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エマ5巻を読む男の向けではないという見方だが、アマゾンでの傾向をみるとウソつけという感じでもあるがさてフェチ的な部分もあるが、こういう形のものは他にはないなと思う。こんな形で 戦前のメイドがいた日本というものを物語るのはいかがなものか?医療 福祉 人間の体 心についてまた知りたいなと思う。これは欲張らず今年のテーマにしてみたい。
2005年03月31日
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看護 ベットサイドの光景疲労とつきあう老化とは何か三冊を読むこういう本を100冊も読めば なにか益することもあるかなと思う。問題は 今の自分をすべて捨てることではなく、それでは遅いので あくまでも方向変換であるということなんだと思う。サーヤ 日舞をという朝日新聞の記事を読む天皇家が 庶民の芸能(果たして 歌舞伎がそうであるか?)に親しむという構図をつくりたいのは わかるが 自ら演じるというのははたして サーヤ以前にどれだけあったか?皇后の教育の賜物という気がして有史以来という気がしなくもない(少しオーバーですが)例のコミケ行きたいという噺にしても都市伝説とは 代表のおことばですがあの年代で 同人をしていました。まだパソコン通信黎明期のころ何か 集まって 楽しみたいとくれば葉山や那須より 晴海や 幕張行きたいよと思うのは自然なところでしょ(なにげなくいったことばが いまのネットの世界に乱舞するというのはとても面白いが なにやら民俗学の世界にいるような気がして 不思議な気がします)ビックサイトといえば都内のはずれです。昔はそういうところに市が立ちましたがなぜか 商人 職人の世界には天皇家との関係を強調する向きがございます。サーヤのコミケット名誉総裁冗談抜きにいいではありませんか日本の伝統に沿ったことと私 大歓迎です。すくなくとも日舞を舞うよりさらに庶民的なことと私は思います。
2005年03月30日
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多元的全体社会と王権の私なりの解釈中世が一応の呪術社会(宗教社会とみても可)であることは間違いないだが 中世は呪術に覆い尽くされた時代でないことも歴然としている近年の研究は前者を異常なほど一面的に強調するものばかりである。それは誤りである。原始 古代社会と異なり、中世では大半の呪術儀礼の背景に費用の裏つけが必要であった。もはや呪術万能の時代ではない。(叡山の僧兵は 戦国時代は坂本の商人だったとさらっと 隆慶先生は書いていますが)両者の比重は 呪術3 費用7といったところであろう。中世には歴然たる合理主義もあきらかに出現しており呪術と合理主義が混在している時代である。経済観念は合理主義の最たるものである。経済を抜きにした 心性史は信じるにたらないこの時代は魔術からの解放の一過程ひとつの歴史的段階なのである。このことを 王権論について もう一度みてみよう院政期は 院や天皇についてのあからさまな非難が公家の日記に記されるようになる。鳥羽院は自らの出生にさいして神のおつげがあったという物語を 藤原頼長に物語った。天皇の血が問題ではなく 個人が問題になったのである。後醍醐帝の主上御謀反という言葉は全体の秩序に対する挑戦なのである。職人が権威と仰ぐのは、西国では天皇であるが東国にくると 頼朝になるのである。だから天皇家は 中世以前に部分的な 公家の一機関に転落していたのである。(日本書紀 古事記 太平記 日本外史の普及は江戸中期 尊王論の起こりも江戸中期以降から?)こんな天皇もあり、公家もあり、武家もあるという世界多元的な社会それに終止符を打ったのが信長の延暦寺の焼き討ちだがこの多元的な面が失われたのは 社会全体に取りプラスな面ばかりではない。
2005年03月29日
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貰い物の携帯電話の液晶が半分バカになってきつつあるので ある面酷使しました。携帯を PHSの京ポンに買い換えました。まだ 電話とか メールの更新に手間どりそうですがこういうものなら モバイルで インターネットという感じがします。ここも携帯で 見てもいいように少しだけ変更しようかなと思います。一昔前は ネットの世界は テキストベースそれが グラフィカルになりJAVAが入り 仕掛けができるようになりました。次は 最初に音声(ネット放送はラジオなら実用化)とくれば 無料電話のソフトを抱えている あの方ならラジオ局ほしいよなと思うのも もっともだと思います。
2005年03月29日
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http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/9645/chasen-hikaku.htmlお茶道具で 茶筅というものがありますが。中国地方で茶筅というと下記のような意味があります。http://www.tabiken.com/history/doc/L/L298R300.HTMどうように茶釜という言い方もされますが 筋でいうとささら筋また 同じ中国地方では 鉢屋と同じ筋のようです。このような人たちが 茶筅を売りつつ、田や畑の小作をやったり、牢番をしていたようです。菊地山哉の見方では、空也堂の縁起に サダモリという狩人が、空也の好きな鹿を殺してしまいという説は、高野山の縁起との共通性を見る柳田國男の説を否定して もともと彼らは 山者だったのではないかという見方を出しています。そういえば お茶というのもhttp://www.pluto.dti.ne.jp/~ehji/cha/chadanshi/report02.html単純に仏教とともに大陸からきたとは いえないようです。焼畑をやめると 茶が勝手に生えてくるようです。要注目でしょうか?それでは 茶室 茶釜 茶器などの茶道具、また茶道の本質的な面について次回から 考証してみたいと思います。
