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9621 韓国のベトナムへの謝罪 半月城 2001/09/09 かって、ここの会議室で韓国がベトナムでしでかした残虐行為や非人道的な行為を追求しない韓国人に、旧日本軍の「慰安婦」問題などを非難する資格があるのかというニュアンスの書き込みがあったように記憶しています。 その趣旨が、もし「残虐行為は日本だけではない、韓国もやっているではないか」と強調することにより日本の戦争責任を希釈しようとする目的なら、それはもちろん聞くに値しないものです。 しかし、趣旨が日本の残虐行為はもちろんのこと、韓国もアメリカも非人道的残虐行為はそれ相応に償われなければならないという普遍的な人道主義的立場に立つものなら、それは真剣に追求すべき問題であることはいうまでもありません。 韓国ではこうした反省が99年ころからなされ始め、ハンギョレ新聞や人権団体の努力により、韓国軍はベトナム戦争でどのような残虐行為をしでかしたのか、その実態が次第に明らかにされてきました。 ベトナム戦争において韓国はアメリカの要請をうけ、反共・自由主義陣営への「恩返し」を大義名分に 65年から73年まで南ベトナムに約30万名の軍隊を派遣して参戦しました。 この戦争で韓国軍は4960余名が戦死、10余万名が負傷しました。その反面、若者の血の代償であがなった経済的利益も大きいものがありました。かって敗戦国・日本が朝鮮戦争の特需で立ち直ったように、アメリカ軍の丸抱えであった韓国軍は戦争で外貨を稼ぎ、同時期、日本からの「独立お祝い金」とあわせて経済発展の基礎を築いたといっても過言ではありません。その一方「泣く子もだまる韓国軍」は敵軍のベトナム人を4万1450名も殺害したとされていますが、その中には多くの民間人も含まれていました。ベトナム戦争は、米韓側からすれば前線がはっきりせず、敵が誰なのかもわからない泥沼戦争でした。そのため作戦はいきおいベトコン(ゲリラ)の根拠地を捜索、破壊することにおかれ、それがやがて老若男女を区別しない虐殺行為に発展しました。 その一例ですが、ハンギョレ新聞によれば、1965年12月22日, 韓国軍作戦兵力2個大隊はビンディンソン、クィニョン市に 500余発もの大砲を撃ち込んだ後、日本軍の「三光作戦」さながら“きれいに殺して、きれいに燃やして、きれいに破壊する”というスローガンのもと「ベトコン捜索掃討作戦」を繰広げました。 結局、韓国軍はこの村で12歳以下の22人の子供、22人の女性、3名の妊産婦、70歳以上6名の老人を含む 50余名を超える良民を虐殺しました。アメリカ軍のソンミ村虐殺事件顔負けの虐殺行為でした。 このような過去にたいし、韓国の金大中大統領ははじめてベトナムに謝罪しました。その画期的なニュースをハンギョレ新聞社が取りあげていますので、以下にそれを紹介します。 --------------------<大統領も「申しわけないベトナム」> 韓国週刊誌『ハンギョレ21』2001年08月28日 第374号http://www.hani.co.kr/section-021025000/2001/08/021025000200108280374066.html<ベトナム戦争後、初の「謝罪」発言・・・300万ドルを投じ民間人虐殺被害地域に病院建設も> 「私たちは、不幸な戦争(ベトナム戦争)に参加し、本意でなくベトナム国民に苦痛を与えたことを申しわけなく思い、慰謝の言葉を申しあげます」 金大中大統領は、3年前の「遺憾」発言からさらに一歩踏み込んで、韓国軍のベトナム戦争参戦に関してベトナムに謝罪した。 金大統領は去る8月23日午前、青瓦台(大統領官邸)でもたれたベトナムのチャン・ドク・ルオン国家主席との頂上会談の席でこのように明らかにして、「雨降って地固まるという韓国のことわざにあるように、過去の不幸があったので韓国はベトナムに一層深い関心をもって理解と協力を求めていく考え」であると話した。 「一回の謝罪で終わることではない」 金大統領の今回の発言は非常に破格的なことと受けとめられている。頂上会談直後「心から歓迎する」と論評をだした「ベトナム戦真実委員会」(常任代表・李ヘドン)関係者も、これほど早く謝罪がなされるとは予想していなかった。保守陣営の反発など政治的負担が大きい問題を大統領があえて引っ張り出すとは見ていなかったためである。 ところで、金大統領は具体的にベトナム戦参戦に関して何を謝罪したのか。「本意でなくベトナム国民が被った苦痛」とは何か。大統領はこれを直視しなかった。しかし、同じ日の午後、国賓晩餐会の席で行った別な発言からおして推測することはできる。 大統領はこの席でチャン主席に「ベトナム中部5省に病院を建てたい」との意志を明らかにした。「中部5省」とはクアンウンアイ、クアンナム、プユェン、ビンディン、カンホアでベトナム戦当時、青龍・猛虎・白馬部隊がベトコン探索・掃討作戦を展開したところだ。 総額300万ドル規模の予算が策定されたこの病院建設事業は、来年から約3年にわたり遂行される。政府はすでに昨年も中部5省に200万ドルを投じ40カ所の小学校を建てることを決定して、現在20校の建設を完工した状態である。 ベトナム中部5省は、韓国とベトナムの「暗い過去史」を象徴する。『ハンギョレ21』が去る99年5月から繰り返し報道し始めた「ベトナム戦民間人虐殺」関連記事は、中部5省の被害者たちとその場で作戦を行った韓国軍の証言を土台にしたものであった。 その過程で発足した「ベトナム戦真実委員会」は平和音楽祭など多彩なプログラムで「謝罪世論」をかもしだして政府に迫った。大統領の「謝罪発言」と中部5省支援事業はその延長上にある。 ホーチミン市でも「申しわけないベトナム」のレコードが発売される。 もちろん限界はある。