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奈良国立博物館のとなり、興福寺では、正倉院展と時期をほぼ同じくして、年に一度の特別公開が行われます。今年は、北円堂・仮金堂・三重塔・国宝館をセットで(1300円)見ることができます。この日は、正倉院展→奈良国立博物館の常設展と、歴史的文物をシャワーのように見たあと、午後からさらに興福寺を見ることにしました。立派で迫力満点の仏像ばかりで、圧倒されまくりました。1)三重塔内側を見ることは非常にまれですが、今回は外側の廊下から中を覗き見ることができました。先日拝見した滋賀県の西明寺や、京都の浄瑠璃寺の三重塔と同じように、極彩色にいくつもの仏像が描かれていました。丁寧な描写、極彩色な色使い…こういう内装を見ていると、昔の仏教の位置づけの高さというか、昔の人たちの信仰の深さを感じます。2)北円堂ここの特徴は八角形の建物と、中に立つ立派な仏像たちです。中でも世親・無著菩薩立像は鎌倉時代の仏像の最高傑作と言われます。肩から背中にかけての丸まった感じの写実的な表現と、知的に引き締まった表情が本当に素晴らしい。今の日本人にこのような立派な顔立ちの人間はいるのだろうか、と考えてしまいます。四天王の体も端正に引き締まっています。この体にひかれる女性は多いのではないかと思います。女の子を連れてデートに来ると、しんどいかも。3)仮金堂ご本尊の釈迦如来像や、薬王菩薩・薬上菩薩といった、大柄の仏像を拝見することができました。鎌倉時代に造られたというのに、表面の金が未だにはがれ落ちず、できたての頃の金ぴかな姿を予想させるほど。この保存状態の良さはいったい何が原因なのだろうか。4)国宝館初めて行きましたが、あまりにも有名な仏像がこれでもかと出てきます。旧山田寺仏頭、美少年の阿修羅像などなど。いずれも歴史の教科書で見たものばかり。息をのむように緊張して拝見しました。今回はプラスαとして、板彫十二神将像がずらっと12体並んでいました。聞き慣れない名前ですが、いずれもインドから渡来した名前を当て字したような感じ。表情も多様で、豪快に「どうだ!」と言っているようなものばかりでなく、しょんぼりしたような顔のものもあったり。こうやって、奈良国立博物館から興福寺まで(本当は東大寺を含めるともっと凄いんですが)、平安時代から鎌倉時代までのさまざまな仏像を見ていると、仏像と一言で表現しきれないくらい、多様なデザインがあることがよくわかります。そのデザインの違いに気がついて、楽しめるようになれば、仏像ウオッチャーとして楽しくお寺を回ることができるようになるでしょうね。
2006年10月29日
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毎年この時期に行われる正倉院展。奈良国立博物館の周りには長蛇の列ができます。去年は閉館1時間前に行って、スムーズに見ることができましたが、平常展の豊富な仏像コレクションを見る時間がなく、悔いが残りました。今年は、開館時刻に行って、ゆっくりと両方を見ようと考えました。と言いながら、結局、到着が少し遅れて、9時15分。早くも博物館の外周を長蛇の列が囲んでいました。入場したのは約10分後。思ったよりもすんなり入れました。博物館がまだまだキャパシティがあったおかげでしょう。ところが、ここからは大変でした。ケースの前には人だかりができていました。最前列で見るには相当辛抱しないといけません。警備の人も「すいているところから見てください!」と何度も叫ぶ始末。でもさすが日本人ばかりが見に来ているせいでしょうか、大まかな順路に沿ってみな見ていきます。ということで、混乱の中でスムーズに見るコツが少しわかってきました。混雑が激しいのは、客の視線が下に向かう巻物です。ガラスケース沿いに行かないと見られないのですが、順路に従って待っていると進むのが遅いため、巻物の前に到達するまでに、説明文を読み終えてしまいます。しかも巻物は漢文で書かれているので、細かい内容まで読むことはほとんどありません。大まかな内容と字の美しさ、印などを見れば、その展示物から発見できることはなくなってしまいます。ですから、ほとんどの人が展示物の中心地点まで進んだところで集中力を切らして、ガラスケースから離れていきます。ですから、・展示物に先立って説明文を遠くから読む・鑑賞客がまばらな展示物の後半部分を先に見る。その展示物が面白ければ、邪魔にならないようにソロソロと少しずつ前にさかのぼっていくこのルールを採用すると、混雑の中でイライラせずに見ることができるのではないかと思います。肝心の展示物ですが、今回は正倉院の宝物の核となる、聖武天皇の遺愛の品を中心に展示されています。これらの品々が正倉院におさめられて1250年が経つというのです。印象に残ったものを挙げると、・「国家珍宝帳」:聖武天皇遺愛の品の目録。品の名前、由来、付属品などが丁寧に説明されています。字が端正で美しい!・「紅牙撥鏤尺」:象牙のものさし。展示品の中で最も鮮やかな紅色。・「馬鞍」:美術的な価値にについては?ですが、黒柿の木目がとても美しかったです。・「孔雀文刺繍幡」:刺繍が立体的で、色も鮮やか。1000年以上も前のものとは思えません。それにしても、他の美術展と違って、なぜこれほど正倉院展は混雑するのでしょうか? 歴史的文物に興味のなさそうなおっちゃん、おばちゃんも多数来ています。展示品も、奈良時代や飛鳥時代、平安時代のものが多く、色あせたものが多いのですが...