2005年03月27日
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北尾さんという方はマジカで何度か みたことがあるけど絶対に糖尿だというような体型の方で豚というならホリエモン以上 銭ゲバなら 最盛期の野村証券の法人営業を引っ張った方なので、ある意味 ライブドア証券の若造たちが把になってかかったもかなわない人です。http://kiri.jblog.org/今回も、ここでは、黒幕は誰だという見方がされていましたがhttp://doggyman8th.air-nifty.com/media/2005/03/post_11.htmlホワイトナイトが実は黒幕だったというおちですね。踊らされただけというhttp://www.itoyama.org/contents/jp/days/2005/0325.html本物の 乗っ取り屋さんは 馬鹿な マスコミ人がすっかり忘れていることを思い出させてくれます。ヤフーBBにコンテンツ(いやな言葉です)の新規の供給がないと光ファイバーが売れない放送 音楽業界に入らないといけないがテレビ朝日の件でこりている孫さんに、北尾さんが知恵をつけさせた馬鹿を1人踊らさせてみようとうまい具合に ソニーの役員人事でもうひとりのホワイトナイトの出番がないのでSBにいいタイミングで、チャンスが転がり込んできたというのが 今回の真相ですね。ホワイトナイトがトロイの木馬になる可能性だってあるんだよということでわかっている人はいるから対応を間違えてしまった日枝さんは表に出られなくなってしまいそのうち スキャンダルで解任?という結末か非公開日記
2005年03月26日
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高僧ばかりに注目して 高野聖に目をむけないのが日本の宗教史研究だといったのは かの柳田國男ですが。裏千家 表千家ばかりに注目して関西で お茶道具の茶筅といったら変な顔をされるという面をみようともしないのが日本の茶道史研究であり、またそのゆがみからか 利休はキリシタンであったという笑い話みたいな説が横行するのであります。さて 松永久秀と 千利休といえば 正反対みたいな人間同士ですが下記にあげるとおりのみかたをするかたもいますhttp://hata0913.hp.infoseek.co.jp/matunaga-1.htm茶道については まず茶筅というものを使いますがこれにも竹を使いますし、また茶室にも竹をつかいますまた もともとお茶葉というものは 焼畑のあとに自生するようです(これについては またあとで)千利休が皮屋で 松永久秀が 竹屋出とすれば当時としても ハイソな家の出ではありませんが世間の身分などは 関係なくというところの原点が茶道とするのは妄説でありましょうか?http://www.m-network.com/sengoku/hisahide/hc_01chanoyu.html上記のような形でみれば このような 松永久秀の茶道についての考えもまたちがったもののように見えるのではないかと思いますがいかがなものでしょうか?
2005年03月25日
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コスプレ ゴスロリ アンテイーク 萌え 従順 フェチひたすら 硬派で というところか極めるということでしょうか?4月からやりたいことがあるのでそのためにリンク50しますがご挨拶が遅れますので、その点はあいすいません
2005年03月24日
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よく簡単に帰農するとかテレビドラマではありますか?武士身分から抜かれた場合、彼らは どうなるんでしょうか?意外に 弾家の支配でも 武士に関係がこなしやすい職種が多いなと思うのですが。このへん 被差別が絡んでいるから古代史なみにわかりにくいということでしょうか?
2005年03月22日
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花粉症がやはり 薬では治まらず、例の耳鼻科にいこうと思います。目やにがひどく 仕事になりませんね。困ったものです。昨年はこすりすぎて まぶたに菌が入り、眼の上を切る羽目になりました。さて 本題ですが、江戸時代は やはり 武士身分 庶民身分 賤民身分に分けて考えたほうが 合理的なように思えますが そのへんの理解で適当でしょうか?婚姻や付き合いで 経済的な面を抜きにして身分相互にある程度の壁があったとみるのが適当なんでしょうか?ただ 先にあげた海舟の家にしても父方は、検校の出ですから(28種の中に 座頭とありますが、これは検校と同じでしょうか?) 多少 賤民的な要素もあったでしょうしまた 武家といっても、親爺の小吉の生活レベルは、ほとんど職人みたいなものでしょうしある程度 融合していた部分もあったとみるべきでしょうか?さて ここからが 長年の疑問ですがカワタ ヒニン エタだけならば 教科書歴史でのだいたいの人口の1パーセントが 被差別民の割合とみて問題ないと思うのですが、幅広い範囲でみるととても そんなものではないような気がします。幅広く取られるとすいぶん 歴史もかわってみえます。網野善彦氏の 非農耕民へのこだわりも、これを見極めたいようなところがあったのではないかと思えます。史料的限界や イデオロギー またある意味利権もこのへんは微妙に影響しているはずですがいかがお考えでしょうか?