聖公会大学ハン・ホング教授(韓国現代史)は「今回の謝罪で終わるものではない」となで切りにした。「私たちは日本のようにうやむやに済ませないということを外向けに誇示した点では賞賛される価値はある。しかし、謝罪をしようとすれば、私たちがどのような苦痛を与えたのか、徹底的に糾明したのちになさればならないのにその過程がない。大統領だけの謝罪でなく、全国民的謝罪運動が必要である」 対照的な批判もある。ハンナラ党のクォン・チョルヒョン代弁人は「金大統領の主張は<アメリカの傭兵としてのベトナム戦争参戦>という運動圏主思派(主体思想派)の論理と酷似している」とし、「枯葉剤の被害患者がどれだけ多いのかを考えれば軽率な話」という論評をだした。 また(朴正煕元大統領の長女)朴槿恵議員は、自分のホームページで<これは6・25(朝鮮戦争)のとき、大韓民国の自由民主主義を守るために戦った16カ国の将軍や指導者が金正日委員長に「不幸な戦争に参加して北韓国民に苦痛を与えたことを謝罪する」というのと同じくらいとんでもないこと>と批判した。ベトナム戦戦友会など一部の参戦軍人組織も「妄言」として反発する態勢をとっている。 ともあれ、このような論争のなかで国内人権団体のベトナムもうでは継続している。韓国キリスト教協議会(KNCC)人権委員会(委員長・金ジョンミョン)は、10日ごろベトナム中部5省地域を訪問し「民間人被害実態」を調査する予定だ。 ベトナム側も消極的ではない。 ホーチミン市の「サイゴン音盤社」は、韓国の「ベトナム戦真実委員会」が一年前に製作したレコード「申しわけないベトナム」をベトナム語に翻訳して今年末に発売する計画である。「サイゴン音盤社」グェン・カッ・ビ社長は「レコード発売がベトナム社会に大きな共鳴を呼び起こす」として「韓国の人道主義・平和運動がますます発展するのをいのる」と立場を明らかにした。 韓国とベトナムは今回の頂上会談を契機に、自然開発と情報技術分野での協力を強化する、いわゆる「21世紀包括的同伴者関係」を闡明にした。両国は共同の大規模油田開発に成功したし、SKテレコム社など国内移動通信業者はCDMA事業進出でベトナム政府の承認を得た。「真の謝罪と容赦」がなされれば、二つの国は「もっとも親しい友人」になるだろう。 -------------------- ベトナムにたいする謝罪は「全国民的謝罪」であるべきというハン教授の指摘は正鵠です。ある「慰安婦」は韓国政府から支給された支援金を、ハンギョレ新聞社のベトナム「誠金募金」に寄付しましたが、今度はその「慰安婦」に日本はどう応えるのか・・・。「慰安婦」のCDでも出す発想は日本にはなかったのでしょうか。 ともあれ「真の謝罪と容赦」が求められているのは、韓越間のみならず日韓間、日中間でもしかりです。 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
2005年10月31日
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で、私も勘違いしてたんですが、政府レベルでも韓国はベトナムに謝罪してましたね。↓を参照してください。http://ha2.seikyou.ne.jp/home/memo/9621.htmlどうぞベトナム大使館にも問い合わせて確認してください。Posted by とおりすがり at 2005年09月16日 06:36とおりすがりさん>Park Leeさんの質問攻めは「フルメタル・ジャケット」か、宗教系自己啓発セミナーかと言ったところですね。この両者は相手の人格を全否定して洗脳するという点で同根です。全然そんなふうには感じませんが?的外れな「返し」ですね、あなたも。>まあ、バカだからだと思いますが。「まず、野次や揶揄は控えてください。この部分がなくとも論旨は通じます」と管理人さんもおっしゃているじゃないですか?Posted by ペ・ヨンヨン at 2005年09月16日 11:18とおりすがりさんまず、情報を提供する場合は、きちんとしたソースをつけるのはある意味当たり前だと思います。ただの噂レベルと誤解されないためにも。しかし、あなたの場合はソースが全く提供されていなかった、という点であなたの側に落ち度があります。そのことで「質問」されて、相手を「バカ」呼ばわりするのはあまりにもレベルの低い反応です。そして、>情報の選別の仕方が偏ってるなー。「それが日本人なんですけどね(w」と言っているからには、そうじゃない比較対象が存在する、という前提ですよね。それに対して「質問」するのは、別に悪いことではないと私は思いますが?今回のソースの提供で気になった点があります。韓国側の発信のみですね。こちらもベトナム側の報道をつけたほうが、より説得力が増しますよ。「偏らない」ためにも、双方の報道を載せるべきではないでしょうか?Posted by ペ・ヨンヨン at 2005年09月16日 11:28どういうわけか「とおりすがり」を名乗る奴ほど必死で感情的なのはどこの掲示板でも同じですね。(笑Posted by poti at 2005年09月16日 12:22気になる情報は以前から存じていましたが・・・。韓国石油公社、ベトナムで原油生産韓国石油公社は30日、今年11月をめどにベトナム南部沿岸から50キロメートル沖の「15-1鉱区」で、原油生産を開始すると明らかにした。同鉱区の推定埋蔵量は5億9,000万バレル。石油公社は2000年8月に同鉱区を発見し、これまで評価作業を続けてきた。韓国側の権益(生産販売権)は24.5%だが、石油公社が運営権を持つ。生産する原油の一部は韓国に輸出する可能性もあるという。