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朝鮮関係でいいますと、歴史の本では 私が無知なせいか いいものをしりません。三国史記や李朝実録 高麗史が 岩波で手軽に読めないものかと思います。東アジア論ということでいいますと 必ずしも 朝鮮関係ではありませんが。高島 お言葉ですが 俊男の 中国の盗賊岡田 実証性には 難アリ 英弘の 日本史の誕生これを読めば 古代史から 近世史までの 半月城センセイの見方がいかに 朝鮮ナショナリストか わかりますがただ 文学関係は よくわかりません。在日、韓国の方を どうとらえていくさいに押さえておきたいことなど ご教授くだされば 幸いかと
2005年06月29日
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大坂で 在日の方がいっぱいいるというと 例の焼肉が美味しいというところでしょうか?ところで ビーバップハイスクールという 漫画 そして映画はご存知ですか?ヤフーの掲示板で みたのですが、あれも 朝鮮高校と 国士舘同士の抗争を描いたものと感じる向きもあるようです。在日の方に感じる 韓国のことをもっと勉強したらとは たとえば どんなことでしょうか?また日本人的な表現って どんなところでしょうか?私の場合では、キューポラのある街が割に近く、民団の支部が学校の近くにありました。地元の学校に通っていたのではなく、同級生も教師と医者が異様に多かったので、差別的なものを感じるスタンスはなかったですね。原作は読んだことはありますが、映画はありませんが、あの中で 金日成将軍の建設する祖国に 主人公の友人が帰るシーンがあったはずです。いやいや日本に来たなら 当然 在日のヒトは 祖国に帰ったはずだよなという思い込みが子供心にできたものです。私が生まれた頃に、北朝鮮で 金日成による粛清がひとだんらくしました。韓国の軍事政権についての批判が 朝日新聞には出てきますが、北朝鮮のことについては賛美のことだけで 静かに拉致が進行していました。高校で 動物農場や ソルジュエニツインを読みました。私の大学時代は まだ北朝鮮ブームというのが マニアックな形でありましたが、小田実の北賛美の文章が朝日新聞に出ていたのを覚えています。世界という岩波の雑誌で 日本人に 反省を求める?むかむかします。反省しなければならないのは あんたの先代の社長じゃないか?自分たちの先代の社長さえ 批判できないのに、日本人なんていうのも おこがましいやってきたのは 金 マキュベリスト 大中の太鼓もちじゃないか?半月城通信についての違和感にも通じるところです。
2005年06月27日
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在日の方といっても、ニューカマーの方もいますし、総連と民団(必ずしも図式的に分けられるわけではないようですが)とか 1世 2世 または3世以降 世代 いろんな考えがあります。(まあ あたりまえの噺です)ですから 半月城センセイにしても 50代の方のようです。その中での言説で、また読んでいると いろんな言説をあえて 省いています。(ご自分の言説に都合の悪いことはですが)ただ どうなんでしょうか?先にあげたような 在日の後輩に送る言葉は後ろめたいというより 幸せにでしょう?それがさわやかにというものではありませんか?そして 下記の言葉の引用でシメマス。過去にまつわる合意なしに 日韓がこれほど重要な関係を築きあげてきたという実績と、私たちの社会に占めるその重要性をもう一度 冷静に再確認する必要がある。日本と朝鮮半島の過去は日本植民地支配期にのみあるのではない。植民地支配の終焉から半世紀以上 私たちが朝鮮半島の人々とともに築き上げてきた もう一つの過去とその重みにも 目をむけるべきときにきているのではないだろうか朝鮮半島をどう見るか 木村幹著より
2005年06月26日
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- FWORLDC MES(12):【世界情勢・国際問題】World Watching! 01025/01025 PFG00017 半月城 定住外国人の地方自治権(6)(12) 95/08/28 23:19 01024へのコメント 帰化と差別(2) 前回は、日本の陰のあまり知られていない差別や偏見の実態について簡単に書き、これが当事者をいかに苦しめているかについてふれました。こうした日本の差別の実体が当人にとって耐えがたければ逆に「帰化は魅力的」なものになりますのでその数は増えます。このことを反映するかのように、帰化者は年々増え今までに定住韓国・朝鮮人の内17ー8万人が帰化しました。 こうした帰化には前回述べたように多少の後ろめたさがつきものです。今回はこのあたりの事情について少しふれたいと思います。 帰化に対しての考え方は世代によりかなり異なります。特に在日1世には相当な抵抗感があります。その背景にはもちろん日本と韓国との間の不幸な歴史が影をさしています。この1世の世代は言うまでもなく日本の植民地支配時代にありとあらゆる苦難を背負って来た人たちです。 そもそもこの人達の来日自体が強制連行されたケースが少なくないのです。しかも異境の地、日本では炭坑、鉄道、ダム建設などの苛酷な3K職場で低賃金で働かされ筆舌に尽くしがたい艱難辛苦を背負ってきた世代です。また、はなはだしくは宋神道さんのように慰安婦にさせられ日本軍人の性欲のはけ口のために性の奴隷にされ、青春や家庭を奪われたのもこの世代です。 この1世たちの大半は日本という国家により自分の生涯を踏みにじられた人たちで、骨の髄まで日本に対する恨みや憎しみがしみ込んでいる世代です。それに加えて、日常の習慣や物の考え方など日本にはなじまないことも多く、言葉すら日本語を十分話せない人がけっこういるものです。そのかたわら故郷には肉親や親戚がいる場合が多く、祖国指向がその人のバックボーンになっていると言っても過言ではないと思います。従って、この世代はたとえ帰化にどんなメリットがあろうとも自分から進んで帰化することはまず考えられません。 次に2世はどうでしょうか? 2世の場合、その受けた教育により考え方に大きな開きがでてきます。特に、自分は「朝鮮人である」という自覚を持っている人は、だいたい朝鮮学校で本格的な民族教育を受けた人で民族的な誇りを持って生きようとする人たちです。こうした人たちは帰化については1世の後継者的な考え方をするので帰化をする人は少ないようです。 一方、これ以外の2世の考え方は千差万別です。その生き方をおおざっぱに分けると 1。差別などの現実に耐えられず、これから逃れるために帰化をする 2。帰化はしたいけれども手続きが面倒なので放置する。 3。民族の一員として誇りを持って生きるのを信条とし、差別などの現状に 進んで立ち向かう。 4。確固たる信念はないが、さりとて差別から逃れるために帰化するのを潔 しとしない。この背景には、帰化は1世に対する一種の「裏切り」である という意識を持っている場合が多い。 私もこのような2世のひとりですが、上の分類のどれに相当するかは読み手の想像に任せます。 ところで帰化と言えば当然国籍の変更を伴いますが、この点に関して私たちには見過ごすことができない重要な事実があります。私の例を引き合いに出して説明します。 私の現在の国籍は「韓国」ですが、これは3番目の国籍にあたります。最初の国籍は日本とされました。それがいつの間にか「日本国籍」は消えて国籍は一律に「朝鮮」とされました。さらにその後、私の両親が政治的な理由で国籍を「韓国」に変えました。 この経過の中で、日本国籍の「消滅」は問題の多いところです。特に日帝時代に日本軍人として活躍した同胞の場合、この措置はあまりにもむごいものになります。このような日本の「国策」の協力者の「皇軍兵士」を一夜にして外国人という口実をつけて放り出してしまうなんて日本政府のやり方もあこぎなもんです。 こうした日帝の協力者、裏を返せば祖国の裏切り者に対して韓国政府はもちろん手をさしのべるはずはありません。この人達は身も心もたぶん「天皇」に捧げたと思われますが、はたしてこの人達を「日本人」以外の外国人として考えることがそもそも可能でしょうか? このような「帝国軍人」が戦争でけがをして「傷痍軍人」として復員しても純粋な日本人とは違って軍人恩給などの補償は一切貰えません。必要な時は「天皇の赤子」として利用し、用がなくなると外国人という理由で切り捨ててしまうなんて血も涙もないやりかたです。 なお蛇足かも知れませんが、この韓国人は帰化をすれば補償を受けられた時期が数年ありましたが、日韓条約以降はそれも不可能になりました。 こうした現実を知れば知るほど、私たち2世の帰化は「1世への背信行為ではないのか?」という疑念が強くなります。さらに、差別などのデメリットから逃れるための帰化申請は「負け犬」のやり方ではないだろうか、という思いも頭をかすめます。その一方では、定住韓国人の一人として日韓友好の架橋の一助など、それなりの役割をになえるのではないだろうか、という自負もちょっぴりあります。 あやしいさん、これで私たちが帰化をしない理由が少しはおわかりになったでしょうか? こんな理由から私は帰化しないことに決めています。 ご説ごもっともという気が一方でしつつも、下記のごときhttp://pknj.seesaa.net/article/3721410.html#trackback現実に眼をそむけて また下記に出した このような形の帰化に後ろめたいという表現を加えるのは どういうことか?在日韓国人としてさわやかに生きるということではなくかなり意固地な 爺さんという印象を私は受けます。knj様は、とても真面目な方だと感じます。蓮の花は、日本人との結婚を機に日本人帰化したので、それまでは韓国籍だったんですよ。(^^)>実は、手元にある図書券の残りで鄭大均さんの「在日韓国人の終焉」を買って読んだ。私も日本人帰化する時に、この本を読みました。そして主人を愛しているし、私の中身は国籍以外は完全に日本人だなあ~と、改めて感じ、帰化を決断しました。>完全に同意するかどうかは別として、割とこの本に書いてあることは納得できた。>蓮の花さんやらーさん、Bacteriaさんたちを知ったからだ。>みなさんの考えは、ほぼ日本人という感じがする。>(蓮の花さんは帰化していらっしゃるので、ほぼもへったくれもなく日本人ですが)そうですね、蓮の花はもう韓国籍を無くしましたし、現在はコリア系日本人主婦として、自分を認識しています。名字も主人の名前で帰化しましたので、日本で一番多い平凡な姓なんですよ(^^)・・・ルーツである韓国も大好きです。でも韓国の政治、特に対日政策は完全に間違えてると思っております。そして生まれ育った日本にも愛着があり、どうか私にとっての二つの祖国が、早く仲良くなってくれるといいな~と願っております・・・>私は帰化する目的は実利的なものだとばかり考えていた。>こういった在日の人がいるとは思ってなかったので驚いたが、>本にも書いてあるぐらいだから、実際には私が考えるよりもずっと多いのだろう。knj様、私の日本人帰化への決断は、とにかく主人が好きで、愛する人と結婚できることに舞い上がってて・・・帰化も自分から言い出しました。蓮の花の中身は完全に日本人ですし、国籍だけが韓国で、中身と国籍とのギャップがある。今までは、自分のアイデンティティーの拠り所として、韓国籍のままいました。国籍以外、自分を韓国人だと認識できなかったのですよね・・・でも、人間どんなに長生きしても100歳前後です。もっと自由に生きてもいいんだよ・・・、と思えたのです。何も国籍にアイデンティティーを求めなくても、日本人帰化してもいいのでは?と・・・こういう考えの在日、実は結構多いと思います。蓮の花の友達の韓国籍の在日3世の女性は、自分を日本人だと言います。国籍は韓国なのに・・・。おかしいですよね?・・・>気になるのは、こうした人たちにとって韓国人としての経験って何なんだろうということだ。>新たなる良き日本人にとっては存在すら消してしまいたい過去なのだろうか。>それとも、もともとあるべき姿じゃないから意味がないのかな?>そういう人生は少し味気がないような気がするのだが、ゆがんだ考え方しているだろうか。蓮の花が馬鹿なだけかもしれませんが、普通にコリア系帰化人日本人ですと、正直に説明していますよ(^^)・・・在日韓国人3世として生まれ、結婚を機に主人の姓で日本人帰化しましたと・・・誰も特に驚かなくて、「へ~、そうなんだ。」の一言で終わってしまうのですが。もっと突っ込んで欲しいという気持ちがあったり・・・少し複雑ですね(^^)・・・とにかく、knj様も、素敵なお嫁さんを見つけなくては!結婚て本当にいいですよ~(^^)http://pknj.seesaa.net/article/3662124.html#trackback上記のURLよりの収録ですが こういう帰化に対して 投げかける言葉は ひとつお幸せにでしょう? ここに出てくる 在日韓国人の終焉 また 同じ著者による 在日 強制連行の神話も、従来の考え方とはちがう 在日朝鮮人社会像を提示していて 実に面白いですが、
2005年06月26日
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えーと 12歳の少女の誘拐殺人事件が どうして 過去の日本史に関わるのか?それが理解に苦しむのですが?どうしてその少女が無事に帰ってこないのか?考えるのが 一般の市民としての感情ではないか(この時点で たまたま少女が日本国籍だから) 自分たちの帰属するところに近いヒトが その事件を引き起こしたら 恥じるのが当然ではないか?現に その組織のパーテイー会場の前で恥を知れと呼びかけたヒトもいた。その組織を去ったヒトもいた貴方は それから眼をそむけるのはなぜか そして日本の歴史の悪い部分をだそうとするのは反日ではないというが、貴方の上記の文書はいったい 何か?市民派を気取りながら、在日韓国人としてさわやかに生きたいという志は単なるウソで 単なる 朝鮮ナショナリストではないか?よく統一というヒトがいる 南であれ 北であれ わが祖国というヒトがいるだが どうして統一する?北の皇帝は自ら 自分たちの王国を終焉にしたいと望むだだろうか?統一論者で 反北の人間でなければ 私には それ以外の 人間は 北の南進論者だとおもうことにしているのだが 貴兄もその一人か?麻薬がくる トカレフがくる 拉致の解明する十分にされてはいない(再発の可能性だってあるのだ?)拉致の協力者たちが 日本で自由に動けるようにしていいのだろうか?諮問押捺は義務ではないか? また拉致の共犯者たちに 国政に関与してもらいたいくないし、国立大学に入るのも できれば遠慮してほしい。だれしもがそう思うのですが 貴兄はいかがお考えか?
