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今日から秋のゼミが始まりました。---------------------久恒ゼミの志 ~どんな人材を育てたいか~『現代の志塾』~産業社会の問題解決の最前線に立つ人材を育てる~久恒ゼミ=顧客満足ゼミ * 久恒ゼミの志=産業社会の問題解決の最前線に立つ人材を育てる実学ゼミ * この志を達成するため、企業・地域・社会の最前線の問題解決プロジェクトに挑戦する。 * 志=社会変革につながるものでなければならない * 問題解決の対象=産業社会を形成する企業・地域・行政など * 問題解決の視点=顧客満足(顧客だけが全体を見ている) * 問題解決の武器=図解思考(図で考える人は仕事ができる) * 最前線=現場(全ての問題は現場にあり、解決のヒントも現場にある) * 私塾=師匠と弟子としての不断のコミュニケーションの中から、互いに切磋琢磨する * 師匠(私)の志=(1)学生とともに成長する教育者。(2)社会とともに歩む研究者。(3)大学教授としての活発な社会貢献活動 * キーワード:鳥の目・考える力・自分の目と足・最前線*久恒ゼミとは?* 行政、ビジネス、教育などあらゆる分野でのコミュニケーションの手段は、文章と箇条書きが中心である。文章最大の特徴はごまかしができることである。また箇条書きはそれぞれの項目の大小、重なり、関係を示すことができない。「関係」を意識する図解コミュニケーション力を鍛えるもっとも大きなメリットは、「考える力」を身につけることができる点である。ゼミ生は実戦経験を重ね、卒業までに考えるための強力な武器を自分のものにすることができる。*現在久恒ゼミで行っているプロジェクト* ・多摩やきものプロジェクト ・東京ヴェルディプロジェクト ・オーラルヒストリープロジェクト*普段のゼミ* 先生からもらうマーケティングや図解に関する本を1章ずつ読み取り、それをパワーポイントで図解作成し、ゼミ生同士のグループで発表します。プロジェクトごとにフィールドワークを行うこともあります。そうすることにより図解コミュニケーション能力や対人コミュニケーション能力を鍛えることができます。またゼミ生は毎日の大学生活で勉強したことや、感じたこと、重要なことを個人のブログに綴っています。ゼミ生のブログは多摩大学のHPで確認できます。*ゼミ生の志* 久恒ゼミのゼミ生はみんな志を持っています!私の志は、エコ活動を通じて社会貢献することです。 私の志は、スポーツを通じて社会貢献することです。 私の志は、図解を通じて社会貢献することです。 私の志は、米軍基地問題を通じて社会貢献することです。 私の志は、ゼミを通じて社会貢献することです。私の志は、エコ活動を通じて社会貢献することです。 私の志は、スポーツを通じて社会貢献することです。 私の志は、図解を通じて社会貢献することです。 私の志は、米軍基地問題を通じて社会貢献することです。 私の志は、ゼミを通じて社会貢献することです。*活動実績 ・顧客満足視点に立ち、地域の課題解決の提言書を作成。 * 2008年度実績:旧多摩聖蹟記念館の来場者アップの提言を多摩市役所へ行う。 http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20090304 * 2009年度実績:以下に取り組みました。 ・長池公園(八王子市)開発プロジェクト ・多摩やきものプロジェクト ・東京ヴェルディプロジェクト*久恒ゼミメンバー* ただいま・・・4年生・・2人 3年生・・・21人 2年生・・・8人久恒先生について* <久恒先生の性格(ゼミ生談)>iPhon、iPad が大好きです。最新の商品やサービスを自身の生活に積極的に取り込んでいます。毎日ブログをつけたり人物記念館の旅を続けたり、いろんな趣味を持っています。 ゼミ中も基本は優しくていい先生。ゴルフと温泉とかが好きです! 多摩大のHPや、久恒先生自身の図解Webを作ったりしています。 多摩大学HP:http://www.tama.ac.jp/ 久恒啓一図解Web:http://www.hisatune.net/
2010/09/30
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「知研フォーラム」310号は、会長の八木哲郎さんが渾身の力を込めて編集した梅棹忠夫先生追悼特集号である。162ページのうち梅棹先生追悼特集は実に100ページに及んでいる。今後、多くの雑誌が追悼特集を組むと思うが、知研の追悼特集はその先駆けになったのでないだろうか。表紙には、知研のメンバーと談笑する笑顔の若い梅棹先生の姿と、知研の創設者の八木哲郎さんが楽しそうに笑っている写真が載っている。知研と梅棹先生との関係を象徴する印象深いシーンである。追悼特集の扉は、「梅棹忠夫先生を悼む。我々は知の巨人・梅棹忠夫先生を特別顧問に戴いたことに誇りを感じています。安らかにお休みください。NPO法人知的生産の技術研究会 弟子一同 2010年9月1日」である。「在りし日の梅棹先生を囲んで」というコーナーでは、梅棹先生との思い出の写真が載っている。1992年5月15日に国立民族学博物館を知研会員18名で訪問したときの記念写真が最初の写真だ。今はもう亡くなった会員、会から縁遠くなっていった人もいるが、懐かしい写真である。真ん中に梅棹先生、向かって左が八木さん、左が私という座り方になっているから、私は40才を超えたところで、会の中心メンバーになっている頃だ。広い円卓で先生に質問をした後、自ら館長をつとめる民博の「梅棹資料室」の中を案内してくださったことを思い出す。当時先生はウイルスで視神経をやられていたが、まだおぼろげながら字が読めていた。民博の館内は隅から隅まで体が覚えているということで、階段も使われた。1994年に大阪のホテルで行われた文化勲章受章祝賀会の様子もある。さて、知研でお世話になった先生方や会員の追悼の文章がこの特集のメインである。多摩大の望月照彦先生「梅棹忠夫先生の知の資産から、構想学を構想する」。紀田順一郎先生の「「知的生産の技術」刊行40周年に思う」。小中陽太郎先生の「日本のグーーテンベルグ」は、それぞれ読み応えがある。秋田英み子「梅棹先生、長い間のご指導・ご研究、本当にお疲れ様でした。どうか安らかにお眠り下さいませ!」。池中万吏江「大往生、梅棹先生」。岩瀬晴夫「梅棹忠夫先生に私淑」。大内勲「リベラリストの巨人梅棹忠夫先生」。小野恒「梅棹先生から影響を受けたこと」。数田伸雄「知的生産の技術-私の場合」。加藤仁一「梅棹忠夫と二度の出会い」。鎌田利幸「今も思い出す梅棹忠夫先生の優しい笑顔」。木下正博「梅棹忠夫先生の思い出」。高島宏臣下「梅棹先生の死を悼む」。高橋茂人「梅棹忠夫先生の手の温もり」。常富博史「「知的生産の技術」を読んで図解を試みる」。中村良二「「知的生産の技術」を読み返す」。久恒啓一「見た・会った・聴いた--生身の梅棹忠夫先生」。船山信次「梅棹忠夫先生とのいきさつ」。松本清「梅棹忠夫先生 ご指導に心から感謝いたします」。万代勉「知的生産の技術を小説指導に応用」。水谷哲也「知研関西と梅棹先生」。水谷弘隆「「モゴール族探検記」再読」。溝江玲子「知的生産の技術は創造するための道具」。村木多津男「知的生産の技術は誰もが身につけられる」。森本隆司「梅棹忠夫先生から学ぶフィールドワークの技術」。八木哲郎「梅棹忠夫先生と私」。梅棹先生の存在がいかに多くの人々に影響を与えたか、この一連の文章を読むとよくわかる。最後に「久恒啓一のブログから」というタイトルで、先生の最後の著書となった「梅棹忠夫 語る」(日経プレミアムシリーズ)を読んだ感想と抜き書きが載っている。-------------この号には、「最新中国事情」ということで、「北京・上海の旅--オリンピック後の北京・万博博覧会開催中の上海」という私の紀行文と、八木さんの「中原の地を訪ねる--天津、鄭州、南陽、洛陽、歴史を訪ねる旅」も掲載されている。また、ちょうどNHKの「ゲゲゲの女房」が好評だが、1982年10月30日にこの水木しげるさんを訪問した記録が「私の書斎活用術」として講談社の文庫の一部になっているが、それを掲載している。タイトルは「楽園を求めて怪奇漫画を描く現代の妖怪人間」だ。1982年ということは水木さんは58才で、そのころはもうおじいさんだったという印象があるから、テレビの主人公の若い役者の顔には違和感を私は感じている。「取材メモ」には「漫画家というより、民族学者、人類学者といった趣のある方だ」と印象を記している。----------------------本日の午後は、マイプリントという企業での研修講師。
2010/09/29
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会津地方振興局での二日目の講演。対象は会津周辺市町村の職員。テーマは昨日と同じ「合意学-説得型から納得型の政策形成へ」であるが、少しトーンを変えて話をする。私自身も昨日より調子がよかった。私の本の愛読者もいてサインを頼まれる。本日の参加者。会津坂下町政策財務部政策企画班。会津若松地方広域市町村圏整備組合総務課。湯川村総務課。会津若松市都市計画課、北会津公民館、企画政策部、地域づくり課。猪苗代町企画財務課、金山町住民課、地域振興課、総務課。喜多方市熱塩加納総合支所建設課。西会津町企画情報課。柳津町総務課企画財政班。奥会津五町活性化協議会奥会津振興センター。三島町総務課、産業建設課。宮下病院事務長。福島県立博物館総務課。会津地方振興局企画商工部長、副部長、主任主査、地域連携室主査、、。役職は、課長クラスとその部下あたりが多い。アンケートの感想から。 * 発想法としては数あるなか、これは万人に合うものと考える。 * 納得しました。共感! 図解=思考の整理学! * 本日の講演をもとに基本方針、職員香道指針を図に表し、職員へのさらなる周知に役立てたい * まさに「目からうろこ」でした。 * 今日の講義をきっかけに自らの手で深掘りしたいと思います。 * 今まで大学で学ぶことなどないと思っていましたが、先生のような教授がいらっしゃる大学の学生は学ぶことがとても多そうですね。 * 念願の先生にお会いできて最高です。先生のご指導をいただくにはどんな方法があるでしょうか。 * 勉強するな、とのこと。でも今回のセミナーは勉強になった。 * 箇条書きを疑え、というのが衝撃的でした。 * 全体的な視点を得るきっかけをいただきました。会津若松の鳥瞰図絵を宿で発見!f:id:k-hisatune:20100928085315j:image二日間、楽しく過ごした。-----------------------帰りの電車の中で日経新聞をあけたら、拙著「図解で身につく!ドラッカーの理論」(中経文庫)の大きな広告が目に入った。「8万部突破」とあった。アマゾンでもランキングがアップしている。http://www.amazon.co.jp/dp/4806137707