ttp://my.reset.jp/~adachihayao/030703A.htmPosted by ペ・ヨンヨン at 2005年09月16日 12:51韓国の国定教科書には「共産主義の侵略を受けていたベトナムを支援するために韓国軍を派兵した(1965年)」 と、一行記述されているだけ(5年前のTBSの報道特集より)98年、韓国大統領として始めてベトナム訪問をした金大中は「遺憾の意」を表明。韓国外交官は「謝罪ではない」とコメントした。8月24日、ソウルで行われた首脳会談で、ベトナム大統領として初めて訪韓したルオン大統領に対し、 金大中大統領は「我々が不幸な戦争に参加し、不本意ながらベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」(この謝罪は、日本に弱みを見せないため、つまり日本に向けられた外交カードといわれていましたが )Posted by ペ・ヨンヨン at 2005年09月16日 12:54そして、 退役軍人などの圧力も。「お前たちはベトコンと同じ共産主義者だ、戦場で会っていれば殺すぞ」「国のために戦い、三万人以上、枯れ葉剤による後遺症に苦しむ退役者がいる。孫の世代に『良民を殺した』と疑われるのは耐えられない。二度と新聞にベトナム人虐殺の記事を載せるな」韓国軍の総司令官は「償いは必要ないあれは戦争だった」と公式に発言ttp://nandakorea.sakura.ne.jp/html/sengohosyo.htmlPosted by ペ・ヨンヨン at 2005年09月16日 12:55とおりすがりさん「偏った情報」を避けるために、上記のような情報も必要かと思われますが・・・。Posted by ペ・ヨンヨン at 2005年09月16日 13:06>とおりすがりさん情報ありがとうございます。ちなみに記事はこの「半月城」というメディアのものしかないのですか?他にもありましたらそちらもお願いします。一誌のみでははく、偏りのないように把握したいので。欧米ではこのような素晴らしい出来事が報道されていないので存じ上げませんでした。あとは、「情報の選別の仕方が偏ってるなー。それが日本人なんですけどね(w」のお返事、「情報の選別の仕方が偏っていない国」のお待ちしております。Posted by Park Lee at 2005年09月16日 21:53>ペ・ヨンヨンさん貴重な情報ありがとうございます。石油が絡んでいる、ということは一目瞭然ですね。>韓国軍の総司令官は「償いは必要ないあれは戦争だった」と公式に発言>98年、韓国大統領として始めてベトナム訪問をした金大中は「遺憾の意」を表明。>韓国外交官は「謝罪ではない」とコメントした。この辺が重要ですね。結局謝罪していないってことになりますね。Posted by Park Lee at 2005年09月16日 22:05
2005年10月31日
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五木寛之サンの 隠れ念仏と 隠し念仏を読むこのふたつを取り上げた本というのは 一般向けのものでないことはないが真宗臭さが あまりにもありすぎるので そのへんを抜いてあるのは この人の本くらいかなと思いますがさて切支丹禁制の時代に 南九州では 浄土真宗が禁制でして、ただ 五木さんはたくみにぼやかしている気がしないでもありませんが、なんで 北と南にこういう宗教が残ったかの考察が無いのが 残念ですし、隠し念仏については真宗が切り捨てたものではないかと思いますが 如何に?あらためて 読み直すと 隠れ切支丹と このふたつは似ているし特に 隠れ念仏は 地域的に 本当に 無関係なのか?被差別部落との関連 どういう形で暮らしていたか?歴史を遡ってみると どうなのか?疑問の湧いてくる本でした。
2005年10月30日
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PCVAN JHEIWA:#3335/3351 喫茶「ピース・センター」 ★タイトル (SPM07550) 95/ 8/15 20:18 ( 68) 「英霊」か「犬死に」か 半月城 ★内容 50年目の慰霊の日がめぐってきました。先の大戦で皇軍兵士として亡くなられた方を時々「犬死に」と極言する方をよくみかけますが、これについて一言書きたいと思います。 まず第一に、「お国のため」という純粋な気持ちで戦って死んでいった人に対し「犬死に」とはあまりにもむごい言葉です。この言葉は戦死者の家族の心をますますかたくなにするだけではないでしょうか。これでは多くの純粋な遺族の気持ちをいたずらに逆なでするだけでそこから得るものは何もありません。 自分の夫や息子の死に少しでも何らかの意味を持たせたい家族は、その死を「犬死に」と発言する人に耳を傾ける代わりに、「英霊」として迎えてくれる「靖国」に足を向けるのは自然の成り行きです。結果的にこうした人たちが「日本遺族会」や橋本竜太郎氏を支え、間接的に国会決議をあいまいにし、戦後補償を困難にしている現実を直視しなくてはなりません。 第二に私は「犬死に」の用語を別な意味に使いたいと思います。この言葉にぴったりなのが中国・朝鮮から強制連行され、奴隷のようにこき使われて果てていった人達ではないでしょうか。 けさ(15日)のNHKTVで佐賀県日田川村でそうした人の遺骨の発掘の模様をを紹介していました。結局、遺骨は見つからずじまいでしたが、この人はまだ幸せなほうです。異国の地で闇に眠ったまま誰からも顧みられない多くの人たちこそ「本当の犬死に」です。 死んだ虎は皮を残すと言いますが、こうした人たちは骨さえも残しませんでした。それにひきかえて、「純粋」な日本人「戦争犠牲者」300万人には40兆円もの補償金が支払われています。単純計算で一人当たり1300万円です。さすが日本遺族会の力は大きいものです。 