2005年06月23日
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昨日の「9.26 姜徳相氏講演集会」に参加できなかったのですが、どなたか行かれた方がおられましたら、その様子をアップしてくだされば幸いです。 同氏は集会の趣旨に沿うかのように、最近の北朝鮮バッシングの世相は80年前を想起させるとしてこう記しています。 作家・中西伊之助は関東大震災下の朝鮮人虐殺事件に日本の民衆が無批判に加担したことにふれ、 「試みに、朝鮮及日本に於て発行せられている日刊新聞の、朝鮮に関する記事をごらんなさい。そこにはどんなことが報道せられていますか。私は寡聞にして、未だ朝鮮国土の秀麗、芸術の善美、民情の優雅を紹介報道した記事を見たことは殆どないと云ってもいいのであります。 そして爆弾、短銃、襲撃、殺傷、-あらゆる戦慄すべき文字を羅列して、所謂不逞鮮人--の不法行動を報道しています。それも新聞記者の事あれかしの誇張的な筆法をもって」(『婦人公論』1923,11/12合併号)と述べ、「この日常の記事を読んだならば、朝鮮とは山賊の住む国であって朝鮮人とは猛虎のたぐいの如く考へられる」そうした先入観があったため、自警団はより積極果敢になったと結んでいる。 関東大震災の悲劇から学ぶべきことを凝縮した発言である。9月以降はマスメディアに朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)の情報ののらない日はないようになった。独裁、麻薬、拉致、核問題に、適当な調味料や薬味をそえて、嘲笑、軽蔑の競演の日々が続いた。 最近は新聞も読みたくない。テレビもみたくないと思うことが多い。朝鮮半島の北が避難されることがいやだからではない。声高の非難を聞いていると、この百年の間に日本が朝鮮半島にどうむきあってきたのかを問わざるを得なくなるからである。 自分の姿が相手の鏡にどう映っているのか、自分の手はどれほど白いのか、内省すれば、いやでも未清算の過去に目をつぶって、かくも口汚くののしることができるのか、不思議に思えるのである。 そういう姿勢にいるかぎり、対立は深まるばかりである。隣に悪人がいると騒ぎ立てる報道に日々ふれていればそれがまた刷りこまれて在日韓国・朝鮮人に対する差別意識が頭をもたげてくるのも必定である。 創氏改名は韓国人の要請ではじまった、「日韓併合」は国連のお墨付きだという発言もとび出しているが、それには北も南もないのである。いま南と仲良くみえるのは北の問題をかかえたねじれ現象であって、北の問題が解決したら次に南たたきがはじまる予感がしてならない今日この頃である(注1)。 -------------------- 私は、「南たたき」は杞憂のような気もしますが、ともかく今の日本は「ならず者国家」を奇貨にして軍事偵察衛星を打ち上げたり、自衛隊派兵を決定したりするなど軍事重視の道を歩むとともに、その一方では石原慎太郎 都知事のようにテロ容認とも受け取れる発言が大手をふってまかり通る世の中になりました。 こうした世相は、テレビなどマスメディアによる、過剰ともいえる「北たたき」が影響しているのではないかと思います。 軍事大国への道、テロ容認の世相がファシズムへの道、アジア侵略への道につながらないことを望むとともに、在日朝鮮人などへ跳ねかえらないことを願っています。 北朝鮮との国交正常化交渉を再開させて、東アジアに平和と安定をもたらす――昨年9月17日、平壌を訪れた外務省の田中均アジア大洋州局長は壮大なプランを描いていた。 この日、小泉純一郎首相が金正日(キム・ジョンイル)総書記との首脳会談に臨むことができたのも、田中が水面下で北朝鮮と30回以上の交渉を重ねてきた成果だった。日本の外交当局は、この歴史的な会談が北の軍事的脅威を除く重要なステップになることを期待していた。 だが金正日が13人の日本人を拉致した事実を認め、そのうち8人は死亡したと小泉に伝えると、平和への希望は吹き飛んだ。日本中が怒りを爆発させ、田中は交渉の一線からはずされた。田中は独断で北に妥協したとして、「国賊」というレッテルを張られた。 今年9月には、田中の自宅前に爆発物が仕掛けられるという事件まで起きた。タカ派として知られる東京都の石原慎太郎知事は、事件後にこう語った。「田中均という奴、今度爆弾仕掛けられて、あったり前の話だ」 日本が怒りをいだくのも無理はない。独裁国家が10代の少女を含む多くの市民を拉致したという事実は、人権と国家主権に対する重大な侵害にほかならない。問題は、怒りによって外交政策が有益なものになりうるのかどうかだ。 昨年10月15日に5人の拉致被害者が帰国してから1年。日朝間の緊張は、これまでにないほど高まっている。北朝鮮は今も5人の被害者を自国へ戻すよう主張して譲らず、先週には核問題を話し合う6カ国協議から日本を「排除」すると一方的に宣言した。 核開発を放棄しない北朝鮮とアメリカの関係は打開の糸口さえ見いだせず、中国は北から大量の難民が押し寄せることに神経をとがらせている。にもかかわらず、日本は「拉致」というたった一つの問題にこだわり、北に敵対的なメッセージを送り続けている。 ここへきて、そうした姿勢に疑問を投げかける見方も出てきた。日本の強硬姿勢はなんの成果ももたらさず、むしろ日本がこの地域に平和をもたらす役目を務めようとするうえで障害になっているのではないか、という見方だ。 拉致一色に染まった日本の世論は「対北朝鮮政策において政治的な足かせになっている」と、戦略国際問題研究所(ワシントン)のウィリアム・ブリアは言う。「北朝鮮の側から突破口が開けないかぎり、日本政府が大きく踏み出すのは非常にむずかしい」 日本が核問題を無視しているわけではない。だが日本は、北に残る拉致被害者5人の家族が帰国し、死亡したとされる8人の被害者の詳細が明らかにされないかぎり、国交正常化交渉の再開には応じないとしている。自民党の安倍晋三幹事長をはじめとする強硬派が主張しているのと同じ立場だ。 今や拉致問題は、政治家にとって地雷のような存在と化しつつある。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」は、11月に行われる総選挙で、すべての立候補者にアンケートを行う計画を立てている。 北朝鮮への経済制裁を支持するか、拉致はテロ行為と考えるかどうかなどを尋ね、結果を投票日前に公表する。今回の選挙は「拉致された同胞を救うための国民運動」という位置づけだと、民主党の西村真悟・前衆院議員は言う。 メディアの過熱ぶりも、ヒステリーの域に達した。昨年秋、小泉が訪朝した後の週刊誌には「『亡国官僚』田中均をクビにせよ!」「8人を見殺しにした政治家・官僚・言論人」といった見出しが掲げられ、北に「弱腰」の発言をした人物は名指しで攻撃された。 昨年10月、77年に拉致された横田めぐみの娘キム・ヘギョンを全国紙2紙と民放テレビ1局がインタビューし、彼女が涙ながらに答える姿が報じられると、他のメディアはこの3社を袋だたきにした。拉致被害者と家族の結束を乱そうとする北の「策略」にはまったというのだ。 怒りの渦は、罪のない在日韓国・朝鮮人も巻き込んだ。小泉の訪朝後、各地の朝鮮学校には「子供を拉致してぶっ殺してやる」といった脅迫電話が相次いだ。 そろそろ日本は冷静さを取り戻すべきだろう。日本の安全保障にとって重要な問題は拉致以外にもあると、専門家は指摘する。 8月の6カ国協議では、北朝鮮の金永日(キム・ヨンイル)外務次官がジェームズ・ケリー米国務次官補に対し、北朝鮮は核保有宣言と核実験を行う用意があると語ったとされる。 10月2日には北朝鮮外務省の報道官が、8000本余りの使用済み核燃料棒の再処理を完了したと要な役割を果たせるはずだったが、その存在はレーダーから消えてしまった」と、東京大学の姜尚中(カン・サンジュン)教授は言う。「今の日本は、小さな穴から世界を見ているという印象しか受けない」発表。北はすでに最大7発の核弾頭を製造する能力をもち、約200基の弾道ミサイルを日本に向けて配備しているという。 外務省の竹内行夫事務次官は8月、被害者家族の早期帰国を優先すると明言しつつも、そのために「最もよい方法を探求し、(帰国を正常化交渉の前提とするかについて)今から何かを決めてかかるといった考えはない」と述べた。 この発言に、救う会のメンバーや「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」の蓮池透事務局長は、政府の公式見解と異なるとして激怒。