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http://www.shihoujournal.co.jp/plaza/101102_3.html●ヤクザの遺産相続に裁判つきもの。 ヤクザの遺産の中には組の準備金があります。 最近もI会有力組長が亡くなりました。 ヤクザ団体は法人格を認められていません。「陸山会」を人格なき社団と主張する人もいますが「陸山会」は人格なき社団ではありません。政治資金規正法の監視対象経理主体です。 小沢一郎衆議院議員そのものです。 ヤクザ団体I会S組は人の集団で目的を持ち内部規則があります。 登記できる法人格ないですが社団としての実体はあるようです。 I会S組という預金通帳を銀行が作るでしょうか。 銀行実務上個人名義で作ります。 S組組員救済会という預金通帳は作るわけに行かないのです。 相続人がこのことを理解しないと個人財産と組財産を混同してしまい大変なことになります。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0666/01904010666016c.html日本夕刊は元やまと新聞と申しておりまして、岩田富美夫さんが御経営になつていたのであります。おなくなりになつてから、昭和十五年に児玉署士夫さんがこの経営をお引受けになつた。その後、当時芝の田村町に本社がありましたのを、兒玉さんが、現在の浜松町一丁目三番地に社屋を移され、その後経営を続けておつたのでありますが、戦後児玉さんが戦犯容疑者として巣鴨に収容されることになりましたので、これを弟分である――弟分という言葉はどうかと思いますけれども、これは私どもの社会では言うのですが、高源重吉氏に経営を譲つた。これは無償で譲つたということであります。その後高源さんがこの経営を引受けて、いわゆる鎌倉組の林房雄さん、永井龍男さんという方々の編集委員会で経営をやつたのであります。ところが、やつているうちに漸次経営が困難になつて来て、どうにもならなくなつた。そこで高源さんが三浦義一さんにこれの経営を譲つたのであります。それで、三浦さんがその後昭和二十四年の末から経営を引受けられて、二十七年に私に引継ぐまで三浦さんが御経営なすつたのですが、非常に苦しくなつて来て、三浦さんもどうにもこうにもならない。そのころ三浦さんが私に申すには、私は四千万円くらいのものをこれにつぎ込んだが、遂にうまく行かない―。こういう状態でありまして、先ほどちよつと申し述べました通り、私がその経営を引受けたのであります。その後、先ほどちよつと申し上げました通り、伊藤さんに話しまして、伊藤さんから当時二百万くらいの金をお借りしたように思います。そのときに伊藤さんが、そういうことでなく、それを株式組織にして、私がしつかり株を持つということにしてやつて行つたらどうだろうか、こういうお話がありましたので、そのことも私は三浦さんにお伝えし、また社の同人の人たちにも伝えましたら、それでは株式組織でやろうということになりまして、昭和二十七年の七月十日株式組織に改めたのであります。そのときは、まず百二十五万円の払込みにいたしまして、私、大庭、栗原、後藤という当時経営の首脳者が株を持つたのであります。それを、さらに八月に――日時は後ほど資料を見ますが、とにかくこれを五百万に増資したのであります。岩田の時代から この直前まで 会社組織でなく 個人経営だったようですが これって 当時のやまと新聞が 会社という思考でなくやくざ団体と同種の思考で動いていたということなんでしょうか児玉機関も会社組織でなかったようですが これって どういうことなんでしょうかほぼ まちがいなく 経理が不鮮明だったので とても資金が銀行から 調達できなさそうなのは 理解できるのですが
2010年11月25日
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児玉センセイと言いますと 岡村吾一センセイが 事実上 関根賢親分の身内なので 関根組と松葉会との関係は ここからはじまるんですが住吉の場合は どこから始まったかといいますとhttp://piza2.2ch.net/4649/kako/988/988463245.html79 名前: 名無番長 投稿日: 2001/07/13(金) 05:07並木は六代目の親分の津久井成行が日興から来たけど、日興の看板は出してません。 龍馬氏とのバランスを取るのと並木の五代目の小沢の先代が引退するために跡を継いだ。 当時3億で毎月200万を先代に払っていた。 津久井氏は堀の総長が亡くなって無ければ、次の次に住吉の代を取っていたと言われている。 現在の日興の跡目を含め全て津久井の六代目の舎弟である。 並木、小林、日興は兄弟組織であるが、並木量次郎が出てる分並木が一番座布団が上。 津久井氏は日興に籍は残しているが、並木の当代であり、日興より並木の金看板を大事にしているhttp://wikiyakuza.wiki.fc2.com/wiki/%E6%B3%A2%E6%9C%A8本拠は浜松町で 量次郎親分は 松田義一親分の兄貴分のようですが下記にそれぞれ注目http://plaza.rakuten.co.jp/junksai/diary/201001190000/http://plaza.rakuten.co.jp/junksai/diary/201005080000/http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0666/01904010666016c.html日本夕刊は元やまと新聞と申しておりまして、岩田富美夫さんが御経営になつていたのであります。