江戸時代の美術品なら保存状態も良く、美しさをもっと実感することができるのに。本能的に歴史の重みを実感したいということなのかもしれません。正倉院展の後で、常設展にも行きました。奈良国立博物館の仏像の展示は非常に充実しています。博物館で見る仏像は、お寺で見るのとは違って、一貫性がないため、表情やポーズ、持っているものがまちまち。それがかえって、比較を容易にしていて、国宝が国宝である所以が(素人目にも)あぶり出されて見えてきました。常設展を見る時間があって、よかった!正倉院展のチケットを見ると、常設展の切り離し部分と別々になっています。ですから、・午前中に常設展だけ見る・お昼から午後にかけて興福寺などをまわる・夕方に戻ってきて正倉院展を見るという段取りが、最もスマートな動き方であることがわかりました。もっとも、一日奈良にいる時間がある人に限ります。
2006年10月29日
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大徳寺の利休忌茶会、週末と重なるのは今年2度目です。前回は何もわからずに行ってしまったのですが、今回は少し勝手が分かるということで、お昼過ぎにゆったりと行きました。・聚光院まず向かったのは、聚光院。重要文化財の茶室もありますし、ここでお茶をいただくというのは、何よりの体験になると思うからです。まず驚いたのは、熨斗袋に1,000円を入れてくるお客さんが多かったこと。これがルールだったとは、初耳でした(自分が無知なだけですが... )。緊急避難的な措置として、お懐紙に筆で「御供」と記し、その下に名前を書けばよい、とのことでした。ほどなくして、末席に入ることができました。重要文化財の茶室「閑隠席」です。本来の広さは、○○○ですが、客間とつなげてなんとか24人入りました。お茶を点てる場所の天井が、客間に比べて一段と低くなっています。印象に残った茶道具は、烏帽子の形をした備前焼の水差し。黒ずんだ焦げ茶がうっすらと暗い茶室にぴったりでした。掛け軸も、江戸時代に描かれたとは思えない、ポップでモダンな秋の風情たっぷりの絵でした。題材はとんぼとススキ。待ち合いに方丈の東側が使われていましたが、待っている間に狩野松栄・永徳父子の襖絵(国宝)が見られるのは、なんとも贅沢です。ピカピカに磨き上げられた床も美しいです。・玉林院ここの亭主はなんと95歳のおじいさん。カクシャクとしていらっしゃいました。例によって、正客の座を巡って譲り合いが始まると、自分の方を向いて「あなた、男性なんだから、どうですか?」(こういうのは逆差別ちゃうか?と思うが)と水を向けられました。「いやいや、まだまだ未熟ですし、失礼になりますので」と一度お断りしたものの、「全部こちらから説明いたしますので、ぜひ」と退路を断たれてしまいました。こうして自分の正客デビューが思わぬ形で実現しました。内心、いい経験になるとは思いましたが、やはり大変でした。タイミングを見計らって、あいさつをして、しつらいや道具について質問して、お菓子とお茶をいただいて、立派な茶道具は真っ先にしかも手短に拝見して...目が回る忙しさでした。これを堂々とできるのは大変な知識と余裕が必要なことがわかりました。ここの茶席で印象に残ったのは、銀の茶釜と、玉林院の門の古材でつくった茶杓です。前者は一部が銀色に光っていましたが、非常に珍しいもののようにお見受けしました。後者は、やや小ぶりで太め、竹ではなく松なので節目がないため、非常に柔らかい印象でした。今回は茶室を回る時間が必ずしも充分ではなかったため、合計3カ所の席しか回れませんでした。特に、普段は拝観謝絶になっている三玄院に入れなかったのが残念でした。お茶会に出ると、掛け軸・茶碗・花器・茶杓などなど、骨董的に価値のある道具とそのコーディネートを生で見学できます。それに加えて、周りを見回しながら、茶席でのマナーも少しずつ身につくようになります。スポーツ選手が、練習だけでなく試合に出続けたほうが結果が出やすいように、お茶会に出ることは非常に良い実践の勉強になるものだと痛感しました。
2006年10月28日
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去年、細見美術館に行って、琳派のモダンで洗練された世界に魅せられました。すぐ近くの京都近代美術館で「若沖と江戸絵画展」を見たばっかりでしたし、そのつながりを見てみたいということで、行ってみました。琳派は、狩野派や土佐派などといった他の日本画の流派が世襲を継承したのとは異なって、その美意識に共鳴した人が手法を受け継ぎ、オリジナリティを加えていきました。そもそも「琳派」というカテゴリーが生まれたのは昭和40年代ですから、当時の画家たちは「受け継ぐ」という発想もそんなに強くなかったのではないでしょうか。印象に残った作品は、・酒井抱一「白蓮図」・鈴木其一「月に葛図」「糸瓜に朝顔図」「朴に尾長鶏図」いずれも琳派の典型的な絵画です。薄い墨の縁取り、うっすらとした色彩、大胆な構図。ふっくらとした葉、動きのある蔓など、曲線は滑らかで、実際の植物よりも生き生きとしているようにすら見えます。控えめで端正な美しさがすばらしい。若沖の作品はどちらかというと、もっと鮮やかで、もっとモダン。今回の展覧会のメインとなる、酒井抱一・鈴木其一は、伊藤若冲と同じ江戸時代の末期に活躍しています。鎖国の時代にこのような洗練された絵画が出てきたことは、当時の日本の文化水準の高さ、審美眼の高さを窺い知ることができます。勉強になりました!