竹内は発言を撤回せざるを得なかった。 「国民の命を犠牲にして得られる国益とはなんだと、外務省は世論から問いかけられた」と、拓殖大学の重村智計教授は言う。「国交正常化のほうが国民の命より大切だなどと口にする官僚もいたが、それではもう国民が納得しない」議論ができない民主国家 拉致問題の全面解決を繰り返し主張することは日本の長期的な国益にかなうと、一部の政治家は主張する。北朝鮮には強硬路線しか通用しない、という考え方だ。 「政策を一本化してもらって、支障になるものは排除する必要がある」と、「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(拉致議連)」の副幹事長を務める民主党の原口一博・前衆院議員は言う。 だが、論争自体が存在しないことを懸念する向きもある。「北朝鮮が一枚岩だから日本も一枚岩でないといけないという人たちがいるが、日本は民主主義国家だからいろいろな見方があっていい」と、国際基督教大学の柴田鐵治客員教授は言う。「偏狭なナショナリズムが日本を覆ってしまっている」 民主党の西村は4年前、日本も核武装するかどうかを国会で検討するべきだと週刊誌で発言したことを批判され、防衛政務次官を辞任した。タブーなしに議論することの重要性を痛感しているはずの西村に、拉致問題をめぐる状況は核武装の議論をタブー視しているのと同じ構図ではないかと問うと、こんな答えが返ってきた。 「そのとおり。議論がないと言えば、小泉首相が平壌で共同宣言に署名すべきだったかどうかという議論がない。(拉致問題の解決法としても)経済制裁や宣戦布告などいろいろなオプションがあるが、今は懇願するだけで、議論がない」 本誌は家族会の蓮池事務局長にも現状についての意見を求めたが、蓮池は取材に応じなかった。 強硬派は、目に見える形で北に圧力をかけることを望んでいる。「経済制裁を科さなくて拉致や核の問題を解決できるのか」と、救う会の佐藤勝巳会長は言う。「話し合いで解決できるなら、なぜ25年間も解決できなかったのか」
2005年06月23日
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近藤義孝さんはよほど自分の順番が待ちきれなかったのか、何度か催促をもらいましたが、やっと近藤さんの順番が回ってきました。何しろコメントを求める方は5-6人、答える方は1人なので解答するのに通常の5-6倍はかかります。そのため、円滑なコミニュケーションが図れないのが残念です。 以前、メールで質問をもらった時に正面から答えなかったのは、その時に説明したような理由もありましたが、それ以外にも隠れた理由がありました。それは近藤さんの真意を測りかねていたからです。 今まで、私のホームページ「半月城通信」に対して寄せられたメールは前にも書きましたが、すべて好意的なものばかりでした。近藤さんのように、批判的な内容をわざわざメールでもらったのは初めての経験で、近藤さんは私にとっては何とも理解しがたい特別な人でした。 「半月城通信」は公共機関のホームページでもなければ、特別興味を持たれるような有名人の通信集でもなく、無名な一私人のホームページなのに、それに対しクレームをつけてくる動機は一体なんなのだろうか? 「善意の忠告」なのだろうか? それとも私に対する挑戦なのだろうか? いろいろ憶測しましたが、その答えが明確にならなかったので答えずらかったのです。 今では近藤さんの動機がどうあれもはや問題ではないので、この会議室ではっきりと答えることにします。それも何回かに分けて書くことにし、最初は近藤さんのいう「核心部分」から始めます。 #1298,近藤 義孝さん>4. 今回の質問の核心部分です。> 「あなたが、日本について否定的な発言ばかりする理由はなんでか?」> 「そこまで非難する国になぜあなたは住み続けるのですか?」> (これは、いやなら出て行け式の質問ではありません。)> (あなたの発言を聞いての自然な疑問です。) まず、私のホームページ「半月城通信」ですが、これはタイトルや「あいさつ文」に書いてあるとおり、パソコン通信での議論をほぼそのまま転載したものです。したがってその目的は、私の思想「全体」の「宣伝」や、ある特定の問題について教科書的に全般的な「解説」などを行うものではありません。ましてや日本国に対する誹謗中傷などではありません。あくまでも単純に私の「発言の記録」が目的です。 そのため当然のことながら、過去に発言する機会がなかった問題については私の意見はまったく表明されていません。この点が重要です。すなわち、そこに書かれた内容は私の思想の一部にとどまり、私の思想全体を網羅しているわけではありません。したがって半月城通信に載ったいわゆる、日本に対する「否定的な発言」は私の思想の一断面にしかすぎません。 パソコン通信は文字通り通信、すなわち双方向のコミニュケーションから成り立ちます。そのため一人相撲をとるのでない限り、対話相手によりその方向が左右されます。その結果、時には自分の思惑とは違って、思いがけないテーマで深みにはまったりします。 私にとって「従軍慰安婦」問題がその典型です。この問題はご存じのように河原さんとの論戦をとおし議論がどんどん深まり、今では通信集の中で相当な分量、4分の1くらいを占めるようになりました。しかしこれは「魚心に水心」かも知れません。つまり、潜在的な発言欲求が刺激を受け表面化されただけかも知れません。他のテーマなどもしかりです。 これから明らかなように、私の書くテーマは対話相手との議論の成り行きでその内容が決まります。つまり論戦相手の興味に歩調があったときにどんどん議論が深まり、書き込み意欲をそそられ発言量は増大していきます。したがって逆説的にいえば、ボリュームのあるテーマは、対戦相手との主義主張の違いは別にして、それだけ相手との「あうんの呼吸」が合ったことを物語っています。 逆に、そうした共振の糸が切れてしまうと、そのテーマでの書き込みはストップしてしまいます。卑近な例を挙げます。今まで「従軍慰安婦」問題について私とかなりやりあってきた河原さんは最近「従軍慰安婦」問題で私に対する反論を断念されたのか、発言を見かけません。そうなるとさしもの「従軍慰安婦」問題も、パソコン用語にいう「横レス」を残すのみになりここの会議室ではそろそろ終了かも知れません。 その次は下落合95さんが望むように、サハリン残留韓国人の問題や強制連行などが私のテーマになることと思います。こうしたテーマは近藤さんを初めとして多くの方は望まないのかも知れませんが、私としては土俵に引っぱり出されている以上どうしても書かざるを得ません。 また、それは半面では私の望むところです。そうした発言の山がよく誤解を受けますが、下記の例は特記に値します。 一例をあげます。兵士は戦場にあっては「人道に対する罪を犯さない範囲」で敵を倒すのがその役割であるし、サラリーマンは会社にあっては「社会的通念の範囲内」で金儲けをするのがその役割であるのと同様、私はこの会議室にあっては「ルールの範囲内」で過去の日本の歴史認識の問題を書くのがその役割です。 こうした役割の個人の一断面をとらえて、誰も兵士を日常的に殺人鬼などと思わないでしょうし、またサラリーマンを金の亡者などと捉えないことと思います。それと同様に、パソコン通信での私の言動を取り上げ、私を「反日家」と考える人がもしいたら、その方は視野の狭い人といわざるを得ません。 そもそも、日本の過去の歴史事実を明らかにすることは少しも「反日的」であるとは私は思いません。なお余談かも知れませんが、私は日本文化や風土・伝統などを愛する親日家であることを付け加えます。見苦しいなという気がしないでもありませんが、和田春樹先生が、一連の拉致事件のさいに オウムでの島田教授以上のバッシングを今にいたるまで 浴びせられているのに対する反応に似たような気がしますが いかがなものでしょうか?竹島のことに対して あんなに 細かい考証をするのなら、少しは倭寇関係の本を読んでいただきたいものですが、田中先生や 徹夜城氏のサイトを見ていただければ明人のほうが 日本人よりも 松浦党の構成員が多くなったとか、朝鮮の倭寇については、被差別民の参加も多いという点を 見過ごしているということ(あえて)とうことは 半月城通信のコンセプトに、反日というテイストがはいっていると解釈して問題ないと 私はおもうのですが、いかがでしょうか?
