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私の父の実家は 斎藤実盛を祭る神社の隣が 旦那寺で 以前 そこに 祖母?と叔父の施餓鬼で 妹と父と私で いったことがあります。関東にしては 珍しい曹洞宗で ある意味 昔の念仏講のスタイルそのままに 和尚さんたちに 会わせて 念仏講の方々が唱和するという昔ながらですが 実に新鮮でした。娯楽のない時代の人々にはあれは 立派な芸能なんだろうなと 衝撃でしたし 昔は 当然野生の大麻も使ったのだろうな そしてトリップしたんだろうなという気にさせられました。関西で お寺は昔 すごかった話是非 聞きたいです。教えてください。
2005年07月29日
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http://www.tomo-net.or.jp/sermon/oshie/shin04.html蓮如のこと
2005年07月28日
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http://www.harimaya.com/o_kamon1/buke_keizu/html/wakisa_k.html一部の人は 別所の人は筋が異うと称しており中略寺は元天台宗でしたが 今 東本願寺の門徒となり 住職を脇坂氏というこの付近で美濃山の長吏部落は脇坂姓です。別所と俘囚 菊地山哉 批評社の 近江の国の別所村 東浅井郡よりとあり 浅井氏の系譜とか 藤原氏の系譜ともありますがもう少し 複雑な家系のようです。特に 戦国の武者たちの系譜は おまえ うそつくなという系図がたたあり いろいろと裏をみていく必要があります。また そのことにより歴史も 見方が当然 変化してくるのですがさて
2005年07月28日
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時宗の坊さんたちが着ていた服がアンギンといい 縄文時代の服の系譜に属するものなんだそうですが初めて知りましたが、縄文時代というのは意外に最近まで継続していたという菊地山哉の説に沿った部分があり、とても興味深かった。
2005年07月25日
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15さいぐらいになると おとこのひとがよってくるそうなんですが2かいめの15さいをとうにこえている わたしのままは なつやすみともなると おおきいおにいさんのあいてのおゆうぎかいでいもうとちゃんたちをつれて とないから ぜんこくをとびまわっています。ばかぼんのぱぱとおなじとしでもおおきなおにいさんたちがよってくるままはどうなんでしょうか?そんなわけで なつやすみはいつも おじいちゃんとおばあちゃんのいえであそんでいますがきょうは ままとぱぱのしごとがりょうほうともおやすみなのでぷーるにいきましたままは むすめのわたしがいうのもなんですが ふんわり のんびりはっきり いって とてもうんどうができるようにはみえないのですが およぎだけはうまいです。わんぴーすのしろいみずぎをきておおきいぷーるで およぎまわるすがたは あにめでみたにんぎょひめみたいでままが おおきいおにいさんたちのまえでいっていたうまれるまえは おさかなだったというのは きっとほんとうだったのかもしれないかな。ぱぱと そんなすがたをみてそうおもいました。ぱぱはいつのまにか ねていたのでままが もどってくるとこんどは こどもようのぷーるで れんしゅうです。おさかなのむすめにしてはなさけないのですがわたしは まだおよげませんがそんなわたしでも ままは てをつかんでくれたりからだをささえたりしてたすけてくれます。わたしも ままみたいにおよぎたいな
2005年07月24日
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いろいろマンガもでてますがこのマンガだと 少し ださげの普通のあんちゃんがということになるので インパクトはあんまりありません。いい意味での 恋愛マンガかとhttp://subway.seesaa.net/article/1268200.htmlしかし こういうこと言う方々もいるんですね。私の知り合いで バイトを押し倒したと2ちゃんで ほぼ実名をさらされた人がいましたが本人は否定していましたがそういうのに比べれば こういう噺のほうが楽しいじゃありませんか
2005年07月22日
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1年3組 くまがいほのかおかあさんのおねえちゃんがいうのはあまりおばちゃんというとおこるのですがおとこのひとにもてるのとくいっぱぐれがないのでおとなになったら ナースになりなさいといいますきのう ままが こんどのあにめのおしごとはかんごふさんものだといいつうはんかたろぐでなーすのふくをみていますわたしはかんごふさんのふくはびょういんでよういするものとおもっていましたがつうはんでもかえるそうです。ままのおともだちのちょっとかおがふぐににているひとはまえは かんごふさんだったそうです。ほんとうは まま きらいなんですがままがけいたいで でんわをしています。ちゅうもんのしかたをきいているみたいですがなんで わたしのなまえをつかうの?どうして えとをひとまわりずらすのふだんは ふんわり のんびりしているのにこういうときは すごいです。おおきなおともだちのまえでなーすのかっこでうたうそうですがままなら なーすじゃなくて かんごしちょうでしょ?とおばちゃんにいったら ほんとのこといってはいけないそうです。おとこうけって こういうこと?とおばさんにきくと にがわらいをしてました。どうしょうかなとおもいますがおよめさんに センセイ まほうしょじょにめがみさま それからあいどるに なーすつぎは かんりにんさんか おかねのかんじょうがあわないはなやさんままなら なんでも できそうですそうだわたしはままみたいになってまいにち くるまでおくりむかえおしてくれるやさしいぱぱみたいな かれしが ほしいです
2005年07月20日
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http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/28313438.html朝日に出ていた投稿についての反論などですがイデオロギーはともかく 司書ならこういうことはやっていけないと教えられているはずなんですがhttp://suttonde.exblog.jp/2278302ただ自分の書いた本は35冊 図書館に入れとなると?ではないかと思います。図書館業界的にはいろいろあるみたいですが詳細はわかりませんが、タレコミか 目立つ人だから たたかれたのではないかと見る向きもありますが自分の本を35冊ですか?