2010/09/28
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会津若松市の福島県会津地域振興局地域連携室で講演を行った。講演テーマは「合意学ー説得型から納得型の合意形成へ」。対象は県出先幹部職員等三十名。地域連携室は、縦の組織を超えて手を携えて地域の発展を図ろうという組織だ。地域振興局長、次長、企画商工部長、県税部長、県民環境部長、出納室長、会津保健福祉事務所副所長、会津農林事務所次長、会津若松建設事務所企画管理部長、会津総合病院事務局次長、会津教育事務所次長、、、、。会津大学、地方振興局市町村支援課長、会津保健福祉事務所地域支援課長、会津若松建設事務所企画調査課長、喜多方建設事務所企画調査課長、地域連携室主査、会津地域振興局県民環境部主査、副主査、技師、出納室主査、副主査、テクノアカデミー会津環境プロデュース学科教務、会津農林事務所総務部副部長、企画部地域農林企画課技師。こういうメンバーに二時間の講義。定性情報、図解思考、住民視点をキーワードにした話で、最後に定性情報の読み取りの実習をやってみた。宮城大学の卒業生の早坂君がいたのに驚いた。以下、いただいたアンケートから。 * 発想の転換が求められているように思うが、その取り組み方の方策も示されており具体的に試行してみようという気になった。 * 現在の公務員の作成している計画の意味のなさ、全体を見ないで作っている計画のダメな点がよく理解できた。 * 鳥瞰図ホームページ面白い。多摩大のホーームページを参考に私も所属のページを考えてみたい。 * 高清水町のアンケートの項目とまちづくりの図がリンクしている資料がとてもすばらしい。 * 今日から実行できることが多数あった。今日出席した偉い人達がすぐにでも実行してくれたら福島県はぐに変わると思います。夜は地域振興局の局長以下のメンバーと夜の街へ。色々な話題に花が咲いた。最後はラーメン屋。「会津学」vol5 聞き書きの現場から、という本を手に入れた。発行は会津学研究会。東北学の赤坂憲雄先生の「境界ー異界へと誘うマタ」、そして、聞き書きの現場からという特集もあり、充実している。多摩学の参考になる。宿泊した東山温泉の新瀧は、七月の会津大学での講義の時にも泊まった宿。竹久夢二が気にいって何度も訪れた宿だが、新選組の土方歳三が、傷を癒やした温泉にも浸かった。松平容保公の会津と新選組の多摩は深い縁が続いている。
2010/09/27
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「天璋院篤姫」の原作者・宮尾登美子(1926年生まれ)さんの展示会が狛江市で開かれていることを本日の朝日新聞で知って出かけた。小田急狛江駅の近くの泉の森会館で開かれていた展示は、狛江市の市制施行40周年記念事業の一つだ。宮尾さんは狛江市の多摩川沿いにスンで30年になる。最近、私は「錦」という小説を読んで、ファンにもなっている。初めて書いた歴史小説である1984年の発刊の「天璋院篤姫」の原稿。1983年に第17回吉川英治文学賞を受賞した「序の舞」。エランドール特別賞を受賞した1996年の「蔵」。1988年に第16回の女流文学賞を受賞した「寒椿」。第80回の直木賞受賞作「1げんの琴」。「仁淀側」の草稿。1973年に太宰治賞を受賞した「櫂」。原稿を見ると、ずいぶんとしっかりした力強い字を書く人だ。大きな字。万年筆でしっかりと文字を書く。自叙伝的四部作「櫂」「春燈」「朱夏」「仁淀川」は、主人公・綾子の生誕から26才までの物語である。綾子は芸鼓娼妓紹介業の父の不義の子である。そういった出生の秘密をあますところなく宮尾登美子は書いて吹っ切れた。宮尾作品は、自伝的作品四部作、琴、香道、歌舞伎、茶道、日本料理などの伝統芸や伝統美を対象とした作品群、「平家物語」などの歴史小説、架空の主人公を描いた作品に分類できる。ちょうど、抽選をやっていて引いたら思いがけず「平家物語」第二巻白虎の巻の初版の単行本ががあたった。この作品は、北海道の別荘にこもった5年間で3618枚の原稿用紙を埋めた作品である。宮尾は「無用のご来訪は固くお断りします」との葉書を播いていた。その作品である。縁があるということなので、読み始めることにしたい。 【中古】単行本(小説・エッセイ) 宮尾本 平家物語 二 白虎之巻【10P24sep10】その後、市役所の近くにある中央図書館の「宮尾登美子文庫」も見学。
2010/09/26
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教授会は、来年度からのカリキュラムの大改革の件を中心に話し合った。大学の教育理念「現代の志塾」、学部の教育理念「産業社会の問題解決の最前線に立つ人材を育てる」に沿っての改革なので、方向感が一致しているので議論の大きな混乱はない。全体像が見えてきたので、議論がやや技術的になってはいるが進んでいることは間違いない。ここ一ヶ月で整合性をとりながら全体の合意をとっていくことになる。秋の卒業式。12人が対象で少ないが、菅野先生の歯切れのよい司会できちんとした式典を挙行。諸橋学部長からは「今を大切に」というメッセージ。最後は学園歌を卒業生、参加教員で合唱。昼食懇親会では、何人かに就職のことを聞いた。
2010/09/25
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今日から、秋学期の授業「マネジメントデザイン2」の開始。最初のオリエンテーションなので、ゆったりと構える。まず、冒頭は「夏休み」はどういうふうに過ごしたかと聞いた後、私の夏休みを披露。主に7日間の「北京・上海の旅」をブログを見せながら説明した。地下鉄・大空港・鉄道駅。北京大・精華大。大書店。上海万博。魯迅・孫文・周恩来。毛沢東。釣魚台(国賓館)。そして、私の海外旅行の道しるべとしての「文明の生態史観」の詳しい解説。国内旅行は「人物記念館の旅」を5-6年実行していることを話した。龍馬、高知・長崎・下田。本物の条件、としての7つの条件の説明。本講義の目的は人生のロールモデルを見つけること。授業後のアンケートでは、上海万博など中国最新事情に興味があることがわかった。かなりの学生が反応していた。「心を磨きたい」「先人から学びたい」「文明の生態史観に興味」「人生の根っことなるものを見つけたい」「水木しげるの話は面白かった」「自分を高めていきたい」「ココロの授業」「実体験の話を聞きたい」「自分を見つめ直したい」「歴史に強くなりたい」「生き様」ドイツ、フランスに行きます」「先生の夏休みの話、面白かった」「上海万博に行きました」「図解=アタマ、人物=ココロ」「生き方のヒント」、、、。春学期の「図解」もさらに磨きたいという要望も多くあるので、この点は熟考したい。九段サテライトで、全学入試委員会。16時からは、大学運営委員会。学長のリードで大事ないくつかの案件の方針が決まる。
2010/09/24
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ここ数ヶ月間準備してきた「知的生産手帳」(東洋経済新報社)の見本を入手しました。知的生産の技術研究会の40年の研究を凝縮した手帳です。人生と仕事に関するセルフマネジメントの哲学、タイムマネジメントの心構えと技術、そしてそれらを実践するための考え抜かれたスクジュール表がコンパクトに収納されています。また、私が過去5年に亘って「人物記念館の旅」で得た偉人の名言・至言を載せています。そしてその日に生まれた偉人と業績を知ることもできます。(ちなみに私と同じ誕生日の偉人は「坂本龍馬」でした。) * あなたの人生を「視覚化」する人生計画手帳です。 * 手帳に書き込むだけで簡単にキャリアデザイン戦略が立てられます。 * できる人は図で考える! 知的生産のための「図解思考」の手帳です。 * 一生-年-月-週-日-一瞬」と人生計画がシステム化されますす。 * 特別附録 ダウンロードして使える「鳥の目スケジュール表」付き。CONTENTS * 1 豊かさとは何か---豊かさとは自由の拡大である * 2 人生計画のとらえ方-125歳までの生涯! * 3 人生鳥瞰図-----キャリアを中心としたライフデザイン * 4 ライフプラン----人生鳥瞰図をもとに、一生の計画に着手する * 5 年間計画表をつくる-年間計画を作成し「ライフコンシャス・ライフ」を * 6 個人を大切に----「時間主権」と2つの「5時-9時」 * 7 生活のとらえ方---「公・私・個」のトライアングル * 8 手帳--------タイムマネジメント&セルフマネジメント * 9 「キャリア年表」をつくる-自分自身を問いなおすために「キャリア年表」を作成しよう * 10「キャリアレコード」をつくる-そこにはどんな自分がいる?「キャリアレコード」で検証せよ * 11「キャリアメモ」をつくる-「キャリアメモ」は、現在の自分が認める過去の自分 2011年の計画 活動領域別やりたいことリスト 優先順位タスクリスト 月間プロジェクト 月間スケジュール デイリースケジュール 一生の計画 キャリア年表 キャリアレコード・メモ キャリア未来ビジョン 2011年の「計画と総括 人脈図 人生鳥瞰図
2010/09/23