一方、同じ「日本人」戦争犠牲者でも「純粋」でない人、すなわち朝鮮・中国出身者に対しては日本政府はお金を出し渋ります。そのやり口は実に巧妙です。こうした「元皇軍兵士」を戦後本人の意思を無視し、強制的に外国人にしてしまい、その上で外国人という理由で補償金の支払いを拒否しています。 何と、「ずる賢い」やり方でしょうか。 第三に、日本人戦没者は、何もしないで死んで行ったわけではありません。日本帝国の先兵として、アジアの人を中心に2000万人もの人を殺しました。この2000万人という数字は「検定教科書」をパスした「文部省公認」の数字です。この数は悪名高いナチスドイツが殺害した600万人に比べてその3倍以上にもなり、いかに日本がアジアにその残虐な爪痕を残したかをうかがうに十分です。 さらに、こうした侵略行為のみならず、日常的には自分の性的欲望を満たすためにアジア各地からの無垢な乙女を慰安婦として抱いたのもこうした皇軍兵士です。慰安婦の問題を国家の責任のみに限定したのでは韓国、タイなどへの買春ツアーなど戦後の問題の認識はあいまいになります。ここでは「天皇や国家体制」の問題とは別に、一人の人間としての道義的責任を問うべきです。 以上の理由から私は戦没者を安易に「犬死に」とせずにその意味を十分考えるべきであると思います。この死者の慰霊の問題について私は興味ある新聞記事を見つけました。早稲田大学の鹿野政直教授が朝日新聞(1995.1.22)に「過去の検証は戦前、戦中に及ぶべきだ 戦争責任の球は国民一人ひとりに投げ返された」と題して意見を述べられています。ここではその中からほんの一部を資料として引用し、遺族会と靖国を考える一助としたいと思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この(戦死者、ことに兵士たちは侵略者かという)問題は、死者たちの慰霊をめぐって極点に達する。どんな形の死であれ、いやその死が寿命をまっとうしての死から遠ければ遠いほど、それを悼む気持ちはつよい。こうして遺族の気持ちは、死者を「英霊」とする靖国へと引き込まれる。 けれども、靖国の枠組みは、それを利用して、死者を国家へ奪い取るものではないのか。しかもその奪い取り方は、まず従軍者として生活者の次元から奪い、つぎに死者とすることによって命を奪い、さらに死者となった後も、自衛官合祀拒否訴訟の最高裁判決にみられるように、例外なく神社管理のもとにおくことによって、純粋に個人として悼むということを許さないという、三重のものとなっている。そして死者は、国家神道をいまも実質的に体現するこの神社からの離脱を拒まれることによって、戦争の加担者の地位に現役として留めおかれている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 半月城ちなみに 私の母方の祖父にあたる人は 根こそぎ動員で 当時の満州国防備のために 関東軍に参加し シベリア抑留のために、日本に帰国できず そのままシベリアの土になった次第でして 単純に考えると アジアうんぬんというよりも、ヨシフ スターリンは爺様の仇でござい ある意味 横田めぐみさんとにたような立場の方でして 彼女も 拉致で 強制連行で 殺害されたようなものです。韓国の方々がよく強制連行といいますが 果たして本当かという 疑問は最近指摘されることでして 戦時中はともかく 今回の拉致疑惑と あいまいな強制連行を同一化させ 相対化させようというするトンでもない話であり 韓国人は 国際法を守らない民族にしたてあげようとされていることにまだ気がつかないかという気にさせられます。また 上記の半月城通信においても 明らかに政治的な面での靖国攻撃とはっきりいってしまっているようなものです。阿片の密売で 政治資金をつくり 軍中枢に入り込んだ 東条サンが 祭られるべきか それは議論の余地がありますが、私は遠慮がちでいいますが ある方が 俺たちの爺さんはアメリカを敵にして戦ったんだぜ 俺も最近 アメリカいって あの国の大きさにびっくりしたけど それと戦ったんだぜ それはすごいと思うよという意味で 小泉サンが 靖国になぜ こだわるかの 気持ちに多少の共感ができるのです。記事番号:3378 (1998年02月19日 17時19分26秒)投稿者:周平 (属性:日本人)日韓併合の合法性について-半月城氏との議論を巡り金さん おはようございます。 この問題については、FNETDの「海外政策」の会議室において去年9月から12月にかけて半月城氏と延々論争しました。その時周りの人達から氏の論争態度及びそのHPでの「後だしジャンケン」について批判があり、私への忠告もありました。しかし私自身は基本的には半月城氏に対してさえも性善説であるため、真面目に勉強して論争しました。 その「後だしジャンケン」がこちらがリンク(?)を張っている「半月城通信」に載っていることを今回確認しました。そこで彼が明示的に「周平」と称したり、あるいは発言番号で示しているものの多くはその時の私の発言です。FNETDの論争の途中で彼には余りにも「後だしジャンケン」を意識して私の議論を歪曲し、あるいは答えなかったり、ずらしたりした態度が目立ちましたが、それでも論争をするものとしての彼の最後の良心を信じ、せめて問題の私の発言の全文が彼のHPでも分かるようにすること、それによって客観的にどちらが正しいか判断できるようにするという条件で、私の引用が入った部分の転載自由としました。そしてもしそれができないなら、私の引用の入った文章はHPにのせないように、とも言いました。実際彼に対しては、慰安婦問題などにおける論争を歪曲してHPにのせたことから「引用禁止」を主張する人達も多いのですから。まあ慰安婦問題についての半月城氏の態度にどのような問題があったかについては、その時議論をした相手の一人である下落合95氏の以下のHPにきっちりした批判がのっています。