2005年07月18日
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だいたい 歴史のホームページのパターンだとなになに天皇がとか 鹿島昇の論考ひっぱりだしていきなり中東まで話がとんだりとか語呂合わせとか なにやらパターンが見えております。それから在日の方の描く 古代史像なんて とても簡単日本は 韓国人がすべて つくったニダ BY 半月城通信アングラだったら クマノライフというところで私なら どうするか?地元のさいたま市の古代に また考古学的に 思いを馳せてみたいそう思います。岩槻といえば いつのまにか さいたま市に吸収されましたが雛人形で 有名ですがhttp://www.koboku.co.jp/hina/hina-yurai.htm雛祭りは 一般的には こう思われますがhttp://www.kougetsu.co.jp/hinamatsuri/rekisi.html宮中の祭りと誤解されやすいのですが 雛祭りとは 庶民の長い伝統の祭りでしてhttp://www.jomon.or.jp/handa.htmlはるか 古代まで 土偶の時代まで思いを馳せることができるようです。http://urawa.cool.ne.jp/tantantanuki/shiraoka/rekishi/gensi_kodai.htm近隣の白岡は 考古学から 古代にかけて こんな状況でしたしhttp://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/omuroyama2.htmちなみに 埼玉スタジアム近辺は こんな感じです。http://homepage3.nifty.com/bokujin/koq&a.htm雛人形については 下級武士のアルバイトから始まったという説とか いろいろ あるようですが、安行の植木にしても、岩槻の人形にしても、意外に江戸時代中期から盛んになったようで、菊地山哉は 見沼の干拓で それまで縄文時代とほぼ同じ生活をしていた人たちが いままでの生業を変えたのが安行の植木だということですが、おそらく岩槻の人形もそのパターンではないかと 推測されますが いかがなものでしょうか?
2005年07月14日
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日本書紀にせよ 古事記にせよあれは 神道の書ですからそこにかいてあることは宗教的な色彩もあって当然ですし神を祭ることは昔は政治ですから政治学的な対象にもなります。人類学的な見地からみれば再生と復活という普遍的なことになります。歴史学な見地からすると松本清張が金枝篇から 卑弥呼が暗殺されて新しい王がここで出てきたとか ちょうどこの頃に日食があったとかで歴史事実につなげるみかたもありますね。そこで いや神話があったのだ 具体的事実はこうでという方もいますが人類学とか 宗教学とかの見地からみるとそんなあったかなかったかわからないところからうんぬんというよりも世界中 どこにもあった儀式を伝えたものだよそんな結論になります。と返事をした次第です。
2005年07月12日
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http://www.oidaki.com/久々に、柔らかめの噺ということで サーテイガールを読むこれは 上記のWEBサイトからの、噺を単行本にしたもので日立空調システムのWEBサイトから生まれたものですね。噺の内容は読んでからのお楽しみですが。ネットマンガって こうやればいいというモデルが出たという気がして本で 読めばいいのに、わざわざ WEBでみたくないよというヤフーでのやり方に 反旗を翻した形になっているのが日立系からの会社というのが 面白いところで ある意味よく 上のヒトがOKしたなという気がします。こうやれば ネットマンガもいいよね。
2005年07月11日
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日本書紀の 神道の書としての読み方日本書紀の人類学の教科書としての読み方お寺についての考え方山本勘助は 創作人物であるということについてなど聖徳太子はサンタクロースである。高度成長まで 縄文時代だったという噺コメが 日本中に行き渡るまで親鸞は仮託されたものである。巫女は皇子でありアイヌと エゾの噺について鋼鉄は如何にして鍛えられたか?太子は 大師にして タイシであるということ。土偶はおしらさまであり 雛祭りであるということ。ミシャクジは 聖徳太子像であるということ。登呂遺跡は弥生時代の遺跡ではないということ。高利回りの年貢という考え方
2005年07月09日
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イマジンするのは簡単だけどこの世の中には 現実しかいない。歴史認識を一つにして謝罪して 賠償金いくら払えば 許されるのか?その前に 日本国がたぶん 滅ぶだろうなと思います。朝鮮統一?金正日が 帝王の座を降るなんてことを信じるバカが まだいるんて信じられない。総連系の学校では いまだに金正日の肖像を飾っているとのこと、阿弥陀さまの像でも飾るようにね。その阿弥陀さまに寄進したお金で テポドンができ12歳の女の子の誘拐殺人が行われたとのこと。そして 阿弥陀さまの元には、金天海を初め在日の大先輩たちの死骸が眠っている。過去はあったかもしれないがいま 貴方は どこに生きているのか?これからどこに生きるのか?現実の日本か金を貪り 死骸が その庭に埋まってる阿弥陀さまのもとでか?
