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寒くなってきた。 家人、食事の時 イスの足元が、スースーするのか、フリースの大きいひざ掛けを 膝に グルグル巻いて 暖をとっている。 それで、食事時間に、電話が来たとき、グルグル巻いたひざ掛けを、また、グルグル 巻き戻して、電話に出るのが、面倒に なってきたのか、 ひざ掛け、グルグル巻いた、朝食の時。 何処かに、電話する必要を 思い出したのか、 わたくしに、「お母さん、電話の子機、使うから、持ってきて もらえないかな?」 と、言う。 我が家にくる電話の、ほとんどが、家人なので、電話の子機は、台所の隣の 家人の仕事部屋にある。 わたくし、マッタク と、思う。 家人が 言ったことを、いつも、わたしが、従い、してあげる。という、悪習、弊害、構図が、家人の脳に、インプットされているのである。 今や、男女平等、男女同権、男女参画の時代である。 御自分のことは、御自分で どうぞ。なのだし、 わたくしも、朝食の準備で、忙しかったので、 「わたしを、こき使う つもりなの。 私、今、忙しいんだから、自分で、持ってきたら。」と、つっけんどん に 言い返した。 と、 一瞬、しばらく、 マ、マ、ま、ま、間、間。 それで、2人で、偶然、 お互いの、「こき、つかう」 の 意味の違いに、気付き、アッハッハ と、笑ってしまい、 家人、わたくしを、「こき使う」 のに 引け目を感じたのか、自分で、電話の子機を持ってきました。 しかし、 半日後には、 もう、二人とも、老人性 健忘症で、 夕食の時、家人、台所のテーブルで、ひざ掛けグルグル状態で、 「お母さんを、こき使うわけでもないが、子機 使うので、持ってきてもらえないかな。」と、当然のごとく 言い、 わたくしも、わたくしながら、朝のように、反論もせず、いつもの 悪い癖で、当然のごとく、家人に持ってきてあげてしまいました。 まあ、車の運転とか、庭の草むしりとか、ジャックの散歩とか、 家人は、家人なりに、家のことをしているので、 これから、老境に向かう夫婦、お互い、出来ることは、助け合いの 互助会なので、 まあ、しょうがないか、ですねぇ。
2013年10月28日
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「子孫長久には、子孫に お金、財産を 残すことでもなく、古今東西の名著を 残すことでもなく、自分が、陰徳を積むことである。」 という 「司馬温公 家訓 」 に 家人、いたく感動したのか、「 陰徳」 について、「 陰徳 って、どういうことだと、思う。」 と、しつこく、わたくしに、聞いてくる。そんなこと 聞かれても、よく、分からない。人に親切にする。とか、困っている人を助ける。とか、いろいろな寄付や、慈善事業を匿名でする。とか、(しかし、かつかつの年金暮らしでは、寄付や慈善事業は、ちと、無理かも)ボランティアをするとか、NPO法人で活動するとか、朝の散歩を、ゴミ拾いしながらする。とか、思いつくまま、適当に言ったけれど、「陰徳を積む」 とは、どういうことか、わたくしにも 分からない。家人、わたくしの うやむや、言うことに、納得できず、ネットで、検索したらしい。そして、お金がなくても、人に施しができるという 魔法のような方法を見つけてきた。さっそく、パソコンからプリントアウトして、自慢げに、家族に披露。読んでみると、なるほど、お金がなくても、人々を、幸せにできるし、自分も、笑顔を作ることで、免疫力アップで 健康になれ、しあわせになれる方法である。名前そのものも、「無財の七施」 という財のない人でも、施しができるものである。以下、家人が見つけたネットのコピー。「 無財の七施(むざいのしちせ)というのは、お金や物がなくても他人の為に施すことのできるもののことです。