2006年10月22日
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青蓮院は、江戸時代に皇族の邸宅として使われるなど、皇族との関わりが深い門跡寺院です。春と秋には夜の特別公開で、見事なライトアップを楽しむことができます。その美しさは京都で一番だと思います。この広い庭の一角に茶室「好文亭」があり、普段は見ることができません。平成5年に中核派ゲリラによって焼失された後、平成7年に再建されました。その際に監修にあたった中村昌生先生の授業(伝統未来塾)を、今回受けることができました。中村先生によると、この茶室は、公家らしい茶室だということですが、その特徴とはいったい何でしょうか。箇条書きにすると、こういう感じです。・寝殿造のようなアウトライン:中央に4畳半の部屋が3つと水屋があって、その周囲を廊下(入側)が囲んでいます。縁側には柱がなく、桁に使われた見事な丸太が一直線に走ります。・にじり口はありません。・書院造よりは茶の湯的演出が多い:違い棚の下に地袋がついていることや、天井が低いこと、長押は丸太にツラをつけた面皮、床の間の壁が土壁であること...etc・小壁には櫛形の吹き抜けがあって、天井は竿縁天井。ここは数寄屋風。・床の間の脇に墨蹟窓がついていますが、本来は掛け物を照らすために開けられるのですが、ここではその位置が低いのが特徴的・周囲の庭は建物と非常によくマッチしています(これを「庭屋一連のごとし」というそうです)。以下、中村先生のお話です「公家の茶室は織部好みが基調となっています」(どちらかというと、書院造りに近い感じでしょうか)「公家たちは茶の湯の文化を非常によく研究しています。知識としてよく吸収した上で、どこかの流派に入るのではなく、それぞれのよいところを取り入れていて、どこか優越したような姿勢です。これは水無瀬神宮の燈心亭にも見られます」「茶の湯の美学は千家(=家元)の茶だけではありません。公家の世界での茶の美学もあるのです。それは侘び寂びではなく、雅(みやび)と表現できると思います。それはどの流派にも属さない、あくまでニュートラルなものとして存在するのです」「近衛家煕(このえ・いえひろ)の言行を集録した書『槐記(かいき)』(山科道安著)を読むと、公家の茶の湯を知ることができます」この茶室の魅力は、公家らしい超然としたところにあるのかな、と思いました。ちなみに、再建にあたってかかった費用はなんと1億3000万円。徹底して材料を選び抜いた数寄屋造りだけに、お値段も超然としていたようです。
2006年10月22日
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神輿が激しくぶつかり合い、時には死者が出ることもあるという、勇壮な灘のけんか祭り。毎年10月14日と15日に行われていますが、今年は見事に週末と重なりました。祭りがクライマックスを迎えるきょう、ここぞとばかりに行ってきました! 祭り会場の最寄駅・白浜の宮に着いたのは正午前。公式サイトでは祭りの段取りがよくわからなかったので、駅構内で売っていたパンフレット(200円)を購入。駅を降りてすぐ、この祭りの神様を祀る松原八幡神社があります。この神社は763年創建と非常に古いのにはビックリ。由緒あるお祭りなのです。祭りの主役となる屋台を担ぐのは、この地区の7つの村(東山・木場・松原・八家・妻鹿・宇佐崎・中村)です。それぞれ赤・オレンジ・ピンク・黄色・緑・青...などと色分けされていて、練り子(=担ぎ手)たちは所属の色の鉢巻をしめています。先っちょにそれぞれの色のポンポンがついた長い竹もかなりの数にのぼり、祭りの華やかさを一層増しています。練り子は半被にふんどし姿、鉢巻きをしめて、黒足袋をはきます。危険なお祭りということで、怪我のないようにと左腕にハンカチのような腕守りを巻く人も多数いました。きょうの本宮で登場するのは、6台の屋台と3基の神輿。3基の神輿は7つの村が毎年持ち回りで担当していて、これを「練り番」といいます(今年は<八家>が担当)。神輿は神社に帰属していて、屋台は村に帰属しています。形は似ていても呼び名が違うのはこのためではないかと思います。屋台が小型車で、神輿はやや小さめ、くらいのイメージです。最も重い屋台はおよそ450kgあるとか。境内には、すでに3台の屋台がいて、ふんどし姿の男たちが休憩をとっていました。土ぼこりがすごく、汗くささを伴って、早くもむさくるしい感じ。中央に進むと、続々と屋台が「宮入り」。神社の入口の楼門をくぐる際に、屋根の上についている擬宝珠(銀色でしずくの上半分のような形をしたもの。ここに神が宿るとされています)と、露盤(台座のこと)を取り外します。「ドーン・ドドン」という太鼓の音にあわせて、「ヨーイヤサー!」と掛け声がかかって、屋台が拝殿の正面にやってきます。すぐ近くまで近寄って見られますが、屋台の動きが予測できないので、屋台が勢いよく近づいてくると、逃げ切れずに怪我をするおそれもあります。このお祭りの特徴のひとつは、複数の屋台が“おしくらまんじゅう”をするようにせめぎあう「練り合わせ」。境内でも行われていました。先に屋台を下ろしたほうが負け。勝ったほうの屋台は機嫌を良くしたかのように踊ります。まるで屋台が生きているかのよう。「練り合わせ」は何度も繰り返されます。