http://www.geocities.com/Tokyo/Towers/6057/newkorea.html 今回もしやと思って見に行きますと、きっちりと「後だしジャンケン」でしかも私の発言が本来どういったものであるのか分かりません。さてその場合発言者である私がはっきりと「引用禁止」を主張したわけですから、少なくとも引用部分の入っている彼の文章は本来あってはいけないはずですね。まあ私も裁判沙汰とか何とかするほど暇ではありませんので、これ以上どうこうしませんが、今回で彼がどのような人間であるかについてははっきりと認識しました。こういった人間を「在日」として、こちらからリンクを張っているのは、はっきり言って、貴方の名誉にはなりませんよ。マルチカルチュラリズムだ何だと言っても、そもそも論争の基本的マナーさえ自らのイデオロギーのために曲げても平然としているような人間と「仲間」と見られることは、今後の貴方自身が、あるいは「在日」の人達全てが色眼鏡で見られることになります。その点御忠告しておきます。もっとも日本人の側も「半月城通信」で「勉強」して「運動」するような人達が多いのですから、どうしようもないのがいるのはお互い様かもしれません。 まあともかく、日韓併合の合法性についてはもしNIFTY-SERVEにアクセスできるのであれば、そこのFNETDの「海外政策」の会議室の半月城氏の#4307から始まるツリーを見て下さい。そこでの議論を見ていくことで、どうなのかは貴方の判断に任せたいと思います。ただ少なくとも日本の学会では、韓国に養ってもらい、「法学セミナー」に戦後補償で毎回「素晴らしい」論文を書いている戸塚氏を除き、違法であると(言いたくても)言えないようですよ。大体戸塚氏の論文に重大な事実誤認があることが明らかにされていますし、海野氏でも当初と態度を変えて結局「合法不当論」という形で合法性を認めざるを得なかったようですから。また条約法の専門家である坂元氏にしても違法であると主張する人がいる、と言えるくらいで違法とは主張していませんし、むしろそこでの議論は少なくとも戸塚式の違法性の議論への論駁になっています。ここら辺の半月城氏の資料の使い方は、はっきり言ってど素人のやり方で、自分に都合の良い議論がのっている部分をキリハリしているだけです。例えば同じ学者のより後の論文がより前の論文のどの部分を変えているのか、あるいはどういった論争を踏まえて変化したのか、といったことを全く考慮していません。韓国の学会に関しては、私は分かりません。ただあそこはそもそも「学問」が成り立つ状況ではない、即ち少なくとも近代の日韓関係に関して韓国には「運動家」はいても「学者」はいない状況ではないのか、という印象を持ちました。大体国際法上一文の価値もない条約の名称の問題を持ち出してみたり(しかも驚くべきことに半月城氏はそういったことを知らずに議論していた)、外務大臣には委任状が必要ない、というこれまた国際法上の常識を無視した議論をしているようですから。 今回は相当頭に来ているので、これ以上は失礼させていただきます。ニフティにアクセスできないようでしたら、おっしゃって下さい。頭が冷えたらもう少し内容のある発言ができるかと思います。http://www2s.biglobe.ne.jp/~fdj/taidan/tyusyo.html以上からの 収録ですが、私の見た範囲でも 半月城通信の倭寇についての記述は歴史の歪曲以外の何者でもありません。よく日本人に反省をといいますがこういう点はいかがなものかと思います。こういう点は こんどの嫌韓流パート2で期待したいところです。
2005年10月23日
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子供の頃は 割と 無邪気に 読んでいたものですが。やはり カゴ直利サンの 漫画の影響が一番ですね。それに大河の黄金の日々です。ですから 基本的には 石田三成びいきというのが趣味の一番深いところにありますね。義の人としてなら 加藤剛 政治家としてなら 近藤正臣がキャストとしてはベストかもだから 関が原では 基本的には西軍びいきで高橋 大谷 幸治びいきでもあります。ただ 最近というか 本を読むと違うこともありまして昔の方の教養のベースに 左国史漢というものがありまして左伝 国語 史記 漢書 当然 中国の歴史書ですがこれに三国志というものがあります。教養のある方なら当然 これを暗記しているそうでして ここからかんがえるに諸葛孔明は 竹中半兵衛であり 秀吉は劉備 秀頼は劉善であり加藤清正は関羽 福島正則は超飛であったと考えるといろんなエピソードの数々が なんだ翻案か思うと少し興ざめしたような気にもなります。ただ 一方では 過去の日記で キリスト教の日本での歴史についていろいろ疑問を浮かべてみたわけですがキリスト教というのを スケープゴードにして鎖国という体制を整備して批判されがちな面も当然ありますが 戦国という世の中を太平の世にもっていった企画者たちキリスト教徒(外国人も含む)の処刑等維新の時代なら まちがいなく戦争ですから外国の介入なしと読みきったたとえば松平信綱などは 意外に 賞賛されるべき人なのかもしれないなと思います。島原の乱 由井正雪の変で 戦国は完全に終わったのですからあまり この人を 戦国の武将とはいいませんがね
2005年10月22日
