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等々力さんは 臆病 小心ですがと ボクは解釈するがね だれでもそうだが若い時の等々力には気負いがあった 何回かの刑務所生活のためか 人を上眼つかいで見る癖があった しかし一人一殺の気迫が全身にみなぎっていたようだ それが彼の魅力でもあったのだろうが 今にして想うと 弱い犬は吠えるで あれは虚勢だったように思うね それに用心深いところは 彼の日常生活がベールに包まれていることによく現れている 彼の前身は 自伝などでも知られているが 貧乏人が理屈を覚えれば左翼に走るといわれる逆で 福島県の純情で小心などん百姓が生きていくために右翼になったというしがらみの不思議ささ地紋は手酌で酒を口に運んだだが 世間が斜目で見ているほど悪い男ではない 金銭なしでは動かないが 頼まれ引き受けたことは身を挺して必ずやり遂げるという責任感の強い男だ この辺は 誉褒相半ばする 君の目で確かめることだそうですねまあ ワシも臆病で世間体を気にする だが奴は全く気にしていないようだ その点は腹が座っている 右翼の世界では ワシが陽なら 奴が陰だ転覆 海運 大型乗っ取り事件 本所次郎講談社文庫ジャパンラインへ 三光汽船が乗っ取りを仕掛けたときに ジャパンラインの社長が その対策のために まず児玉を使おうと思い笹川先生に 児玉誉士夫とは何者であるかというのを聞きに入ったときのはなしですただし この小説では この社長が 若狭得治になっています
2009年10月31日
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http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-464.html 金、金、金、金の世の中。この風潮は一部の成金や、それと交渉のある政治家などのあいだにだけあったわけではない。社会主義者荒畑寒村は、1921年(大正10年)ごろ、運動のための新聞発行の資金繰りに苦労していたが、そのころ出会った若き革命家・徳田球一のことをこう書いている。「先だつものは資金である。私は当時、失業して社内に起臥しながら新聞の事務に当たっていた鍋山、花岡の2青年にいろいろな計画を語っては、誰か資金を出してくれる篤志家はいないものかなアと、まじめに嘆じたものだった。もっとも、運動資金を得られるかもしれない機会に、1度は見舞われないでもなかった。私は上京して山川(均)君に会った際、その水曜会に出入している徳田球一という男が、私に会いたいと言っている旨を告げられたので、銀座のカフェー・ライオンで会見した。彼はある株屋の顧問弁護士で、私の必要としている運動資金を出そうと言ったときは、渡りに舟の感を禁じ得なかったが、その出資の条件を聞くとあきれてしばらく口がきけなかった。彼は鐘紡にストライキを起こしてもらいたい、そうすれば株の変動に乗じてこっちはもうけるから、『一つギブ・アンド・テイクでいこうじゃありませんか』と言うのである。私はこれがとにもかくにも水曜会に出入して、社会主義理論の一端でも聞きかじっている人間のいうことかと、驚きかつ憤慨して立ち帰った。あとで知ったところでは、彼は私ばかりでなく、アナーキストの近藤憲二君にも同じ口をかけたという話で、まじめに相手にしなかったのは私としては上出来であったと言わなければならぬ。」(荒畑寒村『寒村自伝』 1961年) http://movies.jp.msn.com/film.aspx?P_MediaID=9098ホッファHOFFA140分ドラマ・ 伝記公開日:?1993/09洋画メインキャスト:? ジャック・ニコルソン,?ダニー・デヴィート,?アーマンド・アサンテ広告ストーリー1975年7月30日、ジミー・ホッファ(ジャック・ニコルソン)は、側近のチャロ(ダニー・デヴィート)とデトロイト郊外のレストランで、マフィアのボス、キャロル・ダレッサンドロ(アーマンド・アサンテ)と会うため約束のロードハウスへ向かった。約束の時間が来ても現れないダレッサンドロに、チャロは電話をかけた。30年代、大不況のさなか、チャロは長距離トラックの運転手をしていたホッファと知り合った。ホッファはトラック運転手の組合チームスターを結成した。スト破りを図る経営者側との対抗上、マフィアと接近し、力を借りることになる。