ひととおり「宮入」を見たところで、祭りのクライマックスが行われる「広畠」に移動しました(このため、残念ながら、拝殿前での神輿のぶつかり合いは見られませんでした)。ここは屋台の目的地・御旅山に登る手前の踊り場のようになっていて、神社からはおよそ1kmほど離れています。屋台がぶつかりあう“練り場”は、テニスコート一面を一回り大きくしたくらいの広さ。学校のグラウンドのように細かい土ぼこりが舞います。会場に着いて驚いたのは、古代ローマの競技場のようなすり鉢状の地形が、段々畑のようになっていることです。自然の地形とは言え、見事です。段々は桟敷席になっていて、ムシロ一枚分の席料が何万~何十万円もするとか。確かに、桟敷席には地元の企業の横断幕がかかっているところもありました(その企業がことごとく建設業関係だったところに、今の地方経済の現状がうかがい知れます...)。すでに観客(一見、地元の人が多いように見受けられました)はお昼の弁当をつついて、屋台の登場を待っていました。そんなプラチナチケットを持っていない僕は、桟敷席の通路でなるべく視覚の邪魔にならないところに場所をとりました。もちろん斜面に立ちっぱなし。場所をとって、それほどしないうちに先頭の露払いの壇尻がやってきました。白木で出来た小さめの神輿で、中に一人太鼓をたたく乗り子が入っています。テ・テン・テテンと、相撲の土俵入りのような軽めの音がします。この壇尻が高く持ち上げられては、真横になって地面にバーンと7回たたきつけられます。地響きがして、土煙が上がり、観客から乗り子は大丈夫かとどよめきます。でも、これは祭りが無事に進行できるようにと願いを込めての荒行で、太鼓を止めてはいけないルールになっているのです。乗り子はおそらく壇尻に体を縛り付けられているのでしょう。でも腰を打ったらどうするんだろう? それにしても人も壇尻もよく壊れないものです。続いて、3基の神輿が登場しました。36歳以上が担ぐ「一の丸」、26歳から35歳までが担ぐ「二の丸」、25歳以下が担ぐ「三の丸」に分かれていて、それぞれに祀る神様が異なります。この神輿同士のぶつけ合いが実に激しい! 勢いが激しいほど神意に沿うということですが、勇壮というか豪快というか乱暴というか...「けんか祭り」の語源はここにあるのだそうです。ガツーンという音がして、相手の神輿が倒れるまで押し合います。大抵は10秒以内で決着がつきます。「一の丸」の神輿は、「三の丸」とのぶつかり合いで屋根が破れてしまいました。ぶつけ合いを終えた神輿はどれも、山を登り始めるときには埃だらけで屋根が破れてボロボロでした。その後は、屋台が次々と登場しました。狭い練り場には3台の屋台が精一杯ですが、3台が同時に練り合わせられると、その迫力と練り手の掛け声とカラフルなポンポンが入り混じって、クライマックスにふさわしいダイナミックな光景になります。この練り場に至るまでに、練り子たちの中には相当疲弊している人も多いようで、屋台が持ち上がったと思ったらまたすぐに着地してしまうこともしばしばありました。一番元気だったのは、最後に登場した<東山>の屋台でした。「練り合わせ」にことごとく勝利していましたし、掛け声も元気よかったです。すべての屋台がお旅山に登っていったところで、帰路につきました。午後5時ごろです。きょうは人出が多く、祭りの進行はかなり遅れていました。が、その後、山から下りてきた屋台が、再び練り場で最後の練りあわせをすることを知りました。その頃はきっと日没後だと思いますが、屋台には電飾がついて幻想的に見えたことでしょう。祭りの公式パンフレットを読むと、そういうことがわかりやすく書いていなかったのが残念です。次回行く機会があれば、ぜひ見てみたいです。屋台は持ち上げられるたびに地面をズシンズシンと打ちつけます。そのショックで壊れないかと心配になりますが、かなり頑丈に出来ているようです。屋台の彫り物は繊細で美しいのですが、祭りではお構いなし。まるで岸和田のだんじり祭りのような荒々しさでした。祭りは勇壮で豪快で華やかでスリリング。でも練り場や参道に観客が残っていたり、パンフレットや場内アナウンスがわかりにくかったりと課題も多いように思いました。それから、クライマックスの「広畠」で見るときは、砂ぼこりが激しくて、急な坂道を上り下りするので、靴はスニーカーなどの動きやすく汚れてもOKなものにすることをオススメします。
2006年10月15日
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歴史の教科書では、堺は一大商業都市として安土桃山時代~江戸時代にかけて栄えたとあります。その名残は数多く残っているとは言えなさそうですが、南宗寺にその面影を見ることができました! 南宗寺は、茶の湯を完成させた武野紹鴎や千利休と関わりが深いとされています。確かに千利休のパトロンは堺の商人でしたから、ここで利休が茶の湯を修行して広めたと考えるのは妥当でしょう。この日は、堺まつりのイベントの一環として、境内の6ヶ所でお茶会が催されました。お茶会の前売り券(2ヶ所分)がローソンで発売されていたのには、少し驚きました。さてさて、南宗寺へは、阪堺電車という大阪と堺を結ぶ市電に乗っていきます。たった1両で昭和50年代くらいの面影をいまだに残しています。途中、住吉大社の前を通るなど、なかなか味わいのある路線です。最寄駅は、仁徳天皇陵の近くということで「御陵前」。始発の恵比須町からは35分もかかりました。