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こう 市民ケーンこと 新聞王ハーストみたいなことをいいきったのが大映のオーナにして 政界の黒幕 永田雅一サンこと ラッパさんですがこの女優って だれなんでしょうか?キツメ眼の男というよりは 公安のイヌ 宮崎学の回想の突破者の中にも この方が登場していて 宮崎サンのお父さんと杯を交わす中ではなかったと 彼は推測していますがたとえば 左翼というか アナーキストの大杉栄と右翼の連中が意外に 仲良しだったりするという感覚的な部分がわからないのですがたとえば 宮崎サンのお父さんの組に在日朝鮮人がいて被差別部落出の人間がいる、あるものは 総連に参加し金日成は偉大だと思うが 宮崎サンのお父さんも世話になっている親分だとか またヤクザ者にとっても、左翼の先生方は自分のためじゃなくて 人のために わざわざ刑務所入り転向もしない たいしたもんだという感覚があるわけですし普通のセンセイよりも イザというときは左のセンセイ(弁護士)を当てにするようです。こういういりまじった部分があるのが関西でこれに 宗教 たとえば 天理教 PL教 学会が加わり 関西の政治風土ができているようです。たとえば 辻本清美のバックが 意外に幅が広いとか 野中センセイが両方に顔が利くのも そういう理由かなとおもうのですが
2005年10月21日
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http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/26seijin/
2005年10月16日
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http://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/rekihaku/sanpo/2001-10.htm
2005年10月15日
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島原の乱には 黒幕がいてという説というもあり 一揆軍の資金提供者がいてという見方を小説にした方もいます。ただ 兵器については、すでに一揆軍が元から持っていたもので、また 鉄砲の火薬については、島原の乱開始の早い段階で火薬倉を押さえたという記録があり、食糧については、参加の村民たちの持ち出しと見るのが適当ではないかという点もあります。最近は この事件をオウムと関連させてみる見方もありますが、オウムの黒幕も、やれ北朝鮮だ 統一教会だ 石原だという見方もありますが 結局 裏にもぐったままで 表に出てきませんでした。最終的には 切支丹反乱という解釈になったのも 黒幕を表に出せない事情があったと見るべきで 朝廷、薩摩 紀伊伊達 前田 細川などが 裏にいても さらに事件の拡大を防ぎたかったというのが幕府の判断だったのでしょうか?切支丹弾圧 島原 唐津藩のひどい政治という見方も当然なんですが 果たして それが本当か?一揆の宣伝 幕府の政治的判断ではなかったか?どうも切支丹の件になると 日本には史料がない、切支丹研究は牧師サンがするから 外国の史料中心で 殉教史のみで 宗教であり 歴史研究ではないようにおもえます。当時の社会の中で 切支丹をどう認識していくかという研究があまりなされていないなという気がしますが さて戦乱の時代から 平和の時代にいくまでの 生まれてきたものが 一律の切支丹と解釈され それらをうまく統制するために 切支丹弾圧がなされ 貿易統制令 兼 治安維持法的な存在ということで 鎖国ということに進んでいったように思います。それにしても 幕末なら ほぼ密航とはいえ 宣教師殺害なら 対外的には大変なことになっていたはずですが 情報をしっかり確保し 当時の幕府指導者は 鎖国まで しっかりもっていたものです。
2005年10月15日
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http://www.kougakutosho.co.jp/mathematics/mathematics_22.htmイエズス会本部は、キリシタンの取り締まりが厳しくなり、一五九七年、国内外の宣教師や修道士をふくむ二十六人のキリスト教徒の処刑を断行しようとした日本の奉行所に、処刑は普通の刑場ではなく西側に海や港の一望できる丘の上で行うこと、斬首ではなく磔刑(十字架を用いたはりつけ)にすることの二点を申し出、それを承諾させたのだという。裏を返せば、それは信者を鼓舞するためのイエズス会本部による一大演出でもあったらしい。イエスが処刑されたゴルゴダの丘を彷彿とさせる場所での宣教師の磔刑は、キリシタンたちを怯えさせるどころか、逆に彼らを恍惚の境地に導きさえし、教祖イエスのように自分たちも死にたいという殉教熱を高めたのだ。 初期の殉教者の遺体は着衣と共に聖宝として本国へ持ち帰られ、それを契機に聖なる殉教を夢見る宣教師たちがフィリピン方面から続々と日本潜入を図るようになっていった。その殉教熱は一時は病的なまでに高揚したらしい。殉教者は必ず天国へ行けるという教義えのゆえに、取り締りが厳しくなればなるほどに、宣教師たちの間では、殉教の地「日本」への憧れは高まるいっぽうだったという。ヨーロッパを血で染め抜いた宗教戦争や宗教異端弾圧においては、敵対する聖職者は斬首や焚刑で処刑するのが常であり、十字架に磔にして相手に栄光を与えるような馬鹿な真似はしないのが常識だった。だが、国外の事情に疎い当時の日本役人はその点できわめて寛大だったと、松原は述べている。 松原は、ヨーロッパ一円のキリスト教関係の図書館をめぐり、当時日本にいた宣教師たちが教会本部や各国王なとに送った書簡類を探し出し、詳細にその内容を分析している。スペインなどにはイエズス会に託された秀吉の書簡なども残っているらしい。資料の解釈は研究者の立場によっても左右されるので一概に鵜呑みはできないが、松原は当時の宣教師たちの裏の顔を物語るさまざまな文献の存在を指摘している。死にたいからの殉教ということか?