ホッファは労働争議中に知り合ったジョー(ナタリア・ノグリッチ)と結婚。第一次大戦後のアメリカ経済は繁栄期を迎え、ホッファは組合の中で地位を固め、資金管理までまかされるようになった。腹心の部下フィッツシモンズ(J・T・ウォルシュ)や、コネリー(ジョン・C・ライリー)とともにマフィアと親交を深め、資金援助をするようにまでなってしまった。肥大化していく組合の年金資金のゆくえについて、合衆国上院は調査に乗り出し、ロバート・ケネディ(ケヴィン・アンダーソン)議員らマクレラン委員会はホッファを告発、聴聞会で厳しく追求する。やがてジョン・F・ケネディが大統領に当選し、ロバートは司法長官になった。ホッファはついに組合の新会長に選ばれるが、チャロとコネリーとともに買収と詐欺の共同謀議で起訴される。組合の会費収入2億ドルという資金がマフィアに流れている証拠が立証され、ホッファは有罪になる。ホッファは服役するが、ケネディ兄弟が続いて暗殺され、ニクソンが大統領に就任、選挙資金を組合が出し、ホッファは特赦で刑務所を出た。しかしフィッツシモンズはホッファに、10年間の活動禁止という条件つきの特赦だと伝える。激怒したホッファは、ダレッサンドロに、ニクソンと裏取引きをしたフィッツシモンズを殺してくれと依頼した。すでにダレッサンドロとの約束の時間から4時間も経過していた。ホッファとチャロは、ロードハウスにいた青年に突然射殺された。そして2人の死体と乗っていた自動車は、現れた謎のトラックに積まれ、運び去られてしまうのだった。右翼団体の一昔前のシノギのひとつに 労働争議への介入がありますが それで 金を得るだけではなく 組合側と話をつけて いろいろあっただろうという話で ある時期に 義一先生が 共産党の準党員扱いになっていたりとか 総会屋に 元共産党員がいたりとか 児玉先生が 浅沼稲次郎と親しかったのも これが理由でしょう
2009年10月29日
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阿片王や 何も知らなかった日本人 日本の地下人脈で 児玉について語られている点で注意すべきなのが明らかに 僻みで語られている言説を そのまま使い なんだか彼が 矮小な人間に 児玉がみえてしまうところにあります 当然 裏の噺もあるので 難しいのもわかりますが その中で 立花隆の場合は 田中角栄研究の中で かなり集約された形ですが 一番うまくまとめていますが その中でもふれていますが児玉のすごさというのは その世界を 学閥とか 地縁血縁も関係なしに 頂点まで かなり若くして 仲間と かけあがったところにあります金脈 人脈 才能 あって 一本だちができます 児玉は 二十一歳にて 独立青年社を立ち上げます
2009年10月25日
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赤尾敏先生の元に 児玉先生が転がり込んで 数十年 方や 日本のドン 方や いい言葉でいえば 清貧の右翼 はっきりいえば 乞食右翼http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E5%85%B1%E6%8C%BA%E8%BA%AB%E9%9A%8A防共挺身隊(ぼうきょうていしんたい)は、六代目山口組二代目弘道会浜健組の右翼標榜暴力団。[編集] 概観福田素顕の長男で、大日本愛国党城南支部長を務めていた福田進(当時防共新聞社社員)と、同じ大日本愛国党本部員の浅沼美智雄(参与)、吉松法俊(青年行動隊長)、中堂利夫(『愛国新聞』編集長)、岡田尚平(情報宣伝局長)らによって結成された事からも自明な通り、1955年の発足当初には大日本愛国党の別動隊的、防共新聞社の青年部隊的性格が強かった。後に岡田は「尚武舎」を結成し、舎主として独立。中堂はハードボイルド小説家に転身して人気を博す。浅沼稲次郎暗殺事件の山口二矢も、福田進、吉松、中堂らと大日本愛国党を離党後、共に「全アジア反共青年連盟」を組織していた。当該事件の捜査過程では、殺人教唆の疑いで福田進と吉松が、赤尾敏と共に別件逮捕されている。60年安保闘争への対応を期に赤尾敏・福田素顕と、児玉誉士夫との関係が更に険悪化し、「任侠右翼」とも付き合いを保つ防共挺身隊は、「純正右翼」を標榜して侠客の介入に嫌悪感を露にした赤尾敏と福田素顕から離れ、次第に児玉一派に傾倒して行く。この一件で福田進は福田家から勘当され、防共新聞社からも破門される。