2005年06月23日
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倭寇と松浦党Yahoo!掲示板「日本人は百済から来たのか?」#63252002/12/30 半月城です。 RE:6249>倭寇の原因は元寇であったという渡部昇一・呉善花説(?)は説得力がありそうです。しかし、hal2hal2001さんが指摘したように時代にずれがあります。>50年もの開きは説明困難でしょう。 元寇が倭寇の直接の原因になったとみるのは時代的に無理ですが、倭寇の遠因にはなったようでした。そのあたりを少し補足します。 鎌倉時代、武士は何を目的に戦ったのかといえば、第一に恩賞が目当てでした。しかしながら元寇の際、幕府には奮戦した武士に恩賞として与えるべき土地や報奨はあまりありませんでした。 これが北九州の武士、とくに松浦や対馬あたりの武士にはたいへんな不満でした。命がけの奮戦が報いられなかったばかりか、甚大な被害をこうむったにもかかわらず、なんら救済の手は差しのべられませんでした。しかも、かれらの住むところは地形的に農業がふるわないだけに食糧も乏しく、武士たちは生き残りに必死でした。 そのため、対馬の宗氏などは幕府に見切りをつけました。それも無理はありません。元寇の時、鎌倉幕府は対馬を守るためにたった100騎の軍勢しか配置しませんでした。その結果、対馬は元・高麗軍に蹂躙され放題で、まともに生きのびられた男は皆無だったことでしょう。そうした歴史から幕府に徹底的に不信感をもった宗氏は思いきった行動に出ました。下記のように高麗に対馬の編入を願い出る請願書を提出しました。宗家請願書 もし我島をもって貴国境内州郡の例により、定めて州名をなし印信を賜わらば、即ちまさに臣節をつとめ、ただ命これに従わん(注1) このとき、宗家は本気で高麗王朝の家臣になる決意だったようでした。宗氏はもともと惟宗(これむね)と名乗っていたのですが、その姓を「宗」に変えたのは高麗に迎合したためのようです。元来、対馬は地理的に九州本島より朝鮮半島に近いので、朝鮮に組み込まれていたとしても不思議はないくらいです。このとき、高麗が対馬の願いを聞き入れて自国に編入していれば、対馬の歴史は大きく変わっていたことでしょう。 さて、幕府に徹底的に不信感をもったのは佐賀の松浦あたりの武士も同様でした。かれらの成り立ちですが、中には嵯峨源氏の流れをくむ者もいたようですが、かれらは血縁関係を乗り越えて生きるために団結し、のちに松浦党と侮蔑される徒党集団を組みました。その集団には領袖的な人物は不在で、何事も談合で事を運んだようでした。それを下記の「松浦党契諾状」にみることができます。1.中央権力の命令より自分たちの談合を優先し、談合は多数意見を尊重する。1.判断については常に道理に従い、骨肉の情や主従の義理には縛られない。1.個人の利害は道理に基づいて調整し、その結果は多数意見に従う。 この契諾状には41人の代表者が署名しましたが、松浦党の運営は民主的だったようです。名誉や立身出世などに無関心なかれらには、身分や出自などは問題ではなかったようです。そうした気風が高麗や明などの異国人を容易に受け入れ、どんどん勢力を拡大していきました。 さらに、高麗王朝の対応のまずさがかれらの略奪行為を助長しました。高麗は、さらわれた人間ひとりを木綿二匹(四反)と交換するという政策をとりました。 これには九州の諸大名が喜びました。大内や大友、島津などの大名は松浦党に人さらいを奨励し、略奪された人を買い上げ、高麗から木綿をせしめました。これが松浦党を太らせる結果になり、以前にもまして高麗は倭寇の横行に苦しむようになりました。勢力を増したかれらは、やがて数百隻の船団を組んで高麗軍と戦ったことは前に書いたとおりです。http://www.han.org/a/half-moon/hm089.html#No.624 こうした倭寇の侵略は高麗王朝の滅亡を早めました。かわって登場した朝鮮王朝はアメとムチの政策で倭寇をうまく処理しました。ムチは松浦党の前進基地になっていた対馬の討伐(1419)であり、アメは宗家に対する禄の支給や通行手形による貿易の許可でした。宗家に図書文引(ぶんいん)とよばれる通行手形を発行して貿易を許したのですが、朝鮮で貿易の拠点となったのが前に書いた倭館でした。 この政策が功を奏し、倭寇は朝鮮から遠ざかり、明や台湾などへ矛先を向けました。とくに明では自国の体制や中央権力に不満をいだく貧しい福州あたりの人たちを多く仲間に引き入れました。その結果、松浦党は明国人のほうが多くなってしまったくらいです。 そのなかの有名人として、ポルトガル人を種子島に案内した王直や、歌舞伎・国姓爺(こくせんや)合戦のモデルになった鄭成功の父・鄭芝龍などをあげることができます。長崎、平戸生まれのハーフである鄭成功は清を相手に活躍し、のちに台湾からオランダ人を追い出す功を立てました。これにより、台湾、中国で民族の英雄と称えられているのは周知のとおりです。 やがて豊臣秀吉が天下を統一し、海賊禁止令を出して取り締まったので、倭寇も姿を消しました。(注1)NHK TV番組「サムライたちの海、松浦党と倭寇」倭寇については、日本の学会と 韓国の学会の定説が 差を見せています。この件でふと おもうのですが。私は不思議で仕方がないのですが 日韓の歴史認識の問題というのは なにも現代史が問題ではなく、古代から今までの認識を共通化して それを教科書に反映させようというのが、韓国側の意図なんですが だれもそれに気がつかないというのは おかしなことという気がします。教科書は日本側で作るのは 判るのですがある部分を外国の意見を反映させろ(最後は必ずそうなりますが) これって如何なものなんでしょうか?内政干渉以前というか 文化侵略になりませんか?参考にしていただきたいのは 下記の投稿です。http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=ffckdcbfma4oi4baqa4aba4imha4bfa4na4aba1a9&sid=1835396&mid=6237すでになされていたのですが、あくまでも後期倭寇は中国人の問題なんだよという指摘にも関わらず、松浦党に明人が加わりとか 対馬の帰属が場合によっては というコメントをされていますのが ここを参考にしていただけるとわかります。また 倭寇の理解については 下記の点が参考になります。http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku/ron.html徹夜城先生自体の考証については 少しロマンはいってませんか?そう私には思えますが、先生よりちょい上で 卒論が王直であった 私としてみると 半月城よりも徹夜城に軍配をあげます。半月城氏に関わらず、ナショナリズムを超えてなんていう方に限り、なぜか 日本人 朝鮮人とこだわるのはなぜでしょうか?秀吉の朝鮮出兵が総力をあげたのにうまくいかず、倭寇が成果をあげたらしい(住民の支持があった)ということは素人でもわかることではないか?そう思いますが?朝鮮人のみたくない姿はいやなんでしょうか?こういう部分が出てきても 彼らは歴史の共有に応じるのでしょうか?おそらくそれは妄言と言われるのではないか?そう思います。
2005年06月21日
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半月城通信のコラムは、ニフテイやヤフーなどのいろんなところに投稿されたものの集大成ということのようです、ある意味 それぞれの掲示板の文脈で判断 そして評価されるべきなんですが、そこの部分が半月城通信ではわからない(まあ あたりまえですが) 下記はヤフー掲示板よりの収録ですが、かなり膨大なところですが、半月城氏がコテンパにやられて、結局 この件については反論は為されていないようです?ここでみないと真実はここにあるなどとトンデモない評価を下すかたもいるようです。半月城です。 総山孝雄氏は「賢い人」にはちがいないのですが・・・。 RE:6339>「半島人も好んで日本名を名乗り」とありますよね。>植民地人として生きて行く上で、日本名を名乗ることを「好んで」と表現してますよね。 創氏改名が好んでなされたのではないことは、すでに半月城通信に書いたので、ここには書かないことにします。http://www.han.org/a/half-moon/hm017.html#No.148 総山孝雄氏の論ですが、相変わらず我田引水が多いようです。『正論』からの転載記事はナナメ読みなのですが、同氏の主張は、日本は朝鮮を併合したのであり、植民地支配したのではないというのが持論ではないでしょうか。こうした発言は、日韓会談における下記の「久保田発言」の系譜につながるものと思われます。 「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりしたし、大蔵省は、当時、多い年で二千万円も持ちだしていた」 当時、この発言に韓国側は怒り、日韓会談はすぐ決裂しました。この久保田発言には意外にもサンケイがこう批判しました(注1)。 <「一千万円とか、二千万円とかの補助は韓人のために出したのではなく、日本人のために出したので、その金で警察や刑務所をつくったではないか」という韓国代表の発言に軍配を上げざるを得ない>『週刊サンケイ』1953.11.8 企業であれ、国であれ、植民地に投資するのは自社のため、自国のためであるのは洋の東西を問いません。それを「韓人のため、原住民のため」と強弁するのは帝国主義者の偽善ではないでしょうか。 しかし、個人のなかには純粋な気持ちで朝鮮人と接していた人がいたこともたしかです。芥川賞受賞作家の高樹のぶ子さんは、そんな祖父を小説に書いているようです(注2)。 -------------------- 平壌宣言がなされた時、私は祖父のことを思いだした。旧制中学の教頭をしていた祖父は昭和十年代近隣のアジア諸国から日本に留学した学生たちの父親がわりとして、彼らを上の学校で勉強させる援助をしていた。中国、台湾、朝鮮半島からの学生が、常時二、三人我が家で寝起きしていたという。 その中の一人、劉さんは韓国に帰り、やがて石炭公社総裁や関釜フェリーの初代社長になって、私が中学生のころ、新聞記者を引き連れ、たくさんの土産と共に祖父を訪ねてきた。このときのことは「寒雷のように」という小説に書いたが、まさに寒雷のような出来事だった。 宴の中で劉さんは祖父への感謝の言葉と共に、日本のせいで韓国の発展は50年遅れましたと言った。そのときの祖父の複雑な表情を思い出す。 祖父が預かった学生の中で一番優秀だったのは、金シンゲンという朝鮮半島北部から来た青年だった。彼は祖国の発展のために人生を捧げます、と言って北に戻っていった。 -------------------- 劉さんも総山氏にいわせれば、まちがいなく「忘恩」の人になるでしょう。><「一千万円とか、二千万円とかの補助は韓人のために出したのではなく、日本人のために出したので、その金で警察や刑務所をつくったではないか」という韓国代表の発言に軍配を上げざるを得ない>『週刊サンケイ』1953.11.8警察、刑務所もつくったが道路、橋、鉄道、港湾、ダム、電気設備、水道、植林、学校、病院、灌漑設備、耕地の整備、資源開発、工場などもつくり、治安、交通、生活、教育、衛生を向上させ、職場を増やした。> 企業であれ、国であれ、植民地に投資するのは自社のため、自国のためであるのは洋の東西を問いません。それを「韓人のため、原住民のため」と強弁するのは帝国主義者の偽善ではないでしょうか。現実に日本人の為ばかりでなく、韓人のため大いに役立っています。強弁ではないでしょう。>宴の中で劉さんは祖父への感謝の言葉と共に、日本のせいで韓国の発展は50年遅れましたと言った。そのときの祖父の複雑な表情を思い出す。祖父が複雑な表情をしたのは、本当は日本のせいで韓国の発展は100年以上進んだと思っていたのでしょう。横レス失礼します。 創氏改名について読ませて頂いて、その具体的な内容が一般の日本人に正確に知れ渡れば渡るほど、かえって日本人の罪の意識は軽くなるように思いました。意外と日本人だけでなく、コリアンの方々の中にも創氏改名に関して誤解している人が多いように感じました。 確かに日本政府が朝鮮半島の社会資本を整備したのは、将来的に朝鮮半島から収益を得るための投資という側面が強かったことは事実だと思います。しかしその日本政府の投資が、当時の朝鮮半島の経済と生活水準の向上をもたらしたこともまた事実だと思います。 日本人に援助してもらった劉さんという朝鮮半島出身者が、『日本のせいで韓国の発展は50年遅れました』と世話になった日本人に向かって言ったのは、はたしてどういう根拠によるものであったのでしょうか。 私も、その劉さんというひとは、間違いなく「忘恩」の人になると思います。もちろん、その「忘恩」は、援助したその日本人に対してであって、日本政府に対してではありません。