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夕刻からは、飯田橋ホテル・メトロポリタンエドモント。まず、18時に知研の秋田さん、東洋経済新報社の編集者の清末さんと中村さんと会う。ここ数ヶ月しっかり準備してきた「知的生産手帳」(久恒啓一+NPO法人知的生産の技術研究会)の見本ができあがり、数冊いただく。「あなたの人生を視覚化する人生計画手帳です」「知的生産のための図解思考の手帳です」「一生-年-月-週-日-一瞬、と人生計画がシステム化されます」、、、、。300ページを超えるA5判の本格的なものに仕上がっている。9月29日発売。大マーケットである秋の手帳戦線に参入するが、他とは差別化された、特徴のはっきりした商品なので、独自の存在感をだすと思う。19時からは、「元祖・ザ・クラブ」の会合が赤坂離宮で行われた。もう20年ほど続いている仲間の会で、今回はパリ在住の今北さんも参加され、日本社会と欧州の文化や人々の変化についていろいろな知見を披露してもらい、それをさかなに話に花が咲いた。もともとは有名企業の広報・宣伝課長の集まりから発した会だ。サントリー、NTT、JR東日本、ソニー、ワコール、JAL、ニッポン放送などのビジネスマンと、小学館の社長、ワコールの社長、そして「和楽」などメディアの編集長、腕利きのカメラマン、また今北純一さんや波頭亮さんなどの論客、そしてテリー伊藤さんもメンバー。会が始まった頃、JRのおがたさん(副社長)から、ベリリンから電話が入った。そういえばシュワルツネガー知事が来日したときに、JR新幹線の試乗に同伴していたおがたさんをニュースでみかけたが、見ている人も多かった。私も仙台時代も少々の無理をしてもこの会には参加してきた。アラカン世代が中心なので、社長業や自営業の現役組、リタイヤで新しい人生に乗り出した人、など様々だが、それぞれの熟成した世の中の見方があり、会話はいつも楽しめる。今回は丸テーブルだったので今北さんを中心に参加者はバランスよく口を開く。私は最近の北京・上海の旅の印象を話題提供しておいた。帰りは表参道のスパイラル館長でワコールアートセンターの桂社長と一緒の方向だったので、話をしながら帰る。先日開催されていた「バサラ展」、塚本社長の京都の自宅でのパーティでの思い出、など楽しく語り合った。今度スパイラルに訪ねてみよう。
2010/09/22
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研修二日。順調にプログラムが進み、予定通りの成果があがったと思う。以下受講者アンケートから。 * 普段から自分なりに考えて仕事をしていると思いましたが、今回は頭を駆使したことでものすごい疲労感をおぼえたことからすると、まだ甘かったと実感せざるをえません。 * 説明は合理的、演習は具体的で有意義でした。 * 他の教育とちがって、やっている中で楽しみながらできる部分があり、役に立つ教育だ。 * 広い視野で日常業務を見直す機会になった * 今後の自分の業務に非常に役立つものと感じました。さて、2010年度キックオフにあたっての社長のメッセージを興味深く読んだ。09年度の売り上げは前年度対比マイナス150億円(25%減)の461億円。にもかかわらず全社一丸で取り組み、28億円であった当初営業利益目標を年度途中で21億円に修正。それが達成できる見通し。10年度は増収増益達成は非常に困難な局面。「しかし、今の経済環境にただ怯え、茫然と手をこまねいているわけにはいきません。我々には生活がかかっているのです。絶対に赤字にするわけにはいきません。、、、」という強いメッセージ。売り上げが25%減少という危機をどうやって乗り切ったのか。人事部長にインタビューをしてみたが、契約社員・パート従業員の1割雇い止め、一人月間二日の臨時休業(10%削減)、残業の75%削減、役員10%・部課長5%の賃金カットなど経費・固定費削減を中心にあらゆる手段を講じて乗り切ったということだった。この企業は社員4000人だが、正社員は3割で後は、契約社員、パート社員、嘱託という構成で、外部環境の変化に柔軟に対応できる労務体質になっている。業績の回復に伴って社員も戻って来つつあるそうだ。----------------河北新報の12日(日)に「図解で身につく!ドラッカーの理論」の書評。「ドラッカー関連本で、分かりやすさではピカイチの一冊」と紹介されているとの報告。
2010/09/21
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戸塚の自動車メーカの関連企業で「経営管理職研修」の講師をつとめる。平均年齢は48才。全員が課長から次長クラス。この研修は昨年に続き2回目だが、自動車産業の最前線で戦う管理職の仕事の内容や問題意識をつかめるので、私にとっても意義の深い時間である。一日の研修を終えて、感想と質問をアンケートに書いてもらった。以下は、明日の朝に答えるべき質問。 * 企画力を高めるために、誰でもできる日常生活の「ひけつ」があれば教えてください。 * 対社員、対協力会社で、コミュニケーションにおいて気をつける点があればアドバイス下さい。プロジェクト・メンバーという意味では特別に意識することは、これまでありませんでしたが、基本的なところで何か留意事項があればアドバイスくださ。 * スコープの室ノンは講義中にもありましたが、切り口によって図の内容も変わってくると思います。このあたりは自由で良いのでしょうか。 * 矢印の描き方を具体的に知りたい。 * どんな用途があるのか全貌を知りたい。 * 場面に応じた表現方法の事例やテクニックがあれば教えていただきたい。今後、プレゼン資料を作成することが山ほどありますので。 * 明日の課題である「自分の業務のUSP]の絵と、本日の課題の「自分の業務」の絵とどう関連させればより効果的でしょうか。 * 言葉で補足する前提で図を作成したが、説明のための用語や文章はどの程度記入するべきでしょうか。 * スタート段階で何から描き始めるのがよいのかのヒントがあればお願いします。QCT,人・物・金。 * 細かく見づらいより別紙にした方が良いのでは?と考えますがいかがでしょうか。 * 私の仕事は多くて描ききれなくなるが、どこまで描くべきでしょうか。 * キーワードとなる言葉の見つけ方のコツを教えてください。 * キーワードとなるものをもう一度教えて欲しい。 * 相手に応じてということだが、何を伝える(表現する)べきなのか。------------------今日の日経新聞に「図解で身につく!ドラッカーの理論」(中経の文庫)が載っていた。今週末には朝日にも。
2010/09/20
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「梅棹忠夫 語る」(聞き手 小山修三)という日経プレミアシリーズの新書を読んだら、私の名前が出てきて驚いた。「説明するのに図示というのは非常に大事なこと。絵で描いてわかるように示す。久恒啓一という人が図解法をやっているけど、図解法は何にでも使える。」この本には、梅棹忠夫先生の本音が随所に出てきたとても面白かった。 * わたしはある意味で不勉強でよかったのだと思う。あまり他人の書いたものを一所懸命、読んでいない。一応読んでいるけれど、それほど没入することがない。自分の死で歩いて、自分の目で見て、自分の頭で考える。これが大事や。 * 「フロンティア」というものは間違いなく興奮する。 * わたしのは文明論ですよ。世相論とちがう。世相時評論とちがう。、、だいたい時評をやるからおかしくなるんです。 * 要するに、わたしは自分で見たものしか信用しないし、他人の繰り返しはできないのや。 * 複文というのはわかりにくい。単文の連続で書かんと。 * 文章で一番大事なことは、わかるということ。自分もわからないくせに、そのわからない言葉を使う。それは、かざってるからや。 * 「分類するな、配列せよ」。機械的に配列や。それでいったらいいんや。大事なのは検索。 * 「思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、要するに本の引用、ひともまねということや「ないか」 * 学問とは、ひとの本を読んで引用することだと思っている人が多い。 * わたしの人生を決定してるのは、モチーフは遊びや、プレイや。 * 学問から思想は出てこない。思想から学問はあるな。 * なぜ自分のオリジナルの観察を大事にしないのか。 * わたしは若い人には、本質論をやれと言いたい。 * わたしは基本的にプレイボーイなんや。 * 一番ちがうところは、マルクスには「べき」がある。わたしには「べき」がない。 * だいたい漢字信仰は江戸時代や。江戸時代の日本のインテリは全部、中国かぶれ。 * 世界の四大文明というけれど、なぜそこに縄文をいれないのか。、、、どうして考古学者はああバカなんや? * 「供給してみい、そうしたら需要がでてくる」。 * 振り返るとわたしは、チャンスはわりに着実につかんでる。 * 決断ということはひじょうに大事や名。決断して実行する。わ * わたしは基本的に老荘の徒やから、ニヒリズムがある。 * 明るいペシミストや。 * いいリーダーの条件とは、フォロワーシップを経験し理解することやろな、 * フォロワーシップとは盲従ではない。自分の意志や判断は持つけれども、隊長にはしたがう。 * 隊長は「わしが、わしが」でなくて、押されてなるものや。この本には、著名な学者に対する辛辣な批評が載っている。これが実に愉快だ。 * 和辻(哲郎)さんという人は、大学者にはちがいない。ただ、「風土」はまちがいだらけの本だと思う。 * 和辻っていう人は、ほんまに大スカタン。どうしてあんなまちがいが起こったのか。 * 芥川龍之介の作品はおもしろいけれど、紀行文はまったくつまらん。 * (丸山真男さんが京大に講演に来られたとき、途中で席立って出てしまって、、)ああ。「こんなあほらしいもん、ただのマルクスの亜流やないか」って。、、おもしろい人やったね。でも、話はつまらん(笑)。あんなものは、理論的にただマルクスを日本に適用しただけのことで、何の独創もない。
2010/09/19