2005年07月07日
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年の初めに歳神(としがみ)に対してその年の農耕の豊かさを願う予祝行事。理想的な稲作過程を模擬的に演じてみせる類感呪術で,御田などとも呼び,多く農山村で小堂の修正会(しゅしょうえ)で演じられる。また春田打・春鍬・庭田植などと呼んで,家ごとの行事とするところもある。類感呪術の方式には,身振を主とする演劇的なところ(京都府日吉町田原・愛知県設楽町田峰など)や,さらに能狂言の要素を加えたところ(奈良市手向山八幡宮・大阪市平野区杭全(くまた)神社など),唱え事を主とし言霊の呪術に重点をおくところ(静岡県森町小国神社・長野県阿南町新野)などがあるが,一般的には詞章に身振や舞踊的要素をまじえて演じる。東京都板橋区徳丸や下赤塚,静岡県大井川町藤守などがその代表。新春の模擬農耕儀礼は,奈良春日大社や伊勢神宮の鎌倉初期の記録にすでにみえ,各地の伝承詞章のなかにも,鎌倉期の面影を残すものがある。http://www.tabiken.com/history/doc/L/L012C100.HTMよりの引用http://www.tabiken.com/history/doc/B/B111C100.HTM
2005年07月06日
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今年の上旬の入院中に、病院の本棚においてあった 看護婦さんたちの証言をまとめた本を読み 興味深く 感じた点がありました。この後半部分は 従軍慰安婦さんたちの証言(というか聞き取りで) かなり古い本である意味 ドグマがはいっていないという意味で 下手な研究書よりも貴重かなという気がします。従軍慰安婦についても 奴隷を集めるように集めたという点について 決定的な 資料が出てこないのは 隠匿されただけという見方もあるようですが 民間業者が 看護婦の募集に見せかけて 人間を集めたというのは この本のポイントです。当時は公娼制がありましたから 本質的に アフリカからの奴隷貿易みたいなものがあれば まちがいなく東京裁判で問題になるはずです、ある程度 逸脱した部分があるようですが、当時の枠内の範囲と受け止められたのではないかと 推定されます。強制連行も、これと同様な気がしますが?強制連行と 従軍慰安婦の問題は 私には いまでもあるタコ部屋の存在を どう見るか?それにつきるような気がします。このふたつは これじゃないかと思います。あとは 論争のポイントが 双方 ばらばらで これにフェミニズムやら なんやらの観点(ようするに男は嫌い 死ねばいい)が入り 迷宮に陥っているという印象を受けます。作家さまは 飛田や 赤線や 西成を ご存知だと思います。資料を見ただけでない観点から この問題がある程度 わかるかと思いますが いかが お考えでしょうか?
2005年07月05日
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安江良介サンという岩波の先代の社長の方針としては、金日成、北朝鮮については問題もあるが、植民地支配の問題もあるので、日本人からは何もいえないということで相当 やりあった部分もあるようですが、表に出さなかったということのようですがただし、言論人として 表に出さなければ、あえて片棒を担いだということをいわれても仕方がないとは思います。このスタンスが良かったか 悪かったか?それはさておき、この駄文は、スタンスとしては、半月城センセイについての対抗ということではなくかのセンセイのスタンスをみていこうというのが 目的(というほどでもありませんが)ですが、ただ 私としてもいわゆる あまり体系的な形で 朝鮮半島のことを知らないなという意味で 作家さまに 質問したわけです。半月城センセイいわく 日本は 韓国人が作った?(ではなんで オンモンがないの?) 天皇家は百済出である(わかったけど なら日本が韓国併合してもいいよね)、倭寇は日本の侵略である(ほとんど高麗人じゃない?)に対して 部分的にはありますが、まとめた形での 反論している方がいない、徹底的に考察している方があまりいないので、こんな駄文をかいてきたわけですが、どうも歴史関係の方でも反論するのは 大人気ない とりあえず 何もいわないという方が いるのは不思議だなという気がしてきます。
2005年07月02日
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