2005年06月20日
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その民族が形成され 現代にいたるまでを歴史といいますが、現代史の認識だけではなく、古代史 中世史 近代史 現代史とあるわけですが、そこのトータルな認識が問われるべきなのが 実は 日韓関係なんですがね。>なぜ、韓国人が、昔の中華帝国(といっても、元と清は北方の「野蛮人」で>すが)からの圧迫や侵略のことを忘れ、日帝の話ばかりをあげつらうのでし>ょうか? 理由を考えたことはありませんか? こぼさんはどうか知りませんが、一般に韓国の歴史教科書は反日的であると思われているようです。ところが、これに異議をとなえている人がいます。 津田塾大学の高崎宗司教授です。先生は著書「反日感情、韓国・朝鮮人と日本人」(講談社現代新書、1993)で次のように述べています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 韓国の歴史教科書は、日本に侵略されたことよりも独立を守る闘いに重点をおいています。このため、日本の征韓論や関東大震災時の「朝鮮人虐殺事件」などは全く無視されています。 また、反日教育には格好な材料のはずの「閔妃暗殺事件」も以外に短い文章で淡々と書かれているだけです。 さらに最近問題になっている、サハリン残留韓国人の問題や「従軍慰安婦」については全くふれていません。 この他、日清戦争や韓国併合、3・1運動、徴兵・徴用(強制連行)などどれをとっても反日をあおるような書き方はしていません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私も高校の「国史」教科書(下)をざっと見ましたが、高崎教授の言うように教科書では反日的な書き方を抑えてありました。また学校の教師も感情的になって反日的に教えたりしないそうです。 それにもかかわらず反日感情が強いのは他の原因、たとえば身近に被害を受けた人が多いとか、生徒の方が自ら進んで考えているためではないかとしています。 韓国の教科書を見て感じたのは、教科書は現代に近づくにしたがって記述が詳しくなっています。その配分をみると、古代から近世までが上巻(P190)、近代から現代までが下巻(P202)となっています。 こうした書き方は、歴史を勉強する目的が現代を理解することにあるという基本を考えれば当然ではないかと思います。このあたりは現代をあまり教えない日本とは対照的であると考えます。 半月城上記 半月城通信よりの収録■変な教科書:韓国国定教科書編 韓国の学者さんたちは「反日教育はない」と言ってますが、この教科書のどこが「反日的でない」のか、さっぱり理解できません。いやあ、ホント凄いんですよ。韓国であった若い人たちは、こんな教育を受けてたのによく反日的にならないもんだと思って。 まずすげえと思ったのは、訳本の教科書部分139ページのうち、古代史中世史は最初の50ページ足らず。まあ、朝鮮の場合は史料が圧倒的に少ないからしょうがないですけどね。 その50ページ分の最後の方に、壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)の話が出て、その後に朝鮮が日本に文化を伝えて“あげた”ことが出てきて、未開人のような日本人が朝鮮によって開化したように書かれています。 凄いでしょ。そもそも、古代に朝鮮から文化が伝わって来てるんだけど、それについての史料は朝鮮側にはあんまりないみたいなんですね。日本書紀の方がくわしいくらいで。で、江戸時代の日本にまで、朝鮮が文化を伝えたみたいに書いちゃうんですから。 日本から朝鮮に行ったのは対馬藩の役人だけで、恒例の使いを江戸まで送ってきたのは朝鮮側なんだから、力関係がどうだったかわかりそうなもんだけど、あたかも日本が従ってたように書かれてるし。 そうやって日本への朝鮮の恩に触れたら、次はいきなり欧米の来襲をちょこっと触れて、後はいきなり日本による不平等条約(日朝修好通商条規)や外交権の剥奪、軍隊の解体、植民地化、圧政、民族の偉大な抵抗……と続き、韓国の解放で終わっちゃうんですよ(笑)。 おい、ちょっと待て!(笑) これが反日的でないなら、本気で反日的な教科書つくったらどうなっちゃうんだよ!(笑) 秀吉が侵略してきた→でも古代ばかりか江戸時代にも日本に文化を伝えた→それなのに明治になって軍事力で朝鮮を脅し、挙げ句の果てに植民地化……って教えてるんですから。そこかしこに「あなたなら日帝にどんな方法で抵抗するか考えてみよう」とか、反日の歌の1番を載せて「2番の歌詞を作ってみよう」とか出てくるし。 しかも、任那(加羅、伽那)なんか、例の日本府の問題があるからか、地図や略年表には載っているものの、記述では存在を無視されています。おまけに、衛氏朝鮮や狗邪韓国、辰韓・弁韓・馬韓の“三韓”もなかったことになってます。つまり、古朝鮮→新羅・百済・高句麗→新羅統一→高麗(と渤海)→李氏朝鮮→ “日帝”支配→独立という流れになってるんです。 漢や魏に平定されたことも出てこないのはおろか、李氏朝鮮が明や清の支配下にあったなんておくびにも出しません。 元寇の問題に至っては、元が朝鮮半島を侵略したけど、韓民族ががんばって抵抗したってことだけでおしまい。元の手先になって日本に侵攻し、残虐行為を働いたことには、ただの一言も触れていません。 こういう教科書を使ってる国と「教科書連絡会」なんかやってるのに、日本の学者さんは何をやってんでしょうか。向こうの言い分ばっかり聞いてないで、修正要求しなきゃダメじゃん。 連絡会の方の本でビックリしたのは、韓国の独立記念館の館長のスピーチを紹介して、「韓国5000年の歴史の中で、唯一独立を失ったのが日帝支配の35年間」なんて言葉を平気で紹介しちゃって、ツッコミのひとつも入れないんだよね。 いつから韓国は5000年の歴史を持つ国になったんでしょうか。少なくとも残存する史料で確認できるのは、衛氏朝鮮ですぜ。紀元前108年には漢に滅ぼされたんですけどね。その後は楽浪郡だの帯方群だのという漢の一地方になってたはずなんだけど。 その後も高麗は元や明に、李氏朝鮮は明や清に服属してたのは最近の韓国国粋主義者以外はみんな知ってると思うんだけど。 そういった韓国側の史実歪曲まで認めろってのは、ちょっとおかしくないかい? まあ、しょうがないけどね。歴史学の学界の様子からして。 実は、大学1年の時に受けた基礎演習の教授が、歴史教育の重鎮みたいな人でさ。亡くなった方なんで名前は挙げないけど。左翼傾向から卒業しつつあった私は、その先生の異常な左翼ぶりが気に入らなくて、しょっちゅうぶつかってたんです。卒業式の帰りにその先生から卒業証書を渡されたんですが、「君が卒業できるとは思わなかったよ」と言いやがって(笑)。 ホント、左翼的な人でねえ。それもいわゆる野党的というか、文句ばっかりつけて、じゃあどうすりゃいいのかを言わないのね。まあ、言えないんでしょうな、まさかプロレタリア革命を起こそうとは(笑)。 それにしても歴史を学ぶってのは難しいもんです。イデオロギーが必ずからんできますからね。史料のたぐいも、作成時の権力者に都合のいいように書かれているのは常識ですし。■思いっ切りテキトーな結論 とまあ、日本の教科書は妙に日本の悪口ばかり。一方つくる会と韓国の教科書はナショナリズムバリバリ。これは歩み寄ることは永遠にありません。何せ、両者とも自分で歴史のストーリーをこしらえて、その証明に躍起になっています。そのためには証拠が不完全だろうがなんだろうがおかまいなし。 ここまで自説にこだわっている両陣営が歩み寄ることなんかありえませんね。俺みたいなことを言ってたら、右からはサヨクと呼ばれ、左からは侵略主義者と呼ばれるような状況ですから。もう、どうせこのまま行ったって、最終的に“これが本当の事実でした”なんて結論は出てきませんよ。あきらめます。 そうなると、この論争そのものが日中韓の関係の阻害要因になっているとしか思えません。どうでしょうね。実際問題として確実にわかってる悪いこともあるわけだし、そのことだけ謝って、後は「謝ろうにも本当かどうかわかんないし」って言うと。 先方さんがあまりにもこちらの言い分に聞く耳を持たず、ヒステリックな反応になりがちなのは、こっちのナショナリストに対する意地なんかもあると思うんですよ。つくる会の言い分なんか、向こうの親日派をも怒らせかねない内容だしね。 韓国での話は何回か書きましたけど、あんな国定教科書で教育されたって、若い人たちは反日派は多くないし(よく出てるアンケートなんかの反日感情は信用できませんね。対象が史学科の学生だったりするし。秋葉原街頭アンケートでパソコンの普及率を調べるようなもんですよ)、俺たちのガイドを(ちょっとだけ)やってくれた人に至っては、日本への敬意は大変なもんでしたよ。もっとも、韓国のことは悪口ばかり言うので、「あんたそんな悪い国の案内してんのかよ」と言いたくなるほどでしたけど。 だったらさ、仲良くすりゃいいじゃん。今この瞬間に日本が侵略してるわけじゃないじゃん。今この瞬間三・一運動をやってるわけじゃないじゃん。仲良くしちゃだめなの? 友好的じゃダメな理由でもあるわけ? 日中韓それぞれのナショナリストの皆さんに聞きたいのは、歴史上のことの方が、今現在より大切なんですか?ってことです。あれでしょ? 要は皆さん相手の国が嫌いなだけなんでしょ? だったら下手に歴史なんか絡めないで、「嫌いだ!」って連呼しててくださいよ。 それから朝日新聞とその信者の皆さんは、要は権力と名の付くものが嫌いで、懐かしのソビエトの理想を信じていたいんでしょ? だったら他国のナショナリズムと結託なんかしないで、理想だけ叫んでりゃいいじゃん。そんなに日本が嫌いなら、出ていきゃいいんだよ。別に引き留めやしないからさ。 俺は俺のやり方でお隣さんとは仲良くやるから。もっとも、仲良くする気のある人とだけね。プルコギやビビンパを食わせてもらいたいし、寿司やそばを食わしてやりたいね。「寿司は韓国からの輸入文化だ」とか言い張らない人たちには、食わしてやりたいよ(笑)。某掲示板よりの収録まさに 詭弁城氏というべきものではないか?私はそうおもんですがね。
2005年06月18日
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蒙古撃滅という理想をもった三別抄軍ですが、軍隊維持のため兵糧調達の目的で傀儡政権の官衙を襲うのは当然としても、それが次第に困難になるや農漁村の掠奪に手を染めたのでは海賊行為であり、それが民衆の支持を遠ざける結果になるのは目に見えています。 それでも三別抄軍のゲリラ戦は、日本侵攻のための造船所を焼き討ちにしたり、蒙古にときには痛手をあたえました。蒙古としても、三別抄軍をこのまま放置したのでは日本侵攻がおぼつかなくなるので本格的な掃討に乗り出しました。 1272年8月、フビライは耽羅島攻略を命じました。その兵力は蒙古軍2千、漢軍2千、高麗軍6千で合計1万人にものぼりました。翌年4月、この軍勢に三別抄軍もあえなく敗れ去りました。しかしながら、それまで三別抄軍は独力で蒙古を相手に3年近くもよく健闘したといえます。その健闘が、蒙古の日本侵攻を確実に遅らせたといえます。毎度 おなじみ 半月城氏の 元寇についての考証ですが。さてだから?という気がします。半月城氏の本質は詭弁城であるというのが私の認識ですし、立場も在日ではありません、ちょっと見方を斜めからみて韓国人(どちらかという北より立場)でみられるようですがネット上からの収録では下記のようなものがあります。文永11(1274)年10月5日、突如として元(モンゴル)の艦隊が対馬に軍事侵攻してきました。いわゆる「文永の役」の始まりです。そして20日には、元軍は筑前国(現・福岡県)に上陸し、集団戦法や回々砲(大砲)・震天雷(ロケット砲)等の新型兵器を駆使して、鎌倉武士を翻弄しました。しかし、夜来に襲った「神風」(暴風雨)によって元の艦隊は壊滅。日本は辛くも危機を脱したのです。その後、元軍は、弘安4(1281)年5月21日、再び対馬へ侵攻、志賀島(筑前国)・長門国(現・山口県)にも来襲しました(弘安の役)。この二度目の侵攻も、前回同様、「神風」による元軍の壊滅によって終結し、さしもの「大帝国」モンゴル(以下、「蒙古」と略)も、日本征服を断念せざるを得ませんでした。(もっとも、フビライ自身は、第三次・第四次侵攻を考えていた) この二度に及んだ「元寇」(「蒙古襲来」とも言い、「文永の役」と「弘安の役」の総称)は、通常、蒙古による軍事侵攻 ── 「日本征服」作戦と解されていますが、実は、その計画・実行には高麗(コリア)が深く関与していたのです。と言う訳で、今回は、「高麗襲来」共言える「元寇」について書いてみたいと思います。「高麗襲来」。私は「元寇」の事をこう書きました。