2005年03月22日
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仮に 少し日本語がわかる 外国人に勧めるとして近代史の本というと 何がありますか?比較的 くせがないものですと。近代史という範囲を 幕末から 戦前までという範囲で取ると私の読んだ範囲では、小説なら 司馬遼太郎物マンガなら 風雲児たち専門的なところが 思い浮かびませんのでできれば なにか教えてください
2005年03月21日
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そもそも勝海舟のご先祖さまは新潟から出てきた 検校で それが金貸しで成功を収めて自分の末の息子を 権現様以来の御家人(ちなみにこれほんとうなんでしょうか?)に息子を養子に送り込んだのが夢酔こと 親爺の小吉御家人というよりも ほとんどヤクザちんぴら同然の男でしたから 家には 金はいれない。女は作る 揉め事は起こすということで奥さんの信さんは相当 泣かされたようですが。さて子供向きの伝記や、歴史マンガには、出ていない話のようですが(このへんは ほとんど八切止夫の受け売りなんで、自分でもきちんと調べてみたいと思うのですが)蘭学を勉強したい 危ないかもしれないが 親爺の果たせなかった夢を果たすにはこれしかないが、さて金がない。どうする?ということで眼をつけられたのが、当時 深川で芸者にでていたお民さん。年上で 身分違いで 親爺が親爺だから 苦労するのは わかっていても芸者よりは、お武家さまの妻ということで 最初はひもから始まって、身分違いも間に人をたてて 養女から 勝家に嫁入りだから お民さんの旦那さんたちに パトロンになってもらい 塾を作れたらしいとのこと建白書が認められるというのも、あの直前に 妹が佐久間象山の嫁になり、弟が100石 兄貴が20石程度ではつりあいが取れぬということで松代藩から 口効きで 幕府に登用されることになったというおちとかもともと 実力があっても、縁がないと駄目ですが、女の縁で世にでたというのが 勝海舟のある面での姿とかこのへんは、有名な話ですが、なにせ維新の元勲ですから映画などには されにくいが、あちらこちらに女をつくるのはいいが、家の中に連れこんで妻妾同居のすさまじい家庭を作り上げお民さんには、海舟と同じ墓には入りたくないとまで言わせたほど芸者出だから 引け目があったのでしょうが女関係だけをみると まさにエゴイストというのが勝海舟の姿のような気がします。いい面でも 悪い面でも 親爺に似ているというのがこの人なんでしょうか?
2005年03月21日
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28種が、エタヒニンと同じ扱いでいいとなると教科書歴史の、差別されてきた人は いわゆるカワタだけが被差別者とは だいぶ違う風景が見えてきます。この28種の出の有名人もかなりいます。身分差別とは 何か ということから一般的な理解から かえていかないといけないと思うのですが。
2005年03月20日
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これはいまでいうところの染物屋 (紺屋)ということになりますが。中沢新一の 僕の叔父さん という網野善彦 という本の中では、東日本(この場合は特に山梨など)では 差別を受けることは、あまりなかったが、関西では、先祖の商売は、紺屋というと、変な顔をされたということを書いています。何を持って 差別を受けるか?という点が 今の時代には わからないところがありますが、人骨を 染物をするときに混ぜるといいらしいのでそのへんからという説もあります(今もそういうことをしているのでしょうか?)静岡県からは2人 紺屋出の有名人が出ていて、タイに渡った かの山田長政そして由井正雪古典落語に 有名な 紺屋高尾というのがあり、貧乏な紺屋の職人が、ふとしたきっかけで 吉原にいき、偶然にも 高尾と出会い、そして高尾も、その職人にひかれ、高尾の年季明けに 2人は 結ばれるという絶対 ありそうもないファンタジーも、その職人が紺屋だからこそ リアリテイというか ファンタジーになるわけです。(笑点の円楽さんなら 何代目かの高尾が 実際に となりますが)
2005年03月19日
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『頼朝公御証文写』 鎌倉藤沢長吏弾左衛門頼兼写シ 一、長吏 座頭 舞々 猿楽 陰陽師 壁塗 土鍋師 鋳物師 辻目暗 非人 猿曳 弦差 石切 土器師 放下師 笠縫 渡守 山守 青屋 坪立 筆結 墨師 関守 獅子舞 蓑作り 傀儡師 傾城屋 鉢叩 鐘打 右の外は数多付有之、是皆長吏は其上たるへし、此内盗賊の輩は長吏として可行之、湯屋風呂屋るい、傾城屋の下たるべし、人形舞は廿八番の外たるべし 治承四年庚子九月 頼朝御判上記は 例の いんちきくさい由緒書きではありますが、問題は 頼朝御判ということではなく、この28種が 弾左衛門の支配(これは人頭税をはらっていたという解釈でいいのでしょうか?)にあったのか? また ここの職業の人たちもエタヒニンの仲間という解釈でいいのでしょうか?この28種のことといい、御家人株のことといい、江戸時代の身分は 士農工商という、教科書の理解というのは なにか 本質とずれたようなところが あるなという気がいまさらのようにしていますが?