1、和眼施 (わがんせ) 優しい眼差しで以て人に接する2、和顔施 (わがんせ) 優しくてにこやかな笑顔でもって人に接する 3、和語施 (わごせ) 優しい言葉遣いで相手に接する4、身施 (しんせ) 自分の身体を使って相手の為に行動をする(何かをしてあげる)5、心施 (しんせ) うるわしい思い遣りの気持ちでもって相手に接する6、床座施 (しょうざせ) 自分が座っている座席を相手に譲る7、房舎施 (ぼうしゃせ) 気持ちの良いもてなしをする以上の七つは、お金や物がなくても、その気にさえなれば実行できることです。こういったことを実行することによって自分自身の心が清まって豊かになり、これらを続けているうちに運が良くなっていくということです。相手に施しをして喜んでもらうということは頭では理解をできても、いざ実行するとなると勇気のいるものです。是非とも実行をして運を良くしていってください。 」 という すばらしいものである。 今まで、 施しとは、お金や、物質だと思っていて、「 笑顔 」 が、施しになり、 施しは、誰でも、どんな人でも出来ることに、気付かなかった。 知らなかった。
2013年10月25日
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夕食どき、息子の帰り時間を 気にしながら、能天気で、おかず作りに あたふた、あたふた、している わたくしを、台所のテーブルで、ビールを飲みながら、家人 見ていて、 何故か 知らないが、 「おまえは、可哀そうだな。」 と、驚いたことに、2度も 言った。自分の奥さんに、こんなこと言う夫が、いるのだろうか。 (そんな風に言うなら、幸せにしてちょうだい。と、言いたいが、)前にも、「おまえは、可哀そうだな。」と 言われたような 記憶もあるけれど、 「あら、どうして? そんなこと ないわよ。 おとうさん。 どうして そんなこと、言うの。」 と、家人に、問うたが、明快な 解答なし。 まあ、いいか。可哀そうな奥さんは、世の中、あふれているから。 「かわいそう。」「可哀そう。」 それで、思い出した、 夏目漱石先生の作品「三四郎」 の 中の言葉。 「かわいそうだたあ、ほれたってことよ」 そう。そう。 漱石先生が、おっしゃっているのだから、あながち、ウソではないのだろう。 ということは、 お父さん、 もしや、 わたくしに、「ほれったてことよ。」で、心底 惚れているのかな? 一応、戸籍上、妻である わたくしを、家人、無意識に、「かわいそう。」 なんて、言うなんて、漱石流に 解釈すれば、 「ほれている。」 って いうことだ。 それは、我が家の子供たちにとっては、良いことで、幸せなことに 違いない。 でも、わたくし、 「 じぇ、じぇ、じぇ、」 の 無限大。
2013年10月22日
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家人 「今日は、よい言葉を知った。」 と 、夕食時、息子 二人に、教えていた。 「 子孫に、お金を残しても、子孫は、お金を守って、残さない。 子孫に 良い書物を残しても、子孫は 読まない。 子々孫々の長久を願うなら親が、陰徳を積むことである。」 なるほど、お金より、良書より、親の 陰徳か。親が、かくれた徳を積むことか? 出典は、中国で、 こちら、 「 司馬温公 家訓 」 「 積金以遺子孫 子孫未必能守 積書以遺子孫 子孫未必能読 不如積陰徳於冥々之中 以為子孫長久之計 此先賢之格言 乃後人之亀鑑 」 金を積んで 以て 子孫に遺せども 子孫 未だ 必ずしも 能く守らず書を積んで 以て 子孫に遺せども 子孫 未だ 必ずしも能く読まず冥々の中に陰徳を積んで 以て 子孫長久の計(はかりごと)と為すに如(し)くはなし(司馬温公家訓)(口語訳) 「 資産を多く残しても、子や孫たちが これを上手に使うことは 無理だろう。名著をたくさん残しても、これを読んで 知恵をつけることも 無理かもしれない。私が陰徳(表にでない徳)を積むことこそが、子孫が 幸せに 暮らす基となるのだ。」 我が家の ジャックちゃん。「 わしゃ、関係ないんじゃ。人間どもは、子孫長久の使命を 天から負わされ、それが、生きる喜びに なっているとは、イヌ属には、ガッテン いかないよ~ん。」 と、ソファで、あくび。 そこは、来客の場所。 ジャックは、ダンボールの上、 来客の時は、ダンボール 撤去。 ジジちゃんも、なにが、何だか 分からない格好で、スヤスヤ、お眠りなんじゃ、この アクロバテックな 格好。