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まず、9時半から多摩大総研の運営の件で、松本先生と中庭先生と打ち合わせ。10時からは、多摩学研究会の第一回研究発表。 * 中庭先生の「多摩地区の水道都営一元化の意味--多摩地域の水道水はどこから来るのか?」。 o 40年かけて「成長型」水道事業を整備した「多摩水道一元化」 o 多摩地域の住民は利根川の水を飲み(開発費用を負担し)、多摩川に捨てている。 o 人口減少時代の水道経営は、統合的水資源管理が主流。 o 多摩を見ることは「人口減少時代の広域圏「核都市-後背地構造」でデザイン、マネジメントを考えることにつながる。Smart Shrinkの手法へ。 * 諸橋先生の「多摩地域における古代・中世の「独立」の気風」。古代から中世にかけての歴史を追うことで、多摩人の「独立」の気風の正体をさぐる。ここから見えてくる気風は以下の通りであるが、これらは多摩独自の風土に裏打ちされたものである。 o 個人(一族)の財産保持・拡張に対する偏執狂的努力=一所懸命 o 武力(騎馬での戦い)で権利を主張 o 権力者の資質に対する偏った評価(頭脳ではなく、血筋と腕力) o 集団行動の欠如、個別的英雄的行動いずれもかなり長い間の問題意識と地道な研究に基づくものだった。この研究会の豊かな果実が予想される。学長が、関西でのテレビ出演(「救国内閣」論)を終えて14時に戻ってくる。中国旅行の報告、多摩地域での産学連携の件、シンポジウムの件、大学院の件などを報告・協議。 * 14時半から。大学院の学位授与式。32才から54才までの修了生、14名。学長「人物の足跡を追っているが、必ず中年の危機がある。それを突破するのは、使命感や志の発見だ。また支えてくれる人間関係、ネットワークも大事だ。経営の大学院はプロジェクトマネジメントだ。経営も人生もPMだ。再び現場にでて、駒を進めよ」研究科長「仕事をしようとするなら偉くなれ」。田邊同窓会長「義理と人情と、恩返し」。以倉院生会長「仕事と家庭と学び」。大石修了生代表「一番の学び。大きな自信」 * 15時半から大学院入学式。25才から61才。22名。平均年齢39才。学長「仕事、家庭、学業。アジアダイナミズム。アジア中間層は2020年には20億人に(2010年は6.9億人。2000年2億人)、これに富裕層2.3億人を加えるとEU,アメリカ以上になる。スキルに加えて地政学的知を身につけよ。世界観、時代観がリーダーの資質。仕事とは人の心を動かす力だ。多摩大の学園歌は素晴らしい。空から広く見渡す、鳥の目と虫の目。多摩大ネットワークを使ってしたたかにかつたくましく」研究科長「経営のわかったミドルを育てる」田邊同窓会長「チャンスをいただいたと思って」戸木院生会長「還暦で入学した、前向きに一歩踏み出すことが大事だ」
2010/09/18
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今日は講演を二つこなした。午後は、東京丸の内の新丸ビルの21Cクラブで、ギリークラブ(渡辺幸裕代表)での講演。テーマは「図解で身につく!ドラッカーの理論」。ドラッカーとの縁、図解の理論、ドラッカー三部作、主なドラッカーの理論のおさらい、図解の応用、、。平日の午後なのだが、20数名の方が参加された。出版社、印刷会社、文具メーカー、編集者、コンサルタント、出版関係者、ラジオ関係者、など。先日行った早朝図解セミナーにも参加していた方もいた。21Cクラブでは、大阪の仲先生と偶然会う。宮城大時代の同僚で家族で付き合いがあったが、互いの家族の近況などを交換した。夕刻には、品川サテライトで多摩大学後援会主催のセミナーの講師。多摩大学学生の父兄会の40名ほどのメンバーが参加者。「多摩大の大いなる戦略」というテーマで1時間ほど話をした。「多摩大鳥瞰図絵」と「多摩大戦略図」を見ながら全体戦略の概要と進み具合を詳しく説明、そして「多摩大ホームページ」を見て貰いながら個々の説明を行った。終了後は、懇親会。企業経営者、食品企業、大手メーカー、県庁、自動車メーカー、税理士などの方と名刺交換しながらいろいろと話に花が咲く。お母さん達とも話をして質問にも答える。私のゼミ生の父兄も参加されていた。大学が進もうとしている方向を十分に理解してもらったという感触を得た。後援会とも連携していきたい。
2010/09/17
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「図解で身につく! ドラッカーの理論」(中経文庫)の売れ行きに関する報告があった。8月4日刊行で、現在6万5千部。中経の編集者から「浜松町のブックストア談で、先週ランキング2位になったそうです。http://www.bunkyodo.co.jp/danhp/hama/007-004.htm」という連絡。浜松町の「談」というのは確か、モノレールの昇降口にある大きな本屋だったかな。「もしドラ」を抜いて、総合ランキングで2位というのは元気がでる。明日は、午後に二つ講演があるが、一つ目は「ドラッカー」がテーマ。2010年 9月5日(日)~9月11日(土)No. 書誌名 著者名 出版社名 詳細はjbookで1 永遠の0 百田 尚樹 著 講談社 →2 図解で身につく!ドラッカーの理論 久恒 啓一 著 中経出版 →3 悪人 上 吉田 修一 著 朝日新聞出版 →4 もし高校野球の女子マネージャーがドラッカ 岩崎 夏海 著 ダイヤモンド社 →5 悪人 下 吉田 修一 著 朝日新聞出版 →6 沈底魚 曽根 圭介 著 講談社 →7 非正規レジスタンス 池袋ウエストゲー 8 石田 衣良 著 文藝春秋 →8 夜明けの街で 東野 圭吾 角川グループパ →9 伝える力 池上 彰 著 PHP研究所 →10 渋沢栄一 100の訓言 「日本資本主義の 渋澤 健 著 日本経済新聞出 →11 東京島 桐野 夏生 著 新潮社 →12 これからの「正義」の話をしよう いまを生 M.サンデル 著 早川書房 →13 狼と香辛料 15 太陽の金貨 上 支倉 凍砂 角川グループパ →14 逆説の日本史 13 近世展開編 井沢 元彦 著 小学館 →15 キリストの勝利 上 ローマ人の物語 38 塩野 七生 著 新潮社 →16 キリストの勝利 中 ローマ人の物語 39 塩野 七生 著 新潮社 →17 歴史からの発想 停滞と拘束からいかに脱す 堺屋 太一 著 日本経済新聞出 →18 キリストの勝利 下 ローマ人の物語 40 塩野 七生 著 新潮社 →19 アリアドネの弾丸 海堂 尊 著 宝島社 →図解で身につく!ドラッカーの理論20 7つの習慣 スティーブン・R・コ キング・ベアー → -------------------------------------------------------------------------
2010/09/16
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砧公園の一角にある世田谷美術館を先日訪れました。蘆花公園の世田谷文学館は常連になっているのですが、こちらは初めてです。予想以上に本格的な美術館でした。美術愛好家の女性達が多く、本格レストランもあり、素敵な場所です。http://www.setagayaartmuseum.or.jp/以下、世田谷美術館の解説から。 * 世田谷美術館は、四季折々の変化が美しい、緑豊かな砧公園の一角に位置します。恵まれた自然環境を存分に生かした建築デザイン(設計:内井昭蔵)は、レストランなどの施設も充分に備え、気持ち良いアートとの出会いの場を提供します。"芸術とは何か"という根源的なテーマのもと、幅広い視野の様々な展覧会や、プログラム、イベントを企画しています。 * 地域密着であると同時に、グローバルな活動を展開しています。 * 世田谷ゆかりの作家や、アンリ・ルソー、北大路魯山人など約1万点の作品を収蔵しています。 * 館内には、砧公園を一望できるレストランから、ライブラリーまで様々な施設が充実しています。スイス発-知られざるヨーロピアン・モダンの殿堂「ヴィンタトゥール・コレクション」。ヴィンタトゥールはスイスの工業都市で、近代美術の90点が日本初公開となった。ピカソらが主導したキュビズム(立体主義)に改めて興味が深まった。雰囲気の良いレストランで食事をしたが、味はいまいちだったのが残念。 * フランス(ロマンから印象派)。ドラクロア、ピサロ、クロード・モネ、シスレー、ルノワール「水浴の後」。 * フランス近代(印象派以後)。ゴッホ「郵便配達人」、ゴーギャン、ルドン、ロダン(69才)「グスタフ・マーラー」(49才) * ドイツ。アンカー、ホードラー「自画像」 * ナビ派から21世紀。マイヨール、ナビ、ボナール、ヴェイヤール、ヴラマンク、ユトリオロ * ヴァロルトンとスイスの具象絵画。ビルジョー、オーブルジョノワ、ヴァロットン * 20世紀の表現主義。ヤウレンスキー、カンデンスキー、クレー、ココシカ、スーフ「リルケの頭部」 * 20世紀、キュビズム(立体主義)から抽象へ。ピカソ、ブラック。 複数の視点からとらえ、周囲の空間とともに分解、再構成する。対象を単純な幾何学的形態に還元して描く。 遠近法、陰影法から絵画を解き放ち、独立した平面的な構成物としてとらえる思考を生んだ。そこから抽象表現が生まれていった。 ル・コルビュジェ(絵画から建築へ)は、キュビズムを推し進め、ピュリスム(純粋主義)へ。 ピカソ「二人の人物」。三次元を二次元へ。 * 素朴派からリアリスム。アンリ・ルソー「赤ん坊のお祝い!」、ルネ・マグリット、ジャコメッティ。
2010/09/15
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今年の正月に上京していた母に感化されて、短歌に挑戦しており、時々その気になって詠んでいる。思いついたまま推敲をせずにこのブログに「今日の一首」として載せているが、それが初めて活字になった。郷里中津の文化総合誌「邪馬台」の「邪馬台歌壇」に初めて私の短歌が載り、選者が評を書いてくれた。-------------応援の試験監督みずからは解けそうもない問題くばる 試験監督の応援に来て問題をみるとこれはむつかしい。自分も解けそうもない、そう思いながらくばる。心の動きが面白い。鬼気迫る静謐かもす受験生の鼓動の聴こゆ英語リスニング 英語リスニングの行われる直前の緊張感、「鬼気迫る静謐かもす」の静謐は靜かでおだやか、又かもすは時間的に長い、「鬼気迫る静寂のなか」とシンプルにした方が緊迫感が出る。偶然に電車に逢える先輩と暗号のごとき会話を交わす 「先輩と暗号のごとき会話を交わす」、サラリーマンならではの切りとり方、景気の動向、会社の危機などいろいろと想像される。写真屋の撮影終えたる一瞬のゆるみをとらうデジタルカメラ 緊張感のゆるんだ一瞬のデジカメの撮影。どの句も結句がよい。--------------なるほど。批評をもらうと、下手は下手なりに、また詠もうという気になってくる。
2010/09/14