2005年10月13日
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いわゆる 売られてきた人と 賤民 被差別民との区別がよくわからないが今谷明氏の指摘によると 秀吉の朝鮮出兵で 大量の 朝鮮人が日本に強制連行で 連れてこられ そのうちの 一部が キリスト教徒になったということもあるようです。どうも体系的な研究が みつからないので よくわからない。日本の従来の切支丹研究は 基本的には 殉教史当時の人々の 社会的背景なんかは 基本的には どうでもいいだから わからないのかな?外国の史料にあたり日本側の史料を丹念にみていない研究もたたありとみるが遺憾あくまでも 仮説ですが らい病患者も、被差別民になりまた 朝鮮人が 被差別民に同化することにより(これは 現在でもある話ですが) ここの部分に キリスト教が入り込んでいったとみるべきで支配体制を固めるためには 戸籍(人別帖)を確立し、治安を守らせるためには 切支丹をスケープゴートにする必要性があった(鎌倉幕府創立時の義経ナチスのユダヤ人虐殺 等)ただし 薩摩の真宗弾圧などと 比較しないと いけないのでまだ わからない
2005年10月11日
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http://www.cuatro.co.jp/niigata/nanafushigi/hota.html聖人が保田の里を布教に巡られていた折のことです。とある貧しい家の前を通りかかった時、一人の女性が聖人に駆け寄り来て、母の追福を懇願しました。家の中には、御本尊も何もありません。聖人は、弥陀の御名号を書き与えようとしましたが、紙一枚すらありません。織り掛けの布を機から裂いて差し出された聖人は、その布に御名号を記し読経してやったところ、女性は涙を流して喜びました。そしてお供えの焼き栗をお礼にと差し上げたそうです。聖人は帰途上野が原で休息された折、「我が勧むる弥陀の本願」と仰せられて焼き栗を蒔かれたそうです。その蒔かれた焼き栗から芽が出て繁茂し、年に3度実り、1枚の葉先が2枚に分かれ成長したと申します。聖人は、衆生済度の尊い御心をこの保田の里に留められました。当時の木は枯れてしまいましたが、ただ今では、若木が育ち年に三度の実をつけております。http://eco.goo.ne.jp/business/csr/lesson/may01-3.html "瑞穂の国"という言葉にあらわされるような、稲作農業中心の従来の歴史観が見落としてきたのは、海の歴史だけではありません。山林業、果樹栽培、養蚕などの生業を主としている人々の生活や、それを支えた多彩な自然についての研究もこれまでほとんどなされていなかったのです。たとえば、樹木についての歴史的な知識があまりにも乏しいことに最近気がつき、愕然とする思いがしています。 そのきっかけの一つが、青森県の三内丸山遺跡の発掘でした。この遺跡の発掘は、従来の縄文時代の考え方を覆しただけでなく、列島社会の歴史はもちろん、人類社会についての見直しを迫るほどの内容を持っているといってよいと思います。縄文時代といえば、一昔前までは、毛皮をまとった裸同然の人が裸足で弓矢や石器を使って獣を追いかけているというイメージが支配的でした。ところが、三内丸山ではすでに安定した定住生活が長期にわたって営まれており、狩猟に使うヤジリの黒曜石を北海道、ヒスイを北陸から交易によって運んでくるなど、こうした定住生活を支える物資の交換・交易が大規模かつ広域的に行われていたのです。 また三内丸山遺跡は、栗の巨木によって造られた柱、見事な漆器、縄文ポシェットと呼ばれる木の皮を編んでつくった物入れなど、縄文社会がゆたかな樹木の文化によって支えられていたことを再認識させてくれました。そして、その最大の発見の一つが、栗の木が栽培されていたことだったと思います。 木の皮を編んでつくられた「縄文ポシェット」 栗林は『日本書紀』にも「くるす」という表現で登場しています。平安時代には栗栖と表記され、天皇家は古くから直属の栗栖を所有していて、そこの人々から栗を貢進させていました。私はいままで栗栖は自然の栗林だと思っていたのですが、三内丸山遺跡の状況から、平安時代にはもちろん、きわめて古くから栽植、管理された栗林が形成されていたと考えるのが妥当だと思うようになりました。 栗と人々との結びつきはきわめて深く、縄文時代以降、果実を食糧としただけでなく、その木は建築用材として広く利用されてきました。『日本三代実録』には、常陸国の鹿島神宮の遷宮の際に、大量の材木を使うため、神宮司が神宮のそばに成長の早い栗の木を5700本、杉を4万本植えることを太政官に申請し許可されていると記されています。9世紀の半ばには栗や杉の本格的な造林が行われていたことが、このことから確認できます。 また中世になると、丹波や山城には栗林を作り、栗を売って歩く職能民が京都を中心に活動していたことがわかります。栗の実はこのように食品としてひじょうに古くから利用されていたのです。 樹木について意識して古文書を読んでみると、中世の荘園・公領では田畠の面積を調べるだけでなく、樹木についてもきちんと調査していることがわかってきます。栗林については面積が、桑、漆、柿などは本数が正確に調査され、それぞれに税金が課せられています。裏返して言えば、こういった樹木がいかに普通の人々の生活に大きな意味を持っていたのかがこの事実によってよくわかるのですが、研究者の関心が稲作農業にしか向いていなかったので、基本的な資料にきちんと記載されているのに、栗の木はずっと無視されつづけてきたのです。おそらく百姓は栗の木を使って家をつくったはずですが、私たちの生活に栗がどのような意味を持っていたのか、その歴史はまだほとんど解明されていません。