2013年10月21日
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今日、「 会津エンジン08 」 なる 各界の著名人による講演を聴きに すぐ近くの 会津大学に行ってきた。 本当は、娘夫婦が、行くはずで、私は、孫の子守りを 頼まれていたのであるが、 娘夫婦が、都合で 行けなくなり、前売り券 2枚が、ムダになるので、家人に聞いたら、家人は、用事があるというので、ヒマな息子と 二人で、雨の中、歩いて行ってきました。1時限、約10講座あり、3時限あり、全部で30講座くらい 開かれていて、自分の興味のある講座を選んで、聞くのである。今年で、8年目で、8回であるが、初めて聞く。 講座の パンフレットを見て これも 聞いてみたい、あれも 聞いてみたい、 と、興味のあるものが いっぱいありすぎて、たいそう 困ったが、娘が、聞きたいといっていた、講師が、勝間和代さん 下村満子さんの「 真実は 報道されているのか?」 ~ ジャーナリズムの現場を問う! ~ を、大講義室で、聞いた。勝間さんは、テレビでの とがったような印象より、穏やかな感じであった。 自分の車の追突事故での、マスコミ各社の報道の違い、朝日新聞は、勝間さんが 朝日新聞にコラムを 連載していたこともあり、事故の記事は、温情的に書かれていたが、読売新聞は、そうではなかった。ということで、 日本中、追突事故が、毎日、何件も起こっているのに、何故、自分だけが、記事になるのか、と、憤慨していた。 それに、記事の報道も、各メディア、それぞれ 違っていた。と、自己の 事故の経験を通して、 受け取る側は、マスコミの報道を 慎重に判断しなければ、ならない。と 言っていた。 それから、地球温暖化についても、「 今、地球温暖化であると思う人、手を あげて下さい。」 と、言い、私も含め、聴衆のほとんどが、即座に 手を挙げましたが、 「長いスパンでみれば、わずかな気温の上昇は、一時的なもので、むしろ、反対に、地球は、寒冷化に向かっているという人もいる。」 と、おっしゃる。 そして、「地球温暖化は、CO2 が 増えているからだ。と、思う人、手をあげて下さい。」 と 質問をぶつける。今度は、みんな、そう 思っていても、「地球温暖化」 は、マスコミが勝手にいっているだけで、科学的に立証されていない。」と、言われたばかりなので、私を含め、みんな、慎重になって、手を挙げる人が 少ない。 勝間さん、「CO2 と 地球温暖化の因果関係は、まだ、立証されていない。」 と、言い。 いかに、私たちが、マスコミの報道に左右されているか、気付かせてくれました。 それから、 原発問題でも、経済の面から考えたら、原発も必要ではないか、と言ったら、勝間和代は、原発推進論者で、視聴者の抗議、反発が来るから、出演させられない。 と、排除されてしまう。 とも、言っていた。 ここで、ちょっと、断っておきたいのですが、私の文は、勝間さんの講演で述べたことを、正確に 伝えていません。テープに録音していたのでもなく、メモを とっていたのでもなく、ぼんやり、聞いていただけだから、大筋は それらしきとは思うのですが、細部の表現は、自己流。わたくし、ジャーナリストではなく、普通のおばさんなので、自己表現の正確さに 平気で 無頓着。それでも、そんなに 非難を受けず日常生活 なんとか、なっているのです。 それで、勝間さんに、「 言い回しが、不正確。わたし、そんな言葉使わなかった。」 と 抗議されたら、平謝りに、謝るしかないので、ご了承下さい。以上。 それから、勝間さん、 テレビの ロングブレス ダイエットで、やせる。という企画に出たとき、 たまたま、私も、その番組を見て、勝間さんが、真剣に頑張っている様子を拝見しておりましたが、 勝間さん 曰く。「ロングブレスだけで、やせた訳ではない。