2005年03月19日
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公卿株なんて言い方があるのかどうかはしりませんが公卿株ということで 貧乏な公家の株を買い、その家系の中に入り込んだ 町人があるのかな?と ヤフーの掲示板の方で聞いてみると否定的な意見が帰ってきました。大名株という言い方があるのか それもまた疑問ですが養子というものは 後を継ぎものがいないから 養子を取るのではなく持参金目当てで 殿様の弟がいながら、他家から養子を取るという、渡辺崋山の主家のような例もあります。これについては どのへんがこの決定を下したかについてはわかりませんが、家老たちがこういう決定をくだし主君に呑ませるのだろうかという気がします。坂本竜馬の家も元からの郷士ではなく、郷士の株を買ったような家であります。たしか 吉田東洋のご先祖は 長曽我部の家臣だったような気がしますが勝海舟の家は、新潟の検校の家の出です。経済の発展で 金を得たものが、その金で 身分を買い身分制度(ただ いわれるほど 鉄壁だったのでしょうか?)が崩されどうせ 藩主は養子じゃないかということで意外に早い 旧体制の崩壊が始まったのでしょう。こんなところで 身分制度は 徐々に崩れていったのでしょうか?家系図というものを重んじつつも 金を先に立てれば 怖いものなしというところなんでしょうか?ただ どうして 公卿株の売買はなされなくて 御家人株は問題なかったのでしょうか?
2005年03月18日
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韓国人なら 両班(貴族)日本人なら 武士をご先祖さまにしたがりますようで柳田國男センセイが いまでさえ この状況をご存知なら草葉の陰で悲しまれることでしょうたとえば、蜂須賀のお殿様でも、太閤記で 自分の先祖が野盗であると かの明治大帝(山之内侯ともいう説あり)にいわれ渡辺センセイという方に 金を握らせて、我の先祖は 足利家からとこじつけくさい本を作らせたのでございます。大名家でもこんな具合で、かの前田侯も江戸城内で お手前の先祖は?と聞かれたところ、ただいま、いいところをみつくろい中ですと答えられたそうです。一般庶民の場合(これがほとんど)では、まず寺の過去帖がありますこれをさかのぼると 現在の檀家制度が整備され 過去帖が整備されたのが江戸期からでこの過去帖が一番正しいはずですから(この理解で間違いないとおもいますが?)江戸時代以前のご先祖の方は ほとんどの方がわからないはずでして、また伝承には なんらかバイアスがかかります。どうも系図屋さんの本を読むと 貴方のご先祖は こういう名前だから源氏の何家の だれの分家で なんて 馬鹿みたいなことをいわれますがあれは学問なんでしょうか?(はっきりいわば 悪徳商法以外のなにものでもない)たとえば サダモリという方が ご先祖にあるとすれば 先祖の宗旨がどちらかとか 地元には どういう伝承があるとかの関連から 自分のルーツをお調べになったほうが 学問的にも またご先祖への正しい態度のように思えます。
2005年03月17日
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明智光秀という方には 3人の娘がいて1人が 信長の甥の津田信澄の妻 1人が 明智秀満こと三宅弥平次 そして最後に、ガラシャ夫人こと 玉になります。母は 諸説ありますが、美濃の豪族の妻木氏になります。糟糠の妻ということで光秀が 同輩をもてなすのに金がない 困ったなというのを聞き自分の黒髪を切り それを売り金を作ったというオーヘンリーみたいな 逸話もございます。本能寺の変 以降 幽閉されていたという説もございますが隠れていたのが 旧明智領になります。おそらく おつきの家臣にかくまわれていたのが、本当のところでしょうか?彼女の息子も、本家を継いでいるわけではございませんし関が原の戦のさいに、彼女のような形で死んだ方は他にはおりません。本能寺の戦にしても、これは元総理の状況をみればわかりますが、キリシタンとくると 何でも美化されがちですが、そのへんは いろいろあったのでしょうか?キリシタン または 国際派といえば 美化されがちですが黄金の日々で ガラシャをやり ショーグンで たぶん ガラシャのような役をやり カッコ付の 国際派女優になったのが、島田陽子です。アメリカの撮影って 拘束時間が長いのですが、待ち時間が多くてと とある場所で いわれておりましたが、ようするに 端役しかできていないのじゃない?私の初恋の方ですが、この人の現状のことを思うと別に 顔なんて どうでもいいのです、立派な女優さんならいいのですが 頭痛くなります。
2005年03月16日