自分の組織にも 手をだされhttp://blog.livedoor.jp/santama55/archives/2009-04.html 【右翼との関係】 赤尾敏から四元義隆まで、主に反児玉系を 中心に幅広い人脈を持っていたことが分かる。 児玉とも接触していたようですが、政権奪取後 や党人派政治家の死後は、価値が無くなったのか、あまり会っていない。しかし佐藤の総裁三選や FX商戦に介入していたことから、力は決して 弱まってなかったらしい。また中曽根と児玉の関係を危惧していたところも面白い。スポンサーも児玉嫌いですからいろいろ ロッキード事件から きれいな言葉で 赤尾先生は発言されていますが 児玉嫌いの本音は こんなところでしょう
2009年10月24日
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http://www.kashiwashobo.co.jp/new_web/column/rensai/r01-52.htmlやがて、久保は独立して通信社を立ち上げた。 「そこで小使を二人ぐらいおいて、花井先生から百円ぐらい貰ったかね。それでまあ十二、三円の謄写版の機械を買って、紙を一連買う。安いもんだからさ、二円だものね。そして電通におった男を入れてね、これが、俺を応援しようと。これで始めたのが『中外毎日通信』です。」(106頁) さらに月3回の『中外毎日新聞』も創刊し、維持会費年間10円で売り始めた。これを日刊化するための保証金二千円は、政友会幹部・小川平吉に断れられた後、同幹事長・横田千之助から貰った。 「その時だ、ああもう天下の俺の親分は横田だと。もうこの人のためには死んでもいいと。二千円で心を売っちゃった。」(108頁) その販路拡大には東京帝大の上杉慎吉教授が協力した。久保の依頼を受けて、上杉は「そうか。それじゃあ儂の名刺を作って、学士会の名簿を見て歩け」といったという。帝大法科卒の会社重役ばかりで何の苦労もなく維持会員は集った。いうまでもなく、上杉は天皇機関説や民本主義を厳しく批判した天皇主義の憲法学者である。久保が上杉家に出入りしていた当時、赤尾敏(のちに大日本愛国党総裁)が下足番をしていたとも回想している。上杉慎吉は 実践的な右翼運動も こなしてきたかたですが それがどうしてできたかという一端がうかがえますね赤尾瓶が上杉慎吉を担いで つくったのが 建国会ということですが 赤尾敏の資金が どこから どんな形で でてきたか うかがえる風景です 上杉の愛弟子のひとりが 岸で その建国会に児玉は転がり込むことになります
2009年10月19日
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http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1158927448/132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 13:01:50 ID:15JQ9def0児玉誉士夫 在日説の異聞…北朝鮮利権とは何か? http://dogma.at.webry.info/200807/article_4.html133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 23:00:47 ID:OOCcWl2d0どうでもいいけど 在日って ことばができたのは 昭和30年代以降じゃない?戦前は 朝鮮人も帝国臣民ですが 何か? それから 韓国にいって 三拝九礼したのは 児玉って 本にかいてあった?矢次の間違いだと思うんだけど 所詮 頭の可哀想な人の言説だね。 疲れるくらい 説明するのに手間がかかる妄想なんだけど 少しは もっと本読めよ134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 12:26:50 ID:KRiOY5Ki0>>133 私も児玉じゃなくて矢次だって 上のブログにコメントしたんですがね 反応は案の定ありませんがw135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 13:51:28 ID:KRiOY5Ki0畠山の本では矢次は 「丸の内に事務所を構える政治評論家」とボカして 書いてあったけど 知ってる人が見れば矢次だなってすぐ気付くはずなんだよね 要は>>132は戦後政治史について無知なくせに 朝鮮パラノイアにかかってるだけ136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 13:52:52 ID:KRiOY5Ki0まあ白洲スレを見ても解るけど 人は見たい事しか見ないっていう典型例だな矢次一夫に 朝鮮人疑惑があったらしいという噺ですが こういうのって どうなんだろうかという気にもなります