それは、何故か? 実は、元の大汗(ハーン)フビライ(以下、「忽必烈」と略)に、壮大な「日本征服」計画を吹き込み、その気にさせた一人の高麗人がいたのです。彼の名は趙彝(チョー・イ)。朝鮮半島南部出身のインテリである彼は、蒙古の高麗侵攻の際に祖国を裏切り、蒙古の首都・燕京(後に中都、更に大都と改称。現在の北京)に赴き、進士試験(科挙)に合格、遂にはあの忽必烈の知遇を得る迄にのし上がったのです。その彼が、忽必烈に吹き込んだ事、それが、「黄金の国・ジパング」の征服計画だったのです。この「日本征服」計画に乗った忽必烈は、文永4(1267)年を皮切りに、以後14回(蒙古が8回、高麗が6回)にわたって、招諭使(使節)を日本へ派遣して来ました。招諭使 ── 彼らの目的は、忽必烈の国書を鎌倉幕府へ渡す事、そして、その国書には、「蒙古の冊封を受ける」事、つまり高麗同様、蒙古の属国となる様にと言った内容が書かれていたのです。勿論、鎌倉幕府が拒絶したのは言う迄もありません。しかし、鎌倉幕府の対応(招諭使を問答無用に斬首し、国交拒絶の返書も送らない、つまり全くの「無視」)のまずさが災いし、遂には「大帝国の皇帝」の面子(メンツ)を賭けて、忽必烈に「武力解決」の道を選ばせてしまったのです。もし、ここで、鎌倉幕府が蒙古の正式使節である招諭使を斬り捨てる事無く、曲がりなりにも国交拒絶、あるいは対等での貿易関係締結の返書を送り、事態を穏便に済ませる方向に持っていったなら、ひょっとしたら二度に及ぶ元寇も無かったのかも知れません。何故なら、蒙古は生粋(きっすい)の「陸軍国」であり、それ迄、渡海作戦の経験は無かったからです。つまり、「日本征服」作戦は蒙古にとっても、かつて経験した事の無い「未知の戦争」だったと言えるのです。さて、話を元寇に戻しましょう。高麗人官吏・趙彝の提案が発端となった「日本征服」作戦は忽必烈の命令によって、戦費全額を高麗が負担、軍船900余隻の建造をしたのです。更に、艦隊の発進基地(港)・兵士約6000人・水夫(軍艦の漕ぎ手)約6700人・兵糧(食糧)を提供しました(文永の役)。つまり、元の「征日本国軍」の主力は、事実上、高麗だったと言う事なのです。又、第二次日本侵攻(弘安の役)の際にも、軍船900隻・兵士1万人・水夫1万5千人・兵糧を提供し、高麗人・金方慶を将とする「東路軍」4万の兵を編成、元によって征服された南宋の残存艦隊によって編成された「江南軍」10万の兵と共に、再び日本へと軍事侵攻しました。これは裏を返せば、高麗人官吏・趙彝が忽必烈に「日本征服」を吹き込まず、高麗が陰に日向に元軍を支援しなかったとしたら、ひょっとしたら、元寇は起こらなかったかも知れない訳です。そう言う意味では、「蒙古襲来」(元寇)とは、正に「高麗襲来」とでも呼べる事件だったとは言えないでしょうか。 余談(つれづれ)コリア人は日本による「コリア侵略」に、「日帝三十六年」(朝鮮総督府統治時代)と共に、太閤・豊臣秀吉の「朝鮮征伐」(前回のコラム参照)をよく引き合いに出します。しかし、当時、豊臣家を滅ぼし江戸幕府を開いた将軍・徳川家康に対して、李氏朝鮮は「朝鮮征伐」における何らの戦時賠償や謝罪要求もしていません。それどころか、江戸時代を通じて、「朝鮮通信使」なる使節を日本に派遣し、新将軍就任の際には慶賀している程なのです。当時、何らの賠償・謝罪を要求しなかったコリアが、四百年も経ってから蒸し返している訳です。それならば、元寇の際に、事実上の主力軍として日本に侵攻した高麗の事を、彼らコリア人は一体どう考えているのでしょうか? 日本人は、そんな昔の事で、蒙古やコリアに対して「恨」(ハン:怨恨)等抱いてはいません。それを考える時、コリア人も、いつ迄も、やれ「日帝」だの、「壬申倭乱」・「丁酉倭乱」(「朝鮮征伐」のコリア側呼称)だのと言っていずに、本当の意味での、「未来志向の日韓(日朝)関係」を模索すべきではないでしょうか?http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/genkou.htmlこちらからの収録です。
2005年06月18日
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の動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。 番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしました。一人は城山の長老の洪さんです。田丸さんの質問「この工場から徴用された慰安婦がいるか」に対し、洪さんは 「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人間じゃないよ」と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはないが、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定とも否定ともとれる返答をしました。 もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこう語っていました。 「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにしている問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいなのです」 この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」はあったかも知れないという印象でした。 韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥です。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しにして生きざるを得ませんでした。 そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザスクープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。 アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せない んだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にも さしつかえる・・・結婚してたら連れて行かれないというので、12か ら14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息 が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわから ない」 (注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん このように行方不明になった多くの人は、麻生徹男軍医官のいう「皇軍兵士への贈り物」にされ、「衛生的な共同便所」の役割を果たしたのでした。その数は朝鮮人だけでも10万人とテレビ朝日は紹介していました。 さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです(未確認)。これは韓林花さんのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。 一方、吉田さんを「職業的詐話師」と酷評している人もいます。千葉大学の秦郁彦教授はクマラスワミさんにそのように非難したという記事が週刊新潮(96.5.2)に掲載されたそうです。(未確認) 吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技者」とでも呼ぶのでしょうか? 半月城半月城通信 従軍慰安婦 吉田証言よりまた。従軍慰安婦問題にしてもそうですよ。さも。日本は非道なことをしたかに書いてるが。秦教授の調査はかなりいい加減との指摘だが。韓国は儒教的な教育で女子は貞操を護とのことで口外はできないが。それが言い分であったが。しかし調査しても何も出てこなかった。それはこういうことだから当たり前で秦教授は詐欺師だ。それでは論議にはなりません。現実問題として日本側からは強制連行を裏づける資料は何一つ出てないともかく言われたら謝れば良いと思ってる外務大臣が内外の批判に負けて謝罪しただけとのこと。さらに従軍慰安婦の強制連行を裏づけるものはどれも証言ばかりで客観性がともなってない。ことに朝鮮では女子挺身隊と慰安婦を完全に混同してるそうではないか。それなら慰安婦に未成年が多いのも当然のこと。こんないい加減な調査を証拠にするのはどうかと思いますがね。100歩譲って強制連行があったとしましょう。だが、それにしても従軍慰安婦と従軍と言う以上は軍属でしょう。軍属ならすでに日韓国交正常化の際にその保証として国家保証をなしています。問題はすでに韓国の国内問題であり日本にどうこういえる問題ではないでしょう。逆に軍属でないなら前線に稼ぎにきた売春婦にすぎない。そこまで日本政府に責任を求めるのはどうでしょうかね?次げ加えれば強制連行でなく軍隊の売春が問題なら韓国の在韓米軍基地にはアメリカ兵目当ての売春宿がアメリカ軍基地の近くにひしめいてるそうですね。 某掲示板よりの収録
2005年06月17日
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また私のこのシリーズを熱心に読んで下さっている別な方は、私が日本の「従軍慰安婦」レビューを書いているので、そこからさらに進んで韓国軍のベトナムでの行為なども書いてほしいとのメッセージを寄せていますが、私にはそれほどの実力も時間もないのでこの場を借りてお断りします。 読者からの質問に対しての半月城氏のお答え 自分たちの問題には 答えないということのようだ、アジアの人々は どう思うのだろうか?
2005年06月16日
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だいたい国家を背負わないとかしなやかにというと オウム真理教みたいにカルトにひかれるようですが、http://www.asiavoice.net/nkorea/archives/000115.htmlこんな形での論評をするかたもいます。ほとんど無駄な努力という気もしますが歴史共有の研究がまだ行われるようですが そのへんも含めて半月城通信への批判を徹底的に しばらくおこなってみたいと思います。竹島問題でゆれていますから、当然いろいろ書きたいのに書けない。で反論記事を書こうにも書く時間がない。資料調べをする時間もない・・・・まぁ司法試験の勉強をしてるんですからそりゃそうです。例えば、有名どころで、半月城通信(http://www.han.org/a/half-moon/#ianhu)などを見たらやっぱりまだ連載してるし、まぁ在日韓国人の中でもよくネットを知りつくし、そして少なくとも日本の左翼より知的だと思っています。日本のサヨはいまや簡単に論破され半死状態ですが、かの通信は朝鮮日報からの怪しいソースをもごちゃ混ぜにして文章を組み立ており、見事に説得力があるように文章を構築しておりますからね。もう羨ましいぐらい時間がありあまってるのかな?なんて思ってしまいます。私もかの人のように時間があれば反論も書く気が起きるんですが・・・・残念です。まぁ例えば、半月城通信では朝日新聞に質問書を出していまして、その文面にこうある。読売新聞には)決定的な問題点がある。 日本政府と地方政府が二度にわたり、自ら「日本の領土でない」と明らかにした文献には全く言及していなかったでも、これって確定した証拠じゃなんです。朝鮮日報のこのニュース(http://japanese.joins.com/html/2005/0328/20050328202137100.html)をソースとしていますが、これはこちらのサイト「竹島問題」http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/で既に「証明する積極的証拠なし」と言われている周知の事実な訳で・・・・説得力を持たせても、やはり韓国の主張も半月城通信も同じ匂いがするのは気のせいでしょうかね。上記 トナカイの里よりなんだ やっぱりです。 竹島問題など、日韓関係・日中関係の話題になると必ず出てきて日本非難・半島擁護を繰り返す、在日コリアン。一見すると、口調が丁寧で理性的に論理展開しているように見えるが、実は“都合の良い部分を都合よく曲解して主張している”だけ。捏造>歪曲>都合の悪い部分は無視>論破されると逃亡>一方的に勝利宣言という、コリアンの典型的パターンを見事に繰り返す。そのため何度となく日本人論客に論破されており、ネット関係では“半月城はソースに出すな!”