あの時、カロリー制限と運動もしていた。それも、視聴者に伝えるように 番組製作者に言ったが、そのことは、番組では、放送されず、納得 できなかった。」 と、 勝間さんて、正直な方なんですね。 まあ、 元 「 朝日ジャーナル 」 編集長の下村さんと、勝間さんの講義は、マスコミの裏話が聞けて、楽しかったですね。 しかし、原発問題では、福島県民としては、勝間さんの 経済からの視点には、同調できない。 チェルノブイリの原発事故などで、人間の健康に 被害をもたらすと、実証されているので、原発ゼロ を目指して、世界中の学者が、取り組んでほしい。 これからは、必然的に、太陽光発電の時代になると思う。家の屋根、外壁、 車の車体の外観、衣料でも、ソーラー帽子、ソーラーバッグ、ソーラー靴、あらゆる可能な所に、ソーラーシステム、パネルを取り付け、発電 蓄電され、一般家庭では、電気も 自給自足に なるかもしれない。 電力会社は、 企業など 大口需要の所だけ、大型ソーラーパネルで、商売するようになるかもしれない。
2013年10月20日
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雑草は、農家では、嫌われものである。だから、休耕地では、草が生えると、除草剤をまいている。 ということで、 私が、「雑草も 肥料にする」 と 言うと、母と 姉が、顔をしかめる。 だから、我が家の傍の 実家の畑は、姉と半分づつ 使っているが、その他の場所にある 実家の少しの畑は、姉が、手入れして、野菜を作っている。 私は、子供達の為、もう少し、作物をつくる畑が欲しいのだが、 母も、姉も 私が、草だらけにするから。と 言って、貸してくれない。 姉は、姉で、私とは違い、一般農家の当たり前の方法の野菜作りで、草むしりをして、害虫を退治している。 それぞれに、自分の方法で、野菜を作っている。 味は、どうなのか、 姉と、母は、「 どっちも 同じだ。」 と 言う。 しかし、私は、なんとなく 違うと 感じる。 味覚は、人それぞれ なのかもしれない。 実家にある ジャガイモ、タマネギ、カボチャなどは、姉の作ったものであり、 私は、私で、自家に 自分の作った野菜を、保管している。。 野菜の作り方については、姉も、私も、どちらも ゆずれない。 というか、母親は、私の方法は、理解できないのか、眉をひそめる。 かくして、わたしは、野菜作りに関して、異端児なのである。 だから、収穫した野菜を私が、運転して、母親と 一緒に行き、母親の知人に あげる時、我が家で、作ったものは、「私が、雑草肥料で、無農薬で作ったものです。」 と、いちいち、言う。 姉の作った野菜を 持っていった時は、何も 言わない。 そうすると、母親は、「そんなこと、わざわざ、言う必要ない。」 と、立腹するのだが、私としては、一応、母と、姉の 白眼に耐えながら、 農薬は 使いたくない、と、こだわって作っているのだから、ついつい、言ってしまう。 それにしても、土手の雑草など、刈り集めて、堆肥にすれば、最高の有機肥料となるし、 雑草の光合成で、二酸化炭素を 吸収して、酸素を 排出するので 地球温暖化防止に 役立つのに、 除草剤で、枯らしてしまうとは、 もったいない。 もったいない。
2013年10月19日
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兄のお嫁さんは、着物の着付けを 教えている。 この連休に、自分の母親や、我が家の母親が、年をとっているので、今まで、自分がしてきたことを、知って欲しいという、親孝行で、着物の展示会をした。会期中、姉のお弟子さんたちが、着物で、出迎えてくれました。 会場では、「 私流 きものの楽しみ方 」のいろいろな展示品があり、日頃、こんなに、和服に 接する機会もなかったので、日本人のルーツの和服の良さに、心がなごみました。 着物と 帯の 色、がらの 組み合わせ とか、着物と 半襟や、帯締めや、根付けの 飾りなどの組み合わせとか、 今まで、単なる和服として、無関心にみていたことが、いかに、美しく、きれいに 装うには、どうしたらよいか、スキのない心配りが、伝統的に なされていて、その奥深さに、圧倒されてしまいました。 