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2009年7月に「梅棹忠夫著作目録(1934-2008)」が届いた。2008年6月の「梅棹忠夫先生の米寿を祝う会」の出席者に配布したものだ。先生の米寿を記念してつくられたものである。梅棹先生の現在までの全著作が網羅されているだけあって、総ページ603ページの堂々たる大著となっており、感動を覚えた。1979年の最初の著作目録に書いた「著作目録をつくる」(59歳)と、2008年12月に書いた今回の「著作目録の増補・改訂」(88歳)を興味深く読んだ。「著作目録をつくる」(59才) * 満50歳をむかえて著作目録づくりをおもいたったのは、この機会に、自分の過去をふりかえり、仕事の整理をしてみようという気になったからである。 * わたしは、ことしの6月には満59歳の誕生日をむかえる。この著作目録づくりは、けっきょく、まる9年がかりの仕事になってしまった。 * 著作集の刊行はいつ実現するかわからないけれど、そのための準備作業として、とりあえず、しっかりした著作目録をつくりあげておきたいとおもったのであった。 * 学界あるいは著作家の世界において、自分で自分の著作を管理するという習慣は、どうも確立していないようにおもわれる。 * 著作のことは、著者自身が記録し、管理するのがいちばんよい。 * わが生存のあかしともいえるものは、著作をおいてほかは何もないのである。 * 自分の著作をすべてそろえるという作業は、よほどこまめに、継続的にやらなければ、うまくゆかないものだ。 * 公表された刊行物で、それが自分の著作物であるといえるために基本的条件は、ふたつある。それは、権利と責任である。その著作の内容を、無断で転載されたり、盗用されたりしたとき、法律にうったえても著作権を主張できるか、ということ。もうひとつは、その著作の内容について、ほかからの発言があった場合、それに応答する用意があるか、ということである。 * 自分の著作の全内容を掌握することがこれほどむつかしいとは、まったく予想もしていなかったことである。「著作目録の増補・改訂」(88才) * 著作目録をつくるには、かなりわかいときから、そのつもりで材料をととのえておかなければならないのだ。 * 1986年の春、わたしは突然に両眼の視力をうしなってしまったのである。 * 著作集ものこさずに世をさらねばならないのかとおもうと、ざんねんでならなかった。 * 原稿は筆記者の協力を得て、口述ワープロうちでつくり、3年ほどのあいだに編著や対談集をふくめて40冊ほどの単行本を世に送り出した。 * 1989年春からは、いよいよ著作集の編集に本格的にとりくんだ。、、、1993年に22巻目を、94年には別巻の「年譜・総索引」をだすことができた。 * 著作集の完成によって、わたしはこの世になにものこさずに空に消えてゆくことからまぬがれた。 * 米寿記念シンポジウムの計画をきかされたとき、これを機会に、わたしは「著作目録」をつくりなおそうと決心した。この目録では、「知的生産の技術」は下記のように整理されている。----------1969072102「知的生産の技術」1.(著)梅棹忠夫 2.「岩波書店」722 3.1969.7.21 4.岩波書店 5.新書版 218P 6.著作集11収録--、抜粋--、教科書に抜粋--、転載--------「現物をそろえる」「カードをつくる」「「著作」とは何か」「さまざまな「かかわりかた」「記載の形式」「「記載事項」「原典主義とその問題点」「奥づけと書誌的事項「著作物の単位」「著作物の異同と照合」などの項目を読むと、この「著作目録」をつくるには、作業の繁雑さ、考え方の緻密な整理、そして膨大な労力を要することがよくわかる。この著作目録は、不世出の「知の巨人」自身による人生の総括にほかならない。これこそ大いなる知的生産である。今後多くの研究者が踏み入れるであろう梅棹忠夫研究には欠かせない書物である。梅棹忠夫先生は、ここでも独創的な方法の開発と目的の達成に成功しており、後進のモデルになった。「梅棹忠夫著作目録(1934-2008)」は、日本の知的分野の金字塔である。2010年7月3日に先生が逝去されたことを知り、知研として心を込めて弔電を以下の通り打った。「梅棹忠夫先生の突然の訃報に接し、「巨星墜つ」の感を深くしております。 NPO法人知的生産の技術研究会一同、深い悲しみにくれております。 1970年の知研創立以来、40年にわたる長いご恩に深く深く感謝しております。 先生のご遺志を継ぎ、新しい時代の「知的生産の技術」の確立に邁進していく決意を新たにしております。 先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 NPO法人知的生産の技術研究会 会長八木哲郎 理事長久恒啓一 知研会員一同 著書を読み込むだけでなく、実際に梅棹先生に会っていることは私自身にとってとてつもない幸運となった。雰囲気、語り口、表情、警句、示唆などによって、大きく、深く、影響を受けたが、その影響は生涯に亘って長く続くことになるだろう。
2010/09/13
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映画を二本観た。南大沢(八王子)の東宝シネマでスタジオ・ジブリの「借りぐらしのアリエッティ」。小人の世界。小人の視点から見た人間の世界と自然の細やかな世界は面白いが、物語自体には山もないし、やや説教調が感じられて、ジブリとしては成功した作品とは言えない。初めて監督を手がけた若いアニメーターの監督であるから、宮崎駿監督の作品とはやはり違う。原作は1950年代のイギリスであったが、2010年の日本の小金井かいわいが場所となった。車のナンバーが多摩らしき文字になっていた。寡黙で生活の技術を備えた父、人の良い主婦業の母、そして冒険心に富む娘、ここには小人の世界には古典的な家族の姿が残っている。アニメで描かれる自然はきれいで音楽もいい。ジス・イズ・アニメーション 借りぐらしのアリエッティ * 作者: スタジオジブリ * 出版社/メーカー: 小学館 * 発売日: 2010/07/20 * メディア: ムック * クリック: 42回 * この商品を含むブログ (23件) を見る橋本(相模原)のMOVIXで「トイレット」。2006年の「かもめ食堂」、2007年の「めがね」が大ヒットした荻上直子監督(1972年生まれ)の最新作。「突然、ばーちゃんとの奇妙な生活が始まった。バラバラで生きてきた3兄弟と日本人のばーちゃんが織り成す、家族の物語。」舞台は外国・カナダだが、内容は明らかに日本的な作品。「人生は退屈の繰り返しに耐え忍ぶことだ」と思うロボット型プラモデルオタク青年レイ、ピアノが弾けなくなったピアニストの兄・モーリー、ちょっと勝ち気な大学生の妹・リサと、英語がしゃべれないばーちゃんの生活。日本のウオシュレット賛美の台詞や実物、そして3000ドルという値段までが観客に届く。やはりメインスポンサーはTOTOだったが、これもご愛敬。こちらはユーモアとしんみりが同居した作品で、この監督にはファンが多い。映画「トイレット」オリジナルサウンドトラック * アーティスト: サントラ * 出版社/メーカー: ポニーキャニオン * 発売日: 2010/08/18 * メディア: CD * クリック: 2回 * この商品を含むブログ (2件) を見るどちらも「家族愛」がテーマだ。
2010/09/12
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知の巨人・梅棹忠夫先生が亡くなられた。創立以来顧問をお願いしてきたNPO法人知的生産の技術研究会では、機関誌「知研フォーラム」の次号で「梅棹先生追悼特集」を組むことにしている。私は「見た、会った、聴いた--生身の梅棹忠夫先生」というタイトルで追悼の文章を書いた。以下、私が書いた原稿の一部を掲載する。-------------------------------知研活動を30年ほどやってきたことによって、私自身は「知的生産の技術」のご本尊の梅棹忠夫先生の謦咳に接するという幸運に恵まれた。以下、梅棹先生が肉声で語ったことを中心に記すことにしたい。知研に入会した1980年から何回か、国立民族学博物館に知研のメンバーとして訪問をしている。この中で印象深い発言をあげてみる。「先生は歴史上の人物では誰に近いですか」という質問に対して、「本阿弥光悦」を挙げられた。書道、絵、茶道、陶芸、漆芸などの広汎な諸芸術家の采配者、美のプロデューサーとしての光悦に近いということは、今になってみると民博の創設者という知のプロデューサーとして自分の役割を意識していたのだろう。「レオナルド・ダ・ヴィンチに近い」ともおっしゃって驚いたことも思い出す。「学問一筋という言葉は私にはまったく似合わない」ともおっしゃった。万能の天才・ダ・ヴィンチと同様に、十いくつもの筋を追いかけているというメッセージだったのだろう。1990年代の初頭であろうか。私が「図解の技術」(日本実業出版社)という最初の本を書いた後、民博の館長室で、「図解について、先生はどう評価されますか?」と質問したことがある。先生は、「学問とは何か。学問とはモデル形成のことである。モデルというのはすべてではないがかなりの部分をそのモデルで説明できるものをいう。モデルとは実は図のことです。だから、いい図ができたということはいい理論ができたということです。私自身は図解については書いてはいないけれども、重要なものだとずっと考えてきた。」、そして「頑張って下さい」と激励を受け感激した。そして、「学者の論文は文章でできていますから、論理が混乱しているものがかなりあります。つじつまがあっていないのです」と追い打ちをかけられた。「先生の文章には引用がないですね。」という質問には、「私はいつもオリジナルを言おうとしています。本はよく読みますが、人が言っていることを引用するためではなく、人が言っていないことをさがすために本を読んでいます。」という答えにも驚いた。1996年10月18日。知研顧問でもある野田一夫先生からの強い推薦もあって、ビジネスマンの世界を飛び出し、宮城大学に奉職することになった。文部省の教員資格審査で通った後、野田先生から「梅棹さんは天才だよ」、「知的生産の技術が大学のカリキュラムに入ったことを梅棹さんに報告せよ」との命を受けた。 早速、大阪に出向き報告をし、一時間ほどゆっくりとほど話ができた。先生は「知的生産の技術」という科目が大学に入ったことを喜んでおられた。どういう授業をしたらいいのか、いくつかヒントをいただいた。インターネットが登場した頃でもあり、目が不自由なのでわからないだろうと思ったが「インターネットはカードの時代です。私の予言通り。世界にものすごい量のカードがあり、それらがリンクする時代になった。私は目が見えないがようわかります」とおっしゃった。2003年に梅棹忠夫先生の文化功労者受賞を祝う会が大阪のホテルで開かれた。知研の八木哲郎代表以下のメンバーと一緒に出席したが、財界人も含め著名人がきら星の如くいた。KJ法の川喜田二郎が梅棹先生が通るとき目の見えない梅棹先生に聞こえるように大きな声でエールを送っているのを目撃した。