おなくなりになつてから、昭和十五年に児玉署士夫さんがこの経営をお引受けになつた。その後、当時芝の田村町に本社がありましたのを、兒玉さんが、現在の浜松町一丁目三番地に社屋を移され、その後経営を続けておつたのでありますが、戦後児玉さんが戦犯容疑者として巣鴨に収容されることになりましたので、これを弟分である――弟分という言葉はどうかと思いますけれども、これは私どもの社会では言うのですが、高源重吉氏に経営を譲つた。編注 岩田が死んだのは もう少し後なので このあとに 児玉先生が経営を引き継ぐことになりますが この当時は 社長 児玉センセイ 副社長が 吉田彦太郎になったようです 住所が 政友会の本部のあった芝田村町から 港会の中核の並木一家の本拠の浜松町に移転していることに注目戦後の新夕刊は 児玉センセイが巣鴨送り 彦ちゃんが たぶんパージなんで 高源重吉が担当のことだろうと思いますどうも 児玉センセイは 一部の方には戦時中はずっと 中国にいたという認識があるようなんですが やまと新聞の経営だけを考えても それは誤りではないかと思いますやまと新聞から 新夕刊の流れのなかで 児玉センセイが 松永材という哲学者の雑誌の後援をしていたり 新夕刊の経理部長が カストリ雑誌を出したりとか いろんな副業をしていたようなんですがほぼ まちがいなく 任侠の方々との交流も どういう形でかはわかりませんが ここからはじまり これが保全経済会事件につながるんだろうと思います
2010年11月22日
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http://ameblo.jp/panqueque8/entry-10021034337.html7 ■共政会確か岩田本家筋の甥っ子の奥さんが共政会3代目組長山田久の妹と聞いたことがあります。あと、児玉機関の幹部とも姻戚関係がありました。TK 2009-11-14 00:34:54 ?>>このコメントに返信8 ■Re:共政会>TKさんさすがの情報です。共政会関係は、正確には山田元会長の”奥様の妹さん”と聞いています。先日の林房雄の…は思い出しました。確かに関係ありますね。林房雄の息子さんと岩田幸雄の娘が…だったと思います。もちろん、山田元会長の義妹、岩田幸雄の娘もご存命です。児玉機関幹部…こちらは…知りませんでした。更に奥が深いです、、、幹部はどなたなんでしょう。アウトロー専務ライダー! 2009-11-14 12:26:39 ?>>このコメントに返信9 ■Re:Re:共政会>幹部はどなたなんでしょう。高源重吉です。TK 2009-11-14 23:48:07 ?>>このコメントに返信10 ■Re:Re:Re:共政会>TKさん高源重吉…なるほど納得です。そういえば、林房雄も高源重吉も同じ人との関わりが…個人情報なのでココから先は控えておきましょう。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%94%BF%E4%BC%9A1971年11月、王子製紙の株主総会で、総会屋の嶋崎栄治と総会屋の小川薫の両派が乱闘となった。その後嶋崎が松葉会・菊池徳勝を後見人に立て、小川が二代目共政会・服部会長を後見人に立てて、手打ちを行ったhttp://logsoku.com/thread/yuzuru.2ch.net/4649/1270395011/301-400313 :名無番長 :2010/11/06(土) 15:18:07 0仙石官房長官が昭和51年に小川薫氏の仲介で浅野会幹部、山田会長含む共政会幹部。それに 引退した杉原幸三社長(広島最大の冠婚葬祭事業 元・美能組組長)と欧州へ2週間の旅行へ出かけたそうだ。 意外だったのは山田氏と杉原氏は警戒しあったてた仲だと思ってたのです。314 :名無番長 :2010/11/06(土) 16:26:07 O>>313 山田氏が杉原氏に頭上がる訳無かろぅが。 共政の御輿なる時に杉原氏には かなりの援助があったけぇ。http://www.paradigm2020.jp/blogw/1288103658.html 問題とされる記事は、いま発売中の10月28日号に掲載されている「赤い官房長官『仙谷由人』の研究(前編)」なるタイトルの4P記事(冒頭写真)。 周知のように、仙谷氏は弁護士でもある。 新潮記事は、まだ「前編」ということで、概略に止めているが、弁護士として引き受けた日韓を結ぶ“フィクサー”だった故・町井久之氏に債権を有する顧客のため、「偽造文書」作成に関わったとする疑惑について。「いくら疑惑に止めるとはいえ、『影の総理』とまでいわれる者が偽造文書に関わり、しかもその顧客は脱税などで懲役5年の前科者ではマズイ。『後編』の出版禁止仮処分も検討したようだが無理と言うことで、『前編』について提訴することで、対外的に取り繕うと共に、『後編』へプレッシャーをかけたのでしょう」(永田町筋) もっとも、『週刊新潮』は続編を取り止める気はまったくないようだから、明後日(28日)、都内の一部では早刷が出てるから明日(27日)には見れるはずだ。