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娘の出産後、3週間も とっくに過ぎ、床上げ、枕引きも終わり、一安心であるが、まあ、いろいろ、ありました。 出産後、一週間は、病院で過ごし、退院後は、出産から21日目の枕引き、床上げまで、初めての出産では、実家で 面倒を見ることが、地元の風習、慣例である。 ということで、退院後、母子が、我が家に来たのであるが、一泊で、犬、ネコ、室内 放し飼いの我が家で、娘の、猫アレルギー、ゼンソクの兆候が出て、急きょ、近くのばあちゃん家に、行くことになった。 我が家で一泊して、翌日、午後、母子は、娘の夫の車で、ばあちゃん家に行った。もちろん、90才の高齢のばあちゃんが、孫、ひこの世話は無理なので、私が、泊りがけで、娘、孫の世話をする、という条件である。 ばあちゃん家に荷物を運び、夕食後、やれやれ、やっと、くつろいだ。と思っていたら、ばあちゃん、腰曲げて、なにやら、ごそごそ、動き出し、出してあったリンゴを、仏壇の前にあった、ブドウの空箱の中に しまいだした。とうとう、90才のばあちゃん、モウロクしたか。リンゴを誰かに食べられたら大変だ。と、ケチ根性で、しまい込んでしまったか。 まあ、年を 考えれば、私、娘としては、悲しいことだが、無理もない、仕方のないことか、老いの現実、来るべきものが、来たのだろうか?と、思ってしまった。 ばあちゃんを、正気にしようと、話しかけた、 「何、しているの。」 ばあちゃん、言う。「ネズミが出るから、しまっているんだ。 食べ物、出しておくと、何でも、かじってしまうから、仏壇のお供え物も、みんな、かじってしまうから、あげて おかれないんだ。台所のテーブルの上のものも、みんなかじってしまう。だから、食べ物、出しておかれないんだ。」 ガーン、 それを聞いて、私、真っ青、ばあちゃん、ぼけていなかったことは、うれしいが、ネズミが 出るとは、 前門のイヌ、ネコ、後門のネズミ、ではないか、 娘の夫に、「ここは、ネズミがでるから、赤子のためにも、母子を連れて、自宅のアパートに行ってほしい。」と、言いそうになったが、娘の長期の入院で、仕事が終わっての病院通い、娘の夫も、疲れているだろう。 今夜は、私は、寝ないで、ネズミを撃退しよう。ということで、実際は、眠ってしまったが、何事もなく、翌日になり、翌日、よくよく、考えた。 昔の農家には、ネズミが 住み着いていた。私の生まれた頃も、ネズミが、天井裏で、ガタゴト、ガタゴト、走り回っていただろう。だけど、私も、その他、昔の多くの赤ん坊も、平気で大人になっている。とりあえず、ばあちゃん家に、世話になろう。 だけれど、絶対、赤ん坊 一人にはしておけない。家人と相談して、家人との連携プレーで、乗り切ろう。ということで、食事の時も、赤ん坊から 目を離さないように、いつも、側に置くように、ダンボール箱のふたの周りを切り取って、入れ物を作り、家の中、持ち運びすることにした。私が、用事で、ばあちゃん家を離れる時は、家人が交代で、来てくれた。家人、初孫が、可愛くてしょうがない、という風情で、ダンボール箱の孫を抱えて、 「これが、本当の 箱入り娘だな。」 と、のたまっておりました。 娘夫婦に無断で、写真掲載。後で、クレームつくかな。 3週目は、お義母さんが、遠くから、娘夫婦のアパートに 来て、面倒を見てくれ、こちらとしては、娘の嫁ぎ先の 大事な預かりものを、無事、お返しして、緊張も解け、ホッ、と 致しました。
2012年10月14日