また、黒っぽい洋服に白髪、そして黒縁の大きな眼鏡といういでたちの司馬遼太郎を見かけた。 梅棹先生の挨拶は「みんなありがとう」という簡単なものだった。2000年代の前半に民博を一人で訪問した。2002年に「図で考える人は仕事ができる」(日本経済新聞社)を出版し話題になったのが契機となって、私の生活は講演、執筆依頼の殺到などで一変したが、この後一人で訪問しじっくりと時間をとっていただき懇談する機会を得た。宮城大での講義の報告と学生たちの反応、「図で考える人は仕事ができる」の反響、行政、企業等での研修の様子の報告などを実に面白そうに聴いていただいた。また、毎年10冊近く立て続けに本を出していた私に「よう、本を出しますなあ、、、、、」と少し口惜しそうな顔でいってくださったのも印象に残っている。帰り際に、「また来て下さい。」との暖かい言葉をかけてもらった。また、社団法人日本ローマ字会での講演の引き出し役を仰せつかったことがある。1885年(明治18年)に外山正一らが羅馬字会を組織したことが始まりで創立会では会員数は6876人だった。その後、1921年(大正10年)に日本式ローマ字の実行団体として日本ローマ字会が設立され、田中館愛橘博士が会長となった。1926年(大正15年)社団法人日本ローマ字会となり、1993年に梅棹忠夫先生が会長に就任している。当時は梅棹先生は名誉会長だった。先生は資料を読めないので、誘い水を向ける相手が必要であり私がその役を仰せつかった。その時はアメリカによるイラク攻撃のさなかだったので「文明の生態史観」からみての感想を求めると、「ヨーロッパの子供のアメリカがヨーロッパ文明の本家である文明発生の地・バクダッドを爆撃している。これは日本が中国の北京を爆撃しているようなものです。そういうことが許されますか。」と強い口調でおっしゃったのを印象深く聞いた。話が日本の企業経営に及んだ時には、「ゲゼルシャフトとゲマインシャフト。日本はゲゼルシャフトです。養子制度は日本の家が血縁というより法人だった証拠です。だから明治になって会社というものをすんなり理解できたのです」と学校時代に習ったこととは正反対の説明に目からうろこが落ちる思いがした。2007年11月。ローマ字日本語運動に関する講演が東京であった時に終了後少し雑談をする機会があった。以下梅棹先生の講演の要約を記す。「本文明に興味と関心を持つ外国人は多い。日本について外国語で書かれた本は少ないため、日本語自体を学びたい外国人は多いのだが、漢字の壁がある。日本語は話せるようにはなるのだが、日本語の本を読み、かつ書ける人は非常に少ない。アジア・太平洋州などでは日本語はとても人気があるのだが、壁に阻まれている。このままでは日本文明の未来は暗い。日本で起こっていることや日本人の暮らし方、考えていることなどを世界に知らしめる必要がある。そのためには第二日本語が必要である。それがローマ字式日本語である。これなら外国人でも読み書きができる。幸い、日本におけるワープロはローマ字変換が主流であるから、漢字かな交じりに変換をしなければ、すぐにでも実現可能であり、環境もいい。」こういう主張だった。外国人向けの第二日本語をつくれという考え方だ。大阪での2008年6月の米寿を祝う会に出席した。シンポジウム会場で梅棹節は快調だった。「カミソリ梅棹と呼ばれるのは心外だ。大だんびらを振り回しバサッとやるのが私流」「フィールドでは見たもの、聞いたものを何でもかんでも書き留めた。レオナルド・ダ・ヴィンチの発見の手帳をまねした」「だいたい予言は当たっているでしょう。だいたい間違いはない」「いつまでも漢字を使っていては日本文明は大変。はやくローマ字にしなければ」「自己評価をすると、骨組みをしっかりしているが、美学的ではない。非常によくわかる文章を書くが美しくはない」。 このとき、東京から駆けつけた知研の仲間、関西知研の仲間たちと一緒にご挨拶をした。2008年4月に宮城大から多摩大へ移ったことを報告したのだが、秘書の三原さんから、連絡を取ろうとして宮城大に連絡したが行方がわからなかったと言われた。先生から何か伝言があったのだろうか。(続く)
2010/09/11
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* 学部運営委員会。カリキュラム改革が進んできており10月には全体ができあがる予定。 * 中経出版の女性編集者来訪。「図解で読み解く!ドラッカーの理論」が好調という報告。毎週のように増刷が続いていて、すでに6万5千部ほどになっているとのこと。文庫と単行本の次の企画の相談をする。それぞれ2本づつの案を提案する。 * 知研の八木会長。「知研フォーラム」の梅棹忠夫先生追悼特集の編集の相談。その後、近所の蕎麦屋で昼食をご一緒する。 * 八王子の東京富士美術館。多摩フィルの演奏会を樋口先生、諸橋先生と聴く。指揮者にもご挨拶。その後、3人で「ポーランドの至宝」展を観る。レンブラントやポーランドの画家の風景画や人物画の作品を堪能する。そしてテラス席で雑談。素晴らしい美術館だったので驚いた。 * 19時から21時まで「はちおうじ志民塾」。八王子のエイビットスクエアで今年度の初回が行われ、講師を務めた。この「地域コーディネーター養成講座」は昨年度に引き続き二回目。受講生7名と八王子市役所の数人が受講。司会は長池公園自然館の富永館長。最終回も講義をする予定。富永さんの車に乗せて貰って久しぶりに話をしながら帰宅。
2010/09/10
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33歳からの勉強のルール42才のサラリーマン・水谷弘隆さんが、「10年前の僕」たちに贈った渾身のメッセージ集である。その10年前の僕」は、次のように表現されている。「数年前に結婚し、子供も生まれた。最近マンションを購入し少なくない住宅ローンも抱えている。勉強の必要性は感じつつも、仕事と家庭の忙しさんいかまけて最近は何もしていない。でも、いったい何から手をつければいいんおだろうか。勉強時間はどうする。そもそも33歳になった今から勉強を始めても間に合うものなのだろうか。意味はあるのか。」 * 大勢の中から一歩抜け出すことは難しくない。勉強する、というのがその答えである。 * 世の中でオンリーワンになるのは大変だが、自分の周囲で圧倒的な差別化をすることは決して難しくない。人がやっていないことをやればいいのだ。この本の最初の方に書いてある言葉だ。迷っていないで「勉強する」という答えを実行するのみであるという単純明快なメッセージである。著者は30代の最初の方までの仕事ぶりからみるとどこにでもいそうな普通のサラリーマンであった。北大を出て、旭化成に入社。10年ほど前から勉強を始め、36歳で中小企業診断士、38歳でMBA、40歳で外資系企業に転職したというキャリアは、華やかな天才型のスター達のいう内容より、強い説得力がある。この本の魅力は目覚めた30代がどのような考えを持って、どのような生活ぶりで、自分の道を歩み始めたのかが詳細にわかることだ。随所に出てくるキーワードやアイデアは、いろいろな本にも書かれていることもあるのだが、著者自身が実際に実行しているからリアリティが感じられる。「100のルール」の中に「師匠(メンター)を見出す」という項目がある。ここで私が紹介されている。「「図解教の教祖」久恒啓一先生(多摩大学教授、NPO法人知的生産の技術研究会=知研理事長)を、僕は勝手に師と仰ぐことに決めた。これからの僕の50才に向けてのキャリア開発や生き方について、目標や指針となる何かを盗みたいと思っている。久恒先生の著作で図解術の考え方に感銘を受けたのが最初だったが、その後、不思議な縁で知遇を得ることができた。約20年の大企業勤務、20代の頃の停滞感と30代での目覚め、イギリス駐在経験、40歳での著書出版、細かいことでは千葉県に居を構えて長い通勤時間を有効活用したことなど、僕のキャリアは偶然ながら久恒先生のあとを追っている感があり、素直に真似してみたいと思ったのだ。」私自身も自分を信じて藪をこぎながら急坂を息せききって登ってきたが、いつの間にか師匠(メンター)とされる年齢になったということだが、若い人たちに勇気と活力を与えているということなら嬉しいことだ。「40才以前に本を出してはいけない」、ということを知研で呼んだ講師の先生から言われたことがあった。中身が未熟なままで書いた本は壊滅的な打撃を自分に与えるというのがその理由だった。私は40歳で単著を出して人生が大きく変わっていくのだが、この水谷さんは42歳という時点で書いていることもあり、一貫した調子で書き続ける力が備わっているから、この教えも腑に落ちる気もする。「泥臭く、格好悪く、粘り強く」とオビにあることに深く共感する。ぜひ30代の人たちに読んで欲しい本である。
2010/09/09
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東京・浜松町の劇団四季専用劇場「秋」で「サウンドオブ・ミュージク」を家族四人で観た。日本演劇文化の一大拠点としての[春][秋]の2劇場があり、[春]は海外大型ミュージカルのロングランを、[秋]は四季オリジナルミュージカルからストレートプレイ、海外名作ミュージカルなど様々を上演。客席数は907席。企画・制作・日本語演出はこの劇団のオーナーである浅利慶太で、一番有名な「ドレミの歌」の訳詞はペギー葉山。このミュージカルは誰がベストテンを選んでも必ず入るだろうという傑作であり、映画や海外でのミュージカルも観ているが、今回は日本語の舞台だったので、内容をより理解できた。演出も、音楽もいいし、感動的な場面がいくつもあった。この物語は、第二次大戦直前のオーストリアのザルツブルグ郊外が舞台。オーストリアはチス・ドイツに併合され、第三帝国が成立する。愛する子供達とマリアの幸せのために、トラップ大佐はオーストリア脱出を決断する。これがこのミュージカルの背景である。このミュージカルの原作は後にマリア自身が書いた「トラップ家族合唱団の話」である。実際にはトラップ大佐はオーストリア・ファシズムの体制の支持者であり、イタリアのムッソリーニとの同盟によってナチス・ドイツに対抗してオーストリアの自立をまもろうとしたが、ヒットラーとムッソリーニの接近で足場を失い、ドイツとの統合に追い詰められる。要するにファシズム勢力間の主導権争いだった。熱狂的ヒットラー支持集会、国民投票でほぼ満票でのナチス・ドイツへの併合、ユダヤ人の抹殺への主体的関与など、オーストラリアはナチスの犠牲者ではないが、このミュージカルはそういった過去を葬るために利用されたという見方がある。ともあれ、歌と踊りのミュージカルとしては、一級品であることは間違いがない。この日も堪能した。