駅を降りても近くに地図や看板はなく、早速どこにあるのか迷う始末。結局、大阪らしいディープな長屋街の裏手に、南宗寺はありました。土塀に瓦がミルフィーユのように埋め込んであるのが特徴的です。南宗寺は1557年に創建され、1615年の大坂夏の陣で消失。その後、当時の住職、沢庵和尚が現在の場所に再興したのだそうです。大徳寺派のお寺らしく、門を入るとピリッと引き締まった空気が流れます。仏殿や山門、唐門は国の重要文化財に指定されていて、古い松が石畳の脇に並び味わいを深めてくれます。まず向かったのは、千利休好みという茶室・実相庵に入るべく、方丈に向かいました。ここには古田織部の作とも伝えられる枯山水庭園が広がっています。国の名勝に指定され、大徳寺・大仙院の枯山水の流れを引き継いでいるといわれるだけあって、立派な石組みから石橋を経て白砂に流れ込む形は見事です。この庭を拝見しながら、次の茶席を待つことができました。この日は気温が27度まで上がったせいか、蚊が大活躍。いくつも刺されました。実相庵は利休好みの二畳台目席と聞いていましたが、お茶席に使われたのは広い部屋でした。1963年に再建されたもので、無粋にも大きな白いクーラーが小壁につけられていました。このへんはちょっとガッカリ。このほかに、6席(表・裏・武者小路の三千家が2席ずつでした)のうち、天慶院と徳泉庵という二つの塔頭(?)の茶席に行きました。いずれも茶道具が凝っていて、印象に残ったのは、南宗寺の古材を使った茶杓や、表千家11代玄々斎宗匠の「五行棚」、それに名古屋の大樋焼の黒茶碗(この焼物に特徴的な照りがなくて、楽のような渋い感じ)など。和菓子は地元・堺の和菓子屋さんが提供したということですが、いずれも非常においしい練り菓子でした。同時期に、堺で出土された茶道具の展覧会が開かれていましたが、あいにく見に行くことができませんでした。大阪にいて、江戸時代の文化の香りをかぐことは、本当にまれです。そういう意味では、南宗寺は非常に貴重な場所だと思います。それだけに実相庵の再建にはもう少し工夫をしてほしかった...
2006年10月14日
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高山祭の合間に、町内にある2軒の古民家を拝見しました。ひとつは日下部民芸館(明治12年完成)、もうひとつは吉島家住宅(明治38年に再建)、いずれも国の重要文化財です。こんなに民芸調のインテリアが似合うのは、倉敷の美観地区を見て以来のことです。いずれも、かつてのニュースステーションのセットを思わせる、こげ茶色の力強い梁が幾重にも交差しています。2階建ての2階部分ではアールのかかった天井が見られます。漆喰の壁の色は聚楽ではなくて、薄いブルーやグリーン。床の間は書院風で、塗框に違い棚。中庭があるところが、京都の町家と似ています。ここに河合寛次郎やバーナード・リーチの陶芸を置いたら、しっくりくること間違いなし! 土間の囲炉裏もすっかり溶け込んでいました。かつて、高山には裕福で影響力のある旦那衆が町を動かしていたといいます。旦那衆はただの成金ではなく、好奇心旺盛で、教養も豊か。こういう人たちが高山の文化を育て、守ってきたといえると思います。このような美しい古民家が残り、町並みが残り、職人が食べていけたのでしょう。今の日本に、このような教養豊かな旦那衆はいるのでしょうか? 安部総理の言う「美しい日本」を守るには、ホリエモンではなく、日本の文化と歴史を学び、育てる旦那衆の出現が望まれます。
2006年10月09日
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毎年春と秋に曜日に関係なく行われる高山祭ですが、今年の秋は1日だけ祝日にひっかかってくれました。当然、かなりの混雑になりましたが、それは織り込み済み。日本の三大美祭のひとつだけあって、華やかな屋台と美しく保存された町並みが見事に調和していました。大阪から日帰りで高山に行くには、名古屋を8時43分に出る特急に乗らなくてはいけません。この特急が高山祭の観光客で大変な混雑で、自由席は通路まで客がいっぱいになり、高山までの2時間10分あまり立ちっぱなしでした。これはかなりしんどいスタートです。JR高山線は、四国の土讃線と景色が非常に似て、山並みを縫うように走ります。その景色が雄大で美しく、だからこそ特急の窓は広く、名前も「ワイドビューひだ」なのです。午前11時、高山駅に着いてすぐ、帰りの特急の指定を取ろうとしましたが、当然のごとく満席。やっぱりね。人の流れに沿って、祭の会場となる桜山八幡宮の近くまで行くというシャトルバスに乗りました。運賃は100円。臨時のバス停から八幡宮の参道まではすぐ近くでした。八幡宮の手前には、すでに屋台がいくつも出ていました。この陳列を「曳き揃え」というのだそうです。秋の高山祭では合計11台が登場しています。すぐ近くで見ることができます。そうそう、高山祭は「屋台」、祇園祭は「山鉾」、岸和田のだんじり祭では「だんじり」、大津祭は「曳山」など、祭によって呼び名が異なるのです。おそらく、祭の趣旨によって、名前が変わってくるのでしょう。この祭の屋台は極彩色で華やか。正面や側面に木彫りの彫刻(これは岸和田のだんじりでも見られます)、てっぺんには飾り人形(祇園祭の山鉾の一部や大津祭の山車にも見られます)、後ろには「見送り」と呼ばれる刺繍がかかります。