新潮が意気軒昂なのは無理もない。 なぜならこの疑惑、韓国における裁判ですでに仙谷氏側敗訴で決着がついているからだ。 新潮記事では、この顧客の名は匿名にされているが、吉村金次郎氏(68)がその人。 町井氏とのトラブルでは、この吉村氏が実質、社長の「東京抵当証券」(東京都千代田区)が債権者として登場。この他、「明日香住販」(解散)、「M栄」(東京都港区)という不動産会社も実質、社長と見られる。 5億円を融資するにあたって、町井氏との間で、「釜関フェリー」(上写真)の全株券を担保に入れる契約書を交じらしていた(下写真)として、その譲渡を主張した。 ところが、韓国地方法院での訴訟で仙谷氏側は敗訴している。06年1月のことだ。 契約書があるのだから、通常、負けないはずだが、韓国地方法院は町井氏が亡くなる10年も前から返済が滞っていたのにその間、一切権利を行使しなかったことから、後日に作成した(町井氏が死去した02年9月前後か? 契約書の日付は97年2月。仙谷氏が代議士になったのは90年)偽造文書と判断した結果のようだ。「町井は用心深い人で、契約の際には必ず顧問弁護士を同席させていた。また、ここに押されたハンコはいつも使用するものと異なっていた。 またこの訴訟では『債務返済覚書』や『委任状』などは、偽造されたものだ、と遺族側が証言。しかも、その作成は吉村氏の指示で仙谷弁護士が書いたと思われるとまで言っているのです」http://www.shihoujournal.co.jp/plaza/101106_1.htmlKY氏が町井氏の遺族にアクションをかけたのはもっと前からと思われる。 東亜総合企業の代表者や株主に請求権を持とうとする動機は何か。 地上げの参加切符を得るためである。 KY氏が売り歩いた二部屋の権利とフェリー会社の株券は誰の同意を得て売り歩いていたのだろうか。 仙石弁護士はこういう事件を手がける弁護士であったのか。警視庁組対3課が帳場を建てるという情報が立ち消えになったのは何故だろう。 KY氏が二部屋の権利とフェリー会社の株券を売り歩いていた頃TSKに捜査が入ると噂されていた。 TSK人脈の中に妙に警察と繋がりを持つ人物がいる。 碑文谷署は良くご存じのようだ。相続問題などない。銀行債権圧縮と占有者そして資金をどこから調達するかが本当の問題である。 木利屋ビルと全く同じ構造がそこにある。 結果を見ればわかることがある。 町井氏の遺族で生活に困窮している者はいない。 相続財産は借金も含むはずだ。 破産をかけられたら相続人になにも残らないレベルである。 それが通常では無価値の占有権に15億円の支払いがなされるのだ。 KY氏も豊かにご商売をされていると仄聞する。 満井緒方氏らも銀行債権を某筋から金を引いて買い取ろうとしたという情報がある。 それが失敗して朝鮮総連所有権移転登記が表沙汰になったのではないのか。 毎日新聞が朝鮮総連の不動産登記簿を得ようとした理由は何か。 あるいは持ち込まれた情報なのか。 330億とも言われる金がリーマンから富士薬品から注ぎ込まれどこかに消えていったと言われている。 この金の流れを掬い取るために東亜相互企業代表者争奪戦が行われた。 東洋不動産の中の人も入れ変わっている。 弾き飛ばされた方が対抗する登記を入れ仮処分をさまも木利屋事件に似ている。 事件屋仕事師の世界で動く弁護士が仙石先生であるなら日本の政治のケツ持ちはヤクザなのかということだ。新潮では 確か 藤川という名前になっていたんですが これって 変名って やつですよね 仙石センセイって そういう世界の方のようですね
2010年11月14日
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余談だが 私は昭和43年 日経社会部記者として 国鉄記者クラブ詰めとなった 当時の国鉄総裁が石田礼助だった その頃 日経は文化面の私の履歴書の執筆を 石田に依頼しようとしていた東海道新幹線の運転も軌道にのり ヤング ソルジャー 石田礼助の履歴書 登場に 読者の期待も大きかった 私は何度も総裁室に通い 執筆をお願いした しかし その話になると 彼の表情は硬くなり かたくなに ノーだった 神奈川県 国府津の自宅まで押しかけたこともあるある日 君イ そばでも食べに行こうと 昼食に誘われた ザルそばを食べながら 彼は いつもに似合わず しんみりした口調で こう話した君ねえ 人間の一生というものはねえ 胸をはって威張れることだけではないんだよ 私の履歴書に登場する人たちは 本当に自分の人生のすべてをかいているのかねえ 書きたくないことだって あるんではないのかねえ特務機関長 許斐氏利 牧久著 ウエッジ昭和通商に 発起人 非常勤取締役として関わり 交易財営団総裁として ダイヤモンド等のことにも関わり 戦時中の三井物産のトッとして 裏歴史をご存じの 石田 粗にして野だが卑ではない 礼助の話です この方が 池田勇人の引きで 国鉄総裁にもなったのは 交易営団の清算業務で 誰が得をしたかがわかるかとおもうんですが さて佐高信あたりが 私の履歴書の件を よいしょしてますが どうなんでしょうか 戦時中のことをいいたくないだけとおもいます あいもかわらずな 上記の事情を考えると うすいなとおもいますね
2010年11月10日
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