はもはや常識。ソースが半月城という段階で、既にアウト。それでも懲りずに、今もあちこちの掲示板に電波を飛ばしまくるが、もはや半月城という名前が出た段階で捏造認定される人物。在日コリアンの異常性の生きた見本w俺はこいつのサイト見て、“コリアンとは一生理解し合えない”と悟ったね( ´,_ゝ`)プッ上記 2ちゃんねるより収録http://socierat.cocolog-nifty.com/hitokoto/2005/03/post_5.html今日のひとことより 収録結局 実行支配して 文句をいっても跳ね返せば 終わりなんですが。半月城は朝鮮半島が4世紀まで中国の「植民地」だったことを一切スルーするよね。半島に関係ある=朝鮮文化みたいな粗雑な議論が多い。どうせなら朝鮮と中国の関係を調べてみればいいのに、彼のモチベーションは「古代日本は朝鮮人がつくったと証明したい」なんだろうね。こういう「客観的」なふりをしながら裏側に暗い情念をもって情報操作するのはきらいだな。15 名前:火病する名無しさん 投稿日:2004/10/11(月) 09:45>>12あっ、名前も知れない先生だ。久しぶりな気がします。先生は大夫について、日本語だけ調べて片付けているけど、この場合は、朝鮮語の変遷を見るだけでも電波退治できるのではないでしょうか?ai→e の変化が起きたのは、近世というかハングル創制以降で、ハングルを作ったときには文字の構成通りに ai と発音していたはずです。となると、天皇家は近世に朝鮮から渡って来たのかな(w-----------------------------------------------------↑半月城もなあ・・・。以前日記でも散々叩いたことあるけど、嫌韓厨如きにここまで虚仮にされて然るべき知能しかないのだから、一刻も早く自決したほうが祖国にとっても善い事だと想うよ、麻呂は。なんかこの前KBS第一でやってたという「ハングルの日」特集番組を想い出した(ホムペでサマリーだけ見て動画は観てないけど)。何か2300年前の日本語の起源は韓国語だ!という、大脳欠損並びに電波丸出しな説を堂々と紹介してくれたらしいが…。気が向いて動画公開されてたら観て改めて罵倒してやる積もりでつ。あの民族のスキゾっぷりこそ、行動様式のヴェクトルを他国民の予想より「斜め上」に向かわせる原動力であることは疑いない。リキアジョンの各種オタ日記より
2005年06月15日
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http://www1.odn.ne.jp/~cak49740/newpage06.htm歴史の共有というのは こんな感じになることのようですがhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku/wa1.htmlネットでみる範囲では わが意をえたりとは だいたい このへんになりますが いかがなものでしょうか?中世史では このへんが一番の争点になっていたようですが、このへんは日本側も理解していない方一杯います。http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31158132まともな史料は 日本側では 後期倭寇については ありません。前期 後期とも こういう視点を忘れずに 朝鮮、中国の史料をよむしかないのです。http://www.han.org/a/half-moon/mokuji.html#chuseiとはいえ 私のモットーは「韓国人(日本に住んでいる)としてさわやかに生きたい」というシンプルなものです。この立場から私はインターネットなどにおいて韓国・朝鮮に関する話題でかなり発言してきました。ある時は、ふだん日本人には軽く見過ごされてしまうような何気ないことでも、私たち一時的に外国人にとって時には重大な問題になり得るということを書きました。またある時は、昔、日本は朝鮮半島と意外な関係にあったことを興味本位で書きました。とありますが すぐに注意しないと すぐに売国奴になりたがる方がいます(引用文はあえて 弄りました)韓国人の描かれた文章ですから元寇のことには いれないで 前期倭寇の実態にも触れません。http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-1.htmlあとは こういう視点で 前期倭寇は見れないかなと思うのですが。
2005年06月14日
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昔の女の子(こういう言い方をしましょう)は元気だなと実感。半分 寝ている方もいますが(これもいろいろと事情があるようです)が さて昔の女の子といっても、幅はまた広いし ひとくくりにするのも可笑しいのですが。またいかにも昔の女の子という感じの方もいればモダンガールというのですが モガって奴ですか そんな方もいて美容と介護とは 無関係にみる向きもあるようですが 意外に重要なんだろうなと実感したしだいです。意味は少し違いますが 女は 灰になるまでとかね。昔の男の子は どうなんだろうか?商売やっていた方は また別ですが軍人さんとか 学校の先生とかなると 老人ホームというのは言葉は悪いのですが 本質的には 幼稚園のようですから(バカにしているという言葉ではないので誤解なく) ある意味 いい面で 子供になりきれないというところもあるようです、私の祖父もそうだったようだし 親爺もどうなんざんしょういい経験でした。ボランテイアなんて おもく考えずに もっと 若いうちに経験するべきですね、施設の方も親切にしてくれましたし。。ご利用者も、けっこう寂しい方もいるみたいで、帰り際に 貴方がたも 車に送迎の車に乗らない なんていわれましたから ひろい意味での人生勉強になります。の なんて さかんにいわれましたがちなみにペットボトルで ボーリングですが 私は 7 90近くの 昔の女の子(若いころは 絶対 オテンバだったんだろうな)が10でした
2005年06月13日
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http://homepage3.nifty.com/khf11063/ss/key/KGtop.htm#nayu日韓史については こういう見方もあるんですが 共同研究では排除されるんでしょうか?こういう見方も。また倭寇について 卒論で徹底的に調べた身としては未だに 日本人の侵略としている見方には とても納得ができないhttp://www.han.org/a/half-moon/最終的には 韓国史観という形に 日本を誘導したいのだろうとおもうのですが こんな形に竹島は韓国の領土です。対馬は韓国の領土です。沖縄は中国の、、、、、、、、、、、、、、、教科書に反映したいということですかね?日本人には アマテラスオオミカミよりタンクン神話を信じろみたいな?でしょうか?メシアさまは韓国に降りて 壷を買うと 幸せになれるとかドイツではどうかは知りませんが日本はこうしろですか?何十年かけてやるなら 大学レベルで行う学術交流とどこがちがうのでしょうか?
2005年06月11日
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オランダとポルトガルが戦争をしていた。オランダが一揆を攻めた。それは一揆の側が旧教徒側ポルトガルと連合していたと見ていたからだろうと私は考えるわけです。史料がなく、そんなのでたらめではないかといわれるかもしれません。しかし 例えば、一揆が終わった後に、とった首をですね。一つは原城に、一つは大江の浜にさらし、残りは長崎に持っていっているわけです。長崎に、3000ぐらいの首を持っていってそのほとんどは西坂、つまり26聖人の処刑された元々の刑場である 獄門場、そこにさらしたわけです。しかし、3人あるいは4人と書いた史料もありますけれどもその4人は 天草四郎の首と それから姉の首と有家監物という大将と それから、熊本で捕まっていた渡辺小左衛門 その4人の首をさらした、当時の出島橋というのは、ポルトガルの商館があっただけですね。出島橋を渡るのは ポルトガルの関係者だけです。わざわざ 出島橋にさらしたというのは、やはりポルトガルに対する見せしめだというふうに思います。当時(島原の乱)、ポルトガルの商館長は江戸に行っていた。そこでずっと 軟禁状態になります。それから江戸幕府は、ただちにポルトガルとの通商をやめるということをいいます。幕府内のいろんな意見の対立があって 実際には2年後になるのですけれども、最終的には ポルトガルという国を排斥して鎖国が完成していくわけです。私は、前から、日本は鎖国をした。キリスト教を恐れたから鎖国をしたというふうにいうのに どうして、オランダもキリスト教国なのに、日本と通商ができたのかということを不思議に思っていました。普通は オランダはそれ程 商売には熱心でなかったとか、いや商売のほうは熱心で宗教活動には熱心ではなかった。だから貿易ができたんだとか、それからオランダ自身はわれわれとポルトガルでは 全然 宗教はちがうということをいっているのですが、けれども幕府はこれは把握していたようです。宗教的な面からでは鎖国を説明しにくいけれども、こういった当時の軍事同盟関係で 構造を考えると、鎖国の中にあっても、オランダとは通商ができた。それが可能であったという理由は ある程度 理解できるのかなと思います。(一部略)服部英雄 原城と有明海 東シナ海より引用 原城発掘 収録原城発掘よりの引用ですが こういう視点は面白いのですが キリスト教関係者のコメントは うーんという方もいます。http://www.adsccat.co.jp/kumamoto/all/simabara/01b.html歴史学的には ともかく 観光的には これがメインなんでしょうか?またこういう視点もあります。http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/exhibit/1999/amakusa.html天草四郎は実在したのか?以下は ここからの抜粋で 面白いところを選んでみました。ところで、本絵図の特色は、何といっても細川家の家譜「綿考輯録」に綴じ込まれた絵図であること、そして、原城本丸の一角に「四郎家」を描いていることである。細川勢は、幕藩軍による原城攻撃の2日目、寛永15年2月28日の早暁、焼け尽くされた本丸の一角で、天草四郎の「家」(「四郎家」)を発見し、この家を焼き払って、「四郎首」をとる。細川勢は、「四郎家」を火矢で焼き払うに際して、幕府上使に通報するが、このことが上使による「四郎首」確定の根拠となる。その意味で、「四郎家」の存在は、細川勢による天草四郎討取りの状況証拠となるが、全国的に数多い原城攻囲図には、原城本丸に「四郎家」など存在せず、細川家においても、「綿考輯録」以外の絵図では「四郎家」の存在を考慮していない。絵図上の「四郎家」はあくまでも細川家の家譜に限定された存在といえる。つまり、家譜(綿考輯録)の編纂過程(宝暦2年-天明3年)において、藩主忠利の書状に頻出し、天草四郎討取りの証拠ともなっている「四郎家」の所在が問題となり、編者たちが、忠利書状の検討を通して場所を推定し、「四郎家」を明示した本絵図を同書に綴じ込み、家譜の記述に対応させたものといえる。原城に籠る一揆勢の軍事組織を書き立てたものである。本文書は、原城の陣場に派遣された熊谷忠右衛門が、寛永15年正月15日付で熊本留守居の年寄(家老)米田是季に報告したものである。「右の分ニ承候間、立ながら相調進上申候」と書いているように、幕府上使衆あたりから公表された「城中役付」を書き取って国元に知らせたものである。上使衆は恐らく落人の供述を勘案して作成したものであろう。「城中役付」のメンバーは牢人を主体としたものと思えるが、地名、村名を冠した者も多い。これら「城中役付」のメンバーと「談合人」(庄屋・乙名)との関係はよく分かっていない。また、通常天草四郎時貞1人の名前が掲げられている「本丸惣大将」の位置に、出丸大将とかけ持ちの有江監物時次が配されている。知行方奉行沖津作太夫が、寛永14年12月6日付で天草・島原一揆に関係して捕縛し、入牢させた者を書き立てたものである。籠者の人数は熊本の本籠・新質屋に47人、飽田郡・益城郡の在籠に9人である。熊本の籠者の大部分は、(天草)四郎の類縁者・関係者として捕縛された者たちである。そのきっかけとなったのは、寛永14年10月30日に、天草一揆の中心人物渡辺小左衛門が熊本藩領宇土郡郡浦で捕縛されたことである。小左衛門は、捕縛直後の宇土郡奉行による仮取調べにおいて、熊本藩領に潜入した目的を、宇土郡江部村庄屋次兵衛の隣に住む四郎の母・姉・妹を天草に連れ戻すためだと自供する。