桃山時代の建築のような派手さですが、この祭が生まれたのは16世紀後半から17世紀、つまり江戸時代中盤とされています。飛騨の匠の技がふんだんに盛り込まれているせいなのでしょうか。正午から桜山八幡宮の境内で行われた「からくり奉納」。秋のお祭では「布袋台」がからくりを披露することになっているのだそうです。境内は見物客で埋め尽くされました。携帯で写真を撮る人が多く、からくりを撮影しようと伸びる手が邪魔でした。携帯のズームはあんまりよくないのにね。からくりの動きですが、メインで踊る布袋(ほてい)が首と手足を動かしているのに対して、その横で2人の唐子(からこ)が鉄棒をわたるように次から次へと飛び移ります。最後は布袋の左手から紙ふぶきとともにのぼり旗が出てきます。ひとつひとつのアクションに歓声がおこりました。このアクションを36本の綱で操る綱方(つなかた)の技は、かなりのものだとか。屋台の舞台裏を見てみたいものです。そのまま境内にいると、今度は御神幸(ごじんこう)という祭行列が出て行くのを見届けます。やる気のなさそうな小学生たちが鉦を鳴らして歩いていきました。もう毎年のことでウンザリしているのかもしれません。でも地元にこういうお祭があることを誇りに思ってほしいですね。午後1時すぎからは、4台の屋台が町を巡る「屋台曳き回し」。毎年登場する「神楽台」と「鳳凰台」のほかに、今年は「金鳳台」と「行神台」が登場しました。後者の2台は、毎年交代で参加するのだそうです。屋台にはお囃子方(太鼓と笛)が乗り込みますが、祇園祭と比べると人数はかなり少ないように見えました。そのせいか、屋台を数人が引くだけで、スムーズに動き出します。見どころは、屋台のターンです。高山祭の屋台は、祇園祭の山鉾と同じく、直進しかできません。ですから、90度ターンするにも時間がかかります。ただ、祇園祭の山鉾が車輪の下に竹を敷いて力技でターンさせるのに対して、高山祭の屋台は、梃子で前輪を持ち上げ、台車に収納されている横向きの車輪をおろして回転させるものが多く、方向転換の時間は短く、スマートな方法に見えました。これは美しい屋台を保護するために考え出されたのだそうです。午後6時からの宵祭を前に、桜山八幡宮の入口にはおよそ100個のちょうちんをぶら下げた屋台が並びます。ちょうちんの薄明かりが重なって、その姿が幻想的で美しいのです。もちろん、宵祭が始まって、歴史的保存地区の間をきしむように通っていく姿もよかった。囃し方の笛の音が旅愁を感じさせてくれます。というところで、日帰り組はタイムアップ。午後6時49分の特急が、名古屋への最終特急です。急ぎ足で駅に向かいました。もうこの時間にシャトルバスは走っていません。帰りの自由席はなんとかギリギリで座ることができました。町内を歩きすぎて、足が棒。爆睡してしまいました。
2006年10月09日
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1,100年以上も前に開かれた立派なお寺が、琵琶湖の東に3つあります。「湖東三山」と呼ばれます。今年は天台宗開宗1200年記念として、初めて三山そろって秘仏や本尊を公開しました。「住職一代に一度だけのご開帳!」「55年ぶりのご開帳!」ということで、こんなときに関西にいるのであれば行くしかない!湖東三山へは、東海道線の彦根から、近江鉄道というローカル私鉄に乗り換えます。近江鉄道では、今回の同時公開にあわせて「ご開帳アクセスきっぷ」が発売されていて、特別にシャトルバスが運行されていました。彦根に着いたのは13時20分。近江鉄道に乗り換えて、尼子駅まで行くと、普段は無人駅なのに、ネクタイをしめた紳士がお出迎えしてくれます。今回のイベントに近江鉄道がいかに力が入れているかが伺えます。13時45分発のバスに乗る場合、三山すべてを拝観するには、ひとつの寺に1時間で、次のバスに乗るのがよろしい、との説明をいただきました。1)西明寺(さいみょうじ):半世紀ぶり、住職一代に一回のご開帳!バス停を降りて、石段をあがっていくと、歴史を感じさせる伽藍が並んでいました。国宝第一号に指定された本堂や三重塔。いずれも鎌倉時代に建てられたもので、釘を一本も使っていないのだそうです。本堂に祀られている、秘仏・薬師瑠璃光如来は厨子が開いた形で拝むことができます。右手の先から紐がお堂の外にまでつながっています。お参りをした後に、その紐の先をつかんで願い事を伝えるとよい、ということでした。パンフレットによると、この薬師如来の瑠璃光が、西を明るく照らしたので「西明寺」と名づけられたとか。それにしても、団体客が多すぎます。シャトルバスに乗っていたときは「特別公開なのに少ないな」と安心していたら、想定外でした。ということで、秘仏をなかなか拝めない。しかも、きょうから公開される三重塔の前にも人だかりが...それでも入口で三重塔の特別公開拝観料を払った手前、やはり見に行きたいということで、列に加わりました。内側は、極彩色の絵が所狭しと描かれています。菩薩・昇り龍・蓮・牡丹...とても鮮やかです。純度の高い岩絵の具で描かれたため、残存状態が良いのだそうです。でも、中に入る人が多すぎて、傷つけてしまわないかと、心配になりました。このほかに国の名勝に指定されている蓬莱庭の苔も美しく、結局、シャトルバスの時間から遅れてしまいました。これでは三山を見ることができないと、急いでタクシーを呼ぶ始末。