2009年10月18日
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http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2003/shuchou1103.html 山本晋也監督も来てました。そうだ、岡山である人からこんな話を聞いた。「山本監督は山口二矢(おとや)と高校で同級生だったそうですよ。鈴木さんはよく会うんでしょう。訪朝記者会見の時も一緒にいたし。今度会ったら聞いてみて下さいよ」 じゃ、山口二矢も山本晋也も僕も同じ年なのか。山口二矢を知らん人はいないよね。1960年に、社会党の浅沼稲次郎委員長を刺殺した人だ。その後に、自決している。17才だった。「国のため神州男児は晴れやかにほほえみ行かん死出の旅路を」という辞世の歌を残している。 だから、山本監督に聞いた。「いや、高校の同級生じゃないんです。同じ時に、一緒に運動してたんです」 「エッ、じゃ、山本さんも右翼だったの? 愛国党にいたの?」 「日大の応援団だったんです。先輩から行けといわれて、児玉誉士夫さんの家に書生に行ったんです」という。ヘーエ、知らなかった。「右翼の黒幕」といわれた児玉さんの家に住み込んでたのか。「その時に、愛国党の人や、他の右翼と知り合い、山口二矢とも知り合ったんです。山口二矢氏は、おとなしい青年でしたね」と言う。「もう一人、小森一孝君とも会った」と言う。これこそ奇跡だ。小森は、浅沼事件の後、中央公論社の嶋中社長を襲って女中さんを殺し、奥さんに重傷を与えた人だ。そのテロリスト二人と会っているのだという。「児玉さんも凄い人だったね。いろんな大物が出入りするし、活気があったし。又、時代が時代だから、〈革命前夜〉で、皆、ピリピリしてましたよ」 そんな時に、 児玉邸に住み込んで、書生として、掃除したりしてたんだ。貴重な体験だ。「じゃ、その頃のことを本に書いたらいいでしょう」と言ったが、「いやー、もう、今の人達には伝わらないでしょう。あの時の雰囲気や、ピーンと張りつめた気持ちは」という。17才の少年がなぜ、浅沼委員長を殺そうと思いつめたのか。又、それを実行し、自決までしたのか。「分かってもらおうと思っても無理ですよ」と言う。ウーン、そういうものかな。分かってもらえなくてもいいから、どっかで、じっくり話を聞いてみたいな、と思った。 というわけで、白船訪朝義士団の「壮行会」は熱気ムンムン決意ビンビンの中で終わったのでありました。 応援団を含めた 運動部系のサークルというのは 学生運動華やかな時期は いろんな理由から どちらかというと 右派につきますから そこから コネがついたのはわかるんですが 山本晋也が 先輩からの 推挙されるほどの 剛の者だったということで 他にwikiにも これを裏付けする記述がありますが まさに人はみかけによらぬものです
2009年10月16日
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http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1162129799/91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/24(金) 02:48:48 ID:YSb+i4TK0頭山満って、アジア主義という名の道具を使って列強をアジアから排除する構想を抱き 日本の利益を追求した尊王愛国主義者でおk? どこまで彼が、本気で他のアジア国々を 心配していたのかが文献からは見えてこない。92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/24(金) 19:54:37 ID:i4DZ4glB0>>91 俺の祖母の実家熊本の山の中なんだけど、 この村は玄洋社に資金提供したり宮崎トウ天匿ったりと右翼絡みの逸話が多い。 