渡辺小左衛門の自供から、小左衛門・瀬戸小兵衛の一行のほかに、宇土郡江部村の「四郎一類」、小左衛門の「宿主」となった宇土郡郡浦の九郎右衛門の一類、宇土郡江部村庄屋次兵衛の一類が捕縛され、入牢させられて吟味を受ける。藩当局は、四郎の在所・すみかを特定し、四郎の母・姉・妹をはじめ、これだけの関係者を吟味しながら、天草四郎なる人物の実相には迫りえていない幕府上使板倉重昌・石谷貞清による、寛永14年12月25日付の落人取調べ書である。上使2人の名前は墨で抹消してある。落人の証言は出陣諸大名・家臣の書状などに所載されているが、本文書のように取調べにあった上司の名を記した一紙物の調書はきわめて珍しい。本文書で取調べられた落人は、60歳近くの島原領小有馬(有馬北村)の雅楽助と、17、8歳の天草上津浦の者であるが、特に有馬北村の雅楽助の調書は諸記録に所載されており、落人証言の中でも検討に値するものである。雅楽助の証言で注目されるのは、天草四郎に関する証言であり、「大将ハ四郎と申候て、年十五六ニ罷成候、かしらの毛あかく御座候、本丸ニ罷有候、此度取詰候て以後、一度二ノ丸迄出申候由、彼四郎親五十余りにて、同意ニこもり申候由也」とある。「大将」四郎の頭髪が赤いという驚くべき供述をしている。また、四郎が「一度二ノ丸迄出」てきたとも供述している。「一度」・「二ノ丸迄」という限定のされ方は、逆に四郎が実際には一揆勢の中に全く姿を現すことはなかったことを想定させる。一揆勢の前に全く姿を見せなかったことから色々と憶測を呼び、「ていうすの再誕」として、「赤毛」の四郎をイメージさせたものとも考えられる。。結局、益田甚兵衛・四郎は、四郎甥小兵衛が上使方の使者として2度城中に入りながら、身内である小兵衛の前にも姿を見せず、返事も持たせていない。上使が矢狭間からでも四郎に姿を見せよと求めているのは、この眼で四郎の姿を確認したいという思いと、一向に姿を現さない、返事も出さない「大将四郎」が、本当に城中に存在しているのだろうか、という上使側の疑念を感じる。結局一揆側からは(4)(5)に対する直接の返事はなく、使者の小兵衛にNo.23の返事まがいの書付を持たさせている。一揆終結直後、熊本で入牢させられている者たちの処置に関するものである。No.41は、寛永15年3月4日付で藩主忠利の意向を伺ったものである。「上使へ進之候」「ゆるし可申候」「長さきより之返事次第」など、忠利の自筆の指示が書き込まれている。No.42は、忠利が同年3月6日付で、幕府上使松平信綱・戸田氏銕に籠者の処置について指示を仰いだものである。文書上側の付札が上使衆の指示である。この日、熊本で入牢させていた者のうち、瀬戸小兵衛一類、四郎の母・姉・妹・甥などは原城の陣所で処罰され、大井楼に晒されており、忠利は残る籠者について指示を仰いだものである。籠者のうち「四郎親甚兵衛下人」の弥右衛門は、主人である甚兵衛・四郎について肝心なことはなにも供述できず、上使も処置を細川氏に任せている。また、渡辺小左衛門の「宿主」となった宇土郡郡浦の九郎右衛門は「心ハきりしたん」であることを供述し、家族全員死罪とされる。なお、天草四郎の在所とされる宇土郡江部村の庄屋次兵衛一類は忠利の判断で全員赦免され、上使へ伺いを立ててはいない。庄屋次兵衛などは、隣に住んでいたという四郎およびその家族について最も客観的に供述できる立場にあったであろうが、結局、藩当局は在所の庄屋からも具体的な供述を引き出しえていない。宇土郡江部村にいたという四郎と天草四郎なる人物との間には、人為的な乖離を感じる。本文書は、一揆勢幹部の中で生き残った人物として知られる山田右衛門作の口書(自白調書)であり、比較的信憑性は高いとされている。右衛門作は、一揆勢の幹部として、領主側(とくに旧領主有馬氏)との交渉にあたっているが、口書の内容は意外に具体性に乏しい。また幹部として、大将の天草四郎とはある程度接触があったろうが、四郎に関する記述も曖昧である。取調べにあたった上使衆が、あたりさわりのない程度の自供内容を公表し、詳細を秘匿した可能性もある。なんだ 誰も 天草四郎については 確認できていなかったというところが本当のところなんでしょうか?トンデモといわれがちですが ネタ元が熊本大学ですから佐倉惣五郎も伝説みたいなものですからhttp://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/asahara_kuchifuuji.htm現代でいうと これなんでしょうか?黒幕はべつにいたかなり?もありますが 竹山道雄先生が みじかき命という小説の中で取り締まりの老人が 殉教者たちに わしゃ 難しいことはわからんがと すでに処刑された者たちを示し あれが おまえたちのいうパライソとはおもえんと言わせていますこういう視点は 忘れるべきではないと思います。
2005年06月09日
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わたしのおかあさん 一年三組 くまがい ほのかわたしのままは すこしまえまではじぶんのことを16さいとかその次は 2回目の17さいとかそのつぎは 永遠の17さいとかさいきんは まよえる17さいといっています。わたしは おばちゃんに ほんとうの年をきいていますがいってはいけないやくそくなんだそうです。たまに しぶやにいきますこのまえ しぶやについたのに おりないのでしんじゅくまでいってしまいました。でぱーとにつくのがおくれたのですがなんでときくと しぶやと しんじゅくって にてるからわからなくなっちゃってといってました。それから でぱーとでは しょくひんさんぷるによくさわりたがります。はずかしいからやめてほしいのですがそんなままですがカツサンドをかおうとしたのですが しっているひとに出会ったとたんいめーじというものがあるといいだしフルーツさんどをかってしまいましたおとなって わかりません。わたしのままはせいゆうをしています。テレビをみていたら こえはままなのに かおは がいじんさんでしたなぜときいたら、ママがこえをあてているのよと いわれました。このまえ ままのおしごとをみにいきました。いつものままとちがい かっこよかったです。これが ままのおしごとです。たまに、おおきいおともだちのいっぱいいるところでせーらふくをきたりせーらーむーんのかっこをしたりなーすのかっこをしたりそういうかっこでないときは なんだろうと おばちゃんにきくとあれはがっこうのせんせいだよといわれました。そんなところで ママはよくうたをうたったりしますがママは こういうときは おしごとのときよりいきいきしています。わたしは てっきり ママはあそんでいるのかなとおもったのですがおばちゃんにいわせると これもおしごとなんだそうですどくりつしてから しごとをえらんでいられないそうですおとなのじじょうというのですが、こどものわたしには よくわかりませんでも いろんなかっこをみんなの前でしてうたをうたい おおきなおねえさんたちとあそんでいるママは とてもたのしそうです。ままみたいな人をあいどるというそうですがにっぽんの芸能界では ままと同じくらいの年で子供がいて あいどるしているのは 聖子ちゃんぐらいしかいないとおばちゃんはいっていました。ママ すごいとおもいます。それから秘密なんですがこんど わたしに おとうとか いもうとができます。なれるか どうか わかりませんが、女神さまみたにやさしく イエローキャブのおねえさんたちみたいなないすぼでいなたのしい ママのようなおねえちゃんになりたいとおもいます。
2005年06月08日
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第一の公益質屋が必要なのは、日本人の貧困がはなはだしいためであり、それが原因で、貧乏人は生きるために常に高利貸しの暴虐さの中に操られるほかはない。彼らは 年 7~8割の利息を取り 期限に支払わないとその利息を倍加するので、短期間で貸し金の担保は流れ貸した金額より遥かに価値のある物品を入手してしまう公益質屋が儲けられたなら そこにキリスト教徒のみに小銭を貸し、そこの従業員 その他に、風習通りの費用を支払うために、及び資産や建築を維持する上の日本の大きな危険に対して充当するために貸し金の回収に際しては 一割の利息を徴収する。これには何らの問題がなく、こころよく支払われるだろうし、先に述べたように日本人は 高利貸しに多額の利息を払っているので一割の利息は誰も皆 大きい慈悲と考えるであろう。またこの方法は、われわれの宗教におおいなる光明を与えるもので異教徒の元では見られない、この優れた救済手段がキリスト教徒の間にあるのに 接して、異教徒の心を動かす動機ともなるであろう。第二の慈善病院に関していえば日本に適応した方法で 外部の者の手で経営するが、一人の修道士が彼らに対する監督権を持ち、ここにはキリスト教徒だけを収容する。これもまた、先ののものに劣らぬ好評と成果を収めるだろう。この事業は、今日すでにわれわれは日本で名声と信頼されていなかった当時 初めて行われなかった際よりもさらに大きな効果をあげることであろう。このほかに 今設立する病院には、別の経営方法のものが必要である。この種の病院も キリスト教徒以外は収容しないが、日本で嫌悪されるライ業患者ではなく、他に救済方法がない貴人だけを収容する。なぜならば、あらゆる階級の者を救うことができずに下層の者だけを収容していると、慈善病院や そこで働く人々の評判が落ちるからである。この際には 収容された貴人を丁重に扱い清潔を保ち、気持ちよくすごせるようにする。第三の、中絶されるような子供を収容することは 極めて よい仕事であるとおもわれる。すなわち 数多の霊魂を救い、数多の罪をひけることになるほか、時期がくれば 協会は多数の奉仕者を得るに至るからで、この際少なくとも三十歳になるまでは教会に奉仕する義務を課する。田村栄太郎は 史料からみた秀吉の正体という本の中で上記のような形でバリアーノの日本巡察記を出してこれを評して いわく人間平等など露ほどもないし、キリスト教徒の他は救済しないといい貴人と貧民の差別をする 偏狭な宣教師どもであったが、葬式でお布施をもらう坊主よりは 視野が広いのであるとしている。
2005年06月07日
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1 キリスト教徒って そんなにご立派ですか? 高山右近も、流罪前はホントは 坊主になっていたし、世界史的にみて そんなにご立派な宗教とはとても思えません、王権神授説なんて イデオロギーも補完できたし、権力と妥協できるはずなのにね。 当時の日本を 単独で占領できたほど 勢力があるとは おもえませんが 攪乱されるとみていたのかな?2 どうして西洋だけなんですか? ポルトガルにしても、イギリスにしても スペインにしても 戦線を広げすぎた点が一つ それからシナ海は 中国人の海で、ポルトガル 人を日本に連れてきたのは 中国人の海賊であるということ。これをお忘れ なきように。3 謎の中国人はいたか? 密貿易(抜け荷)の摘発例は実際あったそうですが、たぶん 江戸時代にも 今でいうところの中国人マフィアが日本に入り込んでいたのでしょうが、 江戸時代初期には 密入国で 西洋人牧師が入り込んでいたようですが(顔 がちがうので一発で摘発されなかったのかな?)、あれも中国人経由で入り込ん できたはずだとおものですが4 隠れキリシタンって ほんとうにいたの? 江戸初期はともかく いわれるほどいたんでしょうか? 半分は創作 半分は日蓮宗か 浄土真宗の異端ではないかと思いますが5 倭寇は 在日中国人 唐人街という地名の由来は 秀吉の朝鮮出兵からとか 江戸時代の 朝鮮使節からとありますが、かならずもっと前からのはずなのですが 鎖国の陰のテーマは、これを押さえ込むということが必ずあったはずですが6 雑兵の戦場たち 海外版 徳川幕府とすれば 平和にしても なんとか国が保たれるという見通し がたったというのが 鎖国の真相だったのでは?というのが わが 愛読書の 結論のようですが さて
2005年06月05日
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1 あんなに汚職はあったのか?2 抜け荷の例はあったのか?硝石じゃなかければ 別にいいじゃない?3 十手で 刀を押さえられるのか?あれは鋳物でしょ4 無礼打ちは建前でも 本当は駄目なんですよね5 士は主君の上に 主あるのを知らずといっても、果たして将軍かも しれない男に、刃を向けるのか?(暴れん坊将軍の場合)6 いたかいないかわからないご落胤で 親爺は反将軍だった男を あがめるのは可笑しい(長七郎江戸日記)7 十手は こっそり見せるもの?(半七捕物帖)
2005年06月02日
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