あまり他人のせいにしてはいけませんが、団体客に行く手を阻まれて、時間計算を間違えてしまいました。2)金剛輪寺タクシーでシャトルバスから遅れること20分、金剛輪寺に着きました。本来の拝観スケジュールよりも大幅に遅れたというのに、このお寺は、三山の中で最も奥行きが深いのです。受付を済ませて石段を登っていくと「この先300m、がんばりましょう」という表記が...せめて秘仏だけは拝もうと、急いで石段をあがりました。かなり息が切れます。大きなわらじが両脇に下げられた二天門(重要文化財で、味わいのある山門)をくぐり、国宝の本堂へ。ふう~。ここは西明寺よりも参拝客が少なくてラッキーでした。ここの秘仏・聖観世音菩薩(本尊)も厨子が開いた状態で拝むことができました。このお寺を開いた行基菩薩が彫っていくと木肌から赤い血が流れたので彫るのをやめた、という言い伝えがあります。確かに、秘仏の首まわりは粗削りな状態でした。三重塔(重要文化財)や庭園(国の名勝指定)も、ほんの少しだけ見ることができましたが、いずれも立派なもので、本当に惜しいことをしました。3)百済寺:55年ぶりのご開帳!シャトルバスが着いたのが午後4時25分。閉山時刻は午後5時。ここも駆け足での拝観となりました。湖東三山の中で最も古く、今からちょうど1400年前に聖徳太子が建立しました。ここも本堂にいたるまでに登り坂があります。本堂の秘仏・十一面観世音菩薩は、高さ3.2m。なんと11頭身という顔の小ささ!霊木の杉を立ち木のまま刻んで作ったことと、百済から文化を移しかえる意味をひっかけて「植木観音」と呼ばれています。ご朱印帳にも「植木観音」と書かれていました。金色の華やかな体、話しかけるような微笑みに、右手を下げて左手に首の長い花瓶を握るポーズ、すべてが独特な形でした。本尊の隣に、これまた特別開扉の聖徳太子孝養像がありました。昔の一万円札などでイメージする細面ではなく、丸い顔立ちに極彩色の衣装で、美しい仏像でした。百済寺も、本堂、本尊の仏像とともに、庭が立派でした。「天下遠望の名庭」と銘打つだけあって、回遊式の最も高い場所に見晴台があって、そこから見る夕景はとても美しかったです。あわてて回った湖東三山ですが、上り下りが激しく、しかも途中で急いだために、最後はかなり足がしんどくなりました。湖東三山はいずれも平安時代かそれよりも前に建てられたもので、お堂も仏像も非常に迫力がありました。江戸時代につくられた庭も立派で、非常に充実していました。三山そろっての秘仏公開は発見が多くて見ごたえ充分でした。シャトルバスも非常に効率がよくて快適でした。次にこのイベントが行われるのはいったいいつなのでしょうか?
2006年10月08日
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きょうは一日限定の特別公開やイベントが多く、どれに行こうか、非常に迷いました。その中で、まず午前中に向かったのが、奈良と京都の境にある浄瑠璃寺です。その理由は、・国宝の三重塔が開扉されていること(毎月8日。ただし、雨の日は中止となる)・吉祥天女像が特別公開されていること(11月30日まで)こうやって列挙すると、必ずしもきょう行かなくてもいい気がしますが、まあ8日が週末にあたっていて、特別公開と重なる日は、1年に数日もないでしょう。浄瑠璃寺は、マイカーのない人間には、かなり行きづらいところです。バスは1時間~3時間に1本で、奈良から35分、最寄駅の加茂駅からでも15分かかります。近鉄奈良駅から午前中に出発するバスは、9時43分に出る1便のみ。当然のことながら、かなり混雑していました。10時過ぎに到着して、帰りの時刻を調べると、次のバスは13時7分!これにはビックリです(10月15日からは臨時便が出るそうですが...)。寺に近づくと、車道を堂々とトラクターが走っていました。しかも次々と。収穫の季節で忙しいのでしょうか。小さな山門をくぐると、「まず三重塔へお参りして、そこから本堂に向かって拝むように」という指示が出ています。浄瑠璃寺は、東に薬師如来を祀る三重塔が建ち、池を挟んで西に九体の阿弥陀如来が並ぶ本堂が建っています。この配置は、現世の苦悩を薬師如来に救済を願ったのちに、煩悩の河を越えて、来世の極楽浄土に至ることを願う、という仕掛けになっています。そうそう、このことは、造園家・中根史郎さんの授業(伝統未来塾)で習いました。これは、末法思想が広まった平安時代に特有の浄土式庭園の形なのです。三重塔に近づくと、幅15センチくらいでしょうか、狭く扉が開いています。これが特別開扉とは...あまり広く開けてしまうと、内側の装飾文様が消えてしまうからだそうです。暗がりから、金色に光る薬師如来像が見えました。現世の悩みをしっかりと受け止めてくれそうな、落ち着いたたたずまいです。薬師如来を拝んでから180度ターンすると、そこには、横長の本堂が見えます。国宝にふさわしい、威厳のある構えが印象に残りました。池を回って、本堂に入ると、九体の阿弥陀如来像が並んでいました。藤原時代の仏像だというのに、神々しく金色に光り、ふっくらとして安定しています。人間の努力や心がけで9つの往生の段階があるという考えから、九体の如来が祀られているということです。いま九体の如来が揃っているお寺は、ここだけです。このほかに、四天王のうちの持国天と増長天(いずれも国宝)、そして特別開扉中の吉祥天女像を見ることができました。