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花粉症はいかがでしょうか?私はうまく例の耳鼻科にいく機会がなく少し 大変です(変な 日本語ですが)さて今日は 指輪の話など貴兄は指輪物語を読まれたり ロード オフ ザ リング(映画のほうなどごらんになったことは ございますか?トルーキンという人は ある意味 ふるきよき イギリスを代表するような英語学者(日本でいう金田一先生?)であり、古代~中世にかけての権威?のような方です。指輪物語は すくなくても そういうエッセンスが入っているはずなのですがいまいち ヨーロッパの歴史や民俗学の点と絡めての評論をみたことがない(私が把握していないのだけだろうと思いますが)映画版(私は1しかみていませんが)小説で読んだ以上のイマジネーションを感じさせてくれるので映画の方が 好きですが、魔術師のガンダルフに、古代~近世初期まで、日本を漂流したであろう商人や職人の姿(この頃は 宗教色も強いだろう)を重ねたりサウロンや モンドールの化け物に、鍛冶屋や 鋳物師 産鉄業の人間を重ね合わせたりと宮崎 元共産党 駿のもののけ姫では、こぎれいにしてしまう部分も、かなりどぎつく この映画は感じさせてくれます。
2005年03月15日
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http://www.urban.ne.jp/home/kenf/zassou/zassou-yamamotokansuke.htm本日のお題はこちらになりますが。私は 基本的には 五代前以降の系図は不明瞭で、同時代の史料で確認できないと意味はないという考え方ですが、先日 花神を読んで、村田が系図を藩命により作成の指示がでて、適当に作ったようだと 司馬サンは書いていますが、このURLの中で紹介される本の中では、いや殿様にみせるものだから ウソはないとさかんに主張しております。系図は裏を読むのが 楽しいのであって、連尺商人であった 杉原氏が平氏の末裔だとか 寺奴頭の筒井氏が藤原だ 菅原だとは ちゃんちゃら可笑しいと思います。偽系図つくりの 沢内源内という男もいますが、ケイズヤと書いて盗品売買という言葉もございますので やはり系図は研究対象としないのが正しいのでしょうか?
2005年03月14日
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生前はこの人の小説というのはほとんど 読んだことはなかったですね。むしろ 味わい深い映画評論や、絵をかける方というのがこの方についての私の認識でした。いまでも 鬼平よりは 銀座日記のほうが面白いし、鬼気せまるものを感じさせてくれます。江戸時代の警察(これは 現在の公安のやり方も基本的にはいっしょのようですが)のやりかたは、密偵を多く使います。後藤新平のスパイだった 大杉栄 岩倉から金をもらっていた山岡鉄舟 ミヤケン以前の共産党の幹部連中、最近では、突破者だなんてえらそうなことを書いていて 実際は 公安のスパイの宮崎学とか江戸時代も、与力 以下の 十手持ちは、もとを正せば、このへんと紙一重ですから鬼平は 従来の時代劇が描かなかった部分と、江戸の風俗(らしいもの)を描いた点ではいいのですが、正直 あの盗人が集団で動くとか つなぎとか あのへんのところは、三角寛のサンカ小説から 発想をえたのだろうとか、池波さんは、戦前は株屋の小僧(戦前の株屋については、石田衣良の 波の上の魔術師が詳しい)で 下町から日本橋周辺に詳しいから 江戸の風景でなく、戦前の風景じゃないかとかエッセイでも、そのへんのことはかかれていますし、TVでも、鬼平が息子と 岡場所に遊びにいき、このくらいの金額で どうだということを そちらの お姐さんにいうと 若い奴ならともかくもといわれて 苦笑いするというのは 池波センセイの姿か 株屋の先輩たちの姿なんでしょう(だから鬼平の面白さは 子供にゃ わからないし わかるのは よくないのです)また映画好きだから 昔のフランス映画のどのへんからか 発想を得たのではないかそんな気がします。長谷川平蔵自体も あんな立派な人じゃないし、人足寄場も 今日の感覚でいうとどんでもないのですが、池波さんじたい そのへんはわかっていて分を 守った態度だったように思います。このへん 東京人は、和歌山の不動産屋よりは、誠実な気がします。
2005年03月13日
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いくつかのキーワードで検索エンジンで ひくと このページがでたりします。有明の休日とかね。その影響かもしれませんが、たまに学生サンらしい方のアクセスなんかもあります。そんな方に送る言葉だ。好きな異性(別に同性だってかまわない)ができたら できなかったら できることしなよ(なんだってかまわない)告白しなよ あんまり余計なこと考えないで。恥掻こうが 泣こうが どんどんしなよ。勲章にもなるし、絶対 後で 後悔しないからね。
2005年03月12日
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みなもと 風雲児たち たろうの本の挑戦者たちという中で作者が 時代劇映画のバイトをしていたときに大岡 享保 越前と 遠山の 幕末 金さんが同じカッコで いいのか?と 映画関係者に聞いたら時代劇には 時代劇時代というのが あるだけやと怒鳴られたことがあったそうです。ドラえもんも 高度成長直前の風景で現代を描くというかなり無理をしています。物を作るというのは そんなことはつまらないことのようです私が津本 武田信玄 陽を大嫌いな理由も新田 武田信玄 次郎のほうに惹かれるのもうまくは説明できませんが、どちらがきちんとした仕事かまた 武田騎馬隊なんていうものは 3000丁の鉄砲というものは当時から創作だったというのが わかっていたのにも関わらずそれぞれどういう扱いをしたのかとか武田王国がどのように崩壊したのかについての描き方の差にもよります。池波先生も いろいろ発言をされた方でしたが、エッセイ(というよりもこの方は随筆といったほうが ふさわしい気がしますが)で 趣味のことを発言されていた程度だったようです。ご自分の小説が たとえ 時代劇であっても それは 下町の風景や 戦前の株屋時代の風景だったということをきちんと認識されていたように思えますしかし津本センセイの場合は、なんだか いっぱしのことのつもりで発言されているようですが、下天は夢かという武功夜話の口語訳に過ぎないものを出して 信長のとか?秀吉のとか?という程度なら 私には作家として 人間として どうなのか?そんな気がします。
