任せ、あるものは一点でひたすら回転している。時折、何かの拍子にはっとするほど接近する場合もありますが、声を交わしたりはしません。一瞬視線が交わっても、礼儀正しく目礼をするばかりです。 岸辺に立ち、私はそんな彼らを眺めます。ボートからも、湖からも、彼らは決して出て行こうとはしませんから、安心です。彼らの沈黙を邪魔しないよう注意しながら、水面に響く微かな気配に耳を澄まします。 いわば湖は私の友人たちを招き入れるための小部屋です。親しみを感じ合えるもろもろを図柄にした切手の収集帳です。あらゆる言葉を受けとめてくれる日記です。『あとは切手を、一枚貼るだけ』1:『幸福の王子』
2020.10.09
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図書館で小川洋子×堀江敏幸共作の『あとは切手を、一枚貼るだけ』という本を手にしたのです。巻末を見ると、文芸誌に2017年7月~18年8月まで連載されたエッセイを単行本として構成したもののようです。いわば出版社の企画の勝利というか、一粒で三度美味しいケースでんがな♪【あとは切手を、一枚貼るだけ】 小川洋子×堀江敏幸著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりかつて愛し合い、今は離ればなれに生きる「私」と「ぼく」。失われた日記、優しいじゃんけん、湖上の会話…そして二人を隔てた、取りかえしのつかない出来事。14通の手紙に編み込まれた哀しい秘密にどこであなたは気づくでしょうか。届くはずのない光を綴る、奇跡のような物語。<読む前の大使寸評>巻末を見ると、文芸誌に2017年7月~18年8月まで連載されたエッセイを単行本として構成したもののようです。いわば出版社の企画の勝利というか、一粒で三度美味しいケースでんがな♪rakutenあとは切手を、一枚貼るだけ太子は鳥がからむお話しが好みであるが・・・この本で『幸福の王子』が語られているあたりを、見てみましょう。p251~252 <十三通め> ちょっと、旅に出ていました。そう遠くじゃありません。初めてのところでしたが、近々行くことになるのは分かっていましたし、どんな場所か、数えきれないくらい何度も思い描いていたので、新鮮な驚きよりはむしろ、懐かしさを覚えるほどでした。 想像とさほどかけ離れてはいなかった、ということです。本当はもっと先まで行くつもりで、準備もできていたはずなのに、予定通りにいかないのが旅の常。途中で引き返す事態になったのは、自分でも思いがけない成り行きでした。 それに引き換え、渡り鳥たちの旅は何と潔いのでしょうか。行く、と決めたら行くのです。ひるんだり、ぐずぐずしたり、感傷に浸ったりする鳥は一羽もいません。地図も羅針盤もなく、ラジオの気象情報とも無縁のまま、誕生した時に与えられた身一つで旅立ちます。 もし彼らが渡りをしなければ、どれほどの悲劇が起こるか教えてくれたのは、子どもの頃読んだ絵本、オスカー・ワイルドの『幸福の王子』でした。王子の使者となり、銅像を飾る宝石を貧しい者のもとへ届けていたツバメは、南の国へ渡る時を逃し、寒さに震えながら息絶えます。 銅像の足元に横たわるツバメの姿が、あまりにもぐったりとして弱々しく、かわいそうでならなかったのを思い出します。 もちろん目が空洞になり、全身の金箔をはがされ、人々から蔑まれる銅像も気の毒ではありますが、それでも彼は王子です。タイトルに掲げられる主役です。けれどツバメは、見返りを求めない愛の代償として死んでゆく、一羽の鳥にすぎません。 ツバメの死骸は、死が意味するものをすべて含んでいました。生きている間、自由に空を飛んでいた鳥は、重力に敗北した時、他の生きものよりずっと決定的な死の塊に閉じ込められるのかもしれません。数年後、私の両手に納まったポッチの死骸は、南の国へ渡れなかったツバメの影と重なり合いました。『幸福の王子』を読んでしばらくは、秋も深まる頃、まだ町に残っているツバメを見ると、たまらなく心配になったものです。学校への道を歩きながら、もし鳥の死骸が落ちていたらどうしようと、びくびくしていました。 手紙に編み込まれた哀しい秘密とやらには・・・気付かない鈍感な大使でんがな。
2020.10.08
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図書館で『男子観察録』という文庫本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、ヤマザキマリの男を観察する目は、わりと硬派なんだなあ。我が子を谷に突き落とすようなお母さんの薫陶を受けると、こんな娘になるのか♪【男子観察録】ヤマザキマリ著、幻冬舎、2019年刊<「BOOK」データベース>より地球上、もっとも珍妙で愉快な生き物、それは男。ハドリアヌス帝、プリニウス、ゲバラにノッポさんに山下達郎さん。古今東西の男を見れば真の「男らしさ」が見えてくる?世界的、はたまた極私的目線で観察し倒す新男性論。