2010/09/08
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千葉県幕張の市町村アカデミー(市町村職員中央研修所)で講義。今回は「専門実務研修課程」で、テーマは「政策企画」である。受講生は全国市町村の政策企画担当者。この課程は約一週間の泊まり込み合宿スタイル。全国の自治体の政策企画を担当する中堅公務員たちは下記の外部講師達の講義を受講しているが、こういうテーマを学ぶことが求められているのだろう。 * 政策形成から行政評価まで:星野芳昭(経営改革プロデュサー:JAMAC構造改革推進セクター事業責任者) * 情報収集・調査のポイント:宮内泰介(北海道大学大学院文学研究科教授) * 地方分権改革とこれからの自治体行政:金井利之(東京大学大学院法学政治学研究科教授) * 人口構造の変化と自治体製作:松谷明彦(政策研究大学院大学教授) * これからの日本経済:伊藤元重(東京大学大学院経済学研究科教授・総合研究開発機構理事長) * 自治体の財政分析と政策企画:大塚成男(千葉大学法経学部教授) * 住民協働による政策形成:卯月盛夫(早稲田大学社会科学総合学術院教授) * 図解表現の技法:久恒啓一(多摩大学経営情報学部教授)今回は、北は北海道(4名)から南は沖縄(1名)まで48名が受講。30代が中心。所属部署は、総務企画、財政、教育委員会、企画振興部、企画政策課、福祉健康部、企画政策課、市長政策室、経営企画部、未来創造課、議会事務局、建築課、環境局、分権政策部、債権管理局、市民部、建設農政課、住民生活課、商工振興課、、、、。私は他の人とは違った行政論を毎回ぶっているのだが、今回も熱心に聞いてもらうなど反応は良かったように思う。
2010/09/07
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九段サテライトで行っているメディア向けの「多摩大教授陣 現代の志塾講座」の2回目は、金美徳教授に「北東アジアを知ることとは」というタイトルで講義をお願いした。テレビ局、新聞社、銀行などの受講者。内容は日本・中国・韓国・モンゴル・北朝鮮・ロシアの六ヶ国で構成される北東アジア全般の話だったが、ここでは主に韓国企業についての内容を記す。 * 産業構造が偏っている。韓国の4大財閥のシェアは38%。 * 海外貿易に活路。貿易はGDPの83%(日本は22%)。 * FTAに熱心。インドとのFTAは2010年から発効。アメリカ、EU。中国とも進んでいる。 * 2001年から迷いなくBRICSに出て行った。特にCHINDIA(中国とインド)。それが実ってきた。 * 徹底した現地化。冷蔵庫の鍵。ターバンをまいた人用に車高を高く。クラクションをあちこちにつけた車。真っ赤な冷蔵庫、、、。 * 技術の日本、コストの中国、デザインの韓国。 * 世界の全空港にサムソンなどの巨大広告。 * ロシアのプーチンから見えるところにサムスンの広告。 * ヒュンダイは失業したら返品できるという仕組みで販売を伸ばしている。 * 日本とは3兆円の赤字。 * 弱み。部品素材の対日依存。主力産業である電子・半導体・自動車の部品素材分野での対日依存度が高く、第三国へ、の完成輸出が増えるほど対日貿易が拡大するという貿易構造にある。部品素材と装置産業の育成に力を入れている。 * ネットワークの時代。ユダヤ、インド、コリアン、モンゴル、和喬、、 * 韓国を通じた中国とアジアの理解 * 世界をフラットにみる能力 * 歴史問題への見識。現代史が抜けている。 * 北朝鮮に関してはどうなっているかという正しい情報をまずつむことが大切。解決より管理。 * 上海協力機構を要ウオッチ * どのような枠組みができようとも、日中韓が大事。特に日韓の連携が大事。日本のリーダーシップに期待が高い。その後、ホテルグランドパレスで、勤めていた企業の後輩の役員と面談。アドバイスとアイデアを出しておいた。それから立川へ。
2010/09/06
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朝7時40分、北京に到着。天安門広場の毛主席記念堂を見物。部屋に入ると献花台の後方に、花に囲まれた白い座像が我々を迎える。ほほえみを浮かべた在りし日の毛沢東だ。背後の絵は中国の山々の雲。次の間に移ると毛沢東の死に姿が、水の堀と花に囲まれている。「永垂不朽」という文字があった。この間ほんの5分。晩年は文化大革命で大きな損害を与えたが、依然として国民の人気は高い。「毛沢東明言故事」という本を購入。毛は哲学者であり名言が多い。「健康第一、学問第二」というのがあった。漢文なので時間をかけて読んでいきたい。それからZengyangmenという門を見学する。紫禁城の守りの門だ。国賓館として知られている釣魚台の昼食会に招待される。招待者は中国絵画の巨匠で海の絵を描く天才・周智彗先生。15人ほどの賑やかな会。私は周先生の隣に座らせられてしまった。酒の強い賑やかな人物だ、。大統領、首相クラスの接待に使うだけあって、最高級の施設である。雄大な庭園を歩くと北京の喧噪を忘れる。レストラン内部は、広々とした大空間を贅沢に使っているし、美人でスタイルの良いホステス、また廊下のいたるところに飾ってある絵画、壺、書などは一級品である。一方の主催者側は大富豪らしく大人である。蔡君は周先生と親しい。政府の教育委員会の幹部とも親しくなった。中南海は国家指導者の事務所があり、釣魚台は迎賓館でホテルやレストランを備えている。周先生は中国が各国に贈る絵も担当しており、今は温首相から頼まれた絵も制作途中だそうだ。食事は西洋料理で、世界の名品をそろえているが、ジュースの中に故郷大分の「つぶつぶ かぼす・日田の梨」のジュースがあり私はそれを飲んだ。また牛は和牛の最高品だった。ふかひれスープ、白酒もうまい。この国では上流階級はつなっがていてめったなことでは中に入れない。個人的な友人関係が極めて重要である。国も、個人もネットワークという視点が重要になった。終わって、建物の中を案内して貰った。大きな立派な宴会場は、北朝鮮問題の六ヶ国協議で使う外交の舞台だった。ここでは胡錦濤主席が各国の大統領を18人招いてパーティを行うなど、そういう場所である。窓の外の景色も素晴らしい。釣魚台を出て周先生滞在のホテルに向かう。最上階のすぐ下の部屋に招かれる。こkでも仕事をしている。素晴らしいホテルだと思ったら、6つ星ホテルというランクで、世界でも10指に入るホテルとのことである。北京国際空港から羽田へ。機内にはテレビでよくみかける外交評論家がいた。到着自宅に戻ったのは深夜24時をまわっていた。大中華・ネットワーク力・日中友好開拓人物史・留学生・吉林大シンポ・電子出版、、、、。感じること、考えさせられることの多い旅となった。
2010/09/05
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3日のテレビで中国人民抗日戦勝利記念日という番組をやっていた。抗日記念館での行事であったが、胡主席、習副主席も参加。万博へのタクシーの運転手は、自分の車を持っており、万博期間中は休みを取らずに一日16時間働いている。一ヶ月で日本円で12万の利益。現在250へーべの300万元のマンションを所有。2ヶ月前に子供が生まれたから頑張っている。30歳過ぎ。必死だ。日本のものは品質がいいけれども、価格が高い。申請手続きに時間がかかるなど意思決定に時間がかかる。行動に遅れが出ている。中国や韓国は頑張っている。中国は日本の技術を取り入れて改良して輸出。これを技術の進化と呼んでいる。最近、アメリカは200人の官僚を中国に派遣し勉強させた。日本でも岡田外相が官僚を200人連れて中国に来たが、日本のマスコミには出ていない。上海の魯迅公園。この旅行中に見かけなかった老人がたくさんいた。カラオケ、太極拳、音楽、フォークダンス、トランプ、などに興じている。のひに。魯迅記念館。中国では魯迅、ルーシュンの存在感は大きい。彷徨、狂人日記、新青年、阿q正る。伝、祝福、故郷、一件小事、故事新編、、、。読書には3つの味があるという意味の「三味書屋」という書がかかっているレプリカあり。1904年の仙台医学校での藤野先生が赤入れをしたノートの実物が展示してあった。また魯迅の「藤野先生」の原稿もみた。「惜別 藤野 謹呈 周君」と書いた色紙もある。これは藤野巌九郎(1874-1945)が若き周、後の魯迅に与えたものだ。1933年頃には魯迅の全作品は発売をきんしされ、このためもあって魯迅は40以上の筆名で申報や自由談に書いている。魯迅を囲む青年たちの写真をもとに製作された蝋人形がある。魯迅の息づかい、青年たちの目の輝きなどが表現されている。この人形たちと写真をとった。これを許した守衛が仲間に批判されるという事態になった。魯迅は短髪、口髭で中国服。男らしい風貌である。青年達はわらっていたり、身を乗り出したりしている。魯迅を助けた日本人、内山完造のコーナーがあった。内山は魯迅より4つ下の1885年のうまれ。岡山県出身。1917年に上海で書店を開業、1927年に魯迅と知り合う。1931年魯迅をかくまう。1948年に帰国し、中国漫談で全国行脚。1950年に日中友好協会を設立し初代理事長。1959年に訪中し、北京で死去。74歳。魯迅の著作は多くの国で翻訳されている。その筆頭はロシア37、日本35。「民族魂」という魯迅の書は見事。1998年に仙台を訪れた江沢民が魯迅の石碑に献花する写真も展示してある。魯迅の全著作と他の国での翻訳書が壁一面に飾ってある。竹内好、尾?ほ秀樹と並んで私の郷里の恩師、横松宗先生の「魯迅 民族の教師」も展示されていた。魯迅故居。内山書店。上海孫中山故居記念館。孫中山故居。 周公館。南京楼。上海バンドのルーズベルトハウス。韓国焼肉。上海虹橋駅。
2010/09/04