祖母の実家には宮崎からもらった「いつもご協力ありがとう」という礼状が残っている。 村は段々畑とみかん園ばかりで、 明治~大正にかけては総じて貧しかったらしい。 そういう中で金を工面し頭山や宮崎に金を貢いで大陸に渡り職を得た人も多かったそうな。 維新後、世の中が変わっていく中で農村で現金収入を得にくくなって生活に困窮する村民が 彼らに期待したのはアジア主義でもなければ尊王愛国でもなく現金収入を得られる仕事の紹介。 政治家と繋がって仕事を発注させようとする土木業者や 支援者となって選挙を手伝う代わりに仕事を紹介してもらおうとする選挙民。 そういう構造の中で頭山や宮崎が立てかけた看板がアジア主義だったというだけの話だと思う。93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/25(土) 21:56:08 ID:2qDXMO7o0福岡や熊本ってアメリカに移民した人も多いよね。 で、有名な右翼も輩出している。94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/27(月) 11:22:25 ID:GFOWDQhF0>>92 わかりやすく説明してくれてありがとう、勉強になりました。 出来たら、貴方の頭山満観や日本史に於ける彼の評価を聞かせてくれると参考になります。 伝記物を読む限りだと、頭山、杉山、宮崎あたりが神話の英雄如く 評価されているので自分としては今一把握しきれません。 人を惹きつける魅力があったことは間違いないと私は思うのですが、 玄洋社および頭山満が目指していたものがぼんやりとしか見えてこないのです。95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/27(月) 11:24:12 ID:qwM5r7B00OK?コンピューター96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/29(水) 23:48:56 ID:sSXHTapa0>>94 俺の頭山観かあ~。 圧力団体を背景に権力者に立てついたり揺すったりしたオッサン。 維新の国造りに乗り遅れて、政治家・官僚・軍人にもなれず権力の中枢に入れなかったから そういうヤクザまがいのことをしてたと。 でもそれだけだとヒールにもなれないので、内容曖昧な綺麗事をイデオロギーとして掲げてた。 それだけだと思う。 「日本の黒幕」的なゴシップ集めた評伝は後から作られたエピソードとか、 事実を編集して都合よく語られた話を聞いたりした事をまとめたものがほとんどだし そこ本で頭山とか宮崎の評価下しても仕方ないと思う。 俺の頭山観にしたって田舎の老人たちから聞いたおとぎ話と、 それぞれの思い込みエピソード集が元だし。 評価は事実と事実を受け取った人達の感想とかでしないと意味ないかと。97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/03(日) 10:34:52 ID:t/N04+L00>圧力団体を背景に権力者に立てついたり揺すったりしたオッサン。 >維新の国造りに乗り遅れて、政治家・官僚・軍人にもなれず権力の中枢に入れなかったから >そういうヤクザまがいのことをしてたと。 そう書くと、頭山満って小さな人間に見えます。笑 揺すっていたことは間違いないだろうけど、公職へ就かなかったのはあくまでも本人の希望じゃなかったの? >内容曖昧な綺麗事をイデオロギー 自分が気になっているのは、頭山はどこまでそのイデオロギーに対して本気になっていたのか? 大抵の本には頭山は金に執着心がなかった、と書かれているが事実なのか? もし、何か知っていたら書いてください。 あと、政府関係者以外へ対する彼の暴力が狭間見えるエピソードとかもありましたらお願いします。右翼とは 思想とか 陰謀論で語り 語られる場合もありますが シノギであるということです 当たり前なんですが これにならないと 強いものには 絶対なりません ここを見極めないと本質にはおれません 玄洋社しかり そして その系譜の児玉軍団しかりです
2009年10月15日
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