<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、ヤマザキマリの男を観察する目は、わりと硬派なんだなあ。我が子を谷に突き落とすようなお母さんの薫陶を受けると、こんな娘になるのか♪rakuten男子観察録空海を題材として日本人の特質が語られているので、見てみましょう。p178~179<時空を超えるスケールの大きな男> 日本は、海外から自分の国がどう見られているかを気にする傾向が強いと感じるときがある。 例えば、とあるスポーツ選手が世界選手権で勝ち進んでいった時、その選手の活躍を国の未来の象徴と置き換えて賞賛する一方で、その人が外国のメディアではどう捉えられているのか、というところまで意識の触手が伸びる。海外の新聞で我が国の誰々はこう評価されていた、ああ言われていた、というのを紹介している報道番組を見ていると、積極的にグローバル化なるものを提唱している一方で、海外とは距離を締めたくない頑な意固地のようなもの存在しているようにも感じてしまう。 この海を隔てたこちらとあちらの、何だか釈然としない違和感というのは、古代から日本人の中にはびこっていたものであり、それは遣隋使や遣唐使の派遣といったような発想からなんとなく窺い知る事ができる。 大陸の地表に国境がある国では、どんなにボーダーを引いても他国の息吹は常に生々しく感じられるし、文化や考え方がどんな遮り方をしても陸伝いに混入してしまう事もある。しかし日本では、他国と直接コミュニケーションを取るには、自主的に海を渡るか、渡ってくる人と接するしか選択肢がない。 日本と同様の島国であっても、周辺の国々の様子が気になるわけでもなく、「うちは別にこれでいいから」と毅然と構えていられる国も世界には存在すると思うのだが、日本人は知識欲が旺盛で、プライドと自国繁栄の志を強く持った人種だからなのか、自分達の国の見られ方に敏感であるだけでなく、他国の様々な文化や事象の情報を欲する姿勢も旺盛だ。 また、日本で独自に発達してきた精神性や文化について、褒められる分はいいとしても、何らかの問題点を指摘されたり分析されるのは苦手らしい。『男子観察録』1
2020.10.08
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図書館で『男子観察録』という文庫本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、ヤマザキマリの男を観察する目は、わりと硬派なんだなあ。我が子を谷に突き落とすようなお母さんの薫陶を受けると、こんな娘になるのか♪【男子観察録】ヤマザキマリ著、幻冬舎、2019年刊<「BOOK」データベース>より地球上、もっとも珍妙で愉快な生き物、それは男。ハドリアヌス帝、プリニウス、ゲバラにノッポさんに山下達郎さん。古今東西の男を見れば真の「男らしさ」が見えてくる?世界的、はたまた極私的目線で観察し倒す新男性論。<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、ヤマザキマリの男を観察する目は、わりと硬派なんだなあ。我が子を谷に突き落とすようなお母さんの薫陶を受けると、こんな娘になるのか♪rakuten男子観察録とり・みき、といえばヤマザキと片棒を担いで創作することが多いマンガ家である。とり・みきが解説としてヤマザキマリを語っているので、見てみましょう。p241~243<解説:とり・みき> なんと美しい文章かと思う。 奇をてらったレトリックや流行語を使わない、まっすぐで正攻法の、しかし華美さや情動を排した抑制のきいたその筆致にまず感動する。 内容よりも先にその表現方法に言及するのは、芝居を見た後に「よくセリフが憶えられましたね」という感想を述べるのにも似て、失礼千万なことだは重々承知している。しかもこちらは小説家や文芸評論家のような文章のプロではなく、一介のマンガ家だ。上から目線にもほどがある。 にもかかわらず、彼女の著作の解説という機会を持つこともあまりないと思うので、ヤマザキマリの文章に漂う「品格」というのは、やはり声を大にして強調しておきたいところだ。 もしかすると、テレビのコメンテーターとしての彼女や、ほぼ語りおろしの文体で綴られている新書でしかマザキマリを知らなかった読者には、一見硬質で改行も少なく漢字熟語の多い本書のようなエッセイは意外に映ったかもしれない。 テレビやラジオに登場するマザキマリは、まるで速射砲のように短時間最大パワーで内なる情動を一気にさらけ出す。くだけた言葉でいえば「おしゃべり」で「ガラッパチ」で遠慮なくもの申す、しかし親しみやすいキャラクター、というのが多くの人にとっての彼女のイメージだろう。 だが本書のようなエッセイでは、彼女は冷静に言葉を選択し、立場の異なる相手の価値観にも目を配る。一部の外国生活者にときおり見られる、片方との比較によって片方をおとしめる出羽守的なレトリックもない。 