2005年10月09日
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ゴットファーザーの中に ロバート デユパル演じる トム ハーゲンという弁護士が出てきます。ビトーコルレオーネの養子分になったので、彼の弁護士兼 相談役になったのですが シシリー系の人間ではなかったので かなり他の組織との関係が気まずくなったと小説には 描かれています。また 原作では イタリアンと アメリカンははっきり区別されていますまた 蛇頭というか 中国人マフィアの状況を描いた 不夜城という小説の中でも(これが どれだけリアルかはべつにして) 中国人マフィアも 同郷者で組織されているように描かれています(言葉違いますから)ただ こう考えると 疑問なんですが 倭寇の場合は どうなんだろうか?日本人と 中国人 場合によっては 朝鮮人の連合が 倭寇の正体と見る向きには ロマンと共同体を語りたいためか(ネットでは 徹夜城サマのところですが) この辺の 言葉は どうしていたんだろうかと 見る向きもあります。(ただ そんな共同体があったのかは疑問ですが)倭寇時代は 中国人の海外流出の始まりで、名のある倭寇で 日本人名はほとんどいない 日本にも史料は皆無 船の運航も朱印船の時代まで 中国人が主ときては すくなくても頭を日本人が取っていたとは考えられない。倭寇が 日本で奴隷を売っていたとみるむきもあります また この切支丹宗門史のなかでも 多数の朝鮮人の存在が語られていますが、彼らが どこからきたのか 確かに 倭寇による流入であり、また朝鮮出兵の影響による流入でしょう一方で 切支丹宗門史の中では オランダ人が日本で 兵を募集していた(募兵して 東南アジアに連れて行った)と描かれています。この辺については 雑兵たちの戦場の中でも 同様のことが 他の史料を使い 描かれています。こう考えてみると 倭寇の下っ端に 日本人が鉄砲ダマとして 利用されていたとみるのが 正しいのではないかと思います。王直の子分連中で 数百で 日本人が多くて 半分から 三分の2程度とみても 当時の戦乱で 何万もの流民がでても ほんのわずかに過ぎません。特に記録の残らないもの無理はありません。史料がいまいち 足りませんが 交易といっても 日本から出せるのは 金と 人だけ 男は奴隷同然の兵 女は慰み者だったのが ほぼ 確実で こういものにロマンをみるのも なんだかなと そんな気がします。
2005年10月08日
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例のデリヘルの源氏名でのことですがさてしかし 歌舞伎町のヨタカに、吉原の高尾がクレームいれたようなものでかたいっぽうは マニア相手の 商売もう一方は いわゆる大名道具することは変りませんというオチ
2005年10月06日
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川口氏は坂口安吾の歴史小説に興味を持って研究に取り組んでいるという。川口氏は、「イノチガケ」をキリスト教の広まりと教徒の受難の歴史を描いた作品として捉え、特徴として前半では漢語の多様を、後半では史実とはことなる安吾の解釈を挙げている。「死と鼻唄」「真珠」の分析を通じて安吾のドストエフスキー受容を析出し、死んでも尚潜入する宣教師の姿はドストエフスキー『白痴』の影響のもとに生まれたとする。また、宣教師に対する処刑すなわち穴つるしは昭和初年代のマルクス主義者たちへの拷問と一致することを明らかにした。さらに殉教した切支丹に対して小林多喜二を除く転向した共産党員に対する批判を指摘した。切支丹にも棄教者がいたことはパジェスの『日本切支丹宗門史』に記されているが、安吾は殉教者のみをつらねて、棄教しなかったというイメージを故意に作り出したのであり、それが転向者へ向けた批判となっているという。結論として「イノチガケ」が転向批判小説であることを指摘した。 とあるサイトからの収録転ばせるための拷問ではなく、密告させるための拷問であったのではないかという見方はできないか?この本のなかでもユダが入りこんでいるという表現があるのに注意
2005年10月04日
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切支丹弾圧についての記録なんだけど元ネタがよくわからないし基本的には 殉教賛美なんで 松田先生の本などと 読む比べると少し 変な気がする。また日本人切支丹の 人物描写が薄く 彼らの状況が意外にわからないただ 注意深い 読んでみると要するに らい病患者のグループに入り 山の中を逃げ回っていたのが 宣教師さまたちの姿らしい。昔の左翼みたいに。ライ病患者 イコール 被差別民 山の中 山民という連想が思い浮かぶが 如何だろうか?鬼の日本史という本の中では 薩摩の一向衆とこの切支丹たちの類似性を 指摘しているがこれも どうだろうかこれに 魔女狩りとの共通性を見つけることはできないか?
2005年10月01日
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