2005年03月12日
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来週中に 返事がこない場合は、例の件はなしとする。
2005年03月11日
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たとえば 本能寺の変に 昔の人は信長を微妙に酒呑童子の姿にみたて、鬼退治と見ている方もいます。だから 信長が 比叡山を焼き討ちにして鬼に見立てられ 光秀は 土岐源氏になります。秀吉の出世は みんなの夢その結果として、草履を 自分の懐の中で 温めないといけないというのは、出世があるから こそ 嫌味に聞こえませんがそこまで しないと 立身出世は難しいという江戸時代以降の武士への教訓です。だから これらは みんな文学や民俗学 宗教の範囲ですね。まじめ クサって 歴史小説なんていわないでもいいのにと思います。誰が 読めるか 津本陽の小説
2005年03月10日
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司馬遼太郎の戦国以外の小説を始めてよみました。ある程度 周辺のことを 読むと司馬遼太郎が どこに 細工を入れたかが わかるなという気がしますが薩摩なり 長州が ほんとうは幕府を作りたかったが、ひとつじゃできないので薩長同盟ができ天朝を担ぎフランス革命の黒幕に オルレアンがいたごとく 薩摩なり 長州の殿さまがいたのは間違いないが、西郷なり 大久保なり 木戸がそれでは駄目だということで自分たちが政権の中心になっていったということだがかの司馬さんでさえ どうもその史料がみいだせなかったようでこの薩摩幕府、長州幕府なんていうことを おおぴっらに言い出せなかった状況が、みんなわかっていたんだろうが幕末から 明治の末まで あったのだろうと思う。そんなことを織り込みながら、この本を読んでいくのはひじょうに興味深い
2005年03月09日
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http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/monthly/images/kawabata/k3shoutoku.jpghttp://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/newsection/shougaku/bunkazai/details/14.htmlhttp://www.tochigi-c.ed.jp/bunkazai/bunkazai/list/526.htmhttp://www.tochigi-c.ed.jp/bunkazai/bunkazai/list/509.htmhttp://www.town.ano.mie.jp/bunka/taisi.htmhttp://www.info.city.tsu.mie.jp/guide/cu-sanpo/10_ko/253_kougenji.htmlhttp://www.city.inazawa.aichi.jp/bunkazai/data/024.html縄文の神http://www.st.rim.or.jp/~cycle/MSEKIBO.HTMLニッポンのエンゼルhttp://www.remus.dti.ne.jp/~k-tanaka/namadai/labo/engel/engel4.htmlホルス神http://www.roy.hi-ho.ne.jp/mizuchi/Egypt/kamigami/horus.htm母子神信仰http://www.tabiken.com/history/doc/R/R015L100.HTM
2005年03月08日
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私の住まいはLFは入りにくいのではっきりいって文化放送びいきですが。LFの場合は、なんといってもこれです。第二部の谷山浩子のまで聞いて 学校いってました。フロッグマンとか 村田センセイの噺とか大田プロの副社長の噺とか タケシの一番面白かった時期ですね。LFの社長にしても、昔はアナウンサーDJで鳴らした方である年代の方々には、初めて顔をみたけど声は前からという方も多いのではないかと思います。ネットと放送の融合という方って意外にコンテンツわからない方が多い旧アスキー 西ソフトバンク 孫さて ホリエモンは LFを手に入れたらどうなるんでしょうか?