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台所仕事をしながら、なんとなく、途切れ、途切れにテレビを 見ていた。NHK 「負けて、勝つ」 吉田茂のドラマ。 第二次世界大戦の 敗戦後の日本。戦争に負けた日本は、これから、どうなるのだろう。 あの頃、ソビエト、アメリカの植民地になったとしても、何も、文句の言えない敗戦国の日本。 「勝てば、官軍 負ければ、賊軍」 で、(会津藩士の墓地も、戊辰戦争、150年後の今も、草ぼうぼうの中で、墓石が倒れたままになっている。戦さに負けるということは、先祖の供養も出来なくなるほど、徹底的に痛めつけられるということである。同じ、国民同士でも、負けると、再起できないほど、痛めつけられるのだ。) 敗戦国、日本は、何も言えない状況の下で、 今の、豊かな、繁栄の 日本を 築き上げた政治家、その苦悩は、いかばかりであっただろうか、戦後生まれの私には、とても、とても、はかり知れないものである。 日本は、こんなに 国土面積の狭い アジアの小国なのに、今や、自動車産業を始め、いろいろな分野で、活躍している。 今の日本があるのは、先人達の身命をかけた努力のお蔭である。ドラマの中の 吉田茂の言葉、「日本のために、命を かけているんだ。」 そうなのである。 あの時代は、みんな、どの国も、為政者は、自分の国、そして、自分の国の人々の幸せの為に命を、かけていたのだ。身命を、かけていたのだ。 しかし、今や、インターネット、携帯電話、パソコン、その他、情報が瞬時に世界中に流れ、地球の状況は、昔と 劇的に、変わった。(3、11の震災も、世界中に、リアルタイムで、ネットで 伝わった。) だから、 「自分の国の為に、命を懸けているんだ。」 というよりも、「世界の為に、国境を越えて、人類のために、命をかけているんだ。」という、時代に、必然的に なっているのである。地球全体の調和、安定を、見据えなければ、自国の平和安定は、おぼつかなくなっている。それは、日々のニュースで、実感せざるを得なくなっている。 中国で、反日運動が、起きたが、経済的には、結果的に、日中双方の、莫大な損害になってしまった。アジアの安定、平和、調和に 反したことになってしっまっている。 一国の利益優先では、成り立たないほど、世界は狭くなっていて、世界全体の利益を、考えなければならない時代になっている。 今は、そんな時代なのである。自国の平和、繁栄は、地球全体の平和、繁栄によって、もたらされる。 「井の中の蛙、大河を知らず。」狭い所しか見ないのではなく、壮大な宇宙とまでは、言わなくても、地球全体の調和、地球で暮らす人々全体の平和と幸福のために、小委を捨てた行動、実践の時代なのである。 今の日本は、近隣諸国の あつれきにさらされている。 もう、アメリカが、アフガニスタンでしたように、極秘、秘密外交でも、なんでもいいから、 日本も、隣国と、極秘でも、秘密でも なんでもいいから、外交をして、アジア全体の幸せの為に 尽力してほしい。野田首相も、身命にかけて、拉致問題を解決して、隣国との友好、相互繁栄に尽力してほしいものである。BS放送で、日中国交40周年で、田中角栄氏と、大平正芳氏の日中国交条約 締結に至るスリリングな過程を、深夜放送していた。 政治家として、田中氏と大平氏が、身命をかけていなかったら、日中国交は、出来なかっただろう。もし、40年前、日中国交、が、不成立だったら、今の日中関係は、どうなっていただろうか?というよりも、あの、東西対立、ベトナム戦争、米ソ冷戦時代、資本主義、共産主義の対立の時代、中国は、毛沢東の共産党時代に、アメリカと日米安全保障条約を結んでいる資本主義国、日本と日中国交条約が、結ばれたのは、奇跡としか言いようがない。まさに、奇跡であった。 40年前の あの時代、今よりも、すごい反日感情の中で、今の北朝鮮と国交を結ぶより、もっと、難しい、中国との国交正常化を果たしたことは、田中角栄氏の偉業であろう。 条約締結後、中国残留孤児の帰国とか、中国の研修生の受け入れとか、条約の約束を、田中角栄氏は、きちんと守り、履行した。隣国同士、非難しあうことより、助け合うことが大切なのだ。 今の状態を、周恩来氏、田中角栄氏だとしたら、どのように考え、どのような対応で、きり抜けてくれるのだろうか?
2012年10月06日
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