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上海万博二日目。オマーン館。中東の小国だが、私にとっては思い出のある国である。二十代に北海道で勤務していた頃、北海道開発局や北大の学生、olなどと一緒にけんきゅうをしていた。オマーン王国の研究ー中東の近代化と日本の役割、というレポートをまとめた。私は途中でロンドンに転勤になったこともあり、イギリスとオマーンという章を書いた。当時この国は鎖国から脱して近代化の道を歩み始めたばかりだった。そのオマーンが中国館の側に堂々たる館を構えていたので嬉しくなった。中に入ると岩場と石の階段に驚かされる。ビデオでオマーンの偉い人が、中国との深い付き合いを語っていた。長い年月を経てイギリスから中国にメインが変わっている。韓国館。your friend,koreaがテーマ。この館で30分間の偉い人が映像と人のパフォーマンスがよかった。若者が未来で活躍する様子が躍動感のあるタッチで描かれている。観客も最後は舞台中央に登ってでて行くという演出も未来へ向けて歩いて行くという感じでいい。それから、ヨーロッパ地区へ。トルコ館。土耳其。古代と現代の対比がテーマ。アイスランド。氷島。館の外観は氷という面白い趣向で、暑いので避暑のために入る人も多いのではないか。中に入るとやはり冷えている。一部屋のみで四方の壁を使ってアイスランドの自然を存分に知らせてくれる。雪原、海、滝、、。ウクライナ館。一部屋のみでお土産を売っている。ノルウェー館。木の建物。powered by nature。スキー、バーベキュー、ホームエネルギー、雪、人々の生活、、、。ゆったりとした雰囲気と音楽。ギリシャ館。経済危機に揺れているのでどういう演出かという興味もあったが、そういうことは感じなかった。ポリス、シアター、オリンピックスタジアム、アゴラ、、。帰る途中でパレードが始まった。西蔵と書いてある。民族問題を抱えるチベットだった。色とりどりの民族衣装と踊りが素晴らしい。優れた文化を持っている。黄色、紫、赤、、。勇壮な太鼓踊り。公安という文字がついている車や警官に囲まれているのは、テロの警戒だろう。美国はアメリカ、法国はフランス、徳国はドイツ、瑞士国はスイス、瑞典はスウェーデン、と漢字の当て字が面白い。アジアではやはり中心は中国で周りに色々な国が並んでいる。香港、マカオは脇に小さく立っている。また台湾は道路を隔ててたっている。道路が台湾海峡というイメージだろう。万博は世界旅行をしているのと同じだから、国民教育には大きな役割を果たすだろう。また、子供の教育には持ってこいだ。世界は実に多様であること、世界の中では国としてのメッセージ、自己主張が大事だと改めて思った。その国らしさとは何かというメッセージ。何で世界に貢献できるかという主張。2010年上海国際博覧会。328ヘクタール。統一テーマは、better city,better life。日本館は蚕をかたどったもの。紫蚕島の別称。万博の運営には、食事とトイレと行列管理が重要。5月から8月までで5000万人が来場した。10月末までに万人を上ずみして7000万人来場者を見込んでいる。2005年の愛知万博は2205万人。1970年の大阪万博が6422万人。その記録を超えるのが目標。40年前の大阪万博は人口対比でいうと凄いことだったのだということがわかる。
2010/09/03
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寝台新幹線で上海に朝7時39分に到着。上海南駅も大空港のようだ。寝台新幹線は2008年12月に開業。1500キロを10時間で結ぶ。椅子席5000円、四人部屋寝台1万円、飛行機2万円。四人部屋の下段は730元、上段は655元。1元は13-15円。蔡君の友人で旅行会社を経営しているキムさんが迎えに来る。万博は八月中は一日五十万人だったが、九月一日は二十万人だそうだ。万博開催中は世界中から友人が来てキムさんは毎日接待。万博では韓国企業館の総務を担当している。日本館のバイキングが5万円だが期間中全て予約で満杯。中国人の消費意欲は凄い。今はホテルなどが通常期の倍ほどになる一番高い時期。上海は昨日台風が過ぎたばかり。1.6億ドルかけたサウジアラビアが一番人気だそうだ。日本産業館。スポンサーは三井住友、近鉄、横浜市、静岡市、ミキハウス、白鶴、本家さぬきや、jalなど。展示のみをまわると45分。30分ではいれた、better life from japan。帝人は生命の星というテーマで地球環境を訴え。テルモは体温測定の重要性、心筋梗塞のカテーテル。大塚製薬は大豆がテーマで日本の食文化がテーマ。ユニチャームは生命讃歌。日本郵政は郵便による家族の交流、中国人看護師と日本人との交流、千羽鶴、日中友好。TOSTEMは日本の四季を楽しむ家屋。イナックスは便器などの展示。キッコーマンは世界においしさをt届ける食事がテーマ。北朝鮮館。人が少ないのですぐに入れた。太古のつぼ、キーホルダー、金日成著作集など。物産展示としては淋しい。日本人が多い。同一地域にはアメリカに対抗するいイラン館も。イラン館。水力発電、石油掘削、石油化学、音楽、スキー、ペルシャ絨毯。レバノン館。近代都市ベイルート。画像中心。日本館。大変人気があって長い長い行列が続いている。12時二十分から並ぶ。行列に向けて扇風機が風を送ってくれたり、定期的に水蒸気をかけてくれるが、暑さと長い行列で苦しい。時間があるんけえ思いついて短歌を詠んでみる。??行列は 忍耐合戦 日本館 ?中国人とも戦友となり??珍しく 老人おれば わが同胞 ?青年ラッシュ 北京地下鉄ようやく館内に入るが行列は続く。この日本館のメインスポンサーはトヨタ、キャノン、パナソニック。並んでいる間にみた「日本的一天」というビデオは、日本全国の地域、日本の四季などを取り込んだったいい作品だった。横山大観の時空を超えた絵の発想と同じである。日本館のテーマは熊峰という書家の「連接」。心の和、技の和。鳩山前総理の前で書いた作品の売り上げを内陸地震に寄付したので話題になった。まず、中国との関係が深いことを示す遣唐使、平城京。それから長いエスカレーターを上っていく。茶室、納涼、四季花鳥図、ふすま、元旦。ゆるやかに下がって行く。水をきれいにする装置、ホームエネルギー、ロボット。自然的叡智。東北のねぶた祭。小学校での環境教育。広場でタレントがでてきて見学者と交流のイベント、パンダ、トキ。途中で日本人スタッフに聞くと、スタッフは百人。うち中国人は二割。四月から万博が終わる十月末まで。東京から来ているとのこ。次は和風の大型劇場。「?的故事」というテーマの劇だ。絶滅危機の1999年に中国からわけてもらって2009年に孵化が成功したという物語。それが日中友好の象徴で、仲良くやりましょうえというメッセージ。日本の美しい四季と高度な技術で日本的な美的生活がおくれるというメッセージが日本館と日本産業館を流れている一貫したメッセージだった。しかし、日本の実力が明示されていないという印象を持った。柔らかいメッセージより、強いメッセージがいるのではないか。世界に誇る先端技術、介護ロボット、航空機産業、リニアモーター、新幹線、メディアの発達、東京の公共交通網の制御などの社会インフラソフトなどで世界に貢献できるというような内容がよかったのではないか。日本のことわざの活用も日本人の考え方を展開するのもいいと思う。音楽、アニメなどのジャパンクールも。とんがったメッセージ。また、中国文化の影響が大きいことや、トキでも協力してもらったというメッセージが強すぎる感じがした。一緒にアジアの未来を担っていくというメッセージがないのは残念だ。中国に遠慮し過ぎており、実力を出し切れれいない。日中友好の井戸を掘った人の紹介もよかったのではないか。総じて国家戦略との関係で上海万博を使うという考えが不足している。個別の企業の技術のprに留まっていて総合的な視点に乏しい。四ヶ月間で五千万人が万博にきた。あと二ヶ月で七千万人を超えるか。チケットはその分は売れているとのこと。1970の大阪万博の記録7000万人は中国の人口とに対比でみると凄かったのだと改めて思う。イラク館。イラク戦争と復興の様子などの展示はない。気温が比較的低かった、曇りだった、人数が割りと少なかったなどの幸運に恵まれたが、それでも日本館の待ち時間は三時間もあり、疲れた。欧米人はほとんど見なかったが、暑いのと行列が嫌で来ないそうだ。夕食はキムさんと蔡君と龍夢飯店。二次会ではカラオケ。長い一日だった。
2010/09/02
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地下鉄の10号線と1号線と4号線を乗り継いで北京大へ向かう。ラッシュは過ぎているが、若い人が多い。携帯とゲームに半数が没頭している風景は東京と同じ。古い一号線は冷房車は一台おき。西?という駅でおりて、北京図書ビルディングという大きな書店を来訪。私の名前で検索かけてもらったら、5冊がひっかかった。その中の1冊がすぐに手に入った。アントレプレナーシリーズの中のドラッカーのコーナーに並べてあったのは「図で読み解く ドラッカーの理論」の中国語訳だ。見たことがないと不思議に思ったら「修正版」という表示があった。これは送ってもらっていない。29元という価格は日本円で400円。二冊購入。検索コーナーでは4人が応じてくれるが画面はお客の方に向いている。成功哲学、人生哲学などのコーナーを見かけた。松下幸之助やうぇるちの本も人気。不要存銀行というタイトルで勝間和世さんの写真が表紙に出ている本を見かけた。「お金は銀行に預けるな」の翻訳版だ。4号線沿線には有名大学が多い。北京大、精華大、人民大、そして中国共産党の中央大学、少数民族のための中央民族大学など。北京大は、古刹と公園のような雰囲気。古来の中国風の建物があちこちにある。校長室のある本館に入る。大きな池の周りを回る。今日9月1日で新学期が始まる日。新入生と両親が記念撮影をしている。村の誉れである大秀才たちだ。政府の幹部が車で列車のチケットを持って来てくれたので、そのまま精華大へ連れていってもらう。レストランで昼食。この大学には蓮のさく大きな池があり、釣りを楽しむ人も。秋卒業だろうか、二十人ほどの学生と先生が記念撮影をしているところに遭遇。みんなマントと角帽で楽しそうだ。その写真をとっている時に自宅から携帯に吉報が入る。次にオリンピックスタジアムに向かう。鳥の巣だ。ホテルの喫茶で時間をつぶし、夕食を一緒にすることになった吉林大学の沈教授と待ち合わせ。客員教授をしている関係で親しくなった政治学者だ。色々なプロジェクトの話題に花が咲く。北京南駅は国際空港ターミナルのようなすごい施設だ。ここから全国に向けて新幹線が走る。天津までは30分。寝台列車の4人のコンパートメント。若い学生風の男女とわたしたち。蔡君と白酒を飲みながら語り合う。テレビ、コンセント、などもあり、快適だ。
2010/09/01
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