2005年03月07日
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仙台藩の家老職にあった人間が 当時の仙台藩の情報収集力をふるに使い、まとめた本が官武通紀ですが。この中の薩州始末に いくつか面白いことがかかれてあります。昔から、公然と 密貿易をやっていたが、開国で 貿易が盛んになってしまい、薩摩の独占が通用しなくなり、経済が衰えてきたとか攘夷なんてできもしないことを承知で 幕府にやらせてできないとわかれば 天朝さまに逆らうのか?ということで親戚でもあり、同じ清和源氏の流れだから薩摩が将軍になろうとしていたとかとか鳥羽伏見の戦いで 錦の御旗に効果があるとわかったからとか薩長同盟以降からとかが 殿様を追い落として、自分ら(西郷、木戸、大久保)で 政権を取ろうとしていたのは 八切止夫や、司馬遼太郎(竜馬がいくで このへんはさらっとかいています)ですが。最初は 殿様を担いで、天朝さま中心でのはずが、いつから 西郷、木戸 大久保主体になっていったのでしょうか?
2005年03月06日
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西武の例の プリンスホテルというのもあれは 皇族の土地を乗っ取り ホテルを作った場所でございます。義明の親爺さんは、そのへんのブランドの価値を判った人とは 猪瀬直樹の評ですが、私には 阪急の小林さんが 関西で取った方法を さらにえげつなくしたという印象を受けるだけです(なにせ 近江商人ですから)かなり あくどいやり方で 首都圏の土地を買いあさった印象を受けますが あくまでも 妄想にすぎませんが、このへんは、土地の所有権の問題西武系の土地 被差別部落その他の件に 関連したものを感じますがいかがなものでしょうか?清二のお母さんにしても、戸籍上はともかく、小説や評伝では 別の人物戸籍上のお母さんの姉妹にあたる人だそうで、あんな男の子供など 産みたくないということで お母さんは 子供の生めない体に自分をしてしまい、堤家に嫁いだそうです。(このへんはさらに 複雑な事情があるようです)このへんの複雑な家庭の事情が 清二こと 辻井喬を 共産党に走らせ、作家に走らせたのかもしれません、比較的 西武の裏事情が 表にでているのも、彼の小説によること 大でして、いつもと同じ春以降に代表される小説で 西武の裏の事情が赤裸々に語られています。(このへんは 文学的にみても お勧めです)このへんは 義明さんのほうには かちんとくるらしく 特に 清二のお母さんの描写にしても、親爺さんを 迎えにくるときも、下着をはかずに、着物をきてそれが さらっと みえるような形をとるとか、清二の兄貴を 追い落とすのにあんなに力を注いだじゃないかという点から そんな面を描かないで、可憐に母を描いてという面から ビジネスの面での対立でなく、感情的に かなり かちんとくるものがあったようです。小佐野賢治の嫁さんも、旧華族の娘ですが、小佐野賢治もこれに加えて子供ができなかったことから ずいぶん 溜まるものがあったようでこのタネナシと SMプレイをされていた噂ですが清二にも、このへんのことがわかる 思いやりがあれば流通グループがつぶれずに済んだ気がします。さて義明逮捕の記事に 今上いわく サーヤを嫁に行かせないで よかったというところでしょうか?
2005年03月05日
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雪が降って、今日は外出取りやめですが、貴兄はいかがでしょうか?http://www.horagai.com/www/book/read/read96c.htm#R031この一番 トップにある本の知識程度しか 徳川王権についての知識しかありませんが この本もタイトルが怪しいですが、意外に まともでした。この本はあくまでも予告で 本篇は もうでてもいいのでしょうが、まだのようです。この説については 反論がおありのようですが いかがでしょうか?また全体的にみて どう評価されているのでしょうか?私は 革命というと ヘーゲル マルクスのくくりでしか、論じられない雰囲気は良くないという口でして ロシア革命は 当時のポリシャビキの指導層がレーニンを含めて、ユダヤ人や 非ロシア人ということから ロシア帝国内部での 人種や 宗教が 引きおこしたもの。 毛沢東思想や主体思想は 山賊のお題目と思うくちです。天保庄屋同盟というのも、竜馬がいくで さらっと 司馬さんが描いていますが、天皇がいて 百姓がいる 間にいるのが、藩主に過ぎない、その間にいるのが、藩主や侍に過ぎないのだから 無礼うちなんて どんでもない。これが、明治維新の源流にまちがいなくあるのですし、維新、戦後の農政改革、財閥解体を経て、まだ 財閥、貴族(僭称もあるかと思いますが)のある 欧米の差を考えると、やはり維新は 革命だったと思います。王権とは 何か?なぜ簒奪が為されなかったのか?(簒奪されないのもあっていいのではないか?)とか 確かに疑問もありますが これについての反論など お聞かせください。
2005年03月04日
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ガンダム以前のロボット物は時代劇の翻案時代劇は 西部劇の翻案そんな妄想を頂いておりますが、さて半七は、ホームズ物語をベースにしたものがあるようですがホームズも、いい大学を出ていながら、官僚にもならず 学者にもならず 軍人にもならず 探偵なんか しているアブレ者だったりします。当時の十手持ちなんて 今のアクザと紙一重だったような気がしますが、最近の時代劇なんかみると そういう要素は出さないでただ 正義の味方という感じでしょうか?タイトルにもあげましたが、親分さんたちの住まいにしてもあの当時の江戸としては やや外れのような気がするのは気のせいでしょうか?私としては 真田広之の 新 半七が 私ごのみでよかったです。また再放送 CSでやらないのかなと 思うのですが。本当の意味での工夫をしないから 時代劇も衰退するんでしょうか?