いずれも阿弥陀如来ほどの大きさはないものの、今でも豊かな色彩を見ることができて、しかもその姿は端正です。こんな充実した仏像のラインナップはなかなか見ることができません。本堂にしばらく身を置いているだけで、厳粛な気持ちになっていきます。1時間あまりでお寺を出ると、やはりバスは来ない。どうしたものかと思案にくれていたら、ちょうど参拝客を乗せたタクシーがやってきたので、それを拾うことにしました。きょうは見るところがたくさんあって、時間がもったいない! 最寄駅の加茂まで1530円でした。お寺に行くと、大抵は、伽藍と仏像に見どころが多いタイプか、庭が美しいタイプかに分けられますが、この浄瑠璃寺はどちらも見どころがあって、その由来を知っても面白いし、お堂も仏像も国宝と、中身も充実しています。特別開扉で秘仏・薬師如来や吉祥天女像も見ることができたし、非常に満足しました。
2006年10月08日
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東京で1ヶ月ほど前に、知人が「明日、若沖展に行くんだ」と話していたのを思い出して、立ち寄ってみたら、非常に面白かった! 日本画を見る目が変わりました。「鳥獣花木図屏風」(伊藤若沖):方眼のマス目を埋めていく「桝目描」(ますめがき)という手法が使われています。その手法は大胆で、見るからにモダン。これが江戸時代に生まれていたとは!プライス氏は、このマス目をタイルにして自宅の浴室に再現したとか。「猛虎図」(亀岡規礼):円山応挙の弟子による虎の絵。当時、生きた虎を見ることができないため、中国から輸入された虎の毛皮を見て、想像しながら描かれたことは有名です。円山応挙の絵は毛を一本一本描く手法ですが、この絵は繊細でしかも虎が歩いてくるような毛並みのうねりまでリアル。このほかにも、屏風絵で金箔を使って濃霧を表現したものや、対角線を意識して右上はほとんど何も描かず、左下のみでほぼすべてを表現した大胆な構図の掛け軸なども印象に残りました。これらは、アメリカ・オクラホマ出身のエンジニア、ジョー・プライス氏のコレクション。その充実ぶりは、とてもエンジニアとは思えません。それにしても、伊藤若沖は、半世紀前には日本の美術史家に見過ごされていたというのだから、意外です。日本の美術研究家はいったい何を見ていたんでしょう?鎖国の時代に磨き上げられた江戸絵画の奥行きの深さに感銘を受けました。いま、これを引き継いでいる人はどれくらいいるのかな? 日本(特に東京)では、海外の作品ばかりにスポットライトが当たっているような気がしてなりません。半分を見たところで閉館時刻になってしまったので、後期の展示替えの後にもう一度行ってみたいと思います。近くには細見美術館もあることだし。
2006年10月07日
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滋賀県は京都文化の影響を色濃く受けていて、古美術商も多く、立派な古寺も数多くあります。が、場所が点在しているせいか、今ひとつスポットライトが当たらない。この連休は、滋賀県で相次いでお祭りや特別公開があるということで、行ってみることにしました。きょうは大津祭の宵山です。大津は京都から電車で10分。190円で滋賀県の県庁所在地に着くということは、意外と知られていません。京都で宿がないときはオススメと言いたいところですが、目ぼしいホテルも見つかりません。駅前はお祭り当日だというのに、閑散としていました。本当にお祭りをやっているのか、不安なほどでしたが、駅前の中央通を少し歩くと、コンチキチンと鉦の鳴る音が聞こえてきました。ん?この音、祇園祭によく似ています。通りには曳山が泊まっていて、その前後には提灯がいくつもぶら下がります。その配置が祇園祭と同じなら、曳山の近くでタペストリーなどの家宝が展示されていたり(中には重要文化財に指定されているゴブラン織もあります)、テントで粽が売られているのも同じ。曳山にはお囃子方が上がって、鉦・太鼓・笛で奏でます。曳山が祇園祭よりも少し小さく、数が少ないこともあって、まさにプチ祇園祭という感じです。祇園祭との最大の違いは、曳山にからくりが載っていることです。からくりの題材は、中国の故事や能・狂言からとっています。たとえば、桃が二つに割れて中から童子が出てきたり、くわで穴を掘って黄金の釜が出てきたり。宵山では、そのからくりが動くのではなく、曳山とは別の場所に展示されていました。からくりが動くのを見られるのは、翌日の本祭、曳山の巡行中に所望(しょもう)という所定の位置でのみ見られます。もうひとつの大きな違いは、やはり観光客の数。人通りは祇園祭よりもはるかに少ないので、ゆったり見られます。曳山の前にはグレーの半被を着た説明担当係の方がいて、丁寧にお祭りのことを教えてくれます。たとえば、お囃子方は、幼稚園児は曳山に乗るだけで、小学生から鉦をたたき、中学生が太鼓、それより上が笛やからくりなどの裏方、という具合に役割分担がされていることとか、地元だけでは人手が足りないので、遠方から参加する人も多いこととか。祇園祭の人出の多さやあの季節ならではの蒸し暑さにウンザリする人は多いでしょう。そんな人には大津祭、オススメです! 規模はそれほどではないものの、雰囲気は充分に味わえます。
2006年10月07日
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