かくして、還暦 過ぎて、またまた、新たなる、日本文化、伝統の奥深い良さを発見。 洋服のばかりの 日常生活なのですが、和服の 何とも言えない良さに、心 安らぎました。 ドライで、機能優先主義の わたしなのだけれど、和服に、安らぎを感じるなんて、やはり、日本人なんですねぇ。 と、そこで、NHK 朝ドラ、「ごちそうさん」 の めいこさんや、他の人々の 着物姿に、見入っております。着物、帯、半襟、髪のリボンなど、兄嫁の展示会以後、「ごちそうさん」 を、着物中心に 見入っております。 テレビ 「ごちそうさん」 は、まさしく、「 食 」 の幸せ感 大切さと 共に 日本の着物文化をも 視聴者に 届けているのです。 でも、 困ったことに、 めいこさんが、毎回、毎回、御馳走を、パクパク、美味しそうに食べるので、 ついつい、私も、 自分の作った、無農薬野菜で、我が家の、食事の度に、「あー、おいしい。こんな おいしい物を 食べれるなんて なんて 幸せなんだろう。」 と、言って、 最近、食べすぎて、カロリーの取り過ぎが、心配になっております。 でも、おいしいものは、おいしーい。 あー、しあわせ。
2013年10月18日
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昨日、火曜日の午後、北会津に借りている畑に 、来年に食べるキャベツの苗を植えに、行った時、車の中に、縦、10センチ、横、15センチで、厚さが、5ミリの 白いプラスチックの板に書いてある詩を、見つけた。その詩が、 自然を、めで、命を めで、 読んでいて、何とも言えず、心地よい、良い詩でした。 それで、「いい詩だねぇ。」 と、家人に、言ったら、「おまえに、くれるから。」 と、言うので、これを、もらってしまいました。 こんな素晴らしい詩を、いただけて、お父さん、ありがとうございます。大切に しまっておくからね。 でも、 お父さん、この詩は、お父さんから 私が もらった物だからね、そのうち、私に、無断で、勝手に 捨てないでよ。 最近、子供たちの、小さい時の本や、私の本など、勝手に、ヒモで縛って、処分品として、物置に入れているのだから。「 くわばら、くわばら 」 ( ちなみに 「くわばら」 とは、辞書、大辞林によれば、「 落雷、災難 いやな事などを避けるために 唱える まじないの言葉 」だそうです。)
2013年10月16日
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今日家人について、国際芸術村という、名前だけでも、ものすごい所に行ってきた。 国道49号線を、西へ、西へ、西へと、西会津へ。上野尻駅から、どんどん、山奥へ、遠い、遠い、本当に、こんな山奥に、国際芸術などというハイカラな所があるのだろうか?もしや、途中で、道を間違えたのでは、と、不安になったが、山の中の一本道、間違えようにも、間違えようがない。どんどん、走り続けるしかない。 やっと、大きな建物、学校らしきものが見えてきて、芸術村の標識もあり、ホッ、ホッ、ホッと安心しました。 鉄筋コンクリートの新郷小学校のそばに、廃校になった 昔の木造の校舎が残されていて、そこが、国際芸術村の活動の拠点のようでした。 なつかしい木造校舎。私の小学校、中学校の時は、こんな木造校舎で、毎日 過ごしていました。 今、公募展で、高校生の作品が、多数、展示してあります。 一般の受賞作品もあり、 楽しい時を、過ごしてきました。 帰りは、国道49号線を通らず、何故か、会津に、「富士山」 なる 名前の 山の周りの くねくねした道を、車のナビを 頼りに来ましたが、道幅が 細くて、対向車が来たら、どうしようと、思いましたが、地元の人も通らないのか、対向車も、幸い、来ず、後続車も ありませんでした。 家人の運転で、私は、助手席にいて、運転していないのに、いくら名前は、「富士山」 と いっても、こんな 心細い山道を、示す 車のナビに、腹が立ちました。 (なぜ、地元の人が通る、もっと広い道を、ナビできないのか、分からない。 それに、道幅が、対面交通できないくらい 狭くなったら、 運転する者は、 「これは、車で 行ける所ではない。」 と、判断して、普通なら、引き返すところでしょうが、「ナビを 信じる。」 と 言いきって、走り続ける 家人にも 納得できませんでした。) でも、道路は、アスファルト舗装されていて、 なんとか、高郷にでて、 探石をしてきました。 上の 3枚の写真は、同じ石を、角度を変えて、写したもの。 重さ、約8キロ。縦、横、約15センチ、25センチでした。
2013年10月14日
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ささぎの収穫。皮むきは、夜なべ仕事。はてーーー。、今、辞書で、「夜なべ」 を 調べたら、「夜なべ」 とは、「夜にする仕事」 ということで、 「夜なべ仕事」 という表現は、「夜にする仕事を 仕事して」 と いうことで、「馬から落ちて、落馬して」 という、同じ意味の表現の 繰り返しで、教養、知識のある人は、しなさそうであるし、 今も、学校で 習っているのか どうか、知らないが、昔 学校で 習った、音楽の教科書の 文部省唱歌でも、「かあさんが、夜なべーして、てぶくーろ 編んでくれたー。お父 ( おとう )は、土間 ( どま ) で、ワラ打ち仕事おまえーも、がんばれよー 」 と、あって、「夜なべ仕事」 とは、言っていない。 まあ、そんなこと、どうでもいいか? 今年は、アズキも、例年より、収穫があった。暇な時、皮むきをした。これから、選別して、ゴミを取らなければならない。 しばらく、「夜なべ」 は、続くが、まあ、これで、なんとか、我が家でも、 天と地の 恵みに感謝してそれなりに、私の労働で、自給が、できるだろう。 昼は、探石も あるし、最近の 伊南川。地元、水石会の長老のお誘いで、朝、4時 起床で、家人の運転で、車の中で、居眠りしながら、行きました。 90才近い長老、がんの手術 経験ありで、家では、階段登るのも、ヨタヨタで、体調が 悪い時は、医者に行って、点滴を 受けたりしているそうですが、河原に来ると、シャキっとして、元気ハツラツ、重い石を 背中に背負い、ヤブカだらけの急斜面の土手を、はい上がる。 医者より、石拾いのほうが、健康に良い、と、豪語して おられます。 あやかりたい。 ということで、私の収穫物。 2個の石 ではなく、1個です。重さ、約480グラム、横、10センチ、高さ、5センチ位、手のひらに のるサイズ。 ヌケがあります。ヌケ とは、何ぞや、抜けている 穴です。 右上方向、穴があいています。なかなかの名石。と、自己満足しております。 でも、これ以上の名石を、長老はじめ、家人が見つけているのです。
2013年10月10日
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今夜のテレビドラマの 会話。「夫婦って、何」 という問いに 「わけ、分からないもの」 と、 言っていた。 「わけ、分からない」 夫婦。 まさしく、そうなのかもしれない? いや、とにかく、そうなのである。 だから、 夫婦関係を、数学の公式や、定義のように、学問的に、割り切って、スッキリと定義できない。 離婚が、多いという 事態を考えると、 夫婦関係、家族関係も、世界情勢に負けず、劣らず、なかなか、難しいものである。 だが、 未来をになう、子供たちの幸せを、考えると、 子どもにとって、、世界中に たった一人しかいない、父親、母親は、仲良く、暮らすべきだ。なのであるが、 なかなか、そう できないものもある。 世の中、いろいろ、難しい。 まあ、落語の世界のように、夫婦の深刻な関係を、笑いで、ぶっ飛ばして、スッキリ、楽しく、人生謳歌して、長生きして いこうかな?なのである。
2013年10月01日
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