2005年03月03日
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http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/4_J.html始皇帝の評価が 毛沢東の時代にがらっと かわりこの文章にもあるように がらっと かわり評価されるようになってきましたが、史記の評価のなかで始皇帝をもちあげられるのは 焚書坑儒と 万里の長城ではなく徐福の日本渡航ということになります。また 始皇帝の子孫が客家というと 当然 トウショウヘイということになります。歴史屋さんたちが 当然 徐福を語りたくなるのも もっともな噺です。http://www.wufi.org.tw/jpn/ikutoku02.htmさらに 徐福の日本渡来説がでてきた理由を下記のごとく引用させていただきました。第二に、これは第一点と深い関連をもつのであるが、自分たちのスーパー・フォルクに対する誇りが強い余り、鼻もちならぬ優越感として、却って禍したことである。ほとんどの中国人は中国近代化の失敗が自分たちの頑固、傲慢に原因があると反省せず、責任をすべて他国の帝国主義的野心に押しつける通癖がある。近代化の失敗を是認するのはまだいい方で、甚だしいのになると、“阿Q的精神勝利法”でなお負け借しみをいう。かれらの優越感の由来を、東洋史の権威たりし和田清博士はこう分析されている。 中国アジア東南の沃土を占めて、久しく東亜に於ける唯一の文明的大国てあった。之に比ぶれば、四周の国々は頗る貧弱で、開発にも遅れ、概して言へば、中原の中心から遠ざかるに随って、次第に益々気候も風土も悪く、物資は乏しく、住民は未開であった。されば之に馴れた中国人は自然に倨傲となり、自ら崇めて華夏中国の選民と信じ、他を卑めて戎狄蛮夷と謂ひ、尊大自ら許して所謂華夷の思想を馴致したのである。かくて矢野(仁一)博士も言はるる通り、中国は自ら天下であって国家ではない。王者の徳に厚薄はあるが、王化の及ぶ所悉く一天下であって、之に対立するカの存在を許さない。八方の辺裔に居るものは蠢爾たる夷狄のみと考えられたのである。この考え方は対等に並立する国家の存在を認めないから、近世のの初頭になって欧米列強の勢力が東漸するや、先ず相互の国交の緩和を妨げ、やがて中国の破滅を来すこととなった。(1950年、岩波書店発行、和田清著「中国史概説 上巻」P.1~2) 中国人の優越感は日本人が秦始皇帝の家来徐福の子孫であると本気に信じこむことや、沖繩の宗主権を主張することやで、現在なお健在であるが、華僑のように海外に出た“身内”の人たちに対してさえ抑制することを知らないのである。天孫降臨をしたのが 神武天皇であるという本を書かれる程度の日本の知識しかないかたでも、徐福の日本渡来論をかいてしまう状況というのは このような基盤があったからではないかと 私は思うのですが。
2005年03月02日
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維新の大将軍という見方も正しいと思うのですが。元を正せば 軽輩の出に過ぎません。江戸時代は身分制度が厳しいといってもある条件つきで、脅威的な 出世ができる場合もありますが。西郷さんに従い 西南戦争に参加した薩摩隼人も西郷さんより 偉い 家柄の人間も かなりいたはずですが素直に 西郷さんに 従えたなという気がします。国父の久光が 大久保め 余を将軍にするといっていたくせいに 自分が その地位に 岩倉とすわるとはという見方を していて、西郷の行動に暗黙の了解を出していたそれならば 納得はいくのですが。維新の志士が出て、明治近代国家へそんな説明では、このあたりの事情で納得のできない部分があるのですが。いかが お考えでしょうか?
2005年03月01日
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