そもそも形容過多な感情よりも事実の記述によって自分の想いを伝える、という方法を彼女はとるが、それは本来の意味でハードボイルドの手法であり、おの源流となった、彼女が敬愛する作家ヘミングウェイの文体にも通ずるものがある。 選択する言葉も、どちらかと言えば70年代以前の日本文学を思わせるような語彙が多く、若い読者には古風に映るかもしれない。外国在住なのに外来語が少ないのも特徴的で、僕などはしゃべりや文章原稿に不必要なカタカナ語が多いことを、しばしば彼女から指摘されたりする。 ヤマザキマリの書くこうした文章は、彼女が10代で渡欧する以前の基礎的な読書歴に加え、現代日本の余計な情報が遮断あれた異国での日本文学・海外文学の純粋培養的な摂取体験が影響いているのは間違いないが、読むこちらは、ヤマザキ渡欧のバブル時代から日本版ロスジェネ時代にすっかり失われてしまった日本語の品格を、テレビでバスタオル一丁で温泉につかっているマンガ家の文章によってあらためて教えられる、という不思議な感覚になる。『国境のない生き方』1
2020.10.07
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図書館で『ソーメンと世界遺産』という本を手にしたのです。この本の目次を見てみると、もろもろのグチとか、やつあたりとか、悲喜こもごもの内容となっていて興味ふかいのでおます。シーナの趣味は出版ではないのか?もと雑誌の編集に携わっていたシーナだから、出版のノウハウはお手の物やんけ♪【ソーメンと世界遺産】椎名誠著、毎日新聞社、2013年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評>シーナの趣味は出版ではないのか?もと雑誌の編集に携わっていたシーナだから、出版のノウハウはお手の物やんけ♪rakutenソーメンと世界遺産シーナが乗馬とかキャンプについて語っているので、見てみましょう。p45~48<毎日が緊急危機対策> 突然の災害や事故にいかに迅速かつ的確に対応していくか・・・ということがいつの間にか現代人の現実的な課題になってしまった。旅をしながらでも「いまそこにある危機は何か?」などということを考えていることが多くなった。昔はイネムリしてたんだけどな。 先日、飛行機に乗っていてあと20分ぐらいで着陸、というときに、もし地上にいま大地震がおきたら、空中にいるこの飛行機に乗っている我々はとりあえず直接の地震被害からは逃れることができる。 しかし、そのあとに「どこへどうやって着陸するか」という厳しい問題が待ち受けていることに気がつく。滑走路がダメージを受けていたら降りられない。シロウト考えながらまあとりあえず地震の影響がなかった土地の空港に方向転換するのだろうが、そこまでの燃料があるかどうか。(中略) 日本だと建前だけの管制官トップがいて「前例がない」とか「しかるべき監督省庁の許可を貰ってから」なんてやっているうちに燃料切れになっておしまいなんじゃあるまいか。 なんだかわからない緊急事態に遭遇したとき、その事件の全貌を理解し確認し対策を考える、なんてことをしている前に、本能のままに行動するのがとにかく生き残るための最優先事項だな、という体験をかつてした。 事件は「氷河ダム決壊」である。場所はパタゴニア。夏になると氷河も上層部は解ける。解けた水がどんどん川のように流れていけば問題ないのだが、稀に氷河の先のほうに大きな窪みができて氷河が自然のダム湖のようになってしまうことがある。大量の水をせきとめてしまったその擬似ダムがコンクリートの壁なら問題ないが、やはり氷なのだ。 やがて水の重さと圧力で崩壊する。たいした規模ではないけれど、そこに向かっている人間がいて谷の斜面などでこの氷塊まじりの鉄砲水みたいなのにやられる・・・という災害だった。同行していたガウチョ(南米のカウボーイ)がいち早くこの異変の正体を察知し「今すぐ逃げろ」と叫んで牽いていた馬に乗り換え、自分だけ全速力でどんどん崖の上のほうに逃げだした。 そのときぼくは生まれてはじめて馬に乗ったのだ。必死になってガウチョのあとに続いた。馬は仲間の馬の行った方向にひたすらついていく性癖がある。 それまで馬と一緒に我々を乗せてきたジープが間もなく崖下を転がるように流されていき、谷の下に落下していくのが馬の上から見えた。なんだか訳がわからないがとにかく落馬したらもう命がない、ということが最初からわかっていた。 あのとき「今何がおきてるのか」とか「理由を知りたい」とか「馬に乗れない」とか「ハラへった」とか「クルマで逃げればいいじゃん」などと言っていたら今のぼくの命はなかった。半日必死で馬に乗っていたので、いまは世界のどんな馬でも乗りこなせるようになった。突然の危機にはいいプレゼントもあるのだ。『ソーメンと世界遺産』2:ヘイエルダールの漂流記『ソーメンと世界遺産』1:やがて個人小説時代()
2020.10.07
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